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 「ダイナマイト・ギャル」さんのコメント一覧 登録数(40件)rss
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[001]レイダース/失われたアーク《聖櫃》
 『レイダース 失われた聖櫃』ダイナマイト・ギャル2016-08-01
 【ネタバレ注意】
■「インディ・ジョーンズ」を見てわくわくしない人間はいない 「インディ・ジョーンズ」を見てわくわくしない人間はいない。これほどまでに男女を問わず愛された映画は少ない・・・
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■「インディ・ジョーンズ」を見てわくわくしない人間はいない 「インディ・ジョーンズ」を見てわくわくしない人間はいない。これほどまでに男女を問わず愛された映画は少ない。製作されてから30年以上経つ現代でも「インディ・ジョーンズ」の名前を知らない人間はいないほどだ。その魅力は今も色褪せない。女性には「理想の男性像」として、男性には「憧れの生き方」として、ジョーンズ博士(ハリソン・フォード)は現実の日常で絶対体験できない冒険の世界に観客をトリップさせる。 ■「冒険映画」の原点 サイレント映画の時代から「冒険映画」は数多く作られたが、「インディ・ジョーンズ」4部作が「冒険映画」の「原点」のように認識されるのは、現代の「CG」技術の「原点」である「SFX」技術の「原点」の映画だからだろう。『スター・ウォーズ』シリーズのジョージ・ルーカス監督。『未知との遭遇』のスティーブン・スピルバーグ監督。二人が手を組んだことは当時大きい方がパンツにつくほど映画界の衝撃事件だった。二人の創作活動が「SFX」を発展させ、現代の「CG」を生み出した。「インディ・ジョーンズ」4部作は「冒険映画」に初めて「SFX」を導入した衝撃的映画だった。現代では「当たり前」な「CG」を使用した映画作りの「原点」が『スター・ウォーズ』や『レイダース 失われた聖櫃』だった。以後「インディ・ジョーンズ」に影響を受けた「冒険映画」は現代に至るまで後を絶たない。「冒険映画」の原点のような認識の「偉大」な理由がここにある。 ■第1作目『レイダース 失われた聖櫃』 「インディ・ジョーンズ」4部作の僕のベスト1は第1作目『レイダース 失われた聖櫃』。「聖書」「モーゼの十戒」という「史実」の引用から生み出された創作の面白さはシリーズベスト1。「本当のこと」にまで思えるほど「説得力」がある。「宝探し」や「冒険」が「本当のこと」に見える “本気” の創作は感情移入せずにいられない。スピルバーグとルーカスの「偉大」な映画作りの根元は、「大人が楽しめるSF映画」だった。二人はかつて子供向けの冒険活劇に恐るべき「極限のくそリアリズム」を導入した開拓者だった。今でも『レイダース 失われた聖櫃』を見ると「聖櫃」が本当に「実在」するように見える。「インディ・ジョーンズ」を見てわくわくしない人間はいない本当の恐ろしさがここにある。 『やりすぎ限界映画入門』
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[002]007/慰めの報酬
 『007 慰めの報酬』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ダニエル・クレイグ ■やりすぎ限界男優賞 ジェフリー・ライト ■やりすぎ限界男優賞 ジャンカルロ・ジャンニーニ ■・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ダニエル・クレイグ ■やりすぎ限界男優賞 ジェフリー・ライト ■やりすぎ限界男優賞 ジャンカルロ・ジャンニーニ ■やりすぎ限界女優賞 オルガ・キュリレンコ ■やりすぎ限界女優賞 ジェマ・アータートン [シリーズ第22作目] 『007 カジノ・ロワイヤル』 の直後から直結して始まるシリーズ初の完全続編映画。だが話が 「難解」 過ぎて一度見ただけで絶対理解できない。その 「難解」 さは 「何回」 見てもまだ理解できない部分が多い。このとんでもない “やりすぎ限界映画” において、とにかく僕が理解できたことを書く。今の社会情勢において 「どこまで本当のことに見えるか?」 という “嘘” を、極限まで創作している。もしかしたら 「全部本当のことだった」 なんてオチだったらどうしよう…。“ 『007』 極限のくそリアリズム時代” の暴走を君に贈る。 また 『007 慰めの報酬』 は、4代目が初めて “切れたボンド” を見せた 『007 消されたライセンス』 の、“極限のくそリアリズム版リメイク” に見える。4代目の “すげぇ切れ方” を6代目が超える。このおしっこを漏らさずに見れない 「ヤバさ」 の真実を伝えねばならない。 [ 『007 カジノ・ロワイヤル』 回想] ■「そっちが紹介を頼んだから   私の組織が世話をした」 冒頭のムバレ ウガンダのシーンでスカイフリート株への投資を受けるル・シッフル。その仲介をしたのがホワイトだ。ル・シッフルもホワイトの 「組織」 で働いていた一人にすぎない。 ■「奴を渡すよ」  「ありがとう 兄弟」 フィリックス・ライターの援助でル・シッフルから1億1500万ドルを奪ったボンド。ル・シッフルを潰してCIAに渡した信用が 『007 慰めの報酬』 でのライターとの友情へと続く。 ■「マティスよ   “CIAがル・シッフルを確保   今夜中に国外に連れ出す” と」 ■「悪いが君の友達のマティスは−   私の友達でね」 マティスのメールで確保されたはずのル・シッフルはCIAに確保されてなかった。またボンドが拷問を受け、ヴェスパーが路上に縛られていた時マティスが一人無事であったこと。ここからマティスと 「組織」 の繋がりの 「灰色」 の容疑をボンドが抱く。 この前後でヴェスパーの “彼氏” が拉致されたと推測される。 −中略− ■「どうした」  「点検よ」 ラ・デュナス・ホテルでメドラーノ将軍とカルロス大佐がグルだったことが明らかになる。マティスもはめられた一人だった。ヴェスパーとマティス二人分の恨みで、ボンドの怒りは極限に到達する。 カミーユの銃を組み立てる所作の芝居がヤバい。後のメドラーノ将軍との格闘も含めて元諜報部員に “見える”。もはや “ボンド・ガール” と思えない。 [シリーズ極限 “すげぇ切れ方” ] ■「マティスを覚えてるか?」 この映画の全てがこの1シーンに向かって収斂されていた。マーク・フォースター監督はこの1シーンに命を懸けたように見える。ボンドの極限の怒りが爆発。このシリーズ極限の “すげぇ切れ方” だ。「本物のスパイ」 なんか知らないが 「本物のスパイ」 にしか見えない。ダニエル・クレイグのカルロス大佐射殺の凄まじき速さに漏らした。その後のホテル爆発の壮絶さは 『007 消されたライセンス』 を超える。 [大失敗作] 以上のことが殆ど全部台詞でしか描かれていないのは 『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』 と同じ 「大失敗」 だ。だが 『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』 との大きな違いは、俳優の芝居のヤバさで 「台詞だけ」 を 「全部想像させた」 ことだ。 本来映画として全部シーンを見せるべきだが、これを全部見せたら映画が何本になるかわからない。もともと無理な話を無理矢理106分に凝縮したのは壮絶。瞬きしたら話が理解できない密度、1回見ただけで話が理解できない密度は限界過ぎだ。「大失敗作」 だろう。だがヤバい。 [映画で描かれていないこと] ■「組織」 がヴェスパーの “彼氏” を拉致したエピソード。 ■「組織」 とヴェスパーがボンドの命を取り引きしたエピソード。 ■マティスと 「組織」、マティスとヴェスパーの繋がりのエピソード。 ■カミーユがグリーンに殺されないエピソード。 ■ホワイトの行方のエピソード。 [ 「組織」 = “極限のくそリアリズム・スペクター” か?] ■「君の質問に答え−   組織 (クァンタム) のことを話した」 ※つづきはアメブロで!
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[003]007/カジノ・ロワイヤル
 『007 カジノ・ロワイヤル』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ダニエル・クレイグ ■やりすぎ限界女優賞 エヴァ・グリーン [シリーズ第21作目] 5代目ピアース・ブロスナンか・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ダニエル・クレイグ ■やりすぎ限界女優賞 エヴァ・グリーン [シリーズ第21作目] 5代目ピアース・ブロスナンから6代目ダニエル・クレイグへ。50年の時を遡った 『007』 の物語がとうとう現代に戻る。「もはやこの世で作れない映像はない」 CG技術が、「全部本物」 の 「地球が全滅する映像」 に到達した。地球が全滅する映画は一体この世で何本作られたのか? ここで皆が立ち止まり、誰も共感できない嘘の映像でしかないことに気づいた。もはや誰も騙されない時代に到達していた。 それが 「真実」 か 「嘘」 か? インターネットの普及であらゆることがある程度までは個人で調べられるようになった。情報化社会で簡単に人間は騙せない。あまりに 「嘘」 が多いとバカにされて笑われる時代になった。この現代で最も重要な価値観は、もはや “本物” であることしかない。CG技術の使い道は 「どこまで本当のことに見えるか?」 の “極限の本物” を追究する方向へ変化した。6代目ダニエル・クレイグから、「どこまで本当のことに見えるか?」 の “ 『007』 極限のくそリアリズム時代” が始まる。 シリーズ第21作目にして 『007 カジノ・ロワイヤル』 は 「新シリーズとしての再スタート」 となる。もはや “女好きの諜報員” の 「嘘」 で観客を騙せる時代ではない。現代の情報化社会に合う作品でなければならなくなった。ティム・バートン監督の 『バットマン』 からクリストファー・ノーラン監督の 『バットマン ビギンズ』 へ。このリメイクの成功が 『ダークナイト』 を生み出す。時代はリアリズムの追究へ動き始めた。この 『007 カジノ・ロワイヤル』 『バットマン ビギンズ』 の成功が現在の 『マン・オブ・スティール』 などに強い影響を与える。また 『ロッキー・ザ・ファイナル』 『ランボー 最後の戦場』 などはこの背景から生まれた映画だった。 [第3位 6代目:ダニエル・クレイグ] 「実在のスパイが実際にどんな人間か?」 を追究する時代となった。それは実在した1987年の大韓航空機爆破事件を実行した金賢姫などを調べれば見えるものがある。ジェームズ・ボンドが英国諜報員なら金賢姫と共通するものがあるだろう。この “極限のくそリアリズム” こそ、4代目が理想を掲げて到達できなかった “究極のボンド像” だろう。とうとうジェームズ・ボンドは6代目ダニエル・クレイグによって、「本物の英国諜報員」 「本物の人間」 に “見える” 領域に到達した。 [創作においてのリアリズム] 「創作においてのリアリズム」 はドキュメンタリーとは違う。僕は 「本物のスパイ」 を全く知らない。「本物のスパイ」 の知り合いもいなければ見たことさえない。「本物のスパイ」 の知識が皆無の人間が実在した金賢姫のようにジェームズ・ボンドを感じれたら、それは 「創作においてのリアリズム」 が成立したと言える。スパイを知らない人間が実在するスパイを想像できる領域まで見せれば、それは “極限のくそリアリズム” の表現を 「情報化社会」 で見せ切ったと評価したい。それが 「創作においてのリアリズム」 だと僕は思う。 [現代の視点で本当に見えるもの] 『007 カジノ・ロワイヤル』 のテーマが 「ジェームズ・ボンドが実在の人間であるなら?」 だとしたら、細部に至る見事なリアリズム模写は称賛に値する。1代目と3代目がもはや何者か理解できない領域、そして4代目が到達できなかった究極の領域。CG技術が “極限の本物” を見せるために使われた 『007 カジノ・ロワイヤル』 で、もう僕はどこまで 「可能」 か 「不可能」 かを判断できない。“極限のくそリアリズム” に到達した究極の “やりすぎ限界映画” を君に贈る。 [ 「これは 『007』 ではない」1 : 消えた 「ガン・バレル」 ] 『007 ダイ・アナザー・デイ』 まで続いたオープニングの 「ガン・バレル」 が消えた。6代目ダニエル・クレイグの伝統の 「ガン・バレル」 姿を 『007』 ファンは期待してたはずだ。本当は僕が一番期待してた。だが信じられないことに 「ガン・バレル」 なしで映画が始まる。「きっとタイトルの前に出るだろう…」。だが伝統の 「ガン・バレル」 なしでタイトルは始まった。 ※つづきはアメブロで!
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[004]007/ダイ・アナザー・デイ
 『007 ダイ・アナザー・デイ』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界女優賞 ロザムンド・パイク ■やりすぎ限界女優賞 ハリー・ベリー ■やりすぎ限界男優賞 ピアース・ブロスナン [シリーズ・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界女優賞 ロザムンド・パイク ■やりすぎ限界女優賞 ハリー・ベリー ■やりすぎ限界男優賞 ピアース・ブロスナン [シリーズ第20作目] “ 『007』 大スペクタクルアクション&CG時代” の最終章。シリーズ40周年と20作品を記念して作られたダブル・アニバーサリー作品。そして5代目ピアース・ブロスナンの最終章。「もう戻れない」 “スピードの向こう側” の先の “棲息速度域” へ到達したCG技術が、“ 『007』 大スペクタクルコント時代” の 「現代の視点でありえないもの」 を超える。“ 『007』 大スペクタクルアクション&CG時代” とは何か? その真実がここに完結する。 『インデペンデンス・デイ』 『アルマゲドン』 の時代になり 「地球が全滅する映像」 を簡単に作れるようになった。「堺」 が消えた全滅映像を見たら全滅したと認めるしかない。「地球は全滅したんだ! お前今見たろ!」 という、「全部本物」 の 「リアリズム」 映像だからだ。これが “ 『007』 大スペクタクルアクション&CG時代” が生み出した 「現代の視点でありえないもの」 だ。 映っている映像はもはや 「全部本物」。だがこんなこと絶対 「ありえない」。暴走し過ぎたCG技術が最後に到達したのは、皮肉にも3代目を超える 「現代の視点でありえないもの」 だった。「全部本物」 に見えるリアル映像が、逆に新しいやりすぎ限界の 「伝統のバカ映画」 を生み出す結果となる。「どうせCGだろ」 の時代。“ 『007』 大スペクタクルアクション&CG時代” の最期を飾る壮絶やりすぎ限界映画を君に贈る。 [伝統のバカ映画] シリーズ40周年と20作品を記念して作られたダブル・アニバーサリー作品。そのためか過去20作品を振り返る集大成のような作品になっている。歴代ボンド達が使用した秘密兵器が登場したり、「ボンドの世界」 を象徴する敵の宇宙からの人工衛星攻撃、“女好きの諜報員” を全面に見せる作品だ。3代目全盛期の “ 『007』 大スペクタクルコント時代” に合わせた 「伝統のバカ映画」 復活にCG技術を使用している。“ 『007』 大スペクタクルコント時代” のファンなら大喜びだ。『007 サンダーボール作戦』 のジェット・パックと小型酸素ボンベ。『007 オクトパシー』 のワニ型潜水艇。『007 リビング・デイライツ』 のスパイク・タイヤを僕は確認した。マニアはもっと発見できるかもしれない。見つけきれないほどのパロディーがあるらしい。 CG技術が共感できない非現実までやりすぎた 『007 ダイ・アナザー・デイ』 こそ、“ 『007』 大スペクタクルアクション&CG時代” のピアース・ブロスナン最高傑作だろう。 [現代の視点でありえないもの] −中略− ■やりすぎたCG1 : ヴァーチャル映像 射撃訓練をヴァーチャル映像で行うボンド。現実に 「可能」 か 「不可能」 かはもうわからない。 ■やりすぎたCG2 : アストンマーチン V12 『007 リビング・デイライツ』 以来で秘密兵器搭載のアストンマーチンが登場。だがおかしいぞ…? 「消える自動車って本当に可能なんですか!」 「可能だ! ここに本物が映ってるじゃないか!」 「確かに本当に消えてる。本物だ! 消える自動車は本当に存在するんだ!」 ■やりすぎたCG3 : F1レーサーを超えるドライビング・テクニック 絶対に助からない。アイスランドの氷を隕石が落ちるほどの大きさで破壊するイカルス。宇宙から攻撃を受けるボンドが氷上ヨットを改造した乗り物で逃げる。もう人間が逃げ切れる光線に見えない。だがF1レーサーを超える反射神経でボンドは逃げ切った。 ■やりすぎたCG4 : オリンピックアスリートを超える身体能力 逃げ切ったボンドがアイスランドの氷壁にぶら下がる。絶対に助からない。イカルスの光線が迫る時、ボンドはパラシュートと氷上ヨットのボディーを組み合わせサーフィンで脱出。断崖で崩れ落ちる氷壁。もの凄い高さから波に乗るボンド。「こんなこと人間にできるんですか!」 「できる! 見ろ! 本当にやってるじゃないか!」 ■やりすぎたCG5 : ジャガー XKR 秘密兵器搭載の車はアストンマーチンだけではなかった。シリーズ初、敵の秘密兵器搭載車が登場。もはや映っているものは 「全部本物」 だ。 ■理解できない 光るお面はもう何かわからない。また鎧のデザインが怪しい。鎧とイカルスを組み合わせる発想が壮絶。 ■やりすぎたCG6 : 燃える38度線 とうとう 「地球が全滅する映像」 の登場だ。イカルスが38度線を焼き尽くす。どこから見ても 「全部本物」。この日イカルスによって38度線はこの世から壊滅した。 ■ロザムンド・パイク “限界悩殺ブラック・ブラ” ※つづきはアメブロで!
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[005]007/ワールド・イズ・ノット・イナフ
 『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
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☆☆☆☆ [80] ■やりすぎ限界女優賞 ソフィー・マルソー [シリーズ第19作目] 「堺」 が消えたリアル映像が全て本物にしか見えない “007 大スペクタクルアクション&CG・・・
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☆☆☆☆ [80] ■やりすぎ限界女優賞 ソフィー・マルソー [シリーズ第19作目] 「堺」 が消えたリアル映像が全て本物にしか見えない “007 大スペクタクルアクション&CG時代” のクライマックス。CGアクションは観客を飽きさせないが “人間の存在” にリアリズムが見えない。「現代の視点でありえないもの」 とは違うありえない映画になってしまった。 [最期のQ] 『007 ロシアより愛をこめて』 から 『007 死ぬのは奴らだ』 以外の17作品に出演した、Q役のデスモンド・リュウェリンが引退する。そして本作がデスモンド・リュウェリンの遺作でもある。ボンドと組んで暴れたことも何度かある 『007』 に絶対欠かせない重要な存在だった。とても魅力的な爺さんだった。『007』 の歴史の大きな一つが終わった。 [恐るべき虚仮威し] 「銃弾は今も延髄を移動してて−  触覚 臭覚  痛みの感覚を奪い−  彼に常人以上の耐久力を与えた  いずれは死に至るけど  今は不死身のように強い」 「堺」 が消えた本物映像の前でこれだけ言われたら、この能力にボンドが苦戦するもの凄い展開を期待してしまう。また 「いずれは死に至るけど」 という伏線に悲劇性を期待し、この傷が 「冷戦」 の傷跡に繋がることまで想像するだろう。 だがとんでもない 「ハッタリ」 だった。『007 黄金銃を持つ男』 の 「第3の乳首」 級の意味のない展開にブっ飛んでしまった。最後まで殆ど話に関係ない、「第3の乳首」 を超える “恐るべき虚仮威し” に震撼した。 [台詞だけの説明] 父、母、娘、犯人の関係性が “台詞だけの説明” なのは大失敗。一番見たいものを見せてくれない。 父親への恨みが台詞でしか説明されない。父娘の絆に何があったのかを 「一切見せない映画」 だった。映画が 「見せない」 なら観客は感情移入も共感もできないだろう。「見せない映画」 は実感が伝わらない。ソフィー・マルソーがこんなに悪い理由も実感できない。“台詞だけの説明” は致命的な大失敗だ。 [BMW Z8] どんどん激しさを増していく 「堺」 が消えた映像。あまりの科学の最先端技術に絶句。映っているものはもはや全部本物にしか見えない。 [潜水艦] 「堺」 が消えて全部本当にしか見えないリアル映像だが、この状況で助かるとはとても信じがたい。この “やりすぎ” 度が “007 大スペクタクルアクション&CG時代” が何かを訴える。 [ソフィー・マルソー “限界悩殺美脚、ダイナマイト・パンスト” ] ■ソフィー・マルソー “限界悩殺美脚、ダイナマイト・パンスト” 話が記憶に残らないせいで、『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』 で僕の記憶に残ったのは、ソフィー・マルソーの “限界悩殺美脚、ダイナマイト・パンスト” だけだった。“限界悩殺美脚、ダイナマイト・パンスト” しか記憶に残らない映画ではいけない。またソフィー・マルソーの “限界悩殺美脚、ダイナマイト・パンスト” がなければ ☆☆☆☆ [80] も苦しかったかもしれない。ソフィー・マルソーの “限界悩殺美脚、ダイナマイト・パンスト” が 『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』 を救った。特に 「太腿」 が壮絶。 [ソフィー・マルソー=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[006]007/トゥモロー・ネバー・ダイ
 『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆★ [85] ■やりすぎ限界女優賞 ミシェル・ヨー [シリーズ第18作目] ボンド・ガールに “アジアの脅威” ミシェル・ヨーが登場した直球ストレート・アクション映画。「・・・
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☆☆☆☆★ [85] ■やりすぎ限界女優賞 ミシェル・ヨー [シリーズ第18作目] ボンド・ガールに “アジアの脅威” ミシェル・ヨーが登場した直球ストレート・アクション映画。「メディア」 を扱ったテーマに現代のリアリズムが多少感じられたが、他は 「原作」 に忠実なバカ映画だった。またCG技術があまりに激し過ぎて 「これは本当か?」 と疑問を感じる部分も多い。最後まで飽きさせないノンストップ・アクションが 「もはやこの世で作れない映像はない」 ことを痛感させる。 [メディアの恐怖] 情報化社会の現代では 「情報操作」 が可能だと思う。「フィクション」 となっているが、ありえない話に見えない恐怖を感じた。流れている情報の全てが真実か嘘か本当はわからない。「もしかしたら嘘かもしれない」 という恐怖にリアリズムがあった。これからの時代は流れている情報の全てを 「鵜呑み」 にしてはいけない。「自分で真実か嘘かを確かめる」 批判の目が、生きるために必要という重いテーマを感じた。 [女好きの諜報員] 1代目ショーン・コネリーと3代目ロジャー・ムーアは “女好きの諜報員” がコントにしか見えなかった。二人の諜報活動が危険に見えなかったせいだ。“本物の人間” に近づけようとした4代目ティモシー・ダルトンは 『007 リビング・デイライツ』 では成功、『007 消されたライセンス』 では失敗。「原作」 と 「リアリズム」 の間で苦しんだ。 だが5代目ピアース・ブロスナンの 『007 ゴールデンアイ』 から “女好きの諜報員” にリアリズムが見える。ボンドの危険な仕事を激しいリアリズム映像で描けるようになったせいだ。あまりにアクションが壮絶なせいで、「これだけ危険なことしてたら羽目を外さねば精神が持たない」 という説得力が見えるようになった。CG技術から生まれる壮絶アクションが 「不規則な生活」 「金に不自由していない」 ことに説得力を持たせた。4代目が到達できなかった “成立” させる答えに、ピアース・ブロスナンは 「想像を超える危険な仕事のリアリズム」 で “成立” させたように見える。 [BMW 750iL] 「堺」 が見えないあまりに激しいCG映像は、もう本当に可能か不可能か判断できない。化学は発達し過ぎてしまった。「こんな事だってできる」 という科学の最先端への挑戦に 「秘密兵器」 は完全に変化してしまった。もうアストンマーチンDB5の頃が懐かしい。 [壮絶CGアクション] 「堺」 が見えないので全部本当にやっているようにしか見えない。CG技術は映像の限界を超えた。街中でのヘリコプターの爆発は本当に凄まじい。「もはやこの世で作れない映像はない」 壮絶さを叩き付ける。 CG技術がなかった 『007 消されたライセンス』 の時代は 「本当にやる」 しかなかった。今の時代となっては 「本当にやる」 しかなかった 『007 消されたライセンス』 のアクションの方が危険に見える。CG映像が逆に、昔の 「本当にやる」 危険撮影の壮絶さを際立たせたかもしれない。 [ミシェル・ヨー “アジアの脅威” ] 『ポリス・ストーリー3』 『グリーン・ディスティニー』 のミシェル・ヨーが “ボンド・ガール” に登場。『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』 は “アジア映画” のアクションを取り入れる新境地に挑もうとした。 だが 『ポリス・ストーリー3』 でバイクで列車に飛び乗ったミシェル・ヨーのファンには物足りなかっただろう。アメリカ映画は規制が厳しく 「この人でなくても代役が可能」 なアクションしかできない。ジャッキー・チェンに鍛えられた足技の壮絶さが唯一限界の危険さを見せた。アメリカ映画に出演したアジアの俳優の姿が、本拠地 “アジアの脅威” を余計際立たせて見せてしまう。 [ 「 “大衆の期待に応えること” !」 ] 可哀相なジョナサン・プライス。誰だって 「こいつ絶対殺せ」 と思われる役なんか本当はやりたくないだろう。だが全ての観客に 「こいつ絶対殺せ」 と思わせたのは “本当に芝居が巧い” ことの証明だ。ジョナサン・プライスには申し訳ないが僕も 「こいつ絶対殺せ」 と思ってしまった。「 “大衆の期待に応えること” !」 を見せた見事な最期に、監督とジョナサン・プライスを尊敬した。 [ミシェル・ヨー=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[007]007/ゴールデンアイ
 『007 ゴールデンアイ』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
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☆☆☆☆★★ [90] ■やりすぎ限界男優賞 ピアース・ブロスナン ■やりすぎ限界女優賞 イザベラ・スコルプコ ■やりすぎ限界女優賞 ファムケ・ヤンセン ■やりすぎ限界女優賞 ジ・・・
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☆☆☆☆★★ [90] ■やりすぎ限界男優賞 ピアース・ブロスナン ■やりすぎ限界女優賞 イザベラ・スコルプコ ■やりすぎ限界女優賞 ファムケ・ヤンセン ■やりすぎ限界女優賞 ジュディ・デンチ [シリーズ第17作目] 4代目ティモシー・ダルトンから5代目ピアース・ブロスナンへ。『007 消されたライセンス』 から6年、『ターミネーター』 『ダイ・ハード』 『リーサル・ウェポン』 シリーズなど、アクション映画のスタイルは大きく変化していた。またソ連崩壊、「冷戦」 の終結は資本主義対共産主義の構図を崩す大事件だった。娯楽映画の 「敵」 が消えたからだ。ハリウッドを中心に大国の映画作りが大変革した時代だった。 また70年代後半から進歩したSFX技術はCG技術へ進歩し、ジェームズ・キャメロンや 『ジュラシック・パーク』 を生み出した。CG技術の進歩で 「もはやこの世で作れない映像はない」 という時代となった。『007 消されたライセンス』 の興行成績の失敗と版権問題で止まっていた続編制作がこれらの背景の中で再始動する。『エイリアン』 シリーズでの 「毎回監督を変える」 システムも導入され、5代目ピアース・ブロスナンから “007 大スペクタクルアクション&CG時代” が始まる。 [第5位 5代目:ピアース・ブロスナン] ■5代目ジェームズ・ボンド : ピアース・ブロスナン 「最もボンドのイメージにピッタリ」 「過去の伝統と現代の調和をきっちり成し遂げた」 「絶対外さない全出演作品の平均的な面白さ」 = ピアース・ブロスナンが 「最も成績優秀なボンド」 だ。だがあまりにはみ出ない真面目さが “やりすぎ限界” の視点からは物足りない。一般的な視点で成績優秀すぎるのだ。“バカすぎた” ロジャー・ムーア、“くそ真面目すぎた” ダニエル・クレイグ、“無茶しすぎた” ティモシー・ダルトン。これが僕の歪んだ “やりすぎ限界” という感覚なのだろう。でも本当は “成績優秀すぎた” ピアース・ブロスナンを素直に尊敬している。 [どうせCGだろ] 「これは本当にやってるのかCGなのか?」 特殊撮影の合成部分の 「境」 が見ていてわからないほどCG技術は進歩した。映像は “究極のリアリズム” へ完成された。ここから 『007』 も 「もはやこの世で作れない映像はない」 現代の映画となる。 “007 大スペクタクルアクション&CG時代” の凄さは、4代目ティモシー・ダルトンができなかった “女好きの諜報員” をCG技術の進歩で 「本物」 に見せてしまったことだ。あまりに激しいアクションや映像の影響で 「堺」 を曇らせ 「本当なのか?」 と思わせるほど映像にリアリズムが出たせいだ。だが現代の情報化社会の視点で 「真実」 と 「嘘」 を騙し切ることはできない。「本当なのか?」 が 「どうせCGだろ」 という冷静な視点を生んだ。「堺」 を消した究極のリアリズム映像が “やりすぎ” の新しい 「現代の視点でありえないもの」 を生み出した。それを全て捨て去った先に到達したのが6代目の “極限のくそリアリズム” となる。 [現代の視点でありえないもの] ■やりすぎの秘密兵器 レーザー光線はもはや本物にしか見えない。ここまでリアルに見えると現代の科学で本当に可能なのかもうわからない。疑問を感じた。 ■オリンピックアスリートを超える身体能力 もう 「堺」 が見えないので本当に飛行機に飛び乗ったようにしか見えない。こんなことができる人間が本当に存在するのか? ボンドの身体能力はオリンピック金メダリストを超えている。 ■美人すぎる一般人 爆発事故で生き残った一般の人間がこれほど美人な “ダイナマイト・ボンバー・ギャル” なのはリアリズムがない。あまりにアクションや爆発が激しくて見流してしまいがちだが 「ありえない」 だろう。冷静な視点で見直せば、映像が本物に見えれば見えるほど 「嘘」 も際立って見える。 [完全なる現代の映画] だが何だかんだ言っても映像のリアリズムは壮絶。冒頭の潜入シーンから 「本物のスパイ」 に “近く” 見せたピアース・ブロスナンの芝居やアクションの切れは凄い。ピアース・ブロスナンは1本目から過去4人のボンドを 「リアリズムの視点」 で凌駕していた。“段取りにしか見えない殺陣” などもはや死語だ。ピアース・ブロスナンの新時代のアクションには漏らしてしまった。 また劇中の全てのアクションは称賛に値する迫力。もはや過去の16作品は敵わない完成度だ。戦車のシーンから最後の対決までノンストップで観客を引き込む見せ方は、完全なる現代の映画に仕上がっている。 [M] ※つづきはアメブロで!
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[008]007/消されたライセンス
 『007 消されたライセンス』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ティモシー・ダルトン ■やりすぎ限界女優賞 キャリー・ローウェル [シリーズ第16作目] わずか2本で降板する4・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ティモシー・ダルトン ■やりすぎ限界女優賞 キャリー・ローウェル [シリーズ第16作目] わずか2本で降板する4代目ティモシー・ダルトンの最終作。そして “ 『007』 ハード・アクション時代” の改革を行ったジョン・グレン監督の最終作。“ 『007』 ハード・アクション時代” はここに完結し 『007』 は新しい時代へ進む。1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊へと繋がる世界情勢の背景で、「冷戦」 時代に作られた最後の 『007』 となる。 1984年 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』、1988年 『ダイ・ハード』、1989年 『リーサル・ウェポン2 炎の約束』 『ブラックレイン』 という時代だった。70年代後半から始まったSFX技術の進歩で 「アクション」 や 「芝居」 は 「より本物に見える」 映像が要求されるようになった。過去のショーン・コネリーやロジャー・ムーアの作風が急速に時代と合わなくなり、『007』 シリーズは 「原作を尊重」 するのか 「改革」 するのか岐路に立たされていた。 また本作の後、『007』 はアメリカとイギリスの映画会社の間で版権の訴訟問題がこじれ4年以上新作の制作が中断される。その間にティモシー・ダルトンは 「ボンド役に興味がなくなった」 と発表して降板する。この背景の中で、「原作」 か 「改革」 かでシリーズ中最も強く揺れた様子が 『007 消されたライセンス』 に見える。『007 リビング・デイライツ』 で暴走し過ぎたものを 『007 オクトパシー』 のように修正している。この文章はその限界の支離滅裂ぶりと、映画会社対ダルトン&グレンの最期の闘いを、僕の勝手な想像で推測したものだ。“ 『007』 ハード・アクション時代” の最終章を飾る “壮絶ハード・アクション” を君に贈る。 [許されなかったリアリズム] 『007 リビング・デイライツ』 の暴走が映画会社の逆鱗に触れたのか、『007 消されたライセンス』 は “ボンド・ガール” とのロマンスや 「現代の視点でありえないもの」 が多く復活した。だがそれらを凌駕する、ティモシー・ダルトンとジョン・グレンの最期の “壮絶ハード・アクション” が 『007 消されたライセンス』 をやりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] にさせた。本来なら ☆☆☆☆★★ [90] だが、ダルトンが見せた “本気” におしっこを漏らしてしまい ★ を一つプラスした。 [現代の視点でありえないもの] −中略− ■『007 消されたライセンス』 [前編] のつづき −中略− [復讐] サンチェスを殺すため 「命令違反」 をするアイデアが面白い。ボンドが 「感情のある人間」 として描かれたからだ。これだけ危険な仕事をしていれば 「切れる」 ことだってあるだろう。「切れたボンド」 を過去誰も見たことがない。これがシリーズ16作品で初めての挑戦だった。6代目は常に切れていて違和感がないが、ダルトンが初めて見せた 「切れたボンド」 が 『007 消されたライセンス』 をやりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] にさせた。 −中略− [壮絶ハード・アクション] シリーズ16作品で最も過激な “壮絶ハード・アクション” は “ 『007』 ハード・アクション時代” が何かを叩き付ける。1作目の 『007 ドクター・ノオ』 から火薬の量は惜しげもなく使用してきたシリーズだが、何が違うかと言えば 「ボンドの怒り」 が火薬の爆発で描かれたことだ。その爆発の壮絶さが 「ボンドの怒りの大きさ」 に見える。「現代の視点でありえないもの」 までチャラにした “やりすぎ限界” なタンクローリーの爆発にブっ飛べ! [血まみれのボンド] シリーズ初 “血まみれのボンド” におしっこを漏らしてしまった。このボロ雑巾のように汚れた限界のボンドを見よ! ショーン・コネリーやロジャー・ムーアからは想像もできなかった姿だ。恐るべしティモシー・ダルトン。その “本気” の情熱は2作品連続で “やりすぎ限界男優賞” の受賞に相応しい限界の “ヤバ男” だ! [すげぇ切れ方] ティモシー・ダルトンの最高傑作が、過去16作品中で細部までリアリズムを見せた 『007 リビング・デイライツ』 か、「現代の視点でありえないもの」 があっても 「切れたボンド」 を見せた 『007 消されたライセンス』 か、今でも迷いがある。今現在の心境では “すげぇ切れ方” 「理由を教えよう」 の 『007 消されたライセンス』 がベスト1かもしれない。 [キャリー・ローウェル=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[009]007/リビング・デイライツ
 『007 リビング・デイライツ』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ティモシー・ダルトン ■やりすぎ限界女優賞 マリアム・ダボ ■やりすぎ限界女優賞 キャロライン・ブリス [シリー・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ティモシー・ダルトン ■やりすぎ限界女優賞 マリアム・ダボ ■やりすぎ限界女優賞 キャロライン・ブリス [シリーズ第15作目] 3代目ロジャー・ムーアから4代目ティモシー・ダルトンへ。ロジャー・ムーアの引退を引き金に “ 『007』 ハード・アクション時代” の改革が一気に進行する。ジョン・グレンとティモシー・ダルトンのコンビは過去の伝統を切り捨てる “ 「笑い」のないジェームズ・ボンド” へと暴走。“ 『007』 ハード・アクション時代” は加速度を増してクライマックスに突入する。ティモシー・ダルトンの “リアリズムに挑む芝居” とSFX技術の進歩を得たジョン・グレン。『007 ユア・アイズ・オンリー』 から溜めに溜めた抑圧された情熱が、火山の噴火のごとく一気に爆発する。 [第2位 4代目:ティモシー・ダルトン] ■4代目ジェームズ・ボンド : ティモシー・ダルトン 小鳥の雛は初めて見たものを親だと勘違いする。僕が生まれて初めて見たジェームズ・ボンドは 『007 リビング・デイライツ』 だった。過去の作品は子供の頃からTVで断片的には見ていたが、ちゃんと最初から最後まで見たのは 『007 リビング・デイライツ』 が初めてだった。「シリーズ誕生25周年の記念作品」 「4代目ティモシー・ダルトン」 「原点回帰」 で大騒ぎだった。だが高校生だった僕はショーン・コネリーもロジャー・ムーアもよく知らず、「原点回帰」 も何が原点かを知らない。初めて見たジェームズ・ボンドにただただ衝撃を受けた。僕の記憶に焼きついた 「ジェームズ・ボンド=ティモシー・ダルトン」 の印象は今でも消えない。 [本気] DVDの特典DISCに収録されている 『ウィーンでの記者会見』 より、ティモシー・ダルトンのインタビューを掲載する。 「演じる上で− 自分らしいボンドを 模索していきたい」 「ボンドは いつ殺されるかも しれないといった− 崖っぷちの人生を 送っている男なんです だからボンドと聞いて 連想するのは… これまでの 数々のボンド映画や− フレミングの原作でも 描かれていますが ボンド自身の 人生における危機感です “シェイクで頼む” と言うほど 酒には うるさく− ヘビースモーカーで 高速車を 走らせるのが好きと言うのは− 危ない橋を渡って生きる男の 象徴そのものでしょう」 ティモシー・ダルトンが作り上げてきたボンド像は、25年前では限界のリアリズムに挑戦したボンド像だった。それは1代目ショーン・コネリーや3代目ロジャー・ムーアを正面から否定するタブーへの挑戦だった。「ギャグが消えた 『007』 」 に現代の視点で漏らしてしまった。“ 「笑い」 のないジェームズ・ボンド” の凄まじい “やりすぎ” の変化に震撼してほしい。6代目ダニエル・クレイグよりも時代を先取りしていた事実を伝えておきたい。恐るべしティモシー・ダルトン。“やりすぎ限界男優賞” の称号に相応しい限界の “ヤバ男” だ。 [ “人間 : ジェームズ・ボンド” 俳優とは何か?] “女好きの諜報員” など冷静に考えて 「ありえない」。だが脚本や原作に “女好きの諜報員” と書いてあれば、「そう見える」 ようにするのが俳優の職業だ。また 「そう見える」 にも 「コント」 か 「リアリズム」 かで種類は別れる。「コント」 の芝居がロジャー・ムーア。「リアリズム」 の芝居がティモシー・ダルトンだ。 「リアリズム」 の場合、「本当に存在する人間」 に見えるか見えないかが演技の上手い下手の評価となる。俳優は例えリアリズムで 「 “女好きの諜報員” なんかいねぇよ」 と思っても、「 “女好きの諜報員” なんてこの世にいないのでできません」 と言えない。脚本に “女好きの諜報員” と書いてあれば “女好きの諜報員” を 「本当に存在する人間」 として見せねばならない。本当にそう見えるようにすることを 「成立させる」 と言う。 6代目ダニエル・クレイグが “極限のくそリアリズム” に到達できたのは、おそらく、もう企画の段階から脚本にも “女好きの諜報員” の設定が削除されたのだと推測する。だが4代目ティモシー・ダルトンの時はまだ削除されてなかった。そこでティモシー・ダルトンが 「成立させる」 ために組み立ててきた “女好きの諜報員” の芝居が “やりすぎ限界” なのだ。「本当に存在する人間」 に 「近づけた」 ティモシー・ダルトンが “やりすぎ限界男優賞” とは何かを見せる。ティモシー・ダルトンが構築してきた “人間 : ジェームズ・ボンド” = “女好きの諜報員” をぜひその目で確かめてほしい。 [危険男(ヤバ男) 言葉の語源] ※つづきはアメブロで!
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[010]007/美しき獲物たち
 『007 美しき獲物たち』ダイナマイト・ギャル2013-09-17
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆ [80] ■やりすぎ限界女優賞 タニア・ロバーツ [シリーズ第14作目] 3代目ロジャー・ムーアの有終の美を飾る最終章は、ジョン・グレンが正面から挑むストレートな・・・
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☆☆☆☆ [80] ■やりすぎ限界女優賞 タニア・ロバーツ [シリーズ第14作目] 3代目ロジャー・ムーアの有終の美を飾る最終章は、ジョン・グレンが正面から挑むストレートなアクション映画となった。「現代の視点でありえないもの」 「現代の視点でありえないキャラクター」 は消え、再び 『007 ユア・アイズ・オンリー』 の方向に軌道修正される。アカデミー賞受賞俳優のクリストファー・ウォーケンが悪役に起用される意欲的な作品となった。だがリアリズムを追求するならどこまでもリアリズムを成立させねばならない。中途半端に目指したリアリズムは 『女王陛下の007』 のように余計に粗が見える。『007 カジノ・ロワイヤル』 までの道はまだまだ遠い。 [ありがとうロジャー・ムーア] ■ロジャー・ムーア (46歳) ■ロジャー・ムーア (58歳) 3代目ジェームズ・ボンド : ロジャー・ムーアは、2013年現在 『007』 全23作品において出演最高記録7本を保持している。第8作 『007 死ぬのは奴らだ』 で3代目を襲名した時は46歳。だが最後の第14作 『007 美しき獲物たち』 の時は58歳だった。もう “ジェームズ・ボンド” を演じるには限界だった。 「全然強そうに見えない」、「段取りにしか見えない殺陣」、リアリズムに程遠い “大スペクタクルコント” だったが、とにかく全7作品は世界的な大ヒットを記録した。現代まで 『007』 シリーズを繋いだ功績は尊敬しなければならない。58歳まで7本も出演した理由は、「作れば絶対大ヒット」 となるロジャー・ムーアを映画会社が離さなかったからだと思う。人間ロジャー・ムーアの人柄と魅力以外なかっただろう。ロジャー・ムーアは 「美女とやりまくるバカ映画」 で最後まで疲れた観客の心を癒やしてくれた。たくさんの笑いと夢を今まで 「ありがとう」。そして58歳まで 「お疲れ様でした」。ロジャー・ムーアの映画魂を心から讃えたい。 [ありがとうロイス・マクスウェル] 『007 ドクター・ノオ』 から全作品マネーペニーを演じてきたロイス・マクスウェルも本作が最後で引退する。『女王陛下の007』 ではボンドが結婚して涙を流すシーンもあった。初めは 「ボンドに片想いのMの秘書」 だったが、22年経った 『007 美しき獲物たち』 では 「昔男女の関係だった同い年の女」 に見えてしまう。ロイス・マクスウェルもロジャー・ムーアと同じく限界の時がきてしまった。ロイス・マクスウェルにも 「ありがとう」 「お疲れ様でした」 の言葉を贈りたい。 [ステロイド児] ソ連から亡命したゾリンは、ナチの強制収容所の 「ステロイドによる 知能向上実験」 で生まれた 「ステロイド児」 だ。だがどこまで本当のことか真相がわからない。ゴーゴル将軍まで出て映像がリアルになってくると、「本当」 か 「嘘」 かがとても気になって見える。嘘だった場合は批判の攻撃を受ける可能性もあるので中途半端なリアリズムはあまり好ましくない。 [ゾリンとメイ・デイの関係性] メイ・デイをいとも簡単に裏切るゾリンにリアリズムが見えない。「ステロイド児」 が影響している展開になっていないからだ。“大スペクタクルコント” でないとこのような部分が余計に目立つ。『ディア・ハンター』 のクリストファー・ウォーケンが出演してこの展開ではかなり物足りなかった。 [火事] この時58歳のロジャー・ムーアはアクションが限界で殆どがスタントマンだった。だがジョン・グレンの撮り方が巧くとても格好良く映っている。火事からタニア・ロバーツを救出するシーンはとても格好良かった。今でもとても男樹に見える。 [水の底に沈むシリコンバレー] 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』 を彷彿させる大スケールのセット。SFX技術の向上でヘイワード断層とサン・アンドレアス断層を同時に爆破するシーンは本当に凄まじい。これも 『スーパーマン』 でレックス・ルーサーがカリフォルニアを壊滅する計画を彷彿させる。映画ヲタクには目頭が熱くなるオマージュかもしれない。 [空中撮影] ※つづきはアメブロで!
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[011]007/オクトパシー
 『007 オクトパシー』ダイナマイト・ギャル2013-05-30
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆ [80] ■やりすぎ限界男優賞 スティーヴン・バーコフ ■やりすぎ限界女優賞 モード・アダムス ■やりすぎ限界女優賞 ティナ・ハドソン [シリーズ第13作目] 「女が・・・
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☆☆☆☆ [80] ■やりすぎ限界男優賞 スティーヴン・バーコフ ■やりすぎ限界女優賞 モード・アダムス ■やりすぎ限界女優賞 ティナ・ハドソン [シリーズ第13作目] 「女がいっぱい出る “大スペクタクルコント” に戻してくれ!」 ジョン・グレンはプロデューサーと映画会社に命令されたのかもしれない。ジョーカーが 『ダークナイト』 で言った 「だが もう戻りやしない」 「お前が変えたからだ 永遠に」 の台詞のごとく、ガイ・ハミルトンとルイス・ギルバートが変えたものは簡単に破壊できない。“ 『007』 ハード・アクション時代” の改革は続く。 [ “速” すぎたリアリズム] 『007 ユア・アイズ・オンリー』 の改革はあまりに速すぎたのかもしれない。『007 オクトパシー』 は 「美女とやりまくるバカ映画」 の “本来のジェームズ・ボンドのスタイル” に逆戻りする。リアリズムが削ぎ落とされ、かなり 「現代の視点でありえないもの」 が見えた。だが 「現代の視点でありえないキャラクター」 の登場を防いだのはギリギリの救いだった。「バカバカしい映画」 なのか 「くそ真面目な映画」 なのか、中途半端では “やりすぎ限界映画” に到達できない。 [現代の視点でありえないもの] ■蜘蛛と虎 これは絶対に助からない。“大スペクタクルコント” のやっつけ仕事に逆戻りだ。 ■女だけの宝石密輸組織 アンディ・シダリスの 『ピカソ・トリガー』 に逆戻りしてしまった。長い年月をかけて築き上げられた 「伝統」 は簡単に破壊できないと痛感。 ■ワニ型潜水艇 誰が犯人なのか? ロジャー・ムーアか? プロデューサーか? それとも本当はジョン・グレンが自ら望んでやったのか? 今となっては真相は迷宮入りだ。 ■Qの暴走 老人のQがボンドとコンビで最終対決に参戦など 「ありえない」。女達に囲まれてご満悦なQも壮絶にバカバカしい。 [超小型ジェット機 「アクロスター」 ] 世界最小のジェット機 「BD-5J」 のリアリズムは壮絶極まりない。アクションの本気さが凄まじいだけに余計 「蜘蛛と虎」 のアンバランスさが際立つ。 [NATOとの軍縮協議] ソ連のゴーゴル将軍とオルロフ将軍が軍縮において 「妥協」 か 「戦争」 かで激突。「戦争より内政問題が先決だ」 と主張するゴーゴル将軍はもはや 『007 ムーンレイカー』 と別人。大マジな姿に2、3滴漏らしてしまった。「女だけの宝石密輸組織」 と絵が釣り合わない。 [ベルリンの壁] ボンドが東側に潜入する場面に崩壊前の緊張感が出ている。「冷戦」 「核戦争」 の恐怖に沸いた80年代の映像と 「ワニ型潜水艇」 の映像が、ジョン・グレンの精神分裂のように見える。 [輝ける英雄] ゴーゴル将軍に射殺されるオルロフ将軍。「見てろよ あすは− 私はソビエト連邦の− 輝ける英雄だ」 と言い残して絶命する。歪んだ本気の愛国心が限界のインパクトを見せる。“ 『007』 大スペクタクルコント時代” には絶対見れなかったキャラクターだ。 [空中撮影] ※つづきはアメブロで!
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[012]007/ユア・アイズ・オンリー
 『007 ユア・アイズ・オンリー』ダイナマイト・ギャル2013-05-30
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ロジャー・ムーア ■やりすぎ限界女優賞 キャロル・ブーケ [シリーズ第12作目] ルイス・ギルバート監督からジョ・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 ロジャー・ムーア ■やりすぎ限界女優賞 キャロル・ブーケ [シリーズ第12作目] ルイス・ギルバート監督からジョン・グレン監督へ。“ 『007』 大スペクタクルコント時代” が終わり、ここからは “ 『007』 ハード・アクション時代” が始まる。「アクションは本気だがギャグも入れる」 という新しいスタイルに 『007』 は軌道修正される。ジョン・グレンの大規模な “改革” は、以後4代目ティモシー・ダルトン、5代目ピアース・ブロスナンまで続く、“現代の視点” で 「通用する」 新しい 『007』 シリーズの土台を築き上げる。 [ブロフェルドの最期 ザ・ラスト・スペクター] 冒頭は妻テレサ・ボンドの墓参りから始まる。第6作 『女王陛下の007』 でテレサ・ボンドを殺したブロフェルドがボンドに再挑戦する。ブロフェルドの最期は 「煙突に落ちて死ぬ」 という、最も間抜けでダサい 「ルイス・ギルバート級のコント」 で葬られる。これは “ 『007』 大スペクタクルコント時代” の最期を象徴する、ジョン・グレンの 「強い決意」 「過去の切り捨て」 にも見える。 [ 「ありえない!」 格好良いロジャー・ムーア!] 「美女とやりまくるバカ映画」 の “本来のジェームズ・ボンドのスタイル” が壊れた! ボンドが軽く女と寝ないぞ! キャロル・ブーケの復讐を諭して止めるなんて信じられない。ボンドがリアリズムのある “人間” になってしまった! 監督が変わると映画はここまで変わるのか。第12作目まででは 『007 ロシアより愛をこめて』 を超えた一番リアリズムがある 『007』 かもしれない。 殺し屋を断崖に追いつめるボンド。格好良いロジャー・ムーアなんて 「ありえない!」 壮絶なハードボイルドだ。6代目ダニエル・クレイグには及ばないが、これじゃあ 『007 ムーンレイカー』 と違う人に見えるぜ! 車が崖に引っ掛かる時 『男たちの挽歌』 級の 「香港的」 ないい音が響く。3代目ロジャー・ムーア版 “ジェームズ・ボンド” 全7作品のベスト1は、間違いなく 『007 ユア・アイズ・オンリー』 だろう。そして “裏” ベスト1が 『007 ムーンレイカー』 だ! [壮絶ハード・アクション] 6代目ダニエル・クレイグの “極限のくそリアリズム” まで到達してないが、『007 ユア・アイズ・オンリー』 から、『007』 は俳優の肉体を使う “本気のアクション” へ作風が変わる。ジョン・グレンはロジャー・ムーアの 「段取りにしか見えない殺陣」 を、何とか見えるものにする努力に挑む。 水中撮影の技術はもはや 『007 サンダーボール作戦』 の比ではない。SFX技術の進歩でかなりハラハラさせられる完成度に仕上がっている。潜水スーツとの格闘もかなりの迫力だ。キャメロン監督の 『アビス』 の基礎がすでに見える。 ボンドとキャロル・ブーケがロープに縛られて水中を引き回されるのも壮絶。スタントマンなのだろうが、これまでの 『007』 アクションとは明らかに違う。 ロック・クライミングの撮影も息を呑まれる。ジョン・グレンのアクションはリアリズムで観客を引き込む。ロジャー・ムーアがこんなに格好良く見えるのは信じられない。 [デタント] とうとう本気の “社会情勢” が描かれる。今までも公開当時は “冷戦” の真っ只中だったが、“大スペクタクルコント” の世界では実感できなかった。『007 私を愛したスパイ』 『007 ムーンレイカー』 のソ連のゴーゴル将軍が、本当の敵役として登場する。『007 私を愛したスパイ』 ではボンドとトリプルXの縁結びを、『007 ムーンレイカー』 ではベッドに “ダイナマイト・ボンバー・ギャル” がいたゴーゴル将軍が、違う人間になってしまったのだ! 恐るべしジョン・グレン。もう少しで危うく漏らすとこだった。ボンドは 「米ソデタント」 の間で緊張緩和に尽力する。 [キャロル・ブーケ=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[013]007/ムーンレイカー
 『007 ムーンレイカー』ダイナマイト・ギャル2013-05-08
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 リチャード・キール ■やりすぎ限界女優賞 ブランシュ・ラヴェレック ■やりすぎ限界男優賞 ロジャー・ムーア ■やり・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■やりすぎ限界男優賞 リチャード・キール ■やりすぎ限界女優賞 ブランシュ・ラヴェレック ■やりすぎ限界男優賞 ロジャー・ムーア ■やりすぎ限界女優賞 ロイス・チャイルズ [シリーズ第11作目] 今 『007 ムーンレイカー』 と “ 『007』 シリーズ誕生50周記念作品” 『007 スカイフォール』 を見比べると、とても同じシリーズの映画には見えない。だが 『007 ムーンレイカー』 なくして、『007 スカイフォール』 は生まれなかった。 『007』 シリーズ最大の 「極限のバカ映画」 にして、“ 『007』 大スペクタクルコント時代” の最終章。ガイ・ハミルトンからルイス・ギルバートへ引き継がれた “大スペクタクルコント” の世界はとうとう “棲息速度域” へ到達する。そしてここに “ 『007』大スペクタクルコント時代” の幕が閉じる。“本物のジェームズ・ボンド” を永遠に忘れないでほしい。万感の思いを込めてこの文章を捧げる。 [SFX時代の幕開け] 『スター・ウォーズ』 (1977年)、『未知との遭遇』 (1978年)、『エイリアン』 (1979年) の3本がアメリカ映画の特殊撮影技術の基礎を作ったと何かで読んだ。SF映画を本格的なリアリズムで描く作風はここから始まった。『007 ムーンレイカー』 はこの影響が大きく、「日本の子供番組レベルの美術が極限のマイナス方向に爆発」 した 『007は二度死ぬ』 と大違いだ。巨額の製作費をかけた “大スペクタクルコント” はさらに壮絶さを増す。 [現代の視点でありえないもの] ■不死身 『007 死ぬのは奴らだ』 『007 黄金銃を持つ男』 のペッパー保安官に続く 「絶対ありえない」 2作品連続登場。またしても 「人間ではない」 “大スペクタクルコント” を徹底的に見せる。オープニングからパラシュートなしの降下でもジョーズは絶対死なない。 ケーブルカーが故障して止まらず大破。だがジョーズには少し転んだ程度だ。 ボートが止まらず滝に転落。ここまで “笑い” の精神を徹底的に貫くルイス・ギルバートに敬意を表する。 ■細部にまで行き届く “笑い” どんな時にも絶対 “笑い” を忘れないサービス精神。心から尊敬する。 ■先祖として選ばれた 「完ぺきなる肉体を備えた人類」 「新人類創造」 の野望を抱くドラックスが先祖として選んだ 「完ぺきなる肉体を備えた人類」 達。何兆円も掛かる大計画において、一体何を基準にして選んだのかが大問題だ。人間の尊厳である 「想像力」 は考慮されてたのか? 「間違ってる」 というテーマを描くためにドラックスにバカな真似をさせたのか? それともルイス・ギルバートが本気で 「完ぺきなる肉体を備えた人類」 を先祖として選んでしまったのか? 脚本家の責任なのか? 今となっては知ることができない。 ■「起きていたよ」 ソ連のゴーゴル将軍がドラックスを阻止すべく立ち上がる。「寝てられるかね? 問題ばかりだ」 と話すベッドには “ダイナマイト・ボンバー・ギャル” が。いらないとこに異常なリアリズムがあってどうする! このシーンは本当に必要だったのか! このシーンの意味は! ■シャトルを操縦するボンド お前操縦できんのか! 行きは 「フライト・プログラムは セットされてるわ」 なんて言っていたが、帰りはもろ 「手動」 で大気圏突入だ! 細かいことは気にするな! 「ボンド、ジェームズ・ボンド」。 ■無重力SEX 「米英初のジョイント飛行なので…」 とM達が話していると、任務完了したボンドとロイス・チャイルズの 「無重力SEX」 映像が! 「何をしとる?」 の問いにQが 「再突入でしょう」 と答える。バカ過ぎる! これが “本物のジェームズ・ボンド” だ! ■『007 ムーンレイカー』 [後編] につづく ※つづきはアメブロで!
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[014]007/私を愛したスパイ
 『007 私を愛したスパイ』ダイナマイト・ギャル2013-05-08
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆★★ [90] ■やりすぎ限界男優賞 リチャード・キール ■やりすぎ限界女優賞 キャロライン・マンロー [シリーズ第10作目] ガイ・ハミルトン監督からルイス・ギルバー・・・
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☆☆☆☆★★ [90] ■やりすぎ限界男優賞 リチャード・キール ■やりすぎ限界女優賞 キャロライン・マンロー [シリーズ第10作目] ガイ・ハミルトン監督からルイス・ギルバート監督へ。『007は二度死ぬ』 のルイス・ギルバートが帰ってきた! 微塵のリアリズムもない “大スペクタクルコント” の世界は、「もう戻れない」 “スピードの向こう側” の先の “棲息速度域” へ突入する。「生粋のバカ映画」 から 「完全なバカ映画」 へ。ルイス・ギルバートとロジャー・ムーアのコンビが “2乗” の暴走へ突き進む。“ 『007』 大スペクタクルコント時代” がクライマックスへ向かう 「シリーズ最新第10弾 特別記念超大作!」。 [現代の視点でありえないもの] ■国旗のパラシュート オープニングからブっ飛ばせ! スパイが自国の国旗のパラシュートでスカイダイビング! お前本当にスパイか! ■海洋生物学者 こいつが海洋生物学者には絶対見えない! ■ロータス・エスプリ 「やりすぎ」 だろう。『007 ゴールドフィンガー』 のアストンマーチンはまだリアリズムがあった。だが現代の科学でもここまで小型の水陸両用車はまだ無理だ。アイデアは凄まじいが車内の防水やガラスの遮閉など “インチキ” 部分が多過ぎだ。 ■衣装 拉致したバーバラ・バックにどうやってこの衣装を着せたんだ! バカ過ぎる! ■婚約者を殺害した男 バーバラ・バックの婚約者を殺害したボンドと 「絶対ありえない」 だろう! 本当にこれでいいのか! [現代の視点でありえないキャラクター] ■ジョーズ [1回目] 『007』 を語るなら、こいつが出ない訳にいかないだろう。“ 『007』 大スペクタクルコント時代” のクライマックスに止めを刺す限界の “ありえないキャラクター”。ジョーズなくして 『007』 を語ることはできない。6代目ダニエル・クレイグしか知らない若者達よ、これが “本物のジェームズ・ボンド” だ! ■不死身 列車から転落しても不死身! 崖から転落しても不死身! もう人間ではない! ■鋼鉄の歯 ※つづきはアメブロで!
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[015]007/黄金銃を持つ男
 『007 黄金銃を持つ男』ダイナマイト・ギャル2013-05-08
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆★ [85] ■やりすぎ限界女優賞 モード・アダムス [シリーズ第9作目] 黄金銃を持つ男スカラマンガがジェームズ・ボンドに挑戦する。微塵のリアリズムも存在しなけれ・・・
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☆☆☆☆★ [85] ■やりすぎ限界女優賞 モード・アダムス [シリーズ第9作目] 黄金銃を持つ男スカラマンガがジェームズ・ボンドに挑戦する。微塵のリアリズムも存在しなければ社会背景もテーマも存在しない 「生粋のバカ映画」。ガイ・ハミルトンとロジャー・ムーアのコンビが歯止めの効かない暴走に突き進む。この写真のイメージが映画の全てだ! [現代の視点でありえないもの] ■第3の乳首 乳首が3つあることは結局物語に何も影響しない。恐るべき意味のない 「虚仮威し」 だ! ■段取りにしか見えない殺陣 “極限のくそリアリズム” の6代目ダニエル・クレイグしか知らない若者達に、“本物のジェームズ・ボンド” を見せよう。「何が真実か?」 6代目ダニエル・クレイグと比較してほしい。これが 『007』 シリーズの歴史を築いた極限の 「段取りにしか見えない殺陣」 だ! ■宙返りする自動車 ここまでくると 「いかに笑わせるか?」 が勝負だ! ■水着の “ボンド・ガール” ガイ・ハミルトンがまたやった! 『007 ダイヤモンドは永遠に』 でジル・セント・ジョンがパンツにテープを挿したごとく、水着の “ボンド・ガール” ブリット・エクランドが 「お尻」 で 「太陽エネルギー装置」 を作動させる。本当にこれでいいのか! [現代の視点でありえないキャラクター] ■小人 世界征服を企てるスカラマンガの側近が小人でいいのだろうか? ■ペッパー保安官 [2回目] ※つづきはアメブロで!
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[016]007/死ぬのは奴らだ
 『007 死ぬのは奴らだ』ダイナマイト・ギャル2013-05-08
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆★ [85] ■第2稿 2013年4月23日 版 [シリーズ第8作目] 2代目ジョージ・レーゼンビーから3代目ロジャー・ムーアへ。5代目ピアース・ブロスナン、6代目ダニエル・・・・
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☆☆☆☆★ [85] ■第2稿 2013年4月23日 版 [シリーズ第8作目] 2代目ジョージ・レーゼンビーから3代目ロジャー・ムーアへ。5代目ピアース・ブロスナン、6代目ダニエル・クレイグしか知らない現代の若者達に、僕は “本物のジェームズ・ボンド” を伝えなければならない。微塵のリアリズムもない 「バカ映画」 の要素は3代目ロジャー・ムーアから加速度を増し、「美女とやりまくるバカ映画」 の “本来のジェームズ・ボンドのスタイル” が確立されていく。壮大な “大スペクタクルコント” の世界がいよいよ幕を開ける。ガイ・ハミルトンとロジャー・ムーアの暴走から、『007』 は 「もう戻れない」 シリーズへと突き進む。 [第1位 3代目:ロジャー・ムーア] ■3代目ジェームズ・ボンド : ロジャー・ムーア 幼馴染の T に 「最強のジェームズ・ボンドは誰だ?」 と質問したら、速答で 「ロジャー・ムーアに決まってんだろ」 と言われた。「ショーン・コネリーが一番」 と答える映画ファンは多い。だが 「もう戻れない」 とこまで到達した狂気の映画おたくは、迷わず 「ロジャー・ムーア」 と答える者が多いだろう。ロジャー・ムーアの偉大さは 「全然強そうに見えない」 ことだ。弱々しい 「段取りにしか見えない殺陣」 は全作品を通して本当に凄まじい。“極限のくそリアリズム” の6代目ダニエル・クレイグと対極の位置にいる。もともと 『007』 は 「バカ映画」 の要素が強かったが、「完全なバカ映画」 に仕上げたのはこのロジャー・ムーアの偉業だった。「微塵のリアリズムもない 『007』 」 はロジャー・ムーアによって完成された。 またロジャー・ムーアは 『007』 全23作品 (2013年現在) 中で出演最高記録7本を保持している。その全7作品が歴史に残る大ヒットを記録している現実は尊敬しなければならない。現在でも70年代、80年代の有線にはロジャー・ムーアの7作品の主題歌が流れているほどだ。ロジャー・ムーアはショーン・コネリーによって完成されたジェームズ・ボンドのイメージを崩し、新しいジェームズ・ボンドを生み出すことに成功した。2代目ジョージ・レーゼンビーにできなかったことを成し遂げた功績は尊敬に値する。3代目ロジャー・ムーアこそが、僕の中の “真実のジェームズ・ボンド” だと確信している。 [現代の視点でありえないもの] ■タロットカード もうバカ過ぎて何も言えない。「騙したのね」 とならないことが 「ありえない」。占いなんて嘘なのだ。「お前らもういい加減にしろ」。 ■ワニ リアリズムならこれは絶対助からない。凄まじい限界の “やっつけ仕事” に震撼する以外なす術はない。 ■圧縮ガス弾 「やりすぎ」 だろう。これが “本物のジェームズ・ボンド” の世界だ。微塵のリアリズムも存在しない “荒” 手のギャグにブっ飛べ! ■鉄の義手 銃を握り潰す鉄の義手が、ニッパ―でワイヤーを切られて開かなくなり死ぬ。 [現代の視点でありえないキャラクター] 3代目ロジャー・ムーアから、リアリズムに欠ける “暴走キャラクター” 達が登場する。彼らは物語にあまり影響しないが異常なほど目立って暴れ、“大スペクタクルコント” に花を添える。“笑い” には絶対不可欠な重要な存在だ。 ■ペッパー保安官 [1回目] まずペッパー保安官に部下がいるのが信じられない。ペッパー保安官は仕事ができる人間に見えないのが凄まじい。 [ジェーン・シーモア=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[017]007/ダイヤモンドは永遠に
 『007 ダイヤモンドは永遠に』ダイナマイト・ギャル2013-04-23
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆★ [85] ■第2稿 2013年4月13日 版 [シリーズ第7作目] 『女王陛下の007』 でリアリズム路線に傾いたシリーズをガイ・ハミルトンが許さなかった! 最初から最後まで・・・
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☆☆☆☆★ [85] ■第2稿 2013年4月13日 版 [シリーズ第7作目] 『女王陛下の007』 でリアリズム路線に傾いたシリーズをガイ・ハミルトンが許さなかった! 最初から最後まで 「ありえない」 ことのオンパレードで、突っ込んだらきりがないほど凄まじい。話などもうどうでもよく、“ボンド・ガール” ジル・セント・ジョンの肢体以外もう何も覚えていない。「激バカ映画」 に方向修正したガイ・ハミルトンの裁きが下る。 [第4位 1代目:ショーン・コネリー(復帰)] ■1代目ジェームズ・ボンド : ショーン・コネリー (復帰) 2代目ジョージ・レーゼンビーのたった1本だけの降板事件で、1代目ショーン・コネリーが再びジェームズ・ボンドに復帰する。『007 ダイヤモンドは永遠に』 がここまで 「バカ映画」 になったのは、ガイ・ハミルトン監督だけのせいではないだろう。“ミンク” のショーン・コネリーにもきっと恐るべき力があるのだ。「あんたに殺されたくねえ」。 [ブロフェルド3部作] 5作目 『007は二度死ぬ』、6作目 『女王陛下の007』、本作 『007 ダイヤモンドは永遠に』 は “ブロフェルド3部作” と呼ばれている。国際テロ組織スペクターとの対決は一応本作で完結する。ブロフェルドの強さは 『スター・ウォーズ エピソード ジェダイの帰還』 の皇帝と同じになり、3部作の最期は限界のコントで終わる。 [現代の視点でありえないもの] ■ブロフェルド暗殺 冒頭のブロフェルドを殺す場面から限界だった。リアリズムなら銃で頭を撃ち抜くがそんなことはしない。ベッドに縛り付けたブロフェルドを泥の中に放り込み生死も確認しない。本当は殺す気などないのだ。「いかに笑わせるか?」 が 『007 ダイヤモンドは永遠に』 のテーマだ。巨額の製作費をかけた大スペクタクルコントだ。 ■替え玉 米ソを震撼させた国際テロ組織スペクターの首領が命を懸けてこだわったのは 「自分の替え玉」 の製作だった。ボンドが間違えて 「自分の替え玉」 を殺すと得意になって大喜びをした。他に身を守る方法は考えられなかったのか? とうとう最後まで本当に世界征服したい人間には見えなかった。 ■ブロフェルドの女装 本当にこれでいいのだろうか? ■簡単に取り出せるテープ ジル・セント・ジョンがパンツに挿したテープで 「人工衛星」 を止める。ジル・セント・ジョンに止められる 「ありえない」 設備は大問題だ。 ■本気で殺す気がないボンド 最終対決でクレーンにぶら下げたブロフェルドを建物に何回もぶつけて楽しむボンド。お笑いバラエティ番組級のコントだ。ボンドも本気で殺す気がないのだ。基地が大爆発するとブロフェルドを放って皆海に飛び込み、ブロフェルドの生死は最後までわからない。皆ただ楽しく遊んでいるだけだったのだきっと。ブロフェルドは第12作目 『007 ユア・アイズ・オンリー』 で復活する。 [ジル・セント・ジョン=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[018]女王陛下の007
 『女王陛下の007』ダイナマイト・ギャル2013-03-29
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆★★ [90] [シリーズ第6作目] 1代目ショーン・コネリーから2代目ジョージ・レーゼンビーへ。『007は二度死ぬ』 で初めて顔を見せたスペクターの首領エルンスト・ス・・・
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☆☆☆☆★★ [90] [シリーズ第6作目] 1代目ショーン・コネリーから2代目ジョージ・レーゼンビーへ。『007は二度死ぬ』 で初めて顔を見せたスペクターの首領エルンスト・スタヴロ・ブロフェルドが、正面からボンドと対決する。『007は二度死ぬ』 が壮大なコントになってしまったのに対して、えらく真面目な正統派のアクション映画へと作風が変貌する。 『女王陛下の007』 は多少リアリズムがあるだけに辻褄の合わない部分が目立つ。細菌兵器の発想はリアルだがばら撒く方法に現実感がない。ボブスレーのチェイスが凄まじいが、なぜボンドはブロフェルドに止めを刺さないのか? など、現代の視点で納得できない部分が多々見えた。逆にリアリズムがあったからここまで見えたのだと思う。 [第6位 2代目:ジョージ・レーゼンビー] 『007』 全23作品 (2013年現在) 中でたった1本だけしか出演しなかった悲劇のジェームズ・ボンド。1代目ショーン・コネリーが6本、3代目ロジャー・ムーアが7本、4代目ティモシー・ダルトンが2本、5代目ピアース・ブロスナンが4本、6代目ダニエル・クレイグが3本出演した中で、2代目ジョージ・レーゼンビーが出演最低記録を保持している。「1本だけのジェームズ・ボンド」 は逆にとても印象が強いが、僕の中であまり “ジェームズ・ボンド” のイメージに見えないのが第6位の理由だ。 だが 『007』 の歴史の中で1本だけでもジェームズ・ボンドを演じたことは尊敬に値する。「この1本だけシリーズから削除」 とはならず、全23作品の歴史に 「2代目ジョージ・レーゼンビー」 と名前を残したのは凄まじい。誰にでも真似できることではない。ジョージ・レーゼンビーはアクションの感性が良く、格闘やスキー、ヘリコプターでの襲撃シーンなど素直に凄かった。だが1本で降板した逸話を知ると人間の哀しさが見える。 [本物の結婚 妻:テレサ・ボンド] 「美女とやりまくるバカ映画」 の 『007』 シリーズだが、『女王陛下の007』 でジェームズ・ボンドは本当に結婚する。見ていて最初は冗談かと思うが本当なので驚く。「妻テレサ・ボンド」 の逸話は以後シリーズ中でも度々出てくる。「あのジェームズ・ボンドが実は結婚していた」 ことはマニアしか知らない真実かもしれない。 [ダイアナ・リグ=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[019]007は二度死ぬ
 『007は二度死ぬ』ダイナマイト・ギャル2013-03-11
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■第2稿 2013年4月12日 版 [シリーズ第5作目] 冷戦の宇宙開発競争を背景に米ソ開戦の危機をジェームズ・ボンドが救う。壮大なスケール・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■第2稿 2013年4月12日 版 [シリーズ第5作目] 冷戦の宇宙開発競争を背景に米ソ開戦の危機をジェームズ・ボンドが救う。壮大なスケールの物語だが、日本の子供番組レベルの美術が極限のマイナス方向に爆発する。 『007 ゴールドフィンガー』 から増え続ける女性エキストラ達を見て、『007』 シリーズの本質が、アンディ・シダリス監督の 『ピカソ・トリガー』 シリーズと大差がないことを実感した。逆にシダリス監督の 『ピカソ・トリガー』 は、この頃の 『007』 から大きな影響を受けていたのかもしれない。 [外国から見た日本] 外国映画に登場する日本はかなり危険な解釈が多い。日本の誤解に厳しい批判をする人もいるが、僕は誤解されることがあまり嫌いではない。ちやほやされるのが好きな性格の僕は、誤解されても 「日本を描きたい」 と思ってくれた気持ちがうれしい。魅力がなければ人間は描きたいと思わないからだ。僕は 『007は二度死ぬ』 の日本をイメージしたオープニング・タイトルがかなり好きだ。 [ヤバい] だが実際は日本人の僕が見て 「ヤバい」 と思うことの方が本当は多い。誤解された日本を見て 「ヤバい」 と実感するのは 「外国人にどう思われているか」 ということ。これは逆に笑って見るのが僕は好きだ。「見る価値がないほどナンセンス」 と思うか、「滅多に見れないほど貴重な極限の際物」 と思うか意見は分かれるだろう。僕は間違いなく後者の意見だ。『007は二度死ぬ』 は映画史に刻まれる貴重な映像をこの世に残した。偉業を成し遂げた。 [現代の視点でありえないもの] ■洗練されたお風呂 温泉のような大浴場で下着姿の女達がボンドの背中を流す。何が見せたいのか理解できないが、これが外国人がイメージした 「日本のお風呂」 かもしれない。 ■神前式 スペクターの基地に潜入するため、「日本人になる」 という理解できない理由で結婚するボンド。和服を着た日本の結婚式が行われる。ボンドの三三九度は限界だ。こんな貴重な映像は二度と見れないだろう。2、3滴漏らしてしまった。 ■漁師 結婚したボンドが漁師になる。麦わら帽子で手拭いを首に巻くボンド。歴史に残る衝撃映像だ。この説明しがたい異様な違和感をぜひ体感してほしい。漁師になったショーン・コネリーを見て僕は4、5滴漏らしてしまった。 ■忍者 『ラスト サムライ』 や 『バットマン ビギンズ』 にも忍者が登場する。“忍者” が出てくる外国映画は後を絶たない。外国人にとって “日本の脅威ベスト10” に入るような恐れ方だ。だが信憑性に欠ける忍者が、なぜここまで脅威の存在に見えるのかは理解できない。 「現代版の忍者」 の訓練を受けたボンドが火口の秘密基地に潜入する。全身タイツのような灰色の忍者スーツが凄まじい。ショーン・コネリーの “全身タイツ姿” で僕は完全に漏らしてしまった。こんなバカな恰好はショーン・コネリーの映画人生で最初で最後の不祥事だろう。この貴重な映像が消えずに残っていることに、映画の偉大さを改めて実感した。 [浜美枝=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[020]007/サンダーボール作戦
 『007 サンダーボール作戦』ダイナマイト・ギャル2013-03-06
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆★ [85] ■第2稿 2013年4月12日 版 [シリーズ第4作目] 米ソ冷戦を背景にNATOの原爆を国際犯罪組織スペクターが奪う。社会背景が描かれれば良いという訳ではない・・・
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☆☆☆☆★ [85] ■第2稿 2013年4月12日 版 [シリーズ第4作目] 米ソ冷戦を背景にNATOの原爆を国際犯罪組織スペクターが奪う。社会背景が描かれれば良いという訳ではないが、約50年前の娯楽映画から冷戦の史実を実感できるのは凄い。僕が生まれる前からソ連崩壊まで続いた冷戦をジェームズ・ボンドから実感できた。記録を永遠に後世に残せることは映像の偉大さの一つだ。『007 ゴールドフィンガー』 よりかなり現実感が見える。テロ組織スペクターとの戦いは12作目 『007 ユア・アイズ・オンリー』 まで続く。 『007 サンダーボール作戦』 は冒頭のジェット・パックから本編の水中アクションまでかなり迫力があった。テレンス・ヤング監督は俳優の格闘の撮り方が巧い。『007 ロシアより愛をこめて』 と本作の殺陣は見ていて痛そうなほど凄まじい。ショーン・コネリーと相手の俳優の両方とも、かなり本気で痛そうなのが見ていて伝わる。 [ダイナミックな水中撮影] どうやって撮影したのかと思うほどの水中撮影が凄まじい。スタートを掛ける、カットを割る、NGの撮り直し、相当大変だったと推測した。見ている僕が耳がキンキンになって酸欠で頭がボーっとしそうだった。テレンス・ヤング監督と全スタッフ、俳優達の、体を張った本気の撮影を尊敬した。 [現代の視点でありえないもの] ■ミンク 「お前ここに何しにきたんだ?」 と聞きたくなるほどバカ過ぎる。「一体どこでミンクを手に入れたのか?」 あまりのバカさ加減に度肝を抜かれるだろう。この凄まじきバカさ加減と緊張感のなさは尊敬に値する。恐るべし 『007』、ショーン・コネリーには “ミンク” が似合いすぎた。 [ルチアナ・パルッツィ=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[021]007/ゴールドフィンガー
 『007 ゴールドフィンガー』ダイナマイト・ギャル2013-02-20
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆★ [85] ■第3稿 2013年4月19日 版 [シリーズ第3作目] リアルタイムでの社会問題や世界情勢など微塵も描かれない。物語の中に共感できる部分は一切なかった。『007・・・
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☆☆☆☆★ [85] ■第3稿 2013年4月19日 版 [シリーズ第3作目] リアルタイムでの社会問題や世界情勢など微塵も描かれない。物語の中に共感できる部分は一切なかった。『007 ゴールドフィンガー』 は 『007 ロシアより愛をこめて』 で見られた緊迫感がなくなり子供マンガのようにおめでたい。“オッドジョブの帽子” や “グランド・スラム計画” には微塵のリアリズムもない。後から調べた知識で大ヒットした事実を知ると、当時流行の “娯楽映画の作り方” が見える。僕は 『スター・ウォーズ エピソード : 新たなる希望 (特別編) 』 の 「もっと文化的だったころの繊細な武器」 の台詞を思い出した。ほのぼのとした緊張感のない作風は、世界大不況で追いつめられた現代と違う暖かかった時代の象徴かもしれない。 [シリーズ初登場 アストンマーチンDB5] 社会問題など微塵も存在しないバカ映画だが、“アストンマーチンDB5” にだけ凄まじいリアリズムが存在した。『007 ゴールドフィンガー』 を製作したエネルギーの90%がこの “ボンド・カー” に集中していたように見える。“秘密兵器” を搭載した改造車で “アストンマーチンDB5” より古い車を僕は知らない。これが映画の中での世界初の改造車? かもしれない。 “ボンド・カー” で有名な “アストンマーチンDB5” が 『007 ゴールドフィンガー』 で初めて登場する。まず思いついたアイデアを尊敬したい。秘密兵器搭載の車を大の大人が真剣に作っていた姿を想像すると、とても熱いものが込み上げる。「社会問題なんか関係ねぇ!」 というスタッフ達の “本気” の魂が伝わる。“アストンマーチンDB5” が映画製作の歴史に与えた影響は大きかっただろう。50年前に作られた車が 「本当に作れそう」 な異常なリアリズムを見せる姿は、現代の視点でも本当に凄まじい。 [現代の視点でありえないもの] ■水鳥の帽子 冒頭で海から潜入するボンド。潜水服の頭には水鳥が乗った帽子がついている。あまりのダサさにあと少しでおしっこ漏らすとこだった。 ■オッドジョブの帽子 微塵のリアリズムもないこの帽子は、笑わせるために考えられたとしか思えない。ドリフ級のコントの世界に震撼する以外もはやなす術はない。 [タニア・マレット=ザ・ボンバー・ダイナマイト] ※つづきはアメブロで!
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[022]007/ロシアより愛をこめて
 『007 ロシアより愛をこめて』ダイナマイト・ギャル2013-02-06
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■第2稿 2013年4月10日 版 [シリーズ第2作目] 今見直して驚くのは 『007 スカイフォール』 のスタイルに一番近いことだ。高校生の頃初・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] ■第2稿 2013年4月10日 版 [シリーズ第2作目] 今見直して驚くのは 『007 スカイフォール』 のスタイルに一番近いことだ。高校生の頃初めて 『007 ロシアより愛をこめて』 を見た時はあまりに地味な印象で記憶に残らなかった。それは80年代が “SFX” 時代の幕開けで、アクション映画にもCGが使用され始めたからだった。ド派手なアクションが主流となり、秘密兵器が “便利なケース” だけでは高校生の僕には納得できなかった。だがその “あまりに地味な印象” こそ、実は現代にも通用するリアリズムであったことを今痛感している。 [意外なリアリズム] 列車の死闘からボートの大爆発まで、『007 ロシアより愛をこめて』 は “見せ場の作り方” と “アクションの展開” が現代の映画と殆ど変わらない。50年前に完成していた 「アクション映画の作り方」 にまず驚いた。 また 『007 ドクター・ノオ』 と同じテレンス・ヤング監督だが、“ハニー・ライダー” から一転した以外とシリアスな物語に驚く。ボンドを恨む “スペクター” が刺客を送る発想に現実感があった。現代の殺陣と比べたらスピードが遅い列車の死闘も、当時は衝撃的だった様子が伝わる。50年前の技術で 「何を見せたいか」 の作り手の本気が見えた。ロバート・ショウが “便利なケース” を開ける緊迫感は現代の視点でも迫力がある。1代目ショーン・コネリー版 “ジェームズ・ボンド” 全6作品のベスト1は、間違いなく 『007 ロシアより愛をこめて』 だろう。 [秘密兵器] 1作目になかった “秘密兵器” が2作目で初めて登場する。実にシンプルな “便利なケース” だ。秘密兵器がド派手なギャグにエスカレートしていく以後に比べるととても地味だ。だが 「本当に作れそう」 なこのケースは現代の視点でリアリズムがある。「地味なケースで緊迫感を出す技術」 は作り手の想像力が要求される。列車の死闘の駆け引きは見事だった。高校生の時 “記憶に残らなかった” 駆け引きに現代の視点で引き込まれた。このリアリズムが 『007 スカイフォール』 に近い。 現代は本物志向だ。“誰も嘘に騙されない” 情報化社会ではド派手なアクションにもリアリズムが要求される。極限のリアリズムが要求された 『007 スカイフォール』 が行き着いた秘密兵器は、『007 ロシアより愛をこめて』 の “便利なケース” レベル止まりだった。 [ヘリコプター爆発] 『007 スカイフォール』 『ダイ・ハード3』 『ランボー 怒りの脱出』 …。アクション映画は 「ヘリコプターが爆発」 しなければならない。アンディ・シダリス監督も 『売れる映画の五箇条』 の一つに 「ヘリコプターを爆破せよ」 と論じている。どの映画が初めてヘリコプターを爆発したか知らないが、50年前の 『007 ロシアより愛をこめて』 でヘリコプターはすでに爆発していた。これは今の視点でも壮観で凄まじい。ダニエラ・ビアンキを抱きしめて、墜落したヘリコプターがもう一度大爆発する間はかなり芸術的だ。この後のボートの大爆発も含めて50年前ではかなり大迫力だったことが想像できる。 [シリーズ最高のオープニング・タイトル] 『007』 シリーズ全23作品において、僕が一番美しいと思うオープニング・タイトルが 『007 ロシアより愛をこめて』 だ。“ロシアより愛をこめてのテーマ” と “ジェームズ・ボンドのテーマ” 混ざり合うジョン・バリーの楽曲がとにかく素晴らしい。僕にはシリーズ最高のオープニング・テーマに聞こえる。女の体に字を映写するアイデアから色調、どエロ加減までもはや完璧だ。このオープニング・タイトルの美しさは 『007 スカイフォール』 も敵わない。 [現代の視点でありえないもの] ■ボンドに挑む婆さん ※つづきはアメブロで!
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[023]007/ドクター・ノオ
 『007 ドクター・ノオ』ダイナマイト・ギャル2013-02-06
 【ネタバレ注意】
☆☆☆☆ [80] ■第3稿 2013年4月16日 版 [シリーズ第1作目] 記念すべき “007 ジェームズ・ボンド” の第1作目。この作品がなければ “ 『007』 シリーズ誕生50周記念作品 ・・・
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☆☆☆☆ [80] ■第3稿 2013年4月16日 版 [シリーズ第1作目] 記念すべき “007 ジェームズ・ボンド” の第1作目。この作品がなければ “ 『007』 シリーズ誕生50周記念作品 『007 スカイフォール』 ” は見られなかった。僕が初めて 『007 ドクター・ノオ』 見たのは高校生の頃だった。僕が生まれる前の映画で公開当時の時代が想像できない。今見ると微塵のリアリズムも感じない。当時のことを調べると “アクション映画の原点” であり映画の歴史を変えた大衝撃作だったことが窺える。 パソコンも携帯電話もない時代の映画なので、今の僕にはあまりに緊張感がないノー天気過ぎる映画にしか見えない。『007 ドクター・ノオ』 を 「もの凄く面白い」 と言ったら正直に嘘吐きだろう。宿泊するホテルなどどこからでも潜入できるほどお粗末。鍵なんて社交辞令でついているだけで殆ど意味がない。現代の視点では突っ込みどころ満載で、これが 「スパイ」 とはあまりにお粗末。この頃はアクション映画にリアリズムを求める価値観が存在しなかったのだ。1作目など物語について書くことさえ特にない。 [ 『007』 シリーズの魅力と楽しみ方] と言いながらも、実は 『007』 シリーズが大好きで全作品見ている。『007』 シリーズを僕はコントだと思っている。大体スパイが 「ボンド、ジェームズ・ボンド」 なんて名乗ることからあり得ない。まして “ボンド・ガール” など敵の女と毎回セックスして大丈夫な訳ないだろう。これは始めから観客を笑わせる映画なのだ。『007』 シリーズとは、「モテモテで超格好良いイケメン英国諜報員が、悪を倒して美女とやりまくるバカ映画シリーズ」 なのだ。「俺もこんな女と寝たい」 と “ボンド・ガール” に妄想しながら、ノー天気なジェームズ・ボンドの “おバカぶり” を楽しむのだ。だが1作目はまだ最初なのでそれほど “おバカぶり” を発揮していない。 [第4位 1代目:ショーン・コネリー] 歴代6人のジェームズ・ボンドの中で 「誰が一番好き?」 とよく聞かれる。かなりの映画ファンや 『007』 シリーズのファンからは 「ショーン・コネリーが一番」 とよく聞く。これはとても難しい質問で今でも6人の順位に僕は迷いがある。ショーン・コネリーは僕には第4位のジェームズ・ボンドだ。やりすぎ限界映画の基準で選んでいるが、明日順位が変わるかもしれないほど今も迷う。第5位や第6位だからと言って映画が 「つまらない」 訳ではなく、“魅力” の判断基準をどこに定めるかがとても難しい。わずかな優劣を 「心に残った印象」 で判断している。 [現代の視点でありえないもの] ■盲目の殺し屋 盲目の芝居をしなければならない必然性が全く成立していない。 ■防犯 鍵は殆ど社交辞令。簡単に潜入できる時代が今では信じられない。 ■竜 「竜」 がいると信じていること、あまりのダサいデザインに驚愕。 [ウルスラ・アンドレス=ザ・ボンバー・ダイナマイト] 「ハニー・ライダーって何だよ!」 これが初めて 『007 ドクター・ノオ』 を見た感想だった。敵の本拠地であるクラブ・キーに潜入したら、プレイメイト級の “ダイナマイト・ボンバー・ギャル” が貝を採っているのだ! あまりに緊張感がないバカ過ぎる展開に僕はブっ飛んでしまった。「これが 『007』 か」 と思い知らされた。この緊張感のなさが逆にこのシリーズの魅力と楽しさだろう。 ※つづきはアメブロで!
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[024]007 スカイフォール
 『007 スカイフォール』ダイナマイト・ギャル2013-01-29
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] [シリーズ最高傑作] 1代目ショーン・コネリーから5代目ピアース・ブロスナンまでの 『007』 20作品は、リアリズムから程遠い “バカ映画・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] [シリーズ最高傑作] 1代目ショーン・コネリーから5代目ピアース・ブロスナンまでの 『007』 20作品は、リアリズムから程遠い “バカ映画” シリーズだった。それが6代目ダニエル・クレイグから突然 “リアリズム路線” に豹変した。“ジェームズ・ボンド” = “バカ映画” と思っていたファンは戸惑った。秘密兵器もギャグもない007。僕も 『007 カジノ・ロワイヤル』 を 「これはジェームズ・ボンドではない」 と思ってしまった。だが半端ではない “極限のくそリアリズム” まで到達した 『007 スカイフォール』 は “ジェームズ・ボンド” だった。 『007 カジノ・ロワイヤル』 『007 慰めの報酬』 は中途半端だった。方向転換しようとし過ぎて歴代のボンドとキャラクターが繋がっていない。過去のシリーズを否定しようとしているようにさえ見えた。それでは “シリーズ” の意味がなく 「新しいスパイ映画を作ればいい」 となってしまう。だがM、Q、秘密兵器、マネーペニーが登場する 『007 スカイフォール』 は、「過去のシリーズを生かしてどう極限のリアリズムを生み出すか?」 が見えた。極限のくそリアリズムで緊迫した劇中に “アストンマーチン” が登場する、絶妙過ぎなギャグのブっ飛ばし方におしっこを漏らした。“ギアのスイッチ” や “機関銃” の大サービスに涙が出た。 [現代にスパイは必要か?] 「現代にスパイは必要か?」 というテーマも限界だ。それはリアリズムで “ 『007』 シリーズの限界” の意味も含んでいる。“ジェームズ・ボンドの存在” をリアリズムで突き詰めるとここまで到達する。「シリーズの打ち切り」、「存続させるならどういう方向性であるべきか?」 まで検討しているスタッフの本気さが見えた。 『マイレージ、マイライフ』 でも描かれた人間同士のコミュニケーションの重要性。現場で生で体感しなければわからない真実。どんなに科学が発達してもマニュアルで予測し切れない具体例を描いていた。ボンドが現場復帰するための、身体能力テストに落第するエピソードが面白い。それでもボンドを起用するMにも 「歳を取った人間の経験から生まれる “マニュアルで予測し切れない” 勘や能力」 が見える。理論で説明し切れない人間の能力に不思議な説得力を感じた。これはどんな仕事でも人間である限り同じだろう。「スパイは必要」 という答えだ。 [職務を果たしただけ] 冒頭で撃たれるボンドにビビってしまった。「一人の命より職員全員の命」 のMの言葉に説得力がある。「職務を果たしただけ」 の文明社会の正論。その 「職務」 に被害を受けた人間の具体例にまたおしっこを漏らした。 敵のハビエル・バルデムの極限のリアリズムが凄まじい。Mの 「職務」 によって 「自殺」 を強要された元 00 諜報員だ。シアン化水素で融けた歯に漏らしてしまった。どんなに科学が発達しようとこの世が人間社会であることを痛感した。「職務」 が正論であろうと 「職務」 で実際に死んでいる人間もいる。“正義” が時と場合によって判断が難しくなる現実を 『007 スカイフォール』 に見た。「人間の恨みは消えない」。戦争を含めたあらゆる事件の根源が “人間の感情” であることを改めて痛感させられる。 「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」。ハビエル・バルデムがMにされたことをやり返す最後は恐怖で震撼した。あの “笑い” に 「職務を果たしてみろ」 の叫び声が聞こえた。 [凄まじい爆発 プロパンガスとヘリコプター] ※つづきはアメブロで!
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[025]イン・ハー・シューズ
 『イン・ハー・シューズ』ダイナマイト・ギャル2013-01-23
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] 2005年 第21回 やりすぎ限界映画祭 ■2005年 ベスト10 第6位 : 『イン・ハー・シューズ』 ■やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やり・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] 2005年 第21回 やりすぎ限界映画祭 ■2005年 ベスト10 第6位 : 『イン・ハー・シューズ』 ■やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞 : 『イン・ハー・シューズ』 [この世に理由のないことなど一つも存在しない] 「外見で人間を判断してはいけない」 話は、「美人だから幸せ」 「美人でないから不幸」 など全く根拠がないという話でもある。絶世の美女キャメロン・ディアスは幸福の絶頂から程遠い。“人間の本質” を見ずして絶対どんな人間かは判断できない。 この世に理由のないことなど一つも存在しない。人間はそうなる理由があってそうなるのだ。キャメロン・ディアスの読書障害は母親の遺伝だと推測される。「キャメロン・ディアスが悪い訳ではない」 という核心が重要だ。「外見が美人だから我儘に暴れて字が読めなくなった」 訳ではない。むしろ読書障害のコンプレックスから暴れる性格に完成されたのかもしれない。仮にそうだとしたらキャメロン・ディアスの真実は可哀相な同情すべき人間だ。“人間の本質” を見ずして絶対 「外見で人間を判断してはいけない」。 [教育とは?] 姉妹、兄弟が同じ親に同じ環境で同じことを教育されても同じ性格の人間にはならない。現実に兄が東大生で弟がヤクザの兄弟もいるだろう。これが性善説と性悪説の具体例かもしれない。この東大生とヤクザの兄弟は 「いくら正しいことを教えてもダメな人間はダメ」 という例に見える。だが 「人間」 と 「教育」 の真実は違う。人間を理論で説明し切れない一つに 「言われて1回で変化する人間、10回で変化する人間、100回言われないと変化できない人間」 がある。刑務所はそのために存在する。もちろん最後まで変化できない人間もいる。だがその人間が 「本当に最後まで変化できない人間」 かの基準を一体どこで判断するのか? だから絶対教えるのを諦めてはいけない。遺伝のコンプレックスを乗り越えたキャメロン・ディアスのスピーチがそれを証明した。魂を打たれて涙が出た。 ちょっとしたきっかけで人間はここまで変化して幸せになれる。「義務教育」 のような大袈裟で堅苦しいものだけである必要はない。ちょっとした何かを 「教える」 だけでその人間が幸せになれる可能性があるなら、知識を持つ者は諦めずに教え続けるべきなのだ。だが 「教える」 ことは一歩間違えると殺される危険性もある命懸けの行動に成り得る。現実は綺麗事で済まない場合が多い。それでも挑まねばならないのは “ 「自分さえ良ければいい」 という思考で 「他人がどうなろうと他人のことを全く考えない行動ができる人間」 ” を一人でも多く減らしたいからだ。結果それが世界平和につながると僕は強く信じている。 [姉妹の絆 女性版 『レインマン』 ] ※つづきはアメブロで!
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[026]ランボー/怒りの脱出
 『ランボー 怒りの脱出』ダイナマイト・ギャル2013-01-23
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] D・B・ギャル 生涯の映画ベスト10 ■第7位 : 『ランボー 怒りの脱出』 ( 『ランボー』 『ランボー 最後の戦場』 のシリーズ3作品を含・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] D・B・ギャル 生涯の映画ベスト10 ■第7位 : 『ランボー 怒りの脱出』 ( 『ランボー』 『ランボー 最後の戦場』 のシリーズ3作品を含めて  ※『ランボー3 怒りのアフガン』 は対象外 ) [間違った映画] 1作目はベトナム後遺症の社会問題を描く極限のくそリアリズム映画。だが2作目はベトナム戦争が 「アメリカの正義」 として描かれる 「間違った映画」 に突き進んでしまった。危険なプロパガンダと “リアリズムに欠けるご都合主義のアクション”。『ランボー 怒りの脱出』 は評論家達から 「最低映画」 「女性客がいない」 などの酷評を受けた。スタローンは次の 『ロッキー4 炎の友情』 以降、批評を気にしてどんどん弱気になり普通のアクションスターへと転向していく。 だがなぜ 「間違った映画」 である本作がここまで “危険” なやりすぎ限界映画なのかを追求したい。僕は 『ランボー』 『ランボー 怒りの脱出』 の2本を、1作目と2作目を合わせて一本の映画だと解釈している。1作目は 「人物紹介」、2作目はその人物が 「実際ベトナムでしていたこと」 だ。 [ “極限の怒り” とは何か? ヤバ男の条件 “女が殺される” ] 「怒る」 ことを意味する 「切れる」 という言葉がある。「○○さん切れた?」 と聞かれることがあるが、僕は人間が日常で本当に 「切れる」 ことはそんなにないと思う。「切れる」 という意味の境界がどこまでかは人それぞれだが、僕の中で 「切れる」 という意味は 『ランボー 怒りの脱出』 のスタローンを意味する。僕はここまで切れたことが人生で一度もない。スタローンは 『ランボー 怒りの脱出』 で “バイオレンスの限界” に到達した “極限の怒り” を見せる。 『マッドマックス』 『刑事物語』 『リーサル・ウェポン』 『ブレイブハート』 『グラディエーター』 『ダークナイト』 …。“ヤバ男” “やりすぎ限界男優賞” の称号を持つ男達に多い共通点は “女が殺される” ことだ。男は女が殺されると “極限の怒り” に到達する。 [ “圧倒的な存在感” 他の追従を許さないシルベスター・スタローン] 『ランボー 怒りの脱出』 が極限のやりすぎ限界映画である理由は主人公が “精神異常者” だからだ。ここが普通のアクション映画との大きな違いだった。なぜシルベスター・スタローンが他の追従を許さなかったのか? 僕は 『ランボー 怒りの脱出』 の中に 「スタローンがスタローンである真実」 を説明しなければならない。 仮に他の俳優が主役だったら、“リアリズムに欠けるご都合主義のアクション” で流されただろう。『ランボー 怒りの脱出』 は映画史に刻まれるやりすぎ限界映画にはならなかった。“極限の怒り” に到達したスタローンが、“リアリズムに欠けるご都合主義のアクション” を “狂気のリアリズム” へと捻じ曲げた原因を分解する。 [1 「俳優に見えない」 ] 俳優に見えないことは 「本物に見える」 ことを意味する。「本当にそう見える」 ことが芝居の核心であるなら、スタローンの芝居はカンヌの男優賞を受賞してもおかしくない。どこから見ても “本物の精神異常者” にしか見えないスタローンは俳優を越えていた。ここに “ヤバ男” “やりすぎ限界男優賞” の称号の真実が何かを思い知るだろう。 [2 「叫び声」 ] ※つづきはアメブロで!
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[027]ランボー
 『ランボー』ダイナマイト・ギャル2013-01-23
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] D・B・ギャル 生涯の映画ベスト10 ■第7位 : 『ランボー』 ( 『ランボー 怒りの脱出』 『ランボー 最後の戦場』 のシリーズ3作品を含・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] D・B・ギャル 生涯の映画ベスト10 ■第7位 : 『ランボー』 ( 『ランボー 怒りの脱出』 『ランボー 最後の戦場』 のシリーズ3作品を含めて  ※『ランボー3 怒りのアフガン』 は対象外 ) [ “精神異常者” に共感するしかなかった地獄の幼少期] 中学生の時、幼馴染の T に見せられた数本の映画が僕の人生を狂わせた。「映画監督になりたい」 などと思う間違った道へ進ませた。 「映画監督になりたい」 と何となく思っても、「死ぬかもしれない」 まで本気で挑む人間は少ない。普通は 「危険さ」 を察知して真面な正業に就職する。「死ぬかもしれない」 「もう再就職できない」 とこまで戻れなくなったのは、普通の環境では生きられないほどの何かを背負っていたからだ。他にも幸せに生きる選択肢はたくさんあったのにそこでしか生きれなかったのだ。僕も間違いなくその一人だった。“ベトナム後遺症” に侵された “精神異常者” の慟哭を、自分の身に置き換えてしまう哀しみを誰にもわかってもらえなかった。 小学生の時、気管支炎喘息に侵された体は体育の授業に参加することさえできなかった。僕の人生は子供の頃から 『アマデウス』 のアントニオ・サリエリだった。健康な肉体を持つモテる男に嫉妬して世の中を憎んだ。小学生の時から自殺することしか考えられなかった。 [ 「知らないこと」 こそ人間にとって怖いことはない] 「自殺」 に突き進む原因は、「思考力の喪失」 「思考力の低下」 がその核心だと思う。これは僕自身の経験だ。「他に楽しいことがたくさんある」 ことを知れば人間は 「自殺」 を思い止まる。知らないから死んでしまうのだ。T に見せられた 『ランボー』 が僕の運命を左右した。 僕は “男” と思えないひ弱な体だった。消防ホースで水を掛けられるシルベスター・スタローンの傷だらけの筋肉におしっこを漏らした。自分と同じ “男” と思えなかった。世の中のことも人間のことも 「知らなかった」 のだ。当時大ブレイクしていたジャッキー・チェンの映画も含めて、僕は “強い男” にのめり込んでいった。僕の 「自殺」 を止めたのは家族や友達の言葉ではなく映画だった。映画が僕に教えたことは 「人間は鍛えれば変化できる」 ということだった。 [僕の命を救ったシルベスター・スタローン] 『ランボー』 を見た衝撃も止まないまま 『ランボー 怒りの脱出』 を見た僕は、「自分の人生を完全否定された」 心境になった。「これが男だ」 「男という生き物の本来あるべき姿だ」 と雷に打たれる衝撃を受けた。やがて運命の映画 『ロッキー』 まで到達し、シルベスター・スタローンが僕の “神” となった。 「この山じゃ 俺が法律なんだ」 を見ておしっこを漏らした。たった一人で大人数に勝つ姿が英雄に見えた。鍛え抜かれた肉体の力と頭脳におしっこを漏らした。 トラックで警察の検問を突破するシーン。トランペットが高鳴るジェリー・ゴールドスミスの音楽に今でも熱いものが込み上げる。虐げられた人間の怒りが爆発する突破シーンに、子供の頃の僕は魂の救いを求めた。ガソリンスタンドにライターで引火し、素早く走り去る男に共感するしか魂の拠り所がなかった。 ※つづきはアメブロで!
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[028]ジャスミンの花開く
 『ジャスミンの花開く』ダイナマイト・ギャル2013-01-23
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] 2006年 第22回 やりすぎ限界映画祭 ■2006年 ベスト10 第1位 : 『ジャスミンの花開く』 ■やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界女優賞/・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] 2006年 第22回 やりすぎ限界映画祭 ■2006年 ベスト10 第1位 : 『ジャスミンの花開く』 ■やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞 : 『ジャスミンの花開く』 [女優生命限界点、チャン・ツィイー極限の美] 『やりすぎ限界映画』 とは? [定義ァ 『恋愛映画における女優の私見』 において、僕はチャン・ツィイーと結婚したいと本気で思った。『ジャスミンの花開く』 は 「もうこれ以上チャン・ツィイーを美しく撮れないという限界点に到達した映画」 で、現時点でのチャン・ツィイーのベスト1の映画だ。2012年現在でこれ以上美しいチャン・ツィイーを見ることはできない。ホウ・ヨン監督がどれほど本気でチャン・ツィイーを愛したかは、編集でどのカットを “OKカット” に決定したかで見える。「これでもか!」 と永遠に続くチャン・ツィイーのアップは極限まで完璧な領域に到達していた。瞬間悩殺。チャン・ツィイーの脚や母乳で滲んだ胸のアップはもはや絶対領域だった。 [母性と生命の物語] 『ジャスミンの花開く』 はただの 「チャン・ツィイーのプロモーションビデオ」 ではなかった。1930年代の茉、1950年代の莉、1980年代の花、という母娘三代の女性をチャン・ツィイーが一人三役で演じる。「この人となら」 と信じて結婚した男に捨てられ、『第一章 茉』 と 『第三章 花』 の二人は父親のいない子供を出産。『第二章 莉』 は不妊症で養子を貰うが気が狂って自殺。絵に描いたように悲惨な女の不幸が描かれる。 “女” という生き物について男は想像と推測しかできない。女性にとって最も重要な価値観は子供を産むことであり、殆ど大多数の女性がそこに向かって生きているように見える。どんなに文明が発達してもその本能は消えていないと感じる。 女にとって最高の幸福が最高の環境での育児であるなら、女にとって最悪の不幸は最悪な環境での育児だろう。最悪な環境での育児とは、「男に援助を打ち切られた貧困状態での一人で全てを背負う育児」 だ。女性の行動の殆どがそうならないための努力に見える。 男の僕に理解できない感覚は、「最悪な環境での育児」 になってさえ子供が欲しい女性がいることだ。もちろん現代の文明社会では産まない女性もいる。だが 「120%産まない女性」 でない現実に男の僕は驚愕する。これが母性なのだとしか想像できない。『ジャスミンの花開く』 は 「皆こうしてこの世に産まれてきた」 という母性と生命の物語だ。この最悪な環境で 「産む」 と決意するチャン・ツィイーの生き様に度肝を抜かれる。 [ “女性” “母親” の強さ] 映画終盤近くでお婆さんの茉が孫の花の出産を止める場面。茉が 「子供は軽々しく 産むものじゃないわ 私はそのために一生を 誤ったんだから」 と説得すると、花は 「誤ったかどうかは 子供がいなければ もっと悲惨だったかも」 と言い返す。 女優として大スターになりかけた茉は、花の母親の莉を産んだことをずっと後悔していた。仮に茉が莉を産まずに女優を続けて、成功したか失敗したかはわからない。茉が莉を産んで成功か失敗かも本当はわからないという話だ。人間の人生とはそういうものだと思う。「最悪の環境での育児」 の状況にいて 「子供がいなければ もっと悲惨だったかも」 と思える価値観に僕は圧倒された。「自分は不幸」 と思っていたことが第三者の視点からは幸福にも見えるということだ。「血を見ても平気」 という “女性” の本質が 『ジャスミンの花開く』 で少し見えた気がした。男の強さとは違う “女性” “母親” の強さに圧倒されるしかなかった。 ※つづきはアメブロで!
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[029]渇き
 『渇き』ダイナマイト・ギャル2013-01-23
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] 2010年 第26回 やりすぎ限界映画祭 ■2010年 ベスト10 第7位 : 『渇き』 ■やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] 2010年 第26回 やりすぎ限界映画祭 ■2010年 ベスト10 第7位 : 『渇き』 ■やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞 : 『渇き』 [キム・オクビンの悩殺ダイナマイト美脚] 人間が空想世界のヴァンパイアに憧れるのは、不老不死や超能力への憧れで、疲れた現実生活から夢見る普遍性のある憧れだと思う。恋愛映画やアクション映画のように “ヴァンパイア映画” というジャンルが確立した現代では、それぞれの監督が 「もし自分がヴァンパイア映画を撮るなら」 というテーマで創作の面白さを競う時代となった。 “ヴァンパイア映画 パク・チャヌク監督の場合” は、監督の超どエロな感性が僕の心の弱い部分を攻撃した。テジュ (キム・オクビン) のエロさに僕はあっさり悩殺させられた。脚フェチな僕は無力となった。キム・オクビンが好みでなければ何も感じないだろうが、好みな場合はとても危険だ。 ※つづきはアメブロで!
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[030]ぼくのエリ 200歳の少女
 『ぼくのエリ 200歳の少女』ダイナマイト・ギャル2013-01-23
 【ネタバレ注意】
やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] 2010年 第26回 やりすぎ限界映画祭 ■2010年 ベスト10 第8位 : 『ぼくのエリ 200歳の少女』 ■やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞 :・・・
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やりすぎ限界映画 ☆☆☆☆★★★ [95] 2010年 第26回 やりすぎ限界映画祭 ■2010年 ベスト10 第8位 : 『ぼくのエリ 200歳の少女』 ■やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞 : 『ぼくのエリ 200歳の少女』 [僕もヴァンパイアになりたい] 永遠の愛、美しい純愛の世界に憧れてしまう心に沁みる映画。オスカーを殺せないエリ、エリが化け物でも好きになってしまうオスカーが魂を打つ。僕はエリ役のリーナ・レアンデションが好みでなかったが、エリを可愛く見せてしまう映画の底力と監督の演出にあっさりやられてしまった。 オスカーがいじめっ子をやっつけてしまうのが物凄く怖かった。人間は 「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」 からだ。戦争がなくならない根本は人間の “復讐” にある。エリがいなければ死んでいたプールのシーンは半端ではない怖さだ。子供の残酷さ、怖さにリアリズムがあり、国を問わず 「死ぬとは思わなかった」 ぐらいの気持ちで実際にたくさん死んでいることを想像させられる。大人は常に警戒していなければならないという教訓だと思った。またあの兄弟の殺され方がこの映画をやりすぎ限界映画に確定した。 いじめっ子の兄弟が俳優に見えない。俳優に見えないことは 「本物に見える」 ことを意味する。弟と兄と兄弟揃ってやりすぎ限界男優賞受賞なのだが、インターネットでこの二人の名前と写真の資料を調べることができなかった。この歳で “本物” に見えるのは本当に危険なことだ。「この二人はどんな私生活をしたらあの芝居ができるのか?」 「本当に芝居だったのか?」 『ダーティ八リー』 のアンディ・ロビンソンのようになってしまうかもしれない危険と不安を感じた。 ※つづきはアメブロで!
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