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ルートヴィヒ/[復元完全版](1972)

LUDWIG

ルートヴィヒ/神々の黄昏[復元完全版](ビデオ題)

メディア映画
上映時間240分
製作国イタリア/西ドイツ/フランス
初公開年月1989/03/
ジャンルドラマ/伝記
ルートヴィヒ デジタル修復版 [Blu-ray]
参考価格:¥ 6,264
価格:¥ 4,800
USED価格:¥ 4,587
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ルートヴィヒ/[復元完全版]

【解説】
 カットされていた1時間近くのシーンを復元した完全版で、ルードヴィヒ2世の生涯を描く壮大なドラマ。19歳の若さでバイエルン国王となったルードヴィヒ2世は、作曲家ワグナーに心酔し国費をつぎこむ。彼は従姉妹のエリザベートを恋するあまり、ソフィーとの婚約を破棄してしまう。やがて、1866年にオーストリアとの戦いに敗れ、ワグナーにも裏切られたルードヴィヒは、失意のどん底に突き落とされ、突如謎の死を遂げる。
<allcinema>
【関連作品】
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【ユーザー評価】
投票数合計平均点
846 5.75
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【ユーザーコメント】
投稿者:カール犬投稿日:2016-03-03 23:47:10
かくも美しく、のけぞるほどに長い。
正直劇場公開版の方が好みかもしれない。

でもこの長尺にしてまでも描かれる映像こそが
ヴィスコンティワールドというものなのだろうなあ。

この美意識と世界観にハマれない人は気絶するかも。
投稿者:呑気呆亭投稿日:2015-04-01 18:55:08
ルードヴィヒに扮したヘルム−ト・バ−ガ−も好いのだが、エリザベートを演じたロミ−・シュナイダ−が堂々たる皇后ぶりで最初は別人かと思ったのだった。完全版で見たのだが240分は一度で見終えるにはきつく、二日がかりで観たのだった。長くはあるがさすがにヴィスコンティ、飽きることなく最後まで楽しめた。惜しむらくは作曲家ワグナーとの関わりがパトロンと被保護者の浅い関係以上には描かれていないために、ルードヴィヒのエリザベートに対する道ならぬ想いのみがルードヴィヒを狂気に駆り立てたかのように観る者には思えてしまう。ワグナーを理解しその世界の奈落にめり込んだディレッタントが因果にも国王であったというアイロニ−が彼を狂気に駆り立てたのだと考えれば、物語はもっと意味深い展開を見せたのではなかろうか。「夏の嵐」で見事にブルックナーの七番を映像化して見せたヴィスコンティにしては、今回は折角のワグナ−の音楽を活かしていなかったように思ったことだった。http://d.hatena.ne.jp/nanjakuteituisho/
投稿者:stevezi投稿日:2014-12-09 00:22:44
あまりに低い評価とコメントに驚く。白鳥にエサをやる場面など尋常ではない。傑作と讃えるべきと思う。
投稿者:uptail投稿日:2012-03-14 09:31:26
演出:8
演技:10
脚本:8
音響:8
投稿者:gapper投稿日:2010-06-24 21:50:17
 4時間の長尺版を鑑賞。

 衣装や風景、城などは美しいが個人的にはどうでも良い王としての悩みや苦しみが永遠と続く。
 更に、”奇行”訳される男色も絡みうんざりする部分が多い。
 ナルシズムとしか思えない映像で、メイクも濃く馴染めない。
 一部の人間ための映画で、とても大衆芸術ではない。
 特に、アジア人には向かないと思う。

 映画には、固定された価値基準は無くさまざまな基準で見られるべきで、その意味では良いとする意見も多いだろう。
 しかし、個人的には駄目で、それも映画である。
投稿者:Stingr@y投稿日:2008-05-15 18:10:13
 ヴィスコンティは貴族・耽美趣味ではあるが、ハプスブルグ帝国絶頂時のウィーンでの貴族の在り様(よう)などには興味がない。描くのは専(もっぱ)ら、没落してゆく貴族社会とその真っ只中にいて自らも崩壊してゆく人間である。これは、あくまでも没落貴族である“ヴィスコンティ伯爵”の趣味で、我々一般庶民に理解できようができまいが関係ない。豪華なセットも煌(きら)びやかでなく、どこか哀しげな色彩をおびた映像で表現されている。貴族・耽美趣味は太宰や三島などにも見られるが、谷崎や川端には見られない。洋の東西を問わず、第1次、第2次大戦後の社会が生んだテーマの1つであったのだろう。

 王は、自ら王を廃止することができない。貴族なら称号を返上して庶民に成り下がれるかもしれないが、王は神に王の称号を返上するしかない。神はどこにいる?バイエルン王国はすでにプロイセン帝国の前に形骸化しているにもかかわらず、王は、王として王国の没落を見届けなければならない。現実から逃避するかのように、ルードウィッヒ2世は自らの精神を孤独の迷宮の中に閉じ込める。そして自身を閉じ込めた現実の城が、ノイシュヴァンシュタイン城、ヘレンキムゼー城、リンダーホーフ城、ファルケンシュタイン城である。王は自らを罰するかのように、王国の莫大な金を浪費した。この一族は、自己破壊的な要素を持っていたらしいが、ルードウィッヒ2世は「廃位」の理由とされたように「狂王」であったのか?物語は、証言(物語の現在)と過去の再現で進行してゆく。現在の証言をドラマのナレーションと勘違いしたりしないでほしい。

 心理的には起伏に富んだ長編で、監督はこれだけではまだまだ描き切れていないと思っただろう。同じ長編であっても『風と共に去りぬ』のように陳腐な盛り上げを期待してはならない。「ハリウッド映画は嫌い!」という人でも、「『風と共に去りぬ』は別」ということが多いが…。この作品を文学に喩えるなら、(19世紀文学ではなく)20世紀文学のジョイスやプルーストの長編に喩えるのが正しいであろう文芸作品。しかし、本は主体的に読む行為が発生するのに対して、映画では流れゆく映像を眺めているだけの行為で済む。主体的に読むとは、読者の時間でストーリーを読解してゆけるということでもある。つまり、理解できない箇所があっても本ならば時間をかけて読み解けばよいが、映画では映像が流れてしまい、理解できなければ置いてけ堀となる。映画だけ観て本を読まない人は、映画、特にドラマ作品の理解力に欠ける嫌いがある。

 映画を主体的に観たければ、作品の選択をテレビ局に委任しないことだ。合わせたチャンネルでたまたま映画を放映していたから観たとか、寝たきり老人ならいざ知らず、NHK-BSにチャンネルを合わせ、日がな一日、流れゆく映像を眺めているだけの行為で、映画を観た気になっているなど、主体性のないこと限りない。「長い」という幼稚園児反射とでも言うべき反応は“たまたま観た”ことの証左である。普通なら上演時間を確かめてから観るだろう。また、全部観た!という自己満足以外に得るものがないなら、つまらないと思いながら全編を観る必要もない。たまたまテレビ放映していた映画ならばなおさらである。映画は時間を無駄に使うためのものではないのだから。時間はもっと有意義に使えばいい。

 監督は、長いという批判も当然考慮に入れた上で作品を編集している。短くするのは、監督の意図ではなく、客の回転を良くしたい配給会社の都合からである。1日で上映できる回数は4時間ものなら2回、3時間ものなら3回だからね。それだけの理由。要するに、美術館の展示スペースにあわせて、大家の絵を切り取るようなもの(※1)。今でも1日の上映回数を考えて、作品を2時間以上にするかどうかが決まる。このような配給会社のやり方に理解を示す監督も少なくない(干されるよりはマシということか)。それに、配給会社としても、客の入りがよいから、骨髄反射だけで楽しめるマンガ的なギャグが満載の映画をもてはやす。

(※1)このように説明しても、「完全版というものはオリジナルを見た後、どの部分がカットされていたのかに興味を持つだけの作品」と頑なに信じ込んでいる人はいる。ただ、こんな人でも、テレビ放映でオリジナルがさらにカットされると文句を言うことが多い。私は、どの部分がカットされたのか、なんぞに興味はない。ど〜せ、カットしても“ストーリーが繋がる”箇所をカットしたに違いないのだから。
投稿者:hatena55投稿日:2008-03-12 06:14:15
確かに長いけど、ロミー・シュナイダーの出てるシーンの幾つかが忘れがたい印象を残す映画。
ただ歩いてるだけでも、なぜに彼女の周りには、ああした不思議な空間が現出するのだろう。
この映画については全体としては散漫でも、部分部分の印象が忘れがたく、そうしたところがヴィスコンティの凄みでもあるのだろう。
トリスタンとイゾルデからの音楽の抜粋は見事。アルバム聴いててもあれほど強い印象は受けない。
投稿者:ちゃぷりん投稿日:2007-04-02 15:51:37
我ながら良く一日で観れたと思う。オペラ観劇も戦闘場面も豪華なパーティも無く、舞台劇と何ら変わらないアプローチで延々4時間も観させられちゃ堪んない。後半では30分毎に休憩を取った程、苦痛な観賞だった。
投稿者:Ikeda投稿日:2006-12-19 16:02:45
さほど話に起伏がない進行での4時間は長すぎます。オリジナルが3時間だったというのは、それなりの理由があってした事でしょうし、完全版というものはオリジナルを見た後、どの部分がカットされていたのかに興味を持つだけの作品で、長ければ良いというものではありません。
それは別として、ルートヴィヒを現実逃避的な性格に描きすぎです。彼はこういう人だったのでしょうが、人間ですから、もう少し感情や行動に変化があったはずです。それに、当時の社会や対外情勢やワグナーとの関係についても表現が曖昧で、これではストーリー全体が映画の中に閉じこめらている感じです。
また、私だけかも知れませんが、有名なノイシュバンシュタイン城などの描写を、もう少し多く入れて欲しかったです。
ルートヴィヒを演じるヘルムート・バーガーについては、役柄もあって、あまりすっきりしませんが、弟オットー役ジョン・モルダー・ブラウンは明確な演技が良いです。
なおロミー・シュナイダーは1955年の作品「プリンセス・シシー」以下の三部作でエリザベートの主役をやっています。
投稿者:nomopage投稿日:2006-11-12 13:17:00
復元完全版(237分、1980年に復元)を昨日劇場でみた。期待ハズレだった。
1.カメラワークが凡庸。こんなカメラなら誰でもできる。
2.トーキー時代の語りが途中ではいる。時代遅れもはなはだしい。
3.ストーリが細切れ。ゾフィーとの結婚も、ワーグナーとのその後の関係も、母親のカトリックへの改宗もすべて暗示するだけで、ぜんぜん盛り上がらない。断片が続くだけ。
4.主人公(ルートヴィッヒ)の心の葛藤に同情心が沸かない。一体感をかもし出させていない。他人事と描いている。時代側から見ているのか、主人公の内面から時代を見ているのか、視点が定まっていないい。
5.エリザベートへの愛も、芸術への愛も、同性愛も、すべて上滑りで、深みがない。掘り下げていない。不倫と指揮者の名誉についてもおざなり。十人並。
結論。ようするに金はかけた映画かもしれないが、凡人が作った映画と変わりはない。溝口の偉かったこと。
投稿者:さち投稿日:2006-08-03 14:51:16
面白い
投稿者:4531731投稿日:2002-11-09 06:47:32
 ある種の人には愛も幸福も死刑宣告同然なんだろう。孤独を好むワケじゃない、誰にも相手にされないワケでもない、不幸なのは努力しないからじゃない。「人を生きたまま殺す方法がある」(淀川長治談)
 生い立ちを知れば理解も深まるだろうが売れ線じゃないため(笑)知りたいと思う人はいないだろうし、大体、彼ら自身なにも語らないだろう。ルートヴィヒに限らず今までそういう人は何万人も何千万人もいただろうが、誰も彼らを知らない。知りたくないし(笑)彼ら自身何も語らず(売れ線じゃないから)、ただ黙って死んでいく。
 映画界じゃルートヴィヒの他にもケーン、キャロル、エドワード、アンナ、エル、一柳賢蔵、ヘレン、アラン、ボニとか「ハネムーンキラーズ」の人がいる。癒し系とかいうヤワな商品より、ルートヴィヒみたいな「意を決して臨め」みたいな厳しい芸術家の作品に触れる方がいい。
投稿者:ルミちゃん投稿日:2002-04-28 19:03:30
【ネタバレ注意】

旋律として描かれるのは思いやりと身勝手、この点では若者のすべてと共通しています.若者のすべてでは思いやりの違いを、理解から派生した思いやりと同情の違いを描いていましたが、この作品では身勝手の方の違いを、正確に言えば自由、それが二つの意味を持ち、一つには身勝手であり、一つには束縛しないことであるのを描いています.

束縛と身勝手.
王位に君臨することは従者を自分に服従させること.つまり従者を束縛することに他なりません.そして彼が何をやったかと言えば、ワーグナーに湯水のように金をつぎ込み、お城の建設にもやはり湯水のようにお金を使いました.ルートヴィヒの王としてのこれらの行為は身勝手と言わなければなりません.

彼は王の座にしがみつき自分の人生を束縛しました.そして一人の女を、エリーザベトだけを愛し続けようとした、一見正しいことに見えるこの事実も、実は自分の人生を束縛してきたにすぎませんでした.ソフィーとの婚約解消はソフィーの自分への愛が正しいものであることを知ったが為.ソフィーが自分を愛しているならば、なおさらに自分はエリーザベトを愛し続けて行くべき、これが彼の考えだったのでしょうか.一緒になることを諦めつつも愛し続けた.彼女が訪ねてきたとき彼は会おうとはしなかった、会いたかったのに我慢して耐えてしまったのですが、これも自分自身に対する束縛に他なりません.

自由と思いやり.
正しい思いやりとして、幼い頃からの友人でもある大佐を上げておきましょう.
エリーザベトは結婚生活に束縛されることなく、自由に旅を続ける生活を選びました.それは誰からも束縛を受けるものでなければ、誰をも束縛するものではありません.正しく自由な生き方と言えます.そしてその対象はルートヴィヒも同じであったのです.

さてラストシーン.ルートヴィヒは教授の思いやりから夜の散歩が許されました.しかし、その教授を殺して自殺したルートヴィヒの行為は身勝手であり、同時に規則正しい生活を強いられる軟禁状態の束縛から逃れたのです.自由とはある意味では身勝手であり、ある意味では束縛されないこと、二つの意味合いが一つの結末で同時に表現されている、それがこの映画であり、間違った形で自由を求めた結末は、正しい自由とは如何なるものなのかを示しています.

投稿者:sniper7投稿日:2001-10-17 20:14:37
エリザベ−トとの傾城の愛、芸術への耽美、というパラレルなモチーフを
まとめていくのかなと思ってみていたのですが、最終シーンにやってきて
ドキっとしました。
話はヴィスコンティに飛びますが、彼はかなりの孤独を生きていたのでは
ないでしょうか。
月並みな言い方しかできないけれども。
彼は美学の人と言われ、ぼくは先入観をもって、その映像美や美しい愛の
描き方を通して(作品を通して)彼を透視していましたが、その後ろに透明な
隔絶された孤独をみたような気がしたのです。
かれの作品を全部みたわけではありませんけれども、なにかコメントのしずらい、掴みがたいものを、ずっと感じていました。
作品はどれも素晴らしく、忘れがたいものばかりなのですが、うまく書けな
かったのです。
けれども、ぼくがうっかり見落としていた、孤独という風が、スーと銀幕の
あちらがわから流れてきたように感じたときに、ぼくには、「ぼくの中の
彼の映画」がみえてきたのです。
ルードヴィッヒは、「魂は永遠に残るか」と聞きます、なぜこんなありふれた
「セリフ」がこんなとこで・・・しかも自然に。
ああ、こんな言葉を聞くなんて何十年ぶりだろう、日本人は格好をつけて
難しく考えたふりをして、今や死語なのでは。
家族の肖像でも聞いた「死者はやがて忘れ去られる」
大事な言葉を、あちこちでサラっと使っていたなんて。
いまごろ、そんなことに気がつくとは、老いたものだと、ぼく自信が、、、

投稿者:タルチュフ投稿日:2001-07-07 16:37:01
これがいちばん好きかなぁ.「ベニスに死す」もいいけど.
作中でワーグナーのオペラやってくれればもっとよかったのに.
【レンタル】
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