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 「魚篭」さんのコメント一覧 登録数(57件)rss
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[001]隠し剣 鬼の爪
 新しい足音魚篭2007-12-13
 【ネタバレ注意】
「たそがれ清兵衛」と同じ海坂藩のお話しとして描かれていますが、まったく異なる映画だと思う。設定が似ているだけで、響いてくる実感は「たそがれ」とまるでちがうと感じた。・・・
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「たそがれ清兵衛」と同じ海坂藩のお話しとして描かれていますが、まったく異なる映画だと思う。設定が似ているだけで、響いてくる実感は「たそがれ」とまるでちがうと感じた。映画の仕上がりとしてはこちらの方が上だとも感じた。これはちょうど黒澤明の「用心棒」と「椿三十郎」が同じ主人公で撮っているのだが巻き込まれる騒動は別ものであるのに対し、山田監督のこの二本は、主人公はちがうのだけれど巻き込まれる騒動がどこか似ているという対極をなしているような気がする。用心棒に対し椿三十郎を「亜流」だと思う人は少ないようだが、「隠し剣」は「たそがれ」の二番煎じであるかのような空気が支配的である。 そもそも映画監督は二本立て続けに同じようなシャシンを撮りたいと思うだろうか?どちらかといえば、第一作で表現できなかったことをあとの作品に投じて昇華させたい気持のほうが強いと思う。山田洋次のパーソナリティとしては「笑い」をもっと盛り込みたかったのではないかと勘ぐる。そしてもうひとつ感じたのが、この映画を外国人が見たらどう思うかという点、つまり、山田監督はこの作品を世界における「日本映画」のアイデンティティー的役割を果たせようと意気込んだのではないか、と想像する。今も昔もユーモアのある日本映画はウケる。だから椿三十郎はアメリカで特にウケた。「隠し剣」では自分物のバラエティーにも気配りができていて、とくにメッセージなど求めなくても、台詞とアクションから人物の肌触りを十分に実感できる。近頃このようなきめの細かい映画が少ない分だけ、山田監督の経験が大いにはじけとんだという気がする。黒澤明の「雨あがる」系後継者として頷いた人は少なくないのではないか。この映画のラストは「たそがれ」より気に入った。もうボーカルは沢山だ。絵とつながらない。井上陽水は悪くないが、やっぱりあの時代感覚からすると、「なんして?」と思わず聞きたくなる。2人を低カメラから狙った終わり方も松竹の伝統的なアングルなので、山田監督の松竹魂のようなものも感じとれた。 惜しいのは、新米歩兵の訓練だ。それ自体の登場はいいんだが、どうも、その「足音」が「侍のおわった時代」の到来を如実に表しすぎていたので、アレゴリーが強すぎるのではと思った。しかし、この映画と「たそがれ」が新しい日本時代劇の到来を感じさせる足音には違いない、とヴォーカルのないラストに魅入っていた。
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[002]椿三十郎
 二番煎じどころではない魚篭2007-01-10
 
なんでこんな企画が持ち上がったのか。それも座頭一ではなく椿三十郎のりメー クとはなんたること! あの三船敏郎を超える俳優がいるわけないでしょ! それは高倉健や石原裕・・・
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なんでこんな企画が持ち上がったのか。それも座頭一ではなく椿三十郎のりメー クとはなんたること! あの三船敏郎を超える俳優がいるわけないでしょ! それは高倉健や石原裕次郎のリメーク映画を作るのがどんなに愚かであること を直感する以上の愚行であることくらい、どうして想像できないのか! 椿三十郎は三船以外誰にも演じられないし、座等一は勝新しかできないことくら いわかっていないところが日本映画の癌。 ホンマにアホか。 どうせやるなら、黒澤が描き切れなかった山本周五郎原作の江戸情緒たっぷりな 時代劇を作ってみてはどうか。それが先人達への日本映画に対する礼儀というも のなのではないか。天国で黒澤が苦笑、いやそれどころか怒りまくっているよ。 DVDで「半落ち」を見た。話は面白いが、この台詞のボソボソ、なんとかなら ないの?字幕つけてやっとわかるようじゃ、どうしようもないよ。録音設備が劣 悪な「七人の侍」の時代じゃないのだから、もっと真面目に映画作ってくれよ!
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[003]ダ・ヴィンチ・コード
 空しい魚篭2007-01-07
 【ネタバレ注意】
原作は英語で読んだ。難解かと思いきや、こんな簡単な筋書きなのに、映画は もろくも原作がもつドラマ性を発揮できないで終わったように思う。いや、筋 書きがあまりにも簡単だ・・・
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原作は英語で読んだ。難解かと思いきや、こんな簡単な筋書きなのに、映画は もろくも原作がもつドラマ性を発揮できないで終わったように思う。いや、筋 書きがあまりにも簡単だからこそ、映画のおけるドラマツルギーに発展しなか ったのではないかと考え直したりする。とにかく、一言でいえば、面白くない。 密かにキリストの秘密を受け継いだ「社会」の凄みがまったく感じられないし、 それは宗教的弾圧を加えて自分たちの「社会」を作ろうとしたキリスト教の教 義の厚みすらない。あの「薔薇の名前」で見せた重々しさに対して秘密結社が 動くというドラマであれば、まだ見れただろう。トム・ハンクスが生きていな い。ダ・ビンチ・コードの面白さは原作にあり…ただ、やっぱり専門的分野以 外を考えれば、とても単純なオハナシであり、映画製作ははじめから困難であ ったろうと思われる。
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[004]男たちの大和/YAMATO
 佐藤純弥の描きたかったこと魚篭2006-11-22
 
監督の野村芳太郎が脚本家橋本忍に語ったこと。「あなたは黒澤さんに会うべき 人ではなかった。映画に思想や人間性、社会性を持ち込んだせいで黒澤さんの映 画はへんに重苦しく・・・
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監督の野村芳太郎が脚本家橋本忍に語ったこと。「あなたは黒澤さんに会うべき 人ではなかった。映画に思想や人間性、社会性を持ち込んだせいで黒澤さんの映 画はへんに重苦しく、映画らしさを失った」と。当然ながらこれを聞いた橋本氏 は釈然としなかった。黒澤映画に人間性や思想があるせいで映画が重苦しくなっ たとは思わない(逆に面白くなったと思う)が、「映画らしさを失った」という のはすぐに反論できない気持になった。野村監督は「何が映画らしさ」かをあえ て橋本氏には語っていないが、今の日本映画の右左を見ると、「画面でモノを言 わせる映画」がほとんどないことに悲しく頷いてしまうからだ。 この映画の唯一「モノを言わせる」ところは当然大金をかけて作った「大和」の セット、そしてそこで繰り広げられる戦闘シーンであろう。はっきり言って、人 間ドラマやストーリーの奥行きなどを気にするなら、あんな巨大なセットなど作 らず、小さな局地的セットで十分間に合わせることはできる。CGがモノを言う時 代だから、大和の遠景、俯瞰ショットなどおちゃのこサイサイであろう。この大 和の戦闘シーンをあれこれ言う人がいる。主砲の硝煙が花火以下であるのは認め ざるを得ない。レイテ湾に停泊しているアメリカ軍を攻撃するには情けない大砲 にうつる。しかし、新しいところがあるとしたら、アメリカ軍の雷撃機に立ち向 かう大和の機銃班たちの戦い様であろう。すさまじい。これだけをテーマにして も映画になったのではないかと思う。 佐藤純弥は黒澤明が「トラトラトラ」を撮ることになったとき撮影B班の監督に なって、北海道で軍艦の洋上補給を撮影した。すぐに黒澤監督は降板し、幻の 洋上補給シーンは未公開のままだ。かなり迫力があったと美術担当の村木与四郎 氏によれば相当な出来栄えらしい。 佐藤氏はあの幻のシーンをもう一度自分の手で蘇らせたかったのではないかと思 う。ただ、それだけだったのではないか。画面がモノをいうシーン、これが映画 的だとすれば、大和が朽ち果ててゆくこれらの一連の戦闘シーンが佐藤監督の描 きたかったことではないかと鑑賞後思った。 これも批判が多いが、個人的にはあの出演者の中で中村獅童だけがサマになって いたと痛感する。よくぞあそこまで力いっぱいやってくれた。あとはみんなフヌ ケだ。反町は台詞が下手だ。全然聞こえない。あんなぶつぶつやっているようで は戦艦大和をまかすことはできない。異常な環境にあるはずなのに、みんなサラ リーマンにしか見えない。一人獅童が人間を演じていた。やりすぎ?肩に力がは いりすぎ?とんでもない。OZの映画を見てるのではない。「七人の侍」の三船も 公開当時同じことを言われたそうだ。その後三船がどうなったか、これは答える だけ無駄と言うもの。
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[005]赤線地帯
 溝口の前に溝口なし、溝口のあとに溝口なし魚篭2006-10-07
 【ネタバレ注意】
溝口映画はどれを見ても、少数の映画を除いて終始一貫している。 その女の描き方は世界的に見ても右に出るものはない。 これまで、こんなに綿密に女を描いた監督がいたであろう・・・
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溝口映画はどれを見ても、少数の映画を除いて終始一貫している。 その女の描き方は世界的に見ても右に出るものはない。 これまで、こんなに綿密に女を描いた監督がいたであろうか? 時には残酷なほどである。この映画も例外ではない。 要は「玄人女」を描くのが真骨頂のようだが、その描きかたが尋常ではない。 この映画では身を売って生活をする女の「事情」が五種類描かれているが、 そんなことはどうでもいい。溝口の描きたかったものは、憶測にしか過ぎない が、「女の哀れ」そのものであり、女郎という職業が最もそれを表出しやすい のもではないかと思われる。この映画の「職業病」をものの見事に描いた溝口 の本音を見てみるがいい。 この説明でわからなかったら、女優たちの「歩き方」をもう一度観察するがい いでしょう。 私はアメリカでこれと同じ歩き方をしていた女を見たことがある。その人は 「職業」について40年にもなる人だったが、「赤線地帯」を見てその人が蘇っ た。現代の映画作家で「遊んだ」人は多かろう。しかし、女の性を知っていて も、それを「表現」できた人はほとんどいない。 女の描き方がまるでなっていないと批判をうける黒澤でも、「赤ひげ」で岡場所 のやり手ババアに扮した杉村春子も同じ歩き方をしていた。もっともこの映画の 三益愛子の方が衝撃的だが。 小暮美千代のエロティシズム、最高。ヒッチコックの「めまい」で同じような メガネのエロっぽい女が出ていたが、比べものにならない。
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[006]エクソシスト
 キリスト信者だけでは・・・魚篭2006-08-06
 【ネタバレ注意】
この映画のポイントはキリスト教がわかる、わからないという点において作られ たのではない。当然自論だが、監督のウイリアム・フリードキンはユダヤ人であ り、新約聖書の真髄・・・
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この映画のポイントはキリスト教がわかる、わからないという点において作られ たのではない。当然自論だが、監督のウイリアム・フリードキンはユダヤ人であ り、新約聖書の真髄などとは関係のない身分なのだ。あるとすれば、すべては旧 約聖書的な見地から描かれたものと考えてよい。しかし、この映画にはそこまで ユダヤ人の新約聖書を信ずる人間たちへの揶揄ととらなくてもよさそうだ。2人 の神父はそれなりに解釈できる行動をとっているし、どちらかと言えば、ユダヤ 人が北イラクに対するエキゾティズムにも似た同じ中東のちょっと違った雰囲気 をモチーフに出したかったのかもしれない。いや、もっと深く探れば政治的な意 図もあることだろう。 そんなこと、どうでもいいんだ。とにかく映画を見て、感じればいい。今の目で 見れば甘っちょろい映画だという御仁は多くいるだろう。でも、公開当時、映画 館の椅子の背に「嘔吐袋」がそなえつけてあったことを知る人は当時を知る人の みなのだ。それほど怖かったのである。70年代のホラー映画(当時はオカルト 映画と呼んだ)は「オーメン」「キャリー」「サスペリア」「シャイニング」と 名作が少なからずあったが、「エクソシスト」は群を抜いていた。趣向が面白い。悪魔がすべてさかさまに話すのを解読したミキシングルームの窓の上にローマ字 で「TASUKETE]と書いてあったのに気付けば、当時この映画の時事性がわかって とても面白いものだと思う。ハリウッドの日本参加が始まる頃であった。
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[007]天と地と
 赤と黒の色分け魚篭2006-07-19
 【ネタバレ注意】
一口に言って、この角川映画は黒澤の「乱」を自分なりに昇華させようと思い とどのつまり二番煎じに終わった映画だと言わざるを得ない。赤の武田と黒の 上杉に分けた戦闘ぶりは・・・
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一口に言って、この角川映画は黒澤の「乱」を自分なりに昇華させようと思い とどのつまり二番煎じに終わった映画だと言わざるを得ない。赤の武田と黒の 上杉に分けた戦闘ぶりは、黒澤が「敵味方がわかるように色分けした」と乱の 撮影について語ったように、角川は映像的効果もさることながら、黒澤の色分 けをそのまま頂戴した結果と受け取れてしまう。蜘蛛巣城は白黒だから、色で 敵味方を識別することはできないので運動会的な要素は皆無であったが、乱で はまさしく「鉄砲で撃たれても死なない運動会」的な批評がかますびしかった わけだ。その黒澤に対する鎮痛な批評が耳に届かなかったのか、この映画では 乱に輪をかけたような紅白戦ではなく「紅黒戦」であった。 しかし、問題はそれではないような気がする。いったいこの映画は武田と上杉 の戦いを通して何を言いたいのか、それがわからない。かつて稲垣浩が「風林 火山」で同じモチーフを描いたが、これも武田の剛勇ぶりと失態を同時に描き 武者絵巻を再現する目的を果たしたを言えるが(それでもなぜ川中島なのかは 疑問にのこる)、この映画はサムライの情を全面に押し出すだけで、とかく川 中島にこだわることでもないような内容なのだ。 演出をみてもいただけないところが多々ある。津川雅彦には悪いが、あの馬の 責め方はいただけない。振り落とされるのが精一杯の責め方なのである。ゲイ であったといわれる上杉に男の色気がまったくない。女が出てきて去ってゆく など陳腐な演出は作品をガタ落ちにさせてしまう。50億も使ってこんな程度な らどうして「影武者」の時の黒澤にその半分でも投資して武田の騎馬軍団を充 実させなかったのかと愚痴の一つでもこぼしたくなる。「乱」は影武者の批評 で気を使って作った黒澤の「影武者二番煎じ」だと私は考えているが、それを 「集大成」と言ってニコニコした黒澤はべつに衰えたわけでもなんでもなく、 常に次回作が最高であるというチャップリンの言葉よろしく、その通りに映画 を作ってきた映画人の純粋な言葉であると受けとめたほうがいいだろう。個人 的には「影武者」に傾けた力は、「七人の侍」と比べてもひけをとらないもの だと思うのだが、個人的感傷はこれくらいにしよう。とにかく、この映画は下 敷きである黒澤映画があったからこそその上を行こうとして行けなかった悲劇 の結晶として私の目に映った。黒澤が描こうとして描きれなかった日本映画界 の限界を物語る事例、「黒澤の叫び」が他の映画を通じて吠えた事例として受 け取っている。その点、角川は黒澤の側にいると考えてもよさそうである。黒 澤の後期の映画が「勢いを失った」と批判する御仁は、実は日本の映画界の現 状を知らず日本映画を支えることにも全く関心を抱かない人間たちの冷酷な嘲 笑であることだとどれだけの人が気づいているのだろうか?6億使って「大和」 を建造した角川よ、お金があるのなら映画界の建て直しをやってくれ!
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[008]愛のコリーダ
 オリジナルを見ても・・・魚篭2006-07-09
 【ネタバレ注意】
例によってアメリカで観た。この映画が製作過程とその主題についてそれまで にはない注目を集めたが、その時代を知らない者は、見る前からどれだけ話題 になったことか実感する・・・
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例によってアメリカで観た。この映画が製作過程とその主題についてそれまで にはない注目を集めたが、その時代を知らない者は、見る前からどれだけ話題 になったことか実感するのはむずかしいだろう。フランスでオリジナルプリン トを作りそのまま公開し、爆発的人気を呼んだ。日本では「ぼかし」入りしか 見られないから、「愛のコリーダ・フランスツアー」まで出てきた。その当時 の時代感覚で見れば確かにただならぬ映画であったことでしょう。「猥褻がな ぜ悪い!」と絶叫した大島渚のエネルギーがそのまま感じられたことでしょう。 では、これは猥褻を謳歌した映画なのかといえば、頭に血がのぼりすぎた早と ちりというものだ。となると、この映画の訴えるものは美的悦楽に類したもの と考えてもよさそうだが、そうでもない。フランス人が余裕の笑いを見せるほ ど、下半身の描写は遠慮気味だし、お初の芸子や太鼓もちの芸の方が変に目立 ってしまい、退廃的情緒に包まれた不思議な気分になるが、それまでの大島作 品にあったようなエロティシズムとはどこか違うと感じた。唯一大島らしいの はその編集で、吉が陸軍兵一隊とすれ違う場面だ。吉の進む方向をあの短いカ ットでうまく表現したと感じた。それと、下半身をあらわにして土手を疾走す る吉もいい。今ひとつ違和感を覚えるのは、定の気持ちである。この女の意志 があるのかどうか疑いたくなる透明感はどうしたものか。あるシナリオ作家が 定が吉を締め、局部を切り落としたのは「恨み」である、言っていたが、そん な様子はサッパリないし、究極の愛の形だと興奮気味の批評も説得力を欠く。 ちょっとわかりにくい愛の表現だ。クラリスをストイックに愛すがあまり、自 分の腕をちょん切るレクターのほうがはっきりしている。首をしめてギリギリ の線で保っているのは、公開当時「究極の快感」として紹介されたが、これを 秘密クラブあたりで実行している方々にはその真価を正確にとらえておられる ことと思う。ただ、局部を切り落とされては元も子もない。せいぜいピアスで 穴をあけてもらう程度に抑えるべきであろう。いずれにしても、この映画には クラブ的要素もないのである。大島自身、これ以後仕切りなおしたようで、そ れはよく理解できた。
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[009]ジャッカルの日
 さすがフレッド・ジンネマン魚篭2006-06-21
 【ネタバレ注意】
この映画を介してゴルゴ13という劇画が何度か引用されているようだが、 先駆はこちらの方だ。当時中学生だった私は、ジャッカルの日が作られた 時代の空気を子供だとはいえ、・・・
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この映画を介してゴルゴ13という劇画が何度か引用されているようだが、 先駆はこちらの方だ。当時中学生だった私は、ジャッカルの日が作られた 時代の空気を子供だとはいえ、一応知っている。マンガには音がないので どうしても映画の迫力には勝てないが、それを差し引いたとしてもこの映 画には遠く及ばないようだ。武器に対する細かな配慮は言うに及ばず、計 画の途中、女を利用しながら死と隣り合わせにある殺し屋の生き様を淡々 と描いているところがいい。ゴルゴはその意味でかなり人間的な屈折を見 せたり殺し屋のプライベートな部分をわざと見せたりして読者に親近感を もたせているが、これが返ってヒットマンの臭いをうすくさせてしまった ようだ。強烈な臭いはやがて消えてゆく刹那がジャッカルにはあった。 ところでこの映画、フランスがほとんど舞台なのになぜか英語が主流であ ることに不満を抱いている方々がおられる。当然かもしれないが、映画の 興行を考えると英語で上映するのがもっとも成績のよい結果となる。それ だけ映画人口が多いのだ。その代わりといってはなんだが、俳優の演技に 磨きがかかっている。エドワード・フォックスの演じるジャッカルの動き を見よ。まさに Englishman なのである。図書館に入ってゆくときの足 の運びと上体の左右に大きくゆれる傾きを見てほしい。フォックスはこの 傾きを首筋にもとりいれた。それに対しフランス警察のミッシェル・ラン ズデールは誠にフランス人を具現化しようとしている。あの英語がフラン ス風の響きがあり、とても心地よい。その動作もフランスらしさがでてい る。フランスの男は手で顔を覆うような仕草をするのか、驚いたときに口 に手をかざすが、これは70年以上前に作られた「自由を我等に」のレイ モン・コルディによく似ている。そう言えば顔つきもランズデールはコル ディを少しハンサムにしたような風情である。そして、あの足音。この映 画、やたらに足音が目立つ(耳立つ?)。あたかも、一歩ずつドゴール暗 殺に近づくような趣さえ感じる。音楽の使い方もほとんど虚飾的なものは なく、現実音をふんだんに取り入れている。このころだろうか、今の日本 のソープランドを「トルコ風呂」と言っていたのは。この映画でもキーポ イントになるトルコ風呂は「ジャッカル」という名前にも共通するもので ある。jackal の語源はトルコ経由でイギリスに入ってきたペルシア語で ある。ペルシアといえば今のイラン。今のヨーロッパ、中東情勢を見て、 このキーワードが示すレアリティ、そしてこの映画がもつ深遠さを考える と、ただ過去のこととして葬り去るわけにはいかないようである。さすが フレッド・ジンネマン。
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[010]ザ・ヤクザ
 ハリウッド生まれの日本(的)映画魚篭2006-05-14
 【ネタバレ注意】
ハリウッドが作り上げた「日本人像」はかなり「本人」たちの失笑や反感を買って いる。「ラスト・サムライ」も賛否両論だし、安ッぼすぎてコメントも書けないと 憤慨?する御仁・・・
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ハリウッドが作り上げた「日本人像」はかなり「本人」たちの失笑や反感を買って いる。「ラスト・サムライ」も賛否両論だし、安ッぼすぎてコメントも書けないと 憤慨?する御仁もちゃんとコメントしている。ようするに、ハリウッド映画に出て くる日本人など鑑賞に堪えられない、と言いたくなるのであろう。 しかし、そういう人は一切見なければいいのです。超個人的なことを言ってしまえ ば「ハリウッド(=アメリカ)では日本人はどのように見られているのだろうか」と私を含めた自意識過剰気味なひとたちが鑑賞すればいいのである。間違った日本人像を映画にして世界中にばらまいている、と文句があるのなら、正式に抗議文を 書けばよい。ハリウッドの人が描く日本人像に対し少し違和感があっても、それは 当然のこと。しかし、日本人監督がとった映画だからまったく違和感がないなどと 言い切れるものではない。漫画チックな潜水艦と女が出てきたり、長髪男とデブが 戦闘機乗りの戦争映画には違和感どころのおとなしさでは片づけられない。 能書きが長くなったが、この映画はやや非日常的な匂いは感じられるものの、この 時代を考えればかなり日本人はよく描かれていると思う。第一、ヤクザという組織 そのものにフォーカスをあてること自体があまり日常的ではないから、ヤクザを引退した「田中」が剣道を教えていてもさして目をギョロつかせる違和感は覚えない が、どうだろうか?とにかく、それまでかっこ悪くしか描かれていなかった日本人 が、主役級のかっこよさを訴えだしたのが、この映画の魅力である。日本人は、そ れだけいっぱしに見られるようになったのだ。なにもアメリカの判断にもたれかかって日本人の存在を云々しようとするのではない。ただ、過去の戦争から這い上がってきた日本、そしてそれを支えてきた人々の苦労が映画を見ると同時にシンクロ 状態になってくるのだ。今の日本の世界的なポジションが当たり前だと思っている ひとには、到底理解できないことかもしれない。高倉健の勇姿は、日本復活の姿そ のものなのだ。渡辺謙の迫力は日本への尊厳、敬意そのものなのだ。そこまで成長 してきた感慨に耽るだけでも、ハリウッドの日本(的)映画は大きな役目を果たしている。 もう一つの思い入れ。高倉健の兄の役を演じたジェームズ繁田、なんとすばらしい バイリンガル俳優であることか。あの英語の台詞回しにはしびれる。日本語の台詞 も迫力があって、それはチョイ役だったが「ダイ・ハード」のタカギにもよく表れ ている。繁田さんは今でも英語を教えてくれる心の恩師のひとりだ。
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[011]アニー・ホール
 結局ウッディは日本で理解されていない魚篭2006-05-07
 【ネタバレ注意】
この映画は特にそうだ。いたるところにユダヤジョークがちりばめられているが、 イスラエルを除き完璧に母国と呼べる国がないユダヤ人の悲哀など、NYの異色ラ ブストーリーの延・・・
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この映画は特にそうだ。いたるところにユダヤジョークがちりばめられているが、 イスラエルを除き完璧に母国と呼べる国がないユダヤ人の悲哀など、NYの異色ラ ブストーリーの延長と考えているんじゃあ、理解できない。しかし、究極のとこ ろ、それはユダヤジョークと悲哀がわかる観客にしか通じないジャーゴンのよう なもので、この映画の真価はそれだけではないのだ。この映画は「語り合い」の 楽しさを教えてくれる。それを屁理屈だのと考えるのなら、言葉の要らないデー トですませばよいだけで、いずれそのような付き合い方は(おわかりでしょう?) 時間とともに飽きてしまう。確かにセックスは恋愛の重要な要素だろうし、この 映画でもそこに不備があると関係がきしむように描かれている。しかし、そこで 終わらないのがこの映画だ。アルビンのつかの間の彼女だったアリソンという人 物が「あなたはセックスを敵意のはけ口として利用している」とずばりもともと 愛情とは無関係のセックスがもうこの70年代で公然になっていることを描ききっ ている(おわかりだと思うが、風俗でのセックスでない)。ドラッグをやらない とまともにセックスできない人間がすでに多かったのだ。アレンはそれを彼なり に「不健全」としてとらえているところが面白い。そのくせ彼は精神安定剤とい う別のドラッグ漬けになっているところがウソをついていないアレンらしさであ り、ぐっと親近感を覚える。必死になって矢のようにさす他人の視線を恐れ、こ れも自分の生い立ちのせいではないか、と常に反証を繰り返す。これを一言でい えば、「自意識過剰気味」だが、これはほとんどの現代人が気をもんでいる問題 ではないか。30年以上も昔にアレンはその種を植えるばかりでなく、見事に開花 させた。 しかし、なんといっても面白いのは、英語のダイアローグである。日本語の字幕 では結局アレン映画の半分も理解できていない。ユダヤジョークは別としても、 この言語の壁はどうしようもない。言い換えれば、英語がわかるとアレンの映画 (だけではないが)は3倍にも4倍にも面白くなること間違いなしだ。「語り合 う」映画の醍醐味はこのような映画にある(恋愛小説家も英語がわからないとピ ンとこないシーンがいくらかある。あれも語り合いの映画だ。しかし、日本語字 幕が英語にあっていないところが多すぎる!そのせいで折角のシーンが台無しに なったところもあった。いずれ紹介してみたい)
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[012]隠し砦の三悪人
 映画から娯楽を抜けば何がのこるんだい?!魚篭2006-05-04
 【ネタバレ注意】
もう黒澤擁護派としてかなりあちこちに書いて着たが、映画館が続々と潰れるわけ がやっとわかるような気がしてきた。ひとつはビデオとDVDの出現である。わざ わざ高いお金を・・・
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もう黒澤擁護派としてかなりあちこちに書いて着たが、映画館が続々と潰れるわけ がやっとわかるような気がしてきた。ひとつはビデオとDVDの出現である。わざ わざ高いお金を払ってさほどきれいでもなく、スナックも高価な映画館に行くまで もない。映画館がデートコースになるのはもうほぼ消滅状態。それよりか、彼氏か 彼女のアパートによろしくお邪魔して、ちっちゃな画面で黄金時代の邦画を刺身の ツマほどに見ているようじゃ、先達の映画人は泣くに泣けない。本当に大画面で黒澤映画を見たことがあるのか、と聞いてやりたいよ。例によって、映画を愛する国 アメリカで観たのだが、その画面の張りときたら、アメリカ人の度胆を抜いていた んだな。歓声はいたるところで上がり、観客は完全に「隠し砦」のリズムにのって いたのを体感した。この映画がスターウォーズ的だって????いったいどこが? ルーカスは一見パクっているようにみえるけど、全然ちがう映画を作っている。 ましてや「虎の尾」のリメークだっていう御仁もいるが、この眼力は確かにすご い。ただ、黒澤は、終戦間際に作った「虎の尾」が成長し切れなかったので、つ まり未完的な部分があったから、さらに多くの観客に見てもらうため、贅沢にお 金と時間をつかったのだと思う。未完を完成にもっていきたいと思う映画人は他 にもいる。「ビルマの竪琴」をリメイクした市川監督がそうだ。黒澤は「醜聞」 をリメイクしたいと生前語っていたが、素材は時代というサイクルを回ってふた たびよみがえるもの。しかし、そんな内情はどうでもいい。画面に映ったものを みて感じればよいのである。この映画を大画面で見ていない人に言いたい。どう して黒澤が初のシネスコを撮ったのか?画面からイメージがはみ出すようにカメ ラが縦横に動いていたのか?答はかんたんでしょう。物理的なダイナミズムを映 画館で体験してもらいたかったからですよ。「あんな」群集を「あんなに」はみ ださせて撮る監督も他に例をみない。「生きる」のダンスホールをはるかに上回 る迫力だ。それを「生きるのリメークシーン」などと呼ぶ奴はいないと思うが、 いるとすれば、それまでの轍を超えなくてはいけないことを知らない、芸術とは 無関係の Whining でしかない。日本的であるかどうかを問う人も、何が日本的 なのかは至極個人的なことなので、アメリカの観客には関係なく、映画は大歓声 のもとに終わった。 この映画に出てくる俳優さん、すべていい。そういう意味でも珍しい映画だ。
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[013]虎の尾を踏む男達
 勧進帳?魚篭2006-04-28
 【ネタバレ注意】
黒澤がなぜ太平洋戦争終結の前後にこの映画を撮っていたか、よく考えずにあれ これと批評できたものだ。その時代にしか息づかない「水物」的要素をもった映 画であればこそ、映・・・
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黒澤がなぜ太平洋戦争終結の前後にこの映画を撮っていたか、よく考えずにあれ これと批評できたものだ。その時代にしか息づかない「水物」的要素をもった映 画であればこそ、映画は流動的であり、流れ去ってゆくものである。しかし、真 に芸術的なものは100年経っても流れてはまた戻ってくるものであろう。 この映画が100年後に残るかどうかは別として、50年以上経って絶滅の危機にあ ることはたしかだ。それはこの映画が非芸術的というより、いや、かなり芸術性 のある映画にもかかわらず、制作の背景を知らないものにとっては絶滅種と同じ 扱いを受けてしまうのである。黒澤は常にジャーナリスティックな目をもって映 画に取り組んでいるが、この映画も例外ではない。日本の戦局が絶望的になった 昭和20年、映画人たる黒澤の叫びは「日本を救う」ことに向けられていたのであ ろう。アメリカに勝つ、などと非現実的な盲信は黒澤にはない。日本は劣勢にあ ることを、他の大勢の日本人と同じく知っていた。この場を奪回しないと、日本 はなくなってしまう。その叫びが勧進帳という形をとっただけなのである。歌舞 伎を借りてきたのは、それだけ訴える力があったからであり、これは表現者とし ては当たり前の態度である。歌舞伎を借りたのは興行的に儲かる?よく考えてく ださい。お金儲けができる時代ではないのですよ。戦時中ですよ。軍部は戦意高 揚のために映画製作をしぶしぶ認めていた時代ですよ。厳しい検閲があった戦時 下なのですよ。それを考えず「黒澤もこの程度か」とは何事。あんなに劣悪な撮 影機材とフィルム、そして戦意高揚(軍部に100%協力的ではなかった)のため の素材を探したわけですよ。黒澤以外にあれほどマトモな映画を、いかめしい歌 舞の勧進帳をしかもあれだけ楽しく笑えるものに作り変えたのですよ。これは並 たいていの才能ではできるものではありません。出演者のひとりであった富樫を 演じた藤田進に「勧進帳を完全に手玉にとっている」とうならせたほど。黒澤は 一度大ミュージカルを作ってみたいと言っていたそうだが、この作品が最初で最 後のミュージカルとなった。その音の繊細さと画面の切ない揺れ。例によってア メリカで見たわけだが、山中をしずしずと勧進するも実は身を伏せているこの様 は、四方を敵に囲まれた日本軍のインパール戦にも似た、誤解を招くかもしれな いが、一種の「悲壮美」を感じた。 黒澤だからできた映画なのだ。それは後年の彼の映画を見れば、この作品がただ の凡作に終わっていないのがよくわかる。まあ、黒澤ぎらいを省いての話だが。
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[014]地上(ここ)より永遠に
 通俗的?魚篭2006-04-21
 
この映画を時代背景が特殊な、一過性の通俗ドラマと考えるムキがあるようだ が、これほどアメリカ人の堅くなさを描いた映画も少ないように思う。真珠湾 攻撃は寝耳に水で、平穏・・・
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この映画を時代背景が特殊な、一過性の通俗ドラマと考えるムキがあるようだ が、これほどアメリカ人の堅くなさを描いた映画も少ないように思う。真珠湾 攻撃は寝耳に水で、平穏なアメリカ人の生活を「ジャップ」がかき乱し、健全 なるアメリカ人正義魂を昂揚させる結果となる・・・これはつい最近、いや今 でもあるアメリカ人魂の鏡ともいえるのですよ。9.11の反応はまったく60 年以上前のパールハーバーと同じなのだ。自分の頭の上に原子爆弾は絶対落ち てこない、と信じるアメリカ人が多かったことを考えると、その頑固がよくわ かる。 アメリカ人同士でいがみ合っている問題というのもかなり本質をとらえている。 イタリア人であるシナトラのマジオは、移民問題のシンボルであるし、当時とし ては完全に「風俗」を描き切れなかった事情もあり、「ニューコングレス・クラ ブ」という上流階級を相手にするような「遊び場」が登場するが、あれは完全な 「売春宿」のカモフラージュである。そののち、パールハーバーを主題にしたド ラマがいくつも作られたが、たいがいは兵隊と娼婦の絡みが「解禁」とともに流 出した。 一過性といえばそうかもしれない。しかし、ギリギリの線まで迫って描いた名匠 フレッド・ジンネマンの腕は冴えわたっている。現代の表現の枠でジンネマンが 撮ったら、間違いなく問題作ができると思う。そして、おそらくパールハーバー も、アメリカ人魂を一つにさせるような対外的要素として同じように描かれるで あろう。アメリカ人が日本人を「ジャップ視」している限り、日本人の描かれか たは、「戦場にかける橋」と同じように刺身のツマでしかないのだろう。はやく 本物の日本人らしさをアメリカ映画で見たいものだ。
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[015]回転
 職人ジャック・クレイトン魚篭2006-04-21
 【ネタバレ注意】
この映画の邦画タイトルがなぜ「回転」なのかよくわからないが、原題は「無垢 な者たち」であり、演出は職人ジャック・クレイトンである。作品数の極限られ たなかで、ひときわ・・・
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この映画の邦画タイトルがなぜ「回転」なのかよくわからないが、原題は「無垢 な者たち」であり、演出は職人ジャック・クレイトンである。作品数の極限られ たなかで、ひときわ光を放つ作品だ。例によってアメリカでみたが、この作品と 同時に上映された「外套」という短編も興味深い作品であった。なにか職人的か といえば、カメラワークである。「回転」の随所にみられる、子供が見知らぬ世 界を目の当たりにしたとき、大人よりものの本質に迫り恐れおののくような画像 を描いている。私は3才のころ、春先の松林が怖くて仕方がなかった。すべての 松がだらりと枝をたれ下げ、見てくれとばかりにくねらせた幹に巻かれた藁が着 物を来た女の化け物に見えて引きつるような緊張を空気に感じたことがある。こ の映画の幽霊を見たとき、ふとそれを思い出した。だれも叫んでいないのに悲鳴 を感じた。 音。これほど怖いものはない。この映画の見せ所は、風に揺らぐ恐ろしいほどの 高さの木立や、醜い顔をした天使の口から這い出る虫けらもそうだが、なんと言 っても「音」だ。「アザ―ズ」がリメイクという話より、「エクソシスト」で使 われた音の効果は、「回転」が先駆なのではないかと思う。本数は少ないが、一 本が玉のように光っているジャック・クレイトンの秀作だ。
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[016]素晴らしき日曜日
 素晴らしき(昔の)日曜日魚篭2006-04-13
 【ネタバレ注意】
もう、こんな日曜日は現代に見ようと思っても無理。だから、その時代に合わせ て鑑賞しないと「古い映画」を見たということ以外、残るものは残念ながら少な い。まして昔のラブ・・・
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もう、こんな日曜日は現代に見ようと思っても無理。だから、その時代に合わせ て鑑賞しないと「古い映画」を見たということ以外、残るものは残念ながら少な い。まして昔のラブロマンス系である。今井正監督の「青い山脈」にしてもそう だ。いまどき、あんなラブロマンス、ない。恥ずかしくなってしまう。でも、当 時あの映画は爆発的ヒットをとった。その時代でなければ胸をキュンとときめか す要因が見つからないのであろう。しかし、この「日曜日」で、主人公が抑えき れない欲情を彼女に訴えて、それに応じようとする「狭間」は今でも見られると 思ったが、やはり古すぎるだろうか?少なくとも第一次ベビーブームの中で産声 をあげた私にはよくわかるのだが。
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[017]醜聞〈スキャンダル〉
 名作ではないが佳作魚篭2006-04-12
 【ネタバレ注意】
よほど世間には黒澤嫌いがいると見え、これは今も昔もかわらないようだ。とく に「玄人」の中に黒澤アレルギーを持つ人が多いように感じられる。あるシナリ オ作家など、「生き・・・
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よほど世間には黒澤嫌いがいると見え、これは今も昔もかわらないようだ。とく に「玄人」の中に黒澤アレルギーを持つ人が多いように感じられる。あるシナリ オ作家など、「生き物の記録」「八月の狂詩曲」を評し、「原爆に対する黒澤の 悪い癖」などとまるっきり具体性に欠く評論を雑誌に書き起こしている。こんな 批評を読まされる読者こそいい面の皮だと思う。 黒澤の作品にとどまらず、人の作品を「駄作」だの「凡作」だのと言い出しっぺ ではなく、ちゃんと読者としては批評の出所をはっきりさせてほしいものだ。こ の「醜聞」にしても賛否両論だが、黒澤映画の面白さを引き上げる役目をしてい ても、品位を引き下げるような作品では決してない。まして映画要素がまるでな い、という批評も説得力に欠く。あの作品での映像(そして音楽!)はそれまで の映画には見られない斬新な空間処理を施していると思われる。冒頭の写生シー ンで使われた近景、遠景のカットに空間を感じさせる早坂文雄の和音、続いて山 口淑子の声が重なる。「恋はオートバイに乗って」と見出しのついた週刊誌がつ いたての壁にいっぱい、記念碑のごとく貼り付けてあるのも後年「どですかでん」 のろくちゃんの絵を思わせる絵画的なシーン作りになっている。後半の法廷シー ンに至っては、そのあとの「羅生門」の検非違使を思わせる尋問を受ける人間の アップ。マイクロフォンの突き出し方、初期の黒澤作品にはよく見られた脇役陣 達のアップが面々と続く飲み屋のシーン。名作ではないかも知れないが、心地よ い佳作だと見た。
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[018]
 再び画家黒澤明魚篭2006-04-08
 【ネタバレ注意】
影武者以降から黒澤は昔の勢いを失ったなどと何も考えず素直に(?)意見する 人を特に咎める気はないが、ひとつだけ言うと、それ以前、いや、デビュー作で ある「姿三四郎」か・・・
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影武者以降から黒澤は昔の勢いを失ったなどと何も考えず素直に(?)意見する 人を特に咎める気はないが、ひとつだけ言うと、それ以前、いや、デビュー作で ある「姿三四郎」から賛否両論であったことを考えると、特に黒澤が「衰えた」 わけでもなんでもない。それは、80歳になったピカソに「青の時代」の絵を描い てくれと、回顧主義とも素直に受け取れない、珍妙な注文に等しい。ただ、よく 映画評論家や若手の監督が言うように、デルス・ウザーラ以降、テーマが変わっ たかに見えるのは確かである。ご当人の映画に対する妥協なき演出ぶりは健在で あるが、この映画から感じたことは、「もう評論家に対抗して『どんなものだ』 と力ずくで見せつけるような堅さ」がなく、自由奔放に好き勝手にスケッチをほ どこし、すきな分だけ着色し、画廊に飾って鑑賞者の反応をいちいち気にする、 というよりは、自分の部屋に無造作なほど「ぶら下げられた」作品に仕上がって いる。ここまで勝手に描かれると、かえって気分がよい。画面からはみ出て線が 伸びているような話もある。黒澤本人が言うように、やっと自分の思うような絵 が定着してきている、と。そのあたりは「どですかでん」にも共通するところが あるのだが、あれは山本周五郎原作、こちらは本人が見た夢。あきらかに前者の ほうに束縛感がついてきてしまう。予算の都合で出来なかったお話も見たかった が、予算以外いろいろな意味で撮影にはいたらなかった。一般受けしなくても、 たとえ助監督が「なんでこんなにナンセンスなシーンを!」と思っても、注文を つけられた俳優が唖然としても、観客を小ばかにしたような内容でも、それが黒 澤本人の「描きたいこと」であれば、ウソのかけらもなく描ききってほしかった ものだ。他の作品に多少ながらの「遠慮」があるところをみると、この映画は、 まったく遠慮とは無縁の映画として、かなり貴重な作品だといえよう。それにし ても、あと残りの4話は見たかったなあ。
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[019]生きる
 黒澤のオリジナリティ魚篭2006-04-07
 【ネタバレ注意】
黒澤映画のベスト作品をあげよと聞かれて困ることがある。ベスト5でも困る。 映画監督が命がけで映画を撮る限り、駄作というものなどないからだ。全身全霊 をかけて作り上げた・・・
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黒澤映画のベスト作品をあげよと聞かれて困ることがある。ベスト5でも困る。 映画監督が命がけで映画を撮る限り、駄作というものなどないからだ。全身全霊 をかけて作り上げたものに優劣などつけようがない。世間ではこのことがどうも わからないようで、見るものの好みだけでいいだの悪いだの能書きをたれる。し かしあえて言えば、いまのところ「生き物の記録」が私のベストで、この作品は 後の「赤ひげ」と同じ、それまでの作品の「集大成」のような作品に仕上がって いる。しかし、「生きる」や「七人の侍」なくして「生き物の記録」は存在しえ ないのだ。 程度の低い能書きをたれてしまった。あえて黒澤の履歴を見てゆけば、後になる ほど映画の進展ぶりがめざましい。 それは一度使った方法論をそのまま使ったこ とがなく、使うにしても、その都度創意工夫があったと聞く。 この「生きる」は「七人の侍」の前に作られたが、ここで試された実験はすべて 後者に応用されている。「生きる」は「羅生門」の体験からあり得た映画という ことになるだろう。この作品の美しいところはいろいろあるが、特に通夜の席で 語られる同僚の回想シーンは絶品である。したたかに酔った役所の人間が伝染病 にでもかかったように次々と思い出を語るが、そのひとつひとつが実に雰囲気を もっている。とくに好きなのは、遠く鳴り響く蒸気機関車の警笛の音を聞きなが ら、夕焼けを見上げるシーンだ。白黒なのに、夕焼けを感じた。黒澤のセンシテ ィビティは、あの空の下で点いている街灯の光だ。あの一点で夕焼けの色を出し ているのだから、恐れ入る。それに、空間を感じさせる警笛の音。黒澤の真骨頂 だ。それから、公園の突貫工事を見に来たときのシーもいい。工事の振動(この 音が凄く響く!)でよろめく主人公を近所のおばさんたち(菅井きんがいい)が かけより助ける。アルミの柄杓に水を張り、飲ませる。その柄杓の水に太陽の光 が反射してゆらゆらと主人公の顔を照らすのだが、これが美しい!個人的には、 「生きる」のイメージ写真をこのシーンのこの志村さんの顔にしてみたいと思う のだが。まぶしいほどの空をバックに、まぶしく公園の建設を見つめる志村さん の顔は映画史に残る、恒久感のある顔だ。このような顔は最近映像で見ない。と にかく、どの映像も「羅生門」を進展させたものばかりだ。 この映画について語ることはありすぎる。うまくデフォルメされているから出て くる人物はすべてリアルだ。匂いまで感じる。袖をまくる千秋実、やけくそにタ バコを吸う田中春男、体全身でイヤミさをうったえている助役の中村伸郎、人に わざわざガンの諸症状を説明する渡辺篤、アル中作家の伊藤雄之助...今これだ けのキャラを集めることはできない。黒澤本人が生前もらしていたように、その ような「顔」がないのだ。 しかし、韓国版の「生きる」についている英語字幕はちょっと...。主人公の息子 の「光男」が "Kong"ですよ!これじゃ、まるでサル同然じゃないですか。どうし て "Mitsuo" と書けなかったのか、理解に苦しむ。
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[020]二百三高地
 主題歌を問う魚篭2006-04-03
 【ネタバレ注意】
いつのころからか、映画の中で「ヴォーカル」が威張り出した。ほとんど場面と 関係ない歌が切々と流れる。これは映画だけに限ったことだけではない。先年の 夏、ある夜のニュー・・・
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いつのころからか、映画の中で「ヴォーカル」が威張り出した。ほとんど場面と 関係ない歌が切々と流れる。これは映画だけに限ったことだけではない。先年の 夏、ある夜のニュース番組が、知られざる広島・長崎の被爆未公開フィルムを流 した。その際、とある沖縄調の歌が伴奏につけられたが、その不協和音なこと。 歌はポピュラーなもので、そのよく耳にする通俗性が被爆状態を同じ通俗的なも のに引き下げたかのような、おぞましさを感じた。それからじわじわと怒りがこ み上げてくるのである。あまり悪口は書きたくないが、かつてアーティスト達が 一緒になって "We are the world" を歌い上げた、あの雰囲気に似ている。歌 って、収入益を募金すればそれでよいのかもしれないが、あまりにも高みにそび えたち、"We" と叫べば叫ぶほど、その「私たち」は「不幸な人間」を除外し、 「幸福な人間」のみを含んだ排他的な音に聞こえてくる。とても残酷である。 この映画は邦画の中でもひときわ冴え渡った映画になっている。しかし、音楽が どうしようもなく、これも悪口だが、レベルを下げてしまっている。さだまさし は「うれしく」歌っているわけではない。悲しげに切切と歌っている。そこが偽 善的なのだ。あの戦争を経て、苦い経験をしながらその後の飛躍的発展を遂げる 日本。国を思い支える民衆の思いを歌い上げたのだろうが、それは観客が胸にし みじみと感じる大切な部分なのである。それを勝手に横取りして、ひとりで悦に 入りながらペラペラ語られると、それまでの映画余韻がぶち壊しだ。これはなに もこの映画に限ったことではない。あまりにもぶち壊し音楽、エンドタイトルが 多すぎる!名曲を入れれば画面がもつ、などと考える演出家(おそらくいないと 思うが)だったら、さだまさしの代わりに「神田川」を流したかもしれない。ど うにかしてほしいよ。
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[021]どですかでん
 監督がそういうなら魚篭2006-03-17
 【ネタバレ注意】
監督がそういうなら、この作品はおろかすべての黒澤作品が駄作になる。 監督本人、特に黒澤監督は妥協を許さないが故に「トラトラトラ」が演出 不可能になった。完成された作品・・・
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監督がそういうなら、この作品はおろかすべての黒澤作品が駄作になる。 監督本人、特に黒澤監督は妥協を許さないが故に「トラトラトラ」が演出 不可能になった。完成された作品は「白痴」のように会社との決戦の末、 やむなく半分に切り落としたような作品を除き、監督がオーケーを出した ものばかりだ。その中に「駄作」など本質的にあるわけがない。あると思 うのは、黒澤を型に押し込めようとしてできないでいる鑑賞者の不理解に しかすぎない。監督を含む映画製作者をそだてようと思えば、作品に新た な価値観を見出すのが見るものの身嗜みというものではないか。それを期 待して製作者は作品に挑むものではないか。 この作品はまさに「絵」である。フイルムに直に絵の具を塗ったような映 画に仕上がっている。その点、自由奔放な、野放しな無邪気さに思わず私 は見とれてしまう。色自体にそんな技巧は凝らしていないようだ。パレッ トの上で丁寧に絵の具を混ぜてカンバスに塗る、というよりは、いきなり 原色と補色をフィルムに塗りたくったような面白さ。人間の顔まで塗られ ている。これも黒澤しか出来ないデフォルメ。小津や溝口がどんなにあが いても、ヌーベルバーグの騎手達がどんな理屈をこねても、この黒澤をい くら否定しても、かなわない。一歩踏み込みすぎると、ホラー系の映画に も仕上がりそうなモチーフを程度よく抑えたと思う。黒澤グリムというの も面白かったかも知れぬ。しかし、「トラトラトラ」の挫折からよく這い 上がって映画を作ったものだ。このあと再び巨星は消滅の運命を危うくた どるところだったが、見事光をとりもどした。黒澤さん、ありがとう。
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[022]鷲は舞いおりた
 映画を知っている監督魚篭2006-03-08
 【ネタバレ注意】
黒澤明が「影武者」を発表した時、いつものことだが賛否両論がつむじ風の ように舞う。賛成派に「一級娯楽大作は芸術作品だ」というような声があが ったのを覚えている。こちら・・・
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黒澤明が「影武者」を発表した時、いつものことだが賛否両論がつむじ風の ように舞う。賛成派に「一級娯楽大作は芸術作品だ」というような声があが ったのを覚えている。こちらも賛否両論の多い作品になっているが、あえて 一昔の声を拡声器を通して訴えてみたい。「一級娯楽大作は芸術作品だ」と。 これには異論を唱えるひとが多く出てくるだろう。しかし、もうひとこと言 わせていただきたい。ジョン・スタージェスは芸術作品を作り損ねたかもし れないが、この作品は映画が何たるかを知っている人がメガフォンをとった ものになっている。映画のリズムを知っている。改善の余地はあるにしても 音楽の入れ方を知っている。今時の日本映画に出てくるヴォーカルで終わる 漫画映画のごときは出る幕ではない。 ドナルド・サザーランドのファッションに圧倒された。あの佇まいと笑顔。 いまでもあのファッションが自分の基礎になっている。ピー○がけなそう が、ド○小○が嘲り笑おうが、自分にとっては最高のファッションだ。
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[023]赤い風船
 窓の外はパリ魚篭2006-03-07
 【ネタバレ注意】
小学生によく見せるらしいと知ってなるほどと思ったが、大人に見せると、 これもなるほどと膝をうつ。特にキリスト教を母体とする人間にとって、 これはある意味をもつものらし・・・
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小学生によく見せるらしいと知ってなるほどと思ったが、大人に見せると、 これもなるほどと膝をうつ。特にキリスト教を母体とする人間にとって、 これはある意味をもつものらしい。 主人公の少年と風船は丁度イエスキリストを母体にしているとある知人は 語ってくれた。少年がラスト近く入り組んだ狭い道の中を風船と共に逃げ 回るシーンが続くが、それは処刑されるキリストの姿をダブらせているし、 その途中、老婆が追う子供たちをさえぎるが、これもキリストの最後にで てくる逸話だと語ってくれた。風船は悪童により踏み潰されてしまうが、 そこで「奇跡」が起こる。復活である。パリ中の風船が少年のもとに駈け 寄り集まってくる。風船につかまった少年はパリの空へ消えて行くが、こ れもキリストの奇跡をダブらせているのか。 そのような解説は小学生にはまったく不要である。はじめてスクリーンで 見た映像。風船の赤と黒いパリ。青い空。小学3年生だった私は映像に引 き込まれ、少年と自分が同じ人間になったような気がした。 暗かった講堂を出て、浅井君と肩を組みながら教室へ戻った。廊下外側の 縦長の大窓からふと外を見る。澄み切った空にはエッフェル塔とは程遠い 風呂屋の煙突しか見えない。しかし、ふたりは同時にこう思った。 「アイツ、どこへ飛んでいったのかなあ」 風呂屋の煙突でも、僕たちには「窓の外はパリ」だった。
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[024]蜘蛛巣城
 黒澤時代劇三部作の雄魚篭2006-03-03
 【ネタバレ注意】
「隠し砦の三悪人」を取り上げたとき、黒澤は「蜘蛛巣城」「どん底」とこの 作品を合わせ「時代劇三部作」と呼んだ。しかし、他にも名作として今に残る 時代劇は他にもあり、黒・・・
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「隠し砦の三悪人」を取り上げたとき、黒澤は「蜘蛛巣城」「どん底」とこの 作品を合わせ「時代劇三部作」と呼んだ。しかし、他にも名作として今に残る 時代劇は他にもあり、黒澤の手腕は時代劇の黒澤として世界に名を轟かせてい る。その中でも、この作品は欧米でトップに輝く作品だと賞されている。娯楽 性に富む「七人の侍」や「隠し砦」とは違い、純粋芸術としてあがめられるの が「蜘蛛巣城」と「羅生門」である。英会話にいそしむ若者よ、頼むからもっ と日本のいい映画をもっと見てくれ。外国は連ドラやジャニーズ系やモームス 系にはなんの「日本美」をも見出していないのです。 今の映画関係者やタレントは一部をのぞいてあまりにも勉強不足だ。古きよき 日本映画について何も知らないから、今の若者も知らないままでいる。英会話 学校にやってくるおっとり刀の若者も映画や芝居のことについて知らないため、 折角のネイティブスピーカーの話題に全くついてゆけない有様なので、会話に 深みを感じる前にクラスは終わるのだ。英会話にいそしむ若者よ、頼むからも っと日本のいい映画をもっと見てくれ。外国は連ドラやジャニーズ系やモーム ス系にはなんの「日本美」をも見出していないのです。くやしかったら、そっ ちの方面で頑張るしかないのですが、私はここ30年近く欧米の様相をうかが ってきていますが、日本の軽いのはダメみたいですねえ。キムタクは女にしか 見えないらしいのです。 とにかく、骨太の映画を見てください。
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[025]カオス・シチリア物語
 なぜこのような作品が未公開なのか魚篭2006-03-03
 【ネタバレ注意】
例の如く、アメリカで見た。それあらあの物悲しい音楽が耳からはなれなかった。 これだけでも名作。日本映画のバックタイトルに流れる映画と全く無関係のヴォ ーカルは漫画以下・・・
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例の如く、アメリカで見た。それあらあの物悲しい音楽が耳からはなれなかった。 これだけでも名作。日本映画のバックタイトルに流れる映画と全く無関係のヴォ ーカルは漫画以下の代物だが、少しはこの作品を見習ってほしい。(思い出した が、203高地の『さだまさし』はいただけない。旅順攻略と何の関係があるの か!)イタリア語はラテン語が基本となっているから、まさにオムニバスとはこ の作品のこと。見る者の想像を超越する芸術性、映画がこの域(粋)までくるの は珍しいことだ。なぜ日本では未公開になったのか?はっきり言おう。それだけ 目利きが少ないということなのだ。だから日本映画は衰退し続ける。作る人間も、見る人間も。とにかく、もっと多くの日本人が見るべき映画。
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[026]戦国自衛隊
 一体何を描きたいのか魚篭2006-02-25
 【ネタバレ注意】
この作品のちょうど翌年、黒澤明の「影武者」が公開された。当時、黒澤は 「自衛隊の出る時代劇なんてねぇ…」と呆れた表情だったが、それ以上に呆 れてしまった。別に影武者と・・・
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この作品のちょうど翌年、黒澤明の「影武者」が公開された。当時、黒澤は 「自衛隊の出る時代劇なんてねぇ…」と呆れた表情だったが、それ以上に呆 れてしまった。別に影武者と比較するつもりではないが、同じ戦国時代が舞 台になっているので比べざるを得ない。 影武者は散々酷評をうけた。長篠の合戦で騎馬が一騎たりとも落馬しない、 口の悪い評論家によれば「軽騎兵隊」が画面を通過しただけの映画だった とこき下ろす。そのせいか、音楽担当であった佐藤勝が降りたのどうのと グダを巻きつづける。そうかも知れない。しかし、黒澤が描きたかったの はアクションというより、武田軍の重鎮が放つ「丸太をゴロッと転がした」 ような威風堂々たる人間の様であったはずなのだ。その点、黒澤はなかな か演出に苦労したとはいえ、その八割は出し切ったと思う。 ところが、この映画の人間を見てくれ。どこにも威厳が感じられない。自衛 隊の連携の取れなさだとか、弓矢の前にへんに崩れてしまうというものは、 単に映画的演出の興味を幾分そそらせるもの以上のなにものでもない。 日本映画よ、もっと人間のスゴミを描いてくれ!
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[027]十二人の怒れる男
 ぜひとも女性を入れたリメイクを!魚篭2006-02-19
 
密室なのに飽きささない、申し分ない演技、ドラマの展開がすばらしい、とよく 指摘される部分は同じように思いますが、あまり指摘されていない点をあげたい と思います。まず、・・・
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密室なのに飽きささない、申し分ない演技、ドラマの展開がすばらしい、とよく 指摘される部分は同じように思いますが、あまり指摘されていない点をあげたい と思います。まず、シナリオもそうなのですが、「台詞」がいい。これは字幕や 吹き替えではなく、オリジナルの英語の台詞が抜群にいいのです。あの時代です から卑猥な言葉は映画で使われていません。でもそれをちらりと覗かせるような 言い回しや、「英会話学習においてまったく支障ない」単語ばかりを並べても、 語の組み合わせであんなにパワフルな英語を知ることができるのです。 学校英語をバカにする人は大勢いますが、でてくる単語はとても重要なものばか りで、日本の高校生の英語で十分理解できる映画なのです。 私はテープに落として最低300回は聞いてその英語を楽しみました。今も継続中 です。個人的には e.g マーシャルの針の先で突くような鋭い英語にホレていま す。吹き替えでもかなり楽しめる映画ですが、時にロバート・ウエッバーがはな つあまり面白くないジョークも、英語で聞くと「まともな冗談」に聞こえてくる ので、あの陪審員室にアットホームな明かりがパッとさして心地よい。カメラに 映るのは単数複数の人間が入れ替わりますが、集団のカットでは必ずみんな勝手 なことを画面のあちこちで繰り広げるので面白い。本当に自然です。アメリカで 見ず知らずの人を交えた「会合」には数え切れないほど出席しましたが、本当に あんな感じがしますね。できれば、12人全員が男ではなく、その半分を女性にし て新しい「12人の怒れる人々」を作って欲しいと願いますが、結局は二番煎じに なってしまうのでしょうか・・・。英語学習には必須の作品のひとつ。
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[028]雨月物語
 もっと賞賛されるべき映画魚篭2006-02-04
 【ネタバレ注意】
時代と共に名作が佳作、ひいては凡作と見られてしまうのは仕方のないことな のか。別にフランス人の映画感をひいきするわけではないが、この物語はフラ ンス人が見る日本映画の・・・
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時代と共に名作が佳作、ひいては凡作と見られてしまうのは仕方のないことな のか。別にフランス人の映画感をひいきするわけではないが、この物語はフラ ンス人が見る日本映画のベストに入る作品になっている。外人が見るのは日本 人が見る要所と違う、といえばきりがない。浮世絵がフランスで賞賛され、逆 輸入されてから、よっこらしょと腰をあげる態度は辟易とするが、外国人が褒 める映画のどこがいい、と偏屈になっても埒があかない。 今回で何度目になるか、また田中絹代の最後の「声」で泣かされてしまった。 今回は耐えてみせる、と丹田に力をいれたにも関わらず、まけた。フランス人 はこの映画のどこがいいと言っているのか聞いた事がないので判別しかねるが 田中絹代には参ってしまう。 溝口の映画はこのゆったりとした長回しのワンシーンがもっとも魅力的だ。頑 固なまでに動かないキャメラ。動いているのはその前にいる俳優だけだ。しか も悶絶しながら動くというシーンが珍しくない。この独特な溝口節を嫌う人が いるが、老婆心の上で言ってみると、もっと溝口作品を見てみるといい。「残 菊物語」や「祇園姉妹」「近松物語」「好色一代女」という彼の代表作をみれ ば、「雨月物語」はまだテンポあるほうだ。しかし、この頑固なほどまでの撮 りが溝口の真骨頂なので、小津や成瀬、黒澤の要素を見るわけにはいかない。 今度フランス人に会ったら「UGETSU」のどこがいいのか聞いてみよう。
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[029]東京物語
 羅生門に続く日本映画の模範魚篭2006-01-31
 【ネタバレ注意】
1950年代は日本映画の黄金期だったと、この映画を見てさらに痛感した。はじめ て見たのは例のごとくアメリカでだったが、観客は的確に反応した。原節子の美 しさに見とれるアメ・・・
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1950年代は日本映画の黄金期だったと、この映画を見てさらに痛感した。はじめ て見たのは例のごとくアメリカでだったが、観客は的確に反応した。原節子の美 しさに見とれるアメリカ人は少なくない。数々の映画に出ている原節子だが、こ の映画は私見だが絶品だと見た。そのおさえてもほとばしる魅力はどうしようも ない。とくに、映画終盤になり、死んだ良人のことをよく忘れていることがある と自分を儀父母の前で戒めるシーンがあるが、あれは間違いなく、他に恋人がで きて逢引きでもしている、それを正直に言いたいが言えないし、良人の死後ひと りで女盛りを惜しんでいるわけでもない、とジレンマに苛まれる苦悩をあれだけ 短い時間で演技している。最高。 小津作品にはときとして、当時にしてはエロティックな表現を日常のなかにいれ ながらドキリとさせるところがある。父親が息子に向かって、 「おまえ、子供はできないようにしているのか?」 「ええ、まあ」 という具合だ。また夫婦の会話で、 「わたし、できちゃったのかな」 「なんで?」 「だって、来ないんだもの、今月」 「え?ああ、そうか。そんなはずないんだけどなァ」 「だって白粉のつきがわるいんだもの」 「・・・そんなはずないんだよなァ」 「だって、どうしようもないじゃないの」 「・・・そんなはずねぇんだけど」 と自分に向かって「思い出しながら」語る。これはかなり露骨な表現だけど、 今の若い人には恐らくピンともこないだろうし、わかったとしても、その奥ゆ かしいところはわからないだろう。 小津節といわれるあの独特な言い回しも、この映画では自然に落ち着いて味が ある。役者全員がいい。こんな見事なアンサンブルも世界映画では珍しい。と にかく、この映画は老人が主役となったロードムービーの先駆になり、世界の 監督たちをうならせた功績だけでも映画史に燦然と輝くのだ。
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[030]酔いどれ天使
 黒澤は常に時事的である魚篭2006-01-14
 【ネタバレ注意】
よく黒澤映画評論に見られることだが、人物描写が甘いだの、感情移入ができ ないだの、主観を語るのはわかるが、ちゃんと説明をしてほしいとおもうとこ ろがある。あの今村昌平・・・
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よく黒澤映画評論に見られることだが、人物描写が甘いだの、感情移入ができ ないだの、主観を語るのはわかるが、ちゃんと説明をしてほしいとおもうとこ ろがある。あの今村昌平が唯一二度見た映画がこの「酔いどれ」であった、と 語っているが、その今村もやはりバタ臭かったと正直に感想を漏らしている。 しかし、この今村の「バタ臭い」表現はよくわかるのである。映画の公開当時 芸者を連れていっしょに見た映画、と独白録にあるが、その時代感からすれば 「バタ臭い」はよく理解できる表現だろう。 黒澤の映画はすべて「時事的」といっていいほどジャーナリスティックな部分 がある。その時代をくみとらないと理解しにくい部分がある。いかに悠久不変 なるテーマをその時事性からつかみとろうとしても、「終戦直後」をまったく 知らない人間に闇市の雰囲気はとかくつたえにくいものであると思う。飢えた 経験がないと飢えがどんなに苦しいか、わかったものではない。 しかし、黒澤映画にはそのような固有な経験を越えた共有できる部分がある。 いや、経験していなくても経験したような気持ちにさせてくれるのが芸術とい うものであろう。それをこの映画も発揮しているような気がする。 バタ臭いというが、本当にバタ臭い時代だったのだ。 それを知らず黒澤映画を語るのは自由だが、踏み外しもいいところだといいたく なることがある。黒澤映画は常に「道徳」的で、「観念」的で、説教くさいと批 判しながらも、完璧な映画完成度を期待している。それはあたかも道徳的でなく 観念的でなく、説教くさくなければ、かなり完成度は高いものだと仄めかしてい るように思えてならない。志村喬の医者が説教くさいというが、昔の医者は説教 してナンボのものだったんだよ。医者から説教を抜くともう医者じゃないみたい なところがいいのだ。 説教くさい医者、バタ臭いやくざ、手ごめにされたのにまたそのやくざに会おう とするアホな女、これみんな時事なんだ。その当時そのままなんだよ。ただ、あ の中北千栄子の役は、本当はもっとアホな役にしてもよかったのだなあと思う。 が、あまり映画にリアリティを盛り込むのも食傷気味になりかねない。実際あの 医者は堕胎専門で、客は(患者ではなく)ほとんどパンパンであった。おそらく 中北の役はパンパンでもよかったのだが、やくざの元女になっていた。黒澤の計 算が狂ったとするならば、(けしてそうは思わないが)黒澤本人が言うとおり、 三船が主人公の志村を食いかねない勢いを抑えきれなかったことと、この中北の 描き方かも知れない。(とは言っても、あれはあれでよかったと思う) まあ、古い映画を見るときは少し勉強してからのほうがいいかもしれない。
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