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シャイアン(1964)

CHEYENNE AUTUMN

メディア映画
上映時間160分
製作国アメリカ
公開情報劇場公開(WB)
初公開年月1964/12/19
ジャンル西部劇
シャイアン [DVD]
価格:¥ 4,104
USED価格:¥ 3,344
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シャイアン

【解説】
 合衆国のインディアン政策によって、シャイアン族は居留地に押し込められていた。だが合衆国の約束した物資は一向にとどかない。餓えと病で多くの仲間を失った彼らは、元のイエローストーンへ戻ることを決意する。しかしその行動は反乱行為とみなされ、騎兵隊による討伐の目標となってしまう……。横暴な白人によって滅ぼされようとする、少数派民族の悲哀を描く。
<allcinema>
評価
【ユーザー評価】
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526 5.20
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【ユーザーコメント】
投稿者:Odd Man投稿日:2019-01-04 21:41:34
偶々観直したエクステンデット版とやらの「アバター」の翌日、これもまたアトランダムに選んだ「シャイアン」、これがユング曰くのシンクロニシティか、はともかく。そのまま西部から異星へ焼き直されたんだなと了解。それがフォードという存在故なのかキャメロンやハリウッドサークルの心性なのかなと。
投稿者:TNO投稿日:2017-07-02 14:43:49
 この作品は、ジョン・フォードのインディアンに対する「詫び状」だといわれている。これは、評論家時代のピーター・ボグダノビッチからのインタビューでのフォードのコメント、「私は、カスター、チヴィントン、ビーチャー(いずれも西部開拓時代にインディアンを掃討した将軍)の三人を合わせたよりも多くのインディアンを(映画の中で)殺してきたからな」に端を発しているようだ。兵士スミス役で出演しているハリーケリーJrは、後に書いた「ジョン・フォードの旗の下に」の中で、「フォードは他人に決して謝るような人ではなく、この映画は、単に題材がフォードの興味を引いたから作ったにすぎない」と書いている。さもありなん。
 エドワード・G・ロビンソン扮するシュルツ長官は、先住民と合衆国の間を調停して関係の安定化を図った清廉潔白な人物で、ジョン・フォードはこのような自分の職務に忠実な人物を好む傾向があった。この歴史に埋もれた傑物であるシュルツ長官を世に知らしめたいという思惑もあった。
 ジョン・フォードは、体力的にかなりまいっており、この作品の監督をこなしきれていなかったようで、ロケ先であるモニュメントバレーの「グールディングロッジ」に仕事を放棄し引き籠ってしまうことがあったという。そういうときは、演出を第二潘監督に任せていた。また、後半の雪中の場面では、踵をくじく怪我をしたフォードが一時治療で現場を離れる間、主役のリチャード・ウィッドマークが演出をしていたという。また、脚本は、フォードが「ロビンソン砦(ダル・ナイフの一行が幽閉された場所)以降の歴史はよく知らない」ことを理由に、ジミー・ウェッブに一任したという。以前では考えられない気力の衰えである。最後のシュルツ長官と勝利の窟に立て籠もったシャイアン族との会談の場面は合成まるわかりであり、それまでのロケを生かした美しい映像からの落差がありありで、フォードの衰えを感じざるを得ない。
 長い映画ではあるが、個人としては私ジョン・フォードへの思い入れもあるが、ほとんど退屈することはなかった。この映画の中のシャイアン族は、倫理観と戦略を併せ持つ優れた民族。一方で、多くの白人は、モラルが低く愚か者として描かれている。その中で、先住民に寄り添う白人としてキャロル・ベイカー扮するクエーカー教徒の教師は、彼らと行動を共にする決断をする。ベイカーは、後にイタリアに渡りお色気路線に転向し、悪女のイメージがついてしまうが、私はどことなくふわふわしていた「ジャイアンツ」や「大いなる西部」から自分の信念を持つ一人の女性として成長した姿を見せるこの頃の彼女が好きだ。
 幕間劇のように挿入される「ドッジ・シティの戦」のシークェンスは、一般には評価が高いようだ。ハリー・ケリーJrによると、フォードが老い先短いことを悟り、どうしてもお気に入り俳優であるジェームズ・スチュアートとジョン・キャラダインを出演させたいがために、このシーンを作ったのだとか。ボグダノビッチによると、編集段階で最後がカットされフォードの意図が十分生かされず中途半端な内容に終わってしまっているとのこと。
 有名なボグダノビッチのジョン・フォードへのインタビューの大部分は、実はこの映画のロケの合間にモニュメントバレーのグールディングロッジで行われている。ハリー・ケリーJrによると、ボグダノビッチは、この映画の撮影の最中に、恋人と車で制止を振り切り押しかけてきて、たまたまそこにいたベン・ジョンソンがフォードに取り持つ形で実現したそうだ。当時ボグダノビッチは全くの無名。インタビューでは、近しい役者やスタッフでも恐れ多くて聞けない内容をズケズケと質問し、いつジョン・フォードが爆発するかと皆おそれていたがフォードはご機嫌だったとのこと。後にボグダノビッチ監督作「ラスト・ショー」でベン・ジョンソンがアカデミー賞を受賞したのは、ご存知の通り。ボグダノビッチは、ロケ現場の見学の様子も記している。シャイアン族レッドシャツ役のサル・ミネオ(当時は、ジェームズ・ディーンとの共演が続き、若手の注目株)が、父のダル・ナイフ(ギルバート・ローランド)に叱責され、怒って自分の馬に飛び乗って去ってゆくシーンで、ミネオが馬に飛び乗るのに手間取ってしまったため、フォードに再演を申し出たところ、フォードが「君は怒っていたので馬に飛び乗るのも失敗したので、つじつまが合っている」と諭されミネオも納得したとのこと。
投稿者:呑気呆亭投稿日:2014-09-05 19:52:18
公開当時の評判は芳しくなかったと記憶するが、今回見直してみてこれはフォ−ドの堂々たる傑作であると思った。「駅馬車」でインディアンのすさまじい戦闘性をダイナミックに描いて見せてくれたフォ−ドだが、この作品ではシャイアン族の誇り高い人間性を淡々と描き尽している。既に\'50年の作品「幌馬車」で赤人の族長に“白人で嘘を付かないのはモルモン教徒だけだ!”と言わしめたフォ−ドだが、この映画でも戦士はおろか女子供に至るまで背筋をピシッと伸ばして荒野を歩む姿に強靱なモラ−ルの高さを砂まみれの映像によって語り、それに引き比べて政府高官を始めだまし討ちを恥とも感じない牧童に至るまで、平気で約束を破り嘘を付くという陋劣な白人像を対置させる。唯一の救いはウイドマ−クの働きによって生き残ったシャイアン族が故郷に帰還することが出来たことなのだが、それもアメリカというダブルスタンダ−ドの国にあっては、いずれなし崩しに土地を奪われ誇りを失わさせられてしまうだろうと思わざるを得ないと感ずるのだが、それはまた別の話である。http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:seisakuiinkai投稿日:2013-07-21 11:25:58
シャイアンにとっての故郷がいかに大切なものか、そこで暮らしたいというだけの希望すら自分たちの面子のために許さない白人を浅ましいと感じた。www.seisakuiinkai.com
投稿者:wild bunch投稿日:2007-07-07 03:38:58
西部を美しく描き、かつそこでインディアンからの攻撃を身を挺して守る男たち、白人の皮をはぐおそろしき野蛮なインディアンなどと、西部劇の「いつわり」の範型をつくってしまった(監督たちのひとり)フォードが、自己批判と謝罪をかねて最後に、いろいろもりこんだ作品。頭の皮をはいだのは白人のほうであったこと。インディアンたちを追い出したのも白人側であったこと。さらに、ワイアットとドクが売春宿にいりびたりのギャンブラー好き、女好きで商売っ気まるだしの俗人であり、とても「荒野の決闘」でえがいたような人物ではないことを、どうしてもいれざるをえなかった。女のまたぐらをのぞきこむジェイムズ・スチャートにそれをさせたのには笑ってしまうが、自己批判をシビアにではなく、事実にあわせつつも茶化した手腕には脱帽。そして、インディアンが白人を殺したといううわさが一桁ごとにあがって、数がふくれあがっていく白人たちの嘘のおぞましさ。じっと耐えつつ、もうガマンできないと蜂起、反乱するインディアン、この悲劇をフォードは謝罪をかねてえがいた。ウィンドマーク(唯一、政治学博士号を実際にもつインテリ)が、どうしようもなく手をうてないさまがもどかしいが、実際に近いことであろう。しかし、いかにフォードが自らの過去を清算しようとしても、初期・中期のフォード映画は不滅であり傑作である。西部劇を好きなら義務的にみておかねばならない映画だが、ストーリー性が事実に近くなるとおもしろくなくなってしまう、虚構と事実の矛盾・対立は深刻な問題であること、それは「ソルジャー・ブルー」にまでいたるが、アメリカの「ひどさ」と「良心」のすごさでもある。西部劇ほど時代、時代を反映したものはない。だが、注意深く見ると、背景にそれなりにきちんと描いている。それは、アメリカ文化史そのものであるのだ。もう、ここにはガンマンの撃ちあいなどという格好いい虚構ものはない。そして、野蛮なのは白人のほうであった。メキシコ領土に侵略し、インディアンの住処に侵略し(他人の土地に入り込んだのだから砦を作らざるをえないし、騎兵隊で守り攻撃するほかない)、そしてヨーロッパ移民たちを迫害していったカウボーイ(東部資本に雇われた)の歴史、内戦の歴史、などなど、西部劇は見事なドラマ、映画の原点の原点である。
投稿者:Katsumi_Egi投稿日:2006-01-10 21:30:47
 ジョン・フォードとしても苦しい苦しい映画であり私とて本作を手放しで楽しむことはできない。ウィリアム・H・クロージアの切り取る絵画的な風景は依然として素晴らしいが、中盤から後半に亘ってテンションの持続を妨げるチグハグなシーケンスが目立つと思う。
 ダッジ・シティのシーンなんてはっきり云って不要だろう。プロシア出身の砦の指揮官を演じるカール・マルデンのシーンも大芝居だ。ラスト近く、洞窟の前にエドワード・G・ロビンソンが登場する場面がスクリーン・プロセスなのにもがっかりする。
 しかしそれでもフォードが造型した細部の豊かさと悲痛な美しさには感動してしまうのも事実なのだ。ダッジ・シティのシーンなんて無いほうがスッキリするのは確かだが、ワイアット・アープにジミー・スチュワート、ドク・ホリディにアーサー・ケネディ、この二人と共にジョン・キャラダインがカードゲームをしている、というのはヤッパリ嬉しいキャスティングだし、牧童のケン・カーチスに絡まれたスチュワートがテーブル下からデリンジャーで相手の足を撃つ、なんて悪くないシーンだ。また、いつもは歌の上手い陽気な兄ちゃんばかりを演じているケン・カーチスが登場するなり無抵抗のインディアンを殺して頭の皮を剥ぐという非情な役であることもフォードのこの映画に対する決然たる姿勢が現れていて感慨深いではないか。勿論、ギルバート・ローランド、リカルド・モンタルバン、ドロレス・デル・リオ、サル・ミネオ等インディアンに扮した俳優達によって体現されるフォード映画に一貫する「人間の誇り」の悲痛な表出には心震えずにはいられないし、そして何よりも、もう冒頭のインディアン居留地に立つ小さな小学校の佇まいとキャロル・ベイカーの白いエプロンを見ただけで胸締め付けられる感動を覚えてしまう。小学校の黒板を使ってリチャード・ウィドマークがキャロル・ベイカーに求婚するあの美しい演出を誰が忘られよう。
 フォード最後の西部劇。全盛期の構築力や遺作『荒野の女たち』のような神がかった峻厳さが無いにしても、それでもフォード。美にして崇高である。http://cinema.intercritique.com/user.cgi?u=3449
投稿者:Ikeda投稿日:2004-11-04 19:01:44
ジョン・フォード最後の西部劇で、2時間40分に亘る長編です。その為か、途中で幕間狂言のように、ダッジ・シティでのワイアット・アープやドク・ホリデイがコメディ・タッチで挿入されています。ここでアープに扮したジェームズ・スチュワートが面白いですが、このエピソードは唐突な感じもします。
全体として白人によって追い回される先住民族のシャイアン族を良く描いていて、リチャード・ウィドマークが彼等を保護しようとする展開は長い映画の割にはそれほど退屈しませんでした。しかし、軍部内や、クエーカー教徒、為政者などの考え方の違いを指摘しながら今ひとつ曖昧な点が気になりました。更に最後にE・G・ロビンソンが出てきて多少引き締まっていますが、ラストがあっさり終わってしまうのも長編だけに物足りません。
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
□ 撮影賞(カラー)ウィリアム・クローシア 
【ソフト】
  商品名  発売日  税抜価格  
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