タクシードライバー(1976)TAXI DRIVER
【クレジット】
【解説】 ニューヨークの夜を走るひとりのタクシードライバーを主人公に、現代都市に潜む狂気と混乱を描き出した傑作。ベトナム帰りの青年トラヴィス・ビックルは夜の街をタクシーで流しながら、世界の不浄さに苛立ちを感じていた。大統領候補の選挙事務所に勤めるベッツィと親しくなるトラヴィスだったが、彼女をポルノ映画館に誘ったことで絶交されてしまう。やがて、闇ルートから銃を手に入れたトラヴィスは自己鍛錬を始めるが、そんな彼の胸中にひとつの計画が沸き上がる……。P・シュレイダーの脚本をM・スコセッシが監督し、独特の雰囲気を持った“現代劇”を造り上げた。トラヴィスのキャラクターはあまりにも強烈で、70年代半ばから映画ファンとなった男たちにとってデ・ニーロは松田優作と並ぶヒーローになった。これが遺作となったB・ハーマンのスコアも驚異的で、特にトム・スコットのアルト・サックスが冴え渡るメイン・タイトルはあまりにも秀逸。カンヌ映画祭グランプリ受賞。 <allcinema> ![]() 【吹き替え】
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![タクシードライバー [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/61SSy6bw-ZL._SL160_.jpg)






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初めて見たとき、「これは俺の映画だ、トラビスは俺だ」そう思った。
ものすごい衝撃だった。
ちなみに私は本当にそのへんによく見かけるであろう東京の大学に通ういち大学生だ。
それから3年近く経ったが、少なくとも半年に1回は見ている。もちろん、19才の時初めて見た直後1ヶ月ほどの間は1週間に一度くらい見ていたと思う。
確かドストエフスキーだったと思うが、原作らしき書物の存在も知り、読んでみた。しかし原作は当時の私にとっては難解すぎて理解できず、完読できなかった。
今回この投稿をしようと思ったのも、ちょうど見直したくなったからだ。なんだか嫌なことがあったときに見たくなってくる。嫌なことと言ったらかなり雑な言い方だが、本当にそう思うのだ。
毎回見返すたびに思うが、この映画を見るとすごく気持ちが楽になる。胡散臭い言い方だがそうなのだから仕方ない。どうしてもトラビスビックルという男を自分と重ね合わせて見てしまうのだ。楽になるというより、すっきりすると言ったほうが近い表現かもしれない。
しかし、何事もそうだと思うが、やはり初めて見た時ほどの衝撃はもう感じない。それでも半年に1度は見たくなる映画には違いない。この映画を見たくなるほど嫌なことが半年に1度はあるという事なのかもしれない。
完全に圧倒され、共感させられます。
公開されたときは、急転するラストの展開に
疑問をもった人もいましたが、主人公の
暴力性をあらわしているようで、名場面だと思います。
この場面も含めて、監督の主人公に対する思いやりや
優しい眼差しを感じます。
登場人物も、ポン引き、タクシー会社の受付、妻殺しを聞かせる
謎男、怪しいセールスマン、あまり信用できない大統領候補
など脇役陣にいたっても魅力一杯です。
デ・ニーロがポケットに手を入れ、うつむき加減に歩く
ポスターは宣材としてインパクトがあり最高のものだと思います。
夜のニューヨークを疾走する1台のタクシー。
それを運転するトラヴィスの心を蝕んでいるのは、根源的な孤独感である。
彼はベトナム帰還兵だ。
直接的な描写はないが、この設定が間違いなく本作の核となっている。
ベトナムで傷ついた若者たち、そしてアメリカ。
強いアメリカが打ち砕かれ、初めて味わった敗北感。
そんな当時の怠惰な日常の雰囲気を、完全な魅力に転じることに成功しているスコセッシの手腕は見事だ。
トラヴィスは自分の周囲の人間をクズ扱いし、浄化されることを望む。
自分に非があるとは考えずに、周囲を見下す態度。
彼のナルシシズムが、自分を周囲からあえて疎外しているように見える。
そんな彼はやがて、鈍った体をほぼ狂気的に鍛え始める。
自分をサイボーグ化させることで、形式的な“強い男”を演じ、強さを復権させた後に、個人的な尺度で測った“悪”や“敵”を成敗しに行く。
彼は劇中で殺人を犯す。
ただし、罪に咎められることはなく、むしろ英雄扱いされる。
それは、ベトナムで繰り返されたことと同じではないだろうか。
彼は不眠症だ。
永遠に続くように思われる、終わりなき日常から抜け出すことはできない。
そして、その“日常”はベトナムから続く時間である。
だからこそ、彼はアメリカが抱える“病み/闇”から抜け出すことはできないのである。
終始、主人公のモノローグで綴られそして彼の主観で語られていくこの衝撃的なドラマは、特に男性に対する影響力は凄いものがあった(笑)。それは何といっても脚本のシュレイダーの魂の叫びとでも呼びたい、妄念が満ち満ちているからだ。
もちろん、それを最大限に生かしたスコセッシも素晴らしい。文句なく彼の代表作となった。また、キャメラのチャップマンにハーマンの腹に来るスコアも映画史に残る仕事だ。それにしても、あの荒廃したNYの町並みは何とも凄いねえ〜住みたくはないけども、単に見るだけだったら面白いけどね。余談だが、デートに行ったポルノ映画館の道路を隔てた映画館には「アイガーサンクション」の看板がかかっている。
演技陣。デニーロの独壇場だが、あのいっちゃってる目の演技は鬼気迫るものがある。そしてシェパードの美しいことといったら!惚れましたわ。後はカイテルの怪演もいいし、フォスターやボイルにブルックスも好助演。
オープニングの夜のスチームの中からぬをぉーっと現れるややローアングルからのタクシー登場のシーンから何かを予感させ、劇中のトラヴィス・ビックルの心情に共感を抱き、ラスト近くのハイアングルで終わるバイオレンスシーン、そして余韻を残すラストまで、スクリーンにのめり込んだのを覚えています。そして全編に流れるB.ハーマンとT.スコットのタッグでの音楽に酔いしれ、このアルトサックスでの「タクシー・ドライバーのテーマ」は今でもマイ・ベスト・スクリーン・ミュージックであり続けています。
当時は、いま思えば若い頃特有な言いようの無い屈折した心境の、孤独な高校生でしたから、一気にトラヴィス(=R.デ・ニーロ)に心酔し、どなた様が書かれたように、部屋の鏡の前で「You talkin’to me?」をまね、アーミー・ジャケットを着込み、ジーンズとブーツ姿でやや下向きで闊歩してました。(流石にモヒカンにはしなかったけど、、)
その後もデ・ニーロ心酔は続き、大学時代は「ディア・ハンター」のマイケルばりのヒゲを生やしてた、、(今では休日は無精ひげに丸眼のグラサンでレオンのつもり、、、)
とにかく、青春時代に観た映画の中でも、今も忘れられないインパクトを持った映画です。
ラストの解釈はそれぞれ異なるようですね。
いまのDVDジャケ写は誰の仕業か。
威勢のいいおしゃれTシャツでもあるまいし、ほんとひどい…。
負け犬の70年代の焦燥感や都会の孤独を描いた映画ではトップだと、
時代が呼んだかな。
この前後に製作された「狼たちの午後」「サタデーナイトフィーバー」「マンハッタン」
ひとつ橋を渡れば病み方が違う世界の作品と見比べるのも面白い。
昨年も自殺者が3万人を越えました。自身は孤独がないと生きていけないが
男たちは耐えられずに死んでしまう。
勿体ないから、その前に飼いならすと手放せなくなるからお試しあれ。
トラビスを自分の中で飼い続けている自分がいるからこそ日常に耐えて
いられるのも事実。
ラストのC・シェパードがタクシーに乗ったのは偶然じゃないよ。あしからず。
※DVDの表紙を初期の(デニーロがポケットに手を突っ込みの)ヴァージョンに戻せ。
まったく意味が分かってない。
作品はまだ数本しか見ていないが、彼の書く怒れる人物の洗礼を受けるとしばらくモヤモヤが晴れない。
そこが楽しい。
今やトラヴィスの様な人は至る所に潜んでいる。
日本が数十年前のアメリカと同じ様な社会に変化してしまったからだね。
自分が彼に共感を覚える部分は無いけど、巻き込まれるきっかけはどこにでも転がっている気がする。
結末を除いてストーリーをほぼ覚えていた映画を、再び見た。完璧なまでに出来上がった映画は、音楽といい、蒸気に浮かび上がる美しい映像といい、人を描写するアングルといい、上等なテクニックに裏付けられすんなり鑑賞できる。古くを再び訪ねた感激よりも、完成度の高さに驚きである。
世はデフレスパイラルとかで、就職もままならない冷え切った経済の中で、やっとたどり着く仕事も待ち望んだ職業とは程遠く、一方で世の困窮とかけ離れた世界で選挙活動に忙しく飛び回る人々もいて、街に出れば14歳のヒモに操られた売春婦、この状況下、自らの気持ちを平静なまま保っていける若者がどれほどいるであろう、荒川沖の彼や秋葉原の彼が報道にさらされ、世界(イスラム)の街角や高校(米国)の校庭や住宅地(日本)で起こった事件を、ニュ−ヨークのこの映画が象徴しているかのようだ、驚くなかれ、この映画は30年以上前の作品である。
ラスト、天井から俯瞰で撮る殺人現場は、血塗られた左手(トラヴィスの)でこめかみに打ち込む3発の空拳銃でendと思いきや、映画は突如として14歳の売春婦を助け出した英雄として、傷の治った主人公が再びタクシーを運転、選挙事務所の彼女(ベッツィー)をアパ−トまで乗せるのである。
昔見たときには大して気にもならなかったが、こんな結末でした?・・か。いやはやアメリカ映画ですな、同じパターンで、せめてこう付け加えてほしかった・・(つじつま合わせをした上で)トラヴィスのタクシーを下車した彼女は「いくら」と話しかけるのではなく、きめ台詞は「まだ封を切ってないレコードがあるけど、私の部屋で聞いていかない?」と、やってほしかった。
もう一度見て良さを理解したいと思っているがまだ機会が無い…。
大統領候補でも街のチンピラでも
冷たくされた女に対する復讐? 少女が助けを求めたから?
相手の気持ち?そんな事は知らねえ。
きっかけは何だってよかったのさ、何か大きな事がしたかっただけよ。
一発大きな事をしたから、「当分の間」、また、この退屈な生活に耐えられるぜ。
ベッツィとの再会?興味ねえなぁ、「今のところ」、充実感に浸っているからさ・・・
腕に仕込んだ銃とか、吹き飛ぶ指とか、モヒカンで出動する所とか、格好よかったし、ジュディ・フォスターは可愛かった。当時(も今も)この映画の深そうなテーマとかにはあまり興味がなく、八方ふさがりの男が身近で自分の救えそうな部分だけでも救おうとする結構、身勝手な話くらいにしか捉えていない。まあ、虚無的な愚連隊といったところか。
シークレットサービスと会話してる時の笑顔に違和感 目が何となく普通じゃないんだよねぇ 何か薄ら寒いというか(この人、変 何かHEN)気付いた点ではジョディーってこの頃スキッ歯だったのね(今は整ってるけど)カイテルのヒッピーロン毛は見なれて無い所為か新鮮でした。
こういう作品にコメントが多いってのも現代社会がこうなって来てるのかねぇ? デートに誘ったポルノ映画って何だろか? 映画館のフロントには確か・・・sometimes sweet susan だった思うけど違うかな? 検索してみたら淫らな唇/スーザン(1974) SOMETIMES SWEET SUSAN ジャンル エロティック どうなんでしょ? 今週は同じベトナム帰りでもまともに切れる?ランボーがあるので、それで口直しだ。
たくさんのコメントにつられて内容のコメントしてみます
トラヴィスの栄誉除隊した理由はわからないが
ピュアさがゆえに
無理目な美女にも声かけるし
普段見てるポルノ映画も連れてくし
大統領候補暗殺未遂もするし
売春少女助けて人殺しもするし
ピュアでいると善も悪もないな
タンカース姿とラストシーンの乗車無視して売春宿にタクシーで向かってくトラヴィスの顔
印象的だったなぁ
大家族から核家族化が進行し、車社会やプライバシーの主張によって、人間といえども共存社会だから生きていられるという事を忘れがちになって人が孤立しつつある今の日本だからこそ、この映画に惹かれる人が多くなったのではないでしょうか。
最近では日本でも「誰でもよかった」という殺人犯が時々いるようですが、最後のデ・ニーロの行動にもそれが出ています。しかし、それにとどまらず、殺人未遂の後、いくら撃ち合いだったからと言って殺人現行犯が英雄視されるというのは、西部劇ではあるまいし、どうかと思います。この辺に個人主義を重視し、銃規制に甘いアメリカ社会の怖さを感じました。
カンヌは人間の本質というか醜い部分に焦点を当てた本作を、アカデミーはアメリカン・ニューシネマの陰湿な部分を一気に払拭した『ロッキー』を最も優れた作品とした。私は両方の作品が好きだし、タイプが全く正反対の作品であるが故に優劣は付けられない。
ただ言えることは、本作品は一部の人間(しかも現代の日本人)にとって共感しうる(トラヴィスのとった「行動」にではなく)箇所が多々あり、トラヴィスの持つ孤独感と社会に対する怒りを共有しようと未だに多くのファンが支持を表明している。当然『ロッキー』だって優れた作品であることは私は断言するしこれからも愛され続ける作品であることを否定はしない。
ただ私は、人間である以上は『タクシードライバー』を観て共感する箇所がいくつか存在するべきだと思う。表現が稚拙だが、やたら「夢」や「希望」に邁進するよりも、人の持つ痛みに「共感」することが人間として最も大事なことだと思うからだ。ロッキーは確かに貧乏でサエない男。そこに大いに共感はできるがそれが『ロッキー』の作品が最も訴えたいことではない。先述の「夢、希望、愛」である。本作は貧乏でサエない男。しかも日の目を見ることなく破滅。ラストだって夢や希望、愛にも無縁だ。
スコセッシは我々聴衆を試したのだと思う。「オマエらはトラヴィスという男にどれだけ共感できる?人間は孤独でどうしようもない生き物であるのが真実なのだ」と。その点で本作を凌駕する作品はこの先もそう簡単には生まれ得ないだろう。
話は変わるが、最近のテレビ番組はつまらないと思う。薄っぺらな「夢」や「希望」や「感動」を押し付けがましく、騒々しく垂れ流しバラエティタレントたちがオメデタくはしゃいでいる。その一方で人間の本質を描いた番組は視聴率獲得が困難という理由で淘汰される。つまらない番組に洗脳されたら、我々は他人の痛みに共感できないオメデタい人々になってしまう。
私たちは誰かをトラヴィスにしないために自らがトラヴィスになるべきなのだと思う。
それを観客が感じ始めて
最終的には彼と観客の間に大きな溝ができる構図ね。
でも、実は彼には観客と共感できる感情があって
ふと「私もこうなっちゃう可能性がるのかも・・・」と気付いちゃう
ある意味ホラーやサスペンス映画な訳だけど。
まあ一番怖い点は、そんな彼の狂気が暴走して初めて
社会との接点が生まれる、という、まさに「矛盾」かしら。
そんな社会が一番怖いわね。
最初から最後まで自己満足のデニーロ。
自分の価値観を他の人々が共有しないことが許せない。
人との繋がりを求めているのに、コミュニケーションが取れない。
理解されないことが怒りに変わる。
自分は強いと思い込む。
そして無駄に体を鍛える。
まさに引きこもりの典型ねw
面白かった?よかった?と聞かれるとうーん。・・・・・。
一番印象に残ったのは実は
シビルシャパードってこんなに綺麗だったかしら・・ってことだったりして。
音楽、
俳優、
ストーリー、
全てが最高
とにかくド貧乏だった大学生んときに見てハマった。
友達もほとんどおらず、生活のためのバイトに日々明け暮れて、いつも
ヘトヘトだった自分とトラビスを重ね合わせていた。
なんというか「自分はいなくてもいい、取るに足らない存在じゃないのか」
という焦燥感みたいなものを。
トラビスのは大統領候補を撃とうとして果たせず、今度は売春宿で凄惨な
銃撃戦の末に娼婦を救い出して英雄になる。
しかし個人的には、彼は正義感とかで行動したのだとは思っていない。
ただ絶望的に孤独な生活の中で「自分はとるに足らぬ存在なんかじゃない」
ということを世界に認めさせようとしただけで、大統領候補もアイリスも
英雄になることも正義も別にどうでも良かったんじゃないかと思う。
だからすべてが終わった後、あのなんともいえない笑顔で自殺しようと
したんじゃないかと思う。
今思い出すと顔から火が出そうだが、本当にこの映画にはハマった。
M65ジャケットは買うわ、腕立て伏せやら懸垂やるわ、拳銃が袖口から
飛び出す仕掛けを作るわ…でもまあ俺だけじゃないな、絶対。
若い人が観ても新鮮みたいですね↓
好きな映画なんですが、でもやっぱりニュー・シネマっぽい後味の悪さは否めないです、歳取ったからですかね?そう言えば、観た頃は「すごい!」とか私も言ってましたっけ。
クールなBGM
娼婦の足
雨のニューヨーク
44マグナムの轟音
ロリなジョディ・フォスター
デニーロのモヒカン
・・・
うーん。魅せてくれるぜ。
トラビス・ビックルという男がどんどん壊れていく様子がなんともいえない。
ある意味ホラー映画のようだった。
最後のシーンは圧巻です。
ただ、暴力描写が多少あるので、そういうのがだめな人にはオススメできない。
そのことからも、この映画にはトラビスが抱える孤独が画面から痛々しいほど伝わってくるのが分る。親しい友だちもおらず、愛する人もいない。同僚の会話にも馴染めず、街で見かけたベッツィとはうまくいきかけるが、デートでポルノ映画に誘ったばかりにふられてしまう。そんな彼はたくさんの銃を購入し、射撃場で腕を磨き、己の肉体を鍛え上げる。まるで性欲を運動で解消するがごとく。発砲は射精のメタファーだったりなんかしてね。
アイリスに興味を持ったのも、一度タクシーに乗せかけた彼女と街で再会したからというだけで、アイリスである必然性はまるでない。アイリスに惚れたとか、彼女の境遇を憐れんでということでもない。彼女を救うことで同僚やベッツィ、あるいは社会から英雄として認められるのではというトラビスの勝手な思い込みが、僕にはなんだか空恐ろしかった。
全編を通してトラビスの日記の朗読のようなナレーションで綴られるのだが、これが彼の孤独をことさら強調している。ベッツィにはトムが、アイリスにはスポーツという存在がいるが、トラビスにはいない。彼らの会話がトラビスの視点から描かれていないという指摘に納得!
しかし、さりげなくではあるがジャクソン・ブラウンの「レイト・フォー・ザ・スカイ」を流すセンスは好きだな。ベッツィが気に入っているというクリス・クリストファーソンのアルバム(当然、LP盤ね)を剥き出しのまま渡すのもオサレ(か?)。トラビスが誘うポルノ映画はどうやら北欧製の性教育映画みたいだけど、なんという作品なのかな?
1976年度のオスカーにはスコセッシも、ポール・シュレイダーも外されている! 何やってんだ、オスカー選考委員は!
まあ、他人の感想なんだからどう思うと構うこっちゃないが、この映画を「ベトナム反戦」映画だと思ってるヤツってまだいんだな。
皆さんの言う通り、見終わったあとは腕立てしたくなるし、鑑の前での台詞も言いたくなりますが、ラストが壮絶なんです。
圧倒的なストーリー展開…そして孤独な元海兵隊デ・ニーロがニヒルな格好良さを見せつけ、社会に対して自分が“殺したい”人間を殺してみせる。危ないが面白い。変な映画っちゃーそうなのかも知れないが。
完璧な映像、完璧なキャスティング…そして凄惨な殺し合いの果て、自己満足にひたる“人を裁く”男。…大統領もスポーツも同じ、自分の勝手で自分が望む事をするという狂気の暴走に過ぎない。幾ら好きでも、あんな屑に関わっちゃ駄目だ、全て大きなお世話である。
自分の美学の為に何も生まず何も得ず、生きる男…ただこいつが男にとって格好良い事は事実で、映画館から出てくる観客をニヒルに変える〜やっぱり男はバカだねぇ。才能?評価???〜男は皆、相手を叩きのめせる、とか妄想しているものなのさ。(事実は違うぞ)
トラビスが誰もいない部屋で「俺か?俺に言ってるのか?」
と鏡に向かって繰り返し問いかけるシーンは最高。
これ、デ・ニーロのアドリブだったというのには驚きました。
自分は社会を変えることのできる人間である(評価されるべき人間である)ことを自分自身に信じ込ませて、大統領候補の暗殺を図るが失敗。
結局身近な娼婦を助ける(助けたつもりになる)ことで自己満足を図る。(相手が本当に救われたならば、自己満足でもいいことですが。ま、やり方によるが。)
共感はできないけど、ま、気持ちはわからなくもないのです。
だけど、映画が面白かったかというと、微妙です。
善悪をわきまえた上での事には違いないが、
ベトナム戦争でアメリカが敗れ、何のための戦争だったのか問われる中、
この映画がアメリカ社会に与えた影響は想像以上だったであろう。
何かの二本立てのサブとして、仕方なく見たB級SF「遊星からの物体X」。
見終わったとき、友人と「お金かかってないけどいいね」と久々に意見があった。
ハリウッドはお金をかけ圧倒的な迫力で迫る作品が主流であったが、
1970年代から1980年代初期にかけてはこういう作品も多かった気がする。
今考えると、監督がまず名前を売るため(決して悪いことではないと思う)、
カンヌ向けなどに作った意欲作が氾濫していたということだろうか。
いま若者が、その頃の「サタデー・ナイト・フィバー」見ても
「なんやこれ」と思うでしょう。
君たちお父さん、お母さんの夢多き時代の「真夏の夜の夢」なんです。
ディスコで知り合って、君たちがうまれたと思うと一概に野暮だと言えないかもしれない。
しかし、あえて言いましょう野暮だと。過去に安住しない成長した自分を見つけることになる
かもしれないよと。とくに世の大人に言いたいのだが…。
君らの母がジョディー・フォスターと同年代とは驚くだろうし、
日本人なら、今はやりの年金をもらう年のR・デニーロなのだから。
また、この閉塞感を打破するのはだれでもない我々なのだし。
ジーザス…お互い夢を持ち続けたいものだ…。
狂気というものは、欲求というごく自然で誰も否定することのできないものから生まれるものであって、誰もが秘めているものだと思う。
トラヴィスの場合、フラストレーションが他の人へ怒りとして向けられたが、彼は本当に大統領を憎んでいたわけでもなく、少女を救いたくてスポーツ達を殺したのではない。先に述べた通り、彼は社会の自分に対する扱いに疑問を感じていたが、その感情は逆にいうと世の中と自分が交わる部分が欲しかったということである。
孤独で、女にもふられ、仲間もいない。
彼は狂っていたのではなく、孤独から抜け出したかったのだ。タクシー会社の先輩に相談をしたとき、違う答えをもらっていれば、彼は変われたかもしれない。
彼には生きているという感覚を味わうことが必要だった。
部屋で一人暗殺の準備をしたり、少女に説教しているトラヴィスを見て、必死に自分の居場所を見つけようとしているように見えた。
単純なようで複雑な主人公から正義、正気とは?・・・見出すのはわたしには難しい。
誰もトラビスの話を聞かない。
狂人、変人。
そんな彼が人を殺して「普通の人」になる。
トラビスの望み通りになった。
ハッピーエンド。
精神を病んだベトナム帰りの男だからって犯罪していいの?
共感する所は一切無し
だって、誰だって人の話聞かなかったりするでしょ?
鏡に向かっていろいろするでしょ?
アイリスみたいな娘を本気で「助けてやりたい!」って思うでしょ?
世の中の汚い物全てなくしてきれいにしてしまいたいって思うでしょ?
ただ違ったのは、最終的な考えから先、行動に移すかどうかの『選択』だけだったんだよね。
実際、根っからの極悪人の犯罪者ではないし。
人間て、どの道をチョイスしたかで全く違った結果になるんだけど、
考えてることや、一人の部屋でやってることなんてそんなに違わないでしょ?
この映画のファンが大統領暗殺未遂事件を起こしてしまった話は有名だけど、
それほどデ・ニーロのトラヴィスはリアルすぎて、自分自身と重なっちゃったんだね。
この映画好きな人って、何十回って繰り返し観てる人が多いと思うんだけど、映画は終わってもトラヴィスの正義感(狂気)はまだ続いてるから、その終わりを感じられずまた観たくなる。
けど、なんか現実逃避してる感があるし、
金払ってまで関係無い少女を更正させようとする考えがよくわかんない。
オレだったらあそこで絶頂迎えて、ハイ終わり、な感じだと思う。
傑作だと言われてるけど個人的にはいまいち。
でも、下に書いてる通り、もうちょっと歳取れば面白さがわかるのかも
しれないですね。
オレまだ19だし。ヒヨッコ同然ですわ;
彼はこの町のタクシードライバー。
大都会の全てが彼と関わりを持たない。
彼は孤独のヒーローか?.....それとも。。。。。。。。
・・・・・・・・・・・・・友だち100人出来るかな♪・・・・・・・・・・・・
疑問を感じてはいけない場面は多々ある。
お互い信じ込まなければ、世の中が崩壊しかねないからである。。が。
この歌は実に胡散臭い そもそも友だちが多いことが素晴らしいことで、そうでないことはいけないことなのだろうか?
他人の評価や理解が無くては生きていけないと考えるのは誰かの煽動や迷信ではないか?人の強さとは、元々無縁ではないか。
........しかし........
長い間 ぼんやりと思い続けた事をこの映画は全て払い除けてしまう
トラビスは社会を変えたがっていた。アイリスを社会の被害者の象徴と考えたかも知れないが、スポーツを殺す事が彼女の幸せかどうかは大きな疑問だと思う。社会的に彼女は助けられたのかも知れないが、家出をするくらいだし、家に帰ってもつらい現実が待っているのだろう。新聞やアイリスの両親はトラビスをヒーローというが、根本的にアイリスの気持ちを忘れている。ニューヨークにはびこる犯罪者達以上の悪、善人面した奴等、その代表である大統領を暗殺することで自分に課した使命は果たされたはずである。彼は自分の中でヒーローにはなれず、彼もまた偽善者なのである。
影響されて作られたであろうと思われる映画を幾つか
思い出しました。モヒカンの毛はちょっぴりツケ毛
らしいよ。現代社会っつうか、今も変わらない
問題に天誅を下した、一人の運ちゃんが、娘を
悪の世界から救う、ヒーローなストーリー。ヒーロー
ダイスキアメリカ人は当時みんな見たし共感しただろうし
銃を買ってあちこちしこんで、身体鍛えまくって
モヒカンにしてブラブラ〜
がお気に入り。皆さん、どうです?
で、いきなり話は変わるんだが某タクシー会社の運ちゃんはつべこべ言わずに
客を希望の場所へ届けろ! どこにでも連れて行ってくれるトラヴィスを少しは
見習うんだな!!
妄想男が夢叶ってヒーローになっちゃうんだから、
スコセッシ監督が描く70年代のNYは混沌としてますね。
それにしても70年代の黒人ファッションって、なんで
あんなに迫力あるんでしょ。
あと見逃せないのがスコセッシ&デニーロ共演の「トラヴィス、ビビる」のミニコント。スコセッシが怖いぜ(笑)。ジョディを尾行するデニーロの前を「あの女殺す」とか叫びながら通り過ぎる黒人も好き。アイツ、なかなかやるね。
最近はトラヴィスの着こなしをチェック中です!(笑)
詳しくはここへ
↓http://bbs2.sekkaku.net/bbs/4993.html
空気を感じるというか、匂いがするんですよね。僕にとってはこの映画がソレ。
世代的には10年ぐらい後の人間だけどバリバリに共感してしまった。
役者はみんなイイけど個人的にはピーター・ボイルが好き。この人の存在によって
トラヴィスが(自分だけは特別だと思ってる)取るに足らない普通の若者だという
ことが哀れななほどよくわかる。ラストのトラヴィスが出所後だとわからない人が
結構いるみたいだけど確かにベッツィの服が昔と同じだからあんまり月日を感じないね。それぐらい早く出てきたってことか?
主人公のトラビスは男のガキっぽい部分といやらしい部分で構成されているキャラですよね。好きな女性の周りをうろちょろしたり(ただし堂々とやっている)、体鍛えたり、銃を持って鏡の前で架空の敵相手にそれを抜いたり。はあ〜、なんかそれに似たことやったことあるぞ、俺…(笑)。女性をポルノ映画館に連れていく「ズレた部分」も共感できる(笑)!それでいて街の喧騒に嫌気がさして、街を洗い流したいなどというあたり、このへんも心のドス黒さも誠によろしく、クライマックスで「お姫様を救おう願望(または危険なことに巻き込まれてみたい願望)」を叶えてくれるあたりも素晴らしいと思います。
監督の演出もお見事で(特にクライマックスの銃撃戦はインパクト大)、撮影、デ・ニーロの演技も文句なし。あの不気味さ漂う音楽も頭から離れません。ちなみにこの映画はデ・ニーロの妄想だったって映画評論も読んだことあります。どうなんでしょうか。
ちょっと前に知人からおもしろい映画ないと聞かれてこれを勧めてみましたが、「よくわかんない」といわれちゃいました。でもこの映画のよさを語り始めると、自分の異様さが炙り出されてきちゃう感じがしたんで、多くは語れなかったですよ…。
↓師匠のHP(新作ビデオ、DVD情報アリ)http://www.cinemanc.com/
時代を超えて伝わってきます。だから世代を超えて名作になったんだね。
正直その頃はこの作品、一体何が名作なのか
さっぱり理解出来なかったんだよなぁ。
まあ、その頃の僕はと言えば、「ロッキー」に憧れて
片腕立て伏せに挑戦したり、
「となりのトトロ」に胸弾ませたりしてた青少年だったんだから、
理解できなくて当たり前なんだけど。
しかし。
あれからそれなりの挫折や経験を積んで来た今では、
この作品が物凄く「理解」出来てしまう。
多分ちょうどこの作品の主人公と同じ年代
(25〜30くらい)に差し掛かった、特に男性は
時々、この作品が身近に感じてしまってゾッとしてしまう、
そんな感情を抱く人も少なくないんじゃないかな。
僕なりの感覚で言えばこの作品、
『孤独』という感情が、如何にして『狂気』という感情へと変貌するか、
その感情の「化学変化」を見据えた映画なんだと思う。
実際、この映画の「狂気を孕んだ空気」の濃度は尋常じゃない。
恐らく映画史上、単なる「物語」という枠組みを超えて
ここまで人間の生の生態を、克明にフィルムに焼き付けた作品は
他に例が無いんじゃないだろうか。
でも、これってやっぱり異様に危ない映画ですよね。
実際、この作品がきっかけでレーガン大統領暗殺未遂が
起きたのは、あまりに有名な話だし、
ある意味、この作品が観る者の
「覚ましてはいけない部分」を、どこかで揺り起こそうとする作用が
あるのは否定の出来ない事実だと思う。
もちろん、だからこそこの作品は
70年代屈指の芸術的傑作とも成り得ている訳で。
昔から尽きる事無く議論される
「表現の自由と犯罪への影響」というテーマの矛盾点を、
ある意味これほど露呈してくれる映画も無いと思う。
つまり、「芸術」とは観る者の感情を刺激し、影響を与えてこそ
初めて価値があるという事。
それが「毒」なのか「薬」なのかなんて事は、
この際「芸術」が負うべき責任じゃないんでしょうな。
バーナード・ハーマンの音楽は最高。わたしの好きな監督は、決まって、音楽センスが抜群。逆に音楽がだめなやつは、かならず映画もだめ。
映像や音楽は時代を感じさせるけれど、ストーリー展開が面白いのであまり気になりませんでした。静かに“キレていく”R.デ・ニーロ演じるトラヴィスの姿がどこか悲しげに感じずにはいられませんでした。