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処女の泉(1960)

JUNGFRUKALLAN
THE VIRGIN SPRING

メディア映画
上映時間89分
製作国スウェーデン
公開情報劇場公開(昭映)
初公開年月1961/03/18
リバイバル→マジック・アワー-2013.7.20
ジャンルドラマ
イングマール・ベルイマン 黄金期 Blu-ray BOX Part-1
参考価格:¥ 13,608
価格:¥ 12,247
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処女の泉処女の泉処女の泉

【解説】
 16世紀のスウェーデン、片田舎の豪農の一人娘がある日曜日、遠方の教会にロウソクを捧げにいく。お供の養女は、今は邪教となったバイキングの古い信仰に傾倒しており、美しく世間知らずの娘に嫉妬して途中で同行を渋る。先に出発した娘は森で三人組の少年乞食に会い、弁当を振舞うが、その優しさが仇となって殺されてしまう。その後彼らは、豪農の家に一夜の宿を求めるが、娘から奪った衣服に気づいた豪農に報復される。翌朝、娘の殺害現場に出向いた彼は、亡骸を見て泣き崩れる。そして、自分のしたむごい仕打ちを悔やみ、償いとしてこの地に教会を建設すると神に誓う。すると娘の死体の下から、こんこんと泉が溢れ出す……。この上なく美しいバラッドの世界。復讐という概念を乗り越えてこそのキリスト教信仰を、ベルイマンは静謐な映像で問いただすのだ。
<allcinema>
評価
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
426 6.50
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【ユーザーコメント】
投稿者:kuro投稿日:2016-01-22 17:07:30
信仰が無い者にはわからない映画です。
おそらく高い評価がされている映画なのでしょうけど、私には本当につまらない映画でした。
ストーリーは単純。キリスト教以外の信仰を信じている者への罰。また、信仰が表面的だった者への罰。
それだけ。

投稿者:さとせ投稿日:2015-10-12 07:45:59
一人娘のカーリンは召使インゲリと父の命を受けて教会へロウソクを供えに行く。
途中、インゲリと別れ一人で教会へ向かうカーリンは3人の乞食と出会い一緒に食事を取るが強姦の末殺害してしまう。
そのまま娘を待つ父の家へ向かい泊めてもらうが、父はその3人が娘を殺害したのを知り・・・。

その昔、ポニービデオからビデオがリリースされた。
レンタルLDもリリースされていたが、この度HDリマスターでDVD化!画質が素晴らしく良くなっているのが嬉しい。
この後、数々の映画にオマージュを捧げている作品だが復讐を遂げた後の父の後悔と、娘の死骸を発見して泉が噴出するシーンが出色。
投稿者:sachi823投稿日:2014-07-02 17:34:47
昔行ったスウェーデンは森は奥深く、人々は美しく、
他の国とはまるで異なった空気感でした。
そのような国柄から本作品のような深遠なドラマが
醸造されるのでしょうか。
名画座で見たとき、さかんに泉の場面を予告で
流していて、あれは観客に対しての気配りが
足りないと思いました。
投稿者:呑気呆亭投稿日:2014-06-06 18:15:09
若い頃ア−トシアタ−ギルド(ATG)で見た時には、その映像と異常な物語の展開にすっかり圧倒されてしまったのだが、この年になって見直してみると、一人娘を女中を一人付けただけでその日の内には帰れない旅に出してしまった父親の杜撰さと、自家の富に驕る甘ったれでしかない娘カリン、娘を犯し殺した羊飼いたちを怒りにまかせて殺す仕方の残酷さと、腑に落ちない部分ばかりが目に付いてしまったのだった。http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:noir fleak投稿日:2013-01-04 07:51:04
生活の中心だったからといっても、本作の鑑賞に宗教のことなど考える必要な全くない。
1960年当時にはショッキングだったはずのレイプシーン、登場人物の表情の圧倒的な存在感、復讐の場面などの映像が全く斬新なのだ。まるでフィルムノワールのようだ。
投稿者:就活老人投稿日:2011-10-12 11:57:32
北欧の映画で探してます。この映画とは逆の立場ですが、北欧の地にキリスト教が入ってきて、それまでの伝統社会と宗教を暴力的に破壊し出す、それに反抗してキリスト教の教会を焼き討ちにし、伝統的な神は地下に潜る、そんなテーマの映画を2、30年前に見た記憶があり、探してます。ご存じの方は教えてください。
投稿者:bond投稿日:2010-06-23 11:45:02
【ネタバレ注意】

タランティーノに影響与えた、「鮮血の美学」のオリジナル。小賢しい演出なく淡々と撮られてるが、レイプシーンなど生々しく、ヘヴィーで見ごたえあり。敬虔な信者でも、愛娘のために躊躇なく仇討をする。信仰心より復讐心が勝ったのだ。

投稿者:gapper投稿日:2009-11-05 09:35:47
 中世の一般の兵士や庶民の生活が描かれていて、ここは興味深い。中世物では、エル・シドの様に王や貴族の話であって一般の兵士の話は始めてである。
マイクロソフトのゲームなどでは、一般的で木の実を取ったり、旅人が来たりするのだが・・・この物語、なぜ中世なのだろう?神だ愛だといっても、それはキリスト教の話であろう。
キリスト教徒でない人間には、共感できなくて当然と思う。むしろ、共感するということの方がおかしいとするのが理論的であると思う。

 この映画では、校倉造のログハウスと共に森林の俯瞰カットが出てくるが、これはすばらしい。スウェーデンならではだろう。
ただ、今でも同じカットが取れるかどうか。そして、ラストの泉のシーン。これも、何故真下から涌くようにしなかったのだろう。
あれでは、ただ単に堰き止めていたものが流れ出しただけの様に思えてしまう。
投稿者:にゃんにゃん投稿日:2008-03-06 15:52:28
【ネタバレ注意】

この作品は初めて見たのだが、思ってたよりずっと生々しい描写で驚いた。
娘が殺されるシーンはなんともいえないインパクトがある。この映画の最大の見所になるであろう。あの現場にいたらトラウマになりそうだ。

しかし、映画全体を見てみると納得いかないシーンが多い。
ところどころの漫画的な描写はまぁ目をつぶるとして、後半の復讐する一連のシーンはちょっとあっけなさすぎないだろうか。厳格な父親が人殺しという行為をするのだから、木を倒したり入浴したりするより、平常心を完全に失ったかのような表現がなされるべきだと思う。この辺りは不自然に感じる。

私が脚色するとしたら、先に娘の遺体を父親に見せる。娘が殺されたと知っても実際に遺体を見ないと信じがたいだろう。遺体も確認せず復讐はちょっとね・・。自分だったら、奴らを殺すより先に娘のところへ走る。


そしてラスト。
この展開は好きじゃない。殺人を犯して許しを請う。私はこのような宗教の使い方が最も嫌いだ。それを批判する映画かと思っていたのだが、違うのか・・・?泉が湧き出て終わりとはなんとも・・・。
「神に許しを請うが返答はなされず、自分も同じ人殺しに成り下がってしまったことに気づくのだった」という終わりだったら個人的には拍手だった。

好みの問題もあるが、不自然な感情の流れと、いかにもな演出が納得いかない映画だった。

投稿者:Ikeda投稿日:2007-12-31 12:00:24
カメラが綺麗ですが、非常に宗教色が強く、それも北欧の荒涼とした地方の話ですから私には、あまりなじめない作品でした。
最初に養女インゲリ(グンネル・リンドブロム)がオーディンの神に祈るシーンがありますが、この神は北欧神話の最高神だそうです。所々に鴉がクローズアップされるのもこの神に関係あるようですが、北欧神話を知らないので、その実感が湧きませんでした。
娘カーリン(ビルギッタ・ペッテション)を大事にする父親テーレ(マックス・フォン・シドー)、甘やかし過ぎる母親マレタ(ビルギッタ・ヴァルベルイ)だが、養女インゲリ(グンネル・リンドブロム)はメイドのように使っているという設定も異常な感じです。これではインゲリがカーリンを恨むのは当たり前だと思います。
その後の展開もオーディンとキリストとの戦いかとも考えたくなります。人間の弱さを表現しているのは良く解りますが、最後も教会を建てれば贖罪されるというのも物質社会の弱さを感じました。
投稿者:黒津 明二郎投稿日:2007-12-22 15:31:26
北の大地で展開される、復讐と贖罪の寓話。
ベルイマンお得意の演劇的な演出には閉口させられるが、殺害シーンやその前での‘お清め‘シーンなどは迫力があっていい。もちろん、ニクベストの寒々とした映像もさすがだ。
演技陣。シドーはこうしたワイルドな役柄より「エクソシスト」みたいな優しい感じの寂寥感ある役の方が好き。他にペテルスンが熱演している。
投稿者:irony投稿日:2007-12-07 19:11:07
 まんまネタばれじゃん…。自らの行為を誰かに、何かに赦して欲しい なんて都合がよろしい 己を許せなきゃ(ホントは赦して欲しいのが本音 誰だって死にたかないし)自ら裁けと言いたいけど、それが出来ないのが人間かと…。妬み 嫉妬 憤怒と人間らしい負の感情が見れて興味深い作品でした
投稿者:Jean-Claude Marais投稿日:2007-12-06 03:56:25
北欧の荒涼とした地を舞台に、限られた時間のなかで、神と人間との対話をベースに、ベルイマンは鋭い人間観察の中で、市井の人々の日常を描いて見せてくれる。
夜明けにはじまり、また夜明けに終わるこの作品の根底には、中世ヨーロッパの民間伝承信仰がしっかりと映し出されているからこそ、愛と性の不毛、神の不在という主題は平凡な日常を飛び越えて、強姦と復讐といったテーマで大団円を迎えるのだ。烈火の如く爆発する感情も、抑制されたなかで禁欲的なまでにおさまっている。
ストーリーはベルイマンの手によるものではなく、至ってシンプルである。哲学的要素も見当たらない。許しそのものが最大の命題であって、それ以上でも以下でもない。
信仰の名の下だけに人は生きられない。しかし、また“現代人など存在しない”と「野いちご」でも語っているように、宗教そのものの概念をも問いただす彼の真摯な姿勢を見受けることが出来るのだ。
悪魔の神に魂を売ることが罪であれども、それをも許すことが、信仰の道であると説く。
劇中での緊迫感と感情の鬩ぎ合いは、不用意な音を排除することによって、より生々しいものとなり、スヴェン・ニクヴィストが捉えるアングルが美しいということは、観れば言うまでもない。黒澤の「羅生門」からインスピレーションを受けて居るのであろうと推察されるシーンも多々あるが、あくまで、これはベルイマンの作品でしかない。
映画では神との対話をやめないマックス・フォン・シドウに「それなしに生きてはいけない」と語らせる。それさえも奪われたとき、果たして彼らに生きる術があるのであろうか?と言った、宗教的悲劇が重なり合う。そして彼は自らの手で、協会を建てる事を誓う事によって、罪の償いを、神の許しを請うのである。
娘の亡骸を抱えたとき、やがて湧き出、処女の泉は「神」がより身近で、生活に密着したものであることの、まさに存在の証に他ならない。インゲリがすくうその湧き出た水の恵が、ベルイマンの肯定的な創作の現われであることに、この作品の大きな意義がある。

投稿者:8397MT投稿日:2007-10-29 23:04:44
いろいろとわからないこともあったがおもしろかった。
「奇跡」に似てるなと思った。そうでもないかもしらんが。

かなりわかりやすいし、西部劇みたいにハラハラすると思う。
ところどころに宗教的な象徴があるようだったが、無知なのでよくわからない。
「ある結婚の風景」だったか変な子供が出ていて、主人公夫婦よりも目立っていたような記憶がある。この映画にでてくる子供もいいキャラだなと思った。
食べるものを吐き出してしまうところが、印象的だった。大人にとっては当然快楽的な食欲を満たすような行為ももとは苦痛だったのだと思った。

いじわるな女の殺される女の子への妬みとか、暗い部分が自然に描けているのがいいなと思った。
最後は処女の泉で女の罪が洗われるということだろうか。
投稿者:マジャール投稿日:2007-04-26 02:41:03
中世(?)北欧の宗教的バラッドに基づいて映画化したベルイマン監督作品。
古い時代の民衆に広く流布した信仰伝承を映画化したという点では、溝口健二の『山椒太夫』と双璧を成す作品だと思います。
『山椒太夫』が平安時代を旅する映像体験だとすれば、『処女の泉』は、16世紀の北欧社会・自然・人々の暮らしが垣間見られる。
これもまた映画の魅力。(神の奇跡も体感出来ます)
エリク・ノルドグレンの音楽が素晴らしい。


(実はベルイマンの映画ってそんなに観てません。機会があれば他のも観たいな・・)
投稿者:さち投稿日:2007-03-19 10:58:49
示唆。
言葉に寄ることが出来ないのならば、表情がある。手の動きがある。
神への恨みと喜び。それが同時に存在することが信仰だ。オーディンが彼らに乗り移った!もしそれが本当ならば、私は神を殺そうとしている。ニーチェである。言葉によることが不可能ならば、目がある、口がある、皮膚がある。この世界を説明するのに言葉だけでは不可能である。そして彼らは信仰を作った。大きな心残りは、私が13世紀のスウェーデン人でないということ。
投稿者:hendrix投稿日:2006-09-26 20:37:47
この映画はけしてベルイマンの名作ではなく、数多くの問題作の1つとして語られるべきだろう。黒澤の羅生門によってインスピレーションを受けた作品の一つとして有名だが、それを宗教的な問題と絡ませている。
例えば強姦される直前の彼らの恐ろしい表情や、それを妊婦が見ているシーン(木こり)などが一番羅生門の影響を受けているシークエンスだろう。 
それとローアングルからのショットなんかも木こりの冒頭シーンと同じだ。

ベルイマンはブレッソンのような冷徹さとドライヤーのような高貴な雰囲気を持っている中間の監督だと思う。緊張感を持続するためにブレッソンのように音(オーケストラ)を入れていない。それが食卓の息の詰まるような人間観察の鬩ぎ合いを素晴らしく捉えられている。ただもう少しで生まれそうな妊婦をお供にするのはどうかと思うが・・・それじゃないとストーリーが成り立たないのもわかるが、仮に妊娠していなくても良かったのではないか?それか男をお供にしてその男も3人に殺される設定とかでも良かったね。それとラストシーンも羅生門同様ややくどい。
結局あの場所に泉が湧いてほしかったのか・・・
投稿者:Bava44投稿日:2006-08-25 03:29:12
【ネタバレ注意】

上の解説にも「バラッド」と書いてあるように、本作はスウェーデンの民間伝承を元に作られている。
それが本作の主旨であり、そこを押さえないと本作の見方を誤ってしまう。
日本でいえば鶴の恩返しのような昔話や、泉鏡花の高野聖みたいなものだと思う。西洋では赤頭巾だろう。
(男の愚かさを描いているのが多いな・・・。)

ベルイマン監督は徹底的に哲学的であるという偏見で本作を見るから、『泉を湧かせるなんて安易な神だ』
とか的外れな考えを持つことになるのだ。
素朴な民衆が何となく納得するようなストーリーを客観的に描いているのが本作である。
しかし、養女のインゲリが泉の水を触るラストは(肯定的な)創作を感じる。

カメラのスヴェン・ニクヴィストは特に移動撮影が良かった。
オーディンの神様は邪教ですか(笑)ヴァイキングが泣くよ!

投稿者:オミちゃん投稿日:2006-06-24 19:42:10
娘の仇討ちのために斎戒沐浴して望み、娘を殺した敵の兄弟を殺す。末弟はまだ年端もゆかぬ子供。援けを求めて思わずわが妻の懐に飛び込む。妻も思わず抱きかかえる。一瞬躊躇するが子供を妻から引き剥がし投げ殺す。私も、きっとそうするでしょう。そして激しく後悔するでしょう。
投稿者:NYY投稿日:2005-05-12 10:16:27
【ネタバレ注意】

「何で神はこんな無残を許されたのだー」って、それは神だから。
もし、神が存在しないならば当然沈黙するし、神が存在したとし
てもやはり沈黙する。
なぜなら、一神教のエライ神様が、たかが人間の言うことなどを
聞くはずが無いから。
 
ラストの水だか温泉だかが沸いてくるシーンは疑問。
ここに教会を建ててやると言ったら温泉を沸かしちゃう神っての
も安っぽい存在ですね。
神には徹底的に沈黙して欲しかった。まったく中途半端なことを
する神だなあ〜・・・
 

投稿者:ルミちゃん投稿日:2002-04-14 03:18:15
【ネタバレ注意】

順序は逆ですが、まずカーリンを殺した兄弟から.彼らは単に悪い、誰がどう考えても悪いやつらということで考えるものはない.けれども一番下の子供は、何も悪くなかった.彼には罪はありません.

インゲリ.彼女はカーリンを憎んでいました.これは彼女自身がそう言っていることです.憎しみと罪の絡みで考えてみると、彼女の罪はカーリンが襲われるのを見ていながら、憎しみから救うのを躊躇ったことにあります.これも、彼女自身が父親に告白することであり、描かれたとおりと言えます.
そして、この点で付け加えれば、彼女はカーリンに不幸が訪れるように、悪魔か何かに祈ったみたいですが、まともな人ならその所為でカーリンが強姦に襲われたとは考えないはず.当たり前のことですが宗教は関係ありません.いくら憎い相手であっても、襲われ殺されるのを、観てみぬ振りをしたのは許されない.インゲリの、憎しみと罪の絡みは、これでよいでしょうか.

父親.法治国家では復讐は許されない事かもしれませんが、時代背景は犯罪者を裁く法律その他が整っていない頃の事、法治国家ではないのですから、復讐という行為が良い事か悪いことか、この点は考えないことにします.カーリンを殺した兄弟二人は、この場合復讐によって殺されても仕方がないとしておきます.書き加えれば、父親は兄弟二人に対して一人で立ち向かった.身を清め彼自身が死ぬ覚悟で立ち向かったと考えて良く、卑怯なものは何もありません.
問題は一番下の幼い子供まで殺してしまったことにあります.食事中の様子とか、上の二人からこの子が殴られていた事とかから、皆にもこの子に罪がないのは分かったはずであり、事実、母親はこの子をかばいました.なのに父親は衝動的にこの子まで投げ殺してしまったのです.この行為は復讐ではなく、単に憎しみの所為に他なりません.憎しみから罪のないものを殺してしまった、ここに罪があると言えます.

信仰と罪.
インゲリはカーリンに不幸が訪れるように悪魔に祈りましたが、決してその所為であの兄弟に襲われ殺されたのでなく、父親もそんな事は分かっているから、インゲリの告白を聞いてそれ以上に責めることはありませんでした.神様に(悪魔に)お願いしても現実に罪を犯すことはできません.(人の不幸を願うことは心の中であってもいけないことですが)
インゲリは悪魔に祈って罪を犯したのではなく、襲われるカーリンを憎しみから見殺しにしたことに罪があり、そしてその罪は「自分が悪い.あの兄弟は悪くはない」と父親に告白することによって、許されるものがあったと思われます.

さて、父親の場合は.非常に信神深い一家でなのですが、彼は殺人を犯しました.憎しみから罪を犯したのは、インゲリも父親も、違いはありません.そしてインゲリが信仰心で罪を犯したのでないのと同様に、信仰深い父親ではあるのですが、信仰によって罪が許されることはないと言えます.
そして、その事は父親自身が一番よく解っている事であり、もし、父親が神に祈って許されるならば、インゲリは悪魔に祈れば許されることになる.インゲリは自分に罪を告白したからこそ許された.では、一体自分はどうしたら良いのか、だから天に向かって(神に向かって)「私には分からない」と言うのね.

【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
■ 外国語映画賞 
 □ 衣装デザイン賞(白黒)Marik Vos 
■ FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞イングマール・ベルイマン 
 ■ 特別賞イングマール・ベルイマン 
■ 外国映画賞(外国語) 
【ソフト】
【レンタル】
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