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尼僧ヨアンナ(1961)

MATKA JOANNA OD ANIOLOW
MOTHER JOAN OF THE ANGELS
THE DEVIL AND THE NUN
JOAN OF THE ANGELS [米]

メディア映画
上映時間108分
製作国ポーランド
公開情報劇場公開(東和)
初公開年月1962/04/20
ジャンルドラマ
尼僧ヨアンナ [DVD]
参考価格:¥ 5,040
価格:¥ 16,800
USED価格:¥ 11,649
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【解説】
 ポーランドを代表する作家イワシキェウィッチが、17世紀フランスの史実に基づいて書いた短編小説の映画化で、舞台はポーランド北方に置き換えられている。辺境の尼僧院に赴任しようという司祭スリンは、そこを目前にして近くの宿屋に泊まる。客や従業員たちの間では、院の話題で持ち切りだ。尼僧たちは、院長ヨアンナを始めとして、みな悪魔にとりつかれ、情欲のままにふるまっている。スリンはその悪魔払いのため来たのだが、先任者は完全にヨアンナの魔性に狂って火刑に処されたのだ。彼は悪魔と対峙する前にすでに震えおののく。そして会ったヨアンナは、平常時は美しく淑やかだが、ひとたび、その魂が悪魔を呼べば獣のように肉の交わりを求めて這いずり回るのだ。自分を、そしてヨアンナにも、鞭打ってその誘惑を振り払わせる苦行を強いるスリンだが(白い聖衣が干している選択部屋の隅と隅に分かれてのシンメトリックな構図)、次第に彼女らの内奥にある魂の真実の叫びが彼にも届き始める。そしてヨアンナの中の悪魔を自ら引き受ける事でしか、彼女を解放する術はないと信じたスリンは、彼女を抱いて悪魔と一体になり、罪のない従者と宿屋の下男を殺す。その血によって彼の内に封印された悪魔は、やがて彼に下される火あぶりの断罪に彼と共に昇天するであろう、そんな余韻の中に映画は終わる。果たして、悪魔とは字義通りのそればかりでなく、たとえば、カソリック教義自体が内包する神や悪魔を弄ぶ矛盾、ナチの残虐行為からスターリン圧政に連なるポーランドの問題を意味する言葉でもあろう。東欧映画に共通する理詰めの放縦とでも呼びたいカメラの運動にも圧倒される、鬼才カワレロウィッチによる真の恐怖映画。主人公が自分とそっくりの顔をしたラビ(ユダヤの僧侶)に教えを請うシーンが印象的。
<allcinema>
評価
【ユーザー評価】
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【ユーザーコメント】
投稿者:呑気呆亭投稿日:2014-07-09 11:24:44
若い頃にATGで観たときには判らなかったことがある。この神父は深くヨアンナを愛したのだ。それゆえにヨアンナに取り憑いた悪魔を自分の身に引き受け、その悪魔を自分の身と一緒に滅ぼすために殺人を凶行する。プロロ−グで神父の左手によって何気なく振り下ろされた斧がラストで重要な意味を持つことになる設定は実に恐ろしく、そのまるで蛇が自分の尾を呑むかのような黙示的な回帰性は、恐らくこの事態が永遠に繰り返されるのであろうことを暗示するかのようだ。http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:スティン・グレー投稿日:2012-09-23 05:09:09
ずいぶん昔に名画座で観た頃は、60年代の先鋭的な「芸術映画」のひとつだな、と括ってしまったし、この映画の真の凄さはまったく理解できていなかったと思う。
冒頭から寒村の居酒屋内部での人物配置や動作が、映像の強さと美術的なものを感じさせる。そうだ、まるでブリューゲルの絵画のようだ。僧院で尼僧たちが配置されヨアンナの悪魔性が出現するくだりから、尼僧全員が十字に床に倒れるシーンを俯瞰するあたり、尼僧たちの動きはコンテンポラリー・ダンスだし、画面はまるで現代美術。
人物の表情のアップの撮り方、背後の頭部の撮り方、室内の構図、漆黒と白衣、人物と風景の遠近、場面の突然の転換、鏡像の使い方、、、すべてが「かつて誰かが撮ったであろう映像」ではなく、カヴァレロヴィッチだけが成し得た「映像のスペクタクル」のように見えてくる。
たしかに抑圧されたポーランド人の歴史的背景なども、神と悪魔の戦いの台詞のなかに暗喩として読むこともできるだろうけれど、なによりもこの映画は冒険的映像のスペクタクルであり、ゴダールの最良の作品群と同様、どうやってこのシーンをこんなふうに撮ろうとしたんだろう? この繋ぎなんてどうして浮かんでくるのだろう? と映画の構造自体を1時間50分考えさせる映画だ。それを考えなければ眠くなるし、考えれば考えるほどストーリーは追っていけなくなる。でも、こんな映像的冒険に満ちた映画なんて、絶対に何作も撮り続けられるわけがないと思いつつ観ていると突然の終幕でも素晴らしいスペクタクル的映像。たしかにカヴァレロヴィッチはじつに寡作だし、日本で知られているのは本作も含めて3、4作。どれほどの才能があっても一生に3、4作しか傑作は残せないこと実証する、それほどの傑作。
投稿者:gapper投稿日:2011-06-23 00:05:17
【ネタバレ注意】

 ポーランドの奇作。

 原題の”天使達のヨアンナ”とは何だろう。
 the が付いていることから修道院の修道女達が天使と考えたが、そういった意味があるように思えない。
 ”悪魔を作ったのは、神だ”という台詞があり悪魔と呼ばれている者が実は天使だという見方が出来なくはない。

 鞭で自らを痛めつけるスーリン神父やヨアンナ、鞭をナチやスターリンの圧制と捕らえると”悪魔”とは欲望であり食べる、寝る、愛するといった人間として欠かせない物と見れる。
 人間として当たり前のことをすることで迫害される。
 それを行うのは、正義を語っているナチやスターリンだ。

 多くの解釈が出来るであろう作りで娯楽性は薄いが、質は高い。
 エンドの文字も出ないラストは、印象的。

投稿者:ちゃぷりん投稿日:2009-11-02 02:50:45
古臭い映画にしか見えなかった。睡魔に勝てず35分でリタイアしたけど、ベルイマンに撮って貰った方が良かったかもと思う位退屈な展開だった。ヨアンナ役の女優も容姿・演技ともに普通。
投稿者:Bava44投稿日:2009-07-10 20:57:33
同年に作られたワイダの『夜の終りに』と同じく、“ポーランド派”のジャンル的変容を示す作品。徐々に変化してきたとはいえ、当初の鋭い批判精神が内省的になり、普遍的な題材と心理描写によって戦後のポーランドの姿を浮かび上がらせるようになっている。翌62年にはポランスキがスコリモフスキの脚本でデビューしているのが象徴的だ。政治性よりも個人的な要素が強くなっている。

もっとも、“ポーランド派”はマニフェストに基づく集団ではなく、その呼称も俗称である。また東欧諸国では“新しい波”は「非・画一化」という過程でもあったので、多ジャンル的であるのは当然であり、日本未紹介作を含めるとかなり多様性があるようだ。


カメラに頭を向けて腹ばいで床に倒れている男という奇妙な構図のショットから始まる本作は、全編にわたって空間の深さを意識した構図を用いており、カメラの動きもそれに追従している。また、文芸作品らしいリアリズムで、SFX一切無し(逆廻しも無し)なのだが、ここまで得体の知れない存在を感じさせるのは流石である。観客を惑わす編集や、フレーム・イン、妙なタイミングが満載で、楽しめる。

苦悩に満ちながらも、どこか笑っているように見えるヨアンナの演技が怖い。村人たちの方も病的に見えるが、彼らは単純に欲や愚かさ(俗世界)を示しているのだろう。モノクロの、時に非現実的な色彩が、ポーランド映画のもつシンプルな画面によってより象徴的に、そして無機的に働いて、極度に精神的な中世ヨーロッパの雰囲気を上手く表現していた。何と言うか、ベルイマンの簡潔な世界観を物語的にしたような作品だった。

『エクソシスト』の10年前の映画としても楽しめる。

ユニット“カドル”製作 62年キネ旬ベストテン第6位
8.5点

投稿者:マジャール投稿日:2007-01-14 18:51:29
冷徹な白黒画面、宗教や哲学の問答に終始する主人公の内面・・・・眠気を誘うことでは、『惑星ソラリス』に匹敵する映画です。
面白いホラー映画だとは、口が裂けても言えないけど、辺境ポーランドの寒村の描写なんかは印象的でした。
後で、岩波文庫の原作読みました。こちらは、かなり面白かったです!
投稿者:浄瑠璃2投稿日:2005-02-02 20:41:10
2回観ましたが、2回とも途中で眠ってしまった。でも、今でももう一度観たいと思ってる。そんな心に残る映画です。童貞僧スリンに出会って恋に落ち、生理が始まってしまったヨアンナが、その経血を壁に塗り、悪魔に取り憑かれた笑みをたたえる有名なシーンが忘れられない。
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
□ パルム・ドールイェジー・カヴァレロヴィチ 
 ■ 審査員特別賞イエジー・カワレロウィッチ 
【ソフト】
  商品名  発売日  税抜価格  
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