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 「ピンクガンスモーキン」さんのコメント一覧 登録数(301件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]県警対組織暴力
 梅宮辰夫は宇宙人ピンクガンスモーキン2010-07-21
 【ネタバレ注意】
ぶっちゃけ、つまんねー映画だとはいえ、暑苦しいノリのお祭り騒ぎ的な怒声と男臭さの迫力(というには、Vシネ的な薄っぺらい迫力だが…)のせいで、「面白い」と勘違いする者・・・
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ぶっちゃけ、つまんねー映画だとはいえ、暑苦しいノリのお祭り騒ぎ的な怒声と男臭さの迫力(というには、Vシネ的な薄っぺらい迫力だが…)のせいで、「面白い」と勘違いする者もいるかもしれない。 でも、全然面白くないですな、コレは。 内容的には、コケおどしばかりで「凄み」を出せないヤクザ連中と、出世に背を向けて屈折したジミ刑事・菅原文太のシケた心理を描く、安っぽい劇である。 アカルい梅宮辰夫が警察の出世街道を走り、むしろこっちに興味が湧いた。このアカルさで、ネクラどもを打破してくれると面白かったのだが…… まあ、「腐った友情」に興味のある人なら(いるのか?)、観ても良いんじゃないか。しかし、とくに後半、まったく見る気が失せてしまい、5分毎に停止、「どうにかしてくれよ!つまんねえなあ、この映画ぁ!」と苛立った。振り返っても、後半は観る価値無しである。 芸能レポーター的なカメラ・ワークが悪いのか、陰影のハッキリし過ぎる照明が悪いのか、狭苦しい室内劇のせいで「意外に人が動かねえなあ」という印象も良くないし、さらに言えば、役者全員の「顔」がイマイチ揃いなのも痛い(やはり、Vシネマっぽい)。 せいぜい、中年男女の裸のからみの激しさに、サービス精神を感じた程度である。 (とくに池玲子は、目が大きくてぽっちゃり。お肉たっぷり感の裸体はうれしい。)
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[002]ガンダーラ
 ヒロインはアジア風ルックスピンクガンスモーキン2010-07-21
 【ネタバレ注意】
フランスの長篇SFアニメ。バイオテクノロジー批判。奇形とオッパイで、見飽きないように工夫している、が、後半は眠くて眠くてしょうがない。 83分が、ものスゴく長く感じ・・・
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フランスの長篇SFアニメ。バイオテクノロジー批判。奇形とオッパイで、見飽きないように工夫している、が、後半は眠くて眠くてしょうがない。 83分が、ものスゴく長く感じられる。 ダリやマックス・エルンストの絵画が好きな人なら、観ても良いかもしれねえ、が、動きのトロさは覚悟しておくべきだぜ。 いわゆる「横スクロール」画面が多い。作画・制作上の便法だろう(低コスト)。 これは実写映画と対照的で、「横スクロール」=被写体と並行の長距離ドリー撮影はたいへんだから、アニメ作品ならではの光景である。 (ただし、古い映画では、不自然さ丸出しの「スクリーン・プロセス」がよく用いられていたので、それと同じ手だとも言える。) バイオテクノロジーによって、ヾ餬舛多発しつつも、巨大な脳だけの存在(一種の神?)が生み出される。で、,△望,弔箸いΕ好函璽蝓次まあ、そんなのはどうでもいいことなので、寝ながら鑑賞しても、なんら問題はない。 ぶっちゃけ、空疎な映画だと思う。
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[003]トラフィック
 クルマは止まり、ヒトは歩く。ピンクガンスモーキン2010-06-22
 【ネタバレ注意】
ジャック・タチ監督・主演のクソ地味な映画(別にケナしてはいない)。 おとぼけキャラのユロ氏の滑稽さが激減し、オシャレな音楽も控え目である。 青みがかった画面のせいもあ・・・
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ジャック・タチ監督・主演のクソ地味な映画(別にケナしてはいない)。 おとぼけキャラのユロ氏の滑稽さが激減し、オシャレな音楽も控え目である。 青みがかった画面のせいもあって余計に地味な印象が強い。 ギャグはほとんどないに等しいと思っておく程度で、ちょうど良いだろう。 冒頭からしてクソ地味で、自動車工場のラインを撮影し、成形、研磨、溶接、塗装、出荷のようすを提示する。 やがて、事務所付近のゴタゴタしたエリアに、ユロ氏が出勤し、設計図にペンを入れる。 彼のALTRA社が開発した(やり過ぎな装備の)キャンピング・カーを、アムステルダムの国際オートショーに出展する(ことができるか否か)という物語である。 少数の人間しかコメントしないポイントについて、オレが書いておく。 22分頃に、町を徐行する自動車の運転席が次々と映しだされ、同じ構図でドライバーたちが鼻くそをほじっている、いかにも映画的なシーンがある。非物語的な間奏曲とでもいうべき部分で、これがあると「映画だな」という気分になり、好きだ。 古典的な手法だが、「鼻くそ」で画面を繋ぐのは勇気がいる、誰にでもできることじゃあない。地味な映画だが、「たいしたもんだ」と感じた。 『ぼくの伯父さんの休暇』(1952)と比較すると、あちらは、無邪気なユロ氏に周囲の敵意が向けられる話だが、こちらは、無実のユロ氏に警察の追及がある程度で、むしろ主題は、規格化された画一的な人間の集団に移った。 つまり、時代の変化にともない、ボートや自転車、バス、鉄道がほぼ対等に登場していた1952年とは異なり、皆がクルマを作り、皆がクルマを運転し、皆でクルマを見に行くようになった1971年の現実がにじんでいる。 (ひたすらクルマを巡るギャグということで、「引出し」が少なくなったか?) 「ボロい車の映画にハズレなし」という(オレなりの)法則があるが、それに照らすと、新車展覧会がテーマではイマイチ良くないと言わざるを得ず、ジャック・タチは自分で自分の首を締めたのかもしれない。 ただ、「汚い犬の映画にハズレなし」という法則のほうは守られており、終盤に、唯一笑えるシーンを構成していた。 いつもながら、ユロ氏のパントマイムは周囲の外国人によって「正当化」されている。 言葉が通じないから身振り手振りが機能する。
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[004]南部の人
 大きな老婆は良い老婆(小さな老婆は…)ピンクガンスモーキン2010-06-21
 【ネタバレ注意】
ジャン・ルノワール監督による手堅いハリウッド作品。 アメリカ南部の荒れた土地で1年を通して農作業にうちこむ若夫婦を追う、淡白な映画。 長さも90分と短い。 「白さ」の目・・・
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ジャン・ルノワール監督による手堅いハリウッド作品。 アメリカ南部の荒れた土地で1年を通して農作業にうちこむ若夫婦を追う、淡白な映画。 長さも90分と短い。 「白さ」の目立つ綿花栽培はモノクロ映画と相性が良いようだし、出番の多い乳牛も、またモノクロと好相性である(『大いなる幻影』にも乳牛は登場していた)。 面白さは、そこそこのレベルだろう。マッタリした田舎映画なのに、銃殺を予期させる緊迫感もところどころあるから、田舎嫌いのオレも、そんなに飽きずに済んだ。 ルックスの良い若夫婦のベタベタした甘さを、同居人の醜く愚痴の多いババアの苦味で頻繁に中和しているし、パーフェクトな善人キャラであるこの夫婦に対して、隣人をはじめ、脇役にイヤミな奴が多い。そういう意味では、バランスが取れている。 老人の扱いという点でも、終盤に、老人カップルの誕生を添える配慮など、なかなか品がある。毛深い小型犬がチョコマカし続けるのも、「汚い犬が出てくる映画にハズレ無し」の法則どおり。 不安感を高めておいて「大らかなオチ」でガクリと笑いのほうへ流してみせる手法というのは、物語巧者のやり方である(これに対して「不安感→残酷シーン」の流れは、バカでもできる。やるな、とは言わないが)。演出・物語的に見回しても意外に少ない「不安感→笑い」の展開は、ぜひとも見習うべき点だろう(結局はユーモアの問題だな)。 映像的には、川の流れが非常に無気味で、それをさりげなくフィルムに定着してみせているのが、深く心に残った。おそらく水は黒い物体だからだろう(モノクロ映画において)。 たしかに、井戸水(=少ない水)をめぐって対立は起きるが、(雨も含め)膨大な水の無気味さを前にすると人々は結束するのだと言ってしまえば、上手くまとめ過ぎか?オレには、ルノワールはまだまだ良く分からない。
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[005]大いなる幻影
 わりとイイじゃん?ピンクガンスモーキン2010-06-21
 【ネタバレ注意】
ジャン・ギャバン主演、ジャン・ルノワール作品、ジャンルは「脱走劇」か。 ありきたりな「男の友情モノ」で、あっさり感が強く、教訓的(ありがたいお話)ですらあるため、蓮・・・
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ジャン・ギャバン主演、ジャン・ルノワール作品、ジャンルは「脱走劇」か。 ありきたりな「男の友情モノ」で、あっさり感が強く、教訓的(ありがたいお話)ですらあるため、蓮実重彦によれば、猥雑な『ゲームの規則』が傑作で、こちらは駄作という事のようだ(「笛の映画」という指摘は分かる)。 それはともかく、淡々と進むのでストレスは少なく、長さも感じさせない、フツウに面白い映画だと思う。 カメラが絶えず動いているので躍動感があるし、後半じわじわ盛りあがるテンポも、なかなか良かった。 たとえば、47分頃に、ドイツの風景を繋いで時間を飛ばすくだりも(非常に映画的で)、好きな技法である。 物語は、猛烈に男臭い。 冒頭から1時間25分にわたり、女優が1人も(!)出てこず、残り30分になって、ようやく中年女優が登場する、「中年愛」の物語でもある。 個人的に感じたのは、「やはり、映画には中年愛がイイんじゃないか」ってことだ(若い恋愛モノは、見ていて寒くなることが多いし、9割がた「痛い」恋愛だからな)。 役者については、ドイツ人将校を演じるフォン・シュトロハイムが、伊武雅刀のようでもあり、ケンドー・コバヤシのようでもあり、なかなか味のある風貌だった。 個人的には、主役のジャン・ギャバンの魅力というのが、(H・ボガート同様に)どうも良く分からない。彼(ら)のむさくるしさのどこが良いのか、教えてもらいたいものだと思う。一時期の津川雅彦のような(?)丸くてデカい顔のオッサン臭いシニカルなキャラ――「男は顔じゃない、性格だ」というスローガンにマッチする点に支持が集まるのだろう。 結局、無難な作品としか言いようが無い。
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[006]カルメン
 しんどいの一言ピンクガンスモーキン2010-06-21
 【ネタバレ注意】
チャールズ・ヴィダーという監督がイマイチなのだろう。10分おきに休憩を要する退屈な映画。ただし、カラー・デザインだけは多少の工夫がある。 演出がダメだ。Ikeda氏のコメ・・・
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チャールズ・ヴィダーという監督がイマイチなのだろう。10分おきに休憩を要する退屈な映画。ただし、カラー・デザインだけは多少の工夫がある。 演出がダメだ。Ikeda氏のコメント通り、「グレン・フォードをドン・ホセ役にしたのはどうか」、「かれの演技が単調そのもので、こんな唐変木では」との評に、付け足す言葉も無し。 また、肝心のカルメン役のリタ・ヘイワース(約29歳)のキャラクターが、よく分からないのも困りものだ。彼女は、15分に1回は他人にツバを吐きかけ、ムダに喧嘩を売るような性格で(ツバの回数は正確に計測すべきだが誰かやればいい。インターバルにも意味がある)、下品なのかフツウなのか、狡猾なのか大胆なのか、熱いのかクールなのか、よく分からない。 たぶん、演出的にゆるいんだろう。 脚だけは、よく見せている。バサバサと何度もスカートをたくしあげる。 老け顔のために、若さは無い。 斜視は、かなり印象に残る。 2度のソロ・ダンスに長い時間を当てているから、この女優をじっくり見たければ、ある程度目的は達せられるはずだ。 全体的に物足りない(原作については知らんが)。 波乱万丈のはずなのに淡々としているのは、脇役の描き方が浅すぎるせいもあろう。いろいろと人は死ぬが、何の感動も無く、終盤、「もう終わらねえかなー」と渇望した。 取り柄はカラー設計だろう。基本はオレンジと黒であり、グリーンをアクセントに使ってある(青と黄はほとんど見られない)。観りゃわかる。 心理学的に「赤い光は時間経過を遅くする」といわれるが、悪い意味で関係があるんじゃないか? 他の映画化された『カルメン』はともかく、これは避けるべき『カルメン』。
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[007]ラブ&ポップ
 恐るべき旧世紀感覚(最悪の意味で)ピンクガンスモーキン2010-06-21
 【ネタバレ注意】
クソ映画by庵野秀明。恥しらずなデジカメの映画で、レンズもちゃんと拭いておらず、ホコリの目立つ画像が超チープだし、シロウト臭くて、汚らしく、薄暗くて、ダサい映画だった・・・
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クソ映画by庵野秀明。恥しらずなデジカメの映画で、レンズもちゃんと拭いておらず、ホコリの目立つ画像が超チープだし、シロウト臭くて、汚らしく、薄暗くて、ダサい映画だった。 その「毒みたいなもの」を「毒みたいなもの(汗)」で制する意図なのかは知らねえが、滑稽なアングルが濫用される。たとえば、電子レンジの内部からの室内の映像や、グラスの底からのカット、役者の腕につけたカメラでの撮影など、ナンセンスの極みで、節操がない。 女子高生の足元から真上を仰ぐアングルも、やたら多い(ヒマな奴は数えてみたらイイ)が、一度もパンティは見えず(ミニ・スカートなのに!)、不健康きわまりない。 その「禁欲」ぶりが、非常にダサいと感じる。 ぶっちゃけ、「放縦なアングル」と「パンティへの禁欲」の組み合わせ――これで映画を要約できてしまうわけだ。 内容的には、主人公の4人組・女子高生が、ダラダラと渋谷で時間を潰す物語で、これといった展望が無いため、かなりキツい(部分的には原作・村上龍の責任)。 陰気な声でジメジメと響く伝言ダイヤルを(シラけつつ)利用しながら、万単位の小遣いを巻き上げようとするネクラな女子高生たちが、「ノー・タッチ」のルールで渋々の援助交際を繰り返す――そのなかで、反省と罪悪感の萌芽が見られもする。 ダルいのなんの! 2〜3分ごとに猛烈に疲労。114分もあるこの映画を、1本観るのに3週間を要した(マジで)。 なぜ、そこまでして見る必要があるのか、オレもバカだが。 あと、ほとんどエロくない。 (せいぜい、仲間由紀恵が小さいビキニを試着して、「どうよ?」とポーズを決めるシーンくらい。) 垂直上方のアングルが、決してパンティを捉えないという「非ポップ」さの毒(もしこれが純白パンティーのバンバン映る作品なら「ポップだ!ポップだ!」と騒ぐべき作品になっていたろう。悲しむべきことである)に加え、ドヘタな役者ばかり目立つのもツラい、が、「16歳の群像劇」だから、しょうがないか。 おそらく「高校生の自主制作ムービーなのだ」と諦めながら鑑賞すべきかもしれない。 ケナすついでに言っておくと、監督に「選曲」のセンスが欠落している。「クラシック音楽の挿入でどうにかなる」と思われては、客もなめられたものだ。 単純に、ネクラなクソ映画とみてよい。ただ、厳密な採点をするなら「1点」にするか「2点」にするかで相当悩まされる。
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[008]愚か者 傷だらけの天使
 これはイマイチすぎる。ピンクガンスモーキン2010-06-21
 【ネタバレ注意】
阪本順治――かつて、蓮実重彦から、周防正行とセットで褒められていた監督である。 それはともかく、主役の真木蔵人に不信感を抱きながら見始めた。独り言の多い「田舎っぺ」を・・・
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阪本順治――かつて、蓮実重彦から、周防正行とセットで褒められていた監督である。 それはともかく、主役の真木蔵人に不信感を抱きながら見始めた。独り言の多い「田舎っぺ」を演じて、相当ダサいが、まあ、そんなに悪くない。 この低IQのビンボー青年に、食品工場のパートのオバサン・大楠道代が絡んでくる。 あえて「年の差ラブストーリー」ってほどでもないが、ちょっと期待させる展開だ。 色気は足りないが、ここまではOKだろう(ちなみに、オバさんだけしか出てこない映画である)。 やがて、早々に「人探し」のテーマを提示。 これで、サスペンスを導入し、物語的に保険をかけた。 が、鈴木一真があっけなく登場してから、たちまちダルくなる。男2人の絡みのバカバカしさに、うんざりさせられたぜ。テンポが悪すぎて、観られるレベルじゃなくなり、中盤からは、3〜5分毎に休憩を要する(おかげで2週間近くかけて鑑賞する羽目にもなった)。 見終わった感想は――意外にダメだったなぁ。90分の映画で、こんなに長く感じさせちゃ失敗だろ。 なんとなく「ケンカ映画」を予期していたが、「恋愛映画」みたいな部分もあるし、「迷える若者」の姿を描こうとしている部分もあり、結局、支離滅裂で、焦点がボヤけている。最初から最後まで、大楠&真木の妙な年の差カップルで行ってくれればオモシロかったはずだが、鈴木&真木のハンサム・コンビで、かなりグダグダになる。 多少スタイリッシュな部分はあるが、正直ハズレだった。
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[009]ニンゲン合格
 精神年齢14歳で、合格とする(その基準)ピンクガンスモーキン2010-06-21
 【ネタバレ注意】
ああ、感動したなあ。 ラストの5分間、とくに。 それまでの100分間のシラケ・ムードが一度に覆され、ダルさの果てに思いがけない透明感が待ちうけている。 「余韻」というもの・・・
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ああ、感動したなあ。 ラストの5分間、とくに。 それまでの100分間のシラケ・ムードが一度に覆され、ダルさの果てに思いがけない透明感が待ちうけている。 「余韻」というものを久しぶりに味わえ、ジンとしたものが内蔵から両腕に走りぬけた。 基本的には、非リアルな演出で、俳優たちの形式的な所作と、気持ちのこもっていないセリフまわしが特色だから、若干シラケながら観るのがちょうど良い(というか、それ以外に方法が無いだろう)。 画面を「黄色」で繋いでいるというのはバカでも気づくことだが(椅子、カーテン、Tシャツ、プリントゴッコ、リボン、自動車など)、全篇「緑」の多いロケーションが心を落ちつかせる。 黄色い被写体の連鎖を追いかけつつ、カウントしながらリズムを取り、「赤」を差し色にした抑揚の無いドラマを冷ややかに眺めていると、段々いい気分になってくる。 そして最後に、すっかり忘れていた「出会い」へと視聴者を送り返してみせるその手腕に、舌を巻くことになるのだった。 その感動は、うまく説明しにくいが、観りゃあ分かる。「この映画、どうやら感動は無さそうだな……」と虚脱しながら思いこんでいた「ロスタイム」の油断を突き、「いや、おまえ、『問い』を忘れてただろ?」と盲点だった「答」を突きつけられる痛快さ。「答」を見てから「問題」を思い出す瞬間が、貴重でたまらない(観りゃあ分かる)。 つまり、「回顧」というのは、解答を振り返るのではなく、問題を振り返る心理をいうのだ、といった逆説的な認識に到達させずにはいない作品。見終わった瞬間にジワリ頭が冴えてくるような、知的な味わいがある。 まあ、傑作に近い。 テーマ的には、擬似家族の礼賛で、象徴的に見れば、映画制作それ自体が一時的な人材(監督・俳優・裏方)の協力体制だから、「擬似家族」的でもある。だから、自己言及的な映画と言えなくも無い。 しかし、そんなことはどうでもいい。 「こんな恋愛映画、観たことねえぞ」という驚きのほうが重大である。 気配を消すことに成功している恋愛に直面する衝撃。 当事者がいなくなってから浮かび上がる、極めて稀薄な恋愛。 若者の恋愛をここまで「稀薄」にして見せる、というのはなかなかお目にかかれない。 (ぶっちゃけ、黒沢清の本質は少年的な要素・感性だ、とオレは感じた)。 (余談:「洗濯バサミ、取って」と言われた主人公がグッタリしている姿をカメラが捉えた瞬間、彼がふたたび昏睡状態に戻ったのだと「感動」させられそうになったのは、オレだけじゃあるまい。これは、そんなベタな感動を拒否している映画だ。)
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[010]アカルイミライ
 (わかっちゃいるけど)気分はテロリズム。ピンクガンスモーキン2010-06-21
 
決定的なシーンを連発する見事な映画。 オレは基本的には寝そべって鑑賞するが、何度も起き上がり、グッと画面に顔を近づけずにはいられなかった。その際、何度も「ケッテイテ・・・
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決定的なシーンを連発する見事な映画。 オレは基本的には寝そべって鑑賞するが、何度も起き上がり、グッと画面に顔を近づけずにはいられなかった。その際、何度も「ケッテイテキだ…ケッテイテキだ」とつぶやきながら(「スゲエ」はオダギリのセリフだけじゃないぜ)。 いわば、浅野&オダギリの「ハンサム映画」で、女優は出ないに等しいが、ガンガン食いつかせる映像&展開が冴えまくる(全体の92%で退屈しない)。 フツウに見てヤバいほどカッコイイ浅野&オダギリと、フツウに見て存在自体が醜いオッサン俳優との対比によって、巧みにコントロールされた(映像的/物語的な)均衡に加え、色彩感を落とした(灰色の)映像処理で、(成長の無い)現代の若者の「キレそうでキレない気分」の持続を描いていく作品。 そのテーマは「無感動な若者を、どう感動させるか」。 シラケるかキレるか、それ以外に何の心の動きもない若者が、やがて、変化する。 主人公は、(成長も)愛も喜びも無い21世紀的日常のなかで、ひたすら「キレそうでキレない気分」を抱えている。そこにサスペンスがある。 「ハイハイ、キレちゃいけないんでしょ」と(ちゃんと)分かっている(知的な)態度が、「当世若者気質」だ(単に衝動的・暴力的なのとは違う)と考えさせられた(が、べつに何も考えなくても、観りゃあ面白い)。 物語・演出的には、ほとんど女を出さないのが正解。 そこに監督の聡明さがある。 若い男の衝動が、女(ないし性欲)のほうへ行かずに、社会的な方向へうまく誘導され、話のスケールを大きくしている(いわば「問題」的なイメージを構築できている)。ここに、もしギャルがいたら、男の鬱屈した欲望が一斉にそこへ向かい、物語のスケールが小さくなるのは分かりきったことだし、おそらく、黒沢清の「少年的なセンス」は発揮されずに終わるだろう。 傑作の部類に入ると感じたから、とりあえず10点でいい。
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[011]ぼくの伯父さんの休暇
 中年独身男が夏の海をいかに過ごすかピンクガンスモーキン2010-06-21
 
『ユロ氏の休暇』。 妙に大柄というだけで、すでに「収まりの悪さ」を感じさせるユロ=ジャック・タチ(監督兼主演)が、「空気を読まない」行動で(本人は控え目にしているの・・・
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『ユロ氏の休暇』。 妙に大柄というだけで、すでに「収まりの悪さ」を感じさせるユロ=ジャック・タチ(監督兼主演)が、「空気を読まない」行動で(本人は控え目にしているのだが)、夏の海辺のホテルを騒がせる、というよりも、彼に悪意を増幅させていく周囲の人々を描いた作品。 無論ミスター・ビーンのような「奇行」を期待するのは大まちがい。 温厚でおとなしい巨体の男が、小道具に振り回され、世間から敵意の眼差しを浴びる物語である。 Ikeda氏も言うとおり「殆どストーリー性がなく、どこから見出しても同じ様な映画なので」、星新一の短編小説集同様、1本通して鑑賞する必要があるのか、という疑問はあるし、ドッカンドッカン笑いを取るシーンなど皆無に近いが、品の良さは抜群で、NHK教育の「ピタゴラスイッチ」的な装置の連動ぶりを眺めるのに似た、風流な快感が得られる。 (ただし、残り15分で1回眠気が来るかもしれない。その後は派手だが…) テニスラケットという物体が、(使用されるされないを問わず)やけに目に残るというのは、ジャン・ルノワール『大いなる幻影』でも感じたが、ここでもやはり、テニスラケットは映画における特権的な被写体だ、と認識させられた。 「手に持つことのできる円形の物体」としては、ほかにも、(Ikeda氏も指摘する)ハンドルや、給仕の運ぶ白い皿、宿泊客たちの帽子、レコード盤、ボール、スペアタイヤなどが続々と登場する。 しかし、どういうわけか、テニスラケットほど視覚的に印象的なものはないと感じた(なお、監督は、上記全部をギャグのために活用している)。 序盤、(法則1)「汚い車を使った映画にハズレは少ない」、(法則2)「汚い犬の出る映画にハズレは少ない」というセオリーをそれぞれ確認できる上、開始5分、その車と犬が遭遇する(まさに映画的な)瞬間は、法則を知りかつ観た者だけが味わえる高級な数十秒の至福のはずだ。 ちなみに、この「休暇」は5泊6日(夜のシーンが5回ある)。 (だから、話が余計に断片化するわけだ) 宮川大助・花子の大助、または、オール阪神巨人の巨人あたりを使って、セリフの少ない『ぼくの日本の伯父さん』を製作してみせる監督がいれば、なかなか面白いだろう。
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[012]宇宙戦争
 余裕で、いい映画になっている。ピンクガンスモーキン2010-05-01
 【ネタバレ注意】
バイロン・ハスキンという監督の名も、主演ジーン・バリーとアン・ロビンソンも、良く知らないが、なかなか面白かった。ぶっちゃけ「教授が美女と逃げる」アドベンチャー映画。・・・
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バイロン・ハスキンという監督の名も、主演ジーン・バリーとアン・ロビンソンも、良く知らないが、なかなか面白かった。ぶっちゃけ「教授が美女と逃げる」アドベンチャー映画。 それが「政治的に正しくない」というわけでもなかろうが、スピルバーグは「肉体労働者が女児と逃げる」超ヌルい映画にアレンジ。そんなサスペンス・ゼロの「ホームドラマ」はどうでもいいが、ハスキン版は別の種類のサスペンスでじっくり見せている。 どこが良いかというと、まあいろいろ良いんだが、全体に品があった。たとえば数分ごとに群集が不安そうに遠方を見つめるシーンが、たまらなく気持ちが良いし、敢えてそれを「映画鑑賞のメタファー」だというつもりはないが、群集が一斉にどこかを見つめているだけで、こちらまで気持ちが引き締まるようだった。何が起こるというわけでもないが、定期的に(何回あったか数えるべきだ、誰かやれば良い)群集の望遠シーンが映るたび、原始的なワクワク感がおこる。 おまぬけキャラや、牧師キャラ、将軍、カネ持ち等を適宜配置する、メリハリのある書き分けも、楽しい。 (ちなみに、スピルバーグ版にはユーモアも宗教もなく、反抗的な息子と地下室の中年男というキャラで、お茶を濁している)。 54分頃の紙芝居的な展開も、まさに映画の醍醐味だろう。世界各地が次々に破壊されて行く様子を、戦争の記録映像やら模型やらをシャッフルし、短時間でトントン拍子に見せていくスピード感はゴダールみたいだ、とまでいうと褒めすぎだとしても、昔の映画には必ずこういうシーン(話を飛ばす箇所)があって、快感がある。 (以下、ネタバレ度大) 切断した潜望鏡の一部を研究室に持ち返り精査するシーンも遊び心たっぷりだ。宇宙人のマシーンが「テレビカメラに似た」機構であることに乗じ、それを覗きこむ(自分たちの顔を大写しする)主役たちには笑えた。大人の余裕としか言いようが無い。 後半、「原爆を使うしかない」という流れもスリリングである。原爆をロサンゼルス=ハリウッドに投下するまでのジワジワ感、「あと4分」「2分」「10秒……」、単純だけど良いな(ちゃんと白い灰も浴びてるし)。 「火星人はバクテリアに対する免疫が無かった」という「オチ」に対して、「アメリカ人は放射能ネタに対して免疫が無かった」というマヌケな「裏オチ」?そこはまあ看過しておこう。 (清潔なスピルバーグ版には「原爆」など出てこず、トム・クルーズの「個人技」のみをラストの見せ場にする)。 ハスキン版の『宇宙戦争』のラストは、長い時間をかけながら、宇宙人がロスの街を破壊していくシーン。 その陰気な感じが素晴らしい。火の海となったロスの市街地には誰もおらず、ガラクタの散乱した道路を、ひとり、主人公は女を探し走り回る。 「火星」人というのは大事なポイントで、「太陽から離れているから光に慣れていない」といったセリフの利かせ方や、懐中電灯の合理化に感心させられた。 (余談:そもそも「火星」自体が、スピルバーグ版では消去されている。時代が夢を殺し、「抽象化」を強制している気がするのは、オレだけか?「原爆」も「火星人」も「キリスト教」もない、清潔であいまいな世界設定。主役の「個人技」だけでスリルを構築するスタイル。『マトリックス』なども、そういうやり方だ。ムリが出てくるのは当然。)
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[013]ボーイ・ミーツ・ガール
 詩を読むのは疲れる。そういう映画。ピンクガンスモーキン2010-04-11
 【ネタバレ注意】
これを観る人が少ないのは当然だろう。つまらないから。 (ダメな映画とは言わないが。) レオス・カラックス監督の若さが出ている。「物語の萌芽」しかない。というよりも、・・・
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これを観る人が少ないのは当然だろう。つまらないから。 (ダメな映画とは言わないが。) レオス・カラックス監督の若さが出ている。「物語の萌芽」しかない。というよりも、詩的な作品。とはいえ「映像詩」というほどでもない。 固定画面の多用。1カットがやたら長い。しかも、俳優はあまり動かない。独り善がりの哲学的セリフ。見ていて退屈してくる時分に、突然俳優が動く、だから、うっかり見逃したりもする。が、部分的に見逃したからといって、なにも困りはしない(プロットやサスペンスなどが機能している映画ではないから)。 発想が断片的で、「少年的」な映画である(「少年映画」でもあるが、その言葉が期待させるような躍動感や物語性はない)。 40分ごろに、アレックスがアパートの廊下を歩いている映像に、長々とアナルセックスの会話がオーバーラップで挿入されているあいだは、字幕ばっかり読んでしまった(映像から注意が逸れた)、といった事態に象徴されるように、狙いが分かりにくい、というか、面白さが中途半端で寒いというか、地味というか、何をどう観ればいいのか、という気持ちにさせられる。 モノクロ画面は、きめ細やかでキレイ。そういう意味ではつまらなくもない。 (ジム・ジャームッシュの処女作『パーマネント・バケーション』に似ている。とにかく詩的で、断片的で、退屈を強いる。ダンスを挟んだり、音楽を挟んだりしながら、メリハリをつけるスタイル。深刻そうに、詩を語りだすが、物語的には何もない。そういう「青さ」が共通する。) 前半の主人公アレックスは、「世界の傍観者」である(若いから、世界に参加できない、その資格がない、ということでもあるが)。町を歩くだけ。他人を眺めるだけ。 視聴者としては「傍観者を傍観する」というかっこうになる。そこを我慢して乗り越えなければならない(とはいえ、その先、「モノローグを傍観する」というバリエーションに直面するから最後まで鑑賞は楽じゃないぜ)。 後半、セレブのパーティに身分を詐称して、潜入してから、「物語」が動き出す。 (やっぱり、若者は世界に参加できないから、潜り込むしかないという、俺の見立ては合っているだろう。ジャームッシュのほうは、それを敢えて放棄した「バケーション」だから、最後まで物語が立ち上がらない。) 65分ごろ、パーティ主催者の老女とアレックスが、牛乳を飲むためのコップを探すところで、微妙なサスペンスが成立する。この映画唯一のサスペンスだ(笑)。 もちろん、監督はそんなの興味ない。白いカップのふちが欠けているのを、クローズアップでじっと意味深に撮る。当然「詩的」な映像になってしまう。サスペンスは死ぬ。 そして、主人公とヒロインの長い対話、というか哲学的な自分語り。そこで、アレックスの決めゼリフ「孤独だと自分が興味の中心になる」。まあ、そのとおりだろう。まったく、そういう映画である。青年の内省的な気分をそのまま映画化している(分かりやすく言えば、「生きざま」を見せる映画ではなく、「どうやって生きていこうか……」という思索の映画)。 一般的な傾向として、若い監督は自作のポエムを無理やり聞かせるために映画を作るようなところがあるのかもしれない。 (余談:ぶっちゃけ、ラストは「助けて」と言われているんだから、さっさと救急車を呼べば良い、寝ている場合じゃないだろ(笑)、と突っ込むような映画でもないんだが。)
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[014]ポンヌフの恋人
 多分泣く人はいない映画、でもないか?ピンクガンスモーキン2010-04-11
 【ネタバレ注意】
良い映画なのに、ラストはちょっと投げたような感じがあるな……そこが寂しい。 熱すぎる物語(というか男優)に監督が降参してタオルを投げたような(最後まで責任取れよ、って・・・
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良い映画なのに、ラストはちょっと投げたような感じがあるな……そこが寂しい。 熱すぎる物語(というか男優)に監督が降参してタオルを投げたような(最後まで責任取れよ、って気もするが)、映像的にはココで終わるとまずいんじゃねえか〜という予感を、しっかり逆なでする、超ダサいBGMもあいまって、まだサスペンスが途切れる予感もしないのに物語的にはキリが無いからもうこの辺で止めます、と「緊急避難」的に終わらせたようなバツの悪い弛緩したエンディングだと感じたのは俺だけだろうか? 冒頭、市街地へ通じる夜の道路(長い地下道)をスーっと走り抜けていく(無人称)映像から始まるのも、よく考えれば、ちょっと微妙ではあった。 だが、全体的には良い。最初から最後までテンションは(超)高い。 ザクッと見れば、汚い男女が小奇麗になって再会するという王道パターン(べつに逆でもいいけど、客にウケない)。 ドニ・ラヴァンが、頭の弱そうなキャラ設定のおかげで、何をしでかすか分からないピリピリしたスリルの維持に貢献している。ハッとさせるような映像表現も多い(『白夜』も『アタラント号』も未見なので、比較はできないが)。 たとえば、70分頃、映画ならではのトントン拍子で、身なりのいいオッサンが次々眠りこける流れなど非常に気持ちがいいし、「初めて海を見る」シーンも、バカみたいな撮り方にはなっていない(海の撮り方で、無能かどうかは歴然とする)。終盤の「ポスター地獄」も面白い(破れ方も良かった)。 個人的に一番爽快だったのは、街を走り抜けてきた女が、男から酒瓶を奪い取ってガブ飲みした後、「のどが乾いた!」と言い訳するシーン。それを男がニコニコ眺めている。幸福のシニカルさ。その後の流れもいいが。 (ノブ氏のコメントには、2箇所間違いがある――「拳銃を川へ捨てる代わりに酒ビンを投げて女をだます」⇒ビンではなく右の靴を捨てる。片手・片足・片目の一貫性のためである。「『空は青。でも雲は黒』という暗号で愛を受け入れる」⇒「空は白」が正解。シンプルな白・黒の対応だろう。この暗号をどんどん使って、客を泣かしに来ると予想したんだが、無かったな。) 派手なわりに、繊細で婉曲的な手法が多いのが好ましい。ノブ氏も書いているが、睡眠薬をお菓子の箱(?)に入れて持ち歩き、それを開けるたびに「ポンッ」「ポンッ」と鳴る、その音で伏線を作っておけば、あとは絵を見せなくても、音だけで視聴者は何が起こったか分かるというような、まあ音に頼りすぎているところはあるのかもしれないが、サイレント映画じゃないから機能するそういう工夫が多々ある。 地下街で、かすかにチェロが鳴り出した途端にジュリエット・ビノシュが向きを変えて走り出すシーン。あれはあまり好きな手法ではない。チェロが映画のBGMなのか、それとも彼女がその演奏の「発信源」をめがけて走り出したのかが分からず(というか、当初、視聴者はまったく気づかないはず)、鑑賞しているうちに「ああ、そういうことか」と分かる。全速力で走っているからBGMのボリュームを上げているんだろうと勘違いする(それを逆手に取っているのかもしれないが)。 物語的には、ウマいようなマズいような……敢えて期待をはぐらかすことを反復してみせるストーリーで、つまり、視聴者の(悲劇の)期待をはぐらかすと同時に、ビノシュがドニ・ラヴァンの期待をはぐらかす、という2重のはぐらかしを利用して、延々、話を続けるというやり方だ。 終わりが見えてこねえんだよな。 その代わり、サスペンスは保てる。 (善し悪しだけど) 谷崎の『春琴抄』というのはどうしても思い浮かぶところで、あれは、(たぶん)政治的に正しいから5回も6回も映画化されているが、もし『ポンヌフ』で男が女を盲目にして従属させる道を取ったら「政治的に正しくない」って、さんざん叩かれるんだろう。だから、その辺の期待を、キレイにはぐらかすような話の運び方になっている。 そのぶん、カタルシスがないし、なかなか終わらない(基本的に、女が男を愛していないということだと思うぜ、悲しい話)。 惚れた女には、「心に決めた男がいる」ので、(遊び相手はしてもらえるが)振り向いてもらえない男――というのはフランス映画に多いのかもなあ。男は苦しむが、女は楽しむ、というパターン。「悪女モノ」ともいえるし、単なるバカ男の悲惨ともいえる。ただ『ポンヌフ』はハッピーエンドだ(やはり、女を殺すか、フラれた男が死ぬか、で終わらせたほうが、感動が確定したとは思う。キャメロンの『タイタニック』だってディカプリオは死ぬわけだし。どうせ殺したって客は忘れるんだから)。
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[015]パリのランデブー
 セリフが天才的。女の動きも天才。ピンクガンスモーキン2010-04-10
 【ネタバレ注意】
20代のバカな頃でも面白かった記憶があるが、今観ても、面白すぎる。ロメール監督はカネをかけないが、それも天才のうちだな。ドケチというのは天才への第一歩かもしれない(経・・・
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20代のバカな頃でも面白かった記憶があるが、今観ても、面白すぎる。ロメール監督はカネをかけないが、それも天才のうちだな。ドケチというのは天才への第一歩かもしれない(経済的な工夫と、パターンの反復・洗練を強いられるから)。 そもそも、フランス映画は、「女を見た〜ッ」っていう満足感が凄い。生(なま)の女を堪能した気分になる。ナンパ男に優しく、そして厳しい、ナチュラル・セクシーな美女たちを、存分に味わえる。だからといって、男性向けというわけでもなく、他愛もない「恋愛相談」的な軽い内容ばかりだから、女も楽しめるようになっている(はず)。 (これがアメリカ映画だと「働く女」ばかり見せつけられて鬱になることが多い。やはりフランス映画を見ないと、女を見たぞっていう気がしない。) さて、35分頃の女優のセリフで、昔の男と現在進行中の男のデートが同じ場所(自分の家の近所)だと「恥」だわ、というのがある。「イマジネーションが無い」と思われそうで怖いという。そりゃそうかもしれない。 ところが、実際には、この映画、徹底的に同じことを繰り返しているのだ。 (以下、ネタバレ) 一目ぼれした男が、女の後をつけまわしたあげく、すごく友好的に相手をしてもらうのだが、「すでに男がいるから」眼中にないというので、女にフラれるまでの過程を、繰り返し描いている。 第1話と第3話は露骨にそうだが、第2話も実質そう。 とくに、上のセリフは第2話だが、そういう第2話こそ、一番繰り返しの手法が目立つ。 2週間に1、2回のデートを、パリのどこかの公園ですると決めて、散歩を反復する若いカップルの話で、地理的ロケーションも関係しているのだろうが、ルンルン気分で小高い場所へ上ってくるシーンから始まり、ゆっくり2人が坂を降りていくシーンでデートが終わる。それを(数えるのを忘れたが、誰かやれば?)、大体5回ぐらい繰り返す。 安上がりだが、決して退屈はさせない最小限のストーリーを、軽々と振舞うカメラで追ってみせるだけとはいえ、想像力で書いたとは思えないような奇跡的なセリフのリアリティが感動に貢献しているし、女優たちの身のこなしが素晴らしかった。 とりわけ第3話(つまり全体)をしめくくるにふさわしいスイス美人を演じたベネディクト・ロワイヤンのジグザグ歩行から、ヒラヒラと舞うような10分間の室内滞在、そして階段をくるくると身を翻らせて降り、走り去っていくまでの姿は、綿密に計算されているのだろうが、自由奔放な現代舞踏を見るようだった。 要は、ナンパを断るプロセスなのに、わざわざ微笑みながら「ダンス」をして見せてくれるというのだからまさに映画だ。
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[016]宇宙戦争
 酷評するほどのクソ映画ではない。ピンクガンスモーキン2010-04-10
 【ネタバレ注意】
ふてぶてしく成長した子供に心底軽蔑されちゃってるオトーサンが、災害時に適切な対処をできたら軽蔑されなくなるかもね、たぶん、だからオトーサン頑張って、というお話。 ま・・・
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ふてぶてしく成長した子供に心底軽蔑されちゃってるオトーサンが、災害時に適切な対処をできたら軽蔑されなくなるかもね、たぶん、だからオトーサン頑張って、というお話。 まあ、実質、それだけなんだけど、いろいろ言おうと思えば言える。 (でも、quadraphonic氏のレビューや籐四郎氏の「歴史的駄作」という判定を読めば済むし、その他「凡作」「ハズレ」「愚作」「ナニコレ」「ポカーン」「ガッカリ」「最高につまらない」「あきらめてしまった」「最悪」「失敗作」等のコメントどおり。こういうのは大衆が正しいね。大衆向けなんだから(笑)) 冒頭10分以上もかけてヘンに葛藤のあるアメリカン・ファミリーを描き始めたので、「ああ、スピルバーグ、ホンキか?これ」と、思いながら見ていると、やっぱり本気らしく、愛のない親子断絶のニガい関係描写をずーっと続けるもんだから、「おいおい、いつまでやる気だ?」と思った14分頃、メカニカルでシルバーな宇宙人の乗り物(造形がマズい)が登場、あっけらかんとビーム、ビームで町を破壊し始める。 でも、「どーしてこースリルがないのだろーか?」と言いたくなるようなカメラの動きに、いろいろ考え込んでしまった。 映像的には、猛烈に高い位置からの俯瞰と、滑らかなカメラによる伴走が特徴なんだが、そこでふと、オレの頭には、「TVのマラソン中継」が思い浮かんだ。 こりゃあマラソン中継のスタイルだよな〜。空撮と、ゆっくりした伴走で、逃げまどう人々を「上から」「正面から」撮る。ちょうど「トム・クルーズが先頭集団のトップです」と言いたげな、間抜けな感じもする撮影手法。 いいんだけどさ。「崩壊気味の下流家庭」と「その再結束」を描くほうに主眼があるらしいから(たぶんマジで)。 さらにもうひとつ深刻だと思ったのは、「9・11テロ」のニュース映像が、ヘンな意味での「スタンダード」になってしまっていることだ。あのインパクトが、業界内でも超えられない壁というか、トラウマというか、呪縛みたいなものになって、映画作家がそんなものと張り合おうとして、それに近づこうとしているかのような、滑稽で愚劣な意気込みを感じた。バカである。 とにかく音が悪い。これも言っておきたい。なんじゃ、「ギュワー」っつう音は。 もう音無しでいこうぜー、頼むからさー。無音で、ドッカンドッカン破壊したほうが不気味じゃねえのか?なぜ、いちいち「ギュワー」なのか。アホである。 後半、地下室にもぐりこんでからの、大人の意地の張り合い(1対1)も、「要るかあ?この流れ」と思いながら、その長さに耐え続けるのみ。 懐中電灯のチョー長いやつでサーチされるチープなノリも、オレにはムリ。乗れねえ。挙句の果てにはドアの向こうで「見えない解決しました」っつう古臭い手法。どんだけ古い手……目もあてられないというか、ほとんど、どうあがいてもスリルをひねり出せず、絶望しながら指揮しているスピルバーグ監督の青ざめた表情しかイメージできなかった。 ちょっとくらい面白いシーンあったかあ? 敢えて言うなら、大量に服が降ってきたシーンくらいだ。 普通に考えりゃ、『風とともに去りぬ』のほうが(ヘンな比較だが)、アメリカ国土荒廃モノとしては、遥かに面白いだろう(別に『風〜』がスゴイと言っているわけじゃないが)。 「9・11」のニュース映像と張り合うより、あっちと張り合えよ。とオレは思う。 個人的に「大作は6点程度だろ」と決めているので、クソ映画とは言いづらい。 (余談:montag氏の「見事な斜面」説は、なるほどとは思うが、だからといって、スリルのかけらもない映画を持ち上げる気にはならない。写真集じゃあるまいし。) (余談2:「大体ほんまに怖いときは人間声が出ないもんです。」との幸村和氏のコメントは同感。「ほら見て、イヤなヒトが来た、キャー!」なら分かるが(笑)。)
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[017]パッチギ!
 ウソでもいいから、悪役が欲しかった。ピンクガンスモーキン2010-04-09
 【ネタバレ注意】
最近少ない「政治映画」でカネ儲けに成功した井筒監督のニッチ・マーケティングのセンス(まぐれ?)は、ともかく、今ごろ観ると間抜けな感想にもなりそうだが、期待していたほ・・・
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最近少ない「政治映画」でカネ儲けに成功した井筒監督のニッチ・マーケティングのセンス(まぐれ?)は、ともかく、今ごろ観ると間抜けな感想にもなりそうだが、期待していたほどには作家的センスを感じなかった(映像的にも、また、演出的にも)。 フツウの映画という感じだ。 重要なポイントを3つほど。 第1に、「狙い」がぼやけ過ぎ。ラブ・ストーリーなのか、喧嘩アクションなのか、音楽映画なのか、ノスタルジー趣味なのか、あるいは床屋政談なのか、どうもはっきりしない(これで高得点は無理)。 第2に、役者がイマイチ(あれだけの人数を投入しておきながら……)。まあ、主役はいない、みんな公平にやりましょう、という計算なのかもしれない(全員力不足だし)。 とはいえ、小出恵介の消え方は不可解だし、オダギリ・ジョーや大友康平がドヘタだったりと、イヤなものばかりが目につく。真木よう子が出しゃばってくるのも違和感があった(相対的にアタシが一番うまいでしょってことか?)。 ヒロインの沢尻エリカは、最初、イジメられる瞬間だけは良かった。そこだけは観るべき演技があったように思う。そのキャラで行くのかと思いきや、「虎の威を借るキツネ」に変身してしまい、あれだけ冷たい眼をしていながら、これといったきっかけもなく甘えた感じになるという演出や、終盤泣きすぎて嘘泣きに見える演出は、ほとんど理解できないレベルだ。 (「妹」役の次元で鑑賞しても、リアルさを欠いていた。) 第3に、井筒監督の面白がっているポイントが、いちいち「舞台ギャグ」寄りで、映像的な快感が少ない。役者頼みという印象であるが、当の役者は、監督にコントロールされ過ぎていたり、アドリブ力が無かったりで、頼りにならない。 たとえば高校の親善サッカーの際に(ボールの軌跡を撮らないのも、どうか)、教師がノックアウトされる場面。映像の切れ味よりも、プラス・アルファで役者の演技を欲しがっているように見える。しかし、役者にはそれほどアドリブの余地がない。 すべてにおいてそういう感じだった。 随所で(それほど期待できない)演技を、ムリに引き出そうとしている。 中盤の3人組の洋服(赤・青・黄)の「色遊び」も限界を感じる、というか、発想の貧困をさらけ出している。 映像はイマイチ、演技もイマイチ、物語も、どうってことない。 たしかに「政治的な教育熱心さ」は伝わってくるが、それで作品としての評価を左右することは無いから、「5点」でいいだろう。 (余談:まあ、政治的には穏当な解決法を示している。朝鮮美少女(沢尻)→日本人(塩谷瞬)へ。日本美女(楊原京子)→朝鮮人(高岡蒼佑)へ。交換留学みたいなもんだな。)
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[018]フラガール
 ボウフラ・ガールピンクガンスモーキン2010-04-09
 【ネタバレ注意】
李相日と李闘士男のどちらが良い監督なのだろうか? あんまり変わらない気もするが、しかし、これは「華の無い映画」だなぁ。 30代の女優というのは、いつの時代も払底気味かね・・・
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李相日と李闘士男のどちらが良い監督なのだろうか? あんまり変わらない気もするが、しかし、これは「華の無い映画」だなぁ。 30代の女優というのは、いつの時代も払底気味かね? 松雪泰子、菅野美穂、宮沢りえ、深津絵里、竹内結子……なかなかイイのを思い出せねえし。 さて、とびぬけて邪悪なオーラが目障りな蒼井優だが、彼女の動きの「渋り」具合で、この映画のサスペンスは持っている、若干ケチなストーリーではある。 つまり、衣装も真っ黒、いかにも腹黒そうな蒼井が、きびきび動き出せばきっとクライマックスになるはずだと予想がつくから、のんびり構えて「待つ」として、それまでどこを観ていればイイのか、どうやって時間を潰せばイイんだ?俺ヒマです、という映画。 べつにケナしちゃいない。 クライマックスの「感動待ち」で、ボヤいてみただけである。決してクソ映画ではないが、「待ち時間も楽しませてくれよ」という正当な要求を口にしてみただけのことだ。 結論から言ってしまえば、アイテムの使い時を間違えて妙な場所で爆死するRPGキャラみたいな映画。 岸部一徳が沢田研二だったら、もう少し前半は楽しかっただろう。でも、沢田は早めに消えて欲しい感じになるだろうし、豊川悦司とキャラが重複してマズいか(キャスティングというのも難しい)。その豊川も坑夫という雰囲気ではない。が、筒井道隆とかでは興行的に厳しいか?せめて、江口洋介なら引き締まったと思うが(ちゃぷりん氏の「山本太郎か照瑛」というアイデアも良く分かる。興収激減覚悟で。) (ちなみに、ganglion氏の「東北人の気質は、あんなに喜怒哀楽をはっきり示さない。もっとインにこもってます。」というコメントは意外に無視できない。非日本的な映画だということ。ぶっちゃけ、富司純子1人で東北をやっているのに、他は筑豊炭田か何かをやっている。そのチグハグさは凄い。) 映像的には、イマイチである。 ダンス・ムービーである以上、ダンスを見せて欲しいが、序盤の松雪のソロの見せ場は、切り刻み過ぎて、上半身の絵が多く、もどかしい(遠景と腰だけ撮りゃあイイのに……ダンサーじゃないから無理か)。 そう思っていると、練習場の蒼井のダンス・ソロも、同じく上半身に集中、しかも、スローモーション多用ときたから、ああこの監督はダメかもしれないと思ってしまった。 中盤のダレ加減には、放屁ぎみになって困った。 (放置映画氏の指摘どおり「ラストのクライマックスまで延々と”しんみり”で押し通そうとする力技」では、ダメなんだよ。) クライマックスまで持たねえじゃん。 友達(徳永えり)との別れに7分もかける必要があるか?1分で充分だろう。 「ああ、クライマックス『待ち』とか、どうでもイイや、残りの1時間、観るの止めよう」と思ったほどである。 我慢の終盤。 帰ろうとする講師(松雪)を引きとめる駅でのシーン、見てはいけないものを観ているような気がしてならなかった。お遊戯のレベルで、しかもスローモーション。ほとんど泣けてきた、酷すぎて(こういう経験も珍しい)。 君は、そこまで「投げる」のか、と。 どうせなら、車窓に全員押しかけて窓から松雪をホームに引きずりおろすようなアクションを見たかった(マジで)。そうすれば、「あんたたちバカじゃないの?」という松雪のセリフも決まったはずである。他方、涙欲しさに出し惜しみした手話のシグナルは、徳永えりの別れの際に(しかも笑顔の演出で)使っておくべきであった。醜い「出し惜しみ」で失敗した作品である。 まあギリギリ駄作ではない(晴れ舞台でのダンスはちょっと熱くなったし)と念を押しておくが、それでも「可」は付けられず、「4点」だろう。 ボウフラである。蚊ではないな。痒いところに手が届く以前の低レベル。
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[019]ウエディング
 『或る結婚式』とは凄いね。ピンクガンスモーキン2010-04-09
 【ネタバレ注意】
薄笑いで頭がおかしそうな目つきの、ミア・ファローの馬鹿女ぶりは見事な演技で、意味のない全裸も晒してみせる(「奇行」としての意味はある)ので、彼女だけでも観る価値はあ・・・
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薄笑いで頭がおかしそうな目つきの、ミア・ファローの馬鹿女ぶりは見事な演技で、意味のない全裸も晒してみせる(「奇行」としての意味はある)ので、彼女だけでも観る価値はあるだろう。 またボロボロの手をアップで撮られ開始15分で死んでしまうリリアン・ギッシュも、最後まで出番は途切れず、たびたび美しい死体を演じる存在感。(構成的にも)見ごたえはあった。 内容は、もたつきの多い、グダグダした若者の結婚式をメインに(伊丹十三の『お葬式』を連想してしまう)、ミニ・コントの凝縮と、中年のラブ・ストーリーと、アメリカ人の大好きなホモ・レズ・インポ・ネタの連発を織り交ぜ、あまりにも「人が多すぎる感」のなかで、「全員に見せ場を」的な演出方針の実現のさまを、最後まで飽きずに、楽しめるようになっている。 退屈はしない。ネタ切れだけを心配したが、杞憂だった。 とにかく、登場人物の多さだけは相当の覚悟が必要だろう。 結婚式で両家全員が集結した場面から幕をあけ、ひたすら小トラブルの連続で、あの人とこの人、そっちの人とあっちの人、と斜めの関係をランダムに撮っていくので、誰と誰が親族関係にあるのか把握しづらい。 まあ、そうやって映画を2度以上鑑賞させるように誘導的に作用しているのかもしれない(リピーターを創出するために、映画はいろいろ工夫をするもんだからな)。 テンポのいい映画なので、点数は高いだろう。 (結局、誰が死んだのか分からなかったので、もう一度観る必要を感じてしまった。それを、ズルい手だと感じさせないのが、アルトマン監督の品の良さか。)
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[020]女の中にいる他人
 '60年代の美男・美女の気持ち悪さ。ピンクガンスモーキン2010-04-09
 【ネタバレ注意】
タイトルが長いし、102分というのも長すぎる。が、ファースト・カット(数秒)で面白そうだと感じさせるのだからやはり成瀬巳喜男の才能か。 歩く男を斜め後ろからカメラがつ・・・
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タイトルが長いし、102分というのも長すぎる。が、ファースト・カット(数秒)で面白そうだと感じさせるのだからやはり成瀬巳喜男の才能か。 歩く男を斜め後ろからカメラがついていく。 大したこともない光景だが、ポイントが3つ。 |砲背広――カジュアルだと、冒頭から緊張感がうせる。 △靴辰箸蠱鰐未濡れている――わだかまり、というか、ただならぬ雰囲気を感じさせる。 E垈颪涼覯爾り――見晴らしのいい広々とした空間が、視聴者の心を誘う。 (要するに「湿った街角で、背広を追跡する」映画だ。あとはこの雰囲気の持続の問題。) 次のカットは、主役らしき男(小林桂樹)の上半身を正面から撮る。立ち止まり、落ち着かない表情で、タバコに火をつける。これでサスペンスは成立した。 昼下がりの明るさが非常にいい。全編暗いだけの陰気なミステリーではない。人工的で強烈な照明が、深い「闇」の存在をほのめかしている。 後半からは、どしゃぶり続きの梅雨が快晴の真夏に移行。まぶしい陽射し(自然光)が印象的になって、がらりと雰囲気が変わる(これは主人公の独り善がりな心理的カタルシスと対応している)。 (以下、完全ネタバレ) 不倫殺人事件をテーマに、夫婦の心理を内向的に描いていく物語だが、後半、膠着状態が生じて、ちょっとつまらない部分はある(黒津明二郎氏いわく「後半はもたつき、だれる」、篭瀬山氏の「そこまで微細に描かずとも」も同趣旨)。 主人公が何段階にも分けて、告白・懺悔をおこなうというのが「柱」で、それらをすべて妻が呑み込んでいくため、妻の決断の余地はほとんどなく、中盤以降これといった面白さは出てこない。 そこで、中だるみになる。 かなり苦しかった。 主人公=犯人は、告白に4つのステップを経る(1:妻に「不倫」、2:妻に「殺人」、3:友人に「不倫殺人」、4:警察に「殺人」)。 結局、妻が第4段階を食い止める、というオチである。これがなかなか見えてこないのが、退屈の原因だろう(といって、それを展望させる演出は至難だが)。 高い頻度で挟まれる(何分おきか測定すべきだ。誰かやればいい)邪気のない子役たちの(セリフ付き)演技も、「ちょっと邪魔だ。そんなに必要か?」と気になった(Ikeda氏の「子役の扱いも、かなりいい加減です」というコメントにも頷ける)。 まあ、それが伏線だったわけだ。子役を多用しておかないと、妻の最終行動に説得力を付与できない、という成瀬監督の判断なのだろう。 だから、子役の芝居が目につく映画だ(意図が分かりにくいので、つらい)。
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[021]グロリア
 50歳女優+端役大勢=名画ピンクガンスモーキン2010-04-09
 【ネタバレ注意】
タクシーに何回乗ったかっちゅうのが一番大事な映画なんだが、数えられなかったな(誰か代わりにやればいい)。 まあ、6〜7回だったと思うが、バスも電車も2回ぐらい乗って・・・
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タクシーに何回乗ったかっちゅうのが一番大事な映画なんだが、数えられなかったな(誰か代わりにやればいい)。 まあ、6〜7回だったと思うが、バスも電車も2回ぐらい乗っている。それだけでも10〜11回ぐらいは乗り物でニューヨークをグルグル動き回るわけで、逃げつづけるサスペンス物にしては、あまりにも狭い動きだ。でも、逆にいえば、ロケ中心なのに八方塞がり的な緊張感があるのかもしれない。 やっぱり、グロリアが「タクシーに乗るしかない」ってのがポイントだろう。高飛びしないっていう。 1台目の運転手だけはセリフ無し、2台目以降は全員端役なのにセリフ付き。タクシー運転手だけで6〜7人出してやるという配慮(だよな?)がすごい。後の運転手ほど、セリフと演技が増えていくという傾向もある。そこは観ておきたい。 あと、グロリアの質の良さそうな衣装。光沢のある、高級そうな服を(ノーブラで?)何着も身にまとう。 物語的には「タフ」な独身オバさんが、6歳の男児を連れて、とことん足手まといになって、困っちゃうって話。男児が効いている(これは従来の「女は足手まとい」という男尊女卑図式の反転)。 なんにせよ、ベクトルが逆、というのはサスペンスの基本だな。グロリアは逃げたいが、男児は家に帰りたい、という方向性の妙。やがて、非協力から協力的姿勢へという流れも、カタルシスがある。 (「イライラさせられた」というコメントが4件ほど見受けられるが、演出の成功だろう。マジでイライラさせるための男児なんだから大成功と言えるぜ。首が短くて頭が悪そうなのも、うまく機能している。ただ、ラテン系の視聴者層には反発もありそうだ。) 序盤では、「グロリア・スワンソンをもじった偽名で逃走中です」というTVニュースがまず笑える。 しかし、ラストが酷い。Katsumi_Egi氏と時空争奪氏も言うとおり、ラストは無駄だ。こりゃないだろう〜、と思いながら観た。スローモーションの叙情は、全編のハードボイルドを裏切るし、というか、内容的に蛇足そのものだし(くまどり氏のいう死亡説は分からねえが、実際、遅いエレベーターからどう逃げた?)、それ以上に、この映画がタクシー乗車の連鎖で出来ていることを重視すると、ラストのアジア系ドライバーに対する監督の蔑視がうかがえる演出に政治的なイヤミを感じた(男児に「カネのことは心配すんな!」と怒鳴られるアジア系運転手)。 「中国人は敵」という造形はしょうがねえのか?(でも、それを一番最後にアピールされてもねえ) ラスト・シーンは、手法的にも、内容的にも、政治的にも失敗気味だな。 それを踏まえて、「8」にしたいが「7」点。 (『レオン』よりはイイと思うが、案外微妙か?)
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[022]最後のブルース・リー/ドラゴンへの道
 ブルース・リーはフランスの香り。ピンクガンスモーキン2010-04-03
 【ネタバレ注意】
「映画監督ブルース・リー」を舐めてはいけない。 これは、『ブルース・リー叔父さんのローマの休暇』と呼ぶべき作品である。 ラストの格闘アクションなど、さしあたり、どうで・・・
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「映画監督ブルース・リー」を舐めてはいけない。 これは、『ブルース・リー叔父さんのローマの休暇』と呼ぶべき作品である。 ラストの格闘アクションなど、さしあたり、どうでもいい。 リーは「自分が体を動かしさえすれば絵になる」と熟知したうえで意識的にメガホンをとっている。 その姿勢は、オープニングからの5分間、バックパッカーのようないでたちのリーが、ほがらかな表情でローマ空港に佇み、たった2語(「タマゴ」「半熟卵」)しか口をきかない事実によって明白になる。食堂に入り、言葉もわからず注文するリーの前に、スープだけが5皿も出てくるオチ、その結果、序盤の25分で、リーは「トイレはどこ?」と3回も人に尋ねることになるだろう。このリズミカルな軽妙さに正直驚かされた。 「カンフーだけが待ち遠しい」といった鑑賞の仕方をするのはどれほど愚かなことか。後輩ジャッキー・チェンもまた喜劇とカンフーを織り交ぜる作家だが、ブルース・リーには独特のフランス的なこじゃれた味わいがある(ハリウッド的でも、和風でもなく、中国の目指すフランス映画?)。 感想を述べるうえで、ラストのチャック・ノリスとの死闘に触れる必要などないくらいだ。 (格闘技好きには不可欠でも、俺にとっては不要。戦争映画を見て、軍事薀蓄を披瀝するようなレビューになりかねないし。) とにかく、前半の面白さはズバ抜けたものを予感させた。 が、残念なことに、中華レストランの用心棒であるリーに脅迫状が届いてからの、後半50分間は、型に嵌った「寝たり、起きたり」のアクションが繰り返されるだけで一挙に退屈さを増す。敵を無理やり倒し、寝かせ、起きたらまた寝かせ……という冗長なアクションが終わったのを見計らうようにして、前半でちょっと愉快な男女関係を演じた女優ノラ・ミャオが、ラスト直前に再び顔を見せるのも、視聴者の疲労を癒すには遅すぎる、という感じである。 リーは、「カラー映画」であることも十分意識している。中国的な真っ赤なじゅうたんに、黄色いソファーのインテリア。そこへ大きな青い風呂敷を抱えたリーが入ってくる。毎回、画面の左端に黄色い簾を垂らしておくといった、当たり前の色彩的なアクセントもできている。最初から最後まで黒っぽい服装のリーに、敵の空手家が白い衣装で迫る。どこか「品」を感じさせるところがある。 しかし、どういうわけか、ラストにかけては別人になってしまう。空き地やコロッセオを舞台にするアイデアは退屈だし(誰も来ないから闘いやすい=撮りやすい)、下品なカメラ・ワークで、1対1の格闘中に、子猫のアップ映像を4〜5回挟むといった醜悪なリズム感覚をさらけ出すのは、おそらく「アクション・シーン」ではなく「アクション」に自信がありすぎるためだろう。単なるアクションと子猫をミックスするだけでは、見ごたえのある「シーン」にはならない。 (前半が「7点」なら、後半は「4点」。) ちなみに、『ドラゴンへの道』という邦題はちょっとおかしい(「努力」や「向上心」を臭わせる映画ではない)。The Way of The Dragon 『ドラゴンのやり方』である。ブルース・リーの「方法論」というニュアンスを感じさせるタイトルだ。 カンフーにこだわらず、気楽に観るだけでも、彼がセリフ劇には重きをおかず「体を動かせば絵になる」ということを徹底的に理解している映画作家だと分かる。 ただし、それがまた後半の勇み足、つまり「冗長さへの鈍感」につながり、結果的には、駄作に近づいた(惜しい)。 もしブルース・リーが、老いて、アクションを減らし、フランス風の軽い味わいを全編に配するようになれば、相当な映画作家(北野やイーストウッドのような)になれたのではと空想してしまった。
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[023]ドラゴン怒りの鉄拳
 平均レベルは超えている。ピンクガンスモーキン2010-04-03
 【ネタバレ注意】
最初に言っておくと、カンフー映画はジャンルを刷新した広義の「ダンス映画」なのだから、暴力描写や政治性を云々するヤツはバカである可能性がある(ファンに殺されるなオレ(・・・
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最初に言っておくと、カンフー映画はジャンルを刷新した広義の「ダンス映画」なのだから、暴力描写や政治性を云々するヤツはバカである可能性がある(ファンに殺されるなオレ(笑))。 もうひとつ言っておけば、この作品のブルース・リーは時々、温水洋一に見えてしょうがなかった(マジでファンに殺される(笑))。 というわけで、この映画については、非常に「面白い」という結論になる。 方向性としては、この作品をきちんと誉めておきたい。 1972年に国交が正常化されるまで、日中は戦争継続状態だった以上、この作品の「反日色」云々にケチをつけるのは、かなり滑稽なふるまいになる。たとえば、現在の北朝鮮が、日本人を敵役とした映画を作る(反対に日本が作る)のと同じことだから、むしろそれを考えると、やはり「面白い」映画なのだ。 まず物語を見ておくと、「大日本蛇口武道場」と、B・リーが所属する非暴力主義の「精武館」が、なぜ対立関係にあるか。もちろん、前者の傲慢な差別主義もあるが、リーの「単独行動主義」も原因なのである。実際、30分頃に、リーの行動が諌められるシーンは、日本人の目から見ても素直に泣ける。武道は自己鍛錬のためにある、というメッセージ。単独主義で暴力主義の主人公を、仲間たちは非難して、なぜ喧嘩しなければならないのかと、やりきれない気分を露わにしている。そういうバランス感覚は悪くない。 「日本憎悪」のかたまりとなっているのは、ブルース・リー1人という設定、ここは押さえておく必要があるだろう。 冒頭から、師匠の死に異常な執着を示すリーを、リーダーが叩きのめしたことに象徴されるように、やがて、ほとんど連続猟奇殺人者と化していくリーの足取りを追うと、これは「ヒーローもの」であるよりも、孤独な「悪人=狂人」の悲しみを扱った映画だと感じる。彼1人だけが、暴力衝動を抑えられない中国人なのである。 なお、ネットでも指摘されていたが、「大日本蛇口道場」の壁の名札掛けには「室田日出男」の名がハッキリ確認できる。これは、日本映画を無視していないというサインとしては、なかなか洒落た工夫だと感心してしまった。 そもそも日本人の役者を複数名起用しているのに、反日思想などありえない(万一そうだとすれば、相当に腹の黒い監督だが)。 確かに、「芸者」らしき女が、乳首だけ隠したヒドい衣装で、巨大なケツを丸出しにクネクネ踊る姿など見たくもないが(カメラを揺らすのもダサい)、その程度の汚点はどんな映画にもある。 強くてまぶしい照明と奥行きのある構図は、ムダな抒情を排しつつ、集団がきびきび手足を屈伸させる運動を、鮮明に捉えるための工夫だ(それを「乱闘」と呼ぶか「ダンス」と呼ぶかは、鑑賞者次第)。我慢強く、動きそうで動かないカメラもいい。 甘い音楽の代わりに、奇声と乾いた打撃音が爽快な(歌舞伎の出囃子みたいなものだ)、明るくて広い場所でのダンス映画として鑑賞すればよいだけのことである。 (ちなみに邦題『怒りの鉄拳』ではまだ意味が弱い。furyは「怒り狂い」だ。『狂った拳』でいい。実際、狂った男の映画である。)
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[024]二人でお茶を
 色彩の魔法に魅せられた。ピンクガンスモーキン2010-04-02
 【ネタバレ注意】
この映画は視覚的満足度が高い。陶酔感をもたらすメリハリの利いた鮮やかな色彩センスが尋常じゃないので、「カラー映画だ、これはカラーだ」と当たり前のことを考えてしまった・・・
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この映画は視覚的満足度が高い。陶酔感をもたらすメリハリの利いた鮮やかな色彩センスが尋常じゃないので、「カラー映画だ、これはカラーだ」と当たり前のことを考えてしまったほどだ。 ヒッチコックのサスペンス作品ではそれほど感じなかったドリス・デイの魅力も全編にわたり笑顔が多く予想以上だったし(とくに白い歯、金髪、キリンのような背中から首のライン)、激しいタップ・ダンスが数分おきに配列され(セリフも何も考えなくていい)見ごたえがある。 (甘い歌が多いとダレやすいが、ここではタップが多いのでピリッとしている。) 季節は夏、緑が溢れ、「ブロードウェーのヒロイン争い」がテーマだから、若い女優を大量に投入し、しかも基本的に、みな薄着・水着(ワンピース)である。むきだしの白い脚を眺める映画だ。 後半にギャグを多めにしているのも良い構成だった。 とにかくカラー・センスがすごい。 「カラー・コーディネイトで何ができるか」ということを相当入念に考えていると思う(まあ、当たり前といえばいえる)。色彩に見とれて「次は何色を出す?次は?」と、ほとんどセリフが頭に入らないくらい夢中になった。こういう経験も珍しい。 イエローとグリーンを基調に、要所要所でパープルを挟んでくる「リズム」だ(研究したいヤツは、何分毎に「紫色の小道具」が目に飛び込んでくるか測定すりゃあいい)。 この「色使いのセンスがただもんじゃねえぞ」という予感は、キラキラした紫色をベースにしたオープニングのクレジット画面で察しがつく。紫に始まり、紫に終わる映画。 ストーリーにはあまり期待していなかったが、「カネの工面の話」なので手堅い面白さはある。黄色いタクシーから降りた3人組の背広男が、1枚1枚コインを出し合い、かろうじて支払いを済ませるというシーン(23分頃)、普通の映画なら「支払い計算」は省略されるが、長めのシーンにしてコミカルさを出していた。 メインのラブ・ストーリーだけではなく、年輩脇役は中年同士で結びつくという「当然の配慮」も気が利いている。 セリフでは、swellという形容詞が頻繁に耳につく(「イカす」というニュアス)。たぶんこれで「時代感覚」を出しているのだろう。世界恐慌の1929年を描きつつ、アメリカの全盛を謳う1950年の映画。幸福感が滲んでいる(目に染みこんだ)。
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[025]セイヴィア
 安くてうまい海苔弁のような。ピンクガンスモーキン2010-04-02
 【ネタバレ注意】
あまり人気が出なかったということは、逆に良い戦争映画、ということなのではないかと、うがった見方をしたくなるほど、残虐過ぎて、政治的に正しくないB級モノ。 点数はわり・・・
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あまり人気が出なかったということは、逆に良い戦争映画、ということなのではないかと、うがった見方をしたくなるほど、残虐過ぎて、政治的に正しくないB級モノ。 点数はわりと「高」めになる。 まず、俳優たちの演技がうまい。 ただ、映像的な安っぽさと、カメラの動きに粗さがある(それを逆手に取っている部分はある)。 しかも、物語が進行するにつれて、その安っぽさに拍車がかかる印象の「つくり」で、有名女優のナスターシャ・キンスキーなど、最初の5分間しか顔を見せない(アップだが)。キャストがどんどん減っていく、痩せ細っていく展開だ。 しかし、それは「贅沢」なやり方だとも言える。 (たとえ、キンスキーを最後まで引っ張り回したとしても、金がかかるわりに、「ありふれた映画」になる可能性はある。) (以下、ネタばれ) さっさとキンスキーを殺してしまって、その出し抜けなインパクトの余韻のなかで進むB級なやり方が、ここでは功を奏しているのではないか。戦争映画をロード・ムービー仕立てにして、俳優よりも動物を活用してみせた経済的工夫。しかも「尻すぼみ」になっていない。合格点だろう。 レビュア全員一致のように、内容はどぎつい。 1993年のユーゴを舞台に、市民がクソのように虐殺されるシーンがひたすら続くだけという、恐ッろしい内容で、凄絶というか陰惨なスリルのせいで、うっすら笑えてくる(不謹慎)。 ホラー映画を観ていて、なんだか笑えてくる心理現象に近い。 セルビア兵士が、ガタガタ震えているおばあちゃんの指をザクッと切り取ってニヤリとしたり、妊婦の腹をボッコボコに蹴りまくるなど、とことん陰惨な直接描写が目立つ(確かに、ノリはホラーだ)。 ところが、その陰惨さは徐々に溶けていき、所々で「明るさ」が見られるようになる。 つまり、主役の兵士デニス・クエイドは、当初、何を考えているのか分からない狂った表情を凍らせていたが、赤ちゃんを救ってからは、やけに愚痴っぽくなり、ウンチで汚れたおしめをせっせと洗ってやるほどに変化する。コンドームで哺乳瓶をつくるといったユーモアもある。動物との絡みが多くなる。ぶっちゃけ、赤ちゃんも動物のようなものだ。 最後には、「男泣き」の姿も見せる。構成はうまい。 休憩いらずなので、「6点」以上は行くだろう。 (チープで、暴力的で、不思議な形の愛も含んだ、ハイ・テンポの映画という点で、『レオン』などと同水準(趣向は同じ)。そりゃあ敵を倒してハッピーな『レオン』のほうが人気があるのは当然だが、市民がゴロゴロ虐殺される『セイヴィア』も質感に大差はない。)
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[026]HERO
 松松松松ピンクガンスモーキン2010-04-02
 【ネタバレ注意】
この軽妙さ、というか、ときどき現実からブッ飛んでいってしまうほどの「軽さ」を、いちいち類稀な演技力で現実に引っ張り下ろす松たか子のすべての言動が楽しくてならない映画・・・
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この軽妙さ、というか、ときどき現実からブッ飛んでいってしまうほどの「軽さ」を、いちいち類稀な演技力で現実に引っ張り下ろす松たか子のすべての言動が楽しくてならない映画。 以下は「松」礼賛。 女優・松たか子の大ファンであるオレにとって、この芝居というか「会合」は、うますぎる松の演技を浮きあがらせるためのマネキン人形の寄せ集めだとさえ思われる。 映像的には、7人の検察官(と事務官)を対等に扱うため、垂直の構図と、真正面からのカメラが多用されるが、(木村拓哉を含め)割り振られた「決めポーズ」をこなしているだけの面々に対し、松たか子だけは一人、地に足のついた「演技」をやっており、そのおかげで、このぺらぺらした芝居のくだらなさに重力が発生し、何度も何度も、物語がステップする。 彼女がいなければ、話はスリップするだけだろう。 それほどまでに、松たか子はうまい。 ここでは、すでにオバさんじみた肉体の線を隠そうともしない松が(大きな腰や、丸みを帯びた背中)、着実に「不動の中年女優」の地位を築きつつあることが確認でき、それも大きな見所である。 多くの30代女優が「老けないこと」に執着するあまり、まともな中年の演技を身につけられないまま歳をとりがちだが、松たか子はそういう誤謬とは一切無縁だ。 山口智子は超えた、財前直美も超えた。 (そんなのはわざわざ超えるまでもないって?) もちろん、脚本にはアラが多い。いきなり冒頭2分間で、ドスベリ状態になる。 木村の注文して受け取ったスペイン製のサッカー・グッズに「翻訳が付いていません」というので落胆するオチだが、木村はこのCMをそらんじることができるほどよく見ているという映像設定からすれば、いまさらその失望はおかしい。この時点で、もう観るのを止めてしまいたくなるほど、すさまじい狂いっぷりなのだが、松たか子が出てきてから文句なしに「演技」を堪能できるので、どうでもよくなってしまう。 (もちろん裁判シーンも多数のレビュアが指摘する「ゆるゆるぶり」だから、あんな立証で「懲役8年」の重刑をさらりと言ってのける裁判官に「極悪」のオーラが漂ってしまうのだ。物語的には間違っている。が、政治的には正しいのか?まあ、ラブコメにとっては、どうでもいいことだな。) 韓国ロケ不要という意見もあるようだが、「雨宮舞子(松たか子)が久利生公平(木村)と一緒に旅行できて良かったね」という重要なエピソード、当然「嬉しいのに顔には表さず、張り切ることで間接的に満足感を噛みしめる」という、まさに「演技派」女優の本領を発揮するにはうってつけのシチュエーションだけに、観てて内心「んんんん松うめぇなあ」の連発であった。 もちろん、日本語を話さないイ・ビョンホンも、この脈絡で適正に機能している(ハングルでこのボケ・カップルにエールを送るというのは気が利いている)。 休憩を要しないので、勝手に6点以上は、行ってしまう。
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[027]嵐ケ丘
 これはダメ。ただし、音を消せば観られる。ピンクガンスモーキン2010-04-02
 【ネタバレ注意】
1939年に公開された『風と共に去りぬ』は、3時間半の「ぬるい芝居」を見せたが、同年のこの作品は、長い話をたった105分に圧縮してみせる暴挙に出た。 なぜか世評は高いよう・・・
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1939年に公開された『風と共に去りぬ』は、3時間半の「ぬるい芝居」を見せたが、同年のこの作品は、長い話をたった105分に圧縮してみせる暴挙に出た。 なぜか世評は高いようで、淀川長治によれば「佳作」。だが、蓮実重彦は「あの下品で通俗的な『嵐が丘』」と罵っている。おそらく「芝居」のレベルで言っているのであろう。 とにかく「クソ芝居」とはこのことだ。ギャーギャーうるさい偏屈カップルの屈折心理を、ドヘタな子役と、大げさな演技で表現してみせる、W・ワイラー作品。 「アカデミー撮影賞」というのもあって、画面は美しい。だが、腐った肉を、一流シェフの手で、あなたのお口に――、食えるわけがない。とにかく、見事なカメラで、クソ芝居を、あなたの元に――、運んでもらっては困るんだよな。 ひでえもんだと思った映画であった。 だぶん「無音・字幕無し」で鑑賞すれば、一種の「写真集」的な味わいを得ることができるのかもしれないが、映画としてはどうか。 邪道だろう。 序盤からして、カップルの幼年期をドヘタな子役で延々と見せるのがツラい。オレの一番苦手なパターンだ。カメラがどうのこうのは関係ない。芝居が下手で、下手で。 キャストについても、アップで映る「語り部」役のフローラ・ロブソンの顔の醜さがツラすぎる(「ブス映画にハズレ無し」と俺は考えているが、ここでは「ブスの生きざま」がほとんど機能せず、ただブスな人がしゃべるだけである。単なる語り手は、フツウの顔で十分だ)。 ドナルド・クリスプによる医者の演技にしても、人相が悪いのが災いして、ミスキャスト。藪医者に見えるし、サスペンス(不要)を生じさせている。 ヒロインのキャサリン(マール・オベロン)が、何度も主人公ヒースクリフ(ローレンス・オリヴィエ)に向かって、激しいセリフ回しで、事実上のあらすじを予告するのもヒドいやり方だ。 極端に脚本の出来が悪い。 普通の会話シーンがなく、ギャーギャーわめきながら、個々の欲求不満をぶちまける芝居が物語の大半を占め、あっさり終わってしまう。なんじゃこりゃと思う。 ネット上を見た限りでは、「文芸映画」に高い点をつける愚かしい傾向か、あるいは「映像美」へのバイアスのせいか、適当なレビューが見受けられないが、いずれにしても、せいぜい「4点」止まりだと思うぜ。 (余談:ここでのローレンス・オリヴィエは、石原良純や野口健にそっくりであるが、そんなことは何の救いにもならない。)
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[028]アマデウス
 サトエリとビートルズの映画(嘘)ピンクガンスモーキン2010-04-02
 【ネタバレ注意】
『ロッキー』のような映画かと期待したが(別に『ロッキー』がいいと言っているわけではないが)見所の少ない映画だ。bigred氏のレビューが簡潔で妥当である。 最初の15分で、・・・
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『ロッキー』のような映画かと期待したが(別に『ロッキー』がいいと言っているわけではないが)見所の少ない映画だ。bigred氏のレビューが簡潔で妥当である。 最初の15分で、「ドラマの構築」に3回も躓くから、見る気もちょっと失せたが、まあ、160分付き合ってみた(結論から言うと、「退屈死」はしなかった)。 問題の3箇所。 )粗、老いたサリエリが精神病院に搬送され、季節が変わるまでは、よしとする。神父の前で、楽器を弾いてみせ「知っているか?俺の曲だ」「知りません」という会話も問題はない。次に、モーツァルトの1節を弾くと、神父が「あなたの曲だったんですね!」、これも一応、可だ。しかし、その後の神父の「あなたがモーツァルトを殺した、と?」。モーツァルトの名前をきちんと知っているなら、直前の「あなたの曲だったんですね!」という驚きはおかしく感じる。フツウに変である。神父の無知を理由に、おかしくないという擁護もありうるが、関係ねえよ。俺は「ドラマが構築できていない」と感じた。 続いて、目隠しをしたモーツァルト少年の演奏姿と、外で遊んでいるサリエリ少年(子役をハッキリ見せないアイデアは良い)。老サリエリの回想で「私はモーツァルトに強い嫉妬を抱いていた」。これまた変だ。外で遊び回っている人間が、顔も合わせない(演奏旅行で名声を博している)少年に嫉妬?「そういうお話なのだ」という弁護は、関係ないぜ。映像的に、かつ、「ドラマ」的に変である。観てて、普通におかしいレベルだ。 そのあと、サリエリ少年と父親が、教会で祈りをささげているシーンが来る。回顧する老サリエリが「音楽的成功を神にひたすら祈った」というのだが、ナレーションでの処理がイマイチだし、さっきまで外で遊んでいたような子供が、神にそれだけ篤い信仰を持つ件にぜんぜん説得力がない。「ドラマ」的に失敗していると感じた。 (マジメに練習しているサリエリ少年の映像があれば問題ないのだが、遊んだり祈ったりしているだけだから、ドラマになっていない。) 以上15分。 「平均5分に1回」もドラマ的に破綻している。悪い「つかみ」だ。これじゃあ160分の長丁場に期待できないのは当然だろう。 ただし、20分以降は、奇人・天才モーツァルトの大暴れのおかげで、退屈で死ぬほどでもなく、オペラ鑑賞的なムードになる(別に誉めてはいない)。 「スゲえヤツ現る」って話は大体面白くなるので、その点で心配はいらない、とも言える。 偉人の伝記モノでは、そばにいた「目撃者=語り手」を配置するのは、ありふれた手法だと思うが、『アマデウス』は、客観的な観察者であるはずのレポーターが「主役を殺した」という構造が面白いということになっているのかもしれない。ニュースのレポーターが「事件です、私が殺しました、以下お伝えします」と言っているようなものだからだ。 しかし、その面白さには、矛盾スレスレの部分もあるので(現に、精神病院の中で語らせる、という工夫もされている)、俺の感じた「平均5分に1回、ドラマ的に破綻」という事態も起こりがちだ。そこをうまく隠しきれていないので『アマデウス』にはちょっと感心しなかった。 もちろん、モーツァルトの活躍ぶりはフツウに面白かった、と繰り返しておこう。 60分頃、十字架を暖炉にくべて燃やしてしまうシーンも、ミロシュ・フォアマン監督が東欧出身者というのもあるだろうが、こういうのもなかなか珍しい映像だ(「罰当たり」なサリエリが「狂っている」という設定で「正当化」されてはいるが)。できれば1回といわず、何回も十字架を焼いたり、踏んだり、噛んだり、叩き割ったりして、サリエリの狂乱ぶりを描けばもう少し面白い話にはなっただろうし、映像的なリズム感も増したとは思う。 それでも、100分経過したあたりから、断片的なオペラ・シーンとモーツァルトの執筆シーンが繰り返されるダルい流れに入る。構成に工夫がない。 壁に掛かったモーツァルトの亡父の肖像画を、何度か(数えてないけど4回くらいか?)挿入するアクセントの付けつけもダメだ。 政治的な批評家・蓮実重彦が『アマデウス』を何度も「下品で通俗的」と評しているので、それに影響されるヤツもいるだろうが、ギリギリ退屈はしない(厳密にいうと、「通俗的」という用語はマイナスではなく、プラスでさえある。ただ「下品」という語に意味があるだけで、それを「下品で通俗的」と組み合わせると、非常に政治的な効果が出てくる)。 みなモーツァルトの曲が良いから点を高くしているだけだと思われる。目を閉じて鑑賞すべき映画ということになる(笑)。大作には「6点」つけておいて、間違いない。
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[029]マイ・ワンダフル・ライフ
 手風琴と赤ちゃんの声混ざり合うレアな哀愁ピンクガンスモーキン2010-03-31
 【ネタバレ注意】
仏・伊合作のヘンな映画『ひきしお』を作ったマルコ・フェレーリ監督だけに、これもヘンな映画だ。しかし、ものすごい傑作になりかけている。 ネット上にはレビューが極端に少・・・
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仏・伊合作のヘンな映画『ひきしお』を作ったマルコ・フェレーリ監督だけに、これもヘンな映画だ。しかし、ものすごい傑作になりかけている。 ネット上にはレビューが極端に少ないうえに、主演のロベルト・ベニーニ人気の影響か、否定的なものが目立つ。 それは全部無視してよい。 いわば『ライフ・イズ・ビューティフル』がチーズ・バーガーなら、こっちはアクの強いチーズ(ハンバーガーを食べるつもりで齧りついたら、そりゃあマズいだろう)、あるいは、チュッパチャプスとタバコぐらいの違いがあるのだから、比べること自体がおかしい。 「素」で観る必要がある。が、もちろん難しい。 それはロベルト・ベニーニだと思うから難しいのであって、松田優作だと思って観れば解決できる問題なのだ(馬面にモジャモジャ頭)。 70年代映画だからもちろん独特の政治臭もある。そもそも原題は『亡命希望者』というくらいだから、相当なニガ味を覚悟しなければならない。 開始早々、リアルにむさくるしい裸の中年デブ(居候の前衛舞台芸術家)が寝そべっており、主役のベニーニも、カセット・プレーヤーを白いビニール袋に突っ込み、それをぶら下げ戸外をふらつく、といった具合だから、ムズムズするような(地味に面白い)話だ。 しかも、このムズムズ感は最後まで途切れない。 保父として保育園に出入りするベニーニと、大勢の赤ちゃんの絡みも、『ライフ・イズ・ビューティフル』なんかを「少し」でも想像してもらっては困る。リアルに動いているだけの赤ちゃん集団をNHKドキュメンタリーみたいに硬い構図で撮っているだけである。距離感のあるカメラを含め、それを「退屈」と反応するのはバカげているし、演技なんかするわけがない赤ちゃんと、風来坊スタイルのベニーニと、数名の奇人(リアルな異人)の存在、それを眺めて楽しめばいいだけである。 まあ、「大人の映画」だ。 (以下、ネタバレ度、大。) ここでは、飄々としたベニーニが、トゲも色気もある薄暗い表情のシングル・マザーの家を訪れ、昼からセックスを楽しむために、「適当に遊んでなさい」と彼女の子供を騙したりもするが、保育園児の工場見学という60分頃に予感させた政治性が、さらにはっきりするのは、75分頃である。 警官が来訪し「最近の教師はおかしい」、連行され取り調べを受けるベニーニ、「若いころは過激派だったそうじゃないか?」といったくだりを経て、やがて妊娠した彼女とともに、海辺の「元」映画館へ引っ越す。 中絶をそそのかしたりなどはしない、それどころか、逆に、保育園から8人の赤ちゃんを同行させ、12人で暮らそうとする。 掘り出し物とはこのことだろう。不思議な映画だ。 他の「7点」映画と同じだと思われたくないので、敢えて「8」を付けておく。
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[030]ライフ・イズ・ビューティフル
 そうケナすほどの映画でもない。ピンクガンスモーキン2010-03-31
 【ネタバレ注意】
世論の力は恐ろしいもので、「泣ける名作」ということになっているが、甘くしても「7点」は超えない。 最初の49分間は、若干我慢を強いる中年ラブ・ストーリーで、やがて可愛・・・
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世論の力は恐ろしいもので、「泣ける名作」ということになっているが、甘くしても「7点」は超えない。 最初の49分間は、若干我慢を強いる中年ラブ・ストーリーで、やがて可愛い子役が出てくるわ、家族3人乗りの自転車が石畳を滑っていくわ、というシーンから、ようやく見ごたえを感じるが、あとはそれほど良いシーンのないまま終わる。 もちろん、ナチに連行されるところからは、「ウソつきパパと可愛い息子の知恵比べ」でサスペンスを樹立し、わりと面白い、というか、暗い気分にさせる映画である。 (もちろん、暗い気分にさせただけでも成功なのであるが。) ぶっちゃけ、このサスペンスは、かなりグラついている。というのも、祖母との初対面で「おばあちゃん」と見抜いた利発なエピソードは、収容所でどう機能するのか?ラストが近づくにつれ、息子がバカに見えてくる。 戦車に乗ってマジで喜んでいるのを見て、「ああ、本当に、この子はバカだったのか」とがっかりしたのは俺だけだろうか(笑)。 (「悪知恵で生き抜く子供の映画」の系譜が存在するような気がするが、これは真逆。まあいいけどさ。) たしかに、シナリオ的には、「なぞなぞマニア」の医者がかなり利いているし(これには舌を巻いた)、ドイツに媚を売るところもなく(「良いナチ、悪いナチ」のパターンを回避)、あっさりした好感の持てる話である。だが、賞を取れるような映画には見えないし、監督もまさか狙っていたとは思えない。 駄作でもないし、嫌いでもないが、「6」か「7」かで非常に悩む。 ちなみに、字幕で観たせいか、感動は以前よりも少なくほとんどゼロだった。 吹き替えで観れば違ったかもしれない。 余談:げんごん氏とノブ氏のコメントを読んで、非常に勉強になった。 あとキートン氏のコメント「オヤジさんは死にました、でも本当のことをいうと、、、やっぱり死にました。」に相当爆笑させられた。
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