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スウィート ヒアアフター(1997)

THE SWEET HEREAFTER

メディア映画
上映時間110分
製作国カナダ
公開情報劇場公開(KUZUI)
初公開年月1998/07/25
ジャンルドラマ
スクールバスは湖に沈み、小さな町は悲しみに包まれた 喪失の日々を乗り越えてたどりつく、穏やかなその後
スウィート ヒアアフター デラックス版 [DVD]
参考価格:¥ 5,076
USED価格:¥ 7,900
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スウィート ヒアアフタースウィート ヒアアフター

【解説】
 バスの転落事故によって子供を失った親たちの、その後の人生を独自のタッチで描いたヒューマン・ドラマ。スクール・バスの転落事故が発生、町の多くの親たちが子供を失う。彼らの代理として集団訴訟の手続きを行うことになった弁護士のスティーブンが町を訪れ、被害者に有利な条件で訴訟をまとめてゆく。だが、事故の唯一の生存者ニコルの証言によって、事件は意外な展開を見せる。1997年カンヌ映画祭グランプリ受賞作。
<allcinema>
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
964 7.11
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【ユーザーコメント】
投稿者:Bava44投稿日:2015-06-21 22:04:58
【ネタバレ注意】

主役の弁護士に代表される合理主義的な価値観に対して疑念を示している、暗い人間ドラマ。
一見、謎解き的であるプロット構成の合理性を、弁護士の破たんした私生活のプリズムを通すことで解体させていき、得体の知れないものを浮かび上がらせていくことに成功している。

「笛吹き男」のテクストを下地に使う寓話性や、はっきりとした主張を行わない演出には、多少『ピクニックatハンギングロック』のテイストに近いものがあった。また、終盤になってそのテクストが、死んだ子供たちに向けられるのではなく、弁護士に踊らされる大人たちに向けられる奪胎があり、面白かった。

ただし、作品のテーマが不明瞭なのと、時制の変化がやや分かりにくいのが難点だった。不可解なものを分からないままにするのは、表現内容にある種の広義性を出すだろうが、もう少し絞った方が良かったのではと思う。あと題材の割に「コミュニティー」の概念が弱いことも気になった。

投稿者:犬星☆投稿日:2006-12-25 19:31:03
サラ・ポリー目当てで観に行きました。過去と現在が交差して初めはわかりにくかった部分もありましたが、何度か観ているうちにこの映画の魅力、何を伝えようとしているのかが自分なりに見えてきました。映像もサラも綺麗だし、音楽もよかったです。ハリウッドの派手でわかりやすい映画もいいけど、この様に静かで淡々と心揺さぶられるのもいいかも…。
投稿者:龍勝利投稿日:2006-06-12 14:10:15
映像と音楽とサラ・ポーリーが素晴らしい。辛くて痛いが好きな作品。タイトルを見たり聞いたりするだけで、いつも氷の張った湖の冷たさを思う
投稿者:りちゃちゃ投稿日:2006-04-10 00:37:17
映像もきれいだし、音楽もいい。ラストはあれでいいと思う。S・ポーリーをはじめて観た映画はこの作品、きれいな顔立ちと声が印象的でした。
投稿者:irony投稿日:2006-03-15 17:21:53
 サラ・ポーリーの最高傑作だね。物語りがわかりにくいって言う人はここを参考にしてちょ!http://cocoa.2ch.net/movie/kako/989/989607126.html
投稿者:Sekino☆そら投稿日:2005-12-12 03:38:55
【ネタバレ注意】

このシネマが訴えるものは非常に多い。コミュニティの原理や、互いの背景にある相違が生み出す葛藤。嘘の効用。範疇を越えた善意。その蓋を開けるべきか開けぬべきか。穏やかな日々も一寸先は闇といった悲劇をはらんだ日常を生きていることを人はつい忘れてしまう。万にひとつの出来事だと思い込んでいることが人を無防備にさせてしまうことへの警鐘のように★

雪深く静けさに包まれたようなこの田舎町には部外者が決して踏み込んではならない掟がありました。たとえそれが同じような境遇の持ち主であっても自分たちを完全に救うことのできる善意ではなかったのです。そして、彼らひとりひとりには、他人には知られたくない事情を持っていました。それを知りつつ互いを了解していた共同体には特別な距離感を育んできたともいえます。

その了解は言葉や会話を通してのコミュニケーションレベルで計れるものではなく、日常生活を維持するという極密接な関係の中で培われてきたものであることが見逃せない。本音と建前といった割り切り方では済まされない透明フィルムで分けられた世界のようです★☆

人が人をどうやって支えたらいいのか、嘘によって切り取られる個々の真実。その真実が自分にとって穏やかな日々を取り戻すものであれば、嘘はウソではなくなる。人が人をどうやって支えたらいいのかは、個人の在り方が時として運命を左右するほどの複雑な絡み合いをする存在としてあることを明らかにしている意外に筆舌しがたいものです。。

久々に人間の持つ掴みがたい「部分」を握らされたようなシネマでした☆


Sekino☆そら
http://blog.goo.ne.jp/anndarusia2000/

投稿者:さゆぽん投稿日:2005-06-10 03:18:32
前半はストーリーを掴むのに必死でしたが、
すっきりしない終わり方も、なんだか嫌ではなかったです。
いかにもカンヌっぽいですね。
淡々とした進み方が、やけにリアリティがありました。
下の方々の意見を読んで、あ!そういうことだったのかぁと
納得するところがたくさんありました。
ちょっとすっきりしましたw
投稿者:ぶくろう投稿日:2005-04-10 00:53:59
なんかすっきりしない気も。
投稿者:ふじこ投稿日:2004-11-22 15:17:57
これではカナダの田舎町が舞台となっているが、日本でも田舎の村の方の錯綜し密接な人間関係で同じようなことがあり得ることかもしれない。
少々観ていて解りづらいとこもありました。頭の中を少し整理しながら観ていった感じです。
密接した人間関係の真実を少女の証言と共に、真っ白な雪がすっぽり覆いつくすかのようでした。
サラ・ポーリーの意志を持った瞳がとても印象的だった。
投稿者:本読み投稿日:2003-10-28 20:40:17
【ネタバレ注意】

そんなに難しい映画ではなく、題名通りだと思います。混乱は公開時のコピーと、原題から「THE」を外したことでしょうか。大辞典クラスの用例を見ても判りますが「The」がついた場合は、「来世・あの世」という用法がほぼ確定的です。「将来」と捉えるのはむしろそちらの方が誤訳です。

「甘美なとき」もしくは「幸せなとき」「・・・来世に」となると、過去のそれぞれのメモリーが羅列される構成は、驚くほどストレートなものだと思います。それら失われた「幸せな時」は来世に至るまで、手の届かないものとなってしまったということだと思います。事故の調査に反対する親の一人や、サラ・ポーリーの少女が最終的に弁護士の思惑通りの証言をしないのも、手の届かないメモリーの中の「幸せな時」を傷つけたくないと思ったからではないでしょうか。

投稿者:ニシザワ投稿日:2003-09-17 19:44:37
【ネタバレ注意】

ニコルが向かうカーテンの美しくもみえる光りが映っているけれど、そのカーテンを明けてしまえば、それは工事現場に向かうドロだらけのダンプカーのヘッドライトかもしれない‥‥、
父をみる赤ちゃんの笑顔は、その父がもつナイフ(メスだったかな?)の存在を知らないから‥‥、
『真実』というものは、実は見えないが故に幸せであったりするもの。
でも、人はそれを観たがる。
ただ、その『真実』を知り、現実を認識して始めて次なる進化が起きることも歴史が証明している。


この物語は、<見えそうで見えない『真実』のゆくえ>が圧倒的に魅力的なのだろう。

実はこの物語は、スクールバスの過失を探るエピソード自体がベールになって、そのむこうにあるもう1つの『真実』のエピソードを隠している。

その問題を解くためのヒントがある。
なぜこの物語に、顔を見せないグレてしまった娘ゾーイの存在を描かねばならなかったのか?
ほとんどのエピソードが<『真実』は闇の中、総べて世は事も無し>の法則にのっとっているのに、何故、ニコルと彼女と父の関係だけは暴かれているのか?
ニコルと父との関係は、<男というのは、若い娘と“H”する可能性があるのだぞ! それは、自分の娘であることもあるんだぞ!>という可能性を示唆しているようにみえる。

スティーブン(イアン・ホルム)は娘のゾーイを溺愛していた。
しかしその彼女は、父のもとを飛び出し、自分をいためつけ、挙げ句の果てに薬物中毒になり病院にいる。
自分を傷つけることで、父に対して復讐しているかのように‥‥。
‥‥何故?
もしかしたら、ゾーイも父親と‥‥。

ではなぜそれほど愛し、愛されていた二人が今、そんなことになっているのか?
決定的なヒントは最後の空港でのシーン。娘の幼友達アリソンとスティーブンの別れのシーン。

アリソン  :お目にかかれて よかったわ。
スティーブン:そうだね アリー‥‥
アリソン  :アリソンと‥‥
       ‥‥ゾーイによろしく。
スティーブン:伝えるよ。
アリソン  :お大事に‥‥。

何故スティーブンは、娘の友達を「アリー」と呼び、アリーはそう呼ばれる事を今は拒まなければならなかったのか‥‥?
10年前に何がおこり、アリ−とゾーイは親友であることを止めるはめになってしまったのか‥‥?

『真実』は闇の中、総べて世は事も無し‥‥

とどのつまり・・・、
スクールガールしか愛せないアトム・エゴヤンではあるが、
このシナリオはとてつもなく素晴らしい。

投稿者:Stingr@y投稿日:2003-04-09 07:49:41
 この映画は見て分かるとおり社会正義物語。この程度の物語が分からない方が不思議で,雰囲気だの感性だので長々と説明する人も何も分かっていない。映画としては一応の出来。というのも,人々が苦悩する表情ばかりで,見る側に感情の起伏がないから。だが,その分「頭を使え」という作品からのメッセージでもある。テーマは“題名通り”なのだが,「sweet hereafter」とは「“これから先の”穏やかなとき」である。「“過去の”穏やかなとき」などとテーマを誤解している人もいるようなので注意しよう。

 1つの事故をめぐり,「コミュニティの外部から来て正義を行おうとする人」と,「コミュニティの内部にいて秩序を守ろうとする人々」の葛藤が描かれる。コミュニティに「村(町)社会」を選んでいるので,テーマが分かりにくい人がいるのだろうか。会社や役所などの「組織」を選べば,「組織の犯罪」をめぐって,「外部から正義を行おうとする人」,「内部で組織を守ろうとする人々」,「内部告発者」という図式となり,誰にでも分かりやすい物語が出来あがる。特に「事故の生存者」に『証言するな』と圧力をかける筋書きは,「内部告発者になるか否か」の葛藤が描かれているわけで,「内部告発者」の存在を前提にした分かりやすい物語とは異なる。

 この物語の悲劇性は,多くの子供達が死んだ点ではなく,「正義を行おうとする人」の真実追求によって家々の秘密が暴かれ,最後に「個人の責任」が暴かれる点にある。「個人の責任」を「コミュニティの内部問題」として処理できた古き良き時代は遠く過ぎ去ったのだ。1つの嵐がやってきた時,「村(町)社会」というコミュニティは,あたかもガンの摘出手術を行うように「個人」を摘出し,その後再び「これから先の穏やかなとき(sweet hereafter)」を共有し続ける。だが,自分の娘,つまり「家族(=最小のコミュニティ)の娘」は,どんなに出来損ないだとしても娘は娘,摘出できないのである。物語は,弁護士の家族が,再び「これから先の穏やかなとき」を取り戻すための努力を始めるところで終わる。

 社会正義として「個人の責任」が暴かれるとき,「コミュニティ」の存在意義とは一体何なのかを問うのがこの映画のテーマ。「俺が責任をかぶったら,会社は一体何をしてくれるんだ」は,おじさん達のグチ。そのグチにこの映画は答える,「あなたは摘出され,会社は何事もなく存続する」。会社人間の日本人には身近すぎて通じにくいテーマでもある。この映画が「村(町)社会」を選んだ理由が分かるだろう。摘出手術を行うにあたり,「村(町)社会」は葛藤するが,「会社」は葛藤しないからである。
投稿者:Robbie投稿日:2003-02-04 23:34:09
最初から最後まで、同じ空気の流れている映画がある。同じ匂いのする映画がある。「名画」の条件とは? と問われれば、あえて私はこう答えるだろう。
ハリウッド映画のように、突然空気の密度が変わったりしない、匂いが変わったりしない映画。この作品もそんな、稀有な1本である。
 内容云々をいうのは、この映画を「ストーリー」だと思っているからである。
そうではない、これは「演出されたドキュメンタリー」なのだ。だから雰囲気が統一されすぎていても、違和感を感じないのである。

 話に起伏がないから駄作か? エンディングがよくわからないから駄作?
そんな批評は超越している。統一された雰囲気、色、密度を長時間の作品にする、監督としてこんな難しい仕事はないし、これこそ腕の見せ所。アカデミー賞で監督賞と脚色賞のダブル・ノミネートを受けたエゴイヤンは、きちんと評価された。

 毛色は全く違うが、小さな町と、雪と事件の映画というと、私はどうしても「ファーゴ」を思い出す。タッチもテンションも全然違うのに、なぜ思い出されるのかといえば、この映画も本作と同じように、「雰囲気と密度が一定された」映画だからだ。ハリウッド映画なのに、珍しいなぁ・・・と感心してしまう。それがコーエン兄弟の計算なのかどうかはともかくとして、こういう尺度で映画を見るのも一つの見方だということをいいたかっただけである。
 
投稿者:4531731投稿日:2002-10-27 05:28:48
 サラが光ってる!サラの夢見るようなまなざし!後光がさしてるような存在感!年頃も手伝ってか、彼女自身が詩だね。が、それだけの映画ですね。残念だが。というか、エゴイヤンのそういう「ヘタ」なとこも結構「好き」なんだけど、でもやっぱりエゴイヤンが敬愛するパゾリーニや他の本物達に比べると断然見劣りするし、芸術家嗜好もいいけど・・・どーかな、みたいなコト痛感しちゃいます。
 カンヌ受賞は視点の良さと将来性に対してか・・・と思いたい。が、「エキゾチカ」「フェリシア」、監督デビュー作の「近親者」もみたけどやっぱりイマイチだったぜ(笑)。イアン・ホルムもホスキンスも頭悪い人じゃないのにどーも頭悪く見えちゃうんだよね。atomfilmsで後進育成にがんばってください。
投稿者:綾川投稿日:2001-06-15 00:15:13
はじめは「イアン・ホルムが弁護士?似合うかどうだか観てやろう」ては気分で軽く見始めたのだが、いざ始まるや、甚大なテーマと、こちらが戸惑うほどに坦々とした描写にどんどん惹かれていった。いや、こんな風に描けるものかとほとほと感心した。不可解であるし、割り切れない結末ではあるが、悲劇に見舞われるということ、見舞われた当事者の内面というものが、想像以上に難しいものであるということを改めて教えてくれたし、見ているこちらにこれだけ割りない気持ちを抱かせたのだから、本作の描写力はなまなかのものではない。確かに「エリン・ブロコヴィッチ」のようなスキッとした話もいいが、いや、本作のような話もなくてはいけないのだ。
ところで、先日ようやく「EUREKA」を観たのだが、ある事件のその後を坦々と描写するという点で、非常に似ていると思われた。そう、劇中の事件もバスにまつわることだから、余計に類似点が胸に迫る。だが、こちらが、スクールバス転落事故という悲劇であるのに対し、「EUREKA」はバスジャック事件という不条理かつ暴力的な事件であったというのが興味深い差異である。で、今年のカンヌ・パルムドールは確か息子の死後を巡る家族の物語と聞いている。ある事件を体験した人々のその後をじっくり描いた作品というのは、実にカンヌ好みなのだろうか、と密かに考えている。http://homepage2.nifty.com/ayakawa_tei
投稿者:河崎投稿日:2001-05-24 13:37:18

ネタバレありです。




これってそんなにややこしいこと考えなきゃならない映画だったんですか。
あの弁護士は、けっこう山っ気のある人で、うまく訴訟に持ち込めれば儲かるぞ、と考えてあの町へやって来たのでしょう。
だけど、一人生き残った女の子は自分一人が取り残されたことを決して喜んではいなかった。だからこそ、自分の証言次第で親のところに大金が転がり込んでくるかも知れないと分かった時に、ウソをついてまで平穏な日常(sweet hereafter)をとり戻したかったのでは。
そんな馴れ合いで生きている田舎町の事情を知らない弁護士は、思惑外れの無駄足を踏まされた。と、それだけの映画だと思ったんですが・・・
投稿者:タケキチ投稿日:2001-05-19 20:28:30
何だか↓の御三方はボロクソにけなしていますが、
実はこの作品、公開当時に劇場で観た時から大好きな映画。
ビデオでも何度も見返しています。

ただ、確かにこの作品、友達とかに「面白いよ」なんて勧めたい類の
映画では無いなあ。「つまらない」という方々の意見を聞いても
全然がっかりしない。だって、これは分かる人が分かれば良い映画ですもん。
別にインテリぶった意味じゃなくね。
要するに感性の問題。

大体この映画、筋書きなんてどうでも良いんです。
スクールバスの事故も、麻薬漬けの娘のエピソードも、映画が描くテーマの
単なるメタファーでしか無いんだと思う。
この映画が描いているのは、つまり(思い切り陳腐な言い方をするなら)
「僕らは何故汚れていくのか?」という根源的な問いと、
「失った『純粋』は決して取り戻せない」という、
絶望的な事実ですよ。
何故、僕らは子供達を愛しいと思うのか?
そして、その子供達が何らかの理由で傷付いたり、失ったりした時、
我々の心にはあれほどの喪失感が襲うのか?
僕はまだ子供はもちろん、結婚もしていない身ですが、
俗物的な意味を超えて、感覚として理解できるんですね。
この映画が描いている「痛み」の意味が。
それは多分、作品の登場人物同様、僕の心がとっくの昔に
純粋さを喪失してしまったからかも知れないけど。
(とは言え、そうなっていない大人なんて、いるかい?)

ラストの少女の行動も(あれを『どんでん返し』なんて考える人、いるの?)
別に事故の犯人がどうこうとか言う問題ではなく、
あの時少女が証言を拒否した事によって、無意識の内に大人達が捜し求めた
「『純粋さ』の喪失の理由」が永遠に闇の中になってしまった、
その痛みと虚無感を表したものであって・・・。

ああ、何か馬鹿らしくなってきた。
こういう「感覚」でしか理解の仕様の無い映画を、
稚拙な言葉で「翻訳」するほど下らない事は無いですね。
初めにも言った通り、やはりこれは「分かる人に分かれば良い映画」ですよ。
詩や音楽を感じる感性が、各々によって千差万別なのと同じ。
感じない人には意味不明、しかし感じる人には決して忘れられない映画。
それで、良いんじゃないでしょうか?
投稿者:KAZOO投稿日:2001-05-08 22:57:09
私にもよくわかりませんでした。
何がどんでん返しだったのかも、実はわからない、というか
最後はもう「なんでもいいや」という感じで取り合えず最後までみた、という感じ。
どうも私にはカンヌ映画祭でグランプリを取るもののヨサがわかりませぬ。
残念ながら・・・http://www5a.biglobe.ne.jp/~kazoo
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
□ 監督賞アトム・エゴヤン 
 □ 脚色賞アトム・エゴヤン 
□ パルム・ドールアトム・エゴヤン 
 ■ グランプリアトム・エゴヤン 
■ 外国映画賞 監督:アトム・エゴヤン(カナダ)
【ソフト】
  商品名  発売日  税抜価格  
 【DVD】スウィート ヒアアフター デラックス版2004/04/23\4,700amazon.co.jpへ
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