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ドイツ零年(1948)

GERMANIA ANNO ZERO
GERMANY YEAR ZERO[米]

メディア映画
上映時間75分
製作国イタリア
公開情報劇場公開(イタリフィルム=松竹洋画部)
初公開年月1952/06/07
ジャンルドラマ/戦争
ドイツ零年 [DVD]
参考価格:¥ 1,944
価格:¥ 1,180
USED価格:¥ 230
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【解説】
 戦後のネオ・レアリスモ紹介の気運に乗って、本作も製作後まもなく日本でも公開されたが、その時には正当な評価を受けずじまいで、大戦に対する歴史観がしっかと形成されてきた近年のリバイバルで、ロッセリーニの前衛ぶりはようやく理解された。第三帝国滅亡後、廃墟となったベルリンを徘徊する13歳の少年エドムンドは、間借りの部屋に病身の父と、身を売って生計を立てる姉と共に暮らし、自分もいくらかの足しにと小銭稼ぎをしていた。軍隊にいた兄が帰還するが、ナチ党員であったことを表沙汰にするのを恐れ、閉じこもってばかりいる。ある日、小学校時代の恩師に会うが、彼は旧軍人の家に寄生虫のように住みつき、未だナチの弱肉強食の理論を振りかざし、エドムンドに父親の毒殺を示唆する。少年はそれを実行してしまうが……。たぶんにセンセーショナルな主題を冷徹なタッチで表現。父殺しの場面のスリル。その後、少年が絶望の町を彷徨するシークェンスの空間把握。やるせない孤独感が観る者を胸をえぐる。
<allcinema>
評価
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
217 8.50
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【ユーザーコメント】
投稿者:呑気呆亭投稿日:2013-04-09 19:43:35
この映画は語るには辛過ぎる。明らかにゲルマン民族の風貌を持つ少年やその家族がイタリア語でしゃべりまくることに違和感を覚えながら、実景である爆撃によって無残に破壊されたベルリンの光景に息を呑み、次第に貧しさのおぞましさと、貧しさ故に引き起こされる悲劇に引き込まれて行った。しかし、まだ戦争の傷跡が残るベルリンでいかにもはかなげな手足を持った少年の悲劇と孤独を、これほどまでにリアルに描こうとしたロッセリ−ニの意図は奈辺に在ったのか。少年愛を暗示させる描写の多用も含めて、路頭に立ち竦む少年の絶対の孤独に感情移入しながらも、見終えて後味の悪いモノを感じざるを得なかった。http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:Ikeda投稿日:2011-11-21 10:58:10
この映画は1948年に製作され、1952年に日本で公開されて、その時、私も見ましたが、戦後7年経っているとは言え、まだ同じ敗戦国の日本に取っても同じような記憶があったため、さほどの感銘を受ける事はありませんでした。特に主役のエドムンド(エドムンド・メシュケ)が、日本敗戦時の私と殆ど同じ年の少年を演じているので余計にそう感じたと思います。
最近、見直しましたが、かなり複雑な家庭におけるエドムンド少年の悲しさが厳しく描かれていることは間違いありません。ただ、私のように都会に住んでいた小学生は殆どが学童疎開で地方に分散されていて、戦後も規制があって私の場合は東京に中々戻ることはできなかったので、かなりの苦難はありましましたが、これほどの体験はしないで済みました。闇市や配給の行列など、今思えば懐かしいくらいの気持ちですが、それにしても当時の事が思い出される作品で、ドイツの戦後をイタリアのロッセリーニが描いていることに興味があります。
投稿者:gapper投稿日:2011-10-28 23:41:59
 少年が主役だが、子供向けでも家族向けでもない痛ましい作品。

 戦争によって傷つくのは皆同じだが、より傷つくのは子供でその着眼点はロッセリーニはさすがと言える。
 何をやっても不満だらけの日常で懸命に生きる人たち。
 その中で最もがんばっているのは、少年のエドムントだ。
 大人なら罵詈雑言で憂さを晴らせるが、子供では全てを受け取ってしまう。
 それゆえ適応力も高い。
 しかし、経験の浅さが先を見えなくもする。

 ロッセリーニの戦後を扱ったネオリアリズモらしい「無防備都市 (1945)」、「戦火のかなた (1946)」とこの作品と3作を連続で見たが最も出来がよいと感じる。
 前2作は、ロケと不揃いのフィルムなどといった不足する機材や物資がリアリズムを高め作品を後押ししている感じがあったが、この作品は必要なく感じた。

 ただ、元教師エニングについては”ドイツに対する非難でも擁護でもない”としながらナチについては別格のようで少しだが作為を感じる。
http://gapper.web.fc2.com/
投稿者:ルミちゃん投稿日:2002-01-11 18:16:53
【ネタバレ注意】

廃虚と化したベルリンの街、貧困にあえぎ、ぎりぎりの生活を強いられ、意欲も信仰も失った市民.廃墟は街並みだけではない、そこに住む市民の心も廃墟と言ってよく、戦後二年のベルリン、絶望と、戦争の傷跡から逃れることのできないすさんだ心が、一人の少年の心をむしばんで行く.

皆貧困にあえいでいることを知りながら、職泥棒と子供を追い払おうとする大人たち.
借家人を追い払おうとする家主.軍人だったことを知れるのを恐れ隠れ住むエドムントの兄.
ナチの残党を想わせる得体の知れない一味、その配下の教師、更にその配下の孤児を含む窃盗団.
自身に希望を見出すことのできない病身の父親.そして、米兵から貰うタバコを売る、そのわずかな収入を頼りに、希望を捨てずにフィアンセの帰りを待ち続ける姉ではあるけれど、夜毎出かける姉の姿は、やはりエドムントの心を歪めていった要因と言えるのかも.
ロッセリーニは戦争終結間際、無防備都市ではイタリア人民の団結を、そして戦火のかなたにおいては、アメリカを頼りにしないことを訴えました.団結して自分達の力で国家を再建することの大切さを訴えたのです.そして、前二作に続くこの映画では、描かれた通り、ロッセリーニの言葉にあるとおり、子供の人権についての認識を高めること、つまりは、戦争が終わっても未だに戦争の傷跡を引きずり続ける現実から、子供の心を守ること、明日をになう子供を育てること、子供の心の擁護が何よりも大切と考えたのだと想います.

ドイツに対する非難でも擁護でもない.それは当然なこと.イタリアにおいても現実はドイツとたいして違いはしない.が、自分自身のことは分かりにくい、からこそ、イタリアよりも悲惨な惨状のベルリンを舞台に描き、観せる事によって、子供の心を戦争の傷跡から引き離す必要性を説いたのでしょう.

独りぼっちになったエドムント、教師からも追い払われ、窃盗団からも追い払われ、そして、子供たちのボール遊びに加わろうとしたけれど、子供たちからも嫌われた.12,3の子供に戻ろうとしてもできなかったのです.なぜ、この様なことに、そう考えるとき、その要因は全て、戦争の傷跡を引きずっているためなのですね.

投稿者:Katsumi Egi投稿日:2000-12-26 23:17:43
 傑作。

 元教師の男色的な気持ち悪さ。さらに彼が閣下と呼ぶ男の薄気味悪さ。閣下とはいったい何なのだろう。

 全体的に強烈なテンションの持続なのだが、エドムンドが父親を毒殺してからが恐ろしく素晴らしい。
 不良達がたむろする洞穴のような場所へ女の子を尋ねていくシーン。夜の公園で一人遊ぶ幻想的なカット。元教師に告白し逃げ出した後の子供達のサッカー。少年が飛び降りることになるビルでの拳銃ごっこ。
【ソフト】
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