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書を捨てよ町へ出よう(1971)

メディア映画
上映時間138分
製作国日本
公開情報劇場公開(ATG)
初公開年月1971/04/24
ジャンルアート
atg 寺山修司ブルーレイBOX(Blu-ray Disc)
参考価格:¥ 15,552
価格:¥ 19,800
USED価格:¥ 16,849
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【解説】
 寺山修司が監督・製作・原作・脚本を務めたATG作品。寺山の主宰する演劇集団「天井桟敷」が公演したドキュメンタリー・ミュージカル作品の映画化だ。実験的な内容・演出は好みの分かれるところ。
 主人公の「私」は時々、人力飛行機で空を飛ぶ幻想を見ていた。「私」は万引きをやめられない祖母、元ラーメン屋で今は無職の父、ウサギを偏愛する無口な妹セツと暮らしている。女を知らない「私」は娼婦みどりを紹介され愛撫されるが、様々な過去を思い出し部屋から逃げ出してしまう。飼っていたウサギを惨殺されたセツは、ショックで家を出て一晩中町をさまようが、迷い込んだサッカー部の部室で部員たちに襲われてしまった。
<allcinema>
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
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【ユーザーコメント】
投稿者:4531731投稿日:2015-10-01 08:25:21

カメラがあるからといって演じているとは限らないし、カメラがないからといって演じていないとは限らない。ここにはその全てが記録されている。俳優だから演じるとは限らないし、俳優じゃないから演じないとは限らない。演じた演じないに拘らず、俳優や俳優でない人々がカメラの前で生きた現実が記録されている。路上パフォーマンスを演じている俳優の前を素通りする一般人の方が俳優以上に演じているのかもしれない。演じているから虚構なのか、演じていなければ虚構ではないのか。編集しているから虚構なのか、編集していなければ虚構ではないのか。スクリーンに映っているから虚構なのか、スクリーンに映っていなければ虚構ではないのか。フレームの中は全てが操作されている、だが、フレームの磯とは操作されていないのか?フレームの中にしか答えはないのか、そして、フレームの外に答えはないのか?つまり、演出、脚本がないからといって佐藤栄作が演じていないとは限らないし、演出家や脚本家がフレームの中にいない、つまり、ぼくらが彼らを見ていないから佐藤栄作の背後に彼らは存在しないということではない。
投稿者:陸将投稿日:2011-11-05 15:30:31
スクリーンを通じて、「観客」と「役者」が対峙する。
しかし、観客も役者も同じ「人間」である。

「映画を観る」という共通の目的によって、映画館に集った「観客」たち。
「映画を作る」という共通の目的によって、撮影現場に集った「役者」たち。
けれど、映画が終わって、映画館や撮影現場から一歩外に出れば、また赤の他人に戻っていく。

スクリーン上で映画が続いているうちは、自分には居場所がある。
だが、それは所詮虚構の世界である。映画は暗闇の中でしか生きられない。
スクリーンが真っ白になってしまえば、劇場が明るくなってしまえば、「観客」と「役者」は永遠の別れを迎える。

本作には、痛々しいほどの惜別の情が放たれている。
「映画よ、終わらないでくれ」と思ってしまう自分がいる。
映画は虚構の世界で、中に何もないことは分かっている。
それでも映画に安住し続けたい気持ちは生まれてくる。
それが映画の魅力だろう。

したがって、本作をDVDで鑑賞するのは邪道だ。
けれど、それしか鑑賞する方法がない。
それが悔しい。

映画館から外に踏み出し「町へ出る」とき、どのような気持ちになるのだろうか。
それを確かめてみたくなる。
投稿者:きらきら投稿日:2011-06-18 15:08:09
数学につまづいたのは中学生のときです。
それまで〈問題―答え〉という図式にあった数学(小学生までは「算数」と呼んでいましたが)に、記号やら証明が出てきたからです。
それは「数」を「学」ぶのが数学だというイメージにとらわれていたためでもありました。

ひとは文脈の異なるものにあったときに拒否反応を起こします。円周率を3.14で学んだ者にとって、円周率のπは異物なのです。さらには数学といえば、数を計算するものだというイメージにとらわれていたものにとって、πは邪道としか思えなかったのも事実です(笑)

実際数学が数を学ぶのは、数学のほんの一部分でしかない。むしろ数と数のあいだに関係性を打ち立てていく学問とでもいうのでしょうか……。
そんなことに気づいたのはずっとあとになります。

本編「書を捨てよ〜」は「映画」に慣れ親しんだものにとっては、異物としてとらえられてしまう可能性のある「映画」です。
ゴダールの文体にインスパイアされながら、寺山修司の詩的感覚をぶつけた作品とでもいえましょうか。
おどろおどろしいのは時代的なものですが、いま作ろうとしても作れるものではありません。かといって、資料的に歴史の一ページに納めておくのも惜しい作品です。

「書を捨てよ町へ出よう」
タイトルがいいですよね。
いまならさしずめ「パソコン(携帯)を捨てよ町へ出よう」ですかね(笑)

とは言っても、本来事件に出会うべき「町」そのものが安心・安全すぎて、事件そのものに出会わないかもしれません。さらにはせっかく事件に出会っていても、こちらがそれを「事件」と気づかない感性になっているかもしれません。

無理にはお薦めはしません。
でも仮にけなすことになったとしても、見ておいてもいい一本かもしれません。
投稿者:nabeさん投稿日:2010-11-21 19:06:32
奇才寺山修司の代表作。個性的な人物描写が次から次へと続き、インパクトの強い作品だ。
冒頭から主人公の佐々木英明の朴訥とした津軽弁に引き込まれる。これは間違いなく寺山修司自身の分身だが、これから始まる70年代のやり場のない若者たちへのメッセージでもあるだろう。
その後延々と続くサイケデリックとエロスの繰り返しは、異常なはずなのになぜか平常心を持って観れてしまう。とにかく退廃的な70年代がそこにあるのだ。時折切り出されるモノクロのショットが実に効果的で印象深い。
エンディングで次から次へと現れる出演者の実に個性的なこと。このような作品を興行したATGという存在は奇跡としか思えない。
投稿者:aotearoa投稿日:2007-01-19 15:34:37
が生きている時代は知らなかったのですが、書物などは読んでいました。
いかにもアングラって感じの映画ですね。
意味はないんじゃないかな??

古い。音楽もセンスがよくわかりませんしね。。
投稿者:かじゅ投稿日:2005-09-18 18:44:13
誰かこの映画のストーリーというか、
何が言いたかったのか、教えてくれませんか?
最後まで見ましたが、ゲロ吐きそうになりました。
こういう作品が芸術(ゲイジツ)なんだとしたら、
ぼくには芸術感がないのだと思います。
それでもいいです。
投稿者:ぶくろう投稿日:2005-04-10 01:17:33
あまり話題に出したくないタイプの映画。
投稿者:投稿日:2004-08-16 10:35:16
呪縛は忘れても解けるものではありません。
その証拠に「都電」は今も走っているということなのでしょう。

すばらしいですね。
投稿者:堕落者投稿日:2004-03-20 10:30:27
『田園に死す』はよかったが,これは拍車をかけてつまらない。色々実験的な事やってるけど,どれもこれもセンスが悪いし,うざいし,映像はブレたり,チカチカしたり,観ていて気分が悪くなるだけだな。やってる事,全部裏目に出てる。従来の実験映画の概念を突き抜けた?冗談,マスかきオナニー映画だね。
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