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 「篭瀬山」さんのコメント一覧 登録数(719件)rss
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[181]影の車
 そこまでがサスペンス篭瀬山2006-01-22
 
 「何かが起こりそう」不穏な雰囲気を作り出すのがとにかく上手い。観客の期待や予測を巧みに交わしつつも緊張感を途切れさせない。何か伝えたいメッセージがあって、そのため・・・
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 「何かが起こりそう」不穏な雰囲気を作り出すのがとにかく上手い。観客の期待や予測を巧みに交わしつつも緊張感を途切れさせない。何か伝えたいメッセージがあって、そのために技巧を駆使するのではなく、映画で表現できることを熟知した人たちが、それを生かすためにテーマを選んでいる、という感じがする。加藤剛や岩下志麻、小川真由美といった役者陣の演技も精確で、彼らの内面はまるでガラス張り。子役は確かに演技以前という素材だったが、無理をさせないのがほどよかった。  ただ、アフター・サスペンスというのか、事が起こった後の展開がいただけない。ちゃんと話のオチも用意されていて、前もって貼られた伏線が意味ある形で収束するカタルシスも得られるのだが、なんというか・・・、特に岩下志麻の取り乱す演技が突如素人臭いものとなり白けた(まあ、こういう演技を自然とやり抜く役者さんには、人間として信頼が置けないかもしれないが)。飛行機と一緒で、どんな映画も離陸と着陸が難しい。  完璧ではないが、水準の高い作品。7
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[182]つむぎ
 何をつむぐの?篭瀬山2006-01-22
 
 もとの題を『制服美少女 先生あたしを抱いて』といって、’04年のピンク映画で第4位にランクされる(1位が今岡信治『たまもの』、3位が田尻祐司『痙攣』)。水準の高い・・・
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 もとの題を『制服美少女 先生あたしを抱いて』といって、’04年のピンク映画で第4位にランクされる(1位が今岡信治『たまもの』、3位が田尻祐司『痙攣』)。水準の高い作品で、DVD化は喜ばしいが、改題『つむぎ』って。まったく意味わからん。  蒼井そら第一回主演作とのことだが、演技が上手いとはお世辞にも言えない。だがその<不思議ちゃん>系の存在感が話の上で上手に活かされ、それで彼女も魅力的に映っているし、その意味で彼女の最初の主演作として相応しいとは言える。こういう状況が成立するピンク映画という体系を羨ましくも思う。  その程度で感激しちゃってるので、ちょっと見方が甘くなってるかもだが、物語の構成も確かで、カメラワークも遊びがあって楽しいし、何といってもエロティックだ。台本時点の題を(多分)『アルモンシカナイ』といって、日常すぎて見過ごしがちな言葉を立ち止まって考えるセンスも日本的だし、こういう点も含めて今の<時代>を切り取っている感じがとてもする。なんで一般映画にはこういうのがないんだろうと、逆にそんなことを考えさせられた。7
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[183]動くな、死ね、甦れ!
 豊穣篭瀬山2006-01-15
 
 終戦直後、ロシア極東の収容所内で生活する少年の置かれた境遇は、描かれていることだけから判断しても、過酷である。70年代に日本の平凡なサラリーマン家庭で育った私の少・・・
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 終戦直後、ロシア極東の収容所内で生活する少年の置かれた境遇は、描かれていることだけから判断しても、過酷である。70年代に日本の平凡なサラリーマン家庭で育った私の少年時代とは、あらゆる点で異なっており、共通項があるなどと言うこと自体がおこがましいだろう。だがその小さな脳で理解するかぎりの全世界で、精一杯生きんとする彼の必死さ。ワクワクドキドキしながら目いっぱい生きんとする彼の必死さだけは、共通するといっていいと思う。翻って今の自分は、少しぐらい世界は広がったかもしれないが、もがいて生きていることに変わりはない。否、少年時代の必死さと比べたら、もう少し頑張ってみれるんじゃないかと、まず、そういう思いに駆られた。  しかしこれは映画である。ラストも、あえて映画であることを暴露する、といった終わり方。つまりこの苛酷な環境を実際に体験し、そこを脱出した少年がいて、その十数年後(あるいは数十年後)、彼が映画という情報伝達手段にたどり着き、ようやくこの映画は実現した。ここを抜きにしてこの映画は語れないと思う。労働市場と呼ばれる地区の喧騒はあまりに大袈裟で、通常の映画の文脈からはかけ離れている。登場人物の仕草も大仰でコミカルだ。だがこれらは、あくまでそのさなかにいた少年の眼から見たものであり、それを表すための表現だ。少年の目にはもっと激しく映っていたに相違ないのだ。この映画は、徹頭徹尾映画的視点で撮られている。  それに気づくと、少年が意識しているといないとに関わらず、ここには一つの文化状況が描き出されていることが分かる。少年がそこを必死に生き抜いた文化状況である。寒さの厳しいシベリアの気候風土の上に、スターリニズムと荒廃した収容所施設が混ざり合って、酵母で発酵した糞尿のように肥大化した局所的特殊文化状況。私はここにある種の豊穣を見るのだが、皆さんはいかがだろう。そこに、わが同胞(旧日本軍捕虜)がたまたま歌い落としたよさこい節、炭坑節、五木の子守唄が包含されている。なんと含蓄の深い作品であることか。7
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[184]チャーリーとチョコレート工場
 歯が痛い篭瀬山2006-01-07
 
甘い物が嫌いな人は見るべきでない作品だろうが、油断してはいけない。日常的に食するチョコレートの量なんてたかが知れてるから、嫌いだなんて思ってない人でも、これだけ物量・・・
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甘い物が嫌いな人は見るべきでない作品だろうが、油断してはいけない。日常的に食するチョコレートの量なんてたかが知れてるから、嫌いだなんて思ってない人でも、これだけ物量作戦で攻められると本性を表される。オレ、『ショコラ』を見たときもこう思ったんだっけと自分の忘れっぽさを悔やんでも遅かった。いわゆる「見てるだけでも気持ち悪い」という奴。こんどは『ビリーとビール工場』とゆうのを作ってくれ頼む・・・4
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[185]ティム・バートンのコープスブライド
 横道の誘惑篭瀬山2006-01-07
 
腕は骨と皮だけ、顔は紫色で左側はただれているのに、なんか可愛い。この「死後花嫁」を造形した時点でこの映画は半分くらい成功した。アニメとして独自の世界を生み出す構想力・・・
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腕は骨と皮だけ、顔は紫色で左側はただれているのに、なんか可愛い。この「死後花嫁」を造形した時点でこの映画は半分くらい成功した。アニメとして独自の世界を生み出す構想力、それを削り出して形を与える造形力は素晴らしかったと思う。しかし、『チャーリーとチョコレート工場』もそうだったが、ティム・バートンという人は、脈絡のあまりないエピソードを積み重ねて時間を埋めていくタイプの監督さんみたいで、好きな人はそういう横道の部分がより好きなのだろうと想像できるが、私なんかはだんだん飽きてくる・・・。疲れているときなど確実に眠ってしまう。5
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[186]
 最後の映画篭瀬山2006-01-07
 
 軍艦島という映像モチーフが強烈な印象で迫ってくる。それを超えるものはこの映画にないんじゃないかという気がするが、都会の匿名性に隠れた痴漢という犯罪と、それに心なら・・・
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 軍艦島という映像モチーフが強烈な印象で迫ってくる。それを超えるものはこの映画にないんじゃないかという気がするが、都会の匿名性に隠れた痴漢という犯罪と、それに心ならずも反応してしまう女性の性を、生々しく描いた作品、と言えるのかな。まあ、その結果が今の女性専用車両だから、あまり社会にいい影響を与えたとは言い難いわけだけど。個人的には花柳幻舟のあの啖呵に惚れ惚れしました。さすがだ。  異様な映画だが拒絶もできない。痴漢の指みたいに私の心の襞に絡んでくる。観た環境も左右しているのだと思うけれど・・・。→6  (2005.12.30pm1100@倉敷東映)
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[187]ジャズ大名
 騒音公害篭瀬山2006-01-07
 
 1986年といえばまだ東西冷戦下だから、この映画に出てくる東と西とはソ連とアメリカを象徴し、そのつばぜり合いをよそに宴に興じる日本、という構図がそれなりに魅力を持・・・
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 1986年といえばまだ東西冷戦下だから、この映画に出てくる東と西とはソ連とアメリカを象徴し、そのつばぜり合いをよそに宴に興じる日本、という構図がそれなりに魅力を持ちうる時代だったのだろう(今でもそうかな?)。経済拡大の兆候はまだなかったはずだから区別しておくべきだろうが、ついバブル前夜を想起してしまう。  こういった事柄とはまったく関係なしに、映画として単純に面白い。ただし、音源が雑多すぎて、音楽に最低限必要な調和が保たれておらず、ぶち壊しだった。この未熟さ、というより確信的に身にまとった幼稚さだと思うが、これを克服できていれば、この監督ももう少し成長しただろう。6
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[188]日本暗殺秘録
 「天下の珍品」篭瀬山2006-01-07
 
 暗殺者の思い詰めた精神状態が直に伝わるかのような、重苦しい緊張感のある作品。血盟団事件の比重が高く、その前後に幕末・桜田門外ノ変以降の主要な暗殺事件をハイライトす・・・
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 暗殺者の思い詰めた精神状態が直に伝わるかのような、重苦しい緊張感のある作品。血盟団事件の比重が高く、その前後に幕末・桜田門外ノ変以降の主要な暗殺事件をハイライトする構成で、これが功を奏している。われわれに馴染みのない「暗殺という思想」が、浸透し、所在を得て、やがてボルテージを高めていく様が味わえるからだ。最後の2・26事件には宴のあとの様な寂寞感まであって、暗殺者の心理状況をそっくり追体験するような構成となっている。  当時、任侠物というある意味アナーキーな映画ばかり作っていた東映ではあるが、それにしても異様だ。脚本の笠原和夫が自ら曰く「天下の珍品」。226の首謀者は皆、処刑されるとき「天皇陛下万歳」を叫ぶのだが、一人だけ「秩父宮殿下万歳!」と叫ぶ者がいる(安藤輝三大尉)ところまできっちり描写されている。時代を記録し、時代と交錯する、歴史の証言集のような貴重な作品である。7
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[189]男たちの大和/YAMATO
 昭和の三大馬鹿査定篭瀬山2005-12-30
 
日本人が日本人を嫌う心理って何なんだろう、とは思う。でも俺は、こんな映画を作って平然としている日本人や、喜んで受け入れている日本人が大嫌いである。この映画では靖国の・・・
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日本人が日本人を嫌う心理って何なんだろう、とは思う。でも俺は、こんな映画を作って平然としている日本人や、喜んで受け入れている日本人が大嫌いである。この映画では靖国のやの字も出てこない(それは構わない)が、靖国にまつられている人々が、この映画に出てくるような人物であるとするなら、俺は靖国神社に参拝なんかしない。というより、俺の価値観では、こういう映画を作る人や受け入れる人が靖国神社を参拝しても、御魂は喜ばないだろうと思う。戦後60年で日本人の人心はすっかり入れ替わってしまった。俺は、戦後10年〜15年の間に撮られた日本映画をこそ、イラクの人々に見せてあげたいという考えを持っていたが、今のこの映画を見せた方が話は早い。つまり敗戦ってのはこういうことだ。もうすぐ天皇制も終焉するし、靖国神社も使命を成さず消える。この潔さのみが、存在の証であるように。4
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[190]久我美子
 マクガフィン篭瀬山2005-12-27
 
 マクガフィンとは、ヒッチコックの作劇法に絡んでよく語られる言葉で。要は、画面内あるいは物語内にあると、注意を惹かれずにいられない存在でありながら、それ自体には何の・・・
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 マクガフィンとは、ヒッチコックの作劇法に絡んでよく語られる言葉で。要は、画面内あるいは物語内にあると、注意を惹かれずにいられない存在でありながら、それ自体には何の意味もないもののこと。逆に言うと、観る人の注意を惹くという機能のみを持つナニガシか。それがあると物語が引き締まるとか、安定するといったレベルの話ではなく、人々の感情をかき立てる構造の中心としての象徴。例えていうなら久我美子の鼻の右脇の黒子のようなもんじゃないかと思うわけだが・・・。  そんな例えに利用しましてすみません。彼女を観たのは(覚えているもので)五本だけ(全部書くと、『また逢う日まで』『新・平家物語』『挽歌』『彼岸花』『ゼロの焦点』)ですが、純粋な恋愛物で彼女がヒロインを演じる『また逢う日まで』が一番彼女の美しさを引き出していたと思います。
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[191]ゼロの焦点
 サスペンスによろしく篭瀬山2005-12-27
 
 丁寧に物語世界と物語をつむぐ前半から一転、後半は「サスペンス」が己の意思を持って一人歩き始めたみたいな奔放さがあって、そこは楽しかったのだが、最低限の統御は必要だ・・・
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 丁寧に物語世界と物語をつむぐ前半から一転、後半は「サスペンス」が己の意思を持って一人歩き始めたみたいな奔放さがあって、そこは楽しかったのだが、最低限の統御は必要だと思った。「サスペンス」に自ら収拾する力はないのだから。  高千穂ひづるって、『笛吹童子』で「♪出〜てこい、出〜てこい、上がって来い」と歌ってた可愛いお嬢さんだと思うが、この作品では重要な役割を振られていた。彼女のキャリアの分岐点となりえたと思うのだが、前半の社長夫人然は様になっていたものの、後半は失速。耳に痛いところを衝かれたとき、顔面をヒクヒクさせる人って、現実の世界で私は見たことない。もっともカメラはその演技を黙って収めていたので、当時は許容範囲だったのかも知らん。  戦後、日本の男は権威を失って、生きていかなきゃいけない女たちが、体を張ったのだと思う。そこにはそれなりの自由と活力があったはずだ。やがて世の中が安定し、権力を取り戻した男たちが、当時の女たちに意趣返しをしている作品に見えた(しかも、女を使って)。それに諾々と従う女しか登場しないこの映画は、私には受け入れ難かった。5
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[192]昭和枯れすすき
 空転篭瀬山2005-12-27
 
みんながみんな自己の来歴を台詞で語り出すので驚いた。というか聞いてて恥ずかしい。こんなゆるさで物語に格好がつくんだろうかと思いつつ見てたら、案の定、無理やりケツを作・・・
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みんながみんな自己の来歴を台詞で語り出すので驚いた。というか聞いてて恥ずかしい。こんなゆるさで物語に格好がつくんだろうかと思いつつ見てたら、案の定、無理やりケツを作るため伊佐山ひろ子に泣きながら長口舌をふるわせた。製作サイドの無責任を一人で負わされたように見え、可哀そうだった。しかもその後にとってつけたような曖昧な結末を持ってきてたが、これじゃ照れ隠しだって見え見え。真面目に映画を作ってるってことだけは伝わった。2
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[193]震える舌
 ある到達篭瀬山2005-12-26
 【ネタバレ注意】
 実の娘が死の瀬戸際で苦しんでいるのに、そっちのけで自分に病気がうつってないか心配する親がいるだろうか。この映画に感じる抵抗の一つはこれだろう。こう思われてもしょう・・・
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 実の娘が死の瀬戸際で苦しんでいるのに、そっちのけで自分に病気がうつってないか心配する親がいるだろうか。この映画に感じる抵抗の一つはこれだろう。こう思われてもしょうがないと私は思う。いたいけな幼な子を使って、相当あざとい演出をしているのも事実だから。でも、この映画の狙いはそこにはない。むろん最後まで子供のことだけを考えていられれば美談である。しかし人間は必ずしもそんなに強くない。むしろ、親というものはこうあるべきだと考える人ほど、実際には先に参ってしまうだろう。なぜなら、子の苦境に向き合えない自分を、さいなむ傾向がより強いだろうから。退行し、甘えきって、自分で考えることを止め、家から一歩も出られなくなってしまう妻。これ実は心の健全な防衛機能である。それでも向き合わなければとし、向き合いきる人も中にはいるだろうが、そうでない者はどこかが本当に壊れてしまうか、悶死するしかないのだから。子供がたった一人で病気と闘っている姿を、黙って見ているしかない状況。医者の施す「治療」は人間を物として扱う残酷さで、子の苦痛を増すようにしか見えない状況。子の力になってやることは、自分からは何一つできない状況。これらの状況が、いかに親の心を占領し、ズタズタにしてしまうかを描いた作品である。渡瀬恒彦も十朱幸代も、見事な人物造形力だった。少なくともこの作品は、野村芳太郎の作劇術の、ある種の到達点であることは間違いない。  治療中の光景に被さって、心電図の映像が二重写しになったとき、私は心底恐怖した。心電図というものがこれほどまでに不吉な象徴であることに、瞬時に気づかされた。だっていままで見てきた映画では、心電図って「やがて止まる心音」を描くためのものしかなかったんだもの。この演出の巧みさには舌を巻くが、見てる最中はそんな余裕はなかった。8
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[194]SAYURI
 絵葉書篭瀬山2005-12-19
 
 話が一本調子でアヤがない。芸者は美しい、そして悲しい。でも夢を信じて努力すれば報われる。『トップ・ガン』の芸者版、という感じ。  それでもガキの頃『トップ・ガン』・・・
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 話が一本調子でアヤがない。芸者は美しい、そして悲しい。でも夢を信じて努力すれば報われる。『トップ・ガン』の芸者版、という感じ。  それでもガキの頃『トップ・ガン』は観ててかっこよかったから、この映画もきっと「芸者って綺麗だね」って楽しむ作品なのだろう。だがチャン・ツィイー他を綺麗と思い込むのは若干苦しかった。4
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[195]キング・コング
 原愛篭瀬山2005-12-18
 【ネタバレ注意】
コングのあとに登場すると、エイドリアン・ブロディの面長も男前に見える。直後に抱擁する二人の姿は、成就できなかった愛をおしみ、慰め合うように見えた。それは、現世では誰・・・
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コングのあとに登場すると、エイドリアン・ブロディの面長も男前に見える。直後に抱擁する二人の姿は、成就できなかった愛をおしみ、慰め合うように見えた。それは、現世では誰も手にしえない、完全無欠な真実の愛。常世から放逐された人間が、原罪のように背負った宿命。ピーター・ジャクソンはこういうことを本質的にわかっていて、キング・コング本体だけでなく、映画『キング・コング』(1933)そのものにも、勝手な解釈を加えたり、意義付けを試みたりしない。英雄は、行動をして語らしめる、そんな神話性を感じさせる作品だった。それで考えるとラストでコングに「ビューティフル」と言わせるのは(絶対言わせると思ったけど)余計なのだが、こういうお茶目は好きなので許す。7点をつけられない理由は・・・、書かないでおこう。6
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[196]バカ政ホラ政トッパ政
 屁の突っ張り篭瀬山2005-12-18
 
例えばバカ政(文太)が3年ぶりに出所してくると、本当なら女の面倒を看ておくべき兄貴分(中丸忠雄)が、逃がしてしまった。ついては指を切って謝るから許してくれ、なんてシ・・・
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例えばバカ政(文太)が3年ぶりに出所してくると、本当なら女の面倒を看ておくべき兄貴分(中丸忠雄)が、逃がしてしまった。ついては指を切って謝るから許してくれ、なんてシーンがある。弟分の女を逃がしたからって兄貴分が指詰めるのかなあ・・・と思うわけだが、要はこのシーン、猿芝居として描いているわけ、文太に「兄貴!なにもそこまでしなくても」と止めに入らすための。芝居好きな狸という兄貴分の性格と、その弟分との関係性を描いていると言えるのかな。この手の話のアヤは、任侠ヤクザ映画なんかでふんだんに使われていた。早い話が東映任侠映画の残飯をかき集めて作った給食みたいな作品だ。腹が減ってりゃかぶりつくのかもしれんが、今はちょっと・・・。4
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[197]江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間
 責任篭瀬山2005-12-18
 
エロ・グロ・ナンセンスというように、グロテスクを売りにした作品には、話の筋道やシーンの意味など気にかけないものがある。いろいろ理由はあろうが、結局はその方が楽だから・・・
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エロ・グロ・ナンセンスというように、グロテスクを売りにした作品には、話の筋道やシーンの意味など気にかけないものがある。いろいろ理由はあろうが、結局はその方が楽だからだ。この作品がそれらと一線を画すのは、意味を求めているところ。妄想をただ押し付けるのではなく、すくい取ろうとする姿勢が見える。伝説的なカルト・ムービーという触れ込みで見る者(私がそうだ)には肩すかしになるかもしれないが、こういう語り手の責任が感じられる作品は好きである。カットの積み重ねで物語を紡いでいく技術はさすがに確かで、ささいな矛盾やご都合主義は、気にする暇なく物語りに引き込まれた。付け加えるなら、土方巽のパフォーマンスには、(ちょっとした仕草なのだが)世界の新しい見方を提示されたようなショックがあった。6
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[198]たまもの
 どこまで篭瀬山2005-12-11
 
 ポルノ映画を頻繁に見ているわけではなく、たまたま友人から薦められ見たが、傑作と思った。この今もわれわれの中にある問題を描いている。孤独と向き合う時間の長い女が、男・・・
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 ポルノ映画を頻繁に見ているわけではなく、たまたま友人から薦められ見たが、傑作と思った。この今もわれわれの中にある問題を描いている。孤独と向き合う時間の長い女が、男の誤解、我儘、欲望を、すべて無言で受け入れる。男と女の関係は、今も昔も変わらない。否、それらを自らの欲望へ昇華してしまう女を見せられると、男なんて彼女の欲望を満たすための道具にすぎないんじゃないか?という気にさせられる。だが、物語は言う。すべてを受け入れられるわけがない。だとするなら、それらを押し付けることが、そもそも間違っているのではないか??? そう、簡単には割り切れない、とは言えるのだが・・・  単線的でシンプルな展開ながら、観る者を心地よく欺く仕掛けも映画的。エピソードを大胆に省略する繋ぎ方もリズミカル。技巧が成熟すると語りたい事がなく、語りがストレートだと技巧が稚拙な、いまの多くの邦画にないものがここにある。7
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[199]江戸っ子判官とふり袖小僧
 ぞくぞく篭瀬山2005-12-11
 
目が覚めても同じような話が同じように展開している非力な観客にも優しい作品。いわゆるひばり映画の一つであろう、ひばりを見せながら御大(千恵蔵)をからませ、見る者にぞく・・・
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目が覚めても同じような話が同じように展開している非力な観客にも優しい作品。いわゆるひばり映画の一つであろう、ひばりを見せながら御大(千恵蔵)をからませ、見る者にぞくぞくっとした感覚を与えるのが映画の目的かと思うが、結構ぞくぞくっと来たよ橋の上で再会するところなんか。劇場の暖房が切れてたせいかもしれないけど・・・。4
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[200]人生劇場 飛車角と吉良常
 普通で頼む篭瀬山2005-12-11
 
大川を越えたらシマが違うから看板(印半纏)を脱ぐ、なんて細かい描写は確かにいいんだけど、そういうもんが見たくて金を払ってるわけじゃない。その直後に素性を確かめるため・・・
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大川を越えたらシマが違うから看板(印半纏)を脱ぐ、なんて細かい描写は確かにいいんだけど、そういうもんが見たくて金を払ってるわけじゃない。その直後に素性を確かめるために使われたりと、アヤのつけ方が率直すぎる。マキノ雅弘でも加藤泰でも山下耕作でもみんなこれをやるけど、もっとふわっと自然な感じでやるもんだ。内田吐夢のアヤのつけ方は四角四面で藪から棒。これぞアヤでござーいってな感じだから、見てる方はじきしらける。変な爺さん(辰巳柳太郎)が自分から何するわけでもないのにあーでもないこーでもないとエラソーに喋りまくるから腹立つし。かっこつけんでいいから普通にやってくれい、という感じ。3
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[201]ジャンヌ・ダルク裁判
 IQ篭瀬山2005-12-11
 
 過剰な感情表現を付してないところはよかったですけど、それでも違和感が残りました。根本的には、こっち(私)の興味はジャンヌ・ダルク本人にあるのに、映画が描くのはジャ・・・
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 過剰な感情表現を付してないところはよかったですけど、それでも違和感が残りました。根本的には、こっち(私)の興味はジャンヌ・ダルク本人にあるのに、映画が描くのはジャンヌ・ダルクではなく、ジャンヌ・ダルク裁判だってことですね(そういうタイトルの映画ですから、文句は言えませんけど)。この映画を見るかぎり、ジャンヌは本当に神から語りかけられた選ばれし乙女、であるほかにもう一つ、とてもIQが高くかつ信念の強い一人の少女、である可能性がありますよね。ところが後者の可能性はまったく見過ごされている。結局ロベール・ブレッソンもキリスト教徒で、ジャンヌ=聖女という大前提を受け入れているのだと思いました。私には、彼女の前に何人もの「ジャンヌ」が火あぶりにされただろうこと、彼女の後に続いた「ジャンヌ」たちへの扱いは、より過酷なものになっただろうことが想像できます。ジャンヌ一人に焦点を当てた作品では、ジャンヌの本当の実像は分からない。  であるならば、聖女ジャンヌの大活躍を描いたジャンヌ・ダルク奮戦記スタイルの方が、私にとってはよっぽど好ましいのです。6
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[202]黒蜥蜴
 外科と六篭瀬山2005-12-10
 
弾けるように笑う丸山(美輪)明宏の魅力を、うつくしい、と言ったら不正確な気がする。あやしく、あでやかで、うるわしくもあるが、ひと言でいうと華がある。舞台劇的な「華」・・・
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弾けるように笑う丸山(美輪)明宏の魅力を、うつくしい、と言ったら不正確な気がする。あやしく、あでやかで、うるわしくもあるが、ひと言でいうと華がある。舞台劇的な「華」の演出を、映画的なそれに焼き直し、かつ舞台的な魅力も損なわない。深作欣二という映画監督は、正確な演出をつけられる人だったのだ(子供じみた演出も共存するが)。黒蜥蜴が男装するシーン、実際には男が男の格好しているだけだが、この倒錯美といったらない。階段を下りてくる登場の仕方、鏡を使った三角描写、独特の流暢な語りのリズムという、演出のなせる業でもあり、この作品世界の魅力の核となっている。7
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[203]大停電の夜に
 原田知世がいた篭瀬山2005-12-08
 
少子化防ぐにゃ刃物は要らぬ、停電の一晩もあればいい(一晩じゃ足りねえか)という昔の諺を思い出した。独りよがりでないってことは、人に物を伝える商売の上で大変重要なこと・・・
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少子化防ぐにゃ刃物は要らぬ、停電の一晩もあればいい(一晩じゃ足りねえか)という昔の諺を思い出した。独りよがりでないってことは、人に物を伝える商売の上で大変重要なことだと思うけれど、だからって何もメッセージがないってのはどうかと。誰かがかつて語った言葉だけで物を語ってる気がした。今の世の中の「よがり」ってこんなだろと、目の前にぶら下げられたような嘘寒さを感じる。もっとも私にとっては何の接点も感じられない話だったけど。映像は美しく、語り口は流麗だった。5
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[204]Mr.&Mrs. スミス
 万能篭瀬山2005-12-07
 【ネタバレ注意】
何もかも破壊しつくす殺し屋って万能感がある。恐れるものなど何もない、というような。映画的な素材だと言える。この映画も、基本的にはこの万能感を追体験するためのものだと・・・
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何もかも破壊しつくす殺し屋って万能感がある。恐れるものなど何もない、というような。映画的な素材だと言える。この映画も、基本的にはこの万能感を追体験するためのものだと思うが、あとに残る混沌という現実もチラリと描かれており、夫婦を昇天させるつもりで物語が組まれていれば、名作になっていたかもしれない。7
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[205]殺人の追憶
 こいつだ篭瀬山2005-12-03
 【ネタバレ注意】
 今でもはっきり覚えているけど、最重要容疑者役のパク・ヘイルが初めて画面に現れたとき、「あっ、こいつだっ!」と思った。真犯人は絶対こいつだと。こんなこと生まれて初め・・・
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 今でもはっきり覚えているけど、最重要容疑者役のパク・ヘイルが初めて画面に現れたとき、「あっ、こいつだっ!」と思った。真犯人は絶対こいつだと。こんなこと生まれて初めてだし、別に刑事でも探偵でもない私には、今後の人生であるとも思われない。映画評論を仕事としている人には、なぜ私がそう思ったのか、解明する義務があると思うな。ってか、教えてくださいお願いですm(_ _)m。見た瞬間の確信的な思いは、多くの人が共有していると思う。  私の場合はこの思いが強すぎて、映画を見終えた後でもパクが真犯人に違いないと思い続けることになった。証拠が不十分で取り逃がすことになっただけだと。だがそうすると、ラスト・シーンでのソン・ガンホの困惑した表情、これまで信じてきた価値観が崩れ落ちたかのような表情が解せない。もしこれがしたり顔というか、何かに思い当たった顔、腑に落ちた顔であれば、私の解釈でぴったんこだと思う。  今のところ私の中では、監督が結末を曖昧にするためぼかして演出したのだと処理している。7
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[206]エリザベスタウン
 繋がってなさい篭瀬山2005-12-01
 
何が言いたくて、何がやりたいのか、よく分からない映画だった。発言した後の効果まで考えて発言するという、ネオコン的発想にもとづく作品なのかとも思うが、わからない。私が・・・
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何が言いたくて、何がやりたいのか、よく分からない映画だった。発言した後の効果まで考えて発言するという、ネオコン的発想にもとづく作品なのかとも思うが、わからない。私がこの映画から受け取ったメッセージは「(社会と)繋がってなさい。そうすれば道は開けますよ」というもの。それはその通りで、お説ごもっともなんだが、しかし、なぜ映画を見に行くのかというとだね・・・。どちらかと言うと「繋がってないと、不幸なことになりますよ」と不安を煽ることが目的の商業広告みたいな手法に思える。私にとってこれは大変不愉快なことなのだが、それでもCMには商品を買わせるという目的がある。この映画は・・・? ほんと分からん(からと言って考え過ぎ?)。3
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[207]乱れる
 目撃篭瀬山2005-11-30
 【ネタバレ注意】
 ラスト・シーンは衝撃的でしたね。財布を盗まれた人みたいに必死の形相で加山の骸を追いかける高峰秀子を、延々と目撃し続けるカメラ。最後に「あゝ、財布が・・・」なんてス・・・
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 ラスト・シーンは衝撃的でしたね。財布を盗まれた人みたいに必死の形相で加山の骸を追いかける高峰秀子を、延々と目撃し続けるカメラ。最後に「あゝ、財布が・・・」なんてスポークン・タイトルが挿入されてたら、これ以上ないってくらいの完璧な突き放しだったでしょう。サイレント映画ですけどね、それじゃ。  乱れるといえば乱れるのですが、現代的に言えば乱れざるを得ないという感じでしょう。義弟(加山)を受け入れかけた嫂(高峰)が、なぜ最後の最後で扉を閉ざしたのか理解できない、としてしまうと、映画そのものが成立しなくなるくらいの繊細な状況ではありました。しょうがないので私は理解することにしました。亡き夫に対する操、というのが重要な動機になってるわけですけど、結局敗戦によって失われてしまった物語を後生大事に守っているわけですね。夫が国を守り、妻が銃後を守る、というような物語です。これ以上奪われたくない、失いたくないという心理です。高峰は、物語を守るという自分の役目は終わったと考え、加山に応えようとするのですが、最終的にそれ(=守ること)が自分の重要な一部になっていることに気がついて、拒んだのです。それでも、別の大切なものを、やっぱり失ってしまった。つまり歴史は(否応なく)繰り返すということを描いた作品だと思います。8
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[208]女が階段を上る時
 職業篭瀬山2005-11-29
 
夜の銀座で働く女を「プロ」と紹介する。5作前の『流れる』で描いた芸者世界の観点からすれば、玄人と素人の境目を曖昧にした根源と言えるかもしれない女たち。だがこう紹介さ・・・
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夜の銀座で働く女を「プロ」と紹介する。5作前の『流れる』で描いた芸者世界の観点からすれば、玄人と素人の境目を曖昧にした根源と言えるかもしれない女たち。だがこう紹介されると、それなりに確立した職業集団と思えるから不思議だ。実際、働く苦労に男と女の区別はなく、ある種の「階段」を上がらなきゃいけないのは皆同じ。なかには上がりたくない階段もあるだろうが、上がれば、少し高いところからものが見えるようになるのもまた事実で・・・。銀座に通う男たちにではなく、そこで働く女たちに心情を託して見ることとなった作品。高峰秀子の一皮向けた感じがいい。7
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[209]ブラザーズ・グリム
 御意篭瀬山2005-11-29
 
遊園地のメリーゴーランドみたいにねちっこい映像で、見終えた後も網膜にこびりつく。言われてみればテリー・ギリアムってゴシック系そびえ立つ映像モチーフを駆使する映画作家・・・
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遊園地のメリーゴーランドみたいにねちっこい映像で、見終えた後も網膜にこびりつく。言われてみればテリー・ギリアムってゴシック系そびえ立つ映像モチーフを駆使する映画作家だったんだね(だったっけ?)。枝の隙間から空を見上げる映像単位が繰り返し使われている。話は幻想冒険譚のためケツの予測がついてしまい、それ以外に注意を繋ぎ留めるものがないので遊びにつき合うのが辛かった。もっと毒の強い監督じゃなかったっけ?と思いながら見たが、そう感じた人多いんだ。だよねー。3
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[210]流れる
 選択篭瀬山2005-11-28
 
 ひょうひょうと流れる時間の中に、時代の移り変わりをしっかり描き出している。芸者の置屋という、先のない世界。この廃れゆく世界を押しとどめるための有効な手立てなど、登・・・
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 ひょうひょうと流れる時間の中に、時代の移り変わりをしっかり描き出している。芸者の置屋という、先のない世界。この廃れゆく世界を押しとどめるための有効な手立てなど、登場人物の一人として取ろうとしないし、また誰にも取りえない。自然の遷移のように時代の変化を描く成瀬の狙いは、この社会を選んだのはわれわれ自身であると、言うことにある。そんな気がした。  戦後の作品で山田五十鈴を観るのはこれが3作目。他は黒澤『用心棒』と小津『東京暮色』だが、顔が間伸びして見え、女優としての華がどこにあるのか分からなかった。しかし、この作品の彼女はいい。美しさの第一線で体を張ってきた自負が表れ、役柄ともぴったりである。どこかでも書いたが、追い詰められた女の美しさ、である。7
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