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風の中の牝鷄(1948)

メディア映画
上映時間84分
製作国日本
初公開年月1948/09/17
ジャンルドラマ
小津安二郎 DVDコンプリートボックス
参考価格:¥ 70,200
価格:¥ 59,850
USED価格:¥ 50,000
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【クレジット】
監督:小津安二郎
製作:久保光三
脚本:斎藤良輔
小津安二郎
撮影:厚田雄春
美術:浜田辰雄
衣裳:斎藤耐三
編集:浜村義康
音楽:伊藤宣二
出演:佐野周二雨宮修一
田中絹代時子
村田知英子井田秋子
笠智衆佐竹和一郎
坂本武酒井彦三
高松栄子つね
水上令子野間織江
文谷千代子小野田房子
長尾敏之助医師
中川健三巡査
岡村文子女将
清水一郎古川
三井弘次男A
千代木国男男B
谷よしの看護婦A
泉啓子看護婦B
中山さかえ看護婦C
中川秀人時子の息子浩
長船フジヨ彦三の娘あや子
青木放屁彦三の息子正一
【解説】
 小津安二郎が斎藤良輔とともに書いた脚本を監督し映画化。主演に佐野周二と田中絹代を迎え、戦争により危機に陥る夫婦の姿を描いた。田中絹代の「階段」のシーンが強い印象を残す。
 夫を戦地へ送り出した時子は、苦しいながらも子供と二人で生活していた。時子は友人の秋子に着物を預け、同じアパートに住む織江に買ってもらうことで生計を立てていた。ある日、息子の浩が病気になり入院してしまう。治療で浩は回復するが、時子には治療費を払うことができない。織江に相談した時子は、一夜だけ体を売ることで収入を得てしまう。浩は無事に退院するが、数日後、夫の修一が突然帰ってきた。修一は浩の入院を知り、その治療費について時子に問い詰める。
<allcinema>
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
1065 6.50
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【ユーザーコメント】
投稿者:68生男投稿日:2018-07-07 15:07:21
レビューなど、あまりべた褒めしてあると、引いてしまうものだが、この作品については、自分もそうせずにいられない。見るたびに、「いま完全なものを見ている」という感じがしてきて、気が遠くなる。
小津監督は、失敗作と言っているそうだが、そうは思わない。小津映画としては失敗なのかもしれないが、芸術として成功しているように思える。小津作品は、映画としては成功していても、芸術としては、失敗しているように見えることが多い。「軽(かろ)み」がないということだ。

よく話題になる、階段の上から見下ろしているシーンだが、一目見て腕が変な方に曲がっていたり、血が噴き出したりしているのでなければ、あの成り行きでは駆け寄ったりすることはまずない。ほとんどの人がああいう暴力には無縁なのだろうから、違和感を感じるかもしれないが、あの場面の描写は実に素晴らしいと思った。素晴らしいというなら全編素晴らしい。特には、やはり田中絹代の演技には神来の感がするほどで、場面場面、百ぺん繰り返しても感興が尽きない。脚本も、心根が澄んでいて美しく、各人物の言動にも疑わしいところはない。さもありなんしさもあれという具合、程が良い。すべての登場人物が、不完全さを曝しているのに、汚らしいところがない。欠点と美点が、一人一人の中にも、物語の中にも、自然な混流をなしていて、人間というものの愛すべき真相が、奥ゆかしくも溢れているように見える。

どこかしら憎らしい感じのする小津監督であるが、第一人者であることを、心底認めざるを得ない。お礼も言いたい。
投稿者:uptail投稿日:2012-02-06 09:35:13
演出:8
演技:7
脚本:7
音響:6
投稿者:篭瀬山投稿日:2006-11-19 23:00:39
 『父ありき』のラスト、佐野周二が水戸光子を連れて秋田へ戻る列車のシーンで、当初は「海ゆかば」がかかっていたという説がある。徴兵検査に甲種合格し、頭を丸めた佐野は、時局柄、じきに出征ということになったであろう背景を踏まえ、壮行の意を込めたということだろう。終戦後3年を経て佐野が復員する物語を描いたこの作品は、むろん細かな人物設定は異なるが、『父〜』の続編と見なすことも可能である。『父〜』では佐野の父だった笠智衆が、ここでは佐野の勤める会社の同僚となっているという、シュールな世界認識を味わえるが。

 この二つの映画の間には、現実に戦争が存在した。佐野の顔つきにも、笠の顔つきにも、それなりの年輪が感じられるのは当然のこととして、『風の中の牝鶏』にはもはや、父の威厳も、息子の純真も存在しないということに、われわれは気づかざるを得ない。もちろんどちらも映画という名の虚構だが、前者が無理からにでも美しく人間関係をまとめていたのだとすると、後者は、バラバラになった人間たちが、まとめ様もなくバラバラのまま描かれている。小津としては、そんな中にも前向きな希望を見出せるような結末をつけたのだろう。前作『長屋紳士録』よりは小津らしい落ち着きを取り戻してはいるが、本来の小津らしからぬ主観的な主張が込められた作品であると言えるだろう。言うまでもなく、これが戦争の小津に落とした影なのだ。

 基本的に古い時代の価値観、人間観に貫かれているものの、その大部分は理解できる。わからんのは、あのように激しく階段落ちした人間は、本人がどう言おうとまずは医者に見せる必要があると思うのだが・・・。昔の人の肉体って頑強だったのかしらん。6
投稿者:Katsumi_Egi投稿日:2004-06-20 07:23:07
 本作も「小津らしくない」とよく云われる作品で、小津自身も失敗作だと認めているのだが、勿論決して悪くない。確かに序盤の展開は少々性急で、特に田中絹代が「事の次第」を夫・佐野周二へ打ち明けることになる話の運びの呆気なさには唖然とした。しかしこれも小津らしい潔さと云えなくもない。ラスト近くの田中絹代の階段落ちから続くシーンが最も良いシーンだろうが、中盤の佐野周二と娼婦との原っぱでのやりとりが忘れがたい。小津は原っぱ好きだ。
 田中絹代はこの映画と同年(1948年)の溝口健二『夜の女たち』でも夫の復員を待ちながら身を持ち崩す女を演じていて興味深い。両者を比べると溝口の描きぶりの冷徹さが際立つだろう。小津の数倍は厳しい。
投稿者:Ikeda投稿日:2004-03-27 18:24:14
戦後の復員は何時になるか全く解らず、それによる悲劇も随分あったようですが、この映画もそれを題材にしています。それにしても、いくら子供のためとは言いながら、体を売るのは少し安易すぎる感じです。まともな家庭に育った人であれば考え難いことで、当時の女性の中には、反感を持った人も多いと思います。小津監督が後に、この映画は失敗作だと言ったと聞きましたが、この辺にその理由がありそうです。映画としては田中絹代の熱演が光ります。特に階段から転げ落ちるシーンが凄いです。マネキンを使ったのかも知れませんが、見事な撮影です。なお、小学校の校庭が出てきますが、このロケーション地が月島小学校だとしても、この小学校は、現在、別の所に移転してしまいました。
投稿者:parole投稿日:2003-12-08 02:08:43
【ネタバレ注意】

小津の映画にあっては本来映されない階段が正面から撮られていたり、
その階段をヒロインが逆さに転がり落ち、そのシーンを
同じく初期の作品を除いてはあり得ないとされている仰角や俯瞰のアングルで撮影していたり、
さらにはこうした物々しさが必要とされることが納得できてしまうような、
重く沈鬱な設定やストーリーで有名な映画ですが、
個人的にはこれら以上に、
注番で子供が死の境を迷う時に田中絹代が子供の無事を祈って握りしめる手と、
ラストの和解のシーンにおいてやはり田中絹代が
佐野周二の背中に回した両手を近づけて握りしめる手とのコントラストに、
衝撃と言ってよいほどの感動を覚えました。
そして、ビール瓶も。

本当に小津安二郎の映画は豊かだ。

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