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 「初代黒龍」さんのコメント一覧 登録数(68件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]マッリの種
 静かで強烈な小品初代黒龍2019-02-11
 【ネタバレ注意】
確か改装される前の新宿武蔵野館に何気なく行って居眠りしながら観たインド製作の小さな作品だった、という程度の記憶しかない割には時々この映画を思い出すので、意外と強烈・・・
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確か改装される前の新宿武蔵野館に何気なく行って居眠りしながら観たインド製作の小さな作品だった、という程度の記憶しかない割には時々この映画を思い出すので、意外と強烈なインパクトを残していた作品だったというわけだ。 孤児の少女マッリはテロリストの組織の一員として、目的達成の為に死ぬことこそ最高の誇り、とかつての日本男児のような訓練を日々受けている。同世代の少女が何人も居て、彼女達も人生に選択肢も何も無く、この境遇で生きるしかないことは説明されなくても分かる。ある日、遂にマッリに命令が下る。要人に花束を渡す少女の一人として、自爆テロを決行するというもの。まずは周囲から疑惑を持たれないように、家政婦になりすまして一般社会に入り込む。ところが、派遣された農家が男3人の家族で、若い家政婦を皆で大事にするものだから、思いがけずマッリは生まれて初めて家庭の温かさを知ることになる。しばらくしてマッリはこの家の長男と関係してしまうが、それも自然の成り行きという感じ。こうして平穏な日々を過ごすうちに、再び命令が下る。外出すると言い残して家族と別れ、幹部の命令通り体に爆弾を巻き付けるが、そのお腹にはあの家族の『種』が宿っている。命令を実行すれば種は滅び、拒否すれば裏切り者として組織に消される。果たしてマッリはどちらを決断するのか。要人に花束を渡しながら起爆装置に手をかける、彼女の手のアップで映画は終わる。 前半の山奥にある組織のアジトでの訓練シーンは豪雨ばかりで観ていても実に不快だが、後半の農家で過ごすシーンは穏やかな天気が続く。天候だけで主人公の心情を描いている、実に見事な映像表現だ。特殊な状況下に生きる少女を描いた作品としても優れているが、雨のシーンが印象的な作品としても思い出される。
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[002]若おかみは小学生!
 デジタル時代のアナログ少女初代黒龍2019-01-19
 【ネタバレ注意】
ここ最近の日本映画は暴力と屁理屈ばかりで、わざわざ出掛けてカネ払って観る価値があるのか?と愚痴の一つも言いたくなるが、この作品はその真逆と言えよう。良い意味でこんな・・・
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ここ最近の日本映画は暴力と屁理屈ばかりで、わざわざ出掛けてカネ払って観る価値があるのか?と愚痴の一つも言いたくなるが、この作品はその真逆と言えよう。良い意味でこんな漫画、今どき珍しいね。古い温泉旅館を舞台にしているだけに、よけいノスタルジックな気分になった。旅館に棲みつく亡霊が主人公を助けるというのは、珍しくもないが奇想天外で、物語の上手い横糸になっている。奇想天外というなら、小学生が旅館を切り盛りするという労働基準法無視の設定がそもそも現実離れしているが、それを観ているこちらが違和感無く受け入れられるのだから不思議な作品だ。誰もがお気付きだろうが、ヒロインは今どき珍しくスマホもネットも使わず、分からないことは直接聞いて対話で解決している。考えてみれば対話は接客業務の基本であり、若おかみ修行中のヒロイン『おっこ』は基本を忠実に実践していることになり、その健気さがこの作品の魅力でもあるのだろう(しかし、他の登場人物までスマホを使わないのは、いささか不自然では?宿泊客の一人が旅行雑誌の写真と彼女を見比べるシーンがあるが、あれだってスマホの方が普通じゃないかな)。    元々TVアニメだが、無論映画版はそれとは違う作品だ。特に、自動車に乗るのがトラウマになっていることはTVでは描かれなかったし、冒頭で両親と、ラストでウリ坊達と2度も「別れ」を経験させられるあたり、単なるお子様映画にせずにおっこのこれからの成長を予感させる描写で、この点はTVより深みの有るものになった。もっとも、個人的にはTV版を先に観ておくことをお勧めする。物語後半で、おっこに感謝されたピンフリが耳をこするシーンがあるが、あれは照れ隠しをする時の彼女の癖であることはTVを観ていないと分からない(第8話参照)。    映画館で販売しているプログラムは、最近のは値段が高いだけで見栄えの良い写真も読み応えのある記事も少ないが、この作品のプログラムは、作中に登場する「温泉プリン」のレシピ、作中では特に触れられない春の屋の平面図や温泉街のガイドマップ(これによると春の屋は温泉街の一番奥にあり、おっこが喫茶店まで走った距離がいかに長いかが分かる)、さらには実際の温泉旅館の若女将のコメントまで記載されていて、なかなか面白くて何度か読み返しています。
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[003]ケージ・ダイブ
 出だしは悪くないけど…初代黒龍2018-11-01
 
 「オープン・ウォーター」の3作目というより「パラノーマル・アクティビティ」の焼き直しですね。そうとは知らずに観ていて、最初はこれは凄い、これだけの記録がよく残って・・・
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 「オープン・ウォーター」の3作目というより「パラノーマル・アクティビティ」の焼き直しですね。そうとは知らずに観ていて、最初はこれは凄い、これだけの記録がよく残っていたものだと思ったけど(そういえば「パラノーマル〜」を観た時の第一印象も同じだった)、少し進んでいくとツッコミどころが幾つも出てくる。冒頭で彼女がシャワーを浴びるところを隠し撮りしようとしたらバッテリーが切れるのがわざとらしいし、そもそもこの兄弟全然似てないし、非常用イカダが流れてくる都合の良さがむしろ笑えるし、サメの襲撃シーンがどれもタイミングが良過ぎて、どう観ても偶然撮られたビデオには観えない。前作とは違うものを狙うのは当然だが、結果的に別の映画と同じようなものになってしまったのは残念。サメに丸ごと食べられるより、腕や脚を失ったけど命からがら逃げ延びた、という方がリアルに観えないかな。  それにしても1作目がアメリカ、2作目がドイツ、本作がオーストラリアで製作されているけど、サメってそんなに世界中にウジャウジャ居るの?
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[004]先生! 、、、好きになってもいいですか?
 チクリ社会への警鐘初代黒龍2018-10-17
 
 女子高生が男性教師を好きになるという昔からよくある他愛ない恋愛劇で、特に目新しさも無いし、テストで90点取れたら先生を好きになってもいいですか?なんて久し振りに聞く・・・
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 女子高生が男性教師を好きになるという昔からよくある他愛ない恋愛劇で、特に目新しさも無いし、テストで90点取れたら先生を好きになってもいいですか?なんて久し振りに聞くセリフだ。それでも編集が上手いのか、画面展開がスムーズで、同じ高校生モノでも「アオハライド」や「ストロボ・エッジ」を録画した時は途中で消したけど、この映画は最後まで観れた。  2人のキスがネット上にアップされて問題になる件りはいかにも現代的だ。誰が撮ったかは明かされず、職員会議で校長以下全員が写真を鵜吞みにして世間体を第一に問題視するあたり、いかにも時代を反映している。しかし悪いことばかりではない。ヒロインの友人達は前向きかつ積極的で、相手が教師でオトナだけに多少の小競り合いはあるものの、何とか2人の恋を成就させようと奔走するあたりは清々しさを感じる。ヒロインに思いを寄せているが出番が少ない弓道部員の、みんな噂なんてすぐ忘れる、という激励も結構頼もしく聞こえる。その言葉通り、彼女はラストで何事もなく卒業する。彼女が如何にして『噂』を回避したかは描かれていないが、何らかの形で友人達に守られていただろうことは想像がつく。それが証拠に彼らはメールのやり取りはせず、いつも互いに顔を見て話している。  スマホの普及は、匿名で誰かをあぶり出して犯人に仕立て上げるチクリ社会を創造した。しかし、写真に写ったものは事実であっても真実とは限らない。ラストシーンは、『事実』を守り通した2人が『真実』を勝ち取った姿に観えた。彼女の友人が言った通り、人を好きになるのに誰を好きになってはいけないことは無い。
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[005]フジコ
 力作だが失敗作初代黒龍2018-06-20
 【ネタバレ注意】
「真幸くあらば」では自分の恋人を殺した犯人に魅かれていくという難役を静かに演じヌードにもなり、「そして父になる」でも献身的な妻役で抑えた演技を観せた尾野真千子は気・・・
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「真幸くあらば」では自分の恋人を殺した犯人に魅かれていくという難役を静かに演じヌードにもなり、「そして父になる」でも献身的な妻役で抑えた演技を観せた尾野真千子は気になる女優だったが、炊飯器のCMであき竹城を相手に演じた掛け合い漫才風のコミカルな彼女には驚いた。その尾野真千子が殺人鬼役と聞いて興味が湧き、一挙放送を録画して全話を一気に観た。 しかし、力作だとは思うが、やはりこのドラマは肯定出来ない。ポラロイドカメラ、500円紙幣等、時代を感じさせる小道具や、化粧の濃いフジコを見た近所の人の「まるでチンドン屋」という、今は使われないであろうセリフとか、脚本の細かいところに関心したがそれも2回目位までだ。連続ドラマだから毎回見せ場が必要なのだろうが、殺人や残酷なシーンを安易に入れ過ぎる。特に最終回は、美容師、医者、ホステス、自分の夫と、娘の給食代欲しさにたった一晩で少なくとも4人も殺している。一時の感情だけで殺人を繰り返す女、というだけでも観ていて気分が悪いのに、こう何度も観せられてはたまったものでない。それに、被害者が誰も抵抗しない、どの殺しの場面でも目撃者が居ない、そもそも警察が捜査するシーンが全く無いのがおかしい。 尾野真千子も、熱演虚しく単に態度が悪い女にしか観えない。これなら「きみはいい子」で演じた、我が子への虐待が止められない母役の方が遥かに良かった。むしろフジコと対峙する谷村美月のように、終始無表情でいた方が不気味な殺人鬼に観えたと思う(従ってこのジャーナリストはミスキャストで、もっと表情の豊かな女優でないと、実は自分がフジコの娘であることを押し殺していることを表現出来ないだろう)。 または全編をこのジャーナリストの一人称で描けたら、その方が良かったと思う。彼女の半生として過去と現在を交互に描いているが、如何にして殺人鬼になったかという肝心の謎解きの要素が少ないから、客観的な描写ではかえって分かりにくい。それに重要な要素だったはずの新興宗教の登場も唐突過ぎで、実は教団幹部が殺人に関わっていたという謎解きがフジコの半生にマッチしていないのも脚本の弱さと言わざるを得ない(この幹部が今度は娘を狙う、というミステリアスなラストも、はっきり言ってあまりに陳腐でむしろシラケた)。 脚本を絞り込んで、2時間半位の劇場用映画にした方が、もっと内容の濃い作品になったようにも思う。 フジコが縁する男は、働かない奴か仕事に失敗する奴ばかりだ。それも彼女の『カルマ』だ、という視点でも描いて欲しかった。
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[006]ひまわり
 よくある話と思わせるほど自然な男女の姿初代黒龍2018-06-04
 【ネタバレ注意】
若い頃、欧州映画を意識的に避けていた。ハリウッドのような金をかけた派手な超大作が殆ど無いし、会話が中心で重く難解というイメージがあったし、特にアラン・ドロンがそうだ・・・
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若い頃、欧州映画を意識的に避けていた。ハリウッドのような金をかけた派手な超大作が殆ど無いし、会話が中心で重く難解というイメージがあったし、特にアラン・ドロンがそうだが俳優がどことなく冷たい感じがする、ということを当時思っていた。今となっては単なる偏見に過ぎないが、思春期の当時「エマニエル夫人」でさえ興味が湧かず観なかった。(ここまで書いて、よく考えたら一昔前なら「カトマンズの男」「新・黄金の七人=7×7」「007ロシアより愛をこめて」、比較的最近なら「フランスの思い出」「ニュー・シネマ・パラダイス」「美しき諍い女」と、好きな欧州映画は何本もあった)     さて、題名だけ知っていて観る機会も無かった本作だが、最近CSで放送されたので何気なく録画して、かなり経ってから観た。感想はと言うと、実に面白かった。一言で言えば戦争で引き裂かれた男女の悲劇だが、余分なシーンやセリフを削り落としたような描写が意外に引き込まれる(例えば、ヒロインの部屋の中を俯瞰するシーンだけで彼女の職業が仕立屋であることが分かり、ロシアは四方数キロ雪しか見えないという彼のセリフだけでもロシア戦線の悲惨さは伝わってくる)。     卵を24個も使ったオムレツ、徴兵逃れの為の精神病者の小芝居、といったコミカルなエピソードを入れた前半と、どんな言葉を使っても気持ちが伝わらないことが分かっていて2人が話し合おうとする重苦しい後半の対照的な描写は強烈だ。全体的によくある話のように思えて、こういう映画は他に何作も作られているのでは?とも思えるが、特に思い出せないということは、よくある話と思わせるほど自然な男女の姿に観せた監督の実力ということか(渥美清の初期の主演作「父子草」で、復員して来たら妻が別の男と再婚していた、というのが小さなエピソードとして描かれていて、「マイ・ブラザー」は戦死と思われていた兄の帰還による、その妻と弟との葛藤が描かれているが、それくらいしか思い浮かばない)。彼女が別の男との間にできた子供は彼と同じアントニオという名だが、僕と同じ名を?と言う彼に、聖アントニオの名よ、と言い放つ(聖アントニオは恋愛の神だから、凄い皮肉)。ソフィア・ローレンのあの大きく鋭い目つきで言われると余計に冷たく感じるが、行方不明の彼の生存を信じ続けていた頃の彼女の目は大きく強い意志が伝わってくるし、ラストの別れ(彼は列車でロシアの家族の元に去るが、この駅のホームは彼の出征を見送った場所でもある)のシーンで号泣する彼女には思わずもらい泣きしてしまう。目だけでこれだけの演技が出来るのだから凄い女優だ。     Wikipediaによると、ひまわりの花言葉は「私はあなただけを見つめる」。
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[007]キートンの探偵学入門
 一体どうやって初代黒龍2018-06-04
 
「カイロの紫のバラ」でジェフ・ダニエルズが映画の中から現実の世界に飛び出してくる特撮、「プロジェクトA2/史上最大の標的」でジャッキー・チェンが倒れてくる壁の下敷き・・・
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「カイロの紫のバラ」でジェフ・ダニエルズが映画の中から現実の世界に飛び出してくる特撮、「プロジェクトA2/史上最大の標的」でジャッキー・チェンが倒れてくる壁の下敷きになるかと思いきや1ヶ所だけ空いている所があって助かるシーン、「プロポーズ」でクリス・オドネルが遺産相続の条件が結婚であるために大慌てで花嫁を探すシチュエーション、全部どこかで観た気がしたが、バスター・キートンが無声映画時代にやっていたものだ。ちなみに「プロポーズ」は「キートンのセブン・チャンス」のリメイク、倒れてくる壁の窓が開いていたのは「キートンの蒸気船」の暴風シーン、映画のスクリーンと現実の融合は「キートンの探偵学入門」で既に実現している。つまり60年以上の時を経ても、まだ後進に影響を与え続けているわけだから、正に喜劇王、ホントに凄い人だ。     CGはおろか特撮という言葉さえ無かった映画草創期に、一体どうやって撮ったんだろうと驚かされ、関心させられ、笑わせてくれるのがキートン作品の魅力だが、「キートンの探偵学入門」はその意味では魅力満載で、個人的にも何度も観ている大好きな作品だ。例の映画の中に入り込むシーンは、スクリーンの形にくり抜いた壁をヒョイとまたぐという実にアナログな手法だが、主人公の立ち位置は変わらないが背景がどんどん変わっていくシーンはどうやって繋げたのだろう(諸説あるらしい)。他の見せ場にしても、ビリヤードで爆薬を仕掛けたボール(13番というオチもついている)だけを外したブレイクショット、敵のアジトからの脱出で縦にたたんだ女性のドレスに飛び込んで一瞬で女装する(TVの「欽ドン」で西山浩司が同じネタを演ったことがあった)、そしてオートバイのハンドルに座った状態で疾走し続けるとか、トリック無しだろうがここまで見事にやられると、一体どうやって撮ったんだろうと何度観ても思う。     チャップリンが笑いにペーソスを加えたのに対し、キートンは笑いにスピードとアクションを加えた。その分動きも大きくなるわけだが、一方で小ネタも多用していて、別の作品だが、ドアノブに瓶の栓が付いていて鍵を開けるのに栓抜きを使うとか、新聞を読んでいてページをめくっていたら新聞紙が段々大きくなって終には1枚の大きな紙になったとか、漂流している船上から別の船を発見して救助してもらおうと一番派手な旗を振って合図を送ったら疫病発生を伝える旗だったので船が逃げてしまったとか、一体どうやってこれだけのアイディアが思いつくのだろう。     僕は趣味で漫画を描いていて、たまに4コマのネタを思いついて、描いたものを友人に見せると、誰の影響を受けている?と、よく聞かれる。自分が考えたようでも、どこかで見たような気がする、と言われるようではまだまだか。先人が考え実行したことは、それ自体が偉業に思える。一体どうやって…。
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[008]ルパン三世
 私は嫌いではない初代黒龍2018-05-23
 
あくまで個人的見解ですが、「ルパン三世」には使ってはいけない要素が2つある。新しいキャラと幻想的シーンだ。この2つによって見事に訳が分からなくなったのが劇場版第1・・・
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あくまで個人的見解ですが、「ルパン三世」には使ってはいけない要素が2つある。新しいキャラと幻想的シーンだ。この2つによって見事に訳が分からなくなったのが劇場版第1作「ルパン三世 ルパンVS複製人間」で、クローンがそもそも幻想的だし悪役のマモーもキャラが濃すぎでクライマックスの対決は単に理屈っぽいだけ。実写版「ルパン三世」も小栗旬らメインキャストでさえかなり無理を感じたのに、組織のメンバーという設定にした為に登場人物がやたら大勢になり、どれが誰やら収集がつかなくなった。スピンオフ作品だが「LUPIN the Third -峰不二子という女-」は全編幻想的で、しかも背景に斜線が多くて絵が観にくいし、結局峰不二子が女盗賊か女スパイか、そのキャリアを如何にして築いたかは、彼女の過去に遡っても描かれていない。やはり「ルパン三世」はルパンと3人の仲間+銭形警部により、現実世界で暴れ回って欲しい。 さて、こう前置きしておきながら矛盾するのだが、ミセス・ルパンという有り得ない新キャラが登場するこのシリーズが、私は意外と嫌いではない。ミセス・ルパンことレベッカ・ロッセリーニは由緒ある富豪で実業家でゴシップクイーンで、しかも泥棒の素質もあるが、年齢的にも性格的にも幼いタイプで、間違ってもルパンをめぐって不二子と三角関係になることは無い。一方ルパンも粋なもので、第11話「イタリアの夢」ではMI−6に誘拐されたレベッカの救出という一文にもならない仕事を「ワイフの為に」と言っていつもの調子でやり遂げる。12話ではレベッカの夢の中に入り込むシーンがあるが、ここは幻想的でルパンには似合わないはずだが、これまた「ワイフの為に」でうまくまとまっている。新キャラと言えばMI−6のニクスも見た目は強烈だが、意外と存在感が弱く、一種の狂言回しのようにさえ観える。第22話「ルパン、頂きに参ります」のルパンとレベッカの追いかけっこは、TVスペシャルあたりでこんなネタをやりそうな楽しさだった。とにかくこのカップルなかなか絵になるし、レベッカ役の藤井ゆきよの声もイメージに合っている。結局このシリーズが好きか嫌いかは、彼女が好きか嫌いかではないかな? 最終回で、もっといい女になると言うレベッカとルパンの会話。 「今だって十分いい女だぜ」 「あなたが盗まずにはいられないくらいの」 エンディング・テーマはいつも早送りにして聞いてない。日本人の声でいいから、もっとイタリアをイメージするような歌にして欲しかった。 
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[009]乳泉村の子
 人生の教科書のような作品初代黒龍2018-05-06
 
  生まれて以来こんなに泣いたことはない、と思える位感動して、映画館でずっと泣きながら観ていた。   ある老婦人が何気なくTVを観ていると、中国から仏教の交流団が来・・・
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  生まれて以来こんなに泣いたことはない、と思える位感動して、映画館でずっと泣きながら観ていた。   ある老婦人が何気なくTVを観ていると、中国から仏教の交流団が来日したニュースが流れていた。画面に映った僧侶一行の一人を見て、彼女は驚き、凍りついたように彼を凝視している。話はいきなり時代をさかのぼって、第二次大戦終戦時の中国の寒村に変わる。敗戦で撤退する日本人を嘲笑いながら、村人達は彼らが残していった家具などを物色し始める。この村に住む老婦人が大きな籠を拾って持ち帰るが、中身は何と赤ん坊!所謂中国残留日本人孤児である。彼女には、体は大きいが耳が不自由な息子と、家事を手伝う働き者の娘がいる。面倒なので娘に子供を捨てるよう命じるが、なんだかんだで上手くいかず、これも何かの縁だと、結局彼らの弟となってしまう。少年は、日本人の子だと差別されながらも元気に育つ。その後息子が高収入の仕事を求めて地方に行くが、落盤事故の為に死んでしまう。逃げろ、という声が聞こえなかったためだ。娘に縁談が来るが、あまり良い話でない。だが娘は、結納金を老いた母と幼い弟の当面の生活費にするため承諾する。納得しかねる母に娘は言う。「どう生きても一生よ」。残された弟は、老母の勧めで寺に入り僧侶となる。冒頭の日本の老婦人がTVで見た青年僧は、何とこの少年の成長した姿であり、そして彼女こそ実の母であった。こうして数十年の時を経て、捨てられたと思っていた息子は、ようやく再会した母に初めて『親孝行』をする。     「無償の愛」というもの、その勇気・決断・行動をこれほど力強く描ききった作品を他に知らない。第二次大戦中多くの中国人を殺した日本人は、今では実の子を虐待したあげくに殺すこともやり、原発事故で避難して来た子供達には、学校では激励するどころかイジメの対象にする、いつからどうしてこんな愚かな国民に成り下がってしまったのか。はるか昔に中国から文化や思想を取り入れたように、現代を生きる日本人がこの映画から学ぶべきことは数多いのではないか。     人生の教科書のような作品だ。
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[010]君の膵臓をたべたい
 惜しい初代黒龍2018-05-05
 【ネタバレ注意】
  こういう意味不明な題名を聞くと、実は重大な意味が隠れているはずだと、逆に興味が湧いてくるが、この言葉が幕切れであんな形で使われるとは思わなかった。カンが良い人は・・・
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  こういう意味不明な題名を聞くと、実は重大な意味が隠れているはずだと、逆に興味が湧いてくるが、この言葉が幕切れであんな形で使われるとは思わなかった。カンが良い人は先読みしただろうけど、あの一言には恋愛としての告白、病に犯されたが故の一縷の望み等々、色々な意味が込められていることまで読めたかな。とにかく彼女の思いの全てがあの一言に込められていて、ラストシーンで納得したのも久しぶりだ。    主演の二人が新鮮で実に良かった。北村匠海のいかにも影がありそうでいつも一人なのに、何となく話しかけたくなるあの表情は演技以前の魅力。浜辺美波は若い頃の井川遥(今も若いか)みたいな顔立ちで、難病患者にしては明る過ぎるが、彼女の笑顔も演技以前の天性のものを感じる。これからどういう俳優に成長していくか、まるで自分が親みたいに見守りたい二人だ。そういう自分の年齢的な問題か、「アオハライド」「ストロボエッジ」等の高校生が主人公の映画はハナっから観る気がしないが、この作品は違和感無くスイスイ観れた。主演二人の爽やかさも有るが、特に凝った撮り方もしていないし、所謂難病モノとして死という問題への追求はあるが、全体的に悲壮感が無く、「今、この時を大事にしたい」という生き方が若者らしい形で伝わってくるように観えるのが好感が持てる。     しかしながら、脚本に対して一点だけどうしても納得できず、そのために僕としてはこの映画を作品として評価出来ない。何故彼女が殺されなければならないのか。これが、一時帰宅したが業病ゆえに突然悪化して彼に会う直前に命尽きる、という方が、今どき古過ぎるベタな設定だが、まだ納得はいく。通り魔事件については、彼女が読む新聞に記事が載っているという布石はあるが、それについてはそれ以上言及されず物語にも関わりは無い。にも関わらず、こんな理不尽な死に方をした彼女の母親が、全てを受け切ったような穏やかな表情で彼の弔問を迎え入れるのは、どう考えても不自然だ。そのため人前もはばからず号泣する彼の姿が、愛する人を亡くして悲しんでいるというより、犯罪被害者が無念で泣いているように観える。過去と現在を交差させている話で、現在の彼女が居ないのは最初から分かっているのだから、彼女の死はもっと丁寧に描いて欲しかった。そのためなのか、現在の彼の役の小栗旬が、全然印象に残らなかった。     高校3年の時、後ろの席の女の子のことが好きで、休憩時間に後ろを向くのが当時の僕の一番の楽しみだったが、その彼女が膵臓の病気を持っていて、性格は明るいが顔色は良くなかった。告白しようと思ったこともあるが、それ以上に元気になって欲しいと祈るような思いになった。後に同じ大学に進学したが、ある日僕より体の大きい男と腕を組んでいるところに出くわした。彼女はバツが悪そうに目をそらしたが、僕は彼女が元気でいてくれて良かったとホントに思った。
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[011]正午から3時まで
 風変わりなブロンソン初代黒龍2018-04-01
 
面白いけどなんとなく奇妙な作品だ。強盗団が銀行を目指して荒野を行くが、途中でアクシデントにより女が一人で住む邸宅に立ち寄り、一人がそこに残って仲間が戻るのを待つ・・・
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面白いけどなんとなく奇妙な作品だ。強盗団が銀行を目指して荒野を行くが、途中でアクシデントにより女が一人で住む邸宅に立ち寄り、一人がそこに残って仲間が戻るのを待つことになる。ここまでは普通の西部劇だが、この男と女が段々と心を開いていき、邸に来た正午から3時までの僅か3時間のメロドラマに変わる。そのまま最後までいくと思いきや空気がコメディのそれに変わっていき、細かくはここには書かないが幾つかの行き違いを経て結局主人公は振り回され続けて映画は終わる。 プライベートでは家族思いのチャールズ・ブロンソンはあるインタビューで、映画で尻を見せたら子供達に言い訳出来ない、と言ってベッドシーンは拒否し続けた(「バラキ」で娼婦を抱こうとするシーンがあったが、すぐに画面が切り替わった)が、愛妻のジル・アイアランドとのラブシーンなら本人もリラックスして演じたのではないかな。 ブロンソンのコメディはかなり珍しいが、フィルモグラフィーで確認してみると前年の「軍用列車」では正義漢、同年の「セント・アイブス」ではインテリの役で、年齢・キャリアの面でも色々な役にチャレンジしてみたいと思っていたのだろうか(同時期にかつて共演したアラン・ドロンが「アラン・ドロンのゾロ」でコミカルな演技を見せているが、それも意識したと考えるのは邪推かな?)。しかし、その後は再びアクション・バイオレンス路線に戻っているから、このチャレンジは成功とは言えなかったようだ。 それにしても後半の群集心理は興味深い。ベストセラー小説に翻弄されていることに人々が誰も気付かず、小説に書かれていることがいつの間にか事実として認識されている。死んだと思われていた主人公が実は生きていたが、彼は彼女との感動の再会が果たせると思っていたのに、彼女はもちろん世間の誰もが彼の存在を認めない。小説の中で死んでいるからである。このように情報が独り歩きすると、世間はその情報を盲信して、情報そのものの正誤は誰も問わない。こういうことは情報過多の現代では、実際に起こり得るのではないか?まだインターネットが無かった1976年に製作されたこの作品、案外未来を予知していたとも言えないか? 今は亡き好きな俳優の雄姿がDVDという形であれ、今でも観れるのは本当にありがたいことだが、いずれにしても惜しい人を亡くしたという思いに変わりはない。
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[012]ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅
 好きな人は観る初代黒龍2018-04-01
 
確かに作品世界と映像技術の完成度は高いが、やはり『好きな人は好き』で結論が出てしまう映画だ。特に「ハリー・ポッター」シリーズ3作目以降は観ていない(つまり2作目ま・・・
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確かに作品世界と映像技術の完成度は高いが、やはり『好きな人は好き』で結論が出てしまう映画だ。特に「ハリー・ポッター」シリーズ3作目以降は観ていない(つまり2作目までは何とか観れた)自分のような者には結局ついていけなかった。「リリーのすべて」の演技が素晴らしかったエディ・レッドメインが主役であることと、魔界の動物使いというアイディアは興味深かったが、これまた何とか観たという感じだ。「ハリー・ポッター」もそうだけど、独自の専門用語が説明無しに連発されるので、字幕を追っても何を言っているのか分からないし、場面によっては用語なのか人名なのかも分からない。そういう映画なんだ、と納得しろと言われても自分には無理だ。やはり好きな人は好き、観る人が観る作品だが、これは決して否定的でも閉鎖的な意味合いでもない。そういう映画も在る(邦画で言えば「男はつらいよ」と「座頭市」も同じで、何本かは面白く観たが、自分としては好きな人が観る作品だと思う)。 事件が解決した後のラストの件りが一番面白かった。フツーの人間が思いがけず魔法使いを手伝うことになる、という設定も良かったが、この生身の人間役のダン・フォグラーは最高だ。彼が出て来るだけで、安心するというか何となく笑ってしまう。魔界の出来事を知った人間はその記憶を消されるが、何故もっと早くに記憶を消さなかった?と言う彼に、主人公が「友達だから」と答える何気ない一言が結構泣けた。これまた思いがけず彼に恋してしまう読心術が得意な魔女が別れ際に「一緒に行く」と言うが、それが叶うはずがないことは誰の目にも明らかで、ただ無言で見つめ合う2人の姿が実に良かった。そしてあのまさかの幕切れ、文句なしのハッピーエンドだった。こういう大人の味わいは「ハリー・ポッター」では描けない。ハリー達のは愛情と言うよりあくまで少年少女の友情であり、その点では本作の方が物語に重みを感じる。 NYを飛び回って人間達の記憶を消す魔法動物は鳥か獣か竜か分からない幻想的なデザインだが、冒頭に登場してやたら引っ掻き回す金属大好き動物は、カモノハシかハリネズミみたいで普通の動物にしか観えなくて、もっと可愛らしいキャラクターにして欲しかった(暗い場面が多いうえに黒い体だから、よく観えないという問題もある)。そう言えば「バケモノの子」のキャラクターは動物を擬人化したものばかりで、バケモノというイメージが無かった。あの細田守監督がどんなバケモノを創造するか、と期待100%で観に行って強烈な肩透かしを喰らった。あれはホントに残念だったなー。
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[013]嘘を愛する女
 次が無い初代黒龍2018-03-25
 【ネタバレ注意】
「ロボコン」で引きこもりから徐々に立ち直っていく女子高生役の長澤まさみを始めて観た時、久しぶりに有望な新人が現れたと喜んだものでした。お世辞にも演技派とは言えないし・・・
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「ロボコン」で引きこもりから徐々に立ち直っていく女子高生役の長澤まさみを始めて観た時、久しぶりに有望な新人が現れたと喜んだものでした。お世辞にも演技派とは言えないし、凄い美人というほどでもないが、独特の存在感は作品ごとに磨かれたようで、準主役扱いだった「海街diary」や殆んど出番が無い脇役だった「WOOD JOB!(ウッジョブ)〜神去なあなあ日常〜」「追憶」でもしっかり印象は残していた。この作品では、かなり自己中心的なキャリアウーマン役で、同棲相手が実は全く素性が分からなかったのだが、それでも彼の子供を産むことを熱望する、という難役だが、最後まで『長澤まさみ』のカラーは崩していない。 ここ最近、洋画といえば実話を元にした、邦画といえば漫画を実写化したものばかりで、本作は久しぶりにオリジナル脚本ということで期待していたが、『長澤まさみ主演』であること以外は特に観るものはない。あるカップルの彼が正体不明で彼女がその謎を追う、というパターンは名作「シャレード」で既に完成されているから、相当視点を変えたアイディアで勝負しないと二番煎じにもなり得ない。実際、嶋田久作扮する警官から彼の身分証明書が偽物だと知らされるシーンは、「シャレード」にもそっくりのシーンがあった。彼の行きつけの喫茶店のウェイトレスが彼を見ている、つまり目撃者がいたというのは新展開だが、この女が頭が悪過ぎて全く物語に絡んでこないし、コスプレしているわりに印象にも残らない。彼が密かに書き溜めていた小説を唯一の手掛かりに旅が始まるが、長澤まさみと吉田鋼太郎の言い合いがダラダラ続くだけ。彼が密かに隠していた宝物の発見、偽名を使われていた本人の出現、彼の実家で起きた過去の事件の発覚、とサスペンスを盛り上げる要素はいくつか出て来るが、その後の展開に1つも生かされていない。つまり、この脚本には『次』が無い。この点の弱さがラストまで引っ張られるから、結局何も解明されませんでしたという全編中途半端な作品になってしまった。幕切れで、昏睡状態の彼の目が少し開くが、これも『次』を感じない、単なる御都合主義に観えた。 この映画、ドアを出入りするシーンは何度かあるが、挨拶を交わすシーンは無い。この点も脚本が弱い。
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[014]パパのお弁当は世界一
 こんな親子の愛もある初代黒龍2018-03-21
 
 タイトルを聞いただけで内容が分かるので観るのに躊躇していたが、試しにCSで観たらラストまで一気だった。何気ない時間の積み重ねを描くということは、要するに盛り上がり・・・
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 タイトルを聞いただけで内容が分かるので観るのに躊躇していたが、試しにCSで観たらラストまで一気だった。何気ない時間の積み重ねを描くということは、要するに盛り上がりもドンデン返しもドラマ性も無いわけだから、考えてみると映像化して一気に観せることはかなり難しいはずだ(過去には「東京兄妹」、最近では「パターソン」がその類いの秀作と言える)。本作でも、弁当に刺身を入れた為に教室中が悪臭に見舞われるシーンと、娘の恋愛→失恋以外にはこれといったエピソードはないが、カット割りの多さとセリフの少なさが効果的だったのかスイスイ観れる。弁当の失敗を職場で話していたら同僚の女性が女の子が喜びそうな知恵を授けてくれたり、娘の失恋を知った父がかける言葉が無い代わりに励ましの手紙を弁当と一緒に包む、こうした伏線が自然な流れで挿入されているのも効果的だ(太り気味の娘の弁当に海苔で『デブ』と書いてあるシーンも素直に笑える)    そもそもの発端である両親の離婚について娘の立場が描かれていないが、父との口論のシーンで「ママならそんなこと言わない」と捨て台詞のように言い切るところは、それだけで彼女にとってもはや母の存在は過去のものであるように思えた。   父娘役の2人に映画出演作が少ない俳優をキャスティングしたことも「何気なさ」を感じさせた。   強いてケチをつけるとしたら、ハンディカメラの撮影シーンが多いことで、じっくり観たい内容の作品にはあまり効果的とは思えず、むしろ観にくい。あと、弁当だけでなく毎日の夕食を作る苦労も描いても良かったのでは?
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[015]ホワイトリリー
 マシなのはこれ1作初代黒龍2018-02-11
 
 開巻間もなく轆轤(ろくろ)で作業する女性、手を止めると寝ぼけまなこで朝からビールを飲んでいる女に丁寧に挨拶する。これだけで、彼女は焼物の工房に住み込みで修行していて・・・
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 開巻間もなく轆轤(ろくろ)で作業する女性、手を止めると寝ぼけまなこで朝からビールを飲んでいる女に丁寧に挨拶する。これだけで、彼女は焼物の工房に住み込みで修行していて、師匠はどうやら怠惰な人らしいと分かる。作業を再開すると、この先生、少し離れた位置に居るのに弟子の手先の力加減の誤りを指摘する。いい加減そうな先生だと思ったら、そこはその道のプロだった。何と言うか「基本に忠実な」撮り方だなー、という印象で始まり、その後先生が若い男を連れ込んで、レズ関係が三角関係になり、男には実は彼女がいて、等々このテの作品によくあるエッセンスが程よく配合されていて、「作品」として観れる映画になっている。ラストで弟子は「ありがとうございました」と言うが、これは師弟関係においては別れの挨拶でもあり、その通り工房を去って行く彼女の姿で映画は終わる。  “ロマンポルノ・リブート・プロジェクト”ということで製作された5本が、幸いにもWOWOWで連続放送してくれたので全部録画して観たが、最後までちゃんと観れたのはこの作品だけで、他の4本は早送りにしたか途中まで観て消去した。所謂今どきの女は、いつからあんなに言葉遣いが汚くなったのだろう。電車内や街中でたまに耳にすると、正直言って総毛立つ。男が弱くなったと言われて久しいが、女は頭が悪くなった。人間性というものは態度や言葉遣いに如実に現れるもので、その人の程度というものもそれで測れる。消去した4本の登場人物は、そういう女ばかりで、ヌード以前に人間性の美醜を問いたくなる。かつての日活ロマンポルノは、セックスを通して人間の泥臭さや男女の本質的なもの(時に暴力的であっても)を描いていたと思う。だからこそ今でもDVD化されたこれらの作品群に興味が湧くのであり、所謂今どきの女を描いてもそれが10年20年先に作品として観れるかどうか疑問に思う。このプロジェクトに関しては、映画館でカネ払わずに観ないで良かったなー、というのが率直な感想。
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[016]ドント・ブリーズ
 意外と面白かった初代黒龍2018-02-11
 【ネタバレ注意】
サスペンスは苦手、ホラーはNGの自分だが、WOWOWで放送されたこの作品は、何故か興味深く観て、しかも面白かった。  若者の遊び半分にしか見えない強盗団だが、リーダ・・・
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サスペンスは苦手、ホラーはNGの自分だが、WOWOWで放送されたこの作品は、何故か興味深く観て、しかも面白かった。  若者の遊び半分にしか見えない強盗団だが、リーダーっぽい女は家族に問題を抱えていて、セキュリティに詳しい男も父親とはすれ違いらしい、という彼らの背景がわずか数カットのシーンで理解出来る脚本が上手い。被害者のはずが彼らを返り討ちにする爺さんがやたら強いが、元はイラクに派遣された軍人で、戦闘で目を負傷したことも、セリフのみだが上手く説明が出来ている(おそらく恩給で生活しているのかな、とも思った)。撮影も上手く、深夜の一軒家だから暗くて狭いという悪条件下で、見事なカメラワークで飽きさせないどころか、次はどうなるというサスペンスの定石通りの展開を観せてくれる。  犯罪に巻き込まれた娘の報復という横糸も、この爺さんの置かれた状況を上手く生かしている(ラスト近くで、乱射された銃の弾丸の一発が、亡き娘の写真を貫通するシーンも上手い伏線だと思った)。ただ、その事件の容疑者の女を監禁して、しかも彼女に自分の子を産ませようとして、自宅に自分の精子を冷凍保存しているというのは、少々ブッ飛び過ぎだ。これじゃ単なる異常者で、ここだけだと元兵士という説得力が無いのが惜しい。  それにしても「悪魔のいけにえ」といい「フローズン」といい、何故このテの映画は女の子だけ助かるのかね?悪いことをしたんだから(「悪魔のいけにえ」は女の子が被害者だった)処罰するべきでしょ。と思っていたら、あのラスト。新天地に向かうのに、何の希望も感じさせない。サスペンス映画のラストはこれで良い。  元兵士も悪く描くのはマズいのかな?ラストで死んでなかったのはそのためかと思った。  爺さんのセリフ。  「神の不在を受け入れれば人は何でもできる」
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[017]劇場版ポケットモンスター/ミュウツーの逆襲
 生命を創造するということ初代黒龍2017-11-23
 
この作品は「フランケンシュタイン」のリメイクであり、クローン技術に対する皮肉でもある。   最強のポケモンを創り出す研究、と言えば聞こえは良いが、その発端は冒頭で・・・
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この作品は「フランケンシュタイン」のリメイクであり、クローン技術に対する皮肉でもある。   最強のポケモンを創り出す研究、と言えば聞こえは良いが、その発端は冒頭でシルエットでしか登場しない科学者が亡き愛娘を蘇らせたいという願望であり、これはフランケンシュタイン博士と発想は同じことで、この時点で既にマッドサイエンティストである(怪しい科学者で思い出したけど「鉄腕アトム」でアトムの『父』天馬博士も亡き息子を蘇らせようとしてロボットを開発したのだった。そう言えばこの科学者のシルエットは天馬博士に似ていたな)。死んだ者を生き返らせるとか、受精以外の方法で生命体を創造しようというのは、人間は宿命的に考えることで避けられない問題なのだろうか?クローン技術そのものを完全に否定はできないが、現実的にはどう考えてもはかなく虚しい夢であり、愚かな妄想でしかなかろう。この作品のマッドサイエンティストも、自らが創造したミュウツーにあっさり殺されるが、これも自然の摂理に逆らった因果応報というやつだ。こういう問題を子供向けアニメで声高に叫ぶことにも無理があろうが、この作品では、冒頭の自分は何故産まれたのかというミュウツーの苦悩と、クライマックスで展開するポケモンとその『ツー』(クローン)達のあまりに虚しいバトルシーンが、それを象徴している。   ラストで『ツー』のポケモン達は、自分達が生きるべき地を求めて飛んで行く(ピカチュウ『ツー』は飛べるのか?)。物語を丸く収めるにはああいうラストしかなかったのだろうが、結局オリジナルと『ツー』には共存の道は無いということか。それに他所に行ってもそこが理想郷とは限らない、さらに過酷な道が待っているかもしれない。少なくとも希望を持てるラストシーンではなかった。   と、まあ思うところを色々並べましたが、こんなに理屈っぽくしなくても、とにかく楽しめるアニメであることに違いないし、自分もDVDで何度も観ている好きな映画だし、劇場版第1作に相応しい作品と堂々と言える。   嵐で海を渡れないシーンが少々長すぎると思うが。
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[018]日本の悲劇
 悲劇は近くにあり初代黒龍2017-10-31
 
好きな俳優だから仲代達矢が出ていれば何でもいいと思い、特に予備知識もなく映画館に行ったのだが、思いのほか強烈な作品で個人的にはこの年の邦画ベストワンに推している・・・
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好きな俳優だから仲代達矢が出ていれば何でもいいと思い、特に予備知識もなく映画館に行ったのだが、思いのほか強烈な作品で個人的にはこの年の邦画ベストワンに推している。   出演者はたった5人で、しかもそのうちの赤ん坊を含む3人は回想シーンのみの登場で、ほぼ全編仲代達矢の父と沢村一樹の息子との二人芝居である。父は大病を患い余命が長くないことを自覚していて、既に妻にも先立たれている。息子はリストラで失業し、父の年金に頼って生活している。嫁は愛想をつかして赤ん坊を連れて出ていくが、実家は東北で東日本大震災に被災して二人とも行方不明。これでもかとばかりに悲劇に見舞われるが、どれも特殊な設定とは思えない、観ているこちらにも十分起こりうる。その意味では正に日本の悲劇であり、感情移入出来ないまでも100%客観視も出来ない、実に上手い設定である。   ある日から父は部屋に閉じこもって飲食を一切断ってしまう。ということは排泄も断ってしまうわけで、こんなこと現実にも無理だし道理も通らない、と最初は思ったが、ここも色々考えさせられた。ハンガーストライキに見えなくもないが、誰に対し何を主張しているわけでもなし、我が儘を通そうとしているわりには自分の立場があまりに不利。あと考えられるのは「死」ということになる。「悲劇」という題のわりに、ひどく胸を締め付けられるような、身につまされるような、という描写でなく淡々と観れて後から考えさせられるのは、悲劇の内容が現実的なのに、物語の中核であるはずの父の行動が幻想的である、この逆バランス(つまり息子にとっての目の前の悲劇と、父に訪れるであろう先の悲劇)が映画としてうまく均衡がとれて描かれているからだと思う。   この作品、珍しくモノクロで撮られているが、孫の誕生を家族で祝うシーンだけがカラーで撮られ、本作で悲劇でないのはこのシーンだけである。この対比の効果も映画独特の上手い描写だ。
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[019]奇跡のひと マリーとマルグリット
 奇跡はひとが起こす初代黒龍2017-10-29
 
「奇跡の人」は言わずと知れた有名な戯曲だが、映画化は一度だけ(リメイク版が日本では劇場公開されたが、本来はアメリカのTV作品だ。ちなみにオリジナルでヘレン・ケラー・・・
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「奇跡の人」は言わずと知れた有名な戯曲だが、映画化は一度だけ(リメイク版が日本では劇場公開されたが、本来はアメリカのTV作品だ。ちなみにオリジナルでヘレン・ケラーを演じたパティー・デューク・アスティンは、TV版でアニー・サリバンを演じた)で、あくまで舞台劇という印象がある(日本での上演について調べてみたが、サリバン役に奈良岡朋子、有馬稲子、大竹しのぶ、ヘレン役に荻野目慶子、中嶋朋子、寺島しのぶ、菅野美穂、石原さとみと、錚々たる顔ぶれだ)。   そのタイトルが50数年振りに映画で使われたわけで、「人」を「ひと」に変えても設定は同じであろうことは明白だし、実際に全く同じ内容だった。19世紀後半にあった実話という点も同じだが、舞台は「人」はアメリカだが「ひと」はフランス、「人」のサリバンは家庭教師だが「ひと」のマルグリットは修道女と、どうしても違いを探して比較してしまうが、もちろんそれぞれに独立した映画であり、どちらも素晴らしい作品だ。   修道院自体が聾啞学校であり、会話も手話が多く観ているこちらは字幕が頼りなのだが、声が無いため全体的に静かなムードで物語が展開する。これが何とも心地良い雰囲気で、修道院を取り囲む木々や草原ののどかな空気がこちらにも伝わってくるし、コミュニケーションがとれず野獣のように暴れ回るマリーの苦悩もより自然に伝わってくる。映画の後半で、病床のマルグリットにマリーが食事を運んでくる(見えないから両手に物を持って歩くのは大変な作業だ)何気ないシーンなのに涙が出た。   「奇跡の人」では描かれなかった『死』に言及している点が興味深い。手で触れることでしか理解できないマリーには、死や神といった物体として存在しない物事を理解するのは至難の業だが、マルグリットはそれでもマリーに対してこの難題に真摯に立ち向かっている。こういう姿勢は、もはや言語を超越したものだろう。だからこそマリーは、最愛の師であるマルグリットの死を素直に受け入れるだけでなく、師の教えを伝えようと自身が後継者としての決意を固める。あのラストシーンは感動以外のなにものでもない。   マルグリット役のイザベル・カレが良い味を出していた。「視線のエロス」では、ほとんど一人芝居で、オールヌードにもなった可愛いコ、くらいの印象しかなかったが、あれから20年も経っていたのか!
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[020]最愛の子
 力作!初代黒龍2017-09-12
 
  凄いものを見せつけられた、というのが率直な感想。   何と言っても、前半・後半と別れる脚本が上手い!前半は子供をさらわれた夫婦が、わずかな情報を頼りに時には危な・・・
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  凄いものを見せつけられた、というのが率直な感想。   何と言っても、前半・後半と別れる脚本が上手い!前半は子供をさらわれた夫婦が、わずかな情報を頼りに時には危ない橋を渡ることもある捜索を続け、一時はセラピーに心の拠り所を求めるが、遂に地方の村で我が子を発見する。しかし、空白の年月は残酷で、我が子は実の両親の顔を忘れていた。一方後半は、亡き夫が誘拐した子供と知らず、実の子として育ててきた女が、乏しい財力で何とか協力してもらっている弁護士と共に、子供を取り返そうと必死に行動する。つまり同じ一人の子供をめぐって、前半は生みの親、後半は育ての親のそれぞれの葛藤が描かれるが、どちらにとっても『最愛の子』である。    中国で実際に起きた事件の映画化で、産児制限政策による弊害や、国民一人当たりの経済状況等がその背景にあろうことは観ていて分かるが、この作品はそうしたことを超越した、親と子の根源的なものが描かれている。どんな国でも起こり得る事件であり、どんな親でも子を思う心は変わらない。作中『絆』という言葉は出て来ないが、これ程『絆』というものを描き切った作品は例が無いだろう。    後半のヒロインで、ノーメイクで難役に挑んだヴィッキー・チャオの熱演が素晴らしい。ラストで彼女に訪れるサプライズには、観ているこちらも「おめでとう」と言いたくなる(よく考えたら私生児を身籠ったのだから、ちっともめでたくは無いのだが、映画のラストとしては救われる思いがした)。    冒頭、電話や電気の引込線が、電柱で鳥の巣みたいにゴチャゴチャした固まりになって(近隣住民はここから勝手に線を引っ張って使っているらしい)アップで映るが、映画で描かれる複雑な人間関係を象徴しているように思える。
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[021]マンガをはみだした男 赤塚不二夫
 思えば幸福な人初代黒龍2017-07-17
 
 ドキュメンタリー映画の面白さは、知られざる事実の発見で、「狭山事件 石川一雄・獄中27年」は知らないことばかりだったし、「AMY エイミー」はそういう歌手がいたことさ・・・
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 ドキュメンタリー映画の面白さは、知られざる事実の発見で、「狭山事件 石川一雄・獄中27年」は知らないことばかりだったし、「AMY エイミー」はそういう歌手がいたことさえ知らなかったので、未知の連続に驚きながら興味深く観た。逆に短所というか引っ掛かるのが、描かれている事実に共感出来ない為に、映画として面白くなくなることで、「ゆきゆきて、神軍」は力作ではあるが劇映画的な面白さであって、主人公の思想はもちろん彼を追いかける意図がそもそも理解出来なかった。「FAKE」は撮る者と撮られる者の距離が少しずつ短くなる構成が上手く、ラストの演奏シーンはホントに感動したが、主人公に対する疑惑が結局スッキリしない点は共感出来ない。  本作は、前半は興味深かったが後半は共感出来なかった。戦時中の体験を描いたアニメや、古谷三敏、水野英子、土田よし子等々、肉声を聞ける機会の無い漫画家が何人も登場するのが楽しめた。特にトキワ荘の重鎮、寺田ヒロオ先生の映像で残っていたのには驚いた。一方、舞台や映像に自身が姿を見せる後半は、マンガを追求して自分がマンガになったというのはこじ付けもいいとこで、売れないお笑い芸人のマル秘映像みたいで、観ていて悲しくなった。やはり、物書きは描いた作品がすべてであり、描いた本人が出て来る必要は無いはずだ。それでも、そこまで行ってしまったのは、もはや描けなくなったからなのか?映画の中でも誰かが言ってたが、「おそ松くん」は純粋に笑えたが、「レッツラゴン」は理解出来なかった。あの頃は相当迷走していたんだろうな、と読者としても感じた。  こうした作品に対する評価も含めた赤塚不二夫という人の生き様を描いているようだが、どちらかというと赤塚不二夫に影響を受けた人々の談話をまとめたような作品だ。とは言え、それで1本の映画が出来るほど多くの人に影響を与え、しかも氏に育てられた人も大勢いる(それこそ古谷三敏からタモリに至るまで)。作風の迷走とアルコール中毒には苦しんだろうが、人との出会いに恵まれた点では幸福な人だったのかな。観終わって、そう思った。
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[022]忍びの国
 呆れて納得できぬ驚愕のラスト初代黒龍2017-07-09
 
 互いに地面に線を引き、その2線内でのみ格闘し、線をはみ出ると他の者から攻撃される(プロレスのランバージャック・デスマッチと同じ)、冒頭とラスト近くで行われる『川』・・・
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 互いに地面に線を引き、その2線内でのみ格闘し、線をはみ出ると他の者から攻撃される(プロレスのランバージャック・デスマッチと同じ)、冒頭とラスト近くで行われる『川』というこの攻防は興味深かった。負けた者が倒れて『川』の字になるわけだが、これが伊賀に実際にあった風習かどうかはとにかく、明日は知れない者達にはある意味では修行とも言えたのかもしれない。   と、感心したのはここだけ。忍者モノが好きだから観に行ったが、期待外れどころか、暇つぶしにも勿体無い出来の悪さだ。時代劇の登場人物だからそれなりの話し方なのに、なぜか大野智扮する主人公だけが現代の言葉使いで、彼に関しては時代考証もクソもない。主人公が喋る時だけいつの時代か分からない時代劇って一体何なんだ?彼だけ特殊な存在であると強調したいなら、「無門」という名前だけで十分表現出来ている(ラスト近くで、自分は元々人買いに売られた孤児で、本当の名前など分からないことを告白しているが、これだけでも主人公が孤高の人であることは伝わってくる)し、冒頭のシーンだけで腕の立つ忍者であることは分かるわけで、それ以降のシーンは単に態度が悪いだけにしか観えない。逃げるはずだった忍び軍が織田軍に反撃するクライマックスも、展開としては別に目新しくもないので、特に盛り上がりも無いそれなりの乱闘シーンである。欲のままに生き、己のことしか考えぬ、いずれ奴らの子孫がそういう世を作る、ということを織田軍が呟いて、一瞬現代の若者たちが映る。なるほどそれを言いたかったのか、と思ったらこれがラストではなかった。以降もどうでもいいシーンがダラダラ続いて、早く終われよという思いで観ていた。幕切れの子供を連れた主人公の姿に何の感慨も無いし、あそこで映画館から出て行った人が何人も居た。原作者自身の脚本だそうだが、別の人にやらせた方が良かったんじゃない?原作を読む気にもならん。   鈴木亮平と石原さとみは良かった。長身の鈴木亮平では役柄も限定されるのでは?と思ったが、そういうものを感じさせない器用さが有る。石原さとみは時代劇に合っていると思う。勝気な性格で主人公をやり込めているが、いざとなると命懸けで彼を守るあの時代らしい女性を上手く演じていて、「シン・ゴジラ」のクソ生意気な小娘とは雲泥の差である。   大野智のファンならそれなりに楽しめるだろうが、そうでない者には単なる映像だ。
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[023]フィラデルフィア物語
 あゝ上流社会初代黒龍2017-06-19
 【ネタバレ注意】
 かつての古き良きアメリカは、日本にとっては自分達と比べ物にならない豪華な暮らしをしている(戦争で勝てるわけがないほど)超大国であることが、こういう映画を観ていると・・・
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 かつての古き良きアメリカは、日本にとっては自分達と比べ物にならない豪華な暮らしをしている(戦争で勝てるわけがないほど)超大国であることが、こういう映画を観ていると嫌味なくらい伝わってくる。いかにも舞台劇の映画化らしい激しいセリフの応酬は、それでもスカッと聞こえるのは監督の上手さであり、K・ヘプバーン、J・スチュアート、C・グラントのトリプル主演はそれだけで楽しめる魅力的な顔合わせである。にも関わらず、途中まで惰性で観ていて、コメディの割にあまり笑えないのは、やはり上流社会そのものが嫌味に感じるこちらの問題だが、アメリカという国そのものがこちらの手の届かない上層部に居るようにも思える、そんな自分に嫌気を感じながら観ていたからだろう(現代のアメリカには、さほど憧れは無いけれど)。  後半、それまで女王だ女神だと祀り上げられていたヒロインが、他人を認めることも出来ない器の小さい存在だったことに気付かされるが、ここから彼女がいかに人間的に成長していくかに興味が移る。考えてみると、この映画に描かれる上流社会は憧れの対象になるものではなく、むしろ全編上流社会に対する皮肉を感じる。ヘプバーンは生まれも育ちもいかにもお嬢様として描かれているが、だからこそ泥酔して婚約者に愛想をつかされるシーンが生きてくる。グラントは、かつて彼女との結婚によって上流社会というものを知ったわけだから、彼女とその家族に対する見方が冷静かつ第三者的である。スチュアートに至っては、ハナッから上流社会とは無縁であり、流れに任せて動いているようで、意外と誰とも上手く渡り合っていて、ラストでは結婚の付添人まで引き受け、ある意味一番人間らしい存在にも観える(仕事仲間の女性が彼に思いを寄せていることに気付かないのも彼らしい)。  幕切れで、カメラのストロボを3人が同時に睨み付けるが、上流社会をこれ以上食い物にするなと言いたいのか、上流社会でなく個人の問題だからジャマするなと言いたいのか、一瞬のうちに色々考えた。  キャサリン・ヘプバーンは、「アフリカの女王」でもお嬢様だったし、晩年の「招かれざる客」も上流階級だった。同じヘプバーンでも、オードリーはどんな役を演っても天使のような美しさだった。結局どちらのヘプバーンも手の届かない存在だ。
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[024]ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃
 平成以降で最も好きなゴジラ映画初代黒龍2017-06-18
 
 過去作品の設定に独自の解釈を加えて新しいものにするのは、特にシリーズものではよくあることだが、この作品はかなり独特な発想で実に興味深い。何しろ他作品では地球を襲う・・・
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 過去作品の設定に独自の解釈を加えて新しいものにするのは、特にシリーズものではよくあることだが、この作品はかなり独特な発想で実に興味深い。何しろ他作品では地球を襲う宇宙怪獣のキングギドラが、本作では日本の守護神としてゴジラに立ち向かうのだから凄い発想の転換である。ただ、ゴジラが戦没者の怨念の象徴というのは、設定に無理があり過ぎる。戦争の問題を持ち出すなら、対戦国で暴れずに日本(本土)を襲撃するのは腑に落ちないし、戦争を忘れて平和をむさぼる現代人への警鐘というなら、冒頭の遊び半分で動物を虐待するガキ共が踏み潰されるシーン以外にはその発想は生かされていない(ゴジラが最初に姿を見せるのは焼津港だが、ここは第五福竜丸が帰還した港である。ということも、言われなければ解らない)。  と言いつつ、そういった理屈っぽいことは置いといて、ひたすら画面に集中させてくれる特撮技術はお見事!初顔合わせになるゴジラとバラゴンのバトルシーンは、冷静に考えると着ぐるみ姿の2人の俳優が画面に居るだけだが、そんなこと気付かせない観応えがあった。「ガメラ」3部作の実績を見事に活かした金子修介監督、十分に酔わせて頂きました。  平成版以降を観ていて残念に思うのは、昭和版の平田昭彦みたいに、ゴジラ映画と言えばこの人、といえる俳優が居ないこと。本作でも大和田伸也と南果歩は良い役どころの割には影が薄い(「ゴジラvsスペースゴジラ」は、イメージに合わない俳優ばかり出ていた気がする)。新山千春も主演とはいえ、単独のシーンがやけに多くて長い。デジタルビデオ片手にマウンテンバイクで疾走するシーンがクライマックスだが、あそこまで執念深く追い続けるのは、ジャーナリストの使命感だけとは思えず、彼女の心情が伝わって来ないのが惜しい。おかげでラストの父との再会シーンがちっとも感動しない。個人的には好きな女優の一人だが。  スーパーで買い物中に「ゴジラがなんなのよー」と叫ぶおばさんが結構強烈だったが、調べたら水木薫だった。「聖子の太腿 女湯子町」のお姉さん役が印象に残る元日活ロマンポルノ女優だが、出身は舞台女優で、今では脇役ながら演技派として活躍している。
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[025]ホーンズ 容疑者と告白の角
 建前ナシ本音だけの怖さ・面白さ初代黒龍2017-05-31
 
 「ハリー・ポッター」シリーズ全作を観ているD・ラドクリフのファンにとっては、観るのにある程度の覚悟が必要だと思うが、そうでない者にとっては意外と面白い作品だった。・・・
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 「ハリー・ポッター」シリーズ全作を観ているD・ラドクリフのファンにとっては、観るのにある程度の覚悟が必要だと思うが、そうでない者にとっては意外と面白い作品だった。  開巻間もなく、主人公は容疑者として罵声を浴びるが、その事件については詳しい説明が無く、恋人を殺したらしいことは物語の進行で分かってくる。家族とはもちろんのこと、回想シーンにみる友人との関係も良好とは言えないこの主人公、ある朝突然頭に角が生える。ここまではサスペンス・ホラー調の暗さで描かれ、ここからはファンタジック・ミステリー調でコメディのテイストも感じるのが意外に思えた。角が生えて以降の周囲の人々の反応だが、誰もがホンネでしか話さなくなり、女はやたらと口汚くなり、男は何かというと暴れ出し、挙句の果てには、実はゲイだった2人の警官がパトカーの中で脱ぎ出す始末。始めは不快に観ていたが、段々と愚かしく観えてきて、最後には笑えてくる。主人公もこの現象に当初は困惑するが、最後はこれを逆に利用して(何しろ皆ホントのことしか言わないのだから)真犯人の自白に至る。これは上手いアイディアだと思う。どうしてこういう脚本が書けるのかなー。ただ『告白の角』の必然性がよく分からないので、ネットで少し検索してみたが、そういう古典や例え話が有るわけでもないようだ(占いのHPによると、頭に角が生える夢を見るのは、自分の中にあって外に出たがっている何かを示しているのだとか)。  似た設定の別の映画を思い出した。「ハート・オブ・ウーマン」で、主人公はある日突然、女性のみ老若問わず心が読めるようになる。これを仕事に利用して、女性仕様の商品の宣伝に力を発揮し、一方不仲だった一人娘の気持ちも理解出来るようになるが、ラストではこの『力』が無くなり、結局自身の人間性がすべての解決策になるという話(メル・ギブソンのコメディも珍しい)。本作のラストも、ただ事件が解決するだけでなく、角が無くなって主人公が一歩成長した姿になる、という方が良かったのでは?
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[026]マミー・マーケット
 現代版「青い鳥」初代黒龍2017-05-31
 【ネタバレ注意】
 『スカイパーフェクトTV』がまだ『スカパー』ではなかった頃、たまたま観た映画だが今でも印象的な場面をいくつか思い出す。日本未公開で全体的にB級の出来だが、アイディ・・・
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 『スカイパーフェクトTV』がまだ『スカパー』ではなかった頃、たまたま観た映画だが今でも印象的な場面をいくつか思い出す。日本未公開で全体的にB級の出来だが、アイディアの良さとシシー・スペイセクの名演はA級の面白さだった。シングルマザーにしてキャリア・ウーマン、家事も躾けも完璧なママは、あれこれうるさい。3人の子供達は、オシャレなママがいい、一緒に遊んでくれるママがいい、楽しいママがいいと、わがままを並べるが、子供としてはよくある発想。だが、それが現実になったら果たして幸福といえるだろうか?実は本当の幸福は、すぐ近くにあるのでは?  結局この作品は、メーテルリンクの「青い鳥」の焼き直しだが、むしろ『青い鳥症候群』に対する皮肉にも思える。現実が見れずに理想だけを追い求めても哀れなだけだが、それを象徴するように、理想のはずのママ達があまりにも誇張され過ぎていて、面白いことは面白いが、どのママも現実離れした存在だ(元々マミーマーケットが現実離れした空間だから、そこから来たママも同様であろう)。どんなに極楽浄土を求めたところで、人間は今居る場所でしか幸福はつかめない。洋の東西を問わぬこの思想を理解させるのに、この3人のママ達は実に分かり易く、かつ強烈である。ママ達が去り子供達も夢から醒め、やっぱりホントのママが一番だ、という分かり切った結論に至るが、子供達の笑顔を観ると、こうして彼らは成長していくんだろうなと、これまた分かり切ってはいるが爽やかな気分になる。これで終わるのかと思ったら、家庭訪問に来た教師が、2番目のママが仕掛けた罠に掛かってもがいている、というのがラストシーンで、夢かと思ったマミーマーケットは実在したのか?と思わせる上手い幕切れである。  さらに目を見張るのがエンドロールで、ホンモノと3人のママ達は、メークを巧みに使い分けたシシー・スペイセクの1人4役だったことが映し出される。ここを観ているだけでもかなり笑える。  この映画にはプロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントが脇役で出演しているが、「ゴールデン・ボンバー」でハルク・ホーガンが、「ACACIA」でアントニオ猪木が、「リングリングリング 涙のチャンピォンベルト」で長与千種が、それぞれプロレスラー役で主演しているのに、アンドレはサーカスの巨人役だ。本人は納得して出たんだろうが、ファンとしてはプロレスがナメられているみたいで少し寂しい。
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[027]追憶
 静けさの中の奥深さ初代黒龍2017-05-13
 【ネタバレ注意】
 あまり期待していなかったが、意外と面白かった。若手・中堅実力派俳優をこれだけ集めた、という単純な楽しみもあり、また、無駄に長い昨今の日本映画にあって99分は程よい・・・
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 あまり期待していなかったが、意外と面白かった。若手・中堅実力派俳優をこれだけ集めた、という単純な楽しみもあり、また、無駄に長い昨今の日本映画にあって99分は程よい上映時間だ。  殺人事件が発生したが、被害者と刑事と被疑者の3人が、実は幼少期を共にした友人で、決して口外出来ない過去を共有し、それぞれが現在の家族に悲喜こもごもの問題を抱えている。これだけ複雑な設定でありながら、最低限に留めたような少ないセリフで進行するのが意外だった。長澤まさみの妻がタンスの衣類を荒らしていると、岡田准一の夫が「退院してきたばかりだから」と止めさせる。彼女は後のシーンで、子供ができれば少しは寂しくなくなると思ったのに、と告白し、前の方のシーンでは、子供の靴がまだ残っていることを気にしている。これだけで流産が夫婦に亀裂を作ったであろうことは推測できるし、ラスト近くで、小栗旬の友人の妻の出産を岡田准一が素直に喜ぶシーンにも生かされている(ここで互いを「ちゃん」付けで呼び合う何気ないやり取りが泣ける)。  安藤サクラの喫茶店主が孤児の面倒をみている理由と、彼女に思いを寄せる吉岡秀隆の職業が不明確なことが引っかかるが、とにかく登場人物の殆ど全員の抑えた演技が全編に生きている(冒頭、本編と無関係の児童虐待男が出て来るが、コイツのわざとらしくツッパった芝居が、薄っぺらくて逆に浮いていた)。被害者の娘への捜査から身内の犯行とあっけなく判明するが、この少女が最初の証言では平然としていたのも少々ツッコミたくなる点だが、しかしラストで叔母と2人で献花するのを観て、彼女も両親から切り離されたわけで、主人公達と同じような運命をこれから生きるのかな、とも思った。  幕切れで小栗旬が、かつて生活し今は廃墟となった喫茶店を解体するが、これから新しい生活を切り開こうとしているのか、消せない過去と分かっていて何とか消そうとしているのか、どちらにも解釈出来るシーンだった。
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[028]サヨナラの代わりに
 またかよ、と言いたいがやはり感動する初代黒龍2017-05-13
 
 主演のヒラリー・スワンクとエミー・ロッサムの演技合戦が素晴らしく、脚本もよく出来ている感動的で観応えのある作品だが、個人的には素直に感動出来なかったのは何故だろう・・・
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 主演のヒラリー・スワンクとエミー・ロッサムの演技合戦が素晴らしく、脚本もよく出来ている感動的で観応えのある作品だが、個人的には素直に感動出来なかったのは何故だろうか。  難病モノ映画はもはや1つのジャンルのようで、昔から力作・感動作は多々ある。白血病がテーマの「クリスマス・ツリー」、「ジョーイ」は今思い出しても泣けるが、「愛の選択」、「オータム・イン・ニューヨーク」はスター俳優が主演の割にはさほど伝わってくるものは無かった。HIVを描いた「私を抱いてそしてキスして」は情報が少ない頃に作られて随分苦戦したと思うが、「マイ・フレンド・フォーエバー」はエイズ問題と少年の友情が上手く描かれた秀作だった(世間ではあまり認められていないようだが)。さて本作は、身体の自由が利かない患者と介護士を描いた「私の愛、私のそばに」、「最強のふたり」と同じ内容で、要するに「また難病モノかよー」という先入観の方が強過ぎて、素直に感動出来なかったわけでした。  同じ内容なのでどうしても比較してしまうが、「私の愛〜」のヒロインは何度か結婚に失敗していて、「最強の〜」のパートナーも種々の問題を抱える黒人で、本作のエミー・ロッサムの介護士は介護どころか本人の生活態度がかなり怪しい。共通するのは(本作のヒロインも言っているが)本音で話し合える相手が欲しいということで、それは理解出来るが、ベテランの介護士でも腹を割って話せる人は居るはずだろうが、そういう脚本は書けないものかね(「マイ・ライフ」で、マイケル・キートン扮する主人公のガンが末期になり、ベテランの黒人女性介護士が寄り添う。出番は短いが印象は強かった)。   友人のパーティーに招かれたが、病気の進行で友人の子を抱くことも出来ない。ヒラリー・スワンクの主人公はそれまで気丈に振る舞っていたが、どうしても子供が欲しかった、浮気した夫なのに今でも好き、と初めて弱みを見せる。せめて大声で叫べたら、と言われたエミー・ロッサムが代わりに絶叫し、来年は招待されないわねと笑う。このシーンは印象的だった。  エンドロールで流れるエミー・ロッサムの歌声はなかなか魅了される。ミュージシャンとして挫折した役だから余計にそう思うが、調べたら彼女はオペラの基礎があって、実際は歌は得意技だったんですね。
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[029]LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門
 傾げた首が戻らない初代黒龍2017-05-02
 【ネタバレ注意】
 「ブラック・ジャックALIVE」という全2巻の漫画があるが、手塚治虫の原作を総勢22名の漫画家がそれぞれのブラック・ジャックとして描いていて、長身もいれば眼鏡をか・・・
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 「ブラック・ジャックALIVE」という全2巻の漫画があるが、手塚治虫の原作を総勢22名の漫画家がそれぞれのブラック・ジャックとして描いていて、長身もいれば眼鏡をかけていたり、顔の傷がオリジナルと左右逆だったりと様々だ。異なる作者が描いているのだから、全作品が別個の世界観になるのは当然だが、本来のコンセプトが生かされているかは疑問だ。個性と言えばそれまでだが、下手すれば玉石混交の危険もあろう。  その点を踏まえると、「ルパン三世」は実に不思議な作品で、何本も製作された劇場版・TVアニメのどれもが個性的だが、誰が作っても「ルパン三世」である。基本は泥棒一味と警部の追っかけだから、話なんかいくらでもいじくることは簡単で、事実そうやって何本も作られたわけだが、出来た作品を観ると「ルパン三世」という世界観はいくらもいじくれていない。そういう作品なのだと思う。  しかしながら、本作はいじくる方向性が違うようで、首を傾げて元に戻らない。いくらスピンオフ作品とはいえ、「ルパン三世」にしては余りに陰惨である(前作「次元大介の墓標」も重い作品だったが、ハードボイルドという点では観応えがあった)。賭博を仕切るヤクザ組織(と言うより、闇の結社という感じ)のキャラが、いかにもそれっぽく作り過ぎているし、2丁斧の大男もターミネーターじゃあるまいし、感情無しに人を殺し過ぎる。自らの道に迷い続けた末の五エ門の「見えた!」の一言はいかにも彼らしいが、続くシーンでは、居合いで斬られたヤクザ達の右手首が大量に宙を舞う。一見華やかだが、実に残酷。ラストで、両肩の肉をそぎ落とされて、筋組織がハッキリ見えているのに一滴の血が出ないうえに、その状態で刀が抜ける五エ門の方がバケモノに観えてくる。さらに気になったのは、前・後篇で上映時間54分は、いずれTVで放送するための時間枠を意識しているように思えてならない。事情は種々あるのだろうが、もう少し脚本を煮詰めて欲しかった。  幕切れで、ルパンを逃がした五エ門が銭形警部に刃を向ける。このシーンが一番新鮮なものに観えた。
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[030]真白の恋
 真っ白な映画初代黒龍2017-04-30
 【ネタバレ注意】
 キスシーン無し、ベッドシーン無し、手を握ることさえ無し。今どきこんな単調な恋愛映画があるか、と言いたいところだが、今どきだからこそこんな恋愛の原点のような光景が、・・・
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 キスシーン無し、ベッドシーン無し、手を握ることさえ無し。今どきこんな単調な恋愛映画があるか、と言いたいところだが、今どきだからこそこんな恋愛の原点のような光景が、むしろ新鮮な気持ちで観れる。誰かのことが気になって、その人のことばかり考えるようになって、その人と会っていると楽しくて、次の日にはまた会いたくなっている、それが恋愛というものであり、その通りに映像化したのがこの作品である。タイトルの『真白』はヒロインの名前だが、作品全体の空気も真っ白で、観ているこちらも真っ白な気分になる。  ヒロインが軽度の知的しょうがい者という設定が上手く生かされていて、主演の佐藤みゆきが嫌みも暗さも無く、感傷的な空気も感じさせず、淡々と演じているのが好感が持てる。セリフが「わかった」とか「いらない」とか、一語で完結する言い方になるのも、何となく聞いていて気分が良い。それだけに物語の終盤で、この恋が実らないと感ずいたのか、「どうすれば普通になれるの?」という真白のセリフにはグサッときた。  しょうがい者について特に問題提起している作品ではなく、その点はセリフのみでオブラートに包んだようだ。真白の兄が彼氏の襟首を掴んで、しょうがい者をナメるなみたいなことを叫ぶシーンで、しょうがい者の恋愛を認めようとしないアンタこそ差別してるじゃないか、と観ていて思ったし、真白の知的しょうがいを初めて知った彼氏が、社会に適応出来ないからしょうがい者だと言うなら僕なんかとっくにしょうがい者だ、というセリフに真実味を感じた(彼氏の職業はフリーカメラマンで、スポンサーの一人があいつはいい仕事をするが扱い難いと言うシーンがある。こういう何気ないセリフの使い方も上手い)。  明確な結論を出さないラストだが、結局恋というものはそういうものだろう。しょうがい者だから、と屁理屈言わせないようにするには、ハッキリしたラストでない方がむしろ良いのかもしれない。  東京に帰る彼氏を見送りに真白が駅に駆けつけるシーンで、彼氏は車窓から乗り出して「ありがとう」と手を振り、真白は「バイバーイ」と叫び続ける。爽やかな情景ではあるが、真白ちゃんはこれでいいのかい?とも思った。あ、これが屁理屈か。
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