ホテル・ルワンダ(2004)HOTEL RWANDA
【クレジット】
【解説】 1994年、アフリカのルワンダで民族対立が原因の大量虐殺事件が発生、欧米諸国や国連の無策が被害を拡大させる中、1200人もの人々をホテルに匿い、持ち前の機転と交渉力でその命を守り抜いた一人のホテルマンの奇跡の逸話を映画化。主演は「青いドレスの女」「オーシャンズ11」のドン・チードル。監督は「父の祈りを」の脚本で知られるテリー・ジョージ。日本では長らく公開のメドが立たずにいた本作は、有志による熱心な署名活動が実を結び晴れて公開実現の運びとなったことでも話題に。 1994年、ルワンダの首都キガリ。多数派のフツ族と少数派のツチ族の内戦はようやく和平交渉がまとまるかに見えたが、街では依然としてフツ族派ラジオ局が煽動的なプロパガンダを繰り返し不穏な空気に包まれていた。ベルギー系の高級ホテル“ミル・コリン”で働く有能な支配人ポール。ある晩帰宅した彼は、暗闇に妻子や近所の人たちが身を潜めていのるを目にする。フツ族大統領が何者かに殺され、これを契機にフツ族の人々がツチ族の市民を襲撃し始めたのだ。ポール自身はフツ族だったが、妻がツチ族だったことから一行はフツ族の襲撃を逃れミル・コリンに緊急避難する。外国資本のミル・コリンはフツ族の民兵たちもうかつには手を出せなかった。そのため、命からがら逃げ延びてきた人々が続々と集まってくるのだが…。 <allcinema> 【ウェブリンク】 【おすすめ作品】
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「ホテル・ルワンダ」
http://mototencho.web.fc2.com/2006/hotelr.html
単なる映画としてもかなりいい話だが、これが真実だという事がさらに重い。
この映画を観たなら彼らを一人でも助けれるよう努力しないといけない気がする。
「区別」 「差別」 「葛藤」
という 3つの現象にボクの興味は集約されていきました。
序盤、1つの 「区別」 に関するセリフがボクの客観性を奪い去っていきました。 それが
A 「フツ族 と ツチ族 はどう違うんだい?」
B 「定義では ツチ族 の方が長身で上品、
ベルギ−の入植者が決めた」
A 「どうやって?」
B 「鼻の細さや皮膚の色の薄さでね。
鼻の幅を測ったんだ。
ツチ族 に統治させたが、
退却後、権力は フツ族 へ、
フツ族 は長年の恨みで ツチ族 に復讐した。」
何と、ルワンダの内線における フツ族、ツチ族 のおぞましき対立の根源は、植民地を統治することを目的にした
人為的な 「区別」
であったことがこのセリフで見えてきたのです。 しかも、“鼻の幅” という脆弱な基準によって
捏造された外見上の 「区別」
であった。と、今作は訴えてきました。
この対立関係には、歴史的な、文化的な、血縁的な、地縁的な要因は基本的には介在せず、 1920年頃からベルギーが統治し始めたことによって作られた、 単なる
「支配のツール」
でしかなかったのです。
これは、被支配者層の中に相反する2つのグループを創出し、お互いに反目させることによって、宗主国への “やいば” を無力化させる。 そんな、西側諸国が常套としていた 「支配手法」 を取り入れたものだったのです。
この揺るぎない統治構造をルワンダの地に根付かせるために、 ベルギ−人は 「フツ」 「ツチ」 という対立要素を捻出したのです。
そして、彼らが 「ツチ」 を優遇し、「フツ」 を冷遇し、言われ無き 「差別」 と拭い難き 「怨恨」 を人為的に作り、大いに利用したことが、上記のセリフから うかがい知ることができたのです。
時が移り変わって、1962年。 独立国になった後も、ルワンダは 「フツ」 「ツチ」の区別をやめようとはしなかったのです。何故なら、独立後の覇権は、 「ツチ」 の手から離れ、多数派の 「フツ」 の元に移って行ったからなのです。
40年間にわたる 「差別」 がもたらした 「怨念」 は、きっと凄まじいものがあったのでしょう。 「フツ」 は恨みを晴らすために、ベルギー人によって押し付けられていた 「区別」 をそのまま踏襲して、今度は 「ツチ」 を 「差別」 し、 「虐待」 をする席に、ドッカと腰をおろしたようなのです。
それは、身分証明書にしっかりと 「フツ」 「ツチ」 の刻印を押し、その 「区別」 を明確にしていたところからも推察することができます。きっと、必要に応じて 「差別」 を加える エビデンスにしていたのでしょう。
序盤、今作の鑑賞テーマたる
「区別」 「差別」 「葛藤」 の中の、第1番目に見えてきた
【 ルワンダにおける 「ツチ」 「フツ」 の悪意に満ちた 「区別」 】
にこだわりを持ったわけですが、中盤、 またしてもある1つのシ−ンにとらわれていったのです。 それが 「雨の別離」 のシ−ンでした。
「フツ」 民兵による 「虐殺」 が横行し、危機的状況に陥ったルワンダから 「外国人」 達が避難するシ−ンが展開していきました。
降りしきる雨の中、 「外国人」 達が ミル・コリン・ホテル を脱出すべく 大型バスに乗り込むのですが、そこにも様々な 「区別」 、否 「差別」 が生じていたことを今作はしっかりと訴えてきたのです。
「虐殺」 から逃れる唯一の方法となる大型バスに乗り込めるのは、よりによって 「虐殺」 対象者であるはずもない 「外国人」 だったのです。
いくら哀れであろうとも 「ルワンダ人」 である孤児達は保護されるはずもなく、 逆にその孤児達を守っていた 「外国人」 神父は保護され、その神父をアシストした修道女達も、白人は救われ、黒人は置き去りにあうのです。
これは 「奴隷制度」 というおぞましき歴史を持つ、「黒」 だ 「白」 だの封建的な 「差別」 が、この期に及んで再現されてしまったことを示していました。
限文字数で語りきれず。完成版はこちらまで→http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-45.html
映画としてはダレ場もなく、きっちり作られている。
ただ描写が淡白で、訴えてくるものがあまり感じられない。ひどい言い方だが。
100万人(!)が死んだ大虐殺がどれほど凄惨なものだったのか、人々を守るために主人公がどれほど苦闘したのか。
観ている側に針小棒大のウソをつく必要はないが、もうちょいアピールしてもよかったんじゃないの、と思う。
万人受けする映画だと感じた。
重たい内容で胸のつまる部分もあるが
とても見易く映画らしい感動作になっていると思う。
そこが逆に物足りないという人もいるかも。
人間はやっぱりそういう生き物なのかな?アフリカだけで無く我々アジア人も同じだと思った。
そしてナンダカンダ言っても、この映画でさえ白人の視点から捉えられているとオイラは感じた。最後の曲はストレートな歌詞でたまらんかった。
延々と呪詛を吐く、洗脳しているとしか思えないラジオ。
そこから流れる殺せの声は、すでに天の声のごとく、辺り一面に響く。
おもむろに家を出て、隣へ行き、手にしたナタを無造作に振り下ろす。
躊躇も警告もなく。
すさまじい数の死体が、道を塞ぎ、家々の横に積みあがっている。
あの映像は忘れられない。
この映画にも出てくる遺体の数々。あれは誇張でもなんでもない。
あの状況の中で、まさに一本の糸を渡るような、死線の中で、己の身だけでなく、家族や他人までも守るというのは、本当に、どれほどのことだったのか。
武力も後ろ盾もなくなっても、絶望の中、恐怖と戦いながら、ひとりで、持てるものすべてを使い、機転を利かせて最後まで諦めなかった彼に敬服する。
こんなことが現実に起き、止めることもできなかったのは、ナタを手にしてしまった一個人や見捨ててしまった傍観者や国、そういったものをこえて、すでに、人類としての罪である。
なんの為の国連か、なんの為の報道か。彼らが本当に動けるように、どうしたらできるのか。同じ罪を繰り返さぬために。
全編をとおして訴えていたではないか、恥を知れと。
ただ観て終わりにはできない、重みがある。
感動ヒューマニズム物と呼ぶにはあまりにも背景がつらい。
実際ラストシーンも含めて素直に喜ぶことができなかったし、傘を断ったあのジャーナリストの気持ちが強く心に残る。
ネクタイ締めれなかったシーンでは泣きました。品格だけではどうすることもできない…
ラストは姪を発見して喜ぶ主人公夫妻。だけど、その横で何十人もの孤児が寂しそうな顔をしていたのがやるせなかったです。
爽やかなラストもいい。
愛する家族の為に、そしてホテルにいる難民の為に、支配人は知的に紳士的に・・・いやごく普通の人間として振舞う姿が印象的。
ニック・ノルティとジャン・レノは演技がちょっと気負い過ぎてた様な気もしましたが、それを払拭するドン・チードルは良かったです。
ネクタイが巻けず嗚咽し倒れこむシーンは良かった。
「それ、本当にあった話なん?」。もちろん私はこの、今は2人の10代のよき父親で当時から実に性格のいい友人に対し、何ておろかなことをいうやつだという思いを抱いた。当時もそして今も私にとって、映画の世界が「本当」かどうかはたいして重要でない。それが現実であってもなくても、映画が産み出す「ほんとう」の方がずっと尊いものだと思い続けている。
だがこの作品をみる時、「本当」ということはこれまでにない意味を持つ。この作品にとっては、「本当」であることが何より重要なのだ。
今は「ルワンダ内戦」と呼ばれる1994年という最近のこの事実について、果たしてどれだけのことを知っていただろう。ツチ族とフツ族、宗主国の差別的統治、サッカーW杯休戦があったことなどの断片的な知識があり、すでに衛星放送を見ていたことだしいくらかのニュース映像も目にしていたかも知れない。
しかしそうした「事実」は、あの国の人々が味わっただろう恐怖をまったく説明していなかったか、または私の方がそれを受け入れる態勢を欠いていた。この映画で観客が追体験する恐怖は、それほど強烈なものである。
それまで身近にいて何のこだわりもなく関係していた人々が、突如として変貌していく。この有様はドン・シーゲル『ボディ・スナッチャー』などの恐怖SFの世界で描かれてきたものであり、それが現実のある程度平和だった街で起こるとは到底思えない。怖いのはまた、それがだんだんと起こっていくことである。
例えば『ユナイテッド93』で乗客や航空関係者が徐々に真相を知っていくことでこの上なく恐怖が増幅されていくのと同じように、信じるに足ると思っていた人物が彼らにもどうしようもない道筋で自分の反対側に変わっていくのがリアルだ。さらにいえばドン・チードル演じる主人公が、大きなヒューマニズムは崩さないながらも、自分の家族とそれ以外のボランティアなどと大きな線を引いているのも苦しいほどリアルといえる。
さらには同じ虐殺を扱った『キリングフィールド』にあった感動的といってもいい“奇蹟”のカタルシスはここにはなく、ただこうした状況では、こうやって命を信じて、どんなことでもやって手を尽くして、それでよほど運がよかった人だけ生き残れるんだなという、当たり前の事実を知るだけなのだ。『キリングフィールド』では、あの絶望的な状況の中、ああこういう奇蹟もあるんだという希望も感じられたのに。
屋上のシーン、浴室のシーンなどまるで娯楽作品のようなハラハラドキドキがあり、感動作品のように涙を誘う再会があり、悲しい別れもある。けれどそれは、あの9・11のWTCをみて「まるで映画だ」と多くの人が思ったように、こうした場面では決してめずらしくはない現実なのに映画のようなシーンで、それを再現したのがこの作品なのだろう。
とくに湾岸戦争の頃から発達してきた中途半端にリアルに感じられるニュース映像は、おそらくこうした出来事を知らせるのに向いていない。そこにあるのは衝撃や刺激だけで、人の心に迫る物語が欠けているからだ。
本作をみて「つくりもの」などという者がいたら言語道断だろう。こんな「つくりもの」をつくらせた「ほんもの」の方が貴重なのであり、そんな「つくりもの」が語るものの方が「本当」に見える「ニュース」よりよほど「ほんもの」なのだ。
T君の発言から25年。私は初めて「本当であること」が重要な映画に出会ったように思う。
http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/
たった今ボクにできることはそれくらいらしい。
そして何度も何度もこの曲を聴いた。
でもまた明日、ボクはディナーを続ける。
その時、この曲を流しているかもしれない。
その時、このシネマのことを誰かに話しているかもしれない。
『その時できることをできるだけする。』
そこに多くの人が心を奪われたと思う。
わかりやすいシネマであることは、
伝えたいことが明確だからだ。
誰も助けてはくれない。
武器なんか持っていない。
誰ひとり失いたくはない。
だから自分が誰かを助ける。
ビールを沢山運ぶ。
あるだけの金を配る。
家族にだって嘘をつく。
その場所からは逃げない。
ホテル・ルワンダ総支配人。
品格だけは失ってはならない。
今までそう自分に言い聞かせてきたが、
手が震えてネクタイが結べない。。
ボクは正直、ここで泣いた。。。
Sekino☆そら
(^^評価を数字には表せないガンコ者)
http://blog.goo.ne.jp/anndarusia2000/
たかだか12年前のことなんて。無知を大いに恥じる。
軍も民兵を制御不能なあたりなんかは、秩序とは間逆の地獄絵図。
各人が狂気の中、隣人を殺害しつづける民兵。ルワンダ国民を見捨て退却するPKF。
フツ族のみを敵とみなして、これまた殺しまくるツチの反乱軍が味方に見える
最後半はもう、不条理すぎて、涙なくしては見れません。
昨今の泣かせ映画とは、次元の違う大感動作です。
みなさんの評価と同様、エンタメとしてもきっちり練られた脚本と演出にも脱帽。
私もメジャー映画好きなので、これが普通に重く作られたら、ちょっとゲンナリして
しまいそうです。
メジャー映画しか見ない人にも推薦したい素晴らしい出来です。
友人、知人にオススメしましょう。ただし、説教とかはなしの方向で(笑
解説を読んで、やや難解な感じがあって敬遠していましたが、見事なエンターテイメントドラマでした。ミュンヘンと同じ日に観たのですが、CGでエッフェル塔や貿易センタービルを描き込んで監督が主張をしている映画より数倍良かったです。
何より、主人公の個性の描き方が丁寧で、脇を固めるニックノルティーやジャンレノ他の有名俳優たちの使い方が絶妙でプロットの引き立ちが抜群でした。
イデオロギーの対立を描きながら、娯楽作としても成功しています。なんでも難解にすれば良いってもんじゃないでしょ。たかが映画なんだから。
涙腺のお掃除をしたい人にお勧め。
黒人には変わりない、東洋人だって同じ服装であれば日本人もチベット人も判らない、ヨーロッパ人だって同じ事、だけれども、ツチ族は、いやいやルワンダ人は、いえいえ、ニグロでさえないアフリカ人は糞なんだそうだ
虐殺がまさに起こりそうなのを知りながら、どうでも良い事らしい、直接の誰かさんも、間接の誰かさんも・・・
ジェノサイド この言葉はこの映画の中でルワンダ人には当てはまらない言葉らしい
この映画を見ているお前たちは、少なくともそう見ているだろう、と言っているようだ
翻って、誰かさんが軍隊を送って治安維持が行われたとして、憎しみが消えない限り終わらない話で、なにが、憎しみを増幅しているのだろうか
この映画の中では、庭師、コック、ウェイター、尼僧などバックを持った(職を持った人たち)ツチ族の人たちと対比してフツ族の人たちは、そのほとんどが 女・子供もいる軍人 主人公の支配人はフツ族なのだが総じて貧困層が多い様だ
勝手な推測だが、貧困が憎しみを呼び、その憎しみを権力者が利用する、狂気が貧困の現実を忘れさせてくれる、何にも変わらないのに
教育の無い者たちが、煽動者に煽られる、馬鹿な奴らだと言いたいが、貧困は教育を奪うことも忘れてはならない事と思う 古田 貫
その上で、やはり私は感心しました。混沌の中から一つの物語を拾い上げてきたことにです。この作品には、ベルギー(フランス?)資本の四ツ星ホテルに勤めるフツ系ルワンダ人の男が、もとは自分の家族を虐殺からる衛るため、地位や立場やあらゆる方策を駆使して、結果1200人ものツチ族住民の命を救った、という物語があります。私の価値観らすると、妻に、夫へ決断を委ねる傾向が見て取れることや、夫の行動の8割方が自己中心的であることなどに不満はあります。また、もし私が躓いて転んだところが、人の死骸の上だったら、私はその体験を忘れたくても忘れられないだろうと思います。ある種の罪悪感を抱くでしょうし、一方で千人の命を救っても、その罪の意識は消えないと思います。ですが、私の行動を決めるよすがとなり、何が正しく何が正しくないかを判断する規準となるものは、私の中に蓄積された、様々なエピソードや物語体験に外ならないと思うからです。
何もないところから物語を築き上げるのはたいへんな事業です。もしあなたの中に物語が一つあれば、それはあなたを包む毛布となり、あなたを守る武器ともなるでしょう。7
映像、脚本は特に優れているとは思いませんが、主役からチョイ役まで、俳優たちの演技がこれ以上ないというほど素晴らしい。
ジェノサイトという題材は残虐映像を想像させますが、この映画では意識的にそういった映像を排除しており、残酷嫌いの女性でも心配要りません。
アフリカの植民地の問題をみんなで考えましょう。
ヨーロッパ人は植民地を返還するにあたって、宗教や民族問題といった紛争の種を必ず残してきました。しかるにアジアの途上国は発展しましたが、アフリカの途上国は永遠に貧しく、人殺しが絶えません。
アジアの発展はは世界的には例外と言っても良いでしょう。第二次大戦で日本軍が進駐し既存のシステムをガラガラポンしちゃいましたので、その後の実力ある指導者の台頭が許されたのかもしれません。しかし、アフリカでは同じ欧州人のナチスが攻め込んだに過ぎず、したがって欧州の利益は守られ、紛争の種は健在です。
アフリカが輸出作物を作っても流通は欧州人に牛耳られ、機械を作ろうにも資本や生産設備は欧州がコントロールしてしまいます。
日本人は考えなくてはなりません。今、自分たちに何が出来るのかを!!
現在、日本に十数本しかないプリントフィルムは上映一回につき20万円は配給元へ支払わないといけないらしいが、あまりの高額のため上映を断念する映画館が多いという。しかし、このような作品こそ、より多くの人に観てもらい、途上国の貧困さや現況に触れてもらいたいものだ。78点をつけた。http://jf3mxu.g-7.ne.jp/ba9dan/ide/index.html
ルワンダで何があったのかを知りたいというのが一番の動機で、「映画」としてはそれほど期待していなかったのですが、映画としても一級品だと思います。物語の展開もすばらしく、上映中時計を見ることがなかったです。音楽も、映像も、演技も素晴らしい。そして、映画の中のメッセージも。。
これまで数少ない、観ながら涙があふれてしかたがなかった一本です。
帰る時、受け付けでパンフレットとサウンド・トラックのCDを、思わず買ってしまいました。
その中に、主なマスコミのコメントが書かれていましたが、一つを除いてピンときませんでした。それだけ表現が難しい映画です。直接的に表現した中では、「心をつかまれる(?うろ覚え)」という評がマシなほうでしょうか。一番ぴったりと思ったのは、シュールな評で、
この映画を観て
良心の呵責を覚えて、家に帰り、
後編「ホテル・スーダン」を待て!
です(うろ覚えですが)。すごいでしょう(笑)。いいセンスです。
この映画を観ると、「自分には何も言う資格がない」と思えます。
「ルワンダ版『シンドラーのリスト』(?)」は、最低ですね。
まぁどっちでもいいんだけど・・・。
歴史は繰り返され、また人間は同じ過ちを犯すのか?
未来はそうであってほしくはないし、
このような大虐殺がもうこれ以上
この地球上で起きないことを祈るのみである。
だからこのようなストーリーの映画も金輪際作られてほしくない。
そういう意味ではアメリカ版とかアジア版とかあってはいけない訳で、
「アフリカ版『シンドラーのリスト』」というコピーは
わかりやすいが、いささかデリカシーに欠けるような気がしたな〜。
「家族を救いたい」という、動機が純粋に近い分「シンドラーのリスト」よりもずっと感動的だ。そして論理なき狂気を伴う暴力にたいして文明がいかに無力であるかをまざまざと見せ付けられてしまった。
観るべきとは言わないが、日本人全てに観てほしい映画である。
アフリカを取材する困難や当惑、欧米的な視点を拒絶する人々の営みを鮮やかに切り取った佳作ルポだが、そこにもルワンダの大虐殺の落とした影が描かれている。
いつしか生まれた「フツ族」と「ツチ族」という“容姿”を根拠とした部族。
19世紀から入り込んだドイツ・ベルギーが、少数派ツチ族による権力支配を強固にするために部族差別をさらに深めたという。ところが、力を蓄えたツチ族に対し、50年代頃からベルギーは一転して多数派のフツ族を支援し始める。
59年には欧州から戻ったフツ族エリートによる革命がなされ、62年頃までにツチ族10万人が虐殺されたという。
その後もフツ族による支配が続いたが、何とか平穏に共存していた彼らが94年のフツ族出身の大統領暗殺をきっかけに大量虐殺になだれこんだのだ。
藤原章生は、80歳を超えるフツ族の古老に「なぜ殺し合うのか」と尋ねる。
老人は沈黙したあと、こう言ったという。
「殺し合い。それは風のようにやってくる。雪のようには来ない」(前出「ガブリエル老の孤独」)。
―そこには長い時間、断続的に互いに殺戮を繰り返してきた、あきらめにも似た嘆息がある。
さて、この作品だが、緊迫感に身を委ねるうちにどうしようもない無力感に襲われる。アフリカの小国の内戦とたかを括って、一顧だにしない国際社会。「国益」に影響しない場所での殺戮に、西欧諸国は冷たい。石油利権が関わる中東には干渉し、軍事介入を繰り返すのとは対照的だ。
しかし、同時に「(ニュース映像を観て)怖いね、といってディナーを食べ続ける」側に自分がいることも確かだ。偏った情報に埋もれ、現代人は何をしているのか。いや。何もしていないのか。
それにしても…と何度も繰り返してきた自問を繰り返す。何故、人は人をこんなに無造作に殺すことができるのか。
20世紀末という、「ついこの間」起きた80万人にも及ぶ大量虐殺。
このルワンダ大虐殺については、98年1月に放送されたNHKスペシャル「なぜ隣人を殺したか〜ルワンダ虐殺と煽動ラジオ〜」などを通じて、漠然とした知識を持ってはいたが、改めてその現実に慄えた。
この作品に描かれた出来事のあと、ツチ族の反乱軍は攻勢に転じ、今度はフツ族の難民キャンプを襲って大量虐殺を行ったという。
現在、ルワンダでは部族のIDはなくなり、部族名を口にすることもはばかれる雰囲気だというが、冒頭紹介した藤原章生は、幾度もあからさまな差別に出会い、その都度滅入ったと記している。
映画『ホテルルワンダ』は、主人公に代表される微かな希望と、人間の度し難い狂気への絶望に縁取られている。
でも出演している人たちは演技をしているので、やっぱり映画か・・・。
リアリティがありすぎて、本物を見ている感覚しかなくて、
でもよく考えれば、彼らは演じているんだよな・・・、って思うと、
この映画を作った人たちってすごすぎやしないか!ってなる。
本当、この映画を作ったスタッフ、監督、それから演じた俳優さんたちに尊敬の念を抱かざるを得ない。
同じように大勢の人が死ぬ戦争映画とは明らかに違う。
この映画を作るのは、特に演じることは、相当な精神力がなければやっていけなかったはず。
聞けば、映画上で虐殺された人たち、されそうになった人たち、というのは、
実際経験をしたルワンダの人たちがいたという。
想像するに耐えない。
ドン・チードルはもちろん、脇の役者も素晴らしかった。
私は中でもホアキン・フェニックスが心に残った。
今まではノーマークだったが、これからは注目株だ。
俳優の質も良いし、リアルに見える作りも良い。
世界の闇の部分を明るい部分しか見ない先進国に住む私たちに、
無理やりにでなく、自ら考えさせてくれたこの映画に9点!
「この映像を全世界の人に見せても“恐いね〜”って言うだけ。
誰も助けに来ないよ。」
これが全てである。
この映画はたった12年前におきた民族対立大量虐殺事件が
どれだけ悲惨な話だったのかを教えてくれる。
そのニュースを他人事のように流していた他国に。
自国民のみを救出する他国に。
他人事どころか、商売に使っていた先進国に。
そして目の前で見ていても何もしない国連平和維持軍に。
で、日本は?・・・他人事どころか元々劇場公開予定すらなし。
アカデミー賞、GG賞で話題になったのになし。
・・・なんつー国だ。。。伝えることすらなしか。
自分の国だけに怒りや悲しみよりも情けなくなった。
ドン・チードルは「オーシャンズ11」のころくらいから
好きになので(バーニー・マック同様)
この熱演には拍手を贈りたい。
オリバー大佐がニック・ノルディなのも
“安心感があって”嬉しかった。
ノークレジットのジャン・レノにもね。
まぁ、単館だったのが拡大されたのでよかったと思います。http://www.h4.dion.ne.jp/~mentai23/
話は至って簡単である。家族を愛するホテルマンがいる。その人の国で仲良く暮らしていたフツ族とツチ族が喧嘩を始める。その喧嘩が手をつけられないものになる。実際に起きた話だ。
とりわけ前半、「やっと来てくれた外国籍軍はさっさと撤退。残った武装隊員たちは発砲を許されない。地元民は取り残される」というくだりを臨場感たっぷりに「地元」の側から見せるくだりは、日本の選挙権を持つものとして頭をぶん殴られるような気分だった。かつて東欧で紛争があったときに、国際結婚家族の日本人妻子だけを救い出して大喜びしていたメディアの虚しさもあわせて思い出す。
物語は、来日も果たした、実在する元ホテルマンの視点から語られているため、当然ながら主人公たちは救出されて終わる。ただ、本物のルワンダでは今も後遺症に苦む人たち、それも少年少女で溢れているのを私たちは報道から知っている。主人公たちとて望郷の念があろう。しかも、今にも800人が虐殺されそうになるのを、ベルギーの社長が“フランス”に掛けた電話ひとつで食い止められたという劇中の皮肉な場面でも象徴されるように、この紛争には、ありとあらゆる国の、かなり胡散臭い策略が複雑に絡み合っていた。かといって、外国の軍事勢力がもっと介入していたら事態は更に泥沼化しただろうし、引受人もない地元民を外国勢力が救い出せば、今度は、どこへ住まわせるかという大きな宿題を背負う羽目になる。
そんなこんなと考えていると、前半でぶん殴られた頭はますますズキズキしてくるが、ひとつだけ単純明快なことがあるのは言うまでもない−−争いは一度始めたら厄介だ。そして、その厄介な争いは、21世紀の今も、「隣の家に住む奴が気に食わない」という、ささいな気持ちから始まったりする。
この映画の見所は役者達の見事な演技と実話に基づいた迫力、そしてしっかりとしたメッセージ性だろう。
若い人に是非勧めたい。
本作品を観て、どこにぶつけていいのかわからない怒りと絶望感を感じた。
ホテルマンとしての「品位」が人間としての「品位」に変化してゆく過程を見事に演じたドン・チードル、見事な脚本・演出のテリー・ジュージ監督(アイルランド出身で投獄経験もあるってのは納得)、自らの任務の限界に「恥」るカナダ軍大佐を演じたニック・ノルテー・・・・全てが見事、奇跡のような作品。
他国から見捨てられる恐怖ってのは「キリングフィールド」に通じるものがあるが、見捨てた・見過ごした・知らなかった側の「恥」をココまで感じさせられたことは無かった。
平日のシアターN(旧ユーロ)は長蛇の列、この寒空に並んでも観るべき作品。
追記 07-01-08
自分の06年洋画NO.5でした
こんなに素晴らしい作品を、あの大画面の劇場で観れた事を誇りに思います。
とにかく演出、編集が絶妙。リアリティがあって、前半からたたみかける様に張り詰めた緊張感の連続もあり、出演者の演技も一品。言うまでもないが、特にドン・チードルの演技は素晴らしい。
実際に起こった事なので、多くの映画ファンに観て欲しい。
感動とはまた違った感情がこみ上げてきます。
あの絶望的な状況の中で、愛する家族と1200人の命を救った、ポール・ルセサバギナ本人に敬意を評したい。
こんな作品って、何年ぶりだろ。。。
劇場で観れたのに感謝。http://d.hatena.ne.jp/pegawa/
まじめな佳作です。日本でも多くの人に見てもらいたいです。
できれば、同じテーマを扱ったドキュメンタリー、"Shake Hands with the Devil: The Journey of Roméo Dallaire” (2004)も公開してほしい。
『ホテル・ルワンダ』で、ニック・ノルティが演じているカナダ人大佐の回顧録に基づくドキュメンタリーです。
黒い『シンドラーのリスト』?違う?