グラン・トリノ(2008)GRAN TORINO
【クレジット】
【解説】 「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」の巨匠クリント・イーストウッド監督が、自ら主演して世の中に怒れるガンコ老人を演じた感動の人生ドラマ。急速に様変わりしていく世間を嘆き、孤独に生きる人種差別主義者の偏屈老人が、ひょんなことから隣人のアジア系移民家族と思いがけず交流を深めていくさまを、哀愁の中にもユーモアを織り交ぜつつ端正な筆致で綴ってゆく。 長年一筋で勤め上げたフォードの工場を引退し、妻にも先立たれた孤独な老人ウォルト・コワルスキー。いまや、彼の暮らす住宅街に昔馴染みは一人もおらず、朝鮮戦争帰還兵の彼が嫌ってやまないアジア人をはじめ外国人であふれる通りを目にしては苦虫をかみつぶし、亡き妻に頼まれたと、しつこく懺悔を勧めてくる若造神父にも悪態をついては追い返す日々。自宅をきれいに手入れしながら、愛犬デイジーと72年製フォード車グラン・トリノを心の友に、お迎えが来るのをただじっと待つ退屈な余生を送っていた。そんなある日、彼が大切にする自慢の庭で、隣に住むモン族の気弱な少年タオと不良少年グループがもみ合っているのを目撃したウォルト。彼らを追い払おうとライフルを手にするが、結果的にタオを助けることに。タオの母親と姉がこれに感謝し、以来何かとお節介を焼き始める。最初は迷惑がるものの、次第に父親のいないタオのことを気に掛けるようになるウォルトだったが…。 【吹き替え】
【ウェブリンク】 【おすすめ作品】
【ユーザー評価】
下記フォームからあなたのこの作品に対する採点を投票してください。 【受賞履歴】 (■=受賞、□=ノミネート)
【ソフト】
【ニュース】
【その他のおすすめ】
インタレストマッチ - 広告の掲載について
グラン・トリノ をamazon.co.jpで検索【DVD】 グラン・トリノ [DVD]2009-09-16¥ 3,980円 → ¥ 990円 中古: ¥ 1,350円 【DVD】 グラン・トリノ [Blu-ray]2009-09-16¥ 4,980円 → ¥ 2,466円 中古: ¥ 2,530円 【DVD】 白い肌の異常な夜 通常版 [DVD]2009-07-08¥ 4,935円 → ¥ 3,948円 中古: ¥ 4,361円 【Toy】 ブロマイド写真★映画『グラン・トリノ』クリント・イーストウッド→ ¥ 950円 【Toy】 【映画プレス】グラン・トリノ クリント・イーストウッド中古: ¥ 1,000円 【Book】 ユングのサウンドトラック 菊地成孔の映画と映画音楽の本2010-01-09¥ 1,890円 → ¥ 1,890円 中古: ¥ 2,090円 【Book】 クリント・イーストウッド:レトロスペクティヴ2010-03-26¥ 4,830円 → ¥ 4,830円 【Book】 キネマ旬報 2009年 5/1号 [雑誌]2009-04-20¥ 890円 → ¥ 890円 中古: ¥ 149円 ![]() |
注目のDVD ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE. [Blu-ray]2010-05-26¥ 6,090円 → ¥ 4,507円 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE.[DVD]2010-05-26¥ 5,985円 → ¥ 4,429円 ヴィターリー・カネフスキー DVD-BOX2010-04-24¥ 12,600円 → ¥ 9,324円 2012 エクストラ版 [DVD]2010-03-19¥ 2,980円 → ¥ 2,184円 2012 ブルーレイ&DVDセット [Blu-ray]2010-03-19¥ 3,990円 → ¥ 2,925円 空気人形 豪華版 [DVD]2010-03-26¥ 6,300円 → ¥ 4,618円 スペル Blu-ray2010-04-23¥ 4,935円 → ¥ 3,651円 スペル コレクターズ・エディション [DVD]2010-04-23¥ 3,990円 → ¥ 2,952円 空気人形 [DVD]2010-03-26¥ 3,990円 → ¥ 2,925円 「桑田佳祐の音楽寅さん~MUSIC TIGER~」あいなめBOX [DVD]2010-03-31¥ 18,900円 → ¥ 13,853円 ソウ6 アンレイテッド・エディション [DVD]2010-03-19¥ 3,990円 → ¥ 2,925円 ゼロの決死圏 [DVD]2010-04-23¥ 3,990円 → ¥ 2,925円 絞殺魔 [DVD]2010-03-26¥ 3,990円 → ¥ 2,925円 96時間 [DVD]2010-03-05¥ 3,990円 → ¥ 2,925円 シビルの部屋~ヤング・エマニエル~【ヘア無修正】 ニューマスター版 [DVD]2010-04-02¥ 2,940円 → ¥ 2,176円 襲われた幌馬車 [DVD]2010-05-21¥ 3,990円 → ¥ 2,953円 0号室の客 DVD-BOX1(3枚組)2010-03-10¥ 9,450円 → ¥ 6,993円 劔岳 撮影の記 標高3000メートル、激闘の873日 [DVD]2010-03-21¥ 4,725円 → ¥ 3,464円 火天の城 [DVD]2010-02-21¥ 3,990円 → ¥ 2,952円 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



![グラン・トリノ [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41lxFL2xIYL._SL160_.jpg)






9.20![グラン・トリノ [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41lxFL2xIYL._SL75_.jpg)
![グラン・トリノ [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51WOzxdBWWL._SL75_.jpg)
![白い肌の異常な夜 通常版 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/514upt2qH%2BL._SL75_.jpg)




![キネマ旬報 2009年 5/1号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51EREZctofL._SL75_.jpg)



















このデータベースのデータおよび解説文等の権利はすべて株式会社スティングレイが所有しています。
泣いたね
男だね
床屋での会話の練習最高だった
なんでアカデミー賞とらなかったんだろ
(しかも80近い老人ですよ、全国のお年寄りの男性もこれを見たらもう一度立ち上がるんじゃないですか?)
信念と誇り、愛するものを守る本当の強さ・優しさ、ケジメのつけ方・・など、自分のことしか考えないみっともない輩(もちろん私も含め)が
増えた近年、真の男の美学とは何か、人間の尊厳とは何か、改めて考えさせられる映画でした。
ミリオンダラー・ベイビーでもそうでしたが血のつながりよりも心の絆から赤の他人のために立ち上がる
、という本当に往年の西部劇のスタイルですが、いつものように戦争体験とか人種問題、老いや孤独との向き合い方など社会ドラマ的な
側面が複雑な味わいを高めています。
古いといわれようとも名誉や気概を重んじ無礼や恥を嫌うところや決闘に向かう前の身の清め方とか、日本の武士道にも通じるカウボーイ道
のようなものを感じました。
この映画、イーストウッドの歩んできた道や恐らく最期の主演作となる事なども踏まえるとあまりに深くて簡単にコメントできないですが、
「カサブランカ」や「真昼の決闘」と並ぶ、いやそれ以上価値のある、少なくとも自分にとっては近年で一番、感動した映画です。
きっとこれから折にふれ何度も見直すことになるでしょう。
そういう映画が名作だと思うのです。
アメリカ最期のカウボーイ イーストウッドよ永遠に。
見事に三振喰らってしまいました。流石でございます。ありがとうございました。
グラン・トリノ…1972年型2ドアファストバック〜V8コブラエンジン搭載なフォード社製の車。
朝鮮戦争で勲章を貰いフォードで製作に関わったクリント…いやウォルト自慢の車。
最後に炎のペイントにするな!とか出てくるが、野村義男も確か野口五郎にフェンダーのブラッキーなギターを貰ったのだがレインボーカラーにペイントしたら叱られたそうな。
元々異国人を苦々しく思うウォルトなのだが、人間の価値はそんな偏見で決まるものではない。
確かに習慣も違う、考え方も違う人間なので仲良くなるのはお互いに難しいが。
ウォルトも普通に子供の頭を撫でたら周りの人達から白い眼でみられたり。
それでも悪い人間じゃない同士、スーとウォルト(黒人版のゴロツキから助け出す)、そしてグラントリノに手を出してお詫びに奉仕しろ!って一族の強い女達に命令されるタオとウォルト、息子家族(の合理主義?と新人類ぶり)に辟易してる彼ですが殆ど友達化して何かと助けになろうとします。逆に彼らがウォルトの心を溶かしたとも言えますが…頭でっかちな神父でなく。
そんな彼女が……俺の行動が裏目に出たのか?
イタリア系バーバーとの練習?で男らしく?なったタオはいきり立ちますが、彼は冷静に計画を考えろ!と諭します。
アイツらがこの街をウロウロしている限り、彼女、そしてタオに平穏はない。
クリントは彼らの元へ…………号泣!
スラムドッグ〜は未見だが、最近のイーストウッド作品は映画としての格が桁1つ違う気がする。
勿論、お馬鹿結構、アクション結構、エロ作品もまた結構。が、映画ファンたる者、もう彼の作品は駄作だろうと名作だろうと見逃す訳にはいかない。そんな領域に踏み込んでいる気がする。
話の内容は偏屈な人種差別主義者の老人とモン族の青年との交流。
神父に「何も知らない27歳の童貞野郎で、信仰の厚い年寄りの女どもを「永遠の命がある」と騙している」と毒づくセリフが面白かった(最後に毒づかれた神父がそのセリフを言う演出も良かった)。
フォード工場でずっと勤めていた父親と日本車の営業をする息子というシチュエーションが面白かった。
イタリア人の床屋との毒づき合戦が面白かった(あとでモン族の青年を連れてきて「男の話の仕方」を教えたり、最後にモン族のギャング団の所に乗り込む前に髪だけでなくヒゲもそってもらって20ドル(いつもは10ドル)渡す演出(いつもは罵り合っているけれどホントはとても仲が良いという感じがよく出ていた)が良かった
最後まで主人公はモン族のおばあちゃんには嫌われていた(モン族の言葉なのでおばあちゃんが何を言っているかは主人公には分らない)という演出が面白かった。
黒人にモン族の女の子がからまれているのを主人公が助ける演出(最後のモン族のギャング団の所に乗り込む時にもバリエーションの少し違う同じ演出が繰返される)はイーストウッドアクションの独特の緊迫感(ダーティハリーで銀行強盗する黒人に銃を向けて「何発残っているか考えてる」というシーンのような緊迫感)があった
主人公が誕生日に息子とその奥さんがケーキを持ってやってくるが、それと一緒に老人施設入居のパンフレットも持ってきて、主人公が息子とその奥さんを家から追い出す所がコミカルだった(その後、隣のモン族のパーティに誘われて食い物をいっぱいもらう所の和気藹々とした雰囲気とのギャップも面白かった)
モン族の祈祷師のおばあちゃんがいい味を出していた。
最初は嫌っていた隣のモン族達と主人公が徐々に仲良くなっていく感じがうまく描かれていた(モン族のギャングを追っ払ったお礼に花や食い物を階段の所にもってくるモン族の人達を最初は拒否していたのを受け入れるようになったり、モン族の女の子を黒人から助けて仲良くなったり、モン族の青年をあずかって、最初は樹にとまる鳥を数えさせるなど冷たくあしらっていたのに、徐々に家の手伝いをさせたり、仕事を紹介したり、最後にはデートに大事なグラントリノを貸したりと徐々に打ち解けていく感じが自然な感じで描かれていた)。
アイルランド人の建設業者に主人公がモン族の青年を紹介する所も、イタリア人の床屋と同様、口ではののしりあっているが本当は仲が良い感じが良く出ていた
モン族のギャングが働き出したモン族の青年のほっぺに根性焼を入れて暴行したのを知って、主人公がモン族のギャングの家に行って仕返しをする所もイーストウッドアクションの独特の緊迫感があった。
モン族のギャングの所に乗り込む前の、教会での懺悔がコミカルだった(妻に秘密で他の女とキスした事やボート買って税金を払わなかった事などどうでもいい事を告白した後、息子との齟齬の事を語りだす。)
モン族の襲撃を受けた後、主人公が自宅の中で暴れて(犬まで怖がって寄り付かなくなる。しかし静まると又犬が戻ってくる)、その後椅子に座ってタバコを吸っている時の部屋の暗さが、イーストウッドの作品によくある暗さでいい感じだった。
モン族のギャング団の所に乗り込むラストは、法の裁きを破ってスコルピオンを射殺した「ダーティーハリー」とは異なり、自分が射殺される事でギャング達に法の裁きで裁いてもらうというもので、法律を破るアウトローのイーストウッド像とはかなり違った結末だったが、2009年現在の時代やイーストウッドの成熟さや年のとり方を考えると結末としてはナカナカ見事な落としどころだと思った。
最初と最後が教会の葬式というのも、ストーリー展開の基本的な演出で良かった。
全般的に
イーストウッドの「偏屈で差別主義者だけど、口や態度ほど根はひどくない」という役柄がとても良かった。
隣のモン族の人達やイタリア人の床屋やアイルランドの建設業者など脇役の人たちも良かった。
隣のモン族の人達との交流も上手く描かれていて、異文化交流ものとしても面白かった。
神父への暴言やイタリア人の床屋とのやり取り、黒人とのアクションなど、観ていて「いい感じだなぁ」と思ったセリフや演出が、バリエーションを変えてもう一度繰返されて出てきたので、面白かった。
イーストウッド独特の緊迫したアクションもあるし、ラストも現在の時代背景(暴力では何も解決できない・暴力は野蛮という感じ)やイーストウッドの年齢や成熟さからは妥当な落し所だとボク的には思った。
演出がとても見事で、イーストウッドはいい年のとり方をしているとこの作品を観てボクは思った。http://mamaduke.at.webry.info/
DVDにて鑑賞。
まずキャスティングに拍手。
「トロ助」ことタオ君と、毒舌キャラのスーちゃんが実にいい。特にタオ君の前半のダメっぷり(あの寝癖!)と、主人公と触れ合ううちに変わっていく様子がすばらしい。
息子夫婦や孫どもも、そこにいるだけでイラッとするような俳優陣で拍手。
ものすごい童顔の若い神父のキャラクターも笑えた。
イーストウッドはまあ、いつもながらのイーストウッド。ジジイになってもかっこよくて強そうで、街のチンピラなんかに負けなさそうな、いかにものヒーロー。単に「息子や孫と折り合いが悪い孤独な老人」というなら、もっとしょぼくれた俳優のほうが良いんじゃねえか?というかこの主人公アクというかイーストウッド臭が強すぎて、映画として成立してなくねえか?と思いながら観ていたが、最後まで観て印象が変わった。
毒舌で皮肉屋だけど実は人情家のタフガイ、という主人公ウォルトのキャラクターは、これまでイーストウッドが演じてきたヒーロー像を意図的になぞったものだ。これは、俳優業を引退するイーストウッドが、自分自身が演じてきたヒーローに幕を引いた映画だ。
イーストウッド的ヒーローが、年老いてただ消え去るのではなく、最後の戦いに赴き友のために誇り高く命を捨ててみせる終幕を、イーストウッドは最期の出演作で自演し、すべてにケリをつけた。立派だ。
だから二度目の鑑賞では、大嫌いな教会で懺悔を済ませ、古い友人でもある床屋で髪を整え、自分の葬式用の背広を誂え、忠実な飼い犬を隣家に託す主人公の「覚悟」が泣けて泣けて仕方がなかった。
一本の映画としてみれば突っ込みどころも多々ある。が、個人的にはハリー・キャラハンやトム・ハイウェイといった、イーストウッドが演じてきたヒーローの最期に立ち会い、別れを告げる機会をもらえたような気がする。
「加川良の手紙(作詞:加川良)」というフォークソングの歌詞に出てくる。
♪ あの日の映画 ダーティ・ハリーはどうでした
君はニュースの方が楽しそうだったけれど
クリント・イーストウッドっていいでしょう
こんども学割で見られたらと思います ♪
そして、テレビ映画で何度か見たおなじみのアクション系アメリカ俳優と
して僕の頭の中にイメージされていく。
それにしても、最近の彼の俳優や映画監督としての活躍は、年齢的に言って
も奇跡に近いものを感じる。
今年79歳だ。
79歳にして、主演して監督して全世界を感動させてくれるのは、本当に
すばらしい事だ。
74歳の時に出演した「ミリオンダラー・ベイビー」(04)の時にも
「カメラの前に出るのは、これが最後になる」と語っていたが、本作で再び
彼はカメラの前に立った。
彼が監督した映画「グラン・トリノ」、その前の「チェンジリング」。
立て続けに、おなじような時期に続けて上映されたが、僕は両方の作品とも
楽しんで見れた。
「グラン・トリノ」は妻に先立たれたガンコで孤独な老人が、隣家のアジア人
一家と交流を深め、街のワルと対峙することになるというドラマ。
まずは、画面いっぱいにクリント・イーストウッド演じるウォルトの老人ぶ
りが堪能できる。たえず何かに苦しげにうなっているような呼吸、そして
顔にきざまれた無数のシワ。
しかし、その老人・ウォルトが街のチンピラに一歩もひけを取らないところ
がすがすがしい。
映画の面白さの一つに、隣家のアジア家族のおもいがけない歓迎のシーン
がある。
ウォルトがいくらことわっても、ことわっても、家にどんどんごちそうを
運んでくる。こんなお隣さんは普通は考えられない。
今は近所とほとんど交流のない僕としては、このシーンがちょっとうらやま
しくもあった。
映画は最初のユーモラスな雰囲気から、だんだん緊迫していくストリーに
変化していく。のんびりしたヒューマンドラマに終わっておらず、それゆ
え、ウォルトの決断したラストの行動も印象深い。
http://samech.web.fc2.com/dmovie/dsmove/mv090916.html
ウォルトは死にたかったわけではない。最後は怖かったにちがいない。・・・だから泣けてくる。
例えば、従兄弟率いるゴロツキ集団はどうしてタオにそこまで執着するのか。ただのイジメにしては悪質にも程があります。ましてや見たところ、大変結束の固いモン族同士。従兄弟と言うからにはお母さんかお父さんがきょうだいですよね。親同士の関係はどうなっているのか。
そして、あれほどタオの家に多くのモン族の老若男女が集っておきながら(ちなみに従兄弟率いるゴロツキ集団はそれにどうやら属していないらしい…)、タオの一家が大変な目に遭っているのに助けるのはお隣のウォルトだけ?あそこにいた人たちは何をしているんだ?どこに行ったんだ?
何度も言うけど、あれほど一族の繋がりが強そうに見えて、更に伝統と礼儀を重んじるように見えて一方で同じモン族の中にあれほどの犯罪集団がのさばっているのには違和感を覚えます。しかも一族の男性が誰もタオ一家の力にならないってのも摩訶不思議。異国の地に住まざるを得なかった少数民族って普通以上に強く結びつきそうな気がしますが。
更に、ウォルトという人間について。タオやスーと短期間でうち解けながら、なぜ実の子どもたちとお互いがどうしてここまで理解し合えていないのか。映画はあくまでウォルト目線で、「父親が望むことを全くわかっていない子どもや孫達」という設定だけどそれも不自然にも思えます。例えばずっと音信を途絶えていたというわけでもない。一応、会いに来ている。電話で話したりもする。なら、双方のコミュニケーションに問題があるんじゃないの?子どもたちだけのせいじゃなくてさ。まあそこは身内同士の甘えがあったと百歩譲るとしよう。しかしウォルトは最後、神父さんに「子どもたちとの溝」について懺悔しますが、結局遺言ではその子どもたちに対してなんら伝えるべきメッセージはない。死ぬまで子どもたちとの溝は埋まらず、というか埋めようと努力せず。そういう努力なしで、「孤独だ、誰もわかってくれない」と言っているとしたらそれはただのナルシスト。
そして、所々登場する不良集団の描写。黒人のワルに絡まれているシーンもありましたね。なんだか意地悪な目で見たら、主人公をヒーローたらしめるためだけにいかにもな悪い奴らを持ってきているように見えます。
あれこれとケチつけてしまいましたが、つまり、主人公を取り巻く人々の人間像の描写や、あるいは物語の必然性を産む細部の構築が杜撰に見えて、事件に至る背景やそしてこのウォルトという人間像にどうしても深みが感じられないのです。どうも設定だけが全てで周りの人々や状況の肉付けが薄い、特にウォルターの家族も含めて悪役全てにそれを感じます。結局、全てウォルター(=クリント・イーストウッド)を引き立てるために配置された人々にさえ見えて、分かりやすい一方、浅さを感じます。
しかしながら、毒舌を吐きながらも心に傷を負った孤独な爺さんと世渡りが不器用な心優しいアジア系少年、ともに好演ではありました。特にウォルトは生きていくために必要な智恵と技術も持っていて、とても魅力的な人物です。だからこそ、こんな魅力的な男性が、子どもたちとここまで理解し合えていないというのが不思議。そして一瞬ではありますが、ラストにウルッと来たのも確かです。その辺がイーストウッドの巧いところなんだな、と思います。このわかりやすさというのが。終わってみればウルッと来た自分がちょっと悔しかったりしますが。
そんな周囲の評価も高い本作に何故かしらケチをつけてしまう、主人公以上に偏屈な私です。
お前はまたつまらん色眼鏡でなんだ、って思われたりするのでしょうけど、まぁ聞いておくんなさいな。
イーストウッドの主演作って、ちょっとカンに障るトコがあって、どんな所かと言うと、"役に妙なイロがついている"時がある。
刑事役ぐらいだと、カッコ付けに見えるけど、他は役上での儲けどころって訳でも無くて、何だろ、イーストウッドって付加価値かな。
いつも気難しそうな顔して人を寄せ付けない、って芝居しているのに嫌われモンで居たためしが無い。 それでいて変なモテ方をしてる。
出世し始めの頃の「白い肌の異常な夜」や「恐怖のメロディ」辺りで何か本物の強烈体験でもしてしまったんですかねえ。
−例えばね−
「アルカトラズからの脱出」 何故だかイーストウッドに執着する特殊なホモが出現、濃い。
「ザ・シークレット・サービス」 悪役の目標が大統領では無く、大統領を狙う事で主人公を責める内容に変わる。
「目撃」 泥棒役なのにとうとう大統領より高潔な人物になってしまうイーストウッド。
「ブラッド・ワーク」 ここではイーストウッドの為に移植用の心臓を都合してあげて、更に隣に住んで見守るサイコ犯が登場する。 原作通りにしても変すぎ。
目立って印象に残ったものを並べてみました。 いずれも何故そうなるのか、の人物の奥行きが無い。 単に設定上と言うだけ。
良く言えばマネーメイキングスターのセルフプロデュースの範疇と言えなくもないのですが、露骨に見えてくる様だと僕はもうダメですね。
「スペース・カウボーイ」で仲間の犠牲を乗り越えて帰還し、地上では妻も待っているはずの主人公が意地でシャトルを着陸させたりしているのを見て、ああ、いつものアレですか旦那、とつい鼻白んでしまいました。
で、この点を突き詰めて考えると、今度は死生観が浮かんでくる。 勇気を示して命を懸けて、それで立派な死に方が出来れば良い、って考え方だ。
「硫黄島からの手紙」では人の散り様を描き出し、「父親たちの星条旗」では戦死出来なかった英雄は人生を転落していく。
その点本作では、いや、全くカッコ良く立派に散ってました。
ああ、なにか本気で嫌味を書いている様にも見えますね。 ダメな映画じゃないですよ、見所はあります。
悪口が小気味良かったですね。 "トロ助"って訳もなかなか良いんじゃないでしょうか。 自分の世界は敷地内だけ、そんな老雄がゴロツキ共に、芝生に入るな、と銃を構えるところで観客の見たかったイーストウッドが前面に出る。
モン族の姉弟と互いに関心を持ち合って絆は深まるが、意外にも血族と言う括りはバッサリ切り飛ばしてます。 姉弟の敵ですら同族ですからね。
主人公が余命を悟り息子と連絡しても何も発展しません。 向こうはマジックハンドや老人ホーム案内など出してくる。 自分の都合で人の心配するようなヤツは相手にするな、と言ってます。 鍛えるに足る人間を探して、自分が大事にしているもの、グラントリノの様な古き良きもの、価値のあるものは託す相手を選びなさい、とも言ってます。 世襲をさもしく手放したがらない日本の議員が何だか恥ずかしい。
映画史上もっとも優しい衝撃のラスト、なる惹句を見かけましたが、意味は定かじゃ無いけれど違和感持ちました。
主人公は、先ず指鉄砲で構えて威嚇して、次には本物を抜く、終いには引き金を引く人間なのが前提。 で、あの末期を迎える。 厳然として銃で決着を付けたラストなんですよ。
ドン・シーゲルが生きて監督してくれたならもっと高揚するものがあったかも知れません。 本人がキレイに散り様を演出して、エンディングはタオの駆るグラントリノが映ると、そこへ感じ入れもたっぷりなイーストウッドの歌が、
"いつの日か遠く〜大地を踏みしめ〜俺のグラントリノ〜孤独なオレのハート〜オーゥナイトロオゥ〜ン♪"と入ると、周囲から感動の拍手が起きまして。
そんな劇場の座席にあって僕は、眉間に寄っていく皺をどうすることも出来ないのでした。
さて、「奴ら(タオの「クソッタレ従兄」、スパイダーこと、フォンを始めとした、「ネズミども」/「モン族のチンピラ」)がいる限り――/彼ら(モン族の一家)は平和に暮せない」と考えたウォルトは、病気により寿命が限られていたのもあり、単身、「ネズミの巣」に乗り込み、内ポケットから、拳銃を抜くと見せ掛け(実際は、第一騎兵師団の印が刻印されたジッポーライターを取り出そうとした)、スパイダーたちに自分を撃たせることにより、両者を遠ざける。
こうした問題解決の手段は、クリント・イーストウッドが到達した境地の表れだろう。だが、彼が血気盛んな頃ならいざ知らず、「報復」に走るはずはないので(むしろ、年甲斐もなく、バカな真似をしていたら、ビックリだったろう)、「映画史上 最も優しい 衝撃(のラスト)」とやらは受けない。
全編、人間として、男としてのクリント・イーストウッドのメッセージがつまっている感じだが、露骨に、ウォルト・コワルスキーとクリント・イーストウッドがダブらされており、些か、慎みがない。
当然のように完成度は高いが、俳優、クリント・イーストウッドの引退作にしてはちと寂しいできだ。アカデミー会員に愛されていると言われる彼の監督作品である本作が、相手があるとはいえ、アカデミー賞に一部門もノミネートもされなかったのが、それを証明している。
気になったのは、「ネズミ」の1人の胸元に彫られている、「家庭」というタトゥー。家や、家庭の方ではなく、本国、故郷の意味だろうか? つまり、祖国を離れても忘れない、もしくは、移民である彼らにとって、アメリカは第二の故郷だとの想いが込められているのだろうか?
http://blogs.yahoo.co.jp/popcornandfella
朝鮮戦争を経験し、人種への偏見もある頑固ジジイを主人公に据えて、アジア人の少年との交流を描いていながら社会派に着地しないのは流石イーストウッド。説教臭くなる恐れのある題材をしっかり自分のものにして、見事に人間ドラマをつむいでいますね。孤独や人との繋がに焦点をあてて納得させるのは簡単なようで凄く難しい。身内が遠いってのは辛いなぁ。
イーストウッドは最近なんか毎回遺作を撮っているような感じです。善悪に分けられない難しい題材に挑戦して、彼なりの回答を出している姿勢は素晴らしい。今、妥協せずに大衆性もある高品質な作品を取れているのって、この人だけなんじゃないかな。まだまだ頑張って欲しい人です。
けっこう胸にガツンときますが、見ている間は重くなりすぎず、ユーモアもあります。いやぁ、良い映画。
昔から日本では、子どもの喧嘩に親が出ると親も子も笑われたものです。外国でもそうだったでしょ。「わが谷は緑なりき」を見て下さい。ジョン・フォードも子どもの喧嘩に親が出ないよう工夫しましたよ。
ところがいつの頃からかアメリカでは、当たり前のように親が出てくるようになりました。考えて見れば朝鮮戦争がそうでしょ。ベトナム戦争も湾岸戦争も地元の喧嘩に口をはさむだけでなく手まで出して、収拾がつかなくなるとサッサと引き上げました。
この映画の素晴らしいのは、自分が起こした不始末に自分で決着を付けたからです。イーストウッドはここまで来ました。後はアメリカがついてこられるかどうかです。
半径100M以内で世界を描く
ことが脚本を書く上で重要なのだが、こうも自然にかつ明確に世界を描いた脚本はそうそう存在しないと思う。
この作品は、筆舌に尽くしがたいほどの渋さ≠持っている。
安直なBGMや、お涙頂戴な展開などの余計なものは一切含まず、渋い演出と渋いセリフと、物語が紡がれ、イーストウッドのメッセージを形成していく。その流麗なストーリーテリングは“見事”の一言。
言葉では語らない、本物の映像演出を見せてくれるこの作品、ぜひご覧あれ。
やたらと噛み煙草を吐き出したり、激昂するとややオーバーな効果音が入ったり…。
号泣ポイント前も、過去の作品と重なる心の揺らぐ演出が多々あって、ちょっと気持ちが高ぶっていたんだよね。
「ぐむぅ…」と唸るあの頑固親父な様子も、自分の親父と重なっちゃったりしてね。
そんな中で、淡々と心穏やかに死の準備を始めるんだもの。涙止まらなかったよ。
もう、ダメ。観たのは数日前だけど、コレ書き込んでる今も泣けるもの。しばらく思い出し泣きできるよ。
参ったね…。
また、ジッポーのライターと朝鮮戦争従軍時の記念品を収納しているケースに記されている第一騎兵師団のマークもシンボルとして重要だろう。第一騎兵師団は西部劇の騎兵隊の末裔である。イーストウッドが妻を亡くしていることを合わせて考えると、どうしても『黄色いリボン』を想起してしまうが、ラストにおいてジッポーのライターが重要な小道具として使われており、この点でも西部劇への想いを感じてしまう。(ポーチと椅子と床屋、そして騎兵隊、ということで云えば、私はどうしてもジョン・フォードへのオマージュを感じます。)
一方でこのマークは日本人にとっては太平洋戦争敗戦後の米進駐軍のシンボルであり、映画ファンにとっては『地獄の黙示録』のキルゴア大佐率いるヘリコプター部隊をはじめ多くの戦争映画における米軍の紋章として記憶しているものだ。楊徳昌の『恐怖分子』でも、第一騎兵師団のマークのついたジッポーが米兵(米国人)を象徴する小道具として利用されている。一般の米国人にとっても米軍のシンボルとして受け止める人もいるだろうし、さらに云えば暴力の、殺人のシンボルとして受け止めることもできるだろう。近作では無政府主義と云っても云い過ぎでないほどのリバタリアニズムを表出していたイーストウッドが司法に委ねる結末を選ぶということも含めて、キリストの磔刑の十字サインも含めて、本作の最期の描写が表象するものの深さは尋常ではない。
ただし本作のクライマックスはラスト以上に二つ目の懺悔シーンの金網を挟んだ演出だろう。イーストウッドはこの映画の中で一度しか懺悔していない、とも云えるが、とりあえず二つの懺悔シーンがあるとするならば、二つ目のこの見せ方には圧倒される。見終わった後も考えれば考えるほど、この演出の聡明さに慄然となる。
男の生き様、死に様、西部劇(ラスト・シューティスト!)、戦争、銃、ダーティ・ハリー、最後の対決、孤高と孤独、若者への思い、アメリカ人の気概、高齢者の気概、懺悔すべきものもないほどの自信と気高さ・・・そして、ビール・・・
ひとつひとつのカットがことごとく意味を持ち、幾重にも幾重にも様々な思いが綴られる。観終わって4日たって、まだ余韻に浸れる。そんな映画はいつ以来だろうか。
ところで・・・タオは、いつ免許とったのだろう。
また、報復は負の連鎖を産むだけであり、悲しいけど、どこかで現実的な手段方法により負の連鎖を断たねばならないことを改めて教えられた。話を飛躍させて、戦争やテロ行為を終わらせるためにはどのような手段方法があるのだろうかということも考えさせられた。
予断だが、イーストウッドの“勇気”に感化されたのか、上映後の映画館内で乱闘している吾人がいた。上映中に煩かったことが原因のようだが、せっかくの感動的なラストの余韻を台無しにされた。こういう吾人方は自宅で映画鑑賞されたらどうだろうか。(大阪のなんばパークスにて)
キリストを象徴したような姿が興ざめだった(倒れたとこ)。
考えすぎかもしれないが。
イーストウッドがグラン・トリノを颯爽と運転するシーンがなくてよかったのかなあ?
この「グラン・トリノ」は、21世紀を舞台にした西部劇です。外観こそ現代の老人の孤独や移民の生活を扱つてをりますが、実は素朴で明快な勧善懲悪と、アメリカ風の「男らしい生き方」の讃美が主題であり、まさしくジョン・フォードやハワード・ホークスの衣鉢を継ぐものです。ラストは今更正面きつてのガンファイトは通用しないので、一ひねりしてありますが、精神においては毫も変はりません。
「ダーティハリー」や「ダイ・ハード」だつて、つまるところ西部劇の変種かもしれません。しかしこの作品はそのいづれよりも「荒野の決闘」「真昼の決闘」や「シェーン」に近い。それは主人公が、古い伝統的価値観を信じ、その大義に従つて、決闘に赴くからです。ベトナム戦争後はとんとお目にかからなかつたヒーロー像の再生と申せませう。
「許されざる者」にも恐らくさういふ基調低音があるのでせう。しかし「グラン・トリノ」はもつと意識的にその主題を前面に打ち出し、遥かに成功してをります。こんな古風なアナクロな主人公を、21世紀に通用する形で堂々と造型した手腕は爽快であります。
イーストウッドの映画は知的に難しい内容は皆無で、設定も類型的(二人の息子の乱暴な図式化!)、撮影その他の技巧もいたつて普通、悪く言へば平凡であり、「巨匠」とまで呼ぶのは大概にしてくれと思つてゐたのですが、「ミリオンダラー・ベイビー」「チェンジリング」そして「グラン・トリノ」と、近年の諸作は、単純なるがゆゑの強さと感動があることを認めないわけにはいきません。「夕陽のガンマン」がつひにここまで来た、羨ましい人生です。
しかしキリストを象徴したやうな倒れ方が興ざめといふコメントには驚きますな。意図と正反対の受け取り方ではありませんか。
で、家族とも相容れず頑なに老後を生きていたのか・・なんて思った。
アメリカ映画は、幾多の侘しい男たちの終末を描いてきたが、この作品も真似てみたい決着のつけかたを描いた佳作だ。
死んだあとで誰かに少しは思い出を語って欲しいなんて、未練がましい男の中の男以下かオレは。
死ぬために生きるってこういう事なのかとも思う。
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」のT.L.
ジョーンズの最後(死の場面はなかったけど)と共に印象深い。
微かに希望を繋いでいた食堂の浮気な人妻に振られて、多分死への踏ん切りがついたに違いないT.L.ジョーンズ。
映画界の両雄のそれぞれの終らせ方は、両方とも憧れる。
イーストウッド作品の中では、もっと好きな作品はあったけれど
さすがイーストウッド、だれる場面はひとつも無く、小気味良いアクション映画の趣がある。
歯切れのいい作品を作れるんだから、これが最後だなんて言っちゃ、まぁだだめだよ。
イーストウッドの映画って時々、TVの画面で見ると良さが蒸発してしまう気がします。この映画も、チャンスがあれば映画館で見た方がいいのではないでしょうか。
これから先、映画を巡る受難の道はますます険しくなり、暗い絶望の淵で迷い、心無き者たちに蹂躙され、泥にまみれることだろう。しかし、決して諦めてはならない。その背中を心に思い浮かべさえすれば、光はその体躯を照らし、映画は再び立ち上がるのだから。確信に満ち溢れた一歩は必ずやそこから踏み出されるはずだ。
ありがとうクリント・イーストウッド。ありがとうアメリカ映画。その魂が永遠に失われんことを。
「なんてこと云うんだよ!(今、ここで言うなよ!的なニュアンスです)」
新宿ピカデリーで観終わった後、エスカレータで降りる時に後ろに乗っていた若者(多分、大学生)二人の会話でした。ぶっちゃけ、若い人たちには不評かもしれませんね。
個人的には決してイーストウッドは好きな監督ではないですし、どちらかというと日本での人気の高さに辟易している時もあるくらいです。『スペース・カウボーイ』は嫌いだし、『ミスティック・リバー』は好きだけど、『ミリオンダラー・ベイビー』も『チェンジリング』も標準の評価でしかありません。しかし、賛否両論あるだろうこの作品は実に興味深いです。個人的にはラストは一部で云われているような感動的なモノではなく、考えさせられるモノでした。何故にそう思ったのか?それは、映画人・イーストウッドの変遷があちこちに垣間見えて、ラストへ向かう過程ではなんとなくその行く末が分かってしまったとしても、切なくなってしまったからでしょう。
暴力は暴力しか生まない!という事実を語る映画は数多ありますが、この作品に勝てる映画は多くは無いでしょう。何故なら、この映画の主人公は強いアメリカを具現化してきたイーストウッドだからです。この作品の主人公はイーストウッドでしか考えられないし、イーストウッドが演じるべきでしょう。イーストウッド自身もそれが分かっていたからこそ、役者引退を撤回してまで出演したんだと思います。イーストウッドはこの映画で役者人生から完璧に撤退出来るでしょうし、そういう作品に巡り合えた上に自分で監督出来たイーストウッドは世界一幸せな映画人の一人なのは間違いないです。映画の前半は『ダーティ・ハリー』『ガントレット』『ダーティ・ファイター』『ハートブレイク・リッジ』『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』のイーストウッド節が炸裂しまくります。だけんどもしかし!『荒野の用心棒』のようなことになるのかなぁ・・・というシーンも一瞬は脳裏をかすめましたが、実際には潔かったです。上手い!と、思ったのはラストへ向かう主人公の身体の状態を描いてみせたとこでしょう。それがないと、単なるマスターベーションのようになってしまうところを、そういう状況にすることで、身を持って行動する事へのエクスキューズになっているんですね。その辺りは監督イーストウッドの面目躍如。伊達に監督賞を取ってないぞ!って、とこでしょう。しかし、この作品・・・今までのイーストウッドの映画では一番笑えたかもしれません。
嘗てのアメリカを象徴するデトロイト産まれのグラン・トリノが新しいアメリカ人へ受け継がれたエンディング・・・と、とらえる事も出来ますが、ここは敢えて、イーストウッドがアメリカ映画界に残した功績が受け継がれたと思いたいですね。新たなるGO AHEAD,MAKE MY DAY に乾杯!
それにしても“勇気”とは複雑なものだなぁ・・・この作品を観てつくづくそう思いましたわ。“男の人生は最後で決まる!”と言われてもねぇ・・・オイラには100年経っても絶対に無理!
ラストの極東島国っぽい手段は、そー来るか?!って感じで微妙な
んだけど・・・
若者が理想やイデオロギーの為に死ぬことを美化するのなら△だが
この人、血吐いてたし、明らかにもう長くない訳で、
近付いてくる死を避けられなくなった存在が、テメエ自身に決着を
つけるのならばアリかも知れない。
自由で多様性を重視して、それを脅かす奴等には警察等を頼らずに
テメエの体を張って立ち向かう。少々お節介でもある、最近では
すっかり評判の悪くなってしまったアメリカの精神のようなものを
感じた。
贖罪の部分は微妙だけど、告解に行っても本当に悩んでいたことは
言わないところが良かった。
テメエ自身の足で立って、不条理とも言える内側から沸いてくるよ
うな力で動く人間には、教会の赦しなんてセコイもんは必要ないか
ら。
個人的には、あーゆーバカ共は全員まとめて撃ち殺して欲しかった
んだけどね〜w。
せめて痛み分けに持ち込むとかにして欲しかったが、そーゆーカッ
コ良さを避けて、あえて後進の為の捨て駒になりましょうってこと
かな。
「老兵は立たず、ただ消え去るのみ」ってやつですねw。
ボクが特に良いなと思ったのは、タオのことを信頼してるからこそ
「後は任せたぞ」っていう行動ができる訳で、そーゆー風に根拠は
無いけれども後輩を信頼している保守主義的な堂々とした態度。
老兵が消えても、変わらずに川は流れていく感じが良かった。
今はゴチャゴチャ言わずに、ひたすら余韻に浸るのみ。
お宝のグラン・トリノ君は、無駄にデカくて燃費も悪そうだけど、
ダサカッコイイね。
例え、ビッグ3が潰れたとしても、アメリカの精神は肌の色の違う
後輩達に受け継がれて行くのでしょう。
だがしかし、日本の物作りの精神の方が数段上だから、日本車を
もっと買ってね!
(・∀・)/
あと、「イカれイタ公!」「また来いよ、バカタレ」等の男同志の
お上品な会話はなかなか勉強になった。江戸っ子の粋に通ずるもの
があるね。
クリント・イーストウッドは天才だ!
だが、アメリカのサイトでこの映画の予告編を観て、どうやらこの映画はヒューマンドラマなんだなと思った。では、このグラン・トリノが映画にどう関わっていくのかが非常に気になった。それは、少年がこの車を盗もうとするところから始まるのである。
イーストウッドが演じるコワルスキーは頑固ジジイで家族ともうまくいっていない。ところがとなりにやってきたモン族という民族がやってきて、初めは嫌ってきたコワルスキーも次第に心を開くようになるという映画である。
物語自体は、いたってシンプルで特にあっと驚くような映画ではなかった。
最近のスピルバーグに似たような色調を抑えた映像で進んでいき、最初から暗い印象を与えました。しかし、この映画、笑いもあります。コワルスキーの頑固さが逆に映画に明るい印象を与え、イヤな気分になることはありません。
また、あのイタリア系の理髪師との会話がとても面白いこと。ポーランド人をバカし、またイタリア人をバカにする。あのシーンととても笑えるシーンでした。はっきり言って「死ね」っていっているのようなものなのに、2人とも面白おかしく話しているので、まるでコントを観ているようでした。(勿論、いい意味です)
しかし、ここまで言葉が汚いのは、黒人が大統領になった今でも続いているんだなと思いました。(撮影しているときはまだブッシュ大統領でしたが)やっぱり人を差別するのは人間の生まれもって備わっているものなんだなと感じました。黄色人も白い人間を嫌っていましたから。
このようなシーンも多数あったので昔、流行っていた”アメリカン・ニューシネマ”のような空気感もあった。 ”アメリカン・ニュー・シネマ”では頻繁に登場したベトナム戦争、この映画では朝鮮戦争になっている。
朝鮮戦争を扱った映画はロバート・アルトマンの「M★A★S★H」しか観たことない。これは俺の思い過ごしかもしれないがアメリカ映画は第二次大戦の映画はかっこよく描写する、ベトナムを扱った映画は狂気しか描かない。だから、言い方は悪いが中途半端な記憶しかないだろう朝鮮戦争も恐ろしくイカれた戦争だという「硫黄島からの手紙」と同じようなメッセージを送っていたのだろう。「M★A★S★H」では戦争を茶番にしていたがこちらでは大真面目だ。結局は血を出すのは無意味だということを言いたかったのが。
だから、ニューシネマの雰囲気で撮ったのではないだろうか?
まとめると、「グラン・トリノ」は今年のナンバー1にしたい映画でした。アメリカのマスコミが言った「どうやったら、あんな傑作を生み出せるかわからない」とあった。ほんとうにその通りだと思った。
今年79歳になるクリント・イーストウッド。これからも沢山映画を撮って私たちを楽しませてほしい。
モン族の俳優陣が素人なのは仕方がないとしても、イーストウッド自身の演技も冴えなかった。終始、ぎくしゃくした感じがして流れの悪い映画だった。
テーマはいい。老いと、アメリカと、人種混合。もったいない映画だと思った。差別がテーマならそれをもっと徹底して描いた方が迫力が出たと思う。
この作品でイーストウッドが体現するのは古き良き米国そのものだ。この国が最高だと信じているし、ワケのわからないアジア人がコミュニティに増えてきているのも気にくわない。ネズミだのクロだの差別主義的発言も多く、マッチョを理想としてきた米国の保守層を見事に演じてみせる。
そんな主人公ウォルトが、モン族の移民一家との交流を通して次第に変化していくわけだが、この辺り思わず微苦笑してしまうやりとりも多い。脚本のニック・シェンクがこの作品がデビュー作とは驚きだ。
朝鮮戦争で「13人かそれ以上」を殺した経験のあるウォルト。若き日のガンマンなら、敵に対する復讐を果たして溜飲を下げる(実際西部劇でも『ダーティーハリー』でもイーストウッドが演じた主人公はそうして来た)のだが、80歳近い老人はそうはしない。自らの命を賭けるのは同じだとしても、血を血で贖うことが無意味であることに老人はすでに気づいている。それは力だけを頼りに拡大し続けてきた米国の限界をも見切っているかのようである。
頑固ジジイの頑固な生き様と死に様。
そこに俳優イーストウッドのこれまでを重ねて観てしまうのはうがち過ぎだろうか。
素敵な作品だ。
それほどこの映画は、すごい映画ではない。
「ロッキー・ザ・ファイナル」と同格の映画。いい意味でね。
もちろんおもしろい映画だけど。今年ナンバー1作品では絶対にありえない。
イーストウッド作品としても、「荒野の用心棒」「ブロンコ・ビリー」
「パーフェクト・ワールド」「ミリオンダラー・ベイビー」の方が一枚も二枚も上、
ただ単に、中国の潜在的な脅威を感じているアメリカ人に対し、イーストウッドが溜飲を下げているだけ。
他のおそらくおっさん以上年寄りたちの盲目な賞賛に反発し、1点。
がこれだけ人気を集めるというのは、嬉しくもあり安心感に似たもの
も感じさせてもらえます。 映画界の大重鎮、いまやイーストウッド
ってそう言っていいだけのカリスマ性を身に着けていますが、常に
志を高いところにおき決して大衆に迎合しなく、それでいて独り
よがりにならない高潔な美意識の持続は、いつも冷静に客観的に
自分のやっていることを点検しているからだろうと思わせられ、
それが人間的な魅力にもなって尊敬に近い人気を得ている原因な
んでしょうね。
ずいぶんと前置きが長くなってしまったぞっと・・・。
えーと、ひとことで言ってしまえば期待どおりでした。 満点の評価
を付けたくなるような期待はしていなかったということになるけど、
これは、いくら才能があっても、こうもたて続けに制作したのでは
シナリオの練りや音楽や美術などへの手間の掛け方にもの足りなさ
を感じさせられるのではないか、それになによりも、金の掛け方に
限界があるはずと思っていたからです。 この監督はジャズメンで
もあるから、時間をかけないでパッと録音したものに名作のある
ジャズ音楽の意識が潜在的にあるのかもしれないですね。
というと、あまり評価をしていないみたいだけど、いえいえどうして、
それでもこれだけの高品位の作品を提供してくれる。 パッと作っ
たようでいて、実際は時間をかけて準備はしていたってことでしょう
か?。 こんなときは警察を呼べと心配する神父に対して、警察
が来るように神に願ったが来てくれなかった≠ニ皮肉を言う時がこ
の映画で初めて見せる緩んだ表情という、世の中の親バカ子バカ孫バカ
爺バカをあざ笑うような硬骨漢ぶりが小気味いい頑固爺い、イーストウ
ッドは役者としても好演です。
礼装衣装を準備して、床屋で身繕いをして赴く決戦場、いったい
どうなるのかと思ったら、なるほど、こういう決着かと、知ってしまえ
ば当たり前みたいだけど、なかなか考え工夫したもので、この監督
がいちばん心がけているのは、予定調和的凡庸作品には決して
しないぞってことかなって、そんな気持ちがしました。
5月5日追記。
多くの信者を持つイーストウッドが、架空のウォルト・コワルスキー
のイメージと一致することもあってか、絶賛絶賛で、ことに業界人の
評価が凄いけど、こんなに褒められてしまって、イーストウッド自身
は戸惑っていたりして(笑)。 この映画、考えようによっては、
ウォルトが自身の人生を終えるにあたっての花道つくりのために
周囲を犠牲にし、そして周囲のために犠牲になった物語、ってこと
にもなるのですよね。
致命的な病 (日本映画なら、いかにもなサウンドとともに病名を
画面に出して、思考、感受性に不自由な人がボーっと見ていても分
かるようにしてくれるのだろうけど、さすがイーストウッド、作品をそ
んな俗に堕とすようなことはやらない) に罹ったことがわかって、
そこでこれまで距離を置いてきた息子どもに電話はかけては
みたものの、やはり急に姿勢を軟化するなんてことは自尊心が許さ
ない。 滅びの美学を遂行するのに、この事件はまさに天与の晴れ
舞台ということになります。
と、なんだかんだいっても作品は高品質で、これだけの評価を集
めているのはいいことですね。 観客の集まりはあまり良くないみ
たいだけど、これはもう・・・・・ 以上!。
そこに描かれているのは、「正義」などという陳腐な言葉で表されるような概念などでは決してない。あるのはただ、一人の偏屈な老人の生き様と死に様であり、イーストウッドはそれを観る者に押しつけるようなことはせず、ましてそれが正義であるなどというようなテーゼの押し売りなどは一切していない。観てどう感じるか、どう受け取るかは観る者の自由意志に委ねられている。
タイトルにもなったグラン・トリノをタオはウォルトから譲られるのだが、ウォルトからタオへの贈り物はいつかは必ず滅してしまうような「物」ではなく、彼が生きている限りは滅することのない、人間としての生き様そのものだったのだ。
一方のウォルトにとって、それは父親のいないタオへの最大の教訓であり、同時に彼とその一家に対する最大の贖罪であったのだ。彼が力に対し力を持って応じた事が原因で、タオの一家に訪れた悲劇。夜遅く帰宅したタオの姉・スーの無残な姿があまりに痛ましいが、それを誰よりも痛切に感じていたのは他ならないウォルト自身だったのだ。
上映が終了し、場内の照明が点灯されてもなおしばらくの間、誰ひとりとして席を立つ者がいなかったことに、この作品のすべてが象徴されていたような気がする。http://www.tapioka1002.com
偏狭な老人、もっと言っちゃえばただの頑固ジジィと、その隣に住むアジア系移民一家との交流を描いた映画なのに、現代のアメリカという国家が抱える諸問題が包括されていて、その奥の深い作りに感心させられる。人種、民族、移民、家族、宗教、銃規制、暴力への報復、と、思い付くだけでもこんなに含まれている。それでいて、御大の集大成の映画としてシッカリと機能しているのはさすが。
確かにウォルトは頑固なジジィだが、彼の周りにいる若造たちのモラルの低下には目に余るものがある。そんな連中に説教のひとつでもタレてやりたくなる気持ちも分るってもの。口で言って分らないヤツにはちょっとした脅しと、場合によっては暴力も必要だったりする。いまだに50年代の精神性を持つウォルトのような人間には、今の世の中は気に食わないことだらけなんだろうな。ここ最近の御大の映画における厭世観とピッタリと一致!!
ウォルトにしてみればタオを救ったつもりはなく、ただ芝生に踏み入った、つまりは自分の城の敷地内に入った黄色い人たちを追っ払っただけだったのが、タオの家族や他のモン族の人たちから感謝される。恩を忘れずに、セッセと花や食べ物を分けてくれるモン族の人たちと接するうちに、アジア人蔑視だったウォルトに心変わりが起こる。タオの姉のスーはちょっと口は悪いけど、ユーモアのセンスもある気さくないい娘だ。偏見を解くには、お互いを理解し合わねばならない。そのためには付き合ってみないと分らないと。
ウォルトは世捨て人のような男ではなく、それなりに友人もいるようだ。ただし、彼らに憎まれ口をたたいてばかりいる。でも、言われた方も憎まれ口を言い返す。その姿は、べらんめぇ調で憎まれ口をたたいてばかりの下町に暮らす江戸っ子のおじいちゃんみたいだなぁ。床屋のオッサンも、建設現場の監督も、ウォルトに言われたら言い返す。言われてもなんだかとっても嬉しそう。こういう関係って、見ていて羨ましくさえ思えてくる。
ウォルトが朝鮮戦争に出兵したという設定は、御大の実年齢に合わせたからなんでしょう。第二次世界大戦なら80歳以上だし、ベトナム戦争なら60歳台になっちゃうから。
50年間フォードの組み立て工場で働き、途中徴兵された朝鮮戦争で銃器の扱いに習熟した。今は、ガレージに置いた無数の工具であらゆるものを修理する。自分の息子たちとの関係以外を。また、汚い言葉の達人でもある。豊富すぎる語彙を差別的に使いこなす。
そして、彼はすべてを隣家の少年に残していく。ライフルの使い方をのぞいて。
イーストウッドは、ゆっくりと時間を使いある決意をし、イタリア系の理髪師に弱音を吐く。
「顔をあたってくれ、手が震えるから」と。
溶暗しないエンドロールの背景の道は、グラン・トリノが走り去ったあと無数の日本車に埋めつくされる。そして、冒頭と同じワーナー・ブラザーズのロゴマークが刻印された。
also known as 遺言。
イーストウッド最高。たくさんの人に薦めたくなる映画です。
人の運命は、出会う人によって、変わる。
お互いにとって、この出会いは、最高のものだったんだなぁって思う。
だが、どうもこれまでのイーストウッド流のアメリカの正義、アメリカの気概、アメリカの気骨とは距離を置いた内容になっている。考えても見てごらん。あんなことで“グラン・トリノ”を手に入れて、果たして、少年は心から喜べるのだろうか?このラストはストーリーとしては面白いが、(イーストウッド流の)正義の実現ではなく、あくまでも復讐だ。そこにどうしても違和感が残る。
アメリカの中のマイノリティの扱い方にも不満がある。なぜ悪に走るのか、なぜ疎外されるのか、なぜ寄り集まってくるのか、なにも背景が描かれていない。黒人をこの作品の東洋人のように描いたら、多分間違いなく、人種差別的な非難を受けるだろう。
最後に言っておく。人生の最期を語るなら、「ブレイブ(1997)」にして欲しい。
最近の作品は、余り見たいものがなく見てなかったのだが(感動もの?賞向き?)、今回は最後の出演と噂されてるから見たのですが、
とても良かったです。
感動。
「グラントリノ」って何か知らなかったけど、格好いい!
最期は読めたけど、だから良かった。
「銃には銃を」じゃないところが。
少年はグラントリノを貰って嬉しいのではなく、
「親友」と認めてくれたことが、嬉しかった気がする。