allcinema ONLINE オールシネマ 映画&DVDデータベース
検索オプション

美しさと哀しみと(1985)

TRISTESSE ET BEAUTE

メディア映画
上映時間100分
製作国フランス
公開情報劇場公開(PARCO=シネマテン)
初公開年月1987/04/25
ジャンルドラマ

【解説】
 彫刻家レア・ウエノ(ランプリング)は、二十年前に別れた小説家ユーゴー(ズラウスキ)と再会した。レアとレズ的関係にある弟子のプルダンス(ルーセル)は、初めは嫉妬を覚えるが、別れた当時の師の悲しみと憎しみを知り復讐を決意する。血の通うガラスのようなランプリングの美しさに加え、ルーセルの若き官能がこのフィルムの魅力。’65年に篠田正浩監督で映画化(因にキャストは八千草薫、加賀まりこ、山村聡)された川端康成の小説の再映画化。話の展開はほぼ原作通り。監督フルーリーはこの作品がデビュー。当初、プルダンス役にはナスターシャ・キンスキーが決まっていたが、直前で降番。
<allcinema>
評価
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
212 6.00
下記フォームからあなたのこの作品に対する採点を投票してください。
メールアドレス年齢性別
評価 (低い←→高い)
12345678910
【ユーザーコメント】
投稿者:ファルド投稿日:2012-12-08 09:27:10
プレダンス(M・ルーセル)が自分を犠牲にして、レア(C・ランプリング)のために、何故あそこまでのことを決意するのかの心情描写がいまいちで理解し難い。まるで洗脳されているかのようだが、操られているワケではないので違うだろうが…。冒頭でC・ランプリングのヌードもあるが、M・ルーセルのヌードシーンが多くあるので、彼女のファンなら楽しめるかもしれない。
投稿者:Bill McCreary投稿日:2007-12-15 19:51:09
ミリアム・ルーセルはきれいだったけど、競演がシャーロット・ランプリングだったので、ちょっと波長がかみあわなかったかなという記憶があります。キンスキーの方がやっぱり良かったかな。個人的には好きな映画ですけどね。
投稿者:Laetitia投稿日:2006-03-04 23:57:46
数年前、「まぼろし」公開時イベントでシャーロット・ランプリングに俳優としてのズラウスキーについて質問したところ、「監督は彼と親しいから依頼したようだけど、俳優として何を求められているかを全く理解していなかった(笑)」そうです。

原作のけい子は中性的なイメージがあるので、ミリアム・ルーセルはちょっと女っぽすぎるかな。ナスターシャは「キャット・ピープル」で嫌な思いをしたので降板してしまったのかも。
投稿者:4531731投稿日:2005-12-22 01:13:09
 ミリアムルーセル好き。でもデカイから何かか弱さとか出てなくていまいち。話も変。たまにいいセリフは言うけど一貫してない。何だあのラスト。収拾がつかなくなってこういう終わり方にする監督ってB級ホラー業界にはいることはいるけど。アート系の厳しい映画期待してたんで何だかな。まあとりあえずDVDが出れば買うけど。
投稿者:theoria投稿日:2003-03-25 21:00:17
カミソリの刃の如くの鋭敏な感性で読者の心に切り込む川端文学。その作品に指一本でも触れれば、忽ちに出血する。しかし、切れた瞬間の痛みは無い。縦にすれば糸よりも細く、その存在すら疑わしい鋭利の極みに達した刃物であるからだ。ドクドクと心臓の鼓動を切れた指先に感じつつ、溢れ出て来る血液にただ茫然自失する他にない。痛みが襲い、己を回復しても、流血の恍惚感が暫し支配する・・・。川端康成の独自の美的感性。それは忘れ去られた日本人の美意識の精髄と呼べるものに相違ない。故に、国際的であり、普遍的であると認められ、その栄誉が与えられた訳である。ジョイ・フルーリーという女流監督によるこの映画は、川端文学には必須である“女性の哀しみ”といった抒情に同性の視点で深く共鳴していて、見事に原作の音子(レア役のC・ランプリング)と、けい子(プルダンス役のM・ルーセル)の意識の流れ、繊細な心理の揺れ動きをツブサに描出している。康成の世界とは、流れに逆らってでも目的地に到達しようという確固たる“推進力”などは無用の長物であって、飽くまでも川の流れのままに浮き沈みし、左右に翻弄される落ち葉のように“無抵抗”である。移り行く、その場その場の自由な人間感情を最優先させている。しかし、人間の感情とは複雑怪奇にして単純明快である。突如として憤慨したり、笑ったり、落ち込んだりすることは決して妙なことではないのだ。そういった“移ろい”を詩情豊かなフランス語でもって、しかも、ランプリングやルーセルといった味わい深い綺麗どころを配し、南仏マルセイユ近郊とパリを舞台にすることによって、康成という剃刀を丁寧に磨いていて、多大な成果を収めている。小説家のユーゴーとのベッド・シーンで「左の乳は触らないで」とか、ユーゴーの息子のマルタンとの抱擁の際も「右の乳は触らないで」と言う康成らしい拘りを十全に汲み取ったプルダンスの表情は、国境を越えたオンナの小悪魔的でありながらも可憐な魅力を湛えているし、レズビアンの間柄でもあるレアとプルダンスの風呂場でのシーン。バスタブでレアが裸体のプルダンスの首筋と脇の下を剃る、アノ色香は映像ならではであって筆舌に尽くしがたい。人間の生き様とは、行き着くところ“苦痛”“哀しみ”に収束されるが、それは“官能”“美しさ”と同義であることを思い知らされる。原作を傷つけることなく、しかも過剰な踏み込みをしない作風は非常に好感が持てる。篠田正浩監督の同名の映画は未見で言及できぬが、兎にも角にも、川端文学は恐ろしい。洋の東西を問わず、彼の世界に指を触れた者は必ず血を流し、その生々しい自分の血を見ながら、痛いながらも陶然とせざるを得なくなるのだ。「新感覚派」に分類されるのも、腐りきった現代日本を顧みるにつけ再び新鮮な感じがする。原作を読み、本作を観る。これを実践した方が、昨今血眼になって宣伝している、クダラン“健康食品(飲料)”に現を抜かしているより、よっぽど“血をサラサラ”にしてくれること間違いないであろう。脳味噌が濁っている以上は根本的に身体が清くなろうはずもないと思う。もっと評価されてもいい作品だ。
投稿者:ASH投稿日:2002-06-29 23:04:39
C・ランプリングが女の子の腋毛を剃るシーンに惹かれて観ちゃった。
本当はナタキンが共演だったとは知らんかった。そっちの方で観たいです。
川端康成の原作は読んだことないが、フランスで映画化されるなんて大したもんだ。
【レンタル】
 【VIDEO】美しさと哀しみとレンタル有り
【広告】

【スポンサーリンク】



【スポンサーリンク】



allcinema SELECTION

allcinema SELECTION