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渚にて(1959)

ON THE BEACH

メディア映画
上映時間135分
製作国アメリカ
公開情報劇場公開(UA)
初公開年月1960/02/10
ジャンルSF/ドラマ
渚にて [DVD]
参考価格:¥ 1,944
価格:¥ 927
USED価格:¥ 997
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【解説】
 米ソ冷戦下の真っ直中で製作された、核戦争後の放射能汚染の恐怖を淡々と描いたシュート原作の映画化。時は64年。第三次世界大戦が勃発し、世界全土は核攻撃によって放射能汚染が広がり北半球はすでに全滅。僅かに残った南半球の一部地域に人々が暮らすだけになっていた。そんなある日、本国に帰港出来なくなったアメリカ原子力潜水艦がメルボルンに入港する。そこで艦長タワーズ(ペック)は美しい女性モイラ(ガードナー)に出会いしばしの休日を楽しむが、その地にも死の灰は確実に迫っていた。しかし生存の道を探る学者達の提案で、オーストラリア軍の若き大尉ホームズ(パーキンス)や学者のジュリアン(アステア)たちと共にタワーズは潜水艦で北極圏に汚染調査に出掛けて行く。しかしそこでも汚染レベルは依然高く、乗員達は落胆の色を隠せないまま帰路に着く。そして途中寄ったサンフランシスコではもっと悲惨な現状を直視(これが凄い!)し、メルボルンに帰港するのだが、彼等を待っていたものは最後の数十日と死への旅立ちだけになっていたのだった……。全編に渡って描かれた迫り来る死への不安と恐怖。その絶望的状況をちょっとしたエピソード(美しい海辺の描写がかえって悲しいシーンとなるなど)を使ってひしひしと伝え、中途半端に核戦争を扱った作品には到底及ぶことの出来ない悲壮感を衝撃映像なしに描き出した、まさに力作と呼べる作品。必見!
<allcinema>
評価
【吹き替え】

TV
※このデータは放送当時の情報です。
城達也グレゴリー・ペックドワイト・ライオネル・タワーズ艦長
翠準子エヴァ・ガードナーモイラ・デヴィッドソン
北原隆アンソニー・パーキンスピーター・ホームズ
梶哲也フレッド・アステアジュリアン・オズボーン
山崎左渡子ドナ・アンダーソンメアリー・ホームズ
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
865 8.12
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【ユーザーコメント】
投稿者:ロッテンクロッチ投稿日:2015-09-01 04:24:15
とにかく長い。
投稿者:uptail投稿日:2014-03-08 12:01:05
演出:7
演技:7
脚本:6
音響:7
投稿者:遊乃舞寧夢投稿日:2012-05-05 11:16:34
【ネタバレ注意】

迫り来る死の灰の恐怖の中、淡々と日常を過ごし続ける生き残った人々・・・一貫して陰鬱な
息苦しさに溢れた作品であるのも確かですが、観終わって、ああ、これは映画の出来事なんだ!
まだ私たちは生き続けられるんだ!と思える、サウナのあとのビールのような?開放感。

ラストの垂れ幕・・・ ” THERE IS STILL TIME..BROTHER ”  まだ間に合いますよ!皆さん!!

公開当時の米ソ冷戦真っ只中、切羽詰った危機感の中で謳い上げられたメッセージが、
まったく過去のものではない現実感をもって胸に迫ります。というのも、日本でも福島原発の事故
により、半径数十キロメートルが、まさにこの映画と同じ世界になってしまった現在、このメッセージが、
より強く訴えられるべきものとして生き続けていることを実感せざるをえません。

この映画が公開された1959年(昭和34年)は、日本で言えば、テレビの普及率が頂点に達した
年でした。これ以降、それに対抗して観客を動員しなければ採算が取れない映画は、どんどん、
それまで以上に娯楽性を増し、派手な演出が目立つようになっていきます。

観客の側もその演出に麻痺していき、さらなる”刺激”を求め、映画もそれに応えるという往復の
繰り返し・・・CGも発達した21世紀の今や、それは頂点に達し、胸を槍で突き刺す位の刺激が
なければ「面白くない」と、いとも簡単に一蹴してしまう観客たちを満足させるべく・・・。

この「渚にて」を観ると、映画がそうした余計な刺激や演出に一切頼らずに、その作品性に集中できた
最後の頃の作品とも思え、その内容から考えるに、それは非常に幸運なことでもあったと感じます。

人々が死に絶えたサンフランシスコからモールス信号を送り続けた、風に揺れるコーラの瓶。
死の灰に包まれながら暢気にゴムボートで釣りをする若者と、潜望鏡からの艦長とのユーモラスな
会話。喧騒に包まれていたはずの都会の街並みに、人ひとりいない衝撃・・・

極めてデリケートな感覚に溢れた作品であり、ダンスの巨匠、フレッド・アステアが一切踊りも歌いも
しない、という起用のされ方に、その”奥ゆかしさ”は象徴されています!もし、この作品でアステアを
初めて知ったという人がいたら、古典劇出身か何かのベテラン性格俳優だと思うかもしれません。
悔恨の念と孤独感に満ちた科学者を、”俳優として”見事に演じています。一流の歌舞伎俳優と同じく、
身体表現を極めたアーティストは、心理表現にも長けるという一例と思えました。

原作者のネヴィル・ショートは自らの会社を持つほどの航空技術者でもあり、大戦中は兵器の開発
にも携わったそうですから、この作品中のアステア演ずる科学者の悔恨に満ちた台詞は、第三者と
しての批判ではなく、作者自身のリアルで痛切な懺悔であったと思われます。

潜水艦に乗りたい!とアステアに乞うエヴァ・ガードナーの台詞が「I can sing and dance!」
というあたり、唯一のお遊びでしたが、まったくそれに動じないアステアの反応が”大人”です。

投稿者:blacus投稿日:2011-02-14 18:41:27
モノクロからカラーへの完全移行期に作られた作品で(カラーだと『ベン・ハー』とか『北北西に進路をとれ』とか『リオ・ブラボー』、モノクロだと『お熱いのがお好き』が公開された年)、その白黒の画面のシャープさに息をのむこと何回か。

でもお話は今見るとやや退屈と感じる。
恐らく核戦争による人類滅亡は当時の人たちにとってはまぎれもなくリアルな恐怖だったのだろうとはわかる。
同じように核戦争が起こる可能性は、むしろアメリカが核廃絶に向かいつつある現代でもありうるわけだけど、今だったら、政府の要人や金持ちたちは放射能を逃れて地下シェルターや月に逃げることも技術的に可能になりつつあるので、核による本当の意味での人類滅亡はもはやあまり切迫感を感じ得ない。
人類滅亡を覚悟した人々のドラマが成立するのも、核によって全ての人に平等に死が訪れるという前提があってのことであるが、もはやこの前提はかつてほどの説得力を持っていない(逆にもし特権的な一部の人々は生き残れるということになれば、映画は平凡なパニック映画『2012』のような、その特権的な人々になるべく争う人たちの物語にならざるを得ないだろう)。
そのため、グレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナー、アンソニー・パーキンス、そしてフレッド・アステアのそれぞれのエピソードもどこか遠い世界のメロドラマのような気がしてしまう。

もちろんいくつか印象的な場面もあって、モールス信号を送り続けるコーラ瓶とか、だれ一人いないサンフランシスコおなじみの坂の多い街並みとか(特撮じゃないとしたらあれはどうやって撮影したのだろうか?)、そのサンフランシスコ湾で脱走兵が一人釣り針を下していると突然現れた潜水艦とスピーカを通して話をするシュールな場面とかはよかった。

投稿者:陸将投稿日:2010-12-22 20:44:58
【ネタバレ注意】

本作では実際に人が死ぬ場面や原爆が爆発する場面は一切ない。
あまりにも淡々と核戦争による人類の終末を描いている。

逃れることのできないその時。
刻一刻と迫ってくるその時。
人は必ず死ぬ。
しかし、自分がいつ死ぬかはほぼ分からない。

だが、本作は死ぬ時期も分かっている。
それまで何をして過ごすのか。
そしてどう死ぬのか。
様々な人々の死に際が描かれている。

努めて明るくしようとする者。
現実を直視できない者。
家族を愛するが故に苦しまない死を望む者。
そんな愛する者が身の周りにいないという現実を突きつけられる者。
死が早まってもいいから故郷に戻る者。
夢や趣味を実現させようとする者。

今映っている誰もが確実に死ぬ。
その残酷な事実が分かっているからこそ、全ての場面にどこか悲壮感や、どうにもならないやり切れなさを感じる。

ただ、本作の登場人物はそんな結末をある意味潔く受け入れているような気がする。
そんな事になったのも、同じ人間のせいだからだ。
ラストで大尉の妻が「神よ、お許しください」と言うのも、そのような意味からだろう。

人間の愚かさや恐怖が、静かに心に染み入ってくる傑作である。

投稿者:にゃんにゃん投稿日:2009-09-05 02:52:02
原爆を落とされた国でなく、その周りの国に忍び寄る恐怖を描いたSF映画。
どこかの国とどこかの国が核戦争をしてしまい、
その結果原爆の影響が地球全体に及んでしまうという話である。

この映画の面白いのは、地球の未来を描いていながら驚くほどの地味さと
現実的な視点を持っているところ。
原爆でモンスターが出来あがったり、妙なSFアイテムが出てきたりするわけでもなく
この映画の登場人物は現在と変わらないごく普通の生活を送っているだけ。
しかし、そのごく普通の生活の裏にある、原爆に対する潜在的な不安が妙にリアル。

この映画で描かれるのはほとんどが人々の日常生活というのが凄い。
訪れる死までにやり残したことをやる者、最愛の人と過ごす者など、
原爆のことより彼らの最後の日常生活が静かに描かれる。
恋愛や趣味の話などいろいろな要素が詰まっているので
少々長くて退屈に感じる部分もあるのは確か。
しかしその原爆に対する悲壮感や不安は、下手にドカンドカンと原爆が落ちる映画よりも
よっぽどその恐怖を伝えることに成功していると思う。
原爆による爆風、原爆による病気は見せない。
ただ原爆に対する人々の不安を見せるだけ。凄い。

そして最後に伝えられるメッセージがしっかり観客に届く。
武力によって平和が維持できるのか?それは私にはわからないが、
少なくともそんなもの捨ててしまえと思うだけの説得力があった。
投稿者:ちゃぷりん投稿日:2009-08-01 06:01:26
【ネタバレ注意】

の元ネタになってるのは解るが、どうにも退屈だったので18分で全編観るのをあきらめ、早送りしながら見所を探したが、SFなのに会話のシーンばかりで、原潜が金門橋を通過するシーンで再生ボタンを押したら1時間14分も経っていた。
他にモールス信号を送り続けたコーラ瓶が印象的だったが、それから放射能汚染の最初の兆候が現れ始めるまでが、レースなど興味をそそらないシーンが続き、台詞の中に重要な意味があるにしても、画的に惹きつけるシーンが少なく、何より長いのが不満で、もっと刈り込めると思った。基本的には感動的だし好きなんだけどね。

投稿者:gapper投稿日:2009-01-31 19:02:15
 パーキンス(ピーター・ホームズ役)は適役だと思うが、アステア(ジュリアン・オズボーン役)がミスキャストにしか思えず、不満が残る。どうしても科学者で悲壮感漂うというのは、イメージにない。それを打ち破る”なにか”があれば別なのだろうが、感じなかった。ガードナー(モイラ・デービッドソン役)は、確かに個性を生かしたものになっているとは思うが、そもそも可憐な感じであっても良いのではないかと思う。それなら、デボラ・カーやエリノア・パーカーの方がと考えてしまう。 核戦争後の話は多いが、まだ影響のない所の話は少ない。将来が少ないと確定された人々のそれぞれの生き方を描いているが、エンド・オブ・ザ・ワールド(2000)を先に見ているせいか、今ひとつだった。特に、信号の発信源を突き止めるところは何も知らないほうが良いと思う。SFは好きなのだが、”暗い”や”しんどい”のは好きではないのも、今ひとつだった原因か。 よく、ペックは大根役者の様に言われるが、これは彼の個性ゆえの勘違いだと思う。個性と演技を、切り離して見ないといけない。大根役者が、数々の名画に多数出演するなどありえません。 主題曲のワルチング・マチルダは、オーストラリアの国歌に検討されたこともある曲というのを調べて知りました。
投稿者:民謡から演歌まで投稿日:2008-02-09 22:02:23
【ネタバレ注意】

現状(当時)存在する科学で予測し得る結果のひとつ。誰かの行動ひとつで現実となったかも知れない世界。
状況が状況なのでパニックもの的な要素はあるのだが、どちらかといえばそういう状況における人間の感情/選択を描く端正なドラマですね…いや名画のひとつではないかと。

核の恐怖は十分に伝わるのだが、あえてエキセントリックな演出はせず、生き残った人間の行動を淡々と描きます。が、ラストの横断幕(ってアイデア/宗教家が集会を開いた名残り)が痛烈なメッセージ。

車を愛し、レースを戦う男の選択。(アステア…粋です)
危険を承知の自分でなく家族を失った男の新しい出会い(マス釣り/嵐の夜〜Waltzing Matilda)。
クラブのワインを楽しむ男。玉突きする男。海水浴。ヨットレース。提督の美人秘書には男がいない(は関係ないか…)。サンフランシスコに泳ぐ男。(2〜3日か1週間位で発病するらしい…)

…そして愛する妻(渚にて出会った)との間に子供が誕生した男。
病気の苦しみから解放される薬(つまりが毒薬)〜母親が赤ん坊を殺せるのか?でも結局死ぬんじゃないか…そんな「論理的」な考えは「感情」の前に意味を為すのでしょうか?

無人のサンフランシスコを確認した潜水艦は誰もいない筈の街(サンディエゴ)から発信され続ける信号(モールス信号は知らないらしい)が何なのかを調査にゆく。〜下でも書き込んでられるが、△◎に□×は正に助演(男優?)賞ものかもですね。

宇宙の小さな星、地球。それは放射能によって死滅した世界。既に廃墟と化した北半球の国々…そして人間に唯一残されたオーストレイリアにも終末が近づく…

投稿者:Ikeda投稿日:2007-03-26 13:06:49
この映画の主題曲「Waltzing Matilda」は当時、よく聞いた歌ですし、主演が私が好きだったグレゴリー・ペックでしたが、テーマが気になって見ませんでした。この時期、アメリカがビキニ環礁で原爆実験を繰り返していて、それが終了した翌年に公開されているからです。それに巻き込まれて第五福竜丸の被爆という、我々にも他人事ではない事件も起きていました。
最近、この映画を見ましたが、オーストラリアを舞台にしている事もあって、社会派のスタンリー・クレイマーが、それらを批判しているのかも知れないとも思いました。それにSFと言っても、全然その感じがない所は変わっています。地球破滅という大問題を扱っているのに淡々と進行していて、サンフランシスコなどが無人であることだけにSFらしさがある程度なのが面白いです。
ペックは普通の演技ですが、適役だと思います。アステアの歌も踊りもない役は、これが初めてのようですが、もともと演技もうまい方なので、十分見られます。ただ、もう60才なので、流石に老けた感じが強いです。一方、ミッキー・ルーニー、アーティ・ショウ、フランク・シナトラと離婚歴のあったエヴァ・ガードナーは、この時37才ですが、若いなと感じました。
投稿者:研ぎ造投稿日:2006-04-09 17:53:13
アステアというと「歌って踊る人」という位の認識しかありませんでしたが、
老練な科学者という枯れた地味な役も、味があってイイですね。
核戦争の意味合いを淡々と綴る独白のシーンが印象に残ります。

終末ものというと、民衆がパニクる場面がやたらと描かれがちですが、
実際には意外と本作のように、事実を淡々と受け入れるという反応をするもの
なのかも知れませんね(起こって欲しくはないですが)。

本作では「死ぬなら故郷で、家族の元で」という心情が繰り返し描かれます。
今の日本人に、このような自分の土地への執着なんてあるんでしょうかね?
投稿者:oohlala投稿日:2005-11-14 16:10:36
製作された当時は非常に意義のある映画だったでしょう。非常に綺麗な映像が印象に残ります。しかし、G・ペックの大根振りには。。
投稿者:kg381i投稿日:2005-10-01 09:41:49
【ネタバレ注意】

この映画のテーマ曲は、オーストラリアの第二国歌として有名です。映画を知らない人でも一度は耳にしたことがあるのでは・・・
静かに迎えていく人類の終焉。下手なSFXのない時代でよかったと思わせる映画です。モールス信号をたたくカーテンの紐に絡まったコーラのビンは、「アメリカン・ビューティー」の風で舞うビニール袋とならぶ人間でないアカデミーの助演賞ものの双璧でしょう。

投稿者:黒猫にゃぼ投稿日:2004-08-23 18:57:47
世界の終末を描いた、「最高」とは言えないまでも、名作。

モールス信号の一連の流れも寂しい。主人公達が潜水艦に乗って静かに死にに行くのも寂しい。ラストの集会に集まっていた人々が、段々減っていくのも寂しい。(この場面のBGMはもっと静かなのが良かったかな・・・)
投稿者:黒いチュウリップ投稿日:2002-07-25 15:26:09
非常にしっかりした真面目な作りの、希望無きお話。恐い。
投稿者:るるる投稿日:2001-09-29 01:41:51
うーん。まじめな映画なのだろうし、作り手の力の入れ具合もひしひしと伝わってくるし、なんとなくこういう映画って下手にけなせないところがありますが。でも純粋に映画としての観点からすると、ぼくはえらく退屈しました。
上映時間も長すぎるし、ひとつひとつのエピソードも、現代の視点から見るとなんだかもったりとしていてまだるっこしい。終盤の下手な特撮のカーレースのシーンなんて、(もちろんこの映画のテーマのためには必要なシーンであることは認めますが)、もういいかげんにしとけ、とか言いたくなりました。謎のモールス信号のエピソードも、だいたいオチはわかっちゃうのに、必要以上に引っ張りすぎだと思うし。
こういう終末SFって多いですよね。そういうののお手本になったという意味で歴史的価値はありますが、またこの映画の言わんとするところは現代にも通ずる普遍的な問題ですが、でも現在、「渚にて」が心にずしりと来るようなインパクトをいまだ保っているかというと、ぼくは否定的になってしまうのです。
テーマがいくら通時代的、普遍的であろうとも、その「語り方」は、時代がそれを要求するものだと思うのです。その意味で、40年以上前の時代背景のなかで当時の撮影技術によって作られたこの映画は、もう古びているとぼくは考えます。
もちろん、軽くてちゃらちゃらした現代のパニック映画もなんとかならんかと思うけれどね。
投稿者:Longisland投稿日:2001-02-07 14:27:17
映画から受ける印象・感情には 感動・可笑しさ・悲しみ・そして恐怖と色々あるけど、個人的に恐怖の感情をいままで一番受けた映画がこの作品。
確実に迫る『死』に対してなすすべが無く、粛々と日々をすごす緊張感と憔悴・絶望感が白黒の画面を通じて伝わってきます。CG等の技術が無くても観客にリアリティーがある感情を与えることが出来る証明みたいな作品といえるんじゃないかな。
確か、この作品のちょっ後に「未知への飛行」「博士の異常な愛情」が作られたはず、監督の作風・技法は違うけど 冷戦下の核に対する恐怖が描かれた作品としては秀逸。
話は変わるけど、「シンレッドライン」「マイライフイズビューティフル」「プライベートライアン」も同じ時期に作られたけど 扱う時代(冷戦下・WW2)が違うせいもあるかもしれないが、最近の3本は表層的な感じが否めないのは私だけかな?
投稿者:sari投稿日:2001-02-05 03:29:13
ラッセル・マルケイが監督をしたリメイク版も「エンド・オブ・ザ・ワールド」というタイトルで発売(ビデオ&DVD)になったよ。
内容は、米ソ冷戦を中国・台湾に置き変えたりしているけど原作に忠実(だと思う)。「渚にて」がモノクロならこちらはカラーという感じ。今年のグローブ賞のミニ・シリーズ部門にもノミネートされていたようです。
投稿者:けいぞう投稿日:2001-01-28 01:44:22
おめでとうございます。DVDが出ました。ワタシも買いました。
「13デイズ」のケネデイ大統領が「空爆だ!」と言っていたら世界はどうなっていたか、という映画です(とはいうもののキューバ危機以前の作品ですが)。
北半球は全滅、だが映画はその惨状はあえて見せず、無傷で残ったオーストラリアの視点でのみ核戦争を描いていく(無人の金門橋がこわい)。
驚くべきことにオーストアリア(主にメルボルン)の人々は普通に暮らしていた。家庭があり、仕事があって通勤ラッシュもあり、バーで酒を飲んだり、休日は渚でヨットに興じていたりした。通貨も機能していた。あと5ヶ月でここも放射能で危ないというのに。
この時代、まだまだ理性というものが信じられていたのだろう(核戦争を起こす理性というのも何だが)。現代の日本がこんな立場になったらこうはいかないだろう。キレた民衆は各地で暴動をおこし、略奪、暴行が蔓延し、自殺志願の人間は死なばもろともで他人もまきこんで無差別殺人を繰り返し、政府は機能しないだろう。
しかし皆、その時が来るのを覚悟していた。それゆえ楽に死ねる薬をもとめて病院に列をなす人々の姿が胸に迫る。そして終盤…
とにかく白黒の映像が美しくびっくりです(特に海のキラキラがきれい)。また、反戦映画なのに潜水艦がかっこいい、しびれました!まさしく始めから終わりまで潜水艦の映画ですよ。フレッド・アステアの科学者、というのもいい。
投稿者:佐々木 真似子投稿日:2000-11-10 01:09:26
私も渚にてのビデオ探しています
買取りも考えていますので一報下さい
投稿者:越智 和志投稿日:1999-08-12 19:21:09
渚にてのビデオを探しています。
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
□ 劇・喜劇映画音楽賞アーネスト・ゴールド 
 □ 編集賞Frederic Knudtson 
■ 音楽賞アーネスト・ゴールド 
□ 女優賞(国外)エヴァ・ガードナー 
 ■ 国連賞 
■ 外国作品賞 
【ソフト】
  商品名  発売日  税抜価格  
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