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夜の終りに(1961)

NIEWINNI CZARODZIEJE
LES INNOCENTS CHARMEURS [仏]
INNOCENT SORCERERS [米]

メディア映画
上映時間87分
製作国ポーランド
公開情報劇場公開(新外映)
初公開年月1963/06/23
ジャンルドラマ/青春
アンジェイ・ワイダ Blu-ray BOX
参考価格:¥ 14,580
価格:¥ 10,955
USED価格:¥ 10,925
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【解説】
 「二十歳の恋」の中でもワイダの挿話が群を抜いて良かったが、これも同じく、青春の日常を描いて、的確な描写力と遊び心を共に発揮し心憎いばかりだ。ドラムを始めて3年目というバジリ(ウォムニッキー)は昼間は体育協会付きのスポーツ医。荒くれボクシング部の学生たちの健診を行なって、おもむく先はナイトクラブだ。今晩は友人エディック(チブルスキー)の代わりに叩くのである。友は彼を出迎えながら客席の中の少女を指さす。イカす娘だ、帰りに誘っていけ、と。彼は本当にそうした。終電の時間を気にする彼女ペラギア(スティプウコフスカ)に駅まで付き合うが、彼女は直前にくびすを返し、彼の部屋まで着いてきた。最初は即物的に情事に至る段取りなど紙に箇条書きして、その通りにキスまでしてみるが、何となくバカバカしくなって、マッチ箱を使ったゲームで日本で言う“野球拳”のようなことをしたり、いり卵を作ってウォッカを呷っては哲学談義などして夜を明かしてしまう。バジリが先に寝入って目を覚ますと彼女はいない。彼はたまらず、バイクで町中を探し回る(その時に会う仲間の一人にロマン・ポランスキーの姿がある)。が、発見できず、とぼとぼ部屋に帰ると、彼女は散歩に行っていたのだと、戻っていた。彼がなに喰わぬ顔で再び眠ろうとするので、彼女はまた出ていこうとするが、バジリはサヨナラとしか言わない。しかし、その表情は人恋しさに沈んでいる。と、一旦、外に出たペラギアはそっと扉を開けて中に入っていくのだった。当時のポーランドの若者の置かれた状況などに無関心でも、共感できるに違いない。いつの時代、どこの国にあっても通ずる普遍的な青春の掌編である。
<allcinema>
評価
【関連作品】
二十歳の恋(1962)
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
217 8.50
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【ユーザーコメント】
投稿者:黒美君彦投稿日:2014-10-26 15:59:39
【ネタバレ注意】

重厚な作品が数多くあるアンジェイ・ワイダ監督が、若き感性を存分に発揮した名品。ワイダ自身としては大ヒットした『灰とダイヤモンド』の作者であり脚本を担ったイェジー・アンジェイエフスキーへ感謝の思いを込めて彼の小説の映画化に踏み切ったのだとか。

クールな若きスポーツ医アンジェイ(タデウィシュ・ウォムニツキー)は、ジャズバンドのドラマーでもある。彼にぞっこんのミルカ(アンナ・チェピェレフスカ)は放ったらかし。友人エドモンド(ズビグニエフ・チブルスキー)が目をつけた男連れの美しい娘(クリスティナ・スティプウコフスカ)を口説きにかかる。
アンジェイは自らを「バジリ」、娘は「ペラギア」と名乗り、“ゲーム”を始める…。

単純なひと晩のロマンスもの、ではない。クリシトフ・コメダ(クシシュトフ・コメダ)のジャズのようにどこか退廃的で、いわゆる社会秩序から外れた若者としてバジリとペラギアは描かれる。
もちろん性的にも奔放であろうことは推測出来るが、それすらもどこか飽き飽きしたかのような空虚な時間が流れる。
男女のやりとりにも飽きた戦後ポーランドの若者とジャズ。
ところがふたりは、そんな空虚な時間を過ごした後に、互いに強く惹かれていることに気づく…。

ジャズは退廃的な米文化の象徴として、戦後社会主義国家ポーランドからは弾圧の対象でさえあった。ワイダのこの作品も完成から公開まで、検閲に2年もかかり、エンディングすら変更を余儀なくされたという。
ワイダは「体制は人間が自らの価値観を持つことを恐れたのだ」という。「国家や社会主義のイデオロギーより、自らの価値観を優先させることを体制は恐れた」。

ワルシャワの町並みはお世辞にも綺麗だとは言い難いが、アンジェイに冷たくされる水玉模様のミルカを演じたアンナ・チェピェレフスカも、コケティッシュな魅力に溢れたペラギアを演じたクリスティナ・スティプウコフスカも、とにかく美人。
『灰とダイヤモンド』のズビグニエフ・チブルスキーがサングラス姿でこれまたいい。
この作品の脚本を書いたイエジー・スコリモフスキは、ボクシング選手役で出演もしている。彼はアンジェイに殴りかかって逆にやられ、目の上を大量出血してしまう役柄(笑)。詩人でもあり、今や映画監督でもあるスコリモフスキの若き情けない姿ということで…。ロマン・ポランスキーもジャズ・ベーシスト役。
そしてクシシュトフ・コメダ自身もちょい役で登場。

すれ違いざまにコメダを呼びとめ、クロスワードパズルで出てきた「聖書に出てくる三つの美徳」を尋ねる。「信仰・希望・愛」と答えるコメダ。うんざりだとアンジェイは返す。
信仰も希望も愛も不要だ。そんな当時のポーランドの若者のおかれている状況が浮かび上がっている。
「無邪気な魔術師」(原題)は希望を殺すのが仕事だ、とうそぶくバンド仲間たちもまた、時代の閉塞感に抗うかのように見えてくる。
名作だ。

投稿者:呑気呆亭投稿日:2014-06-21 11:37:41
冒頭の主人公バジリがベッドで電気カミソリで髭を剃りながら、雑誌をめくったりインスタントコーヒーを作ったりするシ−ンが、戦後16年経ったポ−ランドのアメリカナイズされた生活を見事に物語っている。若者たちは“抵抗”を戦った生き残りたちからその英雄譚を聞かされて育った“遅れてきた世代”なのだろう。目的もなく、ジャズと“言葉あそび”に時間を費やすしかない若い男と女の魂の彷徨をワイダは見事に映像化している。http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:Ikeda投稿日:2009-12-18 12:23:10
朝、アパートの部屋で髭を剃るバジリの行動が如何にも若者らしいので、面白そうだと思っていましたし、共産主義国ながら自由に生きようとする青年を描いているのも良いです。ただ、ストーリー上、仕方ないとは言え、その後、殆どが会話で進行するのが退屈です。字幕なしで理解出来ればまだ良いと思いますが。
それにペラギアを演じるクリスティナ・スティプウコフスカが21才なのに対し、バジリのタデウシュ・ウォムニツキは33才で、どう見ても青年には見えないのが、若者を描いている印象を薄くしています。
投稿者:Bava44投稿日:2009-11-28 12:01:05
4本の戦争映画を撮った後に、ワイダが戦後世代の若者たちの心理を描こうとした野心作で、脚本にはアンジェウスキを中心に、当時新人のスコリモフスキが助手として参加している。
芸術的な完成度は別にして、基本的な場面の演出の冴えでは『灰とダイヤモンド』以上。ワイダらしい極端な構図、カメラワーク、はっきりとした演技、総じてショット内の密度のスムースな流れ。ワイダは脚本通りに演出したというから、その分、力が入ったのかも知れない。
一言で言えば、目的のない人生を送る若者たちの姿を魅力的に説教臭くなく描いた作品であり、単純にその範囲に収まってしまったが故に、真面目な性格のワイダは作品の出来に不満らしい。何かそれ以上のものを目指したようだ。しかしながら、映画における現代の若者たちの姿は、後にポランスキやスコリモフスキによって発展しているし、ソ連でもゲオルギー・ダネーリヤの『私はモスクワを歩く』やマルレン・フツィエフの『私は20歳』に受け継がれている。作品としての存在意義はあったと思う。
早朝の町を歩く若者たちの姿と、その向こうに見える文化科学宮殿という場面(ここでのポランスキはゲスト出演だから分かりにくいが、若者たちの中でスクーターを運転しているのが彼だろう。)や、彼女がいなくなってからの静から動へのテンポの移り変わりが魅力的だった。
原題は「無邪気な魔術師たち」。ユニット“カドル”製作
投稿者:theoria投稿日:2003-04-17 22:58:28
こういう御洒落で粋なA・ワイダも素敵だ。「抵抗三部作」という大仕事を終えた後の“ホッと一息”といった和らいだ趣で、しかも夢見心地にさせてくれる。登場人物の殆んどが(R・ポランスキーも含めて)男前だし美人揃いで、観る者の好みのタイプは十人十色であっても、外見は勿論のこと、役柄としても、心底から、若しくは生理的に嫌悪感を抱かせるような人物は余程の変わり者でなければ見受けられないように思えるし、しかもヒロインのペラギア(K・スティプウコフスカ)ときたら、ただ単に美しくて可憐であるだけでなく、知性的で且つ“憂い”を帯びた高貴な香りに満ちている。また、彼女に限らず、バジリに思いを懸けている看護婦や、バジリに鼻であしらわれる水玉模様のワンピースが何故か浮いていて些かオバカなミルカであってさえも、その“美しくて憂える気品”の要素は充分に感じ取られる。“スラヴ系民族”の女性の一般的な特質なのかもしれない。もっとも、バジリの台詞にもあるが、「女は皆バカで、美人とブスの違いだけだと言う奴もいる」というのは古今東西に確かであって、ポーランドだってバカでブスな女が当然に存在するのは判るが、完全無欠な魅力を撒き散らすペラギアを前に「でも、それは君を知らない奴のセリフだ!」などという殺し文句を聞かされると、不特定多数の近頃の日本人女性を思い浮かべると余りにも掛け離れているので、一介の日本人であって、しかも脳ナシ男の自分としては、本作に限っては「ポーランド女性にバカな美人はいても、バカなブスはいないのか?」と迷妄してしまうのである。確かに、ペラギアとバジリの遣り取りはホンノリとした甘美は伴うものの基本的には無邪気で滑稽である。出会って結局はバジリの部屋に流れ込み、その直後に二人は“これからの行動”の“段取り表”なるものを、その一、そのニ・・・と相談し作成するが、そんな予定通りにいく筈もない。アレコレと戯れている内にもう夜が明けてしまう・・・。しかし、この“ジャレ合い”を描くワイダのセンスには感服する。ペラギアの着衣でモノクロの利点を最大限に活かし、二人の会話と成り行きに小気味よいリズムを齎している。ジャズの即興性に身を委ね、ウォッカを酌み交わしてホロ酔い気分・・・そんな心地よさを存分に提供してくれる。そして照れ臭そうに余韻を残す絶妙なラスト。この映画、反ソ暴動後のワイダの“奇跡的”な程にリリカルな逸品となっていて、“悲痛な叫び”は確かに前面に押し出されている訳ではないが、ゼロであることは有り得ない。ペラギアがバジリに複雑な面持ちで「生まれつきの資本主義者ね」との一言。これだけでズシンとくる。ワイダはここではジャズを中心に、控え目ながらも巧みに扱っているようだが、私的にワイダの作風をポーランドの作曲家に準えるならば、差しずめはヴィトルド・ルトスワフスキであろう。ワイダ作品でルトスワフスキの音楽が使用されているかどうかは今のところ自分には判らないが、本作ではペラギアが音楽についての薀蓄として「十二音技法」に触れているし、彼らの紛れも無い共通点であろう、民族主義に端を発しながらも“前衛”に勇猛果敢に挑むスタンスそのものを“基調”として、その中に“調和”を抄い取ろうとする姿・・・これは酷似しているように思われる。従ってカジミエルシュ・セロツキとはどうやら違っていそうなのだ。因みに、この映画と同時期のルトスワフスキの作品には不確定性の手法を導入した有名な「ヴェネチアの遊戯」というのがある。とにかく、この頃のワイダに不出来な作品は皆無。最高。
投稿者:投稿日:2002-11-30 22:19:29
あんまり期待しないで観たけど、結構良かった。
相手役の女優がすごくかわいかった。
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