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軽蔑(1963)

LE MEPRIS
IL DISPREZZO [伊]
CONTEMPT [米]

ゴダールの軽蔑(ビデオ)

メディア映画
上映時間102分
製作国フランス/イタリア/アメリカ
公開情報劇場公開(ヘラルド)
初公開年月1964/11/22
ジャンルロマンス
ジャン=リュック・ゴダール Blu-ray BOX Vol.1/ヌーヴェル・ヴァーグの誕生
参考価格:¥ 12,960
価格:¥ 10,024
USED価格:¥ 22,916
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軽蔑

【解説】
 劇作家のポールのもとに、辣腕プロデューサーのプロコシュがシナリオの書き直しを依頼しに来た。フリッツ・ラング(本人)が監督する新作『オデュッセイア』があまりにも難解すぎるからだ。打ち合わせの後、プロコシュの自宅へ招かれたポールと妻カミーユだったが、後からやって来たポールにカミーユの態度は冷たい。彼女が何に対して怒っているのか、二人の仲は自宅へ戻っても変わらない。あんなに愛し合ったのに、ベッドを共にする事も拒絶するカミーユ。やがて、映画のロケのためにカプリ島に出かけた際、ポールはカミーユとプロコシュがキスしている光景を目にする……。A・モラヴィアの原作を基に、当時、妻アンナ・カリーナとの問題で悩んでいたゴダールが自己の苦悩を投影させ、いくら愛しても愛されない事の不可解を描いた作品。同時に、斜陽化の激しいヨーロッパの映画産業を舞台にする事でハリウッド化への警鐘と不安も内包している。その二つの事象に対するF・ラングの言葉が、的確かつ辛辣だ。
<allcinema>
評価
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
15125 8.33
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【ユーザーコメント】
投稿者:sachi823投稿日:2014-06-24 20:14:34
あまり自分に縁がなく避けて通ってきたような
ゴダール作品ですが、
ブリジット・バルドーの美しさと
ジャック・パランスの腹芸と
ドルリューの音楽の類い希なる美しさは
賞賛に値します。
投稿者:gapper投稿日:2010-11-26 01:11:35
 有名なイタリアの撮影所、チネチッタでのお話。

 通常、出演者やスタッフが文字で表されるタイトルが題名のみ文字で後はナレーションで表現される。
 スタートは、通常は、映すカメラが映されドリーで移動し、その内今映しているカメラを撮る。
 意味深では有るが、どのような意味があるのやら。

 プロコシュ(ジャック・パランス)が車で向かった先に、ポール(ミシェル・ピッコリ)が歩いて向かうと結局歩いた方が早く着くなどアメリカ批判がそこかしこに見られる。
 「ハタリ!(1962)」のポスターが後ろの壁に貼られていると思ってみていると、右に移動した際同じポスターが破れていたりでやっかみにしか思えない。
 ラングが”ワイドスクリーンは、蛇と葬式にしか向かない”などというのも、この作品自体がワイドスクリーンで自虐なのかボケているのか分からない。

 この映画の見所は、バルドーの裸体と風景だが、最初のシーンでは事後の様な雰囲気でのポールとの会話なのだが下着のあとが残っている。
 実際は脱ぎたてということなのだろうが、気が配られていないと感じた。
 こうなるとユリシーズの話と対比させたポールとカミーユ(ブリジット・バルドー)の話が陳腐にしか見えない。

 後半出てくる断崖上の別荘的撮影場所は、なんと言っても魅力的。
 海から高さがあるので塩害も少ないだろうし降りればすぐ泳げる。
 屋根が階段と屋上になっていて、垂涎の屋敷だった。
投稿者:クリモフ投稿日:2010-11-02 01:38:26
相変わらず、意味があるのか無いのか良くわからん問答が続いて気まぐれに進行していくストーリですが、まぁ、あえて追う必要は無いでしょう(たぶん)
自分としては原色の刺し方が決まった色彩や、ゴダールならではのぶつ切り編集がなかなか面白くて退屈はしませんでした。また、フリッツ・ラングを出してきたり、映画の話題やらポスターやら、皮肉や批評をしつつもやはり映画を愛しているんだなぁ、というのがわかるのも観ていて楽しいです。
バルドーが全編にわたって出ているのも目の保養として○。ウィッグなんかつけたりしますが、ヌードで金髪で寝転がっているのが1番良いです。まぁ、話はほんとにどうしようもないので、そういうところを楽しみました(笑)
全体の出来としてはまずまずの印象かな。
投稿者:Ikeda投稿日:2010-09-13 10:38:01
ゴダールの私映画だと思われている作品なので、最初に出てくるフランスのヌーヴェルヴァーグの大家と言われる評論家アンドレ・バザンの「映画は欲望に適う世界を可視化する」という言葉が言い訳のように思えました。カミーユ(ブリジット・バルドー)がプロコシュ(ジャック・パランス)と会った頃から急に夫ポール(ミシェル・ピッコリ)が嫌いになってしまう話ですが、「女心と秋の空」そのものの進行で、お互いに責任を相手になすりつける痴話喧嘩が延々と続くので、見ている内に嫌になって来ました。「夫婦喧嘩は犬も食わない」と言われますが、それどころの話ではない進行が少々長すぎます。
ブリジッドがヌードを盛んに披露していますが、演技的には大したことはないと思います。既に監督としては現役を引退したフリッツ・ラングが本人役で、かなり顔を出しているのが面白いですが、戯曲にまつわる警句を話すだけなので、それに、あまり興味のない私には良く解りませんでした。そしてエンディングも何か無理矢理、終わらせた感じのする作品です。
投稿者:MADMAN投稿日:2010-09-03 22:28:42
 ブリジット・BB・バルドーとメインテーマが素晴らしい。そして、美しいカプリ島の海と独特な造りの別荘に尽きる。ドラマとしては退屈だった。

 プロデューサーのアシスタント、通訳は大変そうだった。
投稿者:這いよる混沌投稿日:2010-08-16 23:31:36
BBの背中から尻にかけてのラインはもう芸術だ。
これを見るためだけに110分が消費される映画。
ひいては、ゴダールっぽくない映画なのだなぁ。
投稿者:TNO投稿日:2009-10-30 01:09:52
ジャン・リュック・ゴダールが、当時の妻アンナ・カリーナとの仲がうまゆ行かず、自分から愛しても心が離れてゆく妻を自身の置かれている状況をこの映画に投影した。自身でも不可解な状況を他人に映画として見せられても更に不可解だ。アメリカ資本の権化ジャック・パランスを登場させているのは、当時の仏、伊の置かれた状況を反映している。米国映画に欧州映画は食われてしまうのではという不安感。ブリジッド・バルドーの肢体は、強調され何度もお尻を見せ付けられる。ミッシェル・ピッコリは、常に不可解な表情の薄いのっぺらぼうな顔。パランスとバルドーを同じ乗り物に乗せるという"失態"を繰り返す鈍感さも見て取れる。役者として自身の役で登場のフリッツ・ラングは、現実のではなく形而上の大監督。自身の最高傑作は、ドイツ時代の"M"というのは本音か。見切りをつけても独への愛着は捨てられないのか。バルドーに対してBB(べべ:ドイツ人ベルトルト・ブレヒト代表作「三文オペラ」)の詩を紹介するという楽屋落ちもあったりする。登場人物が限られているのでシンプル。しかし、ハリウッドが作れない映画であることは、間違いない。
投稿者:民謡から演歌まで投稿日:2009-09-13 19:34:30
【ネタバレ注意】

そして心底愛している者に裏切られた(ってのは誤解かもだが…ってよりは愛への過剰な過信か)思いは、全ての言動・行動に何らかの作用を果たし、すれ違った溝は決して埋まる事はない。
…男がその理由に気付いたとしても既に遅し。どんな言動も行動も、たとえ彼女が理性で理解出来たとしても、もう元の感情に戻ることは決してないのだ。

普通はそんな事を恐れながら生活している訳ではないから(気安くなればなる程)つい…って事がある。
気詰まりな会話に怒りを爆発させる〜更に気詰まりな関係になっちまう。
そこに別に大して好きでもない金持ちが絡んで、詩的で示唆に富んだ映画監督のセリフとイタリアの煌くような海(カプリ島だぜ!)〜ブリジットの美しい肢体……ラストはジェットコースターの終点。つまりが悲惨な結末〜そしてまた海が……同じ事を繰り返す卑小なものと大いなるものの永遠を語るかのように。

投稿者:uptail投稿日:2009-05-22 00:36:18
ジョルジュ・ドルリュー&フリッツ・ラング
投稿者:ちゃぷりん投稿日:2009-04-03 14:09:14
「カジノ」のエンディングで使われてた曲はバッハだと思い込んでたら、本作の「カミーユのテーマ」だった。ジョルジュ・ドルリューだと「アメリカの夜」のテーマ曲も良かった。
投稿者:william投稿日:2009-04-03 13:33:04
BBはもはや芸術だ。
投稿者:paris1895投稿日:2007-10-03 04:35:01
JLGはそっと呟くかの様に必死に自らの用いた宇宙人的仮面を被ろうとする。
 しかし、彼が映画を語る時、我々は彼も所詮人間なのだ、と安心する事を許される。
 
投稿者:skazoo投稿日:2003-12-08 10:26:39
【ネタバレ注意】

確固たる愛が、実は、相手の些細な言動で一瞬のうちに崩壊していく危うさを秘めていることを見事に描ききった作品だと思う。
作品の冒頭、あれほどまでに愛し合っていたにもかかわらず、カミーユの気持ちを無視してポールがプロコシュの車に同乗させた瞬間、カミーユのポールに対する愛の完全な崩壊が始まり、後は無惨な終焉の過程が残酷なまでに描写されている。
ポール自身のカミーユに対する愛は、全く変わらないのにもかかわらず、自らの些細な言動が完全にカミーユの愛を失わせる脆さ。作品解説を待つまでもなく、これは紛れもなくゴダールとアンナ・カリーナの関係を、ゴダール自身の後悔の念から作品に昇華させた極私的な作品に違いない。私も同じような経験をした直後なので、経験者にはゴダールの痛みを自らの痛みとして共有してしまった…。

投稿者:skull & rose投稿日:2003-05-03 02:23:17
ラウル・クタールのカメラはすばらしい。テクニカラーの海辺の映像は気狂いピエロへとつながっていくのを感じた。でもなぜB・バルドーなのかしら?彼女がちょっとアメリカ女っぽいからかな。とはいえ主演2人よりもF・ラングの存在感が強いくらい。ハリウッドの商業システムの中でも、自分のスタイルを一貫し、製作者が死んでもなお、映画を撮ることを続けるラングを、ゴダールが尊敬の眼差しで見つめているのがわかる。そういった映画の周縁的なものは興味深いものがあるが、全体としてはいま一つ。
投稿者:2000投稿日:2003-02-18 01:50:32
【ネタバレ注意】

理解できたとか共感できたとは僕は言えない。元々、わかりやすくなんて作られていないと思うけど、人の気持ち、考えを読み取ることの難しさを感じる。人は、感情型がいたり理性型がいたり。 どの映画も考えさせられるが、これを見終えた今、考えて確信めいた教訓が得れるといった感覚は無い。いわば仮説止まりって感じ。おもしろかった、爽快感は無いけど。
 映像やせりふにすごくセンスを感じた。最初、カメラがこちらに向くシーン。ホテルで、ポールとカミーユの心が交互に言語化されるとこ。途中ではいる、零コンマ何秒の回想。様々な格言。特に、人間は神が創ったのではなく、神を人間がつくったのだ、といったような裏を返したようなもの。その他もろもろある。
 

投稿者:パタママ投稿日:2003-02-15 09:58:55
ゴダールは見知らぬ有名人だ。こないだ日本のある賞を受けていた。
この映画は「見たことあるような」である。退屈と言えば退屈である。
公開当時はどう受け止められたんだろう・・
ただ私にとっての収穫は、ブリジット・バルドーです。これは至宝ものです。
彼女とこの映画の空気、が見終わった後にも残ります。映画って面白いね
投稿者:theoria投稿日:2002-07-21 20:12:57
ゴダールのイッヒ・ドラマとして展開されている。脚本家ポールと監督ラングの双方の視点を欲張っている為かどうも散漫である。私小説と思想の境界を云々することは出来ないが、両者を同レベルで昇華させることなど土台無理な筈である。それを敢えて試みているかの様に思えてならない。『オデュッセイア』のオデュッセウス(ユリシーズ)とペネロペを引き合いに出したところで普遍性を獲得するまでに至ろう筈も無い。ゴダールというだけで特別視されてしまうのか知らぬが、どれもこれも観た訳ではないので本作に限って言えば「天狗」的作品と思われた。高度に洗練された「遊びの精神」が本作品では検出できぬ。何れにせよ彼はご自身をどうやら「TRAZOM」さんとダブらせておられるらしい。確かに「トラツォムさん」も洗練された「遊び心」の持ち主であったが「下ネタ」も大好きであった。ウンコとかオケツが大好きで、その手の糞尿嗜好の書簡も一杯残っている。多分ゴダールさんはそれを愛読しているのだろう。しかしちょっとやそっとで「超越者」の真似事はできない。付け足しだが、ラストでアルファに乗ったカミーユとイタリア男が給油後?そこを走り去ろうと加速しているその時に事故っているが、「アルファ」「イタリア人」とくればそんなバカな!である。これは却ってハリウッドから笑われる。
投稿者:N゜1投稿日:2001-05-15 01:53:24
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