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青春群像(1953)

I VITELLONI
THE YOUNG AND THE PASSIONATE [米]
THE LOAFERS [英]

メディア映画
上映時間116分
製作国イタリア/フランス
公開情報劇場公開(新外映)
初公開年月1959/05/30
ジャンル青春/ドラマ
青春群像【デジタル・リマスター版】 [DVD]
参考価格:¥ 1,944
価格:¥ 1,944
USED価格:¥ 535
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【解説】
 「アマルコルド」でもおなじみ、フェリーニが育った北イタリアの港町リミニを舞台とした邦題通りの青春映画で、全体にネオ・レアリズモの感覚が息づく中、フェリーニ特有の夢にまどろむような詩的なタッチがすでに見受けられる。主人公レオポルドは劇作家を志す青年だが、向いの女中に気もそぞろ。彼を取り巻く連中はいずれも、未だ親や兄弟から自立できない甘えん坊のぐうたらばかり(原題には“乳離れしない仔牛”の意があり、のらくら青年を表すリミニの方言だそうだ)。不倫の恋に苦悩する心中を知ってか知らずか、そんな姉に小遣いをせびり続けるアルベルト。妊娠させた相手と結婚する破目になっても女遊びをやめないフランコ。唄がうまいだけが取り柄のリカルド。怠惰な生活から抜け出すことを切望するモラルドだけは唯一まともであった……。誰の胸にもある、絶望の滲む青春の郷愁を思いっきりくすぐる感傷的な秀作。
<allcinema>
評価
【関連作品】
フェリーニのアマルコルド(1974)
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
434 8.50
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【ユーザーコメント】
投稿者:HABBY投稿日:2016-09-30 21:24:54
【ネタバレ注意】

1953年というと小津安二郎の『東京物語』が公開された年でもあるわけで、敗戦の痛手を乗り越え汗をかきつつ労働し、再び日常を楽しむ余裕が戻りつつある当時の人間の生き様、風俗が垣間見られるという点で本作は歴史の教科書的な位置づけも可能であろう。

若者の特権である将来への漠とした不安、大いなる可能性、そして(少々変則的な)恋模様とを幻想的に描く。フェリーニ特有の、出口のないおとぎの国に迷い込んだような空気もこの時点でその萌芽が散見されるのが興味深い。この寂しげな風の音、霞みがかった色合い、まさに彼特有の世界だ。

イタリア作品特有のユーモラスなシーンもいくつか。戦後イタリアで最も重要な人気コメディアン、アルベルト・ソルディのデビュー作であることも影響しているのだろう。

フェリーニ作品を全部網羅的にチェックできているわけではないが、個人的に強く印象に残っている『道』の前の作品を覗けただけで意義があった。

投稿者:Stingr@y投稿日:2015-11-09 21:47:17
特にコメントしなくてもいいのだが、ここの「解説」に、どこで仕入れた情報かは知らないが、「原題には“乳離れしない仔牛”の意があり、のらくら青年を表すリミニの方言だそうだ」とあるので、一応異論を述べておこう。以降、説明は単数形。

“仔牛”をイタリア語に訳すと、通常“vitello”が出てくる。“vitello”とは、正確には、12ヶ月未満、重さ250キロ未満の牡ウシ。さて、“vitellone”とは、12ヶ月以上18ヶ月未満の牡ウシ。ウシは6〜12ヶ月で性成熟するので、要するに“性成熟した若い牡ウシ”のこと。仔牛というより若牛であって、人間でいえば、少年〜思春期というより若者のことで、ここの「解説」にあるような“乳飲み子”ではない。(※1)

では、“性成熟した若い牡ウシ”から何を連想するか? 米題は“The Young and the Passionate”で、直訳は“若さと激情”。英題は“The Loafers”で、直訳は“怠け者”。これらとは別に、“il vitellone”に対して“a self-indulgent young man”という英訳があった。直訳は“放埓(らつ)な若者”で米題に近い。私は本作に“怠け者”のイメージはなく、若者たちが居場所を見つけようとあがいているように思える。日本にも『若者たち (1967)』という作品があるが、悲しいことに、社会派兄弟痴話喧嘩を描いただけのコメディ作品だ。

サンドラを探すうちに、短時間でやつれるファウスト。しかし、自分が浮気をしたことを棚に上げて、「二度と家出をするな」とサンドラをなじる。相変わらず、先行きが不安なこの2人。最後は、リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』へのオマージュ(?)から、旅立つモラルドを見送る少年グイドのシーン。彼こそ“vitello”であり、この町で一生を送るのか、旅立つのか…、余韻を残しながらFINE。

(※1)“vitellone”は“vitello”を含むとする解釈もある。時代や地方によって定義が統一されていなかったのも確かなようだが、本作では上記の解釈が納得いく。いずれにせよ“乳飲み子”ではない。
投稿者:黒美君彦投稿日:2015-11-02 18:59:55
【ネタバレ注意】

F・フェリーニの故郷リミニを舞台にした若者たちの生態(実際のロケはローマ郊外のオスティア海岸で行われたらしい)。
悪ふざけに時間を費やす季節は過ぎ、否応なく「大人」としての振る舞いを身につけなくてはならない年代。
フェリーニの自伝的な色彩が濃いとも評される作品だが、そこにあるのは普遍的な若者たちの狂騒と現実の苦味だ。

女癖の悪いファウスト(フランコ・ファブリッツィ)は真面目なモラルド(フランコ・インテルレンジ)の妹サンドラ(レオノーラ・ルッフォ)を妊娠させた責任を取って結婚させられ、義父の友人が経営する高級雑貨店で働き始めるが、経営者の妻ジュリア(リダ・バーロヴァ)に迫ったことがバレてクビになる。「主人の妻に言い寄られた挙句突然クビにされた」とウソをつくファウストを信じたモラルドは、ふたりで店の天使像を盗み出す。その後も浮気をやめないファウストに、サンドラはついに家出。ファウストは必死でサンドラを捜す…。
と、ストーリーはどうしようもない女たらしのファウストを軸に展開するが、劇作家志望のレオポルド(レオポルド・トリエステ)が老優に誘われて夜の海に同行し、恐らく彼がゲイであることに気づいて走って逃げるシーンなど、他の人物もそれぞれ青春に惑っている。
原題は「のらくら者たち」という意味だそうだが、ラストではモラルドが列車で町を離れるシーンで終わる。
それはとりもなおさず青春の終焉を意味しているのだが、その列車を駅で働く少年が名残惜しそうに追うシーンは美しいが故にやや浮いている感がある。このシーンだけ撮りたいから撮った、みたいな。

男たちは貧しいがなぜかみなカッコいい。冬の海をふらふら歩く群像が実に印象的。フェリーニの初期の傑作といっていいと思う。ニーノ・ロータの音楽もやっぱりいい。

投稿者:uptail投稿日:2013-11-07 10:28:27
フェデリコ・フェリーニ
投稿者:スティン・グレー投稿日:2011-05-21 06:06:27
【ネタバレ注意】

女の尻を追ったり、無目的な放埒な日々を送りながらも男どもだけで、海辺に立ってボーってしていられるときがある。人生には誰もそういう瞬間があって、それは泡のように消えてしまうから、この映画のように断片のエピソードでしか、人生は繋がらない。フェリーニの映画的カタルシスはカーニバルの馬鹿騒ぎの場面で最高頂となるが、このシーン以外にも、のちのフェリーニ作品へとつながる映画文法は随所に見いだすことができる(浜辺を歩く僧の列や天使像を浜辺に立てるシーンなど)。ラストのモラルドの旅立ちは映画を映画たらしめようした蛇足。でも、このシーンでモラルドの友人や家族の部屋を「旅立つ」ようにカメラがパンしていくところは素晴らしく、こういう映像を撮りたいがために「旅立ち」なんていう凡庸な終幕をつけたとしか思えない。

投稿者:Ikeda投稿日:2010-04-26 10:38:11
この映画と同じ時期に作られたフランスの「洪水の前」と同じようなコンセプションの映画ですが、イタリアは敗戦国であるのに大分楽天的な所があって、国民性が表れていて面白く感じました。特にファウスト(フランコ・ファブリッツィ)の女たらし振りが強調されていますが、少々心境の変化が激しすぎる感じはあります。監督フェデリコ・フェリーニの年子の弟リカルドも出演していますが、彼は唄うために出ているだけの感じで、むしろモラルド(フランコ・インテルレンギ)と子供グイド(グイド・マルトゥフイ)とのふれ合いに、なごやかさを感じました。
レオポルド(レオポルド・トリエステ)が劇場の座長セルジオ(アシール・マヘローニ)にからかわれるシーケンスも面白いですが、個人的には仲間がセルジオに会った時、アメリカの煙草は強いからと国産品を勧めるのに興味をもちました。それは私が1970年頃ニューヨークの空港でアメリカ人に煙草を1本くれと言われて日本の煙草を出した所、日本の煙草は強いから結構ですと断られた事があるからです。
投稿者:ロビーJ投稿日:2007-05-04 22:42:50
フェデリコ・フェリーニのファンとしてはあまり楽しめなかった作品。フェリーニらしい不思議な世界がなく、俳優にも魅力を感じなかった。青春群像劇としても普通です。とにかく一度見れば十分な映画です。
投稿者:さち投稿日:2004-09-19 03:06:02
フェリーニ作品とは思えない感じが逆に良かったかも
投稿者:活動投稿日:2004-05-15 15:43:09
フェリーニの映画はやや難解な印象があるが、この映画はストレートで個人的にはかなり好き。主演女優がすごく可愛いいし、不良仲間が各々生き生き描かれていて、ストーリーもテンポが良く文句なし最良の一本
投稿者:ルミちゃん投稿日:2002-01-11 19:07:11
【ネタバレ注意】

原題がのらくら、その通りの映画としか言い様がないみたい.私に言わせれば、出てくる者たち皆馬鹿、フェリーニ流に馬鹿を描くとこうなると言うべきか.
結論を先に書けば、その中で唯一人、自身の人生に悩み抜いたモラルドは、馬鹿な仲間のなかにいてはいけないと悟って、一人旅立つ事にする.この映画、ただそれだけの映画だと想う.

言葉を一つ、映画の中から拾い出してみましょう.モラルドが夜道を徘徊しているとき出会った駅員の少年に「満足しているか」、と聞くのですが.
満足を辞書で引くと、望みが満たされて不平のないこと.出てくる者達、皆、望みが満たされることのない者達ばかり、というより、満たされることのない望みばかりを追いかけている、こう言わなければならないのでは.その典型がファウスト、街一番の美女サンドラと結婚しながらも、次から次へと新たな女を追い求めている.いったいどの様な女性が彼の望みを満たすのか、と言わなければなりません.

すべての者達が空虚なものばかり追い求めている.それが青春、と言ってしまえばそれまで、そこから得るものは何も無い、何も無いものを描いた映画ということになります.

妻が乳飲み子を連れて家出するまで、自分にとって何が大切か分からないような人間では、いかんともしがたいと言えます.
車の上から「労働者階級の諸君」と、道路工事の人夫を馬鹿にする.すぐに車が故障して、人夫たちに追い回されるはめに.全員、どうしようもない馬鹿ばかりと、フェリーニは言い放っているのでは.(この人達は死ぬまでこのまま変わらないだろう)

あえて書き加えれば、アルベルトは姉の不倫の結婚に腹を立てているが、彼の様に他人の恋愛で悩んでも何も得るものはない.それに対して、モラルドは自身の人生に悩んだのは先に書いたとおりであり、青春の空虚な想い、それを満たすには自身の人生に悩む必要がある、こう言って良いのでしょうか.

モラルドの旅立ちは当てのないもの.友人関係、ファウストと結婚した妹の人生、あるいは家族とか、そうした他人に惑わされることなく、自分自身を見つけるために、唯一人旅立ったのですね.

投稿者:タルチュフ投稿日:2001-07-16 01:47:17
変態ぽくなくて実に良い。
心の底に浅い霧のかかったような、切ない青春群像。
【ソフト】
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