トゥルーマン・ショー(1998)THE TRUMAN SHOW
【クレジット】 【解説】 典型的なアメリカ市民・トゥルーマン。だが彼の暮らす環境は、どことなく不自然だ。それもそのはず、実は彼の人生は、隠しカメラによってTV番組「トゥルーマン・ショー」として世界中に放送されていたのだ!家族や友人を含めたこれまでの人生が全てフィクションだったと知った彼は、現実の世界への脱出を決意する…。メディアによって作られた人生の悲喜劇に、見事なリアリティを与えているジム・キャリーの熱演が光る傑作コメディ。 <allcinema> 【おすすめ作品】
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![トゥルーマン・ショー(通常版) [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/515pU-Fi0KL._SL160_.jpg)




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「生まれてから今まで、24時間フルタイムで全世界ライブ中継されている男」という設定だけ聞いてれば、とってもB級映画臭がプンプンするのに、どうして?と思ってしまう。
それはたぶん、テレビや映画という虚構が「本当の現実」を映し出すことに失敗してきた(と視聴者が感じている)事実と、無邪気な子と愛情豊かな父親という親子愛が込められているからだ。
全てが役者、全てがセットという世界にあって、ただひとつ真実なのは、ライブ中継されている男・トゥルーマンその人だけ。こんな痛烈なパロディは他にない。
バラエティやドラマなど、テレビや映画は虚構のエンタテイメントや人生を大量生産してきた。
それら全てを嘘か真かで問えば、それはもちろん「嘘」ということになる。
だから観客が愛想を尽かす、というのは本当は違うと思うのだけど、しかし世間的にはそんな意見も厳然と存在する。「だから俺はドキュメンタリーしか見ないのだ」と。
だがよくよく考えてみよう。
ある少年のドキュメンタリーを撮る。彼は不治の病にかかり、その影響で足の自由が失われた。とても不幸な境遇。でも無邪気な笑顔。みんなに親切で性格も明るい。
見ている人は感動する。
ところがドキュメンタリーを製作している間、当然ながら現場にはカメラが入る。撮影してもいい場所、してはダメな場所の打ち合わせがある。感動の映像を収めるため、入念な事前調査をやってタイミングを計る。
これをもっと徹底してやっているのが『トゥルーマン・ショー』という映画。いやはや恐れ入る。
これだけでも相当に作りこんだSFとして成立するのだけど、さらに深みを増すのが「トゥルーマン・ショー」という番組のディレクター・クリストフの存在。
彼は視聴者に本物を提供したいと同番組を作った。のみならず、トゥルーマンその人に並々ならぬ愛情を注いでいる。
それはネタに対する執着という意味ではなく、親が子を見つめるような愛情で、寝ているトゥルーマンの映像をいとおしそうになでる姿にジンときてしまう。
またトゥルーマンが真実であるからこそ、視聴者はもちろん役者も心が動く。
エキストラの女優は苦渋の決断を迫られるし、妻役の女優はストレスのあまりヘマをやらかしてしまう。
それは結局、嘘から真実へのシフトではあるのだけど、真実がトゥルーマンに暴露されては番組が成立しないから、演出という形でさまざまな妨害が入る。突然の暴風雨になったり、道路が渋滞したり、あるいはもっとセンシティブな事件が仕込まれたりする。
こうした涙ぐましい努力の結果、全世界がトゥルーマンに釘付け。
いよいよ番組が佳境に入ってくるときには、賭けをするものまで現れる始末。
それくらい世界が熱狂した番組として観客に示される。
しかし何が観客の胸を打つといって、ラストの一コマほどショッキングなものはないだろう。
それはトゥルーマンがある決断により番組「トゥルーマン・ショー」をめちゃくちゃにすることと関係するのだけど、実は番組それ自体は視聴者にさほどのものを残していなかったという事実。
制作側も涙し、怒り、人生をつぎ込んできた番組も、視聴者からするとチャンネルの一つでしかなかった。なんたる残酷。
たったワンカットに過ぎないこのシーンを入れたことで、映画『トゥルーマン・ショー』は深いものを残した。
映画の向こうの視聴者の移り気を目の当たりにしたとき、スクリーンのこちら側の観客である僕らは何を感じたらいいのだろう。
では評価。
キャスティング:8(主演ジム・キャリーの存在、クリストフを演じたエド・ハリスのまなざしが本作に真実味を加えた)
ストーリー:9(バカ映画になりがちな設定ながら、高尚なSF的側面を持ち合わせる)
映像:6(ナレーションをいれずに作品背景を説明する技術はうまい)
親子愛:8(血のつながり以上に深いもの)
パロディ:10(映像作品にとって何が真実たりえるのか)
というわけで総合評価は50満点中41点。
映像作品としての映画における真実とは何なのか問い直したい人にオススメ。
全面的な無邪気さによる感動を画面のあっちとこっちで共有したい人にオススメ。http://eigadaisuki.blogspot.jp/2013/03/blog-post_17.html
ちょっと怖いよ……
テレビの前でTrumanを見ている視聴者こそがTrumanを縛り付けている
張本人であるのに、彼らは虚構から逃げようとするTrumanを応援し
逃げ出した彼に歓喜する。Trumanは脱出し、番組は終わるけど、
視聴者は平然と他の面白い番組を探してチャンネルを繰る。
すっごくぞっとした。
無理しかないけど映画として面白かった。
配役も最適だろう。
なんだかんだ自分もトゥルーマンと同じ年だし、
冒険心のない人生を送ってきたのでちょっと勇気がでた。
今から変われるだろうか
まったくプライバシーのない生放送。
放送コードにかかるシーンは放送されないものの、メリル(ローラ・リニー)は演技でも気にしない風なのがアメリカ的。
妊娠はしないのだろうか。 しても演技のひとつ?
人権問題や放送倫理に係わる問題が山積する題材を扱うものの、単に心情的に終始して終わってしまうのが残念。
IMDbではコメディ・ドラマ・SFと分類されている。
野球ドームのような形体で天候も全て管理される”島”の中で全世界中継が行われる。
だが、最低でも直径数キロはあるはずで今の技術では到底建造できないだろう。
照明が落ちてくるシーンがあるが、太陽光はかなり明るくあれ程の範囲だと電力も熱も半端なものでは無いだろう。
要はありえないのだが、そこを映画にするにはコメディの必要があったということだろう。
やれたとしても小国の国家予算程度ではすまないと思う。
しかし、発想は”ダイソンの天球”と同じだね。 ※「新スター・トレック <TV> (1987〜1994) 」の第130話”エンタープライズの面影”を参照。
推定予算6,000万ドル、総収益約12,560万ドル(米1998)。
ドッキリ番組の究極がコレだとも言えるし、別に目新しい物ではないんだよね。
とにかくトゥルーマンが不憫。
番組が終了したとしても、視聴者はまた新しい番組を探すだけで、
翻弄された本人の人生だけにその時の傷やら何やらが残る。
生け贄だね、生け贄。
大人になったら潰れてしまう子役スターを見た気分だったよ。
自分には、ディレクターの存在が傲慢で薄ら寒いものにしか感じられない。
制作陣の真意がどこにあったのかは知らないが、脚本が『ガタカ』や『シモーヌ』のアンドリュー・ニコルであるし、超監視、情報操作社会を描いた三部作のようにも思える。
作品全体にはちょっと”軽さ”が気になり、もう少し重厚さがあって欲しかったけどなかなか好きです。
ジム・キャリーって何気に作品選びが上手。彼らしいと言うか、己のテイストを弁(わきま)えてると言うか。
余談だけど先日某映画サイトでピーター・ウィアーのインタビューを読みましたが、キューブリックからスティーブン・キングの小説を監督するよう提案され、製作を進めたことがあるとか。結局は降板したらしいけど、スピルバーグ以外でこんな話しを聞いたのは2人目かも。ウィアー、幸せ者!
CMの入れ方や過去の侵入者が個人的には気に入ってます。
笑いだけではなく、コメディ感とドラマ感のバランスが絶妙なので娯楽性のあるドラマに仕上がっていました。
キャスティングに関しては、ジム・キャリーの小技の効いた演技が素晴らしいです。
ジム・キャリーらしい顔芸を抑え目に披露しているので緻密な感情表現と見事に融合していました。
歪んだ愛情を示すプロデューサーを演じたエド・ハリスの父性にもチョット切なくなりましたね。
これを女が演じてしまうと一気にホラー映画になるから不思議です(笑)
他にもトゥルーマンの妻を演じたローラ・リニーや親友役のノア・エメリッヒ、初恋の相手ナターシャ・マケルホーンなど適材適所な役者陣が揃っていました。
大掛かりなセットや放送倫理に反する番組制作など現実的ではないし、広がらない人間関係にもっと早くオカシイと気づくだろ!なんてツッコミどころはありますが、感情移入しやすいドラマに仕上がっていました。
観ている側の想像をかきたててくれるラストもGOOD
実際、しばらくぶりに観たら「あれ?こんな終わり方だった?」って感じました。
余韻に浸りながら勝手にラストエピソードを作っちゃってたんでしょうね(笑)
観ていて気分の良い作品ではないですが最後には爽やかな気持ちになれますし、一風変わったドラマを軽く観たい方にはオススメです。
10年前にビデオで見たラストと今回DVDで見たラストが違うような気がしました。
DVDのラストは出口に足を踏み入れて終わりますが、ビデオ版は外に出たらHOLLYWOODの文字の隣の場所で、何かを叫んで終わりだったような気がします。
ビデオ版の方は最後が「え、これで終わり?」と釈然としなかった覚えがありますが、DVD版の方は綺麗な終わり方で納得の結末と言う感じでした。
ビデオ版は7.5点、DVD版は9点と言うのがそれがしの感想ですが、ビデオ版のラストも見てみたいと感じております。何故DVD特典に別エンディングが収録されなかったのか・・・。
皆さんはどちらのラストが好みでしょうか?
と同時にプライバシーって何だろう?と疑問を抱いてしまう映画でもあります。四六時中カメラに囲まれて世界中のテレビで放映されてるというのは異常な事態でありますが、常に多数の見知らぬ人が周りにいて無意識的に監視し合っている環境もやっぱりある種異様な環境です。(東京山手線の朝のラッシュとか。)
しかし奥様は美人だ。
というような内容だったような気がするが、イヤァ、僕もテレビのニュースや情報番組や歌番組などの生放送の出演者からこちらの様子が見られているような気がすることが何度かあったもんだから、この映画は他人事とは思えなくてカナリ興奮しちゃったヨ!!!
結果、その期待に違わない良い作品だったと思う。
見終わった後になかなか色々な事を考えさせられるよ。
ジム・キャリーだけどコメディではないな…。
あるぶるさんの『あえてジャンル分けするならSF』にうなりました。
トゥルーマンも周囲を疑ってない無邪気なときが見てて楽しい高視聴率番組だが、彼が真実を探求し悪戦苦闘しだすと局は番組存続の妨げとみて妨害する。でも結果視聴率はうなぎ登り。
キャリー本人の意思に反して、笑わせることでしか評価を得ないという現実は、この映画の主人公と同じ。「君は世界中の人々から愛されている」と言われたとしても。
クリストフはシーヘブンの創造主で、神のような存在。天空から下界を眺め、指示をしている人物だ。そんな彼は、自分の予想外の行動をとるトゥルーマンが許せない。ハプニングが面白いからそのまま放送するのではなくて、自分が仕組んだ筋立て通りにトゥルーマンが動かなければ意味がない。だから、海に嵐を起したのでは、なんて想像する。あの世界はすべて「演出」されているのだから。
感動は簡単に作ることが出来る。トゥルーマンが行方不明になった父親と再会するくだりは、観ているこちらにもその感動が伝わるのだ。指揮者のようにクリストフはカメラを指示し、音楽で盛り上げ最高の演出を施す。トゥルーマンたちの一挙動を世界中の視聴者が固唾を飲んで見守る…。
ショーは最高の幕切れで終わるが、視聴者の誰もが番組の終了は惜しまない。終わったら終わったで、次の新しい番組をTVガイドで探すのだから。
SEXや排泄行為が描かれていないことを批判している人もいたみたいだけど、あの世界はすべて演出されていることを忘れないで。過去の回想シーンをすぐに流したり、ベッドへ行くとなると画面が切り替わるとある視聴者がボヤいてるじゃん。
ストーリーに関しては、何よりも着眼点が素晴らしいと思います。たまに鏡を見ながら誰かに見られてないだろうなーとか考えちゃいますね。一見コメディータッチなのに実はものすごく恐ろしい映画ですよね、コレ
それは「自分の殻」とか「限界と思い込んでいる世界」から飛躍するというストーリーです。
僕はこの映画を見た当時、仕事や私生活でどうしようもない行き詰まりを感じていて、トゥルーマンが最後に起こした行動の一連の描写に心底感動しました。
例えば「壁にぶつかる」といった、あっけにとられるほど直接的な描写とかにです。
この側面に惹かれた方、いらっしゃいます?
そのせいかまさかコメディーとは捉えてなかった(>_<)
欧米ではこのようなリアリティTVと呼ばれるものがあり、
そのためマスコミ批判や社会問題の映画だと思ってました。
(日本では欧米ほどのリアリティTVはうけなかったそうですが、
今でいう「あいのり」なんかは軽くその部類に入ると思います。)
トゥルーマンを演じているジム・キャリーは好演だし、
よくできてるし楽しいなぁ・・で終わってしまいそうですが、
そうではないですよね。
普通に考えるとトゥルーマンの人権問題もうかびますし、
また私が最も考えた、考えさせられたのは、
こんなことをして一番悪いのは誰なのか?ということ。
ドラマをつくりあげたディレクターなのか、ドラマのキャストなのか、
はたまたトゥルーマンなのか。
ディレクターでしょ!って感じられる方も多いでしょう。
ですが私は視聴者サイドのような気がしました。
かわいそうだと思いながらも楽しんで毎日見てる視聴者。
視聴者がいるからトゥルーマン・ショーは続いていくんです。
最後を迎えドラマが終わると、すぐにちがうチャンネルをつける視聴者。
視聴者あってこそのメディアなんです。
メディアに対して酷い、最低だと批判しても、
作り手よりも視聴者が強いんだと感じました。
私も一視聴者として、少し怖くなります…。
また、怖くなったといえばもう一つ。
この映画を見て、現実と虚構(作られた世界)の境界が
わからなくなりそうでした。
私のいる世界は本当に現実なのか?
もしかして周りの人はキャストだったりして?
と意味もなく不安になりました(^^;)
とにかくいろいろ考えさせられました。
この作品も多分に漏れず、マスコミの問題に一石を投じる作品であるが、それだけに終わらず人間として自由に生きることの大切さを教えてくれるヒューマンドラマとして成功しているのも、非常に価値のある作品である。
そしてやはりジム・キャリーの演技は素晴らしい。地平線の彼方で壁にぶつかった時の、やりきれない怒りと悲しみに暮れる顔と、「会えないときの為に、こんにちは、こんばんは、おやすみ」と言って扉を出るときの全く対照的な笑顔がこの映画の完成度を高めていると感じられた。
実際人間は数え切れないほどの謎に包まれて時の流れを感じている。この多くの謎の外には「真実」という壁がある。それは人間の推測した通りのものかもしれないし、そうではないかもしれない。それを「運命」なんて呼んでしまっていいものかどうかは分からないけど。たとえ、それがあまりに辛いものだったとしても、それを受け入れるしかない。自分にはどうすることも出来ないのだから。俺自身「運命」なんてもの信じてはいないけど、そこに「存在する」現実から目を背けるのはやっぱりそれは自分の作った甘えごとに没頭してるだけ。笑っちゃうしかないんだよ。愚かだとしか言えないから。
>の世界に住んでいればいいのよ。(笑)
私も"BLADE"さんに同感です。(けっして煽りではありません。)
(笑)はどうかと思います。
このコメントも同じく削除して下さい。お騒がせして申し訳ありませんでした。
これは「コメディー」とか「サスペンス」とかジャンルに絞ろうとして見ないで、頭やわらかくして見た方がいいと思うよ。私は大好きな作品です。もう何度も見てます。エド・ハリスにも厚みを感じました。キレイな完璧な世界を作ろうとする彼に過去を感じました。
余談ですが、何かのインタビューで、「トゥルーマンはあのあとどうなったんですか?」って聞かれた監督は、「それは僕らスタッフの間でも議論になってるけど、きっと彼はハリウッドに行ってジム・キャリーになったんじゃないかな?(笑)」
だそうです。笑
私も彼ならきっと何かやり遂げるんだろうと思います。
観てたのか。製作者の術中に見事にはまってしまいました。単純?
それから他の方のコメントを読んでいて私も思ったんですけれど、彼をコメディー俳優と決めつけるのはどうかと思います。彼が出ている映画はみんなコメディーだと決めつけて見るから期待外れだったりするんだと思います。私はビデオのパッケージの見出しも世間の批評も全く知らずに見たので先入観も無く見れたのかもしれません。
なんかこの映画についてあまり話してませんね。最後はもうちょっと欲しいな、と思いました。出会うとこまで見たかったです。
あとすっごい個人的なことですが、この映画でのジム・キャリーはかっこよかった!私は彼を面白いからではなくかっこいいから好きな人間なんです(笑)
わたしもタケキチさんと同じで、あの場面で涙しました。すごく斬新で、こんなストーリーありなのか!とかなり胸躍ったのですが、評価低いのにショック・・・やっぱり感じ方は十人十色ですね。
コメディなのかサスペンスなのか、はたまたヒューマンドラマなのかもよくわからない。もし、自分が他人に生活を全て見られてると知ったら、真っ先に心配なのが自分の下の部分だろう。自分がセックスしてる場面や、排便排尿をしている場面を想像して恥ずかしくなるのが普通だと思うのだが。そういう場面が一切ないというのも、リアルじゃない。ましてや、トルゥ―マンは結婚してるわけだから、金で雇われている女房役の女性とのセックス(もちろんやってるよね?)は売春になるのでは。
ディレクターのエド・ハリスが、トルゥ―マンが予定外の行動をとろうとすると、それを全力で阻止しようとするのも、どうかと思う。普通、TVバラエティーなどではハプニングがおいしいはずなのに、それを阻止しちゃって、本当にこの番組、視聴率イイの?
ウィアーは基本的にアクション演出が巧くない。視聴者のリアクションショットの挿入も拙い。ジム・キャリーのオーヴァーアクトも演出家の責任だろう。
エド・ハリスとローラ・リネイは良いと思う。
http://www.page.sannet.ne.jp/egi/
演じられている世界の外にも、やはり虚構の世界が存在する、っていう気がするなぁ。
メディア批判というだけではなくて、現代社会への批判なんだと思います。そういう意味ではウィアーは(底意地の悪さも含めて)一貫してますよね。
テレビで「サバイバー」とか見ていると、でも私たちはそんなピュアではない、というふうに思いますけど。本当の世界とか本当の自分なんて探してない、状況によって自分を演じ分けて、それで何が悪いの?というか。
ジム・キャリーはコメディだったけど・・。
まぁそんなの関係無しとして、この映画をドラマとして捉えてたとしても・・好きではないな。なんか、違うんだよね。
トゥルーマンはスクリーン上でさらし者にされている、彼は生贄。嘲笑の標的にされている彼を見て僕達は笑う。だが彼の抱えてる問題に僕達自身の現実を見出す事で、僕達はスクリーン上でトゥルーマンと共にさらし者になっている自分自身を笑ってることに気付く。コメディという触れ込みだが時にそのユーモアを超えた、あまりに冷めた悪意にそんな居心地の悪い思いをしてしまいますね。
芸達者な人ですね。これからもいろいろな作品を見てみたいなーと思いました。
監督さんは 大好きな映画 グリンカードの Peter Weireだし。
とてもおもしろい設定の映画だとおもいました。
マスコミを批判しているとか バラエティがどうとか ではなくもっと素直な気持ちで見るといいんじゃないかしら。
まず 主人公以外の登場人物がすべてウソをついている。
こんな脚本初めてです。
最初気づかなかったけど いたるところでCMが入っているおかしさ。
哀しい話だけど これは完璧なコメディですよね。
主人公の人権を考えれば当然してはいけないことなんだけど あなたはスターなんだ。と言って強引に皆を納得させている。
見ている人たちも主人公に共感して 番組が終了してしまうにもかかわらず 主人公が 現実の世界に戻ることを喜んでいる。かなり視聴者は偽善なんだけど。
最期主人公は現実の世界で生きていけるのだろうか・・・なんて考えさせるところなんかもちょっといいではありませんか。
少なくとも私の気持に変化があった作品です。
まあ元々設定にムリがあるんだろうし、ラストは「この世界からの脱出」みたいな展開がなきゃ収まりがつかないのかもしれんが、それにしてもなあ。
かなり悲惨なストーリーだと思うけど、ジム・キャリーの笑顔に助けられた感じ。だからこそ余計辛いってのもあるけど、陰気な役者が演じたバージョンってのもあったら観てみたいもんだ。
そうですかー。Dirtyさんはそのように観ましたか。
興味深いですね。こういういろんな人の解釈が読めるから、
このページって好きです。
まあ、僕のこの作品の解釈は↓の通りなんですが、
Dirtyさんのご意見に対して僕の意見としては
僕は正直な所、この作品を「マスコミ批判」の映画としては
見ていません。
もちろん、今のテレビバラエティ作りに対する痛烈な風刺には
なっていると思いますが
(ちなみにアメリカでも、現在『電波少年』系の擬似ドキュメンタリー
番組が大流行なんだそうです)
むしろこの作品で批判しているのは、そういった番組を
無遠慮に受容し、要求すらしている我々「視聴者」の
嫌らしい覗き見心理じゃないかな。
ある意味では、ワイドショーや連続ドラマを見たくなる心理も
同じじゃないですか。
別に自分の人生に叶姉妹やら、デビ夫人やら、何の関係もあるはず無いのに
いや、関係ないからこそ、人々は彼らの行動をまるで隣人か親戚を
批判するようにテレビの前で罵倒したりしている。
要するに今のテレビって、見ている人を容易に「雲の上の視点」から
他人を見下す快感を与えてくれる「擬似神様の目」みたいな物を
提供している気がするんですよね。
僕には、そういう一見善人のふりをして、他人の人生を
簡単に搾取してしまう「一般人」の心理の方がよほど恐ろしい。
この映画で随所に挿入される白々しい視聴者の熱狂も、
僕にはまさしくその象徴に感じたんですがね。
まあ、いずれにしろ、この作品はそんな風に
観た人によっていろんな議論や解釈が可能な映画なのは
間違いないでしょうね。
改めてDirtyXさん、コメントの方をお寄せ頂きありがとうございました。
全員がエイリアンのようですっげー怖い。
不自然さや胡散臭さが舞台的な固さでいい感じ。
エド・ハリスはやっぱり上手いねえ。
いろいろ討論できそう。
奥さん役のローラリネイがいいです。笑顔や表情に?と思いますが、
伏線になってたんですね。
これを浅はかで偽善的な映画って呼ぶのは違うな。
むしろこの映画って、そういう偽善的な視点をかなりクールに
風刺していて、そこが面白い所なんだけど。
あの白々しい「視聴者」の応援を見て、それくらい読み取れないと
これは確かにつまらない映画だよ。
もう少し深い読みが必要ですよ、この作品を味わうには。
全然話は変わりますが、Dirtyxさんはこの作品御覧に
なられましたか?
好き嫌いに関わらず、是非御意見を読んでみたいんですが。
勝手なリクエストで申し訳ない。
ただ、Dirtyさんはかなりの哲学通の様ですので、
この作品も面白い観点から見てるかな、なんて思いまして・・・。
面白いとは思わなかったけど、
大人向けのおとぎ話としては最高の作品だと思うな。
全然、哲学やら神学やらに知識がない僕が解説するのも何ですが、
これって要するに、人生を決めているのは本当に自分自身なのか?
それとも、自身の運命、もしくは意思すらも何か大きな力に
動かされているだけなのか?って言う、
すごく素朴だけど深い「運命論」ですよね。
僕はラスト、主人公がひたすら「空」の壁を殴り続ける場面で
訳も分からなく涙が流れた事を憶えてます。
そして主人公と「太陽」との、暖かく悲しい会話に
何か底知れない「真実」を見た気がしました。
そして「人生の最後」を締めくくる、
あの一言の台詞。
確かに映画の構造としては、物語をワン・シチュエーションで
引っ張り過ぎた為に、少々淡白過ぎる印象が残ったけどね。
でも、ここで語られてるテーマには僕は本当に感動しました。
本当に良い映画ですよ、これは。
サクッ、と見れない。
ストーリーにも飽きがくるし。
確かに終りも納得いきませんでした。
ジム・キャリーの笑顔は良かったですけどね!!
キャラをあんまり深く掘り下げてないもん。
期待した割には、あれれ…だった。
ラストも好きじゃない。こんなんで終るの、って感じ。
テーマがどっちつかずになってる。
次のMen On The Moonでのグラミー賞の席ではコメディのつもりはないのにと
言っていた様に、ジム・キャリー、イコール、コメディと言う看板を外した方が
いいのでは、と思う作品。
みんなでいじめている、みたいにこの映画にコメントした人がいるけど、
これってプライバシーがなくなっている社会へのマスコミ批判だと思います。
いじめているみたいに思った人って、人の愛情を素直に受け入れられない
今の日本人の象徴みたい。
みんなトルーマンを愛していて、だから彼の生活がすごーく気になって
目が離せないわけで。
一人の過保護に育った人間が自立するドラマ、そういうのっていくらでも
ある映画だけど、それを普通のドラマで演じるなら他の俳優でもいいけど、
ジム・キャリーだからこの映画なんだと思う。
Me, Myself & Ireneで、これがコメディだって言わんばかりの演技をみせている
彼とこの作品の彼をぜひ比較して欲しいですね。
特に、映画会社の人達に。
私はこの映画好きです。強烈なマスコミ批判であり、かなりブラックなコメディで、TVCMなんかのイメージとギャップがあると思いました。
笑える映画だとは思えない。
あんまりだ〜
なんていうか、クラスのいじめられっ子を見て見ぬフリしてたやつらが、その子がけなげに立ち上がった瞬間、急に応援態勢に寝返ったみたいな、浅はかな偽善がプンプン臭う。このアイディアならもっと持っていき方があったはずなのに、話の流れも中途半端だし、ジム・キャリーのキャラに頼りすぎのアホ映画。
ジム・キャリー以外に誰ができますか?