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 「三葉十四郎」さんのコメント一覧 登録数(171件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]レスラー
 プロレス道とは死ぬことと見つけたり三葉十四郎2009-11-04
 【ネタバレ注意】
プロレスラーとは、誰もが我こそ最強と誇示して挑戦を拒まない強靭な体を持つ男達である、と認識されている。 一方でプロレスはショーだ、シナリオ通りに行われるパフォーマン・・・
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プロレスラーとは、誰もが我こそ最強と誇示して挑戦を拒まない強靭な体を持つ男達である、と認識されている。 一方でプロレスはショーだ、シナリオ通りに行われるパフォーマンスだ、との声もある。  実際映画でも試合前に勝ち方や段取りが打ち合わされていた。   だのに、カメラが映すレスラーのボロボロぶりはどうだ。 ショー・マンをやっているだけだとしたら何故こんな身体になるのだ。  肌は土気色、薬漬けで顔はむくみ、手足の関節はサポーターが巻かれてないともげてしまいそう。 こんな不健康そうな人間はそうそう居るもんじゃない。  これが実情か。 リングの上では雄々しくて尊敬を集めるが、会場を一歩出れば大家にもバイト先のマネージャーにも侮られてしまう。  盛りを過ぎた花形レスラーのランディ・ロビンソンはいきつけのショーパブのストリッパー、キャシディを馴染みに通う。 ランディのミッキーローク、キャシディのマリサ・トメイ、どちらも商売に体を晒す役柄だ。 両名とも優れたボディコントロールで、肉体で役者ぶりを発揮して魅せた。  マリサ・トメイなどは、僕らは年もキャリアも承知しているはずですが、それでいてあのヒップラインの見事さですから、情も深そうで僕だって常連になりたいや。 知ってりゃお茶なんか引かさないよ。   体の酷使が元で心臓にバイパス手術をし、ランディはリングを離れた人生を模索するが、キャシディとの仲は進展せず、娘と親子の絆を取り戻すことも叶わない。 バイトの時間を増やして惣菜の売り子になってはみたものの、客に落ちぶれ様を指さされるや、こんな仕事やってられるか、と店内で大暴れをする。  見ている間は、その仕事でご飯食べてる人もいるのだけどなぁ、と思ってもみたが、見終わってみると、あれは彼が挙げていた悲鳴だった事が良く判る。 体の痛みにはいくらでも堪えられても心の痛みには耐えられない。   レスラーと言う生き方は自己破滅に至る道ではないのか。 闘って闘って、上に往けばいく程に、鍛えられた、より若い挑戦者が現れて、人気が上がる程に高いパフォーマンスが求められる。 傷付いた体の限界を超えた分はクスリで埋めるしかなく。 生き急ぐ、などと言う次元の話に思われない。  最後の試合では、歓声沸きたつ会場でリングのコーナーポストにランディは立つ。 あそこがプロレスの中の一つの頂上で、しかもそこは普通に降りられる場所じゃないんだな。 飛び降りしか出来ない。 ラストショットのダイビングが身投げに見えたのは僕だけじゃないだろう。  僕はプロレスは門外漢だからちょっと出すぎた書き込みになるかもしれないが、やはり考え合わせておくのはごく自然な事と思うので、プロレスラー三沢光晴選手の死についても敢えて触れておきたい。  洩れ伝え聞くところによれば三沢選手という人は受け身の達人だったと言う。 だから、きっと後進の若手には、受け身の出来ないヤツは死んでしまう、選手としてリングに上げられない、と教えていたと思うのだ。  起き上がれない姿をファンに見せるのは無念だったろう事は疑い無いが、受け身に失敗したからマットに命を散らすんだ、という風に納得出来るところもあったのじゃないか?、こんなのは言いすぎだろうか。  でも実際に起きた事の印象と映画「レスラー」の感想は重なって、プロレスの因果の深さをより一層強くした次第。  エンドロールに掛かるブルース・スプリングスティーンのレスラーの歌。 "道端を這いずっている3本足の犬それはオレだ、風とケンカする片目の男が居ればそれはオレだ"、  か、悲しすぎる…
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[002]英国王 給仕人に乾杯!
 バブルと苦味の果てにあった人生のシアワセ三葉十四郎2009-10-30
 【ネタバレ注意】
この主人公は性格こそとぼけているが、人生の目標は極めてハッキリしている。  お金持ちになること。  多いに共感しましたね。 365日24時間、カネ持ちになりたくなかった・・・
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この主人公は性格こそとぼけているが、人生の目標は極めてハッキリしている。  お金持ちになること。  多いに共感しましたね。 365日24時間、カネ持ちになりたくなかった事など一度も無い。 今なりたい、でなきゃ明日なりたい、将来的には絶対になるつもりだ。  しかしその予定の中に"とりあえず宝くじ当てる"と言う難所がありまして、目下のところ達成の目処がついてなく。 他の手段も模索しなかった訳でも無いのですが地道な方針を採ってないせいか企画倒れが続いております。  本作のジーチェは僥倖にも恵まれていますけど、ホテル王になりたい、と少なくとも可能性の有りそうな環境に身を置いている分、僕よりも努力をしていました。  そして映画は金持ちだと何が出来るか、たびたび華美なシーンとして魅了してくれます。  15年の刑期を14年と9ヶ月で出ることが出来て、自分はツイてると考える壮年のジーチェ、彼はこれまでの人生を回想する。  小さな国の小さな男であった彼は、チャッカリ者な駅の売り子、渡し損ねた釣り銭は、札はポケットへ小銭は撒き散らして人がそれを拾うのを見て楽しむ。 イイ性格だ。  その後ビアホールの給仕になると、先の釣り銭ちょろまかされたヴァルデン氏と再会、彼はジーチェの行為を観察しており、"小銭は上手に捨てられれば札になって返ってくる"、と自分の稼ぎを床に並べてジーチェを魅了する。  撒かれるコインは一般人から金持ちに至るまで皆拾う。 ジーチェは彼らを試しているんだろうと思うんだ。 並べられた札や、放り上げたコインが様々な商品札になって落ちてくる、というのは成功の象徴で、拝金主義は広く信じられていて自分もそれで成功したい、チホタ荘の老富豪達の様に若くて可愛い女の子をはべらせて遊ぶには彼らの末席に加えて貰わなければならない、と。   ジーチェは身丈に合った幸運を次々掴む、女性運なんかかなりのものだしエチオピア皇帝に勲章を貰う一幕などもある。 が、ホテル王になる為にはそれ以上に欲を持ってなければいけないのだな。  そういう考えに対極しているのがホテル・パリの給仕長スクシーバネクで、自分の今の仕事に誇りを持っている。 足るを知っている生き方と言えますか。   時はおりしも第二次大戦中、チェコもナチスに進駐されていて、そこで、こんなに自分の事だけ考えて生きていける人物が描けるものなのか、とも感心したが、そうかと思うと強烈な印象を残す場面もある。  ジーチェはナチス党員のリーザと結婚するために適正検査を受ける。 シャンパングラスに精液を出す行為に虚ろな表情で臨んでいると、同じチェコの若者がレジスタンスとして続々と掃討されていく報が耳に入ってくる、そのカットバック。 ユーモラスに演出されている分返って凄みがあった。  妻になるリーザの人物像も必ずしも否定的ではなく、当時はこんな考え方も有ったんだよ、と言う程度に押し留めたイジー・メンツェルの演出にほとほと感服。   戦災でリーザを失うもチホタ荘を自分のホテルとして手に入れるが、戦後は富裕が罪になる社会になってしまった。 刑務所には富豪達が集まって座っているが、そこにジーチェの席は無い。 舞い散る羽毛に資産というモノの泡沫を見て、いまジーチェはかっての自分を鏡に映し、欲しいと思ったものに躊躇わず手を伸ばした生き方を反省する。   国境の朽ちたビアホールを再生し、ユダヤ人虜囚として連行されながらも生延びていたヴァルデンと祝杯の席に着き、釣り銭を渡す。 必要な分だけ貰ったらお釣りは返せる人生。 乾杯し、ここのビールは最高だよ、と微笑むジーチェ、お金だけが人生じゃない、と彼には言う資格がある。  僕はお酒はあんまりいけないクチだけど、彼のとこでならジョッキをくーっ、と空けて"人生ってのはコレだよぉ"とかクサいこと言ってみたって良いぜ。  この映画が好きな自分に酔っているって事で。
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[003]スイート・スイート・ビレッジ
 スイっと、スイート・スキップ三葉十四郎2009-10-14
 【ネタバレ注意】
以前にビデオで鑑賞した時には、アカデミー外国映画賞ノミネート作の評判のワリに、ただ田舎臭いだけの面白味のない映画に思いましたけど、イジー・メンツェル監督の新作公開に・・・
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以前にビデオで鑑賞した時には、アカデミー外国映画賞ノミネート作の評判のワリに、ただ田舎臭いだけの面白味のない映画に思いましたけど、イジー・メンツェル監督の新作公開に併せて短期リバイバルになったところで今度はスクリーンでの観賞。  いや再見はしておくものですね。 前より遙かに面白く感じられた。 そうしてなけりゃ、あの映画つまんね、で終わったままなんですから。   朝霞の中、のんきな音楽に混じって、デブッちょのパヴェクが鳴らす口笛に家から現れるノッポのオチク。 オチクは善良だが、ちょっとトロい青年。 足運びをいちいち併せて並んで歩こうとして、パヴェクはそういうところが煩わしくなって来てる。  ダンプ仕事の出勤途中には今日も今日とてオンボロ車のエンジンが掛からないドクトルの手助けをしてやる、と。  主要人物3人中心にスケッチ的にのんびり進むが、上映時間90分、間延びした感じは無い。  パヴェクはオチクにヘッドホンを渡し、これで広がった耳を矯正しろ、とか言うのですが、アレって銃の射撃場で使う消音プロテクターだなぁ、どっから持ってくんだ。 そんなもの着けさせられたばかりにトラックの荷台で生き埋めになるドジを踏み、パヴェクはまたむくれる。 可愛そうに。   ドクトルはなかなか味わいのある人物で、運転しながら景色を眺め美しさを詩に詠むのが大好き。 甚だ物騒だが起こす事故は全部自爆ばかりだから、ま、そこはね。  帰り道のパヴェクは、案の定、道路脇に落ちているドクトルの車と出くわす。 登場人物の日課や日常はくどくど描く必要が無いんです。  のどかな村内には割と人の気配があって生活の空気が充足、なんてえことの無い野原にも人が突っ立って写っていた。 街角で画家が風景画を描いていると野次馬が集まって、もっとキレイに描いたら、と注文をつけてくる。 家々には必ず食用のハトが飼われて一人暮らしのオチクは自分で締められない。 世話見のお婆さんが代わりにやって、ついでに持って帰ってしまう、があれは食事の面倒みてあげてるから良いのか。 良い人ばかりじゃない、隣の学生カスパールは乱暴なトゥレクの妻ヤナとの逢い引き場所にオチクの家を使うため映画の券を押し付けて外へ行かせる。  パヴェクはオチクとのコンビを解消したがるが、そうなるとオチクはトゥレクと組まされる。 村長はパヴェクを取り敢えず諫める。 と言った相関関係。   オチクはトゥレクと一緒では殺されてしまう、と怯える、そんな矢先、公団の理事が別荘としてオチクの家に目をつけて、彼にはプラハで住む所をあてがってやるから大丈夫だ、と転居を斡旋。 周囲は、オチクは都会では暮らせ無い、自分達の様に面倒みてあげる人が居るはずが無い、と心配するが本人はトゥレクとの一件があるから乗り気だ。 ドクトルはパヴェクを説得に掛かる。   今回スクリーンで見て良かった場面としては、出稼ぎのロシア人が黄色のレシプロ機に乗って青い空に颯爽と現れるシーンが広々鮮やか。 後は浮気妻ヤナが凄く美人なところですか。 普段がノーブラ、鳥にエサをやるのに何故か水着を着てたりして、これまた結構な目の保養。 メンツェル監督は僕が見た作品では全て美女をエロ可愛く撮ってくれているので趣味が合います。   で、前回の鑑賞では余り良くできた映画に思わなかったのですが、これは話の終い方が半端に感じられたからで、  村長は子供の進学を優遇されて翻心するが、オチクを利用してたはずのカスパールがこの事に憤り彼の味方に付く、と言った点が話の中でキチンと納まって無い、と思ってたんです。 ケリのついて無い部分があると不出来だと思ってた、僕が馬鹿な鼻タレだったんですよ。   見直して認識した事は、オチクやパヴェク、ドクトル他の人々には、この話の前にも後にも人生が有って、映画はその中の一コマを抜き出して機微を描いた。 まとめの必要なんか無かったんですね。  しかも話の落としどころはちゃんと付いてました。 オチクはプラハへ出ては見たものの歩いている大勢の市民の中で歩幅を併せられる人がいない。 パヴェクはオチクのヘマの多くに理由がある事を悟って彼を相棒に戻す。  映画の最後でパヴェクがちょっこっとスキップを入れるとオチクはしっかり併せてくる。 これは監督がパヴェクに試させて、ほうらね、って言ってる様で、親しみと言うものの小さな嬉しさが滲んでいました。 それはとても大事なものです。
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[004]3時10分、決断のとき
 背は向けるのではなく見せるものと父が言い三葉十四郎2009-09-29
 【ネタバレ注意】
先ず劇場で観られたことと、武骨な邦題をつけてくれた配給会社に深く感謝したい。   映画の興行形態から外れてしまっている西部劇と言うジャンルはもう死に絶えてしまった、と・・・
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先ず劇場で観られたことと、武骨な邦題をつけてくれた配給会社に深く感謝したい。   映画の興行形態から外れてしまっている西部劇と言うジャンルはもう死に絶えてしまった、と思っていた。  70年代以降より発表されて来た西部劇を思い出してみると良い。 九分九厘、何れも新しい時代に消えていくであろう姿を描いて、常に挽歌を謳っている。  本作にしたって、そうしたこれまでの映画と一線画するものじゃない。 しかし、そこに"意気"を見たとき、郷愁や命運を超え如何に時代が移ろうとも、良いものは良い、と、ただ言わせるのみ、のマスターピースに作品は昇格する。  「荒野の決闘」然り「ワイルドバンチ」然りだ。  二人の主人公のうち、牧場一家の長ダン(クリスチャン・ベイル)は町の実力者から借金をしていて、しかも土地の抵当流れを狙われている。 長男ウィリアムは上向かない暮らしぶりから父親を軽蔑し始めている。  父親と言う存在は"男の理想"から大きく外れてしまった。 生活のために汲々と苦労して、それを見た息子は何時の時代でも、何処の国ででも、親父みたいにはなりたくない、と言う。   息子達が憧れるのは、やはりベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)の様な伝説のアンチヒーローなのだ。 ウィリアムの枕元にもやっぱり彼らの本が置いてあった。 実際その通りな悪漢像。 アウトロー。 不敵にして自由、腕っ節も存分に見せた。  登場時には鷹の絵を描いていて、仲間のチャーリーが現れたため飛び立ってしまうと、その枝に素描をぶら下げたりする。 結構ロマンチストなんですね。  カメラも馬上の高さを意識した仰角に背景の空やメサの大地が広がって見え、如何にも西部劇らしい空気が画面に横溢。  一方で無法者生活にも嫌気が差して来てもいる。 駅馬車を強襲し分け前を配った酒場では、そこの酒場女はかって歌手として見知った女だった。 彼女を抱いた後、一緒にメキシコで暮らそうと誘う。 この辺りに黄昏感が入ってます。   だから僕らが本作を見るにあたっては、立場的にはウィリアムだが、感情移入して見たいとなるとベンに気持ちが傾くのでしょう。 ダンも確かに良いヒトなんだけど自分とはちょっと…って距離を持ちがちになるのではないですかね。  しかし話が進んでいくにつれて、ダンが背負った重さ、家族の為の責任感、高潔さがベンやウィリアムを通して観手の胸を打ってくる。   ベンの台詞"欲しいものを手に入れるのが男だ"、省略された言葉は、何故我慢を続ける生き方をするのか、になる。 立て籠もったホテルでのダンへの買収、銃撃戦の最中で護送を諦めない意固地をベンが詰るシークェンス、全てをダンは突っ撥ねる。  それをやったら恥ずかしいから、息子に正しい道を示せないから。 大人の男の責任を見せつけられてベンもそこを意気に買うんですよ。 熱い展開です。   3:00の鐘が鳴り、ホテルから駅までの800mを、ベン奪還を目論む強盗仲間の銃撃に遭いながら、死線をかいくぐって行くごとに友情が深まっていく。  駈け込んだ駅舎での会話  ダンが、自分は頑固じゃなく次男が喘息だからあの土地じゃなきゃならないんだ、と自らのエゴでも、ベンが憎いからでもない事を改めて話しておきたい、と。  するとベンは、俺はユマの刑務所から二度逃げている、と返す。 列車に乗っても何時でも逃げられるから気にすんな、って言っているんですね。   遂に到着した列車にベンを乗り込ませ、やり遂げたな、と称賛しようとした刹那、ダンの背中に一発、振り返って二発三発とチャーリーの銃弾が打ち込まれる。   貨車から降り立ったベンが愛銃を受け取っての、ジェームズ・マンゴールドの必殺の演出には息を詰めました。  倒れたダンの命の鼓動と仲間達を見やるベンの殺気が機関車の蒸気の音に同調、後ろを向いていたチャーリーは振り返りざま銃を抜いた瞬間撃たれる。  "何故なんだ"とか、もうそういう事は言わさない。  続けざま5人をシングルアクションの拳銃での片手撃ちに仕留める。 ファニングとかカッコ付けをしない手の大きなアメリカ人ならでのガンアクション。    ダンの傍らに駆けつけたウィリアムは一旦ベンに向けた銃を下ろす。 ダン・エヴァンスの息子として恥ずかしい事は出来ないのだ。 きっと自分に厳しい男になるでしょう。  マルコ・ベルトラミの哀切漂うスコアの中、ベン・ウェイドは護送貨両に自ら乗ると、列車は僕の男心を鷲掴みにしたまま去ってしまうのでありました。
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[005]ドゥームズデイ
 混ぜるな危険、て書いてあるの何かで見たな三葉十四郎2009-09-24
 【ネタバレ注意】
「ニューヨーク1997」に「マッドマックス2」、ああ血に飢えていた10代が甦る、って、この映画に出てきたみたいなパンクスやってたんじゃないけどさ。  その頃は未公開ホラー・・・
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「ニューヨーク1997」に「マッドマックス2」、ああ血に飢えていた10代が甦る、って、この映画に出てきたみたいなパンクスやってたんじゃないけどさ。  その頃は未公開ホラーとか珍しいモン見たさがエスカレートしていって、"今日も血ぃ見ねえで帰れると思ってんのかオルァ!"、と、誰かに向かって言うのじゃ無くて自分に言って、レンタルビデオショップへ寄り道してはバイオレンス求めていたんですがね。 …狂ってたんだな。 ホルモンのせいだと思う。 多分。   ニール・マーシャル監督なんで今頃こんな巷にゴロゴロしてる企画で映画を作ったのか、と思ったが、開けてビックリ、10代の映画少年のタマシイが熱く(軽く刺激臭を放ちながら)煮詰まってました。  彼が本作をこう作った気持ちが俺には何となく判る。 マーシャルの前作など見て感じたのだけど、彼は映画作りにあたって、どこかで見た様な映画、になるのを極力避けていたと思うのだ。  それらが評価されて、いよいよ敬愛してやまないカーペンターとジョージ・ミラーの先の2作に比肩出来る映画に挑むことになった。 しかしどう考えても模倣になるのを避けられない、そこでならばいっそ、と開き直ってそっくり使わせてもらったのではないか?  その根拠って程でも無いが、ここでモチーフに使われた2作品には無い、中世史劇の世界を創ってるグループが登場する事を考えてみよう。 敢えてネタ元を想像するなら「ブレイブハート」だが、これはカーペンターとミラーの映画とは毛並みが違う。 お店でもアクションコーナーには置かないでしょ。  マーシャル監督の基本コンセプトには、パンキッシュワイルドなバイオレンスと、史劇調の重厚感溢れるバイオレンスの二つの世界が有って、そこを近代の、鍛えられたプロフェッショナルなバイオレンスで戦い抜く、と言うプロットが先ずあったのではないかな。   と、理屈をコネたが、そんな映画じゃあなかった。 話の頭っからモラルはブチ壊されてます。 隔離地域になったスコットランド全体の広大な土地では、中で人が人を喰っていると言う情報が何度となくアナウンスされる。 従って潜入した隊員達は捕まると喰われてしまう、これはもうゾンビの扱いなのだ。 そしてこのテの映画ではゾンビは銃で撃っても法律や良識に触れないコトになってます。  ここのボス、地獄のシェフことソルが主催するディナーショーは、"今日の珍味はミディアムレアでごちそうするぜえ、さあ皆で一緒に、FuckYou!"と見ているだけで馬鹿がうつりそう。 半チクSFでは高出演率を誇るショーン・パートウィーがバーベQにされて、焼きあがったところをソルの恋人、毒蛇メイクの傾奇モノ女が首をスッパリやると切り口が本当にミディアムレア。 恨み言吐いて死んだが、皆ウマそうに食べてたからきっと成仏するだろう。   ヒーロー、エデン・シンクレアのローナ・ミトラは大胸筋の辺りに筋が作ってあって体造りは合格、ここにしなやかさ加わって、と行きたいとこだったが、アクションはカット割を細かくしてしまってるので、殺陣に難でも有ったのじゃないか、と余計な事を考えさせた。 運動量自体はある。 アゴに一発貰ってさする時の表情が良い。  クライMadマックスのカーチェイスもベントレーの右ハンドルに親近感湧いちゃうぜ、スピードの中にグロいユーモアがたたみ込まれてテンション高い。 暑苦しい悪役ソルが窓から潜り込んで来て暴れる見苦しいアクションは、どちらかと言うとサム・ライミの傑作「XYZマーダーズ」のノリじゃないのさ。  そして、その通り、監督ニール・マーシャルはライミの如く化けてくれるはず、の期待株なんだ。 しかし目下のところこの「ドゥームズデイ」は相当なコケかたをしているらしい。 マーシャルがほされて次回作がなかなか見られなくなったりしたら映画ファンには大損だ。  みんな何とかしてやってくれーっ!
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[006]愛を読むひと
 1800円払って座ったのが陪審員席かよ三葉十四郎2009-09-19
 【ネタバレ注意】
いきなり何を書き出すのか、と思われるかも知れないけれど、俺はさ、死刑に反対じゃないんだ。 よく人権弁護士なる人たちがこぞって裁判に参加しては、罪を憎んで人を憎まず、・・・
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いきなり何を書き出すのか、と思われるかも知れないけれど、俺はさ、死刑に反対じゃないんだ。 よく人権弁護士なる人たちがこぞって裁判に参加しては、罪を憎んで人を憎まず、みたいな事をTVカメラなど見て喋ってるのを聞いて、アンタそれ遺族を正面に迎えて言える言葉なのか、とか憤慨したりもする。  今作でアカデミー賞獲得したケイト・ウィンスレットがやはり出演していた「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」なんて観た日にゃ、丸一日不機嫌で過ごしましたね。  で、本作は、その辺り未必の故意であろうとも過ちはキチンと償いましょう、ってお話だ。  気が済んだかって? いやもう、フザケンじゃねーよ、と一日業腹でいましたよ。 ひさびさに、 ウィンスレット嫌いな女優じゃ無いんだけどな。  ま、このコメントも、短気で器の小さい人間の繰言と思ってください。  マイケル15歳は具合が悪くなった時に年上のひとハンナに親切にしてもらい、そこから更に色んなところを親切にしてもらって、わりない仲になっていくのですが、若い内からイイ思いばっかりしてる奴はロクな大人にならない、と、ここいらまではやっかみ半分に見てました。  ハンナの簡素な部屋、これじゃ人肌も欲しくなるだろうなぁ、とも思いましたし、後の展開から気づきましたが部屋に文字と言うものが無いとこんなにも、うら寂しくなるものなのですね。  年の差こそあってもマイケルは堂々とハンナが恋人だ、って言って良い。 けれど彼女の方にじつは非識字者と言う隠し事があった。 それこそどんなに恥ずかしく思う事なのか、こちらには量りようもないのだけど、きっとこれまでも関係が深くなると黙って離れていったのでしょう。   そして8年後、マイケルは法科の研修として同席した裁判で被告席のハンナと再会する。 ユダヤ人収容所の看守として勤務した過去で戦争犯罪を裁かれるが、彼女はそれが与えられた職責だった、と発言した為に責任者として訴追される。 筆跡鑑定を受ける前に罪状を全てを引っ被るハンナ。 マイケルは彼女が識字出来ない事に気づいた。 ハンナと面会しようとするも直前に引き返し、裁判はそのまま結審、傍聴席でマイケルは涙を浮かべて彼女を見やる。  ここでは、マイケルは、そうまでしても知られたくない、というハンナの意志を尊重したのか、と思ってたんですよ。 ところが、だ。   成人したマイケルは、以前ねだられて読んだ本をカセットに吹き込んで送り、彼女は独学して手紙を書ける様にまでなった。 なのに返事を出さないマイケル、何で?と思う。 ハンナは刑期を終えるが身寄りが無いのでマイケルが頼られる。 出所前日、ようやく面会した彼はハンナに、責任を感じるか?、と問う。  ああ、マイケルの心算とは、頑なに認めない戦争責任を許せなかった、という事だったか…。  クソですね。 こんなヤツは。  戦争責任を個人の裁量で裁いた、と言う事ですから。 こんなんで大人になったら法律家になってるんですから冗談じゃありません。  そういう意志があったのなら、それこそ面談して彼女が間違ってる、と説くのが本当でしょう。 しかも彼女は課せられた刑を終えた身であるにも関わらず、ですよ。 頼りにした人から責められて、その夜ハンナは自殺をする。 良かったじゃないの、とっくり反省してもらえて。   弁護士は被告の罪を軽くする為の人じゃないし、検事は刑を重くする為働いてるのじゃ無い。 裁判は真実を見極めて、起きた犯罪に適した刑罰を定めるのが目的だ。 そこへ人権弁護士みたいな死刑反対ありきな人が入ってくる。 自分勝手な心算持ち込んでくる事が腹立たしいんでさ。 ましてマイケルなんか、お世話になってたくせに、どういう立場に居るつもりで、どの口からそんな事が言えるのか、と。   ハンナの遺品を持って遺族の元をマイケルは訪れる。 事情を聞いても今更許せない、と言う遺族女性の気持ちは判るんだ。 手渡されたハンナが貯めたお金を受け取らず入れ物の缶だけ貰うのは感傷か、 しかしお金の方にこそハンナの気持ちがあるはずだよ。 その金を非識字者擁護の学校へ寄付する、とマイケルが申し出ると、ユダヤ人の識字率は高いけどね、と捨て台詞が返ってくる。 はっきり言って、胸 ク ソ が悪い。   俺は星取り採点する時には☆3つ以下はつけなくてイイや、と思ってました。 ここで初の★イチつけてやろうか、とも思ったんです。 しかし、こういう事を色々考えさせる、と言う点では意向は当たってますし、ウィンスレットの裸の熱演もありましたしね、情状酌量して星4つと評決させていただきましょう。
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[007]デュプリシティ 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜
 期待感、薄く作って薄く宣伝三葉十四郎2009-09-18
 【ネタバレ注意】
昨今流行のどんでん返しオチの映画だが、良くある奇を衒った話作りにしていない。 現在進行中の事件や事態の渦中に在って、そこで登場人物の回想が差し込まれていく構成は法廷・・・
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昨今流行のどんでん返しオチの映画だが、良くある奇を衒った話作りにしていない。 現在進行中の事件や事態の渦中に在って、そこで登場人物の回想が差し込まれていく構成は法廷モノやサスペンスで常套の手法だ。  ここに今回トニー・ギルロイの緻密な作劇が加わって、同様多種のオチモノ映画の中でも、僕には特に楽しく感じられた。  何しろ本作は、さほど見たくない映画、の装いがある。 配給の宣伝含めてだ。 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜、サブタイトルまでダサい。  主役の二人、ジュリア・ロバーツとクライブ・オーウェンの組み合わせって、じつは余り食指を動かさない、と思いませんか。 ジュリアの目と口の大きさは、くっきりとした印象を残し、スパイ役ならもっと適任が居そうに思えるし、既視感すら漂う始末。 クドさ抜群のクライブ・オーウェンは、ちょっと前に「ザ・バンク 堕ちた巨像」見たばかり、と言う人も少なくなかったろう。 この男優はジェームズ・ボンドに抜擢されなかったのを根に持ち、見返させてやろう、と似た様な役ばかりやっているのではなかろうか。  「クローサー」でも競演済みのこのカップル、鮮度が無くて魅力に乏しい、というのが見に行く前の僕の印象だ。 でも見終わってみると全般的にそういうとこを巧く狙われた様な気がする。   先ず、2001年ドバイでMI6のレイ(クライブ)が領事館でクレア(ジュリア)をクドく、それもかなりウザく。 俺のコト見てたろ、いつまで待たせる気だ、なんてくどき文句に彼女は付き合う、と、次の場面ですっかり寝こけたレイから重要書類を奪い、枕の位置まで直して上げるCIA情報部員クレアの上手ぶりが描かれる。  次いで場面は、どこかの空港で向かい合わた専用機のシンメトリーな構図からスーツの男二人、エクイクロム社のCEOガーシックとB&R社CEOタリーが中央で落ち合うと、程なく殴り合いを始める。 のがタイトルを挟んでの話し始めのいきさつ。   変わって現代のNY、エクイクロムの企業スパイになっているレイがコンタクトを取る相手はクレアだった。 エクイクロムの諜報戦略をメインに、B&R社の対防諜保安課に潜り込んだクレアとレイの、かってのドバイ以降の関係を回想に交錯させる多層な作劇をトニー・ギルロイ監督は完璧にコントロール。  場面転換も分割画面の一部分に景色だけの画面があったりして、そこへクレアないしレイが現れて切り替わっていく、という凝ったもので、クドいキャスティングに複雑なシナリオ等の難物素材を手間ひまかけて面白く仕上げたギルロイの手腕を僕は断然買う。   ライバル会社への諜報戦が具体的で興味深く、レイとクレアの謀略も明らかになって来て、とスリルが並行して進行、とりわけクレアが最終的にレイを出し抜くのではないか?、という懸念が効いている。  それらがクライマックスのカットバック、ガーシックが望む株主総会と収奪された化学式がヨーロッパの企業へ提出される場面に収束されていく構成がキッチリ嵌って卓抜。  強いて欠点をあげればガーシックの株主総会が9日後、と言うタイムリミットがありながらクレアが肝心の化学式をどうやって手にいれるのか全く算段付けていない所で、ここにこそもう一手間加えて欲しかった。  ジュリア・ロバーツが久々に良い。 レイを手玉に取っている様でいて、彼がB&R社の女子社員を篭絡したのを知るや剣呑な顔つきに変わっていくところなどキャラクタを面白くしている。 ドバイではクレアが脱ぎ捨ててあったパンツを穿くシーンが先ず有って、後半レイの住まいを訪れたクレアが、この下着は誰のよ、とパンツを手に詰問、レイが、身に覚えが無い、と頑なに否定していると、じゃあ元通り穿くわ、とカマを掛けていたくだりなど中々艶っぽい。   最後にもう一捻り来るのは皆さん大体想像付くでしょうけれど、僕などは見終わってから、あそこで巧くコナかけてあったのだなあ、と更に感心した。 エチケット違反を承知で書くと、クレアが手に入れて来たタリーCEOの演説草稿の内容。
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[008]バーン・アフター・リーディング
 お客さまは神さまです、か?三葉十四郎2009-09-04
 【ネタバレ注意】
アカデミー賞受賞後の一発目はコーエン兄弟の本領、得意のブラックユーモアを湛えた軽量風コメディ、それを豪華キャストでやる。 そこが贅沢。 地球が大写しに現れてぐんぐん・・・
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アカデミー賞受賞後の一発目はコーエン兄弟の本領、得意のブラックユーモアを湛えた軽量風コメディ、それを豪華キャストでやる。 そこが贅沢。 地球が大写しに現れてぐんぐん地上におりて行くとそこはCIAラングレー、観客の視点は神の目線になるワケだ。   マルコビッチ演じる情報分析官オズボーン・コックスはいきなりクビ。 蝶ネクタイ姿も尋常じゃなく口汚くキレまくる。 帰宅して妻ケイティにした話しが、これから自叙伝を執筆していこうと思う、と言うモノで、すでに愛想が尽きていて浮気相手ハリーも居るケイティは弁護士と打ち合わせた離婚対策としてオジーの資産調査を始める。 (これこそ離婚劇「ディボース・ショウ」)  オジーはヨットでまるで死人みたいな父親に、この国は変わってしまったよ、とボヤく。 (「ノーカントリー」だな)  すると今度は、抜き取られたオジーのデータが入ったディスクがスポーツジムの従業員リンダとチャドの手に渡ってしまい、入っていた自叙伝を国家機密と勘違いした彼女らは強請りにかかる。 (私欲の為おかしな人物がおかしな事態に至るのは「ファーゴ」や「ビッグ・リボウスキ」他諸々)   人物は複雑に絡み合いしながら死人も続出する様になりエスカレートしていくが、描かれる人物には感情移入出来る人は一人もいない。  連邦保安官ハリーは浮気がケイティだけに留まらず出会いサイトを通じてリンダとも関係し、通販で見た快楽椅子を自作。 リンダは弛んだ肉や目尻の皺の整形(アゴはいじらないのか)の為に犯罪に手を染める。   どうやらこの映画に出てくる人物たちと言うのは、現実にはこんな人間はいねえよ、と言う話しになってくる。 この映画の中で一番抑制した芝居しているリチャード・ジェンキンスのジムマネージャー、テッドにしたって、元が神父の上にリンダみたいな女に惚れたせいで他人様の家に忍び込む、こんな人は普通人じゃないだろう。  つまりは、彼らの役どころとは、はっきりコメディアンなのだ。 おかしな人物がおかしな事をやっている。  それらを一級の出演者が敢えてコメディらしくない、現実に居そうな人な方に傾斜した芝居で演じて、誇張のない現実背景に跳梁している。  そうするとどうなるかと言うとシニカルさが生まれる。 冷笑的な笑いが起きる訳です。   お話にはコーエン兄弟の過去作のエッセンスが入ってますよ、みたいな書き方しましたけど、本作は何もコーエン兄弟が作って来た映画の集大成ってことじゃないですよ。  改めて判った事はコーエン兄弟はこれまで全くブレの無い世界観に立って映画を創造してきたのだ、と言うこと。 彼らは常に狂気と正気の端境に立って映画をつくってたんだな。 ちょうど幸村和さんが映画「精神」のコメントでいみじくも、異常と健常の境目がキレイに分かれることはない、と書かれていましたように、彼らの作品では、「バーバー」のツマラナイ床屋のオヤジが欲からアッチ側へ傾斜し人を殺し、死刑が決まると狂気の沙汰からコッチ側に帰ってくる。 あるいは「ノーカントリー」の殺し屋シガーの様なアッチ側の人間が世間一般と認識されているコチラ側に現出する、と言った映画をずっと創って来てたんですね。   やたらもの判りの良いCIA長官が面白かった。 もの判りが良いって言っても、何だそれは面倒くさい、ほっとけ、って捌き方で、これが普通の常識的な事態の解釈と言うことになりますか。  映画が終わると再びカメラが引いて地球の全景に戻る。 滑稽な人間観察が終わってシニカルさが残る、と言う事は神様は、チョットつつくと直ぐに境界をまたいでしまう愚かな人間どもを冷笑している、ってところでしょうか。
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[009]トランスフォーマー/リベンジ
 トラック野郎 復活一番星三葉十四郎2009-09-01
 【ネタバレ注意】
ローランド・エメリッヒと並んで地球上で破壊の限りを尽くすマイケル・ベイ、今回で死傷者数よりも被害額でリードを取った形か。  初っぱなの暴れ先は、そう言えばまだ行って・・・
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ローランド・エメリッヒと並んで地球上で破壊の限りを尽くすマイケル・ベイ、今回で死傷者数よりも被害額でリードを取った形か。  初っぱなの暴れ先は、そう言えばまだ行ってなかったな、て感じな中国、上海でのオートボットとツルんだアメリカ軍特殊部隊ネストの活躍。 一体を封鎖してのアクションは車輪で走るロボットの常識はずれの大きさが魅力になっている。   ロボットらは登場時はパワーショベルやアイスクリーム売りのバンに擬装していて、これらが変形しだす様子は何だかヤドカリみたいだ。 それに、あんな風に銃を持って残党狩りよろしく追い立てたりしなければ"今日も僕はただのユンボだ"、ってマジメに働いてくれてたんじゃないのかな。  こうした働くクルマをやっつけようとするのがGMの車ばかりなのがまた皮肉。 このお話しのシリーズ展開じゃオモチャで売れても車自体の販促には繋がらないか。 それにしてもアイツら何を糧にして生きてるんだ。 やっぱりガソリン? 燃費悪そう、エコカーに変身すればイメージもっと良かったのにね。  前半部では主人公のサムが軽薄な学園コメディ、並行してオプティマス・プライムらオートボットたちは星条旗に包まれた戦死者と帰還し、無理解なオバマ大統領の補佐官とも衝突、オプティマスは民主党政権下のアメリカと地球の行く末を憂う。 しみじみ真面目に見るモンじゃねえな、と思う。 ネストの隊長が"神が我々を創ったのだとしたら彼らは誰が…"と作った真顔に、タカラトミーだろ、と心の中でツっこんでおいた。   マイケル・ベイの頭の中は相変わらず。 一作目での市街戦が隠蔽されて都市伝説になってるのも凄いし、サムが普通の大学生なりたい話に全く興味が湧かない。 まあここはルームメイトになったレオからシモンズ再登場への繋ぎのための話し作りでもあるか。 キャンパスにはサムを狙う、女の子に変形出来るロボット、アリスが登場。 サムにしなだれ掛かりお尻の辺りから何かニョロっと出て、何だ何だターミネーターよりよっぽど気の利いたもの作れんじゃん。 ところでこのコもオモチャになるのかね。 (う、言い方が凄えイヤらしくなった。うへへ)   悪役ディセプティコンの目的が太陽爆発させて俺たち元気になりたい、と。 でも地球に人間が居るからそれはダメだよ、とプライムたちは太古にその装置を隠した。 どこに? ピラミッドの中。 アホか返って見つかりやすいじゃねえか。 大体最初から持ってくるな。    と、まあプロットは乱雑の極みなのですが流石に勢いだけはある。 シモンズ役のジョン・タトゥーロは再び、これでも見てろ、とばかりに見苦しいケツを画面一杯に向け、その後で"祖国に裏切られた男の活躍を良く見ておけ"とヤケクソ気味な怪演、オプティマスは人間の友情が必要なのだ、と神妙顔をし、中盤では孤軍奮闘に倒れたりと、本作の中で一番人情味が持て、この二人のおかげで一作目よりも大分面白かった。   ついでに、この度経営破綻したゼネラルモータースの再建陣は本作における玩具メーカーと映画会社の商魂を見習うべきだと思うね。 どんな点かと言うと。   ・デバステーターなる合体ロボット、オモチャを買うとなるとクレーンやミキサー車など6台買わないといけない。  ・オプティマスを持っている方には、ブラックバードから変形するロボットが、パーツ取りはずして装着出来るパワーアップキットになります。  ・バイクから変形するロボットも登場。 擬装した時にホログラフされる女性ライダーのフィギュア付き  ・人型トランスフォーマー、アリスは、お尻のちょっと上あたりから、銀色のしっぽみたいなのが、にょろっとね、にょろ〜ん、と   こうやって子供ゴコロも大人ゴコロもくすぐるのが商売のコツです。
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[010]子ぎつね物語
 夏休みにTVを見るのは寂しいか?三葉十四郎2009-08-24
 【ネタバレ注意】
この映画もTV放映で鑑賞した。 夏休みだったかが定かじゃないが、午前中に見たと言うのだけは覚えてるから、まぁ間違いないと思う。  にしても、こういう未公開作と触れる・・・
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この映画もTV放映で鑑賞した。 夏休みだったかが定かじゃないが、午前中に見たと言うのだけは覚えてるから、まぁ間違いないと思う。  にしても、こういう未公開作と触れる機会がとんと無い。 僕の見た頃の様に、夏休みで一家で帰省しているから友達が留守、若しくは田舎へ行ったは良いが暇だった、と言う子供が今いない。 電話でもゲームでも携帯出来るからTVでやってる映画に目を向ける必要がないのだろう。   もっとも本作は、とある理由で再度の放送はおろかソフト化も望みが薄い。 「若草の祈り」のコメント書く際に、そう言えば、とついでに思い出し、検索したら出て来たのでちょっと嬉しかった。 他所で検索すると「子ぎつねヘレン」以外出て来ない。 こうして今回の記述となったが、後10年したって、ここに書き込みする人は他に来ないでしょうね。  舞台はこれもイギリスで、伝統行事のキツネ狩りで親をなくしたかはぐれたかした子ギツネを猟犬の調教師の子供が引き取る。 このこぎつねが猟犬のタマゴのワンちゃん凹ませたりして、悪戯ざかりなのが、うーん可愛い。  さっきからイイ年こいて可愛い可愛い連発して、我ながら気色悪い気がせんでも無いが、見たのは子供の頃ですから。 念のため。   段々と知恵をつけていってキツネ狩りの場所にも出没、貴族の乗った馬車を暴走させる様な活躍もあったりして楽しい展開だが、ここで調教師のお父さんが狩場へ向かう事になってから話のトーンが一気に変わる。  調練した犬たちが子ギツネを追うと、キツネは線路を逃げてコーナーを曲がりきったところで身を翻して線路から外れる。 追跡して来た犬たちはグリーンドラゴンの様な列車と鉢合わせする。  次々と犬たちを跳ね飛ばしていく列車。 スローで克明に撮っているから脳裏に焼きついて離れない。 どう見ても本当にはねられてる。 調教師は線路脇に累々と横たわる猟犬たちを見て慟哭する。  希望的観測としてはアニマトロニクスだが…、この当時にゃ無かっただろうなぁ。 監督のジェームズ・ヒルは「野生のエルザ」「黒馬物語」など動物を扱った映画に定評ある人。 アクシデントの流用、と信じたい。 が、あのペキンパーばりのスローモーション思い出すとちょっとなぁ…。 それでも映画全体の感想としては悪いものでは無いですよ。 最後、子ぎつねの遊び相手だったワン公を猟犬にしたててお父さん自身が荒地の廃屋に追い上げて、そこで対峙する形になる。 しかしお父さんは心臓発作で倒れ、息子と猟犬の前に狐は霧がすみの向こうへ消える、と言うジャック・ロンドンの小説にも似た印象の、夏休みに出会うのはとても正しい一篇だったと思います。
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[011]若草の祈り
 ぼくの夏休み三葉十四郎2009-08-24
 【ネタバレ注意】
ぼくが夏休みをもらえる時分だった頃には、良くこんな映画がテレビの"夏休み特別ロードショー"なんて感じの名称で、午前中などにぽっこり放映されたりしたものですが・・・
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ぼくが夏休みをもらえる時分だった頃には、良くこんな映画がテレビの"夏休み特別ロードショー"なんて感じの名称で、午前中などにぽっこり放映されたりしたものですが、最近はテレビ番組表みても夏休みらしい映画が掛かる様子がありませんね。 ああ、そう言えば見たな、と後に繋がる出会いが無い。  本作なんてまさにそのもの。 最初はテレビで見て、後年、そう言えば見たな、とビデオで見返したりした。   そこで今度はASHさんが「ジャンボ・墜落/ザ・サバイバー」で、SFやホラーにハマリ役の有るジェニー・アガター、とコメントされているのに触れて。  いや、ぼくの知ってるジェニー・アガターは"女の子"でしたよ、となってくる。  最近作の「やわらかい手」ではすっかり老けてしまっていた。 おばあさん、ならまだしも"ババア"の役。 時は残酷だ、と言いつつ、自分のお腹を掴んでみたりもするワケです。  エディス・ネスビット原作の「Railway Children」は有名な児童文学で本作以外でも映像化されている、とは今回書くにあたって知ったこと。 でもこの映画は、やはりこの頃、1970代に作られて然るべき映画でしたよ。 ロケ先の路線なんて今でもあんな風に残ってるかどうか判らんもんね。    ボビー(アガター)に弟と妹の三姉妹は最初ロンドンで暮らしていたが、お父さんがスパイ容疑で警官に連行されてしまい、これからは貧乏しなきゃいけないので、お母さんは田舎へ引っ越す。  でもここはロンドン以上に魅力的な所、丘を縫って走る列車とオークワースの小さな駅が遊び先。 蒸気機関車の"グリーンドラゴン"に手を振ると乗客も手を振り返してくれる。 駅員のパークスさん含めて周辺の人たちとも仲良くなっていくのですが、このコたち、元がイイトコの子なので時々"やらかして"しまう。  お母さんが生活が大変だ、とこぼすと、そういう時は助けて貰えば良いのよ、と近所へ無心して回っちゃうんですね。  皆、気持ちよく援助の手を差し伸べてくれますが、これを知ったお母さんは、この子たちったら、もう、とプライド痛めて頭を抱える。 それを見た弟の台詞が"怒ったママの顔キレイだ"だって。   監督ライオネル・ジェフリーズはピーター・セラーズの泥棒コメディで敵役の官吏をエキセントリックにやってた人、駅員のバーナード・クリビンスは、そのセラーズの相棒役。 コメディ畑の二人が組んでちょっとしたイタズラしてます。  ボビーたちが、この年になると誕生日なんか祝って貰えないよ、と言うパークスのプレゼントを、まーた近所を回って集めてしまい、届けに行くと案の定怒り出すが、それでも贈り物を見て、ああアイツもくれたのかイイ奴だもんな、と、そこは納める。 帰宅したパークスが寝室で古女房と、 パークス:今日は嬉しかったなあ。 古女房:良かったわねえアンタ。 (俺:うーん、ほのぼのほのぼの) パークス:ところで誕生日だからさぁ、今日はイイだろ。 古女房:やぁねぇアンタったら、トクベツよぉ。 (俺:げげげ、一体ナニを?)  パークス、サイドボードから酒瓶を取り出して、ぐびん、とやる。 そのまま:おやすみー。  (俺:焦ったー)  全般的に善意溢れる気持ちの良い映画ですからね、ここは子供は笑うけど一緒に観た大人がたじろぐ演出。   もちろん子供たちもタカリばっかりではなくて、行き倒れのロシア人を助けたり、地すべりに依るグリーンドラゴンの窮地救ったりの活躍があり。 その甲斐あってというか、やはり善意のおかげでお父さんも帰ってくるのですが、田舎駅を去っていく機関車のスチームの中から待ち人現る、の図は、お約束と言えども情緒効果たっぷりで良かったですねぇ。  エンドクレジットでは線路の上をカメラが進んでいき、その先では出演者一同が手を振っていて、ロールが進んでカメラが寄っていくとアガターが手に持った小さい黒板でThe Endと掲げて、これぐらい可愛らしいお終いはちょっと例がありません。
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[012]フロスト×ニクソン
 映画が映すTVのチカラ三葉十四郎2009-08-16
 【ネタバレ注意】
子役の頃から映画でもテレビでも活躍の場を持っていたロン・ハワードならではの作品、と言えるだろうか。  映画はTVのドキュメント番組の手法をそのまま踏襲したかの様なス・・・
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子役の頃から映画でもテレビでも活躍の場を持っていたロン・ハワードならではの作品、と言えるだろうか。  映画はTVのドキュメント番組の手法をそのまま踏襲したかの様なスタイル。 登場人物の胸の内や、ストーリー途中でのその印象はあらかた台詞にされていて、主要な関係者に依るインタビューとしてまで所々差し込まれていく。  フロストの補佐で入ったボブ・ゼルニックが   :フロストはTVの力を熟知していた。  と語ると直後に、ホワイトハウスを去るニクソンをTVで見るフロストが世界での視聴数を皮算用する姿を描き出す、と言った塩梅なので、まあ観るのに苦労が無いが、このインタビューも出演俳優自身が行っているから、そこは見た目からテレビっぽくせずに、TVドキュメントにおける視聴者の関心を惹くテクニックとして映画に取り込んだ演出にし、更に時代色付けにも使っているところが流石。  ガールフレンドになるキャロラインが初対面で評するフロストの人物像  :大して才能も無いのにすごく有名になった。  全くその通りな軽薄さ、彼はショー番組の司会の人気も翳って落ち目になりつつある。 だからニクソンへのインタビューが誰が見ても私益の為なので志が低い。  フロスト曰く  :アメリカでの成功を失うむなしさが判るかい?、サーディスの常連に二度と戻れないんだぜ。  ニクソン陣営にも組し易い相手と見下されていて、代理人の手管で易々と値上げに引っ掛かっている。 使命感の無いフロストは補佐役からも釘を刺される。  :ニクソンが君の番組で潔白を証明したら、それこそ犯罪だ。  判っちゃいても泥舟に乗るしかない、と言った感じなスタッフ役のゼルニックとレストンに、付き合わされたプロデューサー、ジョン・ハートの腐れ縁だからしようが無いって様子は、脇役として適任な俳優が固めて映画自体をサポートしてるところが面白い。  ニクソンの人となりとしては、大統領も人気商売、多くの人々を相手に語りかけして気の利いたユーモアの一つも持ち合わせてなきゃいけない、と言う事ではフロストと立場が変わらない訳だ。  :生まれて初めて決闘を申し込まれた。 ルールは無用だ。  :ヒルトンに工作員を送ろう。 キューバ人の奴だ。 …冗談だよ。   そして、いざ対決すると金策ばっかりで怠りの多いフロストは当然手応えが無い。 そういう体たらくが返って檄を飛ばす気持ちになったんだろうね。  夜に電話をしてきて、同じ相手を敵にしているはずだと言う。  :君も名門の連中に見下されて自分を敗者に感じるんだろう。  :奴らの尊敬が欲しい。 成功を重ねて窒息させてやる。  :ライムライトは一人しか照らさない、時が来たら全神経を集中して立ち向かうぞ。  敵に贈った塩のせいで急所を追求されて国民への謝罪を口にする事になるが、 それはかなり真摯に語られて言葉が安くない。  :大統領の価値を傷つけた。  :心が犯した罪で理性ではない。 敵がいたからやったのだ。  電話の行為の創作は、ニクソンはやはり指導者の立場にいた人間であること、謝罪もインタビューに促されて行われたのでは無く、自らのものだった、と意味付けした描き出しになるんでしょう。  冷戦は実際の戦争になり、ケネディの様ないわゆる"人気"とも戦わなくてはならなかった。 そしてTVはリアルタイムを、生を数億人へ提示してしまう。  そんなTVの力に屈してしまった大統領に脚本のピーター・モーガンとロン・ハワードはこれ以上なく同情をしている。  その先に今年のブッシュ大統領退任が比べられてるのかは定かじゃない。 僕には判らないね。  モーガンとの組み合わせでマイケル・シーンはますます快調。 フランク・ランジェラがニクソンを大きく演じていた。 それ故、崩れる姿がまた様になる。 フォーカスを巧みに変えて心理状態まで撮り上げたカメラが小憎い。
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[013]グラン・トリノ
 俳優 東森栗人の総括三葉十四郎2009-07-31
 【ネタバレ注意】
黒地に白く「GRAN TORINO」と出て、イーストウッドの映画のタイトルはいつもキレイだな。  そんな周囲の評価も高い本作に何故かしらケチをつけてしまう、主人公以上に偏屈な・・・
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黒地に白く「GRAN TORINO」と出て、イーストウッドの映画のタイトルはいつもキレイだな。  そんな周囲の評価も高い本作に何故かしらケチをつけてしまう、主人公以上に偏屈な私です。  お前はまたつまらん色眼鏡でなんだ、って思われたりするのでしょうけど、まぁ聞いておくんなさいな。  イーストウッドの主演作って、ちょっとカンに障るトコがあって、どんな所かと言うと、"役に妙なイロがついている"時がある。  刑事役ぐらいだと、カッコ付けに見えるけど、他は役上での儲けどころって訳でも無くて、何だろ、イーストウッドって付加価値かな。  いつも気難しそうな顔して人を寄せ付けない、って芝居しているのに嫌われモンで居たためしが無い。 それでいて変なモテ方をしてる。  出世し始めの頃の「白い肌の異常な夜」や「恐怖のメロディ」辺りで何か本物の強烈体験でもしてしまったんですかねえ。   −例えばね−  「アルカトラズからの脱出」 何故だかイーストウッドに執着する特殊なホモが出現、濃い。  「ザ・シークレット・サービス」 悪役の目標が大統領では無く、大統領を狙う事で主人公を責める内容に変わる。  「目撃」 泥棒役なのにとうとう大統領より高潔な人物になってしまうイーストウッド。  「ブラッド・ワーク」 ここではイーストウッドの為に移植用の心臓を都合してあげて、更に隣に住んで見守るサイコ犯が登場する。 原作通りにしても変すぎ。   目立って印象に残ったものを並べてみました。 いずれも何故そうなるのか、の人物の奥行きが無い。 単に設定上と言うだけ。  良く言えばマネーメイキングスターのセルフプロデュースの範疇と言えなくもないのですが、露骨に見えてくる様だと僕はもうダメですね。  「スペース・カウボーイ」で仲間の犠牲を乗り越えて帰還し、地上では妻も待っているはずの主人公が意地でシャトルを着陸させたりしているのを見て、ああ、いつものアレですか旦那、とつい鼻白んでしまいました。  で、この点を突き詰めて考えると、今度は死生観が浮かんでくる。 勇気を示して命を懸けて、それで立派な死に方が出来れば良い、って考え方だ。  「硫黄島からの手紙」では人の散り様を描き出し、「父親たちの星条旗」では戦死出来なかった英雄は人生を転落していく。  その点本作では、いや、全くカッコ良く立派に散ってました。  ああ、なにか本気で嫌味を書いている様にも見えますね。 ダメな映画じゃないですよ、見所はあります。  悪口が小気味良かったですね。 "トロ助"って訳もなかなか良いんじゃないでしょうか。 自分の世界は敷地内だけ、そんな老雄がゴロツキ共に、芝生に入るな、と銃を構えるところで観客の見たかったイーストウッドが前面に出る。  モン族の姉弟と互いに関心を持ち合って絆は深まるが、意外にも血族と言う括りはバッサリ切り飛ばしてます。 姉弟の敵ですら同族ですからね。  主人公が余命を悟り息子と連絡しても何も発展しません。 向こうはマジックハンドや老人ホーム案内など出してくる。 自分の都合で人の心配するようなヤツは相手にするな、と言ってます。 鍛えるに足る人間を探して、自分が大事にしているもの、グラントリノの様な古き良きもの、価値のあるものは託す相手を選びなさい、とも言ってます。 世襲をさもしく手放したがらない日本の議員が何だか恥ずかしい。   映画史上もっとも優しい衝撃のラスト、なる惹句を見かけましたが、意味は定かじゃ無いけれど違和感持ちました。  主人公は、先ず指鉄砲で構えて威嚇して、次には本物を抜く、終いには引き金を引く人間なのが前提。 で、あの末期を迎える。 厳然として銃で決着を付けたラストなんですよ。  ドン・シーゲルが生きて監督してくれたならもっと高揚するものがあったかも知れません。 本人がキレイに散り様を演出して、エンディングはタオの駆るグラントリノが映ると、そこへ感じ入れもたっぷりなイーストウッドの歌が、  "いつの日か遠く〜大地を踏みしめ〜俺のグラントリノ〜孤独なオレのハート〜オーゥナイトロオゥ〜ン♪"と入ると、周囲から感動の拍手が起きまして。  そんな劇場の座席にあって僕は、眉間に寄っていく皺をどうすることも出来ないのでした。
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[014]チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室
 相談受けなんて10年早い、掃除でもしとけ三葉十四郎2009-06-28
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久々のチャッカリ学園ヒーロー登場だが、マシュー・ブロデリック(「フェリスはある朝突然に」)やマイケル・J・フォックス(「ティーン・ヒーローJ.J.」未)の系譜に連なる・・・
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久々のチャッカリ学園ヒーロー登場だが、マシュー・ブロデリック(「フェリスはある朝突然に」)やマイケル・J・フォックス(「ティーン・ヒーローJ.J.」未)の系譜に連なるにしては感心しないヤツだった。 お坊ちゃんだからか人使いなどみても要領良いと言うより小賢しい印象が残る。  主演の若手は最近SF大作で続けて見かけたが、さて、こうなると配給会社サンは商売が巧くない。 今時分に劇場に掛かるようにブッキングしておけば、"「スタートレック」ではレギュラークルー、あの「ターミネーター4」ではカイル・リース役に大抜擢の注目株、アントン・イェルチャン主演"としてもう少し宣伝効果をプラスして集客出来たはず。   人気者が夢のチャーリー・バートレット、問題児ぶりが響いて私立にはもう受け入れ先が無いので公立へ通うことになるが、初日からブレザー姿をやっかまれて不良のマーフィーに大便器へ顔を突っ込まれる。 ひっでー  ディカプリオみたいに先生に成りすますぐらいのシャレた機知があれば良かったが、ここでの彼の窮地のしのぎ方は、 先ずガタイは立派だが少しトロそうな生徒を味方につけ、次に彼を使って自家用リムジンの後部席にマーフィーを押さえ込む。 テメエなんか嫌いだ、と毒づくマーフィーに言うことが"僕と仲良くするとトクするよ"ってんだから、まったく育ちが良くってしょうがねえな。   注意欠陥障害と診断され処方されていた薬リタリンをマーフィーをパートナーに売り捌くと皆ハイホーで大喜び、更に仮病でクスリの品数を増やしチャーリーは一気に株を上げる、と言う展開は喜んで見ていて良いものか甚だ疑問。  男子トイレでクスリを売る為に並んだ顧客の状況を聞くのが人生相談と繋がっていく辺りは、実際の有益ぶりでも描いてあればまだ皮肉さのある面白味も生まれるが、映るのは調子良く儲かる様子ばかり、マーフィーがイジメに撮っていたビデオが"放課後ウォーズ"としてヒット商品になるのを見ても、いっそ商魂逞しいアンチヒーローとして描かれていた方がずっと潔かったんじゃないか。   それに大体だね、トイレの個室とは基本一人で孤独に佇む場所だよ。 そこで心の平穏を得たり開放感持ったりする、時には己を見つめ直すことさえあると言う、とても尊い場所なのだ。 そういうトコロでダベったりクスリを売るなどとは不届き千万。  これは周囲の大人の躾教育の問題だが、ここで身近に登場するのがロバート・ダウニーJrの校長で、説教に出してくる台詞が"問題を解決するよりハイになる方がラクなんだろ"、と経験則を使って重みもあるが、不思議なことに言った当人が言葉の通りに自滅してしまうので人を指導出来る立場に無い。   学園内では学生ラウンジ(ビリヤード台まで置いてある)に監視カメラが入る事で騒動が起きる。 生徒側はプライバシーを問題に抵抗するが、そんなものは家にありゃイイだろ、覗かれて困るコトなんかするのかって話で、校内のイジメやヤミ商売には怒らないが自分の都合には声を上げるバカなガキ共、娘とくっついているのが苦々しい校長はチャーリーを首謀者として警察へ逮捕させ、それを切っ掛けにラウンジそのものが暴動で破壊されて校長は更迭される。 よくまあこんな事態が最後に丸く収まっちゃうもんだ。   チャーリー自身は刑務所に入ってる父親が許せないのを胸の痛みに持ってもいるが、それと人気者になりたいって心情は余り関連しないね。 確かに人に好かれたい気持ち、と言うのは17歳の少年でなくても大事なものだ。 しかしやっていい事と悪い事の分別はつけられるはずだし、第一アーティストやパフォーマー目指してるんじゃ無いのだから誰彼からちやほやされなくたって良いでしょ。   例えばこうして映画のコメント書き込む俺も多少なりとも自己顕示欲がなきゃやらないが、そんな中、一回だけ幸村和さんにコメントを褒めていただけた。 それをココロの糧に、次も無駄に頑張って書いちゃおうかな、と今もやっている。  うーんオレってなんて純なんだ。 偉い、エライよ俺。
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[015]リリィ、はちみつ色の秘密
 甘すぎて苦くなった蜂蜜三葉十四郎2009-06-11
 【ネタバレ注意】
ダコタ・ファニングちゃんも丁度思春期。 本作で演じるリリイの成長はそのまま本人に重なる、まさに試金石な映画だったのだが、さてどうだったか、  映画の初め、家出してい・・・
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ダコタ・ファニングちゃんも丁度思春期。 本作で演じるリリイの成長はそのまま本人に重なる、まさに試金石な映画だったのだが、さてどうだったか、  映画の初め、家出していたはずのママ(デボラ)がパパ(Tレイ)と室内でもめていて、ママの求めで幼いリリイが銃を差し出そうとして暴発したらしい銃声が起こる。  と言うことは、 リリイにはママを殺してしまった痛手があって。  Tレイには、憎んでいると同時に愛していたであろうはずの妻、を過失で失った痛手がある。   オッサンな俺としてはTレイの方に幾分理解が及ぶんだ。 憎しみつつ愛する、その対象は、妻の面影を映す血を分けた娘に行くはずだから。 年頃になって男を作っているかも、と言うところに反応している。  リリイの方は、ママの遺品から想いを馳せたりしているけれど、逆に忌避する気持ちは何故だかなかったな。 Tレイにママはどんな人だったか聞きたがるのは、ママの事と自分も赦してもらいたい、色々と責めないでもらいたい気持ちの表れか、  けれどTレイはデボラにしたかった仕打ちや態度をリリイにしがちになる。 だから結局家出をする方向に行くんだね。   下働きのロザリンが白人様に楯突いた騒動を機会に、彼女を助け出し桃農園を逃げ出すリリイ、往く先は遺品の聖母像のラベルに記述の有った同じ州内の街ティブロン。 そこでアテがある訳じゃない、行った所で身を寄せる先も無く、道往く人々へ"同情するならカネをくれ!"とか言い出したりして、とつい要らぬ心配も、 ほど無くオーガスト(クイーン・ラティファ)を中心に養蜂業を営む黒人三姉妹のボートライト家にあっさりと落ち着き先が出来るが、ここは世間の風当たりが感じられない一種の理想郷で、リリイにはとても都合の良い場所。 避難先にはなっていても人格形成に繋がる成長の場としては余り機能していない。  そしてこの展開だと映画を観た人の印象に残りづらいのだ。 確かにリリイは逃げて来たのに違いないが、そういう事と別に無目的に見える。 強いて言えば作者の描き出ししたかったものが掴み難い。   兎にも角にもコンビニエントな館で、ロザリン共々生活の場を与えてもらえて、自立心も養えれば、ボーイフレンドのザックも出来る。 ぞんざいに扱われてきたリリイには自分を愛してくれる人が必要だ。 それらは全て手に入る。  ティブロンではママの足跡を辿って事情を探るのが目標だったはずだが、リリィがそこに努めていないにも関わらず、デボラの頼り先もオーガストの元だったことが判明する辺りも流した様な印象。 ママは自分を捨てたのではないか?、と荒ぶる心をオーガストの話を聞いて治めたリリイである。  でもねぇリリイちゃん、世の中求めても答えが無かったり、時に聞かなきゃ良かった事なんか幾らでもあるのよ。 最後にはママも自分も幻滅しなくて良かったのかも知れない、けれど、こと映画が示していかなければならなかったのは結果じゃなくて過程だったと思うの、おじさんは。  で、今度はダコタちゃんに重ねてみた場合では、黒人と親しく映画を観たカドで白ン坊のおじさま方にザックが拉致され、繊細なメイは世を儚んで自殺してしまう。  翌日無事に戻ったザックをリリイはハグするが…。   行為自体は過ったものでも何でもない、しかし時代の無理解が前提に有り、悲劇の元ダネになったのがまさにこうした行為で、そこに躊躇い無いのは人物に気持ちが入ってない。 と、これはダコタのせいじゃなくて監督のジーナさんが受けなきゃならない指摘だったか、取りあえずは正しく半角、と。   えー、所々で自分を見失った様な書き込みをしておりますが、正直、14歳の女の子の胸の内は判らんのよ、俺には。 やはりオヤジの方が考え易い。  ついに居場所を探り当てたTレイ、連れて帰ろうとして抗われ激昂した時にリリイを"デボラ"と呼ぶのは言わずもがなだったが、おかげで一つハッキリした事もある。 このオヤジはいずれリリイに手を出したに違いない。 リリイがオーガストの所へ残ったのは正解。 ラティファの抱擁力だけは一等抜けてますからね。   それにしてもオヤジも淋しい。 夜中に始めた桃ノックに、"帰ってきたらリリイの桃尻もこうしてやるぜ"と言うココロの声が聞こえる。 そんな自分が嫌な今日このごろ。
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[016]カティの愛した人
 街の風景三葉十四郎2009-06-02
 【ネタバレ注意】
一頃活況づいたのにまた沈静化してしまったかドイツ映画。 80年代にもニュー・ジャーマンシネマと呼ばれる作品群の公開や「Uボート」等のヒット作が出た時期があったにも関わ・・・
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一頃活況づいたのにまた沈静化してしまったかドイツ映画。 80年代にもニュー・ジャーマンシネマと呼ばれる作品群の公開や「Uボート」等のヒット作が出た時期があったにも関わらず、持続性が無く90年代の頃合いになると、もうこれと言った映画が無かった。   そんななか細々ながら、これぞドイツ映画、と言った佇まいの作品を出していたのがヨゼフ・フィルスマイヤーで、単館系の公開作ばかりだったからソフト化もこれと言ってなさそう。 いや、ホント地味なんだ。 本作が掛かってた映画館だってロビーにトイレの匂い漂う有楽シネマだ。 あれで風情があったなあ。 今はイトシアと言うビルになって一体はキレイに開発されてしまった。 ちゃんと映画館が入ってるのは嬉しいけどね。 あの一区画には戦前の建物が残っていて、後に外観をそのまま利用したCOCA飯店が入った。 有楽シネマの下には何時喰っても天麩羅が堅い立ち食いそばやゲームセンター、有楽町駅からマリオンの間には雑然とした感じに昔からの区画割りがそれとなく窺えてたのだ。   原題の意味は、戦後復興のスローガン、と解説に有りますが"一斉清掃"の意味も有るのだそうです。 しかも映画はこれまた都市計画の都合で大掛かりに取り壊される予定のプラハ市街区を利用して製作されているので、瓦礫一面な戦災後の様子がリアル。 なるほど、こりゃあ片づけも容易には済まないだろうなぁ、と思わさせられた。 こうなると話の舞台になっているミュンヘンの復興状況やロケ先の街自体の変化なども気になるところ。  本作のヒロイン、カティ役ダーナ・ヴァヴロヴァの妊婦姿は、実際に撮影時に夫フィルスマイヤー監督との子を宿していて、記憶違いでなければ劇中の出産場面も、分娩室にカメラを持ち込んで本当のそのシーンを撮って映画に使ったと言う話だった。 夫唱婦随で映画に懸けて絆も厚く、と言った様子は意欲を汲んであげたいし出来映えも甲斐のあったものになっている。   前述の通り、既に廃虚化しつつある場所で撮影してるので空爆の場面なども遠慮が無く迫力有り。 防空壕内は女性が殆どで、その前に置かれた沢山の乳母車が爆撃で踊る様に跳ねているシーンはちょっと簡単に忘れる事が出来ないだろう。  姉に疎開を勧められても夫の帰宅を考えて家に踏みとどまる、が出産もあって一時的に疎開。 終戦で戻ってくるとアパートメントは半壊、取り敢えず生活を再開すると、夫と知り合いだったと言う帰還兵ハンスが現れる。 カティは取り合わずにいたが彼は建物の前にテントを張って住み始める。  カティの周辺描写には、姉は黒人兵と恋愛を始め、隣人には兵役に付かず戦争を生き延びてしまった事に罪悪感を持っている思想家の老人が暮らしている。 カティ自身は連日駅を訪れて夫の写真を胸にホームで待ち続ける。   作劇としてはカティとハンスが近づいていく定型通りの展開。 彼女が物々交換をしに郊外へ向かい、帰り道をアメリカ兵に襲われて、そこをハンスが救う。 カティの体を支えると血がベットリ、一瞬たじろぐが彼女はオナカに肉切れを巻き付けていた。 恐怖に続けて弛緩があって互いに笑いあう。 ここから愛し合う関係に移るんですね。  終幕、子供もなついたハンスと共に新生活を築こうとした仲睦まじそうな光景、そこへ不意に夫が部屋へ現れる。  全員無言。 息も詰まらんばかりの沈黙の中、ベビーベッドの子供を見やる夫、弁解もせずに立ち去るハンス。 佇むカティ。 そのまま終わる映画。 観客共々ただ押し黙るしか無い。   戦時を戦わずに生きのびた老人はそれを苦に自殺する。 気持ちの整理がつかなかったか、それともつけたのか。 家族が死んだどうかが判らない者は結論を先延ばしして暮らし続けざるを得ない。 しかも希望は先細りしていく。 戦争と言うものは起こしてしまうと、かくも片づかないものなのだ。 何年経っても思い返した様に負債が現れる。   それでも現在を生きいく世代には過去の負債なんか背負わせて欲しくないな。 何と言われようと。 大切なのは同じ徹を踏まない事さ。
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[017]テラー トレイン
 何でも粗末をするとバーチがあたる。三葉十四郎2009-05-26
 【ネタバレ注意】
同じ邦題の「テラー・トレイン」(,80)はカメラマン出のロジャー・スポティスウッドが監督していたから、暗い場面が多いながらそれなりにキレイな画面だったように記憶している・・・
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同じ邦題の「テラー・トレイン」(,80)はカメラマン出のロジャー・スポティスウッドが監督していたから、暗い場面が多いながらそれなりにキレイな画面だったように記憶している。  本作はそのリメイクではない。 全然別物、解説さん間違えてます。 それでも見比べると、C級の上ぐらいだったテラーな80年の作品の方がよっぽど佳作に思えてくる。 ヒドイ。   リトアニアへレスリング試合の遠征に来たアメリカ人大学生が秘密組織に次々殺されていくと言う、ロケハンの安さで設定した内容。 ジャンクフードみたいなモンだ。 もちろん人間もどんどんジャンクになるよお。  当然、観に来たこちらも承知の上、しかし、いくらジャンクフードでもこりゃ口にあわないな。 バッドテイストと"マズい"のは微妙に違うんだ。 のっけから人体解剖の場面で始まるのだけど、何だか精肉の解体にも見えるなあ、なんて思っていたらあながち間違いじゃ無かった。   哀れなボンクラ大学生らとコーチを誘導し、列車内で捕まえては惨い目に遭わせていく。 目的は医療用の移植部位を取っちまうためだけど、まー手口の杜撰なことと言ったらこの上ないよ。  寝台に括られた犠牲者が気が付いてみると、自分のお腹が腑分けされていて、汚らしい親父がゾーモツをつまみ食いしてる。 無論、彼ならずとも悲鳴をあげるトコだけど、ひょっとして俺だったなら笑っちゃうかも知れないな。 取り敢えず見ている分には笑った。 親父はウルサイっ、とばかりに舌を毟り取る。 何をやらしても問答無用だ。  この昔のプロレスラーみたいなオヤジが助手役で、主犯の女医が、O型の血液が必要よ、と要請すると、今度は腕から吊した別の男の腹を正中線にザックリ、こぼれる血潮を洗面器で受けると言う…。   ちょっとねえ!移植に使うんだか食材に使うのだか区別がつかないけど、もう少し取り扱い方ってものがあるでしょうに。  それにまた、狂気の女医さんの生体移植の仕事ぶりは、犠牲者からもいでいった眼から足まで他の患者に接いでいってしまえるらしく。 そんな事が出来るならヤミでやらなくても充分儲かりそう。   車掌含めた犯罪医療チームがロクデナシ揃いなら、犠牲者側のレスリング部員のメンバーもツマラナイ奴揃い。 あれかね、観ている人に、そんなに気に病むコトはないよ、って言う配慮なんですかね。  レスリングやってるのに手も無くヒネられちゃう。 仲間と一緒に反撃すれば良さそうなものなのに、アイツはもうダメだ、とアッサリ見捨てて逃げちゃう。 ホント同情を惹かないよ。 被害者の一人になる女が、洗面所で鏡に映った後ろに、顔に大火傷を負った男を見てビックリ、ってシーンがある。 ところがこの人なーんでもないんだ。 おどかしてゴメンねえ、と謝ってくれたりして良い人らしかったのに、その後話に絡めて来ない、不思議な事をするよなあ。 それと、どうでも良いけどあのヤケド、メイクに見えないね。 何なの?本当に。   とっちらかった中、ひとり気を吐くのが主演のゾーラ・バーチ。 設定のワリに生っちろいまんまですけど、顔が返り血とかで汚れてくるに従ってリンダ・ブレアに似てくる。 誰もがきっとそう思う。 おそらく本人もそう思ってるらしいフシがある。 この女優の人物コメントで彼女を称して"毒きのこ系"と書いている方がいらして、巧いコト言うもんだなあ、と笑いました。   映画をどうにか見られるものにしているのは舞台が列車だからで、列車が進めば映画も何とか走りだすんだね。 でも終いでは折角貨車が燃えながら走る場面を作っておきながら、そこでアクションさせずに盛り上げしないのでガッカリ。  そしてこれまた不思議な爽やか風エンディングが余韻ひかねー、と思っていると、埋め合わせた様にゴットンゴトゴト…と響く列車の音。 そう、ここは銀座シネパトス。
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[018]イエスマン “YES”は人生のパスワード
 ハイハイ詐欺だと思った。三葉十四郎2009-05-14
 【ネタバレ注意】
いや、ね。 拗ね者の俺としては引き籠りがちだった主人公にシンパシーがあったんだ。 飲み会に気乗りせずに行っても、そこでツマラナイ顔してたら誘ってくれた人に悪いじゃな・・・
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いや、ね。 拗ね者の俺としては引き籠りがちだった主人公にシンパシーがあったんだ。 飲み会に気乗りせずに行っても、そこでツマラナイ顔してたら誘ってくれた人に悪いじゃないですか。  そんな淋しいことばかり言ってると孤独死しちゃうよ、て事だったが、 …別に良いじゃないの。 せっせと作った殻の中で、誰も自分を責めないモノに囲まれて死ねたら。 それも本望じゃない?  いやいや、ジム・キャリーのコメディー見てるのに、不粋で鬱陶しいままの自分が悪いのでしょうけどね。 で、だからこそ彼を面白可笑しく笑って元気分けてもらおうと思ってたんです。  ところが鬱屈中の主人公カールが変化を求めて行った先の自己啓発セミナー『YES』って。  何だいありゃ、ウサン臭え。 またテレンス・スタンプが素のままで教祖っぽいんだ。 人生にYESを招き入れたい、とそこら迄は良いとして、  カールを指して、君は死人だ、言い訳ばかりで何もしない、て言い当てするのだけど。 そもそも、ああいう所へ行く人自体、迷いや倦怠があるから顔でも出してみるかって気になったんでさ、大体当て嵌まりそうなとこ突いただけなんよ。 試しに"周囲にも自分にも言い訳してる"って自分に当てはめてみて下さいな、自覚ありませんか?  そこで、"いや"考えさせて下さい、とか言い淀んだだけでNOマンNOマンと大シュプレヒコールでしょう。 テレンスはすかさず、今すぐに誓約を立てなさい、と。  そしてこの祝福の壷を購入なさい、お数珠も買っときましょう、てそこまではやらなかったが、でもあれじゃ余程のコトじゃない限りNOとは言えないぜ、ダマされるって。  それと低反発素材のベッドをタイアップで買うとこなんかも唐突で怪しいよな。 後はあのエナジードリンク。 なんだか"メッ○ール"を彷彿させるのだが…。  ああ色んなモノが眉唾だ。 何も信じられん。 俺はもうNOマンで結構だね。 NOマン上等じゃねえか。 YESマンなら会社に幾らでもいらぁね。  こうなりゃダメ出し連発してくれるわっ。 ・ジム・キャリーがダメだ。  何でもハイハイハイハイ言ってる内にハイテンショーン、なノリが関西芸人に見えるのは俺だけか? TVの芸人が低俗で映画のコメディアンなら高尚だ、なんて言う気はありませんし、笑いを区分け出来る訳でも無いのですが、一緒ですって開き直られるのも何だか侘しいぜ。  バイクに乗ったりバンジーやったりは本人がこなしてるのが窺えますがそれはスタントがやれば済む領域。 一方でズッコケのシーンでキャリーがカメラフレームの下に切れるショットが有ったが、観客にコケてるところを見せるのはコメディアンの領域だ。 勘違いして欲しくないな。  ・設定がダメだ。  現在の金融恐慌を考えてみなさい。 カネ借りて高価なバイク買ってたらオカシイだろ。 個人消費はアメリカでも冷えてるはずじゃないのか? あんな気色の悪いケーキ誰が買うんだよ。 担保無し審査無しで融資の書類にパンパン判を押していく銀行員を笑うゆとりが今のアメリカにあるのかぁ?!  ・お話がダメだ。  ヒロインのアリソンが、教義に従って全部YESって答えてたのか、とカールを怒るのは良識に適ってたね。 でも彼が傷心の前妻に傍に居て欲しいと言われた時はアリソンの手前があるから断ったけど、お隣のお婆ちゃんに口でしてもらったのはどう言い訳すんだ。 付き合う前だったとしても人としてダメな気がするが。  ・配給がダメだ。 つーより喝だ。 この映画レイティング有ったっけ? 何も知らずに子供と来て"おばあちゃんはなにしているの?"なんて聞かれちゃって"うーんとねぇ足ツボマッサージ"などと答えた後乾いた笑いを顔に張り付かせていた親御さんとかは出なかっただろうな。  バンジージャンプ直後にカールへ上司からケータイ連絡が掛かり、今良いか、と聞かれた時に"丁度ブラブラしてたとこです。"って返すのは翻訳者が巧く捌いてた。    ・共演は− ズーイー・デシャネルは可愛いな。 トウが絶ってない頃のデミ・ムーアに似てる。 支店長のリス・ダービーは所々でキャリーを喰ってた。 カメオのルイス・ガスマンは最近仕事が無いから自殺を仄めかしてるみたいだ。 ジャーニーを聴くとWBCの感動が…、って、なんかもうダメ出しでも何でも無くなってきちゃった。  全体的な感想は、オモシロイ人やるのは疲れそうって事だね。 あーそうかそりゃあRedBullとか飲むはずだぁ。
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[019]ベンジャミン・バトン 数奇な人生
 ボタンもしっかり掛かってよりフォーマルに三葉十四郎2009-05-09
 【ネタバレ注意】
原作の短編が1922年、脚色されたのが90年。 この話が映像化されない間に、子供が大人になる等、人間のメタモルフォーゼを描いた物語は枚挙に暇が無いほどに創られた。 しかし・・・
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原作の短編が1922年、脚色されたのが90年。 この話が映像化されない間に、子供が大人になる等、人間のメタモルフォーゼを描いた物語は枚挙に暇が無いほどに創られた。 しかしロビン・スゥイコードどエリック・ロスが練り上げたシナリオは映画を出し遅れの古証文にしなかった。 長尺でもあるが、人ひとり生まれてから死ぬまでを見るのだから3時間ぐらいあって然るべきだろう。 じつに豊かで充実感のある鑑賞が出来た。  ストーリー自体が分厚くて幅広くて面白い。 ベンジャミンが老年から生まれた設定が無くてもメロドラマとして上質なものになったはずだ。 例えば− 老人ホームで育てられた捨て子のベンジャミン、外の世界の憧憬から家出をしてインドなどを放浪、戻ってホームでの知り合いだったデイジーと恋をして同棲するが、彼女はバレエの世界を捨てられずに破局、その後実父のバトン氏と出会う。 ベンジャミン・バトンとして、勃発した世界大戦でチェルシー号に乗り組み船は沈没、疎開先のロシアでワケ有りの英国人妻とアバンチュールのひと時を過ごし、帰国後は育ての親クイニーとホームで働いて、やがて入所して来たデイジーと共に余生を送る。  −こうやって並べ返してみるとエリック・ロス脚本の「フォレスト・ガンプ/一期一会」にいよいよ似てきます。  映画では成長の逆転の設定を、見るものに自然な認識に促す工夫が施されていた。 老人ホームの設定は病院というのも有ったろうと思うが、育つ場所、終の住処として巧い落とし場所だ。 巡り会う人物としてはピグミー族のオティなどは重要な存在で、彼は奴隷として連れて来られサル一緒に檻に入れられたりした自分の身を哀れまない。 今を生きて将来の希望を持っている。 ベンジャミンの人生の師は彼だろう。 そしてベンジャミンは船で世の中に出る。 海にはまだ冒険が残っている時代。  ロシアで外交官の妻エリザベスと深い仲になるシークェンスも、深夜のホテルの寒々しさと落ち着きが大人の恋を演出してシックで良い雰囲気だった。 戦後に故郷でデイジーと再会した時に、誘ってくる彼女に焦る事は無いよ、と言ってしまうのは経験から来る大人の態度なのだが、相対するケイト・ブランシェットが普通に成人女性に見え、ティーンエイジャーの背伸びに見えず、ここが些か残念。   本作の要旨を象徴した言葉  「人は何も持たずに生まれてきて、何も持たずに帰る」  「永遠は在る」  デイジーとベンジャミンの人生が重なるのが20代中間から30代半ばぐらいで、子供の頃には憧れて、年を取っては悔いや喜びに思い返す年頃、になりますか。  その頃をボタンと穴の大きさや位置がピッタリ合うようにして、同じ価値観で新しい時代を迎えていく生活を二人は続けていきますが、これは人生の絶頂期である事、大切な時期である事を強調しています。  子供が出来るとベンジャミンは父親として存在出来ない自分を苦慮し始めます。 彼には理由が有りますが、そうでなくても父親に成る自覚の無い人との生活はやっぱり壊れてしまうんじゃないでしょうか、ふとそんな事を思いました。  一旦は愛娘の記憶に留まらない内に去ったベンジャミンでしたが、数年後思い立ってデイジーの前に現れて最後の逢瀬を重ねる、すっかり中年女性のデイジーと少年の様なベンジャミン。 ブラッド・ピットが特殊メイクの後ろから常に切なさを漂わせていました。  中間期を過ぎて黄昏て、デイジーは今老衰の死の床にいる。 そして、時がこぼれていく、と呟きます。 子供は年相応分のみで記憶が少ない。 老齢にあっては脳の器質が失われて思い出を無くして行ってしまう。 人は何も持たずに産まれた所に帰るんですね。  放浪児としてホームに保護されたベンジャミンは赤子にまで戻り、老いたデイジーの腕の中で亡くなりますが、その姿に何一つ違和感は有りませんでした。  人の一生が頂点を持つ正弦曲線だとすると、死を迎えて無に帰したならば再び有へ転ずるはずです。  冒頭で時計職人ガトー氏の息子が戦死して、彼は針が逆転する時計を製作しました。 時間が戻れば息子たちは死なずに別の人生を歩めたかも知れない、と。  ベンジャミンはそんなガトーの息子の転生として産まれたので年を逆に重ねる生を受ける。 人は輪廻転生する。 デビッド・フィンチャー監督はそこに永遠が在る、と言っているのです。 映画のラストでも時を重ねていた時計。 人生と言うものの不思議を思わない訳にはいきませんでした。  雷に7回打たれた爺さん 屋根を直していて/郵便受けで/牛の番で/車を運転していて/犬との散歩で/柵の前で 後一回がどーしても思い出せない。 見落としたか? 俺の記憶もどんどんこぼれいく…
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[020]ウォッチメン
 ぼくらのスーパーヒーローたち三葉十四郎2009-04-29
 【ネタバレ注意】
映画のポスターにあしらわれたスマイルマークのデザインが如何にもつまらなそうに見えたが、見終わってみると、これは映画のテーマを実に巧く象徴したマストアイテムであった。・・・
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映画のポスターにあしらわれたスマイルマークのデザインが如何にもつまらなそうに見えたが、見終わってみると、これは映画のテーマを実に巧く象徴したマストアイテムであった。  不思議なものでスーパーヒーローものと言うのは余りSFらしく見えないのですね。 どんな特殊能力が備わっていたとしても眼目はそれらを使ったアクションやスペクタクルになるから。 しかし本作はそんなヒーローが史実に登場していたら、と言うIFの世界、パラレルワールドを描いている。  そこに示された世界、ヒーローを使って総括された20世紀は皮肉な諧謔に溢れて強烈だ。  コミックに描かれた無敵のヒーローが実在するアメリカは夢を体現して強く正しい国になっていたか?、答えを本音に晒して痛切に否定するのが冒頭で墜死させられるヒーロー"コメディアン"だ。  ASHさんの鋭いコメントに有る通り、ディランの曲にのせて様々に影を落としたアメリカ史のオープニングクレジットが素晴らしい。 ヒーローチームのミニッツメンが組織されるが、そこでは既にキャプテンアメリカみたいな奴がマントをドアに挟ませて撃たれて死んでいる。 (アメリカの死) レズのヒーローは差別によって殺されていて、そしてケネディが暗殺されるとそこには銃を構えていたコメディアンが居る。  その彼の死を孤高の男"ロールシャッハ"が調べていく、と言う究明モノの展開で進められると、そこから浮かび上がるコメディアン像は"正義を信じないヒーロー"の姿だった。 葬儀に際してのウォッチメンのメンバーらの回想は全員がコメディアンの本音の洗礼を浴びている。  神の如き超絶の能力を誇る"Dr.マンハッタン"(ジョン)、この青光りのズルムケはスーパーマンにハルクを足したヒーローってところか。 彼がベトナムに投入されてそこでの共産主義との戦争に勝つ。 戦地でコメディアンは自分が手をつけたベトナム人女性を撃つが、どうやらジョンが防ぐと思っていた様で、神様みたいな力が有っても女一人助けられないじゃないか、とジョンをなじる。 正義が神の意志で行われるモノだとすると、ジョンは自身が神みたいな存在だから、そういうところがどこか希薄な辺り、良く練られたキャラクターだ。  "オジマンディアス"は征服者を崇拝しているヒーローだ。 正義の力で悪を抑えて統制出来れば平和が保てると考えている。 しかしコメディアンは、アンタは死の灰の中で一番賢い男になるさ、と核を前にした無力を嘲笑する。 アメリカがヒーローと言う力を得た事で共産国側は対抗として核を5万基を超えて保有。 ジョンが99%を防いでも、残る500発で世界は充分滅べるのだ。 彼らのせいで世界はデタントを迎えない。  "ナイトオウル"はバットマンをもじったフクロウ男で、やはり趣味でやっていた様なものだが、正義に理想を掲げたヒーローでもあった。 ここでは一緒に暴動鎮圧に向かったコメディアンが市民を殴り飛ばして往く、俺たちが叶えたアメリカンドリームがこのザマなのさ、と容赦なく撃つ。  ヒーローを望んでいるのは僕ら観客も同じで、そんな彼らの活躍を単純に宇宙怪獣との戦い、なんて話に求めずに内面を突いたりして苦しめているのは我々が欲しているからなのだ。 "世界は本当は平和なんか求めていない"、ここにコメディアンの嘲り、オジマンディアスの深謀や行動、Dr.マンハッタンの虚無感があるのではなかろうか。  ナイトオウルのダンがシルク・スペクターのローリーの相手に計らずもヒーローの内実を開陳し始める。 コスチュームを纏えば気分は高揚し、ローリーと空中プレイをイタした後も足りないので刑務所へ向かい、二人で存分に悪人を懲らして回る。 正義が第一目的では無く、好きでマスクを被って跳梁しているのだと彼なりの本音を曝け出している。  世界観の背景の撮り方も巧かった。 1985年の話だがニクソンが任期を続けている設定なので70年代を引っ張ったタッチで画面の粒子が粗い、そこで使われる音楽の選曲が絶品だった。 終末時計の小道具も古めかしさに加えて世界の緊張の度合いを一目で判らせている。  欠陥としてはコメディアンが殺される原因となったリストが説明不足な点で、彼ほどのタフガイが何もせず泣いているだけになる理由が見ていて判らない。 真相解明の話の芯の部分なだけにちょっと痛い。  混沌とした世界の中、唯一妥協をしなかった男がロールシャッハだった。 "自分の正義しか信じないヒーロー"ジャッキー・アールヘイリーの名演である。 見ていてとても嬉しい。
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[021]ワルキューレ
 こうしよう、北朝鮮で観る。 スリル倍増三葉十四郎2009-04-16
 【ネタバレ注意】
ワーグナーを知らずして国家主義は語れぬ、と言うヒトラーに愛聴され、「地獄の黙示録」でもアメリカ軍人キルゴア大佐が戦場で掛けていた『ワルキューレの騎行』。 どうやらこ・・・
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ワーグナーを知らずして国家主義は語れぬ、と言うヒトラーに愛聴され、「地獄の黙示録」でもアメリカ軍人キルゴア大佐が戦場で掛けていた『ワルキューレの騎行』。 どうやらこの曲が好きな奴がいると負け戦をする運命にあるらしい。 主人公のシュタウフェンベルク大佐も家で聴いていたな。 作戦名からしてケチが付いていた訳で、勝利の戦女神もとんだ疫病神になってしまったものだ。 そして本作でもタイトルに使ってしまった。 映画も作戦同様に失敗してしまったかと問われれば、成功作とは言い難い、そんな感想になる。 史実が元になっていて、ドイツ軍も戦線が後退してきて敗色が濃くなりつつある頃だというのに画面に緊張感が決定的に欠けている。 ベルリン市街の様子など、あれが9ヶ月後に包囲戦で陥落する歴史的決戦地に見えますか? 暗殺を企てるメンバーにも切羽詰まった感じがない。   内容としては最初の暗殺作戦のくだりが一番良くて、トレスコウ少将がヒトラーの側近へ土産に持たせた酒壜爆弾は不発になってしまい、仕方無く取りに行かなきゃならなくなる。 中身を間違えた、と返してもらおうとすると、ここで開けないのですか、と言われ、一瞬、バレてる?、と思わせておいてから、相手の真意が、酒のおすそ分けにあずかりたい事、なのが判る辺り緊張感と皮肉味が入り交じってる。   トレスコウの仲立ちで、政治家ベックらの反ヒトラー勢力に加わったシュタウフェンベックが計画するワルキューレ作戦は元々ヒトラーが自分の身を叛乱から守る為のプログラムで、それを逆手に取った。 こういう所は具体的な発案として描写すれば面白いのに、夜の屋外でシュタウフンベルクらが密会して計画し、そこでタイプに打つなど、見つかったら言い訳が出来無そうな珍妙さ。  腹心ヘフテン中尉と臨んだシュタウヘフテン一回目の爆殺計画はハナから成功しなさそうなのがつまらない。 軍人だけの判断で決行しての二回目も、冒頭の企ての失敗原因になった遅発雷管になんの不安感も抱かせてない辺り、趣向を凝らしてない。 それでも爆発に成功させてからは一気呵成。 メンバーらが内に抱えていた憤懣が一気に熱膨張したかの様で発令所のタイプの音も賑やかで活発だ。 そこから今度は急速にしぼんでいく、その様子がまた編集具合も調子良く描けていた。  しかし、これらはマスゲーム的な面白さであって。 作戦が失敗するのは反乱軍がベルリン防衛隊隊長レーマー少佐と発令所長を引き込んでおかなかった事。 映画としてもこのキーマン二人をなおざりにしてしまったのが痛い、彼らの人物背景を見せた上で、ヒトラーか叛乱軍側か、どちらに転ぶかのサスペンス醸成が出来たはず。  一方でベック役は露出も多めでテレンス・スタンプは格の有る演技で作品に貢献しているが、仮に彼の役を無名の俳優が演じたとしてもマイナスになったとは思えない。 もっと言えば描いて無くたって良いぐらいな人物だ。 要所を誤っている。 脇にビル・ナイとトム・ウィルキンソンと演技達者を配して、それぞれ複雑な人物をやりきったにも関わらず、何故だろう? ナチス株式会社の造反劇で直前で変わり身したフロム専務、若造のシュタウハンバーグに荷担してしまった事で失職確実、イジけ気味の中間管理職オルブリヒト、てな感じに見える。  何か勘違いしてしまっているのではないか? ブライアン・シンガーの以前の監督作「ゴールデンボーイ」では、ナチ戦争犯罪人のイアン・マッケランが嫌々グースステップやらされている内にどんどん気合いが入ってきて、やらせていたブラッド・レンフロが返って魅了されてしまうシークエンス見た時に、この人は腹にヤバイもん抱えているなあ、なんて思ったりしたのですが、本作ではごく普通、制服に隠された魔力や滅びの美学が皆無でしたね。   トム・クルーズの制服姿はどうだったか? まず本人がアイパッチのドイツ軍人、シュタウプリスキン役としてトーマス・クレッチマンを押しのけてでも軍服を着てみたかったに違いない。  君はやらないのか、と言われてみせた"ハイルヒットラー"の敬礼。 嫌々なはずなのに、その実すっげえ嬉しそう。
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[022]チェンジリング
 嘘に磨かれ、銀残しに鈍く輝く真実三葉十四郎2009-04-10
 【ネタバレ注意】
1928年の事件と年代こそ違うが、世相はジェイムズ・エルロイが50年代暗黒のLA 4部作に書いたものと殆ど変わらないので、ああした警察の腐敗ぶりは誇張でも何でもない事が改めて・・・
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1928年の事件と年代こそ違うが、世相はジェイムズ・エルロイが50年代暗黒のLA 4部作に書いたものと殆ど変わらないので、ああした警察の腐敗ぶりは誇張でも何でもない事が改めて認識出来た、と先ずは物語と別な余談な感興。  映画への導入は脱色した様な街並の画に色調が着いてくる事で、物語は往時が蘇る史実である事、話に入っての日常風景も銀残しの撮影で陰影を強調して、暗い内容、暗い時代である事をあからさまにした、トーンの統一に配慮がなされた作劇。  禁酒法の頃のはずだが全く触れてないのは意外だった。 酒でも飲まなきゃやってられなそうな人達ばかり映るというのに。  攫われた息子を探す、その取っ掛かりから苦心惨憺しなければならないクリスティン・コリンズ夫人のところへ現れるのは嘘吐きばかり、彼らはそのウソを彼女に飲み込ませようと責め立ててくる。  急先鋒に立つのが市警青少年課のジョーンズ警部、近年ここまで観客の憎しみを駆り立てたキャラクタはちょっと居ない。 何しろ実在した人物なのだ。  ジェフリー・ドノヴァンのパーソナリティがピタリと嵌っていた。 自分のミスは決して認めず、俺に面倒かけるのか?、と相手を威圧する。 こんなタイプは身近に居る、ことに今の日本には多い。 責任問題、不正や偽装問題などでTVで頭を下げている人々の中に少なくないはずだ。  警部はクリスティンに、自分が間違っていた、と自らを偽らせようと圧力をかけてくるが、クリスティン自身は警察と対立するよりも先ず、息子ウォルターを警部に探して欲しい願いを持っているので何より立場が辛い。 アンジェリーナ・ジョリーはこの前半部で顔を哀れさに歪めて見せてあざとくならず、話が進むにつれて強くなっていく、なっていかざるを得ない女性像を創りあげて、映画は憎まれ役と共に演者の優れた演技で観客の気持ちをガッチリ掴んだ。   クリスティンは更なる強力な嘘吐きと対決せねばならない。 ウォルターを名乗る少年は、本当の息子に帰ってきて欲しいと哀願するクリスティンに気持ちを動かした様子が無い。 目的はハリウッドスターに会いたかったからだが、こんな末恐ろしい子がやはり本当に居たのだ。  精神病院の医師スティールは誘導ぶりが怖かった。 ジョーンズにより強制入院させられて動揺した事で、さぞ混乱したでしょうね、と話掛けておいてから、混乱はいつもあるのですか?、と問うてくる。 感情は何を見せても精神病と診断され、感情隠さず怒りを持って抵抗すると電気ショック、こんな所では本当に廃人にさせられてしまう。  そして稀代の誘拐殺人犯ゴードン・ノーススコット、クリスティンは彼の謂う事とも立向かう。 死刑宣告を受けたゴードンから告白したい旨を伝えられた彼女が訪れると、彼は懺悔を済ませたから嘘は話したくない、と言い出す。 ゴードンが伝えたい事が、自分はウォルターは手にかけてない、と言う事なら喜んでそう言えば良い。 懺悔をした後で出来ない様な話だから拒否しているのである。 クリスティンは詰め寄り、お前は地獄へ堕ちる、となじる。  絞首刑の場面では平素ヘラヘラした態度のゴードンは散散に脅えてみせるが、思うに、彼と云う人間は力の弱い子供を殺す事で自分の生を実感している、だから内実はよっぽど死にたくない人間なのだ。 この殺人鬼の人物描写も思いのほか優れていた。  事件に関わる人物が全て断罪されて、普段の生活を再開してもなお、彼女はウォルターの捜索を申し込んでいる。 彼女を救ったグスタヴ牧師でさえも事件を忘れて人生をやり直す事を薦めているのにだ。  クリスティンはウォルターの死を認めるべきなのか、捨てきれない希望に心を託すのが本当なのか、つまり今度は自分の内なる嘘と戦うのが、この終盤だったはずだが、ここが気持ち描写不足だったか。 もう少し葛藤が描かれていれば、生存していた別の子供の報に、確かなものを掴みました、と言うクリスティンの微笑みを一層深く出来たに違いない。   希望を持って生きる、それは確かに尊いが、辛気臭い生き方かも判らない。 この映画では真実を語ると云う事がとても重かった。 ウソに逃げた方が余程に楽だ、なんて人生の折々で僕は思ったりするのですが、まあそうだとすると僕も世間も間違っているのでしょうね。 何をやってしまったとしても本当の方がラクなんだよ、となる世の中にならなければ。  う、何だか説教臭い〆になってしまった。
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[023]ダウト 〜あるカトリック学校で〜
 神父憎けりゃ祭服までニクい三葉十四郎2009-03-27
 【ネタバレ注意】
トランプゲームのダウトで一番楽しいのは、自分が同じ数字のカードを4枚押さえている時に相手がどんな顔をして手札を切るかを拝む瞬間にある。  この映画では、真顔でも胡散・・・
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トランプゲームのダウトで一番楽しいのは、自分が同じ数字のカードを4枚押さえている時に相手がどんな顔をして手札を切るかを拝む瞬間にある。  この映画では、真顔でも胡散臭さが滲んで隠し切れないフィリップ・シーモア・ホフマンに、"知らん顔"をさせたら当代随一のメリル・ストリープが揃い踏みしているので、「マンマ・ミーア!」みたく作り笑顔ばかりしてようものならダウトの一つ二つもしてやろう、ぐらいなつもりで鑑賞したのですが、結果は巧く切りきられた感じ。 これはしてやられたな。  フリン神父(ホフマン)が粛々として進める礼拝で、シスター・ジェイムス(エイミー・アダムズ)が可愛くクシャミなどしている中、居眠りをしている子の傍らに立って横倒しに顔を現したシスター・アロイシアス(ストリープ)のいかめしい表情に思わずのけぞってしまいそうになる。  このカトリックスクールの校長は、人を見たら悪人と思え、と絶えず目を光らせて、暇があれば小言ばかり、一緒の食事も聞こえてくるのは冬の風の音ばかりでメシも一層マズそうだ。 メリル・ストリープ真骨頂の役柄で、特に誰が見ても"狂信"を感じさせるのがタイプとして巧い。  神父に呼ばれた黒人少年ドナルドの異変を察したジェイムズがアロイシス相談した事で事態は児童淫行問題へと深刻化するが、げにも怖ろしきは女の勘である。 ウブな女性ジェイムズが持った疑惑はかなり感覚的で、それ故にアロイシスに判断を託したのだ。  話はこのフィリップ・シーモア・ホフマンを信じて良いかが焦点になる。 見てくれだけなら有罪だけど、基本良い人としてオスカー俳優の格も付いていて、これも観客の猜疑心を誘う巧い配役。  二人はフリン神父に説明を求めて詰め寄るが、フリンがドナルドの落ち度を庇っていた、との答えにジェイムズは安心するがアロイシスは疑惑を確信として追求の手を緩めない。  (ここから思い切りネタバレ書いちゃいますよ)  果たしてフリンへの疑惑は事実であった。 やや濁した説明の仕方になっているが、そうでないと話が成立しない。 何だかんだ言ってアロイシスは正しかったのだ。  そこで、僕はもう一度本作をストリープを正義の側として判りきった観点から再見したのですが、これがやはり面白かった。  小うるさいのも裏を返せば生徒らへ目配せが行き届いていればこそだし、強い猜疑心や厳格さも、辞任に追い込んだはずのフリンが次の赴任先で地位が上がったと聞けば、こうした姿勢を持っていないと男尊女卑な教会のシステムの中で自分達の身を守れないのだろう。  事情を聞くためドナルドの母親と面会すると、そこには息子の苦境を必死に庇おうとする痛ましい姿が見えるが、アロイシスは問題はそこじゃ無い、とキッパリ言いきる。 事情や愛情がどうであれ神父の立場で生徒に手をだして良い理由なんかある訳が無い。  この直後にアロイシスが木枯らしに吹かれる描写があるが、映画の背景では時代の変革の風が吹いていて、フリンも教会もまた変革しなくてはと説く。 彼女はその向かい風に立って向かい、フリンは風に吹かれて去っていくのだ。  またフリンがステンドグラスに描かれた目を凝視する場面があるが、これも彼が人目を気にする事をしているのを示唆していて、こうした演出の小技が利いていた。  本作はカトリック学校を舞台にしていながらかなりエゲツない部分、愛は大切だ、と"愛"を語ったりする言葉の危うさにも切り込んでいて、僕はそこを買うのですが、原作者でもある監督はこの映画をシスター・ジェイムスのモデルになった人へ献じているから尼僧に同情するところが大きかったのじゃないかな。  ラスト、アロイシスは雪景色の中庭でジェイムズと会い、悪よりも知恵を働かせる為に嘘も吐いたと説明し、その責のために自分の告解をジェイムズにする。  自分にも"疑惑"があるのだ、と。  ここで言う疑惑とは、自分も同性愛指向の人間だ、と言う事。 もっと有り体に言えばジェイムズが好きだ、と打ち明けていて、ここにフリンへ向けた疑惑の確信の源がある。 同じ性愛を内に抱えていながらに、禁欲を守らず節度を欠いたフリンをアロイシスが嫌うのはもっともな話だ。  告解は告白に変わるが、アロイシスは"あなたが好きだ"と言わずに、疑惑が拭えない、と慎み深く煩悶していて、そこにも確かな人間像が窺えた。  しかし映画に出てくる聖職者ってナマグサが多いよなあ。
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[024]007/慰めの報酬
 007における体質改善と企業改革三葉十四郎2009-03-08
 【ネタバレ注意】
カーアクションに続いてのオープニングクレジットには、砂丘から女体の丘のあちらこちらが現れると言う昔ながらの艶っぽいデザインが使われて、ラップ調の歌が当初気に障ったが・・・
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カーアクションに続いてのオープニングクレジットには、砂丘から女体の丘のあちらこちらが現れると言う昔ながらの艶っぽいデザインが使われて、ラップ調の歌が当初気に障ったが、これはこれで巧くマッチしていると見た。  前作からの引き続きとしてホワイトの尋問前に、ヴェスパーと彼女が救おうとした恋人の写真がMから提示されて、男の方は死体で見つかったがDNA鑑定の結果は別人だった、との説明を受けるとボンドは隙を見てその写真を懐へ忍ばせる。  これは当然、この男にいずれ復讐してやろうと思えばこそで、以後の行動もリベンジが第一目標となっている。 私怨で活躍するボンドは「消されたライセンス」以来か。  MI-6に入り込んでいた二重スパイの妨害に拠りホワイトに逃げられてしまったので、キューバで使われた紙幣から手掛かりを追うのだが、「カジノロワイヤル」の賭け金て口座入金のシステムにしてなかったっけ? まぁ良いけど、  ハイチで本作のヒロイン、カミーユの窮地をボンドが助けるのは、彼女が組織に裏切られ命を狙われる存在と判ったからで、以前の007のように、単に美人だから、と言うよりもボンドの心情に基づいた色がついている。 もう一人のボンドガール、フィールズとよろしくやっちゃうのは彩りってところ。  ボリビアの元独裁者メドラーノにカミーユを下げ渡ししてしまうドミニク・グリーン、こいつは話の後半まで"何か悪い事をしている"だけの男なのが困りモンだが、本作の世界観では英米共に戦う敵が存在せず、国益を守るのが使命で、その為には悪党とも手を組むと、だからボンドみたいな男は疎まれる、と言うのが新機軸、脚本のポール・ハギスならもっと辛辣な設定に出来たかもしれないが、ボンドは女王陛下のスパイだからトンガリ具合もこの辺が限度かな。  シナリオとしてはマチスの非情な扱いに見所がある。 撃たれたマチスはボンドに、俺のことは良いんだ、と諭すように言う。 スパイは所詮消耗品、「M:i:III」みたく仲間を助けに行ったりするのが無い話で、道端で死ぬのがスパイなんだ、と言っている様、だからボンドが彼の死体をモノ盗りにあった様にゴミ入れのコンテナに投げ込むのは、せめてもの事何ですね。 グっと来るものがありました。  しかし強敵不在なのはやはり問題でドミニクはCIAへボンドの排除を頼んだのだから、CIAから凄腕がライバルに登場しても良かったのじゃないかな、フェリックス・レイターも再登場しているが、ボンドと違い「カジノロワイヤル」の時から本作のポジションに現れるのは変。  誰も来ないから頭脳派なはずのマチュー・アマルリックが奇声を上げてボンドに挑まなきゃならなくなる。  陸海空と取り揃えたアクションは全てノーマル仕様、脅しは銃では無く契約書で行われ、悪党はトランクの札束を満足して持って帰り、陰謀の目的は水資源、これでボリビアの水道代は俺達の思うがままだ、って喜んでるってことか、セコいねどうも。  …不景気なのだな、と思う。  アメリカとロシアで戦争させて、その後の世界の覇権を握ろうと宇宙や海中に秘密基地を作る悪役はもう出ないのだ。 第一、観客が求めてないのだろう、海上追跡アクションなどを見ても、いつもならパワーボートとか持ってくるものがゴムボートにまで仕様が落ちてる、でも観客にとっては水準的な中盤アクションとの印象は変わらないはずだ。 世界観を現実にアジャストさせていくことで制作費も抑えられる。 新兵器部門は閉鎖されてジョン・クリーズもリストラだ。 作品の内外で体質改革をしている。  正直、衝突に併せてカメラも揺らす手ブレアクションは拒否反応を持ってしまっているが、こうした"それでも良いモノを"と言う努力の甲斐あって英米ではシリーズ歴代興収一位だそうだし、これは判ってあげなきゃいけないのかな、と言う気がする。
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[025]マルタのやさしい刺繍
 はいて逝きたい勝負パンツ三葉十四郎2009-03-04
 【ネタバレ注意】
「やわらかい手」の後発みたいな登場になってしまったが、アタシの方が柔らかいのよ、と、お婆ちゃんがタメを張る映画じゃない。 「やわらかい手」や「フルモンティ」などは自・・・
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「やわらかい手」の後発みたいな登場になってしまったが、アタシの方が柔らかいのよ、と、お婆ちゃんがタメを張る映画じゃない。 「やわらかい手」や「フルモンティ」などは自己改革の話だったけど、こちらは周囲の意識改革がもっぱらで、つまりは永世中立国として万年平和なスイスにも小さな革命は必要だよ、という事なんだな。  話の滑り出しが断然良い。 一人の夕食も進まない老女、夫の遺影を胸に盛装でベッドに横たわる孤独感たっぷりな描写、ところが次には、このお婆ちゃん、何の事は無くそのまま朝に目を覚ましてしまうと、場面切り替わって教会のミサではお婆さん二人が空席を挟んで顔を見合わせている。  出てきた人物の境遇、心情、人間関係にとぼけたユーモア、と開始5分で全てがすんなり頭に納まってまことに明瞭。  このマルタお婆ちゃんが団旗の修繕を押し付けられた事で、生地に触れたりするうちに目標を見つけて破顔一笑、自作のランジェリーで店を構える生き甲斐持つが、周囲は皆で反対、茶のみ友だち3人でさえも快活なリージだけが味方だ。  残る二人、フリーダは老人ホームで依怙地ぶりを発揮し、ハンニに至っては夫が居るので老々介護と言う生々しい問題を抱えていて、俯瞰して見れば絵葉書みたいな村でも中に入ってみれば世知辛さが浮き彫りになってくる。 それでも周囲が猛反対すればする程に観客は背中を押したくなってくる訳で、マルタに触発されて4人が挑戦的に結束していく様子や、メンバー中一番若々しかったリージが先立ってしまっても、明るい彼女は素敵だったと見送って、湿っぽくならない展開は見ていて嬉しかったですね。  そして権力のある人間はやはりこういう事にイイ顔しない。 ハンニの息子で酪農家の有力者フリッツ、陰険、傲慢、俺みたいなヤツ、最後には村人の総スカンを喰い、のけ者で自棄酒。 ザマァない、いやぁ良かった。  それにマルタの息子で牧師のヴァルター。 出ました"大きなコドモ"。 ランジェリーショップへ乗り込んで下着を手に、こんな厭らしいものを、と、がなり散らす。 何もねえ、真ん中がパックリ開いたパンツとかじゃあるまいし、お前みたいな親父が持つからイヤらしいんだっつーの。 コイツも俺みたいで、最後はちょっぴりだけ反省して、良かった良かった。  ご年配の方達ばかりで目の保養は期待薄かと思っていましたが、話の仕舞いの方でやっぱり居ました。 マルタのランジェリーはこんなにステキなのよー、とサービスショットしてくれる女性が、  でも随分と常識的と言うか、イ○ーヨーカ堂の特売チラシに載ってそうなフツーの下着でしたよ。 何も真ん中がパックリ割れたようなヤツじゃ無くても良いけど、もっとレースやスケスケの生地とか買ってませんでしたっけ?  ダメ息子の私が言うとホントに白々しいのですが、世間は今、お年寄りには厳しさばかりが募る昨今ですから、80歳からチャレンジングなお婆さんを見て元気を貰えた人がいれば良いですね。 小品、故に嫌いになれない映画。
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[026]マンマ・ミーア!
 BABBAA三葉十四郎2009-02-28
 【ネタバレ注意】
男女二人ずつのペアのグループを材に取っていながら話では3人ずつに増やしているのでAとBも足してみた。  …なる程、ウバ桜も狂い咲かんばかりな話のワケだ。  耳にした曲も・・・
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男女二人ずつのペアのグループを材に取っていながら話では3人ずつに増やしているのでAとBも足してみた。  …なる程、ウバ桜も狂い咲かんばかりな話のワケだ。  耳にした曲も多いので、掛かった順に感想をまとめてみる。 ( )内は字幕に出た訳詞を適当に抜書きしただけのものなのであしからず。  ・I Have A Dream (私は海を渡る、夢を叶えるために)  月明かりに出す舟と封書、幻想的で滑らかな出だし  ・Honey,Honey (ステキでセクシーな彼に心臓が止まりそう)  ママの日記のおのろけを娘が歌に。 本人が見たら心臓も止まる。  ・Money,Money,Money (金持ちの世界には太陽が輝く)  ミもフタも無い曲だよな。 このパートだけ妄想が映像化される。  ・Mamma Mia! (私は騙されてた、憶えてるでしょ、なのに私懲りてない)  メリル・ストリープの資質が改めて問われる。 かっては貞操が緩くて、ハジけていた、そんな女性のイメージが彼女にありますか?  ・Chiquitita (私の肩で泣いて良いのよ、あなたの親友だもの)  この名曲を便所に篭もったババアに使うのは許さん!  ・Dancing Queen (若くてスウィート、未だほんの17才)  カーテンコールで再度歌われるのだし、ここはソフィと友人の若手トリオでのシーンにして、そこにドナ達の若い頃をダブらせるのが常套。  ・Our Last Summer (雨の中笑いあった思い出は消えない)  親父3人組のパート  ・Lay All Your Love On Me (全ての愛を、僕に/私に注いで)  本作は群舞に見るべきものはありません。  ・Super trouper (今夜のステージはナンバーワン)  ・Gimme! Gimme! Gimme! (男をちょうだい)  ・Voulez-Vous (また来たぜ)  本格ディスコシーン、照明効果も圧倒的。  ここでニブチン親父共がソフィが自分の娘ではないか、と気づくが、ソフィ当人は一人は父親として後の二人をどうしよう、と悩む。 自分で呼んでおいてそりゃナイだろ。  ・SOS (傍に来れば聞こえる僕のSOS)  007以来の窮地、ブロスナンがSOS  ・Does Your Mother Know? (夜の外出ママは知ってるの?)  添え物。 ドナを中心にした友人関係の描写自体は良い。 がロージーとターニャは脇役として巧いキャスティングであって、ストリープを喰ってしまわぬ様に配慮された感じがする。 配慮は観客にしなさい。  ・Slipping Through My Fingers (たくさん冒険しようと選んだ場所、その多くは行かぬまま)  ストリープの歌も場面としてもここがベスト。 何故ソフィに父親が無いままにしてしまったか、理由がシンプル、故に泣かせる。  ・The Winner Takes It All (もう止めましょう、あなたは握手をしに来たの、)  苦節ン年、ストリープが歌い上げるド演歌。 エーゲ海も北の日本海に変わった。  ・When All Is Said And Done (別々の道を歩んで、今、秋の気配を感じている)  岩の上の教会での式で、出席を反対していたドナ自ら父親候補3人を紹介すると、ソフィが"わかった結婚は延期しましょう!"って、え、何ソレ?。 すると折角だから僕らが結婚しよう、とブロスナンが言いだしストリープは承知する。 じゃあ、さっきの歌はなんなの? コリン・ファースもカミングアウト始めてナニソレ具合は深刻。  ・Take A Chance On Me (もし気が変わったら最初は私を試してみて)  セクシーな美女が歌うべき歌。 ついででくっついてどうする。 人間関係を安くしてるだけ。  そしてもう一度Mamma Mia!で大団円、 I Have A Dreamで締める。  カーテンコールにはDancing Queenに ・Waterloo (落とされて負けたのに勝利の気分よ)  とオジサン、オバサンの弾けっぷりを見て来たのだけれど、結局のところこの話でのABBAの曲は"懐メロ"扱い。 そこが僕には多いに不満だった。  ・Thank You For The Music (音楽をありがとう。 私が歌う歌)  こんな素晴らしい歌が劇中歌で使えてない。 そして、この歌はどこか古くなってますか?
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[027]ワールド・オブ・ライズ
 プリ夫のフィンガーネイルファクトリー訪問三葉十四郎2009-01-18
 【ネタバレ注意】
いつもにも増して相当激しくネタバレ書いちゃってます。 御了承下さい。   酷い内容でさ、中東の人がこの映画をみたらどう思うのか、と。 CIA工作員が中近東でやりたい放題・・・
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いつもにも増して相当激しくネタバレ書いちゃってます。 御了承下さい。   酷い内容でさ、中東の人がこの映画をみたらどう思うのか、と。 CIA工作員が中近東でやりたい放題。 話の上ではヨルダンの情報局(GID)に花を持たせた形だが、イスラム圏内での対立でも煽ってる様にも見える。 主人公フェリス(ディカプリオ)は現地の女の人を手軽にナンパしちゃうけどCIAの立場でそんな事をすればどんな類災が及ぶかも知れない軽率さ。 アメリカへ行きたがる人も所々に点出してるけど、イラク人でもヨルダン人でも、多くは自国に在ってより良い明日を目指すはずなのだ、そういう大義はついぞ出ませんでしたね。  しかし、だ。 幾ら中東の人の立場に立ったところで同情の域は越えない。 今から国際NGOに登録するなんて事にはならないし、じゃあイラク復興支援の募金箱にジャラ銭でも入れればなんぼかマシなのかと?、姑息に罪悪感持たずに済ますのになんかするのか、つー話でさ、書けば書くほど自分が嫌になってくる。  だからさ、オレ、偽善的な考えは頭から放り出したんだ。 現代に活躍するスパイのアイロニーとアクションを描いた映画を見に来たんだ、と腹を括ったね。 この映画面白いんだもの。   開幕にホーデンとか言う人の、復讐が復讐の連鎖を生む、だとかの格言が目を掠め、続けてイギリスでの自爆テロ、それを受けてCIAの中東局主任エドがもの凄いイスラム蔑視の発言をする。 ヤツらは自分達未来人をイスラムに改宗させようとしているって言うのだけど、ウチにコーラン持って尋ねてきた人はいないけどなあ。 聖書の落丁みたいなの持って来る人は幾らもいるぞ。  それからイラクでの、現地協力者はほぼ使い捨てな工作員フェリスの活躍が描かれる。 アジトは荒地の一軒家と言う判り易さだったりもするが、銃撃戦に入るタイミングなんかは絶妙。 そこで、先のテロの首謀者アル・サリームの手掛かりを掴むと、隠れ家のあるアンマンへ飛び、深謀遠慮なGID局長ハニ・サラームの信用を得て協力監視体制を取り、合間に白い歯が眩しい看護婦アイシャと知己になったりもするが、計画はエドの度重なる拙速で失敗。  ハニの逆鱗に触れフェリスは一旦帰国。 ここでテロリストの疑心暗鬼ぶりから、偽テログループをデッチあげしてコンタクトを取らせようとする計画を立て、サディキと言う一般人をテロリストに仕立て上げる。 鬼かコイツら。  ところがフェリスが突然仏心を出してサディキを保護しようとする。 計画の発案者のくせにオマエが卓袱台返ししてどうするんだ。 大体プランからしたらサディキに厳重な監視体制が張り付いてないと成立しない内容なのに誰もトレースしてる様子がない。 作劇としても全てエドの立案じゃないのは巧くない。  しかもアイシャまで誘拐されてしまったのでハニ局長に助けを請うが断られ、仕方もなく自らを交換条件に差し出して彼女を救おうとする。  拉致先で首魁アルと対面し、約束を果たせ、と言うと、お前は安く売られて来たのだ、と話が噛まない。 そこからフェリスは、自分が知らない内にハニにエサに仕立て上げられていて、アル・サリームはそれに引っ掛かっている、と判った。 なので減らず口を叩くと、その度に金槌で指を潰されて、うわぁ痛そー。 ホントに当たってたりしないよな。  ちょっと振り返ると、フェリスがハニに許されて戻った際の面会でサディキの話が出てもフェリスは口を噤んじゃうけど、ハニは既にCIAの企みに気づいてたんだろうね。 そこで丁度時計が鳴るのは、あれが事実を明かせるタイムリミットの意味合いだったんでしょう。  フェリスは間一髪GIDの部隊に救出されてアルも逮捕された。 アイシャの誘拐もハニの狂言だった。 と言う事でフェリスはエドにCIAへ慰留されるのだけど、"お前の身は危険だ、断ればアメリカは見放すぞ"と言うエドに"どこだって危険だ、アメリカを気取るな"とフェリスは返す。  アメリカの庇護下にあってもオランダの様にテロに巻き込まれるし、世界の平和の為と称してCIAが姑息なことばかりやってるからテロは加速して過熱する。 これは冒頭に有った格言に掛かってるんですね。  だからエドは傲慢で無能な人物になっていて、ラッセル・クロウはこのリスクある役柄を腹芸タップリに好演しているし、リドリー・スコットは一見以上に批判的な姿勢を示しているとも言える。  時々グアンタナモ基地のフラッシュバックが入り、拷問してるのはアメリカも一緒だ、と暗示させているが、あれはあんまり効いてない。  ディカプリオもボコボコのイイ面構えになってて、それでも中東オレは好きだぜ、と言って去るので、まあ色々有った件は水に流してやるか。
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[028]ミラーズ
 あなたはもう鼻毛が抜けない。三葉十四郎2009-01-14
 【ネタバレ注意】
お正月と言えばおせちにホラー。 今年も正月飾りのある映画館へ行ってきました惨劇詣で。  「ミラーズ」、鏡です。 アメリカ製のビールじゃありません。  初っ端から何か・・・
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お正月と言えばおせちにホラー。 今年も正月飾りのある映画館へ行ってきました惨劇詣で。  「ミラーズ」、鏡です。 アメリカ製のビールじゃありません。  初っ端から何かに追われた男が鏡を使った怪奇な方法でザックリ殺される。 掴みはOK、以降も鏡に映る恐怖がコンスタントに演出されていくのですが、鏡と言うのはなかなか重宝なアイテムですね。 どこで自分の姿が映ってるかも分からない、何が映ってるかも分からない、カメラが人物を正面から映してても、それが鏡に映った姿かも分からないんですから。 もう幾らでも観客を料理出来る。  それにある程度光源が対象に当たってないと鏡に映らないので、驚かしも比較的明るいところやるので目に優しい。 じゃなくて、明るいとショックシーンの後でちょっと弛緩出来るんです。 本編での、鏡に映った主人公ベンの像が突然拳銃ブっ放すシーンなどは、ビックリした後思わず笑っちゃいましたよ。 監督のイタズラみたいな感覚が有るんです。  筋立ても鏡の悪魔の目的が段階を踏んで明確になっていく。 ベンが散々怪奇現象にあったり周囲で惨い殺され方する人が居ても、行為としては脅迫なので、ベンが謎の解明に取り組む姿に切迫感が出て惹きこまれます。  アレクサンドル・アジャ監督は、以前「ハイテンション」と言うアジャパーなポンコツショッカーを作っていて、あれは途中で脚本家がケツまくって逃げたんだろう、と思っていましたが、しかし今回も同じ人と共同脚本書いている。 仲直りでもしたんでしょうかね。 それにしても腕前も上げた。   一方、主演のキーファー・サザーランドはジャック・バウワーさながらにガンガン捜査を進めていく。 元刑事っだけでこんなに胆力一杯で良いのかい? 夜警先の廃墟では行く度に怪異にあってるくせに、一晩に二度目を入る場面があって、女の叫び声の聞こえた先にカメラ引っ張っていく様な具合で向かうと、姿が見えないので鏡に映してみようとする。 イイ発想だけど見えてもヤケドの幽霊なのは判りきってますから、こちらとしては、いやもういいよ見たくない見たくないよ、見たいけど。 なんてね。    で、悪魔側は相変わらず理不尽パワー全開、だけど神様はいつも通り何もしてくれません。 尼僧が出てきますけど非力なまんま。 3、40年ぐらい年季の入った様な人なのだから、尼は尼でもプロなのよアマじゃないのよ、とか言いつつ子宮に気合を入れて頑強な抵抗の一つもして欲しいとこですよ。  …あれ?気を入れるのは丹田でしたっけ?、すいませんね、新年も早い内から。   それでもお終いの方ではゾンビみたいなのがサービスしときましたからって按配出て来て、お年玉もらった様なモンで、お約束のオチも極めて優秀。 ホラー映画に来て見るべきものは余さず見れましたから、僕としては大分満足して帰れました。
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[029]バンク・ジョブ
 金庫室以外にも穴があいたな三葉十四郎2009-01-11
 【ネタバレ注意】
流石ロジャー・ドナルドソン監督、ドロボー映画らしく手際の良い、渋いユーモアの入った作品に仕立ててくれた。  トンネルを掘って貸し金庫を狙うお話はフランスの「掘った奪・・・
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流石ロジャー・ドナルドソン監督、ドロボー映画らしく手際の良い、渋いユーモアの入った作品に仕立ててくれた。  トンネルを掘って貸し金庫を狙うお話はフランスの「掘った奪った逃げた」と言うやはり実話をベースにした映画が以前にあったので、元ネタは一緒かと思ってたよ。  主犯のジェイソン・ステイサムの名がテリー・レザー、彼に金庫破りを斡旋するワケ有りのモデルの名前がマルティーヌ・ラブ、てこりゃキマってる役名だねえ。 ステイサムが相変わらず渋面でキビキビ動いて牽引力抜群。 これならシロウト含みの寄せ集めメンバーでやっても巧くいくだろうよ。  それにしても古くは「黄金の七人」などがそうだったけど、トンネルを掘っての金庫破りってのは何でこんなに過程含めて楽しいのかね。 確かにこの映画じゃ悪人ばっかりで貸し金庫の中身は後ろ暗いものばかり、って感じにはしてた。 でも実際テリー一味の被害者には真っ当な人も居たかもしれない訳だけど、それでも罪悪感を感じるより積んだ現金に感じる達成感の方が強いんだ。 悪党やってる側のが庶民感覚があるんだね。  この間も様々な人物の暗躍が描かれるが、ここでテリー達に伸びるピンチをヤードの警部ロイ・ギブン(ジェラルド・ホラン)の捜査状況だけに絞ったのがスマートで前半部が一直線、盗みを成功させてからの後半がMI-5や悪徳警官らの相関関係が広範囲に活発化する複合的な構成で展開の面白さを増進させてる。   出演者はなかなか味のある顔した面々が多く、イギリス情報局もダブルオーのMI-6と比べてMI-5となると随分しょっぱい面子になるもんだが、作戦担当ティムのリチャード・リンターンなどはそういう所を逆手に取って面白みを付けた役柄にしている。 それからロンドンマフィアの顔役ルーのデビッド・スーシェはマイケル・ケインが使えない時の代走にピッタリ。 この人もホントに芸達者だよ。  さて、楽しく見てきたところで冷や水掛ける様で無粋だが、ここからはちょっと不満な点を並べる。   先ずテリーの人物像、彼がマルティーヌの話に乗るのは彼女に下心が有るからだが、そうなると愛妻家と言う一面が矛盾してくる。 こざっぱりした性格にしているのだから二律背反みたいな事はして欲しくない。 マルティーヌとティムとの関係を薄々気がついているのに金庫室で彼女と浮気するのは、後半の展開において裏切らないで欲しいからなのかもしれないが、そこは人柄で何とかして欲しかった。  次はクライマックスの展開についてだけど、ここではMI-5との司法取引を成立させてヤードにはもう捕まえられない状況になってからマフィアに捕まっている仲間を助けるべく対決となるが、話の上では成り行きまかせ。 そもそも駅に各団体を集める段取りの順番が違う。 マフィアは人質との交換に裏帳簿を返せと言ってきてるから、最初は"MI-5と取引の確認をしたがマフィアの件は断られる。"次いで"帳簿にロイ警部の名前が無いのを確認"、それからルーへ駅に来て鉢合わせさせる時間を申し入れすべきで、実際順はロイ警部の名前を新聞から探すのが最後なので行き当たりばったりにすぎる。 ステイサムが肉体派でもここは血の巡りを良くしてもらわないと。  警部も折角テリーを捕まえてみても検挙出来ない辺りに残念無念さが今一つ。 ヤードの勢力の扱いはもっと大きくしても良かったか。  王室スキャンダル漏出防止にやっきになるMI-5では、潜入捜査官ゲイルの点出がある。 彼女のニンフォマニアみたいな性格がまた面白い。 しかし渋目揃えのせいか女優サンに華が無い。 ここは多少浮いてもキレイどころを用意してくれなきゃ、そういう女の人が体を張った捜査をしたり無残な最後を迎える事で、見ているこちらも"あんな美人がねえ"と気持ちを揺さぶられるわけだから。
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[030]旅芸人の記録
 労苦を共にして見るが正しい鑑賞作法三葉十四郎2009-01-10
 【ネタバレ注意】
名声名高い作品として時々再映されているが、アンゲロプロスが描く映画の長編抒情詩、なんて紹介を見るにつけ簡単には行き難い。  でも、ここは今年一発目、と気合を入れて早・・・
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名声名高い作品として時々再映されているが、アンゲロプロスが描く映画の長編抒情詩、なんて紹介を見るにつけ簡単には行き難い。  でも、ここは今年一発目、と気合を入れて早稲田松竹へ、  それでですね。 途中でまなこが落ちちゃいまして、どの辺りかと言うと、主人公のエレクトラが兵士に慰安婦みたいな扱いされて部屋に連れ込まれる場面、野郎の素っ裸が得意の長回し。 でイチモツの所にモザイク代わりにフィルムに傷入れて作った光点がチラチラしてましてね。 眺めている内に意識を10分程失った、と。  翌日再チャレンジ、欠落箇所も埋まって理解も進んだ。 うん見直しておいて良かったですよ。 怪我の功名。 誰が誰やら見当つけづらくて、人物は殆ど点景、男優のヒゲ面は進むにつれて濃くなるばかり。 初見だけで済ませてたらコメント書く気にはならなかったでしょう。  ギリシャの古典『オレスティア』や『エレクトラ』を頭に入れておけば理解が深まるそうだけど、そういうのはどうかな。  この監督の映画で評価されているワンシーン=ワンカットの手法。 これはギリシャの風土や様相を、リアリズムを基調に撮った上で舞台化を図ったものである。  、て何言ってんだか判らないって思われるんでしょうけど、実は自分でも良く判って無い。 ちょっと例に出して説明してみると、   1、宿の廊下に並んだ旅芸人の面々、彼らの視線の先へカメラがゆっくりパンしていくと、その中庭で芝居の稽古中の当人達が映る。   2、1952年、パパゴス元帥への投票を呼び掛けする街宣車が画面を横切って去ると、直後に同方向からベンツ。 道先には1942年のドイツ歩哨所が在る。   3、ドイツ軍撤退。 自国と連合側の旗で埋まる歓喜の広場に銃声が響くと人々は四散。 その内の一方からデモ行進して来た人たちが再び集結すると旗は赤旗だけになっている。  1は時系列や時間は交錯させてます、と言うサジェスチョン。 2は帝国主義の同一性を端的に示した描写。 3は大戦後のギリシャの政情動向の簡略表現なのだけど、何れも舞台袖を意識させるもので。 カメラフレームの外で慌しく移動する俳優や道具類の準備、進行や段取りが行われている事の想像を隠していない撮り方と言えるんです。  それから古典悲劇に沿った姉弟の物語は、父親殺しと彼と不倫する母への復讐譚だが、しかし周囲の状況はそれ所じゃ無い程に凄惨な訳で、これはストーリーラインは監督の映画作りの目標に無いなと、  ギリシャと言う国は、いつも列強国の脅威に晒されて戦乱や内乱が絶えない現実にある舞台である、と。 そしてギリシャ人はそこで古典として伝わる悲劇を代を経ても繰り返しているのだ、と。 その宿命や不条理を、1939年から52年までを繰り返して厚塗りに描きだしたのが本作なのだと僕は考えたんです。 加えて本作でのイギリス軍の描かれ様はナチスとまるで一緒で、連合側の旧悪を指弾した点でもこの映画は評価が高いのでしょう。  さて、これらを踏まえて敢えてなのですが、僕、この映画が素晴らしい作品と感じられないんです。 一座の彷徨の場面には胸を打つシーンも有ったし、作品意義も立派だと思うんです。 でもやはり見るのにしんどさが先に立った。  で、またちょっと考えてみたのですが、じゃあもう見なくて良いや、って事では、これはマズイ。 例えば絵画などは、僕が見てゴッホやピカソの欲しい絵なんて一つも無いけれど、でも世界中に高額積んでも買いたい人は多いワケじゃないですか。 これは僕にものを見る目が無いんです。  だからまた機会を見てチャレンジしてみますよ。 そうそう、そう言えばこの映画の初公開は岩波ホールだったはずだけど、僕が始めて行った90年代に在ってこの劇場は学校の視聴覚室みたいな造作で、椅子もとんでも無く座り心地が悪かった。 あそこに4時間座っていたのだから昔の観客はエラいよね。  今回の劇場は快適だったし、そのうち4時間座っても未だもの足りないぐらいの、揉み玉六個ぐらい付けた座席の映画館なんて出来るかも知れないじゃないですか。 映画の環境も見る僕らも一緒に進歩していけば良いんですよ。
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