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 「幸村和」さんのコメント一覧 登録数(195件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[031]北極のナヌー
 意義はある幸村和2010-04-16
 
白クマの子どもナヌーと、セイウチの子どもシーラの成長を物語風に綴ったドキュメンタリー。本来ありのままでいいと思っているので、あんまり物語風にされるのは好きではないん・・・
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白クマの子どもナヌーと、セイウチの子どもシーラの成長を物語風に綴ったドキュメンタリー。本来ありのままでいいと思っているので、あんまり物語風にされるのは好きではないんだけど、北極圏に生息する生き物を取り巻く環境が静かにしかし確実に変化している様子が、白クマやセイウチの成長とともに移り変わる季節を通して伝わってくる。 温暖化を始めとする地球環境の変化に警鐘をならす、という目的でこの手の映画を制作するとしたら私はもう生ぬるいと思っています。ありのままを撮影したら(それが困難な作業ではあるのでそれには敬意)、もう地球環境は明らかに変わってきているのは伝わります。でも、想像力のない人には「だから自分たちがヤバい」とまでは伝わらないような気がしています。もっと直截的具体的でないと。 なので、この種のドキュメンタリーは多様な生き物が生息していた、ということを記録する意味で意義があると思います。って過去形なのがほとんど絶望してますね。もちろん自分のできることは続けますけどね。 ところで、ナヌーが恋の季節を迎えたというナレーションのシーンで、2匹の白クマがじゃれ合うシーンを挿入していたけどこれはいただけない。発情期を迎えた雌雄白クマが人間の男女のようにイチャイチャするということはないんじゃないか。恐らくまだ大人になりきっていない、きょうだいクマのじゃれあいシーンを持ってきて「恋する白クマ」を作ったと思われる。こういうのはちょっとバカにされたみたいで不愉快です。 あと稲垣吾朗のナレーションもどうでしょうね。彼の声は少しくぐもっているので、ナレーター向きではないと思うけどジャニーズのイメージ戦略かな。最近、俳優がこういう教育にもよろしいドキュメンタリーのナレーションをすることが多いけどあんまり好きじゃないなあ。なんでプロを使わないんだろう。タレント側としてもイメージ戦略に利用できるし、起用する側も知名度がプロのナレーターよりあるから映画として売れるとか思ってんのかな。むしろ、見る気が失せるんだけどな。って、私みたいなのは少数派でたいていの人は嬉しがるのかもしれませんけどね。 ちなみにこの映画観ながらなんかこのシーン、どっかで見たような…、と思っていたら「ホワイト・プラネット」の映像を利用して物語風に編集しなおしてたんだ。あとでホワイト・プラネットを観て(しかもそれも2回目だった)、気がついた。とほほ。
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[032]ノン子36歳 (家事手伝い)
 女性ドラマ!?幸村和2010-04-12
 【ネタバレ注意】
SAKE-ROCKの星野源さんが出ているという、ただそれだけの理由で観ました。 主人公は36歳元タレント、現在無職のノン子(坂井真紀)。36歳で職を失うことはかなり辛いがそういう・・・
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SAKE-ROCKの星野源さんが出ているという、ただそれだけの理由で観ました。 主人公は36歳元タレント、現在無職のノン子(坂井真紀)。36歳で職を失うことはかなり辛いがそういうこともあるだろう。しかし、親元で暮らし、ひたすら無為徒食の毎日ってどうよ。それだけでもなんだかなあって感じなのに、深夜ゴミ箱や看板をわざとなぎ倒し、けっ飛ばしながら自転車を漕ぐ子どもじみた憂さの晴らし方はもう最低としか言いようがない。 更にそんないい年こいた娘に「ノンちゃん、ごはんよ〜」とかいって甲斐甲斐しくご飯用意してあげたり、連れ込んだどこの馬の骨と知れない男性にまで「朝ごはん用意しますね♪」とか言ってるお母さんも不可解。そのうえ「ほっとけ!」「でてけ!」「のぶ子を呼べ!」と単語(?)しか発しないお父さんも不気味。もしかしてこの両親のキャラ設定、適当なんじゃないか?ペラペラなんだけど。 そして個人的に注目の星野源演じたテキ屋の兄ちゃん。彼もまた強烈に世間からズレてました。ノン子に夢を聞かれて「屋台で世界に出たい」しかし「でも特に何もしてないんですけどね」そんなテキ屋の兄ちゃんにノン子「いいなあ、若い子は夢があって」って。この会話で椅子からずり落ちそうになった。30歳手前で夢だけ語って何もしてない兄ちゃんも兄ちゃんなら、それを羨ましがる36歳ノン子も相当キテる。 そんなテキ屋の兄ちゃんのずれっぷりは後半加速を増す。地元のテキ屋の元締めみたいな人に「この裏切り者」って逆切れするところなんかズレ過ぎててただのサイコ野郎。まあ狙ってるのかもしれませんがね。 狙ってるというと、ひよこ追いかけシーン。あれもここでほのぼのユーモラスタイムなつもりだったんだろうか。見ているこちらは既に白けきってしまっていたけど。 とまあ、この映画はいい年こいて年相応の振る舞いと思考がどうもできていないダメ女と、やってることが完全に現実社会からズレ過ぎていてうまくいかないどころか、自分で破壊までしてしまうようなヤバい男のズレズレカップルのお祭り大騒動顛末記となっている。 しかしこれ、ダメ人間賛歌では全くないですね。だってダメな理由があるんだもん。笑っちゃうくらい明確に。 ダメな理由が自分の頑張りではどうしようもない部分にあって、でもなんとか頑張ろうともがいている人に対して人って寄り添えたり元気づけられたりするんじゃないか。 この映画観て優越感持つってのもハードル低すぎるしなあ。痛すぎるだけで優越感持つとかいうレベルじゃないし。何のためにこの映画作ったんだろな。解説の「女性ドラマ」ってなんだ?それ。 そんなこんなで坂井真紀、星野源、どちらも熱演でしたけどね、肝心の中身がね。熱演と言えば、最も印象に残ったのは鶴見辰吾。彼のやさぐれっぷりが板に付きすぎてて驚いた。あの肌のくすみとたるみ、目の濁りと卑屈めいた顔つきは役作りのためににわか仕込みで出来上がったんだろうか。もし役作りのためにそうなったとしたら、恐るべし鶴見辰吾。でもそうじゃなかったらどうしよう、内臓大丈夫かとか、とこちらも変な心配してしまいました。
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[033]イタリア的、恋愛マニュアル
 そうしてめぐる幸村和2010-04-12
 
1話ずつ計4話のオムニバス形式ですが1話目のラストに登場した人物が次の物語の主人公になる、という展開。しかもその4話のテーマは出会い、すれ違い、裏切り、そして別れと・・・
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1話ずつ計4話のオムニバス形式ですが1話目のラストに登場した人物が次の物語の主人公になる、という展開。しかもその4話のテーマは出会い、すれ違い、裏切り、そして別れと新たな恋の予感と、まるで人間の生老病死から転生にも重なるかのような輪廻な物語の配置になっています。 1話目はやや強引なカップル誕生でしたが、2話目からゴール・インの後、すれ違い始めた二人が登場してから話はぐんぐん面白くなってきました。夫と二人で共有するものを築きたい妻と、そんな妻の嗜好と合わない夫。特に観念的な方向に行く女性と子どもっぽくて自分の好きなことしかしたくない男性の文字通りすれ違いが、私としては女性男性どちらの側にも共感できる部分があって入り込みました。あんたら、なんでそれで一緒になったんだよ、って思いますが、ゴールインするまではなぜかそれが見えないんでしょうね。そしてラストの4話目も素敵。笑い話じゃないんだけど思わず笑ってしまって、そしてよかったなあと思えるラストが待ってます。ビール飲みながら観て、気が付いたら一人でニコニコしてました。登場人物が突如カメラ目線で解説者になったり、胸の内をセリフにしたりといった演出もユーモアがあって私は楽しかったです。 本来、恋愛っていうと特別なものに感じるけど結局突き詰めれば人間同士のぶつかり合い寄り添いあいなんですよね。だからこそ盲目になりがちなカップル成立前よりもゴールインしたあとが面白い。 恋愛ものと言うと私はどうしても登場人物たちの好きだ嫌いだ別れる別れないというやりとりに全く興味が持てず「勝手にすれば?」と思ってしまうタチなのでそのタイトルから今まで見るのを敬遠してましたが、気まぐれに観てみればこれはとてもよかった。観ず嫌いはいけませんな。「イタリア的」とありますが内容はお国柄なんか関係なく誰でもうなずく部分があると思います。心地いい映画でした。
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[034]ゴールデンボーイ
 弱い幸村和2010-04-12
 
公開当時、なんか怖くて面白そう、というイメージだけで観に行った。しかし、なんかよーわからんかったな、という感想しか持たなかった。正直、ハズした、とも思った。当時は若・・・
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公開当時、なんか怖くて面白そう、というイメージだけで観に行った。しかし、なんかよーわからんかったな、という感想しか持たなかった。正直、ハズした、とも思った。当時は若くて今よりパーだったし映画をほとんど見なかったので、わかりやすい面白さ、怖さを求めていたというのもある。その後、この映画の監督がブライアン・シンガーということを知り、ブライアン・シンガーならそれなりに娯楽作品をそれとしてひきつけることが得意な監督と感じていたこともあり、じゃあなんでハズした感があったのか、未熟ゆえに自分の観方に問題があったのかそれを確かめたくてもう一度観てみました。今回は、原作まで読んでの鑑賞です。 それで、「なんかよーわからん」と当時思ったその理由がわかりました。主人公の少年の演技が弱いんです。いや、多分演じるとしたらすごく難しい役だとは思います。原作はかなりえげつないので、これを映像化するとジャンルはスプラッタな要素のあるホラーといっていいでしょう。主人公の少年の空想を映像化したら、特にね。それの映像化はしないでいて原作の持つ怖さを表現しようと思ったら役者の演技に負うところが大きくなる。そこが失敗している。もう失敗と言ってしまおう。イアン・マッケランはさすがの演技でいい線いってましたが、肝心の主人公の少年が甘すぎた。例えば原作ではどんどん恐ろしい妄想に取りつかれていくわけです。そして夜も眠れなくなり、食欲もなくなり痩せてきて目にも狂気を帯びてくるんです。そういう主人公の内面の崩壊がほとんど見えないんですよね。主人公は年いったら太りそうだな、という白くてパッツンとしたお肌の状態をキープ。血色もあんまり悪くなってないしな。 ラストの少年とゴム靴エドのやりとりも後味悪い。懲悪がいいとはいわないけど、私としてはせめて「崩壊」の予感くらいは見たかったな。そのほうがいろんな意味で怖かったと思うのですが。え?それでおしまい?って感じでした。 というわけで、感想が変わるかと思って見直しましたが、不満に感じる理由がわかっただけで、やっぱり公開当時と感想は同じでした。そもそも原作がブライアン・シンガー向きじゃなかったんじゃないかな。
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[035]実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)
 総括=敗北死=ポア幸村和2010-04-12
 【ネタバレ注意】
学生運動が盛んだった1960年代と言えば、一方で貧しい地方農家の娘や次男以下は大学どころか高校にも行けず、中学校を卒業して都会に集団就職していた時代でもある。当時の大学・・・
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学生運動が盛んだった1960年代と言えば、一方で貧しい地方農家の娘や次男以下は大学どころか高校にも行けず、中学校を卒業して都会に集団就職していた時代でもある。当時の大学進学率を見てもわかるように、それほど貧富の差が激しかった時代に大学まで行くというのは、経済的に余裕のある家庭の子どもだったと私は思っている。全共闘運動だか何だか知らないがそんな富裕層中心の若者たちが、大学に入って現を抜かしていた学生運動に私なんかは苦々しい思いをずっと抱いていた。 なので私はそんな学生運動に端を発した赤軍派が起こした事件に対してもかなり冷ややかでした。しかし、それでいて気になる点はあって、それは高水準の教育を受けたはずの集団が何がどうしたらそういう蛮行愚行に走るのか、ということ。 そしてこの映画はその当事者の連合赤軍の内部の視点で描かれたという。ならば、その行いに走るメカニズムが見てとれるのかと期待しましたが、残念ながらそれが描けているとは思いませんでした。 そもそも前半、かなりの時間を費やして語られる原田芳雄のナレーションは情感ありすぎて聞きづらかった。その後の惨劇を知っているだけに、かえってもっとシンプルな声の人に淡々と読んでほしかった。そのせいかどうかわからないけどここでも連合赤軍誕生のいきさつがいまいち理解できず。 今回初めて知って印象に残ったことといったら、実は事件の主犯格の森恒夫はかつて途中で逃げたチキンな若造だったことくらいか。その後の森恒夫の行状を見ていると、多分この人はやられないようにするためには誰より先に生贄をぶち上げることだとその臆病さからくる嗅覚で察していたんだろううなとはしみじみ思いましたね。 地曳豪がやみくもに残虐なことが好きなクレイジーな若者ではなく、むしろ怯えるあまりに吠える犬のような森恒夫をうまく演じていたと思います。 しかし、映画の内容としては後半もやっぱり自分が求めているものが得られず。彼らの行いをトレースしても内面がわかるというものではないと思うんだけどな。 といってもじゃあこの映画がダメだったのかと言うとそんなことはない。 私自身は今まで本で読んだりしてある程度知ってはいたリンチ殺人の様子。 たとえば口紅をつけてるとかそんなくだらない理由で「覚悟ができてるのか」と難癖をつけられ遠山が総括対象になったことからもわかるように、このリンチ殺人は「国家権力に対する殲滅戦に向けての根性試し」の要素を多分に含んでいたと私は思っています。それが相当に皮肉で「勇気」というものについてとても考えさせられるし、一応同じ理想を掲げて集まったはずの集団が、仲間内でリンチ殺人にまで堕落していくその過程は、映像としてよく描けていたとは思います。 次に吊るしあげられる人は誰だ?という怯え、緊張、それぞれが目を合わさない空気。そして自己を正当化してリンチ殺人を敗北死と言い換える欺瞞。あまりの彼らの愚かさと卑劣さと弱さに言いようのない怒りと恐ろしさを映像を通じてあらめて感じました。 頭でっかちで口ばかり達者な若者が、銃砲店から銃を強奪するという犯罪を犯し、革命らしい具体的行動を何もしないうちからくだらない理由で自分たちの手でその戦力を殺し、減らしてんだから、これを愚かと言わずして何というんでしょうか。私はほかの言葉が思いつきません。 にしても目標を一つにして多くの仲間とそれに向かっていく、という行為は連帯感と恍惚感を得られて特に若者を虜にしそうですが、それが一歩間違うとこうなる、という事実を知っておくべきだとも思います。 それと、これも多くの方がコメントしているように、並木愛枝が演じた永田洋子が素晴らしい。イメージぴったりです。「家政婦は見た!」の市原悦子の目に暗い光を宿し、その目で獲物を定めたら舌なめずりして蛇のように獲物に近づくって感じ。「男にモテて羨ましいからこの女を懲らしめてやろう」というモテない女性の怨念がメラメラと〜〜。いやはや恐ろしかった。現実の永田洋子は死刑を宣告されましたが彼女は死刑執行するより死ぬまで総括→ダメ出しのを繰り返しを刑罰として課した方が堪えそうな気がするけどな。
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[036]歩いても 歩いても
 家族の物語幸村和2010-03-24
 【ネタバレ注意】
「東京タワー」のオカンもそうだったけど本作でも世話焼きで台所に立ちっぱなしのお母さんとして樹木樹林が登場。帰省した娘(YOU)と他愛のない話をしながら一緒に料理する風・・・
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「東京タワー」のオカンもそうだったけど本作でも世話焼きで台所に立ちっぱなしのお母さんとして樹木樹林が登場。帰省した娘(YOU)と他愛のない話をしながら一緒に料理する風景はそのまま味噌やだしの素のCMにも使えそうなほどほほ笑ましくなごやかだ。町医者として地元で尊敬を集めてきたらしい父親(原田芳雄)は自尊心が高く、いかにも頑固一徹そうなのも封建的なれどそれで落ち着いているといった家族の平和さを感じる。そんな平凡な家族の二日間が穏やかにしかし退屈に描かれるのかと思いきや、映画が進むにつれ、この家族の持つ悲しい出来事がわかってきたあたりからジンワリ人間のエゴがにじみ出てきて、ちょっと面白くなってきました。この一人ひとりのにじみ出るエゴの加減が絶妙で、そういえば「誰も知らない」も大人のエゴの犠牲になって静かに崩壊する兄妹を描いていたんだけどそれもまったく凄惨さとは無縁にむしろともすれば一見平和にも思える空気を漂わせていたんだよね。是枝監督はなかなかに怖い人だなぁ。というか人間の怖さを分かっているのかもしれません。 例えば娘が実家を二世帯住宅にしようと母親に持ちかけたり、あるいは父親が自分の孫に医者をすすめるようなことを言ったりするのもそう。あるいは娘の夫が写真撮影の時の「おじいちゃん、もっと寄って」なんてセリフも癇に障るセリフだし(私が原田芳雄だったら「わしはお前の爺さんじゃない!」と一喝するな)、よしお君の立ち去った後の父親のセリフときたら人に対する敬意をひとかけらも持ち合わせていないセリフでとても教養のある人間の言葉とは思えない。 そんなお父さんも怖いけど私が一番怖い、と思ったのがやっぱり樹木樹林の帰ろうとするよしお君に言ったセリフです。 あれはかなり怖い。いかにも人の良さそうなお母さんが言うからこそ、その怖さが一段と引きたちます。 そして、お父さんもお母さんも本当は善良な人だけど自分が見舞われた悲劇の前に人間はかくも脆く、エゴをむき出してしまうんですね。 もうひとつ、この映画で時折耳に付いたセリフ「そんなの普通でしょ」。類型的な「普通の」日本の家族を描きながらしばしばこのセリフを言わせているので思わず聞き流してしまいそうですが、よく考えると自分をスタンダードとして一切の例外を土俵にも上げない、ほかの考えを排斥する恐ろしいセリフになりうるんですよね。これを常用するのは怖いです。思考停止とファッショの第一歩かもしれません。何が普通かなんて誰が言えるのかって思います。 交わしている端から忘れそうな他愛ない会話を交わす三世代。孫に囲まれた幸せそうなおじいちゃんおばあちゃんと娘一家息子一家をアットホームに描きながらその端々にエゴが顔を出す、そしてその家族も死別で失うこともあれば、他人同士が一緒になって新しい家族を形成したりまた新しい命が誕生したり。思えば是枝監督は人間の一つの集まりである「家族」を描きたかったのかなと個人的にはそう思いました。
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[037]人生に乾杯!
 ハンガリー映画幸村和2010-03-20
 【ネタバレ注意】
81歳と70歳の老夫婦が「ボニー&クライド」する幸福への大冒険、とか、ラストには思わず拍手喝采のドンデン返しが待つチャーミングな人生賛歌、とかそんなパンフレットの宣伝文・・・
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81歳と70歳の老夫婦が「ボニー&クライド」する幸福への大冒険、とか、ラストには思わず拍手喝采のドンデン返しが待つチャーミングな人生賛歌、とかそんなパンフレットの宣伝文句に惹かれて観に行きました。が、結論から言うと拍手喝采のドンデン返しはちょっと言いすぎではないかというのが正直な感想です(これを連れ合いに言うと「そらあんた、『それなりのラストです』とは言わんやろ、と。確かに…)。 警察も運転席と助手席見ればわかるだろうし、炎上しても死体があったかどうかくらいもわかるでしょ。警察が騙され過ぎというかドン臭すぎ。 ま、それはどうでもいい(?)としてハンガリー映画なんである。ハンガリー。以前社会主義国だったけれど今はどんな国なのか知識がほとんどないのでそれを見たい知りたい感じたいというのもありました。しかし、それもまるでこの映画では日本かアメリカといったたいへん馴染があり過ぎて辟易する大衆娯楽消費至上社会とでもいった様相を呈していて、なんだか意外というか別にハンガリーでなくてもいいですし、という感じ。ま要するにつまんない国だなー、とこの映画で決めつけてしまうのもなんですがそういう印象を持ってしまいました。 だって生活苦の年寄りたちが見るのは「クイズ・ミリオネア」だし、警察24時みたいなセンセーショナルなだけの報道番組で主人公夫婦の犯罪が取り上げられたり、あるいは軽佻浮薄なワイドショー的番組が主人公夫婦の人となりを放送したりするし、そんなセンセーショナリズムのマスコミに刺激されて主人公夫婦を支持する人たちが出てきたり、二番煎じの年寄り強盗が発生とか、年金で暮らしていけない年寄りたちが集まりだしたり、なんか数十年後年金破たんした日本を見せられているみたいでした。でもそれ見せられてもそこから示唆されるものも特にないしなあ。だからどうしたらいいんだってね。まさか強盗じゃないでしょ。 お金を手にした夫婦が向かう先がいかにもなホテルに泊まってお金使うってのも、なんかね。所詮人間の欲望ってこの程度かねとつい思ってしまいます。 年寄り夫婦との対比としてこれから家族を築くという刑事カップルを持ってきていたけどこちらもまあ若いもんは色々あるけど頑張りなさいという感じでしかないしなあ。キャラクターとして面白かったのは車オタクの同僚くらいか。 それにしても映画とは直接関係ないけど、「スラムドッグミリオネア」でもあったようにクイズ・ミリオネアって世界中にある感じです。こうして貧困層は刹那の夢を与えられガス抜きさせられてるのね。それはそれで生きていくうえで必要ではあるけれどそればっかりにならないようにしたいですな。
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[038]ワイルド・ワイルド・ウエスト
 惜しい幸村和2010-03-12
 【ネタバレ注意】
のっけからスパイダーマークのノコギリ円盤に追いかけられる初老の男が登場、そこから入るオープニングがカッコいい。民放ではカットされてたので知らなかったけどこんなにワク・・・
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のっけからスパイダーマークのノコギリ円盤に追いかけられる初老の男が登場、そこから入るオープニングがカッコいい。民放ではカットされてたので知らなかったけどこんなにワクワクするオープニングだったんだと感心しきり掴みもOK。ウィル・スミスファンではない人間にとってはこの映画のウィル・スミスに特段何も感じませんが、なんといってもケヴィン・クラインが最高。マッチョなウィル・スミスに対しておバカな発明を次々繰り出す理屈っぽいヤワな相棒を持ってきたのはツボにハマりました。どうでもいいよ、という発明品の数々がとにかく楽しくてアホやーと言いながら笑いがこぼれっぱなし。しかも結構毒っけ満載ときてる。生首映写機(?)もグロテスクだし、耳がラッパだったり、上半身だけだったりという身体に障害を負ったキャラクターをタブーとせずにしかも悪役として持ってきてしまうのもなかなか勇気があるというか怖いもの知らずというかなんというかやりましたなぁ。何も考えてないのかもしれませんがね。 とまあ、大好きな要素がとにかく盛りだくさんで映画の2/3くらいまでは楽しくて半笑いの阿呆面で観ていました。しかし、歩いて敵に追いついたところあたりから急激に失速。失速のスピードがまた早かった。時間切れだったんだろうか、体力尽きて面倒くさくなったのか、かなり乱暴で大味な展開になってしまった。さらにサルマ・ハエックの存在も最悪。ウィル・スミスとケヴィン・クラインに円盤付けさせたくて無理に配置しただけの人物に思える。結局ただの賑やかしに終わって無意味に鬱陶しいだけだった。彼女はいなくてもまったく支障なかった。あと、後半、ウィル・スミスとボスキャラとの一騎打ちではよくまあここまでという不適切な差別発言侮蔑発言の応酬でちょっとやり過ぎな感じがしました。娯楽作品で固いことは言いたくありませんが、あまりにえげつないとさすがに不愉快ですね。 とにもかくにも男性登場人物のキャラクターはよかったし、荒唐無稽な物語をなんでも言えてしまう近未来や古代などではなく南北戦争後という時代にもってきたのも今までになくて好感持てましたし、実際前半過ぎたところまでは楽しかっただけにクライマックスに至る後半の作りをもっと丁寧にすれば大好きな作品になったと思うなぁ。惜しい。
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[039]図鑑に載ってない虫
 トリッキー幸村和2010-03-09
 【ネタバレ注意】
CM的長さのカットにシュールな状況設定、その中でボケと突っ込みが速いテンポで交わされるという、人の耳目を集めるインパクトと不可解さを持っているからCMの長さであれば・・・
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CM的長さのカットにシュールな状況設定、その中でボケと突っ込みが速いテンポで交わされるという、人の耳目を集めるインパクトと不可解さを持っているからCMの長さであればそれなりに効果的だけどそれをつないで映画にされてるという感じで、全体のまとまりも欠き、なんだか疲れました。ほんとどこで切ってもそのままCMに使えそうな感じです。 主人公だけがいわば感情移入を許す「普通の」人間として描かれていて突っ込みのほとんどを担当、あとの登場人物はどれも大抵奇天烈で漫画的でオーバーアクション、時々突っ込み部分を担う人も出てくるけどほとんどがボケを断続的に繰り出している。というか垂れ流している。この辺はもう好みでしょう。 映画のイメージは「見世物小屋」かな。背徳的でちょっとグロテスクでいかがわしげなムードは昭和のアングラの世界。実際言葉狩りで今ではすっかり放送禁止用語になったホームレスの日本語も作品中では何度か発せられます。個人的には嫌いなイメージではありませんがかといって好感持てるかと言うとそうでもなく。ちょっといかにも過ぎたかなあ。松尾スズキが好きになれないんですよね。この人って役柄とはいえアナーキーで面白そうな振る舞いしてるけど実際はすごく繊細なんだろうなぁ、とか、病気や死といった生まれた瞬間からついて回る怖さに対する反動を感じて松尾スズキを見ながら妙に心理分析してしまったり。そんなこと映画の本筋と全然関係ないんですけど。 ストーリーもねぇ、あのジャガー組は結局なんだったんだろ?それ以前に、ジャガー組を動かせていたと思しき角砂糖にはちみつかけて食べてた小さいおっさんは意味があったの?出したかっただけか?それこそ見世物小屋的に。あるいはどこかでつながっていたのかもしれませんが見落としたのかな。あんまりどうでもいいけどね。そもそも「死後の世界」に自分が興味がないというのも作品に入り込めなかった理由かもしれません。 さらに落ちも読めてしまいました。死後の世界がこちら側と反対っていうのは、確か沖縄のニライカナイ信仰ではなかったか?確かあの辺の信仰ではそういう死後の世界観を持つので死者の棺に壊れたお茶碗を入れるという(あの世で死者が使うために)のを本で読んだことがあります。というわけでラストも私には斬新さに欠けました。それまでがほんとトリッキーだっただけにかえってえ?そんなつまんないオチ?とさえ思ってしまいました。それまでの積み重ねが寧ろ徒になってしまうラストです。映画に流れるムードをCM的に楽しむ分にはそれなりかもしれませんが。
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[040]幸せのルールはママが教えてくれた
 今とそしてかつての娘たちへ幸村和2010-03-08
 【ネタバレ注意】
物語の冒頭は、母ジョージアのもとへ娘がやってくるところから始まる。どうやら久しぶりに母の元へ来た娘リリーに母親は愛情をにじませつつもまっすぐ抱きしめることになぜか躊・・・
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物語の冒頭は、母ジョージアのもとへ娘がやってくるところから始まる。どうやら久しぶりに母の元へ来た娘リリーに母親は愛情をにじませつつもまっすぐ抱きしめることになぜか躊躇をみせ、娘も複雑な表情で中途半端な声をかわす二人。そして、その娘も自分の娘レイチェルと道中ケンカしてバラバラになったという。こうして物語は母と娘、そしてまたその娘との愛情とわだかまりが半ばしつつもやがて深い絆を結んでいく様子を描いている。 女性三代それぞれの描写が素晴らしい。まず孫娘のレイチェル。観ている側にも彼女の性的に挑発的な言動に苛々させられました。しかもそんな彼女がした告白が衝撃的なんだけどその言動ゆえに信憑性が曖昧でその結果、リリーの心の揺れ動きに芯から同調することができます。そして、それが真実かどうかわからない中で孫娘を信じるジョージア。年輪のなせる技ですが、そんなジョージアも昔から娘を信頼しきった完璧な人間だったかと言うとそうでもなさそうです。それはジョージアの娘リリーのアルコール依存症や母への複雑な思いからも如実に伝わります。しかし、それがかえってジョージアを深みのある人柄にしています。紆余曲折を経てここに至ったのだという深み。 そしてマローニ演じる獣医師の存在もよかった。私は彼の言葉に顔面パンチを食らいました。孫娘レイチェルは人(特に異性)との信頼を基盤にした愛し方を知らなかったのです。むしろそれを学ぶ機会を奪われたといってもいい。彼女にいらいらし、しかも苛める側だった地元の少女たちの肩さえ内心持っていた私はうなだれました。やられた。 そう思えば納得するシーンがありました。舟のシーンです。彼女は純朴なモルモン教徒の青年を誘惑しながらも心から性的な行為を楽しんでいるように見えなかった。寧ろ不安そうな複雑な表情をしていました。それが不思議ではあったんです。でも彼のセリフで謎が氷解。そしてレイチェルの母リリーに対する愛も切なかったです。人物を表層的ではなく深い部分から描いているのが見事です。 かつての娘たちは年月を経て、獣医師やモルモン教徒の青年(名前忘れた)のような信頼できる誠実な人物と出会い、やがてジョージアのように深い愛情を湛えた女性になるだろう、そんな世代から世代へ繋がれていく愛情の鎖を感じてラストは清々しかったです。 余談ですが、こういう獣医師のような人物は孫娘レイチェルにとって「この世につなぎとめる人」となったと思います。レイチェルと対照的に思い出したのは「モンスター」のS.セロン演じた主人公。こういう出会いがどれだけ若いうちにあるかで人間は壊れずに踏みとどまっていられると思う。そして、たった一人でもいい、誰かに対して「この世につなぎとめる人」に自分がなれたらいいなあと思いました。
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[041]グレムリン2/新・種・誕・生
 こっちのほうが好き幸村和2010-02-09
 【ネタバレ注意】
1を見てもうちょっと工夫があれば、と思っていたら、2では変化球を投げてきた感ありです。冒頭ルーニーテューンズを出してきたり、映画途中でグレムリンにこの映画のフィルム・・・
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1を見てもうちょっと工夫があれば、と思っていたら、2では変化球を投げてきた感ありです。冒頭ルーニーテューンズを出してきたり、映画途中でグレムリンにこの映画のフィルムを焼かれて中断し、観客のハルク・ホーガンが怒る、という「この映画はグレムリン2の映画を上映しているという映画」というややこしい設定を挿入したり(でもやっぱりグレムリン2に戻る)、実験的というか人を喰ったような演出を打ち出してきたのは面白かった。あと色々と変種のグレムリンが出てきたのもワクワクしたし、翼をもったグレムリンはかっこよかったなあ。最後のセメントになっちゃうのも様になっていた。ヨーロッパの寺院にあるもんね。ガーゴイルっていうの?ああいう悪魔の彫像。 それとシュレッダーのシーンは結構ホラーで「おおーなかなかにキツいなー」と顔をしかめながらも喜んでる自分がいて、前作より大人向けな作りになっていると思う。不動産王も世界の終末用ビデオをなぜか用意していたり、秘密の街路樹の地下エレベーター持ってたり、可愛げがあって笑えたし。 グレムリンが無軌道な人間(子ども)と同じ、と思っていたら知能の高いグレムリンが「われわれは文明を必要としている」と言いだしてやっぱりモデルは子どもだったのね。 そしてエンディングもダフィー・ダックが「長いエンドロールだなー、あんたたちいつまで見てるの?暇なんじゃない?」と観客を挑発。最後まで人を喰った演出で前作より私は楽しめました。 蛇足ですが、暴れまわるグレムリンのシーンでだったと思うけどロックな音楽が流れて、そういえばホラー映画ってロックやパンクが似合うよなー実際によく使われてるしなー、と思ったのだけど、これって「秩序の破壊」という部分でホラー映画とパンクやロックって同じなんだ。なるほど似合うわけだと今更ながら気がついた。
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[042]グレムリン
 もっと工夫を幸村和2010-02-09
 
当時の映像技術のしょっぱさは嫌いではない。今のリアルで滑らかな動きのCGに比べ、B級テイストなややギクシャク感の残る動きはそれなりに味わいがあってなんだか嬉し懐かし・・・
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当時の映像技術のしょっぱさは嫌いではない。今のリアルで滑らかな動きのCGに比べ、B級テイストなややギクシャク感の残る動きはそれなりに味わいがあってなんだか嬉し懐かしだったりする。ただストーリーが単調。可愛いペットだったモグワイが邪悪な生物に変態、しかも大量発生、町中を大混乱の渦に巻き込む…ストーリーはいわばこれだけ。見せ場は変態のシーンとモグワイやりたい放題の部分なんだけど、ここでもっと工夫がほしかった。モグワイのやってることって無軌道な人間のそれと同じで、なんか祭りみたい。まお子様向けだからこの程度にするしかないのかな。だってこの無軌道さって2〜5歳くらいの子どもがなんでも物を投げたり壊したり口に入れたり飛んだり跳ねたり「やったらあかん」って言ってることをわざとやってるのと同じ。見る人によってはNOと言われることを邪悪モグワイ(=グレムリン)が自分のかわりに映画の中でやってくれて、しかも大人たちはそれにオタオタ逃げ惑うばかりでああ面白い、ということなんだろうか。うーん、子どもっぽいな。 ただお母さんVSグレムリンのシーンは唯一楽しめた。お母さんの強さには惚れ惚れした。あとはただグレムリンが子どもみたいにやりたい放題繰り広げる様子を延々見せられた記憶しか残ってない。当時は架空の生物が人間と同じような動作をする、ということだけで評価されたのかな。いや、それより前にエイリアンも出てるからやっぱりもうちょっと内容的に頑張れたんじゃないか。もっとホラーにしろという意味ではなく工夫という意味でさ。 ところで可愛いと評判だったらしいギズモなんだけど、どうなんだろう。なんか、可愛いでしょ〜というイカニモさが私にはちょっとね。
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[043]ロボッツ
 絵が好き幸村和2010-01-21
 
キャラクターデザインも含めた全体の映像がすごくいいです。ちょっとナイトメア・ビフォア・クリスマスも思い出したのですが(特に工場のシーン)、小可愛らしくないのが味わい・・・
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キャラクターデザインも含めた全体の映像がすごくいいです。ちょっとナイトメア・ビフォア・クリスマスも思い出したのですが(特に工場のシーン)、小可愛らしくないのが味わいになっててこういうの好きだなあ。ストップモーションアニメみたいですが違うんですよね。大した技術です。 物語の展開の中で一番の圧巻はロボット・シティーに入ってからの特急シーン。シティーの交通網っていうのでしょうか、あれが最高。ゴンドラのスピード感と不必要な乗り換え(?)。この無駄さ加減が遊び心いっぱいでゴンドラが走っている間中ウキウキしました。それとビッグウェルド博士のドミノ倒しシーン。ここでも何がなんだかわからないけどなんだか楽しいぞ!という摩訶不思議な展開がスピード感もともなって見応え十分。かなりお気に入りのシーンです。 ストーリーはロボット立身出世物語です。戦いのシーンは「またか」という感じもしましたが、映像で楽しませてもらったのでまあご愛敬にしておきます。
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[044]ガチ☆ボーイ
 直球ストレートな青春幸村和2010-01-20
 【ネタバレ注意】
記憶を司る部分を事故で損傷し次の日には前日までの記憶がなくなってしまう主人公(佐藤隆太)。自分が生きていると思えない絶望感を持っていたが、生きている実感がほしいと大・・・
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記憶を司る部分を事故で損傷し次の日には前日までの記憶がなくなってしまう主人公(佐藤隆太)。自分が生きていると思えない絶望感を持っていたが、生きている実感がほしいと大学でプロレスサークルに入る。そんな主人公に友人は言う「おまえが忘れるなら俺が覚えていてやるよ」。いい友達です。青春です。主人公は事故にあってつらい境遇に置かれますが、まっすぐ純真ですし、友達もなんでもメモをとり、写真に残す主人公を(事情を知らないときでも)疎ましがったりせずに受け入れています。ねじくれた人が出てきませんね。鬱屈した人も。その辺安心して(?)鑑賞できます。失恋、友情、父親との和解、青春に必要な要素が直球ストライクに盛り込まれて久しぶりにまっすぐジーンとする部分はありました。 ただすごーく大事なバスのシーン。主人公がマネージャーに告白して「それ、4回目なの」というシーン。あそこは一つの山場なはず。なのにマネージャー役のお姉ちゃんは嘘泣きで目も当てられないヘタクソな演技。最初からこのマネージャー役、映画では主人公が思いを寄せるマドンナ的存在のはずだけど外見はイモだし声はわざとらしいベチャっとした気持ち悪いキンキン声だしなんだかなあと思っていたら、あれがサエコって人ですか。イモじゃなくて大根役者だった。ってどっちにしても根菜類。今後、女優としては二度とこの人にはお目にかかりたくないですね。←と思っていたらあちこちで「あれがサエコか」というコメントがあり笑ってしまいました。 あとラストのプロレスシーンはちょっと大仰で長すぎました。父親(泉谷しげる)が主人公の日記を読んでその胸の内を知るというところで私の中では盛り上がっていたのですが、プロレスシーンに入ってからがわざとらしいし長いし。ここも盛り上がるところでベタなスポ根的クサさが気持ちを下げてしまいました。 そんなこんなで盛り上がってきた〜と思ったところで興趣が削がれてしまう部分があって惜しかったです。しかし、シーラカンスはかっこいいな。あの技は映画のストーリーと関係なくプロレスの試合としてエキサイトしました。 ところでこの映画の肝となる主人公の記憶障害の設定。これについては以前NHK(だったと思う)のドキュメンタリーでドイツだったかヨーロッパのどこかの国で、脳の海馬という部分を損傷して短期記憶が全くできなくなった男性を紹介するドキュメンタリーがありました。その男性は理系の研究者、つまりインテリだったのですが研究を続けることは不可能になり、生きていくために籐細工の職人に弟子入りする(手先を動かせる技術の記憶は海馬とは別にあると考えられたため)という内容でした。もしかしてこの映画の元は、このドキュメンタリーから着想を得たんじゃないかと思ったのですが、海馬を損傷した男性は日常生活も困難で常にテープレコーダーを持ち歩きそこに声を四六時中吹き込んで自分の行動や状況を残していました。この映画のようにインスタントカメラやメモなんかではその記憶障害は到底カバーしきれないのです。しかも脳を損傷した人間がプロレスなどとは言語道断です。健康な人間でも素人があのようなプロレス技をかけられるのは大変な危険を伴います。ましてや事故の後遺症で脳に損傷を負った人間ともなるとあり得ません。 その辺、すでに違和感を感じている方がいますが私も同感です。つまり、この映画は本来学生生活どころか日常生活そのものがすでに困難になる記憶障害を設定として持ってくるところにかなり無理があり、その病気(というか障害)の中の物語にとってドラマチックで都合のいい部分だけを利用した、という感は拭えません。その辺は「完全なフィクションである」という但し書きが必要だったのではと思います。
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[045]扉をたたく人
 ラストがいい幸村和2010-01-18
 
主人公の教授は奥さんが亡くなった寂しさからからそうなったのか、仕事に対しても人と関わりを持つのも無気力で心を閉ざしています。そんな教授が、(故意ではないが)不法に教・・・
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主人公の教授は奥さんが亡くなった寂しさからからそうなったのか、仕事に対しても人と関わりを持つのも無気力で心を閉ざしています。そんな教授が、(故意ではないが)不法に教授の部屋に入居していたカップルと出会うところから教授の人生は変わり始めます。 ジャンベを通じて徐々にタレクに心を開いていく課程は楽しく、教授の心が解けていくのが見えるような心温まる展開です。「ハートで叩いて」というタレクの教え方とそんな教え方をするタレクという青年との波長、そして太鼓という楽器のリズム全てが教授に合っていたのでしょう。そこは心を置き去りにして「指を曲げる」とか技術的な形にこだわるようなピアノとは(というかそういう教え方とは)対照的に描かれていて、さび付いて孤独な教授のハートを変えるのに何が必要だったのか、ということがわかります。 ただ、レポートを遅れて持ってきた生徒に理由の一切も聞かず突き返すほど冷淡に見えた教授が自分の部屋に住んでいたカップルには親切にする部分はやや唐突に変化したように見えましたし、タレクとうち解けるのにももう少し時間をかけても良かったかな、と思います。 それでも教授がタレクのお母さんに「お仕事が忙しいのに無理しないで」と言われてそれに答えるシーンは、教授の内面の変化がとても表れていて感動的でした。きっと教授は自分のことなのに口に出すまでそれに気がつかなかったのではないでしょうか。そして、自分でそのことに気がついたときにはもう一度教授の人生は始まったのです。 そして、笑うことはもちろん怒ることさえなかった教授が、拘置所の職員に対して感情を爆発させて言うシーンも、胸を打つものがあります。人間に対する尊厳を踏みにじるところから9.11は始まったのではないか、と私には思えました。 ラストの地下鉄ホームのシーンはクライマックスにふさわしいシーンです。教授の怒り、切なさもひっくるめて生命のエネルギーを感じます。そしてそのエネルギーはきっと状況を変える力にもなる、そんな予感を感じさせるラストでした。
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[046]ドッジボール
 いまだにこれが面白いの?幸村和2010-01-16
 【ネタバレ注意】
昔流行ったヘアスタイル、ファッションと立ち居振る舞いを誇張したコテコテキャラのベン・スティラーは確かに普通にバカで笑える。メチャメチャなトレーニングも、ほんまテレビ・・・
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昔流行ったヘアスタイル、ファッションと立ち居振る舞いを誇張したコテコテキャラのベン・スティラーは確かに普通にバカで笑える。メチャメチャなトレーニングも、ほんまテレビのコントレベルで普通に可笑しいです。 が、ベガスの大会になってからは、「え?いまだにこれで笑いをとるの?」と唖然。「いまだに」第二次世界大戦の敵国だったドイツと日本だけ国代表として登場させ(他の国はない)、「いまだに」日本人とドイツ人のキャラクターは戦後のイメージを誇張しただけに見える。日本人に至ってはチーム名「カミカゼ」、鉢巻きとフンドシをアレンジした(というかアメリカ人にはこう見えるんでしょうね)オムツを履かせ何か狂信的に気合いを入れあっている姿を「笑いの対象」にしている。これ、みなさん面白かったんだ…。これ笑う人は、「グラン・ブルー」の日本人チームも笑うんだろね。国辱ですけどね。確かに「気合いで勝てる」とか「できないのは根性が足らん」という脳味噌筋肉精神論信奉体育会系人間を私も嫌悪しますけどね。それ=日本人という図式でいまだにアメリカでは笑いをとれるんだね。いや、「アメリカでは」じゃなくてどうやら日本人も「笑った」らしいので日本人からも笑いがとれるんだ。は〜。 あるいは「いまだにそれで笑いをとろうとしている」という部分で笑っているのか。そんな高度なシニカルさは感じなかったけどなあ。あんまり酷かったので、かえって斜めや後ろから考えてしまう。まさか、正面きってこれ笑ってるんじゃないよね…?みたいな。 更に「スラムで結成されたチーム」も出てきた。彼らは黒人中心のチームでダンスにしか興味がなくて試合にならない。主人公チームが1人を除き全員白人であるところを見ても、これ、ものすごい差別的に映る。 写真の人物(どうやら国民的ヒーロー?)に忠誠を誓いその人物のために戦ういかにもストイックなドイツ人チーム、フンドシにオムツ姿の狂信集団日本人チーム「カミカゼ」、ヒップホップダンスにしか興味のないスラムの黒人チーム、もうベタというより「子どもみたいにいつまでこれで笑ってるの?時代は変わってるのに」って感じ。 そういえばいるいる、こういう人、という笑いは好きですが、これだけ時代が激変しているのにいつまでも同じ人種や階層イメージの誇張ネタって、ただの人間観察の未熟さというか才能のなさをひけらかしているようなもの。 この映画の制作にも関わったというベン・スティラーに対しては幻滅しました。ナイト・ミュージアムで面白いと思っていたのにな。あーあ。
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[047]4ヶ月、3週と2日
 ショッキング幸村和2010-01-14
 【ネタバレ注意】
前半、ガビツァ(ルームメート)のためにここまでするかー!?と度肝を抜いて、主人公の行動に全く理解ができなかったのですが、観ていくにつれてその理由がわかって、理由がわか・・・
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前半、ガビツァ(ルームメート)のためにここまでするかー!?と度肝を抜いて、主人公の行動に全く理解ができなかったのですが、観ていくにつれてその理由がわかって、理由がわかるとこれは大変な問題作だなと思いました。 主人公がガビツァの中絶のためになぜあそこまでしたのか、それはほかでもない「ガビツァが自分であっても何らおかしくなかった」この一言に尽きると私は思います。それは主人公がだらしない女だったということではなく、当時のルーマニアでは大変理不尽で厳しい状況に女性が置かれていたということではないかと思います。 産婦人科医師のべべのような卑劣漢はいつの時代もどこの社会にも必ず存在します。むしろ、それ以上に怖いなと思うのがBFの母親の誕生日祝いの席に集った普通の人たち。真綿で首を絞めるような抑圧をかけてくるのが、悪意がないだけにたちが悪い。しかもそういう多数の人々こそが社会を形成していることを考えるとうすら寒いものがあります。それは息をする気道を徐々に狭められていくような抑圧です。 そして、主人公がBFに「私が妊娠したらどうするの?」と問いつめた時のBFの答えも、これが普通の男性の意識かと思うと目の前真っ暗です。怒る主人公に対しとにかく謝るBFに「なぜ謝るのか」と主人公が聞いても「ケンカしたくないから」。これでは絶望的な気持ちになるのも無理はありません。きっとこの次元の違いは生まれつきの性差ではなく社会が生んだ産物なのがわかるからこそ、暗澹たる思いがします。 そして、主人公はBFよりガビツァに助けてもらう、と言ってガビツァのために引き続き献身的にさえ見える行動をとるのです。しかしガビツァはというと、はあー!?と言いたくなる自分のことしか考えていないような態度。でも、私はガビツァがどうしようもない女であればあるほど、そしてそれでもやっぱりガビツァを見捨てない主人公であればあるほど「それでもBFよりいざというときはガビツァのほうがマシなんだ」と思えて、どれだけ当時のルーマニアは女性にとって生きづらい社会だったのか、ということに愕然としました。 そして殺風景なホテルでの中絶の処置からその結末までのシーンは、生半可な見せ方では伝わらないと監督は思ったのでしょうか。女性が妊娠し堕胎するとはどういうことか、むき出しの現実を見せることで、その重みがのしかかります。見ながらどんどん目がすぼまってきて、正視するのが苦しい自分がいました。ショッキングでした。 また、街灯や店の明かりももほとんどなく、いかにも寒々しく、そして町を歩く人もごくわずかで明るい話声なんかはまったく聞こえないという経済的にも冷え切っていることがうかがえる夜の町を、具体的に誰かに追いかけられているわけでもないのに後ろを気にしながら駆ける主人公のシーンは、社会に追い詰められている女性を体現化したようでもあり、その不安は見ている私にも伝わってきてまさに第一級のサスペンスになっています。 見た後はドキドキしたね〜なんて能天気に言えない余韻が残ります。でも、これはズシンと心に残ります。 追記:こののしかかる抑圧の感じは何か思い出すと思ったら「マグダレンの祈り」でした。ある種の人間に対する人権感覚の欠如を形成する社会ってなんなんだろうなあと考えずにはおれない映画です。
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[048]めがね
 閉じた世界幸村和2010-01-13
 
前作「かもめ食堂」と同じ癒し路線を狙ったんでしょうけどねぇ。なんででしょうかねぇ。こちらはただ退屈なだけの作品になってしまっていますね。もたいまさこの使い方もいい加・・・
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前作「かもめ食堂」と同じ癒し路線を狙ったんでしょうけどねぇ。なんででしょうかねぇ。こちらはただ退屈なだけの作品になってしまっていますね。もたいまさこの使い方もいい加減マンネリだし、役者として彼女もああいう怪しい役ばっかし厭じゃないのかな。なんか人間じゃないみたい。 「かもめ食堂」では料理とそれを求めて訪れる人々を中心に繰り広げられる人とのつながりが温かく描かれ、その繋がりが外の世界へと広がってそれがなんとも心地よかったのですが、今回はそれとは全く似て非なる感じがします。人間関係に広がりがないし、むしろ登場人物たちだけで世界が閉じてしまっている感じ。 更にこれまた前作ではたとえばトンカツをサクサク切る音、キャベツを刻む音、温かそうな湯気のたつ様子、そんなシーンから美味しそうな匂いさえ立ち上るような気配がして作品に温度を感じていたのですが、この作品はこれまたその逆で、なんとも色々な「におい」や温度が全く消えているような気がします。食卓を囲む風景もサッパリしていてテーブルの上に何が載っていたのか記憶に残っていません。 そして私が一番「におい」や温度が消えていると感じたところはサクラさん(もたいまさこ)のかき氷屋さん。かき氷が美味しい季節ならもっとみんなドロドロに汗をかいてかき氷に飛びつきそうですがそんなギラギラした人ゼロ。海で泳いでいる人もゼロ。かき氷食べて「頭いて〜」とか「食べたらさぶなったわー」とか言うような人もゼロ。かき氷ってそれ自体がおいしいというよりそれを食べるシチュエーションが食欲をそそる部分大だと思うのだが、そういうのが欠落したこのかき氷風景で食べたくなるか?かき氷。私はならんなー。 そして、見た目には暑くもなく寒くもなさそうな気候のなか、みんなが誰も泳いでいない海を眺めながら淡々とかき氷を食べてます。なんかちょっと薄気味悪い。そして極めつけはそこから「お金」といった生臭いものを一切排除してしまっています。ここまで浮世離れしていると私には妙に作り物めいた世界に映ってこんな人間の血肉が通った感じのしない世界にまったく魅力を感じませんでした。とにかく退屈、その一言に尽きます。 と思っていたら「あの世説」もでているようですね。なるほどそれも説得力があります。ただ、よしんば「あの世説」が正しかったとしてもこの作品が退屈であることには変わりありません。 洋の東西を問わず地獄絵図は芸術家のイマジネーションが炸裂するテーマらしくとってもおもしろい絵(ヒエロニムス・ボッシュやブリューゲルなど)がいっぱいあるのに比べ、おしなべて天国のイメージはみんな貧困。それは地獄というのが具体的なのに比べ、幸せというのがあまりに抽象的だからかもしれません。そしてそんな天国絵を見た人がみんな幸せな気持ちになれるかというと必ずしもそうではなく、やっぱり絵として退屈だと感じる人が多いのは地獄絵との人気や知名度の差からもわかるとおりです。 もしかしたら荻上直子は浮き世を忘れる桃源郷が描きたかったのかもしれませんが、思わずそんな絵画で描かれる天国世界に抱くのと同じ印象をこの作品から感じました。そして、やっぱり影があるから光が美しいんだなあと当たり前で皮肉なことも。私の印象にすぎませんが。
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[049]ヴィドック
 ゴシック・ホラー・ミステリー幸村和2010-01-09
 
画面を見ながらジャン・ピエール・ジュネ監督の「ロスト・チルドレン」あたりを思い出していたら、なるほどこの監督さん、その映画の映像担当でしたか。「デリカテッセン」は違・・・
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画面を見ながらジャン・ピエール・ジュネ監督の「ロスト・チルドレン」あたりを思い出していたら、なるほどこの監督さん、その映画の映像担当でしたか。「デリカテッセン」は違うのかな。ま、いいや。個人的にはこのダークな感じ、好きです。 人間の恐怖に歪んだ顔をかなりアップにしたり、全体の輪郭をクリアにさせないで見せる陰の使い方が恐ろしげな雰囲気を出すのに効果的でした。ただアクションはカメラが動きすぎて視覚的にちょっとしんどい部分があったかな。 ダークな画面って見えづらい部分に対する想像力がかきたてられる一方それなりにストレスもあったりするのですが、謎解きの部分では複雑過ぎず、やや見づらい画面とは裏腹に案外スピーディーな展開だったのが画面に対するストレスを緩和してくれたような気がします。 冒頭に起承転結の「転」から持ってきて過去を紐解いていく展開も巧みです。登場人物のどいつもこいつも怪しいのでかえってラストが見えてしまったのが惜しいといえば惜しいか。しかしダークな映像でファンタジーとミステリー両方楽しる映画でした。
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[050]ナイト ミュージアム2
 キーアイテムは携帯電話幸村和2010-01-09
 【ネタバレ注意】
1のその後お父さんは実業家となって成功し、ビジネスに大忙し。携帯電話が片時も手が離せない状態です。そんな時に持ち上がる自然史博物館の方向転換。それははく製などの展示・・・
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1のその後お父さんは実業家となって成功し、ビジネスに大忙し。携帯電話が片時も手が離せない状態です。そんな時に持ち上がる自然史博物館の方向転換。それははく製などの展示物重視ではなく、ホログラフィーなどの最先端ハイテク機器を使ったデジタル展示。お父さんにとっては愛情深い展示物が箱詰めされお払い箱となって送られる先はスミソニアン博物館の倉庫…。 そこにお猿のデクスターが石板をこっそり持っていたことから大騒動が起こります。大騒動の中身はまさに見てのお楽しみ、といったところですが、本作品は前作と同様のドタバタ大騒動路線はそのままに、アナログからデジタルへと移り変わる時代に「それでいいの?」とちょっぴり待ったをかけているような、そんな作品になっていると感じました。 携帯電話片手に始終会話を遮られるお父さん、そして前半は携帯電話で息子に情報を送ってもらってお役立ちアイテムにもなっているようなのですが、失った時にお父さんに支障はあったのでしょうか。携帯電話に振り回されて自分を見失っている今の人々にとっては身につまされるような気もします。 可笑しかったのは石板の正体(?)。古代の携帯電話で呼び出された鳥頭たちはどんだけ邪悪で勇ましい軍団かと思いきや、ただの臆病者たちでしたね。逃げ足はや!携帯つながり(?)で呼び出されただけの絆の希薄さにも見えますが、どうでしょ? ま、そんなややこしいことを考えなくとも前作からの仲間たちは相変わらず最高に楽しい面々です。レックスは相変わらず可愛いし、何といっても私が大好きなのはフィギュアのカウボーイとローマのアウグストゥス皇帝。この二人には今回も笑わせてもらいました。勇猛果敢に敵陣へ攻め込めどいかんせん体がちっこいから敵へのダメージがチクチクな感じでセコいのが最高です。 新しく笑いを取ったのはやっぱり天使たち、そして今回光っていたのはアメリア(エイミー・アダムス)です。好奇心いっぱいの目をキラキラさせて天然キャラを生き生き演じていたのがとってもキュート。黒人飛行士と出会った時に「偏見を打ち砕いた」と讃えあったのは印象的な心に残る場面でした。 ラストはやや性急に過ぎたのと、石板の効力範囲の適当さ、といったあたりは引っかかるものがありますが突っ込みどころは挙げるとキリがないのでそこはかなりハードルを下げる必要はあります。 ところで見終わってからこれが日本の博物館バージョンになったらどうだろうとか意味のないことを考えてしまった。戦国武将の鎧とか付喪神や河童といった妖怪が動き出すか。やっぱ何と言っても凄そうなのは秘宝館だな。でもR18になるな。今もあるのかな秘宝館、なんてすごい阿呆なこと考えてしまったりして。
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[051]牛の鈴音
 老牛とお爺さんとお婆さん幸村和2009-12-26
 
予告編から既に泣いていた。こういうの弱いんだってば。予告編でこの有様では本編では首にタオルでも巻いてガテン系ないでたちでいくしかないか、とさえ思っていたのですが、意・・・
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予告編から既に泣いていた。こういうの弱いんだってば。予告編でこの有様では本編では首にタオルでも巻いてガテン系ないでたちでいくしかないか、とさえ思っていたのですが、意外にも予告編ほど泣かず。どころか、お爺さんとボヤいてばかりのお婆さん、そして寿命を遙かに超えた老牛の姿を淡々と追っていくので、途中意識が途切れて(=寝て)しまった。午後3時過ぎの上映という時間帯もまずかった。って時間のせいにしてはいかんが。 とまれ、この映画は子どもを育て上げた父に捧げる映画なんだそうである。ぶっきらぼうに牛を使役しているように見えるけれど、牛が食べる草がダメになるからと農薬を使わない昔ながらのやり方で作物を作るお爺さんの姿は充分魅力的でした。無骨で土に汚れたその手の美しいこと。またそのお爺さんをことあるごとになじるお婆さんもいい味出してます。ま、ちょっとボヤきすぎな感もありましたが。 惜しい点を上げるとすると、日常を記録しているようで実は食事風景なんかが少なかったことでしょうか。何をどんな風に食べているかって、その人の生活を見て感じるのに切り離せないと思うのですが、この映画では最初の方で出たお弁当と、あと日本の盆にあたる日にやってきた子どもたちと屋外で食べる焼き肉のシーンだけだったのが、二人と牛の暮らしを「感じる」のには物足りなかった。あと、同じ理由でですが、作った作物をどうさばいて生計を立てているかもわからなかった。農薬も農業機械も使わないお爺さんの畑の土はさぞかしいい土だろうと思うし、その土で作られた作物や米はきっと美味しいんじゃないかと思うのだけど、その辺については読み取れる部分が映画の中ではなかった。まあそんな欲を出す時点で私が世知辛いのかもしれません。とにかく、老牛とお爺さん、そしてお婆さん、それがほぼ全てです。不自由な足で文字通り這いつくばって土と格闘するお爺さん、お爺さんと同じくらいすっかりヨタヨタの牛、そして悪態を付くけれど愛を胸の底に秘めた口の達者なお婆さん、それに尽きます。
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[052]葦牙-あしかび- こどもが拓く未来
 スクリーンでの上映のみ幸村和2009-12-13
 
虚弱児、不登校児、被虐待児を預かる施設として運営されるみちのくみどり学園。そこで入所している子どもたちと施設の様子を記録したドキュメンタリーです。 施設に入所された・・・
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虚弱児、不登校児、被虐待児を預かる施設として運営されるみちのくみどり学園。そこで入所している子どもたちと施設の様子を記録したドキュメンタリーです。 施設に入所された子どもたちは一見すると屈託なく笑い、子どもたち同士無邪気に遊んでいます。見るからに虐待の爪痕を残しているとわかる子どもがいるわけではありません。しかし、丹念にその日常を追っていくと、何かに激昂して暴れてしまう子どもや、カメラを向けられていることに落ち着きのなさを感じるのか笑いながらカメラにスリッパを投げつけ、唾を吐いたりしてカメラマンを挑発する幼い子がいたり。どこか不安定さ、危うさを持っています。施設の職員はそんな激昂する子どもにも体当たりで向き合います。「どうしてそんなに怒っているの?何がそんなに腹が立つの?」と。 また、この映画はその親にも取材をしています。顔を隠して胸の内を明かした母親や顔を隠さずに応じてくれた人もいます。それらを通じて感じたのは、どこか他人事のようであったり、自分の気持ちを表す語彙の少なさです。例えば虐待していたときのことを聞かれても「よく覚えていない」とか「どう思った?」と聞かれても「自分でもわからない」とか。 やはり親自身の養育歴に問題があって自分が虐待や育児放棄されたというケースが多いのは確かで、それらがもたらしたものはよく「心の傷」と言われるのですが、私はもっと具体的に、暴力支配や育児放棄によって「考える力」を育てる習慣が形成されなかったのでは、と感じました。彼女たちを責めても何も変わらないのです。 取材や撮影の過程で細かい部分を見ると私は首をかしげてしまった質問やシーンもあります。例えば、取材者が「あなたの子どもたちの中で誰が一番好きか」と親に聞いたのは意図がわかりませんでしたし、施設の職歴何十年かのベテラン保育士も子どもに何だったか質問をして子どもの答えに「それを聞きたかった〜」と言ってるのも、自分の聞きたい答えを言わせて喜ぶって言うのはどうかな、と(まあ私は保育のプロでも何でもありませんが)疑問を感じる対応もありました。 それでも、感情のコントロールができない子どもに恐れたりひるんだりするところを見せずに根気よく「なぜそう思うのか?」「なぜそうするのか?」そして「どうしたいのか?」と問いかけ、時には答えを導き出そうと共に奮闘する施設職員の姿からは、なんとか子どもたちに自分の問題に向き合って、分析して言葉にして表現することを訓練しようとしていることが伝わります。それが虐待の、暴力の連鎖を断ち切ることだからです。 兄弟で預けられている子どもの一人が言います。「自分は弟たちが暴力を受けるのは嫌だし、自分もそうなりたくない」と。また、母親を捜したいかと聞かれたある少女も言います「お母さんにも事情があったかもしれない。会っても気まずいかもしれないし、わからない」。彼ら彼女たちの年齢の時に私がこれほど大人びていなかったことを思うと、早くに大人にさせられてしまった子どもたちを切なく思う一方、自分なりに考え、揺れているときは揺れているなりに言葉にする力を持った子どもが育っていることがわかります。 心配なことは一つあります。事業仕分けの影響で予算を削減されてしまわないかと言うこと。日本は教育にかける税金の低さは先進国中突出しているそうです。事業仕分けで理科の補助教員の派遣も廃止になったと言います。この調子でこういう施設や教育に関する費用を削減されないか心配です。 この映画は、スクリーンでの上映のみと言う条件の下で制作が実現したそうです。新聞の三面記事だけで虐待した親を責め、被害にあった子どもを憐れむだけではなく、一人でも多くの人がこの映画を見ればいいなあと思います。
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[053]長い散歩
 子どもを慰み者にするな幸村和2009-12-09
 【ネタバレ注意】
自分の厳格さが原因でか妻はアル中になって死に、更に娘からも憎まれるような失意の爺が緒形拳演じる主人公、松太郎。そんなダメ爺が、お隣の虐待されている女の子を「空を見に・・・
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自分の厳格さが原因でか妻はアル中になって死に、更に娘からも憎まれるような失意の爺が緒形拳演じる主人公、松太郎。そんなダメ爺が、お隣の虐待されている女の子を「空を見に行く」(?)と家から連れ出すロードムービー。 …なんだけど、これ、自分の娘と築けなかった信頼関係を代わりに隣の女の子と築くことで自分が救われようとしているみたいだ。しかしなあ…、あんたの娘はまだ生きているんだけど。それなら娘に詫びたらどうだ。これから娘との信頼関係を回復する努力をしたらどうだ。なんか手近にいるわかりやすくドラマティックにいい人になれる女の子を相手にしてないでさあ。 しかし、主人公はそういう現実的で建設的な行動は一切起こさない。結局やってることは自分の慰みに少女を連れ回しているだけだ。この主人公の行為は、実の娘との関係をまったく変えないし、かといって虐待被害に遭っている少女を根本的に救い出すこともない。少女にはじいさんと楽しい旅行をしたという思い出が出来るだろう。思い出作りして、家に帰ってまた虐待か?何がしたい?その後の人生、思い出食って生きて行けとでも言いたいのか?で自分だけ癒されるのか?少女の5年後10年後を考えもしないで、どれほど少女に残酷なことをしているのかわからないのか。本当に少女を救いたいならもっと幼児連れ去りなんていう犯罪を犯さなくとも現実的な方法があるだろう。児童相談所に通報するとかさあ。あんた、元校長先生だろ。その辺の会社員よりよっぽど詳しいだろう。最低の爺だな。センチメンタルでジメジメしてそんなジメジメな自分に酔いしれて自分の慰みしか考えていない。吐き気さえする。 極めつけは奥田英二演じる刑事のセリフ。虐待する母親(高岡早紀)に「母親なのに子どもに愛情はないのか」ってさあ。この後の高岡がもし「私も苦しんでいる」と言えばまだ良かったけど、そういうセリフは残念ながら聞けなかった。どうせ、奥田英二「世の中の人の気持ちを代弁してやった」くらいにしか思ってないみたいだ。このおっさん、全然幼児虐待について勉強してないな。母親だろうが父親だろうが愛情深い人は愛情深いしそうでない人はそうでない。愛情の深さに男も女もあるもんか。こういう奥田英二のような人々に「子どもに愛情の持てない母親」がどれほど苦しめられているのか、そういう無責任で無教養な世間の言葉がますます母親=女性を追いつめていることがわからないのか、奥田英二。虐待の構造をまったく勉強していないのがミエミエでまったくもって底が浅い。 要するにこの映画、なんか現代社会で問題になっている幼児虐待について勉強している様子が感じられないし、元校長先生とは思えない松太郎の現実的でない行動(てか現実逃避でしかない行動)に同情も共感も全く持てない。「巡礼なら独りでしろ」というセリフは一瞬まともなこと言ったなと思ったけどそれだけだったし。そういえば不登校の少年(青年?)も登場してたな。彼についてはほかの要素が酷すぎて影薄いです。新聞の三面記事だけ読んで、幼児虐待と不登校とか苛めとか出しとけば俺って社会派〜とか思って作ったみたいな映画。奥田英二ってもとからマッチョな感じだからさもありなんなんだけど、そこを安藤和津が手綱引いてるのかと思ってたら一緒にこんな映画作ってるんだね。正直夫婦揃ってこの二人ってダメだな…って思いました。 終わった後には、眉間に深い溝が。どうしてくれるよ。シワじゃないよ。溝だよ。溝。 追記:エンディングのUAの歌だけは凄く良かった。彼女の歌になっていた。なので彼女の歌に☆一つです。
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[054]レスラー
 キリストにも似て幸村和2009-12-08
 
なんていうか、もう痛ましいとしか言いようがありません。主人公ランディは繊細で、純真な人なんです。とても感じやすく、傷つきやすい。いいことがあると浮き立つし、凹むこと・・・
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なんていうか、もう痛ましいとしか言いようがありません。主人公ランディは繊細で、純真な人なんです。とても感じやすく、傷つきやすい。いいことがあると浮き立つし、凹むことがあるとどこまでも自棄になる。その崩れっぷりが本当にダメダメで、あんた、何でそんなバカなことするの、と言いたくなるような駄目さです。でも、私はそんなランディに嫌な感じがしないんです。たまたま、この前「長い散歩」という奥田英二監督の邦画を見たんですが、こちらのダメ爺は救いがたくて不快でしかなかったけど、同じダメ男でもこちらは対照的でした。それは娘と和解しようと努力する姿が「弱さをさらけ出す強さ」さえ感じて好感持てるし、またリングに立つために老いてあちこちにガタのきた体をトレーニングと薬の力も借りて維持し、さらに髪をカラーリングするなどのビジュアルのメンテナンスも怠らず、肝心の試合も段取りどおりに手抜きせずパフォーマンスする、そのひたむきさが愛おしく感じるから。 そんな心が傷つきやすいランディにとっていつも変わらず自分を熱気に包ませてくれるリングは精神的には浄化の場であったり、癒しの場であったりするんですね。肉体的にはボロボロになるのに。ファンにとってはプロレスの選手もアイドル歌手と一緒で所詮消耗品なんです。ワーッっと盛り上がってひととき嫌なことを忘れたり、熱くなったりして最後には忘れてしまう。大衆ってそういうもの。なのに、そんな大衆を喜ばせることが、熱くさせることがランディにとっての喜びでもあるんですね。お互いが癒し合ってるんだからいいじゃない、とも言えるけどやっぱり体を張ってリングに立つランディを見ていると心が痛かった。かなり辛いです。 映画の中で、マリサ・トメイ演じるキャシディが「『パッション』みたいね」と彼に言います。何気なく口にするセリフですが、まさに大衆の熱気と興奮とを一新に浴びながらボロボロになる彼の姿は身体を犠牲にして大衆にカタルシスを与えるという意味において、そしてそれがまた彼の魂の浄化にもなっているという意味において、まさに「パッション」で描かれたキリストの姿そのもの。 そう考えると、くたびれ、色あせたダウンを着たランディの背中からのアングルが多用されていたのも、人々が連なる救世主の背中の意味もあったのかもしれません。マリサ・トメイ、ミッキー・ロークどちらも体を張った熱演が素晴らしい。 ところでこの映画、心も痛いのですが、凶器を使ったマッチは映像的にも痛かった。ジャーマン・スープレックスとかブレンバスターとかウエスタン・ラリアートとかそういういかにもプロレスな技が飛び出すストロング・スタイルなら私はまだ好きですが、凶器系は苦手です…。気分が悪くなってしまいました。現実のプロレスの試合でも有刺鉄線のリングなんかありましたがああいうので熱くなるのって、どこかで目にした「暴力は恐怖と快感を生む」という言葉を思い出します。
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[055]エイリアンVS. プレデター
 初めてのプレデター幸村和2009-12-03
 
初めてちゃんと観ました。プレデター。随分昔に民放で放映されていて、冒頭でなんだか画面も見づらいしツマンナイと思って以来、観る気がなかったのですが、今回エイリアンと絡・・・
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初めてちゃんと観ました。プレデター。随分昔に民放で放映されていて、冒頭でなんだか画面も見づらいしツマンナイと思って以来、観る気がなかったのですが、今回エイリアンと絡むと言うことで。 で、観た後感想を書こうと思って、ハタと、どうしよう、なんも覚えてない、殆ど記憶に残っていないということに気が付いた。ついこないだ観たのに。わずかに脳みそに残った記憶の断片から拾ってみると、ハナから理屈を放棄して南極大陸という過酷な環境に人間を気軽に?送り込んでしまうテンポの良さはなかなか好印象だった。カンボジアの古代文明?マヤの古代文明?メソポタミアの古代文明?違うかアステカの古代文明?なんかその辺の有名どころの古代文明をえいくそとぶち込んで、なんか曰くありげなそれらしい舞台を作っているのも愉快。 肝心のエイリアンとの戦いは正直本当に記憶に残ってません。思い入れが少ない癖に観てしまったからでしょう。 それより何より初めてちゃんと観たプレデターの造形がなんか落ち武者みたいだな〜と思っていたら、手裏剣みたいな武器も出てきた!!まさか、まさか…!またここでも…?ハリウッドってサムライとかニンジャが大好きだからなー。でも、まさかね。私は本当にプレデターについてはズブの素人なのでこれ以上のツッコミは止めます。きっとコアなファンがいらっしゃるだろうしね…。
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[056]僕の大事なコレクション
 悲しくて切ないのに可笑しい幸村和2009-12-02
 
ウクライナで観光業を営む父親に命じられ、ユダヤ系米国人、ジョナサンを案内することになったアレックス(語り手)。「目が見えない」と言い張るお爺さんを運転手に、そしてお・・・
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ウクライナで観光業を営む父親に命じられ、ユダヤ系米国人、ジョナサンを案内することになったアレックス(語り手)。「目が見えない」と言い張るお爺さんを運転手に、そしてお爺さんが「盲導犬」と称する犬も同乗して繰り広げられるロード・ムービー。 まず印象的なのが冒頭での家族紹介です。ここからグイグイ引き込まれます。ロシア帽を被るアレックスの弟にあからさまに不快な態度を示すお父さん。そのお父さんの反応からロシア(ソ連?)に対する嫌悪を感じます。ウクライナの歴史からすると無理もない話です。 一方、語り手のアレックスは典型的な現代っ子です。弟のロシア帽もカッコイイ、と言って父親に一発お見舞いされる有様。米国のヒップホップ特に黒人音楽が好きで、政治や歴史にも無関心。その辺の対比が時代の流れも感じさせます。それでいて、アレックスが進んでいるかというとそうでもない。いつ、どこで覚えた英語なのか、差別的な古い英語もなんの悪意もなく使っている。そのヘンな英語ぶりがコミカルに描かれているので笑ってしまうけど、実はそこに現代的なようでいて時代の流れから取り残されているウクライナという国の発展途上ぶりも窺えます。丁寧な人物描写から国や環境の背景が見えてきます。 ウクライナという国の現状を直截的に描いているシーンもあります。例えば無愛想で殺風景なレストランやホテル。「ようこそ!」と二人が揃って言うのは今ここで映画を観ている私自身にも向けられていてとにかく大笑いしました。もう笑うしかないって感じ。 また、道中出会う土木作業員との距離感も印象的でした。同じく国の中に何か複雑な関係でもあるのでしょうか。日本の都会と地方の人間の距離とは違う、何か異質な越えるのに難しそうな隔たりを感じました。 この映画で登場するユダヤ系米国人、ジョナサンは自分のもののみならず、自分のルーツとなる人物の思い出の品まで収集するコレクターです。そんなジョナサンの依頼を受けて人捜しをするアレックスとお爺さんですが、その道行きに見え隠れするのはとても重い歴史です。目的の場所と人を探す過程で、頑固で少し乱暴なお爺さんにとっての重い歴史が紐解かれていきます。「目が見えない」と言い張るお爺さんのその意味がわかったときは切なくなりました。その後のお爺さんの行動の理由はわかりませんが、自分でも探していたことにさえ気が付かなかったとても大事なものを見つけてこれ以上ないほどに満たされたということなのかもしれません。 そして結局は、ジョナサンは案内されにウクライナに来た人なのに、気が付けばアレックスとお爺さんを過去へ案内する案内人になっているんですね。いやあ深いです。最初はジップロックがスポンサーの映画かと心配しましたがその心配は無用でした。 ウクライナという国の過去と現在。実は決して明るいものではありません。寧ろ、悲しくて切ない映画です。なのに、笑っている自分がいます。それは、この映画の主人公アレックスの陽気で軽快な語り口と音楽がなんとも心地いいから。そして何より過去の積み重ねで現在があって、その過去をきちんと見つめて(見つけて)そしてその先には未来があるという明るさがラストにあるからではないでしょうか。犬のサミー・デイヴィスJr.Jr.もいい味出してます。エミール・クストリッツアの「ライフ・イズ・ミラクル」でもそうですが、人間が勝手に作り出した民族というものの間の軋轢なんかとは次元の違うところでマイペースで生きている。ややこしい人間との対比が際だっていてなんとも気持ちをおおらかにさせます。どこまでも味わい深い、素敵なロード・ムービーでした。
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[057]スイミング・プール
 謎だらけ幸村和2009-11-29
 
フランソワ・オゾン監督の人物描写に期待して観ましたがこれはイマイチでした。 見所はスランプに陥った女性推理作家の内面の変化といったところでしょうか。堅物でいかにもイ・・・
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フランソワ・オゾン監督の人物描写に期待して観ましたがこれはイマイチでした。 見所はスランプに陥った女性推理作家の内面の変化といったところでしょうか。堅物でいかにもインテリ風な作家先生が次第に蓮っ葉な調子になっていくさまは惹きつけられるものがありました。しかし、どこまでが彼女の妄想でどこまでが現実かもわからず、謎が謎のまま終わってしまいます。 観た人の数だけ解釈のある映画ということなのかもしれませんが、監督の自己満足、ひとりよがりにも思えます。そこで好き嫌いが別れるでしょうね。私はどちらかというと後者です。ただ、人生の盛りを過ぎた「女性の」枯れない部分がとってもクローズアップされ、相変わらずこの監督は女性の観察力が意地が悪いほど鋭いと思います。といっても私はこの映画に出てくる誰にも感情移入も共感も出来ませんけどね。まあ私も60歳くらいになってみないとわかりませんが。 それにしてもS.ランプリングは、なんとも隠微な目つきをする女優さんだなー。それがとても印象的でした。 あと、拾ったパンツがでかいのも気になりました。若い娘の履く色柄デザインなんだけどあれはXLサイズくらいか。なんかびろ〜んとでかくて、どんだけでっかいお尻やねんと思わず見入ってしまいました。やっぱあれはジュリーのではなく自分(サラ)の…?ここでも謎。落ちてたパンツまで謎。
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[058]明日への遺言
 あの戦争は何だったんだ幸村和2009-11-22
 
幻巌堂さん、黒美さんが素晴らしいコメントをされているので私の言うことはもう殆どないのですが、感じたことを少しだけ。 主人公となった岡田資さんは映画を拝見したところ、・・・
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幻巌堂さん、黒美さんが素晴らしいコメントをされているので私の言うことはもう殆どないのですが、感じたことを少しだけ。 主人公となった岡田資さんは映画を拝見したところ、大変信仰心の篤い仏教徒のようだ。「報復ではない」としたのは、頑迷な日本男児の自尊心などから来たのではなく、恐らく自分の信仰の中に「報復」という概念はないのではないかと推察しました。あっては信仰が根底から揺らいでしまう。それは自分の拠り所を失うことでもあるからやっぱりあり得なかったのではないかな。 つねに論戦の中に日本の軍隊法規の特殊性を念頭に置きつつ、国際法に照らし合わせている論旨は私にはブレがないように感じました。 そして何より映画を観ている間、頭を渦巻いていたのは「あの戦争はなんだったんだ」ということ。主人公の岡田資という人ははこれほどの状況下で一貫した主張で、泣き言も繰り言も一切述べず、更に自分の主張を聞いてくれたと検察側にも謝辞を述べるほどの状況に対する平静さも持ち、そして何より気高くも温かい人柄であり続けた。これほどの傑物を失う戦争とはいったい何だったんだろう。明快な答えはないと思うけど、常に問い続けることが大事なのかもしれない。 そしてこの大人物を演じきった藤田まこと、セリフはないが表情、仕草から夫への深い愛情がにじみ出ていた富司純子、二人の演技は際だって素晴らしかったです。
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[059]アンツ
 メッセージはどこへ行った?幸村和2009-11-14
 
生きものを擬人化するのは好きではない。その生きものの生態を無視して人間の都合のいいお話に変えてしまうから。そういうのって科学的にどうだろうと思う。 といっても、鳥獣・・・
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生きものを擬人化するのは好きではない。その生きものの生態を無視して人間の都合のいいお話に変えてしまうから。そういうのって科学的にどうだろうと思う。 といっても、鳥獣戯画のように風刺という意味での擬人化もある。直接的な批判より時には効果がある。が、そういう楽しみ方は、ある程度の知的水準がないとその効果って伝わらないですね。さて、この物語はというと後者の要素を持ってはいる。つまりアリ社会を人間社会に模してメッセージを伝えようというもの。ということで、もし子どもに見せるとしてもあんまり小さなお子様には見せたくない。蟻に対する知識が歪む。まあ大きなお世話だけど。 主人公のZはボヤッキー。規格外な彼は、生まれたときに働き蟻、兵隊蟻、と決められた人生、もとい蟻生を無思考に受け入れている蟻たちと馴染めないでいる。そしてそんな馴染めないアリ社会から抜け出したいと思っている。 そんな彼が周りの蟻たちに放つメッセージは、「昔からそういうものだったから、という理由で思考を停止するな、自分の頭で考えろ、枠からはみ出す勇気を持て」ということ。みんなと一緒が安心という日本人には、チクリとささるメッセージですね。一糸乱れぬダンスのシーンはなかなか可笑しかったです。が、そこで終わっておけば良かった。 将軍の陰謀を止めるあたりから空気は不穏になってきた。あれ?最初はこんな社会を変えたいって思ってなかったのか?あるいはこんな社会から抜け出したいって言ってなかったか?この主人公。なのに突然保守派に鞍替え。社会維持に回っている。というのも相思相愛の相手が体制側だったから?なんともご都合主義ですこと。うーん、なんだかなあ。終わってみれば、自分の国(社会)が嫌いだった若者が好きな姉ちゃんが体制側だったから大変な愛国主義者に大変身という物語になってる。国の素晴らしさに目覚めたんじゃない。画一社会を変えようってんでもない。色恋が原動力のなんとも情けない理由。だから物語の最初にボヤいていた社会には何の変革もない。思考を停止するな、というメッセージ、お空の彼方へ飛んでった。ま、これで蟻の社会が変わったら、それこそ嘘八百になるけど、それがNGなんだったら最初から蟻にするなよな。どうしたいんだろう。このアニメ作った人。 可愛くない蟻の造形(あの歯はイマイチなれど)、バーでの虫のオシリをチューって吸って飲むカクテル、シロアリのグロテスクな造形、そういうのは小可愛らしいアニメよりセンスはあるけど、それ以外はちょっとね。作ってる人の思想がこの程度なんでしょうな。てか思想ないんでしょうな。
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[060]イージー・ライダー
 自由を標榜する国のなれの果て幸村和2009-11-03
 
名作としてよくその名前を聞く映画だったのですが実際は観たことがなく、今回初めてみました。確かに問題作ですね。 ミュージック・ビデオ?って思うほど多い音楽と、享楽のイ・・・
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名作としてよくその名前を聞く映画だったのですが実際は観たことがなく、今回初めてみました。確かに問題作ですね。 ミュージック・ビデオ?って思うほど多い音楽と、享楽のイメージ映像的な部分は好みではありませんでしたが(名作と聞いていて期待が大きすぎたのかも)、描かれるテーマは重いものがあります。この映画が1969年。既にこのときから社会の病質的な部分に気が付いておきながら、その37年後公開された映画「クラッシュ」を見ると米国という国は全く進化していないように感じました。クラッシュもそうですが、この映画を見るとこの国は人間という生きものに対しあまりに理想主義的、楽観的過ぎるという部分において、思想的には対極を成す共産主義と全く同じじゃないかと思います。例えば銃をコントロールできるという人間に対する脳天気なまでの認識だったり、競争が進歩を産むと信じて疑わないことだったりするんですけど。そんなに人間は強くない、というか寧ろいつも不安を抱えて生きる弱い生きものなのにね。あんなに共産主義を嫌悪しているのに皮肉なもんです。その辺はマイケル・ムーアのドキュメンタリーを観ても感じる部分でもあります。 人間の歴史が抑圧と支配を経ていて「自由」を謳うことそれ自体は正しい故にかえって病理の根が見えにくく、その辺崩壊した共産主義より厄介なのかもしれません。この進歩のなさはなんなんでしょうね。人間の限界なのかと思いますが作品の中では自由を恐れず未開の地を開拓して家族を築く男も出てきます。一方で自由を語りながら自由に怯えて破滅的になる男たちも。自由に対峙する人間の姿を一方の姿に偏らず見せてくれるその辺のバランスがこの作品はとても良いと思います。 映画の中でジャック・ニコルソンが述べる「君たちが象徴するのは自由だ」、「金で動く人間は自由でいるのが難しい」から始まる一連のセリフは、お金がなくては生きられない社会を生きる人間が一方で自由を標榜することの矛盾と、そこから来る歪みを見事に表した覚えておきたい名台詞です。 自由を標榜し、そして自由に固執した国のなれの果てをこの映画は克明に暴き出しているように思いました。
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