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 「初代黒龍」さんのコメント一覧 登録数(30件)rss
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[001]最後のブルース・リー/ドラゴンへの道
 一番輝いていたブルース・リー初代黒龍2017-03-18
 
  ブルース・リーの生涯についての書籍や映像に触れていると、32年という短い生涯が50年も80年も生きたように思える。本人はやり残したこと、思い残すことが多々あっただろう・・・
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  ブルース・リーの生涯についての書籍や映像に触れていると、32年という短い生涯が50年も80年も生きたように思える。本人はやり残したこと、思い残すことが多々あっただろうが、年数よりも十分に充実した人生を生き切ったはずだし、目的も無く何かを成し遂げたわけでもなく、ただ長生きだけした人生よりよっぽど有意義だ。  この作品の頃のリーは、精神的にも肉体的にも、生涯で一番絶好調だったであろう。アクションシーンの動きも軽いし(目の前にいる二人を相手に、長い棒で一人を突き、持ち替えてもう一人を打ち払うシーンがあるが、ワンショットで5秒もかかっていない)、また表情が豊かで笑顔が多いのは演技だけではないと思う。  プライベートで友人である共演者が良く映っていた。ノラ・ミャオは大変魅力的で、ユニコーン・チャンのラストのセリフも印象的だった(すべてを解決して去っていく主人公の後ろ姿を見ながら、彼の将来を不安に感じていて、ハッピーエンドにしていない)。  カンフー映画の多くはストーリーが単純で、仲間だと思っていたのが実は敵だった、というようなドンデン返しはまず無いが、この作品はそれを取り入れていて、こんな所に脚本も担当したリーの新しいものを作りたい熱意が感じられた(その後の展開でこの要素が生かされなかったのが弱いが)。  チャック・ノリスとの決闘シーンは、格闘技ファンには必見である。当初リーの方がボコボコやられるが、おもむろにフットワークを始める。相手のリズムに乗らず、流れを変えるためである。リーが顔面にハイキックを入れて、すぐに膝を蹴るシーンがあるが、ハイキックがフェイントだとしても、よけられても相手の注意が逸れる足元を狙うというのは、実戦としてのセオリー通りだ(しかもこの関節蹴りが、正確に膝のお皿に命中している。もちろんこれらもワンショットで撮っている)。  この作品と、次回作の「燃えよドラゴン」をDVDで観比べてみたが、後者は明らかに顔色が悪い。当時ブルース・リーが、背骨を痛め、脳性の病気に犯され、その苦しさから逃れるため麻薬を常用していたことは、文献等で明白だが、それが映像ではっきり分かるのは何だか寂しい。  
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[002]姉日記
 明るさを感じるポルノ映画初代黒龍2017-03-11
 
いつ頃からだったのだろう。日活ロマンポルノのイメージが、かつての西日の差し込む四畳半で男と女が汗だくでくんずほぐれつ、みたいな何となく後ろめたい感じだったものが、・・・
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いつ頃からだったのだろう。日活ロマンポルノのイメージが、かつての西日の差し込む四畳半で男と女が汗だくでくんずほぐれつ、みたいな何となく後ろめたい感じだったものが、人物描写も含めて作品そのものに明るさを感じるようになったのは(会社のロゴも、平仮名で分かり易い『にっかつ』になった)。美保純あたりからだろうか、だが他社の一般作品にヌードシーンが増えて、普通の女優が脱ぐことが特別ではなくなったのもその頃からだろう(観ようによっては、美保純主演のロマンポルノは青春映画と言えなくもない)。  この作品は、そうした新しい流れの中の1本だろう。姉と弟が主人公だから、当然怪しい関係がテーマかと思いきや、姉は上司と不倫、弟は若いツバメで、それぞれよろしくやっている(近親相姦に近いシーンもあるが、このきょうだいの危うい関係を象徴するようなエピソードとして挿入されている)。こういうあっけらかんとした情景を単純に明るさとは言い難いが、一言で言えば時代は変わったということだろう。   何ヶ所か出て来るセックスシーンが、西日どころか陽光の元で、文字通り明るく営んでいるのも時代の変化を感じる。小田かおると南城竜也のホテルでのベッドシーンが、途中からアダルトビデオのスタジオ撮影みたいな描写になるのが斬新的だ。小田かおるはホテルのフロント嬢の役で、「セーラー服百合族」よりも大人の色気を感じさせて、脱がないシーンでも十分可愛い。逆に「スケバンマフィア恥辱」の主役が印象的だった倉吉朝子が、彼女の不倫相手の妻という脇役に下がってしまったのは世代交代ということか。   ラストで姉は弟に、私が男っぽくなった方がいいのね、と言って髪を切ってしまう。撮影のサイクルの短いポルノ女優がそんなことしていいの?と、映画を観ながらつまらない心配をしてしまった。映画の中で髪を切った女優と言えば、「化身」の黒木瞳、「大地の子守歌」の原田美枝子、「はいからさんが通る」の南野陽子、「世界の中心で、愛をさけぶ」の長澤まさみ、外国映画では「若草物語」のジューン・アリソン、「さすらいの航海」のリー・グラント、「GIジェーン」のデミ・ムーア、「私の中のあなた」のキャメロン・ディアスと、錚々たる顔ぶれだ。ポルノといえども、女優魂に差は無いのだっ!その小田かおる、30代以降は熟女役としても惜しげもなくヌードを披露していたが、現在は脳梗塞のため歩行も出来ない体になったと聞いた。
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[003]おもちゃの国
 短編映画の教科書的作品初代黒龍2017-02-23
 
  以前、某俳優が、役者というのは素晴らしい仕事で、脚本が多少悪くても役者が良ければいいモノが出来る、という旨の発言をしていた。俳優のプライドがそう言わせているのだ・・・
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  以前、某俳優が、役者というのは素晴らしい仕事で、脚本が多少悪くても役者が良ければいいモノが出来る、という旨の発言をしていた。俳優のプライドがそう言わせているのだろうが、ポスターに名前が在るだけで客を呼べた昔と違って、スター不在の現在では役者が良ければ、と一言では言い切れまい。やはり映画は、脚本(ホン)の良し悪しが大前提だろう。   その意味では、この映画は模範的な作品である。第二次大戦中、ドイツ人がユダヤ人と家族ぐるみの友人という設定が、まず意表を突いている。しかし、ユダヤ人の強制連行という現実も、映画は冷たく映している。なぜ連れて行かれるのか問い続けるドイツ人少年に、母は『おもちゃの国』に行ったと苦し紛れに言ってしまう。少年は自分も行くと家を飛び出し、母は慌てて追いかける。このシーンの編集は、実にお見事!少年と母とのタイムラグを、敢えて時系列を無視して構成しているが、最終的にはナチス兵に追い返されて仕方なく帰宅する少年のシーンと、発車目前のユダヤ人連行用の列車に間に合う母のシーンが、自然な流れで融合されている。今更間違えたとは言えない母は、機転を利かせてユダヤ人少年を息子だと言い、その両親もせめて息子だけ助けようと列車から降ろす。ナチス幹部の、何故こんな間違いが起きたのか調べて報告しろ、というセリフには、観ていてザマァみろと思った。この作品、冒頭はピアノを弾く2人の少年の手のアップで、ラストは2人の成人男性の手のアップで、ピアノには連行されたユダヤ人夫婦の写真が置かれている。   これだけ濃い内容をよくぞ10数分に収めた、と言うより、これ以上長くも短くも出来ないまでに仕上げた完成度の高さ!役者の演技も良かったけど、この作品は脚本の勝利である。戦争の暗部を描いてはいるが、何度も観たくなる大好きな作品だ。   僕はBSの特集番組でたまたま観ることができたが、短編映画が陽の目を見る機会が少ない現状は、何とも惜しい限りだ。
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[004]マリアンヌ
 ロバート・ゼメキス!初代黒龍2017-02-15
 
サスペンスは、横糸が少ないとラストが簡単に推測できて、多過ぎると訳が分からなくなる。男女の愛を描く場合、すれ違いが多いと関係が希薄に観えて、一途な愛なら描き方も真・・・
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サスペンスは、横糸が少ないとラストが簡単に推測できて、多過ぎると訳が分からなくなる。男女の愛を描く場合、すれ違いが多いと関係が希薄に観えて、一途な愛なら描き方も真っ直ぐでないと画面に精彩を欠く。この作品、その両方が見事にブレンドされて、サスペンス映画としても恋愛映画としても、実に観応えがある。第2次大戦中、極秘任務を遂行する男女が偽装の夫婦となったが、本当に愛し合い結婚する。子供にも恵まれ、幸福な日々を過ごすが、妻にスパイ疑惑がかけられる。ここからサスペンスをはらんだ様々な横糸が張られてくるが、過去の彼女のセリフに疑惑を匂わせるものもあれば、見るからに怪しい奴が彼女の近辺に現れたり、このバランスが絶妙で、観ているこちらも(実は嘘であって欲しい、という期待もあり)最後まで翻弄される。一方、夫の方は、当初から妻を疑うことは微塵も無く、何としてでも彼女の疑惑を晴らす為に、かなり無茶なやり方で『戦い』を始める。これ程一途な愛を貫ける男はそう簡単にはお目にかかれないだろうし、これがまた絵になるのだから大したものだ。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以来ロバート・ゼメキス作品と聞けば、それだけで飛びついてしまうほど好きな監督だが、ここ数年は「フライト」「ザ・ウォーク」と、面白いけど今一つ物足りなさを感じていたので、この作品で久し振りに大満足致しました。 マリオン・コティヤールは、名前は知っているけど作品を観た記憶がない(「ビッグ・フィッシュ」は観たけど、どこに出ていたか覚えていない)が、この作品の彼女は、自身がフランス人であることを上手く生かしていて魅力的だ。 ブラッド・ピットは、幾つになっても存在感が全く変わらない。これ程『自分』というものが崩れない俳優も珍しい(かつては、『スター』と呼ばれる人は、みんなそうだったと思うけど)。走り回るシーンが多いせいだろうけど、彼は前髪が乱れてくると魅力がさらに増してくる(そう思っているのは僕だけかな?)。
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[005]王になった男
 男になった男初代黒龍2017-02-04
 
  イ・ビョンホン初の二役という話題が先行したが、暴君である朝鮮王が毒を盛られて意識不明になり、王に瓜二つの男が替え玉を演らされる話だから、二役と言っても片方の役は・・・
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  イ・ビョンホン初の二役という話題が先行したが、暴君である朝鮮王が毒を盛られて意識不明になり、王に瓜二つの男が替え玉を演らされる話だから、二役と言っても片方の役は殆んど登場しない。ところでこの男、なかなかの勉強家で、ただ王のふりをして座っていればいいのに、自ら国政に関与するようになり、しかもその政策が良い結果を生んでいるから大したもの。側近の女官達が王の食事の残りを食べていると知った替え玉は、わざと自分の食を減らして下げさせるので、女官達は久し振りに米が食べられると大喜び。妃の兄が謀反人として捕えられているが、あっさり釈放してしまう。妃が交換条件は何かと聞くと、替え玉は王に笑顔を見せることが望みと答える。こんな風だから、周りの王を見る目も変わってくる。観ているこちらも替え玉であることが段々どうでもよくなってきて、彼がいかに『王』になっていくかに興味が湧いてくる。つまりこの作品は、一人の男の成長物語である。権力者でも肩書でもない、ただ国民のためになりたいと決意して、その通りに生きようとしている。王になった男は、『男』になったのである。    王の警護役の側近はウソをつけない性格で、彼だけが真実を知らないが、傍で見ているうちに偽物ではと疑い出し、遂に剣を抜く。妃の気転で助かるが、彼は王に刃を向けた責任を取って自害しようとする。これを制して王(替え玉)は言う。「王を守るべきお前が命を粗末にして、どうして王を守れる。王あってのお前であり、お前あっての王だ」。    ラストで本物の王は解毒によって回復し(二役とは言い難いと前述したが、ここで見せる替え玉を殺そうとする王の表情を、イ・ビョンホンは見事に演じ分けていた)、替え玉は逃亡する。ここで例の警護役が替え玉を手引きして、今度は追っ手を相手に剣を抜く。あいつは偽物だ、と言う追っ手に、「お前達にとっては偽物でも、俺にとっては本物の王だ」と叫んで斬りかかる。この作品、DVDで何度か観ているが、このシーンだけは何度観ても涙が止まらない。
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[006]劇場版ポケットモンスター/セレビィ 時を越えた遭遇(であい)
 タイムスリップ!初代黒龍2017-01-31
 
「ポケットモンスター」を観て首を傾げたのは、バトルとかゲットとか言って、戦わせて勝利すると相手のポケモンを奪えることで、子供が観るアニメとしては教育上よろしくない・・・
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「ポケットモンスター」を観て首を傾げたのは、バトルとかゲットとか言って、戦わせて勝利すると相手のポケモンを奪えることで、子供が観るアニメとしては教育上よろしくないだろう、ということ。しかし何度か観て気付いたが、これは昔懐かしいメンコのルールと同じですね。彼らは勝敗にこだわりつつも、負けてもあっさりしているし、勝っても相手の健闘を称え、ほとんどゲーム感覚である。本作の冒頭で、ポケモンの密猟者に対してユキナリ少年が、ポケモンは売り買いするものではない、と言い切るあたりは、彼らにとってバトルは聖域にも値すると主張しているように思える。   シリーズ全作を観ていないが、タイムスリップを扱った作品はおそらく本作だけだろう。しかも題名にもなっているこの特殊能力を、セレヴィは作中で1回しか使わない。なかなか魅力的なキャラで、あんな小さな体でそんな凄い力は、そりゃ何度も使えないだろうと妙に納得してしまったし、後半の傷だらけのセレヴィには感情移入さえしてしまう。   宮崎駿監督が手描きセルにこだわったのに対し、「ポケモン」は早くからCGを導入している。本作でも、セレヴィの飛行シーンにその成果は見事に発揮されている。   ロケット団の2人は、TVではバトルを無視してポケモンを横取りしようとするが、たいがい失敗する。自分達が言う通りラブリーチャーミーな仇役だが、劇場版ではこれといった出番が無く、単なる脇役でしかない。本作ではロケット団幹部が登場するので活躍を期待したが、やはり2人(と1匹)はオイシイところを持っていけない。もっと話の中に絡んで欲しいものだ。そう言えば、ムサシがサトシに言う『ジャリボーイ』も劇場版では聞かないな。   サトシ達と行動するユキナリ少年は、ポケモン観察用のスケッチブックをいつも手放さないが、時を越えてオーキド博士の書斎からそのスケッチブックが発見される。この凄いオチがエンドロールで描かれているのだが、映画館に来ていた子供達はわかったかなー?
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[007]ルパン三世 血の刻印 〜永遠のMermaid〜
 可愛らしいだけじゃない初代黒龍2017-01-31
 
 「ルパン三世カリオストロの城」の宣材写真を初めて見た時、随分子供っぽい顔立ちのルパンだなーと、第一印象は拍子抜けだった(本編を観たら、あまりの完成度の高さに腰が抜・・・
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 「ルパン三世カリオストロの城」の宣材写真を初めて見た時、随分子供っぽい顔立ちのルパンだなーと、第一印象は拍子抜けだった(本編を観たら、あまりの完成度の高さに腰が抜ける思いがした)。本作のキャラクターデザインも、同じように全員可愛らしく描かれていて、悪役に毒気が無い所も似ている(「フランダースの犬」の作画監督だそうで)。そういう意識で観ているからだろうか、ルパンが少女を盗み(助け?)出そうとすること、悪役が狙うお宝には長い歴史と因縁があり悪役はその子孫であること、ラストにルパンのキスシーンがあること等、「カリオストロの城」と類似点を感じる。   ルパンに弟子入りを志願する少女、五右衛門のライバルとなる笹の葉のような刀剣を自在に操る用心棒と、脇役の活躍も面白い。「ゲゲゲの鬼太郎」から「銀河鉄道999」まで、いつも少年の声で主演していた野沢雅子が、ルパンを強迫する中年女性で脇役というのが意外だった(もう少し声を聞きたかったが、あっさり殺されてしまう)。   ルパンが次元に、何故こんな稼業を続けているんだろう、とつぶやくシーンも意外だった。ルパンは我が道を行くようだが、背負った宿命の重さも痛感している、少々哲学的なことを言ってるが、舞台が日本だからなのか、そうした精神性みたいなものが妙に合っていた。 人魚の血を得た悪党が超人ハルクみたいに変身するシーンがクライマックスだが、さほど盛り上がりを感じないし、可愛らしく絵柄で助かってはいるが、実に気色悪い。やはり悪役が変身する「愛のダ・カーポ/FUJIKO\'s Unlucky Days」にも同じことが言える。変身ではないが、劇場版第1作「ルパンVS複製人間」もこれに近い雰囲気だった。どうやら「ルパン三世」にオカルトは似合わないようだ。    ラストでヒロインは、人魚の呪いが解けて普通の体になる(ケガをしても、すぐには治らない)が、これは無くても良いと思った。自分の過去は変えようがない、という事実を受け止めたうえで新しい人生を始める、というラストでも良いのでは?…って、また「カリオストロの城」に戻っちゃった。
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[008]この世界の片隅に
 観る前から予感した名作初代黒龍2017-01-29
 
予告編を観た瞬間、この映画絶対に観に行こうと思い、公開日を待つ間に、自分の中でベスト3に入るのではと期待が膨らみ、遂に映画館に行ったら、文字通り時間の経つのも忘れ・・・
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予告編を観た瞬間、この映画絶対に観に行こうと思い、公開日を待つ間に、自分の中でベスト3に入るのではと期待が膨らみ、遂に映画館に行ったら、文字通り時間の経つのも忘れた。「観ていた」と言うより「浸っていた」と表現した方が妥当、という体験をさせてくれる作品だ。 戦争そのものより戦時下に生きた人々を描いた映画は過去に何作かあった。「東京大空襲ガラスのうさぎ」は、その類いでは教科書的な作品だが、息を抜けるシーンが殆ど無いので結構重い。「戦場の小さな天使たち」は逆にユーモラスなシーンがいくつもあり(特に焼夷弾が学校に堕ち、子供達が狂喜乱舞するラストは笑えた)、この辺は国民性の違いみたいなものを感じた。アニメ「火垂るの墓」は忘れ難いが、どうしようもない悲劇を救いようのない物語に仕上げられたので、名作だとは思うが2度観る勇気は無い。 本作は、そうした観点からみても、別格に分類出来るほどの独自性を感じる。『ほんわか』という日本語がピッタリする、何ともほんわかした画面は、いつもボーッとしているヒロインすずさんの心象風景そのものだ。粗末な物しかない食事の風景や、弾が雨のように落ちてくる空襲シーンにしても、この『ほんわか』した絵柄ですべて表現出来てしまうのはお見事である。反戦思想の色は薄い作品だが、何が起きようと生きていく人々の描き方に、その思想は十分に伝わってくる。人物の手足がやけに大きく描かれているが、たとえ戦時下であろうと、大地に踏ん張って、自由と平和な生活をつかみ取ろうと生きている、ということの象徴かと思った。 のんのアテレコが実に良く、声だけだが演じ切ったという感じがする(アテレコに俳優を使うと、その人の顔が浮かんできて画面に集中出来ないものがある。「もののけ姫」の田中裕子、「ハウルの動く城」の倍賞千恵子、「ファインディング・ニモ」の室井滋なんかがそうだった) すずさんが、不自由になった右腕に鉛筆を縛り付けて、これからは戦後の風景を描き続けて欲しい、映画館内が明るくなる頃そんなことを思った。 
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[009]最高の花婿
 国境なき家族 初代黒龍2017-01-23
 
 2本立ての映画館でついでに観た方だが、やたら面白くて却って得した気分になった。  大富豪にして敬虔なクリスチャンのフランス人夫妻には4人の娘がいるが、長女はアラブ人・・・
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 2本立ての映画館でついでに観た方だが、やたら面白くて却って得した気分になった。  大富豪にして敬虔なクリスチャンのフランス人夫妻には4人の娘がいるが、長女はアラブ人、次女はユダヤ人、三女は中国人と、結婚相手が国籍も宗教もバラバラ。きょうだいが集まって食事をしても、最近のニュースはもちろん、肉が食える食えないとか、些細なことで人種差別問題に発展する。こんな調子だからムコ殿達は会えば争いになるわけだが、国家間の争い(?)の割に血生臭さも悲愴感も無く、逆にコミカルでさらりと描かれている。四女が遂にクリスチャンと結婚することになったが、何と相手は黒人で、またまた異人種の登場である。ここで、それまでのいがみ合いは何処へやら、花婿3人衆は団結して破談に追い込ませようとする。何故黒人だとそんなに嫌うのか描かれていないが、ここもさらりとしたもので、まるで子供のケンカのようで、様々な画策が悉く失敗するのが笑える。さらに、この黒人青年の父親が大のフランス人嫌いなもんだから、問題はさらに複雑になるのだが、その後父親達も意気投合し結託するようになる、その過程がさらに笑いを誘う。  考えてみれば、立場が違えば主張が違うのは当たり前のことで、この花婿達の言い分も各々の人種の立場から言えば、どれも筋が通っていることになる。観ているこちらもいつの間にかそのことに納得させられているのだろうか、自然とムコ殿達を1人の人間として見ていて、最終的にはあまり『対立』しているようには観えてこない。そうして本来なら切実な問題を笑い飛ばしてくれる、それがこの作品の成功要因であろう。人種問題はこういう風にも描けるんだ、ということを観せてくれた。実に平和的な作品だ。  花婿3人衆が雪だるまを作るシーンが印象的だった。雪だるま一つにもお国柄の違いがあり、それぞれの国の習慣が一つに集約された、変わっただるまが出来上がる。世界も各国の特色を尊重して一つになれれば、このだるまが地球に見える日が来るのかな。
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[010]劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ 神速(しんそく)のゲノセクト ミュウツー覚醒
 シリーズは覚醒したか?初代黒龍2017-01-14
 
 ベストウィッシュは初めて観たが、サトシのパートナーが替わった以外はあまり変動は無いようだ(変わったと言えば、毎回女の子のヘアスタイルが個性的だが、このシリーズのそ・・・
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 ベストウィッシュは初めて観たが、サトシのパートナーが替わった以外はあまり変動は無いようだ(変わったと言えば、毎回女の子のヘアスタイルが個性的だが、このシリーズのそれはチョット異常だ)。  シリーズの更新と共に内容にも変化があるかどうか、これはTV版を丹念にチェックするしかないだろうが、劇場版第1作のミュウツーを新シリーズに出すというのはどうしたことか。原点回帰ということか、それとも単なるネタ切れか、とついつい悪い方に考えてしまう。ミュウツーは人造のポケモンであり、人間で言えば私生児である、という出生時の傷を常に引きずって生きていて、数多いポケモンの中でも唯一と言える異端者である。それは見方によっては、個性であり魅力でもあるが、いずれにしても何度も出演させるのは惜しいキャラだと思う。そのミュウツー再登場だが、今回の主人公ゲノセクトが蘇ったポケモンであり、彼らは現代に居場所が無い、という点がミュウツーと共通するものだから、というのが理由ではいささか弱い。しかもゲノセクトと戦うことで、結果的にミュウツーが正義の味方になっているのも如何なものか。第1作のファンとしては、ちょっと引っかかる。  もう一つ引っかかるのが、ゲノセクトの容姿だが、数億年前から存在していた割にはかなり近代的だし、モンスターと言うよりサイボーグに近い。第一これって、「ニューヨーク東8番街の奇跡」のパクリじゃない?いっそのことミュウツーに似た外見にした方が良かったと思うけど。  これまでのシリーズと大きく違っているのは、ポケモン達が人間(ポケモンマスター)の指示ではなく、自らの意志でゲノセクトに戦いを挑んでいること。ポケモンのコンセプトからは逸脱するけれど、モンスターという意味ではこれは原点である。物語の終盤でサトシが、もう争いはやめろ、とバトルの仲裁に入るあたりも、何だか新鮮なものに観えた。たまにはこういう展開も悪くない。  いきものがかりによるエンディング曲が良かった。  ミュウツー(声は高島礼子)の名セリフ。  「必要があるから生まれた」
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[011]劇場版ポケットモンスター/アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオ
 従順と友情初代黒龍2017-01-06
 
劇場版第1作に登場したミュウは、なかなか魅力的なキャラクターで、出番が少ないうえに細かく飛び回るので、観ていても捉えにくいあたりは、『幻の』という肩書が生かされて・・・
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劇場版第1作に登場したミュウは、なかなか魅力的なキャラクターで、出番が少ないうえに細かく飛び回るので、観ていても捉えにくいあたりは、『幻の』という肩書が生かされているし、あんな小さな体に驚くほどパワーを秘めている意外性が特に良かった。 そのミュウがタイトルに付いたので期待して観たが、少々勝手が違う印象を受けた。もう一つのタイトルロールであるルカリオが主役なのは当然だが、主役がサトシとダブルキャストという感じだ。サトシはポケモン(特にピカチュウ)を仲間として、常に友好関係を保っているが、ルカリオは伝説の勇者アーロンの僕(しもべ)であり、こちらは主従関係が基本になっていて、いわば思想の違う者同士で、それが共闘するのは何だか変だ(実際、何度か衝突もする)。それで最終的に分かり合うには、途中のシーンでの説得力に欠けている(封印された過去が解かれるシーンで、アーロンがルカリオを「友」と呼ぶが、最後までルカリオは人間に仕える立場を崩さなかった。そういえばルカリオのデザインが犬に似ているのは、人間の傍に居るから、ということの象徴かな?)。 物語の見せ場は『世界の始まりの樹』を舞台にしたアドベンチャーだが、このパターンは「天空の城ラピュタ」や「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」でもやっているので、新鮮味が無いと言うより模倣したように観える。主人公達が何度か言う「波導は我にあり」というセリフも、「スターウォーズ」シリーズの「フォースと共に」にイメージが似ている。せっかく迫力があり、重要でもあるシーンが、他の映画を思い出させるものになっているのが残念だ(そういう風に観ているこちらにも問題があるかな)。 ラストの、アーロンがチョコレートを口にするシーンが一番印象的だった。思えば、アーロンがルカリオと対等の立場で「分かち合えたもの」は、あのチョコだけだったのでは?
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[012]ヤクザと憲法
 特別の中の日常初代黒龍2016-12-31
 
映画館で観たが、途中退屈して居眠りした。過日BSで放送されたのを観て、やはり退屈した。何故退屈したのか考えたら、画面を観ていてもごく普通の日常の風景にしか観えなか・・・
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映画館で観たが、途中退屈して居眠りした。過日BSで放送されたのを観て、やはり退屈した。何故退屈したのか考えたら、画面を観ていてもごく普通の日常の風景にしか観えなかったからだ。ヤクザの事務所にカメラが入ること自体が特別なことだから、観ているこちらは相当特別な映像が撮れたのだろうと、勝手に期待していただけのことで、実際のヤクザはこういうものだということを観せられているわけだ。そうするとヤクザも民間人も同じ人間で、組織に上下関係があり、部屋住みが下働きしたり、幹部が責任者としての悩みを抱えていること、どれも同じ日常ということになる(部屋の隅に置かれたテントの箱を見たリポーターが、マシンガンとかじゃないんですかと聞くと、構成員から映画の見過ぎですよと笑われるシーンがあるが、これなど『特別なものを撮りたい』ことの現れだろう)。 山口組系の顧問弁護士のエピソードは、かなり象徴的だった。映画の中では軽い感じの人だが、重い十字架を敢えて背負うことを選んだのは事実だ。そういう生き方もある、と世間は解釈しないのだろうか、小さな事件の有罪判決を受けて彼は失職する。これは暴力団排除に名を借りた人権侵害ではないのか?社会というものは、『そぐわないもの』はイコール敵とみなして排除しようとする傾向がある。ネットに画像を投稿することが安易になった現代は特にそうで、まるで自分以外は皆敵のように勝手にそぐわないものと断定して情報を流出させている。投稿と言うより、ただのチクリだし、この方がよっぽど暴力だ。 会長から構成員まで、誰が何を聞かれてもちゃんと答えているのが印象的だった(何ヶ所か口ごもったり、答えを濁した所はあったが)。「別に」とか「普通」とか「関係ねぇだろ」なんて言わず、YES・NOをはっきりさせる言い方をする。そういう点は、むしろスッキリする。 ラストでリポーターが、ヤクザをやめるという選択肢もあるのではと聞くと、どこが受け入れてくれるんですか、と逆に聞き返した会長の目は、ヤクザの立場から見た社会への憤りを感じた。一方、部屋住みの構成員は同じ質問に、やめる気はありませんと言い切る。おそらく彼は、社会というものに適合出来ないから、反社会的と言われるヤクザの世界に身を置くしか道がなかったのだろう。この映画を観たからといって、ヤクザを肯定的に見る気は無い。だが、彼らも人間であり、この社会の中で生きているのである。
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[013]甘い人生
 イ・ビョンホンの魅力初代黒龍2016-12-29
 
こんなに平然と殺人が連続されたんでは、『R―』いくつに指定すればいいのやら。  物語は早い話がヤクザのモメ事だが、日本のヤクザものとは何か違う。日本は家族的か、組織・・・
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こんなに平然と殺人が連続されたんでは、『R―』いくつに指定すればいいのやら。  物語は早い話がヤクザのモメ事だが、日本のヤクザものとは何か違う。日本は家族的か、組織としてのヤクザを描くが、この作品はあくまで一匹狼として、である。主人公は何度か窮地に追い込まれるが、成程こんなやり方があるんだ、という感じで切り抜ける。その辺は観応えがあるが、所詮はただの殺し合いで、主人公がラストで言う通り、ただむなしいだけ。ラストで主人公は、例え話もつぶやいていてこれが題名の由来になっているが、ここが印象的なので映画としてはうまくおさまっている。  それにしてもイ・ビョンホンは器用な俳優だな。
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[014]海賊とよばれた男
 山崎貴監督作品初代黒龍2016-12-27
 
実話の映画化ということを意識せず、単なる娯楽映画として観た方が観応えがある。 老若取り混ぜて個性的で熱いタイプの俳優をよくぞ揃えたもので、戦争を知らない世代が戦・・・
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実話の映画化ということを意識せず、単なる娯楽映画として観た方が観応えがある。 老若取り混ぜて個性的で熱いタイプの俳優をよくぞ揃えたもので、戦争を知らない世代が戦時下の生き様を演じることが普通になってきたのは良いことだ(しかし、『後継ぎ』にやたらとこだわり、それが主人公の破局にも繋がる、あの時代の風潮までは今の世代が共感出来るかな)。主人公には様々な試練が立ちはだかるが、退くどころかむしろ難問に立ち向かっている姿は、「天地明察」のイメージが強いせいか、岡田准一にはピッタリの役どころに観える。全編50〜60代の役だが、実年齢がそれ位である國村準と相対するシーンになると、やはりメイクで老けさせているのがハッキリするのが少々残念(ラストの死期が迫った老齢役は、メイクも演技も良かった)。 俳優達の演技も良かったが、どちらかというと山崎貴監督作品としての色合いが強い。VFX技術は実に素晴らしいもので、どの場面でどんな合成をしたか、売店で買ったパンフレットを見て後から驚かされた。 脚本で一番残念なのは、自社所有のタンカーの登場シーン。それまでタンカーの計画や建造、そのための資金調達等々が物語の中で全く描かれず、外国との取引が無くなり八方塞がりの状況でいきなり現れ、アレッと思っているうちに出航する。これではせっかくの壮大なシーンに全然感動出来ないし、おかげでイランルート開拓というクライマックスで盛り上がるべきシーンが、物語全体を通した一番のヤマ場のように観えないのが惜しい(ただ、社員は家族という店主の思想は全編に描かれているので、行けと言われれば何処でも行くという船長のセリフは十分に生かされていた)。 女性の出演者が極端に少なく、綾瀬はるか扮する店主の妻もあまり出番が無く、しかも身を引く役である。男が大事を成すには、何かを犠牲にしなければならない。そのことを象徴しているように思えた。
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[015]チャイルド44 森に消えた子供たち
 社会主義の恐怖初代黒龍2016-12-20
 【ネタバレ注意】
極度の閉塞状況の中で、わずかな正義感を見つけ出そうとする話。 旧ソ連の社会主義体制ってこんなに酷かったのか、と今更ながら認識させられるが、その一方でアメリカ映画だ・・・
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極度の閉塞状況の中で、わずかな正義感を見つけ出そうとする話。 旧ソ連の社会主義体制ってこんなに酷かったのか、と今更ながら認識させられるが、その一方でアメリカ映画だからロシアを悪く描いたのかな、とも思ってしまう(冷戦終結して久しいが、今でも米ロ関係は緊張状態だと聞いたことがある)。 とにかく暴行シーンが心理的にチクチクくる残虐さだし、人が簡単に殺され過ぎるし、何かコトが起こるとすぐにKGBが飛んでくるのがウンザリするし、そもそも全体的に画面が暗い。途中まで観ていて、こんなのいつまで観てなきゃいけないんだと思っていたが、主人公が子供達の死を連続殺人と確信して、真相を追い始めるあたりから面白くなってきた。仲間は奥さんだけの孤独な戦いで、わずかな協力者を頼ってもそいつがスパイだったり、情報収集にも数々の不信や妨害をかいくぐった後に、犯罪同然のやり方で遂に容疑者に辿り着く。しかし、この男は主人公と同じスターリン政権下の孤児で、戦争により人格がおかしくなっていたのだった。これでは彼は容疑者なのか被害者なのか分からない。こうして真相が明らかになったと思ったら、彼は突然射殺される。撃ったのは主人公に恨みを抱いていた男で、ここからは私的な格闘となるが、追ってきたKGBに向かって、彼は英雄だと偽証してその場は事なきを得る。咄嗟にこういうことが言えるのも、閉塞社会で生き抜くための処世術なのだろうな。 冒頭で主人公は、両親を殺された幼い姉妹のためにバッグに荷造りするが、ラストでその姉妹を引き取ることにした主人公は両手にバッグを抱えている。緊迫感と暴力の連続の映画だから、このシーンは唯一の暖かみを感じていいはずなのに、何だか幻想的に観えた。 ソ連が舞台なのに、言葉がすべて英語というのは如何なものか。製作した国の言葉で撮るのは仕方ないのかもしれないが、「ラストエンペラー」で幼い清朝皇帝が、家に帰りたいと英語で泣き叫ぶという妙な前例もあった(日本人俳優は日本語のセリフだから、余計にわけわかんない)。一番酷かったのは「従軍慰安婦」で、日本の軍人(中国人が演じた)が、天皇陛下万歳と中国語で叫んだ。何とかならんかね。
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[016]柳生一族の陰謀
 個人的には大好きな時代劇初代黒龍2016-12-16
 
 「忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻」で、吉良邸内の女中が大量のローソクを灯して、討ち入りしてきた赤穂浪士を先導するというシーンがあった。演じたのは美空ひばりで、端役とは・・・
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 「忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻」で、吉良邸内の女中が大量のローソクを灯して、討ち入りしてきた赤穂浪士を先導するというシーンがあった。演じたのは美空ひばりで、端役とはいえ大スターだからオイシイところを持って行かせたとしたらミエミエだし、いくら何でも史実と違い過ぎるでしょう。しかしながら時代劇というものは、歴史上の人物をモデルにしただけで、脚本が史実を無視していることをこちらは分かって観ているはずで、だからこそ時代劇は理屈抜きで楽しめるのである。  それにしてもこの作品は、徳川家光が三代将軍に就いた、その日に柳生十兵衛によって斬られるのだから、史実無視もここまでくると凄いものだ。とは言え、脚本がしっかりしていて130分の上映時間を少しもダレさせないので、うっかりするとホントはそうだったのかな、と思わされそうだ。加えてオールスターキャストの誰もが適役で(特に十兵衛役の千葉真一は、実にカッコいい)、その殆ど全員が死ぬ役というのも贅沢だし、何よりみんな若くて(深作欣二監督も萬屋錦之介も当時まだ40代で、新人扱いの真田広之は18歳だった)画面全体がとにかくパワフルだ。  この作品でパワーを使い果たしたのか、その後の東映時代劇が全く振るわなかったのは残念だ。「真田幸村の謀略」は途中まで観ていて首をかしげるような展開で、ラストの家康の首が飛ぶシーンは客席から笑い声があがった。要するに脚本がひどいのだ。  この作品については、評価というより反論の方が多いようだが、事実かどうかはともかく、これほど壮大なオリジナル脚本を書いたことを先ず評価すべきである。最近の日本映画の新作情報を入手するたび、『事実を元にした』ものがやたら多い。『事実』という言葉は、もう見飽きたし聞き飽きた。
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[017]マスク
 母は強い初代黒龍2016-12-16
 
 顔にしょうがいのある主人公の映画といえば、「エレファントマン」「ジョニー・ハンサム」はなかなか顔を見せず、「顔のない天使」は最後までボカしたかたちだが、この作品で・・・
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 顔にしょうがいのある主人公の映画といえば、「エレファントマン」「ジョニー・ハンサム」はなかなか顔を見せず、「顔のない天使」は最後までボカしたかたちだが、この作品では開巻間もなくハッキリと顔を出す。この時点で、何か違うなと感じた。単なるお涙頂戴の難病モノでなく、病気を通して母と息子の双方の立場から二人の絆を描いている点が特筆すべきものだ。何と言っても母親役のシェールは最高!脚本家は最初から彼女をイメージして書いたそうだが、それにしてもこれほどピッタリの配役は珍しい。奔放かつマイペース、時々常識外れになるが何故か憎めないのは、息子への愛情の深さが根底にあるからで、それを押しつけがましく描いていない所が上手い。恋人を欲しがる息子に、コールガール(それも黒人)を家に連れて来てしまうあたり、この母親がむしろ可愛らしく観えてくる。主人公は、結局この少女に指一本触れず、泊めてやり朝食までふるまう。こういうところにも彼の性格が上手く表現されている(別れ際に少女は、マスクのような彼の頬にキスをする。このシーンは印象的だった)。  発声にハンデのあるバイク仲間も印象に残った。学校で、マスクを取れよと主人公をからかう学生を見つけ、猛ダッシュで突っかかっていくが、あれはしゃべれない者の感情表現としては適切だと思う(「映画 聲の形」でも似たようなシーンがあった)。  昔、写真雑誌「FOCUS」に、この映画のモデルになった少年とその母の写真が載っていた。映画はメイクだとわかって観ているからすぐに受け入れられるが、たった1枚の写真でも実際のそれを見ると、この親子がどれ程か苦労をされたであろうか伝わって来た。
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[018]リアル鬼ごっこ
 不条理は難しい初代黒龍2016-12-13
 
 いかにも鬼ごっこらしい走るシーンの長回し、風という見えないものに追われる恐怖、その風があらゆる物を切り裂く残忍さ、ヒロインだけが生き残り逃げ続ける緊迫感、これだけ・・・
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 いかにも鬼ごっこらしい走るシーンの長回し、風という見えないものに追われる恐怖、その風があらゆる物を切り裂く残忍さ、ヒロインだけが生き残り逃げ続ける緊迫感、これだけの要素があれば十分に映像に引き込まれていく。ところが途中でヒロイン役が代わるあたりから流れがおかしくなり(篠田麻里子にドレスを着せて出演させなければならない裏事情でもあるのか、と邪推したくもなる)、ヒロインが置かれた時間も場所も不明確になるのは却って混乱するだけで、あの恐怖の風も何処吹く風と化してしまった。  逃げられない異常な空間といえば「CUBE」、止められない死の連鎖といえば「デッドコースター」、時間の歪みに翻弄される主人公といえば「シャッフル」、と不条理な恐怖を描いた作品はいくつかあった(これら3作はどれも続編が作られているから、こういう内容でも評価はされたんだろうな)。教師が突然銃を乱射して生徒を殺しまくる、とうのも不条理だが、ネタとしては悪くない。親友のアキの行動も怪しいものがあり、実はヒロインの敵かもしれない。考えてみると、鬼ごっこのオニになる要素はいくつもあるのだから、ヒロインや時間を入れ替えるなんて複雑なことをやるよりも、単純に『追う→逃げる』だけの図式で脚本を書いてくれた方が良かったと思う。それに、ヒロインのDNAをゲーム感覚で遊ぶマッドサイエンティストの老人はネタが古いし、せっかく登場した二枚目も全く存在感が無かった。いっそ登場人物全員を女性にした方が(途中まではそうだった)、より異常な世界を表現出来ただろうに、何だか物足りないというか惜しい気がする作品だ。  ところで、「恋の罪」で水野美紀をヘアヌードにした園子温監督をもってしても、トリンドル玲奈を脱がすのはブラジャー姿が限界だったのか?
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[019]シザーハンズ
 冷たさと暖かさと初代黒龍2016-12-07
 
ティム・バートン監督で主人公が人造人間、と聞いただけで、また例の世界観に引きずり込まれるのか、という先入観があって今まで敬遠していた。が、先日CSで観たら実に面白・・・
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ティム・バートン監督で主人公が人造人間、と聞いただけで、また例の世界観に引きずり込まれるのか、という先入観があって今まで敬遠していた。が、先日CSで観たら実に面白かった。皆様にオススメしたい1作である。  主人公エドワードは両手の指がハサミになっているため、いつも顔に傷があり、普通に食事もままならないが、次第にそのハサミを利用して植木剪定やヘアーカットに才能を発揮し、近所の婦人達から重宝がられるようになる。ところが、エドワードのハサミが合鍵にもなることを知った若僧が強盗の共犯にしたり、美容院経営を目論む女がエドワードを誘惑したりと、彼を利用しようとする輩が現れる。彼らは計画に失敗すると、今度は勝手な妄言で人々を扇動し始め、当初エドワードに友好的だった街の人々は、一転して彼を排斥しようとする。 奇妙な主人公による単なる娯楽作と思って観ていたら、実は辛口の風刺劇でもあったのだ。舞台となる街が、どの家も一色に塗り分けられ、住人の服もほぼ一色、それも結構派手なのが笑えるが(「未来世紀ブラジル」のレストランのシーンで、出て来る料理がみんな2個の丸い物体で、色が違うだけというのを思い出した)、あれは人々が画一化されているという皮肉なのかな。一部の情報を正誤の確認無しに盲信して、結局その情報に操られてしまうのは、情報過多の現代ではすぐにも起こり得ること。あの色分けは個性ではなく、実は閉鎖性の象徴である、とは何たる皮肉であろうか(エドワードが銀行に行くと、看板が「○○銀行」でなく、ただ「BANK」と書かれているだけだった。1シーンだが、これも冷たい印象を受けた)。 ジョニー・デップは好きな俳優の一人だが、「フェイク」「ブラック・スキャンダル」では冷たい男を憎々し気に演じていたかと思うと、「ギルバート・グレイプ」「ショコラ」では物静かな善人であり、本作では徹底的に無表情である。個性派ではあるが、演技の幅は広いんだね。ちなみに白人にしては顔がゴツくて目も青くないのは、ネイティブアメリカンの血統だそうだ。 
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[020]I LOVE スヌーピーTHE PEANUTS MOVIE
 明るくも深みのある漫画初代黒龍2016-12-05
 【ネタバレ注意】
「ピーナッツ」の初期でまだスヌーピーが四つ足だった頃、彼が「犬なんて本当につまらない。犬なんてまっぴら。ぼくが人間だったら犬なんか飼うもんか」と呟く話がある。また・・・
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「ピーナッツ」の初期でまだスヌーピーが四つ足だった頃、彼が「犬なんて本当につまらない。犬なんてまっぴら。ぼくが人間だったら犬なんか飼うもんか」と呟く話がある。また別の話で、苗木が伸びているのを見ているチャーリー・ブラウンが「これが大木に育つ頃には僕たちはいないんだよね」と言うと、ライナスが「どうして?僕たちどこ行くの?」と返す話がある。このように「ピーナッツ」という漫画、どこか哲学的なところがあって、すんなりと受け入れられないものがある。原作者のチャールズ・M・シュルツ氏は、幸福になることに恐怖を抱いていたというが、チャーリー・ブラウンが何をやってもうまくいかない、達成感・充実感・幸福感を体験出来ないという点は、作者の心情が投影されたキャラクターである。そのためこの漫画は、子供達の明るい絵柄で描かれてはいるが、どこか人間の内面的な暗さも併せ持っている。チャーリー・ブラウンとスヌーピーと言えば、ミッキーマウスやバックスバニーに匹敵するアニメキャラのはずだが、作品が圧倒的に少ないのはそういう内面的な部分の描き方の難しさのためだと思う。  しかし本作は、原作の独特の臭いは所々に感じるが、それは良い意味で原作の持ち味が生かされているということで、哲学的とも思ってはいたが、意外にも観終わって満足感が残ったことは事実である。CG撮影にしたことは、大正解であり大成功だった。質的に奥の深い作品の、画面にまで奥行きを出したのが良かった。  ラストで恋が実るのはチャーリー・ブラウンらしくない気がしたが、一つくらいはうまくいくことがあってもいいのかな。やはり前向きな人は報われるべきだ。TVアニメ版でも赤毛の女の子に恋をする話があったが、あの時も彼女からラブレターをもらうというハッピーエンドだった(ただし、もらったのが夏休みの前日で、長い休みの間何をすればいいんだ、というオチがついていた)。
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[021]ランナウェイズ
 なんで今更、という気もするが初代黒龍2016-12-03
 
ボーカルが下着姿で、『家出娘達』という名前のロックバンドがいるそうだ、という噂を聞いたのは中学生位の頃で、CDはおろかウォークマンさえ開発されていなかった時代だ。・・・
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ボーカルが下着姿で、『家出娘達』という名前のロックバンドがいるそうだ、という噂を聞いたのは中学生位の頃で、CDはおろかウォークマンさえ開発されていなかった時代だ。見た目は確かに衝撃的だったが、特にヒット曲も無く、いつの間にか忘れられていた気がする。あれから40年近く経って、まさか映画になるとは思わなかった。失礼だけど、映画にするほど音楽シーンにおいて重要な存在だったかな、と疑問のような思いで映画館に行った。当時のロック界の女性蔑視に挑んだこと、例の衣装に対するバンド内の確執、最も人気が高かった日本での騒動等々、裏話的エピソードが多いのは映画としては面白い。ただ、伝記映画としては平面的というか全体的に薄っぺらい感じがして、このバンドを知る者には興味深く観れるが、知らない世代に新たな発見を与えるほどインパクトのある作品とは言えないのが惜しい。シェリー・カーリーの自伝の映画化なんだから、彼女の全くの1人称で描くか、当時ヒットしていた他のミュージシャン(に似た俳優)を出して比較の対象にした方が、彼女達の立ち位置がより鮮明になったのではないかな。  「I am Samアイ・アム・サム」の天才子役ダコタ・ファニングがこんなに成長したか、と単純に驚いた(日本の天才子役安達祐実は、「花宵道中」では成長どころか相変わらず子供っぽい姿をさらしただけで、濡れ場の熱演も虚しい大失敗だった)。  ジョーン・ジェットがミュージシャンの役で映画に主演したことがあるのをご存知ですか?「愛と栄光への日々/ライト・オブ・デイ」という作品で、弟役で共演したマイケル・J・フォックスとのデュエットによる主題歌は、今でも耳に残る好きな曲だ。
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[022]映画「聲の形」
 若い世代=苦悩初代黒龍2016-11-28
 
実写でなくアニメで映画化した意図は何故なのか、考えながら観ていたら「海がきこえる」というアニメを思い出した。性格に影があるが繊細でもあり、周囲に溶け込もうとしない・・・
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実写でなくアニメで映画化した意図は何故なのか、考えながら観ていたら「海がきこえる」というアニメを思い出した。性格に影があるが繊細でもあり、周囲に溶け込もうとしないが実は孤独を抱えている。本作の主人公は、それプラスじれったいほど自己主張が下手くそで、もっとハッキリ言えと言いたくなるシーンがいくつもある。実写版にしてこんな不安定な奴を連れて来られても、それだけでムカつくだろうな(「海がきこえる」のヒロインも、どこにでも居そうな顔立ちで描かれていたが、観ているうちに、こんなコは現実には居ないと思えてきた)。主人公が見る学生達はみんな顔に×印が着いているが、これはアニメ特有の描写として興味深い。実写で顔を隠すと犯罪者に見えるしね。  それにしてもイマドキの若いモンの言い方ってのは何だねぇ、ダサい、ウザい、○○かも、あんただってそうでしょ、とか価値観は低いし無責任だし、こういうセリフを聞いてるのもムカつく。と、オジサン世代は物語の中盤位までは思ったが、またまた昔の映画を思い出した。ATG系の作品群で描かれた不安定な青春像で、特に「星空のマリオネット」の主人公の孤独・焦り・疎外感みたいなものは本作にも通じると感じた。結局、若い世代が世間や自分自身に対して感じる、漠然とした不安や疑問や焦りというか、そうした苦悩は時代が変わっても同じなんだな。現代はメールという便利なツールがあるから(オジサン世代は手紙位しかなかった)聴覚障害者との会話も簡単だと思ったが、本作の主人公石田はそれでも硝子とうまくコミュニケーションが取れていない。ここなんかツールが増えても本質は変わらない、と言ってるようだった。  足元のアップが多いのが気になったが、あれは石田の目線を表現したのだろう。彼はいつも回りを見れないで歩いているわけだから。  幕切れの石田の高笑いは、彼の今後の成長を示唆するようだが、硝子のその後について何の暗示も無いのは寂し過ぎる。確かに石田の一人称で描かれている話だが、硝子の存在は彼の人生を大きく変えたものなのに、これからのことに触れていない。つまり健常者としょうがい者の恋愛、という描き方をもう一歩踏み込んでくれた方が良かった(この作品、イジメの問題をいじめた側から描いているのが斬新的だと思ったが、結局は恋愛が結論、というのも別に悪くないとも思うが)。  体にハンデがある少女のアニメ化は色々難しいのかな。「思い出のマーニー」のヒロインの目が青いのはラスト近くでドンデン返しになっていたが、「ゲド戦記」の顔にアザのある少女は存在感が不明確だった。
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[023]柘榴坂の仇討
 良い意味で妙な時代劇初代黒龍2016-11-23
 
チョンマゲとザンギリが同居しているのだから、何とも風変わりな時代劇だが、確かにこういう時代はかつてあって、そこで生きた人は実在した、ということを認識すると、感慨と・・・
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チョンマゲとザンギリが同居しているのだから、何とも風変わりな時代劇だが、確かにこういう時代はかつてあって、そこで生きた人は実在した、ということを認識すると、感慨とはいかないが何か考えさせられてしまう。主人公は主君の警護に失敗したが切腹は許されず、下種人を捜索するが時代は変わって仇討は禁じられる。一方暗殺者も目的を達成したはずだが、いずれは自分が斬られることを覚悟していて、隠れるように生き続けなけている(読み書きが出来ない為に素性がバレそうになる件りは上手い)。2人とも立場は違えど、運命に抗いながら苦悩し続けているが、ドロドロした雰囲気は無く、実に人間臭い生き様が描かれていて、時代劇という枠組みで考えるとやはり異色な作品である。江戸時代にしても明治維新にしても、映画化されるのは歴史を動かしたヒーローだが、時代の過渡期に翻弄された無名の人々が描かれるのが興味深い。(余談だが、ベルリンの壁崩壊後のドイツで、時代の変化に対応出来ず自殺した高齢者が何人かいた。これをヒントにしたコメディで、東西分断時代に病気で意識不明になった母親が、回復したら壁が崩壊していたため、刺激を与えないように、まだ社会主義国であると見せかけようと奮闘する息子を描いた作品があったが、タイトルを忘れた) もう一つ異色なのが女性の描かれ方で、この作品の女性達は意外とずけずけ物申して、およそ時代劇には出て来ないタイプだ。斬り合いになって一番不幸になるのは、妻であり家族である、という旨のセリフがあるが、正にその通り。第2次大戦中にこんなこと言ったら非国民扱いだが、こういう発言が出ることも新しい時代になろうとしている証しと言えようか。 「はいからさんが通る」で初めて阿部寛を観た時、このテの二枚目はすぐに消えるだろうなと思ったが、ここ数年の活躍は素晴らしいもので、特に人の内面の弱い部分を演じて良い味を出すようになった。本作ではセリフは少なく、感情を表情に出せない役を上手く演じている。彼が近所の少女に優しく微笑みかける何気ないラストが、何とも言えない暖かさを感じた。
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[024]少林寺三十六房
 最も好きな功夫映画初代黒龍2016-11-23
 
数ある功夫映画・少林寺モノの中で、最も好きな作品だ。 「ドランク・モンキー/酔拳」で、ジャッキー・チェンがトリック無しでやっている凄い修行シーンは、映画がコメディ・・・
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数ある功夫映画・少林寺モノの中で、最も好きな作品だ。 「ドランク・モンキー/酔拳」で、ジャッキー・チェンがトリック無しでやっている凄い修行シーンは、映画がコメディ仕立てのせいか単なるワンシーンにしか観えなかった。「ロッキー」シリーズのシルヴェスター・スタローンの練習シーンは、短いカットで撮られていたため、凄いとは思うけどさほど汗臭さは伝わらないが、それがむしろ丁度良かった。本来、練習とかトレーニングなんて本人だけの地味なもので、客観的に観ていて特に何か感じるとは限らないものだ。 にも関わらず、ほぼ全編が修行シーンの本作が、何故これほど面白いのだろう。修行する房によって鍛錬する部位が違うのも分かり易くて良いし、映画だから派手に描かれているが、案外実際に出来そうなもの(長い分銅で鐘を叩く修行があるが、わざと重くて不安定な器具を用いる鍛錬は実際に空手にある)や、理に適ったもの(顔は固定して、目だけを動かす鍛錬)もあり、一番最初の房は水に浮かぶ材木の上を走らせるものだが、走ることはあらゆる運動の基本になるから、この時点で既に納得させられて観ていたわけだ。こうした数々の修行シーンは、ホントかウソか微妙な部分を上手く映像化していて、そこをこちらは観入ってしまうのだと思う。功夫映画の定番の復讐劇ではあるが、主人公自身が修行を続けて強くなり、しかもその技術を他者に伝承しようと決意する。そうした人間としての成長物語であることが、一番観入ってしまう要因ではないだろうか。 ウィキペディアで調べたら、主演のリュー・チャーフィーは、現在は脳梗塞により車椅子で生活しているとか。本作をDVDで何度目かの観賞の後に知って、実に残念に思った。
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[025]ICHI
 這い上がれない人々初代黒龍2016-11-19
 
「一度堕ちた人間は二度と這い上がれないんだ。特に血の臭いのついた奴はな」  クライマックスでの中村獅童のセリフ。 この作品、不満な点がやたらと多い。立ち回りのシーン・・・
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「一度堕ちた人間は二度と這い上がれないんだ。特に血の臭いのついた奴はな」  クライマックスでの中村獅童のセリフ。 この作品、不満な点がやたらと多い。立ち回りのシーンはVFXがうるさ過ぎて、せっかく特訓したという綾瀬はるかの居合いが全然生かされていない(夜道で襲われるが、提灯を居合いで斬って相手の視界を遮るシーンは、VFX無しだったので、ここは良かった)。その綾瀬はるかのイメージを重視したのか、いつも乞食同然のボロの着物を羽織っているわりに、顔に汚れがまったく無いのは変だ。他の出演者達はそれぞれが勝手に演技していて、互いに絡む所が無い。窪塚洋介なんか単に口が悪いだけ(「座頭市」の奥村雄大もそうだった)だし、適役と思われた竹内力もいつの間にか画面から消えた感じだった。何よりもひどいのが大沢たかおで、トラウマの為に刀を抜けない武士という難役を、過剰で無駄な演技で台無しにしている。中村獅童の臭さは毎度のことだが、本作のは臭過ぎる。  にも関わらず、実はこの作品のDVDを持っている。そんなに気に入らないなら観なければいいじゃないか、と言われそうだが、何故か何度も観直している。思えばこの作品の登場人物は、殆どが前述のセリフにある一度堕ちた血の臭いのついた輩ばかりだ。そして、その通り誰も這い上がれない。結局悪者は皆死んで街は平和になったが、親分は浮かない表情で彷徨うように歩いている。ラストで市はふたたび当てのない旅に出るが、別れ際に大事にしていた鈴を子供にあげてしまう。あれは死を暗示しているように観えた。這い上がれないと分かっていて観るのは、決して悲観的な意味でなく、実人生もそんなものだと観ているこちらが認識しているからだろうか。映画を観るということは時として自分を見ることにも繋がると思う。  「めくらには境目というものが分からない」という市のセリフが印象に残ったが、同じセリフが「はなれ瞽女おりん」にもあった。旅に同行する男が脱走兵だったため憲兵に呼び出されたおりんが、浜辺で会っていただろうと詰め寄られて言う。「どこが海でどこが浜辺だか、めくらには境目なんて分かりませんよ」
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[026]娚の一生
 原作良ければ映画も良し初代黒龍2016-11-17
 
漫画の映画化で、観終わってから原作も読みたくなって、実際に全巻購入したのはどれくらいぶりか、もしかしたら初めてだ。で、どちらも大変面白かった。原作は愛らしいキャラ・・・
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漫画の映画化で、観終わってから原作も読みたくなって、実際に全巻購入したのはどれくらいぶりか、もしかしたら初めてだ。で、どちらも大変面白かった。原作は愛らしいキャラクターと、少女漫画というより青年誌風の情景描写が独特のムードを持っていて、主人公が二人とも心に傷を抱えている設定なのにスイスイ読める。一方映画は、地方ロケが功を奏してその開放的な雰囲気が、原作の持つ空気を見事に投影している。榮倉奈々のヌードとは言えないヌードも、この空気の中ではあれで良かったと思う。むしろ豊川悦司が榮倉の両脚にキスするシーンの方がインパクトが強く、ここは原作より色っぽく描かれていた。ラスト近くで登場する、向井理が殆ど印象に残らなかったのが結果的に良かった。彼女の過去の恋愛はもはや偶像化されたものでしかなく、元カレとの再会によってそれが断ち切られるわけで、彼という幻影が印象に残るものであってはならないのだ。だとすれば、演じる方も撮る方も上手いものだ。  原作と映画をいちいち比較するのはヤボなことだし、元々表現手法が違うんだから比較の対象にすること自体的外れと言える。だがこの作品に関しては、どちらもそれぞれの味が出ていて、読んでも観てもそれは気分の良いものだった。 原作ではラストで二人は結婚し、別巻の後日談では子供ができる。映画でもラストで、郵便受けに一つの名字に二つの名前が書かれているのがニヤリとさせるが、さらに原作には無いオチもつけている。これがまた、映画の二人にもいずれ子供が生まれることを暗示するような、爽やかな後味を残している。
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[027]リトルファイター 少女たちの光と影
 正に光と影初代黒龍2016-11-12
 
タイでは、女の子は10歳位で娼婦かムエタイのボクサーしか道が無い。その女の子達は『バッファロー・ガール』という差別用語で呼ばれ(畑仕事に従事する牛と同じということ)・・・
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タイでは、女の子は10歳位で娼婦かムエタイのボクサーしか道が無い。その女の子達は『バッファロー・ガール』という差別用語で呼ばれ(畑仕事に従事する牛と同じということ)、国技でありながらムエタイはギャンブルとして成り立っている。映画のオープニングの段階でこれらの事実を突き付けられて、驚かされ同時に引き込まれもした。格闘技が好きで、そのドキュメンタリーだからと気楽に観に行ったら、こっちがボクシンググローブで殴られたような気分になる。 この作品、カメラワークは乱暴だし、肝心の試合のシーンがはっきり観えないし、映画というよりただのフィルムだと言いたいところだが、編集が巧みで2人の少女の『物語』としてうまく仕上がっている。ドキュメンタリーの中には『事実』であるがゆえに画面が単調になって、『映画』としての盛り上がりに欠けるものがあるが、この作品は事実ゆえの衝撃が映画という画面にダイレクトに伝わった好例といえる。 教育上・人権上の見地から色々言いたい人はいるだろうが、ただ生きるためにこれ程必死になり、ある者は家族に家を購入するという結果を出し、ある者はいまだ這い上がれずにより過酷な試合を余儀なくされる、この事実を観る、というだけでも十分価値はあると思う。
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[028]ちえりとチェリー
 久し振りに童心に帰る秀作初代黒龍2016-11-12
 
昭和ゴジラ映画は「東宝チャンピオンまつり」と題して数本のアニメと併映で公開されたが、時おりストップモーションアニメも含まれていた。記憶にあるだけでも「海彦と山彦」・・・
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昭和ゴジラ映画は「東宝チャンピオンまつり」と題して数本のアニメと併映で公開されたが、時おりストップモーションアニメも含まれていた。記憶にあるだけでも「海彦と山彦」「わらしべ長者」「マッチ売りの少女」と、扱う題材も名作が多く、子供心にも『ためになる映画』だったし、おもちゃ箱が動いているような作品にワクワクしながら観ていた。あれから数十年経ち、再び人形アニメの秀作に巡り会えた。人形独特の寓話的な雰囲気が、全編に溢れている。そもそも物語がちえりちゃんの夢の中の世界だが、そこに様々な冒険や彼女に対する試練の要素を加えている。にも関わらず内容が重苦しく説教臭くもならず、むしろちえりちゃんの成長物語としている描き方はもはや脱帽ものだ。CGに偏見があるわけではないが、CG画面は何処か冷たさを感じることは否めない。この作品は、アナログ画面の暖かさが一番良い形で生かされている。小さいお子様がおられる若いお母様、全員に観て欲しい作品だ。映画館が終わってスタッフ・キャストの画面になると、まだ暗いのに席を立つ人が結構いるけど、この作品では中学生になったちえりちゃんの可愛らしいショットが、エンディングロールで映し出される。つまりラストシーンのその次まで描いているわけで、ユーロスペースでこれを観ないで帰っちゃった方々、残念でした。個人的な希望だけど、CMの「かすみドールのシェア旅」を長編ストップモーションアニメにして欲しいな。東芝さん、製作してくれませんか?
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[029]悼む人
 愚作初代黒龍2016-11-10
 
個人的には2015年度最低作。 見ず知らずの亡き人に祈りを捧げながら旅する主人公、というテーマには大いに興味を引かれたが、開巻間もなく登場した椎名桔平扮する記者の態度・・・
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個人的には2015年度最低作。 見ず知らずの亡き人に祈りを捧げながら旅する主人公、というテーマには大いに興味を引かれたが、開巻間もなく登場した椎名桔平扮する記者の態度の悪さが突然物語の流れを変え、結局最後まで流れは変わらなかった。社内でも態度の悪いこの記者は悼む人に取材するが、彼の行動に対する無駄や矛盾のアラ探しばかりで決して肯定はしていない。その記者が少女買春するシーンで、この小娘が「オッサン」「ムカつく」と平然と悪態をついているが、風俗嬢というものはこれ以上売るものが無いものを売るのが仕事であって、何としてでも客はつかまえるはずで、客を怒らせて何とも思わない風俗嬢などいるわけない。少女を殴り倒した記者は、そのオトコと思われる集団に暴行を受けて失明までするが、このガキ共はその後画面に登場しない。要するにこの映画に流れているものは、ズバリ暴力肯定である。 一方悼む人は、この記者に突っ込まれても、ろくに言い返すことも出来ず言葉を濁しているだけだ。つまり彼の崇高な行為は、本人には信念でも確信でもないわけで、実際その後も旅を続ける彼を観ていても、特に目的感も使命感も感じられないし、祈る際の派手な腕の振りも陳腐なパフォーマンスにしか観えない。祈っていたら水をかけられるシーンがあるが、他人の敷地に勝手に入りやがって、という相手の言い分は当然である。悼む人は世間の常識も知らないのか、と言いたくもなる。 一番ひどいのはラストで、悼む人の唯一最大の理解者である、実母の死を悼むシーンが無いこと(何となく幻想的な画面でお茶を濁しているが、これまた何も伝わって来ない)。結局彼は何を成し遂げ、これから何をしたいのか?観終わったら、そんなのどうでもよくなってきた。 良い印象が残ったのはロケだけで、風景だけは美しく撮れていた。 暴力肯定で思い出したけど、「SP」(野望篇か革命篇か忘れたが)で、若い女の子でも入って来ないかなとつぶやく隊員の頭を真木よう子が、お前それセクハラだぞと言ってペンチで殴るというひどいシーンがあった。脚本家、これパワハラだぞ。
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[030]君の名は。
 無題初代黒龍2016-11-09
 【ネタバレ注意】
男女が入れ代わるネタは、大林宣彦の「転校生」を越えることがまず無理でしょう。異なる時代の男女が何らかのツールで巡り合うというネタも、韓国映画でアメリカもリメイクし・・・
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男女が入れ代わるネタは、大林宣彦の「転校生」を越えることがまず無理でしょう。異なる時代の男女が何らかのツールで巡り合うというネタも、韓国映画でアメリカもリメイクした「イルマーレ」に先を越されている。アニメという手法を使って、その両方を描いたのはかなり斬新的だと思い、途中までは意外と引き込まれた。そして、彼女は実は村もろとも亡くなっていた、という事実が判明して、さあ主人公はこれからどうする?と思ったら、その後の展開で一気に冷めた。 過去を変えてはいけないことはタイムスリップの基本だろうし、まして彗星がモロに落下したのに誰も死んでいないなんて理屈に合わない。避難訓練で助かったと言い訳じみた説明があったけど、村祭りの当日に避難訓練なんてこれまた理屈に合わない。死んだ人が蘇る話なら、もっと脚本を煮詰めなければダメでしょう。せっかくラストで二人が巡り合ったのに何の感動も伝わって来ないのは、そういうラストにしたい為に無理矢理繋いだ脚本だから、とさえ思えてくる。絵が殊のほか綺麗なだけに、実に残念な作品だ。
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