allcinema ONLINE オールシネマ 映画&DVDデータベース
検索オプション

虎の尾を踏む男達(1945)

メディア映画
上映時間59分
製作国日本
公開情報劇場公開(東宝)
初公開年月1952/04/24
ジャンル時代劇/ドラマ
黒澤明監督作品 AKIRA KUROSAWA THE MASTERWORKS Blu-ray CollectionI(7枚組)
参考価格:¥ 29,800
価格:¥ 22,673
USED価格:¥ 20,159
amazon.co.jpへ

【クレジット】
監督:黒澤明
製作:伊藤基彦
脚本:黒澤明
撮影:伊藤武夫
美術:久保一雄
編集:後藤敏男
音楽:服部正
出演:大河内伝次郎弁慶
藤田進富樫
榎本健一強力
森雅之亀井
志村喬片岡
河野秋武伊勢
小杉義男駿河
横尾泥海男常陸坊
仁科周芳義経
久松保夫梶原の使者
清川荘司富樫の使者
【解説】
 能の『安宅』を歌舞伎にアレンジした『勧進帳』を基に巨匠・黒澤明監督が豪華配役陣で映画化した傑作。終戦直後に完成しながら検閲の関係で永らく未公開となり、1952年にようやく劇場公開された。兄の将軍源頼朝に追われる身となった義経は、山伏姿に変装して弁慶らと共に唯一の理解者、奥州の藤原秀衡のもとへ向かう。が、途中の安宅(あたか)の関所では関守・富樫左衛門が山伏姿に身をやつした義経一行を待ち構えていたのだった。そのことを麓の村で雇ったおしゃべりな強力(ごうりき)から知らされた一行は、弁慶の計略で義経を強力姿にすることで穏便に関所越えを目指すのだったが……。大河内伝次郎演じる威風堂々の弁慶と軽佻浮薄なエノケン強力の対比の妙。息詰まる関所での問答とその後の晴れやかでいて物哀しいエピローグ。監督黒澤明の緩急自在の演出が堪能できるなんとも中身の濃い中編。
<allcinema>
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
1083 8.30
下記フォームからあなたのこの作品に対する採点を投票してください。
メールアドレス年齢性別
評価 (低い←→高い)
12345678910
【ユーザーコメント】
投稿者:呑気呆亭投稿日:2012-10-22 10:53:01
黒澤のこの映画での手柄はエノケンを狂言回しに使ったことにある。エノケンが出ていなければこの映画も黒澤明のクドサによって凡庸な作になってしまったことだろう。弁慶の大河内伝次郎の台詞回しは相変わらず聴き取りにくく、森も志村も精彩がなくて、唯一藤田進に軽妙な味があってエノケンとの対比の妙があった。初期の黒澤の作品「姿三四郎」等にはギャグへの指向があったが、巨匠になってしまってからは、このエノケンの起用のような軽さがなくなってしまったのが残念である。http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:緑茶投稿日:2008-10-05 23:46:52
ずいぶん短い映画でさっぱりしてるなと思ったら黒澤のキャリアでも初期の頃の作品だった。戦時中というのもあったかもしれないが。換骨奪胎とはこのことというか単純明快でいい。弁慶を演じる大河内伝次郎の知的な迫力が素晴らしかった。エノケンをまともに観たのもこれが初めてだったが飄々としてとてもうまいと思った。このエノケンと大河内の対比よりも関守の藤田進が歌舞伎調の大河内と反対にごく普通のセリフまわしで、こちらのほうは役人というかまあサラリーマンみたいなものだから妙にリアリティを感じて面白かった。自伝にもあるように黒澤は官僚を嫌悪しているが描き方が一辺倒でないのはさすがというか。それにしてもセリフが聞き取りにくいのが難だったがDVDの日本語字幕はほんとうにありがたい。
投稿者:ピンクガンスモーキン投稿日:2008-07-16 16:52:12
歌舞伎の「勧進帳」そのもの。
タイトルもそうすれば良かったのにねえ。
『虎の尾を踏む…』というから、さっぱりイメージが湧かず、今まで食指が伸びなかった。
気取ったタイトルで損をしている。

「勧進帳」のストーリー自体は面白い。
普遍的で、古びない。
つまり、コトバひとつ(+扮装)で、法の網の目をかいくぐるという話だ。
ゆえに本質において演劇的である(まあ、映画的かどうかは別として)。

歌舞伎を見に行く現代人と、日本映画を観る外国人は、ある意味、パラレル。
と考えると、外国人が歌舞伎=映画を見る際には、2重のベールで隔てられていることになり、エノケン的な存在が「補助線」として必要になってくる。エノケンは、これ見よがしとも言える表情で、理解を容易にしており、これは、日本人にとっては不要にも感じられるが、黒澤明は国際的な視野で制作したのだと好意的に捉えるべきだろう。
そこが映画制作の特性であり、TV制作が100%ドメスティックな受容しか念頭に無いのと対照的な点である。
古語を念仏のような調子で朗々と発するセリフの多くが聴き取れないが、歌舞伎はセリフを暗記して行くような世界だし、たとえ聴き取れなくても役者の顔を見ていれば分かるという意味では、外国人同様の気分で鑑賞すれば済むので、全然気にしなくても良い。
投稿者:にゃんにゃん投稿日:2008-05-09 23:28:56
上映時間は短いが、見どころはとても多い作品だ。
アクションがまったくないのにも関わらずかなり面白い。
歌舞伎のような映画なので、演出のあざとさがピタリとはまっている。

豪華なキャストだが、主要人物以外はほとんど触れられていない。
残念だが、中途半端に扱うよりはこれで良かったと思う。

終盤の皮肉がまたなんともいえない余韻になり面白い。
投稿者:レフトフック投稿日:2008-03-11 01:39:55
確かに黒澤映画としては出来があまり・・・と思えますが、エノケンと大河内伝次郎の魅力だけで十分です。映画の上で出演しているだけでその映画が十分名作と言える俳優は大河内とルイ・ジューヴェだけ、と個人的に思っています。独特の九州弁でせをシェと発音するのはは彼と笠智衆だけの魅力です。大岡越前を演じようが、京大教授を演じようが、九州出身の俳優とばればれでも、九州弁を押し通す彼の魅力は理屈抜きです。大スターとは、阪妻と彼のことというのです。森雅之、志村喬、河野秋武など「役者が違う」の文句そのものです。というわけで伝次郎の魅力だけでこの映画はとても面白く感動しました。
投稿者:さち投稿日:2008-02-28 21:29:34
hutuu 
投稿者:マジャール投稿日:2006-11-27 20:37:58
何言ってるか判らないけど、大河内傳次郎が貫禄充分で滅法面白い!映画俳優も大河内くらいになると人間国宝クラスですね。
とにかく何も無い時代に、歌舞伎のストーリーと、アイデアだけで、娯楽作品を作ろうという黒澤監督の心意気、立派です。(女優が一切出てこない日本映画としても特筆される)

圧巻はなんといっても、安宅の関守り富樫左衛門と弁慶との、丁々発止の台詞の応酬!大河内、藤田の2大スタアの貫禄も相俟って、白熱必至、無類の面白さです。



「世に仏徒の姿はさまざまじゃが、山伏のいでたちほど物々しきはない。先ずそのいわれを承りたい」
「修験の法が異なればおのずとそのいでたちも異なるが道理。すなわち山伏の修験の法とは、胎蔵金剛(たいぞうこんごう)の両部を旨とし剣山悪路を踏みひらき、悪獣毒蛇を退治して現世愛民の慈悲を垂れ天下泰平の祈祷をつかまつる。
故に、内には忍辱(にんにく)慈悲の徳、表には降魔(ごうま)の相」
「かしらに頂く兜巾(ときん)のいわれは」
「兜巾は武士のかぶと、この篠懸(すずかけ)は鎧のこころでござる」
「金剛杖とは?」
「天竺(てんじく)檀特山(だんとくさん)の神人、阿羅羅仙人(あららせんにん)の持ちたまいし霊杖(れいじょう)でござる。胎蔵金剛の功徳をこめて大地を突いて踏みひらく」
「腰の剣(つるぎ)はっ!」
「弥陀(みだ)の利剣!」
「しかしっ!形あるものは斬れもしよう。無形(むぎょう)の悪霊妖魔は何をもって斬る!」
「九字の真言をもって切断いたす!」
「九字の真言とはっ!!!」
「九字の真言とは・・・いわゆる『臨兵闘者皆陳列在前』の九字でござる。・・・・」
大迫力!こんなに面白いドラマちょっとない!!!
投稿者:黒津 明二郎投稿日:2006-08-22 22:14:53
エノケンだけが見所か。
投稿者:シネマA投稿日:2006-07-10 10:57:06
 黒澤映画のなかでは不人気な小品。実際あんまり面白くない。でも、レンタルでかまわないから、映画ファンなら、いちどは観ておくだけの歴史的価値あり、ですよ。

 太平洋戦争の敗戦をはさんで製作された日本映画で、戦後そのまま鑑賞して通用する水準の作品は滅多にありません。
 平たくいえば、いまの北朝鮮みたいに言論が統制されて物資の乏しい時代環境で、これだけの映画をものしたのはさすが、と感心するほかない。最善をつくした作品だとおもいます。

 あまりにも有名な歌舞伎の《勧進帳》の映画化。セットはひとつ、あとは撮影所の裏門のそばの林で撮影したとか。
 大河内傳次郎の弁慶、藤田進の富樫。狂言まわしの強力にエノケンこと榎本健一。強力がちょっと浮いてますが、あたかもドン・キホーテの従者サンチョ・パンサやリア王の道化みたいな役柄ですね。

 終戦直後、来日中のジョン・フォード監督が撮影を見学に来たけれど、黒澤明はまったく知らなかったそうです。戦時中からの内務省検閲官との確執のせいで、本篇の完成後、何年間もお蔵入りしていたのを、映画を愛するGHQ関係者に見出されてようやく公開された。と、黒澤は自伝に書いています。

 次元の低い木っ端役人たちが威張り散らしていた大日本帝国が戦争に負けて、いよいよ日本映画の復活が始まったんですね。私なんか、まだ影も形もなかった頃のお話ですが……。
投稿者:魚篭投稿日:2006-04-28 02:58:59
【ネタバレ注意】

黒澤がなぜ太平洋戦争終結の前後にこの映画を撮っていたか、よく考えずにあれ
これと批評できたものだ。その時代にしか息づかない「水物」的要素をもった映
画であればこそ、映画は流動的であり、流れ去ってゆくものである。しかし、真
に芸術的なものは100年経っても流れてはまた戻ってくるものであろう。

この映画が100年後に残るかどうかは別として、50年以上経って絶滅の危機にあ
ることはたしかだ。それはこの映画が非芸術的というより、いや、かなり芸術性
のある映画にもかかわらず、制作の背景を知らないものにとっては絶滅種と同じ
扱いを受けてしまうのである。黒澤は常にジャーナリスティックな目をもって映
画に取り組んでいるが、この映画も例外ではない。日本の戦局が絶望的になった
昭和20年、映画人たる黒澤の叫びは「日本を救う」ことに向けられていたのであ
ろう。アメリカに勝つ、などと非現実的な盲信は黒澤にはない。日本は劣勢にあ
ることを、他の大勢の日本人と同じく知っていた。この場を奪回しないと、日本
はなくなってしまう。その叫びが勧進帳という形をとっただけなのである。歌舞
伎を借りてきたのは、それだけ訴える力があったからであり、これは表現者とし
ては当たり前の態度である。歌舞伎を借りたのは興行的に儲かる?よく考えてく
ださい。お金儲けができる時代ではないのですよ。戦時中ですよ。軍部は戦意高
揚のために映画製作をしぶしぶ認めていた時代ですよ。厳しい検閲があった戦時
下なのですよ。それを考えず「黒澤もこの程度か」とは何事。あんなに劣悪な撮
影機材とフィルム、そして戦意高揚(軍部に100%協力的ではなかった)のため
の素材を探したわけですよ。黒澤以外にあれほどマトモな映画を、いかめしい歌
舞の勧進帳をしかもあれだけ楽しく笑えるものに作り変えたのですよ。これは並
たいていの才能ではできるものではありません。出演者のひとりであった富樫を
演じた藤田進に「勧進帳を完全に手玉にとっている」とうならせたほど。黒澤は
一度大ミュージカルを作ってみたいと言っていたそうだが、この作品が最初で最
後のミュージカルとなった。その音の繊細さと画面の切ない揺れ。例によってア
メリカで見たわけだが、山中をしずしずと勧進するも実は身を伏せているこの様
は、四方を敵に囲まれた日本軍のインパール戦にも似た、誤解を招くかもしれな
いが、一種の「悲壮美」を感じた。

黒澤だからできた映画なのだ。それは後年の彼の映画を見れば、この作品がただ
の凡作に終わっていないのがよくわかる。まあ、黒澤ぎらいを省いての話だが。

投稿者:Ikeda投稿日:2006-01-30 11:14:18
「勧進帳」だけを映画化していると言う意味では、良く出来ていると思いました。黒沢監督が良いと言うより、大河内伝次郎とエノケンが映画をもり立てています。エノケンが狂言回しを得意の演技で進めているので、能または歌舞伎を離れての映画としての面白さがあります。基本的には弁慶役の大河内が素晴らしく、勧進帳の読み上げ他の台詞回しは彼の得意とする所で、声を聞いただけで彼と解るのが凄いです。
なお、この映画の題名は解りにくい命名ですが、歌舞伎の最後の地唄で「虎の尾を踏み、毒蛇の口を遁れたる心地して、陸奥の国へぞ下りける」と謡う所から付けたのだと思います。
投稿者:Stingr@y投稿日:2003-08-20 23:54:54
 大河内伝次郎の芝居臭さを消すために,狂言回しとしてエノケンを起用しているのは理解できるが,観ていて煩(うるさ)い。多分,興行成績を上げるためにエノケンを起用した(させた)というのが本当だろう。しかし,そのエノケンを上手く使っていないのは脚本の責任である。ストーリーは皆熟知している「勧進帳」。エノケンの役は安宅の関までの時間延ばしにしか思えない。申し訳ないが,芝居の舞台をそのまま映画に撮ってくれた方がいい。
 戦後の資金難を考慮に入れても,エノケンの起用に文句を言えない,脚本がまだまだ未熟,黒澤もこの当時はこの程度かと確認できる作品。
投稿者:黒美君彦投稿日:2003-03-19 00:52:24
エノケン、大河内傳次郎の素晴らしさ。安宅の関での富樫と拮抗する場面は圧倒的ですらある。間の取り方、その中で時折見せるスピーディな男たちの表情。緊張感とその中のエノケンの洒脱でコミカルな演技。伝説的な役者たちと黒澤の才能が、こうしてフィルムに残されている喜びをかみしめる。

<2015.3.15再見>
12年ぶりに改めて観た。
この「勧進帳」におけるエノケンの立ち位置は、いってみれば取材者のような役回りだ、と感じた。山伏姿になった義経と弁慶ら7人を、客観的に見る道化者。しかしその目は同時にスクリーンを観る者の視線と重なっている。
いってみれば彼がいることによって、観る者は歴史の現場に立ち会っているような思いで、ハラハラしながら事態を見守ることになる。
だからエノケンの表情の多用は必然になる。彼の居る場所からのみ、勧進帳が真っ白であることが明白に見えるからだ。
畳み掛けるような富樫(藤田進)の質問で、志村喬らの表情でカットバックする手法も緊迫感を生む。当時33歳の藤田進が堂々としたなかなかいい役。
ほっとした後に、富樫の部下が酒を持って追いかけてきて、安堵から酔い、エノケンが踊りを舞うこの対照的な静と動。
内容はやはり相当濃い、と感心した。
投稿者:Katsumi_Egi投稿日:2002-08-04 13:59:00
 エノケンは矢っ張り凄いな。大河内伝次郎の演技にも笑ってしまった。この二人が完全に浮いている。しかしこれがスターの演技だ。森雅之や志村喬や藤田進が抑制の効いた演技をすればする程この二人のスター性が際立ってくる。
 オールセットの時代劇。チャンバラシーンも全くない。殆どパンニング一本やりで見せきっている。黒澤は大したもんだ。

http://www.page.sannet.ne.jp/egi/
投稿者:S&H投稿日:2002-05-25 03:59:48
フィルムの保存状態がよくないため、画像は粗いし、大河内伝次郎やエノケンのセリフはよく聞き取れない。しかし、その内容はいまの日本の映画なんか1000本あつめたって(あつまらないか)足下にもおよばない秀作。ギリギリまで観客を不安にさせておいて、最後の大空で一気に開放する。その意表のつきかたが何とも清々しくて、脳裏に焼き付いて離れない。見事である。クロサワが言っていた「映画になった」瞬間である。
投稿者:yomoyama投稿日:2002-03-23 16:08:09
この作品で二箇所だけ、すばらしいと思いました.
1)義経が熟慮の末に「安宅の関」をさけずに正面から通過するのを決意する.
  林の中で、座っていたのが、決意とともにすいと立ちあがり体を回転させて
  画面から去って行く.
  この身のこなしがたまりません.映画俳優や新劇ではできない離れ業.
  岩井半四郎(仁科)を起用したのは、この場面のためだけのよう.
2)日の傾きかけた秋のすすきが原の中、エノケンが弁慶になったつもりで、
  跳び六方を踏んでゆくところ.
  このあたりの野に住むいたずら狐が人間世界をのぞきに来たもよう.  
【レンタル】
 【DVD】虎の尾を踏む男達レンタル有り
 【VIDEO】虎の尾を踏む男達レンタル有り
【広告】

【スポンサーリンク】



【スポンサーリンク】



allcinema SELECTION

allcinema SELECTION