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 「幻巌堂」さんのコメント一覧 登録数(159件)rss
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[001]スピード・レーサー
 徹すれば何かが見えてくるのか。幻巌堂2008-07-04
 
 元ネタの「マッハGOGOGO」はほとんど知らないのだが、レース中に死んだとされる兄の遺志を継いで、汚れたレース界の変革を目指して、大企業の仕掛ける罠に敢然と挑むスピード・・・・
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 元ネタの「マッハGOGOGO」はほとんど知らないのだが、レース中に死んだとされる兄の遺志を継いで、汚れたレース界の変革を目指して、大企業の仕掛ける罠に敢然と挑むスピード・レーサーのお話。「マトリックス」シリーズのウォシャウスキー兄弟らしく、全編にCGが活躍する。ピンボールマシンと見紛うような、眩いくらいにライトアップされたCGのサーキット場に、実物のレースカーが飛び交う。実写というよりは、むしろレーシングゲームを見ているようだ。  室内以外ほとんどがCGで構成された背景は、マンガ的といえばいえるし、チープといえばかなりチープな感じが漂う。登場人物も、スピードとその家族、恋人のトリクシー、トーゴー兄妹に、RI社社長と、謎のレーサーXまで、すべてが無機的なマテリアルというか、二次元的にカリカテュアライズされているが、これはウォシャウスキー兄弟が作為的に行った演出に違いない。こういう見せ方は、少しでも中途半端な部分が見えると、観ている側が一気に醒めてしまい白けてしまう怖れがあってかなり難しいと思われるが、ウォシャウスキー兄弟はほぼ完璧に仕上げている。だからこそ、弟スプライトルと相棒チムチムの大ボケやママのパンケーキにも、思わず笑いがこみ上げるのだ。  ただし、登場人物の体温が全て消えてしまうと、人物も含め全編CGでもいいじゃないかということになってしまう。そこを上手く救っているのが、ママ(スーザン・サランドン)やトリクシー(クリスティーナ・リッチ)のトボケた味わいだといえる。とりわけ、黒髪のクリスティーナ・リッチのコケティッシュなセクスアピールは思いのほか魅力的だし、小柄ながらピンクのミニドレスがピタリとはまって、ほんとにいい感じだ。  興行的にみれば、本国でも欧州でもアジアでも失敗作ということになるようだ。しかし、作品的にみれば、決して失敗作ではない。できるなら、もっと全編チープに装ってほしかった気さえするこの作品。多大な製作費からはそうもいかないだろうが、装いのチープさを突き詰めてゆけば、そこからまた新たな映像表現が見えてくる気がする。そうした表現におけるチープさこそが、どんどん進化を遂げるVFX映像の裏にある危うさをはからずも曝け出すことになるからだ。そんなこと、ウォシャウスキー兄弟は、すでに承知済みなのかもしれないが。
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[002]クライマーズ・ハイ
 目を覆いたくなるテキトーな脚本。幻巌堂2008-07-04
 【ネタバレ注意】
 1985年、乗客乗員524人を乗せた日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落。この大事故の報道で全権デスクを任された群馬の地方新聞社の記者を主人公に、さまざまな人間模様を・・・
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 1985年、乗客乗員524人を乗せた日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落。この大事故の報道で全権デスクを任された群馬の地方新聞社の記者を主人公に、さまざまな人間模様を描くドラマだ。映画は2時間25分の長尺だが、どうでもいいラストの付けたしを除いて、退屈する暇もなく一気に見せる。しかし、不思議にもこの作品、訴えかけてくるものがほとんど何もないばかりか、これといって印象に残るシーンもない。舞台となる地方新聞社の編集の大部屋のセットはきっちりと造られているにもかかわらず、スクリーンからは箱庭のような編集フロアしか見えてこないのだ。何故なのだろうか。考えつつ、原作を読んでみて納得した。  この脚本は、映画の脚本ではないということだ。原作の重要なシテュエイションや人間描写をばっさりと切り落とし、時系列も関係なくご都合主義の如く人物の行動を合体させている。結果、テレビのトレンディドラマ風のローラーコースタードラマが出来上がったというわけだ。見終えて何も残らないのは当然のこと。台詞が聞き取りにくいとかなんとかいう以前の問題である。  最初に登場する販売部の安西(高島政宏)だが、彼の人物像は映画ではほとんど浮かび上がってこない。そのため、原作同様に何度も挿入される、主人公悠木(堤真一)と安西の息子燐太郎(小沢征悦)との登攀シーンがほとんど意味を失い浮いてしまっている。悠木との関係が何も知らされないからだ。映画での安西の存在の意味は、社長のセクハラの始末役であり、これは原作と全く違う。原作では、映画にはない専務の存在があり、会社の経営を巡る社長と専務の確執の中に、安西は巻き込まれている。映画ではこのシテュエイションをばっさり切り落としたため、社長(山崎努)は下品さだけが目立つ薄っぺらい人物として描かれる。  悠木の家庭も同様で、妻や娘の存在が切り落とされたため、人物自体の奥行きがなくなっている。登攀シーンのラストで突然息子が打ったハーケンが登場しても、いったい何のことやらという感じ。また、部下を怒鳴りつけて取り返しのつかないことになった過去さえなくなり、それが御巣鷹山に登った記者神沢にすり替えられているのだが、この部分はどうしようもない脚本の中でも、あまりに酷すぎる。カーッと頭に血が上って、社を走り出て車に轢かれるなんざ、リアリズムもクソもなく、新聞記者への冒涜だといってもいいだろう。これをそのまま演出する監督も監督なのだが。  こうして書き出せばきりがないが、ことほどさように映画全体に重みがない。編集部の人間同士の確執にも全く深みが感じられない。そんな中で、どうにか新聞記者の雰囲気を演じて見せてくれたのは社会部長を演じた遠藤憲一くらいか。常に格好良く胸を張って歩く堤真一は、ほとんど新聞記者には見えなかったし、いつもポロシャツ(1985年当時ならまだインだろう)といういでたちもかなり気になった。「ダブルチェック」なんていう言葉も、完全に浮いているし、こんなところにこだわったって、原田さん、あんた映画ファンがつくったインディーズ映画じゃあるまいし、 およそプロとは思えない稚拙な演出だ。  ラストに付けたしたニュージーランドのシーンには正直しらけてしまった。もちろん原作にはなく、製作予算が余ったから海外にでも行きましょうかといった感さえあるどうでもいいシーンだ。こんな余計なのはいらない。後味が悪くなるだけだ。原作では、ラスト近くに編集フロアを舞台に、1通の投書の掲載を巡って、悠木が社長に追い詰められる場面があり、ここではからずも2度にわたり私は涙を流した。しかし、映画では一度たりとも涙を流すことはなかった。たしかに2時間25分を一気に見せるものの、中身はまるで砂上の楼閣そのもの。クール替わりの時期に放映するスペシャルドラマならまだしも、劇場で公開するほどの作品ではない。創作という意味において、原田眞人の映画に対するアプローチには大いに疑問を感じる。
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[003]神様のパズル
 もっと、懐の深い三池演出が観たかった。幻巌堂2008-06-27
 
 土砂降りの中なぜか天井を突き破りテレキャスター抱えてサラカの前に現れる基一。エフェクターを踏み込むアップ。風雨を切り裂くようなギター音。って、どこにアンプがあるん・・・
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 土砂降りの中なぜか天井を突き破りテレキャスター抱えてサラカの前に現れる基一。エフェクターを踏み込むアップ。風雨を切り裂くようなギター音。って、どこにアンプがあるんだよ。電源だって入ってねえじゃん。うるせえこと言うんじゃネエって。そりゃないぜ。タイトルロールで街中で弾くギター見せたからって、伏線だなんて言いっこなしだよ。  というように、明らかにやりすぎの三池さん。どうせやるんなら、徹底的にやってほしかった。もちろん谷村三月のヌードくらいやっちゃおうよ。チープに見せるんだったら、CGだってもっともっと徹底的にチープにしちゃえばいい。なんだか歯に物がはさまったままのような、この吹っ切れなさは何なのだ。これじゃ、見ているこっちが消化不良になるってもんだ。だいたい宣伝コピーのサイエンスファンタジー・ラヴコメディってなんなのさ。  個人的な言いがかりはこのくらいにして、映画本題に入りたい。2時間15分の長尺を一気に疾走するような三池演出は、いつもながら適度な荒っぽさとスピーディな展開、そして絶妙の息抜きがこの作品でも大いに効果を発揮している。特に後半は、時に強引な力技でグイグイ観ているこちらを引っ張っていくのが心地良い。それでも、全編を通して、主人公たちのキャラクターが立ってこないのがまこともって歯がゆいのだ。特に市原隼人が演じる双子の兄弟。原作がそうだからって、はたして双子である必要があったのだろうか。特に恋人を追いかけてタイへ行き、振られた後インドへと彷徨する弟喜一の存在って、ほとんどストーリーに意味を持たないまま終わっている。ストーリー展開を間延びさせ紛らわしくするだけのこんなキャラクターなんか、切り捨ててもよかったんじゃないだろうか。ついでに言えば、サラカと張り合う大学院生のキャラクターもステレオタイプすぎていただけない。すべてが脚本の責任とはいえないが、この脚本は大いに問題ありだろう。  天才少女サラカを演じる谷村三月はほんとに頑張っていると思う。難しい役だが、それでもやっぱりこの役には少しシンドイ気がする。ほんとにいっぱいいっぱいという感じが見えすぎるからだ。彼女に比べてサラカの母役を演じた若村真由美は、出番は少ないながら、そのまなざしにかなりの気味悪さを漂わせた凄みのある演技が印象的だった。さすがに教祖と結婚していただけあって、演技とは思えないいっちゃってる感が凄い。  面白いか面白くないかの2択なら、面白い方の映画だと言えるのだが、もう少し含みのある主人公たちのキャラクターの構築があれば、ものすごく面白い映画になったに違いないと確信する。三池さん、突っ走り続けるのもいいけれど、時には懐深く構えて鋭く繊細な力技を見せてほしいな。
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[004]JOHNEN 定の愛
 絶妙なエロスを縛り込むやっかいな観念論。幻巌堂2008-06-20
 
 久方ぶりの望月六郎の映画に期待して劇場に足を運んだが、彼のエロスへの執念はいささかも衰えていなかった。日本では数少ないスタイリッシュなエロスのミューズ杉本彩の、生・・・
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 久方ぶりの望月六郎の映画に期待して劇場に足を運んだが、彼のエロスへの執念はいささかも衰えていなかった。日本では数少ないスタイリッシュなエロスのミューズ杉本彩の、生々しいほどにエロスの精気が迸るすばらしい姿態を満喫させてもらった。  ストーリーは、吉への永遠の愛を懐に抱いた阿部定が、時空を超えて、吉の生まれ変わりであるカメラマン・イシダ(中山一也)を掌中に招き入れ、吉への愛を完遂するというだけの話。その過程に登場する、ヌードモデル(好演!!)、定の夫を名乗る老人オオミヤ(内田裕也)、突然登場する裁判官(江守徹)、検察官(村松利史)などは、すべて狂言回しにすぎない。とにかく、ひたすら求め合い、愛し合う定と吉の情欲、情炎、情痴こそが、この映画のすべてだといっていい。その意味では、望月六郎の演出は間違ってはいないし、ある意味成功していると思う。しかしながら、時にかなり退屈であくびさえ出てしまうのは、即物的なエロスの描写とは対極にある、人間の業というべき情欲の観念を強引に押し出そうとする脚本の凡庸さにほかならない。  時空を超えた愛と情欲の観念がエロスを支配するという武知鎮典の脚本は、かつて「IZO」で彼が試みたのと同様のパターンを踏襲するものだ。武知は、「IZO」で果たせなかった自らの観念論の映像化に、ここで再び挑戦したのかもしれない。それとも、武智鉄二へのオマージュか。しかし、今回もそれは完全に失敗に終わっている。やたら意味もなく登場する白塗りの黒子たちは、完全に映像の流れを断ち切ってしまっているし、内田裕也演じるオオミヤ老人の口から発せられる観念論はスベリまくるというか、うざったいというしかない。それにしても、今回も完全に棒読みの台詞が痛々しいロッケン爺い、なんとかならないのか。  女優にとって最も厄介な羞恥心というものを小気味良いくらいに捨て去った杉本彩の定は、もう一度観てみたいと思えるほどの好演だ。こんな定なら、シリーズ化して何度でもよみがえらせればいいんじゃないかと思う。 最後に、軽妙な立ち回りと魅力的な肢体が印象に残るヌードモデル役の女優さんの名前が、公式ホームページやチラシのキャスト欄にないのはなぜなのだろう。実に不思議だと言っておきたい。
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[005]西の魔女が死んだ
 長崎俊一は何処を目指すのか。幻巌堂2008-06-17
 
 いち早く自我を持ってしまったがために、同世代の子供たちの世界にすんなり入ってゆくことができなくなった少女まい。そんな彼女に、世の中の摂理よりも大きく尊い自然の摂理・・・
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 いち早く自我を持ってしまったがために、同世代の子供たちの世界にすんなり入ってゆくことができなくなった少女まい。そんな彼女に、世の中の摂理よりも大きく尊い自然の摂理を、いかにも宗教(キリスト教)的に、行動と観念の双方向からゆっくりと説いてゆくおばあちゃん。この祖母と孫娘の交流が主題となる梨木香歩のベストセラーの映画化なのだが、結論を言うならまさに平均点の作品。全体的に悪くはないけれど、映画的楽しさ・面白さという点では、かなり物足らないのだ。  監督の長崎俊一にとっては、初めてといえるファンタジーというか、少女の目線で見せるドラマ。それにしても今頃になって、なにゆえに彼はこの作品の演出をうけたのだろうか。今さら映画監督としてエンタ−テインナーを目指そうなんてわけでもないだろうし、「誘惑者」や「ナースコール」などの秀作からしても、色合いが違いすぎるし。まさか、ベストセラーという冠に変な色気でも感じたなんてことはないだろうに。  確かに語り口にはそつがなく、じんわりとした盛り上げ方も上手いし、ラストでは心地良く涙腺を刺激してくれる、手堅い仕上がりだといえよう。しかしながら、期待以下ではないものの、それ以上のものはなにもない。映像的な大胆なアイディアや試みが、ほとんどといっていいほどないからだ。なにか、原作のダイジェスト映像を見せられた気さえする。  脚本の矢沢由美は、長崎俊一監督の妻であり女優の水島かおり。彼女にとって脚本家としての仕事はこの映画が第1作となる。演出を担当する夫との協作とはいえ、出来上がりはかなり素人っぽい。良く言えば無難にまとめたと言えないこともないが、台詞(特におばあちゃんの台詞)は話し言葉としてこなれていないし、何よりも映画的アイディアが乏しすぎる。例えば、祖母から学ぶこと。ジャム作り、足踏み洗濯、ニワトリ小屋での卵取りなど、原作での大きなポイントははずしていないが、文章で描かれた以上の映像世界の創造の余裕はなく、話を追いながらまとめるのが精一杯といった感じが強い。また、演出にもかかわることだが、まいにとって重要な人物であるゲンジの描き方にはもっと工夫がほしかった。演出はもちろんキャスティングさえも、見るからにわかりやすすぎて、なければならないはずの人物に隠された含みが切り落とされてしまっている。もうひとつ、おばあちゃんが魔女であることをまいに話すシーンも、切り出し方があまりに唐突すぎて、かなり違和感を感じてしまう。  原作のイメージ通りというわけではないが、まいや祖母のキャスティングに文句はない。ただ、まいの母役のりょうはちょっと違う気がする。水島かおりが演じた方がよかったんじゃないか。
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[006]ザ・マジックアワー
 才に溺れたか、三谷幸喜。幻巌堂2008-06-11
 
 主役の映画撮影だと騙して連れてきた三流映画役者を、伝説のスナイパーと偽ってボスを欺く2段仕立てのコンゲーム。とはいえ、この脚本はあまりに底が浅い。三谷さんよ、コン・・・
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 主役の映画撮影だと騙して連れてきた三流映画役者を、伝説のスナイパーと偽ってボスを欺く2段仕立てのコンゲーム。とはいえ、この脚本はあまりに底が浅い。三谷さんよ、コンゲームをなめちゃいけないぜ。  ベテランの俳優が映画撮影だと騙されるにしては、アリフレックス一台にカメラマン1人、スポット2本に照明1人だけという現場はあまりにお粗末過ぎるというもの。助監督もいなけりゃ絵コンテに脚本もなし。どうみても不可能な設定の中で、「向こうの建物から撮ってます」なんて言葉に騙されるもんですかね。佐藤浩市扮する三流役者があまりにおバカ過ぎて、彼が騙しの映画にのめり込めば込むほどに、観ているこちらは引いてしまうから、面白いことも何ともない。ありえない殺し屋の出現に、簡単に騙されてしまうギャングのボスもしかり。こんなお粗末極まりないコンゲームは観たことがない。「スティング」好きなんだったら、少しはコンゲームというものを学んだらどうなんだろうかね、三谷さん。限られた舞台劇の設定なら、お約束の世界なのかもしれないが、映画をなめちゃいけない。こんなのでも良しとするのは、甘ったれたテレビ局のプロデューサーならではなんだろうね。  守加護(すかご)という架空の街の設定にもヒネリが感じられない。日活無国籍アクション、フィルムノワールやハリウッドのギャング映画へのオマージュだけなのか。まさか、雰囲気だけなんてことはないだろうに。久しぶりに見たシトロエン2CVの姿とともに、作品の舞台となるこの街の存在が、歯がゆくてしょうがない。  3本の映画中映画もひどい。「暗黒外の用心棒」は「カサブランカ」そのまんま。奇しくも市川崑の最後の出演となった「101人の黒い女」も何なのそれって感じ。東映任侠ものへのオマージュらしき「実録・無法地帯」にいたっては面白くも何ともない。タイトルにも内容にもヒネリがほとんどない。こんなのだったら、古い映画をそのまま持ってきた方がましというもの。やるなら、映画ファンを微笑ませてくれるようなパロディを見せてほしかった。  最後まで乗れなかった映画の中で、唯一「オオッ」と唸ってしまったのが、大道具の特機さん役で今回も登場する榎木兵衛さんの元気な姿だった。かつて日活のアクション映画を支え続けた名脇役の兵衛さん。火薬のスイッチを押す姿は、この映画で最も格好良かった。
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[007]僕の彼女はサイボーグ
 サービス過剰で空回り。幻巌堂2008-05-27
 
 クァク・ジェヨンが日本で新作を撮ると聞いて、密かに期待をしていたが、出来上がった本作は残念ながらお世辞にも良質とはいえないし、どちらかといえば失敗作の範疇に入るも・・・
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 クァク・ジェヨンが日本で新作を撮ると聞いて、密かに期待をしていたが、出来上がった本作は残念ながらお世辞にも良質とはいえないし、どちらかといえば失敗作の範疇に入るものだろう。  脚本・演出ともにクァクが担当しているが、彼の作品に特有のクドさと強引さが今回は、完全に裏目に出ている。きっちりと伏線を散りばめたうえで2段・3段のオチに持ってゆくやり方は、彼一流のサービス精神のなせる技なのだが、この作品のように強引すぎるシテュエイションといい、やたらと荒っぽい展開が目立ってしまうと、それが反対に食傷してしまうほどのクドさに感じられてしまうのだ。  例えば、身寄りがあるとは思えない主人公の大学生の贅沢な住まい。紹介される彼の幼い頃の状況からは、大きな遺産を相続したなんて考えられない。ついでにいえば、描かれる彼の小学生時代の状況は、明らかに30年ほどの時代錯誤がある。日本の80年代の小学生を誰かがアドヴァイスできなかったのだろうか。また、持ち逃げや食い逃げもやりすぎだし、神戸南京街でのチェイスもありえないシテュエイションが続きすぎる。さらには、つまらない挿入歌とともに展開される、まことに退屈なMTV的どうでもいいシーンは、見ていて煩わしく感じるだけで正直シンドイ。  もうひとつ、これはこの作品の大きなカギを握る主人公の造形だけに、見逃すことができない問題がある。試写スタート時から、一部で強い指摘を受けているのだが、この主人公は決してサイボーグではないということだ。クァク監督は、どうもサイボーグとロボットを混同しているようだ。改めてロボットとサイボーグがどう違うのかということを調べてみたが、サイボーグとは、人体に人工臓器や電子機器を入れ込んで強化させた人間のことで、サイバネティック・オーガニズムの略。これに対して、人間の代替品としてつくられた装置がロボットだ。ということは、映画を観れば歴然、綾瀬はるか演じる主人公は、間違いなくサイボーグではなくロボットなのだ。アンドロイド(人造人間・ロボットの一種)というのが正しい表記だといえる。この混同というか誤表記は、ある意味致命的といえるかもしれない。  このかなりお粗末な映画の中で、唯一の見所は、綾瀬はるかの輝きと存在感だろう。予想以上に退屈な映画の中で、彼女はスクリーンいっぱいに懸命に魅力をふりまいて最後まで楽しませてくれる。その表情といい、スタイルといい、アンドロイドとしては極上のキャスティングだといえる。ラストのヤマ場となる大震災のシーンでの、倒壊したビルディングの下敷きになりながらの懸命の叫びは、心に響くほどに感動的だ。そして蛇足だが、ミーシャのエンディングソングも悪くない。
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[008]ブラックサイト
 この犯人像、短絡か、リアルか。幻巌堂2008-05-23
 
 不特定多数に情報を送り見せ、まるでゲームでもあるかのように簡単に殺人という重罪に巻き込んでゆくというスリル。FBIのサイバー捜査官が、犯罪の点を懸命に結びつけ、犯人・・・
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 不特定多数に情報を送り見せ、まるでゲームでもあるかのように簡単に殺人という重罪に巻き込んでゆくというスリル。FBIのサイバー捜査官が、犯罪の点を懸命に結びつけ、犯人を絞り込んでゆくサスペンス。不気味さが臭う沈んだ色調が印象的な幕開けから、前半はドキドキさせる絵づくりの中での謎解きがなかなか快調に進み、これはひろいものB級かと喜ばせてくれる。  ところが、捜査官の1人(トム・ハンクスの息子だよ)が犯人に捕まって処刑されるあたりから、それまでのサスペンス的色合いが一気にホラーへと変貌する。こともあろうにここで犯人が画面に登場するのだが、同時にそれまで画面に漂っていた不気味な臭いが急速に失せてしまうのだ。  そして大問題なのが、この犯人の人物像。世間知らず、わがまま、パソコンオタク。スクリーン上では、こんな短絡というか単純な人物造形しか描かれないし、画面に登場する青年もそのまんまでわかりやすすぎるのだ。せめてもう少し精神的屈折がなければ、犯罪者としてのドラマも何もあったものじゃない。残念ながらこれでは、ジャック・ザ・リッパーの方が何百倍も怖い。  ダイアン・レイン演じる女捜査官が犯人に捕まるラストのヤマも、おバカな捕まり方といい、いとも簡単な窮地の脱し方といい、意表をつくようなアイディアが何一つなく、あまりにお粗末過ぎる。考えてみれば、単純なオタクだからこそ、短絡な復讐に走ったのだといえないこともない。また、ラストのあっけにとられるような女捜査官の危機脱出も、自宅の地下室だったからこそできたのだいえないこともない。でも仮りに、それが現代のリアリズムだと考えるのなら、このスタッフは映画人としては終わっている。
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[009]NEXT -ネクスト-
 結局、何も始まらなかった。幻巌堂2008-04-30
 【ネタバレ注意】
 ジュリアン・ムーアが出ていれば間違いない〜という私のアメリカ映画神話はざんねんながらここにきて崩れてしまった。どうみてもこの映画は娯楽作品でありながらも、あまりに・・・
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 ジュリアン・ムーアが出ていれば間違いない〜という私のアメリカ映画神話はざんねんながらここにきて崩れてしまった。どうみてもこの映画は娯楽作品でありながらも、あまりにその魅力に欠けすぎている。リー・タマホリの演出には、緻密な構成が見られず、随所に戸惑いが見え不安定この上ない。何よりもサービス精神がなさ過ぎる。  主人公クリスが持つ、自分に関する出来事の2分先が見えるという超能力が悪いわけではない。唐突にFBIが彼のマジックショーを見物に来るという展開だってかまわない。ジャシカ・ビールがまぶしいくらいの魅力をふりまいてくれるのもうれしい。問題なのは、クリスの持つ超能力が描く2分間と、その後の現実との対比をどう見せるかということ。そこに、この作品のすべてがかかっているといってもいいだろう。  ところが、この重要なポイントが、ストーリー展開が広がるにつれて、どんどん曖昧になってくる。ラストのオチのためにわざとやっているという見方もあるだろう。しかしながら、曖昧になるにしたがって、一気に展開がご都合主義に陥ってゆくのだ。その挙句に、やってはならない身勝手なオチが待っているのだから、観ているこちらは、怒りを通り越してあきれ返ってしまう。同じオチに持ってゆくにしても、ヤマも何もない凡庸な展開が大問題なのだ。これでは原作に対するリスペクトも何もあったものではない。  さあ、これからどうなるという、ワクワクしているところでのあっけないエンディング。観ているこちらはなんとも煮え切らないまま席を立たなければならない。言っておくが、こんなのどんでん返しでもなんでもない。単なる演出放棄じゃないのかとさえ言いたくなる。そういえば、テロ集団はフランス語を使っていたけれど、いったいどういう集団なんだ。これも実に曖昧なままだ。  95分という本編の時間からすると、ひょっとしてエンディング後の結末談も撮っていたのではないだろうか。ところが、その部分の出来がさらに酷くて、切ってしまったんじゃないか、なんてことさえ考えてしまう凡作だ。
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[010]コントロール
 いったい何が描きたかったのか。幻巌堂2008-04-26
 
 パンクの残滓というか、インダストリアルミュージックであり、ブリットポップの先駆ともいえるジョイ・ディヴィジョンのヴォーカル、イアン・カーティス。まさに一陣の風のよ・・・
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 パンクの残滓というか、インダストリアルミュージックであり、ブリットポップの先駆ともいえるジョイ・ディヴィジョンのヴォーカル、イアン・カーティス。まさに一陣の風のようにロックシーンを駆け抜けた彼の短いアーティスト人生に焦点を当てた映画だが、イアン以下のキャスティングといい、モノクロで描く映像といい、当時の雰囲気をよく再現できていると思う。しかし肝心の人物描写にはまったくもって納得がゆかない。  イアンの妻デボラの「Touching from a distance」をベースにしたというが、この本自体が実に一面的な内容で、イアンの自殺の要因を、彼の持病の癲癇、そしてバンドのギタリストバーナード・サムナーや愛人のせいにして、彼自身の内面に切り込むことがない。映画では、訴訟を恐れたのかバーナードの描写は切り捨てられたものの、結局イアンの内面を深く洞察しようという試みは最後まで感じられなかった。  イアンの死。この一点に監督自身の独自の視点や洞察がなければ、映画にする意味なんてほとんどないのではないかと思う。確かに当時のジョイ・ディヴィジョンがつくり出したミュージックシーンの雰囲気は再現されているが、それだけではMTVと大差ないということになる。彼らがなぜ、一部にコアなファンを生み出したのか、またデヴィッド・ボウイやイギー・ポップがイアンにどのような影響を与えていたのか。そんな肝要な部分が、この映画には完全に抜け落ちている。残念ながら、監督のアントン・コルビンの描く映像はポートレイト写真の域から抜け出すことはできていない。  私にとってのジョイ・ディヴィジョンの魅力は、イアンのヴォーカルや詩の世界よりも、バーナードのギター、ピーター、スティーヴのリズム隊のつくり出す絶妙の反復リズムにあるし、それはイアンの死後再出発したバンド、ニューオーダーの魅力でもある。延々と続くイントロは当時のロックシーンを切り拓いた前衛であり、斬新というしかなかった。それでも、こんなイアンの死の描き方には納得がゆかない。蛇足だが、ジョイ・ディヴィジョンとはナチス高級将校の慰安所のことであり、ニューオーダーもナチスの新秩序のこと。このあたりの意味合いも、映画にはまったく描かれてはいない。
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[011]マイ・ブルーベリー・ナイツ
 キスシーンだけは映画史に残してもいい。幻巌堂2008-04-05
 
 映画のラストを飾る、カウンターに臥せったままのキスシーン。多分にエロティックでありながらも、そのエロスはほどよく乾いており、見ているこちらには心地良い気分があふれ・・・
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 映画のラストを飾る、カウンターに臥せったままのキスシーン。多分にエロティックでありながらも、そのエロスはほどよく乾いており、見ているこちらには心地良い気分があふれてくる。この絵は実に映画的で、印象に残るカットであることは疑いない。たぶん、ウォン・カーワイは、このシーンを撮るためにというか、撮りたかったがゆえに、このストーリーを作り上げたのだろうし、ノラ・ジョーンズ、ジュード・ロウというコンビもこのシーンのために選び抜いたキャスティングだったに違いない。  ただし、ラストシーンがよかったからといって、この作品全体が素晴らしいというわけではない。恋人に裏切られたエリザベスが、唐突にジェレミーのカフェに現れるのは別に悪くない。でも、その後はとりとめもなく現れるため、彼女の未練がましさだけがしつこいくらいに描かれるだけで、ジェレミーがどうして彼女に愛情を感じるようになるのかは、スクリーンからはほとんど読み取ることができない。  そして、エリザベスはなぜかニューヨークからメンフィス、さらにラスベガスへ。日にちと距離が示されても、そこに意味を見いだすことは難しい。なぜメンフィスなのかラスベガスなのかというのも同じこと。まさかオーティスやルース・ブラウンを聴かせたかったわけじゃないだろう。それぞれの街で出会う夫婦や女性ギャンブラーの話がつまらないわけではない。それでも、描かれる内容はその場限りのものでしかなく、旅を続けるエリザベスの中に刻み込まれることもない。描かれる話に奥行きや深みがほとんどないからだ。たぶん、ウォン・カーワイはここでも従来と同じ手法、すなわち、シナリオをきっちり固めることなく、シテュエイションの組み立てに重きを置いてアドリブ的な台詞による演出を試みたのではないか。それが、ストーリーをリアリズムからほど遠いものにしてしまったように思える。  結局、ウォン・カーワイって、「恋する惑星」から何一つ進化してないってのが、この映画で明らかになったというか、アメリカまでやって来てとうとう馬脚を現してしまったなというのが私の正直な感想だ。  本編とは関係ないが、「どうしてここに来たのかわからない…」とノラ・ジョーンズが歌う主題歌「the story」がいいのだが、字幕スーパーはまったく無視。この曲はもちろん、オーティスの「トライ・ア・リトルテンダネス」だって、シーンに見合った歌詞なのに、あまりにサービスが足りないんじゃない松浦さん。
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[012]恋の罠
 完成度の高い、サスペンス風味の艶笑譚。幻巌堂2008-04-02
 【ネタバレ注意】
 李朝が舞台とはいえ500年も続いた時代だけに、具体的にいつ頃の話なのかにわかにはわからないが、それはまた別の話。映画は、馬鹿がつくほどまじめで融通のきかない貴族官吏・・・
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 李朝が舞台とはいえ500年も続いた時代だけに、具体的にいつ頃の話なのかにわかにはわからないが、それはまた別の話。映画は、馬鹿がつくほどまじめで融通のきかない貴族官吏ユンソが、文才に人一倍自信を持っていたがために、あろうことかエロ本作者となってしまうが、しだいに本能に突き動かされるようにエスカレートしてゆき、絵心のある仲間を引き入れるだけではなく、美しい王妃と密通してその性技を自らのエロ本の挿絵にしてしまうというとんでもないお話。普通に聞けば、下世話な下ネタ映画にしか思えないのだが、これが笑いあり、悲恋あり、サスペンスありという、かなり見ごたえのある人間ドラマに仕上がっている。  血を分けた弟でさえ罪を犯していれば見過ごすことのできないような堅物の官吏が、エロ本作者となり、まず人間として一皮剥ける。さらにその後のとんでもない行動で、天国から地獄までを駆け巡るような経験を重ね、また一皮剥ける。こんな1人の男の人生を縦軸に置いて物語は進む。そこに、エロ本屋の主人との駆け引き、絵描きとなる仲間との友情の絆、王妃との不倫密通恋愛、性愛の奥義への耽溺、王との対決などなど、まことに彩りゆたかなドラマが横軸に絡まる。  多少かったるいのはエロ本作者になるまでのエピローグの部分くらいで、あとはハラハラドキドキとんでもハップンと、剛・軟・軽を巧みに織り交ぜた展開が、2時間20分の長尺をまったく感じさせない。特に、ラストのヤマ場近く、情愛と裏切りの狭間での王妃とユンソ、王とユンソ、はたまた王と王妃の対決シーンは、限りない緊張感が満ち溢れ、私たちにその後の展開予測の暇さえ与えないほど圧倒的である。  ユンソを演じるハン・ソッキュは、根暗で堅物の官吏が、エロ本作家としてしだいに本能と状況に突き動かされてゆくさまを、見事に演じて見せてくれる。特に、ラストで見せる、額に「淫乱」と刻印されながらも、新しい生き方を見つけ出した男の底抜けに晴れやかな姿は、笑いを誘われながらも実に感動的である。美貌の王妃を演じたキム・ミンジョンも、透き通るような清純さの中に大胆な淫乱さを秘めた女の性を懸命に演じている。脇では、王妃に恋焦がれ宦官となってまでも妃の傍に仕えるチョ内侍を演じたキム・ルェハの好演が光る。ただただ王妃のために、自らの欲望や嫉妬を捨て去り、命までも捧げてやまないその姿には、涙さえ誘われる。  キム・デウの脚本は、ラストの「チング」の楽屋オチにいたるまでサービス満点で、サスペンスと艶笑を織り交ぜたドラマの緊張と緩和が見事に結実している。演出も力強さと軽妙さが絶妙にかみ合って、最後までまったく飽きさせない、心に残る作品となった。  余談だが、邦題の「恋の罠」は近頃にはないうまいタイトルだと思う。主人公のユンソはもちろん、王妃も王もチョ内侍までもが、まさに恋の罠にはまり込んでしまうのだから。ちなみにこの映画の原題は「淫乱書生」だが、こちらはわかりやすい。
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[013]ぼくたちと駐在さんの700日戦争
 だからテレビ屋は信用でけへん。幻巌堂2008-03-28
 
 幕開けからマカロニウエスタン風の音楽がえらい賑やかに鳴り響くし、何が始まるんやろう思てたら、道路公団がふつうの10倍くらいの丼大盛りの予算かけて簡単に作ったような田・・・
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 幕開けからマカロニウエスタン風の音楽がえらい賑やかに鳴り響くし、何が始まるんやろう思てたら、道路公団がふつうの10倍くらいの丼大盛りの予算かけて簡単に作ったような田舎の道路にチャリンコの集団。こらなかなかイッテはるな、なんて期待してみたんやけど、結果は完全な肩透かしでんな。けど、こんなもんにも自嘲的な小笑いをしてしまう私は、やっぱりテレビに毒されてるちゅーわけかいな。  それにしても問題はこの脚本や。ストーリー展開見ても、繰り出されるギャグ見ても、真新しさなんて何一つあらへんし、せっかく市原隼人君らイキのええ俳優が頑張ってるっちゅーのに、何してくれてんねん。こらぜんぜんあかんわ。「古い」「クドイ」「浮いてる」のあきまへん三冠王や。  いくらブログの映画化やゆうても、もうちょっとていねいに本書かなあかん。この脚本家「逆境ナイン」でもそうやったけど、すべりまくるギャグを平気で書き流すみたいやね。それに話の構成が実に荒っぽい。その割に時間はやたらと長いし、どうも映画をなめとるようやね。ストーリーを漫画的に描くっちゅーのは悪いとは思わんけど、そこに映画的時間や空間が存在せえへんかったら、スクリーンで描く意味はないちゅーことやねん。これは、演出家やプロデューサーにも言えるこっちゃ。この映画はそこが決定的に欠けとんねん。ほんま残念やねぇ。やっぱりテレビ屋は信用でけへんちゅーことかいな。なんでこんなに薄っぺらくて軽いんやちゅーねん。美術も手抜きが激しいしな。いくら70年代でもあんなコンビ二なかったやろ。  「やっぱりブログが原作ってのは、内容スカスカの他愛のないはなしになっちゃうんだよな。こんなの別に映画化することもないし、テレビでじゅうぶんじゃない」とかゆう声が聞こえてきそうな映画やけど、そんなことあるわけないと断言しとく。とりあえず、登場するキャラクターの面白さや上手にはまり込んだキャスティングだけは、評価しときたいんや。だからこそ、「もっとていねいに作ったれよ!」と、怒りたなるわけやねん。きっと、もっと面白なったはずやし、感動的に締めくくれたはずやから。
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[014]あの空をおぼえてる
 純粋な心の絆を描く秀逸なラヴストーリー。幻巌堂2008-03-26
 
 この映画の成功は、絵里奈役のキャスティングで決まったという気がする。この奔放で明るく限りなく可愛い少女を演じる吉田理琴は、この役のために生まれてきたに違いないと確・・・
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 この映画の成功は、絵里奈役のキャスティングで決まったという気がする。この奔放で明るく限りなく可愛い少女を演じる吉田理琴は、この役のために生まれてきたに違いないと確信できるほどに、活き活きとスクリーン上を跳ねまわる。ほとんど鬱々とした空気が支配しながら進むストーリーに、時として清々しさを吹き込むと同時に、一層の悲しみを私たちの心に染み入らせるのだ。  監督の富樫森は、かなり凡庸に見える原案や脚本を逆手に取ったかのように、一見あきれるような紙芝居的なカットを盛り込みながら、ひたすらに兄妹の血の絆というか、純粋を極めた愛情をラストまで切れ目なく描きつくしてゆく。「鉄人28号」「天使の卵」の不調を忘れさせてくれるような、演出の冴えを充分にみせてくれる。  交通事故の非道さや残された家族の悲惨さを道徳的に描くのではなく、ただただ兄妹の絆や愛にこだわったところにこそ、この作品の意味があり、他のお涙ものと一線を画す要因が生まれたといえる。その意味では、祖父母を一切登場させないばかりか、ほとんど生活感のない父と母の暮らしや住居の描写などまで、すべてが意図的に感じられる。  両親の態度や言葉に追い詰められながらも、なんとかしてもう一度妹に逢おうとする少年のさまざまな行動が、少しずつ私たちの心に悲しみの影を落としてゆき、ラストでは見事に頂点へと達する。ここで流れる涙は軽くはないが、決して重苦しくならないのがいい。ただ、息子を抱きしめて言う父の台詞はあまりにも想像力がなさ過ぎるし、こんなのならむしろないほうがよかった。  蛇足だが、エンドロールで見せるスティールが捨てがたい。まるで彼らがほんとうの家族だったかのように錯覚させるほど、作り出した感じがまるでない。感動を盛り上げる意味でも、これらのスティールが秀逸な幕切れを飾っている。  それにしても、火がつけばかなり大きなヒットとなりそうなこの一作が、なぜ拡大ロードショーとならないのか、まったくもって不思議なものだ。
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[015]明日への遺言
 かくも理不尽な戦争というもの。幻巌堂2008-03-19
 
 物語の9割以上が軍事法廷が舞台になっているものの、単なる法廷闘争劇ではない。トップにあった軍人が自らの軍人としての責任を全うすることを通して、ここには一つの限られ・・・
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 物語の9割以上が軍事法廷が舞台になっているものの、単なる法廷闘争劇ではない。トップにあった軍人が自らの軍人としての責任を全うすることを通して、ここには一つの限られた状況の中で人が人としてどう生きるのかということを描く人間ドラマが成立している。  きわめて動きの少ない舞台にもかかわらず、決してドラマは単調に陥ることはなく、被告となった岡田資中将と部下、家族、アメリカ人弁護士、裁判官、さらには検察官までとの心の触れ合いや葛藤が、実に丹念に描かれてゆく。固い文章が続く大岡昇平の原作の肝要な部分を切り取り、わかりやすく紡ぎ込んだ脚本は見事だし、細かな緊張と緩和を描き出した演出も文句のつけようがない。特に、名古屋空襲の悲惨なシーンを見せることなく、法廷尋問だけでその理不尽な攻撃を私たちの心に焼きつけたことは、特筆に価する。  実際に映画を観るまで私は、藤田まことが岡田資を演じることにかなり不安を感じていたが、そんな思いを軽く覆す肝の据わった演技には心から拍手を送りたい。岡田中将はイギリス大使館付武官を経験し、英語に堪能だったというが、その点でも藤田の話す英語の台詞は文句なくいい。そして、僅かに台詞はモノローグだけなのだが、岡田中将の妻を演じる富司純子が体全体で見せる表情演技が素晴らしい。法廷での発言で夫が死刑を覚悟しているのだと知った時の慟哭には、思わず涙があふれてしまうほどだった。  この作品は、1人のまっとうな軍人を通して、決して軍事裁判ではなく、戦争そのものの理不尽さや異常性を訴えることに成功した、稀有な1作だといえる。ここに描かれた岡田中将の対極には、極刑を逃れようとした数多くの無責任な軍人や官僚たち、また研究資料を米軍に提供してのうのうと生き延びた石井四郎らの軍医たちがいたことを付け加えておきたい。
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[016]Sweet Rain 死神の精度
 センスという致命的な問題。幻巌堂2008-03-06
 
 この映画には、明らかな間違いがある。中でも最大の間違いは、1985年という時代の描き方だろう。死神・千葉の行動の基点となるCDショップとミュージック。しかし、この時期は・・・
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 この映画には、明らかな間違いがある。中でも最大の間違いは、1985年という時代の描き方だろう。死神・千葉の行動の基点となるCDショップとミュージック。しかし、この時期はCDショップなどないばかりか、CDさえポピュラーではない、まだレコードの時代なのだ。少なくとも、神戸にはCDショップなどなかった。もうひとつ言っておくなら、背景に出てくる神戸ハーバーランドのグランドオープンは92年だし、モザイクのオープンは大震災の後の95年だ。  悲しい。こんな重要な箇所に大きなケアレスミスがあれば、ドラマの中に入っていこうとしても、一気に冷めてしまう。なんということか。僅かに22年前のことが正確に描けない人に、ドラマを作る力などないだろうし、資格もないのではないか。  案の定、3つの時代にわたる物語は、散漫な台詞と含みのかけらもない絵作りに終始しており、ラストまでドラマを紡ぐこともなく、空回りのし通しなのだ。例えば、シーンのバックに流れる音楽。音楽プロデューサーが藤木一恵を追いかけるシーンでは、あたりまえのように大音響でチェースシーンそのもののBGMが流れ出す。見ているこっちは、解ってるからやめてくれという思いにさえなる。これって、やはり演出家のセンスの問題なのか。例えば、言わずもがなのカットの挿入。雨上がりの夕空を見上げる富司純子が小西真奈美と変わる一瞬のカット。こんなのはいらない。  私にとってこの映画唯一の救いは、小西真奈美という女優の資質の高さに気づいたことだろうか。素顔に近い彼女の表情作りには、女優としての本気が見えたし、彼女の演技の輝きと富司さんの存在感がなければ、とてもじゃないが2時間もつきあえなかった。そして、彼女にとって初めてだという歌が予想以上の出来上がりなのも、うれしい驚きだ。だからこそ、これらを最後まで生かすことのできなかった製作スタッフには、失望を禁じえない。  残念だがこの映画の脚本・演出を担当した筧昌也という方、劇場公開長編映画の監督デビュー作だそうだが、とても2時間の映像作品を作り上げるセンスを持ち合わせていらっしゃるとは思えない。 
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[017]ノーカントリー
 ただ老いてゆくだけでは、何も解決しない。幻巌堂2008-03-06
 【ネタバレ注意】
 トミー・リー・ジョーンズが巻頭で独白する少女を殺めた14歳の少年のこと。もし刑務所を出られたら、また殺人を犯すだろうという少年の告白。その冷めた語りは、哀しみのこも・・・
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 トミー・リー・ジョーンズが巻頭で独白する少女を殺めた14歳の少年のこと。もし刑務所を出られたら、また殺人を犯すだろうという少年の告白。その冷めた語りは、哀しみのこもった諦めがうかがえる。  映画のタイトルは、NO COUNTRYにFOR OLDMANと続く。  ここでいう老人はトミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官に他ならない。老いてしまった人には背負う国などないのである。ただ、自分を置いて流れてゆく現実があるだけなのだ。  そして、この老保安官はこの映画を観ている私たちでもあるのだと、コーエンブラザーズはスクリーンから強力なカウンターパンチを食らわしてくれる。すでに私たちは老いているのだと。もちろん、このパンチは、ズッシリと重く心にのしかかり、私たちは重苦しい気分のまま席を立たなければならない。  テレビにうつる映画はあっても、これまでのコーエン作品にみられたセンスのいいサウンドトラック・ミュージックがほとんどない。それほどまでに、スクリーン上で描かれるあてのないチェイスや時には凄惨なまでの殺戮は、ほかの何ものの想像をも許さないリアリズムと緊張感に貫かれている。  金を取り返すという仕事のために、ただただ殺人を繰り返す男。暴れ牛をも瞬時にあの世に送る武器を手に、常に冷静沈着で無表情な男は、まるで処刑人のようだ。人の命はコインの重さでしかなく、最後には信頼を裏切る依頼人までをも処刑するのだから。もちろん彼には背負う国などなく、まるで魔界(天界)からの使者のようでさえある。  この映画は、人間の欲望の醜さを極限までさらけ出すと同時に、その裏にある人間の未熟さや卑小さを私たちの目の前につきつける大胆な試みがなされているが、ストーリーは実に静かに進む。それゆえ、展開される殺戮が実に薄気味悪く、私たちの心に忍び込んでくる。  最後の標的となる若妻が、コインの裏表で命乞いをさせようとする殺人鬼に対してとる、私の命はそんな軽いものではないという毅然とした態度こそが、この映画が語る最大のアジテーションなのではないだろうか。
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[018]手紙
 10年という月日は恐ろしい。幻巌堂2008-03-05
 
 この映画の公開された1997年といえば、ちょうど主役のチェ・ジンシルが韓国で最も嫁にしたい女優だった頃のはず。映画を見ればそれも納得で、清潔で聡明な感じは充分だし、な・・・
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 この映画の公開された1997年といえば、ちょうど主役のチェ・ジンシルが韓国で最も嫁にしたい女優だった頃のはず。映画を見ればそれも納得で、清潔で聡明な感じは充分だし、なによりも可愛い感じがたまらなくいい。ところが10年後には、母代わりに妹弟を育てあげ、結婚すれば夫に浮気され、あげくの果てには自ら癌に侵され死んでゆくという涙涙のオバさんを演じるのだから(TV「バラ色の人生」)、時の流れは恐ろしい。  この映画も同じく、時の流れとともに風化してしまったようだ。公開当時、韓国では興行の新記録を作ったというのだが、ストーリーも画面づくりも、今では哀れなほどに古臭い。パク・シンヤン演じる植物学者が脳腫瘍の兆候を見せる部分はあまりにも唐突だし、その後のストーリーのヤマとなる妻との衝突や愛の深め方にしても、もっとこちらの心を鷲掴みにするような強引な力技的演出がほしかった。最も、観客であるこちらがこうしたシテュエイションになれてしまったから、そう思うのかもしれないが、それこそが時の流れのなせる業なのだろう。  それにしても、いつもなら、がらがらの映画館(大阪天神橋六丁目・ホクテンザ)がオバさん連中で結構な入りだったのにはちょっと驚いた。もっと静かに観てくれたら文句はないんだが、結構大きな声のヒソヒソ話が聞こえてきたりで何とも落ち着かなかった。
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[019]王妃の紋章
 迫力をまして還ってきたコン・リー。幻巌堂2008-02-29
 
 チャン・イーモウの新作ながら、日本公開が少し遅いのは、欧米の評価がいまいちだったからだろうか。とにかく10年前の大作かと思えるほどの人・花・セットの物量に圧倒される・・・
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 チャン・イーモウの新作ながら、日本公開が少し遅いのは、欧米の評価がいまいちだったからだろうか。とにかく10年前の大作かと思えるほどの人・花・セットの物量に圧倒される。そして史劇とくれば、一見チェン・カイコー作品を連想してしまうが、そこはチャン・イーモウ、しっかりと彼自身の世界を構築している。血の宿命を縦軸に、愛と裏切りを通して、権力の翻弄される人間の悲しさ、儚さを見事に描ききっている。  彼が女優として育てかつては愛で結ばれてもいたコン・リーが久々に戻ってきた。ハリウッドでは「マイアミバイス」なんて作品でお茶を濁していた彼女だが、他流試合の経験が無駄ではなかったことを、この作品ではっきりと証明してくれた。完全な敗北と知りながらも留まることのできない苦しみ、最愛の息子を失うことしかできない慟哭を圧倒的な表現で見せる。この演技は、まさにスタンディングオベーションものだろう。これに負けない、チョー・ユンファの存在感も見事というしかない。  この映画は、チャン・イーモウの作品というよりは、チョー・ユンファとコン・リー2人の作品といった方がいいだろう。
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[020]アイ・アム・レジェンド
 勝手にラストを変えてんじゃネエ!幻巌堂2008-01-29
 
 SFの古典「地球最期の男」の3度目の映画化は、CG駆使のハリウッド大作仕様。本国では興行的に大成功したが、その裏にあるのは多くのアメリカ国民がお好みの、正義の殉教・・・
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 SFの古典「地球最期の男」の3度目の映画化は、CG駆使のハリウッド大作仕様。本国では興行的に大成功したが、その裏にあるのは多くのアメリカ国民がお好みの、正義の殉教者と宗教的大団円の結末にある気がする。裏を読めば、グラウンド・ゼロのマンハッタンで、迫り来るイスラムの狂気を沈めようと闘う正義のユダヤ、そこに十字軍もどきの女性と子供が現れて世界は平和を取り戻すという構図。しかも、狂気を生んだのがほかならぬ同胞であったという、きわめてリべラルなお膳立てまである。ヤだね。  チャールトン・ヘストンのオチャラケ「オメガマン」と比べれば、別物といえる仕上がりだけど、結末があまりにもお粗末すぎる。ラストを観ていて思わず、“何だよ「ポセイドン・アドヴェンチャー」かよ!”と突っ込みたくなってしまったほどだ。  なるほど、巻頭にパニックシーンを配したつかみは巧みだし、シェパードとの暮らしで見せる孤立感・孤独感はこちらを容易にスクリーンの中に引き込んでくれる。でもそれだけだった。好演のシェパードをあえなく消してしまうのは大いに疑問だし、救世主的女性が現れてからはお定まりのご都合主義に落とし込んで、あっけないヨカッタネ的結末。せっかくのボブ・マーリーが、ディランの宗教ソングみたいに聴こえてしまうから正直まいった。  やっぱり、この名作を映画化するなら吸血鬼が出てこなくっちゃ話にならない。
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[021]恋空
 薄っぺらい紙芝居に号泣してんじゃねえぞ。幻巌堂2007-10-30
 
 携帯小説で大ブレークしたという原作って、ほぼこの映画のままなんだろうか。かりにそうだとしたら、ケータイ少年少女ってなんて薄っぺらいお話に感動しちゃうんだろうって話・・・
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 携帯小説で大ブレークしたという原作って、ほぼこの映画のままなんだろうか。かりにそうだとしたら、ケータイ少年少女ってなんて薄っぺらいお話に感動しちゃうんだろうって話。ま、市川拓司ものだってそんなにかわりはないわけだから、納得といえば納得だ。  で、この映画、ちょっと期待を抱かせてくれるプロローグなのに、おまけみたいなつまらないエピローグがもののみごとにぶち壊してくれる。それがすべてだといっていい。  何の含みも、心の葛藤も、情緒や情熱さえ感じられない少女高校生の上っ面を撫でたような無軌道な恋愛遊戯とでも言えばいいのか。受験受験で純粋培養された高校生ってほんとにこんなものなのか。だとしたら、嘆かわしいなんてものじゃない。確実に日本人は終焉に向かってるってことだろう。対して金髪少年の素性も、家族が出てきてもさっぱりわからないというほったらかしの演出。  一見2時間10分弱のまとまった作品に見えても、中身はな〜んにもない。まさにお手軽なテレビのトレンディドラマそのもののつくり。さすがにTBSのドラマの演出家だけのことはあるな。ほんと、つまんねぇ〜。この時期に高橋ジョージのキャスティングってのもシラケるしね。  でもおとなりに座った高校生らしき女の子は、後半号泣しっぱなし。こんな作品に泣けるってどういうことなんだろうね。もうちったぁ、涙を大切にしなくちゃいけねぇぜ。  それでも、主演のガッキー(新垣結衣)の好演はじゅうぶんに印象に残った。この子、ひょっとすると長澤や沢尻をす〜っと差し切ってしまうかもしれない。アップでの表情は豊かだし、歩く姿も輝いてるし、台詞も素直でかなりの伸びしろがありそうだぞ。
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[022]ブレイブ ワン
 愛がすべてを支配する。幻巌堂2007-10-20
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 サスペンスというエンターテインメントを舞台に、常にさまざまなかたちの人間の愛を見つめ続けるニール・ジョーダンの新たな秀作と、また出会うことができた喜びに、観終えた・・・
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 サスペンスというエンターテインメントを舞台に、常にさまざまなかたちの人間の愛を見つめ続けるニール・ジョーダンの新たな秀作と、また出会うことができた喜びに、観終えた今、じんわりと浸っている。ほんと監督を信じて観続けてきてよかったと思う。  一見、目には目を、刃には刃をといったタカ派的発想を肯定した復讐劇のようにみえるこの作品、実はニールならではの悲しいまでのラヴストーリーなのだ。慈悲的な愛であるうちなら道徳観を優先できるものも、それが本能的な愛に変われば、すべてを愛が支配し、感情が道徳を跳ね除けてしまうという人間の本質。そこから生まれる喜びと悲しみを、ニールは見事に描ききっている。また、彼の作品に共通する、この世に神はいないけれど、神のように寄り添ってくれる人間が必ずいるという観念も、きっちりと根底に流れている。  ニヒリズムをたたえるヴォイス・エッセイスト、エリカをクールに演じきったジョディ・フォスター。失意と怒りの中で不意に一線を越えてしまった後の揺れ動く戸惑いが見事だ。C・ブロンスンの「狼よさらば」とは、シテュエイションは似ていても、映画としては異なもの。ここには、マーサー刑事というエリカに寄り添う人間がいて、同情・慈悲・本能という愛の高まりがあるからだ。  一線を越えてしまった人間の背負う重荷の悲しさ。追いかけてきた愛犬を抱きしめるエリカのシルエットの幕切れに漂う、えも言われぬ空しさに涙がとまらなかった。
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[023]エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜
 ギイ・カザリル版に1票。幻巌堂2007-10-11
 
 2時間20分もの尺があるのなら、もう少し小マシな出来上がりかと思ったが、これは酷い!! 最初に断っておくが、私は決してピアフの熱烈なファンじゃない。彼女の歌を聴いたの・・・
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 2時間20分もの尺があるのなら、もう少し小マシな出来上がりかと思ったが、これは酷い!! 最初に断っておくが、私は決してピアフの熱烈なファンじゃない。彼女の歌を聴いたのも僅か35年前、「愛の讃歌」はブレンダ・リーで、「ラヴィアン・ローズ」はサッチモで初めて聴いたくらいだ。でも、彼女の「アコーディオニスト」は常に大好きな100曲の中に入るくらい愛している。  何とも後味の悪い作品だ。なぜこんなにも最晩年の姿に拘らなくちゃならないのか。ベッドからの告白手記のような、彼女の自伝をベースにしたためか。それなら、なぜモンタンやアズナブール、ムスタキとのエピソードがはずされるのか。彼女自身が世紀の恋だったと語るマルセル・セルダンとの恋に彼女の人生を集約させるためなのか。百歩譲ってそうした思惑を認めても、寸断される時系列の問題などではなく、箇条書きのようにエピソードをぶつ切りにしたこの展開では、ドラマは一向に生まれてこないし、これじゃまるで質の悪い再現ドキュメントだ。少なくとも、スクリーン上でのピアフはマルセルとの恋のエピソードではほとんど輝いていない。  結局は、この監督ってピアフのこと何にもわかってないんじゃないのか。作品を見る限りでは、ピアフに対する愛情もリスペクトもほとんど感じられない。とここまで書いてきて、32年前に2度観たギイ・カザリル版「愛の讃歌」を思い出した。シモーヌの書いた伝記をもとにしたあの映画、私は大好きだった。主演のブリジッド・アリエルも、背がちっちゃくて歌う姿はピアフによく似ていた。彼女に比べればマリオンのピアフは、私にはそっくりには見えなかった。本人のビデオと見比べると、よけいにそう思う。ルイ・ルプレの描き方一つとっても、オリヴィエの演出では善人に描かれすぎて興醒めだ。  本国フランスでは大ヒットしたというが、要因は作品自体とは別のところにあるような気がする。
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[024]遠くの空に消えた
 残念、もう少し練れなかったか。幻巌堂2007-08-14
 
 観ていて、「こんな映画が撮りたかった」という行定監督の想いは確かに伝わってきた。フェリーニへの限りないオマージュもわかる。似た感じの作品としては、ティム・バートンの・・・
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 観ていて、「こんな映画が撮りたかった」という行定監督の想いは確かに伝わってきた。フェリーニへの限りないオマージュもわかる。似た感じの作品としては、ティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」やパーシー・アドロンの「ロザリー・ゴーズ・トゥ・ショッピング」が思い浮かんでくる。でもこれらの作品に比べると、かなり完成度は低い。  キャストに気を配ったのか、それとも自身のスケジュールがきつかったのか、かなり多くのカットの演出が軽い。生煮えといってもいいくらい、練れていないのだ。だから、登場するキャラクターに体温が感じられない。魂が入り込むまでに撮影が終わってしまったような気さえする。もっともっと粘りの演出がほしかった。  行定監督が7年間温めていた脚本というのだが、それならなおのこともう少し練り上げることが出来なかったのか。ほんとに残念に思う。いっそのこと、三池崇に演出を預けておけば、出来上がりはかなり違っただろうが、面白い作品が出来上がったような気がする。  それにしても、大後寿々花が演じたキャラクターはいったい何だったのか。少しはキャラクターの中身を描いて見せてほしかった。
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[025]転校生 -さよなら あなた-
 「転校生」に始まり、「ふたり」に終わる幻巌堂2007-06-19
 
 「転校生」のリメイク版と思いながら観ていたら、ありゃりゃこりゃ違うぞって具合で、観終わったら「ふたり」になっていましたよという作品。でも、これはこれで悪くはないんだな・・・
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 「転校生」のリメイク版と思いながら観ていたら、ありゃりゃこりゃ違うぞって具合で、観終わったら「ふたり」になっていましたよという作品。でも、これはこれで悪くはないんだな。だって、大林宣彦でなけりゃ撮れない映画になっているんだもの。結局大林作品の最高峰は「ふたり」なんだって、改めて思い至った次第。  主演の蓮佛美沙子ちゃんは、舞台挨拶でも実にしっかりしていて、何より気風のいい演技が気に入りましたね。大林さんが、「今の若い娘が失ってしまった個性を持っているのがいい」って言ってたけど、納得だね。母親役の清水美砂も構えるところのない奥行きのある演技が見事。唸りましたよ。  でもね、映画自体とは直接関係ないんだけど、舞台挨拶での大林さん、何だか新興宗教の教祖かと思えるような、若い人たちへのエールというか講釈というか、ちょっと気持ち悪いほどだったのが気になりますな。
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[026]天国は待ってくれる
 これは映画といえるのか?幻巌堂2007-03-09
 
 「地下鉄に乗って」を観た時にも感じたのだが、岡本綾には消しても消しきれない陰影(かげ)がある。だから主役の3人のうち唯一両親がある女の子を演じても、その全身からは時と・・・
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 「地下鉄に乗って」を観た時にも感じたのだが、岡本綾には消しても消しきれない陰影(かげ)がある。だから主役の3人のうち唯一両親がある女の子を演じても、その全身からは時としてえもいわれぬ暗さが漂いだす。彼女自身は決してへたくそな女優ではないと思う。でも、この映画ではキャスティングミスというしかないだろう。  これはまた、酷い映画を観てしまったものだと思う。まず問題は、主役に抜擢された井ノ原君だろう。彼の表情は終始どの場面でも、バストショット以上のアップになれば、何とも困ったような虚ろなワンパターン。シリアスな場面になるとほとんど口は半開きのままだ。シナリオを読むだけのような台詞は置いておくとしても、役づくり以前にドラマには適さないタレントなのだと断言できる。相方を演じる清木場君は無難だし、岡本綾も悪くないばかりか、脇を固めるいしださんや蟹江さんがきっちりと役を演じきっているだけに、どうしても彼一人が目立ってしまうのだ。  そしてここからが本題。残念だがこの映画には、演技以前といった感のある主演男優のキャスティング以前に、映画の空間というものを一顧だにしない驕りきったテレビドラマの人気作家が書きなぐったスカスカの原作・脚本が、ドラマの成立さえ許さないのだ。まあ、ラストのどうでもいい後日談のくどさを見るだけでも、今どきのテレビドラマの出鱈目さ加減がわかろうというものである。こうした脚本に抗えない演出者もまたしかりだ。  蛇足だが、挿入歌・主題歌ともに、かなり有名な曲をパクっていることを付け加えておきたい。あえてオリジナルは明かさないが…。
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[027]ハッピー フィート
 配給会社はヤル気あるの?幻巌堂2007-03-06
 
 試写会だったとはいえ、日本語吹き替え版を観てしまったことを大いに後悔している。そして、まるでジャニタレの人気におんぶに抱っこ的に見えた配給会社の姿勢にかなりがっか・・・
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 試写会だったとはいえ、日本語吹き替え版を観てしまったことを大いに後悔している。そして、まるでジャニタレの人気におんぶに抱っこ的に見えた配給会社の姿勢にかなりがっかりしている。  制作者としてはストーリー展開に大いに意味を持たせているに違いない数々の挿入曲まで、なぜ吹き替えて歌わせなかったのか。少なくとも歌の部分をそのまま流すのなら、字幕スーパーくらいのサービスはあってしかるべきなんじゃないのか。おまけにブラザー・トムに2役をふってしまうなど、この吹き替え版には、オリジナルに対するリスペクトが少しも感じられないし、やる気のなさというかケチ臭さが漂いすぎていてウンザリさせられる。エンドクレジットに、NEWSの歌は流れても、日本語版のクレジットが皆無というのはどうなんだろうか。  さて本編だが、皇帝ペンギン界では異端児で革新的に見える主人公が、人間界にはいいように取り込まれてしまうなんて、CGのすばらしさをいくら言ってみたところで、作品としてはトホホとしか言いようがない。このストーリーで1時間48分は長いし辛い。前半は、ビーチボーイズの「In my room」や「Do it again」を口ずさんでウキウキできたが、後半はとにかくダルイ。あくびの連発だった。  最後に、くれぐれもご覧になるのなら、字幕スーパー版をおすすめしたい。
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[028]龍が如く 劇場版
 日活ニューアクション賛歌。幻巌堂2007-03-02
 
 SEGAの人気ゲームの映画化を、三池崇がどんな風に見せてくれるのかと楽しみにしていたが、2時間弱の長尺を一気に突っ走って唸らせる。ゲームのシテュエイションの荒唐無・・・
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 SEGAの人気ゲームの映画化を、三池崇がどんな風に見せてくれるのかと楽しみにしていたが、2時間弱の長尺を一気に突っ走って唸らせる。ゲームのシテュエイションの荒唐無稽を逆手に取った三池監督は、一見サイボーグ的な登場人物たちに見事に血を通わせてくれる。間違いなく死ぬほどバットで殴り、撃たれても斬られても死なない真島(岸谷五朗)のキャラクターには、ゲーム版そのものへの深い愛情と確かなアイロニーが存在する。  ひじょうに私的な見方になるが、この映画には三池監督の深い、日活ニューアクションへのオマージュが込められているに違いない。無国籍な街にふらりと戻ってくる桐生(北村一輝)は、まるで「反逆のメロディ」の原田芳雄か、「斬り込み」の渡哲也のようだし、ギャグをちりばめたアクションは「野良猫ロック」シリーズをほうふつさせる。  自ら映画職人と言ってはばからない三池監督だが、どの作品も彼にしか撮れない彼特有の映画ばかりなのだから、彼の作品を決して軽んじてほしくはない。B級と言ってしまえばそれまでだが、かつて織田作之助が二流の頂点を目指し一流との逆転に挑戦したように、三池監督にもB級の頂点を目指してもらいたい。  とにかく私は満足した。クレイジーケンバンドの挿入歌も見事に嵌っている。
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[029]ドリームガールズ
 何度も観たい。幻巌堂2007-03-01
 
 まず、ミュージカル舞台を見事にスクリーンに移しかえたビル・コンドンの脚色・演出に脱帽だ。モデルとなったシュプリームス、ダイアナ・ロスのレコードジャケットや宣材写真・・・
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 まず、ミュージカル舞台を見事にスクリーンに移しかえたビル・コンドンの脚色・演出に脱帽だ。モデルとなったシュプリームス、ダイアナ・ロスのレコードジャケットや宣材写真のコピーを上手くいかしたのもそのひとつ。ダイアナが発掘したといわれるジャクソン・ファイヴのコピーまで登場するに及んでは失笑せざるを得なかったが…。  ご存知の方も多いとは思うが、ジェニファー・ハドスン演じるエフィーのモデルは、映画通り当初はシュプリームスのフロントだった故フローレンス・バラード。映画と違うのは、彼女は妊娠してなかったし、ダイアナとは段ちに美人だったし、脱退させられてからは不遇をかこったまま自殺してしまったということ。ダイアナがモータウンの社長ベリー・ゴーディに強引に取り入って、フロントを勝ち取り、結果フローレンスを追い出してしまったのは、この映画などとは比較にならないほどのいやらしさだったようだ。このあたりは、ネルスン・ジョージの名著「モータウン・ミュージック」に詳しいので、興味ある方は一読を。  また、エディ・マーフィが演じたサンダーのモデルは、マーヴ・ジョンソンだと思われるが、後半には少しマーヴィン・ゲイが被ってくるようだ。特にCCが作り彼らが歌った「ペイシェント」には、マーヴィンの名曲「What’s going on」の薫りがプンプンだ。ジェームス・ブラウンとは決して関係などないはず。モータウンとJBは水と油なんだから。ついでに言えば、秘書として採用されエフィーの後釜になるミシェルのモデルは、マーサ&ヴァンデラスのマーサ・リーヴスだし、DJに裏金を渡すペイオラでは白人DJアラン・フリードを、「キャディラック」を平気でパクる白人アイドルの登場にはパット・ブーンを思い浮かべてしまう。もうひとつ、ビヨンセ演じるディーナ主演の映画「クレオパトラ」は、ダイアナがドロシーを演じた大失敗作「ウィズ(オズの魔法使い)」がモデルだろう。  ビヨンセの腰の動きには、最後まで60年代を感じることができなかったが、映画自体はとにかくウェルメイドというしかない。私にとっては宝物のひとつになりそうだ。満足。
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[030]プラダを着た悪魔
 トレンディ・サクセスドラマの王道。幻巌堂2006-11-16
 
 ヴォーグ誌がモデルとなったという原作だが、ここに登場する主要な人物は、それぞれに一癖持ちながらも、根は善人であるという性善説ドラマ。ファッションには興味がないもと・・・
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 ヴォーグ誌がモデルとなったという原作だが、ここに登場する主要な人物は、それぞれに一癖持ちながらも、根は善人であるという性善説ドラマ。ファッションには興味がないもともとかわいい女の子が洗練された女性に生まれ変わってゆくという、「プリティ・ウーマン」の趣向も取り入れつつ、そこに流されない芯の強さを持たせるという設定は、もう非の打ちどころがない。おまけに、ファッション誌の編集部が舞台だけに、スクリーン上にはこれでもかというばかりにブランド品が横溢する。まさにトレンディサクセスストーリーの王道を行く作品だ。  一見陳腐にも思えるストーリーを、突っ込みを入れる隙もなくラストまで一気に見せる力は、さすがに「セックス&シティ」の演出家と納得。唯一難点を言うなら、同棲していた恋人との別れと再会で見せる二人の情熱が希薄なことか。日本のテレビ屋も、チマチマと社会派を気取ったり、あざとく涙を誘ったりせずに、こんなふうに大胆に開き直ってトレンディドラマの王道を描いてみたらいい。
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