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 「ヤース」さんのコメント一覧 登録数(51件)rss
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[001]アバター
 奥行き知覚ヤース2009-12-24
 
3D映像を初めて観たが、震撼させられた。これほどまでに凄いものだとは想像していなかった。今後、映画は確実に変わっていくと感じた。つくづく技術というものは恐ろしい。ま・・・
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3D映像を初めて観たが、震撼させられた。これほどまでに凄いものだとは想像していなかった。今後、映画は確実に変わっていくと感じた。つくづく技術というものは恐ろしい。また人間の知覚というものは好い加減なもの、あんなチャチなメガネかけただけなのに! そもそも映画は2Dということが当たり前過ぎて、その当たり前が長く続き過ぎただけだったのかもしれない。まだもう少し時間も費用も運も必要だろうが、近未来的には間違いなく映画は3Dが主流となる。レコードがCDやMDに、ビデオがDVDやブルーレイに変遷したように、映画は2Dから3Dに進化を遂げる。勿論こういう場合は必ず反動的な存在も出てくる。3Dを邪道呼ばわりして映画の醍醐味はそんなもんじゃないと主張する。放っておけばいい。確かにメガネは面倒だが、それを補って余りある「知覚の豊穣」を与えてくれる。人間はやはり、美味しいものが好きな動物だからだ。 この映画では、あまりの美しさに何度か鳥肌が立った。特に奥行きが強調される場面など、有り得ないほどリアルだ。物体が落下するのを横から見た場合、2Dも3Dもあまり変わらない。しかし上からもしくは下から見た場合、そのリアルさは半端ではない。自分も本当に落ちそうになる。また画面奥から手前に向かって物体が運動して来る時も凄い。固形物が飛んで来ると、咄嗟に顔を避けねばならなかった。質感の表現も、固い物の感触はそこそこに固そうに感じられるが、柔らかい物の感触が素晴らしい。あのフアフアしたクラゲみたいなやつ! この映画はもろ宮崎駿の影響下にあり、その3D化とも言える。辛口の人はキャメロンの功績は、宮崎駿を3D化しただけだと言うかもしれない。別にそれでいいと思う。そもそも宮崎駿アニメの世界をこれほど「生々しく」観られるだけで、途轍もないことだ。物語的には平凡で、もしこれが単なる2D映画だったとしたら「キャメロンも衰えたね」というだけの話だ。しかしこれは3D映画であり、その特徴をよく理解して設計・演出・構築された新たな「映画の形式」である。新たな試みは、必ずしも常にパーフェクトとは行かない。いろいろ欠点は多いもの。しかしそれを補って余りある技法上の強力なジャンプを見た気がします。
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[002]TOKYO!
 日本の中心をヤース2008-08-28
 
東京を中心とすることは、忌避すべきだ。 都市機能を東京に集中することは、 ニホンジンにとって、実は、むりがあるのだ。 感情論に思えるかもしれんが、実際にそうだ。
  
 
[003]オネーギンの恋文
 オブローモフ主義ヤース2008-07-24
 
余裕、ゆとり、経済的義務からの自由。 人間の、ないかもしれないが、あったらいい、姿。 映画の、可能性は、そんなところにも、ある。 プーシキン、プーシキン、プーシキン。
  
 
[004]ボーン・アルティメイタム
 静かなる男ヤース2007-12-04
 
ロンドン、マドリッド、タンジール、ニューヨーク、 四回「アクション珠玉の芸術の爆発」が生じる。 個人的には、ロンドン、タンジールの競り合いが、よかった。 絶対に、DVDは・・・
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ロンドン、マドリッド、タンジール、ニューヨーク、 四回「アクション珠玉の芸術の爆発」が生じる。 個人的には、ロンドン、タンジールの競り合いが、よかった。 絶対に、DVDは買うだろう。 圧倒的に強いが、孤独、孤立。 この世の中に誰一人話し相手も友達もいない。 だからシステムという怪物的強大な敵に、生命を狙われる。 ふつうなら、生き延びることは、出来ない。 有り得ない過酷な孤独とストレスの中、だが、ボーンは奮闘する。 徒党を組んで戦うズルくてクレバーな奴らが、今の日本と世界を 牛耳っている。徒党を組む=小ピラニアの群れ。つまり、人間。 だがボーンは奇跡的・天使的・修道僧的な強靭さで、 その殺戮ピラニアどもを丁寧に片付けて、行く。 あまりにも切なくピュアな、存在証明の記録。 ※監督ポール・グリーングラスの作品は、全て、 確認しなければならない、と感じる。
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[005]ハンニバル・ライジング
 今も権勢をほこる戦争犯罪人たちへヤース2007-05-05
 
人間の持つ嗜虐性。マスメディアは長い間、ヒトの嗜虐性を、陰に陽に、満たしてきた。人間は、自己の、幸福と快楽と安寧のために、他者を痛めつけること、亡きものとすること、・・・
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人間の持つ嗜虐性。マスメディアは長い間、ヒトの嗜虐性を、陰に陽に、満たしてきた。人間は、自己の、幸福と快楽と安寧のために、他者を痛めつけること、亡きものとすること、殺し合いに、血道を上げてきたし、今も、そうである。嗜虐性を芸術的に洗練することも、よくされてきた。マルキ・ド・サドや三島由紀子が生きていれば、この映画を、涎を垂らして悦んだことさー。確かに、ハンニバルには、最愛の妹が殺されたという「理由」がある。だからといって、彼が必殺仕置き人になったとすれば、製作者ディノ・デ・ラウレンスの金儲け=商売も、結構タイヘンなんやなということが、分かるような気がした。 何故、この映画は、ニッポンをブレンドしたのだろう?と疑問に思ったが、直ぐに、分かった。日本語には「解雇する」のを「首を切る」と表現する、ことがある。ありふれた表現、である。だがこんな血みどろ刃物の痛々しい残忍なる表現は、世界広しと言えども、多分、ない。神戸のサカキバラ中学生は、子供の首を切り落とし、校門前に、置いた。あの事件は、世界中で、報道された。原作者兼脚本家のトーマス・ハリスもテレビで見たはずだ、ブランデーでも飲みながら。もちろんあの滑稽そのものの茶番劇は、醜悪きわまりない。14歳の犯人本人は、崇高な何かにタッチしていると感動して感動して涙を流しながら精液も洩らしながら、勘違いしていたことは、痛ましい。今、あのヒトは、シャバに出て、何してはるのんやろか?イラクで、香田証生さんは、テロリストに、刃物で首を斬り落とされた。これも、ネットを通じて、世界中で「見られた」。グウウーと、彼は断末魔の叫びを上げて、果てたそうだ。 嗜虐性とは、残酷なことを好むこと。 製作者ディノ・デ・ラウレンスは未だに自分が『羊たちの沈黙』を製作できなかったことでイラ立っているみたい。トーマス・ハリスの小説をもとにしたマイケル・マン監督の『刑事グラハム・凍りついた欲望』(なんちゅう邦題!)は後援したわけだが、いまいち儲からなかったので、ハンニバル・レクターの続き物を作ることは、避けていた。それでラウレンスは、『羊たちの沈黙』をジョナサン・デミ監督に作るにまかせた(後々、傑作として世に出た、嗚呼)。ご承知のようにアンソニー・ホプキンスという男が、ハンニバル・レクターとして、バケた。それ以来、ラウレンスは、小説家ハリスに映画に合う脚本を書け、書けと、けしかけてレクター博士もので儲けようとしてきたが、なかなかうまくいかず、なんの縁か、ブレット・ラトナーというヤングな奴にジョナサン・デミのコピーをさせて、『レッド・ドラゴン』が完成した。そもそもハリスの小説の終わり方は、スコットの『ハンニバル』とヒジョーに異なっているので、そもそも続編を作ることは困難だった。なので、『バッドマン・ビギンズ』とか『ヤング・シャーロック』風に、やらんとしゃーなかったわけやね(笑)。
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[006]バベル
 Possible worldsヤース2007-05-02
 
あの『クラッシュ』の方が好みだが、この映画も群像劇、つながりながらの複数世界劇、可能世界劇。上映時間は比較的長いが、じんわりと「それぞれの人間の悲劇」が腹の底に沈ん・・・
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あの『クラッシュ』の方が好みだが、この映画も群像劇、つながりながらの複数世界劇、可能世界劇。上映時間は比較的長いが、じんわりと「それぞれの人間の悲劇」が腹の底に沈んでくるので、嗚呼。『アモーレス・ペレス』はどんな話やったか忘れたが、いい感じであった、嗚呼。モロッコ、南カリフォルニア、メキシコ、東京。私も日本人なので、当然、日本の場面には違和感をおぼえた。あまりにも「すてれおたいぷ」だ。が監督はメヒコ出身なのであるから、相当よくやってると判断する。でも、アメリカもモロッコもステレオタイプだとすれば、世界そのものがステレオタイプに収斂している証なのかもしれない。実際こういうことは本当によくあるし、これは映画というか、まさに今そこにある現実なのだ。モロッコの田舎でピットが必死で「行かせない」ようにするが、結局「行かれてしまう」、嗚呼。不覚にも、泣いてしまった、嗚呼。仏教でいう「縁」、ユングのいう「シンクロニシティ」、こんなん出てるんかな。 なにか、ラディカルに、人間が変化しないといけないのかもしれない。
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[007]インビジブル・ウェーブ
 出口なし、死を甘受ヤース2007-04-22
 
DVDを取り寄せて、観た。『地球で最後のふたり』 は、何度も観ている。心地よい酔いに揺曳しながらである。アートで鼻持ちならない気取ったキザな映像で中身が空っぽだよ!・・・
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DVDを取り寄せて、観た。『地球で最後のふたり』 は、何度も観ている。心地よい酔いに揺曳しながらである。アートで鼻持ちならない気取ったキザな映像で中身が空っぽだよ!という反応を自動機械のように吐き出すスズメバチ映画ファンが存在することも、ニッポンのような過密と苦しさと忍従とストレスの国では、さもありなん。 浅野忠信は、下痢ぴーでブリブリとダップンをする。ロマンティックに。 だがそれは「自己犠牲」という崇高な営為への序曲なのであった。 クン・アサノー(浅野様)は、公開当時、タイ国において最優秀主演男優賞を受賞した。 大阪は道頓堀にたたずむタイ女は、冬の暮れなずむ夕景に赤く映える微光の赤ちょうちんを背景に、日本女のように煙草を吸う。雰囲気だけの映画だよ!という貧弱な肉体に利己的遺伝子を搭載したアイノリをみてニヤつく高校生顔負けの感想を聞くにつけ、自分は天国を見てしまったのだな、コワイな、コワイなと、独りごちる思いだ。 彼岸。 日本人三池崇司監督が、関西国際空港にて、「ネエちゃん、歯ぁに青海苔ついてるでぇー」と下手くそな関西弁でのたまうのも御一興。『殺し屋1』、つながりなのであーる。 ペンエーグ・ラッタナルアーン。特典映像を見る限りは、嫌なやつだ。タイというような国籍にもかかわらず、ニューヨークでアート系の大学に留学をしているようなやつだ。香港のクリストファー・ドイルと組んで「濃密なるアウラ」の映画を作ろうとするようなやつだ。 でも結果的にいえば、アッパレだ。こういうのが楽しめない、駄目だという人には、モルヒネでも投与するのが、快楽に近いのかもしれない。 だが、本作、どこか弛緩していた。前作ほどではなかった。インビジブル・ウェイブ。波の映像が繰り返される。マカオからパタヤに向かうフェリー内の、フランツ・カフカ風の彷徨。謎めいた韓国女との出遭い。まことに、思わせぶりだ。イラチの江戸っこや関西人には耐え難いだろう。オレは関西人だが、全然イライラしなかった。むしろ蕩けた。一人の日本女が「料理」される。 これも、その、罪と罰の物語だ。あるタイプの人間は、死ななければならないのである。
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[008]サクリファイス
 聖なる映画、遺作ヤース2007-04-13
 
タルコフスキーは、聖なる映画を作っただけだった。最後は、癌で死んだ。 ある種の映画ファンは、攻撃的である。spoilerである。よくある話。昔の話だが、ある知り合いが、タ・・・
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タルコフスキーは、聖なる映画を作っただけだった。最後は、癌で死んだ。 ある種の映画ファンは、攻撃的である。spoilerである。よくある話。昔の話だが、ある知り合いが、タルコフスキーなんて糞だよっ!ワケワカンナイよっ!とピリピリと薄い唇に唾液を光らせて罵った。そいつは狭いアパートの下宿住まいで、小さいテレビデオでタルコフスキーの『ノスタルジア』を見たようだった。蛍光のあかあかとする中、日清UFO焼きそばをすすり、ときどき睾丸の裏の皮をポリポリ掻きながら、タルコフスキーを見たようだった。そいつの本棚には、競馬や麻雀やパチンコや風俗の本や雑誌が無造作に並べられていた。よくゼニの話しを早口で、した。絶対出世する、金持ちになると豪語、した。やたら金融商品に詳しかった。自分は貧乏学生だったくせに。ヘビースモーカーで、イライラ怒りっぽく、決してバカではないが、魂(たましい)が貧困だった。だが今では、そいつなりの狡知とハードワークによって、それなりの成功者となっている。いま成功者となった「そいつ」は、多分タルコフスキーのことなど忘れている。休日は株の取引をしたり、家族でレストランに行ったり、電話で部下を怒鳴り散らしたり、野球やテレビのバラエティを見ているはずだ。 そんな「物質的のヒト」に、タルコフスキーの素晴らしさをわかってもらうことなど、土台無理だ。タルコフスキーのような世界観が気に食わないという日本人が、多分、今のニッポンの風景を作っている。あまり知られていないが、大東亜戦争で、彼らは指導層にいた。ピュアなるものを信じていると錯覚して、膨大な同胞の犠牲を強いた。強いたのだった。覇権、征服、支配が、彼らの至上命令だった。どSなので、「派遣」労働を巧みに利用し、「制服」女子高生と援助交際をし、「賜杯」のエキスをごくごく飲んだ。そいつらは、テリブルに勤勉であった。 タルコフスキーは、そんなふうに権勢をほこる傲慢な連中と闘い、苦汁を飲まされ、放逐され、おとしめられながら、それでもめげずに、聖なる映画を作っただけだった。最近、DVDでいくつか観直したが、その熱くクールな思いに、ふるえた。自分はノンキ坊主だが、タルコフスキーには、敬礼をしたい、と思う。
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[009]太陽
 ひよわな鶴のあゆみヤース2007-04-13
 
一枚の写真を、僕たちは知っている。昭和天皇とダグラス・マッカーサーがツーショットの写真だ。自分はあの写真を高校生のとき、図書館で初めて、見た。しぜんと頬がほころんだ・・・
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一枚の写真を、僕たちは知っている。昭和天皇とダグラス・マッカーサーがツーショットの写真だ。自分はあの写真を高校生のとき、図書館で初めて、見た。しぜんと頬がほころんだ。ニヤッとしてしまった。オモロイ写真あるわ!と友達に直ぐに教えたものだ。あのツーショットの意味は、もちろん歴史的には意義深いものだし、記念碑的な一瞬だ。が、なにかしら曰く言いようのない滑稽さがにじみ出ていた。あの時感じた印象が、これほど丁寧な映画となって、今更、観られるようになるとは、世の中分からないものだ。しかも作者がロシア人、つくづく世の中分からないものだ。そうか、あれだけ多くの犠牲者が出た人災=大東亜戦争が、トホホ系喜劇王の旗頭の元にあったのか!このアイロニーは、日本人以外の人の腹をよじらせるほどの爆笑と涙を与えたことだろう。滑稽なる悲惨の涙ちょちょぎれとなるだろう。周りの生真面目な軍国主義者にかしずかれ、崇められ、持ち上げられた「太陽」は、チャップリンの出来損ないだったのだ! とても美しいコメディ映画である。ファニーでキュートな、昭和の天皇。嗚呼。
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[010]デュエリスト/決闘者
 セレンディピティヤース2007-04-10
 
ずっとずっと前から気になっていた。リドリー・スコットのデビュー作。だが殆んど知られていないし、観られていない。自分も観ていなかった。特典映像で、スコットから話を聴く・・・
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ずっとずっと前から気になっていた。リドリー・スコットのデビュー作。だが殆んど知られていないし、観られていない。自分も観ていなかった。特典映像で、スコットから話を聴く役目のケヴィン・レイノルズという監督が言ってたけれど、アメリカでも殆んど知られていないし、観られていないのだという。こ、こ、こんなス、ス、ス、ゴイ映画が、である。「美しい端正な映像」とっても、ピンからキリである。というか、絵作りが優れているというのは、前提だ。だが、やはり、それでも、想像を絶する映像表現というものは、あるのだ。うれしいことに!キューブリックの『バリー・リンドン』の凄い映像は周知のとおり、マリックなどもちょっと有り得ないほどの透徹した世界を紡ぎ出す、だが本作のスコットも凄いことになっている。題名通り、死闘が主軸の映画である。二人の男が刃物や銃で、飽きもせずに殺しあう。それも手に汗握るが、その合間にある静謐の場面が、これまた鳥肌ものなのだ。 この映画の美しさは、奇蹟だ。そう、監督も言っている、serendipityのことだ。スコットのような「眼のいい」タイプの監督は、予め完璧な青写真を頭脳に宿している。それを緻密に具現化するのが撮影という仕事の全てであろう。だが、それでも、にもかかわらず、予想もしない幸運が舞い降りてくることがある。貧窮しているが頑張っている誰かが、散歩してて100万円拾ったら、ナ、ナント!と本気汁を洩らすだろう。次の日も100万円拾ったら、天を仰ぐことだろう。この映画では、あのラストシーンの光りを筆頭に、そんな奇蹟が何度か生じている。エリック・ロメールの『緑の光線』の緑の光線みたいな現象が、頻発しているのだ。映画の神の恩寵が降りてきているのだ。 だから、若きスコットは、カンヌの新人監督賞を受賞した。
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[011]祇園囃子
 京都、京都、京都ヤース2007-04-07
 
溝口健二。もちろん若い頃よく観ていた。わざわざ京都のフィルムセンター的施設まで観に行ったものだ。九十年代中盤、まだまだミゾグチは身近ではなかった。いわゆる巨匠であり・・・
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溝口健二。もちろん若い頃よく観ていた。わざわざ京都のフィルムセンター的施設まで観に行ったものだ。九十年代中盤、まだまだミゾグチは身近ではなかった。いわゆる巨匠であり、世界中の巨匠から巨匠と言われる巨匠中の巨匠であることは、巨匠ではない我々も、こんな可愛らしい小品を観るだけでも、納得がいく。近頃、かつて観られなかった溝口が田舎でも観られるようになっている。立て続けに『噂の女』も『お遊さま』も照覧した。宮川一夫とのコラボ作品には、ハズレがない。スバラシイ空間がくりひろげられている。だが自分がまだ高校生の頃、NHKで『雨月物語』が放映されて観たのだが、非常に退屈した記憶がある。あのUGETSUに退屈するニッポンの高校生が、オレだったのだ。やはり、若さは罪だ。若さは、早合点なバカさだ。 京都。古き良き、京都。今はもうない、京都。
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[012]父、帰る
 映画を美しくする尽力を攻撃してはいけないヤース2007-04-07
 
久しぶりにロシア映画を観た。話題になっていたようだが田舎住まいなので、観る事が出来なかった。だが今や、DVDや巨大で精細な画像のテレビがある。じゅうぶんに映画館の気・・・
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久しぶりにロシア映画を観た。話題になっていたようだが田舎住まいなので、観る事が出来なかった。だが今や、DVDや巨大で精細な画像のテレビがある。じゅうぶんに映画館の気分が堪能できる。絵作りの丹精さ。空間設計の精緻さ。どうしてこういった美質が、ある種のヒトの「悪感情」をかき立てるのだろうか。いいものが、どうして、そんなに腹が立つことなのか。何故なんだろう。レンフィルム。かつてそんな名のつく映画祭すら日本で開催されていた。ソクーロフ。アラノビッチ。タルコフスキーの遺影がちらつく。高名な大学教授の映画うるさ型がそれに絡まったりもしていたが、忘れていい。ロシアが、レニングラードが、というのも、この映画の場合、どうでもいい。言語がイギリス語でもドイツ語でもよかった。日本語でも韓国語でもよかった。お話は他愛ないもの。五行くらいで要約できるだろう。シンプルで、煩雑さがゼロだ。だがその動作、空模様、シャツの汗ばみ具合、食卓の風景、肉のさばき方の無造作さ、草原の色合い、実によく作りこまれている。地球の美だ。それは「特典映像」という豊穣な教えから、よく分かる。それと、母親だ。ハッとする美人だ。日本のテレビでもてはやされている自称他称の「美女」は、要は南方亜細亜顔である。東北亜細亜顔の遺伝子が自己を相殺しようとしているわけだ。そんなコップの中の小さい性的闘争を遥か高みから見下ろすような美女、それがこの映画のナタリア・ヴィドナという、初めて観る・稀に観る・スラブ美女だ。
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[013]恋する惑星
 アジアの路上でため息ひとつヤース2007-04-07
 
ぶっちゃけどこが面白くナイのか全然わかんない。 無国籍感とか雑多感とかセンスのいい音楽やら台詞やらの雰囲気でイッパイ。サイコー! っていうかそういう「儚い結晶」をかき・・・
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ぶっちゃけどこが面白くナイのか全然わかんない。 無国籍感とか雑多感とかセンスのいい音楽やら台詞やらの雰囲気でイッパイ。サイコー! っていうかそういう「儚い結晶」をかき集めて作り上げた映画。 これが嫌いっていう人は大体そういうセンスのいいものを好きになれない性悪な自分に酔ってるんじゃないかしら。 監督「おれって才能あるでしょ?スタイリッシュでしょ? ひねくれファン「香港ダセー!すれ違いしてみたくねぇ!アタイもカコイイゲロ吐きたいし、わかる、わかる、アタイ、センス悪ー!映画やめますー! はい、そういう人には駄目ですよ、この映画。 とまあ、冗談はさておき、この映画は本当に初々しい、若気の至りエキス満載の、 可愛らしい映画だす。ずいぶん昔、話題になっていたから、自分も観に行った。 ちょうど真夏で、香港の夏の感じがとても生々しく感じられた。 あれから、何度か、観直している。 Step into Asia, don’t be afraid now.
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[014]復讐するは我にあり
 本気で邪悪な事をする奴には勝てないヤース2007-03-30
 
だから、悪は劫罰によって対応される決まりである。 この映画の悪はノンシャランと軽妙洒脱である。最悪の悪の悪だが、クレバーでイージーである。昭和臭さがまた、その安っぽ・・・
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だから、悪は劫罰によって対応される決まりである。 この映画の悪はノンシャランと軽妙洒脱である。最悪の悪の悪だが、クレバーでイージーである。昭和臭さがまた、その安っぽい極悪を飾る。緒方拳の眼光は鋭いが奇妙にユーモラスで実直なオッサン風なのがまた、謎めいている。そのオヤジ(三国連太郎)がクリスチャンだったのも、なにか示唆的だ。温泉で巨乳を揉もうとする。モミモミ。もちろん繰り返し観たい愛すべき映画ってことでは一切永劫全然ないけれど、すぐれた映画だってことは間違いない。悪は罰せられるだけである。 昨日、イギリスの田舎から来た若い、他人を疑うことをしなかった性善説であったろう女性を殺害した若い都会系日本人は、死刑の似合う爬虫類顔だったが、ああいう鬼畜男は千回死んでも死ねないだろう。合掌。
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[015]007/カジノ・ロワイヤル
 身体能力ヤース2006-12-11
 
傑作だとの噂が出始めているが、このクレイグのボンドは喧嘩しても、本当に強そうである。走っても実にサマになっている。本当に辣腕のスパイという感じがする。昔、ロジャー・・・・
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傑作だとの噂が出始めているが、このクレイグのボンドは喧嘩しても、本当に強そうである。走っても実にサマになっている。本当に辣腕のスパイという感じがする。昔、ロジャー・ムーアのボンドがヘナ猪口走りだったので、少年だった私でも鼻白んだもの。だがスパイたるもの、あらゆる意味で強靭でなければ話にならない。昨今の007がどこかエンタに片寄りすぎて、派手だけど嘘くさいアクションに堕してしまっていたが、本作は、かなり違った。ボンドの行動が実にリアルなのである。リアルであることは、このような娯楽においてこそ不可欠なのだろう。が、お話は御伽噺でよいけれど。
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[016]ザ・ビーチ
 ゴールディング、蝿の王ヤース2006-11-12
 
私は、この映画を、繰り返し繰り返し観ている。 肌寒く陰鬱な今日この頃は、こういう南国の明るく眩い夢のような悪夢を 眺めることは悪くない。 ニンゲン社会の力学みたいな・・・
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私は、この映画を、繰り返し繰り返し観ている。 肌寒く陰鬱な今日この頃は、こういう南国の明るく眩い夢のような悪夢を 眺めることは悪くない。 ニンゲン社会の力学みたいなもんが、定規で製図したように正確に映し出されている。 正確過ぎるのが、玉に瑕かもしれない。 また、明るさと若さ=バカさへの嫉妬と憎悪を覚える東北アジア人は多いだろう。 これは南方の遺伝子を隠した日本人+αのための秘書なのかもしれない。 それと音楽が最高である。大空から滴り落ちる蜜のような音設計だ。
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[017]メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
 地球よりも重い生命ヤース2006-11-12
 
ある平凡な若者が他意もなくヒトゴロシをしてしまった。 これは、その「罪と罰」の物語だ。 その平凡な若者を、『プライベート・ライアン』の超絶技巧の狙撃手だった 俳優が演・・・
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ある平凡な若者が他意もなくヒトゴロシをしてしまった。 これは、その「罪と罰」の物語だ。 その平凡な若者を、『プライベート・ライアン』の超絶技巧の狙撃手だった 俳優が演じている。ヒトゴロシが巧みなニンゲンは、結構いる。 ヒトゴロシが上手で、どないすんねん!という話だ。 アメリカ南部の田舎の、あどけない雰囲気も、いい感じだ。
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[018]ニュー・ワールド
 木漏れ日の囁きヤース2006-04-29
 【ネタバレ注意】
レイトショーで観たけれど、観客が二人しかいなかった。1200円だったけれど、12,000円でもよかった。映画館貸し切り状態で、テレンス・マリックの新作を拝見できる幸福は、殆ん・・・
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レイトショーで観たけれど、観客が二人しかいなかった。1200円だったけれど、12,000円でもよかった。映画館貸し切り状態で、テレンス・マリックの新作を拝見できる幸福は、殆んど恩寵にちかい。素晴らしいの一言で、片付けても、いい。こんな映画が、アメリカ映画として製作・公開されることが、すでに奇蹟に近いことだ。 それにしても、シンプルな映画である。 夕陽の弱い木漏れ日が人物たちの頭部や肩のあたりを縁取って光り輝いている。葦の生い茂る狭い河にしとしと雨が降っている。クオリアという言葉がある。物語性だけが、映画ではない。人間の脳は、クオリアを欲求している。本作を「わかる人だけがわかればいい」という芸術映画であると断じてしまうグロテスクな感受性に、災いあれ。邪悪で鈍磨した攻撃性に、災いあれ。 私は、別段、主人公の男女を美貌だとは感じない。きわめて平凡な容貌の持ち主二人である。だがきわめて地球的、というかアラブ諸国の観客も、中国の観客も、南米の観客も、誰もが感情移入できる「形式」であると感じる。そういう意味で、アメリカ建国神話の一種という位置づけだが、誰もが堪能できる装置となっている。 見事な映画である。是非一度、御照覧あれ。
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[019]華氏911
 Nobody's perfectヤース2005-06-26
 
ムーアはどこかで好きな映画は『タクシードライバー』と並んで『時計仕掛けのオレンジ』だと言ってた。その通り、紛れもない、破壊衝動が匂う。破壊衝動という点で、ブッシュと・・・
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ムーアはどこかで好きな映画は『タクシードライバー』と並んで『時計仕掛けのオレンジ』だと言ってた。その通り、紛れもない、破壊衝動が匂う。破壊衝動という点で、ブッシュと瓜二つなのだが、ベクトルを真逆にしてガツンとぶつけることで、映画となりえた。巨大な陰謀。まったく、とんでもない。映画の告発内容をしっかり把握したヒトにとっては、天地が引っくり返るようなショックである。ところがヒトは皆これを所詮たかが映画やと思って距離を置いたような感覚でいる。テレビや新聞の日本人解説者の意見の焼き直しを、さも自分の意見であるかのように言う。だがムーアの推理と傍証が正しければ、また観たヒトが正常な道徳観を持っているなら、何らかのアクションを起こしたい・起こさなくてはと思うのは、世界的に至極真っ当のことである。「いろんなクレバーな機略謀略を使って、戦争を引き起こし、貧乏で無教養でアホな奴等を大量死させて、政界財界とその他多勢の取り巻き(ブッシュ曰く、my base)の人たちがリッチで楽しい生活ができればいいじゃん!」と開き直る奴は、居る。わが国日本にも、その「上と下の構造」によって、旨味を吸い尽くそうとするスーツ姿や腰痛持ち男女は、居る。 別の映画だったが、ムーアとスタッド・ターケルの対話は、ゴダールの『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナと哲学者の対話とそっくりだ。
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[020]人生は、時々晴れ
 全か、無かヤース2004-09-12
 
かつてイギリスにも長引く不況の時代がありました。鉄の女と呼ばれた一人の女宰相マーガレット・サッチャーが颯爽と現われて抜本的な構造改革を行ないました。今の日本の現首相・・・
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かつてイギリスにも長引く不況の時代がありました。鉄の女と呼ばれた一人の女宰相マーガレット・サッチャーが颯爽と現われて抜本的な構造改革を行ないました。今の日本の現首相は、ここ数年ずっとこれのマネをしてるわけですね。だがサッチャーさん、人気が無かったです(でも日本の首相はちょっと人気がある・あった?、これは日本人がナイーブだからか)。サッちゃんの人気がなかったのは、当然、鬼畜のような政策をしいたからでした。けれど相当に手応えのある「実質的な成果」を挙げたということになっている(多くの失業や犠牲や自殺者を膨大に噴出させた)。そういうわけで、当時のロンドンには、雨後のタケノコのように、一部のラッキーな「勝ち組」とやらがしゃしゃり出てきてリッチでヤッピーな生活を享楽し始めたのでした(今の日本と一緒)。が、勝ち組とはいえ、将棋で言えば、所詮単なる「成り金」です。もともと「歩」であることを忘れている勘違いさんでした。大して旨くはないが「値段が高い」ので美味しいと錯覚されるものをいっぱい食べたり、ヨットを買って海を彷徨ったり、不特定多数といっぱいセックスもなさりました。  と同時に、ハナから運命論的に「負け組」の人々も居てました…。一体そういう人たちは、サッチャリズムによって、何を得て、何を失ったのか。それが、この映画です。むつかしいことはなにもありません。それソノモノが、そのまま露骨に呈示されている映画です。哀しい、侘しい、上手くいかない、家族愛に頼らざるを得ない、孤独な、そういう人々を丁寧に、丁寧に、描いた秀作です。マイク・リーという映画監督は、ケン・ローチと並んで、ある意味、もっとも純粋培養された「イギリス」を体現しています。邦題の「人生には晴れもあれば、曇りもある」というような慰撫的人生観を説いているのでは全然ないのです。勝っても地獄、負けても地獄、つまり人生は地獄、なのだろうか。All or Nothing。
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[021]インファナル・アフェア
 父性は交換してもよいヤース2004-09-11
 
これは傑作。『フェイスオフ』『LAコンフィデンシャル』の血が流れている。直ぐに思った。だが少し申し訳なく想うのだが、個人的には観ながら、アンディラウがどうも好きになれ・・・
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これは傑作。『フェイスオフ』『LAコンフィデンシャル』の血が流れている。直ぐに思った。だが少し申し訳なく想うのだが、個人的には観ながら、アンディラウがどうも好きになれないなぁーと思いつつ観てた。が、あの振り子の大揺れの終りにズドーンと落ちるのを見せられると、なるほどなぁと腑に落ちた気がした。おとぎ話の構造分析ふうに言えば「父性の交換」物語である。パパを取り替えてしまうとどれほど過酷な「崇高な悲劇」が待ち受けているかの正確無比の解析学のようで、しかし「パパを交換すること」は決して間違ってない(と、思いたい)。場合によっては、パパを交換することで、世界が良くなることもある、そういう微かな希望を残した作り手の先見と知性に拍手を、送りたい。ジャンルとして分類すればアクション映画ってことになってしまうだろうが、きわめて瞑想的、頭脳的、論理的。心に残る。見事。美しい。あの香港の空の翳りは、ダンテ風の煉獄だったのだ。主要な人物たちが常に前頭葉を駆使して「考え中」という姿勢がとても香港映画とは思えない(失礼)が、繰り返すが、切なくて、切なくて、見事。見事。
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[022]まわり道
 寛容であれ!ヤース2004-09-11
 
いま日本では、学校出ても職に就けない若者が、多い。ここ十年ほど、そうじゃないか。留意すべきは、いま職に就いてる方々が「有能で優秀」であり、今の若者が「無能で怠慢」だ・・・
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いま日本では、学校出ても職に就けない若者が、多い。ここ十年ほど、そうじゃないか。留意すべきは、いま職に就いてる方々が「有能で優秀」であり、今の若者が「無能で怠慢」だからというわけではないってことだ。だがそう思いたい醜悪な連中の脂ぎった「サディスティックな意地の悪いほくそ笑み」というシンボルも散見される。しかしやはり冷静に考えると、単に、時代情勢のせいという面が大きい。大きすぎる。こういう時代は、昔もありました。昔の日本も世界も、いろいろ努力して、そんな問題を打開してきました。映画は、ちょっと寒そうなドイツの街が舞台だ。冒頭、鬱屈した若い青年が、自室の窓ガラスを叩き割る。その後、彼の頬にはゆっくりと涙がつたい、心配した母親が、ただ「旅に出なさい」とだけ言う。映画は、彼の「まわり道」のような旅を描く。定職がないこと(フリーターであること)を世間から非難されても屈してはいけない。「まわり道」をすることが、かけがえのない人間の営為となることがある。堅実なヒトたちは、絶対に、若者たちが長い旅に出たり職がなかったり芸術家になるなどという「自由」を許したりはしない。その「自由」とやらの代償に与えられるのは「貧困」なんだよと、彼らは、冷たい厳しさの中に「若さや自由への嫉妬と意地悪さ」をにじませながら、言う。逆に言えば、そんな意地の悪い大人に抗して戦って無事に「大成してみせる」強い個体だけが求められている時代とも言える。いずれにしても、さみしく過酷な時代である。ますます日本やアメリカ特有の「速さ重視=せっかちな力強さ」が世界を覆いつくそうとしているように見える時代、この70年代の牧歌的な「自分探し」映画を観ることは、antidoteとなるかもしれない。否、多分、ならないだろう。
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[023]ウォール街
 マネーの人気の上下ヤース2004-07-16
 
 この映画は80年代バブル期の「アメリカ型の野獣系資本主義」の生き馬の目を抜く勢いのエッセンスを見事に描き切ったメリハリの効いた秀作であるが、自分の生きる世界はこんな・・・
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 この映画は80年代バブル期の「アメリカ型の野獣系資本主義」の生き馬の目を抜く勢いのエッセンスを見事に描き切ったメリハリの効いた秀作であるが、自分の生きる世界はこんな世界にはないと思える人は幸福だと思う。  が、今の世界情勢を見れば、この映画の世界のような「キャピタリズムというヤラセ」にのっとっていなければ取り残されてしまうと「思い込まされてしまう」ようなスマートな強引さがある。ちょっと考えてみた。素朴な意見でしかない。  ある世界であるモノの数量が少なくなれば、そのモノの稀少価値は上がる。このモノは、概ねなんでも構わない。ダイアモンドが全然ない世界では、ダイアモンドは一部の者にしか得られない貴重品である。チューリップが全然咲かない世界では、チューリップの花は珍重されるだろう。現在一般的に、日本はデフレと言われている。日本国内のカネの流通量が滞っている。ゆえに貨幣の流通の「絶対」量が少ないので、その貨幣の一単価あたりの値打ちは「相対的」に上昇している。現在日本人がカネカネカネと五月蝿いのは、そのせいかも。絶対量の少ないモノを得ようと必死で争い合っている。俗に言うラットレースである。ではカネはどこに行ってしまったのか。当然、カネはある所にはある(らしい)。どこに。一部の金持ちがケチで消費しないせいだというもっともらしい説もある。だがそれが実際的影響を持つのかどうか未だ誰も教えてくれない。ではどこに。   日本で最大のおカネ持ちである「日本銀行」のことを考えたほうがいいかも。貨幣の流通を減らすのに一番効果的なのは、貨幣を作らないことである(増刷しない)。その権限を持っているのがニチギンで、では何故今ニチギンはおカネの動きを抑えた方がいいと考えているのか。経済のことはよくわからないが、こういうことではないかしら。  そうした方が「一部の現在おカネ持ちが得をする」からである。もしこれ以上に貨幣を増やせば、貨幣の一単価あたりの値打ちは「相対的」に減少する。いわゆるインフレである。稀少なおカネを苦労してor楽して貯めこんで豊かになったと錯覚しているおカネ持ちは自分の大好きなおカネの値打ちが下がることを心底猛烈に恐れている。インフレなどと聞くと、顔面蒼白である。一方ビンボーなヒトは、というか普通の日本庶民に対しては、どういう影響が及ぶか。   兎角カネの少ないヒトは、カネさえあれば幸せになれると思いがちである(洗脳されているわけだ)。デフレ下では一層その錯覚的傾向に拍車がかかる決まりだ。つまり日銀は、デフレによって、全日本国民に「おカネへの信仰心」をあらためて強固にしようとしていると言える。逆に言うと、お金の少ないビンボーなヒトが、おカネなどなくても幸せになれると思い、かつ実際に幸せになってしまうことこそ、日本銀行(と、その取り巻き)がもっとも恐れていることなのである。おカネ無しで幸福が現前すること、これこそ、おカネ持ちが一番ビビることなのだ。なぜなら、それは自分の存在理由が否定されてしまうことになるから。おカネカルト最大教団である日本銀行が一番回避したがっていること、すなわち、日本人が、経済原理を度外視しながら幸福を得てしまうこと。それは、自分の保有する最大の力の源泉が否定されることになってしまう。 だから、今、デフレなのです。 よく「神」や「愛」や「平和」を語るヒトを胡散臭く見るキャピタリストが居るが、同じ穴の狢である。最大値Xのスロットに、カミやアイやヘイワの代わりに、カネやハカイやセンソウが代入されただけである。※「ロウドウ」という言葉を忘れれているわけでははいのだろうが。金持ちたちも、インフレ的要素が必要だということに、薄々当然気付いている。そうしないと、日本経済が立ち行かない。だが、彼らは生来ケチで臆病で慎重派だ。そういうタイプがとぐろを巻いて群がって利益集団を構成し、それが中枢となっているのが今の日本である。この利益集団に、経済対策の権限があるので、事態が容易に進展しないの。 既得権益層に利するという根拠から、おカネの保守性。保守派のカネ嫌いなんて、聞いた事がないでしょう。
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[024]トーク・トゥ・ハー
 Love Supremeヤース2004-05-02
 
アルモドバルも、自分の世界を確立したかにみえる。数分観ると、ああこれはアルモドバルだと直ぐにわかる。好きかと訊かれると、ちょっと困惑する。感情移入できる人間、自分の・・・
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アルモドバルも、自分の世界を確立したかにみえる。数分観ると、ああこれはアルモドバルだと直ぐにわかる。好きかと訊かれると、ちょっと困惑する。感情移入できる人間、自分の情動を注ぎ込む穴みたいな存在が見当たらないせいかもしれん。だが言うまでもなくよく出来た美しい映画で、不満はない。画面全体が微妙に赤い気味を帯びていて、非情で過酷な物語をそこはかと、暖かく柔らかくしている。ヒトの愛の形にも色々あって、この映画のそれをわりと興味深く観た。愛を長く深く強くしようとするヒトは、愛を軽く短く軽妙にしようとするヒトから迫害を受けることがある。おカネで愛が買える時代?である。情けないが、やむを得ない。ストーキングは犯罪であり、罰せられてしかるべきである。当然ヒトの嫌がる行為をしてはいけない。だが愛のしぶとさを志向するヒトは、流石にストーカーにはなりきれないがその気持ちに密かに共鳴している場合があるようだ。世の中が、愛を軽くして、いっぱい交際して、いっぱい気持ちよい行為をしたいと思っているスマートな狡知のヒトで埋め尽くされれば、愛を重く深く鈍く考えるヒトは、迷惑がられるだろう。独占欲の強いヒトだとか、粘着気質のヒトだなどとラベリングされて、疎まれるだろう。だが本当に超越的なものが(なんでもいい、みんなが好きなもん)、つまり要するに、愛の力が完膚なきまでに世界に染み渡っていると信じるとすれば(夢のような仮定)アナタの愛をとことん完遂することは最高の営為となるはずである。それは「愛」を信じるヒトが救われないなら、ヒトという種は滅びた方がいいとう論理からだ。
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[025]暗夜行路
 懐かしい年への手紙ヤース2004-04-23
 
『暗夜行路』この小説を最初に読んだのは高一くらいのときだった。当時受験勉強の現代文対策とかいうことで小林秀雄とかいう人の文章を読むようセンセに教わって、帰り本屋で文・・・
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『暗夜行路』この小説を最初に読んだのは高一くらいのときだった。当時受験勉強の現代文対策とかいうことで小林秀雄とかいう人の文章を読むようセンセに教わって、帰り本屋で文庫を買うた。当時おにゃン子クラブが夕方やっててガッコから帰ってテレビつけると普通のかわいい女の子がいっぱい踊らされて笑んで戯れていた。そういうのん傍目にしつつ、小林の本を読んだ。秋の涼しい風が吹いていた。小林は、志賀直哉を絶賛していた。それで志賀直哉ってどんな奴やろと図書館で調べた。写真で見ると縄文時代の人のような顔だった。『和解』を読んだ。小林が涙を流した理由もわかるような気がした。古い言葉で言えばブルジョアそのものの人生でも『アバウトアボーイ』のヒューグラントみたいに親の遺産で自由気儘に過ごす人生でも、これだけ人生の滋味があるということは当時わからんかったが、今はわかる。とにかく文章が凄すぎた。実際これに尽きる。谷崎潤一郎がそれらを名文として絶賛したことも付け加えておきたい。『大津順吉』を読んだ。「自分の生涯にはもう到底恋というような事は来はしない」で始まる物語は、80年代のバブル狂騒、ゼニと欲望万歳、ジークムント・フロイトの言う意味でのエロス至上とかなり多くの日本のヒトが漠然と勘違いしていた時代(と思う)「淫を避けよ」という言葉をモットーに生きた大正時代の一文人の苦悩と愉楽は、やはり、際立って感じられた。当時、自分は小津安二郎の映画をビデオ屋で見つけて観始めた頃だった。誰も見そうにない「名画」を発見する痛快さは、当然、神様の思し召しである。小津も、とにかく、有り得ない世界だった。自分が今まで年に百本弱は観ていたしそれが映画と信じて疑わなかったもののどれとも似ていなかった。その小津が、志賀直哉を尊敬していたということを知った時に受けた自分の感動と衝撃、誰か分かってくれる人があるだろうか。小津と志賀直哉が二人で映っている写真がある。額におさめて、飾りたいくらいであった。とはいえ、映画版『暗夜行路』は、小説『暗夜行路』から受ける感動の十分の一ほどである。監督の豊田四郎は関西系の名匠で、『夫婦善哉』という目に入れても痛くない愛らしいしいとおしい傑作を作った偉人だが、『暗夜行路』タイプではなかったことは一目瞭然だ。
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[026]蛙の夢
 映画の観方の一方法ヤース2004-04-21
 
 うーーん。やっぱり世の中恐ろしい、滅多なことできない、と寂しく思う…。  『蛙の夢』で、自分はスパゲティ食べたかったくせに間違って寿司を注文してしまい、ちぇっ!スパ・・・
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 うーーん。やっぱり世の中恐ろしい、滅多なことできない、と寂しく思う…。  『蛙の夢』で、自分はスパゲティ食べたかったくせに間違って寿司を注文してしまい、ちぇっ!スパゲティじゃねーのかよヤバクナーイとか、おのれのミスを棚上げにし、関係のない店員に寿司の悪口を言って溜飲を下げる迷惑な客。寿司の味が堪能できないなら、一生スパゲティだけを食べてりゃいいのにな。或る種のクズ志向な人間の放つヒガミや嫉みやシットというものはなかなか業が深くキショイもので、結局は「美しい映画」をケナすことで、そいつの人生の上手く行かない辛さ悲しさ侘しさのウップンをはらしているということなんだろうな。それはとても痛ましいことで、誰もが同情する類いのものである。そういう奴は性悪なことに、テグスネひいて待っているわけだろう。ヒマだからずっとパソコンの前に座りクサい息を吐いて「否定と悪口」のことバカり考えているのだろう。そう想像するだけで、頭が痛くなってくる。ゾッとする。もし会うたらイッパツごつんと喝入れてやるんやがな。だけどね、なんでこの性悪の糞ガキが映画を観るのか、パパもママもわからない。まるでキツネの嫁入りみたいだと言ってますよ。『ドラえもん』で言うと、スネオだろうな。スネオは、ひねくれてる。恵まれているがゆえにスポイルされている。だからトマト栽培でいうと「永田農法」をする必要がある。正直、ガツンとやったらんと。スネオのためだ。そうそう、『蛙の夢』。いやホントびっくり、蛙のくせに喋るか。ムチャしたら、アカン。  ところでよく「この映画は観るヒトを選ぶ云々」という便利かつ曖昧な言い回しがある。当然ながら、映画はヒトを選ぶようなことはしない。選ぶのはヒトであり、選ばれるのが映画である。言うまでもないことだ。映画の悪口や酷評とは、要するに、そいつの犯す選択ミスである。ある意味では、良さ・好さのわからない側のミステイクである。極端な言い方を敢えてするが、映画に、罪は、ない。まともなヒトは、自分に合った映画を選んで、peace of mindを買っている。それでいいのである。中には、オレは何でも見るぜ雑食性だぜというヒマな人もいるだろう。そういう奴は贅沢のせいで舌が麻痺し、感性も萎えていて、体質に合わない素材も大量に摂取するため、いつも体調不良で不平ばかり垂れて、みっともないだけだ。たまには断食するのが効果的だろう。わざわざ数時間かけて映画を観て、クズだクズだと言い放つ。その傍迷惑なムナシサに、アホはいつまでも気付かない。世の中には、映画の他に楽しいことがいくらでもある。なんで映画なのか。当人もわかってないのだろう。山登りでもすればいい。気持ちいいぞ。一種の視野狭窄に陥っているのでしょうから。だけどそいつが求道者のように映画を愛し、愛するがゆえに悪口を言ってしまうというトチ狂ったお涙頂戴の映画ファンであるとしても、自分の死を覚悟で映画の悪口を言っているにしても、やれやれアホがわざわざカネ払ろて、わざわざ不平言うとるで。余程のヒマ人、世話ない。繰り返すが『蛙の夢』はヒネクレ者の哀れな奴だ。山登りがお勧めです。春山、夏山、実によい。
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[027]HERO
 空と夢ヤース2004-04-19
 
れいの「色分け」はシュールでアバンギャルドで未来派的である。これが紀元前の物語だということを忘れさせてしまうほどである。この試みが無ければ、きっと全然異なる印象の映・・・
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れいの「色分け」はシュールでアバンギャルドで未来派的である。これが紀元前の物語だということを忘れさせてしまうほどである。この試みが無ければ、きっと全然異なる印象の映画となっていただろうし、判りにくかったことだろう。まこと思い切った英断だったと推察する。ワダエミとイーモウが、莞爾として現場に臨む姿が目に浮かぶ。夢のような大成功である。クロさんの時代劇『乱』や『影武者』も、どこか未来的であったな。東洋史ものにはどうしても抹香臭さがまとい付くものだが(とくに古代中国ものなど最たるものだろ)ノンノンNonまるで前衛的な現代アートの絢爛豪華な展示会のようで、剛毅でありながらシットリ涼やかに魅了される。一番好きな場面は、一番最初の闘いだ。水もしたたるいい殺陣。ポタポタと水滴の音がする。琴を掻き鳴らす老盲人。鉄と鉄が奏でる鈍く、重く、短い金属音。0.001,2秒くらいの刀剣の動きがスローモーによって2,3秒に引き伸ばされる。人間は、どうして時間の引き延ばしを観ることで心が動かされるのであろうか。常人には見えない世界が、動体視力に秀でたスポーツ選手には常態であるような世界が、あられもなく開陳されてしまう。運動神経の鈍い劣性遺伝子を持つ都会人はよくワイヤーアクションがどうのこうのと知ったかぶるが、自分にはワイヤーなど一本も見えなかった。見えたという人が居れば、そいつは嘘つきである。映画の中で剣士たちは本当に飛んでいる、それが観照至上主義の奥義である。自然と涙が流れた。ポロポロ。でもそれは音楽のせいちゃうかとも後で内省された。音楽はタンドンとかいうアメリカ留学経験持ちの理論派が担当で『グリーンデスティニー』もこの人だった。心の深いところで響く何かがあるのかもしれない。あのメロディを聴くだけでジワジワジワと情動の大きな波がのたうつのである。お話自体は中盤右往左往するせいで若干失速するが(れいの色分けをしたせい)しかしラストのひっくり返しに凡てが収斂し、いい物を観たと思わせてくれた。
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[028]ズール戦争
 銃と槍ヤース2004-04-11
 
向こうのDVDで観た。南アフリカの青い空が鮮明。ボーアとかいう言葉が出てきて、そういえばボーア戦争ってあったなと歴史を少し思い出した。だがボーア戦争の映画ではない。シ・・・
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向こうのDVDで観た。南アフリカの青い空が鮮明。ボーアとかいう言葉が出てきて、そういえばボーア戦争ってあったなと歴史を少し思い出した。だがボーア戦争の映画ではない。シューティングゲームの敵のように、次々と無限に現われる盾と槍の半裸のズールー族と近代的完全武装のイギリス軍が決死戦を演じる映画だ。ズールー族の女たちの裸おどりまで出てくる。そのヌードの形の良さ、黒豹スタイルしなやか健康エロスな美しさには、誰もが目を瞠るだろ。イギリスで、ズールー族との戦いは大英帝国万歳賛歌的ニュアンスで見られている。日本でも一部のジイサンたちが日露戦争を持ち上げてナルシスティックな懐古趣味に耽っているが、それに近いものがある。しかしそれにしてもマイケル・ケインたちの英軍の軍服の赤さ。何だろ。ギラギラ、赤すぎる。監督のサイ・エンドフィールドは元々アメリカで赤狩りがあってそのブラックリストに載ったため、ヨーロッパに逃げてきた人。そのせいか、バトルがきわめて苦渋に満ちたものと描かれている。痛烈に「虚しさ」を訴える作品となっている。最近では『ブラックホークダウン』という映画があったがこれが原型だろ。とはいえ、あれに比べればこれはまだまだ牧歌的(40年前の映画である)。とはいえ、刃物で心臓刺し貫かれたらかなり痛いということに変わりはない。
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[029]ハピネス
 いいヤース2004-04-06
 
人は皆フツーの人生はツマンナイんじゃないか、フツーじゃないから映画なんだという思いが薄々と下敷きのようにある。だがフツーの人生を仔細に観察すれば、ぐろーばるすたんだ・・・
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人は皆フツーの人生はツマンナイんじゃないか、フツーじゃないから映画なんだという思いが薄々と下敷きのようにある。だがフツーの人生を仔細に観察すれば、ぐろーばるすたんだーどに笑える要素がたっぷりと隠されていることに気付く。だが残念なことに、凡人は見つけにくいものなのである。ソロンズ監督。いっけん幸福そのもののような父母息子二人の家庭(笑)、怨恨たっぷりの悲惨サラリーマン(笑)、プライドの高い女流作家(普)、いまいち冴えないが野心のある若い娘の恋愛沙汰(笑)…あと色々、複数の線・伏線が平行して進みつつ、絡み合い混じり合う。なにげに観ているぶんには、次から次にポコポコ出てくる「痛いが面白いお話」を興味津々追いかけるってことになるのだが、ぼんやり観てると、これが三姉妹の映画だということを見逃してしまうだろ。だが逆説的にそれがわかったときは、物凄くツボにはまってしまうだろ(別に知っていても、充分面白)。話法という点で、こういうパターンはこれから増えていくと感じた。
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[030]座頭市
 ショック療法ヤース2004-03-28
 
凄まじい。壮絶。血しぶきがほとばしる。それがすべてデジタル処理によって美麗に作られた飛沫だとしても、凄まじい。Brotherという映画に「獰猛さ」を期待して肩透かしを食ら・・・
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凄まじい。壮絶。血しぶきがほとばしる。それがすべてデジタル処理によって美麗に作られた飛沫だとしても、凄まじい。Brotherという映画に「獰猛さ」を期待して肩透かしを食らったコーカソイドたちもZatoichiに対してウンと言うことに吝かではなかった。完全復活ということか。猛々しい武力暴力にも緻密な美意識が介入し同時に奏効するとなると、少なくとも映画の場合、有無を言わせない場合があるもの。だからどうこう言うつもりもない(肯定も否定も出来ない)。そういうことが今も昔も続いているという現状の再確認だ。
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