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投稿されたユーザーコメント
 
 「篭瀬山」さんのコメント一覧 登録数(725件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[271]山の音
 装善篭瀬山2005-08-30
 【ネタバレ注意】
息子の嫁と、夫の実父。血の繋がらない二人の男女の関係だが、ほとんどセックスを連想させないのは、互いに相手に善人を認め、そのために自分も善人であろうと努める、そういう・・・
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息子の嫁と、夫の実父。血の繋がらない二人の男女の関係だが、ほとんどセックスを連想させないのは、互いに相手に善人を認め、そのために自分も善人であろうと努める、そういう関係に描いているから。これがいかに偽善であるか、映画はこれでもかというくらい露悪的に描くのだが、それでも二人は最後までこの関係を維持する。映画も、そこに批難の矛先を向けたりしない。そこで私は、装善、つまり善を偽る偽善ではなく、たとえ表面上の装いにすぎなくても、それはそれで善としておいてよいじゃないか、という意味で、そんな言葉を考えてみた。そんだけ。7
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[272]OLの愛汁 ラブジュース
 多摩蘭篭瀬山2005-08-27
 
こういう日常の中のエロスっていいね。セックスを特別視しないから、妄想全開に陥ることもないし。それと、ここが重要だと思うんだが、綺麗綺麗に撮るなんて無粋なことはもちろ・・・
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こういう日常の中のエロスっていいね。セックスを特別視しないから、妄想全開に陥ることもないし。それと、ここが重要だと思うんだが、綺麗綺麗に撮るなんて無粋なことはもちろんしないんだが、だからといって汚くもないんだよね。「自然に見える」見せ方のギリギリの範囲内で、醜を避ける演出の妙。こういうのを映画って言うんだろう。7
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[273]変態家族 兄貴の嫁さん
 これから篭瀬山2005-08-27
 
ポルノが、濡れ場とそれ以外の場面で演出手法が違っていたとしても、気にならない映画のジャンルだとすれば、「それ以外」の部分が小津調だったとしても問題ないわけだ。この着・・・
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ポルノが、濡れ場とそれ以外の場面で演出手法が違っていたとしても、気にならない映画のジャンルだとすれば、「それ以外」の部分が小津調だったとしても問題ないわけだ。この着眼点と、それ以上にこれを実行したこと、これが凄い。ラストも、「濡れ場と小津調の融合する一瞬を見た」と騙されてやってもよい。私が彼の学校の映画の先生だとしたら、「優」をつけてやるだろう。5
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[274]仁義なき戦い 代理戦争
 何度観たことか篭瀬山2005-08-25
 
 別の都市(呉と広島)におけるヤクザ抗争が、紆余曲折を経て一つ(の抗争、という意味だが)にまとまる過程を描いている。1作目も抗争の複雑な背景を巧みに処理していたが、・・・
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 別の都市(呉と広島)におけるヤクザ抗争が、紆余曲折を経て一つ(の抗争、という意味だが)にまとまる過程を描いている。1作目も抗争の複雑な背景を巧みに処理していたが、まだヒーロー譚的要素で場を繋ぐところがあった。この3作目は、マキャベリスト的駆け引き自体に相当の面白さを感じる人間でないと、きついかもしれない。だがその分、単なる暴力映画ではない(むろん暴力映画としても凄いんだが)「仁義なき」シリーズの真骨頂であると言えるのだ。  実際、どの役者も捨て難いが、一人挙げるとしたら、やはり小林旭。主人公である菅原文太に先験的に肩入れしながら見る観客も、この小林旭とだけは、最後まで対立関係にならなければいいのに、と思いながら観ることになる。この想いこそ、複雑なプロットから観客の注意をそらさないタガの役割を果たしていると、私は思う。もちろんわれわれは、この作品の途中で決裂する二人が次に顔を合わすのは、次作(頂上作戦)のラストまでないということを知っているのだが。8
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[275]新仁義なき戦い 組長最後の日
 血縁篭瀬山2005-08-25
 
元シリーズ5作目『完結篇』を書いた高田宏治が独りで脚本を手掛けた今作は、新シリーズ3作の中では話に最もまとまりがある。嬉しいことには津島利章のテーマ曲も復活してるし・・・
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元シリーズ5作目『完結篇』を書いた高田宏治が独りで脚本を手掛けた今作は、新シリーズ3作の中では話に最もまとまりがある。嬉しいことには津島利章のテーマ曲も復活してるし、至極普通の犯罪ヤクザ映画に成り下がった今シリーズの中で、「一番見られる」作品であることは確か。だがこの人たちは人間に対する洞察力に欠けるんだよ。(元シリーズの4作目までを書いた)笠原和夫が打ち出してみせた「ヤクザなる人間性の複雑さ」は、この作品群でも見事になぞられている。しかし、新しく付け加えられた人間像はどれも薄っぺらい。その意味では、このシリーズも掛け値なしに「仁義なき〜」の血を引いていると言えるのだが・・・。5
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[276]新仁義なき戦い 組長の首
 戒め篭瀬山2005-08-25
 
もはや、広島の非道なヤクザ抗争を描いた「仁義なき戦い」ではないし、東映が掲げた路線「実録物」とも違う。言うならクライム・ファンタジーやね。それも、ヤクザを使ってこん・・・
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もはや、広島の非道なヤクザ抗争を描いた「仁義なき戦い」ではないし、東映が掲げた路線「実録物」とも違う。言うならクライム・ファンタジーやね。それも、ヤクザを使ってこんなシチュエーションを描いてみたい的な、作り手の願望投影型ファンタジー。「飲む? ウチは飲むワ。目の前で人が殺されるの好かんけんね」嘘っぱちの上滑べ台詞。観客としてこういう台詞を求める気持ちもあるにはあるが、やっぱそれじゃいかんわなと、気づきました。4
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[277]新仁義なき戦い
 名折れ篭瀬山2005-08-25
 
役者はいい(全員ではないが)。カメラもいい(相変わらずである)。台詞もときにズシリと響くものがある。では何が駄目かと言うと、脚本に論理の一貫性がないのだ。つまり構成・・・
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役者はいい(全員ではないが)。カメラもいい(相変わらずである)。台詞もときにズシリと響くものがある。では何が駄目かと言うと、脚本に論理の一貫性がないのだ。つまり構成力が弱い。例えば、弾除けとして情婦を旅の供に連れて行く、という非情な設定を持ち出すなら、この情婦に自意識を認めちゃいかんのだ。論理がぶれるじゃないか。日和見民主主義的決定力の欠如がここに表れている。取材不足からくる想像力の欠如も感じるが、私が一番感じたのはそれだなあ。4
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[278]ひめゆりの塔
 日本に・・・篭瀬山2005-08-23
 【ネタバレ注意】
 青酸カリの取り合いをするんですよ。余分に持っていることがまるで「恵まれていること」であるかのように不公平を訴える目付きをして。何のための青酸カリか。自殺のため、当・・・
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 青酸カリの取り合いをするんですよ。余分に持っていることがまるで「恵まれていること」であるかのように不公平を訴える目付きをして。何のための青酸カリか。自殺のため、当時の言葉で言えば自決のためでしょうが、彼女たちは死にたかったのか? 違うと思います。彼女たちの心情を「理解できる」なんて安易に言うことははばかられますが、勝利の邪魔をしないため、だと思います(ちなみに「生きて虜囚の辱めを受けず」戦陣訓の面影は皆無)。  不謹慎を承知で言いますが、この悲劇は「負け戦」の悲劇です。すべての戦争がここまで悲劇的だったわけではないでしょう。でも、純粋に日本の勝利を信じる彼女たちの心うちに、戦禍の中で、もし少しでも「やっぱりこの戦争、おかしいんじゃないかしら」という疑念が生じたとしたら。私は、自分自身に非があるかのような申し訳なさを覚えます。この映画を見ての率直な感想は、日本に、つまり彼女たちに、勝たせてあげたかったナ、というものでした。もちろん私は戦争反対です。7
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[279]黒い雨
 余慶あり篭瀬山2005-08-23
 
 演出の意図が分からず退屈しました。タイトル「黒い雨」も関係なく。被爆直後の広島市街を1日かけて横断するんですもん。「気もたせ」の作り方が下手だなあと思いました。 ・・・
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 演出の意図が分からず退屈しました。タイトル「黒い雨」も関係なく。被爆直後の広島市街を1日かけて横断するんですもん。「気もたせ」の作り方が下手だなあと思いました。  また、彼女は昔気質ということなのか、自分からは特に何もせず、結婚を待つだけの女という感じでした。そういう存在に自分を重ね合わせることは難しいので、正直言ってあまり身に沁みませんでした。  ついでに言うと風呂場で田中好子の胸を見せたのは(ありがとうございます。でも)余計だったと思います。4
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[280]故郷の香り
 無自覚篭瀬山2005-08-23
 
「ふるさとは とおきにありて おもうもの」これは自分に都合のいいノスタルジーにすぎない、って自覚した上で言うのならまだいいのですが。故郷の人はあんたなんかいなくたっ・・・
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「ふるさとは とおきにありて おもうもの」これは自分に都合のいいノスタルジーにすぎない、って自覚した上で言うのならまだいいのですが。故郷の人はあんたなんかいなくたってみんな頑張って生きてるんですから、あんたも都会で自分の人生を頑張りなさい。4
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[281]大統領の理髪師
 遺物篭瀬山2005-08-23
 
シチュエーションから生まれる笑いに小ギャグをまぶしていい感じに進んでいたのに、「マルクス病」のカマトトぶりにしらけてしまいました。庶民は阿呆だから思想には無縁、です・・・
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シチュエーションから生まれる笑いに小ギャグをまぶしていい感じに進んでいたのに、「マルクス病」のカマトトぶりにしらけてしまいました。庶民は阿呆だから思想には無縁、ですか?馬鹿にしてます。というか、笑いとして面白くない。前世紀の遺物ですね。4
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[282]成瀬巳喜男 記憶の現場
 無可不可篭瀬山2005-08-21
 
構成に特段目新しさや斬新さはありません。インタビューを中心に情報が披露されていきます。成瀬に無知な人(私みたいな者)が初めて見るには、それで充分かもしれません。6
  
 
[283]浮雲
 土蜘蛛篭瀬山2005-08-21
 【ネタバレ注意】
 皮肉なタイトルだと思いました。根なし草的な所在無さはありますが、空にプカプカ浮かんだ奔放さは感じません。むしろ地面に這いつくばって、先が見えずに右往左往する虚しさ・・・
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 皮肉なタイトルだと思いました。根なし草的な所在無さはありますが、空にプカプカ浮かんだ奔放さは感じません。むしろ地面に這いつくばって、先が見えずに右往左往する虚しさの方ですから、クモはクモでも土蜘蛛の方が・・・(そんなタイトルじゃ見る気も失せますが)。  ゆき子(高峰秀子)はほんと、ちょっと優しい言葉をかけてほしかっただけ、ただそれだけなんだと思います。買い物籠を下げ夕餉の仕度に街へ向かう、街の人から「奥さん」と声を掛けられる、そんな小さな幸せさえ味わわないまま、未来を壊されてしまったから。敗戦そのものより内地の変貌振りに衝撃を受けているのがリアルでした。  しかし、仏印での二人のロマンスに、直接終止符を打ったのは確かに敗戦ですが、果たして敗戦がなければこのロマンスは続いただろうかと考えてみました。結論を言うと、やはり幸せな形で推移することはなかったのではないかと。決して果実のならない樹木を植樹してしまったのではないかと。そこに、一組の男女の間に露顕した、日本民族固有の宿命的な悲劇性、まつろわぬ民族以来の内包された敗者性を見てとるのは、うがちすぎでしょうか。だとすれば土蜘蛛でぴったりなのですが。8
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[284]妻よ薔薇のやうに
 心ごころ篭瀬山2005-08-21
 【ネタバレ注意】
 昭和戦前期というと灰色一色というイメージが強いです。だがこういう映画を見ると、和洋両文化を折衷させた、それなりにモダンでカラフルな時代だったんだろうと思われます(・・・
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 昭和戦前期というと灰色一色というイメージが強いです。だがこういう映画を見ると、和洋両文化を折衷させた、それなりにモダンでカラフルな時代だったんだろうと思われます(フィルムはもちろん白黒ですが)。ヒッチ・ハイクの『或る夜の出来事』もそうですが、冒頭部のオフィス内シーン、千葉早智子が小間使いの少年に挨拶する仕草は、『モロッコ』じゃないかと思います(マレーネ・ディートリッヒとゲイリー・クーパーが交わす挨拶)。藤原釜足(若い頃は案外端正)が義太夫を唸るシーンも、滑稽さとして描かれていました。  現代的でさっぱりした性格の娘(千葉早智子)から見た、母親世代の二人の女。より正確に言えば、二人の古風な女における「現代的なるもの」の発露の仕方の違いが観察されています。  母は、文学表現に目覚めた理知的な女で、新聞に短歌を投稿したり、弟子をとったりします。社会の中での人間関係を含めたこういうネットワークの仕方は、とても現代的であると言えます。夫と久々に街へ出てても、意義のある事をしましょうと言う女です。しかしながら、こうして確立された自我は、文学表現の場以外では彼女の中に内包されてしまって、対人関係において直接発露されることはありません。それは、昔ながらの人間関係において女の自己主張の出口は極めて限られていたからですが、彼女は言わば、それらとはまったく別の階層に自我を形成したのだと言えます。彼女にとっては、例えば夫に泣きすがり「行かないで」と懇願することより、そういう感情を文学表現として昇華することの方がリアリティがあったのだ、とも言えます。  お妾の方は、文学とは無縁な女です。(娘の事前の想像とは異なり)対人関係も滅私的で、極めて古風であるとさえ言えます。自分の存在を世間の在り方から外れているものと認識し、そのことを申し訳ないと思っています。しかしながら、夫と二人の子との質素な生活をささやかな幸福であると認識しており、このささやかな幸福を手離したくないという想いには相当強いものがあります。ここが彼女の現代的なところです。これは必ずしも明示的には示されませんでしたが、この極私的な想いは世間からも許容されると彼女は確信していたはずです。(その後、娘が妾の方に軍配を上げ、世間がそのように考えていたと証明されました)  この二人を比べ、娘が泣きながらも「お母さんの負け」とジャッジするところが面白いと思いました。現在の日本でも、「勝ち組・負け組」などという言葉を用い、まったく同じようなことが判別されているからです。平成の現代にも通ずるテーマを扱った映画だと思います。  「人は心ごころですもの。帰るという者を引き止めることはできないじゃありませんか」心々(こころごころ)という日本語はほとんど初めて聞きますが、綺麗な言葉ですね。さすが歌人だけに言葉のセンスが鋭い、と思いました。7
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[285]フライト・オブ・フェニックス
 映画的幸福篭瀬山2005-08-21
 
砂漠の真ん中に墜落した仲間と、脱出するために力を合わせる。直球ド真中の映画的シチュエーション。ココへ来て初めてリメイクと知りましたが、CGを含む撮影技術の向上で、よ・・・
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砂漠の真ん中に墜落した仲間と、脱出するために力を合わせる。直球ド真中の映画的シチュエーション。ココへ来て初めてリメイクと知りましたが、CGを含む撮影技術の向上で、より臨場感を増した作りになっている、ってところじゃないでしょうか。物語の進行のために人物描写を削ぎ落としている感がなきにしもあらずですが、その分テンポはいいので、要は選択の問題ですね。映画を見る幸せを存分に味わわせてくれる作品です。7
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[286]コントロール
 矯正篭瀬山2005-08-21
 
 心理的過程を映像で表現することに長けた作品って大好きですね。あまり広く支持されないみたいですけど。新橋文化さんのプログラムって、よく映画見てるし、またよく見つけて・・・
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 心理的過程を映像で表現することに長けた作品って大好きですね。あまり広く支持されないみたいですけど。新橋文化さんのプログラムって、よく映画見てるし、またよく見つけてくるなあって、ほんと感心します。ありがとうです。  映画についてですが、一口に言うならアンソニー・バージェスの『時計じかけのオレンジ』と同じモチーフですね。私に言わせれば、この作品はさしずめ「時計仕掛けの時計(a clockwork clock)」ってところ。時計が時計仕掛けで動くことに、なんの不思議もないけれど。8
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[287]空の大怪獣 ラドン
 情熱の迷路篭瀬山2005-08-20
 
ラドンに破壊される博多市街。ミニチュア・セットの材質感はさすがにリアルで、特に崩落するときの分節する様がかっこいい。異常生物の出現に向け一直線に進む話筋は、定石どお・・・
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ラドンに破壊される博多市街。ミニチュア・セットの材質感はさすがにリアルで、特に崩落するときの分節する様がかっこいい。異常生物の出現に向け一直線に進む話筋は、定石どおりなのか意表を衝くのか、もはやその文脈がわからない、という感じ。お笑いとして見ることはもちろん可能だが、なんかそれも悪いような・・・。徐々にエスカレートする”攻撃”が異常に執拗で、少し不気味だった。4
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[288]マラソン
 母は悪くない篭瀬山2005-08-01
 
 お母さんはちっとも悪くない。悪いのは、はたで見ているだけで手を貸さない父親であり、障害者の問題を親だけの責任として放置している社会である。また、女だけが耐えるもの・・・
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 お母さんはちっとも悪くない。悪いのは、はたで見ているだけで手を貸さない父親であり、障害者の問題を親だけの責任として放置している社会である。また、女だけが耐えるものであり、我慢しつづけるものであると考え、そういう考えを人に押し付け、自らも受け入れる社会のあり方である。子供の育て方を間違ったと、お母さんは自分を責めるが、あなたはまったく間違ってなんかいない。大体、間違った育て方なんてあるもんか。だってあなたは精一杯育てたんだから。子供を見てみればいい。自分の力と、自分の力を信じてくれる母を信じ、どんなことがあってもへこたれず、弱音を吐かず、自分の力でやり遂げようとする子供の姿は、まさにあなたが育てた息子じゃないか。  ということを、最終的には言ってるように思えたので、合格点。+オマケ1点の7点。
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[289]戦国自衛隊
 円環篭瀬山2005-08-01
 【ネタバレ注意】
 重要なことを言っている。自衛隊員も戦国武将もまず名乗り合う。これは、互いに共通の文化的土壌を有すことを示している。そして、昭和という去勢された世(平成はそれ以上か・・・
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 重要なことを言っている。自衛隊員も戦国武将もまず名乗り合う。これは、互いに共通の文化的土壌を有すことを示している。そして、昭和という去勢された世(平成はそれ以上か)に闘争本能を抑え込まれた自衛官が、乱世の放埓な空気に魂を呼び覚まされる様が描かれる。つまり、時代が戦国だろうが昭和だろうが関係ない、「裸になれば同じ人間」ということだ。  敵将の首を掻き取り、高々と掲げる長尾影虎(夏木勲)の振る舞いは、確かに野蛮、だろう。だが野蛮は伝染しやすいのか(どうか知らんが少なくとも、伝染する、ものであることは間違いない)、後に伊庭三尉(千葉真一)――すっかり戦国武将気取りで天下を目指す――が模倣している。重要なのは、この野蛮さと、この野蛮さを封じ込めようという感覚が、人間の中に同居しているということだ。人間は、純粋な倫理観からだけでなく、駆け引きや取引というものによっても、野蛮を退けてきた。(何という名の寺か忘れたが)ふすまの後から公家である九条義隆(仲谷昇)が顔を出す一連のシーンは、こういうことを象徴している。ラストで妙蓮寺を焼き尽くす紅蓮の炎は、われわれの内なる闘争本能、制御の効かない荒ぶる魂なのだ。  したがって、主人公たちは現代に戻れなかったけれど、あの炎は見事に話を現代に繋げ、物語の円環を閉じているのである。  ・・・という点はよく出来ているのだけど、戦闘シーンなんかで画の処理が物凄く下手クソなときがある。それと間に差し挟まれる音楽(ここで物語が停滞するのも勘弁)のセンスがことごとくサイテー。6
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[290]亡国のイージス
 頑張れ邦画篭瀬山2005-07-31
 
個人的な興味からいうと、もっとイージス艦の艦としての魅力をフルに発揮した海洋活劇が見たいわけ。そんなことは今の邦画に期待すべくもないから文句を言うつもりもないし、む・・・
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個人的な興味からいうと、もっとイージス艦の艦としての魅力をフルに発揮した海洋活劇が見たいわけ。そんなことは今の邦画に期待すべくもないから文句を言うつもりもないし、むしろ低い期待値からすれば頑張っていたとさえ言えると思う。でも、作る側もそれを分かっていてね、どちらかというと国家とは何か、戦争とは何か、平和とは何か、みたいな主張の方に力点が置かれてる。エラソーなことを言うつもりもないんだけど、そういう主張を映画として描く事の方が難しいんだってことを分かってほしい。戦前にだってそんなことを描こうとした映画はなかったはずだから、試み自体は批難したくないけれど。今の日本が平和に厭いている、というのはそのとおりかもしれない。だがその平和にもっと自身を持て、みたいに言われると、そんなに自信を喪失してるわけでもないだろ、とか思う。5
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[291]チャップリンのニューヨークの王様
 because of too much power篭瀬山2005-07-30
 【ネタバレ注意】
 党員の嫌疑をかけられても、王(チャップリン)には「馬鹿馬鹿しいにも程がある」とお茶を飲む優雅さがある。だがアメリカ生活の長い大使ジョミエは、嫌疑の恐ろしさを知って・・・
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 党員の嫌疑をかけられても、王(チャップリン)には「馬鹿馬鹿しいにも程がある」とお茶を飲む優雅さがある。だがアメリカ生活の長い大使ジョミエは、嫌疑の恐ろしさを知っているから怯えだす。ポットからお茶を注ごうとしても、腕が震えちゃってカップに入らない。見かねた王が替わってやるのだが、実は王も震えていてお茶を撒き散らしてしまう。「さ、砂糖はいくつかね」「ふ、ふ、二つです」なんてやってるとドアがノックされて、二人は飛び上がらんばかりに驚く。ジョミエなんかは「カ、カ、カ、カ・・・」と、何が言いたいのかまったく不明。シーケンスの冒頭でボーイにお湯を頼んでおり、それが届いたという設定なのだ。ボーイはホテルマンだから、室内の状況に頓着せず、ポットをテーブルに置くとスタスタと部屋を出ていく。その段になってようやくジョミエが「・・・カ、カ、カム・イン(お入り)!」と言うという。しばらく笑いが止まらなかった。  チャップリン本人は、作品に政治的な目的はなく、観客を笑わせたかっただけと言っている。実際にそのとおりだと思うが、葬式の場で冗談を言う者はいないように、笑いに対して勇敢であったことは確かだ(チャップリンは昔からそうだったわけだが)。チャップリンが想定していたほど、アメリカ文化の度量は広くなかった(この作品の全米公開は15年後)。だが、チャップリンが理想化するアメリカ像それ自体は、アメリカも好意的に受け入れざるを得ないだろうと思うのだが。7
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[292]拳銃魔
 お得篭瀬山2005-07-29
 
邦題からは拳銃の災禍、暗黒街の銃撃戦みたいな話を勝手に想像していた。そしたら原題はGun Crazy、すなわち拳銃狂の話ですな。『俺たちに明日はない』がボニー&クラ・・・
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邦題からは拳銃の災禍、暗黒街の銃撃戦みたいな話を勝手に想像していた。そしたら原題はGun Crazy、すなわち拳銃狂の話ですな。『俺たちに明日はない』がボニー&クライドの実録物だとすれば、こちらは脚色を加えた創作物。登場人物の心理過程に重きがおかれ、カメラの動きも被写体との親密感をベースにした距離間を保つ。主演俳優の顔がハンサムと言うには少し長すぎ、また常時それを気にかけているように見えてしまうのだが、それがなんとなく主人公の存在感に生きている。ヒロインも登場シーンは蛙みたいに見え冴えなかったが、徐々に悪女の魅力を増していく。下品に負けない美をもつ女というのがたまにいるのだ。フィルム・ノワールだかなんだかはよく分からないが、意外な掘り出し物である。6
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[293]続・男はつらいよ
 型枠篭瀬山2005-07-28
 
 「久方振りの再会」という型にはまった芝居を演じようとする渥美寅。前作ほどではないにしても、ついそれに付き合わされてしまう寅屋の面々。お互い分かってんだからもういい・・・
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 「久方振りの再会」という型にはまった芝居を演じようとする渥美寅。前作ほどではないにしても、ついそれに付き合わされてしまう寅屋の面々。お互い分かってんだからもういいじゃない、となってもまだ芝居に固執する渥美寅。私の個人的な体験と照合するに、仕事上の文書は「謹啓 時下ますますご清栄のこととお喜び・・・」から始めないと始められないのに似てる・・・  んなこたどうでもよく。この型通り芝居が許されるのは渥美寅だけだと思うのだ。伝染するのか、あの東野英治郎まで型芝居を見せるのだから恐れ入る。ミヤコ喋喋とのやりとりは特にしらけた。もっとも、そんな中でも独自を貫く笠智衆(御前様)という存在もいるわけだが。  でもって、寅自らに”男たるもの”みたいな理想像を追いかけさせるのは、映画の主旨からいって違ってんじゃないかしら。爆笑シーンがいくつかあったので笑劇としての合格点だけはやれる。6
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[294]家族
 親和と疎外篭瀬山2005-07-28
 【ネタバレ注意】
 回想シーンの多用が目立つ。技法としてのフラッシュバックというだけでなく、映画全体が観る者に様々な記憶や感情を喚起する装置と化しているかのよう。ロードムービーという・・・
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 回想シーンの多用が目立つ。技法としてのフラッシュバックというだけでなく、映画全体が観る者に様々な記憶や感情を喚起する装置と化しているかのよう。ロードムービーというスタイルも、移動時間の多さが必然的に回想シーンの挿入に適すことだけでなく、時代の景観や人々を映し込むことが、観る者の連想を呼び起こすのに適切だ。より直感的に言うなら、観ていて「ああ、人間てのは回想する動物なんだなあ」と思わされた。  そんな中で、幼子の突然死というエピソードだけが、想像力のフル稼働を必要とした。大切なものを失ったときの、心に穴の開いたような虚脱感、そして自責の念。そういう、観客の情動部分に訴える演出に違和感を覚えた。と同時に、子のない者、したがって失ったこともない者には理解できるはずない、と言われているかのような疎外感をも感じた。  こんなあたりが、1970(昭和45)年という、オイル・ショック直前、高度成長の最終局面であるにもかかわらず、井川比佐志の冒険心が、70年代後半以降の”自分探しの旅”と重なって見えてしまう一因か。7
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[295]アイランド
 孤島平和篭瀬山2005-07-26
 
宇宙戦争よりこっちの方が燃えた。手に汗握る緊迫感(それもこっちの方が上と思うが)はともかく、アクションにうっとりする美しさがある。詳しくは控えるが、普通はただ放物線・・・
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宇宙戦争よりこっちの方が燃えた。手に汗握る緊迫感(それもこっちの方が上と思うが)はともかく、アクションにうっとりする美しさがある。詳しくは控えるが、普通はただ放物線を描くに過ぎないものが、まるでダンスを踊っているように見えた、とだけ言っておこう。物語の流れにもまったく淀みがない。7
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[296]稲妻
 女の時代篭瀬山2005-07-22
 
家族というと、(私なんかは今でも)父親が中心にいてという構図を考えがちだ。だがこの作品に登場する家族は、男性性というものをほとんど感じさせない、いわば女系家族とでも・・・
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家族というと、(私なんかは今でも)父親が中心にいてという構図を考えがちだ。だがこの作品に登場する家族は、男性性というものをほとんど感じさせない、いわば女系家族とでも言うべき家族。会社の同僚や取引先という関係ではなく、親子(親娘)や兄弟(姉妹)という関係を通じて社会とつながる人々の群像劇。”いわゆる”型の自立した女性像に近いものも出てくるけれど、基本は家との関わりで自我を形成した昔ながらの女性像。新しい時代とは、そんな昔ながらの女性性の中にも自立して生きていく道がある、そんな風に描かれていると感じた。7
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[297]下町の太陽
 過密篭瀬山2005-07-20
 
どちらかというと微温的人間関係を軸にドラマを展開する印象のあった山田洋次。弱冠31歳の監督2作目、長編は初めてとなる今作。人間をここまで突き放して冷酷に描けるものか・・・
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どちらかというと微温的人間関係を軸にドラマを展開する印象のあった山田洋次。弱冠31歳の監督2作目、長編は初めてとなる今作。人間をここまで突き放して冷酷に描けるものかと仰天した。この冷酷さがあった上での微温的人間描写かと思うと、山田洋次という映画監督への見方を180度転換させることになるかも。いや、直感で、ではなく、きちんと言葉で考え、自分の気持ちを確認し、答えを見出していく町子(倍賞)の姿を、カメラの緊密な視線で見ているだけで、映画の醍醐味を味わえる。8
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[298]エレニの旅
 ファシズム篭瀬山2005-07-18
 
見る者を否応なく退屈さへ追い込む演出の”退屈力”は見事。だがこれじゃやってる方も退屈だったのではないか。自分の演技(行為)の善悪は分からずとも、作品(全体)に奉仕して・・・
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見る者を否応なく退屈さへ追い込む演出の”退屈力”は見事。だがこれじゃやってる方も退屈だったのではないか。自分の演技(行為)の善悪は分からずとも、作品(全体)に奉仕していればそれでいいとするのは、ファシズムと同じだ。まあ、ラストシーンだけは女優の自由にやらせたようだが、それで出てくるのがこの程度とすれば、自由ってのもそれほどのもんじゃないかも。2
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[299]男はつらいよ
 見本市篭瀬山2005-07-17
 
 本読んでて話が分からなくなったら前のページに戻るように、世の中がだんだん複雑になって社会から規範みたいなものが失われると、どう振る舞っていいか分からなくなった人々・・・
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 本読んでて話が分からなくなったら前のページに戻るように、世の中がだんだん複雑になって社会から規範みたいなものが失われると、どう振る舞っていいか分からなくなった人々は、昔を振り返るんですね。今から36年前の作品ですが、この時点でもそういうことが行われているのだと感じました。つまり振る舞い(特に言い回し)の見本市。昔はこんな感じで充分うまくやってたじゃねえかという。だから皆さん芸達者ですが、やはり渥美清は抜きん出てますねえ。実際は簡単には真似できねえですね、この間は。  ただ、寅のキャラクターは破天荒すぎて、人間関係ばかりか映画そのものをも破壊しかねない。それらが絶妙なバランスで調和されているなあ、とも感じました。つまり、これが48作も続いたということは、どこかで何かが失われたんだろなあと。7  (それにしても、この1作目から劇場で見られたことは幸福な映画体験だ。松田さん、倉敷東映さん、ありがとさんです)
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[300]サマリア
 非人間篭瀬山2005-07-14
 
人物設定がエキセントリックに過ぎるんだけど、それを受け入れたとしても、そこから導かれる行動原理にまったく納得がいかないってことだよね。例えば、売春になんら罪悪感を感・・・
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人物設定がエキセントリックに過ぎるんだけど、それを受け入れたとしても、そこから導かれる行動原理にまったく納得がいかないってことだよね。例えば、売春になんら罪悪感を感じない少女、ってのはいてもいいけど、だったらなぜ自殺すんのかね。いや自殺ではなく、原因と結果の因果関係が理解できないほど幼かったとするのかもしらんが、一方で警察の追及は交わす方が得策だくらいの世間知はあんのに、ご都合がよろしすぎやしないか。演出家の「語りたいこと」のために定石を捻じ曲げてるように見えるわけだ。で、一番の問題は、そんなことまでして肝心の「描きたいこと」が何なのか、ちっとも伝わってこないってことだと思う。4
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