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サクリファイス(1986)

OFFRET
THE SACRIFICE
LE SACRIFICE

メディア映画
上映時間149分
製作国スウェーデン/フランス
公開情報劇場公開(フランス映画社)
初公開年月1987/04/25
ジャンルドラマ
サクリファイス [Blu-ray]
参考価格:¥ 2,700
価格:¥ 2,027
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【解説】
 言葉を話せなかった少年が、再び言葉を話せるようになるまでの1日。少年の父である主人公アレクサンデルは生命の樹を植える誕生日に、核戦争勃発の声をテレビで聞く。アレクサンデルは自らの狂気を賭け、信じていなかった神と対決し、愛する人々を救うために自らを犠牲に捧げるサクリファイス(犠牲、献身)を実行する……。1986年のカンヌ映画祭で史上初の4賞受賞に輝いた、「惑星ソラリス」「ストーカー」などの傑作を世に送りつづけたA・タルコフスキーの遺作。
<allcinema>
評価
【関連作品】
惑星ソラリス(1972)
ストーカー(1979)
【ユーザー評価】
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11102 9.27
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【ユーザーコメント】
投稿者:徘徊爺投稿日:2019-07-18 19:28:47
映画を使った暗喩ですね。

「初めに言葉があった。」でもなぜなの?パパ。
投稿者:きらきら投稿日:2016-09-18 23:09:30
結婚式はキリスト教で、葬式・法事は仏教で、新年の初もうでは神道方式で、
とまあ、おおよそ宗教心は皆無に等しいのですが、
あまりにも映画や本のなかで聖書に言及されていることが多いので、
ここ最近になって聖書は読みました。
(ただし「創世記」だけですが……)

その中で印象に残っているのが、アブラハムのエピソード。
アブラハムは神のお告げによって、百歳にして(!)子供イサクを授かります。
それまで子供のいなかったアブラハムにとっては、一人息子で眼に入れても痛くない存在でしょう。
ところがそのイサクが大きくなると今度は神様は
アブラハムにそのイサクをいけにえとして捧げるよう命じるのです。
イサクを山に連れていき、刃物でイサクを刺そうとするまさにそのとき、
神様からストップがかかります。
――おまえの信仰心はわかった、お前の一族に栄華を約束しよう、と。
つまり神様はアブラハムの最も大切なものが自分に渡せるかどうかを試したことになります。

この聖書のエピソードが下敷きになったわけではないのでしょうが、
「サクリファイス」もまた、自らが大切にしているものを犠牲に平和を取り戻した男の話です。
その物語が孤島に建てられた家とその周辺で展開されます。

タルコフスキー作品で、これまでともすれば、これ見よがしと言ってもよかった火と水の表現が、
この作品では少し後ろに下がった感じで、特別なことをしなくても映画としてはむしろ凛としたたたずまいをしていて、
タルコフスキー作品の中では一番好きかもしれません。

公開当時、映画館に行ってうとうとしながら観て、それでも作品の持つ幽玄さにどこか魅了された覚えがあります。
大分記憶もあやふやになってしまったので、ひさしぶりに観ました。
ぼわっと静かに燃えるような感じが、昔とは違った感覚でしょうか。

そしてふとこれまで神様など信じなかった主人公のアレクサンデルが
神様に犠牲を捧げる代わりに、自分の願い事をかなえてくださいとお願いしたエピソードのことが残りました。
そしてわたし自身も一度だけ神様にお願いをしたことを思い出しました。
今になって思うと……願いはね、かないましたよ。
神様に払った代償が大きかったのかどうかはよくわかりませんが……(笑)
投稿者:ローランド投稿日:2015-07-21 10:54:07
  舞台劇のような理屈を捏ね回したようなセリフが長々と続きニーチェのツアラストラがどうのとの言葉が出たりその後の展開に、文芸小説を読み込んでいる人間か聖書の民なら理解できるのか分からんがこれは好みではないなって及び腰になってしまったのだけど、後で良く思えるかもしれないという気にさせるところもあって長時間の作品を最後まで観てしまったのであります。  

  この監督作品は始めての観賞ながら高名な人との印象があっただけにガッカリ感があり、この内容だったら映画にすることはなくて小説の方が良いのではないかと思ったら、この監督さんは独自の映像が評判でしかもカンヌ映画祭で4部門受賞ということを知り、己の感受性が歪んでいるのではないかとの心配もしたのだけど、終いにあった 『この映画を息子アンドリューシャに捧ぐ』 もなんだかなって気がするし、他のに比べこれは出来が良くなかったということでないのでしょうか?。  映画祭やマスコミの評価なんて商売上の都合が優先されるのだからあまり当てにならんしネット上の評判のほうが余程信用できると思う。  

  ひと頃この映画がメディアに好意的に取り上げられていたって記憶があり、それもガッカリ感に拍車をかけたのだけど、正しいものの味方ってポーズをとっているマスコミだって所詮は商売ということで利益を上げなければならんのであって、そのマスコミが単純に権力を批判すれば大衆に受けるとの商行為で出来上がっていた世論というものがインターネットのおかげで実情に近づき、それが右傾化しているってふうに見えるのではないかとの思いがしていまして、圧倒的な世論だった、アンポ反対に物価値上げ反対と叫んでいた人たちは今もそれが正しかったとの気持ちでいるのか知りたくなったりしてます。   あ、いつの間にか脱線している・・・。
投稿者:sachi823投稿日:2014-01-01 10:18:07
作品とは全然関係がありませんが、公開当時、
見に行った劇場で痴漢騒ぎがありました。
タルコフスキーを見に来る痴漢がいるのかと不思議でした。
タルコフスキーに惹かれるのは、彼の独特の作風に触れ、
自分の心の中に共通した感性を呼び起こさせられるため
ではないかと思います。作品自体の質や出来となるとまた話は別で、
作品を連ねる毎に説明の部分が欠落していて、
放漫で独りよがりの作品であることも事実です。
この作品はいつもの作品群とは雰囲気が異なり、暗い印象ですが、
それは撮影監督をはじめとするスタッフによるものかもしれません。
この監督は早世しましたが、もう少し生きていたら
どんな作品をつくったのだろうかと思いを馳せます。
このような鋭利な感覚の人物は長生きできないように
あらかじめ予定されているのかな。
投稿者:ニクヴィスト投稿日:2012-06-06 22:24:23
遺作なのに申し訳ないが、こんな退屈な映画、よく作ったもんだなぁ。
何の足しにもならない映画だった。
夜8時以降に観ると100%寝ます。
わかったようなコメント書いている人の気がしれません。
そんなに面白かったですか?と言いたい。
普通の人間が話す50年分ぐらいの小難しい会話がえんえんと続くが、
一日の間に、こんなこと話すか、普通。
これじゃ、主人公は気が狂って当たり前です。
女中雇って遊んで暮らしている人間が、核戦争を危惧し、
自らを犠牲にするなんて話、僕には共感できませんね。
芝居がかった台詞をみなが深刻ぶってしゃべっているのもちょっと変。
最後まで観れたのは、フレームの中の人物の出し入れや配置がうまいのと、
ニクヴィストの平行移動ショットがよかったからです。
トレードマークの水は、あまりよくなかったかな。


投稿者:zzz投稿日:2011-12-09 02:18:06
Excellent!(2010-11/20鑑賞)
投稿者:いまそのとき投稿日:2011-11-10 15:55:50
謎めいた言動は自己犠牲だとわかる。贖罪の観念でもある。深い哲学思想に支えられた独特の美学だ。はじめ言葉ありき。マタイがかぶさるラスト。信奉者の多いタルコフスキー54歳の遺作。日本贔屓らしい雅楽にJVC再生装置。スウェーデンのゴトランド島煌く波間の光。
投稿者:karr投稿日:2011-03-03 08:13:53
刻々と、次から次へと、新しい構図の絵が生まれてゆく。
人や物が動くにつれて。
もちろん、すべてはタルコフスキーの計画どおりに。
それも、驚くべき緻密さで。

なんという吸引力。
登場人物の語りは私の脳裏を練り歩き、立ち止まる。
現在、そして未来への警鐘が目白押し。
タルコフスキーの美意識や価値観は、小生の素通りを許さない。
聖なるイコンにさえ感動できない小生なのに。
彼のメッセージは、そんな小生の感性をもくすぐり、耳をそば立たせざるを得ないのである。

もちろん耳だけではない。目も当然、離せない。
目の前で繰り広げられるのは、動き、語る絵画の、二時間以上に及ぶ大展覧会である。
理想の構図を保ち続けるカメラの静かな動き。
そしてその動きがスッと止まった時のその構図の完璧さ。小生を茫然自失に追い込む。
人の位置と家具や物の位置とカメラの位置。
光と影と色、音と音楽。
あらゆる調和が悩ましい。
固唾を飲み、目を見張るしかない。
そして気がつけば、えも言えぬ心地良さが、小生の全身を襲っているのである。
だが、それと同時に、心がむき出しにされた不思議な感覚にも気付く。

場面転換と、おもむろに挿入される美しい映像、そのタイミングはまさに絶妙で、強烈な余韻を残す。

とにかく、映像だけでも、見るものの感情を掻き乱し、頭ではなく五臓六腑に訴えかけてくる、傑作。
投稿者:ヤース投稿日:2007-04-13 01:16:41
タルコフスキーは、聖なる映画を作っただけだった。最後は、癌で死んだ。

ある種の映画ファンは、攻撃的である。spoilerである。よくある話。昔の話だが、ある知り合いが、タルコフスキーなんて糞だよっ!ワケワカンナイよっ!とピリピリと薄い唇に唾液を光らせて罵った。そいつは狭いアパートの下宿住まいで、小さいテレビデオでタルコフスキーの『ノスタルジア』を見たようだった。蛍光のあかあかとする中、日清UFO焼きそばをすすり、ときどき睾丸の裏の皮をポリポリ掻きながら、タルコフスキーを見たようだった。そいつの本棚には、競馬や麻雀やパチンコや風俗の本や雑誌が無造作に並べられていた。よくゼニの話しを早口で、した。絶対出世する、金持ちになると豪語、した。やたら金融商品に詳しかった。自分は貧乏学生だったくせに。ヘビースモーカーで、イライラ怒りっぽく、決してバカではないが、魂(たましい)が貧困だった。だが今では、そいつなりの狡知とハードワークによって、それなりの成功者となっている。いま成功者となった「そいつ」は、多分タルコフスキーのことなど忘れている。休日は株の取引をしたり、家族でレストランに行ったり、電話で部下を怒鳴り散らしたり、野球やテレビのバラエティを見ているはずだ。
そんな「物質的のヒト」に、タルコフスキーの素晴らしさをわかってもらうことなど、土台無理だ。タルコフスキーのような世界観が気に食わないという日本人が、多分、今のニッポンの風景を作っている。あまり知られていないが、大東亜戦争で、彼らは指導層にいた。ピュアなるものを信じていると錯覚して、膨大な同胞の犠牲を強いた。強いたのだった。覇権、征服、支配が、彼らの至上命令だった。どSなので、「派遣」労働を巧みに利用し、「制服」女子高生と援助交際をし、「賜杯」のエキスをごくごく飲んだ。そいつらは、テリブルに勤勉であった。

タルコフスキーは、そんなふうに権勢をほこる傲慢な連中と闘い、苦汁を飲まされ、放逐され、おとしめられながら、それでもめげずに、聖なる映画を作っただけだった。最近、DVDでいくつか観直したが、その熱くクールな思いに、ふるえた。自分はノンキ坊主だが、タルコフスキーには、敬礼をしたい、と思う。
投稿者:トリガー投稿日:2003-02-19 22:20:54
アンドレイ・タルコフスキーの遺作。恒例の通り、精神の奥深き世界へと誘い込み人間の内面を幅広いスケールで描く。そこで扱われるテーマは郷愁をはじめとして、狂気、信仰など実に多彩である。やはりタルコフスキーの映画だ。非常に難解である。いや、”難解”と一言で言ってしまっていいものなのだろうか。難解であり、単純だ。彼の映画を観ていると”言葉”に自信が持てなくなる。といっても多面性があるということを言っているわけではない。もちろん多面性はあるのだが。言葉で言い表すことの出来ない、物質的とも精神的とも一概には言い切れない”何か”を映像を通してタルコフスキーは我々に語ってくれる。日常性のなかに潜む”何か”を。その主旨を掴めるかどうかが、それが睡魔の襲う退屈に取って代わるか、ある種啓示のような神々しいメッセージとなるか。に懸かっている。それが非常に掴みづらい。我々に示されているのはただそこに”何か”があるということ。こんなことを遺作で気づきはじめる俺自身、なんだかとても悔しい。なんか作品の感想になってねえや・・・。まいっか。
投稿者:theoria投稿日:2003-02-19 21:56:50
アレクサンデルが登場人物となれば『ファニーとアレクサンデル』の方が自分にとっては格段に上位を占める。しかし、撮影が同じスヴェン・ニイクヴィスト。ベルイマン御大の作品には欠かせぬ逸材。魅力が無いはずがない。“聖書画”と、召使のマリアとのアレクサンデルの交合に於ける、昇降機能付き回転ベッド?若しくはワイヤー・プレイ?だか何だかで二人が“輝く”シーンの鮮烈なカラーを筆頭に、海辺の松林や草原といった風景のナチュラル・カラーが目に優しく、さらにそれらに潜む心象風景としてのモノクロームが、それらのポリクロームに陰影と立体感を与えている。全篇に漂う“尺八”の音色が、クレジット・タイトルで枠組みを形成する『マタイ受難曲』中のアリアとのコントラストを際立たせており、映像効果を引き立てている。しかも時にはその深奥さに於いて互いに“交合”する。東洋と西洋の脳波がピタリと合うところが読み取れるのだ。平たく言うと“墨絵”と“油絵”の各々の持ち味をタルコフスキー仕立ての詩情を盛り込んだ解釈によって表現したようなのがこの“遺作”なのではなかろうか。しかし、ヤマハやソニーよりはマシかもしれないが、あのJVCの安っぽいアンプを通して流れ出してくる尺八の音はナントモ薄っぺらに聞こえてしまう。当然に偏った見方だろうが、アンプはオーディオ機器の“心臓”とも言えるので、あの場面が度々出てくるのは“隠喩”としては見苦しい。「クロサワ賛」をしたかった側面もあろうが、オーディオ製品くらいは基本的には“スペック”に特別こだわらない“ハート”で聴かせる欧州のメーカー物にして欲しかった。それはともかく、全体の核に位置付けられるであろうアレクサンデルの「神よお救いください〜」のシーンは迫真性が欠如している。役者のヨセフソンに問題が有ると言うよりは、タルコフスキーの80年代に入ってからの集中力の衰えなのか“弛緩”が災いしていると私には思える。作品としての“枯淡の境地”には残念ながら達してはいない様だ。日本情緒を嗅がせて、その思想を愛しよう、理解しようという姿勢は見られても、どうしても東洋の“輪廻”よりは西洋の“永劫回帰”に支配されている。これを当然と言ってしまえば身も蓋も無い。まあ“断ち切る”か“意地でも続行する”かの間隙は東洋と西洋の根本的差異であるから易々と埋まるものではないが・・・。しかし「最初に“ことば”ありき・・」という子供の一言は、モーツァルトの『劇場支配人』との競作で知られるサリエリの『まずは音楽、それから言葉』という人類にとっての永遠のテーマを扱った喜歌劇を想起させてくれるし、生命の源である“水”の描写は健在で、澄み切った水の如く底の深さは計り知れない側面は否定出来ぬし、相変わらずの侘び住い風の“ベッドのある部屋”の静寂感もやはりタルコフスキーならではで魅了される。
投稿者:S&H投稿日:2002-04-29 04:47:32
これは、黒澤明の「生きものの記録」だと思いました。核の恐怖をジェット機の轟音で表現したり、家族を救うため狂気に走り家に火をつけてしまうところなど、そのままです。この作品を製作中に死期を悟っていたでしょうから、タルコフスキーなりにクロサワへ敬意を表したのだと私は思います。両作品を見較べてみると面白いと思います。
【受賞履歴】
(■=受賞、□=ノミネート)
□ パルム・ドールアンドレイ・タルコフスキー 
 ■ 審査員特別グランプリアンドレイ・タルコフスキー 
 ■ FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞アンドレイ・タルコフスキー 
 ■ 芸術貢献賞スヴェン・ニクヴィスト(撮影)
 ■ 全キリスト教会審査員賞アンドレイ・タルコフスキー 
■ 外国語映画賞 
【ソフト】
【レンタル】
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