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メトロポリス(1926)

METROPOLIS

メディア映画
上映時間104分
製作国ドイツ
公開情報劇場公開(松竹座=東和商事)
初公開年月1929/04/
ジャンルSF
メトロポリス 完全復元版  (Blu-ray Disc)
参考価格:¥ 7,344
価格:¥ 24,800
USED価格:¥ 17,360
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【解説】
 F・ラングが無声映画時代に、21世紀近未来の大胆な空想を鋭い文明批評の目を持って銀幕上に構築してみせた、SF映画の金字塔。その世界は、科学の飛躍的な発展の結果、地下に労働者たちが押しやられ、巨大な工場で家畜同然に管理されて作業に従事している一方で、資本家たちは地上でぬくぬくと享楽的生活を送っている--という設定。労働者たちの住空間は更に地下深くにあり、社長の息子(G・フレーリッヒ)はそこに降りて、彼らの悲惨な生活を知る。労働者の娘マリア(B・ヘルム)は、労使間に人間的な絆が皆無であることを仲間に訴え、これがストライキの気運を生む。そこで社長(A・アーベル)はマリアを監禁、彼女そっくりの人造人間を作って事態収拾にあたるが、人造人間は狂い始め(このイメージは夢に見そうだ)、造反を起こし工場の打ち壊しを煽動する……。さて、ここからは恐らく、当時ラングの妻だったT・V・ハルボウ(後にナチのシンパになってラングと離別)の妥協的な脚本のせいもあるだろう、結局この破壊騒動は、労働者の住居街を水浸しにする結果となり、まさに水を注されるように沈静化する。そこで労使協調でことにあたり、社長御曹司とマリアの仲も認められる。これを尻すぼみというのは容易だが、これ以外の決着を求めるのは難しかろう。それより、こうした現実に存在する重要テーマを未来に託し、想像の限りを尽くし、その後多くの模倣を生む、アンチ・ユートピア的ヴィジョンを創出したラングの功績を讃えたい。84年にハリウッドで、彩色を施し、ジョルジォ・モロダーの音楽をつけた新版が作られたが、そちらは物語性よりも絵を見せることに重点を置いたものである。
<allcinema>
評価
【関連作品】
メトロポリス(1984)84年新版
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
652 8.67
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【ユーザーコメント】
投稿者:ちゃぷりん投稿日:2016-12-20 09:24:22
「2001年」より前に、映像で観客を驚かせた最初のSF作品なのかな。
投稿者:にゃんにゃん投稿日:2016-12-20 00:37:43
今見ても色褪せないSF映画の金字塔。
「当時どうやって撮影したんだろう?」という映像の嵐。
映像の良さだけで結構見ていられるのだが、ストーリーも思ったより面白い。
サイレント映画って眠くなる展開ばかりだが、本作はその中でも大変面白い。
投稿者:呑気呆亭投稿日:2012-06-06 16:55:39
その新版で見たのだが、確かに今見ても色あせない鮮烈でスケ−ルの大きな傑作であった。特に主人公の娘とその娘に似せて作られた人造人間の二役を演じたブリギッテ・ヘルムの怪演には度肝を抜かれた。大団円の最終章に付けられた曲の歌詞が今の時代にピッタリなので引用してみる。

♪自由というオリは狭まるばかり ♪四方の壁に押しつぶされそう
♪自由というオリは裏切りばかり ♪損だとわかるとすぐに寝返る
♪疑惑を感じたところで八方ふさがりだ 
♪出口もなければ入り口もない ♪鍵をのみこんでしまったから
♪自由というオリ、それが僕らの牢獄だ
♪この世界を作ったのは僕らさ ♪これが僕らの世界だ

そして、その主人公の娘が主人公のメトロポリスの支配者の息子に言った言葉。

「Be their Mediator Freder! Without the Heart there can be no understanding between the Hands and the Mind」

「愛は世界を救う!」式の終り方だと閉口だなと思っていたら、かなり哲学的な終わり方だったのでホッとしたのだった。http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:william投稿日:2011-02-16 10:28:08
SF映画の頂点ともいえるほど、礎でありながらにして最高傑作。
造形美にただため息が出るばかり。SFファンなら絶対に見ておくべき。
投稿者:noir fleak投稿日:2011-02-07 13:55:16
地下に労働者、地上はブルジョア、という構図は1895年に発表されたH.G.ウェルズの「タイムマシン」を踏襲している。地下から大きな塔が地上に出て、その中から蒸気が出ているというのは全く小説と同じで驚いた。
しかし本の方が、より暗く不気味で、本映画のような「対立から和解へ」などという似非道徳的こじつけはない。(まあ、映画ではそんな風に描けば上映できなかったでしょうが。)
数々の大スペクトラル、大セット、大群衆シーンはもちろん息を呑むが、一番怖かったのは、無数の大小の眼が画面いっぱいに出てくるところだった。
あの裸踊りもエログロナンセンス的退廃的雰囲気が充満していて名場面である。
投稿者:こじか投稿日:2010-10-11 23:36:18
SFの原点!?いやそれ以上の凄いものを観たって感じ。
しかもこれが1927(昭和2)年公開の作品であるという事実…、
想像もできない次元の着想とそのエネルギーです。
これから何百年経とうがこの作品の存在が薄らぐことはなく、
むしろ数ある古典映画の中でもぶっちぎりで輝きを増しながら
映画遺産として語り続けられる作品でしょう。

製作された時代やサイレント映画であるという背景からして、
さすがに演技・演出は舞台劇からの延長と言えますが、
ブリギッテ・ヘルムだけは別格のものを魅せてくれました。
どうしてこんなことが出来たのかと思うほど前半の彼女とは
別人のような演技で画面を締めてくれます。
しかもロボスーツの中にも入ってたってね(ほんとお疲れ様(愛))!

サイレント馴れしてない方へは、
絶対に睡魔のこないコンディションでの鑑賞をお勧めします。
鑑賞開始から10分もすれば、その展開と美術造形に
サイレント映画であることすら忘れるくらい見入りますよ(^-^)
投稿者:gapper投稿日:2010-03-23 21:24:51
 ラングは芸術や技術を取り込むことに長けている。
 多くのものは自分のフィールドがあり、そこから外れるものには、偏見や無理解が存在するが、ラングには無い。
 そのため、映画がいいとこ取りの作品になる。
 これは、悪いところではなく類まれな才能である。

 この作品では、モダンバレエの動きや演出が取り入れられている。
 他にも、オーバーラップや合成など26年当時でも先駆では無かった筈だ。
 しかし、ストーリーとしての労働者と支配階級という後のSFでの古典的パターンとしては先駆である。

 「頭脳と手の媒介者は心でなければならない」というメッセージ画繰り返され、今となっては、厚真かしいと言う風に感じてしまうのが普通であると思える。
 だが、当時の観客を考えれば仕方が無いのかもしれない。
 アンドロイドに関しては、地肌にメイクをしアンドロイドのパーツを貼り付けると言う、後のSFより進んでいるような特殊メイクを行っている。
 セットは、かなりの費用を掛けている様でドアの大きさが印象的だ。水槽で水があふれるミニチュアシーンは、当時の技術的な限界からか良くない。
 しかし、洪水シーン全体はなかなかの出来で失われたフィルムが惜しまれる。じっくりと取り組めるときなら、何時でも見ごろ。
投稿者:uptail投稿日:2009-05-21 17:00:20
2001年版
投稿者:Ikeda投稿日:2008-03-25 11:31:41
「ハコマル」さんが、村田實と森岩雄がウーファ社を訪れた時の話を紹介されていますが、「キネマ旬報」の説明によりますと日本に輸入されたのはアメリカ版だったようです。配給が「東和商事」になっているのが、少しひっかかりますが、粗筋でも支配者の役名が「フレーダーセン」ではなく「マスターマン」になっているので間違いないと思います。
公開時に見た、筈見恒夫の評価を抄出すると、
人類社会未来を予想し、労使の対立、人造人間の出現などを織り込んだ空想的なスペクタクルで物珍しかったが、その程度に止まった。
という事で、それほどの点数は出していません。ただし
「月世界の女」を含めてその後、各国で作られた空想科学映画の先陣をラングは切った。
とも言っていますので、ほぼ私の見た感想と一致します。確かに撮影技術を駆使し、出演者の動員数も多く、当時の映画界では格段の大作であることは間違いなく、歴史的に見てもエポック・メーキングな作品だったと思います。
とは言っても、皆さんのご意見にあるように、ストーリーとしては今ひとつで、特に最後の握手など如何にも迎合的な所は欠点だとも思います。反面、ブリギッテ・ヘルムの名演もまた、万人の認める所でしょう。
投稿者:さち投稿日:2007-11-27 19:29:08
すばらしい
投稿者:はこまる投稿日:2007-11-26 23:46:57
紀伊國屋リリースのDVDに付いている、日本版リーフレットの小松弘先生の詳細な解説によると、本作の撮影がウーファのバベルスベルグ撮影所において開始されたのは1925年(大正14年)の5月22日。翌年1926年の6月半ばまで約1年間に渡り撮影は続けられ映画は完成。ポスト・プロダクションを経て同年11月には検閲を通過。更に年を越した1927年1月10日ベルリンにおいてガラ・プレミアが開かれています。20年代に隆盛を極め、映画史に巨大な足跡を残したドイツ映画の栄光が終焉を迎える時期になります。日本公開は1929年(昭和4年)4月3日。

当時、日活の監督だった村田實と、外国映画輸入会社に勤めていた森岩雄が、共同で制作した『街の手品師』を外国に売り込みにヨーロッパへ出発したのは1925年(大正14年)の7月10日。パリ、ベルリン、ウィーンを訪問し、日本映画の海外輸出への道を模索します。
森と村田が『メトロポリス』撮影中だったバベルスベルグの撮影所を訪ねたのは同年秋。日付は記されていませんが、この時の訪問記を森が映画雑誌「キネマ旬報」(大正14年12月11日号)に「べるりん映画日記」として寄稿しています。非常に珍しい文献だと思われますので、以下、少し採録します。

「今日はウーファ会社の社客−おかしな言葉だな、とにかくお客様としてその撮影所を案内して貰うことになっていたのである。外国部長マイダム氏の好意によって、その秘書デュベル君に案内されて汽車に打ち乗る。ベルリン郊外を走る約25分にして、バベルスベルグに着く。森の中を抜けて歩く。落ち葉が頬りに至って秋の感傷殊更小生の心に深くしみ渡る。
バベルスベルグの撮影所というのは、その昔からあこがれのドイツ映画として、われら感嘆して止まなかった所のデクラビオスコープ会社の撮影所をいうのである。凡そドイツの大監督や名優にしてこの撮影所に働かないものはない程有名な撮影所である。今、ウーファ会社はその広大な敷地を利用し、主な野外大セット撮影場としてこの撮影所を使用している。
厳格なことこれも停車場の様な正門を通過して中に這入る。若手監督でクセニア・デニスの映画『経歴』を仕上げたグリーゼ(注:ロフス・グリーゼ(1891〜1978)『巨人ゴーレム』(20年)の装置監督。この直後アメリカに渡り、ムルナウの『サンライズ』(26年)で美術監督を務める。助手はエドガー・G・ウルマーとロバート・シオドマク) が背の高い男と門の近くで話している。紹介されたら、その背の高い男がエミール・ヤニングスの弟で監督助手をしていることが解った。だがどうも兄貴ほどの人間ではないらしい。ヤニングスは『ヴァリエテ(曲芸団)』(25年)を撮り上げ『ファウスト』(26年)のメヒィストフェレスに主演するなど大変忙しく、今はロケーションに出張中であるといふ。模型舞膏を専門に撮影する人工光線撮影所、大小道具製作室及び貯蔵部屋、石膏部屋、鍛冶工場。すばらしい専門の工場が沢山並んでいる。どこかの大工場を参観に来たのか、博覧会へでも来たような気がして活動写真を撮る撮影所へ来たとはどうしてもこの自分には思われない。井の中の蛙の心持をこうしみじみと味す日本の活動写真界を今更のやうに心細く思った。

スターと下働き役者の化粧部屋を見せて貰う。ヤニングスやアルフレッド・アベルの名札が出ている部屋などを見る。広くはないが実に整然としているのに感心する。若手の二枚目ウィリー・フリィッシュ君がメークアップして「今日は」と言われ等に挨拶して急いでセットへ出て行く、われらもその後からセットの方へ行く。室内のセットでは『ワルツの夢』を午後から撮るのでその準備に忙しい。ベルゲン監督(注:ルードヴィッヒ・ベルガー(1892〜1969)マックス・ラインハルト門下、『タルチュフ』(26年)の当初監督。この直後アメリカに渡りパラマウントと契約)、ヤニングス弟が助監督だ。書割の後から首を出したら、道具方や電気係の物凄い顔が、オヤ見馴れない奴がいるな、といった表情でヂロヂロ見る。それに閉口して歩を進める。
「フリッツ・ラングさんは、この二,三日、二百人からの子供を扱って、ほら見えるでせう、あそこに部屋がありますね、あの小屋はその子供達の為にこしらへた支度部屋なんですがね、どうも子供が思ひ通りにならないのですっかり神経過敏になっていますよ。ものはメトロポリスといふ作品なんです。」
案内役が、向こうの方から技師と二,三人の役者と短い撮影を終えて引き上げて来たラングを見ながら話してくれた。ラングはがっしりした、精力家らしい体躯をした人だ。ルビッチュのいない現在のドイツ映画界では第一に指を屈せられる監督であろう。・・・」

(この項、84年(モロダー版)『メトロポリス』のコメント欄に続く)
投稿者:黒津 明二郎投稿日:2007-09-29 17:16:38
本作は、誇大妄想的なラング=ハルボウのコンビ作品群の中でもとりわけそれが爆発したSF叙事詩大作だ。
言ってみれば、これ押井の「イノセンス」と同じことで様々なメタファーに溢れかえっており、映像的には凄いんだけどストーリーとしては破綻しているわけですね。それでも1927年に実写でやったということが、やっぱりエポックメイキングだったのだろう。
クライマックスの「タイタニック」ばりの’水責め’スペクタクル(しかも数百人の子供たちが参加!)なんて、ラングの狂気が垣間見えてくるよう。惜しむらくは、本作が完全な形で見られないことである。
演技陣。ヘルムは神々しいまでの美しさ!フレーリヒは「ドクトルマブゼ」「ニーベルンゲン」におけるパウルリヒターのポジションを空回りながらも大熱演し、アーベル・ロッゲも悪くない。
投稿者:ミュジドラ投稿日:2006-05-07 10:52:28
 信じられない。日本で言えば昭和が始まった頃に、ドイツでこんな映画が創られていたなんて…。天国と地獄にも似た未来都市と地下都市の対比、労働者たちの得体の知れない作業、ロボットのマリアのヒステリックな表情と仕草、そしてモブ・シーンの凄まじい迫力と、どこをとっても不気味なイメージにあふれている。俳優たちの演技は大変オーバーだが(特にフレーリッヒ)、狂気と不安に満ちたこの映画の世界ではオーバーなくらいでちょうどいいのかもしれない。20年代のドイツでは映画史上に残る傑作が幾つも創られたが、この映画は金字塔である。
投稿者:takaya投稿日:2006-04-24 15:38:16
著作権フリーでファイル公開されましたね。
http://www.publicdomaintorrents.com/nshowmovie.html?movieid=182http://cinema-novo.blogspot.com/
投稿者:o.o投稿日:2006-01-09 01:31:35
ほとんど作品の統一感を失わせるほどに多彩な映像表現がてんこ盛りの映画だと思いました。労働者達がロボット ムーブで動く象徴的な表現があるかと思えば、リアルな群集表現あり、マリアがマッド サイエンティストに追いかけられる場面はサスペンス映画風で、ロボットのマリアが父親といる所を見て主人公がショックを受ける場面では心象表現で映像がくるくる回転し、踊り狂うロボットを資本家達が見つめる場面では複数の眼で画面が覆いつくされます。パニック映画風でもあるし、高所でのアクションもあります。もちろん特撮もありました。

人間バージョンとロボット バージョンを演じ分けたブリギッテ・ヘルムは素晴らしいと思います。口元を歪めたその笑みを見た瞬間、昨年見た映画、「グリード」 (1924 年) における狂った女房の邪悪な笑顔がフラッシュ バックしてしまいました。また、指令を受けたロボット・マリアが片目だけつぶって (あれはウインクでしょうか?) うなずく場面にはぞくっとすると共にそのアイデアに感心します。人間そっくりだが微妙に変な身のこなしが絶妙です。

高層ビルの間を複葉機が飛び交う地上の風景は未来予想図風で、地下の工場は単調な肉体労働を象徴するほとんどナンセンスな機械群というところが面白いと思いました。何かと蒸気が吹き出ていましたが、そんな所にこの時代 (1925 年) がまだまだ蒸気の時代であることを感じるような気がします。

なんでも日本は人型ロボットでは最先端なのだとか。この作品では、本来は人間の労働者の代わりになるように人型ロボットを開発したという事になっていましたが、日本のロボット熱も、ひょっとしたら遠い将来、人口減を移民ではなくロボット労働者で乗り切ろうという意思が働いているのかもしれません。
投稿者:key投稿日:2002-10-14 03:32:25
独創的なデザインの建築物、複雑に入り組んだアウトバーン、鉄の塊のようでどこか神秘的な地下工場のマシン、そして「人間型」ロボットの元祖にして、今なお圧倒的な美しさを誇るマリア。
年代的にすでにクラシカルなイメージとなるべくメトロポリスが、未だに現代のSF映画を映像美術面で圧倒している点、それはこれら機械/施設類の造形美において他ならないでしょう。

ただしストーリー面においては、原作者ハルボウのファシズム思想的な部分が見え隠れし、ラング監督が後年自ら認めているよう、やや鼻につく物語といえます。

ゆえに「映画を見る」というよりは「絵画を見る」もしくは「美術品を見る」というスタンスで視聴したほうが、この映画を堪能できるのではないでしょうか。
投稿者:ゆきぼー投稿日:2002-02-10 18:11:32
登場人物に共感できる部分も、思い入れる部分もなさすぎて、
しんでも「あっ、そー。」ぐらいだった。
つまんない。
投稿者:黒いチュウリップ投稿日:2002-02-09 17:13:38
約八十年前に描かれた「未来予想図」を今観る。という楽しみ方。
特撮でなく美術セットの映画なので今でも十分観賞できるのに驚き。
今ごろこの映画を初めて観て「もっと早く観とくべきだった」と後悔。反省。
美しく誕生して狂い死んでいく人造人間と走り込み十分なお坊ちゃま。。。
投稿者:出木松博士投稿日:2000-12-10 03:07:30
ロボットやコンピューターの反乱はSFで良く使われます。資本家と労働者と言う対立概念が時代を表しているなあと思う。
【ソフト】
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