ゲド戦記(2006)TALES FROM EARTHSEA
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【解説】 ル=グウィンの名作ファンタジー『ゲド戦記』をスタジオジブリが映画化した長編アニメーション。巨匠・宮崎駿監督の息子、宮崎吾朗の第一回監督作品。声の出演は主人公アレン役に岡田准一、ヒロインのテルー役には新人・手嶌葵。 多島海世界“アースシー”では、西海域の果てに棲む竜が、突如、人間の住む東海域に現われ共食いを始めた。それに呼応して、世界ではさまざまな異変が起こり始める。世界の均衡が崩れつつあるのだった。偉大な魔法使い、大賢人ゲドは、災いの源を探る旅に出る。やがて彼は、心に闇を持つ少年、エンラッドの王子アレンと出会う。影におびえるアレンを伴い、旅を続けるゲドは、ホート・タウンの街はずれにある幼なじみテナーの家に身を寄せる。そこには親に捨てられた少女テルーも住んでいた。彼女は、自暴自棄になっているアレンを激しく嫌悪する…。 【ウェブリンク】 【ユーザー評価】
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主人公のアレンと監督の吾朗とを被せているような気がする。
つまり、監督もまた、偉大な父の存在が窮屈なものを感じているのかもしれない。
なにせ、ウィキペディアの情報では父が随分と自分が監督をやりたいと言っていたし、親子の確執もあったらしい。
吾朗もまたアレンと同じく「親父」を尊敬していても、周りの目とか、自分の望んでいたわけでもないのに置かれた立場に苦しんでいたのだろう。
その男がゲドやテルーと出会って変わっていく話。
このように、監督のやりたかったことは分かる。
ただそれにしては、も一つ力強さみたいなものが感じられない。
スケールが大きな始まりと思ったら、ものすごくスケールの小さい話になっていた。
声優人に関しては、重要なテルーの声があれでは・・・
物語の核になる彼女の声が素人では、せっかくのメッセージ性も薄くなる。
音楽が壮大な割には、物語は平坦な感じ。
期待はしてなかったけど、そのとおりな感じ。
しかしストーリー面をあまりにお粗末にしてやいないか? 映像の美しさだけではメッセージも伝わらないし、楽しめるのは一部のオタクだけだろうに。宮崎駿が批判しているのはそういう「閉じた世界」の事ではないかと思う。オタク化した今の日本アニメの批判ですよ。それはまあ押井守にも該当する事だけど。
これが頭から離れませんでした。
あと主人公の吹き替えの声のイメージが違う気がしました。
ここ数年のジブリには、こういった駄作が多いね。
キムタクに続いて岡田准一という、人気の配役をした上に、世界観を盛り上げることに成功したことは、評価に値することですし、テルーといったほかのキャラクターも、岡田准一と同様、作品のレベルを、上げることに成功していたと思います。それらのキャラクターが、この作品の魅力であったと思います。
ただ、それだけといえばそれだけで、色々突っ込みどころは満載でした。
けれども、それだけでも十分であったと思います
宮崎吾朗監督には、「はじめてにしては、よくやった。」と言っておきましょう。
予告で世界規模の戦いのような展開を期待していたら魔王と魔女のタイマンの話。人物ひとりの変化を追うシーンが長すぎる気がします。「猫の恩返し」でも感じたけど、ジブリだからハードルが高くなる・・・ジブリだから観たんだけど。
● 悪いやつがほんとうに心底悪そうで、ジブリ作品として観ている身には衝撃的。
● ところで、竜と竜が喰いあっている件に関しては…?
http://d.hatena.ne.jp/xxborgesxx/20080407
「原作の『ゲド戦記』って本当に面白いの?・・」
ル=グウィンという原作者の名は知っていた。学生時代に『闇の左手』というSF小説を読んだ記憶がある。ヒューゴー賞・ネヴィラ賞同時受賞という帯の謳い文句につられたこともあるが(もっとも、同時受賞自体はそんなに珍しいことではない。たいして面白いとは思えぬ作品も結構ある。)、闇の左手というタイトルの語感にとても惹かれたからだ。ただし・・内容はさっぱり覚えていない。当時は質より量という大乱読状態だったからでもあるが、結局あまり肌に合わなかったのだろう・・
『ゲド戦記』はそのル=グウィンのファンタジー小説の金字塔(?)である。そして偉大なオヤジの息子がアニメ化に挑むこと自体いろいろと物議を醸している・・という予備知識のもとでアニメを鑑賞させてもらったのだが・・
うーん・・何か妙な気分・・
偉大な原作を前に過剰な説明は極力省いたという意図はなんとなくわかる。だが、あまりに異様な省き方ではないのか?シェイクスピアの戯曲のように人口に膾炙した原作ならばともかく、このアニメを観る者全てが原作を周知していることが前提のような省き方には、疎外感にも似た違和感を強く感じてしまう。
この世界を襲う異変とは具体的に何なのか?竜の共食いの何が問題なのか?なぜ王子は父親を刺したのか?ゲドはなぜ王子を旅の連れ合いにしなければいけないのか?王子は奴隷のことは知らないくせに、なぜ人狩りだとわかるのか?虐待を受け親に捨てられた少女がなぜラストで竜に変身するのか?なぜクモはそのことを永遠の命としてとらえるのか?そして、その少女の変身を周囲の人間がさも当然でありあたかも日常のことがごとくなぜ扱うのか?・・
普通、これだけ?マークが羅列すると、よおし、一丁原作を読んでみるか、という気になってもおかしくはないのだが、残念ながらそんな気分には微塵もなれない。
このアニメを観る限り『ゲド戦記』が風評のように奥が深く面白い物語であるとは自分にはとても思えないのだ。(『闇の左手』がそうだったように個人的に合わないだけなのか?それとも原作者が憤慨しているように、やっぱり息子さんの技量のせい?)
堂々巡りのようだが、自分としてはこう結論付けることにした。
原作に敬意を表しているそぶりを見せながら、やっぱり詳しいことは原作を参照してね・・というラストは卑怯である、と。
内容は悪くないと思うしね。 多少メッセージ性に強制的なモノを感じましたが、まあ、これくらいストレートに言わないとわからん連中もいるのでそれもOKかと。
でも、ひとつだけ言うならば、親父の作り上げた作画環境や技術を使ってもいいが、作品内の世界観だけは絵柄も含めて、完全に自分のオリジナルでやってほしいと思います。「え? これがジブリ作品??」と思えるくらいに。 次回作も観るのでちゃんと制作してください。
<個人的な愚痴…あくまでも愚痴>
私は多々ある宮崎作品の中で「シュナの旅」が最高傑作と思っている人間なので、これを駿監督ではなく、たとえその息子であっても他人が扱う事にとても怒りを感じました。
まず、構成についていうと、この作品は「破綻はない作品」である。それは結構なことだ。映画制作の一歩を踏み出したわが身を鑑みても、破綻をなくすのはなかなかに難しいことだ。だが、それだけだ。けっしてまとまりがある作品と言えない。なぜか。
それは、この作品が、「小品」であるからだ。
小さいくせに、輪郭が定まらない。つまり、始まりと終わりの必然性が薄い。「なぜ父を刺した」「クモを殺めて全ては解決されるのか」「アレンはどうなるのだ」。
この作品が、原作と同様に、「(二重の意味で)世界を巡る物語」であったならば、輪郭は多少ぼやけても仕方がない。むしろぼやけざるを得ないものだ、観客がいる以上。
しかし、この作品は小さすぎる。そしてまとまりがない。
また、物語が「アレンの物語」になっているにもかかわらず、カメラは散漫でアレン以外の対象を写しすぎている。ここでも、不統一が見られる。
ほかにも書きたいことがあるが、別の話題に移ろう。
演出、およびそれを可能にする作画について。
さすが、フルアニメーション(使い方が間違っていたら申し訳ない)を追い求めたスタジオジブリだけあって、すばらしい「動き」であった、滑らかで自然で。だが、宮崎吾郎氏がスタジオジブリを使いきったのかといえば、それはなかろう。
革新的な動きは、ない。動きに迫力がない、もっとも、そういう映画じゃない、と言われてしまえばそれまでだが。
ここで、比較検討対象として提出したいのが、「時をかける少女」だ。同年の製作、おなじアニメーションという媒体、そして長年にわたり多数に膾炙されてきた原作小説の映像化、、、。この二つを比べれば、「ゲド」の問題点が浮かび上がるだろう。
まず、「ゲド」「時かけ」、両者ともに原作に大幅なアレンジメントを加えている。しかし、明らかに原作の設定の扱い方、アレンジメントのさじ加減、いかに現代に合わせるか、、、、「時かけ」に軍配が上がる。
「ゲド」は原作を損ねただけ、という印象が残るが、「時かけ」においては、タイムリープ前の疾走、静止したスクランブル交差点での会話、、、など、優れた、かつ原作を壊さない演出がなされており、作画もきっちりとそれらを力強く、美しいものにしていた。映画が、原作と全く別のストーリーを展開しながらも、観客は、私は「時をかける少女」を観ている、と思えたであろう。
まとめるなら、「ゲド」は、動きに力がない。活力がない。まとまりがない。
おまけに、「叩きつけ」すらない。スパイク・リーの「25時」を、「ショー=シャンクの空に」(監督の名は失念した、失礼)を、西川美和の「ゆれる」を観よ、叩き付けてくるものがある。
「ゲド」では、観客は推し量るしかない。そして、そんな映画を、「メッセージ性あふれた」「現代人へのメッセージ」などと喧伝するのは、愚の骨頂である。
私には、「涼宮ハルヒの憂鬱」におけるエンディングの「ハルヒダンス」のほうがより価値があると思われて仕方がない。すくなくとも、アニメの命である、「活力」は、こちらの方が溢れている。
長文失礼した。
今までのジブリ作品が一作一作と質を高めてきた頂点での監督引継ぎのため、最初からハンデがあったことは確か。それで、過去の作品からの落差が激しかったと思います。
原作は読んでませんが、物語のスケールが小さすぎ、原作者が怒るのも分かるような気がします。ファンタジーとして描き切れていないということです。
作品を観る限り、テーマは「自我を喪失した若者が、如何に生に立ち向かうか」ということでしょう。テーマが世相を良く反映しているのには好感が持てます。しかしこの内省的なテーマにとって、壮大な物語をベースにする必然性があったのでしょうか?
キャラや演出が、全体的に過去の宮崎駿作品の亜流のように思えました。
アレンはアシタカ、テルーはサン、竜はオーム、ハイタカはユパ、ウサギはクロトワ..。
テルーの歌は、思わず聴き入ってしまうほど上手い。シーンとしては長回し過ぎかな?と思いましたが、これだけ上手ければ聴いてられます。
声優陣はよかったです。手嶌葵もよかったと思いますね。岡田くんは最初落ち着きすぎでは?と思ったけれど、ふっきれたあとはすがすがしくてよかったです。
ただ、やっぱり言いたい事はいっぱいある。まずはストーリー。なんだか本当はもっと壮大なストーリーがあるにも関わらずその一部を抜いて来た、という感が否めない。父親を刺した意味もイマイチはっきりせず、”若さ”だけでは片付けられないと思うし、竜が出てくる節もどうも浅いとしか言いようがない。もっとこの世界観の背景を深く描けるのではないかと思ってしまう。原作は知らないけれど、例えば、本当の名前を出すことにどれだけの意味があることなのかこの物語では全く伝わってこない。故に突如竜が現れてくれても意味が分からないとしかいいようがない。謎という高尚なものではなく、意味不明、説明不足で終わってしまう。ストーリーもこれではただのteenagerの虚ろい、生と死とは何か、になってしまう。
しかもこれは「ゲド戦記」というタイトルでしょう。でもこの映画はゲド中心の話ではないし、いったいどんな戦記なんだと思ってしまう。原作はゲド戦記だけど、映画はあくまでその一部だとして、タイトルを替えるくらいの配慮があってもよかったのでは。だってこれは詰まるところ、ある国の王子の話でしょう。
続いては絵。どうも宮崎風がここ20年くらい変わらないようにしか見えない。例えばあくまで権力の犬である脇役のやつの顔とか、偉人の顔のつくりとかどの作品みても同じ。むしろナウシカやラピュタ懐古かと思わせる。あとは宮崎映画ではよく出てくる石作りの建物が壊れる図。未だに崩れる石が明らかに動画で、背景とは違った色をしていて浮いている。20年前のラピュタあたりと手法がなんら変わっていないのではないか?すごく不自然。今のアニメはもっとすごいのではないの?
とにかく全体的に色彩の派手さもないし、内容の新しさもなく、話に深さもない。過去のどのジブリも超えられてないのではないかな。
あと個人的にはジブリに欠かせない空を飛ぶシーン。最後のアレだけでは「千と千尋ー」とかぶり、しかも壮大でない。なんとも言えず残念なのでした。http://ameblo.jp/milestones/
いわゆる見せ場に欠ける。
いや、向こうは見せようとしてるかも知れないけれど心に響かない。
でもテルーの唄はいいね。
ジブリ映画なのでとりあえず見とかないとって感じ。
個人的な意見だが、監督デビュー作としては破綻のない作品ではないだろうか。
だが、キャラクター造形も含め、どうしても「まがいもの」の印象が強い。「未来少年コナン」と「ルパン三世 カリオストロの城」のキャラと美術を借りてきたかのような錯覚に陥ってしまう。どうせ父親と比較されるなら、父親の創造したものを破壊するくらいの勢いがないとつまらない。その意味では「破綻がない」というのは「つまらない」と同義になる。他の指摘にある「情熱が感じられない」というのも、「まがいもの」に共通する弱点である。
映画として観ると、まず無駄な(無意味な)カットが多い。「アレンがテルーを探して歩いていく」シーンを描くとき、柵を開け、閉め、細い道を歩き、広い草原に出て、そこで一人で立つテルーを見つける…だがこのシーンで、全ての過程を見せる必要は全くない。ことほど左様に必然性のないカットが多すぎる。そのために作品にリズムがなくなり、ダイナミズムも失われてしまったのではなかったか。
その一方でストーリーを省略しすぎているので、私のように原作を知らない者にとってはきわめて不親切な印象を受ける。あまりに巨大な物語世界が背景にあることはぼんやりわかったが、そもそもそんな作品を最初に手がけるとは無鉄砲きわまりないと思う。宮崎駿は、制約がやたら多いテレビアニメを数多く手がけ、シーンの省略やテレビのブラウン管の中のダイナミズムを追求した。そうした経験もないままにこれだけの作品世界を手がけるのは、正直理解に苦しむ。
さらにその物語世界を台詞によって説明しようとしたために、後半はやたら理屈っぽくなってしまった。「永遠に死にたくないということは、今を生きていないということと同じだ!」と熱い台詞でいわれても実感が伴わない。その結論に達するために積み上げたものが何もないので、きわめて薄っぺらいのだ。
竜とアレンが対峙するシーンを描いてみせたことによって、息子が監督を務めることについて反対していた宮崎駿は渋々折れたという。しかし、この作品そのものも、結局そのシーンを見せたいだけだったのではないか…という気がする。その他のシーンがあまりに貧しいからだ。
とはいえ、破綻はない作品ではある。父親のまがいものから脱却できるかどうかが、この監督の今後を左右するように思う。
材料は揃ってる。後は鍋の中に入れて煮るだけだ。
なので、これは紛れも無いジブリの内輪で楽しむホームムービー。
EarthSeaを下味に、今まで見てきたジブリ映画でいろいろ味付けをし、スタッフを切り刻んでぶち込んで、時間をかけてはい出来上がり。
お話としてちゃんと観れます。はい。
しかし・・・。
原作は読んでません。同じように原作者にかなり不評の、米ケーブルテレビSCIFIチャンネル、実写版EARTHSEAは観ました。
原作から何も汲み取っていないというのは、両方がいかにもでありきたりのファンタジーを装っているからでしょう。
そういうのはもう見飽きたヨ。
今回、ジブリがゲド戦記を原作にしたかったのは、指輪物語、ハリーポッター、ナルニア国物語等、ネームバリューのある映画が乱立している所へ肩を並べたいとでも思ったのでしょうか?。スケベ心を出して。
そもそも、ゲド戦記やりたかったのは宮崎駿で、息子が思い入れを持つのはなんか変だなぁ。親子の間で、ジブリの製作会議で、どういう話になったのか分からないけれど、下積み無しでいきなり表舞台、七光りキラリンコで監督やらせるってのは、やっぱ観客なめてるなぁと思うね
脚本かけるのなら、(どこまで書いたか怪しいけど)外で下積みやらせないとジブリの中のスタッフも納得しないと思うけどな。
知り合いの会社も外の会社に出ていない(社会を知らない)息子をいきなり会社で使ってるけど、そりゃぁひどいモンです。あの息子のおかげで周りの人間がどれほど迷惑をこうむっているか。
それを考えると、宮崎吾郎はとりあえずジブリの外で10年くらい苦労してきましょうトカ激しく思う今日この頃。
HONDA創業者の本田宗一郎は偉かった。息子を会社に入れなかったからなぁ。
作ろうとしただけ勇気があると思う。
出来の良くない映画を観なければ、いい映画の有り難みがわからなくなるのではないか、そう思いました。
すばらしい映画がなぜすばらしいのか。そのことを、この作品を観つつ考えていました。
残念なのは、本作に対し、肯定的な評価を与えている方がいらっしゃることです。もちろん、評価は人それぞれで、他人が口を挟むことは出来ないことかもしれません。しかし、そのことで、制作者が「これでいいのだ」と思ってしまったら、映画や文化に対する冒涜になってしまうのではないかと考えます。
ここで多くの方が批判を書かれていますが、いちいちもっともだと思います。私が言いたいのは、何を伝えたいのか、その情熱が伝わってこないことです。映像の技術が稚拙であっても、テーマが伝わる作品はあると思うのです。しかしこの作品は・・・。
ここに書き込みをするのは本当に初めてですが、(いままでたくさんの方の書き込みを読ませていただき勉強になりました)今回だけはどうしてもコメントを書きたくなり、書かせていただきました。
出だしと結末が照合していない
スケールがでかそうな出だしなのに、その後の展開がさっぱり・・・
スケールがうんと小さい話になっちゃった
行動範囲も狭かったような気がする
これじゃ、「2」を作らないと おさまらないよね
「超大作をお疲れ様」って言いたいんだけど、
オヤジとまったく同じタッチ、予告展開、宣伝方法をとり、
過去の業績ではなく“七光り”だけをフューチャーした
ナル系の宣伝方針が「お疲れ様」を言う気をまったく無くさせる。
だったら内容で勝負ってことかって思ったら・・・・げぇ
原作のアーシュラ・K・ル=グウィンさんが怒ってるって言ってたけど、
原案:宮崎駿『シュナの旅』
って書いてあるよ。原作無視?確かに、物語にゲドはほとんど関係ないし。
まー最後まで盛り上がらず、竜の存在もよーわからん変なお話でした。
でも、一番やなのは、これだけ巷で悪評なのに
3週連続で1位にさせちゃったミーハーな日本人の方々。
これを成功としちゃうと、成功ラインがここに下がっちゃうよ。http://www.h4.dion.ne.jp/~mentai23/
それなりの期待感があって見に行った方や原作のファンの方が「裏切られた」と感じる気持ちは良く分かるレベルの完成度でした。が、先入観なしに見れば「駄作」と切り捨てるほど救いようが無い出来ではないと思います。
むしろ作画や演出面で見れば、初監督作品としては良くやったほう。ゴロー監督がこの先伸びるかコケるかは何とも言えないところですが、次回作が作られたら、私は見てもいいかなと思っています。
本作の問題点はやはり脚本でしょう。原作は未読ですが、それでも原作の様々な設定が描ききれていないのは明白でした。謎と呼べるほど高尚な物ではなく、単に「意味不明」な部分が多過ぎて、観客は完全に置いてけぼり。これでは「面白い」という感想を抱けない人が多いのも仕方が無いと思います。
ただし、「ジブリなのに子供に見せられない」との批判は全くお門違いだと思います。そもそも宮崎作品はナウシカの時代から、年端も行かないような生粋の子供のために作られている代物ではありません。私にも子供がいますが、アンパンマンやポケモンを見る感覚で子供を映画館に連れて行った方は、映画を批判する前に、きちんと内容を確認してから子供に映画を見せるよう、注意する意識を持ったほうが良いと思います。
今まで観た映画の中でワースト3に確実に入る。
酷い、酷すぎる!面白さが微塵も無い。映画として成り立ってない。スクリーンで動くただの絵だ。
言い過ぎだと思われるかもしれないが、この映画は実写「デビルマン」と同じくらいの駄作だと思う。
「デビルマン」はあまりの駄作ぶりに多少笑える部分もあったが、「ゲド」は笑えもしない。
どんなにつまらない映画でもどこかに盛り上がるシーンはあると期待したが、最後まで何も無い映画だった。
監督がド素人でもジブリなら何かしてくれると思ってたが・・・。
「ハウル」から不信感があったジブリだが、今回で見限る決心がついた。
こんな駄作がなぜずっと興収1位と取り続けられるか分からん。
どんな魔法を使った?そんなにすごい宣伝をしたのか?
言っちゃ悪いが、これを面白いと思う人間の思考を疑う。哀れにすら思える。
映画界の荒廃ぶり、駄作の蔓延ぶりもピークにきてるのではなかろうか・・・。
ただこの映画を観た数日後、「時をかける少女」を観た。
数年ぶりに感動した傑作だった。久々の傑作だった。
その前に観た映画が「ゲド」で、比較するとあまりに差が有りすぎて、「時かけ」への満足度も3割り増しになった。
駄作以外の何の価値も無い映画化と思ったが、少しは役に立ってくれたことには感謝する。
普通にジブリの映画として観たのですが、皆さん書かれているように、私にも十分理解し得るものではありませんでした。
というより、表面的なメッセージは単純で、登場人物が口に出していうくらいの明快なものだろうと思うのですが、この映画の中の世界で、それはどういう意味を持つのか私にはわからなかったのです。
とはいえ、アニメーションの質は良く、シーケンス毎のエピソードはそれなりに説得力あるものでした。
それが全体として繋げたときに、明瞭に見えてくるものがないということなのです。
そのため、見終わったときに、心に残るものが無い、というか、心がさほど動いていない自分に気がつく、という結果になったのだと思います。
原作を読めば、「ああそうだったのか」とわかるのかもしれませんが、それでは、この映画が何だったのか、ますますわからなくなってしまいます。
ただ、劇中に出てくる、農作業や野の風景、家畜の様子などは、それ単独で、なかなか良いものでした。うーん、これはドラマに関係あるのかなあ。。。
前評判を聞いていましたが、私は何よりジブリが公開をOKした作品だからと安心して見に行きました。ですが内容はあまりにずさんで表現力の無い作品でした。酷かもしれませんが宮崎吾朗さんには才能が無いと思います。監督というよりはジブリファンが作ったような作品でした。プロの仕事ではありません。ジブリブランドなのだから子供も大勢楽しみにしていることを心において作って欲しいものです。満席の映画館はただの一度も笑いが起きることもなく。映画館を出るときも「面白かった」「楽しかった」 という声も笑顔も子供たちにはありませんでした。ジブリだから絵がうまいのは当然です。ゲド戦記だから話が素敵なのは当然です。そこをどううまく掛け合わせて表現するかは監督にかかっています。それをどちらも中途半端な作品にしてしまった。これはジブリにも責任があると思います。初監督なので様様なプレッシャーがあったとは思いますが、お客さんは映画館にはお金を払って見に行くんです。これはTVで初披露目をしたほうがよかったのではないでしょうか。
猫の恩返しは初々しさに溢れていました。絵の上手さやジブリ色ではなく吾郎さんのジブリを見たかったと、残念に思っています。黒いドロドロした表現が定着してきた感がありますが、そろそろ新しい技法も見たいなぁと思いつつ、次の作品には期待してます。吾郎さん、頑張ってください!
06年夏興行成績多分2位ビジネス的に成功を約束された、ジャパニメーションの最高峰作品ってどんなもんなんだとの興味で鑑賞しました…以下かなり偏向した感想です。
親殺しの冒頭が偉大な作家を父に持つ吾郎監督にだぶり期待を持たせるも
その後ストリーに何の進展・複線になっていず、膨らんでいかないのは何故?
↓ストーリー展開・人物描写に否定的も、映像・作画を流石ジブリと評価なさってる方が多いけどそんなに素晴らしかったか疑問。
狼に襲われる砂丘?シーンはあまりのも平坦で惨い。別に3D・CGアニメにしろとは言わないが昭和時代のTV放送アニメ並み。
ゲド曰く「バランスが重要、力の一方的な行使は世界のバランスを崩す云々」は最近の米国批判かと一瞬感じるも、以降「命」が云々と力の行使とバランス問題は深堀されず中途半端。
何故、ゲドはアレンを旅の道連れにし、危機から助けたのかよくわからず。アレンの悪夢シーンはゲドからの性的暴行を暗喩してるのか、(下世話な印象だが)ゲドって少年偏愛の異常性愛者なのかと思っちゃいました(笑
前作「ハウル〜」でも感じたが、有名俳優を声優として使うことに疑問。
どうしても俳優本人のイメージが前に出てきて嘘臭さを感じてしまう。
特に個性的な声の倍賞美津子・菅原文太にその傾向が強く、反面田中裕子は声の特徴を殺し役作りに徹していたと思う。
「永遠の命を望むのは生きることを否定すること云々」ってロジックはかなり独善的で強引、観客の大半がついていけなかったんじゃないかな〜。
で、あの龍はなんだったの? 何を暗喩してたの? 40代♂には理解できませんでした…でもビジネス的には成功作品なんだろうね…
吾朗監督がすべてオヤジの真似をしても良い作品になるとは
限らないわけで
総合評価もこのアニメーションは高いlvの部類に当然入る
面白さ・感動・すごいアクション・剣と魔法とか、ロード・オブ・ザ・リングみたいなものを期待してると落差に何だコレは!ってなるかもしれない。それくらいにテンポも微妙な映画ではあるけれど、それは原作になるべく忠実であろう、味を付けすぎて素材を損なわないようにと苦心した結果だと思われます。
コメントをざっと読んでいると、駄作と一刀両断している方が多いのがとても残念です。
宮崎駿ファンでこの映画をこき下ろしてる人は、駿氏のコメント「素直な作り方でよかった」の意味を考えてみるといい。
ナウシカの原作、そしてゲドの原作を読んで、宮崎駿が映画化を断った経緯など知っているとよりいっそう楽しめます。が、そうでないと舞台の背景とかがよくわからない、という敷居の高さが受け入れられにくい理由かもしれませんね。
2時間というとても限りあるスケールの娯楽映画でディテールにこだわると肝心の内容がおろそかになってしまうので、そこは監督のバランス感覚に拠る所が大きい。初監督ということで未熟さを感じることはあるかもしれませんが、長大な原作から切り取って凝縮し映像化された物語を楽しむと良いと思いますよ。
正直なところ「命を大切にしないやつは大嫌いだ」という台詞は、スレた大人になってしまった僕にとっては、チープな映画を予感させられるものでしたが、命が軽視されるような事件や娯楽作品が氾濫する昨今にあって敢えてこう言わせたかった監督の気持ちもわからんでもないなぁと思ったりもしました。
やはり息子、良くも悪くも、父駿氏の影響を受けてるんだなーと思うところはありました。アレンの台詞、アレンの不気味な表情やクモの最後など、宮崎映画では馴染みがないがナウシカ原作では見覚えのある感じでした。
テルーにクモを焼き殺させたことをあってはならないと評するコメントがあったが、テルーが呼び込んだ竜カレシンがアスペンを焼き殺すという話があった。映画のクモが原作のクモとアスペンに相当するので、より分かりやすい終わり方として竜に焼かれるのは自然な流れだと思う。石垣の向こうまでいくならあと2時間は覚悟しないと。
ただ、「ゲド」であることと「ジブリ」である事を含めると絶望的に駄作。
でも、背景の絵が止まっているのは何故?
テーマとして難しすぎると、だったらアクションと画像で凝ってくれたらいいです。
観ててワクワクはしなかったです。
上映途中で出ていくお客さんも、ちらほらいました。
疑問に思うところも沢山ありました(私は原作を読んでません)。
こわい(気持ち悪い?)ところも…。
映画館で観なくてもいい作品だなと思いました。
この作品、大作でも何でもありません。
初々しすぎます。こんなのインターネットの動画でいいよ・・・
絵は、少年漫画みたい。とくに、気性が荒くなった時のあの目。ほとんど点です。もっと丁寧にしてもらいたい!
駿監督を深いとするならば、この人のは浅い。
後に出来ても、観ないと思います。
ないでしょうか? 宮崎駿氏のコピーではない、絵の作りは人物配置にゴローさんの独自のスタイルがあります。 細かい所に稚拙な部分を見せながら、映画自体はこれで成立しているし、私は結構感動しました。 原作ものを往々にして、映画化後に、比べる方も確かに多いのですが、ならば原作を楽しみ映画にそれを引きずってはいけないと思います。これは別の芸術なのです。 ルグインが納得してokをだしているのです。外国でどう評価をうけるかなど全く愚の骨頂です。 我らが日本の有望な新人作家の足をひっぱらず。次にくる作品を又期待したいと考えます。 結構うるっときたシーンありましたし。
原作者としては、内面描写に優れたジャパニメーションの伝統に期待したのかもしれないが、この難事業の監督に、何の経験もない宮崎二世をおだて上げて、担ぎ出してしまったプロデューサーの罪はあまりにも重い。お父さんだって、長い下積み仕事あってこその、現在の演出力ではないか。結果は、才能は遺伝しないという冷厳な事実を再確認したのみ。まず第一に責めを負うべきは、無茶苦茶な欲張りすぎのシナリオだろう。第3巻ベースとはいうものの、全5巻からおいしい要素を残らずかき集めた上に、父殺しという重いテーマまで背負いこんでストーリーを完全に破綻させてしまった。ところが、ストーリーが至る所、説明不足だというのに映画がどうしても手放そうとしないのは、『ゲド戦記』名セリフのオンパレード。名作の映画化に求められるのは、原作の精神を映像で表現することであって、原作のセリフをそのまま喋らせることではないはずなのに、ここでも致命的な勘違いを起こしてしまっている。かくしてストーリー進行上、どうしても欠かせない必要最小限のアクションと一部のグロいシーンの突出(これ自体は少しも否定しない)以外は、単調なカット割りでの延々たる説教のタレ流し。宮崎駿アニメだって毎度、説教臭いが、あちらには少なくともそれに見合うだけの見せ場があった。
一方、原作の第3巻末尾での対決は、ゲドが相手に「不死であること」の無意味さを悟らせるという話であったはずだが、それでは見せ場にならないと考えた日本のアニメ製作者たちは容赦なくラスボスを焼き殺してハッピーエンドにしてしまう。しかも手を下すのは、原作では第4巻以降の人物で、ゲドの後継者にして、ある意味では男性たる彼のアンチテーゼとなるべきテルーではないか。原作者が三部作完結後、18年もしてからあと二冊を書き足したのは、言葉=知=魔法が男性の手に独占されている第3巻までの世界を撤回とまでは言わぬまでも、少し相対化したかったからだと言われている。つまり、ゲドだって敵を焼き殺したりするはずはないが、ましてテルーがそんなことをするなど、絶対にあってはならぬ話である。すべてを承知の上での確信犯的改変とは到底思えないが、結果としてこれでは原作者の思想の全否定、ル・グウィンのフェミニズムに対する悪意あるアイロニーと解されても仕方がない。ああ、無知であるということの何たる罪深さ。(できれば存命中に見せたくなかったが)原作者の反応や海外での反響が、ただただ怖い。
作り手は誰かに分かってもらいたいと、少しでも思っていたのだろうか?
色んな謎を残すのが悪いのでは無い。謎が心に残り、考えるきっかけになるのなら無駄ではなくなる。この映画の謎は心に残らない、不快なだけだ。
これを世の中に出していいものかと、そんな議論はジブリの中では無かったのだろうか? もしそうなのなら、病んでます。
子供を連れて行かなくて良かったと、心底思いました。
この世の均衡だの、生き方だのとメッセージ性、道徳性がとても高い映画です。だからこそメッセージの伝え方には気を付けないとNHK教育みたいになってしまうのに、、、、
伝えたい事を単に登場人物に主張というよりもはや解説させている。何か問題などが起こるたびに連呼させておりウンザリする。
それとテルー役の声優は下手だ
人の意見は参考程度にして、自分の眼で観てみるべきだと思います。
ジブリファンには不評のようですが この映画を見て
生きる意味を見つけられる人がいると思います。
「真の名前」と「影」その魅力(誘惑?)いえ魔力?
なんだかまたゲドに会いたくなってしまう。そんな
奥のふか〜い、力強い、素晴らしい作品です。
あの難解なル=グウィンの世界をこういう形でつくり出す
なんて この監督のファンタジー度は凄いですね。
たぶん あと2回は見に行くと思います。ちなみに私は
アニメは本当は見ないのですが ハマりました!
まあ、技法はパクリと言えばパクリですが、ジブリらしさと言えばそうでお父さんに対するオマージュというか・・・。まあ、難しい言い方はいろいろありますが、ジブリ作品(宮崎作品)を見ている人には「ああ、これあれだ」と思ってニヤリ(とするかパクリ!といらだつかは見た人次第ですが)とできるのではないでしょうか。私は楽しめました。
テーマは「いのち」の大切さでしょうか。死ぬことをおそれているのではなく生きることをおそれているのだ、というセリフが何カ所かにでてきましたが、うんうんそうそう、と思いながらそういったテルーのセリフや、最後に剣がぬけるシーンなんかは、ちょっとジーンときました。
確かに千尋のように絵の緻密さやカラフルさはありませんが、そこがまたなんとなくナウシカっぽいというか。でも、動きなどはジャンプした後バランスをとるジムシーとかを思い出して、ふふ宮崎っぽい動き、と思ってみました。
まあ、映画を見て興味がわいて、ゲド戦記の原作をそろえようと思ったら、なんと7冊もあるんですね。コツコツ読んでみようと思っています。
何よりも、従来のジブリ作品のような豊かなディテールがなく、背景となる物語世界が構築できていない。また、ストーリーの連続性も肝心なところでたち切られている。(たとえばテルーがアレンに心を開く過程やアレンが恐怖を乗り越えていく過程の心理描写がない。まるで粗悪なRPGゲームのようだ)。映画のポスターや冒頭のシーンなどで竜が物語に重要な意味を持つかのように期待を抱かされていたが、結局、竜が登場するのは最後だけ。何を意味するのかよく分からなかった。
つまるところ、吾朗ちゃんは物語のなんたるかをまったく理解していないのだろう。「日本沈没」といい、日本の映画業界は観客をなめすぎている。
私としては意外によかった。映画としてどうこうと書きたいところ
ですが、この作品は、あえて脚本的にも登場人物の背景をはしょっている
ように感じるし、均一の雰囲気で映画は貫かれている部分が多い。
もちろん、未熟な感じもしますが、パクリではないと思う。パクリどころ
かそういった宮崎作品の流れを守っているだけのように感じる。
いずれにしてもこの作品を少しでも良いと思う人は映画を見ていない人と
いった暴言を吐いている人がいるようですが、それこそ暴言なのでは。
皆さん、感じ方が違うしそんな言われ方をされる覚えはないと思いますよ。
あれこそ難解で分かりづらいアニメ映画の極地でしょう、
ジブリというスタジオは、元々は難解なアニメを作っていたスタジオじゃないんですか。
私は子どもの頃見たときは何が面白いのかさっぱりわかりませんでした。
ゲド戦記がつまらないと感じる人はジブリの映画が面白いと感じない年齢になったんじゃないんですか?
安っぽい例えをすれば、若手のお笑い芸人ついていけなくなった歳、
ダウンタウンがなにが面白いかわからないと言っていたオッサンにあなた方もなったんですよ。
それに気づかない愚かさ、
3D映画の登場でミーハーなあなた方は、そちらに好みが移って2Dアニメでは満足できないんでしょう、
世間の話題に付いて行かなければという脅迫観念か、
つまらない映画レビューを書くためのネタ探しなのか知りませんが、
ジブリを批判する前にいい年こいてアニメーション映画を見ている自分の行動に疑問を持てばどうですか?
そして自分は映画をたくさん見たから面白い映画を見分ける能力に長けてると思いこんでる、ド素人バカ映画評論家にはウンザリです。ド素人が映画を何千本、何万本見たところで、自分好みの映画だけを面白いと感じるド素人になるだけというのにね。
王子の背景も最初突如王を刺し、最後辺りで「死にとり憑かれ生きることから逃げていた」みたいにクモとともに認識するわけですが、2重身の部分は原作の1巻のゲドが体験した魔法の失敗ですし、王子=クモ=ゲドなのかなんなのか? 大儀もなく王が王子を殺すなんてどうなの?というか政変でも起こそうとしてるのかと思ってしまう。
ここでなんの生きる目的もない青年が親を殺してしまう最近の事件とファンタジーの王と王子では落差がありすぎるというところかな、出発点として。
またドラゴンが命であるというのもただ最初人間とは生息圏が違うという説明がなされる動物がなぜ突然=命なのか?
「千と千尋」だったら龍=少年=昔遊んだ川で自然の具現化として大きさを示せていたが今回は奴隷=「命を大事にしない奴は嫌いだ」(セリフ)=龍というあまりにも観念的すぎてドラマとしてのダイナミズムを感じることはできなかった。
現代での真っ当な生き方というのも果たして都会の偽物や麻薬を売っている人間から離れ、質素な農家の生活がそれなのか?といえば疑問であるし、以前の駿作品で否定されたはずである。
よってこれは物語として監督の脳内で全6巻補完されつつ2時間映画にされ、現代を射程しようとしたが駿作品の先の答えを提出することはできずに提出されてしまった作品といえるのではないか。
作画品質に,音楽,その他に関する不満はさしてないのだが….
ただ,きびしい言い方になるが,
原作:アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』シリーズ
原案:宮崎駿『シュナの旅』
と聞くと,「一体どこが?」という慨嘆が漏れるのは当然のこと.
細かな点をあげればキリがないほど未成熟な作品でいちいち挙げようかとも
思ったが,あまりに多く(重箱隅み突つきのようになってしまうのもあって)
やめることにした。
確かなことは,「親の七光」と呼ばれないためにはもう少し無難な作品から
手がけ,実績を積んでから取り組むべきであったろうことだ.
未経験で大してうまくもない製作者に大作を預けるほど,東宝があまければ
別だが,宮崎長男の行く道は本作で「茨の道」になったのは確実だろう.
それはさておき,原作・原案を考えないでも,デキはけっしてよろしくない.
結論や謎解きがないことが問題ではないのだ.(名作にそのような作品は山
ほどある)キジビシイ言い方だが,まとまりが悪くカタルシスがないのだ.
悪しきにつれ悪しきにつれ,父親と比較されることは覚悟の上であったはず
である.ジブリ側でブレーキをかける人がいなかったのも人がいない証明な
のだろうか.
単なるアニメーションとしては,ギリギリ及第でも,期待されていた「宮崎
アニメ」としては落第である.
(「ゲド戦記」の製作としては,「落第」どころか「不受理」である)
この教訓を,吾朗氏ではなく,ジブリがどう受け取るか今後を注視していた
い.(今後しばらくは「吾朗氏」を製作からハズスのは当然の社会的義務で
あるにせよ…)
作画と動画には、まあこれもいつも通り拍手を送りたい。
しかしシナリオはやばいくらい駄目だ。
誰ぞ「もの申す」的な人はスタッフにいなかったのだろうか。
全くココロに染み込んでこない台詞。
観客を置き去りにして進んで行くストーリー展開。
未解決、説明不足。
人物描写の拙さ。
そして何より、
「俺はこれを表現したいんだ!」
といういち表現者としての意欲の感じられなさ。
完全に駄作である。
正直、映画を観ている2時間が色んな意味で苦痛でしかなかった。
制作してた頃って、子供も大人も楽しめる良い作品を作ってたのに、
なんか『もののけ姫』以来、どうも違って来ちゃってる。
なんか楽しめない。 『ゲド戦記』も“ふ〜ん”って感じ。
『ハウル・・』のキムタク、今回の岡田とジブリ+ジャニーズは、
大失敗・・・ 主人公の男の子は全部、松田洋治でいいのに。
次は誰を使うのか? 山ピーか? 長瀬か? 亀梨か?
主人公がヤクザなら長瀬もイケるが・・・
『ロボッツ』のツヨポンはうまくいったけど、ジブリ作品じゃダメだ。
いっそのこと、専門の声優さんにすべてを任せたほうが、いいんじゃ
ないのかな? (文太は良かったけどね)
この作品ってテレビでやる程度のもので、果たして劇場用で
やるだけのものだろうか?
最初の10分くらいで飽きちゃって、後は退屈だったよ。
21:30から上映の回だったけど、映画館は満員に近かった。
予告編はかなり早い時期から流してたし、日テレでも、宣伝しまくり。
三矢サイダーでも、読売新聞でも『ゲド』『ゲド』『ゲド』!
宣伝効果の大成功での大入り満員で、日本テレビと電通は大喜びだけど、
客は喜んでないよ。
あらかじめ監督とオヤジサンの
やりとりとか予備知識を知ってないと
映画の存在自体わけわからん作品、といえませんか。
ゲドはユパさまやし、城の屋根の追い詰めシーンは
コナンとレプカやし、兵隊はトルメキアか
インダストリア兵か。城に登るのは長靴かカリ城か。
わざとやってんかな。
24時間テレビのスペシャルアニメででもやっとけば
これだけ批判もなかったんちゃうかな。
近くの席の小学生がたいくつしてたのが
象徴してますが。おもんないっちゅうねん。
一見、観念的なシナリオも、原作から借りてきた言葉の表層的な羅列に終始している。親に刃を向けたエヴァンゲリオン・庵野のような精神病表現にも興味をみせているが、それも中途半端なままで、義理の息子にも完全に負けてしまった。悪いことは言わない。足を洗ったほうがよい。
馬鹿な神輿を担いだプロデューサーもA級戦犯だ。
子供の頃に「風の谷のナウシカ」をみて感動した、あの時の思いと同じ感動がありました。
登場人物それぞれの目的や気持ちが、直接的に、時には間接的に示されていて、小学生・中学生ぐらいの子供にはきっと胸に響くものがあったのではないでしょうか。
でも、未就学児童や、石頭の大人にはたいくつで、つまらない映画かもしれません。
まず、この映画をちょっとでもいいと思える人は全く映画を観ていない人だと思うので、他にいくらでもこれより時間が短くて面白い映画がありますよとだけ言っておきます。
最近、よくある病んだ精神が作った病んだ映画ですね。これと『日本沈没』と今年の大作邦画は壊滅的な出来ですな。この2本のせいで映画人口は減少するのでは?
「千と千尋の神隠し」以降ジブリアニメには愛想をつかしていたけれども、本作はそれを決定的にしました。
問題を挙げたらキリがないとはまさにこのこと。まず、序盤から壮大な物語展開を予想させるシーンから始まるのだが、本編が描いてることは、言うなれば、ただの内輪モメの収拾。
当初は大賢人ゲドと主人公アレンなどが、竜、王国など様々な要素を孕みつつ展開する“戦乱”に巻き込まれていくんだろうな、と思っていたが、見事に裏切られた。感情移入できない登場人物の日常をわけもわからず見せられ、まったく展開運びに大きな動きがない進行。開始1時間を過ぎてもまったく見えてこない壮大さに正直うんざりした。もちろんその後の展開もいたって普通でわかり易い。序盤のあのシーンはなんだったの?という疑問を投げかけても答えは返ってこない。まさに八方塞の不出来映画。
父親と決定的に違う部分、それは「イマジネーションが足りない」という部分だろう。宮崎アニメのいいところは、1カット1カットを全力で作っているところだ。そして、数分間に1回、もう感服するようなワクワクやドキドキがある。それが連鎖して、えもいわれぬ、感覚、満足感を味わえる。宮崎駿のイマジネーションで構築された独特な世界観、マシンのデザイン、小道具ひとつ取っても見入ってしまうし、街並みひとつとっても、隅々まで見てしまい、「ここに生きている人たちをもっと見たい」と感じる。しかしこの作品は絶望的なほどそれが足りない。というか皆無。
心の隅をかき回すようなワクワクはまったく得られなかった。そして、大事なところはちゃんとセリフで言わせてしまう始末。もうこの辺りになってくると、どうでもいい。こんな作品で“ジブリ””宮崎アニメ”という看板を掲げ宣伝していることを遺憾にすら思う。http://sabuchan0605-id.hp.infoseek.co.jp/index.htm
それは面白いからである。
当たり前だが、忘れ去られることも多い。
品のないテレビのバラエティ番組などの面白さとは一線を画す、心打たれるような感動を伴う面白さ、これこそ映画の醍醐味であろう。なにより息をつかせぬ面白さ、そして見終わったあと、人生や正義や愛や命などへのメッセージが滲み出てくるのを感じたとき、その映画は傑作と呼ばれるようになるのだろう。
そのような観点からゲド戦記を振り返ると、明らかに面白さが欠如している。生と死に関するメッセージを単に主人公たちに喋らせるためだけに、映画がつくられたように感じる。これでは、映画、ましてやアニメにする意味はなく、原作の解説本でも読めば十分となる。監督が原作を読んで感じたメッセージ性を「生」のまま、伝えようとしているが、明らかな間違いだ。
2時間の暗がりでお金をとって演じられる映画の意味やあり方を宮崎吾郎監督はもっと考えるべきだ。
そんなに難しいことではない。
黒沢明の映画のうち、「七人の侍」「用心棒」などの傑作と言われるものやあるいは、父である宮崎駿氏の「となりのトトロ」や「天空の城ラピュタ」などの傑作は、まず何より退屈させない面白さや工夫に充ち満ちているということに気づけばいいだけのことなのだ。熱い自分の思いだけをダイレクトに表現する映画を監督の自己満足映画といい、別名、金返せ映画というのだ。父はやはり、もっと息子を鍛えて監督させるべきだったと思う。
背景の色使いや効果音、キャラの細やかな動きなど現場制作スタッフの頑張りは伺えましたが、基本的なデザインの構築や登場人物の内面の作り込みがかなり手抜きのような気がします。製作開始段階での企画トップスタッフの力不足と言ってもいいでしょう。
カタルシスを生む覆線も乏しければ、様々な議論を呼び起こす謎かけも無し。全体として厚みに欠ける中途半端な演出では、申し訳ないけど「オヤジさんなら…」と思わず口にせずにはいられません。
まず正直言って本作は失敗作と感じた。といっても同時期公開の「ブレイブストーリー」などよりクオリティは明らかに高い。
今回は宮崎駿監督の息子の宮崎吾朗初監督作品でどれだけ父親が協力しているのかと思っていたのだがほぼ協力はなかったように感じる。
まずキャラクターだがアレンの追い詰められる表情はエヴァンゲリオン劇場版のアスカの表情でありファミリー映画としてはあまり良くないと思う。クモのラストシーンも変化するのだが子供から見ると気持ち悪いという造形である。
次にキャストだが岡田准一はまあ違和感なし、田中裕子はまったく問題なし、風吹ジュンは気になる場面が少しあった。菅原文太は問題なし、一番下手なのは新人の本作の歌も歌っている手嶌葵と思う。なぜ採用したのかなあ?ジブリ作品は以前より思っているがもっと役者より日本の優秀な声優を使って欲しいというのは相当前から意見が多い。
映像はジブリのキャラクターをそのまま使っているが最初の狼が襲うシーンの荒い映像はびっくりした(たいへんひどい)。あと宮崎作品にはある空中での浮遊感は宮崎駿とは比べ物にならない出来。
ストーリーは「龍の共食いが始まっている」「人間がおかしくなってきている」などの問題定義とスケールの大きさをオープニングで見せているがそれがその後なんの関係もなくなってしまっている。アレンが父を刺した原因もはっきり明かしていない。原作の魅力や問題定義の半分も描かれてないように感じる。
結局ジブリ作品は宮崎駿監督作品のみしかヒットする作品は作られず後継者も現れないのがアニメ界にはたいへん残念な事実であろう。宮崎吾朗監督は今後どうなるかわからないがもっと父親から勉強しまたチャンスを得られその時は今回の作品とは比べられない良い作品を提供して欲しいものである。