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家族の肖像(1974)

GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO
CONVERSATION PIECE
VIOLENCE ET PASSION

メディア映画
上映時間121分
製作国イタリア/フランス
公開情報劇場公開(東宝東和=フランス映画社)
初公開年月1978/11/25
リバイバル→ザジフィルムズ-2017.2.11(デジタル完全修復版)
ジャンルドラマ
家族の肖像 デジタル完全修復版 [Blu-ray]
参考価格:¥ 6,264
価格:¥ 4,890
USED価格:¥ 10,090
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家族の肖像

【解説】
 ローマ市内で静かに暮らす教授のもとに、奇妙な一群がやってきた。母娘とその情夫たちである。彼らは教授の屋敷の2階に住み着き、教授の平穏な生活はかき乱されてしまう。だが、母親の情夫コンラッドとの美術談義だけは、教授に不思議な安息を与えていた。そんなある日、コンラッドが過激派に襲われて負傷してしまう。やがて、その傷がきっかけとなり、コンラッドは彼らの前から姿を消すことになるが……。巨匠ヴィスコンティが、現代における家族の存在理由と定義を問い直す、静かだが力強い作品。B・ランカスターとヨーロッパ映画界を代表するスターの顔合わせも大きな魅力となっている。
<allcinema>
評価
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
1183 7.55
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【ユーザーコメント】
投稿者:ローランド投稿日:2017-10-18 11:02:21
  爛ラスは群れて飛び、鷲は一羽で舞い上がる瓩離札螢佞ある、誰にも邪魔されずに一人で趣味の世界に没頭していたい教授が己とは対極の価値観と人間性をもつ闖入者によって生活を乱され、その傍若無人非常識な一団が良しにつけ悪しきにつけ教授の人生を変える何かをもたらすということで 『野いちご』 やそれに 『鑑定士と顔のない依頼人』 をも連想させるが、室内の装飾に家具や本棚や調度品など細々としたものを記録しておくのは大変なんだろうなって余計な心配をしてしまうほどにいつものことながらの手間暇かけた丁寧な映像と、この監督作品 『山猫』 での犹廓は死に、やがて・・・瓩離札螢佞鮖廚ど發べる、貴族の末裔でいつも滅びの美学というようなものを意識しているようなヴィスコンティならではの退廃的ながらどこか惹かれるところのある作品です。   

  傍若無人にふるまう若者が暴漢に殴られ気絶したのを教授に見られて猖佑鮃抜けと?瓩筏い砲垢襪△燭蠅法∃岸不遜な態度は臆病を隠すためでその無理が精神を圧迫してああいう結果に・・・ とか、ひとりで趣味の世界に没頭していたいはずの教授も心の奥底では人間の絆というものを求めていて・・・ とか、それに他の登場人物それぞれも個性的な役割を演じて人間洞察が面白いなかで、ワシら貧乏人に都合の良い訓話めいたものを無理気味に探せば、幸福感や満足感というのは財産の量と正比例はしないということかもしれない。  まぁ、あまり深く考えずに爛凜スコンティ調瓩魍擇靴瓩个いい辰討海箸任覆鵑任靴腓Δ韻匹諭   

  エンディングの教授の姿に ↓ のかたも述べておられるように 『ベニスに死す』 を連想したのだけど、そのコメントの数が手頃だしとこれまでの皆さんのレビューを全部読んだら洞察力のある読み応えのあるものが多い。 最近姿の見えない人が多いけどみんな忙しいのかな・・・。  好きなジャズの影響でズラズラとした文章を載せている我が身としたら反省心が起こるのだが、こういう駄文を中和するためにもっと登場してくだされませ。       星の数は7個以上8個未満です。
投稿者:ちゃぷりん投稿日:2017-05-03 17:36:02
【ネタバレ注意】

「野いちご」の対極にあるような、人生の殆どに悔いを残して死んで行く老人(子供も出来なかったし)。
大病で死に掛けたヴィスコンティの目には、シルヴァーナ・マンガーノが属する資本家も、ヘルムート・バーガー(若き日の自分も)が属する左翼活動家も駄目になって行くと映ったのかな。
自分が空気まで知ってる貴族社会も含めて、彼が愛した美しい物は時が経てば朽ち果てるだけ。そんな未来に未練があったとは思えない。三島由紀夫が自決を数年延長して本作を観たら絶賛したと思う。
老いと孤独の恐怖は伝わって来るようになった。

投稿者:o.o投稿日:2016-06-27 22:42:54
年老いた教授の静かで孤独な生活に突然侵入してきたビアンカ夫人とその娘リエッタ、娘の婚約者ステファノ、そして夫人の愛人である美青年コンラッドの、傍らに人の無きが若き振る舞いの数々に、まずはあっけに取られます。しかし見ているうちに、彼らには悪意とか邪心とかが不思議と感じられないことに気付きます。思いっきり自己中心的ではあるものの、単に自分の欲望に忠実なだけで、他者を傷つけようという意思はなく、どこかピュアなものを感じさせます。

そんな彼らの特徴は、結局のところ「貴族的」ということになるのだろうなと思っています。彼らは主人公にとっての「家族」になったわけですが、重要なのは「家族」であるというだけではないように思えます。教授にとって彼らは、彼が愛する貴族の家庭団らんを描いた絵画から抜け出てきた、今や滅んでしまった幻想の「貴族」ということではないでしょうか。あるいは教授の方が絵画の世界の一部になってしまったと言えるかもしれません。

もちろん彼らは本物の家族でもなければ貴族でもないわけで、クライマックスの口論と破局の場面で、現代 (1970 年代) イタリアの現実がどっと流れ込み、彼らのバックグラウンドがそこで初めて明らかになって、教授の夢見た幻想の世界もそこで終わるというわけです。それにしてもこのわがまま一族、まるで何百年の時を超えて生き続けてきたヴァンパイア一族みたいです。コンラッドは、彼らに噛まれて仲間にされた元人間というところでしょうか。

この映画で何と言ってもインパクトがあったのが、ヘルムート・バーガーという役者が演じる美青年コンラッドです。傲岸不遜で、人の家の女中に持ってこさせたワインを飲み、いかがですかと聞かれて「まずい」の一言。何様だこの野郎と思わせつつも、どこか高貴な人間が持っている (のであろう) ある種の公平さみたいなものを感じさせ、芸術への理解を示し、最後は、「悪いと思っている」、「あなたと話せてよかった」などと、礼儀正しさを見せて去っていく初登場シーンが鮮烈に心に残っています。

教授とコンラッドの関係は、同じ監督の『ベニスに死す』 (1971) における初老の作曲家と美少年との関係に似ているのではないでしょうか。もちろん本作品では、「父と子」という要素が強いのですが、どうもそれにとどまらない微妙なものがあると感じずにはいられません。ヴェネツィアの浜辺で少年の幻影を見ながら息絶える (ように見える) 作曲家の姿と、ベッドの上で、おそらくはコンラッドの幻影を見ながら息絶える (ように見える) 教授の姿が重なります。

『ベニスに死す』と同じく、古き良き貴族的なヨーロッパへのレクイエムであると受け止めた次第です。うーん、まろにも、まろにも分かるでごじゃるー、という感想です。
投稿者:sachi823投稿日:2013-01-07 20:44:54
若い頃、いろんな監督を好きになり、作品を追いかけましたが、
ヴィスコンティ監督は敬遠していたように思います。
誰もが褒めるのですが、その貴族性や、周囲の評価による
あまりの立派さが鑑賞しても肌に合わなかったのかもしれません。
本作は、その中では比較的好きになれた作品です。
孤独な生活の中で、低俗な家族の団らんの絵に囲まれて、
疑似家庭を夢見る老教授は実は他人の気持ちが
少しもわからず相手のことが何一つ
見えていない。やがて死期が迫り階上の音におびえる。
よくベルイマン「野いちご」と比較されますが、
こちらのほうがわかりやすくて好きです。
投稿者:Ikeda投稿日:2010-05-30 14:15:11
ヴィスコンティらしい不思議な雰囲気の映画ですが、私には、あまり好きになれない作品でした。一人暮らしを好む教授の家に不作法な一族が割こんでくる所がこの映画のポイントでしょうが、中盤あたりが特に退屈しました。
バート・ランカスターが落ち着いた演技でかなり好演ですし、やたらに怒るシルヴァーナ・マンガーノも彼女らしさを出していて面白いですが、全体が坦々と進行するので、この作品の意図が今ひとつピンと来ませんでした。
その辺の良さが解れば良いとも思いますが、日本アカデミーとブルーリボンの外国作品賞を受けている所を見ると他に良い作品がなかったのかも知れませんが、意外に日本人向きの映画なのかとも思えます。
投稿者:クリモフ投稿日:2009-05-09 01:28:55
なにやら、ちょっと不可解な話の進め方やらキャラが濃い割りに話が淡々としていたりで評価が難しいなぁ。家族のあり方がどうとか言うのもわからんではないけど、お人よしのおっさんの家に迷惑な母娘とその愛人がころがりこんでくるっていう印象のほうがしっくりきてしまいました。まぁ話にはそれほど魅力は感じられなかったってことですね。
ただ映像が面白くて退屈はしませんでした。なんか艶っぽい。全然いやらしい場面とかないのに色気が感じられますね。美術品やら家具のなどの画面への乗せ方が綺麗。あんだけたくさん調度品がありながら、さりげなくゴテゴテせずにシックに撮るのは流石だと思います。
キャストも全員品があって美しくてヴィスコンティな感じ。特にヘルムート・バーガーがやばいなぁ。綺麗カッコいい、あんな人いたらそりゃ囲いたくなりますわな。うーむ、悪くはなかったけど琴線には触れませんでした。
投稿者:赤星渉投稿日:2007-05-19 01:14:16
この映画最初の日本で公開された時、文部省の推薦映画でした。しかしなんと言う選択でしょう?20歳以下で、この映画の世界に浸る若者がいたらどうでしょうか?映画人は晩年になると、こうした映画を撮る傾向があるようです。黒澤の「夢」もそうなのでしょうが、ふつふつと昔の思い出と記憶がないまぜになった時間が忍び込んでくるのかもしれません。私はまだ、ほんの少ししかそんな時間はありませんが……。作家根性が、こんな時頭をもたげてこうした作品に結実するのかもしれません。しかしビスコンティはこの作品の中で、こうしたまどろみに沈む自分を主人公に投影しながら、これを客観化しよとシナリオにまとめています。この辺が老齢したリアリズム大家の面目躍如たるゆえんなのでしょう。ルキノ以前から女優に母親の来ていたドレスと同じものを着せたがって嫌われたりしていますが、この映画では臆面もなくこうしたシーンを入れています。シナリオチームも監督の性向まで十分に判って書いているのでしょう。ちなみの私はこの映画に娘役で出ているクラウディア・マルサーニが大好きです。DVDはなにか成人映画しかなくて、
ビスコンティは両刀づかいなのかしら
投稿者:シンネマン投稿日:2006-11-08 02:39:00
新世代の家族から結局はじかれてしまったコンラッドだけが次代を託したいと思える若者像だったのかも知れないけれども、彼は理由はともあれ爆死してしまう。
教授は、せっかくこの家族がきたせいで生のざわめきが戻ってきたと語っていたのだが、息子とも思えたコンラッドの死によって、自らも「死の足音」を聞いてしまう。
残った家族は「忘れる」という処世術を武器に「別々の道」を生きていく。
それが現代だとすれば何という絶望感だろう。
祈るような教授の最期に一人の映画作家の哀しみが偲ばれる。
 音が重要な役割を果たしている。
冒頭の無茶な工事音から始まって、コンラッドが襲われた夜の怪音、リエッタのポピュラー音楽、そしてコンラッドの爆死音でとどめ。
教授にとって遠い存在であるこの家族との隔たりを象徴しているかのようだ。
投稿者:ぽこちゃん投稿日:2006-04-12 00:45:35
ビスコンティ映画だから、キネ旬外国映画ベストワンだからと気合をいれて観たのですがまったく内容が思い出せません。ただ記憶にあるのは荻昌弘氏のパンフレットの解説でこれはヨーロッパの死だという一言だけ。私にはなんの関係もないやねという感想。地獄に堕ちた勇者ども、異邦人は好きな映画ですし、好きでないベニス・山猫・若者のすべても強いインパクトは残っているんですが・・私の感性には不向きだったんでしょう。
投稿者:Laetitia投稿日:2005-11-03 07:26:31
初めて観たヴィスコンティ作品。当時12歳350日、世界一若いファンだったと自負している。約24年後にやっと再見できたが、ほとんどの場面が記憶と一致していたことに我ながら驚き。コンラッドと教授が親子にも似た感情を通わせていく姿に子供ながらに感動したものです。




この方、いつもおなじコメントですけど、特に何も言いたいことがなければ
慎んでいただきたいです。
↓↓ 
投稿者:さち投稿日:2005-04-28 06:52:51
普通
投稿者:ルミちゃん投稿日:2004-12-31 03:07:51
【ネタバレ注意】

ルミちゃんは馬鹿だから、この映画、いくら考えても何も分からない.
ある子とメールでやり取りしていて、教えてもらったのだけど、その子が言うには非常識.
そうか、道理で、常識的に考えても何も分からないはず.書こうかどうしようか迷っていたのだけど、書いちゃおう.

コンラッドは手紙には、もうお会いすることはないでしょう、こう書きながら、教授の元に戻っていた.最後まで身勝手、こう言ってよいのだろうか.それに加えて、彼の死は、自殺なのか他殺なのか分からない.最後まで、わからない映画.

教授の元にやって来たこの家族、非常識のかたまり、こう考えれば、彼らを分からなくて当たり前なのだけど.だけど、教授の方は、常識をわきまえた人間に思える.だとすれば、教授の姿から、何か分かるものが無ければならないはず.でも、最後まで、何も分からない.

えーっと、最初からもう一度考えて、っと.
教授の家に現れた母親は、その登場の仕方からして非常識.話の内容も非常識.全くもうどうしようもない.それに比べれば、まだなんとなく、娘の方はまともな所があるかなって、思えたのだけど.だけど、この教授、欲しくてたまらなかった絵画をプレゼントされて、結局、娘の言葉に押し切られるように、訳の分からない家族を受け入れることにした.これって、教授は絵に対する欲望に負けたんだ.

もう一つ、これもなにか変だわ.
乱交シーン.教授は唖然とした表情で若者たちを見つめていたように思う.あの娘、ただのゲームよ、こんな言い訳をしながら、教授にキッスしたりして.でも、「望まれれば結婚してもいい」「望まない」、教授は明瞭に、冷静に、若者たちに対応している.
けれど、この後が、なにか変な感じ.
「二人のどちらかが私を妊娠させたら、子供を産んで先生にあげる」、ふざけるな、子供は大人のおもちゃじゃない.
それに対して教授は「老い先が短い.年かさの子がいい」、こう答えたのだけど、娘の非常識な言葉を、真に受けて答えている.孤独な老教授は子供が欲しい、自分の絵の研究を理解できる、コンラッドと一緒に暮らしたい、こう、望んでいたので、この様な受け答えをした.この後の会話、成り行きが、コンラッドを自分の子供のように思うのが、当然のような感じに思えるのだけど、これも、教授が自分の欲望に負けた、と、言えるのじゃないかしら.

先の、絵をプレゼントされた場合と比べると、乱交シーンの場合は、見直すまでは分からなかった.マリファナを吸って、何とも言いようのない官能的な雰囲気.思わず、私もしたいと思った.それに、全裸のコンラッドの、おちんちんが見えそうな?、そうか、きっと欲望に惑わされたのだ.

これで分かった.教授は絵をプレゼントされて、絵に対する欲望に負けて、非常識な家族を受け入れ、そして、子供が欲しいと言う欲望に負けて、「子供をあげる」と言う、娘の非常識な言葉を、真に受けてしまい、コンラッドを自分の子供のように思い込んだ.

まとめると、
教授の姿からは、人は欲望に負けると、常識的な考え方を失ってしまう.

母親は、非常識のかたまり.人間は常識を失うと、欲望だけが残る.この人は性的欲望のかたまり.

コンラッドは、非常識のかたまり.人間は常識を失うと、欲望だけが残る.この人は金銭的欲望のかたまり.

物事は、常識を持って考えること.非常識とはどのようなことか、常識を持って考えること.なるほど、分かったわ.

投稿者:マチェック投稿日:2004-04-28 23:33:12
これまでもこれからも、これを超える作品には出会えないだろうと思う。それほどに僕にとっては大切な、生涯の一本。頭の悪い僕にはこの作品を的確に表現する言葉が出てこない。もう何十回と観たが年齢や時期によってお気に入りのシーンが変わる。最近お気に入りのシーンは教授の幻想の中で、母親に苦しい言い訳を言うシーン。切ないなあー、これ。泣きそうになるよ。「家族の肖像」といい「イノセント」といい、晩年のビスコンティの演出には、鬼気迫るものがあるな。
投稿者:Stingr@y投稿日:2003-04-17 16:50:24
 いきなりの爆発音,その音が収まると重苦しい音楽が始まり,真っ暗な画面にタイトルが表示される。音楽がチェロの旋律に移ると,画面には心電計の記録テープが映り,機械音と共に記録テープがゆっくりと折れ重なってゆく……重厚な物語の始まりを十分予感させるオープニングは観る側に緊張を強いる。ヴィスコンティならではの見事さ。

 「家族の肖像画(conversation piece)」を収集し,何の問題も起こさない絵の人々に囲まれて孤独に暮らしていた教授は,階上の部屋を貸したことで無遠慮な間借り人によって平穏な生活を乱される。しかし,教授は次第にコンラッドに心を惹かれていく。教授は,同じ屋根の下に住む「家族」といういっ時の夢を見るのだが,その夢はコンラッドの死によって無残にも壊される。その死について,ブルモンティ夫人は自殺したと言い,リエッタは殺されたと言う。教授がコンラッドから受け取った最後の手紙は「I hope I'm wrong ...」で始まる。これは通常の別れの手紙であって遺書ではない。つまり,教授にはコンラッドが殺されたことが分かっている。手紙の署名「Your son, Konrad」が脳裏に残る。

 ラストシーンでのバート・ランカスターの両手だけの演技も見事だ。見舞いに来た少女の手が離れてもなお,家族の温もりを求めるかのように差し出された両手。しかし,その両手は何も掴むことなく崩れ落ちる。悲しみに顔を覆う両手。そして両手を合わせて神に祈る。そのとき,階上から足音が聞こえてくる。両手はゆっくりと離され,下ろされる。階上の足音は次第に小さくなり消える。それは教授がかつて皆に話した死神の足音なのか。彼は深い孤独と絶望の眠りに陥る。没落貴族と家族の崩壊という重いテーマはバート・ランカスターの名演を得て重厚な物語として結実した。

 ブルモンティ母娘は実に奇妙な人間に描かれている。貴族であるヴィスコンティが拒否したい種類の人間像なのだろう。シルヴァーナ・マンガーノもブルモンティ夫人を,実に身勝手な女として生き生きと演じている。
投稿者:momo投稿日:2002-09-07 02:02:39
はまって見れました。途中思い出として登場する母親と妻は、プロフェッサーにどのような影響を与えたのでしょう?よくわからなかった。。。
そういえば、「ベニスに死す」でも娼婦が思い出として出てくるけど、これもわからなかった。。。
投稿者:sniper7投稿日:2001-09-27 23:38:42
印象深い映画です。
家族の出会い、生成、崩壊が基軸としてあって、人間が個として
生きていくこと、最小単位の家族として生きていくこと、その相克。
無関係の存在の中に乱入者を取り込むことで、逆に失われた家族像を
クッキリと粒立て、相関模様を染め上げていく。

癒しがたく、集まり離散し、絆があるかのように見えるが、死者はやがては
忘れられるという一言も忘れない。
この不確かな関係こそが、と、言いたいのかもしれないが、その言葉を
深い色彩が包み込む。
妖しく漂う登場人物の匂いは、やはりヴィスコンティだからか。
考え続けたい、希有な作品。

投稿者:sho投稿日:2001-07-21 22:22:57
ヴィスコンティといえば「ヴェニスに死す」だが、この映画はカラー時代以降の
魅力の集大成という感じ。没落貴族の末路や、旧世代と新世代との確執、
老人の晩年の孤独感、そうしたものを格調高く描けるのは現代の作家では皆無。
まさにヴィスコンティは貴族芸術の頂点、というか、貴族の末裔である彼でしか
こういう映画は作れないだろう。
とにかく、彼の映画には、知性と感性のバランスがすばらしい。ヴィスコンティ映画ほど、豪奢さと芸術性に包まれた映画は稀にしか存在しないのだ。
http://cinema.ff.vu/
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
■ 外国作品賞 
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