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 「初代黒龍」さんのコメント一覧 登録数(21件)rss
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[001]劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ 神速(しんそく)のゲノセクト ミュウツー覚醒
 シリーズは覚醒したか?初代黒龍2017-01-14
 
 ベストウィッシュは初めて観たが、サトシのパートナーが替わった以外はあまり変動は無いようだ(変わったと言えば、毎回女の子のヘアスタイルが個性的だが、このシリーズのそ・・・
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 ベストウィッシュは初めて観たが、サトシのパートナーが替わった以外はあまり変動は無いようだ(変わったと言えば、毎回女の子のヘアスタイルが個性的だが、このシリーズのそれはチョット異常だ)。  シリーズの更新と共に内容にも変化があるかどうか、これはTV版を丹念にチェックするしかないだろうが、劇場版第1作のミュウツーを新シリーズに出すというのはどうしたことか。原点回帰ということか、それとも単なるネタ切れか、とついつい悪い方に考えてしまう。ミュウツーは人造のポケモンであり、人間で言えば私生児である、という出生時の傷を常に引きずって生きていて、数多いポケモンの中でも唯一と言える異端者である。それは見方によっては、個性であり魅力でもあるが、いずれにしても何度も出演させるのは惜しいキャラだと思う。そのミュウツー再登場だが、今回の主人公ゲノセクトが蘇ったポケモンであり、彼らは現代に居場所が無い、という点がミュウツーと共通するものだから、というのが理由ではいささか弱い。しかもゲノセクトと戦うことで、結果的にミュウツーが正義の味方になっているのも如何なものか。第1作のファンとしては、ちょっと引っかかる。  もう一つ引っかかるのが、ゲノセクトの容姿だが、数億年前から存在していた割にはかなり近代的だし、モンスターと言うよりサイボーグに近い。第一これって、「ニューヨーク東8番街の奇跡」のパクリじゃない?いっそのことミュウツーに似た外見にした方が良かったと思うけど。  これまでのシリーズと大きく違っているのは、ポケモン達が人間(ポケモンマスター)の指示ではなく、自らの意志でゲノセクトに戦いを挑んでいること。ポケモンのコンセプトからは逸脱するけれど、モンスターという意味ではこれは原点である。物語の終盤でサトシが、もう争いはやめろ、とバトルの仲裁に入るあたりも、何だか新鮮なものに観えた。たまにはこういう展開も悪くない。  いきものがかりによるエンディング曲が良かった。  ミュウツー(声は高島礼子)の名セリフ。  「必要があるから生まれた」
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[002]劇場版ポケットモンスター/アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオ
 従順と友情初代黒龍2017-01-06
 
劇場版第1作に登場したミュウは、なかなか魅力的なキャラクターで、出番が少ないうえに細かく飛び回るので、観ていても捉えにくいあたりは、『幻の』という肩書が生かされて・・・
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劇場版第1作に登場したミュウは、なかなか魅力的なキャラクターで、出番が少ないうえに細かく飛び回るので、観ていても捉えにくいあたりは、『幻の』という肩書が生かされているし、あんな小さな体に驚くほどパワーを秘めている意外性が特に良かった。 そのミュウがタイトルに付いたので期待して観たが、少々勝手が違う印象を受けた。もう一つのタイトルロールであるルカリオが主役なのは当然だが、主役がサトシとダブルキャストという感じだ。サトシはポケモン(特にピカチュウ)を仲間として、常に友好関係を保っているが、ルカリオは伝説の勇者アーロンの僕(しもべ)であり、こちらは主従関係が基本になっていて、いわば思想の違う者同士で、それが共闘するのは何だか変だ(実際、何度か衝突もする)。それで最終的に分かり合うには、途中のシーンでの説得力に欠けている(封印された過去が解かれるシーンで、アーロンがルカリオを「友」と呼ぶが、最後までルカリオは人間に仕える立場を崩さなかった。そういえばルカリオのデザインが犬に似ているのは、人間の傍に居るから、ということの象徴かな?)。 物語の見せ場は『世界の始まりの樹』を舞台にしたアドベンチャーだが、このパターンは「天空の城ラピュタ」や「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」でもやっているので、新鮮味が無いと言うより模倣したように観える。主人公達が何度か言う「波導は我にあり」というセリフも、「スターウォーズ」シリーズの「フォースと共に」にイメージが似ている。せっかく迫力があり、重要でもあるシーンが、他の映画を思い出させるものになっているのが残念だ(そういう風に観ているこちらにも問題があるかな)。 ラストの、アーロンがチョコレートを口にするシーンが一番印象的だった。思えば、アーロンがルカリオと対等の立場で「分かち合えたもの」は、あのチョコだけだったのでは?
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[003]ヤクザと憲法
 特別の中の日常初代黒龍2016-12-31
 
映画館で観たが、途中退屈して居眠りした。過日BSで放送されたのを観て、やはり退屈した。何故退屈したのか考えたら、画面を観ていてもごく普通の日常の風景にしか観えなか・・・
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映画館で観たが、途中退屈して居眠りした。過日BSで放送されたのを観て、やはり退屈した。何故退屈したのか考えたら、画面を観ていてもごく普通の日常の風景にしか観えなかったからだ。ヤクザの事務所にカメラが入ること自体が特別なことだから、観ているこちらは相当特別な映像が撮れたのだろうと、勝手に期待していただけのことで、実際のヤクザはこういうものだということを観せられているわけだ。そうするとヤクザも民間人も同じ人間で、組織に上下関係があり、部屋住みが下働きしたり、幹部が責任者としての悩みを抱えていること、どれも同じ日常ということになる(部屋の隅に置かれたテントの箱を見たリポーターが、マシンガンとかじゃないんですかと聞くと、構成員から映画の見過ぎですよと笑われるシーンがあるが、これなど『特別なものを撮りたい』ことの現れだろう)。 山口組系の顧問弁護士のエピソードは、かなり象徴的だった。映画の中では軽い感じの人だが、重い十字架を敢えて背負うことを選んだのは事実だ。そういう生き方もある、と世間は解釈しないのだろうか、小さな事件の有罪判決を受けて彼は失職する。これは暴力団排除に名を借りた人権侵害ではないのか?社会というものは、『そぐわないもの』はイコール敵とみなして排除しようとする傾向がある。ネットに画像を投稿することが安易になった現代は特にそうで、まるで自分以外は皆敵のように勝手にそぐわないものと断定して情報を流出させている。投稿と言うより、ただのチクリだし、この方がよっぽど暴力だ。 会長から構成員まで、誰が何を聞かれてもちゃんと答えているのが印象的だった(何ヶ所か口ごもったり、答えを濁した所はあったが)。「別に」とか「普通」とか「関係ねぇだろ」なんて言わず、YES・NOをはっきりさせる言い方をする。そういう点は、むしろスッキリする。 ラストでリポーターが、ヤクザをやめるという選択肢もあるのではと聞くと、どこが受け入れてくれるんですか、と逆に聞き返した会長の目は、ヤクザの立場から見た社会への憤りを感じた。一方、部屋住みの構成員は同じ質問に、やめる気はありませんと言い切る。おそらく彼は、社会というものに適合出来ないから、反社会的と言われるヤクザの世界に身を置くしか道がなかったのだろう。この映画を観たからといって、ヤクザを肯定的に見る気は無い。だが、彼らも人間であり、この社会の中で生きているのである。
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[004]甘い人生
 イ・ビョンホンの魅力初代黒龍2016-12-29
 
こんなに平然と殺人が連続されたんでは、『R―』いくつに指定すればいいのやら。  物語は早い話がヤクザのモメ事だが、日本のヤクザものとは何か違う。日本は家族的か、組織・・・
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こんなに平然と殺人が連続されたんでは、『R―』いくつに指定すればいいのやら。  物語は早い話がヤクザのモメ事だが、日本のヤクザものとは何か違う。日本は家族的か、組織としてのヤクザを描くが、この作品はあくまで一匹狼として、である。主人公は何度か窮地に追い込まれるが、成程こんなやり方があるんだ、という感じで切り抜ける。その辺は観応えがあるが、所詮はただの殺し合いで、主人公がラストで言う通り、ただむなしいだけ。ラストで主人公は、例え話もつぶやいていてこれが題名の由来になっているが、ここが印象的なので映画としてはうまくおさまっている。  それにしてもイ・ビョンホンは器用な俳優だな。
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[005]海賊とよばれた男
 山崎貴監督作品初代黒龍2016-12-27
 
実話の映画化ということを意識せず、単なる娯楽映画として観た方が観応えがある。 老若取り混ぜて個性的で熱いタイプの俳優をよくぞ揃えたもので、戦争を知らない世代が戦・・・
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実話の映画化ということを意識せず、単なる娯楽映画として観た方が観応えがある。 老若取り混ぜて個性的で熱いタイプの俳優をよくぞ揃えたもので、戦争を知らない世代が戦時下の生き様を演じることが普通になってきたのは良いことだ(しかし、『後継ぎ』にやたらとこだわり、それが主人公の破局にも繋がる、あの時代の風潮までは今の世代が共感出来るかな)。主人公には様々な試練が立ちはだかるが、退くどころかむしろ難問に立ち向かっている姿は、「天地明察」のイメージが強いせいか、岡田准一にはピッタリの役どころに観える。全編50〜60代の役だが、実年齢がそれ位である國村準と相対するシーンになると、やはりメイクで老けさせているのがハッキリするのが少々残念(ラストの死期が迫った老齢役は、メイクも演技も良かった)。 俳優達の演技も良かったが、どちらかというと山崎貴監督作品としての色合いが強い。VFX技術は実に素晴らしいもので、どの場面でどんな合成をしたか、売店で買ったパンフレットを見て後から驚かされた。 脚本で一番残念なのは、自社所有のタンカーの登場シーン。それまでタンカーの計画や建造、そのための資金調達等々が物語の中で全く描かれず、外国との取引が無くなり八方塞がりの状況でいきなり現れ、アレッと思っているうちに出航する。これではせっかくの壮大なシーンに全然感動出来ないし、おかげでイランルート開拓というクライマックスで盛り上がるべきシーンが、物語全体を通した一番のヤマ場のように観えないのが惜しい(ただ、社員は家族という店主の思想は全編に描かれているので、行けと言われれば何処でも行くという船長のセリフは十分に生かされていた)。 女性の出演者が極端に少なく、綾瀬はるか扮する店主の妻もあまり出番が無く、しかも身を引く役である。男が大事を成すには、何かを犠牲にしなければならない。そのことを象徴しているように思えた。
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[006]チャイルド44 森に消えた子供たち
 社会主義の恐怖初代黒龍2016-12-20
 【ネタバレ注意】
極度の閉塞状況の中で、わずかな正義感を見つけ出そうとする話。 旧ソ連の社会主義体制ってこんなに酷かったのか、と今更ながら認識させられるが、その一方でアメリカ映画だ・・・
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極度の閉塞状況の中で、わずかな正義感を見つけ出そうとする話。 旧ソ連の社会主義体制ってこんなに酷かったのか、と今更ながら認識させられるが、その一方でアメリカ映画だからロシアを悪く描いたのかな、とも思ってしまう(冷戦終結して久しいが、今でも米ロ関係は緊張状態だと聞いたことがある)。 とにかく暴行シーンが心理的にチクチクくる残虐さだし、人が簡単に殺され過ぎるし、何かコトが起こるとすぐにKGBが飛んでくるのがウンザリするし、そもそも全体的に画面が暗い。途中まで観ていて、こんなのいつまで観てなきゃいけないんだと思っていたが、主人公が子供達の死を連続殺人と確信して、真相を追い始めるあたりから面白くなってきた。仲間は奥さんだけの孤独な戦いで、わずかな協力者を頼ってもそいつがスパイだったり、情報収集にも数々の不信や妨害をかいくぐった後に、犯罪同然のやり方で遂に容疑者に辿り着く。しかし、この男は主人公と同じスターリン政権下の孤児で、戦争により人格がおかしくなっていたのだった。これでは彼は容疑者なのか被害者なのか分からない。こうして真相が明らかになったと思ったら、彼は突然射殺される。撃ったのは主人公に恨みを抱いていた男で、ここからは私的な格闘となるが、追ってきたKGBに向かって、彼は英雄だと偽証してその場は事なきを得る。咄嗟にこういうことが言えるのも、閉塞社会で生き抜くための処世術なのだろうな。 冒頭で主人公は、両親を殺された幼い姉妹のためにバッグに荷造りするが、ラストでその姉妹を引き取ることにした主人公は両手にバッグを抱えている。緊迫感と暴力の連続の映画だから、このシーンは唯一の暖かみを感じていいはずなのに、何だか幻想的に観えた。 ソ連が舞台なのに、言葉がすべて英語というのは如何なものか。製作した国の言葉で撮るのは仕方ないのかもしれないが、「ラストエンペラー」で幼い清朝皇帝が、家に帰りたいと英語で泣き叫ぶという妙な前例もあった(日本人俳優は日本語のセリフだから、余計にわけわかんない)。一番酷かったのは「従軍慰安婦」で、日本の軍人(中国人が演じた)が、天皇陛下万歳と中国語で叫んだ。何とかならんかね。
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[007]柳生一族の陰謀
 個人的には大好きな時代劇初代黒龍2016-12-16
 
 「忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻」で、吉良邸内の女中が大量のローソクを灯して、討ち入りしてきた赤穂浪士を先導するというシーンがあった。演じたのは美空ひばりで、端役とは・・・
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 「忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻」で、吉良邸内の女中が大量のローソクを灯して、討ち入りしてきた赤穂浪士を先導するというシーンがあった。演じたのは美空ひばりで、端役とはいえ大スターだからオイシイところを持って行かせたとしたらミエミエだし、いくら何でも史実と違い過ぎるでしょう。しかしながら時代劇というものは、歴史上の人物をモデルにしただけで、脚本が史実を無視していることをこちらは分かって観ているはずで、だからこそ時代劇は理屈抜きで楽しめるのである。  それにしてもこの作品は、徳川家光が三代将軍に就いた、その日に柳生十兵衛によって斬られるのだから、史実無視もここまでくると凄いものだ。とは言え、脚本がしっかりしていて130分の上映時間を少しもダレさせないので、うっかりするとホントはそうだったのかな、と思わされそうだ。加えてオールスターキャストの誰もが適役で(特に十兵衛役の千葉真一は、実にカッコいい)、その殆ど全員が死ぬ役というのも贅沢だし、何よりみんな若くて(深作欣二監督も萬屋錦之介も当時まだ40代で、新人扱いの真田広之は18歳だった)画面全体がとにかくパワフルだ。  この作品でパワーを使い果たしたのか、その後の東映時代劇が全く振るわなかったのは残念だ。「真田幸村の謀略」は途中まで観ていて首をかしげるような展開で、ラストの家康の首が飛ぶシーンは客席から笑い声があがった。要するに脚本がひどいのだ。  この作品については、評価というより反論の方が多いようだが、事実かどうかはともかく、これほど壮大なオリジナル脚本を書いたことを先ず評価すべきである。最近の日本映画の新作情報を入手するたび、『事実を元にした』ものがやたら多い。『事実』という言葉は、もう見飽きたし聞き飽きた。
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[008]マスク
 母は強い初代黒龍2016-12-16
 
 顔にしょうがいのある主人公の映画といえば、「エレファントマン」「ジョニー・ハンサム」はなかなか顔を見せず、「顔のない天使」は最後までボカしたかたちだが、この作品で・・・
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 顔にしょうがいのある主人公の映画といえば、「エレファントマン」「ジョニー・ハンサム」はなかなか顔を見せず、「顔のない天使」は最後までボカしたかたちだが、この作品では開巻間もなくハッキリと顔を出す。この時点で、何か違うなと感じた。単なるお涙頂戴の難病モノでなく、病気を通して母と息子の双方の立場から二人の絆を描いている点が特筆すべきものだ。何と言っても母親役のシェールは最高!脚本家は最初から彼女をイメージして書いたそうだが、それにしてもこれほどピッタリの配役は珍しい。奔放かつマイペース、時々常識外れになるが何故か憎めないのは、息子への愛情の深さが根底にあるからで、それを押しつけがましく描いていない所が上手い。恋人を欲しがる息子に、コールガール(それも黒人)を家に連れて来てしまうあたり、この母親がむしろ可愛らしく観えてくる。主人公は、結局この少女に指一本触れず、泊めてやり朝食までふるまう。こういうところにも彼の性格が上手く表現されている(別れ際に少女は、マスクのような彼の頬にキスをする。このシーンは印象的だった)。  発声にハンデのあるバイク仲間も印象に残った。学校で、マスクを取れよと主人公をからかう学生を見つけ、猛ダッシュで突っかかっていくが、あれはしゃべれない者の感情表現としては適切だと思う(「映画 聲の形」でも似たようなシーンがあった)。  昔、写真雑誌「FOCUS」に、この映画のモデルになった少年とその母の写真が載っていた。映画はメイクだとわかって観ているからすぐに受け入れられるが、たった1枚の写真でも実際のそれを見ると、この親子がどれ程か苦労をされたであろうか伝わって来た。
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[009]リアル鬼ごっこ
 不条理は難しい初代黒龍2016-12-13
 
 いかにも鬼ごっこらしい走るシーンの長回し、風という見えないものに追われる恐怖、その風があらゆる物を切り裂く残忍さ、ヒロインだけが生き残り逃げ続ける緊迫感、これだけ・・・
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 いかにも鬼ごっこらしい走るシーンの長回し、風という見えないものに追われる恐怖、その風があらゆる物を切り裂く残忍さ、ヒロインだけが生き残り逃げ続ける緊迫感、これだけの要素があれば十分に映像に引き込まれていく。ところが途中でヒロイン役が代わるあたりから流れがおかしくなり(篠田麻里子にドレスを着せて出演させなければならない裏事情でもあるのか、と邪推したくもなる)、ヒロインが置かれた時間も場所も不明確になるのは却って混乱するだけで、あの恐怖の風も何処吹く風と化してしまった。  逃げられない異常な空間といえば「CUBE」、止められない死の連鎖といえば「デッドコースター」、時間の歪みに翻弄される主人公といえば「シャッフル」、と不条理な恐怖を描いた作品はいくつかあった(これら3作はどれも続編が作られているから、こういう内容でも評価はされたんだろうな)。教師が突然銃を乱射して生徒を殺しまくる、とうのも不条理だが、ネタとしては悪くない。親友のアキの行動も怪しいものがあり、実はヒロインの敵かもしれない。考えてみると、鬼ごっこのオニになる要素はいくつもあるのだから、ヒロインや時間を入れ替えるなんて複雑なことをやるよりも、単純に『追う→逃げる』だけの図式で脚本を書いてくれた方が良かったと思う。それに、ヒロインのDNAをゲーム感覚で遊ぶマッドサイエンティストの老人はネタが古いし、せっかく登場した二枚目も全く存在感が無かった。いっそ登場人物全員を女性にした方が(途中まではそうだった)、より異常な世界を表現出来ただろうに、何だか物足りないというか惜しい気がする作品だ。  ところで、「恋の罪」で水野美紀をヘアヌードにした園子温監督をもってしても、トリンドル玲奈を脱がすのはブラジャー姿が限界だったのか?
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[010]シザーハンズ
 冷たさと暖かさと初代黒龍2016-12-07
 
ティム・バートン監督で主人公が人造人間、と聞いただけで、また例の世界観に引きずり込まれるのか、という先入観があって今まで敬遠していた。が、先日CSで観たら実に面白・・・
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ティム・バートン監督で主人公が人造人間、と聞いただけで、また例の世界観に引きずり込まれるのか、という先入観があって今まで敬遠していた。が、先日CSで観たら実に面白かった。皆様にオススメしたい1作である。  主人公エドワードは両手の指がハサミになっているため、いつも顔に傷があり、普通に食事もままならないが、次第にそのハサミを利用して植木剪定やヘアーカットに才能を発揮し、近所の婦人達から重宝がられるようになる。ところが、エドワードのハサミが合鍵にもなることを知った若僧が強盗の共犯にしたり、美容院経営を目論む女がエドワードを誘惑したりと、彼を利用しようとする輩が現れる。彼らは計画に失敗すると、今度は勝手な妄言で人々を扇動し始め、当初エドワードに友好的だった街の人々は、一転して彼を排斥しようとする。 奇妙な主人公による単なる娯楽作と思って観ていたら、実は辛口の風刺劇でもあったのだ。舞台となる街が、どの家も一色に塗り分けられ、住人の服もほぼ一色、それも結構派手なのが笑えるが(「未来世紀ブラジル」のレストランのシーンで、出て来る料理がみんな2個の丸い物体で、色が違うだけというのを思い出した)、あれは人々が画一化されているという皮肉なのかな。一部の情報を正誤の確認無しに盲信して、結局その情報に操られてしまうのは、情報過多の現代ではすぐにも起こり得ること。あの色分けは個性ではなく、実は閉鎖性の象徴である、とは何たる皮肉であろうか(エドワードが銀行に行くと、看板が「○○銀行」でなく、ただ「BANK」と書かれているだけだった。1シーンだが、これも冷たい印象を受けた)。 ジョニー・デップは好きな俳優の一人だが、「フェイク」「ブラック・スキャンダル」では冷たい男を憎々し気に演じていたかと思うと、「ギルバート・グレイプ」「ショコラ」では物静かな善人であり、本作では徹底的に無表情である。個性派ではあるが、演技の幅は広いんだね。ちなみに白人にしては顔がゴツくて目も青くないのは、ネイティブアメリカンの血統だそうだ。 
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[011]I LOVE スヌーピーTHE PEANUTS MOVIE
 明るくも深みのある漫画初代黒龍2016-12-05
 【ネタバレ注意】
「ピーナッツ」の初期でまだスヌーピーが四つ足だった頃、彼が「犬なんて本当につまらない。犬なんてまっぴら。ぼくが人間だったら犬なんか飼うもんか」と呟く話がある。また・・・
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「ピーナッツ」の初期でまだスヌーピーが四つ足だった頃、彼が「犬なんて本当につまらない。犬なんてまっぴら。ぼくが人間だったら犬なんか飼うもんか」と呟く話がある。また別の話で、苗木が伸びているのを見ているチャーリー・ブラウンが「これが大木に育つ頃には僕たちはいないんだよね」と言うと、ライナスが「どうして?僕たちどこ行くの?」と返す話がある。このように「ピーナッツ」という漫画、どこか哲学的なところがあって、すんなりと受け入れられないものがある。原作者のチャールズ・M・シュルツ氏は、幸福になることに恐怖を抱いていたというが、チャーリー・ブラウンが何をやってもうまくいかない、達成感・充実感・幸福感を体験出来ないという点は、作者の心情が投影されたキャラクターである。そのためこの漫画は、子供達の明るい絵柄で描かれてはいるが、どこか人間の内面的な暗さも併せ持っている。チャーリー・ブラウンとスヌーピーと言えば、ミッキーマウスやバックスバニーに匹敵するアニメキャラのはずだが、作品が圧倒的に少ないのはそういう内面的な部分の描き方の難しさのためだと思う。  しかし本作は、原作の独特の臭いは所々に感じるが、それは良い意味で原作の持ち味が生かされているということで、哲学的とも思ってはいたが、意外にも観終わって満足感が残ったことは事実である。CG撮影にしたことは、大正解であり大成功だった。質的に奥の深い作品の、画面にまで奥行きを出したのが良かった。  ラストで恋が実るのはチャーリー・ブラウンらしくない気がしたが、一つくらいはうまくいくことがあってもいいのかな。やはり前向きな人は報われるべきだ。TVアニメ版でも赤毛の女の子に恋をする話があったが、あの時も彼女からラブレターをもらうというハッピーエンドだった(ただし、もらったのが夏休みの前日で、長い休みの間何をすればいいんだ、というオチがついていた)。
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[012]ランナウェイズ
 なんで今更、という気もするが初代黒龍2016-12-03
 
ボーカルが下着姿で、『家出娘達』という名前のロックバンドがいるそうだ、という噂を聞いたのは中学生位の頃で、CDはおろかウォークマンさえ開発されていなかった時代だ。・・・
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ボーカルが下着姿で、『家出娘達』という名前のロックバンドがいるそうだ、という噂を聞いたのは中学生位の頃で、CDはおろかウォークマンさえ開発されていなかった時代だ。見た目は確かに衝撃的だったが、特にヒット曲も無く、いつの間にか忘れられていた気がする。あれから40年近く経って、まさか映画になるとは思わなかった。失礼だけど、映画にするほど音楽シーンにおいて重要な存在だったかな、と疑問のような思いで映画館に行った。当時のロック界の女性蔑視に挑んだこと、例の衣装に対するバンド内の確執、最も人気が高かった日本での騒動等々、裏話的エピソードが多いのは映画としては面白い。ただ、伝記映画としては平面的というか全体的に薄っぺらい感じがして、このバンドを知る者には興味深く観れるが、知らない世代に新たな発見を与えるほどインパクトのある作品とは言えないのが惜しい。シェリー・カーリーの自伝の映画化なんだから、彼女の全くの1人称で描くか、当時ヒットしていた他のミュージシャン(に似た俳優)を出して比較の対象にした方が、彼女達の立ち位置がより鮮明になったのではないかな。  「I am Samアイ・アム・サム」の天才子役ダコタ・ファニングがこんなに成長したか、と単純に驚いた(日本の天才子役安達祐実は、「花宵道中」では成長どころか相変わらず子供っぽい姿をさらしただけで、濡れ場の熱演も虚しい大失敗だった)。  ジョーン・ジェットがミュージシャンの役で映画に主演したことがあるのをご存知ですか?「愛と栄光への日々/ライト・オブ・デイ」という作品で、弟役で共演したマイケル・J・フォックスとのデュエットによる主題歌は、今でも耳に残る好きな曲だ。
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[013]映画「聲の形」
 若い世代=苦悩初代黒龍2016-11-28
 
実写でなくアニメで映画化した意図は何故なのか、考えながら観ていたら「海がきこえる」というアニメを思い出した。性格に影があるが繊細でもあり、周囲に溶け込もうとしない・・・
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実写でなくアニメで映画化した意図は何故なのか、考えながら観ていたら「海がきこえる」というアニメを思い出した。性格に影があるが繊細でもあり、周囲に溶け込もうとしないが実は孤独を抱えている。本作の主人公は、それプラスじれったいほど自己主張が下手くそで、もっとハッキリ言えと言いたくなるシーンがいくつもある。実写版にしてこんな不安定な奴を連れて来られても、それだけでムカつくだろうな(「海がきこえる」のヒロインも、どこにでも居そうな顔立ちで描かれていたが、観ているうちに、こんなコは現実には居ないと思えてきた)。主人公が見る学生達はみんな顔に×印が着いているが、これはアニメ特有の描写として興味深い。実写で顔を隠すと犯罪者に見えるしね。  それにしてもイマドキの若いモンの言い方ってのは何だねぇ、ダサい、ウザい、○○かも、あんただってそうでしょ、とか価値観は低いし無責任だし、こういうセリフを聞いてるのもムカつく。と、オジサン世代は物語の中盤位までは思ったが、またまた昔の映画を思い出した。ATG系の作品群で描かれた不安定な青春像で、特に「星空のマリオネット」の主人公の孤独・焦り・疎外感みたいなものは本作にも通じると感じた。結局、若い世代が世間や自分自身に対して感じる、漠然とした不安や疑問や焦りというか、そうした苦悩は時代が変わっても同じなんだな。現代はメールという便利なツールがあるから(オジサン世代は手紙位しかなかった)聴覚障害者との会話も簡単だと思ったが、本作の主人公石田はそれでも硝子とうまくコミュニケーションが取れていない。ここなんかツールが増えても本質は変わらない、と言ってるようだった。  足元のアップが多いのが気になったが、あれは石田の目線を表現したのだろう。彼はいつも回りを見れないで歩いているわけだから。  幕切れの石田の高笑いは、彼の今後の成長を示唆するようだが、硝子のその後について何の暗示も無いのは寂し過ぎる。確かに石田の一人称で描かれている話だが、硝子の存在は彼の人生を大きく変えたものなのに、これからのことに触れていない。つまり健常者としょうがい者の恋愛、という描き方をもう一歩踏み込んでくれた方が良かった(この作品、イジメの問題をいじめた側から描いているのが斬新的だと思ったが、結局は恋愛が結論、というのも別に悪くないとも思うが)。  体にハンデがある少女のアニメ化は色々難しいのかな。「思い出のマーニー」のヒロインの目が青いのはラスト近くでドンデン返しになっていたが、「ゲド戦記」の顔にアザのある少女は存在感が不明確だった。
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[014]柘榴坂の仇討
 良い意味で妙な時代劇初代黒龍2016-11-23
 
チョンマゲとザンギリが同居しているのだから、何とも風変わりな時代劇だが、確かにこういう時代はかつてあって、そこで生きた人は実在した、ということを認識すると、感慨と・・・
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チョンマゲとザンギリが同居しているのだから、何とも風変わりな時代劇だが、確かにこういう時代はかつてあって、そこで生きた人は実在した、ということを認識すると、感慨とはいかないが何か考えさせられてしまう。主人公は主君の警護に失敗したが切腹は許されず、下種人を捜索するが時代は変わって仇討は禁じられる。一方暗殺者も目的を達成したはずだが、いずれは自分が斬られることを覚悟していて、隠れるように生き続けなけている(読み書きが出来ない為に素性がバレそうになる件りは上手い)。2人とも立場は違えど、運命に抗いながら苦悩し続けているが、ドロドロした雰囲気は無く、実に人間臭い生き様が描かれていて、時代劇という枠組みで考えるとやはり異色な作品である。江戸時代にしても明治維新にしても、映画化されるのは歴史を動かしたヒーローだが、時代の過渡期に翻弄された無名の人々が描かれるのが興味深い。(余談だが、ベルリンの壁崩壊後のドイツで、時代の変化に対応出来ず自殺した高齢者が何人かいた。これをヒントにしたコメディで、東西分断時代に病気で意識不明になった母親が、回復したら壁が崩壊していたため、刺激を与えないように、まだ社会主義国であると見せかけようと奮闘する息子を描いた作品があったが、タイトルを忘れた) もう一つ異色なのが女性の描かれ方で、この作品の女性達は意外とずけずけ物申して、およそ時代劇には出て来ないタイプだ。斬り合いになって一番不幸になるのは、妻であり家族である、という旨のセリフがあるが、正にその通り。第2次大戦中にこんなこと言ったら非国民扱いだが、こういう発言が出ることも新しい時代になろうとしている証しと言えようか。 「はいからさんが通る」で初めて阿部寛を観た時、このテの二枚目はすぐに消えるだろうなと思ったが、ここ数年の活躍は素晴らしいもので、特に人の内面の弱い部分を演じて良い味を出すようになった。本作ではセリフは少なく、感情を表情に出せない役を上手く演じている。彼が近所の少女に優しく微笑みかける何気ないラストが、何とも言えない暖かさを感じた。
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[015]少林寺三十六房
 最も好きな功夫映画初代黒龍2016-11-23
 
数ある功夫映画・少林寺モノの中で、最も好きな作品だ。 「ドランク・モンキー/酔拳」で、ジャッキー・チェンがトリック無しでやっている凄い修行シーンは、映画がコメディ・・・
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数ある功夫映画・少林寺モノの中で、最も好きな作品だ。 「ドランク・モンキー/酔拳」で、ジャッキー・チェンがトリック無しでやっている凄い修行シーンは、映画がコメディ仕立てのせいか単なるワンシーンにしか観えなかった。「ロッキー」シリーズのシルヴェスター・スタローンの練習シーンは、短いカットで撮られていたため、凄いとは思うけどさほど汗臭さは伝わらないが、それがむしろ丁度良かった。本来、練習とかトレーニングなんて本人だけの地味なもので、客観的に観ていて特に何か感じるとは限らないものだ。 にも関わらず、ほぼ全編が修行シーンの本作が、何故これほど面白いのだろう。修行する房によって鍛錬する部位が違うのも分かり易くて良いし、映画だから派手に描かれているが、案外実際に出来そうなもの(長い分銅で鐘を叩く修行があるが、わざと重くて不安定な器具を用いる鍛錬は実際に空手にある)や、理に適ったもの(顔は固定して、目だけを動かす鍛錬)もあり、一番最初の房は水に浮かぶ材木の上を走らせるものだが、走ることはあらゆる運動の基本になるから、この時点で既に納得させられて観ていたわけだ。こうした数々の修行シーンは、ホントかウソか微妙な部分を上手く映像化していて、そこをこちらは観入ってしまうのだと思う。功夫映画の定番の復讐劇ではあるが、主人公自身が修行を続けて強くなり、しかもその技術を他者に伝承しようと決意する。そうした人間としての成長物語であることが、一番観入ってしまう要因ではないだろうか。 ウィキペディアで調べたら、主演のリュー・チャーフィーは、現在は脳梗塞により車椅子で生活しているとか。本作をDVDで何度目かの観賞の後に知って、実に残念に思った。
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[016]ICHI
 這い上がれない人々初代黒龍2016-11-19
 
「一度堕ちた人間は二度と這い上がれないんだ。特に血の臭いのついた奴はな」  クライマックスでの中村獅童のセリフ。 この作品、不満な点がやたらと多い。立ち回りのシーン・・・
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「一度堕ちた人間は二度と這い上がれないんだ。特に血の臭いのついた奴はな」  クライマックスでの中村獅童のセリフ。 この作品、不満な点がやたらと多い。立ち回りのシーンはVFXがうるさ過ぎて、せっかく特訓したという綾瀬はるかの居合いが全然生かされていない(夜道で襲われるが、提灯を居合いで斬って相手の視界を遮るシーンは、VFX無しだったので、ここは良かった)。その綾瀬はるかのイメージを重視したのか、いつも乞食同然のボロの着物を羽織っているわりに、顔に汚れがまったく無いのは変だ。他の出演者達はそれぞれが勝手に演技していて、互いに絡む所が無い。窪塚洋介なんか単に口が悪いだけ(「座頭市」の奥村雄大もそうだった)だし、適役と思われた竹内力もいつの間にか画面から消えた感じだった。何よりもひどいのが大沢たかおで、トラウマの為に刀を抜けない武士という難役を、過剰で無駄な演技で台無しにしている。中村獅童の臭さは毎度のことだが、本作のは臭過ぎる。  にも関わらず、実はこの作品のDVDを持っている。そんなに気に入らないなら観なければいいじゃないか、と言われそうだが、何故か何度も観直している。思えばこの作品の登場人物は、殆どが前述のセリフにある一度堕ちた血の臭いのついた輩ばかりだ。そして、その通り誰も這い上がれない。結局悪者は皆死んで街は平和になったが、親分は浮かない表情で彷徨うように歩いている。ラストで市はふたたび当てのない旅に出るが、別れ際に大事にしていた鈴を子供にあげてしまう。あれは死を暗示しているように観えた。這い上がれないと分かっていて観るのは、決して悲観的な意味でなく、実人生もそんなものだと観ているこちらが認識しているからだろうか。映画を観るということは時として自分を見ることにも繋がると思う。  「めくらには境目というものが分からない」という市のセリフが印象に残ったが、同じセリフが「はなれ瞽女おりん」にもあった。旅に同行する男が脱走兵だったため憲兵に呼び出されたおりんが、浜辺で会っていただろうと詰め寄られて言う。「どこが海でどこが浜辺だか、めくらには境目なんて分かりませんよ」
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[017]娚の一生
 原作良ければ映画も良し初代黒龍2016-11-17
 
漫画の映画化で、観終わってから原作も読みたくなって、実際に全巻購入したのはどれくらいぶりか、もしかしたら初めてだ。で、どちらも大変面白かった。原作は愛らしいキャラ・・・
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漫画の映画化で、観終わってから原作も読みたくなって、実際に全巻購入したのはどれくらいぶりか、もしかしたら初めてだ。で、どちらも大変面白かった。原作は愛らしいキャラクターと、少女漫画というより青年誌風の情景描写が独特のムードを持っていて、主人公が二人とも心に傷を抱えている設定なのにスイスイ読める。一方映画は、地方ロケが功を奏してその開放的な雰囲気が、原作の持つ空気を見事に投影している。榮倉奈々のヌードとは言えないヌードも、この空気の中ではあれで良かったと思う。むしろ豊川悦司が榮倉の両脚にキスするシーンの方がインパクトが強く、ここは原作より色っぽく描かれていた。ラスト近くで登場する、向井理が殆ど印象に残らなかったのが結果的に良かった。彼女の過去の恋愛はもはや偶像化されたものでしかなく、元カレとの再会によってそれが断ち切られるわけで、彼という幻影が印象に残るものであってはならないのだ。だとすれば、演じる方も撮る方も上手いものだ。  原作と映画をいちいち比較するのはヤボなことだし、元々表現手法が違うんだから比較の対象にすること自体的外れと言える。だがこの作品に関しては、どちらもそれぞれの味が出ていて、読んでも観てもそれは気分の良いものだった。 原作ではラストで二人は結婚し、別巻の後日談では子供ができる。映画でもラストで、郵便受けに一つの名字に二つの名前が書かれているのがニヤリとさせるが、さらに原作には無いオチもつけている。これがまた、映画の二人にもいずれ子供が生まれることを暗示するような、爽やかな後味を残している。
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[018]リトルファイター 少女たちの光と影
 正に光と影初代黒龍2016-11-12
 
タイでは、女の子は10歳位で娼婦かムエタイのボクサーしか道が無い。その女の子達は『バッファロー・ガール』という差別用語で呼ばれ(畑仕事に従事する牛と同じということ)・・・
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タイでは、女の子は10歳位で娼婦かムエタイのボクサーしか道が無い。その女の子達は『バッファロー・ガール』という差別用語で呼ばれ(畑仕事に従事する牛と同じということ)、国技でありながらムエタイはギャンブルとして成り立っている。映画のオープニングの段階でこれらの事実を突き付けられて、驚かされ同時に引き込まれもした。格闘技が好きで、そのドキュメンタリーだからと気楽に観に行ったら、こっちがボクシンググローブで殴られたような気分になる。 この作品、カメラワークは乱暴だし、肝心の試合のシーンがはっきり観えないし、映画というよりただのフィルムだと言いたいところだが、編集が巧みで2人の少女の『物語』としてうまく仕上がっている。ドキュメンタリーの中には『事実』であるがゆえに画面が単調になって、『映画』としての盛り上がりに欠けるものがあるが、この作品は事実ゆえの衝撃が映画という画面にダイレクトに伝わった好例といえる。 教育上・人権上の見地から色々言いたい人はいるだろうが、ただ生きるためにこれ程必死になり、ある者は家族に家を購入するという結果を出し、ある者はいまだ這い上がれずにより過酷な試合を余儀なくされる、この事実を観る、というだけでも十分価値はあると思う。
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[019]ちえりとチェリー
 久し振りに童心に帰る秀作初代黒龍2016-11-12
 
昭和ゴジラ映画は「東宝チャンピオンまつり」と題して数本のアニメと併映で公開されたが、時おりストップモーションアニメも含まれていた。記憶にあるだけでも「海彦と山彦」・・・
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昭和ゴジラ映画は「東宝チャンピオンまつり」と題して数本のアニメと併映で公開されたが、時おりストップモーションアニメも含まれていた。記憶にあるだけでも「海彦と山彦」「わらしべ長者」「マッチ売りの少女」と、扱う題材も名作が多く、子供心にも『ためになる映画』だったし、おもちゃ箱が動いているような作品にワクワクしながら観ていた。あれから数十年経ち、再び人形アニメの秀作に巡り会えた。人形独特の寓話的な雰囲気が、全編に溢れている。そもそも物語がちえりちゃんの夢の中の世界だが、そこに様々な冒険や彼女に対する試練の要素を加えている。にも関わらず内容が重苦しく説教臭くもならず、むしろちえりちゃんの成長物語としている描き方はもはや脱帽ものだ。CGに偏見があるわけではないが、CG画面は何処か冷たさを感じることは否めない。この作品は、アナログ画面の暖かさが一番良い形で生かされている。小さいお子様がおられる若いお母様、全員に観て欲しい作品だ。映画館が終わってスタッフ・キャストの画面になると、まだ暗いのに席を立つ人が結構いるけど、この作品では中学生になったちえりちゃんの可愛らしいショットが、エンディングロールで映し出される。つまりラストシーンのその次まで描いているわけで、ユーロスペースでこれを観ないで帰っちゃった方々、残念でした。個人的な希望だけど、CMの「かすみドールのシェア旅」を長編ストップモーションアニメにして欲しいな。東芝さん、製作してくれませんか?
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[020]悼む人
 愚作初代黒龍2016-11-10
 
個人的には2015年度最低作。 見ず知らずの亡き人に祈りを捧げながら旅する主人公、というテーマには大いに興味を引かれたが、開巻間もなく登場した椎名桔平扮する記者の態度・・・
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個人的には2015年度最低作。 見ず知らずの亡き人に祈りを捧げながら旅する主人公、というテーマには大いに興味を引かれたが、開巻間もなく登場した椎名桔平扮する記者の態度の悪さが突然物語の流れを変え、結局最後まで流れは変わらなかった。社内でも態度の悪いこの記者は悼む人に取材するが、彼の行動に対する無駄や矛盾のアラ探しばかりで決して肯定はしていない。その記者が少女買春するシーンで、この小娘が「オッサン」「ムカつく」と平然と悪態をついているが、風俗嬢というものはこれ以上売るものが無いものを売るのが仕事であって、何としてでも客はつかまえるはずで、客を怒らせて何とも思わない風俗嬢などいるわけない。少女を殴り倒した記者は、そのオトコと思われる集団に暴行を受けて失明までするが、このガキ共はその後画面に登場しない。要するにこの映画に流れているものは、ズバリ暴力肯定である。 一方悼む人は、この記者に突っ込まれても、ろくに言い返すことも出来ず言葉を濁しているだけだ。つまり彼の崇高な行為は、本人には信念でも確信でもないわけで、実際その後も旅を続ける彼を観ていても、特に目的感も使命感も感じられないし、祈る際の派手な腕の振りも陳腐なパフォーマンスにしか観えない。祈っていたら水をかけられるシーンがあるが、他人の敷地に勝手に入りやがって、という相手の言い分は当然である。悼む人は世間の常識も知らないのか、と言いたくもなる。 一番ひどいのはラストで、悼む人の唯一最大の理解者である、実母の死を悼むシーンが無いこと(何となく幻想的な画面でお茶を濁しているが、これまた何も伝わって来ない)。結局彼は何を成し遂げ、これから何をしたいのか?観終わったら、そんなのどうでもよくなってきた。 良い印象が残ったのはロケだけで、風景だけは美しく撮れていた。 暴力肯定で思い出したけど、「SP」(野望篇か革命篇か忘れたが)で、若い女の子でも入って来ないかなとつぶやく隊員の頭を真木よう子が、お前それセクハラだぞと言ってペンチで殴るというひどいシーンがあった。脚本家、これパワハラだぞ。
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[021]君の名は。
 無題初代黒龍2016-11-09
 【ネタバレ注意】
男女が入れ代わるネタは、大林宣彦の「転校生」を越えることがまず無理でしょう。異なる時代の男女が何らかのツールで巡り合うというネタも、韓国映画でアメリカもリメイクし・・・
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男女が入れ代わるネタは、大林宣彦の「転校生」を越えることがまず無理でしょう。異なる時代の男女が何らかのツールで巡り合うというネタも、韓国映画でアメリカもリメイクした「イルマーレ」に先を越されている。アニメという手法を使って、その両方を描いたのはかなり斬新的だと思い、途中までは意外と引き込まれた。そして、彼女は実は村もろとも亡くなっていた、という事実が判明して、さあ主人公はこれからどうする?と思ったら、その後の展開で一気に冷めた。 過去を変えてはいけないことはタイムスリップの基本だろうし、まして彗星がモロに落下したのに誰も死んでいないなんて理屈に合わない。避難訓練で助かったと言い訳じみた説明があったけど、村祭りの当日に避難訓練なんてこれまた理屈に合わない。死んだ人が蘇る話なら、もっと脚本を煮詰めなければダメでしょう。せっかくラストで二人が巡り合ったのに何の感動も伝わって来ないのは、そういうラストにしたい為に無理矢理繋いだ脚本だから、とさえ思えてくる。絵が殊のほか綺麗なだけに、実に残念な作品だ。
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