チェンジリング(2008)CHANGELING
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【解説】 クリント・イーストウッド監督がアンジェリーナ・ジョリーを主演に迎えた感動のミステリー・ドラマ。1920年代のロサンゼルスで実際に起きた事件を映画化。5ヶ月の失踪ののち保護され帰ってきた幼い息子が別人だったことから、本物の我が子を取り戻すため、捜査ミスを犯した警察の非道な圧力に屈することなく真実を追及していくシングルマザーの長きに渡る孤独な闘いを綴る。 1928年、ロサンゼルス。シングルマザーのクリスティン・コリンズは、9歳の息子ウォルターを女手一つで育てる傍ら電話会社に勤め、せわしない日々を送っていた。そんな彼女はある日、休暇を返上してウォルターをひとり家に残したまま出勤する羽目に。やがて夕方、彼女が急いで帰宅すると、ウォルターは忽然と姿を消していた。警察に通報し、翌日から捜査が始まる一方、自らも懸命に息子の消息を探るクリスティン。しかし、有力な手掛かりが何一つ掴めず、非情で虚しい時間がただ過ぎていくばかり。それから5ヶ月後、ウォルターがイリノイ州で見つかったという朗報が入る。そして、ロス市警の大仰な演出によって報道陣も集まる中、再会の喜びを噛みしめながら列車で帰ってくる我が子を駅に出迎えるクリスティン。だが、列車から降りてきたのは、ウォルターとは別人の全く見知らぬ少年だった…。 【ウェブリンク】 【ユーザー評価】
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色々な怖さや痛々しさが連べ打ちの映画。
最後のヒロインの“希望”は、本当に“希望”だったのか...最後の最後まで痛々しさの残る映画。
監督はイーストウッド...老いを感じさせない勢いある演出ぶりに改めて感心。
事件の傷も癒え笑顔の戻ったヒロインに思いもよらず電話のベルが鳴る...って、ホラー映画のクライマックスみたいな終盤の演出には笑ったけど。
その後は息子が本物かどうか、、、生きているのか死んでいるのか・・・と段階を踏んで集中を切らさせない工夫がある脚本&構成でした。
シングルマザーでキャリアウーマン的な主人公が1920年代でありふれた母親像だとは思えないので、警察に対する疑問や子供に対する不明な点などを徹底的に調べ明らかにしようとする姿に『普通の母親が悪徳な警察組織とたたかう』って感じはしなかったですね。
演じたのがアンジェリーナ・ジョリーという事もあってか、一目見た時から「やってくれそうだな」って思っちゃったので、慎ましやかな母親が事件をキッカケに立ち上がる!という大それた感はなかったです。
時代を再現したメイクだったのかもしれませんが、もう少し薄化粧だと印象も大きく変わったでしょうね。
それはそれは大変なショックを受けた事は分かりますが、キレイに着飾ってヘアメイクもバッチリ整えている母親に悲壮感を見るのはなかなか難しかったカナ・・・。
腐った警察組織や女性軽視もさることながら、息子の安否を捜査終了後も警察に尋ね続け最後まで諦めずにNO!と言い続けた母親をサポートする形で唯一味方になっていた教会側のラジオでの働きかけなども興味深かったです。
心情描写に関しては、セリフ少なでアンジーの演技のみに任せきっています。
静かなタッチで描いているからこそ、アンジーのどっしり落ち着いた演技が心で深く感じられたのでしょう。
アンジー自身が、この役柄に並々ならぬ熱意や意欲を注いでいたのが伝わってきましたね。
彼女だけではなく、他のキャスト一人ひとり、、子役のコすべてがこの作品を引き立てているのも事実。
ジェフリー・ドノヴァンやジョン・マルコヴィッチ、コルム・フィオールぐらいしか有名どころは居ませんが、キャスティングされた全員が見事な演技を見せてくれました。
時代に合った衣装・小道具・舞台装置の数々、映像の風合いや音楽など隅々まで注意の行き届いた作品づくりには感服いたしました。
クリント・イーストウッド監督は撮れば撮るほど、演出力がUPし映画の出来ばえを優れさせていますね。
実話と言う重みを評価に入れなくても、緊張感のあるサスペンス性と素晴らしいドラマ性で見応えのある作品に仕上がっています。
感情移入もしやすいですし、2時間超えの作品でも全く飽きさせない力がありました。
鑑賞後、明るい気分になれるような作品ではありませんが見落としていたら損ですよ。
追記;警察よりも殺人鬼よりもリアルに鳥肌が立ったのは、偽者の子供。
片棒を担いだ事に対する恐怖や、涙ながらに謝罪する姿はなかなか。
彼の作品はこの他に『帰らない日々』しか見ていないが、クリントさんの作品に出演した事は大きいと思う。
今後が気になる少年です。
いやしかしコレが実話とは恐ろしいね!
絶望的な出来事が降り掛かっても、こんな風に強く生きられるかな?
守るべき人をここまで諦めずに求められるかな?…自分を試されるね。
本当にここ最近のイーストウッドは一貫して事件そのものの是非よりそれによって人間がどう動くか、ということを描きますね。この作品でも腐敗した官僚主義や警察組織を凶弾する題材にもかかわらず、社会派にはせずに母親としての子に対する愛情を軸にしてドラマにする。もっと突っ込むとやっぱりどういう風に生きていくかというところに当たるんだと思います。良い悪い、善悪で判断できない生き方に決着をつけるっていうのが最近の御大の作品には共通している気がするなぁ。そして最後のジョリーの表情にその答えを出していますね。
イーストウッドは俳優業は「グラン・トリノ」で引退みたいだけど、監督は続けていろんな人を主演に撮って欲しいものです。まさに人間ドラマ、重厚ですが重くない良い映画でした。
アンジーの最後の一瞥は、僕にはなんだか神との「決別」に見える。彼女は降りて行き、下で子供を捜す。もう一生聖書なんて読まないんじゃないだろうか。
その時代の教会の社会的位置、働いているシングルマザーの社会的評価、交換手という仕事の社会的地位等がこの映画にどう影響しているかが分かればもっと堪能できたと思いつつ、母親の子に対する思いはいつの時代も変わらないということを再認識しました。
期待はずれの面白さで、殆ど一人芝居の様な映画であった。
ノースコット事件が断片的にしか描かれなことや、警察腐敗の告発とかの大きな軸があるにも関らずに、ひたすら一人芝居にしたのは監督の意図なのかな?
少しもの足りなさを感じるが、イーストウッド監督はハズレの無い人になった。
DVDにて鑑賞。予備知識なしで観たもんで途中からの展開には唖然としたが、よくできた映画で最後まで引き込まれた。
失礼ながらA.ジョリーってこんなすごい女優さんだったのね。おみそれしました。
気になったのは、警察や精神病院の描写がカリカチュアされすぎているように感じた点。ニセ息子もそう。
実話ベースの話だから「いや本当にこうだったんですけど?」と言われれば一言もないんだが、正直「未来世紀ブラジル」みたいで、実際に人間が言ったこと・やったことという現実味が感じられない。
最後に主人公が勝つ筋立てだから悪役はわかりやすい方が盛り上がるんだけど、この事件は当時の世情やら組織やらいろいろな背景があって起きたはずで、単にこいつとこいつが悪党だったから、と見えてしまうのはマイナスだと感じる。
イーストウッドの作品を見るたびに「凄いなあ」とは思うんだけど、なんというか好きにはなれない。DVDを買って手元に置こうと思わない。
馬鹿ハッピーエンドを求めているわけじゃないんだけどさ。
なんかこう、意地悪な爺さんが孫たちに怖い話を聞かせて、陰でニンマリしているような姿を想像してしまう。
満点にしたかったのですが、残酷な描写が(直接見えなくても)耐え難かったので、この点数にしました。
ただ、前にどなかかが書かれた
>クリスティンが警察や医者を怒らせないように受け答えするシーン、見ているこちらまで息苦しくなるほど胸が痛みました。
の、『怒らせないように』というのはちょっと違うんじゃないかと思い、どうしても気になったので書かせて頂きました。
クリスティンがあの場面で自分の感情を押し殺したのは、
警察や医者を『怒らせないように』する為などという単純な感情では語れないと思います。
彼女にとっての一番の目的は「無事に息子を捜し出す事」であり、
その為には、今この場面で自分がどういった対応・受け答えをするのが一番効果的なのか、
頭がおかしくなりそうに動転している感情を、死に物狂いで押し殺している場面だと思います。
冷静に事情を正確に伝える(←警察での場面)のが子供を助けるのに最善の手段であると、
あのような感情の中でも判断するのが親というものではないでしょうか。
私はその押し殺した演技に、母親としてのリアリティを一番強く感じました。
初めに「息子が居なくなった」と告げる言い方や、上ずった声で家の周囲を探し回る場面も同じです。
感情を爆発させるシーンだけがリアリティのある感情表現ではないですよね。
すみません。決してその方の感想を全否定しているという事ではないので(他の部分は同感です)、
もしこれを読んでおられて不快な思いをされましたら大変申し訳ないです。
ただ、息子への母の思いというのは、本当に姥捨て山のお話にもある通り、
他に喩えようがないくらいに深いものだと思います。子供を失う以上の「恐怖」はそうそう存在しません。
ですから警察や医者を前に、はらわた煮えくり返るような感情を抑えたのは、自身ではなく、紛れもなく息子の為でしかない訳です。
まずやっぱり警察の腐敗ぶり、堕落ぶり。そして長老派と警察の対立。長老派はクリスティンの力になるんだけれど、純粋な気持ちからではなく警察を糾弾するため、ひいては長老派の力を強くするために、警察は警察でイメージアップのために、どちらもクリスティンを利用しようとしているんですよね。
ここで利用される側としてクリスティンという哀れなシングルマザーがクローズアップされます。
利用されるクリスティンはしかしブレることなく息子を見つけ出すことだけを一途に求めます。その過程で、当時の男性中心社会とそれに伴う女性に対する抑圧の凄まじさも浮き彫りになってきます。これがこの映画のもうひとつのテーマだと思います。
クリスティンが警察や医者を怒らせないように受け答えするシーン、見ているこちらまで息苦しくなるほど胸が痛みました。
本来もっとも論理的であるはずの裁判でも、いかにもでかい声を出したもん勝ち、論理よりも力で人をねじ伏せるというマッチョな時代を感じさせて、その辺の描写もこの事件が起きる背景としてより整合性があり、リアリティを感じました。弁護士と警部が怒鳴り合ってるところなんか、こういうオッサンおるよなあ…といやあな気持ちになってしまいました。
そして皆さんが指摘するようになんといってもアンジェリーナ・ジョリーの熱演が素晴らしかったです。
追記↑の方が、
>警察や医者を怒らせないように受け答え
の文章を「単純な感情によっての行為」とご自分で解釈し、しかも何を根拠にかその自分の解釈が正しい、と決めてかかり「それは違う」とおっしゃってます。
更に
>マッチョな時代を感じさせて…リアリティを感じました。
の文章をもしかして、「感情を爆発させるシーンだけがリアリティのある感情表現」と私が述べていると、これまたご自分で変換してるのでしょうか。
更に「『はらわた煮えくり返るような感情を抑えたのは、自身のため』ではなく子どものため」ともおっしゃってますが、この『はらわた煮えくり返るような感情を抑えたのは、自身のため』に至っては一体どこからの引用なのか皆目見当も付かないのですが、どうもそれも私が述べたとして、それに対し、「そうじゃない」ともおっしゃています。
しかもそうした上で「決してその方の感想を全否定しているという事ではないので」ともおっしゃていますが、すでにこの方が対象にしているコメントはこの方が勝手に創作したコメントで私の感想とは別物なのに何をおしゃっているのでしょうか。
ここまでくると不快を通り越して不可解です。
私がクリスティンが
>警察や医者を怒らせないように受け答え
したのは、警察や医者を怒らせると息子を捜すのに尽力してもらえない、退院させてもらえない=息子を捜す手段が絶たれる、という判断に依るものと思い、その必死の姿が痛ましく、観ているこちらも息苦しくなり、胸が痛んだのでそうコメントしました。
>マッチョな時代を感じさせて…リアリティを感じました。
と言う文章は、事件が起きる背景として整合性を感じてリアリティを感じたのです。
背景として、です。もっと詳しく言うなら、この事件が起きたのはこういうマッチョな時代の産物である側面がある、と言う意味です。事件が起きる背景にリアリティがある、と言っているのです。
そこまで書かないとそんな解釈をする人がいるのかとただただ驚くばかりです。
映画に対する解釈も感想も当然ながら人それぞれで自由です。ここはそういう場ですから。
それでも人のコメントに対し(良くも悪くも)一言述べたくなる気持ちもわかります。
しかし、人のコメントに自分の解釈を加えたり、勝手に人の文章を変換したり、挙げ句に人が述べてもいないコメントを述べたかのようにして、それらに対しコメントするのもご勘弁頂きたいですね。
人のコメントに一言述べるなら確実に書かれてある文章に対してだけされるのが筋なのではないでしょうか。
映画への導入は脱色した様な街並の画に色調が着いてくる事で、物語は往時が蘇る史実である事、話に入っての日常風景も銀残しの撮影で陰影を強調して、暗い内容、暗い時代である事をあからさまにした、トーンの統一に配慮がなされた作劇。
禁酒法の頃のはずだが全く触れてないのは意外だった。 酒でも飲まなきゃやってられなそうな人達ばかり映るというのに。
攫われた息子を探す、その取っ掛かりから苦心惨憺しなければならないクリスティン・コリンズ夫人のところへ現れるのは嘘吐きばかり、彼らはそのウソを彼女に飲み込ませようと責め立ててくる。
急先鋒に立つのが市警青少年課のジョーンズ警部、近年ここまで観客の憎しみを駆り立てたキャラクタはちょっと居ない。 何しろ実在した人物なのだ。
ジェフリー・ドノヴァンのパーソナリティがピタリと嵌っていた。 自分のミスは決して認めず、俺に面倒かけるのか?、と相手を威圧する。 こんなタイプは身近に居る、ことに今の日本には多い。 責任問題、不正や偽装問題などでTVで頭を下げている人々の中に少なくないはずだ。
警部はクリスティンに、自分が間違っていた、と自らを偽らせようと圧力をかけてくるが、クリスティン自身は警察と対立するよりも先ず、息子ウォルターを警部に探して欲しい願いを持っているので何より立場が辛い。 アンジェリーナ・ジョリーはこの前半部で顔を哀れさに歪めて見せてあざとくならず、話が進むにつれて強くなっていく、なっていかざるを得ない女性像を創りあげて、映画は憎まれ役と共に演者の優れた演技で観客の気持ちをガッチリ掴んだ。
クリスティンは更なる強力な嘘吐きと対決せねばならない。 ウォルターを名乗る少年は、本当の息子に帰ってきて欲しいと哀願するクリスティンに気持ちを動かした様子が無い。 目的はハリウッドスターに会いたかったからだが、こんな末恐ろしい子がやはり本当に居たのだ。
精神病院の医師スティールは誘導ぶりが怖かった。 ジョーンズにより強制入院させられて動揺した事で、さぞ混乱したでしょうね、と話掛けておいてから、混乱はいつもあるのですか?、と問うてくる。 感情は何を見せても精神病と診断され、感情隠さず怒りを持って抵抗すると電気ショック、こんな所では本当に廃人にさせられてしまう。
そして稀代の誘拐殺人犯ゴードン・ノーススコット、クリスティンは彼の謂う事とも立向かう。 死刑宣告を受けたゴードンから告白したい旨を伝えられた彼女が訪れると、彼は懺悔を済ませたから嘘は話したくない、と言い出す。 ゴードンが伝えたい事が、自分はウォルターは手にかけてない、と言う事なら喜んでそう言えば良い。 懺悔をした後で出来ない様な話だから拒否しているのである。 クリスティンは詰め寄り、お前は地獄へ堕ちる、となじる。
絞首刑の場面では平素ヘラヘラした態度のゴードンは散散に脅えてみせるが、思うに、彼と云う人間は力の弱い子供を殺す事で自分の生を実感している、だから内実はよっぽど死にたくない人間なのだ。 この殺人鬼の人物描写も思いのほか優れていた。
事件に関わる人物が全て断罪されて、普段の生活を再開してもなお、彼女はウォルターの捜索を申し込んでいる。 彼女を救ったグスタヴ牧師でさえも事件を忘れて人生をやり直す事を薦めているのにだ。
クリスティンはウォルターの死を認めるべきなのか、捨てきれない希望に心を託すのが本当なのか、つまり今度は自分の内なる嘘と戦うのが、この終盤だったはずだが、ここが気持ち描写不足だったか。 もう少し葛藤が描かれていれば、生存していた別の子供の報に、確かなものを掴みました、と言うクリスティンの微笑みを一層深く出来たに違いない。
希望を持って生きる、それは確かに尊いが、辛気臭い生き方かも判らない。 この映画では真実を語ると云う事がとても重かった。 ウソに逃げた方が余程に楽だ、なんて人生の折々で僕は思ったりするのですが、まあそうだとすると僕も世間も間違っているのでしょうね。 何をやってしまったとしても本当の方がラクなんだよ、となる世の中にならなければ。
う、何だか説教臭い〆になってしまった。
特に息子が帰ってきたと知ったときの演技は演技に見えない。
その後の女としての強さと弱さの出し方も上手い。
映画は息子を探す母親を追うかたわらで、ロス警察との戦いも描く。
そして母親と警察のバトルが激化していくと映画は少し違った面を見せる。
実はあらすじから想像する筋とは違った主軸がもう1つ存在するのだ。
それは「ミリオンダラー・ベイビー」でいう「尊厳死」のテーマと一緒で、
今回もそのバランス感覚が難しいところ。
子供を探す母親の横でやるにしては少々激しすぎる警察の描き方。
海外で賛否あるというのはこういった部分なのだろう。
とは言っても、最初から最後まで感情移入をさせ、最後に大きな感動を与えるのは
やはり見せ方が上手いからだろう。
実を言うと映画を見ていてこれほど泣きそうになったのは初めて。
いつもはどんな感動作でも無表情を保てたのに。
近年はこのやうに、実話を素材にした作品が増え、名作も多々生まれてゐます。「バットマン」のやうな映画ももちろん結構なのですが、フィクションによる奇抜な筋、あつと驚く展開は、もうやりつくされ、限界に来てゐると痛感することが少なくありません。脚本家はこれからますます、小説より奇なるものを求めて資料を渉猟することでせう。
また、1920年代後半から30年代前半にかけての大恐慌時代の米ロサンゼルス市が、経済情勢とは別の視点から、丁寧に再現されてゐます。路面電車や車、電話交換主任の履くローラースケート、ラジオから聞える「或る夜の出来事」(有名な喜劇です。今でも面白がる人はゐるでせう。私もDVDを持つてゐます)のアカデミー賞受賞といつた風俗から、警察の人権概念、精神病院の非人道的処置、絞首刑の一部始終などに至るまでのすべての描写が、時代の常識と精神を伝へてゐます。
これは大事なことで、当の母親が「息子ではない」と主張し、歯医者や教師も裏付ける証言をしてゐるのに、警察が無視するどころかあれほどの暴挙に出ることは、マスメディアに訴へるのも容易な現代では考へられません。しかしこの時代なら起こりえたのだと、観客に体感させ納得させなければならないからです。そしてその点は十分に成功してゐると思ひます。
以下はネタバレですが、子供の失踪と別の子供の登場、警察の腐敗、さらに突如明るみに出る犯罪ーー3つの出来事が絡まりあつた恐ろしい話です。予告編で、偽の子供が現れるところまでは分かるでせう。それだけでも十分異様ですが、その後思ひもかけぬ大事件に発展し、唖然とすること請け合ひです。ぜひご覧あれ。
なほ絞首刑をすべて描写した作劇上の理由は、息子の生死の情報を得ることを母が最後まで諦めなかつたから、といふことを、下の方のコメントに対し申し添へておきます。
正義、真実、そして希望。イーストウッド映画のモチーフである一度死んだ男(幽霊)をめぐるお話ですが、その眼差しの向こう側には、前人未到の映画の領域が起立しています。今の時代、これほどの作品と出会えたことに感謝します。ありがとうイーストウッド。
次回作『グラントリノ』ではいよいよ御大自らが主演。なんだか今から発狂しそうな予感。期待して待ちましょう。
本作において養鶏場と精神病院は、「監獄」という意味で同等なのである。
ラストで、この「監獄」=システムに反逆した「ヒーロー」がもう1人いたことが分かる。図らずも悪徳警部の「似たもの親子だな」という悪態が逆の意味で的中したことになり、見事なまでに感動的である。
このような映画を作ったイーストウッドに脱帽。
そして、子を思う母の愛を深く演じきったアンジェリーナさんに脱帽です。
警察組織にたてつく怖さを諭す牧師に向かって、「失う物は何もないわ」と言った彼女の顔を思い出すだけで、今でも涙が出てきそうです。
母が子を失う事がどれ程つらいか、子のためならいかに強くなれるか、多くの人に分かってほしいです。
そして、あらゆる犯罪・戦争行為に子供が巻き込まれる事のない様ただ祈るばかりです。
謙虚な敬意と傲慢な敬意の違い、とでも言おうか。
ではこの『チェンジリング』ではどうか。
私としては、前者であると答えたいのだが、それが何故か、と問われたらそれに対する答えは、ない。
暴力的なまでの謙虚な敬意、と言う他ない。
この映画で描かれる警察の暴力的な悪徳や、犯人の非道な暴力性、アンジェリーナ・ジョリーの暴力的なまでの無心の愛よりも、イーストウッドの映画への敬意の方が暴力的だと確信せずにはおれない。
それは劇中のあるシーンにおいても顕著だ。
アンジェリーナ・ジョリーがアカデミー賞の作品賞を予想するそのシーン。
勿論、われわれは1934年のアカデミー賞は『クレオパトラ』や『白い蘭』などにではなく、フランク・キャプラによるあの作品に捧げられたことは知っている。
そして当然、アンジェリーナ・ジョリー演ずる母親もまた、『クレオパトラ』などが作品賞を受賞するなどとは予想しない。
問題なのは、そこではない。この何でもないワンシーンに注意をひきつけられたわれわれは銀幕に視線をおくりつづけ、そして孤独な浮遊感を味わうことになる。映って当然のそれが映らないことによる、その浮遊感はいずれ途方もない孤独感になってわれわれに襲いかかり、映画の終幕までわれわれの瞼をこじ開け続ける。
やがて映画が終わるシーンを迎えたときに、われわれは孤独でなかったことを知る。イーストウッドはわれわれを一人になどはしない。
そのシーンの街並には映画館があり、その映画館には『或る夜の出来事』のポスターがかかっている。
この事柄だけを取っても、フィンチャーの愚かしさなどは言うに及ばず、イーストウッドの暴力的なまでの映画への謙虚な敬意を感じれずにはおれない。
物語そのものは重苦しさに包まれているが、悲劇の主人公に向けられる視線はそこはかとなく温かく、人間の強さを信頼しようとする(それは犯人の卑劣さと対になってさらに強調される)。その構図はそこここに見出され、たとえばLAPDの描き方は確かに類型的ではあるが、そこにレスター・ヤバラ刑事(マイケル・ケリー)を配することによって、事件解決の希望が見えてくる。
アンジェリーナ・ジョリーが見事な役者ぶりを披露し、新たな境地を見出したのも収穫。悪役刑事を演じたジェフリー・ドノヴァンも好演。
監督自身による音楽もどこか優しく、再現された20年代のLAにマッチしていた。
娯楽性を十分備えた社会派作品。80歳近くなってこれだけの力作を生み出すC・イーストウッド監督に脱帽。
決して後味は悪くない。これが80歳になる人の作品と聞くと、底力というか
人間力というかアメリカの凄さを感じた。A・ジョリーの見事さ、音楽と撮影の素晴らしさはいつまでも記憶に残るだろう。
連続殺人鬼そのものではなく、母親の一人と、警察の腐敗の方にスポットを当てた脚本が憎い。アンジェリーナ・ジョリーはどんどん大女優になっていくが、先行き不安はないのだろか。余計なお世話か。
ところでイーストウッドは、政治の方にはもう関心がないのだろうか。
イーストウッドの通奏低音を言葉で表現することはなかなか難しい。彼の映画でしか味わえない。映画の時間と空間を自在に操り、物語の世界にぐいぐい引っ張り込む妙技とあいまって、彼の映画を見ると私はいつも「答え」を迫られるような気分になってしまうのだ。そんな映画作家は、古今東西彼だけだ。
本作がオスカーからアンジェリーナ・ジョリーやトム・スターンら一部を除いて無視されたのは、こゝまでLAPDを馬鹿にしたからだろうか。全く徹底したリバタリアニズムの表明なのだが、まあちょっとやり過ぎの感もあり、LAPDや精神病院の描き方は単純化され過ぎている、ということも指摘しておかねばならないだろう。例えば無抵抗の犯罪者達をマシンガンで撃ち殺すイメージ・シーン(フラッシュバック)に違和感を覚えないか。或いはジョン・マルコヴィッチのキャラクター造形について言っても、私は登場シーンを見た途端、余りに極端な物云いなので、てっきり「LAPDこき下ろし」とバランスを取るために配置された、偽善者の牧師として描かれるのだろうと思ってしまった。
ただ、これらのある種類型化された作劇上の「幼さ」に抗して、イーストウッドのディレクションは途方もなく「大人」である。例えばLAPDの警部についても、精神病院の医師についてもその演技演出の充実は驚くべき達成度だ。いや大袈裟な物云いでなくすべての登場人物において、いや画面の果ての果てまでも、演出家の聡明さが定着しているように思えるのだ。本作も例によって決して全方位から称揚される映画ではないだろうが、フィルムに定着したイーストウッドの聡明さがフィルムを愛する全ての人を圧倒するだろう。本作のこの圧倒感は彼のフィルモグラフィーの中でも突出している。
観ていて本当に苦しかった。
これが実話だなんて信じられないし辛すぎる。
そんな不穏な話、息子を持つ母としては気になって仕方がないではないか。
気づいたら私は、公開初日の劇場にいた。
オスカーで振るわなかったのは、
さほど目新しいことをやっていないからだろう。だが、
「壮大なセットを背景に、風化しつつある暗部をあぶりだす」という、
近年のイーストウッドやハワードの流れを危なげなく貫いている傑作だ。
そもそも今どき、安心して観ていられる映画は
イーストウッド作品くらいである。「まさか、ここで終わらないよね」
「まさか、あのままにしないよね」と思っていたら、
やはり、いいラストへと導いてくれた。
ただ、公式サイトにも載っている、当時の新聞記事を読んでみると、
史実とは、かなり異なる内容であるのに気づく。
とりわけ、ウォルター少年の父が実際には強盗の罪で
長期にわたり服役中だったのが、やがては世間の同情を遠ざけ、
よって事件が風化しやすかったのではないかと邪推したくなる。
では、クリスティンが上品な働くシングルマザーである場合と、
極道の妻である場合とで、親子の価値や痛みは変わるのだろうか。
映画は、そう問いかけているようにも感じる。
エイミー・ライアンを配したのは、日本劇場未公開の秀作
『ゴーン・ベイビー・ゴーン』へのオマージュなのかもしれない。
あの映画でライアンは、行方不明の我が子を待つ、
“体裁の悪い”母親を演じているからだ。
『チェンジリング』は、事件から7年後、
フィクションと思われる人物の登場をきっかけにして幕を閉じる。
ウォルターは16歳になっている計算だ。
9歳から16歳といえば、家に居ようが居まいが、
男の子は女親にとって、何かと悩みのタネとなる。
そんな時、母は、見えない未来に希望を託してひたすら待つ。
その、待てる同志に、私は会いたくて劇場に足を運んだのかもしれない。
何と言うか、厳しい現実というものを描き切ってますね。
国家権力を信用するな。どんなに追い込まれても、自分の感覚だけ
を信じて、売られた喧嘩は徹底的に戦え。
ってのがイーストウッドからのメッセージなのかな。この人、ダー
ティハリーの頃から、全然ブレてないね。男の中の男。
人権が対国家の概念であるように、国家権力は、気の触れたチンケ
な犯罪者なんかよりも数段怖い存在だから、そっちの方に比重を大
きく取ってある点は良いバランスだったんじゃないかと思う。
権力者に都合の悪いことを言うような者は病人扱いして、精神病院
に隔離・・・。
権力が堕落すると直ぐに、北●鮮みたいな状態になると。
アメリカでは警察が信用されてないとは聞いてたけど、ここまで分
かり易いとはね。
ブラピんちの母ちゃんは喧嘩には勝ったけど、子供は・・・。
しかし、この人は自分の人生というものにはキッチリと勝利したと
言えるでしょう。
不幸なことに巻き込まれた人は、その不幸自体は回復できないとし
ても、国家等には頼らずに、自分の内側から湧き上がってくるよう
な力で立ち上がって生きていく。
人間とは、かくあるべきだ。って感じかな。
マルコビッチが、なんかカッコ良かった。
「世界で最も無能なロス市警は、今日も汚職に励んでます」って、
笑えるw。
(^∀^)
ストレスで身長が縮んだって? あのデブ、本当に医者か?
チ●コの皮が違ったとは、やっぱそこらへんには個体差ってもんが
あるんだね。
る沈鬱な音楽に、荒んだ感じさえ与えられる色彩の画像。
画家が絵の具を陽に当てて退色させたり画布を荒らしたりしてまで
テーマにあったトーンを出そうとするように、イーストウッドも聴覚視覚
に工夫を凝らしている。 あの、額のシワの続きのような細い目の
顔、たいした才能を秘めてますね。
でも、「カッコウの巣の上で」なんかがそうだけど、作品としては
上質でよかったけど、いま一度観ようかという気になかなかなれない
重い映画、これもその中に入ってしまいます。 悪人どもに鉄槌のく
だる法廷劇のカタルシスをエンディングにしてたら受けも良かろうと
思うのだけど、イーストウッドはあいも変らず観客に媚びようとしな
い ・・・というよりも、期待を逆手にとるかのような感じさえ与え
られる。 権力の悪を際立たせるためなんだろうけど、殺人犯に
比重を多くかけたせいか、悪≠ェ分散してしまった感じがします。
それにしてもアンジェリーナ・ジョリー、先だって観た
「ウォンテッド」でのサイボーグ的パワフル女と、この映画での、母性
に突き動かされ強大な権力に立ち向かう強いところもあるけれど、
憔悴しやつれ果てた痛々しい様子の女、個性的な顔をしているか
ら同じ女優だと分かるけど、よくもまあ、これほどまでまったく違う
人格を、それもなりきって演じられるものです。 役者魂を思い知ら
されました。
それは、ともかく。
すばらしいキャスティング、俳優、演技演出、音楽美術、衣裳、そして撮影。おそろしくハイレベルな作品。ストーリーのナラティブも植物の茎が伸び葉が出て繁茂するように間断なく展開し、2時間半近い上映時間も瞬く間。
だがしかし、最後のシークエンスに物語上致命的な欠陥があり、残念であった。
内容は、書けない。
最後の30分頃からが、とにかく辛かった。
このころには、自分も映画の中の一人の人物−それもクリスティンにとても近しい存在−である気持になっていた。
アンジーやマルコヴィッチ、ドノヴァンなどの役者陣の働き、イーストウッド監督が作り出した、生を感じさせる古典な映像が、私をそうさせたのだ。
この事件の展開や結末を全く知らなかった私だったが、ハッピーエンドには成らぬことが、頭に何度もよぎり、居たたまれなかった。
それでも「大丈夫なんだ」と、手を強く握り、首は死後硬直の如く強張り(こわば)、体を座席にこれでもかと押しつけた。
物語のその後の語る字幕が現れ、それからエンドロールに入っていく中、小さく早い溜息を、何度も発していた。
※過剰表現に見られるかもしれませんが、マジっっっす
シネコンのポイントカードの有効期限が迫っているからと、就活の休みとして観ましたが、生涯に残る作品に出会えました。
突然、息子がいなくなり5ヵ月後に帰ってくるんだけど、それはまったくの別人だった。じゃあ本物の息子はどこに?、という単純な子供捜しのミステリーなのかと思ったら、その当時の警察組織の腐敗ぶりをかなり露骨に描いて浮き彫りにしている。警察の初動捜査が適切だったらば、クリスティンの言葉を真摯に受け止めてくれていれば、そういった苛立を観客にもダイレクトに伝えているのね。
LAPDはかねてから汚職まみれでいい評判ではなかったから、ウォルター失踪事件を円満解決させてなんとかその汚名を返上したいという焦りがあり、捏造という形で事件解決を行う。クリスティンは正しいことを言っているのに、事件担当のジョーンズ警部は「もう解決したことだ」の一点張りで執りあってくれないもんだから、おのずと観客も警察への不信感を募らせてゆく仕組み。
警察の非道な隠蔽工作の実態や、失踪事件の恐るべき真実が次第に明かされてゆくのだが、そんな中でも自分の信念を貫き闘い続けたクリスティンの母としての強さが観る者に訴えかけてくる。初めはウォルターがいなくなりうろたえていただけのクリスティンが、だんだんと気丈な女性へと変わってゆく。御大が描きたかったのは警察の腐敗なんかよりも、ソッチの方だったというのは中盤過ぎ辺りから分る。
実話の映画化ということで事実に基づいてああいう結末なんだろうけど、どこかしら希望を与えているような〆方になっているのはよかった。「ミスティック〜」や「MDB」に顕著だった厭世観は、今回はどちらかといえば希薄。御大も喜寿をとうに越えたので、老成円熟(?)の域に達したのでこういう結末を素直に持ってきたのかしら、なんてことを考えちまった。
それにしても、ジョーンズ警部の憎たらしいこと! 捜査のミスを認めずに一方的にクリスティンに非があるように仕向けて強制入院させちゃうなんて。病院にはクリスティン以外にも警察権力に歯向かった女性たちがいっぱい収容されていて、中には廃人のようになってしまった人までいる。こんな不当で恐ろしいことがまかり通っていたとは…。
切実に息子を捜すクリスティンに、牧師を初めとして彼女の味方になってくれる人たちが次々と現れてくるのが感動的だった。クリスティンに手をさしのべるのが長老教会の牧師だというのも、なんだか意味がありそうね。「警察はこんなに悪いことをしてるんですよ〜」とラジオで演説していたとはねぇ(今でもしてるのかな?)。
さて、渾身の演技で映画を最後まで引っ張ったアンジー。昨年観た「ウォンテッド」の時とはまるで別人のようで、彼女の熱演のお陰で比較的長尺の映画なのにグイグイと引き込まれて目が離せなくなる。失踪した息子を懸命に捜す母の姿にはグッときたね。ノースコットと刑務所での対峙シーンが特にすごかった。こりゃオスカーは射程内とみたね(他の候補者、観とらんけど)。
誘拐殺人犯の死刑執行の場面は、もしかすると御大なりの死刑制度への在り方を提示したのでしょうかね? 事実に基づき最初から脚本にあったのかもしれんが、悪い奴はキッチリと制裁を受けるべきで、それを見せることで誰もが暴力的な感情を心に持っているということを伝えたかったのかも。
製作にブライアン・グレイザーとロン・ハワードが名を連ねているけど、もしかすると御大は雇われ監督で、当初はロン・ハワードが監督する予定の映画だったのかも。でも、御大はジャジーなスコアまで手掛けているから、どこをどう取ってもイーストウッド監督作になっているけど。
どうでもいい話。「MNIE」のケニーことグレッグ・ビンクリーが陪審員のひとりで出ていることに気付いた。
「事実は小説よりも奇なり」を地で行く物語。「もし真実の話でなければ、ものすごいフィクションだ」とはイーストウッド監督の言葉。腐敗・不正があれば、それを正す正義もあるのがイーストウッド流のアメリカ。一本芯の通った骨太作品とはこの作品のこと。それにしても、昔のLAの風景、どこまでがCGなんだか…。
それにしても今更だがイーストウッド氏の力量には脱帽、リアルなアメリカを撮らせたら右に出る人はいないだろう。しかも制作から作曲までこの歳で幅広い活躍を続けられる情熱は一体何処から出て来るのであろう。
観戦中は消去法よろしくその映画の+−を克明に記憶しメモに残すのだがこの映画に関しては早々と最初の40分で降参、どっぷり画面に浸かり2時間20分がまたたく間に終わってしまった。淀川さんや水野さんの評価を是非聞いてみたい。