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 「藤田嗣治支援会」さんのコメント一覧 登録数(5件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]椿三十郎
 三十郎は三船を意識して作られた藤田嗣治支援会2008-02-16
 【ネタバレ注意】
黒澤作品のリメークだけに、その反応も大きいようですね。市川昆監督もついに旅立たれ、残る巨匠はもう新藤兼人ひとりになってしまいましたが、まさか市川監督の作品もリメーク・・・
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黒澤作品のリメークだけに、その反応も大きいようですね。市川昆監督もついに旅立たれ、残る巨匠はもう新藤兼人ひとりになってしまいましたが、まさか市川監督の作品もリメークされてしまうとは考えたくない。市川監督は「ビルマの竪琴」と「犬神家の一族」をそれぞれリメークしたが、これは監督として描ききれなかったもの(例えば白黒をカラーにしたかったなどの)があったり、現代の俳優をリメーク版で出演させ、映画の真骨頂とはこんなものだと自己顕示よろしく次世代に伝えるという具体的な目的がありそうだ。しかし「椿三十郎」のリメークとなると、その理由が思い浮かばない。まず、あの黒澤作品は「用心棒」があったから生まれたようなもの。会社から三十郎でもう一本作ってくれといわれなければ出来なかったかもしれない。しかも山本周五郎の原作「日日平安」に出てくる主人公は三十郎のような屈強な男ではない。お腹がすいて腹も切れずペタンと座っているような、まさに現代日本の気力の抜けたところを感じさせる雰囲気があったというから、主演も実のところフランキー堺を考えていたそうです。ところが「主人公は三十郎でもいけるぞ」と勘がはたらいた黒澤監督が共同執筆で書き上げたのがあの椿三十郎だといわれている。いわば、三十郎は「三船敏郎」がいなければ生まれなかった作品でしょう。原作の感じでは、腕はたたないが頭はさえている、という「幕末太陽伝」のフランキー堺そのものを思わせる男なのですが、その部分で活躍した織田裕二ではなく、三船三十郎を演じてしまった。はじめて「用心棒」と「三十郎」を見たとき感じたのは「この男はどこの藩士だったのか?」を思わせる、どこかワケありの過去を引きずっているところに魅力があるのだが、織田裕二にはそれがない。室戸にもそれなりの過去があるはずなのに感じられない。映画では一切その過去を語らないが、それがまたいいのです。「赤ひげ」も同じスタンスをとった。恐らくオランダ人の血が流れているのであろう、この髭の赤いレントゲンのように突き刺す目をもった医師の過去は映画ではまるで語られない。しかし、それが観客の想像をかきたててくれる。黒澤は説明がくどいといわれるが、これは個人的感覚に訴えるものだから、大した要素ではない。それより主人公の設定をした際に、台詞以外になにを語ったかが問われると思うのです。映画の成功も、実際の台詞以外で語られることが多々あるのですが、果たしてこのリメーク、そういう意味では饒舌なのでしょうか?
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[002]アメリカン・ビューティー
 自己の構築?藤田嗣治支援会2006-10-17
 
字幕は魔物だね。うまく状況に合えば明言さえ生まれてしまう。 「おまえには自己の構築が必要だ」 なるほど・・・盗撮や麻薬の売買、そして学校を放り出された経験と、父親を悩・・・
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字幕は魔物だね。うまく状況に合えば明言さえ生まれてしまう。 「おまえには自己の構築が必要だ」 なるほど・・・盗撮や麻薬の売買、そして学校を放り出された経験と、父親を悩ます 要因は沢山ある。そこで「自己構築」必要性を問う。 しかし、言わせてもらおう。この部分の原文となった英語は "You need structure." だ。「自己構築」でなんの不自由も感じないであろう。しかし、本当は もっと平たい表現であり、ネオナチの堅物でありながら、ホモセクシャル である自分を責め、それを息子に転嫁しているこの哀れな父親が「自己構築」 などと哲学的なことを吐くだろうか? この映画が哲学的だという意見がある。そうかも知れない。しかし、見方を 帰れば、この映画はアメリカンのリアリティを描いたものなので、一見哲学風 に見えながら全く無縁の映画ともいえるのではないか。 哲学の流れを汲むなら「自己構築が必要だ」でいいだろう。しかし、これは単に 「おまえには気骨がない」 といっているくらいにしか聞こえないのは、俺に芸術性哲学性がないせいなのか。
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[003]醜聞〈スキャンダル〉
 黒澤嫌い、田中康夫嫌い藤田嗣治支援会2006-09-16
 
黒澤を日本映画の権威とまつりあげ、その権威の象徴としてしか映画がみられな い人々は思ったより多くおられるようですね。たしかにその演出振りや、多方面 に放つ眼光、発言、・・・
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黒澤を日本映画の権威とまつりあげ、その権威の象徴としてしか映画がみられな い人々は思ったより多くおられるようですね。たしかにその演出振りや、多方面 に放つ眼光、発言、態度の鋭さは「オレは天皇だ」とはばかって自他共に認める ような雰囲気につい飲み込まれてしまう。しかしだ、映画監督たる地位にいる人 間は、市川監督が曰く、ひとたび監督が撮影に入ると、常人ではいられなくなる ほど苛烈な創造を強いられるのだ。個人の黒澤はニコニコとやさしい人物のよう に語られることが多いが、私はそうではないような気がします。 しかし、それと出来上がった映画と何の関係があるのでしょうか。三島由紀夫が かつて黒澤映画を評し「小学生レベル」と言ったと聞きます。黒澤の食わず嫌い は多いようですが、三島の評論を無条件に飲み込む人達も多く、映画の評論とは ますます難しいものだと感じます。結局、自分で見て判断するしかないわけで、 いちいち、「オレにはこんな映画わからない」と周りを意識するような評論はい かがなものでしょう。 この映画には日本復興のための勇気づけるエネルギーがあります。映画を見て日 本的ではないとかナントカ、史実を基本とした戦争映画以外にそんな制約は映画 が素晴らしければいいのではないかと思います。蛍の光をバーの客が一斉に涙を 流しながら歌うシーンをバタ臭いと思えば思っていいでしょう。戦後の日本ほど 風俗的にバタ臭い時期もなかったわけですから、ごく自然な風景描写だと思えま すが。その点、下のどなたかと同じ感想を持っています。本当に黒澤という人は ジャーナリスト以上にジャーナリスティックですね。日本に法廷劇を持ち込んだ のは黒澤が最初ではありませんか? 的
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[004]チャイナタウン
 「怠け者の町」は誤訳藤田嗣治支援会2006-06-28
 【ネタバレ注意】
プロの立場から言わせてもらう。素人判断はまったくこまったものだ。Chinatown が「怠け者の町」であるはずなく、映画で二度出てくる as little as possible は、絶対「怠け者・・・
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プロの立場から言わせてもらう。素人判断はまったくこまったものだ。Chinatown が「怠け者の町」であるはずなく、映画で二度出てくる as little as possible は、絶対「怠け者の町」になろうはずはない。翻訳者は誰だか知らないが、とんで もない誤訳である。この review には様々な感想が綴られているが、ごく少数の 例外を除外し、外国語(この場合英語)を理解している御仁がほとんどいないよう だ。字幕翻訳の守護神、岡枝慎二氏は10ヶ国語ほどの翻訳を手がけておられるが、 英語字幕でこれだけのミスがあることをどのようにお考えであろうか。英語以外の 翻訳作業の担い手がいないと嘆いておられる岡枝氏であるとうかがうが、英語人口 の幅から考えて、この体たらくだ。トム・クルーズの通訳をなさっている日本字幕 翻訳の大御所について言えば、「名人芸」と「完全誤訳」が同居している塩梅なの だから、これは大変なことである。 白人にとって、Chinatown とは、「なにもしなくていい町」という意味である。 「なんにもできない」という絶望感がなくてはあのラストが生きてこない。それを 「怠け者の町」ですって?冗談じゃない。また、そのエセ字幕に乗っかってあれこ れ言うのも、滑稽というしかない。もうひとつ言わせてもらえれば、あの映画のバックボーンにあるのは、第一次世界大戦のあとの世界観、つまりヘミングウェイや フィッツジェラルドに代表される lost generation の感覚なんだな。あの主人公 はそれを具現化している。決して「カッコーの巣の上で」のマクマーフィーとは同じではない。ジャック・ニコルソンはすばらしいが、ニコルソンだけに引きずられ てはならないのだ。
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[005]ジャッカルの日
 今の映画は全部マンガ藤田嗣治支援会2006-06-17
 
今の映画は、特に邦画はマンガ。映画はここに完全に衰退したり。ルーズソックス が携帯をもってフラフラしているようなマンガ現実にはピッタリなのかも知れない が、所詮現実逃・・・
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今の映画は、特に邦画はマンガ。映画はここに完全に衰退したり。ルーズソックス が携帯をもってフラフラしているようなマンガ現実にはピッタリなのかも知れない が、所詮現実逃避からくるマンガ風潮にはボロがでる。「殺し屋」というマンガの 題材にしてはもう手垢にまみれているような題材は、どう劇的に撮っても描いても マンガ以下にしかならぬ。その点、殺し屋の開祖的存在であるこの映画の張りの強さは見ていてホッとする。ゴルゴ13?冗談じゃないよ。殺し屋ってのは、もとも と Double Cross なんだな。その存在すら記録に残らないから、殺し屋が殺され たってだれも殺し屋の存在を知らないわけだから、殺し屋は最初から存在しなかったことになる、そういう世界だ。フレッド・ジンネマンはそれをそのまま見事に撮った。「ジャッカルとは一体何者だったのだ?」というのが殺し屋の宿命なんだ。 マンガじゃない。もっとヘビーなんだよ。
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