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ふたりのイーダ(1976)

メディア映画
上映時間110分
製作国日本
初公開年月1976/11/06

【クレジット】
監督:松山善三
製作:山口逸郎
赤井明
原作:松谷みよ子
「ふたりのイーダ」
脚本:松山善三
撮影:中川芳久
美術:村木忍
編集:井村文子
音楽:木下忠司
助監督:森園忠
相沢徹
出演:上屋健一直樹
原口祐子ゆう子(直樹の妹)
倍賞千恵子美智(直樹の母)
山口崇
高峰秀子
森繁久弥
声の出演:宇野重吉椅子の声
【解説】
 戦争で死んだ少女を何十年も待ち続ける、心を持った椅子。主人公の少女は偶然その椅子に出会い戦争の悲惨さを知る、という反戦映画。椅子が喋るシーンや幻想シーンなどに特撮が使用された。
<allcinema>
【ユーザー評価】
投票数合計平均点
17 7.00
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【ユーザーコメント】
投稿者:Stingr@y投稿日:2017-02-11 08:07:44
子供の頃に原作を知っていたのはうらやましいが、私は(今でも)原作を知らないので、本作のように「イーダは原爆で亡くなってしまった」というストーリーの方が分かりやすい。それだからこそ、私が幼少時に観たとき、“椅子の身投げ”というラストが、子供心にも身につまされ、記憶に残ったのだろうと思われる。原作は、イーダと再会した椅子が、宙に跳び上がって喜んだのだろうか? それこそ子供だましの笑止千万。
※子供のころは原作者など気にも留めなかった。松谷みよ子の名は、大人になってから、絵本作家としてではなく、「現代民話考」の作者として知ることになった。興味のある方は一読あれ。

ストーリーは違うが、造りは「E.T. (1982)」と同じだ。両者のストーリーには、現実に存在する原爆という絶対悪と、絵空事の異星人E.T.との友情、という違いがある。だが、表現は、椅子が宙に跳ぶか、自転車が空を飛ぶか程度の違いである。母親の再婚話を挿し入れたのも、子供に付き添ってくる親たちにも、被爆による差別や偏見、いじめが現実に存在することを理解して欲しいからで、子供向け絵本の範疇を超えても構わないと思う。それでも、椅子の擬人化には文句を言い、E.T.の擬人化には文句を言わないのは、そう批判する人の心の中に、日本とアメリカ、松山善三とスピルバーグ、という本人も意識していない(であろう)差別意識が存在するからだ。

「ふたりのイーダ」と「E.T.」を比較した場合、子供にとって、どちらが受け入れやすいかは明白だ。だが、大人にとって、どちらを子供に観てもらいたいかも明白だ。「JAWS/ジョーズ (1975)」では、現実に存在する脅威を徹底的に破滅させ、「E.T.」では、絵空事の友情を、さも実現できるかのようにでっち上げる。そのようなスピルバーグの思想は、延々と続くアメリカ社会の思想の一脈で、現在のアメリカ社会にも払拭しがたい影響を与えている。

本作は、松山善三という性善説に立つ御仁が脚本・監督したから子供にも観せられる作品になっている。破滅やでっち上げなどは、ここには一切ない。ここにあるのは、「今は分からなくてもいい、いつか分かってほしい」という願いだ。↓の人も、以前観た折に、全ては分からなくても、何かしら心に引っかかるものがあったのだ。そうでなければ、いまさらコメントすることもあるまい。(日記としてコメントを残す人は別として…)

それはそうと、昭和の少年たちはあのような短い半ズボンをはいていましたね。「ALWAYS 三丁目…」に出てくるような五分ズボンをはいた少年なんていませんでした(これも絵空事ですね)。時代がここにあります。子役の上屋健一君も上手ですね。今時の子役は「下手だからカワイイ」か「多少見た目がいい」という評価(+某学会の応援)で人気があるのでしょう。
投稿者:黒美君彦投稿日:2017-01-11 16:23:27
【ネタバレ注意】

<あらすじ>小4の相沢直樹(上屋建一)は妹で三歳のゆう子(原口祐子)と、雑誌記者の母相沢美智(倍賞千恵子)に連れられ、広島の祖父母須川利一郎(森繁久彌)菊枝(高峰秀子)夫婦に預けられた。夏の昼下がり、直樹は「イナイ、イナイ」と呟き歩く椅子(声:宇野重吉)と出会う。そして椅子が入っていった古い洋館に、いつの間にかゆう子が通っていた。ゆう子は挨拶代わりに「イーダ」というのが癖だったが、椅子はそれこそこの家に住んでいた「イーダ」だといって譲らない。実はこの洋館に住んでいたイーダという女の子は、昭和20年8月6日、広島に出かけたきり、帰ってこなかったのだ…。

1969年に松谷みよ子(1926〜2015)が発表した児童文学。原作ではお祖母さんの知り合いの近所の娘りつ子が重要な役回りなのだが、この映画では登場しない。それはこの映画が原爆投下後31年経った1976年に製作されたからかも知れない。被爆時3歳だとすると、1969年では27歳、1976年では34歳で、もはや「お姉さん」ではいられないからだ。
原作は子供の頃に読んだ記憶があるが、「イナイイナイ…ドコニモイナイ」と歩き回る椅子の印象が強烈だった。宇野重吉の声はぴったりだが、擬人化し過ぎて少々子ども騙しっぽい印象は否めない。
物語では、原作になかった母親の再婚をめぐる葛藤が描かれる。彼女も被爆していて、カメラマンの広岡研二(山口崇)から求婚されても結婚に前向きになれないのだ(すでに二人も子どもがいるのに?)。

直樹は、祖父から広島の写真集を借りて自分で学び、8月6日の広島に向かう。31年前の悲劇を直樹から聞いた椅子も、広島へと向かう。
この作品では「イーダ」は原爆死したことになっているのだ。
原作ではりつ子こそが「イーダ」であり、原爆による白血病に苦しんでいるが「ぜったい、死んだりしませんよ。そして、あの家へ住もうと思うのです」と直樹への手紙に書いてくる場面で終わる。
映画でこの「りつ子」にあたる人物が登場しないのはやはり致命的な気がするが、短い上映時間で説明しきれないという作り手の思いもあったのだろう(てっきり倍賞千恵子が「イーダ」かと思ったのだけど)。
ただ、雑誌記者である倍賞が、被爆時の話を取材しようとして拒まれるシーンは、当時の状況を映し出しているといえなくはない。
戦後31年経って、今さらあの惨状について思い出したくもない、という意識は、当時の被爆者に共通していたように思うからだ。
倍賞千恵子が演じる母親もまた被爆者なのだと告白するシーンも、被爆者に対する差別が厳然として存在していた裏返しでもある。

学校や公民館などの自主上映に任された分、観る機会は限られていたこの作品だが、森繁久弥や高峰秀子、倍賞千恵子という配役は豪華だし、しかもそれぞれなかなかいい。
木下忠司の音楽が少々耳障りに感じたのは正直なところではあるし、全体としてはやや作りに雑なところもあって傑作とはいえないが、映画離れが激しかった時代の松山善三の足跡を辿る上では十分価値のある作品だと思う。

投稿者:ASH投稿日:2017-01-07 18:37:58
 「蔵出し名画座」にて鑑賞!! イスが喋る映画ってのは、ウロ覚えで知ってたんだけど、日映専の番宣を目にして、「ああ、コレだ!」と思い出したわ。確か、公民館かなんかの有料上映で観たんだけかなぁ。イスの声って宇野重吉だったんだな。めったに観れない映画を蔵出ししてくれて感謝!
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