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 「初代黒龍」さんのコメント一覧 登録数(48件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]マンガをはみだした男 赤塚不二夫
 思えば幸福な人初代黒龍2017-07-17
 
 ドキュメンタリー映画の面白さは、知られざる事実の発見で、「狭山事件 石川一雄・獄中27年」は知らないことばかりだったし、「AMY エイミー」はそういう歌手がいたことさ・・・
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 ドキュメンタリー映画の面白さは、知られざる事実の発見で、「狭山事件 石川一雄・獄中27年」は知らないことばかりだったし、「AMY エイミー」はそういう歌手がいたことさえ知らなかったので、未知の連続に驚きながら興味深く観た。逆に短所というか引っ掛かるのが、描かれている事実に共感出来ない為に、映画として面白くなくなることで、「ゆきゆきて、神軍」は力作ではあるが劇映画的な面白さであって、主人公の思想はもちろん彼を追いかける意図がそもそも理解出来なかった。「FAKE」は撮る者と撮られる者の距離が少しずつ短くなる構成が上手く、ラストの演奏シーンはホントに感動したが、主人公に対する疑惑が結局スッキリしない点は共感出来ない。  本作は、前半は興味深かったが後半は共感出来なかった。戦時中の体験を描いたアニメや、古谷三敏、水野英子、土田よし子等々、肉声を聞ける機会の無い漫画家が何人も登場するのが楽しめた。特にトキワ荘の重鎮、寺田ヒロオ先生の映像で残っていたのには驚いた。一方、舞台や映像に自身が姿を見せる後半は、マンガを追求して自分がマンガになったというのはこじ付けもいいとこで、売れないお笑い芸人のマル秘映像みたいで、観ていて悲しくなった。やはり、物書きは描いた作品がすべてであり、描いた本人が出て来る必要は無いはずだ。それでも、そこまで行ってしまったのは、もはや描けなくなったからなのか?映画の中でも誰かが言ってたが、「おそ松くん」は純粋に笑えたが、「レッツラゴン」は理解出来なかった。あの頃は相当迷走していたんだろうな、と読者としても感じた。  こうした作品に対する評価も含めた赤塚不二夫という人の生き様を描いているようだが、どちらかというと赤塚不二夫に影響を受けた人々の談話をまとめたような作品だ。とは言え、それで1本の映画が出来るほど多くの人に影響を与え、しかも氏に育てられた人も大勢いる(それこそ古谷三敏からタモリに至るまで)。作風の迷走とアルコール中毒には苦しんだろうが、人との出会いに恵まれた点では幸福な人だったのかな。観終わって、そう思った。
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[002]忍びの国
 呆れて納得できぬ驚愕のラスト初代黒龍2017-07-09
 
 互いに地面に線を引き、その2線内でのみ格闘し、線をはみ出ると他の者から攻撃される(プロレスのランバージャック・デスマッチと同じ)、冒頭とラスト近くで行われる『川』・・・
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 互いに地面に線を引き、その2線内でのみ格闘し、線をはみ出ると他の者から攻撃される(プロレスのランバージャック・デスマッチと同じ)、冒頭とラスト近くで行われる『川』というこの攻防は興味深かった。負けた者が倒れて『川』の字になるわけだが、これが伊賀に実際にあった風習かどうかはとにかく、明日は知れない者達にはある意味では修行とも言えたのかもしれない。   と、感心したのはここだけ。忍者モノが好きだから観に行ったが、期待外れどころか、暇つぶしにも勿体無い出来の悪さだ。時代劇の登場人物だからそれなりの話し方なのに、なぜか大野智扮する主人公だけが現代の言葉使いで、彼に関しては時代考証もクソもない。主人公が喋る時だけいつの時代か分からない時代劇って一体何なんだ?彼だけ特殊な存在であると強調したいなら、「無門」という名前だけで十分表現出来ている(ラスト近くで、自分は元々人買いに売られた孤児で、本当の名前など分からないことを告白しているが、これだけでも主人公が孤高の人であることは伝わってくる)し、冒頭のシーンだけで腕の立つ忍者であることは分かるわけで、それ以降のシーンは単に態度が悪いだけにしか観えない。逃げるはずだった忍び軍が織田軍に反撃するクライマックスも、展開としては別に目新しくもないので、特に盛り上がりも無いそれなりの乱闘シーンである。欲のままに生き、己のことしか考えぬ、いずれ奴らの子孫がそういう世を作る、ということを織田軍が呟いて、一瞬現代の若者たちが映る。なるほどそれを言いたかったのか、と思ったらこれがラストではなかった。以降もどうでもいいシーンがダラダラ続いて、早く終われよという思いで観ていた。幕切れの子供を連れた主人公の姿に何の感慨も無いし、あそこで映画館から出て行った人が何人も居た。原作者自身の脚本だそうだが、別の人にやらせた方が良かったんじゃない?原作を読む気にもならん。   鈴木亮平と石原さとみは良かった。長身の鈴木亮平では役柄も限定されるのでは?と思ったが、そういうものを感じさせない器用さが有る。石原さとみは時代劇に合っていると思う。勝気な性格で主人公をやり込めているが、いざとなると命懸けで彼を守るあの時代らしい女性を上手く演じていて、「シン・ゴジラ」のクソ生意気な小娘とは雲泥の差である。   大野智のファンならそれなりに楽しめるだろうが、そうでない者には単なる映像だ。
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[003]フィラデルフィア物語
 あゝ上流社会初代黒龍2017-06-19
 【ネタバレ注意】
 かつての古き良きアメリカは、日本にとっては自分達と比べ物にならない豪華な暮らしをしている(戦争で勝てるわけがないほど)超大国であることが、こういう映画を観ていると・・・
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 かつての古き良きアメリカは、日本にとっては自分達と比べ物にならない豪華な暮らしをしている(戦争で勝てるわけがないほど)超大国であることが、こういう映画を観ていると嫌味なくらい伝わってくる。いかにも舞台劇の映画化らしい激しいセリフの応酬は、それでもスカッと聞こえるのは監督の上手さであり、K・ヘプバーン、J・スチュアート、C・グラントのトリプル主演はそれだけで楽しめる魅力的な顔合わせである。にも関わらず、途中まで惰性で観ていて、コメディの割にあまり笑えないのは、やはり上流社会そのものが嫌味に感じるこちらの問題だが、アメリカという国そのものがこちらの手の届かない上層部に居るようにも思える、そんな自分に嫌気を感じながら観ていたからだろう(現代のアメリカには、さほど憧れは無いけれど)。  後半、それまで女王だ女神だと祀り上げられていたヒロインが、他人を認めることも出来ない器の小さい存在だったことに気付かされるが、ここから彼女がいかに人間的に成長していくかに興味が移る。考えてみると、この映画に描かれる上流社会は憧れの対象になるものではなく、むしろ全編上流社会に対する皮肉を感じる。ヘプバーンは生まれも育ちもいかにもお嬢様として描かれているが、だからこそ泥酔して婚約者に愛想をつかされるシーンが生きてくる。グラントは、かつて彼女との結婚によって上流社会というものを知ったわけだから、彼女とその家族に対する見方が冷静かつ第三者的である。スチュアートに至っては、ハナッから上流社会とは無縁であり、流れに任せて動いているようで、意外と誰とも上手く渡り合っていて、ラストでは結婚の付添人まで引き受け、ある意味一番人間らしい存在にも観える(仕事仲間の女性が彼に思いを寄せていることに気付かないのも彼らしい)。  幕切れで、カメラのストロボを3人が同時に睨み付けるが、上流社会をこれ以上食い物にするなと言いたいのか、上流社会でなく個人の問題だからジャマするなと言いたいのか、一瞬のうちに色々考えた。  キャサリン・ヘプバーンは、「アフリカの女王」でもお嬢様だったし、晩年の「招かれざる客」も上流階級だった。同じヘプバーンでも、オードリーはどんな役を演っても天使のような美しさだった。結局どちらのヘプバーンも手の届かない存在だ。
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[004]ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃
 平成以降で最も好きなゴジラ映画初代黒龍2017-06-18
 
 過去作品の設定に独自の解釈を加えて新しいものにするのは、特にシリーズものではよくあることだが、この作品はかなり独特な発想で実に興味深い。何しろ他作品では地球を襲う・・・
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 過去作品の設定に独自の解釈を加えて新しいものにするのは、特にシリーズものではよくあることだが、この作品はかなり独特な発想で実に興味深い。何しろ他作品では地球を襲う宇宙怪獣のキングギドラが、本作では日本の守護神としてゴジラに立ち向かうのだから凄い発想の転換である。ただ、ゴジラが戦没者の怨念の象徴というのは、設定に無理があり過ぎる。戦争の問題を持ち出すなら、対戦国で暴れずに日本(本土)を襲撃するのは腑に落ちないし、戦争を忘れて平和をむさぼる現代人への警鐘というなら、冒頭の遊び半分で動物を虐待するガキ共が踏み潰されるシーン以外にはその発想は生かされていない(ゴジラが最初に姿を見せるのは焼津港だが、ここは第五福竜丸が帰還した港である。ということも、言われなければ解らない)。  と言いつつ、そういった理屈っぽいことは置いといて、ひたすら画面に集中させてくれる特撮技術はお見事!初顔合わせになるゴジラとバラゴンのバトルシーンは、冷静に考えると着ぐるみ姿の2人の俳優が画面に居るだけだが、そんなこと気付かせない観応えがあった。「ガメラ」3部作の実績を見事に活かした金子修介監督、十分に酔わせて頂きました。  平成版以降を観ていて残念に思うのは、昭和版の平田昭彦みたいに、ゴジラ映画と言えばこの人、といえる俳優が居ないこと。本作でも大和田伸也と南果歩は良い役どころの割には影が薄い(「ゴジラvsスペースゴジラ」は、イメージに合わない俳優ばかり出ていた気がする)。新山千春も主演とはいえ、単独のシーンがやけに多くて長い。デジタルビデオ片手にマウンテンバイクで疾走するシーンがクライマックスだが、あそこまで執念深く追い続けるのは、ジャーナリストの使命感だけとは思えず、彼女の心情が伝わって来ないのが惜しい。おかげでラストの父との再会シーンがちっとも感動しない。個人的には好きな女優の一人だが。  スーパーで買い物中に「ゴジラがなんなのよー」と叫ぶおばさんが結構強烈だったが、調べたら水木薫だった。「聖子の太腿 女湯子町」のお姉さん役が印象に残る元日活ロマンポルノ女優だが、出身は舞台女優で、今では脇役ながら演技派として活躍している。
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[005]ホーンズ 容疑者と告白の角
 建前ナシ本音だけの怖さ・面白さ初代黒龍2017-05-31
 
 「ハリー・ポッター」シリーズ全作を観ているD・ラドクリフのファンにとっては、観るのにある程度の覚悟が必要だと思うが、そうでない者にとっては意外と面白い作品だった。・・・
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 「ハリー・ポッター」シリーズ全作を観ているD・ラドクリフのファンにとっては、観るのにある程度の覚悟が必要だと思うが、そうでない者にとっては意外と面白い作品だった。  開巻間もなく、主人公は容疑者として罵声を浴びるが、その事件については詳しい説明が無く、恋人を殺したらしいことは物語の進行で分かってくる。家族とはもちろんのこと、回想シーンにみる友人との関係も良好とは言えないこの主人公、ある朝突然頭に角が生える。ここまではサスペンス・ホラー調の暗さで描かれ、ここからはファンタジック・ミステリー調でコメディのテイストも感じるのが意外に思えた。角が生えて以降の周囲の人々の反応だが、誰もがホンネでしか話さなくなり、女はやたらと口汚くなり、男は何かというと暴れ出し、挙句の果てには、実はゲイだった2人の警官がパトカーの中で脱ぎ出す始末。始めは不快に観ていたが、段々と愚かしく観えてきて、最後には笑えてくる。主人公もこの現象に当初は困惑するが、最後はこれを逆に利用して(何しろ皆ホントのことしか言わないのだから)真犯人の自白に至る。これは上手いアイディアだと思う。どうしてこういう脚本が書けるのかなー。ただ『告白の角』の必然性がよく分からないので、ネットで少し検索してみたが、そういう古典や例え話が有るわけでもないようだ(占いのHPによると、頭に角が生える夢を見るのは、自分の中にあって外に出たがっている何かを示しているのだとか)。  似た設定の別の映画を思い出した。「ハート・オブ・ウーマン」で、主人公はある日突然、女性のみ老若問わず心が読めるようになる。これを仕事に利用して、女性仕様の商品の宣伝に力を発揮し、一方不仲だった一人娘の気持ちも理解出来るようになるが、ラストではこの『力』が無くなり、結局自身の人間性がすべての解決策になるという話(メル・ギブソンのコメディも珍しい)。本作のラストも、ただ事件が解決するだけでなく、角が無くなって主人公が一歩成長した姿になる、という方が良かったのでは?
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[006]マミー・マーケット
 現代版「青い鳥」初代黒龍2017-05-31
 【ネタバレ注意】
 『スカイパーフェクトTV』がまだ『スカパー』ではなかった頃、たまたま観た映画だが今でも印象的な場面をいくつか思い出す。日本未公開で全体的にB級の出来だが、アイディ・・・
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 『スカイパーフェクトTV』がまだ『スカパー』ではなかった頃、たまたま観た映画だが今でも印象的な場面をいくつか思い出す。日本未公開で全体的にB級の出来だが、アイディアの良さとシシー・スペイセクの名演はA級の面白さだった。シングルマザーにしてキャリア・ウーマン、家事も躾けも完璧なママは、あれこれうるさい。3人の子供達は、オシャレなママがいい、一緒に遊んでくれるママがいい、楽しいママがいいと、わがままを並べるが、子供としてはよくある発想。だが、それが現実になったら果たして幸福といえるだろうか?実は本当の幸福は、すぐ近くにあるのでは?  結局この作品は、メーテルリンクの「青い鳥」の焼き直しだが、むしろ『青い鳥症候群』に対する皮肉にも思える。現実が見れずに理想だけを追い求めても哀れなだけだが、それを象徴するように、理想のはずのママ達があまりにも誇張され過ぎていて、面白いことは面白いが、どのママも現実離れした存在だ(元々マミーマーケットが現実離れした空間だから、そこから来たママも同様であろう)。どんなに極楽浄土を求めたところで、人間は今居る場所でしか幸福はつかめない。洋の東西を問わぬこの思想を理解させるのに、この3人のママ達は実に分かり易く、かつ強烈である。ママ達が去り子供達も夢から醒め、やっぱりホントのママが一番だ、という分かり切った結論に至るが、子供達の笑顔を観ると、こうして彼らは成長していくんだろうなと、これまた分かり切ってはいるが爽やかな気分になる。これで終わるのかと思ったら、家庭訪問に来た教師が、2番目のママが仕掛けた罠に掛かってもがいている、というのがラストシーンで、夢かと思ったマミーマーケットは実在したのか?と思わせる上手い幕切れである。  さらに目を見張るのがエンドロールで、ホンモノと3人のママ達は、メークを巧みに使い分けたシシー・スペイセクの1人4役だったことが映し出される。ここを観ているだけでもかなり笑える。  この映画にはプロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントが脇役で出演しているが、「ゴールデン・ボンバー」でハルク・ホーガンが、「ACACIA」でアントニオ猪木が、「リングリングリング 涙のチャンピォンベルト」で長与千種が、それぞれプロレスラー役で主演しているのに、アンドレはサーカスの巨人役だ。本人は納得して出たんだろうが、ファンとしてはプロレスがナメられているみたいで少し寂しい。
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[007]追憶
 静けさの中の奥深さ初代黒龍2017-05-13
 【ネタバレ注意】
 あまり期待していなかったが、意外と面白かった。若手・中堅実力派俳優をこれだけ集めた、という単純な楽しみもあり、また、無駄に長い昨今の日本映画にあって99分は程よい・・・
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 あまり期待していなかったが、意外と面白かった。若手・中堅実力派俳優をこれだけ集めた、という単純な楽しみもあり、また、無駄に長い昨今の日本映画にあって99分は程よい上映時間だ。  殺人事件が発生したが、被害者と刑事と被疑者の3人が、実は幼少期を共にした友人で、決して口外出来ない過去を共有し、それぞれが現在の家族に悲喜こもごもの問題を抱えている。これだけ複雑な設定でありながら、最低限に留めたような少ないセリフで進行するのが意外だった。長澤まさみの妻がタンスの衣類を荒らしていると、岡田准一の夫が「退院してきたばかりだから」と止めさせる。彼女は後のシーンで、子供ができれば少しは寂しくなくなると思ったのに、と告白し、前の方のシーンでは、子供の靴がまだ残っていることを気にしている。これだけで流産が夫婦に亀裂を作ったであろうことは推測できるし、ラスト近くで、小栗旬の友人の妻の出産を岡田准一が素直に喜ぶシーンにも生かされている(ここで互いを「ちゃん」付けで呼び合う何気ないやり取りが泣ける)。  安藤サクラの喫茶店主が孤児の面倒をみている理由と、彼女に思いを寄せる吉岡秀隆の職業が不明確なことが引っかかるが、とにかく登場人物の殆ど全員の抑えた演技が全編に生きている(冒頭、本編と無関係の児童虐待男が出て来るが、コイツのわざとらしくツッパった芝居が、薄っぺらくて逆に浮いていた)。被害者の娘への捜査から身内の犯行とあっけなく判明するが、この少女が最初の証言では平然としていたのも少々ツッコミたくなる点だが、しかしラストで叔母と2人で献花するのを観て、彼女も両親から切り離されたわけで、主人公達と同じような運命をこれから生きるのかな、とも思った。  幕切れで小栗旬が、かつて生活し今は廃墟となった喫茶店を解体するが、これから新しい生活を切り開こうとしているのか、消せない過去と分かっていて何とか消そうとしているのか、どちらにも解釈出来るシーンだった。
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[008]サヨナラの代わりに
 またかよ、と言いたいがやはり感動する初代黒龍2017-05-13
 
 主演のヒラリー・スワンクとエミー・ロッサムの演技合戦が素晴らしく、脚本もよく出来ている感動的で観応えのある作品だが、個人的には素直に感動出来なかったのは何故だろう・・・
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 主演のヒラリー・スワンクとエミー・ロッサムの演技合戦が素晴らしく、脚本もよく出来ている感動的で観応えのある作品だが、個人的には素直に感動出来なかったのは何故だろうか。  難病モノ映画はもはや1つのジャンルのようで、昔から力作・感動作は多々ある。白血病がテーマの「クリスマス・ツリー」、「ジョーイ」は今思い出しても泣けるが、「愛の選択」、「オータム・イン・ニューヨーク」はスター俳優が主演の割にはさほど伝わってくるものは無かった。HIVを描いた「私を抱いてそしてキスして」は情報が少ない頃に作られて随分苦戦したと思うが、「マイ・フレンド・フォーエバー」はエイズ問題と少年の友情が上手く描かれた秀作だった(世間ではあまり認められていないようだが)。さて本作は、身体の自由が利かない患者と介護士を描いた「私の愛、私のそばに」、「最強のふたり」と同じ内容で、要するに「また難病モノかよー」という先入観の方が強過ぎて、素直に感動出来なかったわけでした。  同じ内容なのでどうしても比較してしまうが、「私の愛〜」のヒロインは何度か結婚に失敗していて、「最強の〜」のパートナーも種々の問題を抱える黒人で、本作のエミー・ロッサムの介護士は介護どころか本人の生活態度がかなり怪しい。共通するのは(本作のヒロインも言っているが)本音で話し合える相手が欲しいということで、それは理解出来るが、ベテランの介護士でも腹を割って話せる人は居るはずだろうが、そういう脚本は書けないものかね(「マイ・ライフ」で、マイケル・キートン扮する主人公のガンが末期になり、ベテランの黒人女性介護士が寄り添う。出番は短いが印象は強かった)。   友人のパーティーに招かれたが、病気の進行で友人の子を抱くことも出来ない。ヒラリー・スワンクの主人公はそれまで気丈に振る舞っていたが、どうしても子供が欲しかった、浮気した夫なのに今でも好き、と初めて弱みを見せる。せめて大声で叫べたら、と言われたエミー・ロッサムが代わりに絶叫し、来年は招待されないわねと笑う。このシーンは印象的だった。  エンドロールで流れるエミー・ロッサムの歌声はなかなか魅了される。ミュージシャンとして挫折した役だから余計にそう思うが、調べたら彼女はオペラの基礎があって、実際は歌は得意技だったんですね。
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[009]LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門
 傾げた首が戻らない初代黒龍2017-05-02
 【ネタバレ注意】
 「ブラック・ジャックALIVE」という全2巻の漫画があるが、手塚治虫の原作を総勢22名の漫画家がそれぞれのブラック・ジャックとして描いていて、長身もいれば眼鏡をか・・・
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 「ブラック・ジャックALIVE」という全2巻の漫画があるが、手塚治虫の原作を総勢22名の漫画家がそれぞれのブラック・ジャックとして描いていて、長身もいれば眼鏡をかけていたり、顔の傷がオリジナルと左右逆だったりと様々だ。異なる作者が描いているのだから、全作品が別個の世界観になるのは当然だが、本来のコンセプトが生かされているかは疑問だ。個性と言えばそれまでだが、下手すれば玉石混交の危険もあろう。  その点を踏まえると、「ルパン三世」は実に不思議な作品で、何本も製作された劇場版・TVアニメのどれもが個性的だが、誰が作っても「ルパン三世」である。基本は泥棒一味と警部の追っかけだから、話なんかいくらでもいじくることは簡単で、事実そうやって何本も作られたわけだが、出来た作品を観ると「ルパン三世」という世界観はいくらもいじくれていない。そういう作品なのだと思う。  しかしながら、本作はいじくる方向性が違うようで、首を傾げて元に戻らない。いくらスピンオフ作品とはいえ、「ルパン三世」にしては余りに陰惨である(前作「次元大介の墓標」も重い作品だったが、ハードボイルドという点では観応えがあった)。賭博を仕切るヤクザ組織(と言うより、闇の結社という感じ)のキャラが、いかにもそれっぽく作り過ぎているし、2丁斧の大男もターミネーターじゃあるまいし、感情無しに人を殺し過ぎる。自らの道に迷い続けた末の五エ門の「見えた!」の一言はいかにも彼らしいが、続くシーンでは、居合いで斬られたヤクザ達の右手首が大量に宙を舞う。一見華やかだが、実に残酷。ラストで、両肩の肉をそぎ落とされて、筋組織がハッキリ見えているのに一滴の血が出ないうえに、その状態で刀が抜ける五エ門の方がバケモノに観えてくる。さらに気になったのは、前・後篇で上映時間54分は、いずれTVで放送するための時間枠を意識しているように思えてならない。事情は種々あるのだろうが、もう少し脚本を煮詰めて欲しかった。  幕切れで、ルパンを逃がした五エ門が銭形警部に刃を向ける。このシーンが一番新鮮なものに観えた。
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[010]真白の恋
 真っ白な映画初代黒龍2017-04-30
 【ネタバレ注意】
 キスシーン無し、ベッドシーン無し、手を握ることさえ無し。今どきこんな単調な恋愛映画があるか、と言いたいところだが、今どきだからこそこんな恋愛の原点のような光景が、・・・
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 キスシーン無し、ベッドシーン無し、手を握ることさえ無し。今どきこんな単調な恋愛映画があるか、と言いたいところだが、今どきだからこそこんな恋愛の原点のような光景が、むしろ新鮮な気持ちで観れる。誰かのことが気になって、その人のことばかり考えるようになって、その人と会っていると楽しくて、次の日にはまた会いたくなっている、それが恋愛というものであり、その通りに映像化したのがこの作品である。タイトルの『真白』はヒロインの名前だが、作品全体の空気も真っ白で、観ているこちらも真っ白な気分になる。  ヒロインが軽度の知的しょうがい者という設定が上手く生かされていて、主演の佐藤みゆきが嫌みも暗さも無く、感傷的な空気も感じさせず、淡々と演じているのが好感が持てる。セリフが「わかった」とか「いらない」とか、一語で完結する言い方になるのも、何となく聞いていて気分が良い。それだけに物語の終盤で、この恋が実らないと感ずいたのか、「どうすれば普通になれるの?」という真白のセリフにはグサッときた。  しょうがい者について特に問題提起している作品ではなく、その点はセリフのみでオブラートに包んだようだ。真白の兄が彼氏の襟首を掴んで、しょうがい者をナメるなみたいなことを叫ぶシーンで、しょうがい者の恋愛を認めようとしないアンタこそ差別してるじゃないか、と観ていて思ったし、真白の知的しょうがいを初めて知った彼氏が、社会に適応出来ないからしょうがい者だと言うなら僕なんかとっくにしょうがい者だ、というセリフに真実味を感じた(彼氏の職業はフリーカメラマンで、スポンサーの一人があいつはいい仕事をするが扱い難いと言うシーンがある。こういう何気ないセリフの使い方も上手い)。  明確な結論を出さないラストだが、結局恋というものはそういうものだろう。しょうがい者だから、と屁理屈言わせないようにするには、ハッキリしたラストでない方がむしろ良いのかもしれない。  東京に帰る彼氏を見送りに真白が駅に駆けつけるシーンで、彼氏は車窓から乗り出して「ありがとう」と手を振り、真白は「バイバーイ」と叫び続ける。爽やかな情景ではあるが、真白ちゃんはこれでいいのかい?とも思った。あ、これが屁理屈か。
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[011]トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
 伝記映画であり歴史映画であり初代黒龍2017-04-30
 
 ダルトン・トランボという脚本家の伝記映画としても面白いし、赤狩りというアメリカの歴史を描いた映画としても興味深い。  『不屈』という言葉を体現しているような彼の執・・・
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 ダルトン・トランボという脚本家の伝記映画としても面白いし、赤狩りというアメリカの歴史を描いた映画としても興味深い。  『不屈』という言葉を体現しているような彼の執筆活動も物凄いが、偽名の執筆とはいえ共産主義を気にしないプロデューサーがいて、妻からは叱咤され娘からは目標とされる家族の理解の深さと、才能にも出会いにも恵まれたとは羨ましいものだ。その家族のためにこそ、時流に飲まれず信念を曲げずに書き続けた、そのパワーが画面からも感じられる。  赤狩りは、アメリカにとっては触れたくない裏面史であろうから、それを描いたスタッフの勇気に敬意を表したい。喜劇王チャップリンは赤狩りによって追放されたが、「チャーリー」ではその辺は特に強調されてなかったし、赤狩りを真正面から描いた「真実の瞬間」は、ドラマ仕立てになり過ぎて伝わってくるものが無かった。この作品では、仕事欲しさに裏切り者となったエドワード・G・ロビンソンにトランボが詰め寄るが、君は偽名が使えるが僕は顔が商品でごまかしようがない、というシーンがある。こんな所にも、当時の関係者の真意が伝わってくる。トランボを追撃するマスコミ(この映画では悪役)をヘレン・ミレンが一人で好演しているが、実際にはもっと様々なバッシングがあっただろう。惜しいのは、赤狩り問題で最も非難されたエリア・カザンの名前が一度も出て来ないことだが、この問題は掘り下げていくと共産主義の是非にまで行き着くだろうから、映画で描けるのはこの辺が限度なのかなとも思う。  ラストのスピーチの一節が印象に残った。  「我々の中には悪者もいないし善人もいない。全員が被害者だったんだ」
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[012]ディーン、君がいた瞬間(とき)
 知られざる時を知る初代黒龍2017-04-30
 
 実在人物の映像化の中には、本人と似ても似つかない俳優が平気で出ているものがある。「フロスト×ニクソン」の元大統領ってこんな顔だっけ?と思うし、「トランボ ハリウッ・・・
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 実在人物の映像化の中には、本人と似ても似つかない俳優が平気で出ているものがある。「フロスト×ニクソン」の元大統領ってこんな顔だっけ?と思うし、「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」のジョン・ウエインもかなり無理があったが、どちらも脚本が良く出来ていて、観ているうちに気にならなくなった(TVドラマだが「シャボン玉の消えた日〜シャボン玉ホリデー・笑いにかけた青春物語〜」は、脚本は悪くないが出演者が本人に似てなさ過ぎて、お世辞も言えないような出来だった)。  本作のデイン・デハーン扮するジェームズ・ディーンは、一見無理に似せているように観えたが、ボソボソと喋り、強度の近眼であり、やたらとタバコを吸うところは、実際にそういう人だったのかな?と思わせる上手さだ。ジェームズ・ディーンの初主演作の試写会から次回作出演決定までの、僅かな期間を描いた映画だが、何しろ彼は余りにも若くして亡くなったから、彼に関する資料は殆ど無いに等しく、ましてプライベート映像などあるはずがないわけで、そうした意味でもこの作品は価値があると思う(ジミーの趣味がコンガだということも初めて知った)。実話の映画化だったら、こちらの知らないことを描いて欲しい、と単純に思う。単なる仕事上の付き合いか、これも一種の友情なのか、どちらとも解釈出来る描き方も良かった。ラストの別れのシーンに全然ドラマ性が無いが、この二人はこういう間柄なんだなと自然に受け止めた。  カメラマンのデニスと彼のボスとの会話。  「僕は芸術家だ」  「それを決めるのは大衆だ」
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[013]男はつらいよ 花も嵐も寅次郎
 異質?初代黒龍2017-04-22
 
 「男はつらいよ」シリーズで、本作は最も好きな1本だ。  シリーズを通しても、この作品は1つの曲がり角になっていると思う。ゲスト出演の女優、つまりマドンナはイコール寅・・・
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 「男はつらいよ」シリーズで、本作は最も好きな1本だ。  シリーズを通しても、この作品は1つの曲がり角になっていると思う。ゲスト出演の女優、つまりマドンナはイコール寅さんの恋愛対象だが、この作品ではマドンナと別の男を結び付けるキューピットになっているという、極めて異質とも言える内容になっている。シリーズのマンネリ化を避けるためとも思えるし、寅次郎の人間的に成長した姿を描いたとも解釈出来るが、いずれにしても大きな賭けだったであろう。この流れが35作目には「寅次郎恋愛塾」と堂々とタイトルにもなり、42作目の「ぼくの伯父さん」からは吉川秀隆扮する甥の満男にその役割は交代されている。こうしてシリーズは続いたのだから、この作品は賭けに勝ったと言えよう。  さて本作のマドンナは、沢田研二扮する二枚目(何故か職業が動物園の飼育係)が気になるが、本音は寅さんが好きで、心情は何とも複雑だが、これを田中裕子がさらりと演じている。秘めた感情が有るのか無いのか表に出さず、つかみどころが無いようで隣で明るく笑っているような、そんな感じがこの人にはする。「嵐が丘」の妖しさはピッタリだったし、「北斎漫画」は存在自体が不思議な気がしたが、「ザ・レイプ」の裁判で感情的になるシーンは逆に似合わないと思った(この3作、あまり出来は良くなかったなァ)。本作のカップルは実際に結婚したが、37作目の「幸福の青い鳥」でも、志穂美悦子と長渕剛が共演が縁で結ばれたのは周知の事実。  ラストで例によって寅は旅に出るが、見送る妹のさくらに「やっぱり二枚目はいいよなぁ」と語りかけるのが印象的だった。我が道を行く寅さんが、他人と自分を比較して、意外にも愚痴とも取れるつぶやきを残す。これも結構異質なものに観えた。
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[014]ロスト・バケーション
 置き去りモノの快作初代黒龍2017-04-11
 【ネタバレ注意】
 無人島置き去りモノとでも言うか、こういう一見単純なストーリーこそ俳優と脚本家の力量が試される。俳優にとっては殆んど一人芝居だし、何も無い所で身の回りのわずかな物品・・・
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 無人島置き去りモノとでも言うか、こういう一見単純なストーリーこそ俳優と脚本家の力量が試される。俳優にとっては殆んど一人芝居だし、何も無い所で身の回りのわずかな物品だけを頼りに、如何にこの難局を乗り切るか、というアイディア勝負だから、脚本も簡単そうで難しい。過去にも「キャスト・アウェイ」はトム・ハンクスの熱演とロバート・ゼメキスの演出が見事に調和した無人島モノだった。「オデッセイ」は無人島どころか火星に置き去りにされる壮大なスケールのサバイバル。「フローズン」は深夜のゲレンデのリフトが止まって置き去りにされ、設定は興味深いが脚本がマズくて肝心の脱出シーンが実に退屈だった。  この作品、主演女優の知名度が低く、彼女が居るのが島でなく岸から近い岩場で、海を舞台にしている割に全体的にスケールが小さく観えるのが難点だが、生き残り脱出する為の策、それを阻む数々の難題等、引き込まれるアイディアが幾つもあり、撮影と編集の技術がそれらを上手く生かしている。殆んど存在感の無かった地元のサーファーのデジカメが彼女を救うことになったり、壊れたボードの破片がブイに格納されている照明弾を取り出したりと、物語の展開につながるものや、地元の公用語であるスペイン語を彼女が話せないこと、泳いで逃げようとしたらクラゲが大量発生するとか、布石のようなネタもあり、なかなか目が離せない。どう見ても作り物と分かるサメだが、かなりの迫力で撮られている(殺されるシーンはちょっと出来過ぎだが)。  ラストで彼女は再びサーフボードに乗るが、あんな大変な目に遭ってもサーフィンってやめられないものなのかなーと、その辺は納得できなかったけど、「ソウル・サーファー」のヒロインは、腕を食いちぎられてもやめなかったんだっけね。
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[015]蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち
 知られざる秀作アニメ初代黒龍2017-04-09
 
 この映画の情報は、たしか「ぴあ」がまだ雑誌だった頃に偶然見つけて興味を持ち、池袋の文芸座だったと思うけど、1館でしか公開されていなかったのを観に行ったと記憶してい・・・
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 この映画の情報は、たしか「ぴあ」がまだ雑誌だった頃に偶然見つけて興味を持ち、池袋の文芸座だったと思うけど、1館でしか公開されていなかったのを観に行ったと記憶している。パンフレットも売っていて(最近は単館ロードショーでパンフが作られないことが多々あるが)資料的価値も有る。しかしながら、ビデオ化されていないし、そもそもこの映画の存在を知られていないようだが、感想を一言で言うなら、一人でも多くの方に観て欲しい秀作である。   冒頭で、主人公は教師から満蒙について説明しろと言われ、スラスラ答えて褒められる。これが所謂『軍国少年』というものか、と出だしから刷り込まれた。こんな純粋な使命感も、敗戦により異国の地を迷走する運命にすり替えられる。後半で、何が満蒙開拓だ!と絶叫する主人公の心情は、痛いほど伝わってくる。   開拓団がようやく逃げ延びた村は、村人たちの日本人に対する憎悪に満ちていた。皆殺しにされると思ったその時、赤ん坊が泣き出す。食料も無く逃避行を続ける日本人の女は、もはや母乳が出ない。子供に罪は無いと思ったのか、中国人女性が黙って乳を与え、他の女もこれにならう。殺さずに済んだが、子連れでは到底逃げられず、赤ん坊はこの村に託すしかない。これが中国残留日本人孤児だ、とこの映画で初めて実情を理解した。   満州国については、開拓民の方の多くが亡くなられた(今の時代なら、犠牲になったと言った方が妥当か)ためか、それとも敗戦国としては触れたくない戦史なのか、あまり情報が入ってこないように思う。その意味でも、こういう作品が製作されたこと自体が非常に意義深い。また、触れたくないが知るべきものを見せる、という意味では、アニメという媒体が効果的に使われた好例とも言えよう。   ラストがやや幻想的なのが、この悲劇のせめてもの救いのように思えた。
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[016]ラ・ラ・ランド
 叶う夢、諦める夢初代黒龍2017-04-09
 【ネタバレ注意】
 前評判が騒がしかったから、どんなものかと観てみたら意外と普通の映画だった。  冒頭のハイウェイでのダンスシーンは迫力があったが、往年のミュージカル映画と違ってハン・・・
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 前評判が騒がしかったから、どんなものかと観てみたら意外と普通の映画だった。  冒頭のハイウェイでのダンスシーンは迫力があったが、往年のミュージカル映画と違ってハンディカメラで撮られていて、これがやたらと動き過ぎて、誰かのパフォーマンスが終わらないうちに別の人にカメラが動いている。イマ時の技法としては珍しくないが、ミュージカルとしては単に観難いだけだ。  ストーリーは単純明快、若い男女が夢を追い、恋に落ちる。その展開を四季に分けて描いている(つまりチャプター分割)が、この手法も新しくはなく、これまた明快。「秋」のチャプターは二人の曲がり角で、彼はバンドのツアーで、彼女は舞台女優として、互いに足場を固めている時期だが、同時にそれは二人のすれ違いも意味していて関係はギクシャクしてくる。この場面だけ歌も踊りも無く、ここだけ観ていると作品そのものをミュージカル仕立てにする必要が無かったのでは?と思えてくる。ラストで二人は、それぞれに夢を叶えて、彼女はスター女優になり、彼は自分の店で演奏している。叶わなかったのは二人の結婚で、彼女が夫と共に偶然訪れたのが彼の店だった。ここで二人が出逢ってから現在までがフラッシュバックされるが、ホーム・ムービー風の構成は良いのだが、ここにも歌も踊りも無い。単なるミュージカル映画にせず、若いカップルの青春像としても描こうとしたのは観て分かるが、結果的にどっちつかずになっている。ミュージカル映画にしては明るい歌曲が少ないし、青春映画にしてはヒネリが足りない。  ただ、夢というものは全てが叶うはずはなく、何かは諦めなければならないこともある、と言いたかったのだと考えると丸く収まる。ライブの途中で店を出る彼女、それを見送り次の演奏を始める彼、どちらも新たな一歩を踏み出そうとする良い表情で、別れのシーンなのに幕切れとしては最高だった。  エマ・ストーンは、不思議な女優だ。美人という顔立ちでもなし、容姿もまあまあなのに、学生役から母親役までそのままで演じ分けていて、もしかしたら凄い力量の持ち主では?  劇中の歌詞の一節。 「この先どうなるかわからないからこそ夢追い人が必要」
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[017]裸のチェロ
 哀れな男の話初代黒龍2017-04-08
 【ネタバレ注意】
 若きラウラ・アントネッリのヌードも美しかったが、不運な主人公の孤軍奮闘ぶりに興味を持った。  皆様は学校・会社等の組織の中や人の集まる所で、自分の存在を無視された・・・
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 若きラウラ・アントネッリのヌードも美しかったが、不運な主人公の孤軍奮闘ぶりに興味を持った。  皆様は学校・会社等の組織の中や人の集まる所で、自分の存在を無視された経験がお有りでしょうか?例えばテーブルが3つ並んでいて、自分が真ん中に居て、両隣に友人らしき2人がそれぞれ座り、真ん中に私が居るのにその2人はお構いなしに自分達の会話を始める。侮辱であり人権無視も甚だしいが、私はこういう経験が何度もある。そのせいか、楽団に10年以上居るのに指揮者に名前を覚えてもらえず(ストラディバリという名字が覚えられないはずがないだろうが)自分が何もしない時の方が演奏がまとまる、この主人公に大いに共感した。私の前述の例の場合、両側の2人はたいがい女で、そのせいか女性不信傾向が強く、今だに独身である。その点はこの主人公とは大きく異なるわけで、来世まで愛してるなんて平気で言う美人の奥様に恵まれていることは、私にとっては正に映画の中だけのフィクションである。  そういう視点で観ているから、妻のヌード撮影に没頭したり、新しいオペラを作曲しようとする彼の姿が、何かに生き甲斐を見いだそうとしている前向きな姿に私には観えた。しかし、作ったオペラは聞いたものを思い出しただけの盗作であり、妻に対する行動も段々過激かつ異常にになっていく。遂に精神病院に入れられて映画は終わるが、せっかく意欲的になったのに最後は堕落するというのは(製作された1974年がどういう時代だったにせよ)、私には納得できないラストだった。  チェロのケースを開けると、裸のアントネッリがキレイに収まっているシーンが印象的だった。チェロと言えば、「007リビング・デイライツ」ではケースがスキー代わりにゲレンデを滑走し、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」は実在のチェロ奏者の伝記、「おくりびと」の主人公も元チェリストという設定だった。意外と映画向きの楽器なのかね。
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[018]無宿 やどなし
 日本版ニューシネマ初代黒龍2017-04-03
 
 かつてのアメリカン・ニューシネマの空気を感じる。「イージー・ライダー」みたいに、真っ直ぐ突っ走っているようで、行き着く所は死しかない、ああいう空気。「イージー・ラ・・・
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 かつてのアメリカン・ニューシネマの空気を感じる。「イージー・ライダー」みたいに、真っ直ぐ突っ走っているようで、行き着く所は死しかない、ああいう空気。「イージー・ライダー」は物語より雰囲気で何とか観れる作品だが、日本映画にその雰囲気を求めることは無理だろう。特に高倉健みたいに、自らのの信念のみに生きる、究極の不器用男を演じて絵になる俳優が、目的感無く流されていく男の役では、むしろ不条理な世界に見えてくる。海に眠る宝探しをクライマックスに持って来てはいるが、それが叶わないことは予測出来るし、ラストも唐突過ぎてこれまた不条理を感じる。2大スターの共演、それだけで成り立った時代の最後の作品と言えまいか。  個人的には、勝新太郎は「待ち伏せ」の正体不明の医者の役が一番良かった。皮肉にも、自分の会社の作品ではないが。  梶芽衣子の可愛らしさが唯一の救いだった。
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[019]最後のブルース・リー/ドラゴンへの道
 一番輝いていたブルース・リー初代黒龍2017-03-18
 
  ブルース・リーの生涯についての書籍や映像に触れていると、32年という短い生涯が50年も80年も生きたように思える。本人はやり残したこと、思い残すことが多々あっただろう・・・
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  ブルース・リーの生涯についての書籍や映像に触れていると、32年という短い生涯が50年も80年も生きたように思える。本人はやり残したこと、思い残すことが多々あっただろうが、年数よりも十分に充実した人生を生き切ったはずだし、目的も無く何かを成し遂げたわけでもなく、ただ長生きだけした人生よりよっぽど有意義だ。  この作品の頃のリーは、精神的にも肉体的にも、生涯で一番絶好調だったであろう。アクションシーンの動きも軽いし(目の前にいる二人を相手に、長い棒で一人を突き、持ち替えてもう一人を打ち払うシーンがあるが、ワンショットで5秒もかかっていない)、また表情が豊かで笑顔が多いのは演技だけではないと思う。  プライベートで友人である共演者が良く映っていた。ノラ・ミャオは大変魅力的で、ユニコーン・チャンのラストのセリフも印象的だった(すべてを解決して去っていく主人公の後ろ姿を見ながら、彼の将来を不安に感じていて、ハッピーエンドにしていない)。  カンフー映画の多くはストーリーが単純で、仲間だと思っていたのが実は敵だった、というようなドンデン返しはまず無いが、この作品はそれを取り入れていて、こんな所に脚本も担当したリーの新しいものを作りたい熱意が感じられた(その後の展開でこの要素が生かされなかったのが弱いが)。  チャック・ノリスとの決闘シーンは、格闘技ファンには必見である。当初リーの方がボコボコやられるが、おもむろにフットワークを始める。相手のリズムに乗らず、流れを変えるためである。リーが顔面にハイキックを入れて、すぐに膝を蹴るシーンがあるが、ハイキックがフェイントだとしても、よけられても相手の注意が逸れる足元を狙うというのは、実戦としてのセオリー通りだ(しかもこの関節蹴りが、正確に膝のお皿に命中している。もちろんこれらもワンショットで撮っている)。  この作品と、次回作の「燃えよドラゴン」をDVDで観比べてみたが、後者は明らかに顔色が悪い。当時ブルース・リーが、背骨を痛め、脳性の病気に犯され、その苦しさから逃れるため麻薬を常用していたことは、文献等で明白だが、それが映像ではっきり分かるのは何だか寂しい。  
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[020]姉日記
 明るさを感じるポルノ映画初代黒龍2017-03-11
 
いつ頃からだったのだろう。日活ロマンポルノのイメージが、かつての西日の差し込む四畳半で男と女が汗だくでくんずほぐれつ、みたいな何となく後ろめたい感じだったものが、・・・
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いつ頃からだったのだろう。日活ロマンポルノのイメージが、かつての西日の差し込む四畳半で男と女が汗だくでくんずほぐれつ、みたいな何となく後ろめたい感じだったものが、人物描写も含めて作品そのものに明るさを感じるようになったのは(会社のロゴも、平仮名で分かり易い『にっかつ』になった)。美保純あたりからだろうか、だが他社の一般作品にヌードシーンが増えて、普通の女優が脱ぐことが特別ではなくなったのもその頃からだろう(観ようによっては、美保純主演のロマンポルノは青春映画と言えなくもない)。  この作品は、そうした新しい流れの中の1本だろう。姉と弟が主人公だから、当然怪しい関係がテーマかと思いきや、姉は上司と不倫、弟は若いツバメで、それぞれよろしくやっている(近親相姦に近いシーンもあるが、このきょうだいの危うい関係を象徴するようなエピソードとして挿入されている)。こういうあっけらかんとした情景を単純に明るさとは言い難いが、一言で言えば時代は変わったということだろう。   何ヶ所か出て来るセックスシーンが、西日どころか陽光の元で、文字通り明るく営んでいるのも時代の変化を感じる。小田かおると南城竜也のホテルでのベッドシーンが、途中からアダルトビデオのスタジオ撮影みたいな描写になるのが斬新的だ。小田かおるはホテルのフロント嬢の役で、「セーラー服百合族」よりも大人の色気を感じさせて、脱がないシーンでも十分可愛い。逆に「スケバンマフィア恥辱」の主役が印象的だった倉吉朝子が、彼女の不倫相手の妻という脇役に下がってしまったのは世代交代ということか。   ラストで姉は弟に、私が男っぽくなった方がいいのね、と言って髪を切ってしまう。撮影のサイクルの短いポルノ女優がそんなことしていいの?と、映画を観ながらつまらない心配をしてしまった。映画の中で髪を切った女優と言えば、「化身」の黒木瞳、「大地の子守歌」の原田美枝子、「はいからさんが通る」の南野陽子、「世界の中心で、愛をさけぶ」の長澤まさみ、外国映画では「若草物語」のジューン・アリソン、「さすらいの航海」のリー・グラント、「GIジェーン」のデミ・ムーア、「私の中のあなた」のキャメロン・ディアスと、錚々たる顔ぶれだ。ポルノといえども、女優魂に差は無いのだっ!その小田かおる、30代以降は熟女役としても惜しげもなくヌードを披露していたが、現在は脳梗塞のため歩行も出来ない体になったと聞いた。
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[021]おもちゃの国
 短編映画の教科書的作品初代黒龍2017-02-23
 
  以前、某俳優が、役者というのは素晴らしい仕事で、脚本が多少悪くても役者が良ければいいモノが出来る、という旨の発言をしていた。俳優のプライドがそう言わせているのだ・・・
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  以前、某俳優が、役者というのは素晴らしい仕事で、脚本が多少悪くても役者が良ければいいモノが出来る、という旨の発言をしていた。俳優のプライドがそう言わせているのだろうが、ポスターに名前が在るだけで客を呼べた昔と違って、スター不在の現在では役者が良ければ、と一言では言い切れまい。やはり映画は、脚本(ホン)の良し悪しが大前提だろう。   その意味では、この映画は模範的な作品である。第二次大戦中、ドイツ人がユダヤ人と家族ぐるみの友人という設定が、まず意表を突いている。しかし、ユダヤ人の強制連行という現実も、映画は冷たく映している。なぜ連れて行かれるのか問い続けるドイツ人少年に、母は『おもちゃの国』に行ったと苦し紛れに言ってしまう。少年は自分も行くと家を飛び出し、母は慌てて追いかける。このシーンの編集は、実にお見事!少年と母とのタイムラグを、敢えて時系列を無視して構成しているが、最終的にはナチス兵に追い返されて仕方なく帰宅する少年のシーンと、発車目前のユダヤ人連行用の列車に間に合う母のシーンが、自然な流れで融合されている。今更間違えたとは言えない母は、機転を利かせてユダヤ人少年を息子だと言い、その両親もせめて息子だけ助けようと列車から降ろす。ナチス幹部の、何故こんな間違いが起きたのか調べて報告しろ、というセリフには、観ていてザマァみろと思った。この作品、冒頭はピアノを弾く2人の少年の手のアップで、ラストは2人の成人男性の手のアップで、ピアノには連行されたユダヤ人夫婦の写真が置かれている。   これだけ濃い内容をよくぞ10数分に収めた、と言うより、これ以上長くも短くも出来ないまでに仕上げた完成度の高さ!役者の演技も良かったけど、この作品は脚本の勝利である。戦争の暗部を描いてはいるが、何度も観たくなる大好きな作品だ。   僕はBSの特集番組でたまたま観ることができたが、短編映画が陽の目を見る機会が少ない現状は、何とも惜しい限りだ。
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[022]マリアンヌ
 ロバート・ゼメキス!初代黒龍2017-02-15
 
サスペンスは、横糸が少ないとラストが簡単に推測できて、多過ぎると訳が分からなくなる。男女の愛を描く場合、すれ違いが多いと関係が希薄に観えて、一途な愛なら描き方も真・・・
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サスペンスは、横糸が少ないとラストが簡単に推測できて、多過ぎると訳が分からなくなる。男女の愛を描く場合、すれ違いが多いと関係が希薄に観えて、一途な愛なら描き方も真っ直ぐでないと画面に精彩を欠く。この作品、その両方が見事にブレンドされて、サスペンス映画としても恋愛映画としても、実に観応えがある。第2次大戦中、極秘任務を遂行する男女が偽装の夫婦となったが、本当に愛し合い結婚する。子供にも恵まれ、幸福な日々を過ごすが、妻にスパイ疑惑がかけられる。ここからサスペンスをはらんだ様々な横糸が張られてくるが、過去の彼女のセリフに疑惑を匂わせるものもあれば、見るからに怪しい奴が彼女の近辺に現れたり、このバランスが絶妙で、観ているこちらも(実は嘘であって欲しい、という期待もあり)最後まで翻弄される。一方、夫の方は、当初から妻を疑うことは微塵も無く、何としてでも彼女の疑惑を晴らす為に、かなり無茶なやり方で『戦い』を始める。これ程一途な愛を貫ける男はそう簡単にはお目にかかれないだろうし、これがまた絵になるのだから大したものだ。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以来ロバート・ゼメキス作品と聞けば、それだけで飛びついてしまうほど好きな監督だが、ここ数年は「フライト」「ザ・ウォーク」と、面白いけど今一つ物足りなさを感じていたので、この作品で久し振りに大満足致しました。 マリオン・コティヤールは、名前は知っているけど作品を観た記憶がない(「ビッグ・フィッシュ」は観たけど、どこに出ていたか覚えていない)が、この作品の彼女は、自身がフランス人であることを上手く生かしていて魅力的だ。 ブラッド・ピットは、幾つになっても存在感が全く変わらない。これ程『自分』というものが崩れない俳優も珍しい(かつては、『スター』と呼ばれる人は、みんなそうだったと思うけど)。走り回るシーンが多いせいだろうけど、彼は前髪が乱れてくると魅力がさらに増してくる(そう思っているのは僕だけかな?)。
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[023]王になった男
 男になった男初代黒龍2017-02-04
 
  イ・ビョンホン初の二役という話題が先行したが、暴君である朝鮮王が毒を盛られて意識不明になり、王に瓜二つの男が替え玉を演らされる話だから、二役と言っても片方の役は・・・
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  イ・ビョンホン初の二役という話題が先行したが、暴君である朝鮮王が毒を盛られて意識不明になり、王に瓜二つの男が替え玉を演らされる話だから、二役と言っても片方の役は殆んど登場しない。ところでこの男、なかなかの勉強家で、ただ王のふりをして座っていればいいのに、自ら国政に関与するようになり、しかもその政策が良い結果を生んでいるから大したもの。側近の女官達が王の食事の残りを食べていると知った替え玉は、わざと自分の食を減らして下げさせるので、女官達は久し振りに米が食べられると大喜び。妃の兄が謀反人として捕えられているが、あっさり釈放してしまう。妃が交換条件は何かと聞くと、替え玉は王に笑顔を見せることが望みと答える。こんな風だから、周りの王を見る目も変わってくる。観ているこちらも替え玉であることが段々どうでもよくなってきて、彼がいかに『王』になっていくかに興味が湧いてくる。つまりこの作品は、一人の男の成長物語である。権力者でも肩書でもない、ただ国民のためになりたいと決意して、その通りに生きようとしている。王になった男は、『男』になったのである。    王の警護役の側近はウソをつけない性格で、彼だけが真実を知らないが、傍で見ているうちに偽物ではと疑い出し、遂に剣を抜く。妃の気転で助かるが、彼は王に刃を向けた責任を取って自害しようとする。これを制して王(替え玉)は言う。「王を守るべきお前が命を粗末にして、どうして王を守れる。王あってのお前であり、お前あっての王だ」。    ラストで本物の王は解毒によって回復し(二役とは言い難いと前述したが、ここで見せる替え玉を殺そうとする王の表情を、イ・ビョンホンは見事に演じ分けていた)、替え玉は逃亡する。ここで例の警護役が替え玉を手引きして、今度は追っ手を相手に剣を抜く。あいつは偽物だ、と言う追っ手に、「お前達にとっては偽物でも、俺にとっては本物の王だ」と叫んで斬りかかる。この作品、DVDで何度か観ているが、このシーンだけは何度観ても涙が止まらない。
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[024]劇場版ポケットモンスター/セレビィ 時を越えた遭遇(であい)
 タイムスリップ!初代黒龍2017-01-31
 
「ポケットモンスター」を観て首を傾げたのは、バトルとかゲットとか言って、戦わせて勝利すると相手のポケモンを奪えることで、子供が観るアニメとしては教育上よろしくない・・・
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「ポケットモンスター」を観て首を傾げたのは、バトルとかゲットとか言って、戦わせて勝利すると相手のポケモンを奪えることで、子供が観るアニメとしては教育上よろしくないだろう、ということ。しかし何度か観て気付いたが、これは昔懐かしいメンコのルールと同じですね。彼らは勝敗にこだわりつつも、負けてもあっさりしているし、勝っても相手の健闘を称え、ほとんどゲーム感覚である。本作の冒頭で、ポケモンの密猟者に対してユキナリ少年が、ポケモンは売り買いするものではない、と言い切るあたりは、彼らにとってバトルは聖域にも値すると主張しているように思える。   シリーズ全作を観ていないが、タイムスリップを扱った作品はおそらく本作だけだろう。しかも題名にもなっているこの特殊能力を、セレヴィは作中で1回しか使わない。なかなか魅力的なキャラで、あんな小さな体でそんな凄い力は、そりゃ何度も使えないだろうと妙に納得してしまったし、後半の傷だらけのセレヴィには感情移入さえしてしまう。   宮崎駿監督が手描きセルにこだわったのに対し、「ポケモン」は早くからCGを導入している。本作でも、セレヴィの飛行シーンにその成果は見事に発揮されている。   ロケット団の2人は、TVではバトルを無視してポケモンを横取りしようとするが、たいがい失敗する。自分達が言う通りラブリーチャーミーな仇役だが、劇場版ではこれといった出番が無く、単なる脇役でしかない。本作ではロケット団幹部が登場するので活躍を期待したが、やはり2人(と1匹)はオイシイところを持っていけない。もっと話の中に絡んで欲しいものだ。そう言えば、ムサシがサトシに言う『ジャリボーイ』も劇場版では聞かないな。   サトシ達と行動するユキナリ少年は、ポケモン観察用のスケッチブックをいつも手放さないが、時を越えてオーキド博士の書斎からそのスケッチブックが発見される。この凄いオチがエンドロールで描かれているのだが、映画館に来ていた子供達はわかったかなー?
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[025]ルパン三世 血の刻印 〜永遠のMermaid〜
 可愛らしいだけじゃない初代黒龍2017-01-31
 
 「ルパン三世カリオストロの城」の宣材写真を初めて見た時、随分子供っぽい顔立ちのルパンだなーと、第一印象は拍子抜けだった(本編を観たら、あまりの完成度の高さに腰が抜・・・
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 「ルパン三世カリオストロの城」の宣材写真を初めて見た時、随分子供っぽい顔立ちのルパンだなーと、第一印象は拍子抜けだった(本編を観たら、あまりの完成度の高さに腰が抜ける思いがした)。本作のキャラクターデザインも、同じように全員可愛らしく描かれていて、悪役に毒気が無い所も似ている(「フランダースの犬」の作画監督だそうで)。そういう意識で観ているからだろうか、ルパンが少女を盗み(助け?)出そうとすること、悪役が狙うお宝には長い歴史と因縁があり悪役はその子孫であること、ラストにルパンのキスシーンがあること等、「カリオストロの城」と類似点を感じる。   ルパンに弟子入りを志願する少女、五右衛門のライバルとなる笹の葉のような刀剣を自在に操る用心棒と、脇役の活躍も面白い。「ゲゲゲの鬼太郎」から「銀河鉄道999」まで、いつも少年の声で主演していた野沢雅子が、ルパンを強迫する中年女性で脇役というのが意外だった(もう少し声を聞きたかったが、あっさり殺されてしまう)。   ルパンが次元に、何故こんな稼業を続けているんだろう、とつぶやくシーンも意外だった。ルパンは我が道を行くようだが、背負った宿命の重さも痛感している、少々哲学的なことを言ってるが、舞台が日本だからなのか、そうした精神性みたいなものが妙に合っていた。 人魚の血を得た悪党が超人ハルクみたいに変身するシーンがクライマックスだが、さほど盛り上がりを感じないし、可愛らしく絵柄で助かってはいるが、実に気色悪い。やはり悪役が変身する「愛のダ・カーポ/FUJIKO\'s Unlucky Days」にも同じことが言える。変身ではないが、劇場版第1作「ルパンVS複製人間」もこれに近い雰囲気だった。どうやら「ルパン三世」にオカルトは似合わないようだ。    ラストでヒロインは、人魚の呪いが解けて普通の体になる(ケガをしても、すぐには治らない)が、これは無くても良いと思った。自分の過去は変えようがない、という事実を受け止めたうえで新しい人生を始める、というラストでも良いのでは?…って、また「カリオストロの城」に戻っちゃった。
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[026]この世界の片隅に
 観る前から予感した名作初代黒龍2017-01-29
 
予告編を観た瞬間、この映画絶対に観に行こうと思い、公開日を待つ間に、自分の中でベスト3に入るのではと期待が膨らみ、遂に映画館に行ったら、文字通り時間の経つのも忘れ・・・
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予告編を観た瞬間、この映画絶対に観に行こうと思い、公開日を待つ間に、自分の中でベスト3に入るのではと期待が膨らみ、遂に映画館に行ったら、文字通り時間の経つのも忘れた。「観ていた」と言うより「浸っていた」と表現した方が妥当、という体験をさせてくれる作品だ。 戦争そのものより戦時下に生きた人々を描いた映画は過去に何作かあった。「東京大空襲ガラスのうさぎ」は、その類いでは教科書的な作品だが、息を抜けるシーンが殆ど無いので結構重い。「戦場の小さな天使たち」は逆にユーモラスなシーンがいくつもあり(特に焼夷弾が学校に堕ち、子供達が狂喜乱舞するラストは笑えた)、この辺は国民性の違いみたいなものを感じた。アニメ「火垂るの墓」は忘れ難いが、どうしようもない悲劇を救いようのない物語に仕上げられたので、名作だとは思うが2度観る勇気は無い。 本作は、そうした観点からみても、別格に分類出来るほどの独自性を感じる。『ほんわか』という日本語がピッタリする、何ともほんわかした画面は、いつもボーッとしているヒロインすずさんの心象風景そのものだ。粗末な物しかない食事の風景や、弾が雨のように落ちてくる空襲シーンにしても、この『ほんわか』した絵柄ですべて表現出来てしまうのはお見事である。反戦思想の色は薄い作品だが、何が起きようと生きていく人々の描き方に、その思想は十分に伝わってくる。人物の手足がやけに大きく描かれているが、たとえ戦時下であろうと、大地に踏ん張って、自由と平和な生活をつかみ取ろうと生きている、ということの象徴かと思った。 のんのアテレコが実に良く、声だけだが演じ切ったという感じがする(アテレコに俳優を使うと、その人の顔が浮かんできて画面に集中出来ないものがある。「もののけ姫」の田中裕子、「ハウルの動く城」の倍賞千恵子、「ファインディング・ニモ」の室井滋なんかがそうだった) すずさんが、不自由になった右腕に鉛筆を縛り付けて、これからは戦後の風景を描き続けて欲しい、映画館内が明るくなる頃そんなことを思った。 
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[027]最高の花婿
 国境なき家族 初代黒龍2017-01-23
 
 2本立ての映画館でついでに観た方だが、やたら面白くて却って得した気分になった。  大富豪にして敬虔なクリスチャンのフランス人夫妻には4人の娘がいるが、長女はアラブ人・・・
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 2本立ての映画館でついでに観た方だが、やたら面白くて却って得した気分になった。  大富豪にして敬虔なクリスチャンのフランス人夫妻には4人の娘がいるが、長女はアラブ人、次女はユダヤ人、三女は中国人と、結婚相手が国籍も宗教もバラバラ。きょうだいが集まって食事をしても、最近のニュースはもちろん、肉が食える食えないとか、些細なことで人種差別問題に発展する。こんな調子だからムコ殿達は会えば争いになるわけだが、国家間の争い(?)の割に血生臭さも悲愴感も無く、逆にコミカルでさらりと描かれている。四女が遂にクリスチャンと結婚することになったが、何と相手は黒人で、またまた異人種の登場である。ここで、それまでのいがみ合いは何処へやら、花婿3人衆は団結して破談に追い込ませようとする。何故黒人だとそんなに嫌うのか描かれていないが、ここもさらりとしたもので、まるで子供のケンカのようで、様々な画策が悉く失敗するのが笑える。さらに、この黒人青年の父親が大のフランス人嫌いなもんだから、問題はさらに複雑になるのだが、その後父親達も意気投合し結託するようになる、その過程がさらに笑いを誘う。  考えてみれば、立場が違えば主張が違うのは当たり前のことで、この花婿達の言い分も各々の人種の立場から言えば、どれも筋が通っていることになる。観ているこちらもいつの間にかそのことに納得させられているのだろうか、自然とムコ殿達を1人の人間として見ていて、最終的にはあまり『対立』しているようには観えてこない。そうして本来なら切実な問題を笑い飛ばしてくれる、それがこの作品の成功要因であろう。人種問題はこういう風にも描けるんだ、ということを観せてくれた。実に平和的な作品だ。  花婿3人衆が雪だるまを作るシーンが印象的だった。雪だるま一つにもお国柄の違いがあり、それぞれの国の習慣が一つに集約された、変わっただるまが出来上がる。世界も各国の特色を尊重して一つになれれば、このだるまが地球に見える日が来るのかな。
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[028]劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ 神速(しんそく)のゲノセクト ミュウツー覚醒
 シリーズは覚醒したか?初代黒龍2017-01-14
 
 ベストウィッシュは初めて観たが、サトシのパートナーが替わった以外はあまり変動は無いようだ(変わったと言えば、毎回女の子のヘアスタイルが個性的だが、このシリーズのそ・・・
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 ベストウィッシュは初めて観たが、サトシのパートナーが替わった以外はあまり変動は無いようだ(変わったと言えば、毎回女の子のヘアスタイルが個性的だが、このシリーズのそれはチョット異常だ)。  シリーズの更新と共に内容にも変化があるかどうか、これはTV版を丹念にチェックするしかないだろうが、劇場版第1作のミュウツーを新シリーズに出すというのはどうしたことか。原点回帰ということか、それとも単なるネタ切れか、とついつい悪い方に考えてしまう。ミュウツーは人造のポケモンであり、人間で言えば私生児である、という出生時の傷を常に引きずって生きていて、数多いポケモンの中でも唯一と言える異端者である。それは見方によっては、個性であり魅力でもあるが、いずれにしても何度も出演させるのは惜しいキャラだと思う。そのミュウツー再登場だが、今回の主人公ゲノセクトが蘇ったポケモンであり、彼らは現代に居場所が無い、という点がミュウツーと共通するものだから、というのが理由ではいささか弱い。しかもゲノセクトと戦うことで、結果的にミュウツーが正義の味方になっているのも如何なものか。第1作のファンとしては、ちょっと引っかかる。  もう一つ引っかかるのが、ゲノセクトの容姿だが、数億年前から存在していた割にはかなり近代的だし、モンスターと言うよりサイボーグに近い。第一これって、「ニューヨーク東8番街の奇跡」のパクリじゃない?いっそのことミュウツーに似た外見にした方が良かったと思うけど。  これまでのシリーズと大きく違っているのは、ポケモン達が人間(ポケモンマスター)の指示ではなく、自らの意志でゲノセクトに戦いを挑んでいること。ポケモンのコンセプトからは逸脱するけれど、モンスターという意味ではこれは原点である。物語の終盤でサトシが、もう争いはやめろ、とバトルの仲裁に入るあたりも、何だか新鮮なものに観えた。たまにはこういう展開も悪くない。  いきものがかりによるエンディング曲が良かった。  ミュウツー(声は高島礼子)の名セリフ。  「必要があるから生まれた」
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[029]劇場版ポケットモンスター/アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオ
 従順と友情初代黒龍2017-01-06
 
劇場版第1作に登場したミュウは、なかなか魅力的なキャラクターで、出番が少ないうえに細かく飛び回るので、観ていても捉えにくいあたりは、『幻の』という肩書が生かされて・・・
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劇場版第1作に登場したミュウは、なかなか魅力的なキャラクターで、出番が少ないうえに細かく飛び回るので、観ていても捉えにくいあたりは、『幻の』という肩書が生かされているし、あんな小さな体に驚くほどパワーを秘めている意外性が特に良かった。 そのミュウがタイトルに付いたので期待して観たが、少々勝手が違う印象を受けた。もう一つのタイトルロールであるルカリオが主役なのは当然だが、主役がサトシとダブルキャストという感じだ。サトシはポケモン(特にピカチュウ)を仲間として、常に友好関係を保っているが、ルカリオは伝説の勇者アーロンの僕(しもべ)であり、こちらは主従関係が基本になっていて、いわば思想の違う者同士で、それが共闘するのは何だか変だ(実際、何度か衝突もする)。それで最終的に分かり合うには、途中のシーンでの説得力に欠けている(封印された過去が解かれるシーンで、アーロンがルカリオを「友」と呼ぶが、最後までルカリオは人間に仕える立場を崩さなかった。そういえばルカリオのデザインが犬に似ているのは、人間の傍に居るから、ということの象徴かな?)。 物語の見せ場は『世界の始まりの樹』を舞台にしたアドベンチャーだが、このパターンは「天空の城ラピュタ」や「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」でもやっているので、新鮮味が無いと言うより模倣したように観える。主人公達が何度か言う「波導は我にあり」というセリフも、「スターウォーズ」シリーズの「フォースと共に」にイメージが似ている。せっかく迫力があり、重要でもあるシーンが、他の映画を思い出させるものになっているのが残念だ(そういう風に観ているこちらにも問題があるかな)。 ラストの、アーロンがチョコレートを口にするシーンが一番印象的だった。思えば、アーロンがルカリオと対等の立場で「分かち合えたもの」は、あのチョコだけだったのでは?
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[030]ヤクザと憲法
 特別の中の日常初代黒龍2016-12-31
 
映画館で観たが、途中退屈して居眠りした。過日BSで放送されたのを観て、やはり退屈した。何故退屈したのか考えたら、画面を観ていてもごく普通の日常の風景にしか観えなか・・・
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映画館で観たが、途中退屈して居眠りした。過日BSで放送されたのを観て、やはり退屈した。何故退屈したのか考えたら、画面を観ていてもごく普通の日常の風景にしか観えなかったからだ。ヤクザの事務所にカメラが入ること自体が特別なことだから、観ているこちらは相当特別な映像が撮れたのだろうと、勝手に期待していただけのことで、実際のヤクザはこういうものだということを観せられているわけだ。そうするとヤクザも民間人も同じ人間で、組織に上下関係があり、部屋住みが下働きしたり、幹部が責任者としての悩みを抱えていること、どれも同じ日常ということになる(部屋の隅に置かれたテントの箱を見たリポーターが、マシンガンとかじゃないんですかと聞くと、構成員から映画の見過ぎですよと笑われるシーンがあるが、これなど『特別なものを撮りたい』ことの現れだろう)。 山口組系の顧問弁護士のエピソードは、かなり象徴的だった。映画の中では軽い感じの人だが、重い十字架を敢えて背負うことを選んだのは事実だ。そういう生き方もある、と世間は解釈しないのだろうか、小さな事件の有罪判決を受けて彼は失職する。これは暴力団排除に名を借りた人権侵害ではないのか?社会というものは、『そぐわないもの』はイコール敵とみなして排除しようとする傾向がある。ネットに画像を投稿することが安易になった現代は特にそうで、まるで自分以外は皆敵のように勝手にそぐわないものと断定して情報を流出させている。投稿と言うより、ただのチクリだし、この方がよっぽど暴力だ。 会長から構成員まで、誰が何を聞かれてもちゃんと答えているのが印象的だった(何ヶ所か口ごもったり、答えを濁した所はあったが)。「別に」とか「普通」とか「関係ねぇだろ」なんて言わず、YES・NOをはっきりさせる言い方をする。そういう点は、むしろスッキリする。 ラストでリポーターが、ヤクザをやめるという選択肢もあるのではと聞くと、どこが受け入れてくれるんですか、と逆に聞き返した会長の目は、ヤクザの立場から見た社会への憤りを感じた。一方、部屋住みの構成員は同じ質問に、やめる気はありませんと言い切る。おそらく彼は、社会というものに適合出来ないから、反社会的と言われるヤクザの世界に身を置くしか道がなかったのだろう。この映画を観たからといって、ヤクザを肯定的に見る気は無い。だが、彼らも人間であり、この社会の中で生きているのである。
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