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最後の人(1924)

DER LETZTE MANN

メディア映画
上映時間72分
製作国ドイツ
公開情報劇場公開(劇場公開)
初公開年月1926/01/
ジャンルドラマ
シネマ語り
~ナレーションで楽しむサイレント映画~
最後の人 [DVD]
参考価格:¥ 2,160
価格:¥ 800
USED価格:¥ 3,363
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【解説】
 独サイレント期を代表する演出と脚本の才が協力して、“キャメラを持って語れ”を合言葉に新たな映像表現を確立した画期的作品。主演のヤニングスの名声を否応無く高めた迫真の演技が見事だ。さる都会のホテルの厳かな制服に身を包んだ老ドアマン。その立派な立居振舞いはホテルの顔と言うべきものだったが、ある雨の夜、客の大荷物を抱え大汗をかき、ぐったり休んでいる所を支配人に目撃され、運命は一変する。何やらメモを取る支配人。やがて呼び出された老人は手洗所のボーイに転勤を命ぜられ愕然とする。通達の書類には“老齢を配慮して”と大書きされている(ここに初めて字幕的画面が入り、彼が溢れさす涙にその文字が曇る!)。通勤時もかっちり着込んだ制服のため、近所でも将軍のごとき尊敬を集めていた彼だが、平服では誰も振り向いてくれず、むしろ嘲りの微笑みを浮かべるだろう。それが判っているから、彼はロッカーの制服をこっそり持ち出す。同居している姪の結婚式で、彼は制服に身を固めて祝宴に臨み、美酒にしこたま酔って幸福の絶頂に浸った(老人の酘酊、あるいは精神の昂揚を、二重露光のキャメラが主観的に物語る)。が、翌日からは、また白衣の手洗所のボーイ。たまたま、その姿を近所の奥さんに見つかって、この事実はあっという間にアパート中に広まる(その噂の伝達もまさに映画的に表現)。徹底的にうちのめされ、なじられながらする仕事にも身が入らず、ぼんやり手洗いの片隅の小椅子にうずくまる老人だったが……。ここでようやく字幕タイトル。これでは悲惨すぎるので一つの挿話を加えようと製作側が思ったのか、ちょっと蛇足なエピソードが入ってエンド・マークとなる。ドイツ人の制服フェティシズムの核心を衝いた、強烈な小市民劇。
<allcinema>
評価
【ユーザー評価】
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【ユーザーコメント】
投稿者:uptail投稿日:2013-11-04 11:00:28
マリー・デルシャフト
投稿者:gapper投稿日:2009-12-27 00:13:09
 高齢者の問題を扱う、現代でも通用する。
 ドイツ向け、アメリカ向け、その他一般の輸出向けの3つのバージョンがあるうちのドイツ版をムルナウ財団の依頼による2001,2年に修復した復元版(93分)を鑑賞。

 名誉あるドアマンを高齢のためにトイレボーイに降格させられ、身内に隠すところなどドラマでよくある不況で首になり言い出せずに会社に行くふりをするサラリーマンと同じだ。
 20世紀の初めだと言うのに4,5階建ての団地のような建物に住んでいるが、これが既に古めかしく年季が入っているのには驚く。
 最後の付け足しは、ディレクターズカットとして別物として見たほうがよいだろう。
 ※付け足しに入る前に、説明字幕が入る

 史劇やSF、ホラーといった非日常でよい作品を作ったサイレント時代の監督は、ラングやグリフィス、デミルなどかなり居るが、このようなドラマで優秀な作品を残した監督は少ない。
 ムルナウという監督は、少し異なった視点で見る必要があるだろう。

 カメラの性能のため遠映の移りが悪いが、その辺をうまく扱っていて、逆にいい味わいとなっている。
 説明字幕(中間字幕)が無いと言うのも凄いとしかいえない。
 この作品以外で、説明字幕のないサイレント映画を知らない。
投稿者:黒津 明二郎投稿日:2008-07-12 18:02:53
ゴーゴリの「外套」からインスパイアされて作られた実験的ドラマ。
マイヤーのシナリオはいいしフロイントのキャメラも絶品なのだが、ムルナウの演出に若干の綻びを感じざるをえない。それでも、画期的なサイレント映画芸術の作品であることは間違いないだろう。
大掛かりなセットを駆使した都会描写は、後の「サンライズ」につながっていくわけだが、印象に残る。
そして、例のラストだが始めに出る(唐突ともいえる)説明字幕によって、映画における虚構とかアイロニーを感じさせて悪くないと思った。
演技陣。これはもうヤニングスの一人芝居であり、最高だ!
投稿者:Ikeda投稿日:2007-03-13 11:56:48
携帯カメラを初めて使っった映画だという、この作品はこの当時としては非常に斬新な映像が続き、特にベル・ボーイ長の老いた姿の描写が抜群で、映画の革命だとまで言われたということが良く解ります。色々意見はあるにしても、私はムルナウの映画テクニックのうまさは「サンライズ」より上ではないかと思っています。
この作品の良さはエミール・ヤニングスの演技が大きく寄与していて、後の「嘆きの天使」につながる名演です。単純とは言いながら、これだけ金モールの制服に誇りを持つ男が将にドイツ的ですし、奥さん連中を初めとしてまわりの人たちの描き方がまた絶品です。
「付け足し」の部分についての批判はよく聞く所ですが、私も、これは、ない方が良いと思っています。これにはムルナウや脚本のカール・マイヤーは反対したようですが、製作会社ウーファの意向で追加させられたと聞いています。そのため、かなり皮肉を込められていますが、余り悲壮がらなければ、これはこれで面白いです。最後に盗みを告白し、うずくまっているヤニングスにコートを着せてやる夜警(ゲオルグ・ジョン)と共にホテルのレストランで豪華な食事をして、マネージャー(ハンス・ウンターキルヒェン)が来ても相手にせず、そのまま手洗所に行って、自分と同じ境遇の老ボーイに多額のチップを渡すあたりは、良い場面だと思いました、
それより問題は、私の見たのは英語バージョンでしたが、この挿話に入る前に「脚本家は、とてもありそうにない終幕を加えた」という字幕が出てくる事です。これには驚きましたがオリジナルには本来ないと思われる、このような事を付け加えるのは著作権侵害にはならないにしても、作者に対する冒涜であり、視聴者を馬鹿にしていると思いました。
投稿者:ミュジドラ投稿日:2006-05-15 20:35:30
 たかだか制服ひとつで、周囲の態度ってあんなに変わるのか。制服を着ないで自宅近くへ戻ってきた老人は、まるで犯罪者のようにこそこそ歩き回っている。盗み出した制服を手荷物預かり所へ預けるという苦心も、近所の住民に配置転換を知られて水の泡。制服によってしかプライドを保持できない老人は確かに哀れだ。また、あのハッピーエンドはアメリカへの輸出を考えて付け足されたものだとか。それがもし事実なら、アメリカ人は随分馬鹿にされていたことになる。
投稿者:Ki-Adi-Mundi投稿日:2004-04-20 22:05:46
どちらかというとこの作品は、実験的要素、または映像表現技術獲得への挑戦、という
側面が強いのではないだろうか?
たしかに優れた演出、演技だとは思う。しかし、私にはあまり本作はおもしろくは
感じられなかった。
ドラマとは「対話」ではないだろうかと私は考える。対話が感情を呼び起こし、ドラマを
作る。しかし、本作には対話はない。主人公の苦悩だけがある。それにつき合わされるだけである。
だからこそ私は、ムルナウの作品群の中で「サンライズ」こそが傑作である(今現在日本で見られる中ではね)、と考えている。
「最後の人」で得られた技術が「サンライズ」に余すことなく投入されたのだと。

最後の「あれ」は、なんとか見せ物として成り立たせるためには仕方なかったのではないか?
なんといっても戦間期のドイツである。だれも暗い話など見たくなかっただろう。
つまりあれがなければ客が入らないだろうと。でも、蛇足であることに間違いはないですね。
「これで良し」と言えるような脚本が創れなかった、とも考えられます。
いや、創れなかったと言うか、そこに時間と手間をかけるような作品ではなかったと。
すべてが注ぎ込まれた作品は「サンライズ」であると!
投稿者:theoria投稿日:2003-09-09 22:04:26
映画の中で舞台劇が、舞台劇の中で映画が盛り込まれている作品もある、という屁理屈は抜きにして、常識的に考えて舞台劇への視点とは、遠近及び上下左右の角度に於いて固定された客席に座る自分の目として舞台空間を捉えざるを得ない不動の位置に在る定点カメラである。然も、ズームも広角もクソも無い(オペラグラスでの望遠程度は可能だが)。つまり、座席の場所というのが舞台劇を堪能する際は極めて重要なポイントとなる。特に歌劇の場合などは音響の良し悪しは勿論、舞台上のみならず、オケ・ピットの見え方ですら客の心理に少なからず影響してくる為、座席の差はその料金の差以上に大きいと言えるかもしれない。映画館でも席の良し悪しはあるだろうが、舞台劇に臨む時のような大差があろう筈もない。ホールの規模という決定的な違いということもあるが、それ以上に、自分の目がカメラなのではなくて、カメラ捌きを目にするのが映画であるのだから、“前の人の頭さえ”異常に突起していなければ(笑)、何処から観たって皆ほぼ平等な状況下で映画は味わえる訳だ。無論、ナマの舞台とフィルムを媒体とする映画を安易に比較検討などできるものではない。ただ、舞台も映画もそれぞれに綜合芸術であることで共通しているのだから、その意味では同じ土俵に上がらせて色々な意見を飛び交わさせても全然おかしいことではない。ところでこの『最後の人』。無声映画にして更に基本的には無字幕。文字通り“カメラ捌き”が命となる。E・ヤニングスのホテルのドアマンとしての派手な制服を着用している時の得意満面な表情。そして、老いから便所係りへと追い遣られたその悲嘆に暮れる演技の上手さ!何よりも彼の目、目が感情の全てを訴えかけてくる。「目は口ほどに物を言う」を完璧なまでに証明している。いや、それ以上かもしれない。彼の姿と心を追い続けるカメラ。表現主義的手法が見事。ヤニングスの昏迷に妄想として歪んだ壁が迫り寄ってくる。また、酩酊状態から眠りに落ち、夢の中で見る多重露光だか露出開放だかの流れる映像が三半規管を麻痺させて眩暈を催させるほどに生々しい。F・W・ムルナウとなれば『吸血鬼ノスフェラトゥ』や『サンライズ』を先ず思い浮かべる人が多いのかもしれないが、私は本作が最も好きだし、とにかくヤニングスの名演技を支えるムルナウ、マイヤー、フロイントがスクラムを組んで一致団結しているようで異様なまでに熱い。映画の面白さと芸術性を簡明に伝えてくれる典型的作品だと思う。従って付加された(最初から意図的に?)ハッピーエンドの終幕は、自分も小市民かそれ以下のクセに小市民の現実的な悲劇を「笑える」と馬鹿にしたりとか「つまんな〜い」などと駄々を捏ねる連中にとっては「最後に救いがあってヨかった!」「人間は前向きじゃナクッチャね!」などと賞賛したくなる“無くてはならないオチ”なんだろうが、主観の極限を追求したドイツ表現主義の主導者たるムルナウの本分を鑑みると矢張り孤独な老人の悲劇で終わらせるべきであった。まぁ、誰だってより良い生活していくとなれば・・・ではあるし、肯定的に観れば弱者救済的でそれなりの価値は見い出されるのだが。しかし、この蛇足映像を除けば人間中心の感情をドイツ精神に則って大切に生真面目に扱っている事実に於いて、これ以上に映画らしい映画というものも滅多に有るまい。言葉に頼らず映像が全てを、更に“それ以上”を語っている。カメラの目に同化できてこそ映画を楽しめるという一つの原点を提示してくれる傑作中の傑作。まさしく映画の中の映画だと思う。
投稿者:Katsumi Egi投稿日:2001-10-27 07:07:06
 窓とドアの映画。多分全体の9割以上のカットで窓かドアが映っている。ファ
ーストカットから、エレベータの窓から見えるホテル内の風景だし、またこのホ
テルのガラス張りの回転式ドアの偉容さが良い!アパートの窓の使い方も素晴ら
しい!画面の端正さは特筆に値する。本当に美しい。

 エピローグが不要である、という多くの人が指摘する点は私も同感。しかも、
ストーリ的に蛇足であるばかりでなく、エピローグに至るまでと明らかに演出の
ボルテージも落ち、画面づくりも雑に感じる。
投稿者:クロマツ投稿日:2001-03-21 16:49:59
最後のハッピーエンドは、ほんといらない。でもそれまでの語り口はすばらしく、哀愁がすごく伝わってくる。あと人間のかわいさも。また言うけど、最後はいらない。
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