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チャドルと生きる(2000)

DAYEREH
THE CIRCLE

メディア映画
上映時間90分
製作国イラン
公開情報劇場公開(ギャガ・コミュニケーションズ)
初公開年月2002/08/31
ジャンルドラマ
路傍の野花のように、
女たちはチャドル[ベール]で身を隠し、静かに生き抜いた。
終りなき運命のサークル。
チャドルと生きる [DVD]
価格:¥ 11,800
USED価格:¥ 6,000
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チャドルと生きるチャドルと生きる

【解説】
 「オリーブの林をぬけて」などのキアロスタミ作品で助監督を務め、「白い風船」でカンヌ国際映画祭カメラ・ドールに輝いたジャファル・パナヒ監督が、チャドル(ベール)に身を包み、決して平等とはいえいない社会の中で様々な困難に遭遇する複数のイラン女性たちの力強く生きていこうとする姿と、それでもなお厳しい現実を1日の出来事の中に語りつないだ問題作。2000年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞作。
 ある女性が女の赤ちゃんを産んだ。女性の母親は“男の子でないと離縁されてしまう”と慌てふためく……。刑務所から仮釈放されたばかりの3人の女性。彼女たちは逃避行の為なら何でもする覚悟だった。その中の1人は故郷を目指すが、身分証がなく、バスターミナルで切符を買うのもままならない……。時を同じくして、妊娠した未婚女性が堕胎の為に刑務所を脱走する。実家に逃げ帰るも実の兄弟たちに追い出されてしまう……。町で行く当てもなく彷徨う母娘。母親は生活苦のために実の娘を捨てようとしていた。娘の幸せを願えばこその決断だった……。
<allcinema>
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
437 9.25
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【ユーザーコメント】
投稿者:さち投稿日:2007-05-01 19:44:11
よかった
投稿者:theoria投稿日:2003-08-15 21:36:14
公衆の面前に於ける女性は、我々が一般的にイメージする喪服よりも洒落っ気の無い禁欲的なチャドルを纏い(わされ)、日常生活では男性よりもずっと細かい制約を受け、女は一人で生きていくことが困難であって、21世紀にあっても実質的には未だ阻まれている。基本的に「学生」であるか、若しくは第二夫人だろうが第三夫人だろうが「妻」でなければ、本来は当然保障されるべき一人間としての自由さえ剥奪される。女性には取り分け過酷なイスラム圏のイランなる国家。パナヒ監督はそんな社会に生きる女達に同情して憐憫の情に流されてしまうことなく、寧ろ極力そういった私情を排除しつつ、イスラム社会を俯瞰する客観的な視点から疑問を投げ掛けている。冒頭でもラストでも実体を明らかにしない“ソルマズ・ゴラミ”は“不幸なイスラム女性”の象徴であり、“悲鳴”そのものである。女に生まれ、女児を出産することで“役立たずの嫁”との烙印を押され、離縁される危険性が大である。そんな理由で離縁されればマトモな女ならば自暴自棄になって道に外れたって仕方有るまい。犯罪に手を染めて投獄される結果となることは充分に有り得る、否、必然的とすら考えられる。女として生まれたが故に・・・の不幸がイランでは如何に切実な問題であるか、が冷静過ぎる程の描写で観衆に迫ってくるからこそズシンと腹に響く。回教徒“ソルマズ・ゴラミ”は女の悲痛を一身に引き受けた無限軌道である。起点=終点=起点であって、果てしなく廻り続ける。上記の解説で示されている7人の女性は皆、“エピソードの連なり”を形成する現実的な役割を担っている。各人の人物像を垣間見ることで、イランの恵まれない女として苦悶しながらも必死に生き抜こうとする姿勢が実に不器用ながらも健気であるのだが、皮肉にも(これは単なる臆見かもしれないが)、イスラム教徒に義務付けられた六信五行の五行の一つでもある「巡礼」がパナヒ監督の念頭にあったように思えてならない。偶像崇拝を排斥するイスラム教徒は皆、一生に一度はメッカのカーバ神殿を訪れて“黒石”を中心に7周してアラファト山詣でをすることが悲願なのである。つまり、本作の7人の女性はその7周を暗示しているように思われる。一世代が「巡礼」を成し遂げても、また次の世代、そしてまた次の世代も、永遠にイスラム教徒である限り、この風習は巡り(回り)来る。“ソルマズ・ゴラミ”とはカーバ神殿を取り巻く、目に見えない不朽のキャタピラ(無限軌道)であるのではないだろうか。イランの映画とは総じて女・子供・老人をダシにしたものがヤケに多く、ホノボノというような感覚とは程遠く、切羽詰った窒息しそうな作品が多いように思えるのだが、現実のイランの女性や子供が日本のメスやガキよりもズ〜ッと「清いであろう」ことは想像に難くない。と言うよりも、個人的な体験として事実であると思っている。一体全体何故であろうか?・・・経済事情などソコソコにして、こんな重要事項についてもっともっと議論すべきではなかろうか?少なくともアホなマスカキのマスコミに翻弄されて踊らされている日本人よりは、束縛されながらも批判的精神を持ち、“絶対服従”を意味するイスラムの伝統的な教えを誇りに思い、遵守しているイラン人達の方が“より人間的”であるように自分には思える。そもそも“中高生・男漁りのOL”程度の若年層及び、精神年齢がそれに準ずる低脳をターゲットとする食欲と性欲しか知らない低俗文化を蔓延させる日の丸マス・コミの水準など、イスラム圏では三歳児以下のレベルだろう。毎日のようにどっかかんかのTV局で「ラ〜メン屋!ラ〜メン屋!」ってやってんだろう?アホか。踊らされて食い歩くバカどものクソはスープ(糞汁)が絡んだラ〜メン状のチヂレ糞なのかストレート糞なのか、細糞か太糞なのか?クダラン。そんな連中はイラン映画でも観てもっと知性と感性を磨くべきだろう(メ〜ン! 麺)。(痴呆)
投稿者:wayu投稿日:2003-04-12 22:58:54
分娩室の小窓から始まり、
刑務所の小窓にて終わる。

男尊女卑が激しい国に
女性として生まれた運命なのかも
しれないけれど、悲しいな。
投稿者:lastv8投稿日:2003-02-02 20:01:03
構成がすばらしいです。
テーマを効果的に示すためのリレー式展開。これはいい!
主義主張だけでなく、作劇的にも見るべきところがあり、満足の逸品でした。
ちょっと眠いのが残念ですが。
ヲチはちょっと分りづらいんで、オヤっと思ったら、ビデオだったら絶対に巻き戻して冒頭シーンをもう一回みましょう!
投稿者:ヨシリン師匠投稿日:2002-12-24 00:57:05
「チャドルと生きる」は、イランにおける女性差別の実態を描いた力作です。最初の出産シーンに始まり、映画は小さなエピソードをリレーしていき、3人の脱獄囚の話にバトンタッチし、さらに赤ん坊を捨てる母親の話。警察に捕まった若い娼婦の話。そして最後に、警察の牢屋の中にカメラが入って、映画は最初から最後までがきれいに循環する構成になっています。文字にするとわかりにくいかもしれませんが、このリングのように回る物語はそのまま、いつまでも続くイスラムにおける女性の苦難を表しているわけです。最近のイラン映画は、こうした女性の苦難を描いたものが多いように感じるのですが、それは最近イランでも女性の社会進出が目覚ましいようなので、それと共にあつれきも増えているのでしょうか。
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
■ 金獅子賞ジャファル・パナヒ 
【ソフト】
  商品名  発売日  税抜価格  
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