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 「篭瀬山」さんのコメント一覧 登録数(719件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[151]昭和残侠伝 唐獅子仁義
 悪ノリ篭瀬山2006-04-12
 
ビデオで見たせいだと思うが、高倉健のかっこよさと藤純子の美しさが若干劣る感じ。照明がとても自然に見えて、闇の黒さが瑞々しくて良かったけれど。それにお笑い担当の待田京・・・
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ビデオで見たせいだと思うが、高倉健のかっこよさと藤純子の美しさが若干劣る感じ。照明がとても自然に見えて、闇の黒さが瑞々しくて良かったけれど。それにお笑い担当の待田京介が悪乗りしすぎか。あと、藤純子って粋な御姐さんを型で演じることは出来ても、アドリブ気味に軽妙な掛け合いをするのは苦手な人だよねえ(マキノはこれが好きみたいで、よく演らせんだが)。これは相手が待田でなくっても同じだと思う・・・。5
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[152]世界
 迷走篭瀬山2006-04-12
 
 この映画の「世界」にいまいち入り込めない。エピソードの選び方やその描写の仕方が雑なように思った。その結果、北京という、現代中国の発展と矛盾の先端である大都市で、古・・・
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 この映画の「世界」にいまいち入り込めない。エピソードの選び方やその描写の仕方が雑なように思った。その結果、北京という、現代中国の発展と矛盾の先端である大都市で、古いしきたりやしがらみを逃れて漂流する男女の様相を、様相のままに描いた作品、という印象を受けた。どこが面白いのだろう?  アニメの使用もそうだが、全体として演出に虚仮威し的な意図を感じた。その仕方にセンスが感じられない点、また単に「虚仮威し」としてしか成立してない点は、はっきりつまらないと言える。5
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[153]ある子供
 子は鎹篭瀬山2006-04-09
 
 たらたらした語り口に不満は持つも、それが物語を紡ぐための確信的な技巧に見えて好感に変わる。だが途中で劇的な要素を入れたことで確信感が揺らぎ、またそれが単にアクセン・・・
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 たらたらした語り口に不満は持つも、それが物語を紡ぐための確信的な技巧に見えて好感に変わる。だが途中で劇的な要素を入れたことで確信感が揺らぎ、またそれが単にアクセントの効果しかなかったことで構成力に疑問が生じた。他方、映画作りの試行錯誤が伝わってシンパシーは抱かせた。主人公の青年に向けられた光と陰から類推し、彼という人物を造形するつもりで見れば楽しめよう。カンヌの審査員がどこを評価したのかは分からないが・・・。  『ロゼッタ』を、初めて見たときの印象はあまり良くなかったが、もう一度見返してみようという気にさせられた。6
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[154]DEAR WENDY ディア・ウェンディ
 若蘭篭瀬山2006-04-09
 
銃声を聞くのが大好きという人にはたまらん作品だろう。映画によっては拳銃という物の持つ機能美や魔力を感じさせてくれるものがあるが、この映画の拳銃には(またたくさん出て・・・
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銃声を聞くのが大好きという人にはたまらん作品だろう。映画によっては拳銃という物の持つ機能美や魔力を感じさせてくれるものがあるが、この映画の拳銃には(またたくさん出てくんだ)まったくそれを感じなかった。というより、根本的にマニアの森に深く分け入られても付き合いきれん。ナレーションがいつまでも続くのも、なかなか物語が本格的に始まらない、という感じにさせられ閉口したし・・・。たまには、映画の持つ暴力性と、それを見ることによって失われる何か、について思いを馳せながら2時間じっとしてるのもいい体験だろう。3
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[155]放浪記
 命短し篭瀬山2006-04-09
 
 成瀬らしくない。というのは、エピソードが刈り込まれておらず、リズムが悪い。これは、「林ふみ子」という人物を、きちんと抽出しきれてないことに起因すると思うが、だから・・・
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 成瀬らしくない。というのは、エピソードが刈り込まれておらず、リズムが悪い。これは、「林ふみ子」という人物を、きちんと抽出しきれてないことに起因すると思うが、だからといってリズム感を犠牲にすることはない。彼は遠慮しているのだ。誰に? 高峰秀子にである。  例えば『浮雲』だって本当は、格好悪い男と綺麗ではない女の物語だと思うが、森雅之と高峰秀子が演じるから美男美女の話になっちゃった。しかし映画の演出はこれでもいいので、なにも高峰を使って「ブス・カボチャ」の風情を出す必要はない。肩を落とし、首を前に突き出して、目尻を下げ、眉根を寄せ、口をへの字に曲げて声を潰すお芝居は、舞台の上でなら映えるかもしれないが、映画ではわざとらしく見えるだけ。林芙美子が、不細工だったというよりは、いつも不機嫌な女だったと見えてしまう。だいたい他人の仏頂面をいつまでも眺めさせられるのは苦痛だ。  強いて言うなら、林の文学的苦悩みたいなもの、これはエピソードの中からは見出し難いので、それを補うために計算して付けた演技、ということになろうが、まあ、私はそういう人間はいないと思う。高峰が気張ってるのは分かるが、それが徒になった。  しかし全体としては楽しめた。どこが面白かったかについて上手く言えないが、多分、それでもなんとなく、観る者の努力によっては、林芙美子の人物像を抽出し得る作りになっていたからだろう。6
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[156]女の中にいる他人
 私人の中にいる王様篭瀬山2006-04-09
 
 日常の平凡な要素のみから高度な心理劇を構成できる成瀬が、殺人事件という劇的な要素を得、より高みを目指している、という印象をまず受けた(心理ドラマの緻密さ、というよ・・・
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 日常の平凡な要素のみから高度な心理劇を構成できる成瀬が、殺人事件という劇的な要素を得、より高みを目指している、という印象をまず受けた(心理ドラマの緻密さ、というような意味においてである)。その上で、成瀬がいつも、ないし、よく描いていることを描いていると感じた。それは、一見古く見えるものの中に新しいものがあり、新しく見えても起源は古かったりする、というようなことだ。成瀬はあるところでこんなことを言っている。「今の若い人たちは、自分たちが新しい価値観を考え出したように思っているが、昔の人だって若い時分にはいろいろ考えた。それを口に出して言わなかっただけだ。今の時代、真に新しいのは臆面なく物が言えるってことだ」  堅物に見えて実は妻や親友(や母親)を裏切っている夫(小林桂樹)、変態的な性欲から情人を殺しておきながら、平然と日常を送る夫は、一見、時代の新しい側面を表している。また、夫や家庭に従属して自分では何も考えない、何事も波風を立てないようにする妻(新珠三千代)、都合の悪いことはなかったことににしようとする妻は、古いタイプの女を代表している。しかしながら実態は、殺人者である夫の方に、自首しよう、法の裁きを受けようというモラルが宿り、妻には、家庭生活の小さな幸せのためなら何をしてもいいという個人主義的な身勝手が宿る。  そしてこれを「女の中にいる他人」と呼んでいるということは、昔っから女ってもんにはこういう性質があっただろう?という言い方をしているわけである。あるいは「こういう言い方をすれば、私(=成瀬)の主張は、あなた(=観客)に伝わるだろう?」という態度かもしれない。私(筆者)は「なあるほどお!」とおおいに納得させられた、というわけだ。  戦後、アメリカから個人主義が輸入されてきて、日本社会の美風が失われてしまったというような、無自覚で無責任な社会批判に対する、成瀬的なアンチ・テーゼとでも言えようか(補足すると、個人主義が発露される<外部的な条件>だけが新しかったのではないか、という意味)。 終盤の新珠の心理描写が丁寧すぎる(そこまで微細に描かずとも、どういう行動に出るかの予測はつく)ところが不満と言えば不満だが、十分傑作だと思った。8
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[157]サウンド・オブ・サンダー
 間に合うの篭瀬山2006-04-09
 
他愛のない近未来SFアクションだが、生物学的進化の最先端にいるわれわれ、というテーマを扱っていて、われわれが今ここにこうしていることの不思議さ貴重さを感じさせてくれ・・・
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他愛のない近未来SFアクションだが、生物学的進化の最先端にいるわれわれ、というテーマを扱っていて、われわれが今ここにこうしていることの不思議さ貴重さを感じさせてくれる。時間旅行物に付き物のタイム・パラドックスを、文字通り揺り戻しとして波で表現する発想が新鮮だったし、絵的な処理も楽しかった。6
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[158]SPIRIT
 阿牛正伝篭瀬山2006-04-09
 【ネタバレ注意】
 あれだけ派手にやってて、それまで殺してなかった(ということだと理解したわけだが)ってのは意外だった。中国人にそういう思想があるなら共鳴できる、と思った(誤解か?)・・・
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 あれだけ派手にやってて、それまで殺してなかった(ということだと理解したわけだが)ってのは意外だった。中国人にそういう思想があるなら共鳴できる、と思った(誤解か?)。アクションには迫力があるし、映像もそこそこにリリカルで叙情的(←意味不明)。水準以上の娯楽作。中村獅童は案外精悍で良。  智育・徳育・体育ってのがこっから出てんのかどうか気になった。6
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[159]天空の草原のナンサ
 無害篭瀬山2006-04-08
 
演技だか演技以前だか分からない曖昧な魅力に溢れた、ほのぼのとした作品。宗教的な、と言っていいのかどうか分からないが、因縁の集大成としての<前世―現世>観念を扱ってい・・・
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演技だか演技以前だか分からない曖昧な魅力に溢れた、ほのぼのとした作品。宗教的な、と言っていいのかどうか分からないが、因縁の集大成としての<前世―現世>観念を扱っていて、われわれが今ここにこうしていることを、とても貴重なこと、そしてそれだけでとても素晴らしいことであると感じさせる作りにはなっている。6
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[160]しあわせ家族計画
 冒険できない篭瀬山2006-04-08
 
 渡辺えり子主演の艶笑コメディ、ではないので安心してください。  平凡な出来の作品だと思いますが、ほぼ満席の劇場(映画を楽しもうという熱気に満ちる)で、監督の舞台挨・・・
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 渡辺えり子主演の艶笑コメディ、ではないので安心してください。  平凡な出来の作品だと思いますが、ほぼ満席の劇場(映画を楽しもうという熱気に満ちる)で、監督の舞台挨拶付き(情が移る)で見たせいか、そこそこ楽しめました。クライマックスにかけての盛り上げる演出には手堅いものがあると感じましたし。父ちゃんが解雇される理由や娘が不登校になる理由を、数カットのエピソードで提示できる技量を身に着けてほしいなあと思いました。無理か。6
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[161]ヒート
 陰気篭瀬山2006-04-08
 
 アメリカ映画って陽気をもってよしとするところがありますけど、マイケル・マンの撮る作品は陰気ですよね。みんな心の中にぽっかりと大きな穴が空いていて、その穴は埋めたく・・・
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 アメリカ映画って陽気をもってよしとするところがありますけど、マイケル・マンの撮る作品は陰気ですよね。みんな心の中にぽっかりと大きな穴が空いていて、その穴は埋めたくても埋められない、という感じがよく出ています。主人公やその周辺の2、3人が内面を持ったキャラクターとして描かれる映画ってのはよくあるのですが、これだけ多くの人間が関わる物語で、一人ひとりに内面を持たせ、ちょっとした端役にまで人格を認める作品って、他にないですね。長尺といえば長尺なんですが、それらを描くため必然的に長尺になっているという感じです。少なくとも見てる間退屈はしないですし、第一、無駄がない。  重要なのはこの結果、追う者と追われる者の頭脳戦・心理戦を描くこの物語が、われわれ観客の生きているこの地面と地続きの地平で繰り広げられているように見える、ということですね。ヒート。激しく放出される熱いエネルギーというよりは、冷たく内に篭る青白い炎、という印象を持ちました。9
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[162]あにいもうと
 結末にみる過不足ない紡話力篭瀬山2006-03-16
 【ネタバレ注意】
 ふしだらな妊娠をして実家に戻ってきた妹(京)に対し、古い価値観を盾にきつく陰険にあたる兄(森)。世間の因習とことあるごとにぶつかってきた妹は、兄との関係にケジメを・・・
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 ふしだらな妊娠をして実家に戻ってきた妹(京)に対し、古い価値観を盾にきつく陰険にあたる兄(森)。世間の因習とことあるごとにぶつかってきた妹は、兄との関係にケジメをつけるのが手始めとばかりに敢然と立ち向かう。兄の言動の裏に、妹を思う強い意志があることを知るわれわれは、兄の思いが少しでも妹に伝われば、こんないがみ合うことはないのに、と思わずにいられない。観客のこのような思いは(そう思うよう誘導されたのだとも言えるが)、終始家族をとりなす役割を果たしてきた母(浦辺)が娘に言う、「お前はたいへんな人におなりだね」との台詞で裏打ちされる。  成瀬はしかし、妹には妹なりに兄を慕う気持ちがある、と描く。こう描かれると、兄の粗野で乱暴な行動の裏に、優しい配慮があることを知るわれわれは、これはこれで至極当然と思わされるわけだ。と同時に、この作品が描こうとしている何かを悟る。すなわち、時代の新しい流れの前に、崩壊の危機にさらされる家族という関係が、もし崩壊を免れるとしたら、それは家族が元来持つお互いを思い合う気持ちの中に、それだけの力があるかどうかに掛かっているだろう、という提言。それ(=家族の信頼)さえあれば充分だとは言えないまでも、それがなかったら他の何があってもどうにもならない。と、いうことに、観客が気づくか気づかないか、人それぞれだろうが、私は描くべきことは描いたよ、と言わんばかりの潔い結末。この潔さがいいんだ。  現代を生きるわれわれは、こういう家族はすでに解体されてしまったことを知っている。だから、家族を思う気持ちだけでは、時代の趨勢に耐えるに不充分だったと知る。だが、無駄を削ぎ落とした過不足ない成瀬の紡話力だけは、今見ても色褪せないと言えるだろう。8
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[163]あらくれ
 気性系篭瀬山2006-03-09
 
 見終えて悶々とするものが残ったのですが、後の方でおばちゃんが「気性の激しい人じゃ」と言ってるのを聞いて、合点がいきました。「気立て」ときたら良い・優しい、「気性」・・・
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 見終えて悶々とするものが残ったのですが、後の方でおばちゃんが「気性の激しい人じゃ」と言ってるのを聞いて、合点がいきました。「気立て」ときたら良い・優しい、「気性」ときたら強い・激しい。お島(高峰)は「気性系」の女ですね。  成瀬作品には珍しく、格闘アクション系の痛快感があります。ラストの決闘なんか、任侠系映画に付き物の殴り込みみたいなカタルシスがある。決定的な対立感と、徹底的な成敗感。成瀬を見慣れた人ならこの終わり方に人生の苦いテイストを感じられもしましょうが、一本の独立した作品として見たら、単純にスッキリ爽快で終わりそうな勢いでした。  嫌な女だなと思って見ていたお島を、最後には応援する気になってたのが不思議です。高峰のつける演技が自暴的で(『浮雲』ゆき子系)この手の女のニュアンスを表しきれてないように思いましたが、一貫していたのが良かったんでしょう。もっとも応援といっても、そのままの自分をどこまでも貫けよ、という消極的なものですけど。  森雅之について一言。まるで有島武郎の息子みたいでした。6
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[164]晩菊
 助けにならない篭瀬山2006-03-09
 
 どうも底辺で自堕落に暮らしている人間たちに共感を覚えないし、かといって同情も感じない。と言うより、この映画自身に彼女たちへの共感や同情の視線がない。ただ客観的に覗・・・
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 どうも底辺で自堕落に暮らしている人間たちに共感を覚えないし、かといって同情も感じない。と言うより、この映画自身に彼女たちへの共感や同情の視線がない。ただ客観的に覗いている。それ自体は悪いとは言えないが、その割に彼女たちは気取って見える。自分たちの境遇や来し方を、取り繕ってばかりいるように見え、それはまるで、そこにはいない第三者の視線を気にしているように見えてしまう。彼女たちの生々しい感情に接したと感じて初めてわれわれは、カメラを通じて眺めていることを忘れ、彼女たちと一体化できるのだと思う。この点に関し望月優子(お富さん)と細川ちか子(玉枝さん)の演技は、一定のキャラクタ造形力は認めるものの、恬淡としすぎに感じた。もっともこれはオーバーアクトを嫌う成瀬の演出によるものだろう。ここは多少大仰な方が感じが出たのではないか。  杉村春子の造形による金貸し役はさすがだ。だがこれも成瀬によるのか、忘れっぽくなってきている、と取れる挿話が付加される。加齢のためということだろう、物語の中ではその嫌みさにおいて一部の隙もない彼女のキャラクターを、そういう形でくさしてみせる。不幸は平等に訪れる、てな描写だ。下衆だし、意地が悪いと思うが、第一必然性がない。金を借りにきた昔の男を追い返す様などを見ていても、彼女は自分の生き方の中で、充分しっぺ返しを食らうように思えるのだが。(それを描いてしまったら成瀬ではなくなる気もする)  この一年で成瀬作品を30本ほど見たが、初めてつまらんと感じる作品にあたった。5
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[165]PROMISE
 役得篭瀬山2006-03-07
 
ラストの20分以外はつまらなかった。それはようやく物語が展開をみせ、収束を始めたからだが、逆に言うと物語というものは、シンプルでもちゃんと紡がれているという感覚を与・・・
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ラストの20分以外はつまらなかった。それはようやく物語が展開をみせ、収束を始めたからだが、逆に言うと物語というものは、シンプルでもちゃんと紡がれているという感覚を与えることの方が重要だってことだ。その点この映画は、その寓話的世界をもっぱら映像によって実現せんとしたので、そういうのが好きな人にはよくても私みたいのには駄目だ。ついでに言うと、傾城が凧みたいに飛ぶとこなど、映像的にだるいシーンも多かったが・・・。真田の身体能力や、それ以上に彼の甘い風貌が活かされていたのは良かった。6
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[166]オリバー・ツイスト
 善良篭瀬山2006-02-21
 
 議論の成立する映画だと思いました。「この点に関して俺はこう思う」とか、「いや、あそこはこうでなければ」とか、「そこはこういう意味である、なぜなら」といったような。・・・
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 議論の成立する映画だと思いました。「この点に関して俺はこう思う」とか、「いや、あそこはこうでなければ」とか、「そこはこういう意味である、なぜなら」といったような。最近は主張の一方的な映画が多く、賛同する人は無批判に賛同するものの、違和感を感じる人には議論の取っ掛かりさえ与えられない。この時期にこういう物を出してきたロマン・ポランスキーって、物を考えてる人だと思った次第です。  私には、オリバー君は気が弱いただ善良なだけの少年にしか見えませんでした。でも、彼に幸せを与えたいと願うのは、社会の意思、あるいは社会とはこういうものと考える作家の意志だと感じました。その意思には賛同するので、結末に違和感はありません。強いて言うなら(ないものねだりか)、この少年が、最後にほんの少し勇気を示してくれたら、こんなに勇気をもらえる物語はないだろうと思って観ていましたので、そうならなくて不満です。この社会を生き抜こうという意思ないしモチベーションは、少なくとも今の世の中を生き抜くには、まだまだ必要だろうと思うので。6
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[167]乱れ雲
 煮え切れ篭瀬山2006-02-19
 【ネタバレ注意】
 遮断機を前にした長いシーンのあとに、二人を乗せたタクシーが別の交通事故に遭遇するでしょう。私はこれ、演出の乱れだと思うのです。仮に二人が結ばれたとして、死亡事故は・・・
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 遮断機を前にした長いシーンのあとに、二人を乗せたタクシーが別の交通事故に遭遇するでしょう。私はこれ、演出の乱れだと思うのです。仮に二人が結ばれたとして、死亡事故はこの世で絶えず起きているわけだから、後ろめたさを感じる瞬間というのは、きっと訪れるものと思います。でも、この映画の中でそこまで描いてしまうのはやりすぎじゃないでしょうか。映画監督がこの作品で観客から絞り取ろうとした感情が何なのか、焦点がボケていませんか。この作品では、かりそめの幸福に潜む危機をほのめかすにとどめて、その先を描くなら別作品で描くべきだったのでは。もっともこれが成瀬の遺作ですから、言ってもせんないことですが。  加山雄三が良かったです。持ち前の柔らかさを出しすぎていたら、責任転嫁でもしそうなヤワな青年に見えていたところでしょうが、彼の意志の強さでキャラクターがずいぶん救われて見えました。そして、司葉子が司葉子的美しさを確立した作品だと思います。6
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[168]おかあさん
 くぎ付け力篭瀬山2006-02-19
 
 成瀬作品では、崩れたというか、変な女性を演ることの多かった中北千枝子が、颯爽としていい。戦後という時代の中で、子を持ちながら自活する女性の気の張った感じが、明るく・・・
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 成瀬作品では、崩れたというか、変な女性を演ることの多かった中北千枝子が、颯爽としていい。戦後という時代の中で、子を持ちながら自活する女性の気の張った感じが、明るく格好良く出ている。姉家族には負担をかけるのだけど、そういうことがごく普通に受容されている世のあり方もいいし、今はなかなかそうではないので羨ましくも思えた。  平穏な日常の中にもたまには劇的な出来事が起こる。だから劇的な出来事ばかりを取り上げた映画があっても、さほど違和感を覚えない。むしろそういうものこそ映画だ、なんて思ってる。そういう人(例えば私)がこの作品を見ると、驚くほど何も起こらない、という印象を持つだろうか。いや、頻発する悲劇的事件が、日常の営みの中にすっかり埋没していることに驚くだろう。成瀬映画の魅力は、日常を魅力的に見せてくれることにあると言われる。それは、日常をことさら誇張して魅力的に描くのではなくて、日常そのものの持つ魅力、われわれが(映画なんか見てるうちに)つい忘れがちな日常の魅力に、気づかせる作りになっている、という点にあると思う。  その意味で、この『おかあさん』はとてもパワフルでエモーショナルだと言われるが、まったくその通りだ。感情を掻き立てるための、ありとあらゆる手立てが講じられていて、それがことごとく私の胸にヒットする。ある人曰く、「いかがわしいくらいチャーミング」。言えてる。8
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[169]風と共に去りぬ
 男は弱いよ篭瀬山2006-02-19
 
 前にも見たことあってそのとき以来大ファンなのですが、なんとなく記憶違いをしていて、風と共に去ったものってレット・バトラーのことかと思ってたらそうじゃない、南部の文・・・
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 前にも見たことあってそのとき以来大ファンなのですが、なんとなく記憶違いをしていて、風と共に去ったものってレット・バトラーのことかと思ってたらそうじゃない、南部の文化の精神的栄華のことなんですね。戦争って力と力の戦いですけど、信念と信念の戦いでもあるから、負けた方は生き延びても精神的にぺしゃんこになってしまう。もともとの信念を強く持っていればいるほどそうなるでしょう。この点に関して、南部の男と日本の男、あるいはイラクの男たちも、単にヤンキーと戦って負けたということ以上に、精神的な紐帯を感じることができるだろうと思いました。同じ負けるにしても、敗北を知る奴らとなら、まだ上手くやっていけそう、そう感じることが可能だと。日本はアメリカと戦争を始める前にこの映画、見ておくべきでしたね。まあ、負けたあと見ただけでも、ずいぶんと安堵する部分あったと思いますが。  スカーレットの前ですべての男は自分の内面的な強さが試されるわけです。彼女は、南部の男が思い描く女性の理想像、美しくて溌剌として生命の塊みたいな女性像を体現しているわけで、男は皆、男たるもの彼女に交際を申し込むのが男の義務だくらいに思ってる。退くことはまた、人に見せてはいけない男の弱さだと思ってるから、みんなしゃにむに突き進むわけですが、たいてい討ち死にするんですね。アシュレーなんかは頭がいいから、彼女の体現する美徳は認めつつも、ほんとうはメアリーみたいに控え目で自分の弱さを補完してくれる善良さを持った女の方がいいと知っている。でも体外的な見栄や自らの虚栄心もあって、実はメアリーの方が好きだとスカーレットには言えない。というか言わない。スカーレットはすべての男は自分になびくはずと自負しているから、アシュレーの煮え切らない態度にかえって固執してしまう、という訳。もちろん頭が良くて正義感があってリーダシップがあって、という南部的ないい男の条件をアシュレーが満たしているからでもあるけど、一度好きと決めた男に尽くしきるのが女の精神的操だくらいの固定観念もある。だからスカーレットもずるいんだよ。でもアシュレー自身の問題なんだから、嫌いなら嫌いとはっきり言やあいんだよ。なんで男ってのはこう、ずるいのかね(いや、私だって言わないかもだけど)。  バトラーは、スカーレットのこういう気質を見抜く機知があり、かつ彼女にふさわしい男は自分だと思える度胸と、それを辛抱強く待てる強い意志がある。実際バトラーって凄い男なんだけど、それでも結局は自己憐憫からスカーレットの元を離れてしまう。スカーレットの前では、すべての男は常に充分に強くない。ん? すべての男はいつでも充分に強いというわけではない。つまり男は弱いんだ。見ていて個人的には、バトラーにはそれだけの強さがあると描くことも可能なように思えたけど、何故そうしなかったのか。原作のマーガレット・ミッチェルも女だから、女として、そんな強い男は現実には存在しないと知っていた、からだろうか。いずれにしてもすべての男はこの映画の前に、尻尾を巻いて退散を余儀なくされるのだ。私? 私ははなから勝負してません。涙で頬を濡らしてすっかりいい気持ちに浸っていたんだからいいんです(いいのか?!)9
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[170]ランド・オブ・プレンティ
 勝負は直球で篭瀬山2006-02-19
 【ネタバレ注意】
 簡単にまとめると、こういうことを言っている。お互いを傷つけ合うのは、お互いの傷を深めることにしかならないのだから、傷つけ合うのはもう止めよう。たいへんいいこと、そ・・・
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 簡単にまとめると、こういうことを言っている。お互いを傷つけ合うのは、お互いの傷を深めることにしかならないのだから、傷つけ合うのはもう止めよう。たいへんいいこと、そして重要なことを言っていると思うが、技巧の上で問題がある。  ラナ(ミシェル・ウィリアムズ)の伯父、ポール・ジェフリーズ(ジョン・ディール)がアラブ人テロ・ネットワークを発見するのだが、この伯父は明らかに精神を病んで見えるので、ただの思い込み、すなわち<ガセネタ>だろうとの判断が直ちに働く。ところがこのネタをわりと引っ張るので、あれ? 棚からボタ餅、嘘から出た実(まこと)?と思わされる。この点で、ストーリーに注意を惹くサスペンスとして充分機能しているのだが、結局は思い込みと判明する。しかしこの時点では、すでに彼の心情に同調できなくなっているのだ。気を惹くための手段としてサスペンスを組むなんて姑息なことをせずとも、アメリカ人の心の傷を正面から取り上げてくれるだけで、充分傾聴に値する。サスペンスの部分は上手にできていたから評価するけど、それでは7点とどまりだ。いや、それももっぱらラストのシーケンスで音楽の使い方が異様に上手く、涙ぐんだことに起因する。7
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[171]近松物語
 愛は無法か合法か篭瀬山2006-02-14
 
 近代恋愛劇の傑作である。つまり近代的個人の形成過程における、精神の帰結として最上位の恋愛なるsomethingを描いている。私にとってこの映画が重要なのは、近代社・・・
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 近代恋愛劇の傑作である。つまり近代的個人の形成過程における、精神の帰結として最上位の恋愛なるsomethingを描いている。私にとってこの映画が重要なのは、近代社会の成立を江戸時代に見るという、以前からの私の主張と同じ主張が、この時期この場所で裏付けられているからだ。英語風に言うなら、Love makes us feel like natural people.この映画における恋愛は恋愛ごっこに過ぎないという批判が聞こえてきそうだが、それは認識が甘い。恋愛は恋愛ごっことしてしか成立し得ないからだ。  ここでは、主従という関係(夫婦、でもいいが)における、互いに職分を全うすることから生じる逆説的な対等意識が前提となっている。それは、この映画の中で、たかだか貧乏百姓に過ぎない茂兵衛の父(菅井一郎)が、最もというより唯一高潔なモラルを保持していることからも間接的に分かる。思えば近代とは罪深いものである。8  「個人」が確立していなかったからだと私は考えるが、それも見つからない?
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[172]山椒大夫
 胡坐篭瀬山2006-02-14
 
 演出が観念的すぎる。奴婢の解放が善とされるのは現代的な価値観からすればその通りだが、当時はそれを偽善とする倫理があったはずで、その中に現代的な善が生まれたという過・・・
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 演出が観念的すぎる。奴婢の解放が善とされるのは現代的な価値観からすればその通りだが、当時はそれを偽善とする倫理があったはずで、その中に現代的な善が生まれたという過程がわからない。あるいは10年の奴婢生活で父の教えを忘れた厨子王には、それを裏付けるだけの時間と体験があったはずだが、それを感じさせるものがない。10年の奴婢生活にもかかわらず父の教えを忘れなかった安寿にも、それ裏付けるだけの時間と体験があったはずだが、それは描かれない。したがって、あまり地に足の着いた倫理に見えない。  そういうことを丁寧に描かないのだとしたら、ジェットコースターみたいに展開のダイナミズムだけを売りにする物語と変わらない。私は本気のジェットコースター・ムービーを好きだし評価するので、それらと比べると、この映画はあまりに不真面目で怠惰に見える。  上手く言えないが、決してつまらないだけの映画ではなかった。5
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[173]西鶴一代女
 綺麗な着物篭瀬山2006-02-14
 
 (『近松物語』でも似た技法を用いていた。)主演の田中絹代の顔がなかなかアップにならない。「50の婆アが20才の娘の声をつくり」なんて台詞がはさまれ、顔を見てみたい・・・
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 (『近松物語』でも似た技法を用いていた。)主演の田中絹代の顔がなかなかアップにならない。「50の婆アが20才の娘の声をつくり」なんて台詞がはさまれ、顔を見てみたいという気持ちが高まる。開始から10分ほどしてようやく正面から見る機会を得るが、これがなんとも醜い。女優が美を売る商売であることを考えれば、当時の年齢(43才)を考慮したとしても驚きだ。こういう演出の巧、つまり期待感を形成し、それに絶妙に応える技巧はさすがだと思う。  しかし『雨月物語』のところでも書いたが、テンポが冗漫すぎる。例えば廊下の奥から人がこちらに向かって歩いてきて、画面の右端に消えていくまでを延々撮り続ける。これは物語構成上「移動」を意味するだけであるから、カットを割れば数秒で描き終わるシーンだ。こういう耐え難さにようやく慣れたのは、映画が始まって1時間ほど後、羅列的なエピソードのつながりに構成が見てとれ、意味がつかめ始めてからである。一人の女の長い長い人生を、駆け足でダイジェストした印象を避け、長いままに感じ取らせることに成功しているから、演出の採算は取れていると最終的には思ったが、マイナス要因であることに変わりはない。  田中絹代が時折り見せる冷笑の鋭さに、男なら悔恨と罪悪を感じずにいられないだろう。6
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[174]新ドイツ零年
 ご勝手に篭瀬山2006-02-14
 
この映画が何を描き、何を語っているのかは、ただボーっと見ていただけでは分からないでしょう。ただボーっと見ていただけの私が言うのだから間違いありません。映画という制約・・・
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この映画が何を描き、何を語っているのかは、ただボーっと見ていただけでは分からないでしょう。ただボーっと見ていただけの私が言うのだから間違いありません。映画という制約を離れ自由に撮っているとの評価に対しては、制約という観客との黙約を破ることは傲慢であると言いたいです。この手の傲慢は確実に先鋭化するので、周囲により強固な親衛隊を築くことになるでしょうが、あまねく一般的な広がりを獲得することは金輪際ないでしょう。この映画から、誰にでも分かる一般的なメッセージをただ一つ取り出すとしたなら、「文句があるならお前が映画を撮ってみろ」に尽きます。2
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[175]羊たちの沈黙
 芸が細かい篭瀬山2006-02-07
 
 最近はDVDが出回って、ジャケットをじっくり見る機会も増えてると思うが、私ゃ今回初めてジョディの口にとまってる蛾の背中に髑髏が描かれていて、それが裸の女4〜5人を・・・
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 最近はDVDが出回って、ジャケットをじっくり見る機会も増えてると思うが、私ゃ今回初めてジョディの口にとまってる蛾の背中に髑髏が描かれていて、それが裸の女4〜5人を脇に抱える裸の男(?)で構成されていることに気づきました。意味はよく分からんけど、すんげえ細かい芸で! 感心しちゃいました。  十数年ぶりに見直して改めて思いますが、よくできた映画ですな。どちらかと言うとレクター博士がフリーハンドを手にしちゃうあたりに知性への歪んだ権威付けを感じてたんですけど、そんなのまったく気になりませんでした。人の精神が言語によって多く構成されていること、したがって言語によって触診できるのですが、ともするとその「医師」が、言語を縦横に駆使する知性のマジシャンに見えてしまうこと。しかし彼の心には闇があって、それこそが彼を邪悪な存在にしていること。これらの描写を、観る者を恐怖で圧倒しつつ公平にこなしていくのですから、凄いです。きっと精神的にしんどい作業だったと思いますが、よくぞ完成にこぎつけたもんだと感服しちまいます。金字塔、という言葉をよく目にしますが、サイコ・スリラーの橋頭堡、でしょうより正確には。8
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[176]コンタクト
 宇宙の品格篭瀬山2006-02-07
 
 この広い宇宙に、われわれは独りじゃない、という気持ちにさせてくれる映画です。今から9年前の作品ですが、CGの成果であるヴァーチャル宇宙空間はべらぼうに美しく、いま・・・
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 この広い宇宙に、われわれは独りじゃない、という気持ちにさせてくれる映画です。今から9年前の作品ですが、CGの成果であるヴァーチャル宇宙空間はべらぼうに美しく、いま見てもまったく色褪せません。視線移動にも工夫が凝らされ、椅子に座って画面を見つめていることを忘れ、無重力空間に放り込まれたような目眩をいくどか感じました。  しかし、美しさでいうなら、なによりも物語に美しさがありました。それは例えていうなら、数学者が好むような幾何学的な美しさでした。人間の好奇心や探究心、未知のものへの憧れや不安、そして不安を克服するための勇気と、正義感。これらを等号で結びうる未だ見ぬ公式が、発見されるのを待っている。そんな夢を見せてくれる映画だったと思います。9
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[177]テルマ&ルイーズ
 明日篭瀬山2006-02-07
 【ネタバレ注意】
 この映画で一番見るべきところは、二人の表情だと思うんだ。  夫の言いなりで自分を持たないテルマと、楽しむことは知っているけど一時の感情に流されないしっかり者のルイ・・・
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 この映画で一番見るべきところは、二人の表情だと思うんだ。  夫の言いなりで自分を持たないテルマと、楽しむことは知っているけど一時の感情に流されないしっかり者のルイーズ。二人の旅行のきっかけは、ルイーズの勤め先の上司が離婚し、郊外に持っていたペンションを手放すことになったので、遊ばせておくのももったいないからという、いかにもアメリカ的な理由。親友のテルマを誘うルイーズは、テルマにも楽しむ機会を与えたいと考える、優しい性格の持ち主でもある。  夫に嘘をついて家を出るというちょっとした反抗が、テルマにとってはもう冒険であり、女友達と旅行に出かけるイベントを、一層ウキウキしたものにしている。ルイーズを真似て煙草をくわえたりと、彼女のはしゃぐ様はとても可愛い。そのせいで、と言っても悪いのは120%あの下衆男(ハーラン)の方であり、彼女の落ち度といったらちょっとガードが甘かったことくらいだけど、少し羽目を外したばっかりに、思わぬ方向へ状況が悪化する。テルマは本当に自分が悲しかったと思う(後に彼女はこれを、私は男運が悪いと総括するんだが・・・)。個人的には、ルイーズがハーランに銃をぶっ放すところなんて最高に痛快だったね(賛否あろうが)。  やがて日焼けして赤黒くなった二人の顔つきは、自信に満ち輪郭がはっきりして、たいへん美しい。DVDのコメンタリーで脚本のカーリー・クーリは、だんだん美しくなっていったと評していたが、私は両方(つまり前半も後半も)美しいと思った(私が男だからそう思うんだろうね)。美しさの質は違うけど。しかし、ラストシーンの二人の表情の美しさ、これはやはり別格だ。すがすがしさというか清澄さというか、精神が本当の意味で解放されると人の表情はこうなんじゃないかと思わせるものがあった。  悲劇的と言える結末かもしれん。でも彼女たちは、ただの物語のキャラクターを抜け出て、永遠になったんだ。9
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[178]ミュンヘン
 肩が凝る篭瀬山2006-02-05
 
 同胞の犯した罪を、糾弾するのでも弁護するのでもなく、ましてや裁くことなく描くのは、精神的に重い作業だと思いました。それは自分の罪を描くことと同じだからです。糾弾し・・・
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 同胞の犯した罪を、糾弾するのでも弁護するのでもなく、ましてや裁くことなく描くのは、精神的に重い作業だと思いました。それは自分の罪を描くことと同じだからです。糾弾した方が精神的に楽です。それは奴らの罪となり、自分の罪ではなくなるからです。弁護する(この映画を観てそう感じる人はいないと思いますが)ならもっと楽です。罪ですらなくなるのですから。同胞の罪を描くにあたり、ただ罪として描くこと、もちろんそれはしんどいのですが、それが唯一の真摯な方法だと私は考えます。テロとその報復というテーマを描くに際し、他の何物でもなく同胞の間で起きたことを取り上げんとしたのは、映画を作る態度として真摯なものだと思いました。他の映画と比べてどちらが真摯かという視点はないです。  映像の残忍さに関しては、そうですね、残忍さを忌避する感覚の方が正常だと私も思います。それはテロや殺人を憎む根底となる感情です。スピルバーグはこれを俳優の演技を含む視覚的効果で訴えようとしているのでしょう。確かに覚悟は必要かもしれません。私も当分は見たくないです(なにしろしんどかったですから)。でも、現実は(映像的にという意味でなしに)もっと残忍だろうとも思います。そのかぎりにおいて、私は彼の表現手法を容認できるのです。  映像への突出した拘りが、物語を破壊しているのではないかということですが、私は若干違う考えです。物語の上での真実に対する探求心と、映像における異常な執着心は別物ではないかと。初めてそれに違和感を感じたのは(監督も作風も違いますが)『パールハーバー』のときでした。それから数年たち、今はそれらは別物だと思うに至りました。映像にも物語にも長けた作品があれば、映像は良くても物語は駄目な作品もある。逆も然り。しかし、この映画の執拗な映像追求が物語を台無しにしているかというと・・・。そのようには感じませんでした。起承転結と言われるような、物語の形式(これはこれで重要です)は踏んでいないと思いましたが、序破急のような語りの緩急(ないしリズム感)は充分にあると感じました。私としては、最後までまったく退屈せずに見られたので、そうとしか言いようがないです。7
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[179]イヴの総て
 「『仮面』」篭瀬山2006-02-04
 【ネタバレ注意】
 「野心の塊」イヴ(アン・バクスター)が、その仮面を脱ぎ捨て、素の自分を晒してしまう場面が3箇所ある。  鏡の前で、マーゴ(ベティ・デイビス)の舞台衣装を体にあて、・・・
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 「野心の塊」イヴ(アン・バクスター)が、その仮面を脱ぎ捨て、素の自分を晒してしまう場面が3箇所ある。  鏡の前で、マーゴ(ベティ・デイビス)の舞台衣装を体にあて、いくつもポーズをとるところ。それを見つけたマーゴから「イヴ」と声を掛けられ、それこそ雷に打たれたかのようにハッとするイヴ。この後、これは大丈夫、見抜かれてはいない、むしろ自分の純粋さとして好意的に受け止められたと徐々に確信し、表情を「恥じらい」へと調整していくところは、もう完全に演技である。  仕組まれたアクシデントにより手に入れた初舞台のチャンスを成功させたイヴは、次のステップとして、何の躊躇もなく、演出家のビル(ゲイリー・メリル)へ攻勢をかける。ところがビルは、この種の野心を肯定的に評価する人物ではあったものの、マーゴへの愛に確かなものがあり(ここでのメリルの演技も精確だ)、イヴのチャレンジをスルリとかわしてしまう。自分の計算違いを思い知らされたイヴは、一人になった楽屋で憎悪をむき出しにするのだが、この表情の醜く恐ろしいこと! 人間てのは、やはり仮面を被るべきと思わずにいられない。  ラスト、見知らぬ侵入者が自分を崇拝する女学生だったと分かり安堵したイヴの、緊張感の解けた表情。声のトーンまでゆるむ。戦士の休息とでも形容すべきところだろうが、おそらくイヴに同情する観客はいないだろう。  これら3つと比べ、注目すべき場面がもう一つある。ラストのシーンの少し前、批評家アディソン(ジョージ・サンダース)と対決するシーンだ。ここでのイヴは、終始仮面を外さない。むしろアディソンの方が彼女の冷笑に男として侮辱を感じ、われを失って彼女を殴打してしまう。それでもイヴは理性を失わず、潮時を冷静に感じ取ると、優雅に「退出を命じる」芝居をする。男の傷心に追い討ちをかけたわけだ。ところが、いったん画面から外れたアディソンが、もう一度画面に収まったときには自分を取り戻しており、彼女に「優雅の足りなさ」を指摘する。ここで形勢が逆転するわけだが、この後の彼女の行動が見もの。寝室に駆け込み後ろ手にドアを閉める彼女の姿の、なんと様になっていることか! アディソンに過去を暴かれ、嘆く彼女がカメラを見据えて演じる苦悩の表情の、なんと絵になっていることか! イヴは、「男に屈服する女」を演じることがこの状況での最適解だと瞬時に悟り、それを見事に演じのけたのだ。  人間は、仮面を被る生き物だ。そんなことは当然のこととして、「仮面を被る人間」という仮面を被ることさえ視覚化できる映画というメディアを、完璧に表現してみせた作品である。10
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[180]単騎、千里を走る。
 風もないのにぶーらぶら篭瀬山2006-02-01
 
 薬師丸ひろ子が駅伝の選手を演じる話かと思ったら違った。中華人民共和国にはまだ辺境があって、そこには日本でいえば明治から昭和戦前期みたいな近代末期の町並みが残ってい・・・
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 薬師丸ひろ子が駅伝の選手を演じる話かと思ったら違った。中華人民共和国にはまだ辺境があって、そこには日本でいえば明治から昭和戦前期みたいな近代末期の町並みが残っている。人々も、昔ながらの人情や習俗にしたがって暮らしている。そこを訪れた日本人男性は、心は擦り切れ感情を爆発させることもなくなって久しい人物だったが、彼らの率直で誠実な人柄に触れるうち、凝り固まったものがほぐれていくのを知る。そんな話。でも、日本人の監督が日本人の視点で中国を描くなら分かるが、なぜ中国の物語を中国人が描くのに日本人の視点を利用するのか、そこにちょっといやらしさを感じた。商魂も透けて見える。ただし一つ付記しておくべきことは、映像にはさほど凝っておらず、これ見よがしの絶景みたいな描写はほとんどなかった。これは物語の性格に適合していたと思う。  面白いのは、辺境描写の触媒に利用される日本人のキャラクターが、昔の帝国軍人みたいなこと。健さんの演じてみせる屈強さ・頑健さは、まるで元軍人のそれである。物腰は柔和ながらも瞬時に相手の上位に立つ真っ直ぐさや、一人称に「自分は」を用いるところなど(これはいつもか)も。健さんのこういうストイックさを、素直にカッコイイと感じてしまう自分もいるのだが、それにしてもこんな日本人、いまどきいねえぜ・・・。  クサイ、クサイ、の仕草は日中共通か。4
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