allcinema ONLINE オールシネマ 映画&DVDデータベース
検索オプション

自由を我等に(1931)

A NOUS LA LIBERTE

メディア映画
上映時間86分
製作国フランス
公開情報劇場公開(東和)
初公開年月1932/05/
ジャンルコメディ/ドラマ
自由を我等に [DVD]
参考価格:¥ 5,184
価格:¥ 6,543
USED価格:¥ 7,300
amazon.co.jpへ

【解説】
 チャップリンの信奉者を自認するクレールが、遂に喜劇王の「モダン・タイムス」に影響を与えたとされる、その諷刺と男同士の友情話、サイレント的ギャグ、そしてG・オーリックの楽しい音楽が渾然一体となった、オペレッタ的コメディの快作。
 刑務所内の作業場。囚人ルイとエミールはそこで眼で合図を交わし合う。夜、同房の二人は題名曲“自由を我等に”を小声で口ずさみ脱獄を図る。塀を越えようとして発見されたエミール。お前だけ逃げろ、とルイに叫ぶ。ルイは要領のいい男で、露店のレコード売りからとんとん拍子に出世して、大蓄音機会社の社長となる。エミールもようやく放免。だのに、のんびりと原っぱに寝転がっていると、巡査がやってきて、“働くことが自由なのだ”(その言葉から教室の授業風景が映り子供たちが同じ文句を唄うギャグは傑作)とお説教された上、留置所に放り込まれた。窓の外から美しい女声が届いて、絶望に首を吊ろうとするエミール。ところが、紐をかけた鉄格子が抜け、なんなく逃亡に成功。やがて彼は美声の主ジャンヌも働くルイの工場の工員となり、ジャンヌを追って逆に監督に追いかけられたところをルイとばったり。彼はてっきりエミールがたかりに来たかと、まずピストルで次に札束で迎えるが、きょとんとして応じない。そこへ工員たちの靴音……。刑務所生活を想起して友情が浮かび上がり、再びあの歌を共に唄う。
 さて、ルイを間に立てジャンヌに求婚したエミールはふられ、ルイの妻も不貞を働き、また彼は昔の仲間からゆすられる身。だから、工場増築の祝典に刑事の姿を見たとき、彼らは再び二人して逃げる。金を詰めた鞄は風に散った(予想通りの混乱が起こる)が、かまうものか。そして、ルンペンに落ちぶれた二人は田舎道を往く。すれ違う高級車を懐かしげに振り返るルイの尻を蹴るエミール。前を向いて歩く彼らの後ろ姿が、チャップリンを思わすように遠ざかる。明るい歌声とともに……。
<allcinema>
評価
【関連作品】
モダン・タイムス(1936)
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
216 8.00
下記フォームからあなたのこの作品に対する採点を投票してください。
メールアドレス年齢性別
評価 (低い←→高い)
12345678910
【ユーザーコメント】
投稿者:uptail投稿日:2013-11-04 12:29:28
ルネ・クレール
投稿者:呑気呆亭投稿日:2012-07-18 10:54:55
刑務所の場面はフリッツ・ラングの「メトロポリス」(\'26・独)を想起させる。仲間のエミ−ルを置き去りにして脱獄を成功させたルイは、要領よく出世して蓄音機製造会社の社長になるのだが、楽曲♪自由を我等に♪をモット−として口ずさむ彼にして、その蓄音機製造工場のシステムはまるで刑務所と変わりがないという皮肉が効いている。そのシステムを極限まで推し進めて、ルイは無人工場の建設を目論むのだが、刑務所から出所した仲間のエミ−ルが現れてその非人間的なシステムに人間味をベタベタ塗り附け始めてから破綻が生じる。
刑務所仲間の脅迫で窮地に陥ったルイは、新工場を労働者にプレゼントすると宣言して、ドタバタ騒ぎの果てに無一文の浮浪者となってエミ−ルと共に、遂に獲得した「自由」を満喫する放浪の旅に出る。その映像にモンタ−ジュして、ゴミを蓄音機に再生する無人工場のシ−ンと、為すこともなく所在なげに釣竿を振る労働者の一群を見せることをクレ−ルは忘れない。自由とは何か?労働とは何か?http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:さち投稿日:2007-05-01 19:45:03
よかった
投稿者:ルミちゃん投稿日:2007-04-29 23:24:30
【ネタバレ注意】

『自由な世界に、人が作った掟.規則に法律、礼儀、仕事に会社に家庭.ついでに監獄も』

『監獄』から脱獄し自由になったルイは、街のレコード売りから蓄音機の販売店を経て、やがては蓄音機工場を成功させる.けれどもその工場は、かつてルイの過ごしていた監獄そのままであり、監獄の囚人と同じように、労働者には監視がつき、『規則』に従って『仕事』を、労働を強制されている、束縛された世界だった.
やがてエミールも刑期を終えたらしい.野原で寝そべり自由を味わう彼を、浮浪者として『法律』に従って警察は捕まえたのだけど、死によって自由を求めたエミールは、その事によって、留置場を抜け出すことに成功する.
自由を得たエミールは、ルイの経営する工場へ勤めることになるのだけど、工場の中で自由に振る舞う彼は、社長であるルイと再会する事になる.
ルイは結婚したらしい.その家庭は『礼儀』に縛られた堅苦しい家庭で、エーミールがその堅苦しさを破るように自由に振る舞った.ルイの妻は怒って家を出てしまったのだけど、ルイは妻の家出を喜んだ.
エミールは会社の娘に恋をしていることをルイに打ち明けると、ルイは社長の権力、お金の力で娘との縁談を勧めようとした.けれども彼女には恋人がいて、それを知ったエミールは素直に身を引くのだった.
昔の仲間にばれて脅迫されるルイは、一度は金を持って逃げようとするのだけど、結局、彼は警察に追われる身に覚悟を決め引退することにする.翌日、労働者が働くなくても、機械が勝手に仕事をしてくれる新工場の完成式で、ルイは、その工場を労働者に譲渡することを発表し、同時に彼は引退する.

エミールは娘に恋をして、お金でその恋を実らせようとしたのだけど、それはできなかった.人の心はお金では買えない.言い換えれば、人の心をお金で束縛することはできないのね.
昔の仲間の悪党に脅迫されたルイは、お金で悪党を黙らせようとしたけれどできなかった.やはり、人の心はお金で買うことはできないのであり、工場の利益の半分を分け前として要求され、所詮はそう遠からず警察にばれることを覚悟したルイは、お金を持って逃げることにしたのだけど.それも適わず、ルイは、全てを失う覚悟をして、労働者に工場を譲渡する事に決めた.警察から逃れてルイ自身が自由であろうとするとき、労働者も、工場が自分のものになる、つまりは労働者も自由になるときであり、クレールは、分かりやすく、労働者が働かなくても機械が勝手に仕事をしてくれる、新工場の完成として描いたのね.

ルイは、蓄音機の工場を成功させた.言い換えれば、蓄音機の工場で多額のお金を儲けたのだけど、同時にそれは労働者を監獄と同じように束縛する行為であった.
娘の叔父は、お金欲しさに姪の縁談を進めようとしたけれど、それば娘の気持ちを考えない、娘を束縛する行為に他ならない.
お金が、風に舞う、そのお金を皆が、追いかけ回す.もちろん誰でもお金が欲しいと思う.けれども、沢山お金が欲しいと思い込んだとき、同時にそれは自分自身を束縛している、あるいは、お金によって自分自身が束縛されているといえるみたい.夢中になってお金を追いかけ回す.つまりは、自分自身を見失っているといえる.
『労働は義務である、なぜなら自由だから』この言葉はおかしい.自由を得るために、労働は義務である、きっとこれなら良いのではないのか.自由であっても、人並みに自由に恋をするには、やはり浮浪者ではいけない.少しはまともに働きなさい、最後の二人の後ろ姿は、このように物語っていると思うけど.なぜなら、『自由と愛と青空は、幸せな人のもの』なのだから.
働き者のルイと、怠け者のエミール、この二人は大の仲良し.ならばこの二人、足して2で割れば幸せになれそう.あるいは、監獄に入ることさえなければ、幸せになれそうに思うのだけど.
真面目に働く労働者が、機械が作ってくれるようになり働かなくてもよくなって、幸せになる物語であり、この二人、そうした労働者に歌を歌ってお金を投げて貰ったのね.

投稿者:マジャール投稿日:2007-01-04 22:48:59
とっても楽しかった。主題歌、いまでも口ずさめます。
(こんなふうにお互い信じあえる友情ってイイですね)
投稿者:ミュジドラ投稿日:2006-06-03 13:10:36
 配給元のトビスは、『モダン・タイムス』が公開された時、この映画の盗作だとしてチャップリンを訴えようとしたと言う。工場のベルトコンベヤーのシーンやラストシーンを観て判断したのだろうが、あまりにも浅薄な行為だ。それを言うならこの映画自体、チャップリン映画を含むサイレント時代のアメリカン・コメディーの影響を深く受けているではないか。クレールはスラップスティックの要素を、金銭欲や名誉欲をしゃれのめすエスプリで味付けして美しい作品に仕上げた。思慮深いクレールは訴訟を取り下げさせたらしいが、当然である。これくらいで盗作だと言われるなら、チャップリンは世界中で訴訟を起こす権利があるだろう。
投稿者:Ikeda投稿日:2003-08-23 09:17:44
クレールの風刺系映画の一つですが、かなりサイレント映画的手法を使っていて、チャップリン風なスクラプスチックな所が多い映画です。特に前半はその感じが強いです。また、刑務所やコンベアー作業などは現代社会批判的ですが、全体的には明るさがあります。特にクレールの映画によく出演しているレイモン・コルディは、ディナーでも自由に飲み食いし、最後にアンリ・マルシャンと二人でケラケラ笑いだすカットなど、その底抜けの明るさの表現が良いです。コルディがマルシャンと再会した時、怪我をして血がしたたると、昔、脱獄するときに同じような事があったのを思い出し、自分のハンカチで手当をしてから、再び意気投合するシーン。また、ラストで二人で投げ銭を分け合う所などは、友情を見事に表現しています。

「自由を我等に」の題名については色々考え方があると思いますが、現代の我々は、お金がないと不自由であることは間違いないけれども、それではお金があれば自由かと言うとそうでもありません。そこまでクレールが考えていたかどうか知りませんが、最後に紙幣が風に舞う所やラストシーンでは「自由」とは何かを考えさせる映画です。評論家、飯島正は「自由をクレールに与えたとも言える」と書いていますが、確かに自由奔放な演出を見ると、そんな気もします。

投稿者:theoria投稿日:2003-05-27 21:01:36
『巴里の屋根の下』でもそうであったように、映像と音楽が仰天する程の有機的結合を実現していて、トーキー初期段階のルネ・クレールの瑞々しい感性の爆発的推進力によってなのか、大変な意欲作となっている。しかもフランス「6人組」の1人として知られるジョルジュ・オーリックが作曲をしている・・・ここのところが本作を不朽の名作たらしめる最大要因となっているとも言えよう。『美女と野獣』『田園交響楽』『恐怖の報酬』『ローマの休日』『悲しみよこんにちは』・・・・等々の有名映画から、殆んど知られていない作品まで、映画音楽を60曲以上も作曲している。勿論、いわゆる“映画音楽作曲家”ではない。反ドビュッシズムをスローガンとして出発し、ひたすら独自に、柔軟な姿勢を大切にしながら“ホンモノ”の芸術の道を歩んだ大作曲家である。パテ社専属の映画音楽作曲家となった『巴里祭』のモーリス・ジョーベールは「巴里恋しや」だけでも練達した音楽語法を用いて魅了するので、別格扱いとしても、今時のそんじょそこらの万人向けスター劇伴コンポーザーなどとオーリックを十把一からげに梱包して混同している奴等が氾濫しているというのは何とも嘆かわしいことだ。しかし、これが世の定め。世界的にもこの様な風潮は否定できないだろうし、ましてや大半の日の丸連中の性分を鑑みれば無理もないというもの。武満徹亡き後、更に絶望感は深まった。まぁ、人は人だから自分には関係ないが。とにかく、本作に於いてオーリックの音楽は、正真正銘の20世紀フランス・オペレッタを標榜している。軽妙にして喜悦に溢れ、情感豊かでユーモア満点。「歌って飲んで恋しよう、自由をわれらに!」などは、現代だって仲間達とビアホールあたりで歌うには最適だろう。「自由とは何か?」などと頭で考えずとも身体で感じられるような音楽であって、これは余りにもフランス的と言わざるを得ない・・・。そんなオーリックを得て、バリバリのパリジャンたるルネ・クレールもさぞ嬉しかったに相違ない。見事な一体化である。映像を骨や肉とするならば、音楽は血液であろう。“生きた映画”という印象を何よりも強く受ける。そもそも、“リベルテ”とは生きていなければ追求できないし、満喫することもできない。本作は資本主義社会に於いて顕著な、人間の自己疎外を単純に風刺しているのではなかろう。そんな息苦しさを吹き飛ばす自由な精神に恵まれたフランス魂が宿るルネ・クレールらしい粋を貫いた傑作だ。エミール(アンリ・マルシャン)とルイ(レイモン・コルディ)の阿吽の呼吸、掛け合いの上手さなどは文句のつけようが無い。英語のヒューマン(人間性)とユーモア(諧謔)の語源が同じであることを「なるほど!」と痛感させてくれる。クレールは素晴らしい。オーリックは素晴らしい。そして何より、フランスという国を心の底から誇りに思って生きていける人々は素晴らしい。誠に羨ましい限りだ。無能力者は辛い。
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
□ 美術(監督)賞Lazare Meerson 
■ 楽しい映画賞ルネ・クレール 
【ソフト】
  商品名  発売日  税抜価格  
 【DVD】自由を我等に2008/06/28\4,800amazon.co.jpへ
 【DVD】自由を我等に2007/05/25\4,800amazon.co.jpへ
 【DVD】ルネ・クレール DVD-BOX 12007/04/28\14,400amazon.co.jpへ
【レンタル】
 【DVD】自由を我等にレンタル有り
 【VIDEO】自由を我等にレンタル有り
【広告】

【スポンサーリンク】



【スポンサーリンク】



allcinema SELECTION

allcinema SELECTION