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サタンタンゴ(1994)

SATANTANGO

メディア映画
上映時間438分
製作国ハンガリー/ドイツ/スイス
公開情報劇場公開(ビターズ・エンド)
初公開年月2019/09/13
ジャンルドラマ
救世主がやって来る。
悪魔のささやきが聞こえる。

サタンタンゴ

(c)


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【解説】
 「ヴェルクマイスター・ハーモニー」「ニーチェの馬」のタル・ベーラ監督が1994年に手がけた上映時間7時間18分の伝説的傑作。2019年9月、<4Kデジタル・レストア版>にて日本劇場初公開が実現。活気を失ったハンガリーのとある寒村を舞台に、死んだはずの男イリミアーシュの帰還に混乱し、翻弄されていく村人たちの運命を、全編約150カットという驚異的な長回しの映像で描き出していく。
<allcinema>
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【ユーザーコメント】
投稿者:黒美君彦投稿日:2019-09-18 13:45:17
【ネタバレ注意】

2011年に発表した『ニーチェの馬』(未見)を最後に、映画監督からの引退を表明したハンガリーのタル・ベーラ監督代表作、とのことだが、彼の作品は実は初めての経験。1994年のこの作品も、4Kレストア版となって日本で初公開、とのこと。
何せ7時間18分(438分)の超長編。
個人的にはクロード・ランズマン監督『SHOAH』(1985年)の9時間27分(567分)に次ぐ長さかも。劇映画としては断トツ。
そもそもハンガリー映画そのものに触れる機会が少ない。思いつくだけでも『ハンガリアン』(ゾルタン・ファーブリ監督、1977年)や『君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956』(クリスティナ・ゴダ監督、2006年)くらいだろうか。
さてこの作品だが、2015年に英ブッカー国際賞を受賞したクラスナホルカイ・ラースローの小説が原作で、タンゴのステップ<6歩前に、6歩後へ>を意識した12章で構成されているという。タル・ベーラの作品もそこから大きくは逸脱はしない。

とにかく「泥濘」である。モノクロの画面のなかに広がる舞台の農村は、四六時中激しい雨に打たれ、大地はいつもぬかるんでいる。
ハンガリー人は傘を知らないのか?誰一人傘をささず、男も女も子どもも豚も、雨に打たれ、悄然と濡れている。
大概にして欲しいと思うくらいの長回し。438分もありながらカットの数は150ほどだという。正直あまり長回しが続くので途中何度か気を失いそうになった。
しかしそれはカットのひとつひとつが退屈であることと同義ではない。カットは見事なまでに静謐な世界を捉えている。
閉塞感に満ちた農村の、欺瞞に満ちた暮らし。ともすれば牧歌的に描かれがちな農村の、醜い一面が炙り出される。
そのなかで印象的なのが、11歳の少女エシュティケ(ボーク・エリカ)だ。軽い知的障害?のある彼女は、家族の中においては不在の象徴となる。彼女は自分より弱き者を裁こうと考える。それがネコだ。よく懐いたネコを振り回し、床に叩きつけ、挙句の果てに猫いらずを呑ませる。ネコは次第に体の動きを鈍くさせ、やがて薬の入った皿に顔を突っ込んで動かなくなる(…この場面、ネコ好きの私には耐えられないくらいの衝撃だった…本当に殺したのでなければ良いのだが)。
動かなくなって硬直したネコの亡骸を抱えてエシュティケはさ迷い、そして廃墟で彼女はネコの亡骸を抱いたまま猫いらずを口にして横たわるのだ。
もうひとりの印象的な存在が医師(ペーター・ベルリング)。アルコール依存症としか見えない彼は、酒を浴びるように飲みながら、村の人々の記録を続けている。それがどんな意味を持つのか私にはわからない。「すべてを徹底的に観察して記録することにより、この腐敗しながらどこまでも肥大化していく悪魔的体制の奴隷にならずにすむかもしれないという希望を抱いていた」彼は酒場を窓の外からじっと見つめるエシュティケに声をかけるが、結局彼女の死を避ける結果には至らない…。
そして後半存在感を増すイリミアーシュ(ヴィーグ・ミハーイ)。死んだという噂のあった彼が何をもたらす存在なのか。イリミアーシュとは、旧約聖書に登場する預言者「エレミヤ」のハンガリー語読みから来ている。ところがここでイリミアーシュは救世主とは思えない詐欺的話術を弄する。何せ彼は村人について「連中は台所で同じ汚い椅子に座ってるさ。何が起こったか理解できないんだ。互いに疑りあい、そして待ってる。騙されたと思ってるからだ。主を失った奴隷どもだ。動物の群れのように後に付いて行くだけだ」と吐き棄てた人物だ。彼は権力側のスパイとして、村人たちについて詳細な報告を警察に上げている。得体の知れない彼は救世主などではない。

悪夢のように続く長回し。注視することに疲れ、もう少し短くカット替わりしてくれよ、と思ったのも事実だ。だがその一方で町の交差路を突然駆け出す馬の蹄の音が忘れられない。
災いは暴走する馬のように訪れ、そして去ってゆくのだ。

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