2001年宇宙の旅(1968)2001: A SPACE ODYSSEY
【クレジット】
【解説】 公開当時は賛否両論を呼んだものの、今や映画史上のベストテンに必ず入る、殿堂入りの名作SF。人類の夜明けから月面、そして木星への旅を通し、謎の石版“モノリス”と知的生命体の接触を描く。一応のストーリーはあるが、映画はその物語性を放棄し、徹底した映像体験で構築されている。猿人の眼前に屹立するモノリス、それに触れた猿人が骨を武器として用い他の猿人を打ち殺し、空高く放り投げられた骨は一瞬にして宇宙船へと変わる--その、史上最も時空を超えたジャンプ・カットを後に、舞台は宇宙へ移行する。『美しき青きドナウ』や『ツァラトゥストラはかく語りき』といったクラシックをBGMに、悠々と描き出される未来のイメージ。そして、木星探査船ディスカバリー号での淡々とした日常業務。やがてコンピュータHAL9000に異変が起こり、ボウマン船長は光り渦巻くスターゲイトをくぐり抜けスター・チャイルドとして転生する……。訳知り顔で、作品の根底に眠る意味を解く必要はない。座して体験せよ、そういうフィルムなのだ。 ![]() 【吹き替え】
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以上は推測に過ぎません。まあキューブリックの最高傑作でしょう。
個人的な意見ですけど、キューブリックはもうわざとメッセージを排除して、自分のやりたい構図や映像を撮ったんじゃないでしょうか。暴論気味ですが、
なんかそんな感じがしてならないなぁ。
ただ出来上がった画は素晴らしい。CGの発達した現代でも衝撃です。強烈な色彩や執拗なシンメトリーなどらしさが爆発。原始人が骨砕くのスローモーションにする監督って、、、、、。映像を堪能する映画。
SF映画の金字塔で知名度は高いし、音楽はみんな知ってるが、気軽に人に進められんな。
宇宙旅行はできるが携帯電話もノートPCも存在しない2001年。インテリアやファッションも含めてミッドセンチュリーから現代を飛び越して行き着いた未来世界のようでパラレルワールドを見ているみたいでした。
その上で感想を述べさせてもらうと、ストーリーよりも映像美を見せることに重点が置かれている映画だと思った。
その点は本当に素晴らしかった。クラシック音楽も見事にマッチしていた。とても1968年の映画とは思えない。
一方、ストーリーは理解できなかった。なんとなく理解できたのはHALが反乱したことと、モノリスが人類の進化と関係していることくらい。
ただ、独特の雰囲気はあったしそれに引き込まれた。
今まで観た映画の中でもかなり特殊で不思議な映画だった。
映画の解釈は人それぞれなのかな。
ただオレは「この映画はこういうことを言いたいのだ」と無理に解釈しようとせず、映画の世界観を味わえばそれでいいと思う。
一応7点。
日本人パイロットが国際宇宙ステーションでミッションを進行している訳ですが、
劇中のスペースツアーと比べると、理想と現実の差を感じざるを得ないんですね。
この映画に関しては、「生命」をキーワードに理想から現実へのメッセージを訴えています。
監督と原作者と密な打ち合わせを重ねて完成したそうですが、
双方が映像化のビジュアルを理解しあえたから、この傑作が生まれたのですね。
正に奇跡のフィルムです!
1999年3月7日のキューブリック監督の逝去から約10年、
原作者のアーサー・C・クラーク氏、2008年3月19日 享年90歳
ご冥福をお祈りします。
皆さんのコメントを読んでみても、例え起きていたとしても理解出来なかった事でしょう。でも、あの独特の世界観、映像、衣装、演出どれをとってみてもキューブリック監督は天才だなと思う事には間違い有りません。他の作品も監督らしさが観て分かりますよね。好きじゃない作品もありますが、作品としてはどれもかなり高レベルだと思います。 あんまり憶えてすいませんが、最後が印象的でしたね。
今見てもよくわからないところがあるが、
でもラストの衝撃は大きいです。
非常に印象に残ります。
観客はだだっ広い広場でキューブリックと共に、この映画を観ようとする。
観客は映画を観ている間、キューブリックは観客の顔を見ているようだ。
しかし・・・ラスト30分前になると、キューブリックはほくそ笑み立ち上がるのだ。
いきなり手首をつかまれ、彼を中心線にしてグルグルと振り回される。
足が追いつかなくなり、その強力な遠心力で宙に浮いてしまう。何度か回転した後、
空高く放り出すのだ。
さっきまでは、確かに陸地があった筈なのに、ただ足を着く場所もなく浮かされている。
浮かされながら、遠くこちらを見ろと言うのだ。その上こちらに飛んで帰ることはないよと。
四方八方彼方に飛んで行ってくれと・・・
この映画は“枠外”に現実が見える茶の間のテレビで観る映画ではなく、暗がりの
スクリーンがもっとも似合う映画と思っていた。でも違う所で見たくなった。
そう、あのラストの部屋で。自分で発するしか“音”を作り出せない広い空間と
異質なオプジェとしか感じられないベッドや椅子。・・・でも怖いよね。
もう2度とその部屋から出られないと錯覚してしまいそうで・・・
下の人が書いてるけど、失言とも思いますが、違法な“クスリ”でも服用して
この映画を観たら、とんでもない旅になりそう。おぉ〜こわ〜。
人によっては、一生に於いて最も衝撃作になるでしょうが、その“旅”を感じることが
出来たら、2度と観る映画ではないような気もする。
おかげで今も映画を享受できることに感謝しましょうよ。
で、最初からもどってまた観た。
凄いと思った。
誰が何をどう言おうと僕は一言で言うなら『人類に対する警告』と解釈した。勿論そんなのホントの所は監督にしか分からない。あくまで僕は、だ。
『謎の石碑』に人類が触れたり、近くを通ったりすると飛躍的に人類が進化してしまい、ついには進化し過ぎた人間(赤ん坊)が・・・!!
↓
もしかしたら自分達の努力で進化しているのではなく、何物か(神でもいいし、神じゃなくてもなんでもいいけど)の手によって進化せざるをえないのかもしれない。
『SF』を借りたヒューマニズム・ドラマとも取れる。『アイズ〜』が『エロ』を借りたヒューマニズム・ドラマと僕が感じたのと同じ。アイズも決してテーマは性やエロなどではない。『エロ』を借りて『誰の心の中にもある満ち足りなさ』を描いた作品。『時計〜』も破壊や暴力がテーマではない。『暴力』を借りて『誰の心の中にもある悪』を、リアルに表現したらキツイんでブラックユーモアたっぷりに描いた。
キューさんの作品は難しいように一瞬思うが、実は年齢やリアルタイムだとかに関係なく理解できる、ごくごく単純なものがいつもテーマの根本にはあるように僕は思う。
それをあえて分かりずらくいつもしていて、『わかんねぇ』とか『寝た、何?これ』とか言う人がいればいるほど、『ニヒヒィ・・・』って笑ってるような人だったんだと思う、キューさんって。どう感じようが人の自由。また僕含めここのこの感想の多さ。絶対ニヒヒィとほくそえんでるだろなぁ。全然インテリなんかじゃない。
勿論好き嫌いもある。ラストはハッキリさせて欲しいという人も多くいるだろうし。
のですが、この映画に関してはあまりに事前情報が多くて自然と
そうなってしまいました。
BSでやっていたので5回目の鑑賞となったのですが
評価できると思ったのは
1、1968年にあの映像は確かに画期的。
2、音楽も体に響いてくる。
3、HALの声が印象に残る。
きっと映画館の大型スクリーンで見ると感性豊かな人には
何かしら心を打つものがあるかもしれません。
しかし、今回、かなり好意的にを見たのですが
それでも評価され過ぎ、裸の王様作品だと思います。
原作を読んだり、解説本を読んだり、続編をみたり・・・
そうしないとわからない映画なんてそもそも映画として
成り立つのか甚だ疑問です。
(監督の力量がないだけか、訳の分からないのが芸術
だと勘違いしているのか・・・)
この作品についてこちらでも面白いことを仰っている方が
いらっしゃいました。
「モナリザの微笑みをダ・ヴィンチが説明したとしたら
モナリザは現在に至るまでの評価を受けただろうか?」
結局、この作品はキューブリック監督が見る人に解釈させることに
よって世紀の大傑作にしようと画策したのではないかと、その
あざとさばかり目についてしまいます。
別に駄作だとは思いませんが、世紀の大傑作と言うほど持ち上げる
ほどでもないのでは?
ジョルジュ・リゲティの前衛サウンドも、ハマリ過ぎ!!
すべての恐怖映画のお手本です。
かじりついて観た初見。
ビデオで観た2回目。
リバイバルで観た初スクリーン。
今でもたまに観るDVD。
・
2010年との2本立てをオールナイトで観た。
後年作った2010年との差がものすごい。
時間や年代や金額じゃなく、センスが。
今思うと、クラークの小説なんか読むんじゃなかった。
自分で読解したかったよ。
オレなんかがフェイバリットって言うのもおこがましい
神の領域の映像作品。
曲目は忘れたけど、ディスカバリー号の丸いキャビンで
ジョギングしたりする時のBGMが
あらゆる音楽のなかで一番好き。正座して聞いてしまう。
ちなみに「HAL、IBM一文字前」説はガセビアですので注意。
たとえば、HALは最後になぜ"デイジー"を歌ったか、ということですが、1961年にIBM7094上で行われた音声合成実験に使われた曲が"Bicycle built for two"すなわち"デイジー"、史上初めてコンピュータが歌った歌なのです。
たぶん、ほとんどのシーンに監督が仕掛けた様々な仕掛けを探っていくだけでも、面白くためになる映画。
だれに強制される物でもありません。
特撮は今見ても趣のある素晴らしい物だと思います。
説明過多の傾向にあるクラークが本作品に不満があったという話を聞くと、むべなるかなといった感じですが、「幼年期の終り」を彼に是非映画化して欲しかった。
道具化した人間も所詮人間。いつ反逆するかも知れぬ。ということで最初から道具なら反逆もしまい。ということだ。2001年ではその顛末が描かれる。
道具化した人間VS人間化した道具。しかし道具は道具にかわりない。単なる道具に何が出来る??使う側の人々にかなうはずがない。
敵のサルを殴り殺すサルのリーダー。あれは世界最古の権力者の姿だろう。武器(権力者の持ち物)を投げたら宇宙ステーションに変わる。あれはどう見ても、あの宇宙ステーションは引き続き権力者の持ち物ですと言うことだし、その通りだろう。文明自体がそうだ。というか被支配者の「人生」「希望」「夢」自体権力者のものだ。それに気付けない人は売れ線ハリウッド系・ディズニー・薄いトレンディードラマが好みだったりする。ああ、電通。
しかし権力者に悪気はない。ただ自分だけいい暮らしがしたいだけなのだ。それだけのこと。冒頭のサル。落ちてるものを拾い食いし、岩穴に身を寄せ震え、たまに豹に食われる。サル達は絶対いい暮らしがしたいはず。権力者の考えも単にその延長だ。サルも権力者も被支配者も同じ夢を見る。文明という悪性のファンタジー。しかし文明は恩恵を受ける人とうけられない人を分ける。サルが一番手を出したらいかん物だったに違いない。バクがその悪性のファンタジーを食べる役割を持ってたがバクが死に、封印は解かれた。
モノリスは知性・理性・人間性が宿る予兆を象徴する。モノリス出現後、サルたちにもHALにも知性が宿った。完全無欠の人工頭脳であるHALに知性が宿ったのだ。だから彼は失敗を犯した。知性は完璧ではないのだ。
月面で苦しんでいた人達はほとんど権力者のロボット・家畜と化していたが知性に目覚め、苦しんでいるのだろう。家畜や機械に知性が宿るとなぜ混乱するのか?
知性と知識は同義じゃない。権力者の態度にも問題がある。権力者は知識のある人間を優遇するが知性のある人間を歓迎しない。単に知識があるだけの人間は金や女を見せびらかせば簡単に操れるが知性のある人間は本物だけが持つプライドがあるので操りにくいからだ。権力者は知性を嫌う。世界のあちこちにその弊害が発生している。
木星は英語でジュピター。ジュピターはギリシャでは全知全能の神ゼウスのこと。現代の全知全能の神とはマンハッタンの摩天楼の一室に住むと言われる男のことだ。モノリスはなぜ木星に向かってある種の電波を発していたのか。時、折りしも日本では学生運動、アメリカでは反戦運動真っ盛りだった時期。
あのおじいちゃん。あれはキューブリックが想像した権力者の姿に違いない。権力者は絶対に表舞台には登場しない。誰も顔を知らない。「神」みたいなもの。TVに出てくる政治家などは単なる道化だ。権力者のご機嫌伺いをしているのだった。
世界中からご当地文化が消滅し、固有の文化や歴史が見世物お化してしまい、世界中の人達が細かな差異はどうあれ同じような暮らしをしている。それはどこの国も支配者は同じなのだと言うことを示している。世界でただひとり。彼はアメリカに住んでいると言う。ブッシュじゃないw 彼も道化だ。http://homepage3.nifty.com/garrrot/
しかものちにC−3POの顔をデザインした人で、なんとその直後に
交通事故であえなく逝ってしまわれた。合掌。
「変な監督が撮った変な映画」、こういう表現がしっくり来るなぁ。
やっぱりキューブリックの最高峰は
『博士の異常な愛情』か『アイズ ワイド シャット』のどちらかだと思う。
考えさせられる映画は好きだ。色んな想像が頭の中を飛び交う。
何で今までこんな凄い映画を観なかったのだろう。
もし私が最初に観た映画が「スターウォーズ」ではなくコレだったら、今の自分はどうなっていただろうか・・・。
ちなみに猿のシーンなんて、どうやって撮影したんだろう・・・。
あまりにもリアルな猿の描写に驚いた。でも一番好きなシーンだ。
(中身は人間かな・・・?ティム・バートン版「猿の惑星」がクソに思える。)
だけだろう。摩訶不思議な魅力がこの映画にはある。
僕はこれを初公開の68年に、小学5年で観た。もちろん
1%も意味が分からなかった。それから37年。平均4年毎
位のサイクルで、もう10回は観たろうか。
哲学とか神学とか進化論とか、しち面倒臭い話は抜きにして
唯一言える事: 68年の時点で、キューブリックは「人類
の行き着く先」を予言したかったのだと思う。当時はまだ
人間が月に上陸する以前であり、コンピューターも(今から
見れば)黎明期だ。そういった時代背景を考えるとこの映画を
人類への警鐘にしようという狙いは(それがあったとすれば
だが・笑)、あの時点では極めて画期的だったはずだ。
そんな幼稚な、かつ皮相な見方で観る以外に、この映画には
太刀打ち出来ない気がする。いや、太刀打ちする必要なんて
ないのだが・・。
僕は最近見たのだが、映画ファンでなかったせいか、この映画に関して耳に入ってきていたものから想像していたのは「ツァラストラが使われている〜美しき青きドナウをバックに宇宙船が飛ぶ〜でタイトルが"宇宙の旅"=宇宙旅行の冒険が描かれている」…全然そんなものではない。
「サルがなんか得体の知れない物体を発見する〜なんか武器で戦うようになる〜人類が宇宙へゆく時代が来る〜宇宙で得体の知れない物体が発見される〜人格を持ったコンピューターと共に探索に行く〜なぜかそのコンピューターが狂う〜そして…」
謎はある。が面白いよ、これは。僕はCGだからといって嫌ったりしない。逆にCGでなくても関係ない。が、ある意味、木星の映像は圧倒的だ。識別マシンとかのデザインは仕方なし…かも知れない。
謎があったら嫌な人が世の中には多いようだ。良いじゃないの、と思うのだが…
まぁ、考えても仕方ない(考える必要もない)と思うが、僕なりに「得体の知れない物体が実体であってもなくても良いが発見を促す知恵(漫画では電球)のようなもので、見る者に特権を与える。それは時に身を滅ぼす事もある。絶対というものはなく、限りなく正しいと思われるものが存在するのみで、全てを何かに任せるなら、最悪の結果も覚悟するべきだ。任せる者が絶大な権力を持つなら抵抗は命がけだ。そして人は常に新たな発見を求める。」
これは(またはこのようなもので違う意見は)、ガイドブックがなくても一般市民が考えつくことでは?
が、そういう解釈は間違っている(製作者の真意ではない)らしく、神が登場するらしい。
“解説”にも「ボウマン船長は光り渦巻くスターゲイトをくぐり抜けスター・チャイルドとして転生する」と書いてある。
まぁ神がいても僕は困らないけど。ただ最後のシーンは人によって何とでも解釈できるだろうなぁ。
一番安易なのが「夢を見てる」。もしくは得体の知れない物体によって「見させられている」。あるいは「現実に得体の知れない物体が何かを引き起こしている」。
何を引き起こしているのか、って言い始めるとこれも人それぞれで…まぁ、“解説”どおりスター・チャイルドでも宜しいのでは?これについてこれが絶対、と僕の中で思えるものはない。あまり変な解釈しても何なので…
とにかく最後のスター・チャイルド以外は“製作者”がそういう事ではない、と言っているそうで。
一般に「2010年」は謎解きと聞いたが、僕的には「謎が増えている」。
「2010年」で明確に謎解きされているのは「HALが狂った理由」で、これは納得した。
ある意味「2010年」は別の良く出来た映画。が、宇宙の彼方へ消えてゆく飛行士をはじめ、やはり本作の映像(とストーリー)は素晴らしい。
※上記変更する気なし。僕は2004-11-13に、本サイトに登録。映画ファンになりたい人になった。初コメントは“風の谷のナウシカ”だ。それは、ナウシカが男の子だったら果たしてアレほどにヒットしただろうか?というコメントに一言コメントしたくなったからでもある。
「僕は、ミュージシャン(アイドル含む)は、その人のルックス、境遇、全てを含めて実力であると思っている。また、それらが人々に求められるものであれば、それを追求するのもまた、制作者の技術ではないか?」と書いた。
“楽しむ”とは、そういうことだ。僕にとって難解か、難解でないかなどはさほど重要ではない〜コメントを読めば解る筈だ。が、世間でそういうものを求める人がいて、実際、彼らはその経験を実に楽しんでいると思う。それはそれで素晴らしいものに出会った、ということなのだ。解るか解らないかなど関係はない。
という事は別にして偉い人がどう貶そうが僕の感性は本作を名作と判断する。実に素晴らしい映像体験を提供してくれていると思うね。感情に訴えかけるストーリーも存在する。
実際のところ“ルックス”(世間の名声)部分は、この名作にとって今や若干邪魔なのかも。なので“ルックス”に騙されるな、などと馬鹿な事をいう奴が出てくるような。(誰からも評価されない作品は僕らの目にも触れないと思うが…)
最後の子どもを見ている視点は誰のもの?子どもが神だとすればその子どもをみている神をも超越している神ってことなわけ?そうなると神が二人いることになるよ。じゃ、多神教的な考え方とかにいくのかな?一神教=西欧的 多神教=東洋的みたいな単純な思考はつまらないが、でもキューブリック本人の宗教的な態度とは関係したりしてないのかなぁ?キリスト教的なことでいけば、いくつかの神がいるということになると、汎神論とかになるんかな?
まてよ、でもこの映画、最初は、アダムとイブから始まったわけじゃなかったよな。ということは少なくともキリスト教には反対してる。それから、人がサルから進化していった様子を描いていることからも、やはり進化論が前提なんだよな。ということは、自然科学の知識の大前提で終わんなきゃいけないんじゃないの(星が爆発するとか、膨張していた宇宙が収縮するとか)?こういう思考自体を崩そうとしたわけ?ちょっとまてよ、ビッグバンで始まってたっけ?この映画で「はじまり」は何からだったっけ?最初の一撃は神がおこなって、後はその神の摂理を人間の理性で発見していくみたいな理神論っぽいのかなぁ。でもそうするとやっぱり一神教だよね。とするとやっぱり子供は神じゃないよなぁ。子供を見てる視点が神の視点だからなぁ。
結局、映画評論家のための作品って感じ。ふつうのひとがみても、は?って感じでしょう(だって、超越的なものについてなんて世俗化が蔓延してる現代ではあんまり考えないからね。)。
まず、モノリスがストーリーの核といっていい。最初から最後まで登場し、象徴的に描かれている。
「ツァラトゥストラはかく語りき」がここぞという場面で挿入される。ということは、ニーチェの永劫回帰の考えをなんらかの形で反映させていると考えられる。
また、全体的にやたら時間を贅沢に使っている。映画を面白く作るにはどうすればいいか、そんな事は重々承知のキューブリックがあえてこんな時間の使い方をするのには何か訳がありそうだ。
そして、人間が道具、あるいは武器を手にした延長線上に、HALの誕生を見る。
便利な反面、自らの身を亡ぼしかねない危険性を孕む。これは、コンピューターに限らず銃、テレビ、電話、核兵器などあらゆる物をも含むと考えてよさそうだ。そして、そのきっかけを作ったように描かれているのがモノリスである。
さて、問題はモノリスをどう捉えるかである。神?自然律?宇宙人が作った何か?悪魔?ともあれ、なんらかの意志を感じさせるのは確かである。
無理矢理まとめてみると、人の一生にせよ、人類の歴史にせよ、宇宙の歴史にせよ、無限に繰り返される、過ちも同じく繰り返される、しかも何か強い意志のようなものが働いて均衡を保っている。つまり、過ちに気付かせる事によって改善を催すという意図があるのかもしれない。あるいは、逆に考えても見たいところだが、逸脱しそうなのでやめる。
結局は哲学的な迷路に迷い込ませられる映画と言わざるを得ない。推理は無意味なのかも。
とにかく、映像が美しい。専門家の意見を無尽に取り入れ、且つ自分の美意識を強引に映像の中に取り込む事によって説得力が高められるいい例だろう。彼の色彩感覚には驚かされる。もちろん、光と影を大胆に使いこなす事が、色のアピール度を倍増させている所以でもある。
そして、音楽、音響、静寂の使い分けの巧みさ。あきれて声も出ない。
しかし、正直芸術性は評価出来るものの、私個人としてはテーマがずしりと響くものの方をよりベターと考えるゆえに、☆9に留めよう。とも考えたが、やっぱり、ここまであれこれ考えさせられる映画もそう有るもんじゃない。その点をプラスに考えれば、☆10にするしかないかな。
館内は暖房がいやというほど効いていて、当然のように熟睡いたしました。
それから30数年を経て、大人になって再見して思った事…
「違法なクスリを服用しながら観れば、より深く入り込める作品だなぁ」
(進歩なし!)
http://gajin.ameblo.jp/entry-8f4e73837dd9e6b98b97ac03e138e3fd.html
鑑賞後、映画のメッセージを把握し切れなかった自分を恥じていましたが…。
分からなくて当然!
なぜなら、キューブリックが意図的に難解にしたのですから。
(監督は劇中のナレーション・解説をどんどん削除していったそうです。)
自分なりにこの映画を解釈してはみましたが、本を読んでキューブリックの真意を確かめもしました。
私のように煮詰まってしまった方は、冒頭の本を一読されることをお勧めいたします。
まだ二度しか鑑賞していませんが、あと三回は見るだろう映画です。
「2001年だし....」と安易にレンタルしたのがきっかけでした。
一回目の時は正直あまり印象に残っておらず。
2回目で大感動!
「たぶんこういうのが”映画”っていうんだなぁ...」
とにかく”映像”と”音楽”が素晴らしい!と思いました。
もちろんストーリーも。
この映画をきっかけにキューブリックの映画ほとんど見ました。
後にキューブリックDVD−BOXも購入!
全ての映画の中でもやっぱりこの映画、一番好きです。
私の中ではこの映画を越える映画ってないんだろうな...
私の周りでも「ようわからん」って意見が多い。
こういうタイプの映画ってそうだと思います。
好きな人そこがまたいいんでしょうけど(笑)
僕を含む、娯楽作品で喜んでいるような人には到底向かない、ミニシアター系とも
とれる作品ですね。
『ドッグ・スター・マン』や『エンジェリック・カンヴァセーション』、
日本では寺山修司さんの『ビデオ・レター』など、普段は『映画』として公開されない
ジャンルに当てはまると思います。
今見たって、CG映像に見慣れてるんだから、この作品の映像が「衝撃的だ!」
なんて言うつもりはありません。アンチCG派の人にとっては神のような作品では
ないでしょうか。
コケ脅しの効果音を排除して音楽を多様、それはこの作品がそれだけ『偉大』
だから許されるのだと思います。
だって『スターウォーズ』で宇宙空間での戦いに銃声の効果音が無ければ
激しくつまらんでしょう。
やはり娯楽好きな自分にとっては好きになれない作品。
もちろんヨハン・シュトラウスがいい。この『美しき青きドナウ』って、なかなか聴けないのだ、しょっちゅうきけるようだけど。
リヒャルト・シュトラウスもいい。『ツァラトゥストラ』はこの映画のおかげですっかり知れ渡ったな。
ハチャトゥリアンもいい、親しみがあるから引きつけられる。
そして、そして、リゲッティがいい。親しみはないが、ぼくはこの作曲家の、さながら手編みレースをみるような曲作りが大好きだ。
キューブリック(という呼称には抵抗がある、ぼくらはカブリックといいながら映画館に足を運んだ)は、本当に映像を好きな人なのだなぁと、音楽の、こういう用い方からつくづく思う。http://sc.gaiax.com/sc/washiroh/washiroh_master
私に言わせれば、モナリザの微笑む理由を知りたいと思うのは、彼女の表情に微笑みを見て取ることができるからである。キューブリックの書いた“絵”は、端的に言ってどこが目で鼻で口なのかさえ分からない。幼稚園児が、赤い固まりとその上に白い固まりを描いたとする。赤い固まりは消防車で、白はその前に立つ消防士かもしれないが、彼と感覚を共有しない大人には、実際聞いてみなけりゃなんだか分からない。人に物を訴えるとは、共通感覚を利用することに他ならない。
映画評論家の町山智浩によると、この作品は、人類(地球人)に先行して神(=肉体を持たない精神だけの存在)となった異星人に導かれ、人類が(猿から始まり、やがて)神となる過程を描いたものらしい。別に彼の論理に納得したという訳でなく、キューブリックや(共同脚本の)アーサー・クラーク自身がそう語っていると主張しているので、紹介しておく。それによると、ラストで宇宙空間に浮かぶ巨大な赤ん坊は、精神だけの存在として”生まれ変わった”人類=神を象徴しているとのこと。『ツァラトゥストゥ〜 』でニーチェは、「人類が神を目指せば、それが生きる目的になる」という考え方を持ち出しているらしい。
だったら、こんな風な映画にして欲しかったな。まずメッセージを明確にする。(「人間は神を目指せ!」でも「己の手で神を創造せよ!」でも) でもってそのメッセージを納得させるようなストーリーを作る(ただし、ナレーションには頼らない)。そうだ、人間は神を目指すべきだ、と思えたら、その映画の勝ち。だけど、メッセージが伝わらないので、私にとっては、シネラマの映像美を堪能し、諸要素から引き出し得る多元的な解釈を楽しむ映画でしかなかった。つまり、モナリザの比喩に戻ると、顔は形成してないけど、それらしき素材は見て取れるんだよね。6
しかし、どうも映画通とはアート性やドラマ性、作家性の強い映画を偏重し、娯楽映画を必要以上に蔑む傾向があるみたいで、ちょっとヤだなぁ…(勿論、どちらも両方楽しむ人もいるけどね)。みんなが認めるものよりも、「俺はこんなもん認めん!」と言った方がカッコいいしね。
★★★★★
何と言うか・・・1つとして無駄なものがないんです。脚本が演出が、というのとは全然違う意味で。話はとんでもなく複雑なのに全体の印象はシンプル、映画そのものが信じられないくらい研ぎ澄まされてると感じました。
これが果たして傑作なのかは分かりません。というか(以前よりは格段に理解度が上がったとはいえ)完全にこの映画が分かったわけでもないのに(もっと言えば現実の世界でもまだまだ人間は宇宙について知らなさすぎるというのに)安易に「史上最高」とか「これの良さが分からないヤツは云々」とか言うのは、何か滑稽な気がしてならないからです。
けれども1つだけ確信したのは、100年以上の映画史の中でこれと同じ類のものは前にも後にも(多分これからも・・・)皆無だろうということ、ただそれだけでわたしには本当に本当に価値のある映画に思えました。
さて、この映画ですが、若い頃見た印象を確かめるべく、子供と共にTVの前に座りビデオをセットして見ましたが、何と、5分と持ちませんでした、子供が。「退屈」・・・私「この最初の場面を通り越したら面白いから」子供「zzzzz」結局見ずまいでビデオ返却しました。
私の若い頃の印象は、「東洋人にはお見通しだいっ!」でした。西洋人には勝った、と当時思いましたね。若気の至りで勘違いの場合もあるので、是非もう一度見てみたいです。
<br><br>この作品の登場で、遂に映画は映画を超えたのだ。
<br>ところで、ちょっと細かいですが、キャスト一覧の中に「月の監視員」とあるのは、MOON WATCHER をそのまま訳されたものと推察いたしますけれども、これ、人間ではなく、トップ・シーンで出てくるヒトザルたちの中の、中心的な一匹のことなんですよね。クラークの小説版を読むとよく分かります。ですので、ここは伊藤典夫氏の訳に倣って、「月を観るもの」とでもされたほうがよろしいのではないかと、そんなことを付言いたします。
しかし私にとっては、数多くある好きな映画のひとつであって、この映画を「神の啓示」とか「偉大な哲学」のように讃える人々の言動ははっきりいってすごく不快。映画と宗教をはき違えているのでは。よくこの映画は「形而上学的」とかいわれますが、映画って表現方法はそもそも映像イメージの積み重ねで感情を揺さぶる芸術であり、どの映画もすべてある意味「形而上学的」です。何をいいたいのか、本当に意味不明です。私はこの映画が好きですが、退屈で眠っちゃった、という人に対しても「そりゃそうかもな」と思っています。ここの書き込みには、宗教じみた人、または格好つけの権威主義者はいないようなので安心ですが、この映画だけを特別扱いする風潮をストップできないものでしょうかねえ。キューブリックさんも墓の中で戸惑っているんじゃないかしら。
とはいえ、本当にすごい作品ですね。キューブリックって画面の隅々まで計算し尽くしているので、他の映画だと私は画面に消毒液の匂いを感じるんです。なんか「余計なバイ菌はいっさい殺したカットです! 純粋に計算された構図です! 意味のないものはいっさいフレームから外したよ! 文句あっか!」 という感じがして。 で、彼のほかの映画だと私はそれが異常に思えてどうも落ち着かないんですよね。だって生活感まで抹殺しているんだもの。なんか不自然だぞ、と思うわけです。映像に人のぬくもりとか息遣いを感じないというか。
でもこの映画はその無菌状態のカットがばっちりはまっていること、はまっていること! だって宇宙は真空なんだもん。なにもないんだもん。ひたすら広がる虚無の世界なんだもん。無菌状態のカットが虚無の恐怖を煽る!煽る! 呼吸音しか聞こえないのが息苦しい!息苦しい!
・・・・という怖さが、「やっぱり宇宙ってこんな感じなんだろうな」という感情とごちゃまぜになって恍惚となるわけです、ハイ。本当に宇宙にいった人はほんの少ししかいないわけで、この場合、何がリアルなのか(描写とか考証はおいといて)わからないわけですが、リアルだと思わせてしまう、すごいリアリズムです。
だから私にとってやっぱりこの映画は「体感映画」ですね。
理屈は抜きです。
よく音楽についていろいろいわれますが、まさに組み合わせの妙ですね。実はちゃんと作曲家、アレックス・ノースにオリジナル曲が依頼されていたそうで、曲ができあがるまで「とりあえず」自分の好きな音楽で編集していたキューブリックが、ノースの曲を気に入らず、そのまま上映した、ということです。ノースは新たに作曲しなおしていたということで、現行の音楽で上映されたときのノース先生のショックたるや・・・。ちなみにジェリー・ゴールドスミスだったと思いますが
ノースの曲を見て、「明らかにいまの音楽(つまりシュトラウスなどのクラシック)よりも映画のレベルはあがったのに。キューブリックは判断を誤った」とのたまったそうな。個人的には、ヨハン・シュトラウスのワルツは面白いマッチングだと思いますが、長すぎ! だって始めはともかく、延々あれを流しているんだもの。やっぱりオリジナル曲がないからなのかなあ、と勘ぐってしまいました。
キューブリックさんの作品では「異常な愛情」と「時計仕掛け」が好きです。非現実的なテーマとキューブリックさんの無菌カットがこれまたはまっているから。
そうそうストーリーについてですが、キューブリックは初め、「宇宙版「西部開拓史」」をつくろうと思っていたそうです。人類が宇宙へ乗り出し、開拓していく年代記、というわけです。意外とまともですよね。シネラマの名作「西部開拓史」は3世代に渡る物語ですが、それを人類の歴史で空想してみたら、こんな物語ができました、というのが実際のところではないでしょうか。
セリフの少なさ等を含め、怒りすら込み上げてきました。
名作ということで、期待しすぎた感はありますし、
見る角度を変えれば。。。ということで自分を納得させています。
見る人によってかなり変わるんだろうけど、芸術の域に達してる気がする。SFにクラシック音楽を使ったのも当時は斬新だったろう。 たしかに攻撃欲とか食欲とかセックスは人類の歴史から切り離せないもんな。
最初の武器である骨が飛んでいって軍事衛星に変わるまでの間に我々の時代は省略されてしまったのね。。
まさにSF的視野! ほんとキューブリックという人はどのジャンルでも最高レベルの作品を残していったスゴイ人だったと思う。(シャイニングもフルメタルも最高だと思う。)
そういえば食べるシーン多いな。有名なネタだけど、ストローの液体が逆流してしまうNGシーンがある。しかしそれ以外は今見ても完璧らしい。製作年からすると凄いことだ。それに比べて「2010年」は薄っぺらな作品だった。
原作ではラストでスターチャイルドは地球に帰ってきたというか、地球という「玩具」を与えられたようなニュアンスになっているが、 映画的にはどうなのだろう?もしボウマンが何十億の精子から選ばれた精子なら残りはもういらないモノなのかも。ま、このあとを描いたらレベルダウンしてしまうもんな。
この映画があまりにもキューブリック色が強かったからであろう、クラークは続編を次々と出していた。
以前、月面で本当にモノリスが見つかったというニュースをちらりと見たのだが、NASAお得意の隠蔽からか、火星の人面岩みたいにうやむやになってしまった。あれは何だったか知りませんか。
どうだろう?ここ周辺の「SF映画」と呼ばれるものをみてみるとCG満載で
コンピューターの力を借りた視覚効果をバンバンつぎ込まないと
そのジャンルすら確立できないように見えてこないだろうか?
どこからこう変わったのか?「スターウォーズ EP1」から?「マトリックス」から?
いやいや「フィフス・エレメント」のときにはもう・・・。
ここで「スターウォーズ」クラシック三部作を思い出してみる。こちらは本当によかった。
「特撮」という視覚効果を使っているが、地に足をつけリアルに表現できているし
CGに勝っているとは言い難いが、退けをとらない。
そこにライトセイバーなど数々の小物が登場し、独自の世界観を築き上げている。
この映画がヒットしたのは、いわばアイデアの勝利である。
そこで改めて最近の「SF映画」と呼ばれるものを改めてみてみると
奇抜なアイデアはお構いなしに、月並みな脚本と視覚効果だけで
圧倒しようとしているようにみえないだろうか?
それに比べて、SF映画の原点ともいえる
この「2001年宇宙の旅」はアイデアの原点であり宝庫である。
例えば、人類が機械に頼りすぎ機械が必要以上に賢くなってしまった。
そして機械と人間の立場が逆転してしまう。というコンセプトは、ここから始まり
「ターミネーター」「ブレードランナー」と、色々な映画で引用された。
スターゲイトを超え、未知の領域に足を踏み入れる。というのも
「スターゲイト」「イベントホライゾン」あたりに大きな影響を与えているだろう。
HALの存在がなければ「スフィア」も生まれなかったのではないか?
HALが宇宙船の乗組員を殺していくシーンも、「マトリックス」の裏切り者、サイファーが
主人公の仲間を次々殺していくシーンと密かな繋がりを感じるかもしれない。
その他挙げていくとなれば、まだまだ連想できる具合だ。
しかし、キューブリックはわたしたちにそんな見方を求めていたわけではない。
あくまでモノリスと知的生命体とのコンタクトを描く上で必要なものを描いているだけなのだ。
映画に必要不可欠であるストーリーのなかに、多くのSF映画を誕生させることとなる
数々の奇抜なアイデアをちらつかせるキューブリックとクラークには
この映画の内容がどうこういう前に、まず唖然とさせられる。
どうかこの先の「SF映画」にはコンピュータに頼りきりの視覚効果ではなく
アイデアで切り出してもらいたい。
さらに考えをめぐらせる欲求を掻きたてられる作品でもあると思います。
下の多くのコメントを読んでみて、自分と同じ考えの方もいれば、
思いもよらない理論を展開している方もいるので、なかなか面白い。
で、憚りながら私もここで自説を展開させたいと思うのですが、
実際はかなり突飛な発想なので、自分の中でも亜流の説として存在する、
まあ一種のネタですので、あまり本気になさらずに。
それというのは、仏教の教義の1つである「弥勒下生」との関係です。
「弥勒下生」とは、釈尊が現世で救えなかった人々を、56億7千万年後(長っ)に、
地上に弥勒という神が降臨し、地上にユートピアをもたらす、というものです。
キリスト教の「千年王国説」に似た教義です。
昨年大学の東洋史の講義でたまたま白蓮教と弥勒下生信仰の関係を勉強したのですが、
その講義の際先生が、弥勒がもたらすユートピアには「排泄、飲食、老衰」という3つの病がある、
ということを言っていて、そのとき「2001年宇宙の旅」の終盤のシーンが思い浮かんだのです。
ボーマンがたどり着いたあの謎の部屋です。
排泄・・・・あ、バスルームがあったな。ということはトイレもあるよな(うわ、暴論)
飲食・・・・あ、食事してたな
老衰・・・・あ、しわくちゃになってたな
とまあ運悪くこのような具合に閃いてしまった(思いこんでしまった)私は、
どうしても調べずにはいられなくなり、少し調べてみたのですが、
弥勒下生とは、中国の民衆叛乱にかなり昔から絡んでいたものであり、
14世紀の紅巾の乱、18世紀末から19世紀初頭に起こった嘉慶白蓮教の乱、
また北清事変(義和団の乱)などがその代表例です。勿論その他にもあるようです。
この人たちは、「替天行道」(水滸伝に出てくるスローガン 義和団事変時は「替天行仁」)よろしく、
早い話が意図的に弥勒を降臨させようとしたわけで、
中世キリスト教世界でも「千年王国説」関係で反乱起こってますし、
ヒトラーの出現もこの弥勒下生にリンクしているという説まであるそうです。
つまりこの作品は、超越的存在である「神」を無視し、
自らの手で理想郷(勿論教義にあるようなユートピアとしての理想郷ではない)を作り上げようとする
人間のエゴを批判している面もあるのではないかなーと思ったわけです。
ボーマンはつまりHALを征服しようとしたわけだから、白蓮教と同じなのかも。
しかしHALの方も乗組員を抹殺しようとしたわけだし、どっちもどっちなのでしょうか。
(個人的な感情から言うとHALの方が可哀相だと思いますが)
あ、最後になりますが、というかここまで書けば分かると思いますけど、
最後に現れるモノリスが弥勒の象徴。以上、暴論でした。
それが今ではDVDを買ってしまうほど(安いけど(笑))。http://members.jcom.home.ne.jp/0438320401/
実は5年程前にも一度挑戦していたのですが、その時は途中で寝てしまい、以来ビデオ屋で「そのうちまた見なければ・・・」と思い続けてはいたのです。
いやー、また寝てしまいました。
それでも巻き戻しと早送りを駆使して、なんとか観終ったのですが、改めて観ると宇宙ステーションや宇宙船がめちゃめちゃ精密(30年ほどの時間的優位があるのに『北京原人』のお粗末な映像を思い出してしまいました)。
それにステーション内や船内も白背景に赤い椅子など、すごく美しかった。
この映画は皆さんが仰ってるように「体感」する映画だと僕も思います。
美しい映像と重厚な演奏の音楽。
「意味を読み取る」前に「意味を感じる」映画。
今のところ、僕には意味を感じる事はまだできていないので(皆さんが論じているエロスなんて全く思いもよりませんでした)、もっと気力体力が充実している時にまた挑戦したいと思います。
※ところで、『エヴァンゲリオン』でクラシック音楽を使用しているのはこの作品などに影響を受けているのでしょうかね?http://www2.odn.ne.jp/~chs45160/
DVDで見るとこの映画の凄さはさらにはっきりと分かる。
異常なほど細部にまでこだわって作られた宇宙船の外観、
素晴らしく美しい宇宙から見た地球、細かいクレ−タ−まで
作られている月。とにかく映像に対するこだわりは正気の
沙汰ではない。それに比べて肝心のお話の方は・・・謎の
黒く細長い板やコンピュ−タ−の反乱、そしてラストなど
本当にどうとでも解釈できるのだけれど私は(原作を読んで
いればまた話は別だろうけど)意味ありげな映像をつなげて
哲学的な雰囲気を醸し出そうとしたキュ−ブリックの計算が
透けて見える感じがしてあざといな−と思ってしまった(特に
ラストはその感じが強かった)。結局キュ−ブリックは誰にも
作ることが出来ない完璧な映像作りにのみ情熱を燃やしたのだと
思う。そしてその目標は達成された。でも髪型と衣装がモロ60年代で
時代の限界が感じられておかしかった。
映像と音楽の両方を楽しめる物をと選んだのが「2001年・・」でした。大正解でした。
公開当初は20代でした。当時の印象としては、確かに退屈なところもあったけれど(宇宙船内の日常生活や科学者同士の会話など)壮大な宇宙の映像と圧倒的な音楽の効果に驚かされました。又、モノリスやスターチャイルドなど難解な部分もありましたが、人類誕生やコンピュータの「反乱」など過去から未来までを映像化して見せてくれた事に驚きを感じていたと思います。
今回、DVDで17inchですが眼前でしかも、クリーンな画面で観て全く退屈しませんでした。(思えば、映画館で観たときは、すごく暗い画面で粒子も粗かった印象があります。)
2002年の現時点で観ると色々陳腐だったり、今では目新しくもない映像や考え方だなあと思う所もありました。一日目は、始めから終わりまで時間が経つのを忘れて見入ってしまいました。二日目、三日目はただただ、宇宙遊泳を楽しませてもらいました。
<br>ただ、体験は出来ました。キューブリックが考えた未来の宇宙旅行をちゃんと体験できましたよ。話変わりますが、僕は原作のある映画が結構好きなんですよね。っていうのも一つには原作と比べられるということがあります。映像はある種のあいまいさが残ります。必ずここの場面こいつはこういうことを考えてるなってことは言い切れません。三流役者なんかの場合は特に。でも文章にする場合には読み手にその状況を映像化させるために人物の心理描写まで描かれている訳です。映画好きといってもまだ若造なんである意味原作がカンペみたいなもんです。ただこの映画に関して、クラークの原作は死ぬまで読まないと思います。キューブリックが映像で表したあいまいさがこの映画の全てだからと思うからです。
<br>映画について、さっき体験したと言いましたが、途中まで自分はストーリーを追っていて、そんな大したことないかなと思っていました。(最初の猿のシーンは圧巻でしたがそれ以降)けど最後のハルが死んだあとの映像からは酔ってしまいました。いつもならキューブリックの抽象的描写を理解しようとして考えるんですが、この時だけは文字通り体験していました。
<br>まだ一回観ただけなので性がテーマなのかなんて分かりません。今、議論を読んだところどうやらそのようなのですが。ただ言えることはこの映画に客観的見方をする必要はそれほどないのかなと。だからキューブリックが何を言いたいのかということより、自分が何を感じたのかを大切にしたい。
<br>さーて、もいっちょ観ますかぁ。(これから死ぬまでに何回観るだろう)
眠い、退屈、超難解!!
一応、名作として認識されてる本作ですが、こう思ってる人は極めてナチュナルな感想なのではないでしょうか?
あの、石板(モノリス)は何?
HALは何でおかしくなっちゃったの?
あの光の渦は何さ?
あの部屋は何なのさ?
なんで、いきなりジジィになるの?
最後の赤ん坊は何?
口笛はなぜ、遠くまで聞こえるの?
あの雲はなぜ、私を待ってるの?
(一部、無関係)
くやしいから小説読んだり、メイキング観たり、雑誌の記事を熟読したり、自分で考えたり・・・・
やっと、自分なりに理解できたのが中学三年生の時。
初見から5年もかかってしまった。
「あぁ、やっぱ、この映画って大傑作じゃん!」
と感動する一方
「なんで、最初ッから説明してくれないのさ!」
と、ちょっぴり憤慨したワケです。
キューブリックはどう意図してたかはともかく、
俺にとっては『理解するまでに時間がかかった度NO1』な名作。
大嫌いな両親と和解するまでに何年もかかったような心境です。
その時は正直、意味が解らず2度続けて観た記憶があります。
アーサー・C・クラークの原作とは別のキューブリックの映画ですね、コレ。
原作のテーマは「2010年」で解るように、非常にはっきりしてます。
クラークが「地球幼年期の終わり」などでも扱っていたテーマです。
ところがキューブリックは、全然別の映画にしてしまっています。
「こう観るのが正しい」とかではなく、見た人それぞれ別の意見があって良いのではないでしょうか。
この映画はビデオなどの小さな画面でなく、ぜひ映画館で観ることをお薦めします。
ミサイル衛星に変わる。と書いてました。
音楽の心地よさ、静寂の間合いの良さ、ロボットの形式、などなど・・・。
でも本当に賛否両論がでる映画だと思う。
だからこそ見る人にそって価値が違う芸術になるんだね。
もちろんこの映画にはいろいろな解釈ができ、じっくり考えて自分なりの解釈を導き出すという営為はキューブリックが狙ったことに一つなのだろうけれど、そのために原作なんかの周辺知識を利用することは私はしたくはないので、ただただ「これは子守歌だ」とつぶやくだけで満足する。http://cinema-today.hoops.ne.jp/
でも、結局、手塚氏じゃなくてもよかったことなのでたいした話題ではないらしいです。ちなみに、火の鳥未来編は、もろに2001年宇宙の旅です。
僕の中の不動の1位。
ってしばらくHPをチェックしないうちにオカマだの、ペニスだの、ポルノだのですっかり盛り上がってますな。「なるほどねー」といった感じですが、コメントを読んでいるうちにすっかり2001年が一体どんな映画だったのか自分で定かでなくなってきました。これもまた見なくては。でもこの映画よっぽど体調万全で見ないと寝てしまうか、我慢できず早送りで一時間足らずで見終わってしまうかになりますからねー。
というわけで、みなさんどうもお邪魔しました。続けてください。
でもホモ的要素、ホモ的美意識、ホモの匂いプンプンするでしょ。
近日、リバイバル上映するらしいのでも今一度体験しなければならない。
モノリス(1地球2月3木星)・・・完全な知性、知識 神?恩寵?
形→完璧なもの
色:黒→悪、罪、死 解らない、理解できないもの 混沌?
『性器 ペニス(又はヴァギナ)』
猿=人間 獣性と人間の欠陥
道具→武器 骨(死) 暴力 殺戮 破壊 死→死
骨⇒ディスカバリー・・・『精子』がモデル
HAL(旧名アテナ→知性、技術、戦争の女神 旧名2ソクラテス→哲学者、無知の知、問答法、死罪) ディスカバリーの支配者 人間が創り出した知能(自我?)
悪魔 人間の本性
(人間のコントロールの失敗) 破壊→無益な死 デイジー デイジー
宇宙空間・・・巨大な『卵子? 子宮?』
スターゲイト・・・ブラックホール? トリップ 噴出?吸引? 超越 異次元 恍惚 『子宮 卵管? 挿入?』
部屋・・・動物園の檻 死 (人間の)限界 空虚 地獄 『子宮』
壊れるワイングラス→人間はまだ過ちを起こす(エルサレム神殿破壊の象徴)『月経?』
スターチャイルド・・・誕生、希望(又は絶望?)、人間の卑小性、輪廻、復活?、自己の発見、再生、新生
ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」より
大いなる星よ!!お前が照らすもの達を持たなかったら、おまえの幸せも何になろう!!(中略)そしてツァラトゥストラは再び人間になろうと欲する。
そして、彼の作品には通して映像の様式美にこだわる傾向がある。
2001年のモノリスはペニス。ディスカバリー号は精子。これは有名な話。
その宇宙船内部ニ於いては自我を持つコンピュータ「ハル」を交えて三つどもえの男だけの三角関係オカマ合戦が展開する。
クライマックス。裏返っちゃった木星めがけて突っ込む異次元空間のシーンでは、女性の子宮めがけて突入する精子と言うのが定説。しかし、実はアレこそが子宮ではなくホモの象徴「アヌス」なのだ。子宮というのは部屋であって廻りは壁、行き止まりになってしまう。しかしアヌスは消化器官を抜け食道を通り外の世界へ通じている。異次元空間の道はまさに解放されていたわけだから、実はあれこそがホモ意識が解放される瞬間の姿である。まさにホモソーシャルを象徴する様式美である。
気になります。是非講釈お願いします。
この映画は最初に日曜洋画劇場で見たときには、あまりのスローな展開で退屈してしまったのですが、その後ビデオをみて好きになりました。コンピュータと人間の争いはサスペンスフルで、木星の人間の進化を司るモノリスの存在も神秘的で「そういうこともあるかもね」とある種の夢を持たせてくれる映画だと思います。
(でも、これって原作の面白さかな?) あのスローな展開もコンピュータと人間の争いを見せるうえでは適当でしょうし、宇宙の空間の広がり、独特の時間の流れがよく表されていると思います。なにかまるで別の世界(睡眠の世界ではない。でも近い)に連れて行かれて浮遊しているかのような気分にさせられます。まさにODYSSEY。
すごさは最後の辺りに凝縮されているといっても過言ではない。
そう、宇宙の奥の方に行くと、
人間の理解を超えているのよ。たぶん。
つまり地球人の常識では、またはものさしでは測れないのよ。
それを映像で描こうとしてるのよ。最後の方は。
意味分かんなかったでしょ。
で、おれはその言いたいことがとても良く分かった。
めっちゃ面白いと思ったよ。
「アメリカン・グラフィティ」でした。友人と行ったのですが、最
初「2001」があり「アメグラ」が終わると、友人は「分からん!」
と言って帰りました。私はそれからもう一度もう一度見直して、こ
れは体験する映画なのだなと思いました。一種のドラッグ体験のよ
うな物ですかね。
当時この映画を絶賛した記事はなかったと思います。話題になった
のはその次の公開からだったと思います。
最初は、あの宇宙ステーションのSFXに驚かされました。あれは
絶対、アリゾナに実物大の模型を作って、星空をバックに下から撮
っているのだと思っていました。
思えば、このキューブリック(最初の頃はカブリックと記されてい
ました)と云う人は、「ロリータ」の頃から、ストーリー自体より
映像に滲む「予兆」みたいなものを描きつづけたのでは?と思いま
す。そう考えれば、作品の完成度の優劣はあっても、彼が描きつづ
けたものは一貫性があり、極限へ向かった突っ走っていったと思い
ます。
到着したあとめくるめく再生へと向かうときの映像は最高です。ファッションもかわいいし。ただ、少し長すぎてだれてしまう気がしました。そこに彼の意図があったのかもしれませんが・・・。