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カナリア(2004)

CANARY

メディア映画
上映時間132分
製作国日本
公開情報劇場公開(シネカノン)
初公開年月2005/03/12
ジャンルドラマ
あれから10年、神もいないこの地上を 子供たちは走りつづける

奪われたから、取り戻す
カナリア [DVD]
参考価格:¥ 4,104
価格:¥ 3,747
USED価格:¥ 648
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 Photos
カナリアカナリア

【クレジット】
監督:塩田明彦
製作:佐々木史朗
中川滋弘
川城和実
プロデューサー:松田広子
脚本:塩田明彦
撮影:山崎裕
美術:林千奈
編集:深野俊英
音楽:大友良英
エンディングテー
マ:
向井秀徳
『自問自答「カナリア」ミックス』
イメージソング:浜田真理子
『銀色の道』
照明:佐藤讓
録音:郡弘道
出演:石田法嗣岩瀬光一
谷村美月新名由希
西島秀俊伊沢彰
りょう咲樹
つぐみ
甲田益也子岩瀬道子
水橋研二ジュナーナ
戸田昌宏吉岡
品川徹光一の祖父
井上雪子老婆
【解説】
 オウム真理教をめぐる事件をモチーフに、親子で身を置いていたカルト教団が崩壊したため家族も離れ離れとなってしまった少年が辿る悲痛な運命を描いた社会派ドラマ。監督は「害虫」「黄泉がえり」の塩田明彦。主演は「バーバー吉野」の石田法嗣。共演に、映画初出演の谷村美月。
 母親に連れられカルト教団“ニルヴァーナ”の施設で妹とともに幼年期を過ごした12歳の少年、光一。教団はその後テロ事件を引き起こして壊滅し、光一と妹は警察によって保護され、関西の児童相談所に預けられる。やがて祖父は妹の方だけ引き取っていった。一方、母親は行方知れず。ある日、光一は再び親子3人で暮らせる日を夢みて児童相談所を脱走し、妹を取り戻すため、東京にある祖父母の家を目指す。途中で光一は、同じように大人のエゴによって深い心の傷を抱えた援交少女、由希と出会う。2人はそのまま一緒に旅を続け、反発し合いながらも次第に絆を強めていくのだが…。
<allcinema>
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
1055 5.50
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【ユーザーコメント】
投稿者:チュウチュウ蛸投稿日:2007-03-16 19:58:49
あれから十年、早十年。されど映画は時を経ず。答うることも、攻むもなし。
何でと聞けば、その訳は。オッペケペッポー、ペッポッポー。お楽しみとて、次回へ廻す。こりゃいい、そりゃいい、もういいわ。映像、俳優、音楽、題名、とてもよろしい、うんいいね。されど思想は小学生。これは映画か。これも映画だ。
投稿者:spink投稿日:2006-06-05 12:51:08
-
投稿者:kiona投稿日:2006-05-22 01:05:42
カナリア、遅ればせながらDVDで観ました。自分の場合、比較に是枝さんの「distance」も。どちらも非常によかったですが、その違いを上手く言葉にはできまなかったところ、paroleさんの評を目にし、代弁してくれたように感じました。

ちなみにカルト教団もので思い出してカラックスの「ポーラX」も再度観たりとしましたが、なぜか「カナリア」と似ている感じがしました。上手く言葉にはできませんが。(カラックス、そろそろ新作出したりしないかな。。)
投稿者:irony投稿日:2006-05-12 00:28:55
 題材にひかれて鑑賞したが、ナンなの、あのラストの髪の色は?物語の構成がバランス悪いっていうか、レズカップルなんて特別レズにする必要があるのか?まぁ兎に角カルトは逝ってよし。

投稿者:parole投稿日:2005-08-12 16:56:27


 是枝裕和監督の『誰も知らない』と塩田明彦監督の『カナリア』とは、監督の年齢が近
いこと、片や子供の戸籍すら取らずに置き去りにしてしまった母親の事件、片やオウム真
理教事件と実際に起きた出来事をモチーフにした社会派(風)の作品であること、共に少年
を主人公としていること、そして公開が近いことから比較対象となりやすいようで、事実
Web上の映画サイトやブログなどで両者を比較した文章がしばしば見られた。が、題材や
背景には近しいものがあるものの、作品の質や受ける感想は大きく異なっているようで、
カンヌで主演男優賞を受賞したという話題性のおかげもあり、総じて『誰も知らない』の
方が受けがよいように感じる。しかし、私の感じたところでは似て非なる物という比較論
には大いに賛成はするが、その出来、作品の強度という点に関しては圧倒的に『カナリア』
の方が優れていると思う。
 とあるブログの両者の比較において、『カナリア』の台詞が過多なところや、台詞がこ
なれていないことなどから、監督である塩田明彦はオウム真理教と本気になって対峙する
つもりがあったのかと強い口調でなじると共に、『誰も知らない』における子供達の演技
や台詞回しの自然さを褒め称えていた。確かに、柳楽優弥の視線の強さやその演技の「自
然さ」には非凡なものを感じるし、個人的には彼の存在はこの映画の唯一の美点ですらあ
ったと思う。しかし、それ以外は全くいけない。例えば是枝が一番心を砕いたという自然
らしさ、ドキュメンタリーの風味というのは子供達の演技臭くない振る舞いや台詞からは
確かにその意図を感じることはできのだが、それは飽くまでも風味や雰囲気に過ぎず、実
際には本当の意味での自然さをこの映画からは感じることはできない。それは細かいカッ
ト割り、アップの多用から容易に窺い知れることであり、瞬間毎の「演技」に自然さが感
じられたとしてもむしろ自然さを演出する不自然さの方をより強く感じてしまう。どうや
ら自然光、同時録音という自然さを醸し出すための技術を基本としてるようなのだが、で
もそれは、いやそうであるが故に本来なら細かなカット割りやアップの多用には嘘くささ、
作り物の危うさをごく当たり前に感じ取れるはずなのに、多くの場合は個々の演技の自然
さと画面の上で形づくられる自然さとを混同、勘違いしてしまうらしい。私にはこの恣意
性ばかりが強く感じられてしまい、そのこと故にこの映画に乗りそびれ、多くの感涙を誘
ったというラスト近くのとある場面に至るまでその醒めた感覚が薄れることはなかった。
この映画における自然さは、例えば晩年のルノワールが自然さをそのままフィルムに収め
るために長回しを多用し、場合によっては複数台のカメラを使って同時撮影までしたこと
と対極にあるものだと思う。
 一方『カナリア』は上記のブログ等における批判で言われている通り、言葉は生硬だし、
メッセージとも受け取られかねない説明調の台詞すら少なからずあるように感じられる。
だから、彼らの演技や言葉は子供のそれではなく大人のものだという批判も出されるのだ
ろうし、そのこと自体は否定しない。だが、本来であれば不自然でありいびつなはずのこ
うした台詞や作品構造が、『カナリア』においては不自然さを感じさせることなく、まさ
に映画的なリアリティーとしか言いようのない自然さに収まっているのだ。また、カメラ
ワークにおける両者の比較、相違も同様の対比構図に収まっている。同じ山崎裕というカ
メラマンの作品であるにもかかわらず、表面的な共通点以上に根本における相違、断絶の
方が遙かに目に付く。一言で言えば、『誰も知らない』におけるカメラワークは「物言う
視線」であり、『カナリア』においては「物を眺め、捉える視線」なのだ。『誰も知らな
い』のいかにも何か言いたげなカメラワークに象徴や意味性まで指摘しようとは思わない
が、しかし、それを指摘されたとしても致し方ないような有意味(さを彷彿とさせる)なフ
レーミングが多い、多過ぎるのだ。そして、その恣意性は結果としては映画を是枝の主張
の代行としての機能に貶めることになり、映画そのものの喜びや愉しさを奪ってしまう。
元々はドキュメンタリー志向であり、事実映像の世界にはテレビマン・ユニオンから入っ
た是枝の限界は、さらに言うならばいわゆるドキュメンタリー的な作品の限界はここにあ
る。被写体にカメラを向けて撮影すればそれがすなわち映画だと言ったのはゴダールだが、
同時に映画以外の様々なものを写し込んでしまうのも事実であり、そのことにいかに自覚
的であるかと言うことこそが映画作家としての基本的な姿勢ではなかろうか。
投稿者:shiba投稿日:2005-05-14 00:56:13
【ネタバレ注意】

作品はというと、少年少女の人を殺すことへの葛藤を描いているかと思いきや、そうではなくある宗教団体(劇中では”ニルヴァーナ”)が崩壊した後の、それに属していた人々のその後の物語を綴っている。まず、子役二人。女の子が上手かった。親の虐待や離婚といった、凄まじい家庭環境の中、必死で人目を阻んで生きる二人はある意味「誰も知らない」の子供たちと類似していた。ただ、この作品の主は”懸命に生きる子供たちの日常”ではなくて、あくまで宗教集団に属していた人間の実態とその後にある。途中、教団生活の実態も明らかになる。とにかくここで、人間が何故宗教を必要とするのかが分かる。人間は弱く、支えとなるものが欲しくなるので、それを宗教に求める。本当は強い”自分”というものを持ち、何があっても”自分”を支えに生きなければならないのに、それに自信が持てず崩れてしまう。宗教も一つの現実。窃盗や賄賂がこの社会で犯罪と扱われるように、その宗教の中にも独自の社会システムが存在するというわけだ。それに気づいて、この現実に適合していくことを決めた信者と、宗教内の秩序をまっとうして死んでいった信者。
最後、子供たちは寄り添って手をつないで生きていく。「誰も知らない」もそうだけど、最近の日本映画いや新聞にも書いていたけど、音楽にしても前向きな内容が多いと思う。今の先行き不透明で不安な世相を反映しているのかもしれない。とりあえず、宗教の価値観を良いか悪いかは別問題として、問い直すきっかけになる映画であることは間違いないと思う。

投稿者:堕落者投稿日:2005-04-20 12:24:37
映画的感動や躍動感とは対極にある直截的で凡庸な表現の連続といわいる冷徹に突き放したのとは程遠いまるで対岸の火事を眺める様な無責任な視点に辟易した。
信者から元信者になった伊沢が主人公に向けて言う台詞があったが,これには笑った。その思考停止と無責任振りに。個人は個人で(しかない)あるという自明の前提すら喪失した現代の輩を風刺したとするなら,なかなか辛辣な皮肉ではあろう。この種の脆弱な自我を持て余した輩は巷に掃いて捨てる程大勢いるからだ。
しかし例えこんな陳腐な結論であっても,それ以前に元信者がどういう過程と様々な苦悩を経て今まで信じてきた教団の教義を捨てて,それこそ自身が単なる俗に塗れた一個の「凡人」である事を自覚したのか,それを直視してこれからを生きていこうと決意したのか,その重要な一人でウジウジ悩む葛藤や社会との相克を描く事が肝心だし,そもそもそれがなきゃ始まらないよ。この作品にはそれすらない。
最後も興醒めした。相対主義に安住する事がいいとは思わないが,一方の大人を否定して一方の子供を鼓舞してもなんの解決にもならない事は言うまでもない。こいつらはまだ真の他者(=社会)に出会ってすらない訳だ。温室栽培・純粋培養で育った社会を知らない子供がなんで社会を否定出来るのよ?結局やっと前提に辿り着きましたってだけの話じゃないの?アホらしくて話にならん。
だから,社会が描かれていない故に『第三の道』は示唆(啓示)されず,奇を衒っただけの凡庸で陳腐な結末になったと言える。例えばクラゲという最強の寓意を縦横無尽に使って社会と世界の関係性を鋭く描いた上に革命幻想まで示唆した黒沢清の傑作『アカルイミライ』の最後の少年達の行進場面とこれのラストシーンを比較すればその勝敗は明らかというものだろう。詰まる所,本作には絶望が足りない。
投稿者:skull & rose投稿日:2005-04-09 01:39:17
『誰も知らない』と比較されてしまうことは当然わかっていたことだろうが、塩田は是枝よりもはるかに“映画はデタラメだ”と信じているのだろうし。是枝は塩田よりも物語に対して誠実であろうとしている。それだけの違いではないだろうか。
ラストにおける飛躍は、映画ならではのデタラメさといえるだろうし、この飛躍に観客を導くために、リアリズムをもって物語を進めてきたともいえるのではないか。自分がただの自分でしかないということに気付くことが、エゴにまみれた現代の我々にとっては、悟りの境地に至るほどに困難なのだという、なかなか鮮烈な諧謔を感じられる。
谷村美月のみずみずしさは賞賛に値するだろう。
投稿者:Longisland投稿日:2005-03-17 23:40:38
【ネタバレ注意】

同じシネカノン製作・撮影監督・少年が主人公の為か『誰も知らない』と比較してしまう。
『誰も〜』が大都市東京の誰もしらない片隅で起こった事件、本作は全国を震撼させたオウム事件、共に良作なのだが完成度は『誰も〜』よりかなり見劣りした。
あまり比較するのもなんだが、『誰も〜』のYOUが子供達の自然な演技と同化しているのに対して、本作では演技者(西島・水橋・良くがんばっている谷村美月)と少年・母親・教団幹部の演技力(スタイル)に差異があり映画としてのバランスが悪い。
児童相談所脱走、少女との出会い、教団での生活とテンポ良く進むものの、中盤、唐突に挿入されるレズカップル、後半の老婆折り紙シーンは冗長。妹を探して旅する時間と距離感がスポイルされてしまう。極めつけはエンディングの白髪?と、全てをぶち壊すラップ、この2点が無ければ(個人的には)数段評価があがったのに・・・・残念。

とはいえ 良質な映画だと思う。
本作品は角川主催の日本映画エンジェル賞受賞企画(脚本)の映画化だとか、TV局タイアップで大仰な宣伝の大作映画だけでなく、小さいけど良質な日本映画が沢山作られ、観れることを期待します。

投稿者:黒い豹投稿日:2005-03-14 16:44:21
【ネタバレ注意】

「誰も知らない」を彷彿させる作風にオウム真理教という格好のテーマを主題にした社会派映画の良作だなと思いながら見ていたのですが...。主人公の少年少女と教団の人たちの演技は素晴らしい!私は説明的台詞という風には感じませんでしたが、オープニングは説明し過ぎだと思いました。しかも書いてある事と同じナレーションが入るだなんて。国際映画祭を意識しててもです。あと、あのオチ...。観賞後、一晩考えたのですが、やっぱありゃないでしょう。それ以外は素晴らしかった(一部アメリカンニューシネマを彷彿とさせてくれた)ので、ホント残念!

投稿者:籐四郎投稿日:2005-02-25 01:44:27
 監督の世代にとって、オウム事件というのは是非とも挑みたくなるような大きな山なのでしょうし、それに真正面から取り組んだ”こころざし”は十分に評価すべきものだと思ってます。
 でも、残念ながら、なんちゅーか学校秀才が机の前でひねり出したような地に足が着いてない、観念的な脚本の印象を受けました。
 あのオウム事件に触発された話ですが、直接的な題材としてはおらず、よくあるような「被害者の気持ちをおもんばかれ論」に巻き込まれないような配慮がされています。
 ただ、その結果、監督が想像力を駆使したフィクションの部分が、現実に起こった事実の大きさと較べて、どうしても見劣りがする気がしました。
 話の展開が広がりすぎて、ちょっと収拾がつかなくなってしまった面も感じましたし、なによりも、なんでもかんでも登場人物の心情を直接的にセリフとして説明させていた手法には、かなり疑問を感じました。
 映画なんですから、もっと映像の力を信じて、余計に喋らせない方が良かったのではと思います。あまりにも説明過剰で、しまいには辟易してしまいました。
 監督ならではの才能を感じさせてくれるようなせつない場面は幾つもありましたが、感動したかといえば、正直、ほとんど感動は出来ませんでした。
 ちなみに私は大ヒットした「黄泉がえり」でも、それほど良いとは思っていなかった派なので、少数派の意見だろうと思います。
【受賞履歴】
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