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カリスマ(1999)

CHARISMA

メディア映画
上映時間104分
製作国日本
初公開年月2000/02/
ジャンルサスペンス/ドラマ
カリスマ [DVD]
参考価格:¥ 2,052
価格:¥ 1,613
USED価格:¥ 2,000
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【解説】
 刑事・藪池は、犯人と人質を両方生かそうとして両方死なせてしまう。心に深い傷を負った藪池は、心の傷を癒そうとふらりと入った森で一本の木に出会う。それは、根から分泌する毒素によって周りの木々をすべて枯らしてしまう不思議な木“カリスマ”だった。周辺ではそのカリスマを巡り、森全体のために伐採を主張する者と、カリスマを守ろうとする者とが激しい闘争を繰り広げていた。「CURE」の黒沢清監督が真に自由に生きることの意味を問うた人間ドラマ。
<allcinema>
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
956 6.22
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【ユーザーコメント】
投稿者:さとせ投稿日:2016-04-28 16:25:30
刑事の役所は、人質と犯人共々射殺してしまう。
ショックを隠せない役所は、当ても無く森へ出向き1本の木カリスマと出会う。
枯れ木であるその木だが、周りを枯らす力を持っているらしく、その木を守ろうとする池内とその木を倒そうとする大杉たちが奮闘していた。
2人はやがてぶつかりあうが知り合った風吹ジュンにカリスマの木の秘密を聞き・・・。

黒沢清監督のNEOホラー。
1本の木を巡り銃撃戦が始まるというのが面白く、それで物語を成立させるのが素晴らしい。
予想の付かない展開に、何故?と思える人間物語で104分を乗り切ってしまい退屈させる事が無い。
DVDでの鑑賞だが、元々の画質が良くないのか甘く音声も録音レヴェルが低い為、かなりのヴォリュームを上げないと何を言っているのか分からない。
投稿者:陸将投稿日:2011-03-04 21:53:37
【ネタバレ注意】

本作は、人間のある種の滑稽さを描いた作品だと思う。
“カリスマ”という木を巡る、大の大人たちの骨肉の争い。

ただそのカリスマという木を見てみると、色は白っぽく、やせ細っていて、曲がりくねっている。自分たちの生活をかけてまで守るべきものには到底思えない。
この木は周囲の若い木から毒素によって枯れさせてしまうが、周囲の木は何故かこの木に寄ってくる、という説明があるが、果たしてそれは本当なのだろうか。

そうやって主人公の刑事は周囲の人々に翻弄されるのだが、人間が勝手に1本の木を“カリスマ”と権威付けして、周囲の現象をそれに結び付けて、ある意味神格化しているだけに過ぎないような気がする。

ただ、そのことによってこの森に住む人々は秩序やバランスを保っているのではないだろうか。
だから、この木が切り倒され、燃やされた途端に、人間たちが命を落としていく。

本来は無価値なもの、価値があってもはっきりとは見えないものに何かはっきりとした形で価値を付随しないと生きていけない人間たちの姿。
それは現代にも通ずるものがあると思う。
そんなものを絶対化する人間はやはり滑稽であり、しかしそうしないと生きていけないのが人間なのだと思う。

ただ、黒沢清の映像は全てにおいて、何か意味ありげに感じる。
静と動、遠と近といったリズム、わざと障害物を前に置いて画面を見づらくしたり、はっきりと対象を映さず、観客に目を凝らすことを要求したりする。
とにかく1ショット1ショットの構図が非常によく練られていて、力強いのは確かだ。

だがそれ故、難解さも常に付きまとう。
そのタイミングにそのショットを持ってくる必然性を探り、自分なりに解釈する作業が断続的に続いていくのである。
そのショット全ての意味が分かれば、きっともっと深いテーマを描いていることに気づけるのかもしれない。
本作を観終わって、そう思ってしまった。

投稿者:uptail投稿日:2010-03-30 22:03:39
風吹ジュン
投稿者:ヒノキオ投稿日:2008-06-18 08:21:10
ずっと日陰者だった黒沢が突然祭り上げられた頃の一本で、
観客が見えていない。

哲学が詰まっていても長回しが死ぬほど上手くても
絵としての貧困さがまるで観客の興味を持続しないことに
気がつくべきだろう。

傑作『ニンゲン合格』と同時期に公開されたがこちらは駄作。

各キャラクターに色々と象徴させてしまっている時点で
他の黒沢映画と比べても青臭さが際立つが、
脚本はもっと前に書かれたものなので仕方ないのかも知れない。

ラストで唐突にCGを使ったりスケールを大きくして驚かせる辺り、
スピルバーグが好きという意外な一面を覗かせている。

役所・風吹・黒沢トリオはこの後傑作テレビ映画『降霊』を撮る。
投稿者:ひつじめえめえ投稿日:2007-12-14 12:41:20
黒沢も持ち上げられすぎの監督の一人なような気がするな。理屈は多いみたいだが、作品つまらんよ。どうしてこんなに田舎くさいのか。
投稿者:ryacophila投稿日:2005-11-14 13:51:14
すごく内容の詰まった映画だと思います。
シーンごとにも監督の意思が伝わってきます。

http://blog.goo.ne.jp/trichoptera/e/2900d1ad1792a61fb8a46b84c82231ec
↑映画“カリスマ”レビュー(ネタばれてます)よければ読んでください。http://blog.goo.ne.jp/trichoptera
投稿者:古木はスター投稿日:2005-08-23 02:29:40
DVD買ってしまった(笑)

ハンマーみたいなのでの処刑シーンとか、洞口依子を日本刀で
ズブズブと刺し殺すシーンとか(これはトビー・フーパーへのオマージュか?)
『回路』もそうなんだけど、なんか黒沢清が撮ってみたい画を
とりあえずたくさん入れてみましたー、みたいな。

あえてジャンル分けをすれば、これはモンスター映画か?
投稿者:堕落者投稿日:2004-02-20 21:04:36
冒頭の主人公の刑事が人質と犯人の両方を助けようとして,結果的に両方死なせてしまうという場面からこの作品は極めて象徴的と言える。カリスマと呼ばれる一本の木を守るのか,それとも森全体を守るのか,この問題によって対立する人々の構図は聊か図式的ながらも個人と全体の普遍的相克,正に現代社会の縮図を簡潔に描写していて面白いが,それよりも一本のカリスマが打倒されてもまた別の木がカリスマとして新たに主人公達に「認識」されるのが面白いですね。問題なのはカリスマじゃないし,森でもない。そもそも主人公が気づいた様に善悪の区別(森全体やカリスマという認識)は初めからある訳じゃない。人間がものさしを作って測量し,差別化する事によって全ては生まれてくる。カリスマは最初からカリスマなのではないのだ。
この認識によればカリスマを守るのか,森全体を守るのか,という議論は意味が無いし,最初から生まれない。ここに提示されるのは底が抜けた現代の現実である。だが,無論,カリスマや森全体を否定する事は出来ない。世界は混沌としているし,どうしても秩序が必要だからだ。あの結末が全てを物語っている。それは至極,カリスマを否定する事は出来ないという事だ。何故ならばカリスマを否定する事は自分自身を否定する事になるからだ。それがもし「悪」(ここではカリスマであり,無論,人間の認識に於いてだが)だと呼ばれる物(事)だとしてもある程度認める事によって,最大限の被害を食い止める事が出来るかもしれない,と。
差別をするな,と言われますよね。差別は絶対に悪だと。しかし,カリスマ=(権威,秩序,差別,天皇)がなければ生きていけない人間とは一体何なんでしょうか?という問題が発生する。戦争や差別が悪なのではない。これらは単なる媒体にしか過ぎないのだ。戦争や差別が悪ならば人間は同様に悪なのである。その論理=(悪を否定する事)でいけば必然的にカリスマがなければ生きていけない悪(人間)は滅びた方がいいのかもしれないという事になってしまうからだ。或いは違う。悪が存在するからこそ,善なる者が存在するからだ。カリスマを打倒した=突き抜けた先にあるのは左も右もない,いや左も右も存在しえない空間なのだ。正しくそれは無である。そう,然るに真の自由とは何もないという事なのだというアイロニーがここに提示されもする。
自由と軽々しく言うが,その言葉の持つ本当の事実の厳しさにどれだけの人間が耐え得る事が出来ようか?真の芸術家はみんなそうだが,ここでも黒沢は拒否できない物(事)を拒否する精神について問いていますね。無論,答えられる訳がない。それは同時に残酷な事でもあるからだ。人間の解放=世界の滅亡だって事もありうる訳ですから。そういう意味で正にこれは20世紀最後の黙示録と呼ばれる事に相応しい内容の出来であるし,両義的な啓示を内包したその見事な寓意性=つまりは普遍的な相克を描いた=本作は傑作だと言えるであろう。
投稿者:ミリアム投稿日:2003-01-24 07:59:03
【ネタバレ注意】

傑作。これ程までに深く普遍的な人間性の本質を描ける監督は、今現在の映画界にそうはいないと思う。
あらゆる価値(=カリスマ)の無根拠性を真理の名のもとに暴いてしまえば、世界が破滅と混沌に陥るのは当然の帰結。ただここで問題なのは、「平凡な」刑事であるはずの藪池は、なぜそのような価値の無根拠性を声高に叫ばずにはいられなくなってしまうのか、という点ではないだろうか。そこには、価値や権威(=カリスマ)に服従や反発する人々に対するある種の優越感と差別意識が潜んでいる。「自分だけは世界の真理を知っている」という特権意識。本当に平凡な人間であるならば、なぜせめて「何もせずに、ただ黙っている」ことぐらいできないのか。人間とは、絶えず他者と差別化することでしか自己を肯定できない。それほどに弱い存在なのではないだろうか。
人間のもつ弱さと悲しさ。黒沢清の映画は、人間が抱える根源的な問題意識を強く呼び起す力をもっている。

   

投稿者:Mr.Nobody投稿日:2002-02-05 00:08:25
この作品もそうですが、その他の黒沢清作品『CURE』『回路』
も結局、何がどうなったのかよく分からずに話しが終わってしまう
ものが多くて、いつも頭の中が???の状態でイライラします。
自分なりに解釈せよ。ということなでしょうか?どの作品も1シーン
1シーンは緊迫感あって引き込まれるのですが、いつも結末でガッカリ
させられます。でも、そこか黒沢作品の魅力なのでしょうか?
投稿者:Katsumi_Egi投稿日:2002-01-13 11:24:52
【ネタバレ注意】

 ラストの解釈について。
 3機のヘリコプターが向かう炎上する場所は間違いなく東京だろう。先に「東京もここから近いもの」という洞口依子の台詞があるのでそう考えるのが妥当。であるならば、東京全体がどうして燃えているのか。破局の契機となる出来事は何か。
 映画中に提示されている、東京炎上を引き起こすほどの事件は、矢張り第二のカリスマ(ただの枯れ木)の爆破だと考えられないだろうか。

 第二のカリスマとは、無価値な物へ、訳も分からず闇雲に価値を見いだす人々の隠喩、あるいは、価値があるかどうかも判らないのに他人が価値を見いだした途端、右往左往しはじめる都市社会への隠喩とするならば、第二のカリスマが爆破されたと同時に東京が爆破されたのだと私には思える。寓話として辻褄が合うような気がする。もしかしたら、炎上しているのは東京だけにとどまらず、あの森を除く全世界かも知れない。

 では、大ハンマーで処刑を行う、トラック上でベレー帽(?)を放り上げた一団の存在をどう考えるか。彼らがあの炎上を引き起こしたのか。私は、ラストの炎上と大ハンマー処刑集団との関連性は希薄だと結論づける。

 なぜなら、ラストで主人公(役所広司)が携帯電話で喋る相手は「お前一体何をしたんだ」と言うのだ。この台詞はどう考えても、炎上する場所に対して「一体何をしたんだ」と言っているとしか捉えられない訳で、と言うことは、本編上は、あくまでも、役所広司が引き金を引いた事件で、あの場所が炎上しているのだと見なす必要があると思う。(携帯電話の相手が、炎上の原因が役所広司であると、どうして判ったのか、なんていう問いは、この際ナンセンス。これは、あくまで寓話なのだから)

 と言う訳で、役所広司が字義通り引き金を引いたのは、矢っ張り第二のカリスマの爆破以外に考えることが難しいと、私には思える。

#この解釈で言えば、ハンマー処刑集団は、第二のカリスマを巡る闘争の、混沌さを表現する一機能としか考えられないと私は考えます。
http://www.page.sannet.ne.jp/egi/

【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
■ 作品賞 
 ■ ベスト10第1位
【ソフト】
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