雨月物語(1953)
【クレジット】
【解説】 戦国の世、貧しい陶工・源十郎が若狭姫という女性と知り合い、生活をともにするようになる。だが美しい若狭姫の正体は死霊であった。それを知った源十郎は若狭姫を捨てて故郷に逃げるが、彼女の怨念は執拗に追いすがる……。「雨月物語」をベースに、川口松太郎らが脚色。 <allcinema> 【ユーザー評価】
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日本人に生まれたって、ほんと捨てたモンじゃないです。
傑作。
なので昔の名作を今の感性で見るのはおっくうであまり見てないのですが、この作品はずっと気になっておりました。
40過ぎた今観てよかったです。
男は幼稚な野心と欲望でできてるのでこの物語はどの時代にも成立します。戦の諸行無常な感じも無視できないと思います。
そんな普遍的なテーマを当時の優れた才能で斬新かつ繊細に表現した作品だと思います。
最後の嫁さんのシーンの張りつめた感じがいい。浮気してるダメ男は必見。
灯ともせば、障子戸の格子など直線を組み合わせた日本家屋を美し
く浮かび上がらせ、妖艶な若狭が舞い踊る。 モノクロならではの
映像美で、総天然色・・・古い(笑) では現せない世界です。
謡いや鼓の音に、妖しげ( とくに毛利菊枝の演ずる右近 )な
女主従の佇まい。 以前観た時のこういうところばかりが印象として
強く残っていて、幽玄の世界にどっぷりの作品との記憶でしたが、
何年かぶりで観なおしてみたら、けっこう現世の俗ごとを扱っていた
のでした。
でも、なんですね、出演者、特に男優はいかにも演技をして
いる≠フですよね。 日本映画はあまり観てはいないのだけど、
最近 (といっても四年前) 見た山田洋次監督の作品にも同じような
ことを感じたんで、今も昔も、こういうのが日本映画の伝統なんでし
ょうか。 な、わけないか(笑)。
溝口の情念と土の匂いは、黒澤や小津には見られないもので、日本の文化や歴史に根ざすという意味では、溝口こそがわが国が生んだ最高の映画監督と言ってもいいのではないか、とさえ思えます。
この映画は、評価され尽くしているとは思いますが、もっともっと大事に、それこそ国宝クラスの待遇を受けてしかるべきです。
子供がみるものではないとしても、二十歳になったら必ず観るとか、映画鑑賞の必修課題にするとか、この映画をきちんと評価できないと日本では映画監督になれないとか・・・ 少し言い過ぎました、ごめんなさい
しかし少し違った見方をすると面白いということを発見した。
どのように見るかというと、男と女をすべて同じ人として見る。
男と女はお互いに映画の文脈を守るというルールを守りながら、いかにお互いを貶めようかと戦っている。
そのように見ると、まず戦争で男に大きく苦しめられるのは女。
そして幽霊になった女は男に幻を見せ、狂わせて殺そうとする。
しかしすんでのところで男は逃げ帰る。
男の帰りをむかえる幽霊の女は、まるで男を最後まで取り殺せなかったことを悔しがっているかのようである。男が眠った後、女は男の履物を片付ける
。このところでなぜか草履にスポットが当たる。これは恐らく女が幽霊であることを示すととるべきなのだろうが、またも男の身の回りの世話し、救ってやるような損な役回りをさせられてしまうことに怒り、悲しんでいるようにも見える。
最後のナレーションとは矛盾するが、まあ別にどう見ようが勝手だろう。
上田秋成の怪奇幻想小説を、川口松太郎が脚色して映画化した作品。
ベルイマン『野いちご』、黒澤『蜘蛛巣城』、『羅生門』・・・・
厳粛、冷徹、ホラーちっくな芸術作品だと思って、格調高く怖がらせてくれることを期待して観ると、かなりガッカリします。っていうか、これってほとんど通俗メロドラマ。
原作ふたつを無理に繋ぎ合わせたお話も、けっこう変だけど、なぜか山の手言葉で「敬語」使って亭主に意見する百姓の女房が、ものすごく変!(誰もなんとも思わなかったんだろうか?)そして、そんな女房の意見が最後に身に沁みて、「お前の言うとおりだったよ」って改心する亭主も、やっぱり変。ラスト、頼りない亭主に、あの世から声をかける田中絹代のナレーションは、見ていて爆笑ものです。(ショボイ演出・・・)
上田秋成の映画化だと思えば腹も立つが、通俗ドラマとして観れば結構面白いかも。特に、京マチ子が登場してからが、俄然面白くなってくる。
まぁ、『西鶴一代女』より娯楽色が出てるのが、面白く観られていいと思いました。
大昔の話ですが、出世して、お金を沢山儲けたいという世の中は今でも変わらない事を、如実に表現しているのが良いです。女に目がくらむ男の因業を妖怪に託しているのは秋成の目指す所だったでしょうが、その役を京マチ子が良く演じています。ただ私は純粋に生きて行く役の田中絹代の方がもっと印象に残りました
溝口特有の突込みが足らず、見終わって欲求不満が残る。
西鶴一代女の足元にも及ばず、とても傑作とはいえない。
宮川の幽玄美漂うキャメラ、伊藤の華麗な美術、そしてそれを纏め上げる溝口の粘りの演出術!
演技陣。マチ子がいい。
のか。別にフランス人の映画感をひいきするわけではないが、この物語はフラ
ンス人が見る日本映画のベストに入る作品になっている。外人が見るのは日本
人が見る要所と違う、といえばきりがない。浮世絵がフランスで賞賛され、逆
輸入されてから、よっこらしょと腰をあげる態度は辟易とするが、外国人が褒
める映画のどこがいい、と偏屈になっても埒があかない。
今回で何度目になるか、また田中絹代の最後の「声」で泣かされてしまった。
今回は耐えてみせる、と丹田に力をいれたにも関わらず、まけた。フランス人
はこの映画のどこがいいと言っているのか聞いた事がないので判別しかねるが
田中絹代には参ってしまう。
溝口の映画はこのゆったりとした長回しのワンシーンがもっとも魅力的だ。頑
固なまでに動かないキャメラ。動いているのはその前にいる俳優だけだ。しか
も悶絶しながら動くというシーンが珍しくない。この独特な溝口節を嫌う人が
いるが、老婆心の上で言ってみると、もっと溝口作品を見てみるといい。「残
菊物語」や「祇園姉妹」「近松物語」「好色一代女」という彼の代表作をみれ
ば、「雨月物語」はまだテンポあるほうだ。しかし、この頑固なほどまでの撮
りが溝口の真骨頂なので、小津や成瀬、黒澤の要素を見るわけにはいかない。
今度フランス人に会ったら「UGETSU」のどこがいいのか聞いてみよう。
次は若狭(京マチ子)。もともと高貴な生まれでありながら、信長に一族を滅ぼされ、夫婦の幸せを知らずに「はかのうな」ってしまった若狭。せめてただ一度、女らしい喜びを知りたいとさまよい出てまいった彼女の思いが、源十郎(森雅之)を無理やり見初め、強引に契りを結んで遂げられたことは、侍女の右近(亡霊)も認めている。いずれ死者と生者の生活が続くはずもなく、静かに身を引くべきだったのだが、欲望に固執したため斯様な結末となった。いい迷惑はすっからかんになった源十郎だ。ちなみに「妻子ある身でなぜ騙した」と責めるのは、源十郎の肌に呪文(?)が書いてあって、霊である彼女らには近寄れないと分かってからである。
もっとも複雑なのは宮木(田中絹代)で、結論だけ言うと、口では夫に側にいてと言いつつ、実は内心で裕福を夢見た彼女は、その欲望の在り方の邪さゆえに命を失う。死んで初めて、本当に夫が側にいてくれるだけでよかったのだと悟る。
言ってる事は分かるし、それを言うにはそれだけのテンポと時間を要したことも分かるのだが、やっぱりのろい。のろすぎる。4
こんなに美しく人が倒れる映画は見たことが無い。何て情感の籠もった倒れ方をするんだろう、この映画の登場人物たちは。
ゴダールがこの映画を誉めていたけれど、やっぱり彼も外人さんなんだなぁと実感。当たり前か…
貧しさのどん底に生きる民衆、敗残兵たちの略奪、暴虐。現実の悲惨さをも描きながら、映像がそこはかとなく美しいのは宮川一夫のカメラの技か。溝口健二の巧みな演出が、静かな狂気を見事に切り取っていく。
ハリウッド的「来るぞ来るぞ」という、見たままのホラーではなく、ここにはこうした怪談に本来的な「不条理」の影が色濃く反映している。
廃墟の前で立ち竦む森雅之のシルエット、そしてラストシーンの土饅頭からのパンアップとその向こうで田畑を耕す農民の小さな姿。
ちっぽけな人間の欲望を、巨大な何者かと対比した(そしてそれこそがまさに「不条理」なる現実だ)素晴らしい傑作だ。
今一人の男、亡霊と契りを結ぶ事は、心の中の願望を描いていると言えます.やはり、この場合も、思いっ切りくだらなく描きました.王子様とかお姫様に憧れるのは、誰にでもあることなのですが.けれども、妻子を捨て、家庭を捨てて浮気に走ることは、許されないことと言わなければなりません.(浮気をしてはいけないとは言いませんが)
出世欲に捕われた男は、女郎に身を落とした妻と出会う事により、自分の愚かさを悟って妻と共に郷里に帰り、幸せに暮らしたと言えます.許される愚かさと描かれました.
亡霊と契りを結んだ男の場合は、妻は落ち武者に殺されてしまっていました.妻もまた亡霊となって何も知らない夫を出迎える描き方が妙.亡霊の妻の言葉に悟りを開き、黙々と仕事に打ち込む夫の姿は、許されない愚かさと描かれています.
夫婦が幸せに暮らすこと、家族が幸せに暮らすことが何より大切なこと.そして、出世欲に捕われた男と、亡霊と契りを結んだ男、この二人の人間の願望の対比は、浮気をして、そして家族を捨て去ることは、人として許されない事だと言っているのですね.