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 「幸村和」さんのコメント一覧 登録数(195件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]風立ちぬ
 夢で始まり夢で終わる幸村和2013-09-21
 【ネタバレ注意】
冒頭に始まり、作品中、何度も挿入される夢シーン、多すぎました。確かにカプローニさんのセリフ「飛行機は…夢」が言うように、「夢」というのはキーワードでしょう。夢とは、未・・・
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冒頭に始まり、作品中、何度も挿入される夢シーン、多すぎました。確かにカプローニさんのセリフ「飛行機は…夢」が言うように、「夢」というのはキーワードでしょう。夢とは、未来への原動力にもなれば、辛い現実をひととき忘れる癒しにもなります。が、現実なくしての夢はありえないんです。やっぱり大事なのは現実なんです。こんなに夢に時間を割いたら、現実はどこに行ってしまうのでしょう。目を覚ませ。 避暑地にて再会し、恋に落ちた二人。「風があなたを運んでくれたのよ」に代表される、尻の辺りがムズムズする歯の浮いたような言葉の数々。メロドラマパーツ、長すぎました。もし、これから観に行く人で、恋愛映画は苦手という人は、ここでトイレに立ちましょう(私、すごくお役立ち情報言ってる)。 映画を観に行く前、NHKで宮崎駿に密着する番組を見た。「風立ちぬ」の企画があがったとき、宮崎駿が鈴木俊夫プロデューサーに「恋愛ものと友情もの、二つできたけどどっちにする?」と聞いて、鈴木さんが「両方やりましょう」と言っていた。番組を見たときはスルーしたところだったけど、今思えば、鈴木さんのその真意はなんだったんだろう。みんなの嗜好に叶う、と思ったのだろうか。だとすると極めて商業的です。 「恋愛もの」は言葉通り、やっていただきました。ママゴトのような夫婦生活でございました。 生きるのに必要な、食べて掃除して洗濯してという人間の営み、生活感、そして何より違う人生を生きてきた二人がともに生きるときに必ず見舞われるであろう、人と人とのぶつかり合い、といった、現実に横たわる美しくないもの、ありませんでした。その美しくないものがあるからこそ、それを乗り越えたときに発現する思いやりやいたわり合いこそが真の美しさであると私個人は思うのですが、そういうものはありませんでした。この年でこんなママゴトな夫婦生活を描く宮崎さんって、どんな夫婦生活を送ってきたんだろうか。最後まで表面的な美しさを保って消えた菜穂子さん、お気の毒でした。 二郎=おそらく監督本人にとって、飛行機と妻は美しく愛するもの、同列なんですね…。逡巡がない潔さですか。オタクを最高級に肯定した表現です。 そしてもう一方の「友情もの」は二郎のライバル、本庄との物語かと思いましたが、彼はどうなったんだ。尻切れトンボだったぞ。気になるぞ。 そして激動の時代の描写。一瞬迫力のあった震災も、俯瞰したような描写しか印象がない。人間そのものを描写すれば凄惨な場面になるだろうけど、宮崎アニメにはそれはタブーなんだろうか。タブーなんだな。きっと。 そして元からどうやら富裕な家庭に生まれた二郎。「日本はどうしてこんなに貧しいんだろう」とは言うものの、エリートコースまっしぐら。菜穂子もまたどうやら富豪の令嬢のようで、避暑地で二人は出会うわけだが、当時の日本の人々の多くは失業と貧困に喘いでいる。東北地方では困窮を極め、娘を身売りに出す農家が続出。銀行も倒産、満州事変勃発、松岡洋右は国際連盟を脱退、戦争に向かって突き進む暗黒の時代だったはず。が、二人の世界はどこまでも牧歌的でピースフル。小鳥がさえずり、小川が流れ、木々がそよぎ、テニスに興じる人がいて、食事は飢餓とは無縁なホテルのレストラン。菜穂子はホテルで療養。キャンバスに油絵を描いて過ごしている。二郎はホテルのベランダを破壊してまで紙飛行機を飛ばし、二人ははしゃぎあう。美しすぎる。現実の世界は生々しく、美しくないのに。第一、何で二郎はサラリーマンなのに何日も避暑地でぶらぶらしてるんだあ!? 更に、女性の描写も相変わらず、ヒロイン、お母さん、子どもの3パターンのみ。トトロでいうところの、さつき、おかあさん、メイ。この3パターンしか宮崎さんは描けないみたいです。この人はあまり女性を知りませんね。大人になっても、おかっぱでメイキャラを割り振られた二郎の妹さん、そりゃないよ、髪型どうにかしてやれよと思ったのは私だけでしょうか。 そして最後はやっぱり夢の中。現実は酷すぎて夢でしか描けなかったのね。なんか向き合っていないようにも見えます。「生きねば」と夢の中で言われましても。 夢で始まり、夢で終わる。 パンダコパンダを見たときに宮崎さんも若かったからこんなの作っちゃったんだね、と思っていたけど、最後にパンダコパンダ=自分の夢をまんまアニメ、に還りましたね。これが還暦ってやつですね。私も宮崎さんを美しい夢で終わらせたかったのですけれども。宮崎さん、お疲れさまでした。 追記1:作品中「チントウビョウ」という言葉が出てきますが、これは漢字で「沈頭鋲」と書くそうですね。漢字だとはあはあ、なるほどねと。 追記2:高畑勲の「かぐや姫の物語」こっちのほうが面白そうだと思いました。
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[002]おくりびと
 ガッカリ幸村和2012-03-12
 【ネタバレ注意】
言いたいことはいいんだけどねぇ…、こんなに安直な内容だったとは驚きです。 前半は死者に対する敬意が見られる所作の美しさになるほどと感心しましたし、ユーモアもあって良か・・・
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言いたいことはいいんだけどねぇ…、こんなに安直な内容だったとは驚きです。 前半は死者に対する敬意が見られる所作の美しさになるほどと感心しましたし、ユーモアもあって良かったんですけどね、半分を過ぎて、友人(杉本哲太)や妻(広末涼子)の反応でもう唖然。これはないやろ〜〜、の連発。丁度1時間15分過ぎたくらいかな、、もう止めようかとリモコンに手が伸びました。特に妻。これには呆れた。「今日潰したばっかりですって♪」と生前の姿を留めまくっている鶏を食卓に載せながら、何あの反応。そこがミソといいたいのかも知らんが、いくらなんでも何言ってんだ度高すぎだろう。そんな妻を含め、自分が良く知らない職業をそこまでコケにする人々もあまりに漫画的。 後半の安直で類型的な展開にうんざりしながら、この映画がヒットした意味を考えた。アカデミー外国語賞にミーハーな人が飛びついた?ならわかるけど、もしそうでないなら、日本はいまだにここまで「死」に関することに対して発展途上なのか?地方ではいまだに「(悪いことをしたら)こんな職業にしかつけねぇんだぞ」なんてまじめに言う人がいるのかね?「恥ずかしいからそんな仕事辞めて」という家族とか。「お前は友達じゃない」という友人とか。そんな「汚らわしい」呼ばわりしるけど、あんたは死なんのか?肉や魚も食わんのか?とか、色々ツッコみた出したらキリがない人が世の中にこんなに多いのか?感動した人って自分も納棺師に対して忌むべき職業と考えていた、あるいは周りに考えている人がいるんだろうか?てか忌むべき職業ってあるのか?いまだに?これ、設定は現代だよね?おーコワ。 私個人はアカデミー賞になんら権威もありがたみも感じないけど、にしてもなんで賞を獲れたんだろうなあ。日本がこんな人で溢れた国と思われたらイヤだなー。まさか、そこんとこ面白がられたんじゃないだろうなー。
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[003]英国王のスピーチ
 手堅く良作幸村和2011-09-15
 【ネタバレ注意】
予告編ですでに感動の予感が漂っていたので、期待に胸膨らませ鑑賞しました。感想はと言うと、感動の大波に飲まれたというよりは手堅く良い作品、という印象でしょうか。 私と・・・
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予告編ですでに感動の予感が漂っていたので、期待に胸膨らませ鑑賞しました。感想はと言うと、感動の大波に飲まれたというよりは手堅く良い作品、という印象でしょうか。 私としては引き込まれたのは、ライオネルとバーティことジョージ6世が心を通わせるシーンよりも、どちらかというとジョージ6世の苦悩のほうだったりしました。 何度となくあったジョージ6世のスピーチ・シーンでは、さすがにコリン・ファースが素晴らしい演技をしていて、スピーチでつっかえると聴衆の視線が突き刺さり、目がゆらゆら泳ぎ、呼吸が浅くなり、顔はこわばり、うまく言おうとすればするほど息苦しく、次の言葉が言葉が出ない、助けて、とまるで心の叫びまで聞こえそうな、観ているこちらまでジョージ6世の緊張が伝わって一緒に緊張してくるほど。 幼少時の矯正や、帝王教育と言う名の父王たちの威圧に怯えた子ども時代、大人になってからも真面目で誠実であるがゆえに、王室の者として相応の振る舞いをしなければとますますのしかかるプレッシャー。そのプレッシャーたるや、平民には想像もできない重さです。このジョージ6世と言う人は、本当に真面目で、善き王にならなければ、と思っていたんだな、と映画を観て彼の誠実な人柄に好感を抱いたりも。そしてライオネルに出会うまで、ジョージ6世はそれらのトラウマとプレッシャーに、孤独に戦ってきたんだなあと考えると、なんとも切なくなるし、だからこそ、その先のライオネルと心を通わせていくシーンにはじんわり嬉しくなります。オーストラリアからの移民で、型破りで、専門教育を受けたこともなく、資格もないけど、経験に裏打ちされた知識を持ったライオネルは、伝統と格式、権威と肩書きの象徴である王家とは対極にあります。そんなライオネルがジョージ6世にとって、いなくてはならない人になるのが興味深くもあり、だからこそ、とも思います。ライオネル演じたジェフリー・ラッシュの存在感のある演技も光っていました。 ところで、特に私の心に残ったシーン。それは、死してなお、あるいは退位してなお父と兄が自分を威圧すると感じているジョージ6世に、ライオネルが優しくも彼らしい茶目っ気のある目を彼に向けてこう言うシーンです。「全部ポケットから出したらいい。」 これは、ジョージ6世の吃音の原因ともいえる王室の呪縛のようなものを、賭けで得た1シリング硬貨になぞらえて言った言葉ですが、ジョージ6世が恐れているもの、それは自分が思うほど強大ではなくて、むしろ本当はちっぽけな心の異物とも言うべきものだから、ポイっと放り出せばいいんだよ、と。このセリフは心に残りました。ああそうか、いつの間にかポケットに入ってた石ころのような心の異物、ポケットから出しちゃえばいいんだな、と。
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[004]ミクロキッズ
 期待はずれ幸村和2011-08-19
 【ネタバレ注意】
一番笑ったのは釣り好きオヤジのキャラクター。なんだよ、あの釣り仲間との挨拶は。私も(釣り好きじゃないけど)あの手のヒラヒラ、一緒にやりたくなったよ。マシンを作ったオ・・・
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一番笑ったのは釣り好きオヤジのキャラクター。なんだよ、あの釣り仲間との挨拶は。私も(釣り好きじゃないけど)あの手のヒラヒラ、一緒にやりたくなったよ。マシンを作ったオヤジの方は、学会で相手にされなかったからといってすぐに機械をぶち壊すような科学者らしからぬところがイマイチだったけど、子どもが小さくなったことに気がついたところからは、やっと笑えたかな。子どもたちを庭から捜しだそうと、端から見て奇行にしか見えない行動してるところとか。 一方、肝心の子どもパーツは普通の、いや普通以下のスリルに欠けるジャングル冒険ものにしか見えなかった。 つまり子どもパーツより大人パーツのほうが、見てて面白かったってことだけど、それって、どうなんでしょうね。この映画、オヤジが売りじゃないんだよね。タイトルもミクロ・キッズだし。 結構この手のファンタジー、好きなので期待していたんですけどね。このジャンルのハードルもそんなに高くないつもりだし。 裏庭のミクロの世界、地上を這う虫がアリ一匹と蠍一匹なんて、なんて貧しい生態系だ。庭の土をぼんやり見ていても、もっといろんな生き物が普通はいるぞ。蟻のほかにもナメクジにダンゴムシ、名前も知らない虫も結構いる。土の中からもミミズや何かの虫の幼虫が出てくるし、肉眼レベルでなければもっといるだろう。いないと、この庭の土壌は相当汚染されてて虫も住まない相当危険な庭だと思う。虫ワールドにまったく明るくない私でも、蟻と蠍しか思いつかないってことはない。ましてや案外子どものほうが虫には詳しいくらいじゃないか。草刈不足の庭なら、ますます有象無象が湧いているというもの。 それに蟻に感情があるような、まるで餌をやったら懐く犬猫みたいな扱いをするのもなあ。この辺も、蟻らしくしながらも蟻ってすごい、と感じさせる描きようがあったと思うな。なんかディズニーって気持ちの悪い擬人化が多いんだよな…。科学的視点が皆無で、しかも情緒に偏りすぎ。これでは子どもに見せられないなあ。どうにかしたらテレビゲームのほうがマシなんじゃないか。 あと、最後、なんで人間だけ縮んだり伸びたりするのかも気になった。座っている椅子は何でそのままなんだ?子どもたちの乗っていたスプーンだって巨大化するはずだろ。ソファは縮んだんだから人間だけに働くなんていわせないぞ。 とまあ、ミクロの世界の描写がお粗末過ぎて、ほかの雑なところも気になってしまった。たぶん、メインのところでOKだったら、椅子やスプーンがそのままでもワハハかまへん、かまへん、おもろいから許す、って気分になれたんでしょうけどね。 この映画より前に作られたミクロの決死圏の方がよくできていた。よくできている、と言うのは映像的にと言うより中身がきちんとしていた。6ミリから見た世界の実写が年代的にこれが精一杯なのはわかるんだけど、それなら実写にこだわらずアニメーションの方が、もっと豊かな世界を繰り広げられただろうに。実際オープニングのアニメーションの方が引き込まれたし。
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[005]ひゃくはち
 脇役が主役幸村和2011-08-19
 
スポーツの世界では脇役となる人が主役のドラマですね。いいですね。こういうの好きです。 冒頭の京浜サンバを踊らされていた主人公二人が、自校が負けて肩を落として泣いてい・・・
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スポーツの世界では脇役となる人が主役のドラマですね。いいですね。こういうの好きです。 冒頭の京浜サンバを踊らされていた主人公二人が、自校が負けて肩を落として泣いているかと思いきや、実は笑いを堪えていた、ってところで、ハートを掴まれました。私もそうだったなあ〜と思って。運動部や限られた椅子を奪い合うようなクラブに入ってた人は同感する人多いんじゃないかな。スポーツマンシップなんて無縁のドロドロした思い出のあれやこれやを思い出しました。ほんと、煩悩そのものです。 この野球部部員高校生も、喫煙飲酒バカ騒ぎもするし、そして何より手に入れたいのはベンチ入り!背番号!と欲望をまっすぐに、やるしかないでしょと打ち込みます。実に清清しい。煩悩あるけど清清しい。いや煩悩を隠さずまっすぐ向かうから清清しい。不謹慎だが喜べ!です。やっぱり嬉しいもんは嬉しいんです。ウダウダ理屈並べてカッコウつけないのが気持ちいい。 そして欲望にまっすぐだからこそ、つらさ、苦しさも伝わってきます。 アニメ、実写でスポーツものはいろいろあれど、私はこの映画をいち押しします。 メンタルが弱そうだけどムードメーカーの雅人、思考するタイプのノブ、二人のキャスティングがいいです。 ただ、最初の主人公たちが偵察した相手校との試合シーンは野球って投手がすべて?みたいな感じがしました。いつも思うけど、ひとつのポジション(投手)のウェイトが大きすぎるように感じるから野球って好きになれないんだけど、まさにそれを表したような試合だなあと。まあこの映画は野球についてがメインではないのでいいんですけど。 あと監督やスカウトマンや新聞記者の描写は確かに俗っぽすぎるかな。ただ私の体験で監督が選手にそれはセクハラやろ、という行為がモロにあったし、ああいう俗物が今も生息するのかもしれません。
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[006]白いリボン
 抑圧の嵐幸村和2011-08-12
 【ネタバレ注意】
「ピアニスト」に続いてこの監督の作品、二作目の鑑賞です。 二作品を見てとにかく感じた言葉があって、でも単語ひとつで表してしまうのはそこから先は思考停止しそうなので、で・・・
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「ピアニスト」に続いてこの監督の作品、二作目の鑑賞です。 二作品を見てとにかく感じた言葉があって、でも単語ひとつで表してしまうのはそこから先は思考停止しそうなので、できるだけ避けたいのだけど、でもやっぱりこの監督の作品を観た感想はもうこの言葉しか思い浮かばない。それは「抑圧」。 なんなんだこの抑圧の嵐は。資本家が労働者を抑圧し、男が女を抑圧し、大人が子どもを抑圧する。大人に押さえつけられた子どもは腹の中に恐怖と憎悪を孕み、それは負のエネルギーとなって腹の中で膨れ上がり、どす黒さを増し、やがてそれは自分より更に弱い者に対する陰湿な暴力という形で産み落とされる。黒い塊を産み落とした後は一瞬の浄化が得られたような錯覚を起こすから、その浄化を味わいたくて、人は更なる暴力へと駆り立てられる…。それは大人が子どもにしたように。男が女にしたように。人間関係は抑圧、それしかないのかという陰鬱な気分になります。過剰な演出や音楽に頼ることなく、抑圧に歪む共同体の空気を余すところなく描ききっているのは、さすが。 牧師が息子を問い詰めるシーンなんか、暴力は一切ないのに息苦しいまでの緊張感と追い詰められる恐怖が伝わってきて、心を確実に蝕む心理的暴力の恐ろしさを感じました。唇を結び、堪えているのに横溢する感情で涙が頬を伝う少年の演技もすばらしい。が、「ピアニスト」同様、もう一回観たいとは思わないなあ。やっぱり希望がないと、辛いです。 ドクターが助産婦に聞くに堪えない罵倒をするシーンがあったけど(これがえげつなすぎて小学生レベルの悪口にさえ感じられて逆に笑えてくる罵倒)、同じように男性が女性を罵り倒すシーンが「ピアニスト」でもなかったか?この監督、母親とか恋人とかそういう身近な女性に同じようなエグい目に遭ったことがあるんじゃないか…?あるいは真性のサディストか、その両方か?とか、思わず頼まれもしてないのに監督の心理分析してしまったよ。なんかあるんじゃないかあ。辛い過去。
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[007]ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島
 リーピチープ〜幸村和2011-03-09
 
原作は「朝びらき丸東の海へ」と題するナルニア国物語第3章、映画はこのタイトルですか。原作のタイトルでいいような気がするが、まあいいか。戦闘シーンが多い1,2作目に比・・・
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原作は「朝びらき丸東の海へ」と題するナルニア国物語第3章、映画はこのタイトルですか。原作のタイトルでいいような気がするが、まあいいか。戦闘シーンが多い1,2作目に比べ、冒険的要素が増えてくるこの3作目からナルニア国物語は俄然面白くなってくる、と私は思っている。シリーズ1人気が高いのではないかと推測するリーピチープが活躍するのもこの回だし、ペベンシー兄妹のいとこ、悪態つきでヘタレのユースチスが登場するのもこの回。こういう個性が立ったキャラが登場するのもこの3作目の魅力。「のうなしあんよ」の島や、ドラゴンの秘宝の島などの奇想天外な島巡り?などのファンタジーならではのワクワクが映画でどれだけ表現されているか、楽しみにしておりました。で、どうだったかというと、まあ、及第点だったのではないでしょうか。 悪態をつきまくってるユースチスがずっと市原悦子に見えてしょうがなかったけど、改心した後は、あれ?似てない。原作でユースチスが「なんだ?コイツ」とリーピチープの尻尾をつかんで持ち上げプラ〜ンとさせ、リーピチープを激怒させるシーンがあるのですが、そこが少し違ったのが残念だったか。細かくて申し訳ないのだけど、原作のそのシーンがいまいち笑いの少ないナルニア国物語の中では珍しく笑えるシーンで、ポーリン・ベインズの挿絵とあいまって私はかなり大好きだったので、期待してたんですけどね。 後半のクライマックス、海蛇だったっけ?登場するモンスター、こちらも迫力のあるグロテスクぶりで、とくに体が開いたときのワシャワシャは相当キモチワルくて髪の毛逆立ちそうになりました。 そしてラストシーン、私はもうダラダラ泣きです。誇り高い騎士でそしてたまらなく可愛い(でも「可愛い」などと本人(ねずみだけど)にいうと怒るから言ってはいけない)リーピチープがもう愛おしくて、何度心の中で「リーピチープゥ〜」と叫んだか。私はアスランの別の名前、それは「希望」と解釈しました。「God」ととる人もいるでしょう。それがなくては生きていくのが困難なものは人それぞれです。キリスト教思想の強い、というかキリスト教思想そのもののこの物語、興味深くはあるものの、手放しで好きかと言うと実は微妙だったりするのだけれど、それでも惹きつけられるのはこういうシーンにあります。 あと、今回私は初めて3D体験しましたが、それについては巷で騒ぐほどではなかったなあ。作品によるのかな。目が疲れました。別に3Dでなくてもよかったかな。 平日だったせいもあるのだろうけど、映画館は空いていて、この先続くのか心配になってきた。是非このシリーズは最後まで行ってほしいんだけどなあ。なぜなら、原作の訳者、瀬田貞二のネーミング・センスを問うてしまう「泥足にがえもん」(次巻「銀のいす」より)を映画はどうネーミングするのか、これまで「巨人ごろごろ八郎太」はスルーしたし「ぶつくさがたろう」もスルーしそうだし、しかし絶対スルーできない「泥足にがえもん」、映画ではどう呼ぶ?せめてそれだけでも見届けたい。どうする?松浦美奈(って今後も彼女が字幕するかどうかわからないが)。 追記:エンド・ロールでポーリン・ベインズの挿絵が流れたのは予想外で嬉しかった。エンド・ロールに1点加点。
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[008]告白
 キレイごとはもうたくさん幸村和2010-12-10
 
下妻、嫌われ松子、パコの監督が、あの悪意に満ち満ちた小説「告白」をどう映像化するのか!?それが一番の鑑賞理由で観ました。感想はと言うと巧く作ったなあという感じ。既にス・・・
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下妻、嫌われ松子、パコの監督が、あの悪意に満ち満ちた小説「告白」をどう映像化するのか!?それが一番の鑑賞理由で観ました。感想はと言うと巧く作ったなあという感じ。既にストーリーを知っているので、先はどうなるかもわかっているけれどもほとんど飽きずに最後まで鑑賞できました。 特に私にとって印象的だったのは、新学期に入ってからの教室の生徒たち。先生の告白を聞いて、クラス全体が不穏な空気に満ちているのに、なぜか教室は狂騒の様相を呈する。人間は予想を超える不安や恐怖にさらされると突然泣いたり笑ったりして、それが集団で起きる現象を「マスヒステリシス」というそうだ。江戸時代のええじゃないかもその現象の一つらしい。中島監督がそれを知っていたのかどうか分からないが、あの狂騒、ハイテンションはまさにマスヒステリシス。学校(教室)という閉鎖された空間にある集団のテンションが不安をベースに異様に上昇していく内面を、中島監督らしい映像で見せてくれました。映画が原作を超える、と思うのはこういう表現の力を見た時ですね。 一方、今回はスローモーションの多用が私にはちょっとダレそうになりました。テンポの良いシーンから一転して挿入されるスローモーションという、スローモーションがアクセントになる効果的な使い方はこれまでの中島作品で見られたと思うのですが、残念ながら本作ではちょっとそれを使いすぎ、あるいは頼り過ぎ?と感じました。そこが残念な点です。 この映画は、例えば「命はみんなひとしく尊いのか?」とか、そういう「イエス」というと学校の先生が喜びそうな問いかけに対し、嘲笑で答えるような、あるいはツバを吐くような、あるいは茶化すような、とことんキレイごとを拒否するような印象を原作以上に強く受けました。 ラストの松たか子の捨て台詞なんかまさにその象徴。確かに彼女は正義をかざしたような言葉を少年に言いましたが、それは正義でも何でもなくただの報復ですからね。そりゃ、茶化しにしないとおさまりつかない。そんな茶化しは、快か不快かと言うと不快でしょう。 でも、確かに世界は全然平等じゃない、命が等しく扱われているとは到底思えない(被害者と加害者の命が等しく扱われているとは思えないように)、なのにキレイごとばかり言っていることに我慢ならない人には、この映画はその嘘を暴きたて、そんな世界に憎悪でもって何もそこまでというほど報復してくれます。でその悪意を浴びた後で、でもやっぱりそれはないだろう、って思う人は思うんでしょうね。アッパー系ガス抜き(=エンタメ)がハリウッド映画なら、こちらはダウナー系ガス抜き映画とでも言っておきましょうか。
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[009]愛のむきだし
 長大な愛の戯画幸村和2010-11-27
 
さすがに長時間費やしただけあって、コイケのパーツやコイケ演じた安藤サクラの鬼気迫る熱演は目を引く部分があったものの、全体的には幼稚だなあというのが感想。計算されたの・・・
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さすがに長時間費やしただけあって、コイケのパーツやコイケ演じた安藤サクラの鬼気迫る熱演は目を引く部分があったものの、全体的には幼稚だなあというのが感想。計算されたのとは違うと思われるチープさも好きになれない。特に最終章の病院なんかVシネみたい。宗教施設も精神科の病棟もイメージだけのシロモノで、元をよく勉強している、知っている人が写実を理解していながらあえて誇張や単純化による表現方法を取り入れることでそのものの本質的な部分をクローズアップさせる、というのではなくて、よく知らないけどこんな感じだよねーで作ったみたいな。子どもが作ったお話を映画オタクの成人男性が映画化したみたいです。そういうのにお付き合いするにはこの映画は長すぎました。 膨大な聖書の一節の絶叫もよくがんばったなあ、と思うけど、何が心に残ったかと言うと残ったものが、ない。見る人を選ぶ映画ですね。この手の映画を楽しむには私はトシをとりすぎてるのかもしらん、などと思わず考えてしまいました。主題歌のゆらゆら帝国「空洞です」にはシビれましたけど。
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[010]シャーロック・ホームズ
 愉快幸村和2010-08-23
 【ネタバレ注意】
あれれ思ったより評価が高くないですね。十分楽しめたけどなあ。 元からホームズに対して特別の思い入れもなく、また、それゆえに自分のホームズ像が確立されていないのも良か・・・
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あれれ思ったより評価が高くないですね。十分楽しめたけどなあ。 元からホームズに対して特別の思い入れもなく、また、それゆえに自分のホームズ像が確立されていないのも良かったのかもしれません。それにホームズは東洋の武道の心得のある人だったと読んだ記憶があるので(コナン・ドイルがホームズが「バリツ」なるものの使い手と記述していて、「それは武術の間違いだ」とか「いや柔術だ」とか諸説紛々だったような)この映画の武闘派ホームズも違和感なく受け入れられましたね。 言い換えれば、ホームズはこうでなくっちゃ、というのがある人でそしてこの映画のホームズが自分のそれと乖離していると映画の中身以前に受け入れ難いかもしれません。 映画はいわば自己紹介的にホームズとワトソンの見事な連係プレーでどうやら大事件の犯人を捕えるところから始まります。頭の中のシミュレーションがスローモーで展開された後、パンッと現実に切り替わり、シミュレーション通りに、でもスピードは現実のスピードで繰り出されるアクションシーンがとにかく痛快で一気に引き込まれました。この頭の中のシミュレーションから現実のアクションというのはこの後も度々出てきますが、ここは面白かったなあ。 あと造船場での闘いも手に汗握りました。ラストの船が出ていってしまうところなんかは映画館で見てよかったな〜と久々に半笑いの阿呆面になってました。 アクションシーンともう一つの見所はやっぱり謎解きでしょうか。そこについては、緻密さと雑さがないまぜになっていたように感じます。ホームズが色々な痕跡などから過去を読み解き的中させるところはこれぞホームズといった感もありましたが、肝心のブラック・ウッドの蘇生〜連続殺人、黒魔術の謎を暴くところはその強引さと大雑把さに苦笑。その化学薬品何?とか、それできたら何でもアリちゃう?とか、そのほかにも、ワトソン負傷からの回復はや!とかね。ところどころ、突っ込んでしまうところもあるのですが、これだけの娯楽作品だとそんなこんなも行ってまえな気分で見ることができました。 私としては武闘に長け、しかも恐ろしいばかりに頭が切れるけれども生活はだらしなくて嫌なことがあるとスネたりしてしまうホームズと、そんなホームズのお世話係になっているワトソンというキャラに好感が持てたというのも、その辺許容できた原因のような気がします。 あ、綺麗なお姉ちゃんの存在はどっちでもよかったですけど、この手の娯楽作品には欠かせないのかな。ほぼ必ず登場しますよね。しかもそのお姉ちゃんがせんでいいことして挙句危険にさらされ、主人公が巻き添えを食うの。 やっぱり野郎とかおばちゃん、おっちゃんばっかだと退屈するんかな。作品に花を添えるってことか。ま、お好きにどうぞって感じですけどね。その辺は。
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[011]マイレージ、マイライフ
 家族礼賛幸村和2010-08-17
 【ネタバレ注意】
煩わしい重い人間関係に縛られず身軽に生きてきてそんな生き方に疑問のなかった主人公ライアン(J.クルーニー)。 そんな彼が変化していく色々をまとめると、デジタル世代のナ・・・
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煩わしい重い人間関係に縛られず身軽に生きてきてそんな生き方に疑問のなかった主人公ライアン(J.クルーニー)。 そんな彼が変化していく色々をまとめると、デジタル世代のナタリーに出会い、自分のアナログな部分に目覚めた、気の合う女性アレックスと出会った、ナタリーとのリストラ宣告行脚の旅とその旅でナタリーにアレックスに対する関わり方を責められた、妹の結婚式、といったところなんだろうけど、どれも平凡で、物語の展開も先が読めすぎるくらい読めるし、新しさを感じない、どころか使い古されたようなエピソードばかりの印象でした。 ナタリーに責められるシーンでもまるでライアンがその気になりさえすればアレックスはYesとでも言うかのような物言いにどこまで青臭いというか物事を一面でしか見てないかウンザリしつつも、まあナタリーは学生上がりだから、と思っていたら、ライアン、心に波風立ててるし。50前の男がこんな青臭い人生経験ペラペラの娘に責められてその気になるなよ。 そして妹の結婚式当日、ライアンが妹婿にした説得がすごい。「人生の副機長」?いくら方便でもちょっと陳腐なんじゃないの?と思ってたら妹婿、感動してまんまパクって妹に「僕の副機長になってくれ」…どうやらマジメに使ってる。今時こんなセリフを現代の設定で耳にするとは。家庭を築くにあたってどっちが機長とか副機長とか序列で考える時点で時代遅れも甚だしいのにいまだにマジメにこういうセリフが出るシーンに別の意味で感動。 更にアレックスの真実を知り、傷心の帰りの機内シーンも、アレックスと深い対話をすることもなしに勝手にその気になった勇み足勘違い男のトホホな失恋=平凡な展開とも思えます。それまで一人で大丈夫だもん、と意気がっていた男が、50を前にしてその気になれば出鼻をくじかれ哀れと言えば哀れですが、なんかテレビドラマで使いまくられていそうな話です。その前にアレックスという人間を知ろうとしていなかったんだろって。 更にリストラされた人々がその苦難をどう乗り越えたのか、乗り越えつつあるのかを語らせているところも気になります。 みんなが口々に言うのは「妻がいたから乗り越えられた」「子どもが支えだった」「どんな暖房器具より私を温めてくれたのは夫の腕だった」etc…なんかこういう監督の魂胆が見え見えの演出には生理的に嫌悪感を覚える。夫や妻や子どもがいりゃいいってもんじゃないだろう、とケチさえつけたくなる。あんたがただのヘソ曲がりなんだ、と言われればそれまでだけど、でもひとくちにリストラと言っても、それに遭遇した人間の数だけ辛苦があれば、乗り越え方もあるでしょうが。しかしそんな人間の多様さは無視してまるで家族がいないとリストラ(を含むつらい出来事)が乗り越えられないかのような演出。ここ、一番ムカムカしました。 まあ、そんなこんなでケチをつけまくってしまったのですが、物語の内容は平凡とはいえ、そのすすめ方は音楽をうまく使ってリズミカルで飽きない作りになっていたと思います。 特にライアンの出張の達人ぶり(荷物の詰め方、飛行機のチェックイン、チェックアウトetc)の動作はキビキビしつつ優雅でまるで社交ダンスを見ているようで引き込まれました。
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[012]スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師
 辛かった幸村和2010-08-10
 【ネタバレ注意】
ミュージカルだけどティム・バートンだし、ホラーだし、R-15だからちょっと黒さ(?)も期待できそうだし、と思って観ましたが、あかん…やっぱりミュージカルが苦手な私には辛かっ・・・
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ミュージカルだけどティム・バートンだし、ホラーだし、R-15だからちょっと黒さ(?)も期待できそうだし、と思って観ましたが、あかん…やっぱりミュージカルが苦手な私には辛かった…。ミュージカルでも歌って踊ることが似合うコメディーならこれまで楽しく観られたことはあったのだけど、シリアスなもので歌われると、やっぱりあかん…。 うとてるまえにさっさとやれよ!とか、おいおいデュエットしてるで!とか、まだうとてるで!とか、ツッこんでいる私がいる。きっとこういうのミュージカル好きな人は受容できるんだろうなーと思っていたら、これは笑いを狙っているという指摘が。え?そうなん?私は健康的な笑いはもちろん、苦笑も嘲笑も失笑もできなかったなー。ボコボコにされて口から血流しながら求愛の歌を歌っているのにも困っちゃたしな。 後半リズミカルに人の喉首をスパスパ切っちゃうとこはホラーなのに妙にコミカルでさえあり、そこは私の好きなT.バートンらしい面白さがあったけど、その後が続かない。その次に面白さをやっと感じたのはラスト20分くらいのクライマックスか。でもそれまでとにかく長さを感じてしょうがなかった。 例えば内容を少年の目線で展開すればグリムの残酷童話風になってジョニー・デップ演じるS.トッドの不気味さもっと出たかもしれません。まあ怖くしたかったわけではないのかもしれないけど、物語に惹き込まれる進め方ではなかったなあ。 ストーリーだけではなく、映像的にもどこか別のバートン作品で観たような映像で新鮮味に欠けたし、人物描写にしてもワクワクするところは少なかった。近年のティム・バートン作品って見るたびに魅力がなくなるような気がする。
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[013]ブラインドネス
 秩序崩壊幸村和2010-08-09
 【ネタバレ注意】
目が見えることが前提で成り立っていた社会ゆえに、人類が盲目になるや急速に社会崩壊が起きるのがなかなか面白いと思いました。宇宙人襲来やら、自然災害やら、隕石衝突やら派・・・
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目が見えることが前提で成り立っていた社会ゆえに、人類が盲目になるや急速に社会崩壊が起きるのがなかなか面白いと思いました。宇宙人襲来やら、自然災害やら、隕石衝突やら派手な演出で社会が崩壊する映画はゴマンとありますが、そういうドッカンドッカンはまったくないのに、ここまで崩壊するっていうのが興味深い。 既に指摘がありますが、私もこの映画を見ながら「ドッグヴィル」「マンダレイ」を思い出し、それよりもこちらはもっと剥き出しの人間を描いているとも思いました。目が見えなくなったことで人種を含む外見がほとんど関係のないことになってしまった分、原始的な部分が露わになったのかもしれません。 寓話的というのはその通りですが、ただやはり収容所がいきなり粗末で酷い扱いだったのは違和感を覚えます。まだ病気発症者が急速とはいえ初期段階で発症の解明途中、回復の可能性の有無についてわからないという状態で、それなりの社会的地位を持った人間もいるにも関わらず、もし治ったら人権侵害として訴えられ大問題になるようなレベルの収容所に発症者だけ放り込む、ってのはその先の混乱から自治、そして支配社会へ至る過程を早く持っていこうとするための作為=作り手の都合が見えてしまっていただけません。その時点でその先の惨状が予測できてしまうのは拙いと思います。 最初から人権を無視したような施設でそれゆえに直後にすさまじい惨状を呈すよりも、最初は観る側もそれなりに納得のできる隔離施設だったのが徐々に荒んでいく方が秩序の崩壊にインパクトを持たせられたと思うのですが。 とはいっても閉鎖された施設の中で、武器という力を得た人間が力を持たない者、弱い者を蹂躙していく様はえげつないの一言ですし、失明してもなお目が見えていた時の価値観で金目の物を漁る姿は滑稽ですらあり、その描写はまさに寓話的。そして施設の外の食べ物の奪い合いもゾンビより怖い。やっぱり一番怖いのは生身の人間だと強烈に思います。高度な文明社会を築いていたはずの人間がとたんに文明が起きる以前の原始的な状態になってしまう様子は、人間の脆さや、人間なんて所詮この程度という皮肉、警告など感じられ、示唆に富んでいます。ラストがまたいい。この先いくつも直面するであろう問題に対する想像が膨らみます。 例えば、崩壊した街の惨状を見て人々はどう思うか、あるいは見えるようになって喜んだあとに襲われるであろう見えないときの自分がとった行動に対する羞恥心、罪悪感はいかばかりか。むしろ見えないままでいた方が気が楽だったかもしれない光景を目の当たりにし、人々はどうするか。人種を超えた共同体ができつつあったのが姿形が見えるようになってどうなるのか。この先にあるのは希望か絶望か。人間次第でしょうね。終わったあとウウムと考えてしまいました。
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[014]ミリオンダラー・ベイビー
 浅くて薄い幸村和2010-08-04
 【ネタバレ注意】
なんでしょうね。この人は自分が俳優として出てしまうとカッコよく魅せたいという色気が出てしまうんでしょうかね。その時点でカッコよさから遠ざかってしまうんですけどね。C.・・・
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なんでしょうね。この人は自分が俳優として出てしまうとカッコよく魅せたいという色気が出てしまうんでしょうかね。その時点でカッコよさから遠ざかってしまうんですけどね。C.イーストウッドのことですけど。 これまでブラッド・ワークやグラン・トリノ、そして本作と3作品を観ましたが、このイーストウッドが俳優として出る作品はどれもなんだかなあ…感が漂う。 本作でもグラン・トリノの時に感じた違和感がそのままあって(時系列ではこの後にグラン・トリノなんだけど)この人の作品っていっつもこうなんだろうかと思ったり。 その違和感は主要登場人物が孤独であったり、貧困であったり、生きるのに不器用であったりと、わかりやすく同情を引く存在であることに対し、その人物を作り上げてきた土台の部分、つまり生い立ちや環境、人間関係になるととたんに不可解になってくるところで特に感じる。 本作でも、なぜか娘から拒絶されている孤独な老トレーナー、フランキー(イーストウッド)、そしていくら尽くしても家族からちっともありがたがられない貧困家庭の娘マギー(ヒラリー・スワンク)が登場。娘に至ってはなんでこんな姿になっても家族からかような仕打ちを受ける?とハテナマークしか頭に浮かばない。たまたまこのような無慈悲極まりない人間が家族として集結してしまったのか?そしてそんな孤独で心と体に傷を負った二人が強いきずなを結ぶってのもどうにもわかりやすい話だ。 ジムでは発達障害者らしき青年デンジャーも登場する。印象的なキャラクターで人間ドラマ風に展開されるけどマギーとの絡みはほとんどない。 そもそもデンジャーを含むジムの仲間もそう。彼らは鼻で笑っていたマギーの快進撃やそのあとの悲劇をどうとらえていたのか。ジム内のメンバーの話は物語の軸に影響も及ぼさないエピソードのように平行して描かれているだけ。 同じスポーツで成功を志す者として、彼女の成功も敗北もなんらかの反応があっていいはず。毎日ジムで顔を合わせていたのに。ましてや、あのような体になっては他人事ではない動揺を感じるのが普通じゃないか。しかしそんな描写も全くない。 彼女にかかわるジムの人間はフランキーとエディ(モーガン・フリーマン)だけ。そして他の人の指摘もあったけど、マギーを殺すに等しい行為をした試合相手はその試合の後、作品から存在を消す。 マギーの世界には元から善人フランキーとエディの二人とそして悪人家族、そして彼女の語る父親しか存在しない。それ以外の人間が全く見えない。というかこの映画は見せない。マギーは引きこもりでもなければ、ましてや性格に問題のある娘でもない。寧ろひたむきにボクシングに取り組み、家族を愛する優しい娘だ。こんなに性格のいい娘が30年以上生きてきてなんで友達もいなければ家族にもないがしろにされる?なんでここまで孤独なんだ?変じゃないか。これって設定だけじゃないか。「孤独な娘であること」という思いつきのような設定だけ。フランキーも同様だ。人間に深みがない。 そしてグラン・トリノの時もそうだったけど、とたんに映画の軸になる話になると周りの人々が姿を消し、物語に都合のよい人間だけが残る。映画としてはこれ以上のわかりやすさはない。でもこんなわかりやすさ、絶対変だ。 前半の絵にかいたようなサクセスストーリーといい、そして後半の涙を誘う展開といい(私は誘われないが)、先に「こんな物語にしたら絶対みんな感動する=売れる」っていう発想があってそれを元に作ったみたいに見える。これ、原作があるみたいだけど原作通りなんだろうか。テーマは一体何だったんだ。なんて薄い物語だ。 尊厳死の問題をこんな娯楽作品にしてしまうのも不快でさえある。しかもラスト姿消しちゃって、モーガン・フリーマンにいかにもカッコよい男であるかのように語らせてるし。何?それ。カッコよくないよ。 まるでイーストウッドの中に「映画が商業的に成功する方程式」があってそれに則って作っただけ、みたいに見える。こういうの凄く嫌だ。 思えばグラン・トリノもそうだった。ますます騙され感が湧いてきた。
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[015]ヤング@ハート
 年を重ねるって素晴らしい幸村和2010-07-19
 
可笑しかったのが、平均年齢80歳のコーラス隊を指揮するボブ・ヒルマンが、コンサートに向けて新曲を発表した日は「みんなが曲をものにしていくこの過程が好きなんだ」といった・・・
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可笑しかったのが、平均年齢80歳のコーラス隊を指揮するボブ・ヒルマンが、コンサートに向けて新曲を発表した日は「みんなが曲をものにしていくこの過程が好きなんだ」といった前向きなことを言っていたのが、コンサートか近づくのに一向に上達しない、まとまらないご老人達に憔悴の色をにじませ「地獄だ…」とつぶやくところ。ボブ・ヒルマンには悪いのですが一番笑ってしまいました。目の力がすっかりなくなっているボブ・ヒルマンを見ていると彼の寿命が縮みゃあしないか心配になってしまいますが、きっとそんな繰り返しを経て、あのステージへと到達するのでしょう。 「若い時は惨めな娘だったのよ」と言いながら映画のスタッフにジョークを飛ばして輝く笑顔を見せる御年92歳のアイリーン。 「もうこの曲はダメだ!」とボブ・ヒルマンにダメ出しをされても「ワシはやり遂げる!」という86歳レニー。 どの人もとても魅力的です。 そして何より印象に残ったのがいずれ来るであろう自身の「死」、そして迎えてしまった仲間の「死」に対する受け止め方。特に、とても信頼し仲が良かったメンバーが他界した時の悲しみはどんなに深いだろうと思うのですが、死を受け入れ他界した仲間への温かい愛を滲ませる言葉が胸に沁みます。年輪を重ね「死が待っているから生きていることが輝く」ということを一層体現しているようなメンバーが放つ歌からは、テクニックがなんだ!全身から音楽を歌を楽しみたい、楽しませたい、そんなハートがビシビシ伝わります。いやぁ、年を重ねるって素晴らしい! 見た目の表面的な美しさは、内面からの輝きにははるかに及ばない、と実感しました。 あと、曲で印象に残ったのは“I WANNA BE SEDATED”。老人のフラストレーションをパワーに変えて逆ギレ気味にがなっているのがもう最高!最近取りざたされている「暴走老人」、街中で若い店員やレジ打ちのパート女性を相手にキレてないで、こんな風にロックしてみたらどうかな?その時は私も参加して日ごろの憂さを晴らしたいっす。
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[016]マンダレイ
 差別のもたらすもの幸村和2010-06-16
 【ネタバレ注意】
前作ドッグヴィルをクサしておいてなんだけどつい観てしまった、続編マンダレイ。アメリカ三部作と謳うけど、それでだからどうなんだと思えて相変わらず好きにはなれないものの・・・
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前作ドッグヴィルをクサしておいてなんだけどつい観てしまった、続編マンダレイ。アメリカ三部作と謳うけど、それでだからどうなんだと思えて相変わらず好きにはなれないものの、前作のドッグヴィルよりはまだ受け入れられる部分がありました。今回はペラペラ喋られてもあんまりうるさく感じなかったな。慣れてしまったのだろうか。前よりは馬鹿丁寧なご説明が少なかったような気もいたします。あと体育館にチョーク感も薄かった。こちらも平面的な印象が前作よりも少なかったかな。 抑圧にさらされ続けた人間がどうなってしまうのか、自由と言うけれど自由を得るのと同時に負うことになるもの(=自己責任という名の下に情け容赦ない競争社会へ放り投げられるということ)の重さ、そして差別や抑圧の構造はそれを解いた瞬間から問題が解決されるわけではない、ということ等色々見せてくれます。建前の自由より生きていくことの方が大事ですもんね。私としては経済力腕力で組み敷かれ抑圧される関係性は人種間だけではなく性別間にも存在するので、人間と人間が形成する社会について考えさせられて興味深かったです。まあその辺の抑圧する側の思いこみや、される側の本音が齟齬をきたしているという部分においてアメリカが顕著に表れている社会ということなんでしょうけれど。 ところで、ウィレルムがママのマニュアル(だったっけ?)を作ったなら防風林を家の修繕材料に消費してしまうときに賛成せんと止めたれよ。 それとなんだかんだいって様々な勘違いぶりやら、白人の顔を黒く塗ってそれが白人への懲らしめとか言ってるところやら、グレースって一番タチの悪い偽善者タイプです。これ、グレース失敗三部作なんじゃないの?最終作はどんな失敗をするのかな。グレースちゃん。って言うほど楽しみでもないけれど。
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[017]ブレイド3
 あらら幸村和2010-06-15
 【ネタバレ注意】
やっぱり3まで来ると面白くするのは難しいのかなあ。1と2は面白かったんだけどなあ。 ウィスラーも2の冒頭に復活させといて3ではこれまた前半に消されてしまうし、今まで・・・
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やっぱり3まで来ると面白くするのは難しいのかなあ。1と2は面白かったんだけどなあ。 ウィスラーも2の冒頭に復活させといて3ではこれまた前半に消されてしまうし、今まで何だったんだという感じ。 ブレイドがヴァンパイアに嵌められて警察から指名手配され、窮地に陥る出だしは古典的ではありますがブレイドの哀愁を感じていい出だしだったし、拠りどころとしていたウィスラーも死に、たった一人でこの窮地を脱するのは無理だろうというところで仲間のヴァンパイア・ハンターが助けに現れたのもなかなか良かったんだけど、そのあとがどうもグダグダしてしまった感じ。 ヴァンパイア・ハンターがあんなに存在していたのも唐突だったし、その唐突さをカバーする物語もほとんどなかった。 更にあれだけ仲間がたくさんいたのに、それぞれのメンバーが活躍しきる前にほとんどがやられちゃってるのもなあ。メンバー、そんなにいらんかったんちゃうか。ところでヴァンパイア・ハンターたちのアジト(?)に潜入するのに元祖ヴァンパイアがウィスラーに化けてたけどあれ、その必要性があったのかな。 印象に残るシーンもほとんどなかったし、というか私はアクションよりホラー要素が好きなのでそれで物足りなさを感じたというのもあるかも。ちなみにアクションは前作よりはよかったと思います。しかし1には及ばないと思いました。 そして今回注目キャラは元祖ヴァンパイアということになるんだろうけど、こちらもあんまり強そうじゃないしヴィジュアル的にもワクワクしなかった。元祖ヴァンパイア、どこで活躍(?)したっけ。久々に復活したらヴァンパイアがひ弱になっているとお嘆きでしたが、そんな印象しか残ってない。こちらも敵キャラとしては何か物足りなかった。 噛まれたらヴァンパイアに変身してしまう、というヴァンパイアものならではのハラハラ感もここまで来ると皆無だったし、この映画がそもそもヴァンパイアものってことを忘れそうになる有様でした。ブレイド最後の作品としてはなんとも残念でした。
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[018]ブレイド2
 楽しい〜2幸村和2010-06-14
 【ネタバレ注意】
冒頭、くらーい血液銀行に売血に訪れた怪しい男が豹変するシーンからまたワクワク。きたよきたよー。 今作はまたものすごいのが現れました。ヴァンパイアとブレイドがチームを・・・
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冒頭、くらーい血液銀行に売血に訪れた怪しい男が豹変するシーンからまたワクワク。きたよきたよー。 今作はまたものすごいのが現れました。ヴァンパイアとブレイドがチームを組んで戦う相手、死神族です。あの獲物に食らいつくときの口腔構造は引いた。引きながら見てしまうんですよね。イ〜ヤ〜や〜め〜て〜と言いながら瞬きするの忘れてる。このデザインはちょっと「寄生獣」を思い出しました。花のように開くところがね。頭部と口部の違いはありますが。 あと、死神族に変身しそうになるヴァンパイアが無意味に頭切られるシーン。あれで切られた頭の一部がゴロンと転がって、目がパチクリしているところ、ちょっとフェイバリットなシーンなんだけど、あれを見てどっかで見たなーと思っていたら楳図かずおの名作「漂流教室」にあったシーンだった。あれは切られるんじゃなくて右目を含む頭と腕の一部が時空を超えていってしまうんだよね。飛んで行った顔の一部だけが未来であんな風にパチクリしてるの。もしかして、ギレルモ・デル・トロは日本の漫画オタクっていうし、そこからとってないかな。聞いてみたいな。 物語もかつての敵と味方がタッグを組んで新種を退治…なんて単純なお話では済みません。編成されたチームが敵の潜む場所に乗り出すシーンはちょっと笑いましたね。いかにもな作りで。共通の敵と戦いつつも、裏切り者が潜んでいることをにおわせるシーンもあり、そのあたりもサスペンスフルで楽しめます。そしてラストに向けて真相が明らかになるところもちょっと悲哀があってよかったです。父と息子、というテーマはヘル・ボーイでも出てくるけど、ギレルモ監督は何かその辺あるんだろうか。 ちょっと残念だったのは最初あっさり強引に(?)ウィスラーを復活させたところが雑に感じたことと(でもそのあとは良かった)、死神族との乱闘シーンがカメラがころころ切り替わってとても見づらかったところでしょうか。いろんな人があちこちで戦ってるのはわかるんだけど途中で何が何だか分からなくなってしまった。 ヴァンパイアチームではやっぱりロン・パールマンが可笑しかった。あと、東洋人の刀持った人。役に立たない刀を事あるごとにキラーンと出しているのも笑えたんだけど、あの人は有名な香港映画のアクション俳優さんだったの。知らなかった…。 とりあえず、この手のものはユーモアがないと私は絶対にダメだんけど、その点もクリアしているし、映像的にも物語としても1よりも作りこんだ感じがあってとっても楽しめました。
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[019]パンダ・コパンダ
 青い幸村和2010-06-13
 
宮崎駿と高畑勲というコンビで送るジブリ初期作品ということで、前から観たいと思っていました。かなり期待していたのですが、宮崎駿、高畑勲もこんなに若いときがあったんだな・・・
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宮崎駿と高畑勲というコンビで送るジブリ初期作品ということで、前から観たいと思っていました。かなり期待していたのですが、宮崎駿、高畑勲もこんなに若いときがあったんだな、としみじみ。誰でも最初から大人の鑑賞に耐えうる高品質の作品が作れるわけではないということで、若い人はむしろ勇気づけられるかもしれませんね。 パパンダはまさしくトトロの前身そのものでほほ笑ましく、パンちゃんもこちらは小トトロではなくて、むしろメイのポジションでとにかく「可愛い」の一言です。それはいいとしても、やっぱり主人公のミミ子ちゃんのキャラクターはあんまりでした。 事あるごとに「ステキ!」と言って足を広げる逆立ちを披露するミミ子ちゃんですが、そのたびにパンツ丸出し。そんなに四六時中逆立ちしたいならズボンをはいてくれ、頼む、などと誰に頼んでんだかわからないけど思わずそんな気分になってしまいました。今から38年前くらいということは宮崎駿は20代後半〜30歳前くらい?うーん、それくらいの年齢のおっさんがこれを作っていたと思うとちょっと引いてしまう部分があります。そこまでして、スカートはかせたいんだなあ。まあスカート=女の子の記号としての必須アイテムなんでしょうけどね。当時の男性にとっては。 しかもそれほどパンツを丸見えにしてしまうあっけらかんな「子どもらしい」ミミ子ちゃんですが、割り当てられたキャラクターはなんと「母親」!これにも驚き。おまけに「お父さんは会社に行くものよ」なんてことも言ってます。なんだかジェンダー炸裂な感じです。もちろんごっこ遊びでお母さん役をやりたがる女の子はたくさんいますが、実際にやってみれば決して「憧れ」では済まなかったり、なんちゃってお母さんになったりするものですが、なんとこのミミ子ちゃん完璧にお母さんができてしまう。凄過ぎ。宮崎駿は病弱だった母親への思慕の情が強かったと聞いたことがあるけれど思わずこんな女の子にまで母親を求めるその心性をちょっと考えてしまいました。 さらに、この物語世界、これが一番ダメでした。これは私が感じることですが、ファンタジーがファンタジーとして輝くのは現実をちゃんと描いてこそなんです。だからこそ、時々現実に顔を出すファンタジーに誰もが心躍るし、自分の前を通り過ぎた一陣の風がネコバスだったかもしれないという素敵な夢を描くことができるんです。 しかしこの映画は現実にファンタジーがなだれ込んできて、というか現実とファンタジーの境界は元からまったく存在せず、もうファンタジーではなくなっています。完全に「僕の好きな夢の国のお話」になっている。ジブリ信者ならそれでもいいのかもしれませんが(なんといっても宮崎大先生のアニメですものね)、そうではない者には普遍性は持ちえません。続編の「雨降りサーカス」も同様です。電車乗ってるなら、誰も動物園にパンダは見にこんぞ! しかしその後、この作品がトトロへと進化を遂げたことを考えると宮崎駿自身にも色々な出会いや考えるところがあったんだろうなあとは思います。そのスタート地点としては興味深い作品ではありました。とりあえず、パパンダとパンちゃんが可愛いのでそれだけに☆3つです。
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[020]ブレイド
 楽し〜い幸村和2010-06-08
 【ネタバレ注意】
前半の血のシャワーからゾクゾク!背徳と暗黒の映像美とでもいいましょうか。西洋人には即物的で生々しい血がよく似合うと思います(東洋人は怨とか恨が合う。でもそれは私の勝・・・
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前半の血のシャワーからゾクゾク!背徳と暗黒の映像美とでもいいましょうか。西洋人には即物的で生々しい血がよく似合うと思います(東洋人は怨とか恨が合う。でもそれは私の勝手なイメージです)。 主人公は人間にもヴァンパイアにも属せない孤独のヒーロー。ヒーローとは孤独なもんですが、人間とヴァンパイアのあわいに住まう彼は名実ともに孤独なんです。いわば孤独の二乗。その時点でそそられる要素大。 人間とヴァンパイアの中間となる彼の誕生にはかなり無理があります。それでそうなるってのはちょっとヘンじゃないか?と思いますが、このジャンルの映画はヒーロー誕生にしてもモンスター誕生にしても大抵「?」がついて回るので気にしないことにしましょう。 肝心のストーリーもやや「?」な部分はどうしてもあります。一番不思議だったのはなんで重鎮どもがフロストに従順なのか。口では毒づきながら手も出さずフロストにやりたい放題させている。でもフロストがもう一人の主役なのでやりたい放題しないとそもそも話がなくなってはしまうんですが。とそんな部分をあげつらうと、この映画があんまりなようですが、見所は満載。 前述しましたが前半のクラブでの血のシャワーもそうですし、ブレイドにやられるヴァンパイアの消え方も素敵。あと一番ワクワクしたのは古代の神を呼ぶシーンで重鎮たち(純血たち?)の口からしゃれこうべがクワッと出てくるところ。でもって全身出たら翼生えてるのがラブリー。アクションシーンも見逃せません。ブレイドが何人もの敵に周りに囲まれながらも華麗に次々と敵を倒していくシーンはブレイドを中心にカメラを据えてまるでダンスのお披露目のよう。歌舞伎の見得のように決めポーズをつけるのも楽しい。あと、後半飛びだした凝血剤の武器ね。フロストを倒すことになるあれ。あれの炸裂シーンもヒーと思いながら目が釘付けになっちゃいました。 ハードなシーンだけではありません。ヴァンパイアが血を求め、美女の柔らかい首筋に歯を立てる…、ヴァンパイアものでは外せない官能シーンもちゃんと用意してあります。定石をちゃんと押さえている。 残念だったのは孤独な彼の唯一の拠りどころであるウィスラーとのいわば別れのシーン。ここはもうちょっとブレイドに葛藤を見せてもよかったかも。そしたらグッときたかな。 ところでわざとらしい黄色い声で姉ちゃんが歌っているナイトクラブのシーン、あれはなんなんだろ。あれが一番「?」だったかも。そういえばブレイドも刀差してるし、そういう日本的サブカルチャーも取り入れーの、と思ったのかな。原作のアメコミがそうなのかな。まあハリウッドってその手のものが大好きだもんな。ところでブレイド(ウェズリー・スナイプス)が鈴木雅之に見えてしょうがなかった。
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[021]ドッグヴィル
 饒舌幸村和2010-06-01
 【ネタバレ注意】
いやまあなんとよく喋る映画だこと。 状況説明から登場人物の細かな心理状態までペラペラペラペラ喋る喋る。 ここまで説明してくださるなら、何も映画にすることないんじゃない・・・
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いやまあなんとよく喋る映画だこと。 状況説明から登場人物の細かな心理状態までペラペラペラペラ喋る喋る。 ここまで説明してくださるなら、何も映画にすることないんじゃないかな。目を閉じても十分わかると思う。映画なんだったら登場人物の心理描写は役者の演技で表せばいいやん。朗読じゃないんだから。それをナレーターが説明してくれるんだから親切というか大きなお世話というか映画の意義を見出しにくいというか。 第一、目を開けても体育館みたいな床面にチョークで線を引いて字を書き込んだだけの舞台だから、目を開けてみる意味がどこまであるのかわからなくなってきた。実際劇場公開当時本編の三分の一寝てしまったし。まぁ寝ることと目を閉じることは別なんだけど。このある意味奇想天外な舞台はあえて特定の場所に限定されることを避け、普遍性を持たせることを目的としたのだろうか。しかし私は普遍的だとは感じなかったけどな。体育館にチョーク、ただそれだけ。映画製作にお金はかからなさそうだけどね。 内容はアメリカ三部作の第1作だそうな。それにしてもグレースと父親との「傲慢について」のくどい会話もさることながらその会話でグレースはさんざん持論を展開して慈悲深さを示していたのに、急転回で変えてしまった。その急転回の理由説明もまたしてもナレーションで説明だしな。説明によると権力の行使だとか、なんとかかんとか。なんだかグダグダ御託並べてないで、グレースブチ切れでいいやん、と思ってしまった。さんざん村人に好き放題させておいて、あのラストってほんっと極端。映画的には溜飲が下がるけれども、何が言いたいんだかわからない。 あ、もしかして「自由にさせる→ケダモノが跋扈→武器で共同体ごと消滅させる」この極端さが全部アメリカだ、ってこと?つまり、村人もグレースも全てひっくるめてこれがアメリカだってことか?うーん、やっぱりわかるようなわからんような。 9.11前後からアメリカはすっかり世界の嫌われモノだけど、でもって私も危うい国だなと思うけど、かといって、こういう映画をよその国の人間が作るのもなんかあんた何様だよって思う。今のアメリカってこうやん?と言われてもだからなんだ。マイケル・ムーアみたいに自国を憂えるってんならわかるけどさ。なんかこの映画を作った人に対して私は不快感を持ってしまいました。 人間を試すために神の使いがヨソ者として村へ入り、試された結果人間は失敗してソドムとゴモラの町みたいに神の裁きを受けて消滅したという寓話というならそっちのほうがまだ受け入れやすいです。
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[022]松ヶ根乱射事件
 グロテスク幸村和2010-05-27
 【ネタバレ注意】
ほとんど予備知識を持たない状態で観たのですが、いやはやなんとも不快な映画でした。 視覚的に不快というのではないんです。それなら気持ち悪いシーンを入れれば人の気分を悪・・・
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ほとんど予備知識を持たない状態で観たのですが、いやはやなんとも不快な映画でした。 視覚的に不快というのではないんです。それなら気持ち悪いシーンを入れれば人の気分を悪くさせることは比較的容易だと思うのですが、そういうことではない。 なのに、冒頭の仰向けになった女性に近づく小学生。このシーンからすでに凄く嫌な感じがして、そのあともジワジワ確実に不快度が上昇する。例えば金を溶かそうとして無残な状態になっているシーンはストレートな暴力シーンよりも私は暴力的なものを感じました。90年代という背景から、それはまるでバブルの残滓を踏みにじり唾棄するかのようにも見える荒んだ風景です。この表現力はたいしたもんです。 観ながらこの感じは阿部和重の「シンセミア」みたいだなと思っていたら、既に指摘がありますね。地縁血縁の強いうらぶれたとある地方の町。そこに現れた闖入者という異物が入ったことでその共同体のいびつだった秩序に綻びが生じ、そこに住まう人間の醜い部分が静かにドロリと濃い粘液のように表出してきます。 閉塞的な環境の中で人間関係は良くも悪くも濃密になり、その濃さの中でたとえ歪んでいてもその共同体の暗黙の秩序ができていくことは時代を問わずあって、その中で生きる人間の滑稽でグロテスクな部分をこの映画は余すところなく描いていると思います。その共同体の中で孕まれた狂気の暴発はいずれどこかへ向かうのか、そら恐ろしいです。このラストは。 俳優陣の演技もいいです。新井浩文の目が最初は温厚そうに見えていたのがだんだん死んだようになってきてほんま怖いですし、姉(西尾まり)の叫びも共感を呼びます。思考するのをやめたのか、もとからそうなのか、ああいう母親もいそうです。「嫁」という漢字を体現しているようなお母さんです。ほかにもお父さん(三浦友和)、チンピラ(木村祐一)、弟(山中崇)、みなさんそれぞれ印象的な演技ですが私が一番不快に思ったのは池内みゆき(川越美和)でした。被害者にすり変わることに長けた粘性の女性の怖さ、タチの悪さをじっとり感じ、気持ち悪かったです。 どこかにお粗末な部分が見えたりすれば、多分ここまで不快にはなれない。それだけこの映画はとてもよくできた、質の高い映画だと思います。ただ、あまりに不快でもう一回見る気は起きませんが。 追記:この監督の作品とあまり意識せずに「天然コケッコー」と「リアリズムの宿」を見ていたことに今回気がつきましたが、この監督は人間のダークサイドや情けない部分を描いた方がいい映画を作れるんじゃないかな。音楽のセンスもいいですね。
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[023]湖のほとりで
 弱き人々へ幸村和2010-05-23
 【ネタバレ注意】
この物語の舞台は静かなイタリアの村。叔母さんの家から自宅へ帰ろうとしていた少女が、知り合いの車に乗って行ってしまうところからこの物語は始まります。いきなり走る緊張感・・・
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この物語の舞台は静かなイタリアの村。叔母さんの家から自宅へ帰ろうとしていた少女が、知り合いの車に乗って行ってしまうところからこの物語は始まります。いきなり走る緊張感。少女を連れ去った男、マルコの少し粘り気のある視線を含んだ表情をアップにしたり、まるでこちらの緊張を見透かすように物語は進んでいく…ように見えたのですが、それは事件発見のきっかけに過ぎません。むしろそういう目で見ていた自分に私はたじろいでしまいました。多分、そこまで計算に入れて練られたシーンなのでしょう。これで私はこの物語の主人公である警部と同じ目線に落としこめられます。巧い! マルコと少女が湖のほとりで発見したのは若い女性の他殺体です。犯人を捜査する展開は派手さはないものの、音楽を効果的に使って人々の揺れ動く心理や、事件のあらましが見えてくるのが十分ミステリアスで見ごたえがあります。 が、この映画のテーマは犯人捜しの謎解きというよりも事件をきっかけとして見えてくる人々それもとりわけ男たちの弱さ、脆さが映画のテーマのように感じました。 知的障害の息子を認められず憎みさえするマルコの父親、実の娘を病的に偏愛し義理の娘をまるで存在しないかのように扱う父親、アンナの病院通いを妊娠だろうと下衆な勘繰りをするコーチ、働くのが厭ですぐ仕事を休んでしまうアンナの恋人、発達障害の息子に心の折れた父親、そして警部さえも妻の認知症と向き合うことができない。ラスト近くでは妊娠中の女性刑事が警部に言います。「夫が怖気づいて出産に立ち会いたくないって言っているの」。 生物学的に見て男性の方が色々な意味で女性よりも弱いということを解剖学者の養老孟司さんが著書で述べていたことを思い出します。実生活でもそれを感じることは確かに多い。 ただ、この映画は男たちは弱くてダメだ、と言っているのではありません。これらの人々に対する目線はただただ悲しみを帯びているように感じました。犯人探しというとそちらに目が行ってしまい、犯人がわかると意外だったとか思った通りだとかそういうことに話が向きがちですが、犯人が見つかるシーンは大きな意味をなさず重厚な人間ドラマになっています。 何より余韻を残すのはラスト、警部が娘とともに妻を見舞いに病院に行ったシーンです。娘フランチェスカを見て微笑む妻が通り過ぎて行ったあと警部が娘に言ったセリフ。それは失っていくものに戸惑い、受け入れることができないでいた警部が、今あるものを愛おしむことができたときにこぼれたセリフです。そこには脆い人々に対する悲しみを湛えながらも、でも人は強くなれるんだ、という温かいメッセージを感じました。秀作です。
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[024]Dr.パルナサスの鏡
 テリー・ギリアム幸村和2010-05-22
 【ネタバレ注意】
パルナサス博士の鏡の中は己が欲望がブクブクと肥え太った世界。砂糖菓子のようにフワフワ甘く恍惚を誘うカラフルワールドだったりするのだけどやがて肥大化しすぎた欲望はまる・・・
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パルナサス博士の鏡の中は己が欲望がブクブクと肥え太った世界。砂糖菓子のようにフワフワ甘く恍惚を誘うカラフルワールドだったりするのだけどやがて肥大化しすぎた欲望はまるで自身の重さに耐えきれなくなったかのように次第に歪み、裂け目が生じ、その裂け目から悪魔が顔をのぞかせてニヤリと笑う…パルナサス博士の鏡の世界を堪能しながらそんな想像が膨らみました。 人それぞれ色々な感じ方ができると思いますが、この作品のテリー・ギリアムが構築するイマジネーションの世界はとにかく圧巻の一言に尽きます。テリー・ギリアムらしいチープさ漂う色遣いも含めた全体の雰囲気が、欲望でできた虚の世界の薄っぺらさをとことん効果的に表現しています。 そしてパルナサス博士一座の馬車やみすぼらしくもピカピカした一座の舞台、随所に散りばめられた強烈な毒、もう全部待ってました!と笑ったり、息をのんだり、ワクワクしたり。あらためてテリー・ギリアムはイメージを絵にしてそれを動かせることに卓越した才能を持っていると感じました。 テリー・ギリアムの魅力はそんなイメージの具現化だけではなく、障害を持っている人やホームレスといったマイノリティーを特異な存在として扱わず、しごく自然に登場させ、一人の物語の担い手として表現していることにもあると思います。テリー本人もそれと気付いていないんじゃないかと思うほどに。そこに、あれほどの毒を吐きながらも人間に対する垣根のない愛を感じます。 この先入観のない子どものような天真爛漫さと想像世界の構築、そして大人の皮肉の利いた知性、これがテリー・ギリアムの魅力だと思っていますが、本作でもそれはいかんなく発揮されていると感じました。吃音のアントンや、パーシー、そしてパルナサス博士もホームレスだったりしますがその設定に乗っかって物語が進行するというのではありません。 一方その子どものような自由さが徒になるのか、ストーリーについては論理性やまとまりが弱く感じられ、そのせいで冗長になったり散漫になったりする印象を感じることもあります。この作品にもそれを感じました。最初のパルナサス博士と悪魔の賭け、2回目の賭け、どちらもいまいちわかったようなわからないような印象で、そのせいでパルナサス博士が賭けに負けそうになってもハラハラする気持ちが伝わりにくかった。 また、ヴァルのお母さんを射止めるためにした取引は、娘が結婚年齢になって連れ去られるということから、これは邪な男が現れ娘を籠絡して連れ去ってしまうということの比喩なのだろうかと思ったり。その邪な男がトニーってことなんだろうか、とか。 それでも欠点(と私が勝手に思っている)を補って余りあるテリー・ギリアムの魅力がこの作品にはふんだんにあると思います。 あと、印象に残ったのはアントン(アンドリュー・ガーフィールド)の演技です。口先巧くおばさま方をくどき、集客し、愛するヴァルさえ虜にする魅力を振りまくトニーに対しアントンときたらすぐどもってしまうし営業も下手。そして子どもっぽく劣等感をむき出しにするところは、登場人物たちの中で一番共感できました。だからこそ、ラストはとてもハッピーな気持にもなれたし、そしてパルナサス博士の安堵と切なさとかすかな希望のようなものも感じられました。このラストの幸せな気持ちと切なさ、希望。これもテリー・ギリアム作品を観るとよく感じるなんとも言えない感覚です。好きだなぁ。
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[025]カポーティ
 冷血と言うより怪物幸村和2010-05-12
 【ネタバレ注意】
「ティファニーで朝食を」原作未読です。映画も未見です。 「冷血」未読です。カポーティ、写真でも見たことありません。 なのに、なぜこの映画を観たのかと言うと、フィリップ・・・
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「ティファニーで朝食を」原作未読です。映画も未見です。 「冷血」未読です。カポーティ、写真でも見たことありません。 なのに、なぜこの映画を観たのかと言うと、フィリップ・シーモア・ホフマンの演技が素晴らしいと目にし、更に映画の評判もいいようだったからです。 それに触れたことのない作家について知ることが自分にとって素晴らしい出会いになるかもしれない。そんな期待も抱きつつ観ましたが、カポーティの作品を読もうという気は起きませんでした。残念。 ペリー(クリフトン・コリンズ・Jr)には同情と共感を示し、甘い言葉を囁き、更には刑罰の軽減のために尽力することで自分の望む話を引き出させ、それを作品としようとする一方、実際に出来上がっていく作品はペリーにかけていた甘い言葉とはうらはらな、そのタイトルも「冷血」というノンフィクション。しかしそうして二枚舌を使って出来上がった作品って面白いんだろうか。私はあまり読む気は起きません。そもそもカポーティの「冷血」朗読シーンを聞いて、「もっとその先を聞きたい」「『冷血』を読みたい」と思ったかと言うとやっぱり否でした。引き込まれる小説は数行で引き込まれるものですけど。 ただその作品をカポーティが仕上げていく過程は、ペリーを利用して作品にしようとする野心と狡猾さ、ペリーへの情や良心という二律背反の心理のはざまでカポーティが揺れるのが見てとれて、それがいかにも危うく、そんなカポーティという人間を不快にも感じながらも心に引っかかるものがありました。さすがに評判になっただけの演技をフィリップ・シーモア・ホフマンがしていたと思います。 しかし実は私がもっとゾクッとして心に残ったのはペリーの方でした。哀愁を帯びた陰を放ち、不幸な生い立ちが彼を犯罪者にしたのかと思わず同情を誘うような表情を見せたと思うと、もしかして根っから残虐なのかもしれないとも思わせる。人間の深奥の闇が見えるような見えないような底知れない恐ろしさをクリフトン・コリンズ・Jrの演技に私は感じました。 だからこそ、怪物なのはペリーか、カポーティか、そもそも怪物は人間の深奥にいつも息をひそめて現れる日を待っていて、カポーティは怪物ペリーを追ったつもりが自分のそれをその奥に見つけてしまった、そのことに震え壊れたのかもしれませんね。 ところでフィリップ・シーモア・ホフマン演じるカポーティですが、確かに危うい心理を表現していたとは思うのですが、あのフニャフニャした甘ったるいしゃべり方が、ウッチャンナンチャンのウッチャンがコントでしてたキャラに見えて仕方がなかった。でも本人にクリソツ(←死語)なんですよね。そう言われても本人知らないしなぁ。 これだから教養のないバカは困るって思われそうですがね。見えちゃうんだから仕方ないです。
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[026]シャーロットのおくりもの
 蜘蛛に泣かされた…幸村和2010-05-10
 
ブタが主人公なん?くらいの知識で観ました。シャーロットが蜘蛛とは意外。ウィルバーも可愛いし、納屋の動物たちがみんな個性的で愉快でした。特に私のお気に入りは羊たち。長・・・
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ブタが主人公なん?くらいの知識で観ました。シャーロットが蜘蛛とは意外。ウィルバーも可愛いし、納屋の動物たちがみんな個性的で愉快でした。特に私のお気に入りは羊たち。長老とその他メンバーが可笑しくて。あと、日本語吹き替えで観たのですが、大阪弁(千原兄弟)のカラス、最初はこういうのばっかり大阪弁かよ、と不満でしたが、途中から面白くなってきて彼らが登場すると笑ってしまいました。まんまと乗せられた感じです。 ところで、元はネズミのテンプルトンがブシェミなんだ。そっちも聞いてみたかった。外見で選んだのか?っていう配役ですね。 そして何よりもツボに入ったのは蜘蛛をこんなに愛おしく描写するところ。我が家では蜘蛛は基本、益虫の部類に入っているので駆除の対象にしていないのですが、世間ではなんであんなに嫌われるのかなあ、と思ってたんですよね。蜘蛛の巣なんか芸術作品だと思うし(顔にかかった時はむぉおと思いますがね)、その蜘蛛が巣を編むシーンは私の中では一番のハイライト。美しい、優雅、たおやか、平凡な表現しか出てこないけど、そう感じます。これだけでも見て良かったと思いました。 納屋の動物たちの表情やしぐさにも違和感がなく、今の映像技術たあ、本当にすごいです。あまりに凄過ぎて想像力で補う力を削いでしまわないか心配してしまうほど。 これを見た人がせめて蜘蛛が嫌いじゃなくなった、くらいになるといいですね。それをきっかけに虫や小さな生き物に対してほんの少しでも情をかけるようになればもっといい。網戸にまで殺虫剤まくこたなかろう、って思います。 それにしても、クリスマスのディナー、ウィルバーの代わりになったのは誰(何)だったんだろうなぁ…。命を喰らって生きている、というのが次なるテーマでどうかな。
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[027]ジュリー&ジュリア
 味わえない幸村和2010-05-08
 【ネタバレ注意】
玉ねぎもうまく切ることができなかった外交官の奥様ジュリア・チャイルドがそのバイタリティーでメキメキ腕を挙げ、とうとう本まで出版する、という成功譚は既にパンフで説明済・・・
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玉ねぎもうまく切ることができなかった外交官の奥様ジュリア・チャイルドがそのバイタリティーでメキメキ腕を挙げ、とうとう本まで出版する、という成功譚は既にパンフで説明済みなので、予想通り楽しめる一方、予想を超えるというところまではいきません。メリル・ストリープが底抜けに明るくバイタリティーの塊のようなジュリア・チャイルドを好演していていてさすが、という印象でした。 しかし、この映画の肝は現代のジュリー・パウエル(エイミー・アダムス)部分にあったと私は思っています。自分が描いていた将来像とは違う、華やかさとは無縁の職業に就いてどこか満たされないものを持っているジュリー・パウエルが、そんな毎日をなんとかしたいとジュリア・チャイルドの524もあるレシピを1年の期限で全品作り、それをブログに公開する、という課題を自分に課す、というまるで「いきなり黄金伝説」みたいなそのストーリー。その課題がいかに困難極まるものであったのか、というところがクローズアップされないと、こちらは映画に入り込むことはできません。 じゃないと、結局はジュリア・チャイルドが何もないところから作り上げたものをなぞるだけになってしまって、「大変なことをやり遂げて自信がついた」彼女に対し、一緒に成功体験を味わうことができないからです。 これ、ものすごーく大事なポイントだったと思うのですが、残念ながら観ているこちらも一緒に「やったね!」と思うことはできませんでした。 大量のバターや、牛肉のブロックを2回も買ったり、ロブスターを3匹も買ったり、いくら共稼ぎでも普通そんな高級食材を買ってたら、費用がバカにならないんじゃないか?家計を逼迫しなかったのか?入手困難な食材や調味料もあるでしょ。しかし、その辺の苦難については表現不足を感じました。現実にお金に困らない夫婦だったのかもしらん。ピザ屋の2階に住んでるんだからそんなに資金が潤沢には思えませんがね。 そして、フルタイムで働いてあれだけのことをしたら睡眠時間も削ってフラフラになりそうだけどその辺もそんなに感じなかった。 せいぜい共感できるのはうまく作れなくてヒステリーを起こす、というところと、ブログに対して反応がないことを気にしている、というところか。同調するにはやや弱いです。 決してお金持ちでもなく、人一倍エネルギッシュなわけでもなく、器用でもないごく普通の女性が、限界値を超えたところでふんばって目標を達成した、と思えたら、この映画はジュリア・チャイルドの成功とジュリーのそれを重ね合わせて、観ているこちら側も一緒に成功体験を味わい、元気をもらえたのでしょうけどね。 それともうひとつ気になったのは、彼女は作ることを目標としてしまっているように見えること。その結果、料理を味わい楽しむ、という部分が見えなかった。出来上がった料理をただ「美味しい」と言うだけでは物足りなさが残るし、酷いのになると2回も作った牛肉の煮込み料理を「食べてない」という状態。ブログの反応は気にするけど、それより大事なのは成功も失敗も含めてどう味わったのか、ということだったのでは?と食べ物を捨てることが大嫌いな私は思うわけです。 ジュリア・チャイルドが「私の好きなことは食べること!食欲、モリモリ〜♪」と朗らかに言う女性だったように、彼女のレシピは「食べるため」にあります。「作るため」じゃないんですよね。作ること、ブログにアップすること、ブログの反応、それらを気にしているジュリーを観ていると、それではジュリアが不快感を示すのも無理はない、と私は思ってしまいました。いくらジュリーがジュリアが好きと言っても、ジュリアという人そのものを理解していないのでは? ジュリーの成功体験、そして料理そのもの、残念ながら両方ともに私は味わうことができませんでした。
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[028]トワイライト〜初恋〜
 キツい幸村和2010-05-05
 【ネタバレ注意】
人口3000人、雨がちの小さな町の高校に転校した主人公。 どうやらこの主人公は、相当「可愛い、イケてる転校生」なのである。可愛いイケてる転校生は皆の視線を釘付けにするの・・・
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人口3000人、雨がちの小さな町の高校に転校した主人公。 どうやらこの主人公は、相当「可愛い、イケてる転校生」なのである。可愛いイケてる転校生は皆の視線を釘付けにするのである。その証拠に転校早々主人公はカメラで写真を撮られ「学校新聞のトップ記事にする」と言われたり(byイケてない男子学生)、やたら男の子が世話を焼きたがったり(byイケてない男子学生)、歩けば皆に注目されたりするのである。 そして、そんな主人公の目の前に現れた耽美な集団。この耽美な集団は「彼らはゴージャスだけどいつも彼らだけで行動している」という近寄りがたいオーラを発している集団で、その耽美集団の中にいる一人の男子にヒロインは目を向ける。その男子も同級生女子によれば「彼もゴージャスだけど誰も(女の子を)相手にしない」らしい。しかしその女子高生の「別に相手にされなくてもいいんだけどね」という口ぶりは明らかに強がりである。つまり、彼は「高嶺の花」なのである。 なまっちろい白い肌に長めのアゴ。ひげのそりあとも青々しく、そしてバラ色の唇、という私的にはちょっとホモっぽく見える微妙なビジュアルだけど、それは置いておこう。あくまで映画の設定ではどうやらゴージャスで天上人のような存在なんである。 そして、そんな注目の転校生ちゃんと高嶺の花君は瞬時に恋に落ちるのである。偶然、生物の授業で隣り合う二人。目と目のあったその瞬間から、静かな電気が走る。多用されるスローモーション。流れる音楽。そして絡み合う視線。あーキツい。勘弁してくれ。尻のあたりがムズムズする。 とまあここでやめればよかったのだけど、もしかして面白くなるかも、と考えた私がバカだった。いや、好きな人は好きだと思うのです。最後まで見た印象はこれは少女マンガの世界だな、と。小学校5年生〜高校生、つまりティーンエイジャーの女の子は陶酔するのかもしれないと思ったり。例えば「ときめきトゥナイト」あたりが好きな(過去形含む)人とかね。もう胸キュン要素(自分で打って寒気が)が満載なんだろうなあと。私は自分がティーンエイジャーのころからどちらかというと少年漫画(格闘系)が好みだったので、推測でしかありませんが。 「君とは係わりたくない」「僕は君の近くにいない方がいい」というようなことをわざわざ言いに来るヒーロー。なら、言いに来るなよ、なんて思う人はきっと見ない方がいい。この「いけない、ダメダメ、でも離れられない…」なやりとりがたまらん人はいいと思います。 あと、人口3000人の町(集落か?)で定住して、何十回も17歳をやっているヒーロー(その一族含む)に町の人々は何の違和感も持っていないという設定をすんなり受け入れることができる人もいいかも。 ところで、細かいことを言ってなんだけど、人類を超越した身体能力を持つ一族の野球シーンでのアリスの投球フォーム、番場蛮の如く高々と足を挙げ、さすがと思わせた瞬間、おネエ投げにはコケた。いや、まあおネエなんだけどさ。どうも肩を入れてボールを投げられない人って球技がニブそうで気になっちゃって。
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[029]サウンド・オブ・サイレンス
 案外面白い幸村和2010-05-02
 
マイケル・ダグラス、久しぶりに観た気分です。これまで私が見た映画で印象に残っているマイケル・ダグラスと言えば「危険な情事」や「氷の微笑」「ディスク・ロージャー」「ダ・・・
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マイケル・ダグラス、久しぶりに観た気分です。これまで私が見た映画で印象に残っているマイケル・ダグラスと言えば「危険な情事」や「氷の微笑」「ディスク・ロージャー」「ダイヤルM」といった、セクシーなのにインテリなのに金持ちなのに女性に痛い目にあわされる、とか、女性に陥れられるといった悲哀を感じさせる役どころで、今回もまた優秀な精神科医で登場です。おかげでどこかで女性に殴られるんじゃないか、という心配半分期待半分でダグラスを見ている自分がいましたが、それは大丈夫でした。ダグラスには悪いことをしましたが、私生活でもキャサリン・ゼタ・ジョーンズの尻に敷かれているイメージが災いしているのかもしれません。 さて本作は飽きずに最後まで見られるサスペンスになっていたと思います。少女の病名診断は恐らくコンラッド医師(マイケル・ダグラス)の優秀さをアピールする手段の一つなのと、あんまりそれで引っ張ると時間切れ(?)を起こすのと、この物語の軸は少女の心にしまいこまれた番号探しと犯人とダグラスの攻防の二つにあったのではないかと思われたので、まあ許容範囲かなと。 私がちょっと面白いなあと思ったのは、犯人とコンラッド医師の電話でのやりとりです。例えば犯人が最初に電話をしてきたところですが、子どもを誘拐された親が犯人からの電話を受けるシーンというのは大抵似たり寄ったりだけど、そこはさすが優秀な精神科医、相手の心理を巧みに突いてイニシアチブを簡単に渡しません。 そのあともそういった精神科医ならではの心理的かけひきや、自分の持ち札ができればそれの使いどころを見極めて強気に転じたり、といった箇所があってそこが印象的でした。心理的駆け引きというと、ひところ犯罪者の心理をプロファイリングする、という趣の映画が流行ってはいましたが、この映画は最初から犯人がわかっているので、そういう顔のない犯罪者の犯人像に迫るというものとは全く違い、それがマンネリ感を感じさせず良かったのかもしれません。 更に、コンラッド医師の奥さん(ファムケ・ヤンセン)と犯人とのスリリングな攻防、犯人を別のアプローチから追う女性刑事キャシディー(ジェニファー・エスポジート)、という二人の女性の存在も男性陣女性陣の活躍のバランスがとれていて、退屈にさせない効果があったと思います。犯人(ボス)役のショーン・ビーンも冷酷で狡猾な犯人をこれでもかと演じてましたし、誘拐される女の子もキャーキャー騒ぐことなく、利発で好感度大のキャラでした。 ただ女性刑事が夜に一人でボート乗って行くってのは映画的だな、とは思いましたが、ま、それも許容範囲かなと。手堅くまとめていて案外面白かったです。
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[030]ブラザーフッド
 兄ちゃんが怖い幸村和2010-04-22
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韓国で大ヒット、感動の超大作だそうである。感動か…。ちょっと違うな。いやだいぶ違うな。 私は最初から最後までとにかく兄ちゃん(チャン・ドンゴン)が怖かった。 最初の敵・・・
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韓国で大ヒット、感動の超大作だそうである。感動か…。ちょっと違うな。いやだいぶ違うな。 私は最初から最後までとにかく兄ちゃん(チャン・ドンゴン)が怖かった。 最初の敵地へ侵入して北朝鮮兵士を倒していく様は、冒頭の弟へのいたわりと慈愛に満ちたお兄さんとは打って変わって別人のようで、その姿はさながら鬼神だ。何が怖いって、このお兄さんの激しさは「殺らなきゃ殺られる」という恐怖からくるものではなく(それならまだ寄り添えた)、「武勲をあげて弟を除隊させるため」なんである。怖い。 戦争の悲惨さは(直接手を下す歩兵戦ともなれば特に)本当は人を殺すなんてしたくないけどそうするしかない葛藤とか、そういうところにもあると思っているのだけど、このお兄さん、その辺の葛藤はあんまりないみたい。弟に対しては溢れんばかりの愛情があるのにな。ましてや、朝鮮戦争は同じ言葉も話す一つの国だった同じ民族同士。その葛藤は日米戦争のそれよりももっと激しく、それゆえに辛いだろうと思うのですが、その辺はどうだったんでしょうか。思想教育やプロパガンダでもう既に徹底的に断絶していたのかな。朝鮮戦争については不勉強なので滅多なことは言えませんが。 そのうちお兄ちゃんはますます狂気を帯び本当の鬼のようになってきた。それでも弟を除隊させて学校に通わせてやりたい、という一念は揺るがない。北朝鮮軍の兵士には血走った眼で情の欠片も見せず制裁を加えたりする一方で、弟におまえは家族の希望なんだ、死なせるわけにはいかないというようなことを言う。怖い。 そして後半、愛する婚約者も反共組織に殺され、更には弟まで共産主義を疑われ殺されたと思った兄は、弟を殺した上官を石で滅多打ちで撲殺し、北朝鮮に寝返るのである…! そして北朝鮮軍で旗頭として今度は韓国軍をバッタバッタと殺す兄。かつてともに戦っていたはずの韓国軍兵士は無残にも兄に殺されていく。兄を捜しにそんな戦闘のさなかを飛びこんだ弟の目に映ったのは、白目をむいて完全に狂鬼と化した兄の姿だった。 白目のお兄さん、ビジュアル的にも一層怖いが、お兄さんの怖さが最高潮に達したのは、死んだと思った弟と再会し、正気にかえってからである。弟に「先に逃げろ」と送った直後、体の向きを変え、北朝鮮軍に銃を乱射するのだ。お兄さん、再びの寝返り。今度はさっきまで一緒に戦っていた北朝鮮軍兵士が次々血を噴き、死んでいく…。お兄ちゃんにはともに戦った仲間に対する情はないのか? 全ては愛する弟を守るため、である。でもね、でもね、死屍累々とお兄さんが築いた死体の山、その一人ひとりにお兄ちゃんにとっての弟と同じ、かけがえのない大切な家族がいるんだよ。しかし、そういう想像力や情は戦場に送られた最初から最後まで、お兄さんからはほとんど感じられなかった。ただ、弟への愛だけを除いて。 それが戦争といえばそうかもしれない。人を狂わせ、想像力を奪うのが戦争だと。でも、この映画はそれをメッセージとしているのか?そうは思えないな。 国家に翻弄され幸せを希望を打ち砕かれた兄弟の悲話をテーマにし、「感動の超大作」と銘打っているのではないか? 弟に向けてただひたすらに貫き通した兄の愛、周りが完全に見えなくなるような愛。ひたむきではあるけれど美しいか?これは愛というのか?思わず愛について考える自分がいた。 ところで、お兄さんの怖さに目が行ってしまったのは確かだが、本編の大半はむごたらしい戦闘シーンだ。ちぎれる手足、吹き飛ぶ体、退路を断たれ飢えに襲われ、狂って銃を乱射して味方を無差別に殺し、自身も自殺する兵士…。そんな延々と続く凄惨なシーンにこちらも疲労感さえ覚えるほど。あるいはいつまでも続く殺戮に、飽きにも似た虚無感を感じると言ってもいい。そしてそれが戦争というものなんだろうなあと。そういう意味でこの映画は戦争のおぞましさを十二分に伝えていたとは思う。 でもやっぱり兄ちゃんが私は怖い。
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