ブロークバック・マウンテン(2005)BROKEBACK MOUNTAIN
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【解説】 「グリーン・デスティニー」「ハルク」のアン・リー監督がワイオミング州ブロークバック・マウンテンの雄大な風景をバックに綴る、2人のカウボーイの20年にわたる秘められた禁断の愛の物語。原作はアニー・プルーの同名短編。主演は「ブラザーズ・グリム」のヒース・レジャーと「デイ・アフター・トゥモロー」のジェイク・ギレンホール。男同士の純愛というセンシティブなテーマにもかかわらず2005年度の映画賞レースを席巻した感動作。 1963年、ワイオミング。ブロークバック・マウンテンの農牧場に季節労働者として雇われ、運命の出逢いを果たした2人の青年、イニスとジャック。彼らは山でキャンプをしながら羊の放牧の管理を任される。寡黙なイニスと天衣無縫なジャック。対照的な2人は大自然の中で一緒の時間を過ごすうちに深い友情を築いていく。そしていつしか2人の感情は、彼ら自身気づかぬうちに、友情を超えたものへと変わっていくのだったが…。 【ウェブリンク】 オフィシャル・サイト http://www.wisepolicy.com/brokebackmountain/ オフィシャル・サイト http://www.brokebackmountain.com/ (英語) 【ユーザー評価】
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青と緑を基調とした美しい映像の風景で終始静かなイメージで話は進む。
二人とも簡単に女性と結婚してしまう感じがする。
そんな男と分からないのかどうなのか、いまひとつ疑問を持つ。
1963年設定で難しいところをうまく回避した感じがする。
ブローバックでのテントと二人で釣りをするときのテントが時代を反映しているなど、細かいところもいい加減にしていない。
日本人だと、アメリカ人とかなり身近に感じる度合いが異なるだろう。
その辺で、十分な評価は出来ないと思う。
と、思っていたのがこの映画を見てちょっと変わった。
好きになったら仕方ないんだねぇ。
俺はミシェル・ウィリアムズが超タイプなんでそっちが気になって仕方なかったが、主演二人の愛を応援したくなったしラストは純粋に感動!素晴らしい映画だと思った。
何故アカデミー受賞出来なかったのか…審査員が『ホモはちょっと…』とか思ってたんだったら残念やわ。
自分は同性愛者ではないが、決して同性愛が罪であるとは考えていない。しかし、もし身近に同性愛者がいたとすれば、そんなつもりはなくとも、恐らく自ずと嫌悪感を抱いてしまうだろう。
その嫌悪感はどこから来るものかはわからないが、多分「ゲイは正常でない」という、ある種定説的な考えからだろう。
とすれば、同性愛者達は常に「そう思われている」という意識に駆られながら生活しているのではなかろうか。それは何時しか罪悪感に変わり、呪縛に囚われながら生きていかなくてはならない。
現代だからこそ、「オカマ」が登場し、およそコミカルなものとしてゲイが大衆の意識に定着してはいるが、彼らが心の内に秘めている本当の苦しみや悲しみは計り知れないものであろう。
真実の愛。それだけがこの作品を浄化させている気がする。
美しい俳優が演じ、洗練された脚色が施され、ロマンチックな音楽が流れている、だけではないだろう。
この映画には男女の絡みもいくつか出てくるが、美しい女優さんの露になったバストがグロテスクにさえ見える。
女の目から見るからかもしれないが、何か性の部分が浄化されて、魂と魂が求め合う姿が投影されているような気もする。
この映画にはまた、一途な男たちとコトラストをなすように、冷淡な男たちが登場する。
過酷な労働を強いる牧場経営者、何故か冷たいジャックの父親、同性愛者を虐殺したイニスの父親、婿をないがしろにするジャックの義父。
考えてみると、シビアな男社会の中にあってこそ、男同士の甘やかな感情が芽生えるものかもしれない。
個人的にはジェイク・ギレンホールの魅力にすっかり参ってしまった。
この俳優さん、伏目がちの顔と、表情豊かな口元が最高にチャーミング。
老け方も堂に入っていてかなりの実力派と見た。
映像が美しいのと、だらだら喋って自分の感情を表現しようとしない2人の関係がいい。
怒ってるからって口を「イー」にした状態で喋るthe heroesのチアリーダーの女の子とか、ああいう演技をみていると本当に、ああ〜〜〜内からあふれ出る怒りを表現できんのかおまえは!?とこの映画がなつかしくなってしまう…
それは、ラングがルノワールがスタンバーグが異国へと訪れて、苦心のもとに、しかし途方もなく美しい映画を残したのとは訳が違う、と呟かずにはおれない程の、大いなる成功である。
何故なら、かつてハリウッドに渡って映画を撮る義務を課されたものたちは、皆一様にそれはグリフィスのあの映画の如く、散っていったからだ。
花は咲くから美しいのではない、散るから美しいのだ。
とするならば、このアン・リーという監督はどうも全く散る素振りをみせないところに、果てしない図太さが見え隠れしており、しかし、彼の撮る映画が、大いなる誤解の名のもとに『繊細』の一語で表現されてしまうあたりに、現在の映画史の愚かなる過ちの繰り返しを感じずにはおれない。
審美主義的な構図に、決して失敗しないキャメラアングルを多用するこの監督を、それがボグダノヴィッチのように、それがデヴィヴィエのように、それがリドリーのように、われわれは唾棄しなければならない。
仮に彼の映画を擁護するものが現れたとするならば、われわれはそっと口にする言葉を知っている。
引力のある物語は決して目に見えない。
審美主義的なキャメラアングルは映画に近づく行為ではなく、遠ざかる行為に相違ない。
(それは、ラングがルノワールがスタンバーグが証明している)
アン・リーの名前を、ロベール・ブレッソンの前においた今村昌平と同義語として捉える事で、事態はより明確になる。
1983年の36回目を迎えるカンヌ国際映画祭で、映画史的な汚辱が起こったのは周知の事実だ。
ブレッソンの遺作の『ラルジャン』とヴィクトル・エリセの『エル・スール』を無視して、あの醜悪な今村昌平の『楢山節考』が最高賞を取得したのだから、それだけで、今村昌平の罪の重さを十分に感じられるだろう。
われわれは、今村やリドリーや深作やロドリゲスや大林やヘルツォークや河瀬やルーカスや岩井やカーウェイや行定やソダーバーグ、ごときたちものに何の期待もしていなかったし、これからもする事はないだろう事を、ここで表明しておかなければならない。
そうしておいて、初めて、このアン・リーという監督を語る準備が整う。
この監督の映画は確かに、面白い。面白いが、決して美しくはない。
それが、どれだけ審美主義的構図におさめられたカットであろうと、一瞬たりとも、美しさを纏えていない。
それはただ、面白いだけだ。
誰も知らない 知られちゃイケない〜 俺達が○○なのを〜♪
タマタマ男同士って事で男と女に置き換えれば純愛ストーリーだね それでも純愛度 過去のトラウマ 置かれている環境ではヒース・レジャーの方が難しい役所でした ジェイク・ギレンホールの方はチョ凸猛進タイプか?つまみ食いもしてるし、我侭で純愛度ではヒースには劣る 勝手に逝ってしまって、本人にしてみりゃ我が生涯に一片の悔いも無しか…。
ミシェル・ウィリアムズとアン・ハサウェイも惜し気もなくティッツを放り出してるのでビックリこいたよ 嗚呼素ばらしき哉 ブロー○OBマウンテン
絶叫シリーズのアンナ・ファリスはやっぱりそんな役所でしたね…。
予備知識なし・・・というかヒースとジェイクがホモということ以外は知らずに見ましたので、なにかこう、もっと社会的な衝撃的問題作!みたいなものかと思ったのですが、鑑賞後、ああ、これは要するに二人の純愛の物語だったのね、ただ二人が同性同士だっただけで、とようやく気がつきました。まあ、それが「ただ同性同士だっただけ」ですまないものだっていうところが問題なのか。ぜんぜん的外れかもしれないけれど、「評決のとき」で、事件そのものは同じでも被害者が黒人か白人かっていうことで全く人々の見方が変わってしまう、という構図がありましたが、同性愛というのもこのような観点から見ることができるのかもしれないと、改めて考えさせられました。
個人的には、ヒース・レジャーは好きですし(どことなく垢抜けないところが。昔風の作品にばっかり出演していることも、現代風でないという証左ではないかと。)、ジェイク・ギレンホールは今作で初めて見ましたが、二人ともとてもよかった。二人とも、スタイルいいなあ!ジーンズが似合うなあ! と思った。ナイス・カウボーイ。
しかしそれだけに、これってこの二人がものすごい醜男同士だったら、この感動は成立しないんだろうか? なんてことも考えてしまいました。あああ、そのシャツはぁ!っていうあの感動も、二人がかっこいいからなんだろうか? て言うかただ単に私がヒースを好きなだけですか。
汚らわしいのか? 汚らわしくないのか?
そこに純愛があれば許されるのか? 認められるのか?
もっとオープンになって、
「汚らわしい!」などと言われることのない時代になったら
それはどんな世の中になっているのだろう?
ふと思ったよ…
ゆるやかに時は重なり、変化していくのに、変わらないものは確かに存在します。古き良きという美化された言葉では括る事のできない人達がいる、事がある。綺麗なものは綺麗なままで完結しないのかもしれないけど、自らが成長しても、消えずにそのまま残るものもある。自分が消え去るまで。
@ゲイ映画とすれば肉体的な関係は大きな意味をもつのでしょう。再会後の抱擁などびっくりしてしまいます。とすると単なる純愛映画で、それ以上いうことはありません。欧米では両刀使いが多いのでこれだけでも結構切実なテーマなのかもしれません。
Aゲイの関係をシンボル的に捉えれば違った映画になるかもしれません。山での関係を青春のしこりの表現と考えると、ここでのゲイの体験は例えば学生運動とか音楽に賭けた情熱とか、スポーツで脚光を浴びた体験とか青春の記憶の象徴とみても良いと思います。この映画のやりきれないところは、苦労しながらもそれなりに20年を生きてきた男たちが、昔の記憶から逃れられずに自分の人生を了解できないことでしょう。二人で暮せば幸せだったのにというせりふがありますが、それがそうではないのは二人の関係が風化していくことを見ても分かります。過去の楽しかった記憶を逃げ道にして人生と真正面から向かい合わない男達の悲劇です。男らしいカウボーイのイメージから遠い二人の男、過ぎ去った時代、帰らぬアメリカへの郷愁なのかもしれません。「真夜中のカウボーイ」でもそうですが、カウボーイは遅れてきた青年の代名詞のようですね。
映画としては、二人の関係をじくじくと描く一方で、それ以外の描写は唐突でクールです。その内面の熱さと表面のクールさを役者がうまく演じています。ミッシェル・ウイリアムズなども内面の修羅場を抑制された演技で表現していて私は好きです。よくも悪くもゲイという違和感を巧く使ったなかなかしぶとい映画だと思います。
ものすごくダルい前半部分の終わりにイニスはジャックの要求に答える。もうここでイニスが何故ジャックの要求を受け入れたのかが不可解である。花火大会でゴツいカウボーイをブン殴ったのならそこでジャックを殴って抵抗することもできたはずである。だが受け入れるのはそれでいい。「俺たちの秘密だ」「俺はカマじゃない」の台詞が「ああ、禁断の関係って案外あっさりと始まっちゃうものなのね。」と思わせる。しかし、それを納得させるほど二人が孤独感を募らせていた描写が存在していたかというとまた微妙である。鹿撃ってやたらはしゃいでいたし「豆は飽きる」とワガママ言うし。
やがて二人は別れるが、禁断の関係であったからこそ別れるのは辛い。辛いというよりも怖いという感情の方が的確ではあると思うが。すでに恋人もいたわけだし、恋人と友人との間で動く心の描写が全然足りない。いや、観客の想像力に完全に依存しきっているのだ。
そして二人は再会し、イニスは「妻には見られていないだろう」と思ってトンでもないところでキスし始めるのである。これには失笑した。しかしここで俄然面白くなってくる(べき)なのがミシェル・ウィリアムズ演じるアルマの心理描写である。特に、自分の旦那が、子供がいるにも関わらず男と熱くキスしていて、しかも相手の男にも妻と子がいる。そこでアルマの受けた衝撃と葛藤を徹底的に描写すべきであったがそれも明らかに薄味で、いきなりモーテルで二人が回想と現状報告をし始める。なんともったいないことであろうか。それが終わるともう夫婦仲は完全に冷え切っている。「俺の子供が欲しくないなら お前とはもう寝ない」の台詞には唖然。このシーンに限らず映画全体、本当のゲイの人が見たら怒る仕上がりになってしまっている。特にイニスは「妻子がいるが昔から愛し合っている旧友とも別れられない」のだが、ヒース・レジャーの演技力不足か脚本の失敗か、二つの「愛の対象」の間で揺れ動く心模様がいかんせん不足している。(余談ではあるがヒースとミシェルは実生活ではキチンと子供を作った。)
アカデミー賞も百歩譲って音楽賞は認める(というか他のノミネートを知らない)が、監督賞と脚色賞は絶対に与えるべきではなかった。おまけに主役の二人もオスカーのノミネートだったり各賞受賞するほど魅力的ではない。(これはもちろん監督と脚本の失敗があるからだが。)正直、ヒースとジェイクを嫌いになりそうになってしまった。
あと絶対に許し難しいのが監督のアン・リーと原作のアニー・プルーがそれぞれアカデミー賞そのものと『クラッシュ』を批判し酷評したことである。自分の映画が受賞最有力と報道され、いったん受賞を逃すと烈火の如く怒りを爆発させるのは「ALWAYS 三丁目の夕日」を観てもいないのに貶す井筒監督よりもたちが悪い。受賞するしないに一喜一憂する志というか人間レベルの低さは、映画関係者として失格である。そんな人ばかりになるのであればもはや映画賞など存在するべきではない。上映時間が長いのと冗長なのは違う。「ままならない人生に肩を落とす」ことと「緊張感に欠ける」のは全く違う。主役ふたりには同情心が沸かない。わがままな登場人物の甘い幻想になど付き合いたい観客などいないのである。
社会からの偏見や、差別は、時を経ても、決して消えるものではない。すべては、心に根付くものであるからだ。多様なセクシュアリティが、認識され、許容される範囲が広くなることはあれど、十字架を背負うのは、各々であり、それを払拭するのも、また、それぞれなのだから。認められないから苦しいのではなく、己が認められないことに、苦悩が影をつくる。
「カウボーイ」は現代では消えた。
1950年代以降のカルチャーの変化が、新しい波を起こした。
キャサリン・ヘプバーンが、ジョン・ウェインの死に触れて語るように、かつては「男は男であった時代」があった。彼女は、ジェームズ・ディーンなどの登場に違和感を覚えたと語る。泣き、苦悩し、めそめそする姿に。しかし、それも、当然である。確実に変化し、抑圧された人間の性と生があった。カウボーイは「男らしさ」の象徴であり、男が男であることが、求められた時代に存在した。
「カウボーイはどこへ行ってしまったの?」と、とある米国の女性歌手が唄っていたことがある。しかし、カウボーイは消えてしまったのだ。ふたりのカウボーイは、「カウボーイであること=男であること」が求められた時代に生き、出逢った。その、運命に翻弄される。ふたりが結ばれた瞬間から、その後の人生を、お互いの「影」がお互いの人生を支配していく。しかし、現代でもなお、その名残は根強く残る。しかし、愛に性は関係ない。互いに、断ち切れない鎖を、心に打ちつけながらも、片方は「カウボーイ」として、片方は「ただの男」として生きようとした。
背信の山(ブロークバック・マウンテン)が、結びつけた絆は、目には見えない。絆という「心」に刻まれた不確かなものが「死」によって、確かなもの、として訪れた時、予め、結ばれた鎖は「誓う」という最後の言葉によって、永遠となった。切なくも美しい愛の物語である。
アカデミー作品賞、受賞してほしかったナ。
ただ、アカデミー賞監督賞をはじめ、ゴールデン・グローブ賞やヴェネチア国際映画祭金獅子賞などを受賞していますが、そんなに賞をもらうほどの作品なのかと、逆に思ってしまうのは、アメリカにおける同性愛者への「リンチ」の歴史をあまり知らないからかもしれません。
ゲイ映画というよりは、アメリカにおけるゲイの暗い歴史を背景に取り入れた、普遍的な社会と人生を描いた映画なのでしょう。かなりリアルに感じたのは、何も複雑な人間関係があるから、というだけではなく、若い頃の楽しく、かつ苦労した体験があり、その後、なんとなく物足りない実生活が続いているという、そんな状況がリアルに感じさせてくれるのかもしれません。
また、背景の自然も素晴らしく綺麗でした。http://homepage1.nifty.com/mt_hayashi/movies.html
でも、出来たらもう少しイニスの、ジャックへの恋心を表現して欲しかったな〜。
それに、絡みが少しオーバーアクションぎみなのが×。
特にジェイク・ギレンホールの方がね〜。ヒースの方が自然でした。
から向き合った作品がかつて有っただろうか…と思う位、秀逸な作品です。
ブロークバック山を象徴的に置き、その狭間で葛藤する男二人を見ていると、
同じ男で有りながらも、切なく感じます。
純粋と言うものはどうしていつもこうも儚く脆いのだろう…
だからこそ鮮明に輝きもし、心へ刻印される…
そんな純粋を過去と言う時へ封じ込めるのじゃなく、
その先にある成熟へもっともっと向き合って欲しい…
観つつ感じた思いです。
イニスの心にある父親からのトラウマや「時代」に諦めを見出し、
片方では山を降りる時に躊躇し殴りあったり、別れた後の道端で慟哭したり、
その矛盾を切なさで包み、また純粋へと迎わせる矛盾なスパイラルや、
愛へ向う二人の分かり易いスタンスが、作品の訴えたい部分を鮮明にさせていて、
脚本としても秀逸だと感じました。
時間はやがて大きなうねりとなり、時代へと変遷する…
そんな壮大さも秘めた作品のように思えます。
大自然じゃなく、
時代を今へ移し舞台を都会へと置いたシチュエーションでの続編を観たい(笑)
主演のヒース・レジャーに若かりしトミー・リー・ジョーンズ(歌へ!ロレッタの頃)を彷彿。
注目株かも。
おそろしく良く出来ています。
美しい自然の光景(そしてゆるやかな時間の流れ)があいまって、かなり
見やすい描写にはなっている絡みのシーン...引いてしまいました。
おそらく、本作で言いたいのは、保守的な殻から飛び出せない「普通の人間が
得た大切なもの」が保守的な人間には受け入れがたいものであって、でも否定も
できないジレンマと葛藤だと思います。
そういう意味では、同じく保守的ながら「金」という分かりやすいステータスを
得たジャックとの口喧嘩シーンは見応えあったけど、やはり題材が同性愛という
のは、ちょっとひき気味に見てしまいます。
保守的なイニスが、捨てうるすべてを捨てて、ジャックとの愛のために暮らす
場所...しかし、やはり保守的な解を出す娘との最終シーン。
今冷静に考えるとあそこでの限界感と無力感があって、最後のシーンが生きて
いるのだと思いますが...やはり、どうにも感動できません。
これが私の保守的な限界なのだと思います。
保守感覚を捨て去れる柔軟性があれば、最強の一本かもしれません。
人生の儚さ、現実を物語っていて、変に同情もなく良かったです。
主演2人の演技も引きこまれました。
映像はおそろしく美しいし、ギターの音色や使いどころも完璧だ。それに、ひとりひとりの登場人物がめいっぱい活きている。むかし、『飲食男女』も観たけれど、アン・リーに『男女七人』シリーズを撮らせたいくらいよ!
たまたま秘密が「ゲイ」だけど、男なんて所詮こうした「男にしかわからない楽しみ」を求めて家族との間で揺れ動いてんじゃないの??
そうすることで凸凹は次第に平坦になっていく。けれど世の中にはどうしたって「どうにもならないコト」がある。時には「どうにもならないコト専用」みたいな手段によって裁かれたり爪弾きに遭うこともある。
このシネマもまさしく「どうにもならないコト」について扱っているのだが、観ているものはできるだけ「どうにかなるコト専用」装置をうまく使いこなしたいと思わせてくれる。
「どうにかなるコト」の地層みたいなものは、実はそうやって何層も堆積してきたものだと改めて気づいたように◎◎
Sekino☆そら
(^^評価を数字には表せないガンコ者)
http://blog.goo.ne.jp/anndarusia2000/
相手の事を記憶から消し去ることができれば、また最初から出逢うことがなければ、あんなにつらく切ない気持ちにはならなかったのに・・と。
イニスやジャック、または彼らの妻、それぞれの心の葛藤が痛いほど伝わってきて、観てるこちらの気持ちも大きく揺さぶられてしまった。
流れる音楽がまた素晴らしい。サントラを聴きながら、特にグスタボ・サンタオライヤ奏でる音色にしみじみと心を傾け、山の風景を思い出してみる。
後々まで余韻が残る作品だったな・・。
下のほうの人も書いているが、今現在、男女の恋愛劇ではこれほどの切なさは描き得ないのかもしれない。この作品がアカデミーの作品賞を取れなかったのは、やはりハリウッドがまだまだ保守的だからであろう。
俳優も主要4人は皆好演。特にヒース・レジャーはラスト近くは自然と中年らしさを表現しており、かなりの演技者と見た。今後が楽しみだ。
イニスとジャックは、ブロークバック・マウンテンで2人きりで働き、自然な行為のように、性交渉をする。そして、山をおりたあと、イニスは、アルマという女性と所帯を持つが、ジャックの事が忘れられず、アルマから隠れてジャックに会う。
いままでのアン・リーの作品と違って面白かった。
しかし、イニスの行動には、理解できないところがある。ジャックを愛してしまい、アルマといるよりも楽しいのかもしれないが、男を好きになったことに躊躇いを感じ、一緒に住もうといわれても、それを簡単にいやだといって、ジャックは好きだ、だがアルマも好き、ホモではなくバイセクシャルみたいな感じもした。 でも、時代が時代だから仕方がないのかもしれない。男は女が好き、女は男が好き。当たり前の事だが、秩序が多少乱れてもいいと思う。相手が誰であろうが、その人のことが好きのなら、すきでいい。保守的な時代だろうが、自由な世界でも恋愛には変わりないと思う。ずっと前のスマステの月イチゴローで稲垣吾郎がコメントした「僕もこういう感情はないとはいえない」そうだなっと思った。しかし、自分が何かの出来事で、同性の人を好きになったら、こういうことは、絶対に思わないと思う。同性のひとを好きになったら、自分もイニスのようになると思う。人間というのは、わからない動物だとこの映画をみて思った。
話はかわるけど、この映画の監督のアン・リー。ハルクを観たときは、本当につまらなかったし、観たい映画ではあったが、この監督なので、この映画の期待は五分五分だったが、この映画はおもしろかった。
映像もきれいだし、セリフも意外と少なく、観やすかった。明るい気持ちにはなれないが、感動したいときには、お勧めの映画である。
アカデミー賞はこっちが獲っていたと思う。
ヒースのベリーラストシーンのセリフに感動した。
彼にはアカデミー賞獲って欲しかったな。
ホモ映画は大好きだし、偏見もありません。
一体何がだめだったかというと、二人の気持ちが 一気にグっと縮まった最初の夜の、その気持ちの衝動が あまりにも唐突過ぎてついていけなかったし、20年を追った話にしては 主人公の二人とも ブロークバック・マウンテンの頃とほとんど変わらず、年をとっていった事がわかりにくかったことと、ヒースの演技が・・・無骨で不器用な男を演じていたのだろうけれど、ど---にもダメでした。
っていうか、アン・リーって どうにも私の波長とあわないと確信。グリーン・デスティニー もダメだったし・・。
映画の導入部を見ていて感じたのは、映し出される壮大な風景とはうらはらな、スケール感のなさであった。原作にあるような距離感が感じられず、何故か狭い。その後二人が20年間も交情を深めるきっかけとなる山での生活も、エピソードが乏しいせいもあり、説得力がない。原作がとても短いために映画では、いくつかのエピソードが追加されているが、通俗的な話になってしまった。主演の二人はスィートなゲイカップルだが、とてもシリアスな幼少期を送りタフに生きるカウボーイには見えない。そして、映画全体を覆っている緊張感のなさ、冗長さには致命的なものがある。
この映画、当初予定されていたガス・ヴァン・サントがメガホンをとっていたらどうなっていただろう。
ミシェルの成長っぷりが特にいいが、「スクービー」でしか知らなかったリンダにびっくり。あ、そうそう、僕、ヒースって嫌い。
厳しい時代を題材にとって悲恋のメロドラマとして臆面の無い描ききりをしている。
イニスとジャックは山で二人きりの羊番をすることになる。 無骨で無口なイニスだったが、
次第にジャックとうち解けて気の置けない仲になってきたある日、酔っぱらって外で眠るハメになり
寒さに凍えるイニスをジャックが体に寄せた時に、衝動的に結ばれてしまう。
イニスはこの時のこの行為を恋愛とは考えておらず、ジャックも否定はするが関係は続いてしまう。
羊番が一月早く切り上がる事になった時、じゃれ合いが一転衝突になりイニスとジャックは
殴り合い流血する。
イニスは古い考え方の染みついた男であり、この関係の行き先がどうなるかも良くわかっている。
従って山から下りた時、二人はそのまま別れ、イニスは悔悟の気持ちから咆吼する。
イニスは婚約していたアルマと予定通りの家庭を持つが、どことなく倦んだ暮らしとなる。
一方ジャックは寂しさを埋める相手を求めて彷徨っていたが、ロデオ優勝を切っ掛けにつきあいを
始めたラリーンと結婚し、双方、落ち着いたかに見えたが、山での出来事のように不意によこして
来たジャックからの久しい手紙にイニスの心は乱されてしまう。
アン・リー監督は二人のこの寂しさや愛情の持ち方に様々な変化をつけているが、
一緒に暮らしたい、お前が恋しい、とハッキリした愛を示すジャックと時代の流れの中で
男がどうあるべきかが身についてしまっているイニスは、どちらとも大変に男らしく、
家長として家庭やプライドを守る生き方をしたり、あるいは、そうせねばならない
状況がひしひしと描かれている。
女性側も神経の行き届いた描かれようになっていて、妻アルマは二人の関係を知りながらも
夫を見限らずにいたが、夜に体を求められた時、生活苦から子供をこれ以上創れないと
拒むと、イニスから"お前を抱く必要が無い"と言い放たれ、アルマは夫が愛情では無く
かく有るべきものとして妻に迎えられた事を悟り離婚してしまう。
再び逢った時も、ジャックとの関係を直接なじったりせず、魚籠に入れておいた手紙が
開封されなかったとして、自分が一顧だにされなかった事を攻めるくだりはアルマの
女としての悔しさと持っていた愛情の深さが良く伺えるシーンである。
イニスはキャシーとも付き合いを持つが、結局深い仲にはなれずに終わってしまい、
自分が詰まらない男だと嘯くイニスに、女はそんな事で惚れるばかりじゃ無いと言われる。
これはキャッシーをして、女性全体からのイニスへ向けた決別が表された場面でもある。
二人はキャンプをしながらの逢瀬を重ねる。 そこでは友情と愛情が行き来、混在したものになって
いるが時代が進んでも、未だ恋愛として認める事に抵抗し、開放してくれと苦しむイニスの姿は、
これはこれでまた、男なりの愛の苦しみ方で、類する映画がちょっと思いつかない。
結局ジャックはリンチに依って殺された事が示唆され、イニスは死を悼みに生家を訪れる。
クローゼットの中にかっての喧嘩で流した血の染みついた自分のシャツとジャックのシャツが
あの山で寄り添っていた時の様に重ねられているのを見つけて、思わず顔を埋めるシーンは
男女を問わず、いじましさを憶えるものであろうし、形見分けとして貰ったこのシャツが
イニスの洋服ダンスの中に掛かっているのを見るラストには全体を支配する寂寥感が
最も込み上がるエンディングになっている。
だったら見るな、などと言われてしまいそうですが、偏狭な意見を敢えてひとつ、
正直、僕は同性愛に賛同する事に少なからず抵抗を持っている。
実のところ、映画を見ている限りにあって、男女の友情が成立し難い、友情の先に異性としての
情愛が来るのはやむ得ない事、と考えていますが同性での友情はせめても友情と信じたいし、
その先に体を求め合うような生臭い愛情がある事を予見させられるような考え方は忌避したい。
こんな考え方が短慮であり、この映画の主人公達のような悲劇に結びつくんだ、と言われても、
それは否定はしません。
しかし本作のラストで、かってのあの山での暮らしを胸に秘め、娘の求めに応じて、
今のこの世に暮らす意を見せる無骨で純情な主人公の思慕が女性に
向けられたものであったなら、どれだけ心を動かされたか判らない。
作品賞の『クラッシュ』が時間とともにつまらない映画に思えてきたのに対して、本作は思い出すほどに美しくなっていく。いい映画とはつまり、そういう作品なのだと思う。
もともと隅々にまで気を行き渡るアン・リー作品は好きだった。
やはり同性愛もので、カルチャーギャップを仄かな笑いで包み心温まる家族ものに変化させる過程が見事な『チャイニーズ・バンケット』、やはりカルチャーギャップが老いらくの恋の複線として効果的で,活劇にまで広がった構成がおもしろい『推主』、なんか事情の違う『グリーン・ディスティにー』さえ、もののけ姫が実写になったようなチャン・ツィイーの扱い方はチャン・イーモウのアクションよりずっとよかった。
アン・リーの視点には微妙な対象に向かいながら近づき過ぎず批評眼がぶれないでいる、抱きかかえ突き放すというすぐれた映画監督の資質そのものといえる。
そうした手法で描かれる1960年代アメリカ片田舎の同性愛。60年代生まれの日本人には時代背景にわからない部分はあっても、テーマそのものが普遍的だからわからないようがない。
多くの観客は性別に関わらず、主人公らの妻たちの立場で本作をみるのではないか。
そこで良識からは外れつつこの世でもっとも美しい世界を生きる主人公たちのブロークバックバック・マウンテンに嫉妬しながら、イニスの釣り道具に思いをぶつけるアルマの苛立ち、暮らしがすさむとともに見かけだけ華やかになっていくジャックの妻ラリーのさみしさを体験する。
そしてそんな風にリアルな彼女たちの良識のシーンが消えると、ズーチャッチャ、チャーン、チャーン、チャラチャーン、とワルツに乗って画面上に広がるブロークバック・マウンテン。「ウィスキーの川が流れていて……」というラリーのセリフはパラダイスに決して行くことのなかった悲しみに満ちていて、同時に見守る観客には画面の上でそれを目にはできるという映画というスタイルの奇妙をまざまざとみせてくれて見事だ。
そしてブロークバック・マウンテンの二人の、観客にはどうしてもわかりようがない気持ちのぶつけ合いの数々。それは観客の単純な共感を遠ざけ、映画的な謎を謎として残したまま、ズーチャッチャ、チャーン……と美しい稜線だけを心に刻むことになる。
“わかりようのなさ”と“わからないようのなさ”。その間で揺れ、心にブロークバック・マウンテンがほしくなる、実に映画的な2時間ちょっとの夢。http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/
確かにテーマは同性愛。
けれども、そこを重視していない。
禁断の愛のせつなさ。
私はこっち系の趣味はないが、
男にしかわからないせつなさを伝わってきた時に
何もないシーンですら、映画を楽しむことが出来た。
確かにこのせつなさは女性との恋愛劇では表現出来ない。
何とも微妙な表現だが、何とも微妙に心に残る作品だ。
是非是非、女の子の感想を聞いてみたい。
本来、オスカーを獲ってもおかしくないけど、
まぁ、アカデミー委員は絶対に選ばないわな。
また、ヒース・レジャーとジェイク・ギレンホールという
旬なキャスティングもかなりOK。
アン・リー監督は「ハルク」の汚名を返上したね。 http://www.h4.dion.ne.jp/~mentai23/
それ以上に、とても前向きな、勇気もらえる映画だと思います。
悲しかったり、虚しかったり、の映画ではない、と。
素晴らしい映画見せてもらって、私も映画の二人(+役人おじさん)に おおきにありがとう とお礼言いたいです。
http://blog.goo.ne.jp/villealpha/e/96f7fa497c45ba52861e57b5328d4eca
*(下記ブログ2006年4月11日記事です)http://blog.goo.ne.jp/villealpha/
初めのうち、教科書的な四角張った演出に鼻白む思いがした。それはやがて気にならなくなったが、監督歴は長いはずなのにこの素人臭さはちょっと気になる。
話は、ある種の折り合いと、それによる悔恨を描いている。思いがけず自分の中に生じた欲望により、社会が個人に要請する(と当人が思っている)資質にクオリファイしない自分を認識することとなった男。男にとって、自分の欲望と、社会の要請の間に折り合いをつけることは必然だったが、同時に、素直に欲望に従う選択ができたらどんなにか幸せだったろう、という悔恨を抱え込むはめとなる。人は、過去に下した決断の上に今を生きている。遡って取り消すことは出来ないのだ。欲望を動力とし、人間に資質を要求する現代社会に、必然的に生じる類の悔恨を描いていると言えるだろう。苦い映画だった。6
片一方に許婚者がいる状態から恋が始まるわけですが、それぞれのいわゆるストレートとしての結婚生活を絡めながら物語は進みます。つまり、一種の不倫ものなワケですが、男女間であれば
「いつになったら奥さんと別れてくれるのよ!」
「子供の進学が近いんだ。それが済んだら必ず……」
「いつも口ばっかりで……」
といった感じで、「夫の座」「妻の座」に誰が座るのかが争点ともなりますが、その「座」そのものが無いという行き止まりな恋。
さらに社会、家族などからの締め付けもある中、恋はたった一つの思い出の品に集約されていきます。
しかも、その思い出の品は二人の諍いの記憶なのでした。
情感あふれる描き方も大したものですが、それを支える物語自体の足腰の強さ。アニー・プルー(原作者。「シッピング・ニュース」原作者でもある)とその原作を手際よく写し取った脚本家に感服します。
主人公たちは人生で最も輝いていた20歳の夏への憧れに縛られ続ける。
二度とそこへは戻れないことを知りながら、そしてそこで犯した自分たちの罪の影におびえながら。
彼らは自分で自分が何を求めているのか、真正面から自分をみつめるということをしなかった。
自分の抱えている矛盾の大きさを認めるのが怖かったからだろうか。
映画を観ながら、ふと自分の両親のことを思い出した。
1940年代に生まれ、貧しい環境で苦労を当然のこととして育ち、学もなくカネもなく、結婚して子どもをもうける以外の人生を選ぶ自由など思いもつかなかった人々。
口下手でタフで人を頼ることを嫌い、自立心は強いのに保守的で排他的な価値観からは離れられない世代。
自由ってなんだろう。愛ってなんだろう。親子ってなんだろう。家族ってなんだろう。
一度きりの人生はあくまで自分に正直に生きるべきなのだろう。
自分を騙し続けるということは、結局周りの人間も騙し傷つける。
そのことに気づかずにすべてを失った主人公には同情は出来ないが、哀れではある。
監督は名匠アン・リー。時代に翻弄される愛を描くその演出は、いつもながらに見事である。本作で念願のアカデミー監督賞を受賞している。
観る世代によって、感想は違うだろうが、素晴らしい作品である。
↓
http://www.elfy.biz/asp/special200603.asp#brokebackmountain
(忘れない)だけなのに、お前と一生生きてゆくみたいな長字幕をつけて
余韻が台無しに。
見た後でこんなにじわじわと切ない愛が伝わってくる映画は初めて。
アン・リー監督の「いつか晴れた日に」という英国没落貴族を描いた堂々た
る大作を見ればこの人がアジアテイストだけじゃなく、立派にメジャー作品
をまかせられる才人だと言う事が良く分る。立派な作品。妙な偏見でオスカー作品賞逃して残念。「クラッシュ」も優れた作品だけどスケール感が無い
地味なもの。いずれにしてもこの監督ならいつかは獲るでしょうきっと。
実際みたら、あっけにとられるほどのごく普通の、そして上質なラブストーリー
だった。時間がたてばたつほど味が出てくる感じ。
感情をはっきり表現するジャックと違って、イニスは何をするにも全て受身。
ジャックが全てを捨てて一緒になろうと言うのに断ったり、
見えないところで嗚咽しながら泣いてたり、あまりにも不器用すぎる愛情表現。
なので、ジャックは結局の所彼の想いの強さを実感できないまま死んでしまったのでは?と思わせるところがこれまた悲しい運命のさが。
このせつなさ、大雑把なハリウッドムービーメイカーにゃ
作れないんじゃないかな?巧いね〜アンリー。アジアの誇りだわす。
でも最後の言葉はいらなかったよアンリー。イニスの仕草に全てを委ねてほしかった。最後のセリフがいかにもハリウッドになってしまってて残念だったよ〜
そもそも男なんて、ホモセクシャルな面を背負ってるわけで、その一線を
超えるか超えないかが問題であって、一線越えちゃった連中の話は、結局
男女の恋愛とそう変わらんよね(笑)。
男女の恋愛モノならば、Sex含めて表現すると思われるが、本作はSexそのも
のについては隠蔽してる感じは否めない。ま、お子様向け恋愛モノもしくは
ファンタジーか。やっぱ、男同士の行為は美しくないからなのか。
戦争映画や西部劇など、”男臭い”とされる作品に見え隠れするホモセクシャルを
具体化することが優先されるべきだったんじゃないだろうか。山で二人きり
で寂しかったからじゃ説明にならんと思う。
ブロークバック・マウンテンでのひと夏に満たない日々が、イニス・デル・マー(ヒース・レジャー)とジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)のその後を支配していく。
壮大なワイオミング州(実際はカナダでのロケがメインだったようだが)の山岳地帯の大自然が美しい。
下界に下りて別々の道を歩みだした彼らはしかし、相手を渇望するのだ。狂おしいまでに。無数のラブストーリーのように。
古い西部と新しい西部。保守的な社会にあって、時に衝突しながら20年にわたって交わした愛慾の形はしかし、同性愛であるがゆえに常に攻撃される脆弱性をもつ。
それぞれ夫を愛する妻たち(ミシェル・ウィリアムズ、アン・ハサウェイ)の表情もいい。彼らもまた妻たちを愛している。家族を愛している。だが、それでも離れられないほどに狂おしい愛慾に囚われてしまったのだ。
グスターボ・サンタオレヤの音楽が心に沁みた。それにしてもヒース・レジャーとジェイク・ギレンホールは撮影時、まだ20代半ば。何という深い演技をしてみせるのだろう。すっかり参った。こいつらタダモンじゃない。
正直いってアカデミー賞作品賞は、下馬評どおり『クラッシュ』よりもこの作品が受賞するべきだったろう。残念。『アイス・ストーム』などで、静謐だがインパクトの強い作品を作ってきたアン・リー監督の、本来的なセンスを生かした作品だと高く評価したい。
それを除けば、友情とも愛情とも言える、普遍的な愛の軌跡である。
物語は、美しい自然と共に静かに淡々と進んでいく。
それぞれの家庭を持っても、心の拠り所を求めて、二人は愛し合う。
たとえ、それが約20年のうちの数回でも、常に喧嘩別れで終わってもだ。
同性愛者である故に人生を翻弄された二人の葛藤に心が痛い。
出番はあまりなかったが、ミシェル・ウィルアムズの演技が印象的だった。
二人の「秘密」を知ってしまったあの表情が何とも言えない。
それがきっかけで、イニスの家庭は崩壊し、ジャックも死に、
トレーラー・ハウスに身を落とすことになる。
それでも、ジャックは心の中で生き続ける。
「同性愛」というテーマに囚われず、「人生とは、普通とは何か?」を問う秀作である。
イニスの想いを代弁した主題歌が切ない。
アカデミー作品賞を取れなかったのは……まあ、仕方ないかな。
保守性の強い賞だけあって、問題作を取らせてヒンシュクを買うより、
『クラッシュ』(未見)のような無難な作品に取らせた方が人情と言えるわけで。
しかし、私は取って欲しかった。何十年も経てば、もっと認められるはずだから。
■ワイオミングにはカウボーイ州との別名があるらしいが、彼らが牛を追っていたのは昔のことで、いまや肉牛は工場のような飼育舎で太らされ、処理場でパーツにされて流通する。だから本作でもカウボーイが追うのは羊である。羊番でなくなったイニス・デル・マーは道路工事などで糊口をしのぎ、やっとありつけた牧場の仕事は休めなくてきついのに金にならない。カウボーイ以外の生き方ができない不器用な彼にとって、もっとも自分がカウボーイらしかったのはブロークバック山での一夏だけだった。
■ジャック・ツイストは地道な牧場仕事よりもロデオ・ライダーとして派手に楽しく生きたいと思った。だがさして才能はなく、身体は故障だらけで徴兵すら免除だ。ロデオ大会を渡り歩くのははっきり言って楽ではない。先は見えている。彼にとっても、もっともカウボーイらしく生きたのはイニスと二人で羊番をしたあの夏だけだった。
■本作はゲイの映画ではない。不幸にも開拓時代ではなく現代に生まれてしまったカウボーイが直面する現実を描いた、ウェスタンだ。拳銃も強盗も保安官も出てこないが、歴とした西部劇なのだ。
■前半、ブロークバック山での羊番の毎日が描写される。倒木を伐って焚き火をおこし、缶詰を温める。一夏の放牧期間中、風呂などない。柔らかい服もない。気晴らしはウイスキーだけ。山道を進む馬の背は揺れる。話し相手はお互いしかいない。アウトドアで寝たことのある人は思い当たるだろうが屋根のないところで暮らすのはものすごく過酷だ。この状況で、二人の間に特別な絆が生まれないなど、ありえない。二人がたまたま行為に及んだとしても、それは特別なことではない。相手が羊じゃなかっただけのことだ。
■山を下りた二人が立ち戻った現実は、山よりも過酷だった。イニスは牧童仕事を見つかけたが金はない。赤子は泣く。金を得たジャックは妻の親に誇りを売り渡したような毎日だ。再会した二人が、二人だけのブロークバックに戻ろうとしたのは当たり前だ。だが、ブロークバックはもうどこにもなかった。
■本作は、男なら誰にでもある、ありふれた出来事だけを描いた西部劇だ。友だちがいた。昔はよかった。生活はつらい。だが暮らしから抜け出すことはできない。最愛の友だちと会っても昔のようにただ幸せではいられない。お互いの心はすれ違う。普通なら、この不器用な関係がずるずると続いていくのだろう。だがジャックは死に、イニスは残された。ブロークバックの記憶だけを残して。
■本作は断じてゲイ映画ではない。ただ単に、男の愛情を描いた映画なのだ。こういうことは昔からあったし、誰にでもある普遍的なことなのだ。だから、私には全然特別なことに見えなかった。むしろ、初めて見る風景や初めて見る習慣にも激しく既視感を覚えたし、「俺のことを撮った映画じゃないか」と終始疑いながら見た。私たちだって、ブロークバックの記憶だけを温めながら生きている。
▼ところでゴムなしでやると雑菌性尿道炎になると思います。気をつけたほうが。
▼画面の隅から隅まで目が離せない、巧妙に設計された、隙のない映画でした。Old Roseというウイスキーが写ってましたが実在するのかな?
▼奥さんたちの演技も素晴らしかった。二人ともセリフが少ない分、目千両でしたね。とくに好きなのがジャック夫人。夫が舅に激しく逆らったときの「偉い!」と言いたげな目が良かった。二人とも夫のことが好きだったし、夫の彼氏に嫉妬してたんですね。
▼アカデミー賞三部門だそうですが、私のアカデミー賞を全部差し上げたいと思います。とくにアカデミー喫煙賞を。思えば、タバコを吸うのって、男の子が男になる過程で必須科目でしたね。昔は。
▼けっこうカップルで見に来られた方が多かったようですが、どうなんですかね。私なんか何度か泣いちゃったしエンドロールでは涙が止まらなかったので、もしも横に彼女がいたら超気まずいです。
ヒース・レジャーの恋人と会う時のウキウキした様子や、押し殺したような演技は、たいへん素晴らしい!でも、私個人としては、J.ギレンホールが大好き。きっと個性的で素敵な俳優さんになるでしょう(^3^)☆
ヒース・レジャーの、モゴモゴとした話し方はいわゆる「南部なまり」というものなのだろうか。これが彼の「演技」の一部だとは、彼を初めて見る人は気づかないだろう。『ロック・ユー!』などを見て比べて欲しい。個人的にはちょっと作り過ぎてるように感じてしまったが…
ジェイク・ギレンホールは『遠い空の向こうに』以来お気に入りの俳優なんだが、ちょっとキャリアが順調すぎるんじゃないのか?今回オスカー候補にはならなかったけど、もう時間の問題かも知れん。お姉さんともども、ちょっとエキセントリックな演技派としてじっくり大成していって欲しい。
あと、従来のイメージを払拭したミシェル・ウィリアムズ、アン・ハサウェイの二人は大変良かった。この二人がしっかり演技してたからこそ、主役二人が生きたと思う。
(といってもずっとハラハラし通しです、乞ご期待)主役2人の生活を
ゆっくり追うので、自分がそうであっても(ゲイであっても)おかしくなかった…という気にさせられてしまいます。
見終わってから、情景をいろいろ思い出したり、エピソードを考えさせられる映画です。
とくに気持ち悪いとかおもしろ半分でみにいくと「なんかフツー」って、
男女の話だったらほんと普通なんでしょう。か?
ちょっと取り上げづらい題材でバーンと賞をとって、人気もあって、
今後「ブロークバック以来の〜〜映画!」のようにエポック的な扱いをされてゆきそうですが、私は異存ありません。
いい映画でした!
ヘテロなごく普通の許されない系恋愛映画の相方を同性にしただけっぽい。
近親相姦系やら、階級差恋愛とかとラインは一緒なのかしら。
ヘテロな僕的には、「そういう趣味・性癖の人も居るのね」程度の他人事。
ホモ文化の発達したアメリカならば流行るのかもしれんが、日本だと、
この映画を喜ぶのは、やおいの連中だけかな(笑)。大島渚の「御法度」の
方が、良い感じに気持ち悪かったなぁ。
ゲイ映画は初めてだったので正直唖然。
先日結婚したイギリスの歌手もああゆうことをしているのかと思うと正直しらける。
ジャックが同性愛傾向があるのは分かるが、何故主人公まで・・・?
こうまでしてゲイ同士が偶然出逢うものであろうか・・・・。
と言う事はおいておいて、アン・リーの試みは受け入れようと思う。
ゲイを通して人間愛の哀しさ等を伝えようとしたのであろう。
何故か、途中から「同性愛も別に悪い事ではないな」と感じてきてしまう。
それほど、哀しいのだ。
華やかで素晴らしい超大作を期待するとだめ。
しかしこの、人間の哀しさを感じたいなら、見ればいい。
アコースティック・ギターの音色が、あなたの心を哀愁に浸らせる。
ジェイク・ギレンホール演じるジャックは、もともとそういう性的嗜好があったと描かれなんとなく納得も、結婚を控えたイニス(ヒース・レジャー)が何故あそこまでジャックに惹かれるのか理解できず。そういう設定なんだというには、唐突に二人が結ばれることへの説明が不足し違和感が残る。
しかしアン・リー監督は立派。「シビル・ガン」を観たときにも感じたが、亜細亜色濃かった初期作品から一転、本作品も完全な米国映画。オリエンタリズムを売りにせず真正面から勝負した本作品でアカデミー監督賞を受賞は素晴らしい。
話を展開できている秀作。主人公がそこまでの境地に達するために、
「60年代アメリカの封建的な田舎のカウボーイの恋愛」という
枷だらけの設定をアン・リーは使用したのだと思う。
素晴らしい作品で私は圧倒的に感動した。
http://d.hatena.ne.jp/NKYYSD/20060103