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 「きらきら」さんのコメント一覧 登録数(289件)rss
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[001]セッション
 なんで「音楽」なの?きらきら2017-09-16
 【ネタバレ注意】
当初スタローンが「ロッキー」の脚本を書いたとき、 そのエンディングは「トレーナーのミッキーが人種差別的なことを発言。ロッキーは失望し、試合をすることなくリングを去っ・・・
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当初スタローンが「ロッキー」の脚本を書いたとき、 そのエンディングは「トレーナーのミッキーが人種差別的なことを発言。ロッキーは失望し、試合をすることなくリングを去っていく」というものであったそうです。 しかしその脚本を読んだ、(当時の)スタローンの奥さんが「わたしはこんなロッキーは嫌いよ」と言ったことで、 現在のエンディングになったとか……。 ひねったはずのアイディアが、結局は作品を小手先のアイディアだけの平平凡凡の作品にしてしまうことはよくあることです(スタローンは「ロッキー」をアメリカン・ニューシネマ風にしようと当初のアイディアを考えたそうです)。 この「セッション」はそんな一篇です。 教師と生徒の根性もの、と思いきや、最後に復讐劇めいたものへと変わるこの作品を、 「新しい」と思う感性は、わたしにはありません(役者たちはがんばっていたと思いますが……)。 主人公が最後に手にいれたものを「勝利」と思っているのなら、こんな滑稽なことはありません。 これはただ強引に言い負かしただけの行為です。 この作品は、あちこちどこかの映画からはりつけ、ひねってみせて称賛を得ようというふうにしか見えないのです。 とりあえず、そんなに退屈することもなく見続ることができるのは、 デミアン・チャゼルが演出をメリハリと展開に終始しているから。 なぜビッグ・バンド・ジャズなのか(スモール・コンボではなく)? なぜロックを「低級」なものとして扱ったのか? そしてそもそもなぜ「音楽」(ジャズ)なのか? この作品を見ていると、こうした疑問がふつふつと湧いてくるのは、 デミアン・チャゼルが表面的なつじつま合わせばかりしているからです。 そしてそれは隙があるということです。 この作品を見ると、 表面的には値段を安く見せかけて、 じつはオプション料金などでがっつり絞りとるチャリンチャリン・ビジネスなどを連想してしまいますねwww 発想は同じ根だと思います。 映画を豊かにすることとは関係ありません。
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[002]東風
 バンド・スタイルきらきら2017-07-14
 
冒頭10分間でわずか4カット。 長回しを狙ったというよりは 映像のカットポイントを無視してみたら、 どこで切っていいかわからなくなってしまった、という感じです(笑) ゴダ・・・
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冒頭10分間でわずか4カット。 長回しを狙ったというよりは 映像のカットポイントを無視してみたら、 どこで切っていいかわからなくなってしまった、という感じです(笑) ゴダール以外に複数のディレクターがクレジットされています。 バンドが音楽を作るような形式で、 映画を作ってみたかったのかもしれませんね。 それがゴダール自身満足のいくやり方だったのかはさておき、 70年代後半からゴダールは連帯を諦めたかのように 孤独(孤立)を受け入れ、黙々と映画を作り続けます。 その佇まいは、どこかボブ・ディランとも似ているように思えます。
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[003]そして父になる
 〜になる。きらきら2017-06-20
 【ネタバレ注意】
「〜になる」が大流行の現代です。 「アイドル」だったり「経営者」だったり「プロ」だったり、 役割がまずあって、いかにそれに自分を当て込むか――。 何かになれば、それです・・・
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「〜になる」が大流行の現代です。 「アイドル」だったり「経営者」だったり「プロ」だったり、 役割がまずあって、いかにそれに自分を当て込むか――。 何かになれば、それですべてがうまく行くとばかりに、 現代では自分を何者かに仕立て上げようと躍起になっています。 そういう意味では「父」や「母」も「〜になる」のひとつになってしまったのかもしれません。 それは社会的に承認を得るために、社会がイメージする「父」や「母」になろうとしているようにも思えます。 もちろん本作品「そして父になる」は「〜になる」のハウツーものではありません。 まじめに撮った作品です。 が、思ったよりも薄味です。 「子」が居てはじめて「父」になるということ、 「母(妻)」が居てはじめて「父(夫)」になるということ、 それがちょっと図式的な表現になっているのが妨げになっているのか? さらには子供の取り違え事件という医療ミスをはめこんだせいか、 家族という小さな共同体を浮き彫りにしたようで、社会派のようなニュアンスも含んでしまい、 どこかぼやけています。 前菜が延々と続くコース料理(そんなものがあるのかわかりませんが)を食べたような感じでしょうか? 「父とは何か?」という疑問を抱くよりは、 「何が父なのか?」という疑問に変わり、 主人公(福山雅治)が行動をとりはじめるのは好感が持てますが、 どこかCMから抜き取ったような表現で、残念な仕上がりになっています。 また福山雅治そのものには悪い印象はもっていませんが、 どうしても父親には見えないのです。 仮に父でなかった男が父になるという話でも……。 確かに「父」や「母」は「〜になる」存在(役割)かもしれませんが、 子供だけはちがいます。 子供は子供として生まれてくる絶対的な存在です。 変わっていったのはわれわれ大人たちです。 その中で子供も変わっていきます。 さて親は何をすればいいのでしょうか。 ふとそんなことを思った作品です。
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[004]イヴの総て
 「良い作品は要約できない」きらきら2017-06-04
 【ネタバレ注意】
若い女優志願の女(イヴ:アン・バクスター)があの手この手でベテラン(マーゴ:ベティ・デイヴィス)を蹴落とし、「老兵は去るのみ」的な作品かと思って見始めました。 マー・・・
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若い女優志願の女(イヴ:アン・バクスター)があの手この手でベテラン(マーゴ:ベティ・デイヴィス)を蹴落とし、「老兵は去るのみ」的な作品かと思って見始めました。 マーゴ、イヴだけでなく、カレンも含めて三者三様の女の姿がそれぞれ前に出たり後ろに引っ込んだりの演出がされていて、作品の魅力をもたらしています。 前半から中盤にかけてはマーゴ中心に物語られます。 ベティ・ディヴィスがこのマーゴをかわらしく演じていて(若い頃に見たらそう思えなかったかもしれませんが)、 これを没落させて「リアリズム」だとでもいいたげな映画だったらいやだなあ、と思ってたら、 ちゃんとひっくり返るところはひっくり返りました。 イヴの狡知にひっかかったマーゴは結婚、いままでの生活を改めることを決意します。 そして作品はイヴ中心の物語へと変わっていきます。 イヴはたしかに狡知と虚言とで成功をつかみはするものの、演劇評論家のドゥイットに嘘がばれ、首根っこをつかまれてしまいます。 また最終的に蹴落とされてしまうベテランはマーゴでなく、イヴであることを示唆して作品は終わります。 (鏡に映された見知らぬ女にイヴが気付くシーンは、観客との気付きのタイムラグの演出があっておもしろいです) 最後のエピソードは永劫回帰的なニュアンスもあって、これ自体は珍しいことではないのですが、本来背負わせる役割をマーゴからイヴに変えたことで後味もよかったかもしれません。その後味のよさが勧善懲悪的なものであるとしても……。 全体的に使い古された手法を組み合わせた作品かもしれませんが、 マーゴ⇒イヴの役割転換がアクロバティック、 かつ永劫回帰と役割転換の演出のブレンド加減が他の作品にはない効果をもたらしたと思います。 良い作品です。 もっと早く見ればよかったなあ、と素直に思いました。 と同時に、どこかひとにこの作品のよさを説明するのがむずかしくもある作品です。 そういえばヘンリー・ミラーがこんなことを書いていたことを思い出しました。 「良い作品とは要約できないものなんだ」と――。
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[005]ペーパー・ムーン
 愛の天才きらきら2017-01-19
 【ネタバレ注意】
仲直りをする、というのはなかなかむずかしいものです。 特に一度拳を振り上げてしまったほうは、 その拳を静かに下ろすことができなくなってしまうことがあります。 本篇『ペ・・・
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仲直りをする、というのはなかなかむずかしいものです。 特に一度拳を振り上げてしまったほうは、 その拳を静かに下ろすことができなくなってしまうことがあります。 本篇『ペーパー・ムーン』のラストシーンで、 追いかけてきたアディに対して、なかなか本音を吐いて、仲直りできないでいるモーゼも、そのひとりです。 そんなモーゼにむかってアディは言います。 「あたしの200ドル返して」 もちろん、そんなことは子供の考えた幼稚な口実にすぎません。 それでもモーゼが振りあげた拳をさげる理由になることを、われわれは知っています。 ブレーキのこわれた車が坂道を下っていくのを追いかけて二人が走りだすとき、 われわれは二人が仲直りをしたことを、 そして子供が愛情の天才であったことも思い出します。 ロードムービー形式はキャプラの『或る夜の出来事』から、 そして親子関係のない二人が、親子としての絆を築いていく人間関係はチャップリンの『キッド』を参考にしたんでしょうか。 (『キッド』の子役もオーバーオールに帽子姿(ハンチング?)だったような記憶があります) 映画監督であると同時に、映画ファンでもあるボクダノヴィッチの性質が全編に満ちあふれた作品です。 「白黒映画は眠くてだめだ」と言う人に、あえて薦めたい一本でしょうか――。
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[006]ダーク・スター
 裏エイリアンきらきら2016-10-11
 【ネタバレ注意】
カーペンターだしな〜 「要塞警察」とか「ニューヨーク1997」とか「遊星からの物体X」みたいだったら嬉しいな〜 なんて思いながら見はじめました。 が、……ゆるい。 しばらく・・・
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カーペンターだしな〜 「要塞警察」とか「ニューヨーク1997」とか「遊星からの物体X」みたいだったら嬉しいな〜 なんて思いながら見はじめました。 が、……ゆるい。 しばらく見ていて、ギャグなのかまじめなのかよくわかりませんで…… ビーチ・ボールにアヒルの足を無理やりくっつけたエイリアンと 船員のやりとりのくだりから、ああ、これは冗談映画なのだ、と思いあたった次第です(笑)。 ・ただ狭いだけのコクピット(あれは順番にすわらないと全員すわれないですね) ・冷凍保存されたままの船長 ・現象論で、自らの爆発をうっかり説得されてしまうAIつきの爆弾装置 ・壊れた宇宙船の破片でサーフィンして脱出を試みる船員  (「エスケープ・フロム・LA」でピーター・フォンダもサーフィンやってましたね) と、こういったエピソードがゆる〜く流れていきます。 正直、爆笑もしません。 が、考えてみればこの映画が撮られた70年代中盤はレイドバック全盛期。 ゆるいのは時代の味です。 ちなみにお勧めはしません! が、見ておいても損はありません。 ※脚本家のダン・オバノンが後に「エイリアン」を書いているそうですね。  確かに一個一個のアイディアは「エイリアン」に反映されていますが、  よくもこれだけ化けたものだと言えるもので、  それがリドリー・スコットの才なのか、ダン・オバノンの才なのかはよくわかりません(笑)。
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[007]野獣死すべし
 松田優作ならこれだねきらきら2016-10-03
 
完成品を見て、プロデューサーの角川春樹が大激怒したのだとか(笑) 本を売るための映画製作、という企業戦略に背を向け、 松田=村川=丸山が共闘路線を張ったのでしょう。 ・・・
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完成品を見て、プロデューサーの角川春樹が大激怒したのだとか(笑) 本を売るための映画製作、という企業戦略に背を向け、 松田=村川=丸山が共闘路線を張ったのでしょう。 好き放題やっている、ぼわっと燃えあがる炎のような映画です。 松田優作が死にとり憑かれた男を演じていて、 この死の対象が他人なのか自分なのかもごっちゃになっていて、 そこがピカレスクロマン(悪漢小説)とも一線を引く作品になっています。 松田優作の演技は、どこまでが役で、どこまでが本人なのかわかりません。 たぶん本人もわからなくなってしまった??? ナルシズムと演技(創作)との閾を軽々と越えてしまった一本です。 二十代の頃に見て震えた作品です。 久しぶりにまた見ました。
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[008]賭博師ボブ
 ヌーヴェルヴァーグ前夜きらきら2016-10-03
 
ジャン=ピエール・メルヴィルなので、 「サムライ」や「影の軍隊」などのような、ストイックな映画をイメージして本作を見てみたら、ちがってました。 これはヌーヴェルバーグ・・・
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ジャン=ピエール・メルヴィルなので、 「サムライ」や「影の軍隊」などのような、ストイックな映画をイメージして本作を見てみたら、ちがってました。 これはヌーヴェルバーグです。 ロケの多用、ジャンプカットなど、後々のヌーヴェルヴァーグの専売特許になっている要素が、 この55年の作品にはすでに見ることができます。 特にゴダールはかなりこの作品から多くをもらっているようで、 「勝手にしやがれ」(60)は、この「賭博師ボブ」の若者ポロ(ダニエル・コーシー)とアンヌ(イザベル・コーレイ)を取り出して、 ミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)とパトリシア(ジーン・セバーグ)の作品にしたといってもいいのでは? (本作のラスト・シーンで撃たれたポロを見下ろすボブの構図は、 「勝手に〜」で撃たれたミシェルを見下ろすパトリシアとそっくりです) いわば「賭博師ボブ」のリミックスとして「勝手にしやがれ」が生まれたと言っても過言ではないように思えてきます。 もともとジャン=ピエール・メルヴィルは「ヌーヴェルヴァーグの精神的父親」といわれながらも、 なんとなくその立ち位置がつかめないでいたのが、この作品でつながったような感じでしょうか。 (ちなみにこの「賭博師ボブ」のカメラマン、アンリ・ドゥカは後々トリュフォーの長編処女作「大人は判ってくれない」のカメラマンを務めます) がちがちの撮影所システムではなく、新しい映画を! そう考えながら世の中に出ていったヌーヴェルヴァーグですが、 この作品もどこかその匂いを発しているような作品です。 ストーリー中心に描いていくのでなく、自分が興味をもっているものに ふらふらと寄り道しながら作品がすすんでいくところは まさにヌーヴェルヴァーグの体質ですね。
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[009]マッドマックス 怒りのデス・ロード
 あれもこれも……きらきら2016-09-30
 
すんごいたくさんのお金をかけて作ったのはわかる作品です。 が、その割に作品そのものは何を感じさせたいのか、よくわからなくなっています。 冒頭30分のカーチェイスでも、・・・
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すんごいたくさんのお金をかけて作ったのはわかる作品です。 が、その割に作品そのものは何を感じさせたいのか、よくわからなくなっています。 冒頭30分のカーチェイスでも、ちょこちょこカットを切ってテンポをよくしているつもりなのでしょうが、 緩急のつけ方がへたで、一本調子になっています。 第一主人公のマックスが冒頭30分間ほとんど何もしていない(笑) カーチェイス中でも車体にくくりつけられているだけで、 しかもそのカーチェイスがCGと合成のオンパレードなので、ちっともハラハラしません。 車がカーチェイスのわりにはまっすぐ走ってるだけなのも興ざめです。 (『激突』や『ザ・ドライバー』の車って、もっとエロティックに走ってましたよね) しかもハンドルを作品中、象徴的に扱ってたはず。 ハンドルって曲がるためのものなのに、スルーですか?(笑) 車の映画にもなれず、男の映画にもなれず、女の映画にもなれず、暴力の映画にもなれず、 あれもこれもつめこみ、全部中途半端になってしまった感じでしょうか。 唯一際立っていたのが、ヒロインのシャーリーズ・セロン。 背が高く、肩幅の広い彼女の後ろ姿は砂漠に合ってましたね。 いっそのこと彼女がマックスの役をやるべきだったのでは? そんなことを思いました。
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[010]地獄でなぜ悪い
 予告篇きらきら2016-09-26
 
2時間の本篇を見終えた後、1分半の予告篇を見ました。 よくできた予告篇です。 いっそのこと、予告編だけで本篇を作らないでおいた方がよかったかもしれません。
  
 
[011]サクリファイス
 何を捧げられるのか?きらきら2016-09-18
 
結婚式はキリスト教で、葬式・法事は仏教で、新年の初もうでは神道方式で、 とまあ、おおよそ宗教心は皆無に等しいのですが、 あまりにも映画や本のなかで聖書に言及されている・・・
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結婚式はキリスト教で、葬式・法事は仏教で、新年の初もうでは神道方式で、 とまあ、おおよそ宗教心は皆無に等しいのですが、 あまりにも映画や本のなかで聖書に言及されていることが多いので、 ここ最近になって聖書は読みました。 (ただし「創世記」だけですが……) その中で印象に残っているのが、アブラハムのエピソード。 アブラハムは神のお告げによって、百歳にして(!)子供イサクを授かります。 それまで子供のいなかったアブラハムにとっては、一人息子で眼に入れても痛くない存在でしょう。 ところがそのイサクが大きくなると今度は神様は アブラハムにそのイサクをいけにえとして捧げるよう命じるのです。 イサクを山に連れていき、刃物でイサクを刺そうとするまさにそのとき、 神様からストップがかかります。 ――おまえの信仰心はわかった、お前の一族に栄華を約束しよう、と。 つまり神様はアブラハムの最も大切なものが自分に渡せるかどうかを試したことになります。 この聖書のエピソードが下敷きになったわけではないのでしょうが、 「サクリファイス」もまた、自らが大切にしているものを犠牲に平和を取り戻した男の話です。 その物語が孤島に建てられた家とその周辺で展開されます。 タルコフスキー作品で、これまでともすれば、これ見よがしと言ってもよかった火と水の表現が、 この作品では少し後ろに下がった感じで、特別なことをしなくても映画としてはむしろ凛としたたたずまいをしていて、 タルコフスキー作品の中では一番好きかもしれません。 公開当時、映画館に行ってうとうとしながら観て、それでも作品の持つ幽玄さにどこか魅了された覚えがあります。 大分記憶もあやふやになってしまったので、ひさしぶりに観ました。 ぼわっと静かに燃えるような感じが、昔とは違った感覚でしょうか。 そしてふとこれまで神様など信じなかった主人公のアレクサンデルが 神様に犠牲を捧げる代わりに、自分の願い事をかなえてくださいとお願いしたエピソードのことが残りました。 そしてわたし自身も一度だけ神様にお願いをしたことを思い出しました。 今になって思うと……願いはね、かないましたよ。 神様に払った代償が大きかったのかどうかはよくわかりませんが……(笑)
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[012]俺俺
 残骸きらきら2016-07-02
 
映画はデジタルとテレビに食い潰された残骸になっています。 この「俺俺」という作品はその一例です。 パソコンでペタペタとあちこちで撮った映像を貼りつけ、 それで作品だと・・・
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映画はデジタルとテレビに食い潰された残骸になっています。 この「俺俺」という作品はその一例です。 パソコンでペタペタとあちこちで撮った映像を貼りつけ、 それで作品だといっているようなもので、 かなりお粗末なものになっています。 映像にデジタルが導入されてから、 画面が全体的に、どの作品も均質化されてしまいましたね。 色もコンピュータの狭いレンジの中で表現されていて、 情けないくらい発色が悪いです。 メーカーの開発はひたすら〈現実〉に近くがモットー(奥行き、輪郭の強調)で、 あまりにもつまらないコンセプトです。 わざわざ画面上で〈現実〉を見せてくれなくても、映画的世界を構築できればいいはずで、 監視カメラ的な発想にしか思えません。 (どうぞ見たい所を大きくしてみてください――劣化はしません  どうぞコピーをしてください――劣化はしません、  といった雰囲気も漂っています) 1995年に自死を選んだ哲学者ドゥルーズは 「シネマ2」の中で、デジタルについて、こんなことを書いています。 ――そもそも劣化しない情報というのは、情報そのものが劣化だからだ。
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[013]長江哀歌(エレジー)
 ゆっくりと流れるように…きらきら2016-06-04
 【ネタバレ注意】
ジャ・ジャンクーは『プラットホーム』を見たとき、「お、ひさしぶりに活きのいいのが出てきたぞ」と思った覚えがあります。 この『長江エレジー』もその期待を裏切らない作品・・・
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ジャ・ジャンクーは『プラットホーム』を見たとき、「お、ひさしぶりに活きのいいのが出てきたぞ」と思った覚えがあります。 この『長江エレジー』もその期待を裏切らない作品でした。 「ダム工事によって変わっていくこの土地が、変わってしまう前に撮りたかった」とジャ・ジャンクーが言っているように、この映画の主人公はダム建設の行われはじめている奉節という場でもあります。 山々、そして廃墟のようなビル群にほんのりと霞がかかり、それが閉ざされた空間であると同時に、長江(湖のようにデカい!)の存在が開かれた存在にもしています(主人公の男女二人はこの長江を渡って奉節にやって来ます)。 物語はシンプルで、二人の男女が長年会っていなかったそれぞれの連れ合いを探すものです。 女はかつての夫を見つけ、離婚したいことを告げます。 また男の方はかつての妻を見つけ、妻の兄が借りた借金の返済を約束することで、妻とよりを戻すことにします。 変わっていく人間とは別に、奉節という街も国家プロジェクトのダムの建設のために、建物がどんどんと壊され、変化をしていきます。 (変化を物語るために、主人公の男が十元札に描かれた長江を眺めるシーンはきれいです。) 人間と街との変化が並行していきます。 最後に仲間と一緒に主人公の男は街を去っていきます。 それは人間を包みこんでいた街から、人が去っていき、街が建物がなくなるばかりか人もいなくなっていき、変化をしていくことでもあります。 そうした経緯がゆっくりと静かに流れるように描かれていきます。 (「ゆっくりと流れるように」を表現できるディレクターは稀です) 見てよかったなあ、と思えた作品です。
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[014]忘れられた人々
 真空地帯創出家きらきら2016-06-02
 【ネタバレ注意】
ブニュエルをめぐる評価は「シュールレアリスト」だの「冷徹なシネアスト」だの様々ですが、 ブニュエル自身の行動が、そのどれをも裏切るようなところがあって、 実際は的外れ・・・
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ブニュエルをめぐる評価は「シュールレアリスト」だの「冷徹なシネアスト」だの様々ですが、 ブニュエル自身の行動が、そのどれをも裏切るようなところがあって、 実際は的外れのような気もします。 ブニュエルの天邪鬼ぶりはどこか小津安二郎にも似ていますが、 小津と違って、ブニュエルはどこか「完璧」であることを忌避するところがあって、 それがとっ散らかった演出スタイルへにつながっているようです。 この「忘れられた人々」は子供たちが主人公です。 冒頭で各地の都市の映像が流れ、子供と貧困を憂うナレーションが入るため、 リアリズム云々と言われていますが、この作品はリアリズムでもなんでもありません。 このナレーションは作品をスタートさせるための大義名分でしかなく、 こうした大義名分口にするのは、それが世間一般の紋切り型のスタイルのひとつだからです。 (わざと紋切り型のスタイルを採ってみせるのは、ブニュエルがよく採る方法のひとつです。) それは子供たちへの演出スタイルにもあらわれていて、 「悲惨なストーリー=リアリズム」という世間一般のイメージに乗っかってみせながらも、 演出は「はい、ここで苦しそうな顔をしてみせて」「ここで怒ったふりをしてみせて」といった感じで、 紋切りスタイルのものを採っています。 凡百の映画作家たちが、作品にリアル感をつけようと汲々としている一方で、 「これは映画だし、作りものなんだ。まじめになることはない」とぼそっと呟くような感じが、 作品にぼんやり感を漂わせます。 この作品の登場人物たちの設定や行動も紋切り型で、その中にリアリズムを見るとしたら、 それはリアルである私たち自身もまた紋切り型の存在であることなのかもしれません。 最後に主人公の子供の死体の入ったズダ袋を、母親がそれと知らずにすれちがうところ、 そのズダ袋から、子供の死体が取り出され、ゴミ捨て場に放りだされるところ。 われわれが「人間」と呼んで何よりも大切にしているものが、ただの「物」として扱われると同時に、 ここで作品のフィクション性とリアリズムが交差します。 子供だろうが動物だろうが女だろうが、フィクションだろうがリアリズムだろうが ブニュエルにとっては、すべては平等です。 分け与える愛もまた平等で、誰に対してもその量は同じです。 ある意味、神の視線を持つシネアストと言ったら、ブニュエルは怒るでしょうか? ブニュエルはどこか0(ゼロ)を創出しようと欲するところがあって、 わたしは真空地帯創出家と勝手に呼んでいます。 それでいてペシミストになりそうでならないのが、この人の魅力です。
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[015]女ガンマン・皆殺しのメロディ
 いいですよきらきら2016-05-05
 
オープニングのアニメーションから名作の予感です。 ビンゴ! 出し惜しみしない演出が良く、ぐいぐいと引っ張り、 主人公の登場場面が遅いことを感じさせない作りになっていま・・・
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オープニングのアニメーションから名作の予感です。 ビンゴ! 出し惜しみしない演出が良く、ぐいぐいと引っ張り、 主人公の登場場面が遅いことを感じさせない作りになっています。 (主人公の登場の方法は演出家の力量でもあります) 主人公の行動は復讐を機にしたものですが、 それが成長譚になっているのもいい感じです。 レイプされ、家も焼かれた主人公が、最初ははただただすがるだけだったのが、 賞金稼ぎの教育によって。一人前の女ガンマンになっていきます。 どろどろの復讐劇にせずに、エロ+コメディタッチのアレンジもなかなかのものです。 (ぶかぶかのジーパンを身体に合わせるため、ジーパンをはいたまま風呂に入り、 ぴたぴたと自分の尻を叩いてみせ、「うん、もうちょっとね」と言わせるところは、 ついにやにやしてしまいます。あ、エロ親父の発言でしたね) 見てよかった一本です。 ※DVDのジャケットは半世紀前のピンナップカレンダーみたいで、いただけません。
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[016]凶悪
 悪の境界線きらきら2016-03-26
 
国語のテストで散々やらされる問題が「作者がこの作品で、何を言おうとしているのかを答えよ」です。 実際に作者に確かめたわけでもないのに、この問題が打ち立てられるのかど・・・
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国語のテストで散々やらされる問題が「作者がこの作品で、何を言おうとしているのかを答えよ」です。 実際に作者に確かめたわけでもないのに、この問題が打ち立てられるのかどうかは措いて、 作品が必ず何かを言おうとしているという前提で、そもそもこの問題は成立しています。 (何も言おうとしないことに格闘している作品もあります) そういう意味では、この『凶悪』は何かを言いたがっている作品です。 記者(山田孝之)の調査のために、無期懲役の刑に服することになった「先生」(リリー・フランキー)は「本当に私を殺したいのは――」そう言って、目の前の記者を指さします。 記者の生活はうまく行っていません。 まるでその代償行為として、犯人を追いつめる様は、ルサンチマン(怨恨)の塊です。 本当は悪の境界線などないのだ―― たぶんこの作品にそう言わせたかったのかもしれません。 その割には、どこか消化不良気味の作品になっています。 まじめな作品です。 そしてまじめであることを評価されたがっている作品です。 お行儀のよさも邪魔しています。
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[017]旅芸人の記録
 フィルムを棄ててはならないきらきら2016-03-21
 
演劇的な演出のされた作品は苦手です。 ここでいう「演劇的な演出のされた作品」というのは、 舞台設定という土台に、脚本と俳優という建物をのっけて出来上がり、という作品の・・・
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演劇的な演出のされた作品は苦手です。 ここでいう「演劇的な演出のされた作品」というのは、 舞台設定という土台に、脚本と俳優という建物をのっけて出来上がり、という作品のことです。 もちろんおもしろい作品もなくはないのですが、 セリフ中心の映画が多く、 また演劇をただコピーしただけのような感じで、映像が単なる添え物のように見えちゃうんですよね。 この『旅芸人の記録』もまた演劇的な演出のされた作品です。 そして例外的に好きな作品です。 と同時に、演出をしたアンゲロプロスも好きです。 ヨルゴス・アルヴァニテスのカメラが直線運動から回転運動へ、横から縦へと、実によく動きます。 それもゆっくりと。 その動きによって、どこからどこまでが舞台なのかわからなくなるくらいで、それがこの作品の魅力にもつながります。 また同じシーンでも、(登場人物たちが画面から消え、新たに街宣車が登場したりすることで)時代(時間)も移動するような演出が施され(この移行もゆっくりとです)、実にポリリックな作りになっている作品です。 つまりアンゲロプロスは実は演劇的な演出をする作家というよりは、 演劇を映画に自分の流儀で「導入」した作家なのです。 (ある意味、映画に演劇を再発見したとも言えるかもしれません。) 物語は第二次世界大戦と内戦に揺れるギリシャを舞台に、 時代の揺れ動きを、旅芸人たちを軸に描いたもの。 特筆すべきは、たくさんのエキストラたちに、きちんと作品を語らせていること。 (レジスタンスが一時的な勝利を得て、なだれ込むシーン) またたくさんの音楽が街角に流れ、登場人物たち(エキストラも含め)が歌うのも、 ただBGMとしての音楽というよりは、音楽にきちんとひとつの役を与えたという感じがおもしろいです。 (ホール内でのレジスタンスと軍部派との歌合戦は好きなシーンです) ともすれば、こうした演出は登場人物たちを希薄にして、作品の力を弱めてしまうときもありますが、 この作品はそののバランス感覚が絶妙で、ぴんと張った緊張感がゆっくりと続くのもこの作品の魅力です。 まだ若かった頃に見た映画(30年前くらい??ww)。 細部など忘れてしまったので、また見ました。 もちろん昔より今の方がこの映画を分かるようになった、とは言いません。 とは言え、「ああ、やっぱり映画は良いなあ」と思えた作品です。 それにしてもなんで映画界はフィルムを棄ててしまったのでしょうか? 自殺行為です。
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[018]イエスマン “YES”は人生のパスワード
 あらかじめ人生を生きることきらきら2016-03-21
 【ネタバレ注意】
我々は物事を先回りして考えることにあまりに馴れ親しみすぎています。 しかし先回りして物事を考えることで、「どうせ」という考え方を引き出し、 行動することなく、うずくま・・・
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我々は物事を先回りして考えることにあまりに馴れ親しみすぎています。 しかし先回りして物事を考えることで、「どうせ」という考え方を引き出し、 行動することなく、うずくまってしまうことが多いことも事実です。 トリュフォーの言葉を借りれば「あらかじめ人生を生きてしまっている」とでも言うんでしょうか……。 本作品のカール(ジム・キャリー)もその「あらかじめ人生を生きる」ことで、 現在の人生をぼんやりとしたものにしています。 友人からの誘いも、はっきりと断るでもなくうやむやにし、その場しのぎの嘘を繰り返します。 嘘がばれても冗談でごまかそうとします。 そんなカールが知人に誘われて行ったある宗教めいたセミナー、 そこでカールは教祖(?)から「これからすべてのことに対して爍截釘哭瓩氾えること」と約束させられてしまいます。 (この約束を結ばせるにあたって、ためらう主人公に対して周囲が浴びせかける爍裡蓮。唯腺劉瓩箸い声が、ちょっと吊るしあげっぽくて、あんまりいい気持ちにはなりません。) そしてこの約束を守っていく主人公カールが変化していく……。 とまあ、物語の大筋は変身譚で、それはそれでかまわないのですが、なんだかこの「変化」がちょっと妙です。 買物をたくさんする。 習い事をする。 飲み代をおごる。 ……なんだか「金を使う=アグレッシブ=YES」という図式で、 じつはこの映画、「たくさん消費しろ!そうすれば幸せになれるぞ!」という アメリカのプロパガンダ映画じゃないか、という疑問すら湧いてくる作品です(笑) と同時に、「あのジム・キャリーがさまざまなカルチャーに挑戦する!」的なバラエティー番組的な作品でもあります(ジム・キャリーのプロモーション・ビデオ?)。 われわれは爍截釘哭瓩噺世ぢ海韻襪海箸呂任ません。 問題が爍截釘哭瓩噺にできないくらい大きい場合もあるからです。 また「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」的な爍截釘哭瓩發△襪らです。 大切なのは爍截釘哭瓩任△讚爍裡廊瓩任△譟決断をすること、自分を引き受けることなのでは? 結局、主人公カールには解決不可能な問題は訪れることなく、 爍截釘哭瓩噺世┐襪海箸个りに爍截釘哭瓩鮓世Δ海箸如◆峭福」を手にします。 (これのどこがコメディー??) 一見哲学めいたテーマを扱いながらも、 「こうすれば人生は成功するんだ!」的な処世術めいた作品で、肩透かしを食う作品です。 見ると、元気になるどころか、自分の中に眠っていたシニカルな部分が引きだされるという、 ルサンチマン(憎悪)発生装置のような作品です(笑) とはいえ、そのルサンチマンも淡いのが、 この作品の脆弱なところではあるのですが……なんか「あらかじめ人生を生きてしまっている」人が作った素人っぽい作品です。
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[019]武士の一分(いちぶん)
 できすぎ?きらきら2016-03-20
 【ネタバレ注意】
ホタルやアゲハチョウなど、ところどころ虫の存在を強調するシーンがあります。 現代にくらべ、人間の生活と自然との垣根が低かったことを表現したかったのでしょうが、 画面に・・・
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ホタルやアゲハチョウなど、ところどころ虫の存在を強調するシーンがあります。 現代にくらべ、人間の生活と自然との垣根が低かったことを表現したかったのでしょうが、 画面にコンピュータ臭(CG)が漂い、途端に冷めます。 変に自然に見せようとして、逆に画面から浮いた感じに見えてきます。 (あえて不自然に葉っぱ(羽根?)のCGを使った『フォレストガンプ』!) 『座頭一』の勝新太郎にくらべたら酷ですが、盲人を演じた木村拓哉もなかなかの好演です。 腹を立てたときに、相手のセリフにかぶるような話し方、 目が見えなくなってからの茶碗の扱い方や、 決闘シーンで、相手に切られまいとぐいと近寄って間を詰めるところなどは、演出だけではできないのでは? 他の俳優陣も好演で、演技を見るなら申し分ない作品となっています。 (壇れいはちょっと現代風すぎて、ちょっと???な感じでしたが……。) ただし、展開が後半になっていくに従って急ぎ足になっていて、帳尻合わせのような構成になっているのが残念です。 最後に離縁したかみさんが戻ってくるのも、ちょっとできすぎな感じがしなくはありません。 それでも、映画だなあ、と思えるような作品に仕上がっています。
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[020]ニーチェの馬
 準備と片付けきらきら2016-03-08
 
考えてみれば、バブルのころを境に「おもしろい」という言葉は「興奮する」「笑える」「感動する」だけを指すようになり、それまで「おもしろい」が持っていた「奇妙だ」「興味・・・
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考えてみれば、バブルのころを境に「おもしろい」という言葉は「興奮する」「笑える」「感動する」だけを指すようになり、それまで「おもしろい」が持っていた「奇妙だ」「興味深い」などのニュアンスは切り捨てられてしまいました。 また現在の「きれい」はbeautifulからcleanへとすり替えられています。見る方がbeautifulをわからなくなったわけではなく、作る側がbeautifulをわからなくなってしまったからです。 現在、芸術映画と銘打たれているものは、「感動」を「芸術」という包装紙でラッピングしたアトラクション映画です。 そういう意味では、この「ニーチェの馬」は骨太な芸術作品です。 描かれるのは父娘の生活ですが、その人間関係に重きは置かれていません。 また事件にも重きを置きません。 描かれるのは、父娘の身支度と片付けが主です。 とはいえ、その身支度は功を奏することもなく、片付けられてしまいます。 そして黙って食事をし(ジャガイモ一個、父親はこれを利く方の左手一本で食べます)、外を眺める。 これがほぼ繰り返されます。 ある意味、準備と片付けだけの映画といってもよく、中心を欠いた作りは、(シニカルでない)ブニュエルのようです。 (『ブルジョワジーの秘かな楽しみ』や『皆殺しの天使』の登場人物たちも食事ができなかったり、家から出られないなどを繰り返します)。 昔の映画から着想を得たと思われる点は他にもあります。 窓の存在、視線を合わせない登場人物たちは、どこかドライヤーの『奇跡』にも似ています。 長廻しは(タルコフスキーやアンゲロプロス的というより)溝口健二的です。 寡黙な登場人物、作業する人の手への視線は、ほんのりブレッソン的です。 研究に研究を重ねて作った映画なのですが、どこか物足りないところもなくはありません。 どこか愚直なのです。 それでいて、この作品がどこか修験僧めいた、禁欲的な雰囲気を漂わせているのも、またその愚直さからくるのが不思議です。、 (なんとなくこの愚直さは小泉尭史に似ています) タル・ベーラという監督、この作品を最後にするとのこと。 懲りずにまた撮ってもらいたいものです。 撮らなくてもいい人が撮っているこのご時世だからです。
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[021]復讐するは我にあり
 火の玉ムーヴィーきらきら2016-02-22
 
「あんた、本当に殺したい人を殺したか?」 主人公・巌(緒方拳)が、愛人の母親(清川虹子)から突きつけられる言葉です。 巌の行動は、強盗殺人というかたちをとってはいるも・・・
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「あんた、本当に殺したい人を殺したか?」 主人公・巌(緒方拳)が、愛人の母親(清川虹子)から突きつけられる言葉です。 巌の行動は、強盗殺人というかたちをとってはいるものの、 どこか行き当たりばったりで、殺人そのものが目的であるような殺人を犯します。 世の中には死にきれずにいる人たちがたくさんいます。 「殺してくれ」と頼むこともできず、あちこちにぶつかって、 人を傷つけることで、生きている証のようなものを見出す人がいます。 大抵は、ぶつかり続けるうちに疲弊してしまうのが常ですが、 そうならないのが、この映画の主人公・巌です。 巌の行動は知力・体力ともにエネルギーに充ち溢れています。 それでいて、自らの首を絞めてみたり、 捕まった刑事に、自分の人生の短さを皮肉ってみせたりと、どこか幾重にもねじ曲がった行動が作品に異様な光を与えています。 主人公は、面会に来た父(三國連太郎)に「恨みのない人ばっか、殺しおって」と言われ唾を吐かれます。 そこでむきになって「あんたを殺したかった」と口にしますが、 その怒りすらがどこか嘘っぽく、なんちゃって感のただようのが、どこか凄味を感じさせます。 人間にも、自分にも、世の中にもどこか無関心さ(ある種の平等?)を保とうとするのです。 もちろんこの作品はエディプス・コンプレックスの映画などではありません。 人間のもつエネルギー(ニーチェはそれを怨恨(ルサンチマン)と名づけました)の映画です。 巌を演じた、緒方拳をはじめ、三國連太郎、倍賞美津子、清川虹子、北村和夫ら、 錚々たるメンバーが、凡人の凡人なるが故に発するエネルギーを演じていて、火の玉のような映画です。 二十年ぶりくらいに見ました。 今でもピカレスク・ロマンの傑作だと思います。
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[022]天空の城ラピュタ
 中庸きらきら2016-02-18
 【ネタバレ注意】
恥ずかしながら、初めて見ました(笑)。 後から出てきてこんなこと書くのはなんですが、よくできた作品です。 ここでいう「よくできた」というのは、目配りが可能な限り、作・・・
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恥ずかしながら、初めて見ました(笑)。 後から出てきてこんなこと書くのはなんですが、よくできた作品です。 ここでいう「よくできた」というのは、目配りが可能な限り、作品内に毛細血管のように張り巡らされていること、 また、奇をてらわず、あえて突出する部分を削りながら、中庸を作品戦略にもってきたことです。 その分、サプライズ感はありません。 物語だけを見れば、この作品は勧善懲悪の世界です。 しかもその物語構造は(昔からある)変身譚を軸にしていて、「失われた私」を探し求める主人公たちをベースとしています。 また「失われた私」が「謎」(ラピュタ)として提示されているのも、決して新しい手法ではありません。 とはいえ、この作品が魅力を醸し出しているのは、他の作品ではできないことをしているから。 1)主人公の男の子(パズー)と女の子(シータ)もどちらが「主」であるよりは、   相互補完的な存在として、自然に描いているところ   (たいてい、こうした手法をとると作品は理屈っぽくなってしまいます)。 2)そして人や物の動きが、ある種平等に描かれていること   (飛ぶことはもちろんですが、この作品のサブテーマは「浮かぶ」こと。シータが「浮かんだ」存在として、    パズーの前に姿を現わしたことや、ラピュタが中空に「浮かんだ」存在であることは示唆的です。    さらにこのラピュタは最後に、重力との均衡を破って上昇してしまうのも、地上からの決別を物語っています) などが挙げられます。 音楽の世界にはカバーという伝統(慣習?)があります。 オリジナルがあって、それにアレンジ(または再作曲)をほどこし、別の息吹きを与えることです。 宮崎駿がもともとどんなオリジナルをもっていたのかはわかりません。 いずれにせよ、すばらしいアレンジです。 この後、宮崎駿は中庸の世界から、少しずつ離れるように突出部分を立たせながら作品をつくりはじめます。 (『もののけ姫』のハンセン氏病差別や『千と千尋〜』の現代批判など) この時期、宮崎駿を中庸の世界に結びつけていたものは何だったのでしょう? ※そういえば、作品中に出てくるロボット、手足が長くて『エヴァンゲリオン』に似てますね。
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[023]スローターハウス5
 自己完結きらきら2015-06-05
 
真っ白な雪景色。 そしてそこにグールドの「ゴルトベルク変奏曲」が流れる。 「お、傑作の予感」 と思ったものの……う〜ん、ピンときませんでしたね(笑) 過去と未来とを行っ・・・
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真っ白な雪景色。 そしてそこにグールドの「ゴルトベルク変奏曲」が流れる。 「お、傑作の予感」 と思ったものの……う〜ん、ピンときませんでしたね(笑) 過去と未来とを行ったり来たりする構成で、 それぞれの接続部分となるカットを工夫したりしているので、 まあ、なにかやってるぞ的な感じがするんですが、 それでどうしたい? といった感じもして、ちょっと物足りません。 本作は読んだことはありませんが、ヴォネガットは何冊か読んだことがあります。SFというよりは、純文学にSFテイストを絡ませた感じの作風ですかね。全体的に人生に対する諦念めいたものが前面に出るので、なんかわたしはあまり好きじゃないです。 本映画も、主人公が、どこか妙に自分の人生を受け入れている感じがあるのですが、 どこか「わかる」ことで、それですべて解決できている、といった主人公の態度が、完結した感じで、あまり好きになれませんでした。 ジョージ・ロイ・ヒルは十代の頃に見た「リトル・ロマンス」が初めてだったと思います。わりとぼおっと見入ってしまった記憶がある映画です(笑) その後、「明日に向かって撃て」などを見て、気になる監督となるのですが、それ以外の作品がどこか好きになれないのです。 どこか自己完結してしまっているからなんでしょうか……。
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[024]のぼうの城
 ベクトルばらばら?きらきら2015-05-31
 
冒頭で佐藤浩市が苦虫つぶしたような顔で、無理に低い声でセリフを言おうとするのを見て、嫌な予感がしました(笑)。 野村萬斎も舞台をそのまま移したようなマイペースな演技・・・
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冒頭で佐藤浩市が苦虫つぶしたような顔で、無理に低い声でセリフを言おうとするのを見て、嫌な予感がしました(笑)。 野村萬斎も舞台をそのまま移したようなマイペースな演技で、お互い噛み合っていません。 成宮寛貴は茶髪で現代風、鈴木保奈美だけはなぜかリアル時代劇のべったり化粧で、……う〜ん、ベクトルがばらばらです。 それを辛うじて束ねているのが、紋切り型の演出でしょうか。 作品って、多かれ少なかれ紋切り型であることは免れないものかもしれません。 が、これは何か好きになれません。 全篇を通して「部下にやる気を起こさせるにはこうする!」的な ハウツー本めいた雰囲気が漂います。 東日本大震災の影響もあるのかもしれませんが、 作品内で、農民と侍の一体感を出そうとすればするほど、 作っている側が対岸の火のように、震災をとらえているような剥離感も出てきます。 テレビ局の絡んだ映画作品は見続けることはできますが、 どこか映画しか出すことのできない魅力を踏みにじっているような気もします。そして作っている側が、そのことに無自覚なような気もします。 最近つくられた映画のなかで、20年、30年と、世代を超えて長きにわたって見られることのできる映画はあるんでしょうか? ※デジタル映像は輪郭きっちり、奥行きしっかり、ついでに役者のカツラや衣装も、はっきりと現代ものだということまで露わにします。という感じで、時代劇には合わないような気がします。合成技術は昔からあったものですが、マットペインティングのような美しさは、いまのCGには感じられません。
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[025]暗殺の森
 それぞれの道きらきら2015-05-26
 
「暗殺の森」はモラヴィアの原作、ジョルジュ・ドルリューの音楽です。 この二人の組み合わせを見ると、ゴダールがイタリア資本で撮った「軽蔑」を思い出します。 「軽蔑」はバ・・・
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「暗殺の森」はモラヴィアの原作、ジョルジュ・ドルリューの音楽です。 この二人の組み合わせを見ると、ゴダールがイタリア資本で撮った「軽蔑」を思い出します。 「軽蔑」はバルドーとフリッツ・ラングを撮りたいだけのの作品、といっても過言でないくらい、ちゃらんぽらんな映画です。 たぶんゴダールからしてみればモラヴィアの原作になどちっとも興味がもてなかったし、ドルリューの音楽も好きじゃなかったのかもしれません(音楽も、わざと似あいそうもないところで、ぶつ切りで使ってましたね……) ベルトルッチは「わたしはゴダールの一番弟子だ」と言ったくらい、ゴダールを敬愛した人です。 そう考えると「暗殺の森」は師の使った素材と同じもので別の作品を作ろうという試みにも見られます。 ところが、「軽蔑」がフランス人がイタリアに行く話なのが、「暗殺の森」はイタリア人がフランスに行く話。 「軽蔑」が夏の映画だったのが、「暗殺の森」は冬の映画です。 むしろゴダールとは逆のことをやっています。 またこの作品のストーリー自体、主人公(イタリア人=ベルトルッチ?)が師(フランス人=ゴダール?)を殺しにいくもの。 そう考えると、この作品自体、ベルトルッチのゴダールからの訣別宣言とも受け取ることができます。 真似たいけど真似られない。 真似られないけど真似たい。 初期のベルトルッチの作品はゴダールという父親に対する、絵に描いたようなエディプス・コンプレックスのようなものを見せます(というよりは、「エディプス・コンプレックス」に陥った映画監督を演じているようにも見えなくもないです)。 本作品でもゴダールの影響がちらちらと見ることができます。 が、どこかふっきれたところも垣間見ることができます。 ヒロイン二人のレズビアンめいたダンスから、周囲の人間が渦のように主人公のマルチェロを巻き込むところなどはおもしろいシーンです。 ラストシーンでムッソリーニ政権が終わりを告げ、主人公がいままでのファシストから寝返ったばかりか、 「おまえこそファシストだ!」と叫ぶシーンはどこか自嘲めいています。 この後、ベルトルッチは大作主義路線へと演出スタイルを変え、アカデミー賞をもらうような大監督へと変貌します。 一方のゴダールはどんどんと孤独になっていきながらも、映画を撮り続けていきました。 どちらがいいとは言えません。 お互いの道があるのです。 そういう意味では、「暗殺の森」は二人が袂を分かった一本なのかもしれません。
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[026]映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
 大人/子供きらきら2015-05-24
 
テレビの「クレヨンしんちゃん」は子供が小さかった頃、一緒に見ていた憶えがあります。 しんちゃんがお尻で歩いたりするのとか、けっこうおもしろくて、 子供の前で真似してみ・・・
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テレビの「クレヨンしんちゃん」は子供が小さかった頃、一緒に見ていた憶えがあります。 しんちゃんがお尻で歩いたりするのとか、けっこうおもしろくて、 子供の前で真似してみせたら、笑ってたな〜 で、本作です。 ショート・ショートのようなテレビシリーズとはちがって、 映画だからなのか大きな話で展開していきます。 まあ「大人って何?」と「前向いていこうよ」がメッセージなんでしょうが、メッセージ性が強すぎて、わたしはちょっと退屈でした。 昔は「おとな」と「子供」の棲み分けってあったんですよね。 いまはほんとにないもんな〜マンガやアニメ、ゲームにアイドル、わたしよりも上の世代でも夢中で、しかも隠そうともしないもんな〜(笑) ある程度の年齢にいくと、価値観も変わってくるから、 いままでやっていたことがつまらなくなったり、飽きたりするんですが、 「オタク」が市民権を得たおかげで、価値観を更新しなくてもやってけるんでしょうね。 似たような情報いっぱいあるしな……。
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[027]柳生一族の陰謀
 萬屋錦之助!きらきら2015-05-24
 
萬屋錦之助、すげ〜。 怪演です。 ちょっとこれは周囲がついていけないくらい、暴走しています。 悪い意味ではありません。 この萬屋の暴走ぶりで、あまり深作欣二らしくない作・・・
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萬屋錦之助、すげ〜。 怪演です。 ちょっとこれは周囲がついていけないくらい、暴走しています。 悪い意味ではありません。 この萬屋の暴走ぶりで、あまり深作欣二らしくない作品に仕上がっています。 昔から思っていて不思議に思ったことですが、 なんで今の役者は台詞をしゃべるとき、首がふらふら動くんですかね? 昔の俳優は、台詞を話すだけのときは、首はきちっとさせ、頭を動かしません。だからこそ動く時が映えて見えるのです。 そういう意味では、昔の俳優のほうが静と動の感覚に関しては、はるかに敏感だったように思います。 ただ大袈裟にやればそれで目立つ、というものではありません。
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[028]徳川セックス禁止令 色情大名
 拾い物!きらきら2015-05-19
 
三十過ぎで女嫌いのお殿様のところに、徳川家から嫁がくる。 出世のチャンスとばかりに沸き立つ家中だが、肝心のお殿様は家老のアドバイスもむなしく、初夜に失敗。しかもプラ・・・
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三十過ぎで女嫌いのお殿様のところに、徳川家から嫁がくる。 出世のチャンスとばかりに沸き立つ家中だが、肝心のお殿様は家老のアドバイスもむなしく、初夜に失敗。しかもプライドの高い清姫に腹をたててしまう。 ここでもめては、お家の一大事。 殿様の女嫌いはセックスの楽しさを知ることで解消されるのでは、 と登場したのがサンドラ。彼女の技巧に性に開眼する殿様だが、 「こんないいものを、市井の人間がしているとは、けしからん!」 ということで、藩内にセックス禁止令が交付される。 さらにサンドラとの仲を知った清姫にも性への興味が……。 なんかあらすじを書いていると、ばからしい感じがしてきますが、 一級品のセックスコメディーです。 とはいっても、おっぱいもお尻もぽんぽん出てきて、 決して上品ではありません。 というよりも、下品。それもかなりの……(笑) でもAVじゃないですよ。 ちゃんとした映画です。 脚本がえらく練られていて、主要登場人物3人(殿様、清姫、サンドラ)の状況が変化していくと同時に、新たな展開への伏線になっていて、よく転がっていると思いました。 脇役陣もすばらしく、家老役の殿山泰司のぼけっぷりや、その息子役の山城進伍も軽くアクションを披露、作品に躍動感をあたえています。 女性の切腹シーン、介錯で首が飛ぶところなど、エログロ全開!(笑) 最近はこのようなふまじめさをおおまじめにできる映画監督がいなくなっちゃいましたね。 全員にはお勧めできる映画ではありませんが、 わたし的にはめっけものでした。 ※紀元前にできたギリシャ喜劇の『女の平和』がこれと似たようなセックスコメディー。アテナイとスパルタでの戦争をやめさせようと、両国の軍人の妻たちが共謀し、セックスストライキをするというのもありました。ばからしいことを考えるのは体力が要るものです。そういう意味では作る側も見る側も体力がなくなってしまったのか? ふとそんなことを思いました。
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[029]オリエント急行殺人事件
 犯人はおまえだ!きらきら2015-05-18
 
オールスターのポワロシリーズは、題名がごっちゃになっているので、 この作品も見たんだか、見てないんだかわからないまま見はじめました。 結論、見てませんでした。 ただし・・・
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オールスターのポワロシリーズは、題名がごっちゃになっているので、 この作品も見たんだか、見てないんだかわからないまま見はじめました。 結論、見てませんでした。 ただし、英語の「H」がロシア語では「N」にあたる、 というエピソードを見てて、「ああ、この原作は10代の頃に読んだことがあるなあ」と思いだしました。 とはいえ、犯人がだれかまではおぼえていませんでした。 ということで、何の先入観もなく本作品を見続けました。 仮に犯人がわかっていたところで、映画として楽しめればそれでいいのです。 が、作品の流れが 1)登場人物を紹介 2)殺人事件発生 3)容疑者をひとりずつ尋問 4)「犯人はおまえだ!」 という段取り通りの流れで、映像を見ているよりは、台詞の添え物として映像があるような感じです。 シドニー・ルメットは「十二人の怒れる男」がありますが、それと似ています。 う〜ん、退屈はしないんですが、台詞劇は見ていて面倒になってきます。 ずっと説得させられている気分になるからですかね(笑) バコールはやっぱいいですね。りんとしててかっこいい。 バーグマンは「あたし、あたし」っぷりが全開です。 なぜかバーグマンの尋問シーンだけがワンカットで押し通すもので、 他の人と撮り方が異なります。 バーグマンが注文をつけたんでしょうか?
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[030]アラビアのロレンス/完全版
 主人公は幽霊きらきら2015-05-15
 
何もないように思われる砂漠の向こう側から一つの小さな点が見えてくる。 そしてそれがラクダに乗った男だとわかる。 しかもそのラクダが地上から浮き上がっているように近づい・・・
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何もないように思われる砂漠の向こう側から一つの小さな点が見えてくる。 そしてそれがラクダに乗った男だとわかる。 しかもそのラクダが地上から浮き上がっているように近づいてくる。 これはアリ(オマー・シャリフ)の登場シーンで、これだけでも見る価値があります。 全体的にロケシーンはテクニカラーの美しい色調で(フィルムの功績です)、 カメラはすばらしいです。 が、アレック・ギネスやアンソニー・クインなどの演技が大時代的で、 それに馴れるのにしばらく時間がかかりました。 またピーター・オトゥールのロレンスがつねにくねくねとした感じ(実際の演技だけでなく、役の立ち位置もかなり優柔不断です)で、なぜこんな男が多くのひとの関心を集め、また多くの血を流したのかがちょっと疑問です。 スエズ運河に辿りついたロレンスが、対岸の男から「おまえはだれだ」と訊かれても、何も答えずにいるのは象徴的です。 その男はだれでもない、そのことをロレンスは知っているから、何も答えられないのです。 自分が自分でいることに対して、終始自信がない。ふわふわとしたロレンスの態度はどこかそんな感じがしますが、これが幽霊の物語だとしたら、納得がいきます。 史実をもとにした作品なのでしょうが、自分が生きていることを信じられない幽霊の話だと考えれば、デヴィッド・リーンがなぜこのロレンスに関心を持って作品にしたか、なんとなくわかるような気もします。 役柄はちがいますが、この主人公、どこか『ペイルライダー』にも似ています。そんなことも感じました。
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