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のんき大将脱線の巻(1949)

JOUR DE FETE

のんき大将(ビデオ題)
のんき大將脱線の巻(初公開時タイトル)

メディア映画
上映時間80分
製作国フランス
公開情報劇場公開(SEF=東宝)
初公開年月1949/12/31
ジャンルコメディ
ジャック・タチ「のんき大将 脱線の巻《完全版》」【Blu-ray】
参考価格:¥ 5,076
価格:¥ 4,527
USED価格:¥ 4,176
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【解説】
 後に倉庫で眠っていたカラー版が発見され、光学処理を加えられ、95年に「新のんき大将」として公開された。
<allcinema>
評価
【関連作品】
新のんき大将(1949)
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【ユーザーコメント】
投稿者:黒美君彦投稿日:2007-08-14 13:08:11
フランス中部の田舎を舞台に、ジャック・タチ自ら扮する郵便配達員フランソワが繰り広げるドタバタ劇。47年の短編がもとになっているというが、この作品では実験的にもトムソンカラーによって撮影されたが、トムソンカラーではプリント技術が確立できず結局モノクロで公開されたのだとか。
タチの死後、娘がカラーフィルムを発掘し、94年に「カラー版」として再公開したということらしい。

のどかな村の祭りと、そこで観たアメリカのスピードアップされた郵便配達の映画の対比が面白い。映画に刺激され、「アメリカめ!」と文句をつけながら「俺にだってできるぞ!」と突っ走るフランソワ。
無声映画の流れを汲んだジャック・タチらしいドタバタだが十分楽しめた。色彩が貧弱というのも、どこかノスタルジックな雰囲気に貢献しているように思う。
お人好しの郵便配達員と辛らつなヤギを連れた老婆、女好きの香具師、回転木馬に夢中な子供たち…、フランスの田舎ならではの幸福な時間がそこにあった。
投稿者:Ikeda投稿日:2007-08-02 15:24:00
タチのファンはかなり多いようですが、私はさほど好きではないので、彼の軽快な動きは良いけれども、スラップスティックの面では、あまり新鮮味はないように思いました。それでもアメリカ文化の効率性に対して、フランス社会の悠長さの方が楽しいという演出が面白いです。それにタチ自身がアメリカ映画が好きなのだろうという雰囲気があって、戦前からアメリカで流行っていた航空郵便関係の映画に対抗して、自転車を乗り回すのがそうですが、ロスコー・アーバックルのようなキャラも出てきます。ロイ・ロジャースと愛馬トリガーをもじったようなジム・パーカーと愛馬ディキシーという名前が出てきて、配達の途中で馬にいななかれると、テキサス生まれかと言ったりするのもそうです。
フランス人の事は良く知りませんが、一般に英語で話すのを嫌がるなど、あまりアメリカ文化は好きではないようですが、今でも西部劇などはかなり人気があるように思います。以前、南仏へ行った時、「OK牧場」というテーマ・パークがあったのには驚きました。

[2010-6-23]
最近、部分着色版を見ましたので、カラーについてのコメントは「新のんき大将」の方に移しました。
投稿者:theoria投稿日:2003-09-04 21:38:34
モノクロ版とカラー版とモノクロ版に主として赤・青・黄の信号色を部分的に塗布した版が存在するが、“前衛的なタチ”という見地に立つと、この人工着色版が最も魅力的に思える。色付けが非常にモダンなのである。赤と青が映えるのは村祭りの日に掲揚されるトリコロールと飾り物。鮮明な黄色は祭りに欠かせぬゴム風船に施されているが、黄色のバリエーションは結構多く、黄土色のコニャックや、夜の部屋に灯される黄金色の明かりとして用いられていて、タチの後の作品で展開される非凡な色彩感覚をカラー版以上に窺い知らせてくれる。本作に先立つ『郵便配達の学校』と並んでパントマイム芸人たるタチの郵便配達人“フランソワ”は、“ユロ氏”の原型ではあるが、キートンやチャップリンの影響から逃れられない当時のフランスに於けるスラップスティック・コメディの寵児として珍重されて然るべき独自のキャラクターを誇っていたワケで、比較的に垢抜けたユロ氏には無い、粗野ながらも若さが横溢していて、回転木馬の如く颯爽と自転車を乗り回す姿はナントモ痛快無比。加えてフランスのスラップスティックはスケプティックなスタイルを終始一貫している点が凄い。特にタチはトコトン冷徹な眼差しで人間社会の不合理(矛盾)を受け入れる。“誰か”を遮二無二になってゲラゲラ笑わせようとか、嘲笑の渦中にあって慈悲を哀願させようとする姑息な目論見を一切排除する。タチは見え透いた主張などしないが、それ以上に妥協は絶対にしない。自己に絶えず鞭打っている。必ず二歩も三歩も引き下がっている映像の突き詰めた客観性。寡黙な台詞。そしてツボを心得た音楽使用の一方で繰り広げられる単調にして執拗、然も矢鱈と不自然な環境音を機械的に処理して意図的に際立たせている。本作ではハエだかハチだかのブンブン飛行音、鶏や牛や山羊やらの鳴き声、祭りの喧騒、そしてフランソワ愛用の自転車のハンドルにぶら下っている鈴の音etc..が、恰も人間の営為と張り合い、歯向かっているようであって、人間主体の専断とは明らかに隔絶している。矢張り、映像も脚本も音(音楽以外)も極めてスケプティック乃至はアグノスティックである。人間の知性・感性には限界があり、“物自体”つまり、平たく言えば“普遍的真理”を認識することは人間にとって不可能であり想像する域に留まる、とするスケプティシズム(懐疑論)の立場を既にコノ長編第一作で明示している。後の『プレイタイム』はその頂点であろう。スケプティックとなれば必然的にブレッソンと双璧を成すと思うが、二人の決定的な相違は、タチには神が不在でモダニズムの急先鋒として社会風刺によって懐疑を究極に押し進めていたのに対して、ブレッソンの背後には常に神が控えていて人間風刺による懐疑を土台に信仰への揺るぎ無い自由を体得して集束させていけたという点であろう。但し、二人は表裏一体の存在だからこそフランス映画界の懐疑論・不可知論を完成へと導いたのであろうことに疑う余地は無い。換言すれば両輪である。片方が欠けていたなら大きくフランス映画の流れは変わっていたことだろう。勿論、タチが冷淡、ブレッソンが熱烈、などと安直なコトを言っているのではない。本作で、フランソワは腰の曲がった詮索好きの婆さん(客観の代表的存在)に「急ぐばかりが能じゃない。アメ公はアメ公。いい手紙なら待つのも楽しいものさ」と諭されて、アメリカ式のスピーディーな郵便配達方式などは体質的に受け入れられないと実感する。スロー・モーな“フランス人”としてのラスト。流石は“農業国フランス”だ。一般的に農民とは融通が利かず、頑固者が多いのだが根は心優しい。事実上の出世作となった本作のロケ地を後年に幾度も訪れ、其処の住人達を愛していたタチは間違いなく情が深い性質(たち)の人であったのだろう。似非ヒューマニストが大半を占めているアメ公なんてクソ食らえだ! 本作で確か「くそヤンキー!」とタチさん、貴方も仰ってましたよねぇ(笑)。
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
■ 脚本賞ジャック・タチ 
【レンタル】
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