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甘き人生(2016)

FAI BEI SOGNI
SWEET DREAMS

メディア映画
上映時間130分
製作国イタリア/フランス
公開情報劇場公開(彩プロ)
初公開年月2017/07/15
ジャンルドラマ/伝記
映倫G
よい夢を――

2017年7月15日より、ユーロスペース、有楽町スバル座ほか全国順次公開

甘き人生

(C)2016 ALL RIGHTS RESERVED IBC MOVIE SRL, KAVAC FILM SRL, AD VITAM (C)Simone Martinetto


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【解説】
 イタリア人ジャーナリスト、マッシモ・グラメッリーニのベストセラー自伝小説を「夜よ、こんにちは」「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」のマルコ・ベロッキオ監督が映画化。幼くして亡くした母への想いに囚われ続けた男が、運命の出会いをきっかけに、未来へと向かって歩み始める姿を、イタリアの激動の歴史を背景に描き出す。主演は「ローマに消えた男」「おとなの事情」のヴァレリオ・マスタンドレア、共演に「アーティスト」のベレニス・ベジョ。
 1969年、トリノ。9歳のマッシモは、大好きだった優しく美しい母を突然失う。しかし母の死について周りの大人たちは言葉を濁し、そのあまりにも大きな喪失を、少年のマッシモは受け止めることができなかった。90年代のローマ。大人になり、ジャーナリストとして成功を収めたマッシモだったが、未だに母の喪失を乗り越えることができずにいた。そんな中、サラエボでの過酷な取材が原因でパニック障害を起こした彼は、駆け込んだ病院で、精神科医のエリーザと運命の出会いを果たすのだったが…。
<allcinema>
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【ユーザーコメント】
投稿者:Katsumi_Egi投稿日:2017-08-25 00:22:33
 とても豊かな映画だ。時空をまたがって、同一のイメージの反復を観客に喚起する作りが意識的に行われており、豊かな映画の時間を感じる。主人公マッシモと母親が踊る冒頭のダンスと、ベレニス・ベジョの祖母の、ダイヤモンド婚式の場面でのダンス。母親とバスに乗っている際に仰ぎ見る銅像と、プールの観覧席の母親たちを映した、泳いでいるマッシモの見た目として提示される仰角カット。また、バスの中で見る、知らないカップルのキスのカットと、ダンスをした後、会場を抜け出し、ベジョとキスするカット。飛び込み競技の反復についても、ベジョがプールで体現する(その他多数ある落下のモチーフについては割愛)。或いは、テレビの中のベルフェゴールと、クラブのシーンで映し出される吸血鬼ノスフェラトゥ。マッシモの家と教会のいずれにもあるクリスマスの装飾、ベツレヘムの星。そして、サラエボのシーンで、ドアの前で血を流して倒れている女性と携帯ゲーム機に没頭する少年は、マッシモと母親のメタファなのだろう。これは音の使い方、という意味でも秀逸なのだが、母がいなくなる朝の、男の叫び声が忘れがたく耳に残り、母親の顛末と同時に、あの声は何だったんだろうと思いながら、見進めることになるのだが、ちゃんと後半で種明かしをしてくれる、なんてところも行き届いた演出を感じる。エンディングの「かくれんぼ」は、これも母を探求する人生の象徴なのだろうが、放ったらかし感−なんにも解決せずに終わる−の余韻も絶妙だと思う。
http://www.page.sannet.ne.jp/egi/
投稿者:黒美君彦投稿日:2017-08-09 12:38:37
【ネタバレ注意】

第69回カンヌ国際映画祭「監督週間」のオープニングを飾ったイタリアのマルコ・ベロッキオ監督作品。
イタリア人ジャーナリストのマッシモ・グラメッリーニによる大ベストセラー自伝小説“Fai bei sogni(よい夢を)”が原作だ。

何も知らずに観ると、幼い頃に母親を喪くした男の異常な固執を描いた作品、ともとれるが、少し予備知識を持つと随分見え方が異なってくる。
例えばイタリアをはじめとするラテン諸国では男の多くがマザコン的に母親への愛情が深いということ。
そしてもうひとつはこの作品では「落下」「ダンス」が大きな意味を持っているということ。
いうまでもなく母親(バルバラ・ロンキ)は投身自殺であり、その後マッシモは書斎のナポレオンの胸像を窓から「落とし」、サッカーのリフティングを部屋でしていて聖母が描かれた飾り皿にボールを当てて「落とし」て割ってしまう。
また新聞記者として自立したマッシモ(ヴァレリオ・マスタンドレア)が、父親(グイド・カプリーノ)と再会する場面があるが、そこで背景としてあるのは、1940年代の全盛期に飛行機の「墜落」事故で監督と選手をいっきに失ったトリノFCの慰霊祭である。
そこで母親を喪ったマッシモ少年(ダリオ・ダル・ペーロ)が、父親に連れられて自宅アパート近くのサッカー場に連れて行かれたエピソードも想起されるだろう。
そして幾度も暗示された「落下」は、のちに恋人エリーザ(ベレニス・ベジョ)による高飛び込みで締めくくられる。
また冒頭、母親と踊るシーンから始まるのも暗示的だ。彼はその後、踊ることを封印する。ところがそれが解放されるのが、エレーザのパーティーでのことだ。
つまり、母親の記憶に連なる「落下」「ダンス」が、恋人の力で初めて克服されるのである。
(こうした解釈は、「荻野洋一『甘き人生』評」http://realsound.jp/movie/2017/07/post-92421.htmlに教えていただきました。ありがとうございます)

敬虔なカトリック国であるイタリアにおいて「自殺」はタブーであり、遺体すら見ることができなかったマッシモはずっと母親と一緒に観たドラマに登場した怪人ベルフェゴールの名を呼ぶことでさまざまな障害を克服しようとしてきた。そのことを初めて率直に告白できた相手もエリーザだった。
それにしても、マッシモが40代になるまで母親の死因について知らなかったというのは無理がないか。たとえ父親が語った「心筋梗塞」という病名を信じ込んでいたとしても、新聞記者なら普通いろいろ調べるだろう。母親の死んだ日の記事だって、探せば行き当たるはずではないのか…?

マッシモがパニック発作を起こしたのが、1993年のサラエボでの取材の後、というのも印象的だ。サラエボでスナイパーによって惨殺された母親の死体が転がり、その前でゲームに熱中する子どもを椅子ごと動かして写真を撮るカメラマン。構図を作るために、椅子を動かすその光景は寒々とさせる。
被写体としてしか見えないカメラマンと、ゲームに没入することで現実逃避するしかない少年…。
それはマッシモの内側に巣食う「思考停止」の壁を突き破る効果があったのだろうか。

そうしたことを少し知った上でこの作品を観ると、また異なる位相が見えてくる。
決して、単なるマザコン映画ではなく、現代イタリアを舞台にした精神の放浪を描いた作品なのだ。

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