イントレランス(1916)INTOLERANCE | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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【クレジット】
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【解説】
“映画の父”D・W・グリフィスの代表作という枠にとどまらず、サイレント映画、いや全映画の中でも避けて通るわけにはいかない歴史的傑作。古代バビロンの崩壊を描く<バビロン篇>、キリストの悲運を描く<ユダヤ篇>、聖バーソロミューの虐殺を描く<中世篇>、ストライキで職を失った青年と乙女の純愛を描く<現代篇>の4つの物語が完全に平行で進んでいく。ここで使われている映画演出技法は今となってはしごく当たり前の事でしかないが、それはグリフィスが完成させたものであり、この作品が証明したものなのだ。しかし、そういう教科書的な意味合いだけをこの作品から汲み取るのは正しくない。一見何の関連も無さそうな4つの物語が、愛と寛容をキーワードに(タイトルのイントレランスとは不寛容の事)やがてひとつの大きなうねりとなる、その圧倒的ともいえる映画的興奮を味わう事こそ、グリフィスが狙ったものであり、観る者の醍醐味なのだ。89年にフル・オーケストラの伴奏付きで大々的にリバイバル上映され、そのバージョンにはSFXの名手リチャード・エドランドによるイメージ・オープニングが付加された。
<allcinema>

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【ユーザー評価】
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同時進行創生と言う意味で映画史に残る。
バビロン編、ユダヤ編、中世編、現代編と4つの構成で特にバビロン編のセットは壮大で「グッドモーニング・バビロン!(1987)」で、その時のことが描かれている。
「カビリア(1914)」に触発されて作られたわけだが、余りにも押し付けがましいこの内容ではいただけない。
ゆりかごが何を意味するか分からないが、もし未だに人類が歴史的に見て揺りかごにいる赤子のような存在であるということなら大いに疑問だ。
同時進行の手法としては面白く手法自体には意味があるが、効果としては意味的には必要性がわからない。
分かりづらくなったことを考慮すると、マイナス要因と考えてもおかしくは無いだろう。
余りにも話を広げすぎてしまったために、ユダヤ編と中世編の終わり方が省略しすぎで構成に無理があったことが伺われる。
不寛容と言う捕らえ方だが、余りにも突飛で単に寛容になればいいのかと疑問も持つ。
知識の問題や立場の問題、欲や権力、財産との兼ね合いなど一般的な考え方と接点が無くグリフィスの意図が理解できない。
また、理解できるような方法を取っていない。
「國民の創生(1915)」でもそうであったが、技術的にはすばらしくとも内容としては余りにも独善的で評価は出来ない。
トーキーを向かえ急速に力を失ったのは、その独善性によるものではないだろうか。
バビロン時代のここまでやりきったセット、描写は流石ですが、内容はやや疑問。現代、バビロン両時代はなかなか肉厚なんですが、中世フランスは説明不足気味でローマ編に至ってはカットいいんじゃないというくらい申し訳程度。まぁグリフィスの宗教観の為に必要なのかもしれませんが、何の話かちょっと混乱しました。あとラストも大作なのに数分でああいうオチは唐突な印象。
死刑執行とサン・バルテルミの虐殺、バビロニアの戦いが重なりあう終盤は面白かったです。個人的には戦闘終結で切ってENDでもいい気もする。
全体としてはまずまずでしたが、当時のセットそのままに今の技術で撮ったらとんでもないものが出来上がるんじゃないか、という気になりました。もちろん3Dで。
始めは、一軒の小さな家を建てるつもりが路線変更で増改築を繰り返し、出来たのは巨大だが何とも不恰好で歪な建物だった・・・みたいな感じか。
4つのストーリーとはいえメインは現代篇とバビロン篇であり、フランス篇は印象薄く、ユダヤ篇にいたっては完全にオマケ扱いである。感情面においては現代篇がリードしているわけだが、やはりバビロン篇の突出したビジュアルが凄い。エログロやらギミックやらのサービスカットも盛り込んで、「クレオパトラ」も真っ青のモブシーンに巨大セット・・・満腹感を味わえよう。
グリフィスの演出はまだこの時点でもあまり洗練されていないし大味だが、仕方あるまい。
演技陣。マーシュとタルマッジに乾杯!
技術的なことは他の人に任す。
この映画を観て強く感じたことは、キリスト教ではイスラムと違い、キリストをよく絵の題材にする。
それは偶像崇拝を生むかもしれないが、代わりにキリストを身近に感じることができる。キリストを
身近に感じれること。それが彼らにとって重要なことなんだと思った。
「イントレランス。それは美しさを破壊する根源」
グリフィスは繰り返される悲劇の中で、そんなことを言いたかったのかもしれない。
ラストが理想主義的だ、と批判する必要はない。なぜなら芸術が理想的でなかったら、いったい何が
人に理想を与えてくれるのだろうか。テレビのコマーシャルによって「美しさ」や「希望」や「人を
愛すること」を学んだ人間と、私は一緒には居たくない。
スケールが大きいのは分かる。90年前の映画とは思えない迫力とリアリティ。グリフィスお得意の「最後の瞬間の救出」もある。でもそれだけ。お説教臭い上に入り組んでいるから、2時間を過ぎた辺りからサイレント映画好きの私も段々嫌気が差してきた。パリサイ人と偽善的な婦人団体を重ね合わせている辺り、ユダヤ系の人々に対する偏見が込められているように思うのは考えすぎだろうか。
各物語の切り替えは最初はゆっくりと行われ、次第に場面場面の関連度を強めながら、それぞれのクライマックスに向けて速度を増してゆき、やがては濁流のようになって人々を飲み込んで行きます。そして常に底流にあるのは、「あなた達の中で、罪の無い者だけがこの女に石を投げなさい」という、寛容の象徴としてのキリストの言葉なのでした。キリスト教徒でもなんでもなく、どちらかと言うとあまり好きではない自分でさえ、一瞬イエス・キリストの有り難さを感じてしまうものがありました。「山の娘」が哀れです。
尋常ではない巨大なセットが見事なのは言うまでもありませんが、なんと言っても圧巻だったのは、象までが登場するキュロス王による首都バビロンへの攻城戦の場面です。巨大な「移動タワー」が城壁に迫り、そこから城内へと続々と送り込まれるキュロス軍とバビロニア軍とが大乱戦。よく見ると、切られた兵士の首が跳ねるといった「特殊撮影」も使用されています。大門が開くと、過剰な装飾を施された「火炎放射器」が登場して火を放ち始め、炎につつまれたタワーは蟻のような兵士達が逃げ惑う中、地響きを立てて崩れ落ちるのでした。そんな場面をミニチュアではなく、文字通り実物大のセットでやる凄まじさを見ていると、ここまでして映画を撮る情熱は何なのかと素朴な疑問に襲われます。
選択された 4 つの時代は、やはり意味があるのだと思います。時系列で見てみれば、紀元前 538 年の新バビロニア王国滅亡は、それによってユダヤ人がバビロン幽囚から解放されたのであり、その 500 年後には、そのユダヤ人がエルサレムの地にてキリストを殺害、そしてキリストの死によって生まれたキリスト教徒達は、1500 年後に同じキリスト教徒である新教徒達を虐殺し、さらにその新教徒達が大西洋を渡って建設したアメリカ合衆国では、資本家による労働者の弾圧が行われるという流れに、つまりは、不寛容によって迫害された者達が、次の時代にはやはり不寛容によって誰かを迫害するという流れになっていると思います。現代偏における労働争議の場面では、なんと経営者側が機関砲を持ち出して水平射撃を行っています。
本作品の公開年度である 1916 年 (大正 5 年) と言えば、その 2 年前に第一次世界大戦が勃発しています。20 世紀が大量虐殺の世紀となることを予感していたとでも言うのでしょうか。神話的かつモンスター級の映画だという感想です。
前半は、あまり相互に関係ない話が続いているので、戸惑う所が多く、我々日本人にとっては、「現代」のモンテ・ブルーとメエ・マーシュの話に共感を持つ程度です。後半はやっと受難というテーマに絞られて解りやすくなりますが、今度はめまぐるしくカットバックされるので、見ていて疲れます。それに俳優でもコンスタンス・タルマッジなど二役ですし、「現代」では二つのエピソードが並行するのも、ややこしくて、本国での評判も解るような気がします。ただバビロンの宮殿のセットなど素晴らしく、前半の山場と言ってもいい攻防戦が華々しくて、可成り投資している所がアメリカ映画らしいと思いました。ゆりかごを揺らすシーンを途中に挿入しているのも良いアイディアだと思いますが、リリアン・ギッシュが、これだけの役でしか出ていないのが物足りませんでした。
いずれにしても、グリフィスにとっては実験的な要素があったと共に、人類愛を説こうとした映画だったと思います。然し、この作品から100年経った今でも、まだ同じような状況が続いていて、依然としてイントレランスの時代です。我々は人類と偉そうに言っていますが、未だに揺籃期から成長しないのは、他の動物と変わりが無いのだと思います。
ちょくちょく登場する赤ん坊の話が、当時(エドランドが仕立て直した頃)は全く分からなかった。昔の映画は見る方も集中しないと大変です。また機会があったら見直します。
第一次世界大戦中に作られ,そのヒューマニスティックな精神性はその後の多くの作品に影響を与えた。映画の精神性,スケール,装置,撮影を一変した重要な作品だが,「古典」と言うより「古文」であり,「寛容」というテーマは伝わるが,内容についてはもはや今の時代での判断を超えている。
手塚治虫にもエピソードを次々と並行して描いていった作品があったが,この映画に影響されたのかも知れない。
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない.
これは日本国憲法14条、パアの私にはどう言うことか分からない.ちなみに門地とは辞書を引いたところ家柄.”すべての国民は、法の下に平等”これは辞書を引きようが無いわね.
えっと、タマネギばかりかじってる山の娘、あの子パアみたいだから、考えてみよっと.
世界初の正義の法廷.ハムラビ法典にもとずくバビロンの法律は弱者を強者より守る.
これは、バビロンの物語り、山の娘の兄との争いにの法廷の冒頭の言葉.
弱者を強者より守る法律、それはいまだかって制定されたことがない、なんか、こう、皮肉に思えるわ.
裁判の結果、山の娘は結婚市場に売られることになる.結婚市場ではどんな女でも買い手が見つかるように、持参金が与えられる.女を売るなんて許せない話ね.
タマネギをかじりながら売りに出された山の娘、自分の品定めをする男がスカートに触れようとしたら、爪を立てて歯向かう.そして、「ここの男たちはだれも私を嫁にしてくれない.私悲しい」こう、通りかかった王に訴えるのだけど.
法律も裁判もこの娘も全てが無茶苦茶、当然のことながら、結婚市場で結婚相手を見つけること自体が間違い.「この印は、結婚しても、しなくても良い自由を、恋愛しても、しなくても良い自由を与える」これだけの正しい言葉で、この裁判、この出来事全てを一笑にふすように否定する、この描き方が妙.
この出来事は、山の娘が王を好きになり、忠誠を誓う事になるけど、それ以上はこのバビロンの物語りには関わりを持っては行かない.続きは現代の話にあるのだわ.
法律は弱者を強者より守る、あるいは、結婚してもしなくても良い自由、それらは、奪われた形、引き裂かれた形となって、現代の青年と可愛い人の物語りに描かれる.男女の愛の引き裂かれた物、奪われた自由、それらを総称してイントレランス(不寛容)と言うのね.すべての物語り共通する主題、それは不寛容の逆、寛容と言う表現では抽象的すぎる.明確に、自由、そして強者が弱者を守ること、その大切さを描きあげた、と言うことなのか.